【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

時事(一般)

震災支援チャリティーコンサートⅢ



村(コムーネ)主催の一大イベントFranciacorta in Fiore(フランチャコルタの花祭り)の会場になっているわが家は、数日来火事場のような騒ぎになっている。準備や会場設定などが忙しく進められ、記者会見や立食パーティーが開かれるなど、人の出入りが激しい。この騒ぎが落ち着くのは例年祭りの数日後、恐らく5月18~19日頃。

 


そうした中、東日本大震災支援コンサートの準備も着々と進んでいる。会場になる自宅の僕ら夫婦と、慈善団体のマトグロッソ、さらに田中・横田両嬢が中心になって立ち上げた、ミラノの震災支援グループl’Isola della speranza(希望の島)
が密に連絡を取り合って、5月29日を目指している。

 


コンサートの出演者は有名ギタリストのエマヌエレ・セグレさんと今ぐんぐん勢いを増しているピアニストの吉川隆弘さん。二人はデュオにも積極的にトライし、ポピュラーな曲なども演奏してくれる由。素人の僕らの勝手な要求を快く受けてくれてとても嬉しい。コンサートは間違いなく素晴らしいものになると思う。

 


僕は当初、去年の演奏会にこだわって3~4種類の楽器の共演を画策していたが、フルート奏者で友人のマウリツィオ・シメオリは、多くの楽器のコラボは盛り付けの多すぎる料理のようになって失敗する可能性が高い。だからピアノとギターならちょうどいい、という強い意見だった。従って、そこに落ち着いたことにも僕はほっとしたり、喜んだりしている。

 


コンサートには在ミラノ総領事の城守茂美さんが来てくださることも決まった。ミラノの友人たちがイタリア語での挨拶をお願いできないかと交渉しているところ。

 


日本レストランの「ぽぽろ屋」さんから、握り寿司の提供も受けることが決まった。またマトグロッソのブルーノは、生ハムやサラミなどに加えてローストビーフも出してくれるという。そうなると、シャンパンも加わったコンサート後の飲食は最早「軽食」ではなく、「夕食」あるいは「食事」として喧伝することもできるかもしれない。
 


例年自宅で開かれるマトグロッソ主催の慈善コンサートは、
150人前後の集客を目指すことが多い。自宅中庭で行う場合は、最大200人程度の聴衆が入れると思うが、200人の客を集めるためには、最低でも千通ほどの招待状を送らなければならないだろう。大仕事である。ノウハウを持っている彼らは、もう少し効率良く客を集めるが、それでも150人程度を目標にイベントを開催する。

 


今回はミラノの友人らが参加する分を上乗せして、200人程度の聴衆を集めたい。雨が降らなければそれくらいは何とかなるのではないか、と考えているがどうなるか。こればかりはフタを開けてみなければ分からない。ハラハラドキドキという気分である。

 


雨天なら130~
150人程度が来てくれれば御(おん)の字。大成功だった昨年のコンサートは実は雨のために集客率が悪く、
120人程度に留(とど)まった。しかし場所を屋内に移しての演奏だったから、逆に聴衆の数が多くなり過ぎると困ることになる。このあたりの成り行きも悩ましいのが、屋外でのチャリティーコンサートである。





 

 

 

震災支援 チャリティコンサートⅡ


コンサートの一番の目玉は言うまでもなく出演者と演目である。現在はコンサートの趣旨に賛同して、協力してくれるアーチストの人選を進めているところ。出演者が決まれば演目も自ずと決まってくるだろう。

 

昨年の自宅での慈善コンサートの構成は、フルート、オーボエ、クラリネット、ピアノの4楽器だった。抜群の出来でクラシック音楽オンチの僕でさえ本当に楽しんだ。できれば3~4種類の楽器は欲しいと素人なりに考えているが・・

 

実はコンサートの開催を決めたとき、僕は早速4人のアーチストに連絡を取った。このうち日本人ピアニストの吉川隆弘さんからはOKをもらったが、スカラ楽団員の3人は無理らしいことが分かってきた。

 

フルート担当で友人でもあるマウリツオ・シメオリを通して連絡を取っているのだが、マウリツィオを含む3人のアーチストは全員が、5月から6月にかけてスペインでのコンサート活動で忙しいらしい。残念だが諦めざるを得ない。

 

しかし、ミラノの友人たちが技量抜群のギタリストの出演OKをもらった。この先、もう一人か二人、聴衆を楽しませてくれる優秀でしかも篤志家のアーチストが現れることを期待したい。イタリアには素晴らしい音楽家が世界中から集まってきているのだから、きっと大丈夫だろう。

今回の場合は、二番目に重要なのがコンサート会場である。舞台になるわが家は田園地帯の中にある古い屋敷。国の史跡に指定されている妻の実家・本家の建物ほど重要ではないが、ここも文化財監督局の管轄下にある歴史的な建築物である。妻の実家の伯爵家が昔、このあたりの、ま、いわばお殿様のような存在の家と婚姻関係によって合体して、ここも伯爵家の持ち家になった。伯爵家の中では傍系の、いわば分家のような立場だが、ブドウ園と古い城壁に囲まれた美しい場所である。

 

コンサートの聴衆は、普段は立ち入れない私邸の会場に遠慮なく入ることができる。それもアトラクションの一つになる。わが家でコンサートをする意味はまさにそこにある。

 

自宅で開催される慈善コンサートでは、イベント終了後に茶菓や軽食や飲み物などを提供するのが習わしである。これはこの家での催し物に限らず、多くの場合は同じような形を取るのが普通らしい。

 

最低でも生ハムやサラミを中心にした軽食とスイート、それにワインぐらいは供したい。ワインは今回はスプマンテ(イタリア・シャンパン)になるだろう。自宅はイタリア一番のスプマンテの産地、フランチャコルタの中にある。スプマンテも少しはイベントの助けになるだろう。

 

あとは僕とミラノの友人、さらに妻が関係する慈善ボランティア団体の友人たちの働き。僕ら日本人はイベント開催では素人だが、協力してくれる「マトグロッソ」という大きな慈善団体に所属するイタリアの友人たちは、その道のプロだからいろいろと助けになってくれるに違いない。僕はグループのリーダーのブルーノと連絡を取って、オーガナイズの仕方に始まるさまざまなノウハウを懸命に習っている。

 

理想は一切のものを無料で、つまり寄付や義捐や協賛の形で提供してもらうことである。できる限り出費を抑えなければ、被災地への最終的な義援金が減ってしまって余り意味がない。「マトグロッソ」のブルーノの話では、去年のコンサートの場合、彼らの実費負担はピアノの貸し出しと調律と運搬設定の全てを引き受けてくれた、地方の楽器店への少額の支払いだけだった。

