若かりしころの高市早苗首相の、不快で危険な歴史修正主義とぶりっ子姿態を批判したところ、ミソジニーという今流行りのジェンダー述語が飛び出して、僕の中で少し収拾がつかない雰囲気になった。
ミソジニーとは女性や女性らしさに対する嫌悪とされ、「男性が上で女性が下」という社会の上下関係や差別的な制度また価値観を指す男尊女卑とは違い、個人的な感情や心理的態度に基づくと説明されることが多い。
日本では「女性嫌い」というコンセプトが微妙に分かりずらいとして、それを「女性蔑視」と呼ぶ専門家もいる。だがそれでは本来の意味から多少ズレる。
ミソジニーは男尊女卑が克服された社会で、女性の尊厳、地位、権利等が回復され、結果女性が男性の支配圏から離脱したことに対する、男側の嫉妬や怒りがもたらす女性嫌悪、というのが僕の認識だ。
男の怒りの原因は直説的ではなく、女性が優位であること、あるいは優位になるよう優遇されている、と感じて発現される場合さえある。
繰り返しになるがミソジニーは、クラシックな家父長制社会に於いて、男尊女卑(ジェンダー不平等)の是正が進み、女性の地位が向上したり権利回復が進んだ結果、男が不満を募らせて起きる現象だ。
従って男尊女卑が蔓延している日本のような環境には当てはまらない。故にそれを専門家と呼ばれる人々が、「女性蔑視」と言い替えたりして無理やり当てはめようとする。それ自体が間違いだと僕は思う。
誤解を恐れずに敢えて極論調で言えば、日本にはミソジニーはない。しつこい男尊女卑思想が骨の髄まで染みこんで中々解消できない日本社会にあるのは、依然として旧弊、つまり男尊女卑があるのみだ。
固陋な男性絶対優位社会の日本にはミソジニーがないとするなら、そこから派生する(主にネット空間で躍動する)マノスフィア、インセル、80対20の法則などもない。例えあってもそれは海外の、主に欧米の先進現象の単なる物真似に過ぎない。
ミソジニーの対極にあるのがミサンドリー、いわゆる女性による男性嫌悪感情である。これは虐げられた女性たちが抱く怒りだから、ジェンダーギャップあるいは男尊女卑の解消と共に薄れたり消滅しても良いはずなのに、ここ欧州では逆に強まっているように見える。
女性による男への憎悪表現の一つはユニークだ。ひとことで言えば、女性の男嫌いが進みに進んで、ついには極まり、彼女たちの親愛の心が非暴力的な同じ女性に向かうという現象だ。
彼女たちは元々は、極く普通に異性が好きだったのだが、男の 横暴に耐えかねて身を引くうちに、気持ちが(マッチョではない)同性女性に傾き、惹かれてゆく。この現象を専門家がどう呼ぶかは知らないが、僕はそうした女性を身近に3人知っている。
一人は古くからの友人女性。彼女はヘトロセクシュアルだったが、多くの恋愛関係がうまく行かず、最終的には同性愛をカミングアウト。もともと同性愛傾向があった可能性ももちろんあるが、僕の目には男への失望と怒りが重なって、徐々に同性に惹かれていったような印象がある。
もう一人は普通に結婚し子供も3人生んだ50歳代女性。支配欲の強い夫に愛想をつかして、極端なフェミニズムグループに近づき、最終的にはレスビアンであると宣言して家出。実際に同性相手と恋愛関係になって夫と離婚した。
3人目は30歳台初めの女性。父親が苛斂で身勝手という家庭環境もあり、はなからミサンドリー傾向が強かったが、仕事(演劇)を通して過激なフェミニストグループと親密になり、恋人と別れて「男は皆くたばれ」をスローガンにするそのフェミニストグループの女性らと同居を始めた。
断っておきたいが、僕の周りには男女を問わず同性が好きな友人知己が多くいる。いま紹介した女性3人は、明らかにそれらの人々とは違ういきさつで同性愛者あるいは同性愛者然とした生き方を選んだ、と僕の目には映るので、敢えて言及した。
僕は彼女たちの中に男への強い不信感と強烈な憎しみを見る。男尊女卑あるいはジェンダーギャップの是正が進み、さらにそこに向けて前進している欧州では、マチスモへの対抗意識を先鋭化させる女性が増えている。彼女たちはそのほんの一例に過ぎない。
だが僕はそれらの現象を一時的と見る。このまま男尊女卑の解消が進めば、反動的に男性攻撃に身を焦がしているそれらのピュアな女性たちの心にも平穏が戻るに違いない。戻ると信じたい。
それらの女性たちを非難するのはむろん全く当たらない。彼女たちをそこに追い込んだのは偏に男どもの責任なのである。
最後にさらに付け加えておきたい。
欧州(欧米)では男尊女卑がほぼ解消されつつある。それは女性たちの激しい怒りと闘いがもたらした勝利だ。
同時に女性への暴力は、社会の厳しい監視と深い苦悩にも拘わらず依然として多い。いわゆるDVでありフェミサイドである。日本を含むアジア・アフリカ等に比べて、欧州はその点でも解消を目指して進化し進化する努力を続けている。
特にフェミサイドは、社会的な認知度(可視化)が高く、メディアでの報道も盛んだ。法的定義も進んでいる。
例えばフェミサイドの数が日本より少ないイタリアは最近、フェミサイドは有罪となった場合は有無を言わさずに終身刑、という画期的な法律を制定した。死刑のないイタリアでは終身刑は最も重い刑罰である。
