101歳で逝った父が、確か86歳か87歳のころ、回転座椅子からやっとこさで立ち上がり、しみじみとつぶやいた。
「ああ・・・60代は青年だったなぁ」
父ははっきりと「青年」と言った。それは若いという意味にほかならない。大正生まれで軍人だった父はよくそういう言い回しをした。青年という言葉が好きな人だった。
僕は60代を抜けたばかりでまだ70代の喜怒哀楽は知らない。だが今この時の70代とは、ひどく憂鬱で迷惑至極な年代であり存在である気がしないでもない。
それというのも古希とは、現下世界を揺るがしている、魂までが嘘にまみれて知のからくりが歪み、情動が憤怒と憎しみと冷酷に支配されてでもいるようなトランプ大統領と、同期とは言えないまでもほぼ似た同じ七十路ということだから、ひどく陰鬱な気分がしないでもないのだ。
僕は南方辺境の離島群の中でもさらに辺鄙な離島に生まれ育った。13歳で故郷を離れて転々と島々を渡り暮らした。
故郷の島から少し大きな島に出て中学に学び、高校時代はそこよりもっと大きな島で過ごして、大学時代は東京で暮らした。つまり本州という日本最大の島に住んだのだ。
あらゆる土地を「島」と考えるのが僕の普段の腹構えである
「島」とは、例えば僕の生まれた極小辺鄙の南の島であり、それより少し大きな観光盛んな島々であり列島群である。
島はまたやや大きな九州島でもあり本州島でもある。さらにそれは一段と大きな日本という島(国)になり、ついには「大陸」と称される世界の島々にまで広がる。
面積がオーストラリア島以上の陸地を「大陸」と呼ぶのはただの方便で、地球上のどの陸地も実は全て日本国と同じ島なのである。日本を含むそれらの島は、やがて地球という島になる。
さらに、地球島というのは太陽系という海に浮かぶ島であり、太陽系はそれより大きな銀河系の中の一つの島、さらにさらに、銀河系も宇宙の広がりの中の一つの島で・・というふうに果てしもなく広がって行くのが、僕が考える「島」だ。
要するに僕の故郷の絶海の孤島も宇宙も等しく同じ島なのだ。なにも怖れることはないのである。
島から島へと渡り歩いた僕は各島々に友人がいる。その数は、生まれた土地で成長し、学び、仕事をして死んでいく者に比べたら、桁違いと形容しても言い過ぎではない大きな数字だ。
友人が多いから楽しみも多いが、悲しみの数もまた尋常ではない。
60代終わりまでの間には、それぞれの島の友人たちの幾人かが逝った。島の数が多い分亡くなった友人の数も半端ではない。
それは生まれ育ったのがほぼ一箇所の都市である僕と同い年の妻の、死亡した友人の数と比べ見るだけても歴然としている。
さて
70代に突入したとたんに、ここイタリアで2歳と3歳上の友人ふたりが亡くなり、3人が不治の病と宣告された。
日本を含む世界中の他の「島々」でも似たようなことが起こっている。
60歳代までの死は「早死に」と呼べるが、70歳代以降の死は事故や不慮の出来事を除けば、いわば日常茶飯だ。それは寿命であり自然死なのである。
古希70歳は本厄、73歳は八方塞がりの厄年とされる。バタバタと逝った友人らはすると八方塞がりの厄に中(あ)てられたということだろう。
中国が発祥の厄年の観念だが、どうやらイタリア人にも当てはまるらしい。
80代後半にいた父が、隣の70代をぴょんと飛んでスルーして、なぜ「60代は青年」と言ったのかは分からない。あるいは真正老人の彼にとっても、70代はもはや老人、という思い込みがあってのつぶやきだったのだろうか。
僕は70代に突入したばかりで、60代との肉体的また精神的な違いはまだ実感できないでいる。だが心理的には大きく老いの側に引き込まれた感覚がある。
先述の如く、60代までは死ぬのは稀だが70代以降は普通の景色、と感じるのだ。
なぜそうなのかは、おそらくここから先のいつか、自分が死ぬときに瞬時に理解するのではないかと思ったりしているのである。



















