【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

島への便り

沖縄駅伝は独立しろ!


イラスト女子駅伝


例年、年末から新年にかけて全国高校駅伝大会(男女)と全国都道府県対抗駅伝大会(男女)が開催される。イタリア時間の午前4時ころに始まるそれらの大会の生中継を、僕は衛星放送で毎年欠かさずに見ている。僕は駅伝が大好きなのだ。

2020年1月12日、全国都道府県対抗女子駅伝競争大会が開かれた。そこで僕の故郷の沖縄県はまた、やっぱ、案の定、たのむぜ・オイ!のビリギャルだった。この状況はもう5世紀ほども続いていて、2002年の大会直後には僕はたまりかねて友人らに向けて次のようなメールを送った。

僕は当時、普及しはじめていたSNSのことは知らなかった。ブログを始めたのは2011年、Facebookに登録したのはさらにその後のことだ。そんなわけで少しふざけた女子駅伝メールは、実際に顔を見知っている友人知己宛てに送ったものである。

『申しあげます:
去った日曜日にまたボクノスキナ女子駅伝があった。地元京都のボクノスキナ女子諸君が頑張って優勝した。沖縄のボクノスキナ女子諸君は今年もまた東北のボクノスキナ女子諸君とビリ争いをしていた。ったく、毎年毎年何を 考えているんだ!南と北のボクノスキナ女子諸君は!ただ幸いにも今年はハレて沖縄・東北以外のチームである福井のボクノスキナ女子諸君がビリッケツの栄冠をものにした。正月早々私は福井のボクノスキナ女子諸君に言いたい。ありがとう、福井のボクノスキナ女子諸君!と。ランナーのビリは、
    
    修行が足らん!
 
とぼコぼコにド突き倒してもまだ怒りがおさまらんが、ボクノスキナ女子諸君のビリを、“女のホソウデ足ダイコンで、良くもりっぱに完走した”、と毎年毎年テレビごと抱きしめたくなる私は、どこか体の具合でも悪いのだろうか・・・

それにしても九州各県のボクノスキナ女子諸君は、関西圏のボクノスキナ女子諸君と並んで強い。ムチャクチャに強い。なぜあんなにも苦しい長距離走を頑張っちゃうんだろう?そして、なぜあんなにも皆~んな苦行僧みたいなチョー恍惚顔でおっ走(ぱし)っちゃうんだろう?と考えたらまた今夜も眠れなくなりそうだ。ツーことを考えているうちに、来たる日曜日には広島を舞台に全国男子駅伝大会が開かれる!沖縄グワンバレ!東北グワンバレ!NHKもグワ~ンバッて駅伝を毎日生中継してほしい!駅伝はウレしい。よ~し


あれから18年の歳月が流れて、東北の女子チームは仙台育英高校を筆頭に、九州や関西地区の強豪チームに比肩する威風堂々の力量を備えるようになった。ところが僕の故郷の島の駅伝チームは、女子も男子も威風散々の最下位か最下位周り。どうしてもケツビリの栄誉を手放そうとしない。

そこで僕はもはやこう叫び、提案したい。沖縄駅伝はさっさと独立してしまえ!と。独立して島内でひとりで駆けっこをしろ!と。ったく。沖縄駅伝は都道府県対抗全国学力テストにそっくりだ。どっちもあっちもビリにしがみついてんじゃねーよ!と。

都道府県対抗全国学力テストでは、沖縄の子供たちはそれでも、あれこれそこかしこの科目や学年で、ガンバッテ最下位を抜け出したりもする。だが駅伝チームにはその気概がない。いつまでたっても落ちこぼれのままでいる。その原因はいろいろと考えられる。

ひとつは駅伝が行われる季節。真冬の京都や広島は南国育ちの沖縄の選手たちには大きなハンディキャップだ。駅伝大会が夏の京都や広島、あるいは冬の沖縄で開催されれば、おそらく今の惨状も少しは改善されるに違いない。だがそれだけでは根本解決には至らない。