楽器店はトラックをレンタルしたり、設定や後片付けに人を派遣したりして大変だったために、さすがに全て無料とはいかず、トラック代などの実費を支払ったのだという。

それ以外は人件費はもちろん、全てが個人や法人や役場などの篤志によってまかなわれた。僕ももちろんそういうイベントを目指している。

少し気がかりがある。というか、一番の心配点がある。果たしてどれだけの聴衆が集まってくれるのだろうか、ということ。

日本への支援、というのがどれくらいの人に説得力を持つのかが分からない。というのも、日本は豊かな国、という思い込みが人々にはある。また実際に豊かであることには変わりがないから、人が集まりにくいのではないか、と不安になるのだ。

 

イタリアはもちろん、欧米には数え切れないほどの慈善団体がある。それらは、アフリカやアジアや南米などを中心とする、貧しい国々を援助する目的で作られている場合が多い。たとえば僕の妻は二つの大きな慈善団体に所属し、それよりも小さいもう一つの慈善団体ともかかわっているが、そのうちの二つはアフリカ支援を主に行う団体であり、もう一つは主に南米支援を行っている。そのほかにも個人的に世界の貧しい子供たちを助ける活動もしている。

 

妻の例からも分かるように、欧米人は世界の貧しい国や人々への援助には積極的である。そして慈善事業にも慣れている。しかし、豊かな国日本に対してはどうだろうか。東日本大震災の惨劇のことは誰でも知っているが、日本の被災者は彼らの支援が無くても立ち上がるし、復興していくだろう、と人々が考えてしまうと集まりが悪くなってしまうかもしれない。

 

欧米を始めとする世界中の人々は、阪神淡路大震災の廃墟から速やかに復興した日本を賞賛のまなざしで見た。人々にはまだその記憶が鮮明に残っている。だから今回も大丈夫、と考えてしまうかもしれない。それが僕は少し心配である。ここはやはり、できるだけ多くのイタリア在住の日本人にも声をかけるべきだろう・・

 

 

東日本大震災でイタリアも揺れているⅨ


ブログ記事を一日一本の割合で書くというのは無理があると分かった。きのうは時間がなくて書けず、早くもノルマを果たせなかった。書ける日に何本でも書く、というのが妥当な考え方だろう。その方が現実的だし長続きもしそうだ。今後はその方針で行こうと思う。

 

閑話休題

 

世界中のメディアが同じような動きをしているが、イタリア民放局の最大手、5チャンネルの今朝(4月12日)の報道番組「トップ・ページ」にも、福島原発の話題が復活してしまった。しかも「トップ・ページ」のうちのトップニュースとして。

 

現在イタリアでは中東危機による難民流入が大きな問題になっていて、連日そのニュースが矢継ぎ早に報道されている。そんな中で久しぶりに東日本大震災関連の情報が、あらゆるニュースに優先して電波に乗ったわけである。これはもちろん、福島原発事故が、原子力史上最悪のチェルノブイリ原発事故に匹敵するレベル7に引き上げられたことが原因である。

 

僕は3月30日の記事「東日本大震災でイタリアも揺れているⅥ」で、原発問題が再び5チャンネルの「トップ・ページ」で取り上げられるのが気がかりだと書いたが、早くもそうなってしまった。

 

放射能汚染がこれ以上進まないことを祈りつつ、政府と東京電力が正確な情報を国内はもちろん、国外に向けても発信するように強く求めたい。世界中が固唾を呑んで福島原発を見つめているのは周知のことだと思うが、日本政府がいつになっても「ただちに健康被害は起こさない」と言いつづけ、事故がレベル7に引き上げられても「チェルノブイリと違って直接的な健康被害はない」と言う神経は、正確な情報という観点からはとても信用できるものとは言いがたい。

 

「ただちに健康被害は起こさない」とは、将来は健康被害が起こるということかもしれないし、「チェルノブイリと違って直接的な健康被害はない」というのも、現在進行形の原発事故の前では空しい言葉だ。先のことは分からないのだから、嘘と言われても仕方がないのではないか。

 

原子力安全・保安院が、福島原発事故をスリーマイル島原発事故と同じレベル5と評価発表した時から、世界の多くの専門家は日本政府が事故を実際よりも小さく見せようとしているのではないか、と疑い始めた。

というのも、スリーマイル島原発事故は一週間程度で収束したのに、福島の事故は原子力安全・保安院がレベル5と評価した一週間後の当時も、全く収束する気配は見られず現在進行形だった。従って、その時点で世界は、スリーマイル島原発事故よりも深刻、と考えたのである。

 

その後の日本政府や東京電力の情報開示に対しても、海外世論は少なからず疑問を抱きつつ今日まで来た、という雰囲気がある。そんな中で事故が最悪のレベル7まで引き上げられてしまったのだから、政府や東京電力は希望的観測に基づいた情報とさえ受け取られかねない発表をやめて、正確な情報を逐一きちんと開示して真摯に世界と向き合うべきである。

 

それでなけば、これまで日本に向けられていた世界中の好意が逆の方向に動きかねない。いや、わずかだがもうそういう気分が生まれつつあるようにも見える。

 

何よりも福島原発事故を収束させることが第一義であることは言うまでもないが、世界への説明を忘れて、あるいは軽視してゴマカシと受け取られかねない動きをすれば、日本政府への批判が沸き起こって国民が巻き込まれ、ついには苦しんでいる被災者の皆さんまでが肩身の狭い思いをしなければならないような、とんでもない事態がやって来ないとも限らない・・

まさかとは思うけれど・・・

 

 

震災支援 チャリティコンサート


被災地支援の催し物を、晩餐会ではなくコンサートと決めて以来、主に北イタリアの日伊双方の友人たちに連絡を取って協力を頼んでいる。皆こころよく賛同してくれるのが嬉しい。励みになる。

 

今のところ僕が目指しているのは、去年わが家で開かれた慈善コンサートに近いものである。その時は三人のスカラ座の楽団員と日本人ピアニストの吉川隆弘さんが出演して大成功を収めた。

 

これまでに自宅と妻の実家で開催された慈善コンサートを見ると、催し物がいつも成功するとは限らない。ある年は、れっきとしたスカラ座の二人の楽団員が出演してくれたにもかかわらず、パフォーマンスがかなり難しくて僕のような音楽の素人には良く理解できなかった。

 

それはアーチストが、いわゆる音楽通と呼ばれる高度な聴衆を目安に演奏をするときや、聴衆への音楽教育を意識したパフォーマンスをする時などに起こるようである。

 

