【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

貴族の、こと

奴隷も怒るに違いないローマ人の体たらく



「古代ローマ人は奴隷を所有していた。現代のローマ人はミラノ人を所有している」

古代ローマ帝国の人々が、奴隷に労働を任せて自身は楽で豊かな生活を送った史実を踏まえて、北イタリアの勤勉なミラノ人は良くそう嘆く。

周知のようにイタリア経済を牽引しているのは、首都ローマではなく商業都市ミラノである。そのことに揺るぎない自信を持っているミラノ人は、そこから来る余裕と、怠惰なローマ人への怒りを込めて、自虐と諧謔が入り混じった複雑な心境を自ら口にするのである。

ミラノ人がそうやって自分自身を笑っている間は、彼らの心にはまだゆとりがある。彼らの気持ちが切羽詰っていない限り、イタリアの「いつもの」経済問題にも救いの道が残されていることが多い。だが、ミラノ人の余裕も切れかけて、事態の深刻さが日々募っているのが、今のイタリアの危機的な財政状況である。

悪名高いイタリア・ローマのPalazzinari(パラッツィナーリ)の悪名が、先日ついにピークに達した。

Palazzinari(パラッツィナーリ)とは建設業者を示す蔑称で、「ハコモノ屋」「ビル屋」あるいは「土建屋」などといったニュアンスがある。

観光業を別にすると、ローマにある産業(らしきもの)はRAI(イタリアのNHK)と映画撮影所のチネチッタくらいのものだが、それだけでは首都の経済は立ち行かない。そこで台頭したのが、古い建物を修改築したり新規に建てたりする建設業である。産業のない歴史都市でそれは隆盛を極めることになった。

その全てを仕切っているのがPalazzinari(パラッツィナーリ)である。それは戦後のイタリアをほぼ半世紀に渡って牛耳ってきた、キリスト教民主党(イタリアの自民党)と癒着した巨大利権だった。その利権は、94年の同党の崩壊の後に権力を握った、ベルルスコーニ氏を首魁とする勢力に受け継がれた。そうやってハコモノ屋が跋扈するローマの状況にはさらに拍車がかかった。

元々が土建屋であるベルルスコーニ氏は、政権を握ると自らの所有する民放ネットワークに加えて、首都を拠点にする公共放送網RAIにまで影響力を行使するかたわら、首都のハコモノ屋らにも隠然たる影響を及ぼし続けた。彼はイタリア政界を牛耳る政界のドンであると同時に土建業のボスでもあり、さらにメディア王の称号までも与えられていた。ベルスコーニ氏はまさにイタリアの帝王と呼んでも構わないほどの権力者であり続けた。

そうした流れの中で、官僚組織を発明したともいわれる巨大官僚国家・古代ローマ帝国の末裔であるローマ市の現代の官僚と、Palazzinari(パラッツィナーリ)が結びついて癒着を深めるだけ深めていった。

そんな折の2014年1月末、次のようなおどろくべき数字が公表された。ローマ在住の役人と土建業を主とするハコモノ屋ら1657人が、それぞれ500軒以上のマンションを所有する、という事態が明るみに出たのである。それらの金持ちのほとんどが税金を払っていないか、払っていても全く本来の額に達しないものであることが明らかになっている。

中でもこれまでのところの圧巻は、ローマ市に1243軒のマンションを所有するアンジョラ・アメッリーニという女性。父親がローマ市の最も有力なPalazzinari(パラッツィナーリ)の一人だった彼女は、現在は住民票をモンテカルロに移しているが、つい最近までれっきとしたローマ市の住人だった。それでいながら彼女は、マンションの売買や賃貸等々にかかる税金を一切支払っていないのである。

彼女の父親レナート・アッメリーニは、かつてのイタリアの支配者・キリスト教民主党と切っても切れないほどの癒着関係にあった。その縁で娘のアンジョラも政治家との腐敗癒着にまみれて行き、やすやすと税金逃れをしてきたのである。彼女と似た境遇にあるのが、一人一人が500軒以上のマンションを所有する先の1657人(アッメリーニを含む)である。僕はこのニュースを聞いて強い憤りを覚えた。