選手の能力は他府県の選手と多分同じだ。それは他のスポーツ、例えば高校野球などを見れば分かる。全国的に見ればかつては「ごくつぶし」だった沖縄の高校野球が、裁義弘というひとりの優れた監督の手腕もあって急成長したように、沖縄駅伝も優秀な指導者がいればガラリと変わるだろう。

加えて僕は沖縄駅伝にガッツあるいは根性骨を期待したい。沖縄県人は性格がおっとりしている、優しすぎるなどと言えば聞こえがいいが、要するにそれは胆力がないという意味でもある。それは昔、薩摩の侵略に遭った琉球のへっぴり武士どもが、玉砕を覚悟で闘いぬかずにさっさと降伏して、その後の沖縄を薩摩の奴隷にしたメンタリティーと同じものだ。

武士の勇猛心とは、暴力と表裏一体の野蛮なコンセプトである。従ってそれを否定する平和主義という考えもまた尊い。だが国の支配階級だった琉球武士は、武士であることで民衆を抑圧し搾取する存在だった。その見返りに彼らは、いざ鎌倉の折には身を挺して闘わなければならない。

琉球国の防衛隊が薩摩軍ととことんまで闘って全滅していたならば、たとえ死滅しても彼らの気概は歴史書その他で大いに称えられていただろう。そうなっていれば、明治維新以降の日本政府の沖縄見下し姿勢や、それに影響されたや国民の沖縄への偏見も生まれなかった可能性が高い。

当時の薩摩は日本最強の雄藩の一つだった。独立国とはいうものの米粒みたいな国の琉球が、戦って勝つことは万に一つもなかっただろう。負けても少しも恥ずべきことではないのだ。だが、徹底抗戦を諦めて降伏した腰抜け琉球武士は、百万年恥じても恥じ過ぎることがない恥だ。

沖縄には「命どぅ宝」という諺がある。「命は宝、つまり“何をおいても命こそ大事”」という意味である。琉球のへっぴり武士めらは「命どぅ宝」と呟いて薩摩の軍門に降った。だが、ただ単に生きながらえているだけの命は本物の宝ではない。誇りを秘めた命こそ宝なのだ。誇りのない琉球武士のブザマな姿が、その後の沖縄の運命を決定した。尊重されない邦、という運命を。

沖縄駅伝の寂しい体たらくを見るにつけ、ま、いわばそんな暗い大仰なことさえ僕は思ったりしないでもない。選手諸君が懸命に走っていることはもちろん評価したい。だが、いつも、いつまでもビリというのはちょっとなぁ。。ちょっと、つらいのよ。

ツー訳で

沖縄駅伝は独立がイヤなら、早く優れた指導者を見出し、死にものぐるいでトレーニングをし、鍛えあげて京都と広島に乗り込め!たのむゾ~~~~~~~いいいいい!!



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オ~イ沖縄!今のままでいいんか~いイイイい!


県民投票公式サイトから



辺野古移設反対が多数を占めた県民投票の結果を受けても、安倍政権が「基地負担を軽減するため辺野古に新基地を作る」と沖縄を愚弄する言葉を吐き続けるなら、もはや島はさらなる苦難を承知で独立を志向したほうがいいのかもしれない。

