亡くなった義母の手伝いをしてくれたエクアドル人のガブリエラ・Cは、バスの運転手のマルコ・Rと結婚してミラノで子供3人を育てている。
そのガブリエラのエクアドルの山中の実家では、夜の帳が下りるころ父親が空に向けてショットガンを一発撃つ習慣があった。
人里はなれた場所に多い押し込み強盗や殺人鬼や山賊などの闇の勢力に「銃で武装しているぞ。ここに来るな」と知らせるのである。
少し滑稽だが切実でもあるその話をなぞって、僕も先日、闇に包まれた山荘の窓から空に向けて猟銃を一発撃った。
ことしは山荘に賊が2度も侵入した。いずれのケースでもドアに上下2つ付いている錠前のシリンダーを抜き取って無力化し、易々と押し入った。
山荘には金目の物はなにもない。ただ家屋が元修道院だった建物であるため、山小屋にしてはムダに規模が大きい。
山荘を見る者の中には、立派に見える建物の内に何か価値のある財物がある、と誤解する輩がいるのだろう。昔からしばしば賊に狙われてきた。
また山荘の一部は教会になっていて中に大理石製の祭壇がある。凶漢はそのことを知っていて、一部を剥がして持ち去るなどの計画を立てて侵入した可能性もある。
小さな教会のさらに小さな祭壇だが、それは建物と基礎と土台が堅牢に固められた構造の一部になっていて、建物全体を破壊でもしない限り切り離せない。
いわばローマ帝国得意の建築技術の粋が、その後の強大な教会の力を背景に研ぎ澄まされ改良されて応用されているのだ。
いっぱしの盗賊ならそれぐらいのことは承知だから、聖卓の細部を壊して持ち去ろうと企む。だがそれも徒労だ。切り離して売れるアイテムはとっくの昔に盗まれていて、もう何も残っていないのである。
2度目の侵入は破壊された錠前を新しく付け替えた数日後に起きた。錠前の壊し方がほぼ同じ手口だったので、僕は同一人物あるいはグループの仕業ではないかと考えた。
だが駆けつけた軍警察官は、山荘のような建物に侵入する場合は錠前のシリンダーを壊すやり方がほぼ唯一の方法だから、それだけで同一犯とは断定できない。
また同一犯なら最初の犯行で家内には目ぼしい物は置かれていないと分かったはず。再び押し入る理由が不明だ。むしろ別の犯人の可能性のほうが高い、と見立てた。
鬱蒼と茂る木々に囲まれた山荘は、夜になるとどこよりも深いと見える漆黒の闇に包まれる。
賊が侵犯して以降は、闇は大きな不安も伴ってやって来るようになった。そこで僕は宿泊する場合は猟銃を準備することにしたのだ。
空に向かって銃撃すると恐怖心が少し薄まるような気がした。むろんそれは気休めに過ぎない。だが銃はそこにあったほうが、無いよりは増し、と感じたこともまた確かだ。
僕は最近、拳銃の扱い方も習得した。いうまでもなくそれの所持許可も取得している。だが拳銃そのものはまだ購入していない。来年夏には拳銃も準備して宿泊するつもりでいる。
そうはいうものの、自衛のためとはいえ、武器を秘匿しての山小屋滞在は少しも楽しくない、と先日の経験で分かっている。
業腹だが、犯人が捕まったり警備状況が改善したりしない場合は、今後いっさい山荘には宿泊しない、と決める可能性も高い。
イタリアは普通に危険な欧州の一国なのである。