財政危機のまっただ中にあるイタリアの経済状況にも関わらず、巨大な富を蓄積したそれらの人々が平然と脱税をしているのは許しがたい。イタリアの脱税額は1年で2000億ドル、20余兆円程度(それよりもはるかに多いという説もある)と見られているが、ローマの官僚とPalazzinari(パラッツィナーリ)が癒着して、そうした不正に大きく関わっているらしいことが徐々に明らかになってきた。

Palazzinari(パラッツィナーリ)などに代表される不正は、過去20年に渡ってイタリアの政財界を文字通り牛耳り、仕切り、思うように操ってきた、ベルルスコーニ元首相の失脚に伴なって表に出てきた。イタリア財政危機の責任者であり、政敵から戦後最大の不況の元凶だとさえ非難される、ベルルスコーニ氏の権威の失墜と共に見えてきたそれらの変化は、あるいは腐敗したイタリア政財界の膿が出ようとする兆候なのかもしれない。

もし僕のその見方が正しいのなら、それはEU・ヨーロッパ連合の影響力でマフィアの力が削がれ、バチカン改革派のフランシスコ教皇の出現によって、ローマ教会の洗浄がなされようとしている世情などともきっと無縁ではないように思う。

出た膿が清算され、不正をはたらいた者たちが断罪されて正義が勝つようなことがあれば、イタリアはもしかすると歴史の大きな曲がり角にさしかかることになるのかも知れない。それも大きな良き曲がり角に。

ま、そんなものはいつもの僕の願望、希望的観測に過ぎない、と誰かに言われれば、返す言葉もないのだけれど・・

スカラ座初日の。また雪降りの日のことドモ。



雪&カテリーナ

2012年12月8日土曜日、朝6時半の気温-8度。最低気温は-10度。

 

昨日の夕方から降り始めた雪が積もって、外は一面の銀世界。


初雪ではないが、この冬一番の雪らしい雪景色。

 

ウサギのカテリーナが遊び、食べ、生きているブドウ園も、庭園も、屋敷周りも真っ白。

 

2012年12月8日 ブドウ園雪景色①

2012年8日 カテリーナの木
カテリーナお気に入りの木の下の芝も濃い雪化粧

2012年12月8日ブドウ園雪景色②

でも雪の積もらない廃屋や空間はたくさんあるから、彼女はきっとうまく身を護っているだろう。いつものように。

 

菜園

数日前から雪の予報が出ていたので、僕は一昨日初体験の仕事をした。仕事というか趣味というか、遊び。

 

豊作だった菜園のダイコンの多くを、訪ねてくれる友人達に進呈したあと、残りの全てを収穫して土中に埋めた。

 

そういう保存方法があると知ってはいたが、実際にやるのは初めて。埋めたのは大小20本余り。 


2012年12月1日~8日 009

形のいいのは友人らにプレゼントして、残ったのはいびつな形のものが多いが、それでも完全有機栽培のおいしいダイコン。捨てる訳にはいかない。

 

2012年12月1日~8日 011

葉を切り落として根の部分を下にして埋め、一部を逆に差し立てて埋めた。さらに数本は葉を付けたまま埋めた。どの形がより長く新鮮さを保つかの試み。

 

翌日、そこに予定通りに雪が降り積もった。今後少しづつ掘り起こして食べるか、春まで待って一斉に掘り起こしてみるか、ちょっと楽しみ。

 

スカラ座&イタリア危機


昨日、12月7日はミラノスカラ座のシーズン初日。例年のならわし。

 

昨年の同じ日、モンティ首相はナポリターノ大統領と申し合わせてオープニング公演に顔を出した。イタリア財政危機のまっただ中で、国民に苦痛を押し付ける経済緊縮策を発表した直後のパフォーマンスだった。