それでも、人々の善意がいっぱいに詰め込まれているから、チャリティコンサートはいつ見ても心があたたまる行事ではある。しかし、内容に差が出るのもまた事実なのである。

 

義援金を用意してコンサートを聴きに来る皆さんは、その時点でイベントの趣旨に賛同して参加してくれている。従ってコンサートの内容がたとえ思ったほどの盛り上がりを見せなくても、誰も文句を言ったり不満を感じたりすることはない。いや、たとえ心中で少し残念に感じても、それを表に出すようなことはしない。慈善コンサートとはそういうものである。

 

だからこそ僕は、できれば足を運んでくれる皆さんが喜ぶようなイベントにしたい。誠意を持ってくる皆さんに、お願いをするこちらも良いイベントを用意して心からの感謝を示したい。

 

自宅で催された昨年のコンサートは秀逸だった。何度もアンコールの拍手が起こって感動的だった。どうせならそういうコンサートにしたい。
 

ミラノの友人達がジョイントしてくれるとはいえ、イベントの開催では素人のわれわれがどこまでやれるかは分からない。しかし、あくまでも昨年のレベルに挑戦するつもりで頑張ってみようと思う。

 

コンサートの時期についても考えた。できれば早いほうがいい。震災の記憶がイタリアの人々の心の中から消えないうちに開催するほうが、きっと成功の確率が高くなるだろう。

 

なんとか4月中にと考えたが、それでは準備期間がなさ過ぎる。会場は自宅だから良いとして、アーチストの都合や開催方式や招待状の制作や発送や広報活動などなど・・余りにもやることが多すぎる。

 

しかし、5月になるとわが家は別のイベントで埋まって空きがなくなる。コムーネ(村)が自宅の敷地を含む村の一画を隔離して大会場を造って、盛大な園芸祭を開くのである。

 

祭りは5月半ばの三日間だが、規模が大きいために、5月に入るとすぐに準備や根回しや設定等々であわただしくなる。

 

諸々を勘案すると、コンサートは5月末から6月初め頃の開催になりそうである。

 

 

心ばかりの被災地へのエールを



大震災の被災者支援に何かできないかと自分なりに考えて少し動いてきた。

 

どうやらミラノの友人たちと組んで、わが家でチャリティーコンサートが開けそうである。いくらか心が晴れた気分。ささやかでも被災者の皆さんの助けになれば嬉しい。

 

僕が当初から考えたのは、自宅を会場にしての何らかのチャリティーイベントだった。わが家では食事会や園芸祭りやコンサートや展示会などの慈善活動がよく行われる。村役場(コムーネ)や妻がかかわる慈善団体などが主催するのである。

 

そういうイベントには、ロケやリサーチなどの仕事で家を空けていない限り、僕も積極的に参加してきた。しかし、それはどちらかというと受身の活動である。僕自身が動いてイベントを催してきたわけではない。

 

言うまでもないことだが、ひそかに個人的に寄付をすることと、広く寄付をお願いすることとはまるっきり意味合いが違う。

 

大震災の惨劇に激しく動揺しながら、僕はまったくの泥縄ではあるけれども、広く寄付をお願いするチャリティーの開催方法を考え始めたのだった。

 

チャリティー活動に熱心な妻のアドバイスを受けながら、彼女がかかわる慈善団体の人々にも会って話を聞いたりしていた。

 

そうしながら僕が考えていたのはチャリティー晩餐会である。

 

数年前、妻のかかわる慈善団体が、南米で活動するウーゴ神父を囲む晩餐会を自宅で催した。裕福なビジネスマンを中心に30人ほどを招いたその晩餐会では、僕が知る限り、自宅で開かれたイベントでは一番多い寄付金が集まった。桁違いと言ってもいい額だった。

 

僕はそれにあやかろうかと考えた。でも、多くのビジネスマンを知っているわけではないので、少し二の足を踏んでいた。

 

そこに、かつて僕の事務所でも一緒に仕事をしてくれた友人の田中基子さんから、コンサートをしないかと連絡が入った。ミラノの日本人仲間で慈善団体を立ち上げたのだという。僕は渡りに船と二つ返事で引き受けた。

 

 

わが家では、ミラノのスカラ座の楽団員に協力を願って、ほぼ毎年慈善コンサートを催している。自宅で行わないときは妻の実家を使う。昨年のコンサートには、初めて日本人のピアニストにも参加してもらった。吉川隆弘さんという優秀なアーチストである。彼はスカラ座の楽団員ではないが、技量抜群で観客の大きな喝采を浴びた。

 

そうしたいきさつもあって、コンサートは晩餐会の次に開催可能なイベントとして僕も考えていた。まさにグッドタイミングだった。

 

これからいろいろと手筈を整えなければならない。長い準備期間が必要になるが、僕は早速、去年出演してくれた吉川さんに連絡を入れて快諾をもらい、ミラノ日本総領事館の主席領事、坂口尚隆さんにも連携をお願いしたりして動き出した。また、毎年協力をしてくれるスカラ座の楽団員たちにも連絡を取り始めた。

 

ミラノの友人たちが探してくれるアーチストと合わせれば、それなりの陣容できっと聴衆を魅了できるはずである。

 

イベントはもちろん、東日本大震災の被災者の皆さんへの義援金集めが目的である。でも僕はこの催しを通して、僕の住む地域を含むミラノ近辺の日本人の連帯が深まることも期待している。できるだけ多くの日本人に声をかけて参加をお願いするつもりでいる。

 

日本人なら誰もが、僕と同じように故国の不幸に胸を痛めているに違いない。田中さんたちが慈善組織を作ったのも、結局そういうことなのだろう。皆が協力しあうことで、それぞれの痛恨の思いが少しでもやわらげばとても嬉しい。

微力ながら、被災者の皆さんを助けることは、われわれ自身を助けることでもあるのだと僕は強く感じている。

 

東日本大震災でイタリアも揺れているⅧ



小田原の皆さんがわが家を訪ねてくれたことを機に、大震災を忘れるわけではないが、心の中で少し距離をおいて前に進もうと心に決めた。が、それはまだ無理だと分かった。

 

昨夜、被災地の子供たちを取り上げたNHKの「クローズアップ現代」を見た。とつぜん親や家族を奪われ、家をなくし、自身も津波の恐怖を体験した子供たちの心の闇を思って暗澹(あんたん)とした。僕はまた泣いた。

 

いったいなぜこんな酷いことが起こるのか。何度も何度も繰り返した自問を胸中でふたたびつぶやき、無力感と苦しく対峙しつづけた。

 