その場合沖縄が味方に付けるべき相手は中・露・北朝鮮のうちの1国。または3国全て。民意を無視する安倍一強はしょせん独裁体制。毒をもって毒を制する。

逆転の発想もある。アメリカをたきつけて沖縄独立を後押しさせるのだ。これも毒をもって毒を制するコンセプトの一つである。

トランプ米大統領はゴロツキ独裁政治家という意味で習近平、プーチン、金正恩と何も変わらない。彼が北朝鮮の独裁者とウマが合うのもそれが理由だ。

安倍強権内閣と鋭く対立している今の韓国も沖縄のパートナーになり得る。韓国に「恨の心」がある限り彼らは沖縄の屈辱も理解するだろう。

懸念は沖縄がそれらの大国に呑み込まれて、安倍政権下の“植民地”状態を脱して新たに彼らの「植民地」になってしまうことだ。韓国や北朝鮮でさえ沖縄に較べれば大国だ。

沖縄が中国に於ける「チベット化」を避けるには、大きな知恵と勇気と策略が必要だ。そこを踏まえて熟考に熟考を重ねて行動を起こさなければならない。

幸い沖縄には、大国の間隙を縫って独立を保った奇跡のミニ国家、琉球王国の伝統とノウハウがある。それを活かせば道が開けるだろう。

だが沖縄が目指すべきは断じて琉球王国の再興ではない。琉球王国とはなにか?それは幕藩体制の日本や当時の世界のほとんどの国と同様の、未開で野蛮な超独裁国家に過ぎない。

琉球王国の場合は、その上に「ミニチュアの」というまくら言葉が付くだけだ。未開の、超ミニチュアの、超独裁国家が琉球王国なのである。

沖縄はそんな邪悪な国家体制を目標にしてはならない。琉球王国は蔭なるものである。

沖縄は民主主義体制の、貧しくても「“明るい”沖縄共和国」を作り上げるべきだ。

個人的には僕は沖縄の独立には真っ向から反対する立場である。

だが沖縄が本気で独立に向けて立ち上がるなら、そしてもしも必要なら、僕はここイタリアを引き払ってでも、故郷の島に移り住み闘いに参加しようと思う。

そうなった暁には、人生またさらに面白くなるゾ。




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沖縄もいっそのこと『さらなる苦労覚悟で』サルデーニャ島と共に独立するか~い?



Tegole連なり+花+海遠景800
サルデーニャ島のテラコッタの屋根と沖縄の赤瓦の屋根はあまり似ていないかもしれないけれど・・


イタリアのサルデーニャ島は、一見すると「本土から遠く離れた明るいリゾート地」という沖縄と良く似たポジティブな一面を持つ。

それでいながらサルデーニャ島には、もっと深刻な部分でも沖縄との類似点が多い。

サルデーニャ島は、古代からアラブ人を含む多くの力に支配された後、18世紀にイタリア本土のピエモンテを本拠とするサヴォイア公国の支配下におかれた。

琉球王国と称したかつての沖縄が、本土の島津藩に支配された史実と「表面上」は同じなのである。

もっともサルデーニャ島は沖縄島(琉球王国)と違って独立国だったことは一度もないが。

サルデーニャ島を獲得したサヴオイア家のサヴォイア公国は、以後自らの領土を「サルデーニャ王国」と称した。

国名こそサルデーニャ王国になったものの、しかし、サルデーニャ王国の本拠地はイタリア本土のピエモンテであり、首都も現在のピエモンテ州都と同じトリノだった。

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加えて王国の一部であるサルデーニャ島民は、サヴォイア家を始めとする権力中枢からは2等国民と見なされた。


1861年、支配者のサヴォイァ家がイタリア統一を成し遂げたため、サルデーニャ島は自動的に統一イタリア王国の一部となった。

しかし「依然として」サルデーニャ島は、イタリア本土のエリート階級にとっては、異民族にも見える特殊なメンタリティーを持つ人々が住む、低人口の「どうでもよい」島であり続けた。

それは第2次大戦後イタリアが奇跡の経済成長を成し遂げた時代になっても変わらず、サルデーニャ島民の不満が募った。

結果、島には一時期イタリアからの独立を求める動きが活発化した。全体の
41%ものサルデーニャ島民が、イタリアからの独立に賛成、という統計さえある。

深刻な独立運動は現在は下火になったが、サルデーニャ島にはイタリア駐在NATO軍全体の60%にも当たる部隊が置かれ、イタリア本土との経済格差も大きいことなどが常に島民を苛立たせる。

不当な扱いを受けながらも深刻な独立運動が影を潜めているのは、イタリア本土由来の経済発展が島にも徐々にもたらされている現実があるからだ。

米軍基地の過重負担と中央権力及びメディアによる構造的差別に悩まされながらも、経済発展という目先の利益も無視できない沖縄のジレンマとうり二つなのである。


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