 

モンティ首相は今年もオープニング公演を観劇した。そこにはナポリターノ大統領の姿はなく、オペラ好きの首相のプライベートな時間というふうで大きなニュースにはならなかった。

 

モンティ内閣の誕生以来、毎日が緊縮財政策の発動と言っても過言ではない。だからあらためてニュースにならないが、イタリアの経済状況は深刻。

 

あらゆる緊縮策のうち、固定資産税や所得税等の加増がもっとも国民生活への影響が大きい。直接の打撃に止まらず、増税のあおりを受けての消費の低迷から景気の落ち込みが激しい。

 

妻の実家の伯爵家は、税金の支払いでもはや半潰れ状態。伯爵家よりも経済基盤の弱い(かつての)貴族家の中には、既に破産の危機にあるところも少なくない、との噂も。

 

今の税制があと数年も変わらずに続けば、妻の実家の伯爵家も潰れる可能性がある。モンティ政権の増税策はそれほど過酷だ。

でもそれはイタリア国家にとって必要なことだから仕方がない・・

 

 

いつもと違う夏の偶感



毎年8月は妻の実家の伯爵家本家があるガルダ湖畔で過ごすことが多い。伯爵家は近くに山も所有していて、最も暑い時期には標高1000Mにある山荘で避暑などという贅沢もできる。

 

ガルダ湖はイタリア最大の湖である。その周囲には、南アルプスの連山と北部ロンバルディア州の豊かな森林地帯が迫って、青い湖面に影を落とす。

 

それは幾層もの緑の帯となって湖水深く沈み、大湖をさらに重厚なエメラルド色に染め抜く。

 

湖畔には観光客が愛してやまない景勝地がたくさんある。例えばシルミオーネ、ガルドーネ、サンヴィジリオ、マルチェージネ等、おとぎの国のような美しい村々。

 

イタリアは周知の通り世界でも屈指の観光大国である。国中に数え切れないほど存在する古都や歴史遺跡や自然や人や文化や食や産業が、世界中の観光客を引き付けてやまない。

 

この国の観光資源は大きく分けると二つある。一つはローマやベニスやフィレンツェなどに代表される数多くの歴史都市とそこに詰まっている文化芸術遺産。もう一つは豊かな自然に恵まれた海や山や湖などのリゾート資源である。

 

この二大観光資源のうち、歴史都市の多くには黙っていても観光客が訪れる。

 

しかし夏のバカンス客や冬場のスキー客、あるいはその他の旅人を相手にするリゾート地の場合は、自ら客を呼び込む努力をしない限り決して土地の発展はない。

 

イタリアのリゾート地の全てはその厳しい現実を知りつくしていて、各地域がそれぞれに知恵をしぼって客を誘致するために懸命の努力をしている。

 

僕はそうした人々の努力の一環を、20年以上前に初めて訪れたガルダ湖で目の当たりにして、驚いたことがある。

 

僕はそのときの旅では遊覧船に乗って湖を巡ったのだが、最初の寄港地であるガルドーネという集落に船が近づいていったときの光景が、今も忘れられない。

 

遊覧船が近づくにつれてはっきりと見えてくる湖岸は、まるで花園のようだった。港や道路沿いや護岸など、町のあらゆる空間に花が咲き誇っているのが見えた。

 

そればかりではなく、湖畔に建っている民家やカフェやホテルなどの全ての建物の窓にも、色とりどりの花が飾られている。まるで一つ一つの建物が花に埋もれているかのような印象さえあった。

 

船がさらに岸に近づいた。そこで良く見ると、花は窓やベランダに置かれているのではなく、鉢や花かごに植えられて、窓枠やベランダの柵に「外に向かって」吊り下げられている。

 

要するにそれらの花々は、家人が鑑賞し楽しむためのものではなく、建物の外を行く人々、つまり観光客の目を楽しませるために飾られているのだった。

 

