Koki-Ogawa-giappone-mondiali650

高市首相の「世界の真ん中で咲き誇る(私と安倍さま命の)日本外交」という世界の辺境の住人にしか思いつけない噴飯フレーズ。

麻生似非上皇捏造工作。

国民より国旗が重要という国旗主権主義政策あるいは国旗損壊罪

スパイでっち上げ探索のスパイ防止法案。

中国を潰すためのなんちゃって軍拡政策。

安倍さまより麗しいトランプのケツナメ外交をもっとさらに推し進めよう運動、など、など。

騒がしくも鬱陶しい日本社会。

それらの憂さを晴らすためにも、真に世界のド真ん中で咲き誇るワールドカップにしばらく身を浸してみるのも一興だ。

日本vsブラジル戦に対する、ひょっとすると僕の予想と見えたかもしれないマラドーナの予言は外れたが、日本サッカーは確実に強くなっている。

僕はここ数回のW杯の度に日本は強くなった、と言い続けてきた。前回大会では日本は強豪国のドイツとスペインに勝った。

それを見れば日本サッカーが強くなった、と誰でも思うだろう。だが実は、ブラジルに逆転負けした今回大会の日本の姿がもっと明確に日本の成長を示していると思う。

奇をてらって言うのではない。かつて「ベンチのマラドーナ」と呼ばれて華麗なヤジで相手チームの少年たちを悩ませたこの僕が、少し厳しい批判精神も交えて言うのだ。

即ち日本は、泥臭くひたすら走って走りまくる「脱兎走り」サッカーから、戦術によって走りボールを回し保持する、王道サッカーに確実に変化している。

前回大会でドイツとスペインに勝ったのは、「脱兎走り」の日本が運動量で相手をかく乱したからだ。

今回大会ブラジル戦でも日本はむろん走りに走った。だが戦術で速度を落とし、ボールを確実に回して相手ゴールに迫る戦法を基本に据えていた。

それはサッカー強豪国の戦い方の典型だ。

その方向に進みつつあるように見える日本サッカーを僕は腹から応援する。

だが、ぶっちゃけ日本サッカーはつまらない。

それでも応援する気持ちには変わりはないが、純粋にサッカーゲームだけを見ての、心躍る気持ちにはなれないのが現実だ。

サッカーの戦い方には国柄や国民気質が如実に現れる。それを理解するには、経済や金融や医学や工業技術などの理屈が詰まった脳ではなく、感性や情動が必要だ。

感性また情動を頼りに各国の戦い方を見ると、サッカーのナショナルチームが、国民性を如実に体現する文化や、人々の生きざまを背負っていることが分かるのである。

例えばサッカーの日本代表は11人編成の軍隊を髣髴とさせる。そのミニ軍隊は日本人の思想や動きや情感や生きざまを背負ってピッチを駆け巡る。

そこに体現される日本人の思想とは、個よりも集団つまりチームを絶対と見なす全体主義である。

動きとは、プレーテクニックや戦術の劣勢を補おうとして、選手全員が脱兎の勢いで走り回ること。玉砕覚悟で、いわば竹槍攻撃を完遂する。つまり「玉のように犬死にすること」を至福とみなす精神の実践だ。

生きざまとは、あらゆる論理的な思考を排して、いわば国家神道に殉じて自裁するようなことである。日の丸を背負い一丸となって驀進する。まさに全体主義。日本サッカーの憂鬱と煩わしさである。

国民性は、そのように良くも悪くもナショナルチームのプレースタイルや戦術や気構えに如実に現れて、試合展開を面白くする。むろん逆の効果ももたらす。

もう少し煮詰めて、分かりやすい表現で言ってみる。

例えばドイツチームは個々人が組織のために動く。今回も出ていないがかつては強豪国のイタリアチームは、個人が前面に出てその集合体が組織になる。

言い換えれば個人技に優れているといわれるイタリアは、それを生かしながら組織立てて戦略を練り、組織力に優れているといわれるドイツはそれを機軸にして個人技を生かす戦略を立てる。

1980年前後のドイツが、ずば抜けた力を持つストライカー、ルンメニゲを中心に破壊力を発揮していた頃、ドイツチームは「ルンメニゲと10人のロボット」の集団と言われた。

これはドイツチームへの悪口のように聞こえるが、ある意味では組織力に優れた正確無比な戦いぶりを讃えた言葉でもあると思う。

同じ意味合いで1982年のワールドカップを制したイタリアチームを表現すると、「ゴールキーパーのゾフと10人の野生児」の集団とでもいうところか。

独創性を重視する国柄であるイタリアと、秩序を重視する国民性のドイツ。サッカーの戦い方にはそれぞれの国民性がよく出るのだ。サッカーを観戦する醍醐味の一つはまさにそこにある。

さらに言えば、イングランド(英国)チームはサッカーを徹頭徹尾スポーツと捉えて馬鹿正直に直線的に動く。技術や戦略よりも身体的な強さや運動量に重きをおく、独特のプレースタイルだ。

彼らにとってはサッカーは飽くまでも「スポーツ」であり「ゲームや遊び」ではない。

しかし、世界で勝つためには運動能力はもちろん、やはり技術や戦略も重視し、且つ相手を出し抜くずるさ、つまり遊びやゲーム感覚を身につけることも大切だ。

イングランドサッカーが、フランス、スペイン、イタリア、ポルトガルなどの欧州のラテン系の国々やドイツ、また南米のブラジルやアルゼンチンなどに較べて弱く、且つ退屈なのはそれが大きな理由だ。

もっとも時間の経過とともに各国の流儀は交錯し、融合して発展を遂げ、今ではあらゆるプレースタイルがどの国の動きにも見られるようになった。それでも最終的にはやはり各国独自の持ち味が強く滲み出て来るから不思議なものである。

日本は「脱兎走り」から戦術によるスピード動態に変化した。そこに加えて個人技満載のラテンサッカーの精神に似た独創性を獲得した時、真に魅力的なサッカー王国となるだろう。

道は果てしなく遠い、といわざるを得ない。だが、決して不可能ではない。


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