NHKは震災二日後の19時のニュース以来、渾身の力で被災地に密着した報道を続けている。僕がイタリアで追いかけているCNN、BBC、アルジャジーラなどの衛星局も、NHKに遅れて取材クルーを被災地に送り込んで見ごたえのある報道を続けた。今は原発事故にしぼってニュースとして触れることがほとんどで、現場に入り込んでの報告はぐんと少なくなった。それでもアルジャジーラは、今朝も現場からの特派員レポートを流した。

 

被災地のさまざまな問題や苦しみや痛み、そしてわずかばかりだが灯りだした希望の光、といった情報を現地の皆さんに密着してきめ細かく伝えるのはNHKだが、国外メディアも依然として頑張っている。

 

心の中で少し距離をおこうと考えた土曜日とは逆に、今日は無理に大震災から目をそらすのはやめた方がいいのではないか、と感じはじめている。我ながら落ち着きのない心理状態がつづく。

 

そうやって自分の気持ちが揺れ動くのは、まだまだ続く被災地の業苦と平穏な自らの日常を比較して、心中に強い負い目がわき起こるからである。

 

それは嘘でも偽善でもない。日本人としての、あるいは人間としての心の揺れである。

 

もどかしいが、しばらくは一方に決め付けることをやめて、震災にも正面から向かい合い、自らの日常にもありのままに対峙していくべきなのだろう。


昨夜、被災地の子供たちに泣かされて、今朝は7時前に起きだして、自宅の2回にある書斎兼仕事場に入った。

そこからはブドウ園の広がりが見渡せる。急速に春めいていく畑地には、緑が芽吹いてすがすがしい。

 

ふと窓に寄って下を見た。ブドウ園の端の草地で2匹のウサギが戯れている。白と灰色に近い茶色の毛の子ウサギである。

 

近くの農夫が、食用に飼っていたものを放し飼いにさせてくれと頼んできた。わけを聞くと、2匹は体が小さく、兄弟ウサギに食料を横取りされてこのままでは育たない。だから、ブドウ園においてくれと言う。

 

一も二もなくオーケーしたのが一週間ほど前。

2匹は食べたいだけ草を食べて元気に遊んでいる。僕はときどき2匹に近づいたり、今のように窓から見下ろしたりしてひどく癒やされている・・・

 

僕の前にある平穏で美しくさえある日常。そして遠い故国には地獄のような被災地の日常がある。

 

これはいったい何を意味するのだろうか。世界はなぜ酷薄な不条理を体現して、平然とそこに広がっているのだろうか。

 

僕は考えても答えの得られるはずのない疑問を、また考えずにはいられない・・・


東日本大震災でイタリアも揺れているⅦ



今日、4月2日の土曜日にわが家を訪問してくれたのは、小田原から来たオーケストラの子供達だった。村役場(コムーネ)からは合唱団だと聞かされていたが、明らかな誤報である。


時期が時期だけに僕は少し困惑してあれこれ考え過ぎたが、子供達の明るい顔や引率の大人の皆さんの節度ある笑顔に接して、とても心が安らいだ。全てを大震災にからめて否定的に捉えたり、大げさに反応したりすることはもうそろそろやめるべきだと感じた。

 

日本人なら誰もが大震災に心を痛め、悲しみ、苦しい気持ちでいる。しかし、いつまでもそれにこだわっていても問題の解決にはならない。苦境を乗り越えるには未来志向で前進するしかない。今日わが家を訪ねてくれたオーケストラの皆さんの活動は、僕が心の底で少し否定的に捉えかけた動きではなく、今まさに日本人に必要なプラス思考の象徴であり典型だということに僕は気づいた。

 

彼らは大人も子供も誰もが、大震災の影を心に刻みながら、イタリアの人々との友好親善や交流という活動を通して、未来に向かって進もうとしている。

 

われわれは誰もが被災地の皆さんと共に泣いた。これからは涙をぬぐって、小田原のオーケストラの皆さんのように前向きに行動するべきであろう。そうすることが、被災地への大きなエールになるに違いない。いや、強い日本人のことだ、国内ではきっと誰もが被災地を気にかけつつ、もうそういう動きになっているのではないか、とも気づく。とても嬉しい一日になった。

 

そのことに加えて、今日4月2日はさらに特別な日になった。わが家を、僕が招いた人以外の日本人が訪ねてきた、初めての日になったのである。しかも大勢で。

 

少しふざける気分で「カミングアウト」と名付けて記事を書いたばかりだから、僕は何か因縁のようなものを感じている・・・

 

 

 

東日本大震災でイタリアも揺れているⅥ


イタリアの民放局のうち最大の5チャンネルは、毎朝6時から8時までトップ(見出し)ページと銘打った報道番組を流す。これは15分にまとめたニュースや生活情報などを繰り返して放送するもので、前日までと今日これからの世界や国内の社会情勢が、ある程度分かる形になっている。そうしておいて、同局はトップページのうちの重要なものを、午前8時からの通常ニュース番組で深く掘り下げて放送する。40分のその番組は週7日間休みなく放送され、土日の週末は50分に延長される。

 

東日本大震災発生以来、5チャンネルのトップページは毎日欠かさずに日本の情勢を伝えてきたが、今日(29日)、初めて、原発事故を含む震災関連の話題がそこから外された。8時からの通常ニュースでは、さすがに福島第一原発の危険な現状については言及したものの、トップページでは触れなかったのである。

 

このことは前にも言ったように、被災地や日本にとっては良い面と残念な面がある。良い面とは被災地に少なくともこれまで以上の新たな不幸が起きていないことを示唆すること。残念な面は人々が早くも被災地のことを忘れ始めた現実を暗示することである。放射能の問題が悪化しなければ、人々の多くは急速に大震災のことを忘れていくだろう。そして、やはりどちらかといえば、イタリアに限らず海外のメディアが次第に大震災のことを忘れてくれる方が、被災地や日本にとってはいいことに違いない。

 

でも、依然として危機的な状況が続く福島原発問題は、再び5チャンネルのトップページに大々的に取り上げられる可能性が残っている。もしそうなった時は、恐らく日本を見る世界のムードが変わる。今の同情や友愛や支援や好意ばかりではなく、放射能汚染を食い止められなかった日本政府や東京電力への批判が巻き起こり、それは当然日本国民に対する世界の見方にも影響を及ぼす可能性がある。そうならないことを心から願いたい。

 

東日本大震災に替わるイタリアの各メディアのトップニュースは、イタリア南端のランペドゥーサ島に押し寄せる中東(北アフリカ)難民。島の人口を上回る流民が上陸し続け、ついに島民が悲鳴を上げて難民排斥に立ち上がった。この問題はイタリア一国で解決できるものではなく、やがてEU(欧州連合)全体が協力して対処することになるだろう。特にリビアへの共同軍事介入を断行しているEU主要国は見て見ぬ振りはできない。

