ことし1月に逮捕され収監されていたマフィアの最後の大ボス、マッテオ・メッシーナ・デナーロが死亡した。61歳だった。
大ボスは逮捕時には癌の治療を受けていた。獄中でもそれは続けられ悪化して病院に移送された。彼はそこで死んだ。
メッシーナ・デナーロは1993年から逃亡潜伏を続けていた。そうしながらさまざまな秘密の場所から一貫して部下に命令を出していたと考えられている。
彼の前にはボスの中の大ボス、トト・リイナが、1993年に逮捕されるまでの24年間姿をくらましていた。
圧巻は2006年に逮捕されたベルナルド・プロヴェンツァーノである。彼は時には妻子まで連れて43年間隠伏し続けた。
3人とも逃亡中のほとんどの期間をシチリア島のパレルモ市内で過ごした。
プロヴェンツァーノが逮捕された時、マフィアのトップの凶悪犯が、人口70万人足らずのパレルモ市内で、時には妻子まで引き連れて40年以上も逃亡潜伏することが果たして可能か、という議論がわき起こった。
それは無理だと考える人々は、逮捕直前にイタリアの総選挙で政権が交替したのを契機に何かが動いて、ボス逮捕のGOサインが出たと主張した。
デナーロのケースでも、彼が30年の長きに渡って逃亡潜伏し続けられたのはなぜか、という強い疑問が起こった。疑問は今も問われ続けている。
僕はマフィアの構成員がシチリア島内で逃亡潜伏するのは比較的たやすいことではないか、と考えている。いわゆる『オメルタ(沈黙)』がそれを可能にするのである。
『オメルタ』は、仲間や組織のことについては外部の人間には何もしゃべってはならない。裏切り者は本人はもちろんその家族や親戚、必要ならば 友人知人まで抹殺してしまう、というマフィアのすさまじい掟である。
シチリアは面積が四国よりは大きく九州よりは小さいという程度の島である。人口は500万人余り。大ボスはシチリア島内に潜伏していたからこそ長期間つかまらずにいた。
四方を海に囲まれた島は逃亡範囲に限界があるように見える。しかし、よそ者を寄せつけない島の閉鎖性を利用すれば、つまり島民を味方につければ、 逆に無限に逃亡範囲が広がる。
司法関係者や政治家等々の島の権力者を取り込めばなおさらである。
そうしておいて、敵対する者はうむを言わさずに殺害してしまう鉄の定めオメルタを、島の隅々にまで浸透させていけばいい。
マフィアはオメルタの掟を容赦なく無辜の島民にも適用していった。島全体に恐怖を植えつければ住民は報復を怖れて押し黙り、犯罪者や逃亡者の 姿はますます見えにくくなっていく。
オメルタは犯罪組織が島に深く巣くっていく長い時間の中で、マフィアの構成員の域を超えて村や町や地域を巻き込んで拡大し続けた。
冷酷非道な掟はそうやって、最終的にはシチリア島全体を縛る不文律になってしまった。
シチリアの人々は以来、マフィアについては誰も本当のことをしゃべりたがらない。しゃべれば報復されるからだ。報復とは死である。
人々を恐怖のどん底に落とし入れる方法で、マフィアはオメルタをシチリア島全体の掟にすることに成功した。
オメルタが高く厚い壁となって立ちはだかり、マフィアを保護する。そうやって稀代のマフィア鬼の多くが悠々と逃亡、潜伏を続けることができた。
だが一方では言うまでもなく、多くのシチリアの島民がマフィアとオメルタに敢然と立ち向かっている。その最たるものがマフィアに爆殺されたファルコーネ、ボルセリーノの両判事である。
シチリア島民は世界中の誰よりも強くマフィアの撲滅を願っている人々だ。マフィアとの彼らの闘いは、今後も折れることなく続いていくだろう。
メッシーナ・デナーロは旧世代のマフィアの最後のボスだったとも見られている。
彼以後の若いマフィアは、寡黙でビジネスライクに悪事を働く姿の見えない存在である。デナーロは新旧のマフィアをつなげる最後のボスだった。
彼の死は古いタイプのマフィーオーゾ(マフィアの構成員)の消滅を象徴するが、それはマフィアの死を意味するものではない。
組織が地下に潜り、スーツにネクタイを締めてネットで麻薬の販売や売春の手配、また詐欺や殺人を指示する「見えないマフィア」は、むしろより危険になったと考えたほうが理に適う。