高市ぶりっ子安倍に迫る

 田原総一朗氏と若かりし頃の高市早苗首相のやり取りに言及した2日前の投稿を、ミソジニーと捉える読者がいるようなので再び論及する事にした。

記事を頭からミソジニー色の論考と決めつける読者は、田原氏に無知と罵られた高市氏が

「小首を傾げ、目をパチクリさせ、瞬きを繰り返すなどしてぶりっ子全開モードで相手に対する」

「男に理不尽に見下されてもヘラヘラ諂笑しているだけの前近代的な未開人女性」

などの表現を、いわゆるストローマン(切り取り批判論法)的に受け取って断罪しているように見える。

それは筆者の表現力不足によるものである可能性もあるので、なぜそう思うのかと問いかけて意見のやり取りを試みたが、一方的過ぎるコメントだけが返ってきた。

反対意見は大いに歓迎だが、理由や意見や感想をキチンと言わない(言えない)批判はナンセンスだ。一顧だに値しない。  時間と労力のムダと考えてブロックした

僕は投稿では高市氏を2重に批判した。

一つはほぼ習慣になった政治家高市早苗弾劾である。歴史修正主義者であり、ほぼファシストであり、女性天皇や夫婦別姓を認めないミソジニスト(!)の高市首相は、一刻も早く権力の座から引きずり降ろされるべき、というのが僕の主張だ。

二つ目は人間としての、つまり女性としての高市早苗氏批判だ。

小首を傾げ、目をパチクリさせ、瞬きを繰り返すぶりっ子全開モードの高市氏は、トランプ大統領に擦り寄り腕を絡めてピョンピョン飛び跳ねる姿と重なる。

あるいは初対面の欧州の(世界のではない)首脳を、一方的かつ片思いに友達扱いにして、ジョルジャ、エマヌエル、キアなどとファーストネームで連呼するママゴト外交の異名だ。

日本初の女性首相を必要以上に女性という属性を強調してフィルターにかけ、語ることは、秘めた女性差別である可能性がある、というのは真実である。

従ってそうすることはなるべく避けるのが誠実な論者のあるべき姿だ。

だが同時に高市首相の場合には、彼女が女性であることを敢えて強調して論じなければならないような奇怪な政治的主張やスタンス、あるいは瑕疵というものが多々ある。

例えばいま触れた奇妙な外交スタイルは、彼女が女性でなければ起こり得ないが、それは同時に高市早苗氏という一女性によってのみ実現が可能な異次元世界なのだ。

彼女が憧れるマーガレット・サッチャーも大物のアンゲラ・メルケルも今人気のジョルジャ・メローニも断じて高市首相の如きぶりっ子言動はできないし、することもあり得ない。

なぜか。

彼女たちは日本人ではないからだ。

そう、高市首相のぶりっ子姿態やあざとかわいい演技は、ある種の日本人女性のみが持つ特殊技能であり異形のノウハウなのである。

そして日本人女性をそこに追い込んだのは、古代に始まり武家社会で先鋭化して、明治維新でガチガチに固定化された男尊女卑という執拗で、醜く、険しい社会通念であり文化である。

罪は男の側にある。

女性はそのことに怒り、立ち上がり、抗議をしなくてはならない。同時にによって刷り込まれた媚びる姿態を激しく拒絶しなければならない。

情念の世界では女性の媚態は許されるばかりではなく、美しくさえある。

だが、政治の場ではもってのほかだ。高市首相はそのもってのほかの動きを無意識に、嬉々として、場所も時もわきまえることなく演じ続ける。

日本初の女性首相が、日本社会の癌であり諸悪の根源である女性蔑視、男尊女卑思想を糾弾するどころか、容認し喜び、挙句には讃えさえする言動に終始している。

高市首相のぶりっ子的な在り方は、過去を直視しない彼女の歴史修正主義と同じ程度に重い、日本の宿痾なのである。




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