 

難民、リビア問題に続くイタリアのもう一つのトップニュースは、横領容疑などでミラノ地裁の予備審問に出廷したベルルコーニ首相の動向。先だって未成年者買春容疑で起訴された同首相は、2003年6月にも汚職事件の公判で裁判所に出廷している。

 

イタリアは多国籍軍に多くの基地を提供してリビアへの軍事介入に深く関わっているが、NATO内では意志決定会議で蚊帳の外に置かれ、米英仏独だけが衛星会議を開いて話し合う事態が起きたりしている。イタリア政府は「無視されたわけではない」などと負け惜しみを言っているが、これは僕などに言わせると、元々イタリアが世界の主要国の中ではマイナーな国であることを差し引いても、スキャンダルまみれのダメ男をトップに戴く国を、人々が信用していないことの証にしか見えない。

 

そうこうしているうちに、日本からの合唱団が北イタリアを訪れ、僕の住む村にもやって来るという。それには僕らの一家も関わることになる。実はそれは大分前から計画されていたイベントだが、大震災が起こった今、当然キャンセルまたは延期されたものだと僕は信じ込んでいたから驚いた。

 
白状すると、僕は計画が予定通りに実施されることに、驚きを通り越して腹立ちにも近い困惑さえ覚えた。そこで主催者である村役場(コムーネ)の担当者に連絡を入れた。少し抗議をしたい気分だった。

 

日本から遠いイタリアにいる僕と妻でさえ、震災被災地の皆さんの辛酸を想うとき、文字通り何もできないながら、いや何もできないからこそ、以前から計画を立てていた旅行を心苦しく思って中止するような場合に、日本から合唱団がやってくるなんてどういうことなんだろうと思った。

 

でも話を聞くと、合唱団はどうやら中学生程度の子供達が中心のグループらしい。それで僕は少し心が静まった。それどころか少し明るい気分にさえなった。

いつまでも沈み込んでいるわけにはいかない。どこかで誰もが前を向いて歩き出さなければならない。子供達がその先頭に立つのはいいことではないかと思い直した。


普天間基地を災害避難所にしろ


東日本大震災のNHK報道を僕は日本との衛星同時放送でずっと見続けてきた。言葉を失う惨劇を、遠いイタリアで苦しい思いで追いかけながら、一つ気づいたことがある。

 

今回の東日本大震災も16年前の阪神淡路大震災も寒い時期に起きている。またそうではない例えば新潟中越地震の場合でも、災害後に厳しい寒さが訪れて、被災者の皆さんの苦労をさらに大きくした。

 

そこで、冬でも暖かい沖縄の米軍基地の全てを、国営の災害避難所に作り変えて、残念ながら今後も全国で発生し続けることが宿命の、あらゆる種類の天災への備えにしたらいいのではないかと考えた。

沖縄以外の日本国土は、本土最南端の鹿児島県でさえ、真冬には雪も降る寒い土地柄だ。冬でも花が咲き乱れ小鳥がさえずっている沖縄県に、苦しんでいる被災者の皆さんを迎えてあげるのは意義のあることであろう。
 

まず手はじめに普天間基地の米軍に退散を願って避難所となし、東日本大震災の被災者の皆さん、避難所の皆さんを全て受け入れる。とにもかくにも厳しい寒さをしのげる、というだけでも大きな負担減になるのではないか。

そうすれば、沖縄県民の基地への怒りも嘆きもきれいさっぱりとなくなり、本来の明るい性格ともてなしの心だけが最大限に発揮されて、被災者の皆さんを暖かく迎え、援助の手を差し伸べるだろう。

 

基地擁護者が言いたがる抑止力が、国難を排するための力であるなら、大震災で甚大な被害を受けて苦しむ国民の存在、という大きな国難を排する避難所こそ、真の抑止力だと言うこともできる。

 

普天間基地を開放して作る避難所には、被災者の皆さんが家族ごとに入れる、アパート群を始めとする様ざまな設備を作るのは言うまでもない。その時、応急処置のチャチな建物ではなく、しっかりしたりっぱな設計建築をすることが重要である。というのも、そこは災害避難所として使われない期間は、国民保養所や国民宿舎のような形にして低料金で貸し出すのである。言うまでもなく、災害が発生した場合は無条件に明け渡す、という契約で。

 

そうすれば施設はきっと夏には海で遊びたい若者で、冬には避寒保養地として、年金生活の高齢者の皆さんなどで溢れるに違いない。

またそうした施設は、島を訪れる多くの観光客が台風で足止めを食う時にも利用してもらう。

台風による足止めは、観光客にとってはホテル宿泊費を始めとする旅行費用の想定外の入り用で負担が大きい。ここでも低料金で提供すれば大きな助けになる筈である。そのほかにも知恵をしぼればいろいろと利用価値があるのではないか。

 

荒唐無稽な話、と一笑に付す人もいるだろう。だが民主主義国家のわが国において、沖縄県民の民意を完全に無視して、現職総理や幹事長や各閣僚が島を訪れては、バカの一つ覚えのように辺野古への基地移設を唱えることこそ荒唐無稽だ。

 

同じ荒唐無稽なら、被災者の負担と沖縄の基地負担を一気に解決できる避難所の方がよっぽどましである。


 

東日本大震災でイタリアも揺れているⅤ


多国籍軍によるリビア爆撃が始まってから、東日本大震災に集中していた欧州の関心は急激に対リビア戦争に移行した。それぞれの国や社会の日々の動きや、世界情勢に流されるように内容が移行していくテレビの、特に報道の現場では仕方のないことである。というか、それがテレビに限らずメディアの宿命である。巨大な出来事である今回の東日本大震災でさえ、メディアの関心を永久に留どめておくことはできない。日本人としては内心不服だが、それが現実である。

 

当初、英米仏伊、カナダ、ベルギー、それにカタールの7カ国が参加した多国籍軍は、21日の時点ではスペイン、デンマーク、ギリシャなどが加わり、さらにアラブ首長国連邦も参加した。アメリカとヨーロッパの参戦国は、最近起こったイラク、アフガニスタン戦争でのアラブ諸国の反発をもっとも恐れている。従ってカタールとアラブ首長国連邦という二つのアラブ国の参戦は極めて重要な意味を持つ。

 

