アメリカが順当にベルギーに負けた。
選手たちはかわいそうだが、腐臭まみれのトランプ肥溜め大統領の政治介入が功を奏さなかったのは、不幸中の大幸いだった。
トランプ下郎大王は、恥知らずのFifa会長とともに地獄に落ちるだろう、と僕の夢の中に出てきたマラドーナが怒っていた。
さて、ファンタジスタの話である。
サッカー強豪国のベルギーには今のデ・ブライメ、80年代から90年代にかけてのエンツォ・シーフォがいて、アメリカにはまだ誕生してないと見ていいサッカーの申し子たち。
ファンタジスタとはイタリア語でファンタジー(空想・夢・幻想)のある人、予測が難しい創造的なアイデアに溢れエレガントな動きをする人という意味。
サッカーのナラティブでは魔法のような華麗なプレーで試合の流れを一変させ観客を魅了する名手のこと。
元々はイタリアの至宝とも形容されるロベルト・バッジョを称えるためにメディアが発明した言葉である。
バッジョの活躍以降、ファンタジスタの呼び名はイタリア国内にとどまらず、世界中の優れた司令塔やトップ下、或いは背番号10の選手を称える国際用語として定着した。
そしてそのコンテキストで見ていくと、世界には錚々たるファンタジスタが存在することが分かるのである。
先ず当のイタリアにはバッジョのほかに、同時代のデル・ピエロ、トッティ、ゾラ、マンチーニ、ピルロなどがいる。
フランスにはプラティニに次いでジダンが生まれ、今のエムバペへと受け継がれた。ほかにはジョルカエフ、グリーズマンがいるが、前者3人に比較すると少し役不足だ。
スペインにはシャビ、イニエスタに続いてペドリとガヴィが出た。2人は新コンビのシャビとイニエスタと呼ばれたが、正直こちらも物足りない。だが間もなくヤマルが大きく台頭した。
ブラジルはファンタジスタ以上とさえ評価されるペレに続いてジーコが誕生し、ロナルジーニョ、ロマリオ、カカ、リバウド、ネイマールなどが活躍した。
アルゼンチンには偉大なマラドーナの後にオルテガ、リケルメ。今は言わずと知れたメッシが世界第一の活躍をしている。
ファンタジスタと現代サッカーについては、今このときはもっともらしい嘘が出まわる。
いわく、ファンタジスタは現代サッカーの戦術の高度化によって居場所がなくなった。
いわく、今のサッカーは「全員守備・全員攻撃」が前提の、要するにトータル・フットボールなのでファンタジスタはいらない。
いわく、屹立した一人の天才プレーヤー、つまりファンタジスタの偶発的な神業やファインプレーよりも、11人が連動して相手を出し抜くシステムがチームを強くする、等々のもっともらしい主張だ。
それらがなぜ嘘なのかというと、ファンタジスタのスーパープレーは決して偶発的なものではなく持続的だからだ。コンスタントに離れ業を繰り出すから彼らはファンタジスタなのである。
さらにファンタジスタは、一人隔絶してプレーをするのではなく、常にチームメイトと連携している。
ファンタジスタは卓越した才能と技と想像力で、10人のチームメートを導いて高見に押し上げる。
見返りにチームメートはファンタジスタにぴたりと寄り添って彼をさらなる高みに誘導する。
結果、11人のプレーヤーが共に高く飛翔する。
嘘だと思うなら、今このときの優れたファンタジスタたちとそのチームを見ればいい。
具体的に言おう。
メッシとアルゼンチンを見ろ。エムバペとチームを見ろ。ヤマルとスペインを見ろ、ネイマールとブラジルを見ろ。彼らのうちの誰一人として孤立などしていない。
優れた能力を持つそれらのファンタジスタたちは、ボールを受けて相手をかわしシュートを撃つだけではなく、そのボールを魔法のように制御し処理し転がしてチームメートに渡し、再び受けてシュートしたり決定的なパスを繰り出したりする。
そして何よりも雄弁で美しいのは、チームが彼を中心に彼の周りで動き、彼はチームのために躍動するというからくりだ。
11人がまとまって動くチームは強いが、まとまった上にファンタジスタを擁するチームはさらにもっと強いのである。
もう一度言う。
エムバペのフランス、ヤマルのスペイン、メッシのアルゼンチン、既に敗退したがネイマールのブラジルがやはり突出しているのだ。
最後にポジショントーク気味にひとつ付け加えておこう。
もし今現在のイタリアチームにメッシ、ヤマル、エムバペ、ネイマールのうちの誰か一人がいたならば、イタリアは即座に世界最高峰のチームのひとつとして返り咲くことだろう。
追申:
ファンタジスタのいないイングランドと、異様な天才ストライカー・ハーランドが引っ張るノルウェーが決勝まで残っても、それはファンタジスタサッカーの敗退を意味しない。なぜならハーランドはイングランドのケインと共に「ファンタジーの無いファンタジスタ」とも規定できるからである。