南アルプスのふもと近くに位置していることが幸いして、ガルダ湖地方には歴史的にドイツを始めとする北部ヨーロッパからの訪問客が多く、観光産業が発達してきた。そのため住人の意識も高く、誰もが地域の景観を良くするための努力を惜しまない。

 

町を花で埋め尽くす取り組みなどはそのひとつで、観光地のお手本とされ、今ではイタリアのどこのリゾート地に行っても当たり前に見られる光景になった。

 

伯爵家のある村もそんな観光地の一つである。そこでの滞在を僕はいつも楽しみにしてきた。

 

しかし今年はガルダ湖と住まいとブレシャ市を行ったり来たりして過ごしている。

 

少しも休まる暇がない。

 

湖での「いつもの」慈善事業や行事の手伝い、またこれまでに夕食会などに招かれた人々をこちらが招き返す会食などをこなしながら、イタリア政府の新増税策に伴なうあれこれで奔走しているのである。

 

伯爵家が潰れるのはまだ先のことだろうが、終わりの始まりがじわじわと近づいているように僕には見える。

 

だからといって、あわてたり、嘆いたり、悲しんだり、暗くなったりしているわけでは毛頭ないけれど。

 

祭りのあと



伯爵本家でのイベントが終わった。

 

巨大な虚無感だけが残った。

 

悪い人ばかりではないが、家系や富を拠り所に自らの存在の優越を信じているらしい者を見ると、疲れがどっと僕を襲う。

 

そして問題は、イベントそのものが優越意識に基づいた催し物であるために、少数の「悪い人ではない人々」まで呑みこんで、見るに耐えないスノビズムの巣窟になってしまうことだ。

 

そういうイベントのために館を開けるのは今後一切やめようと家族に話した。

 

虚栄心だけで生きている妻の老いた叔母の存在、という障害はあるが、方向性だけははっきりとしておきたいと考えたのである。

 

慈善事業や地域の為になる行事には、これまで通り積極的に参加し、協力する。

 

しかし、虚飾に満ちた時代錯誤な祭りや、集会や、パーティーには参加もしないし協力もしない。

 

妻も子供たちも僕のその基本的な考えに賛成してくれた。義母も承知している。

 

見栄っ張りの84歳の叔母が亡くなると同時に伯爵家はそういう道を行くだろう。

 

時代は完全に変わったのである。

 

僕は共産主義者でもなければ革命思想の持ち主でもない。普通の感覚を持った一市民である。

 

その一市民の感覚では、人は家系や富や血筋で価値が決まるのではなく、一人ひとりの個人の独立した「在り方」つまり「人となり」によって価値が決まる。

 

特権が自らの存在証明だと勘違いしているような人間には、その普通の市民感覚が分からない場合が多いから、品性が下劣になる。

 

伯爵家を会場にして行なわれたイベントには、悪くない人々、つまり人となりのまともな人々ももちろんいた。

 

そんな人々とは、縁があれば今後も付き合いを願いたい、と考えているのは言うまでもないことである。

しかし、

できればそういう皆さんとは、空虚なイベントの場ではなく、普通の日常の中で普通の出会いをしたい、というのもまた僕の正直な気持ちなのである。

 

 

ガルダ湖畔の社交祭



今日6月8日、ガルダ湖の伯爵本家で行なわれる晩餐会には、ミラノの有名クラブ「クルビーノ」と「ウニオーネ」の会長夫妻も参加するらしい。

 