もっとも強硬に作戦を押してきたのはフランス。さらに英米と続いたが、もっとも強く作戦遂行の影響を懸念しているのはイタリアであろう。イタリアは7つの航空基地を多国籍軍に提供し且つ参加国の中では一番リビアに近く、従って報復攻撃を受けやすい。そのせいもあるだろうが、首相のベルルスコーニはカダフィ大佐との友情を慮る振りで彼の立場を心配して見せたり、イタリア空軍機はリビアに向けては一発の砲撃もしなかった、などと言い訳をしたりしている。

 

イタリアのジレンマはもう一つある。難民問題である。アフリカに近い南イタリアのランペドゥーサ島には、次々に難民が押し寄せている。これまではチュニジア人が主体だったが、リビアを攻撃することでイタリアは難民の数をさらに増やす手助けもすることになる。今やイタリア国内のトップニュースは、東日本大震災でもリビア戦争でもなく「難民」なのである。もっとも深刻なランペドゥーサ島には人口とほぼ同じ数の5400人が上陸して大混乱になっている。リビアに近い周辺の島々にカダフィ大佐がミサイルでも撃ちこんだら、島々はさらに大混乱になり、やがてここ北イタリアにも波及してきそうな勢いである。

 

ある意味では日本の震災ニュースが減るのはいいことでもある。なぜならそれは、少なくともこれまで以上の悲惨な出来事が起きていないことを物語るから。福島第一原発に重大な悪化現象が現れたりすれば別だが、イタリアでは日を追うごとに大震災への関心が無くなって行きそうな気配である。被災者と被災地の本当の戦いはこれからだが、今はイタリアのメディアが震災に
無関心になって行くことを願うばかりである。

 

東日本大震災でイタリアも揺れているⅣ

 

今月25日から3~4日の日程で予定していたスペイン・アンダルシア旅行をキャンセルした。週末を利用して、妻と二人でフラメンコを観に行く計画を1月末頃に立てて楽しみにしていたのだ。

日本から逐一入る大震災の厳しい情報に埋もれて、かなり落ち込んでいる気分を引き上げるために、予定通り旅行をしようかと考えなくもなかった。が、やっぱりそんな気にはなれない。遠いイタリアにいて何ができる訳でもないが、しばらくは被災者の方々に心だけでも寄り添っていたいと思った。おそらく海外在住の日本人は誰もが僕と同じ気持ちでいるのではないか。旅行のキャンセルには妻も即座に賛成してくれた。

 

旅行を取りやめたことで何かできることはないかと夫婦で話した。彼女は南米やアフリカなどの貧しい人々を支援する複数の団体に所属して活発に活動している。それとは事情が異なるが、こういう場合にはどうするべきか良く心得ているから、全て妻に任せることにする。

気分高揚という意味では、実は一昨日17日の木曜日に僕は普段は余り考えられないことをして、自分を慰めた。今思うと少々冷や汗ものの行動だったが、不思議なことにその時は何のためらいもなくできた。

3月 17日はイタリア統一150周年記念日だった。イタリア中で盛大な祝典が催された。

僕ら夫婦も住まいのあるコムーネ(COMUNE:共同体)の祝賀会に招かれた。

僕が住んでいる北イタリアの村は、人口一万人弱のコムーネの中心地区である。僕は分かりやすいようにそこを勝手に「村」と呼んでいる。町や街と呼んでもいいのだろうが、のどかな田園地帯も広がる地域なので、僕の感じでは「村」というのが一番しっくり来る。

 

実は、イタリアには市町村という行政単位はない。首長を戴く全ての地域は、等しく「コムーネ」と呼ばれる。つまり、ローマやミラノのような都会も僕が住む田舎町も、一律にコムーネなのである。

 

コムーネ主催の「イタリア統一150周年記念式典」で、僕は妻と二人で壇上に上がって少し話をした後、妻を巻き込んで日本語で、日本式に「イタリア、バンザイ」と三唱した。突然、バンザイ三唱を強制された妻も、聴衆も驚いていたが、一番驚いたのは僕自身だった。生まれて初めてのバンザイ三唱を、僕は何の迷いも抵抗感も逡巡もなくやってのけた。そのことに自分でも驚いたのである。

 
僕は式典そのものに顔を出すと決めた時、日本の震災のことを少し忘れて、祭りに身をゆだねて気分転換をしようと思った。

 

ところが式典が始まると、挨拶をする来賓の多くが話の冒頭で東日本大震災に言及して同情を表明してから本題に入る。僕はそれで少しじんとなってしまった。

 

加えて、統一国家というものにそれほどの価値を見出さないイタリア人の真骨頂、とでもいうべき挨拶の一つ一つが面白かった。彼らはスピーチを一様に「統一イタリア、バンザイ!」と締めくくるのだが、その言い方がものすごく嘘っぽい。無理をして、というのが少し大げさなら、ひどく遠慮しいしい言っているのがわかる。

 

かつて独立自尊の気概に富む都市国家が群雄割拠していたこの国の人々は、今でもその記憶を失わず、むしろ誰もがそのことを誇りにして現代を生きている。人々にとっては統一国家の前にそれぞれが所属する「コムーネ」があり、それはいわば一つ一つが独立国家なのである。巨大コムーネのローマと僕の住む北イタリアの小さな「村」コムーネが、行政的に完全に対等な立場に置かれているのも、それが理由の一つである。

 

僕はイタリア人の独立自尊の気風が大好きである。それを尊敬し楽しんでいるからイタリアに住み続けている、と言ってもいいくらいだ。

 

大震災に見舞われた日本への連帯感を表明してくれる来賓の情にじんとしたり、統一国家よりも「オラが街が大事」という本音を隠して「イタリア、バンザイ」とか細い声で建前を言う様子を面白がったりしながら、僕はだんだん本気で楽しくなり愉快になって行った。

またその時の僕の胸の底の底には、甚大な災害に見舞われながらも人間性を失わずにじっと耐える、故国の被災者を讃える世界中のメディアの報告を、自身が誇る気持ちも少なからずあったと思う。

 

そこでイタズラ心が出た。僕は隣にいた妻に「僕に続いて日本語でバンザイを三唱して」と耳打ちして、聴衆に向かって「ビバ(バンザイ)、イタリア!」を日本語ではこう表現します、と言ったあと実際にバンザイ、バンザイとやったのである。
 

 自分の行動をあとで振り返ると冷や汗が出たが、会場にいた人は皆喜んだ、少なくとも面白がっていた、などの噂を聞いて僕はほっとした。

でも、やっぱり反省している。

なぜなら僕は叫んだり、悲鳴を上げたり、勝ち鬨(どき)を上げるなどの金切り声が嫌いだからだ。叫喚(きょうかん)や咆哮(ほうこう)や絶叫や大呼が起こる場所にはロクなことがない。そして僕の中では「~バンザイ!」というのは絶叫にしか聞こえないのだ。