クルビーノはミラノというより恐らくイタリアで最も知られたクラブ。

数年前に現ベネトン社長のアレッサンドロ・ベネトンさんの入会を拒否してニュースになった。


クルビーノに入会を拒否された著名人は彼を入れて58人目だったそうだ。

クラブがなぜそうした有名人の入会を拒否するのかというと、会の基準ではそれらの人々が「まだ成金の域を出ていない」から。

いろいろともっともらしい理屈を言うが、結局それが本音。

スノビズムの面目躍如。俗物根性真骨頂(笑)。

ベネトンさんのずっと以前には、確か前首相のベルルスコーニさんも入会を拒否されている。僕はそのことについて雑誌に記事を書いた覚えがある。


ところが掲載された雑誌も原稿も見つからない。


PCどころかワープロもなかった頃の僕の手書きの原稿は多くが紛失している。僕はワープロを飛び越してPCを使い出したが、それはつい最近のことである。


そこでインターネットなどを少し当たってみたが、これまでのところベルルスコーニさんが入会を拒否された事実を書いた資料が見当たらない。つまり、事実関係がはっきりしない。


はっきりしないことをあえてこうして書こうと決めたのは、クルビーノという100年以上の歴史を持つ社交クラブの気骨というか、格式というか、はたまた気取り・スノビズムというか・・見方によって変わる存在感が面白いと思うからである。


600名前後のメンバーがいるとされるクルビーノは、それよりもさらに古いミラノの社交クラブ「ウニオーネ」から派生した。

ミラノ・ロンバルディア州の支配・権力階級はもちろん、フィアット創業者のアニエィッリなどイタリア各地の権勢家も会員になっている。


クルビーノは現在ではウニオーネを凌ぐ名声を備えたクラブ。ま、いうならば「青は藍より出でて藍よりも青し」を地で行く華のある社交団体、結社である。

 
今夜の伯爵家には、そんな著名クラブからはじまって、イタリア各地方の有力クラブの会長夫妻と、ブレッシャ県の最有力クラブ「チルコロ・アル・テアトロ」の会員の一部が一堂に会する。

合計200名前後の参加が見込まれている。

湖に面した前庭で食前酒が提供された後、邸内での晩餐会。


僕はイタリア本土のナポリ以南の皆さんと、シチリア島やサルデニア島の皆さんと会うのが楽しみ。


僕は南イタリアと南イタリアの人々が好きなのだ。


僕の独断と偏見によれば、南イタリアには明るくて飾らず、かつ丁重な物腰の人が多いと感じる。


つまりに日本人に近い物腰の人々・・

 

慈善も偽善もある、フツーの日々の。



日曜日のコンサートにはウーゴ神父が出席した。

 

おかげで聴衆の数が予想以上に多くなり、立見席も出た。

 

しばらくぶりに会うウーゴさんは、やはり少し年を取っていた。

 

体調が悪いのも影を落としているのだろうが、88歳という年齢は争えない。

 

それでもウーゴさんはコンサートの終わりにマイクを持って人々に話しかけた。

 

息を切らしながらも、ぜひ貧しい子供たちと不運な人々の存在を忘れないで下さい、と熱く訴えかけた。

 

そこには、わが身を顧みずに行動してきた男の、いつもの静かなカリスマが漂っていた。

 

僕のような俗人の心も動かす慈善イベントは、そうやって今回も人々の誠意に包まれて終了した。

 

が、

 

来たる金曜日には、僕の気を重くするもう一つのイベントが、ガルダ湖畔の伯爵本家で開かれる。

 

イタリア全国の社交クラブの会長とその夫人が一堂に会する行事。言いたくないが、きっと慈善よりも偽善が先行する催し物。

 

亡くなった伯爵家の家族のつながりで、邸宅の開放を頼まれて断りきれずに受けたもの。

伯爵家には慈善事業とは関係のないそんなイベントもしばしば舞いこむ。

 

僕は俗人だが、だからといってスノブな祭りを喜ぶほどの魁偉な俗物性は持ち合わせていない。

 

だから、ひたすら気が重い。


でも、家族への義務があるから逃げない。

 
伯爵家にからむあらゆる出来事に対するときの、それが僕の行動指針。

といっても、別にえらい考えや決意があるわけではなく、どうせ逃げられないから逃げないだけ、ということなのだけれど・・


 