 

軽い遊びのつもりでやってしまったが、僕は反省している。会場の人々の中には僕のジョークが分からず、日本的な過激なアクション、と決め付けた人も必ずいあたであろうから、なおさら・・・

 

 

東日本大震災でイタリアも揺れているⅢ

 

日曜日(3月13日)もずっとNHKの地震関連ニュースを見て過ごした。

 

午前11時(日本時間19時)のNHK7時のニュースから、報道の様子ががらりと変わった。被災現場にカメラが入り、いったん津波に飲み込まれながら難を逃れて、九死に一生を得た人々の生の声が電波に乗り始めたのだ。

 

最初は宮城県名取市の自宅で、津波に巻き込まれた石川竜郎さんという男性だった。津波が名取市の全てを飲み込んで膨れ上がっていく恐ろしい姿は、空撮カメラで克明に捉えられて、それまで何度も繰り返し放映されてきたが、石川さんは、まさにその地獄絵のただ中にいたのだった。

 

自宅2階にいた彼は突然巨大な濁流に飲み込まれ、水中に引きずり込まれ、死を覚悟して、それでも懸命に足掻(あが)くうちに奇跡的に助かった。顔にたくさんの傷を負った石川さんが語る生々しい恐怖体験は、それまでのあらゆる驚愕映像が語り得なかったものを語り始めた。


それをきっかけにして、
NHKのカメラは被災現場の詳細を舐めるように映し出し、石川さんに続く「地獄からの生還者」も少しづつ紹介していった。

 

そこまでの報道はいわばロング(引き)の報告だった。実況報告の中心は、地震と津波の破壊の模様を遠くから見たいわば大局的なものだった。2次災害、3次災害の危険のある被災地では、空撮やロングの絵を駆使した報道になるのは仕方のないことだった。

 

ところがこの7時のニュースからはアップ(拡大、接写、寄り)の報道に変わった。一つ一つの絵の多くが、対象の「今現在」のクローズアップになったのだ。九死に一生を得た石川さんのような人たちが見つかり、津波の心配が低くなった被災現場にカメラが入って、あらゆる事象に密着し、生々しい映像が多く出始めたのである。

 

被災地に襲い掛かる巨大地震や津波をロングで捉えたそれまでの映像は、言うまでもなく十分に恐ろしいものだったが、カメラが対象に密着してアップで捉えることができるようになったそれ以後の報告は、ロングの絵をはるかに上回る圧倒的なインパクトを持っていた。

 

同時にそれは、被災地の惨状に激しく胸を揺さぶられ、同情し、悲しみながらも、結局何をすることもできず、遠い安全な場所で事態を眺めているに過ぎない自分に対する嫌悪感のようなものももたらした。僕は故国の途方もない悲運をただ苦しく見つめているだけの、無用で無力な情けない存在でしかないというような・・
 

自分の言葉の全てが空しく、何かを言うことはただの偽善にしか思えないような、被災者の圧倒的な不運、悲しみ、苦悩・・・


それは13時(日本時間21時)から始まった
NHKスペシャルでさらに深められた。

 

被害の実相が徐々に明らかになっていくに連れて、NHKの検証も次第に重くなっていく。それと正比例して自分の言葉が果てしもなく軽くなっていくように感じる。ここからは少し言葉を慎もう。しばらく黙って、圧倒的な不運に襲われた人々に心だけをそっと寄り添わせて見守って行こう・・・

 

と思う先から、地震と津波に続いて発生した原発問題に対する強い不信感が湧き上がって、微小微力の自分なりにやはり何かを語らなければならないとも考える。


天災は、悔しいが、仕方がない。人災の原発は許せない。許してはならない。


原発の危険がこのまま回避されることを祈りつつ、僕はそれを取り巻く不透明な現象にはしっかりと目を留めておきたいと思う。

原発問題に関しては、日本の報道と世界の報道との間にギャップがあるのだ。そこには単純な善し悪しでは測れない理由があり原因がある。

そのことについてはどこかで必ず検証したいと思う。ただそれは僕だけの問題ではなく、日本人のひとりひとり全てが、それぞれの立場で検証をし、結論を出し、議論をくり返して、将来の道筋を決めていくべき巨大なテーマであるように思う。


東日本大震災でイタリアも揺れているⅡ


昨日(3月12日、土曜日)はずっと衛星放送でNHKの地震特集を見続けた。

時間がたって少し気持ちが落ち着いてくると、CNNやBBC、アルジャジーラなどの衛星局にもチャンネルを合わせて覗いてみる余裕が出た。

どの局も日本の地震の報告で満たされている。日本で放送されているものと同じ生のNHK映像や民放のそれが世界配信され、各局はそれを流しながら解説をする形を取ったり、特派員や日本に滞在しているエージェントと結んで、電話で話を聞くなど、独自の構成、番組作りをする努力も怠っていない。

夜も3時間ほど寝ただけでずっと地震のニュースを見続け、それは今日になっても続いた。

NHKは当たり前として、世界の24時間衛星ニュース局は、渾身の力で客観的な報道を続けている。

そして彼らの報道の根底には、日本に対する温情、頑張れと応援する気持ち、愛情がこもっているのが分かる。

それは当然と言えば当然のことではあるが、絶望的な状況の中では、やはりその気持ちは嬉しい。

イタリアのテレビの論調も、基本的には世界の衛星テレビ局と同じ。今朝になって一斉に発売された新聞も、全てが一面トップで日本の震災を伝えつつ、根っこにはやはり強いいたわりがあるように僕には感じられる。

僕はもしかすると、今日になっても次々にかかってきた友人知己の見舞いの電話やメッセージに影響されて、気持ちが少し甘くなっているのかも知れない。

連絡をしてくる友人たちは、当然の成り行きで、先ず日本の僕の家族は大丈夫かと話を切り出してくる。が、彼らの中には被災地に始まる日本全体への思いやりがいっぱいに詰まっている。

僕の個人的な体験ばかりではない。いろいろなところで人々が日本に寄せる友愛がある。例えば、先日活躍したサッカーの長友選手が所属するチーム、インテルは、日本をいたんで選手全員が喪章をつけて試合をした。それは有力なスポーツ新聞などに取り上げられて、サポーターの関心を引いた。

また、米国や豪州などに始まる多くの国々が、日本への支援を迅速に表明し、実際に動き出し、最近は対立することが多い中国でさえ、わが国への同情を隠そうとはしない。

被災地のすさまじい状況と、不運にも巻き込まれてしまった方々の絶望を思い、被害の最小と人命救護の最大を祈りながら、せめて僕は日本を取り巻く世界や、世界の人々の善意にも気を留めていたいと思う。

それはいわば「巨大な不幸中の、かすかな幸い」とでもいうべきものであり、大切にするべきものであるように僕には感じられる・・

東日本大震災でイタリアも揺れているⅠ

 

イタリアの3月8日は、黄色いミモザの花を恋人や妻に贈るその名もズバリ『女性の日』。昨日、そのことについて3日遅れで何かを書こうとノーテンキなことを考えていたら、日本から巨大地震発生のニュースが飛び込んできた。

 

すぐにテレビの前に走る。地震発生から既に3時間ほどが過ぎていて、日本とのリアルタイムのNHK番組が衛星放送で逐一流れてくる。大津波が、家も車も船も畑も何もかも飲みこんで、膨れ上がっていく驚愕映像が繰り返し流される。巨大な濁流の中に人々がいると思うとたまらない。画面をじっと見すえたまま泣く。

 

津波警報が、東北のみならず北海道から沖縄の宮古島、石垣島に至る全国に出ていることに気づいて、今度は電話の前に走る。

まず先島諸島内にある故郷の島に国際電話を掛ける。そこには90歳を過ぎた父とその面倒を見る妹が住んでいる。豆粒のような平坦な島は、たった今映像を見たばかりの津波が見舞った場合、人家や農地を含む一切が完璧に洗い流されてしまうだろう。


もしかすると島そのものが消えて無くなるのかも知れない。それ程に小さい島である。

 

実家の電話は通じない。妹の携帯電話も無理。すぐに埼玉県に住むもう一人の妹にも電話をしてみる。そこも通じなかった。那覇に住む姉のところも通じない。


次にトライした宮古島の兄がようやく電話に出た。津波への警戒はしているが、恐らく大丈夫、島は平穏だという。ならば、そこに近い父の島も同じ状況だろう。一応安心したが、日本のそこかしこにいる家族の安否はまだ全ては分からない。

 

テレビの前と電話を行き来しながら連絡を取り続けて、どうやら全員が無事と分かったのは、そこからさらに一時間半ほどが過ぎたあとだった。同じ頃に東京や近辺の友人らとも連絡がついた。

 

腰を落ち着けてテレビ画面に集中する。

 

言葉を失う凄惨な場面が、次々に、繰り返し映し出される。涙ぐみながら僕はずっと見入った。時々携帯電話で自宅近辺やミラノに住む日本人の友だちに連絡を入れる。皆NHKの衛星放送を見ている。お互いに慰めあいながら話しては少し心を落ち着かせる。

 

午後になって、気仙沼市の火災の映像が流れ出した。日本はもう夜。

 

自衛隊機から撮影された映像は、またまた震撼させられる状況だ。夜の闇を焦がすような火災が広範囲に渡って続いている。火は人々の制御能力を超えてひたすら燃え広がっているらしい。ドラマでも有り得ないような衝撃的な絵。

 

誰もが生きたまま、なす術もなく炎に飲み込まれているのが見えるようだ。涙が止まらなくなった。

 

時間経過と共に、日本の惨劇を知ったイタリア中の友人達から、僕の携帯に次々に見舞いの電話がかかってくる。妻の携帯電話にもかかってくる。

 

彼らの気遣いが僕をさらに泣かせる・・


 

アルジャジーラ、中東、そして日本


中東問題が大きくなって以来、CNNよりも衛星放送のアルジャジーラ・インターナショナルを見ることが多くなった。アラビア語は分からないが、英語放送なので付いて行くことができる。

アルジャジーラは中東カタールに本拠を置く衛星局だから、現地の情勢に詳しく、24時間体制で流れる情報の多くに臨場感がある。イタリアで見ている同局の英語放送は、恐らくロンドンかドーハから発信されていると思うが、僕が知る限り中東現地からの生中継は、例えばイギリスのBBCインターナショナルよりもはるかに量が多く、新情報の発信速度もわずかばかり速いようである。BBCインターナショナルもCNNと共に普段から僕が良く覗く衛星チャンネルである。

例えばエジプトのムバラク元大統領の息子が政府の要職を辞任したというニュースを、僕はアルジャジーラの画面テロップで最初に見たが、直後にチャンネルを回したBBCにはまだ出ていなかった。僕が見逃したのでなければ、恐らくアルジャジーラが世界で最初にその情報を発信したのだろうと思う。

ただ情報発信の速度に関して言えば、今や世界中の放送局が様ざまな情報ネットワークを駆使してしのぎを削っていて、あまり大きな差はないようである。

BBCインターナショナルのほかに、NHKのニュースも衛星放送で日本と同時に見ているが、アルジャジーラやBBCが現地からの生中継でえんえんと伝えている中東の主だった動きについては、ほぼ間違いなく取り上げていて遅滞感はない。速度ばかりではなく、その時々で現地情勢を掘り下げて詳しく伝える手法もNHK独特のものがあって、見ごたえがある。

イタリア公共放送RAIのニュースももちろん見ているが、時差の関係でこちらは速さや臨場感ではあまり頼りにしていない。イタリアにいてRAIの「時差」というのも変だが、こういうことである。

まず朝のうちにアルジャジーラやBBCの24時間体制に近い中東中継を見る。気が向けばCNNも覗く。その後NHKの19時のニュースを日本とのリアルタイムで見る。イタリア時間の午前11時である。そこまで見ると、少なくとも中東情勢に関しては充分。
13時半に始まるRAIの昼のニュースは見なくても間に合う、というのが実感である。

それでもやはりイタリアの放送局のニュースも見る。中東がらみでは特に難民問題が重い。アフリカに近い南イタリアの島には、今中東からかなりの難民が押し寄せている。チュニジア人が主流だが、やがてリビアなどからもやって来ると考えられている。着の身着のままで島に上陸する多くの難民を見ると、中東の混乱はイタリアのすぐ隣で起こっているのだと今さらながら痛感する。

ニュースを見ながら、僕はいつもの癖で日本のことを考えずにはいられない。

もしも中東の混乱或いは変革が、中国や北朝鮮にまで波及した場合、日本にも難民の波が押し寄せる日が来るかも知れない。イタリアの現実を見ていると、それは決して荒唐無稽な妄想ではないような気がする。多くの難民は先ず陸続きの韓国に流れるだろうが、日本にも必ずやってくると考えるのが自然だろう。

わが国は彼らの隣人として、また責任ある先進国として、そのときどう行動するべきか考えておく必要があるのではないか。そうしておいて、もしもそれが杞憂に終わった場合はそれで良しとするが、そこで考えたことは、将来高い確率でやって来るであろう、移民と日本人との共存社会の構築に役立てることもできるはずである。

 

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