潰れ貴族



「潰(つぶ)れ百姓」という歴史的事実を表す言葉がある。

江戸時代、凶作や税(貢租)の重さや、商品経済の浸透による負債の累積などが原因で、年貢が納められなくなって破産した農民のことである。

潰れ百姓たちは飢え、餓死し、生きのびた者は江戸などの都市に流れ込んで、そこでも悲惨な生活を送った。


世界を揺るがしている欧州の財政危機は、イタリアで「潰れ百姓」ならぬ「潰れ貴族」を大量に生み出しかねない状況を招いている。

フランス革命のような激烈な世直しが起こらなかったイタリアには、今でも古い貴族家が所有する館などの歴史的建造物が数多く存在している。またイタリアの世界遺産の登録件数は世界一(47件)。世界の文化遺産の40%がこの国にあるとも言われている。

イタリアの膨大な歴史遺産の有様はざっと見て次の如くである。
1)大規模な歴史的旧市街centri storici principali:900箇所  
2)小規模な歴史的旧市街centri storici minori:6850箇所 
3)歴史的居住集落nuclei abitati storici:15.000箇所
4)歴史的居住家屋dimore storiche:40.000 軒 
5)城及び城跡rocche e castelli:20.000箇所
6)空き家の歴史的居住家屋abitazioni storiche non utilizzate:
1.300.000軒

このうち妻の実家の伯爵家の住居などが含まれるのは4)の歴史的居住家屋。つまりイタリアには「現在も人が住んでいる」4万軒もの貴族の館やそれに準ずる古い建築物が存在し、また人が住んでいない貴族館等の6)の歴史的建築物を含めると、その数はなんと134万軒にも上るのである。

そうした家の固定資産税は低く抑えられ、相続税はほとんどゼロに近い優遇策が取られている。それはなぜか。

それらの古い広大な家には、膨大な維持費や管理費が掛かるからである。

本来ならほとんど全てが国によって管理されるべき歴史遺産や文化財に匹敵する建物群が、個人の支出によって管理維持されている。

イタリア共和国は彼らの犠牲に応える形で税金を低く抑えてきた。

僕は今、「犠牲」と言った。それは真実だが、外から見れば「犠牲」などではなく逆に「特権」に見える場合も多い。また、広大な館を有する貴族や名家の中には、今でも充分に実業家などに対抗できるだけの富を維持している者も、わずかながらだが確かにいる。

しかし、そうした古い家々の多くは、昔の蓄えを食い潰しながら青息吐息で財産の維持管理をしている、というのが家計の状況である。固定資産税や相続税がまともに課されたら、彼らのほとんどはたちまち困窮して、家を放棄するしかないであろう。

イタリアの歴代政権は、国家財政が困窮するたびにそうした家への課税を強化しようとしたが、増税の結果「潰れ貴族」が出現して逆に国家の財政負担が一気に拡大するリスクを恐れて、一回限りの特別課税などとしてきた。

イタリア中の貴族家や旧家の建物を全て国が維持管理することになれば、イタリア共和国の国家財政は明日にでも破綻してしまうだろう。

一方でイタリアには「労働憲章法18条」一般に「条項18」と呼ばれる、世界でも珍しいほどの労働者保護の立場に立った法律がある。

それは実質、雇主が労働者を解雇できない強い規制を伴なうもので、イタリアの労働市場をガチガチに硬直させている。

要するにこの国の経営者は「条項18」を恐れるあまり、めったに人を雇わないのである。その結果古くて無能な労働力が会社に残り、そのあおりを食って若者の失業者が増え、経済のあらゆる局面が停滞して悪循環に陥る、ということがくり返されてきた。

今回のイタリア財政危機を回避するべく政権の座に就いたマリオ・モンティ首相は、様々な改革を推し進めているが、中でも彼がもっとも重要と見なして取り組んでいるのが「条項18」の改正。必要に応じて経営者が労働者を解雇できる普通の労使関係に戻すべく動いている。

そこで出てきたのが例によって歴史的居住家屋への増税案。最大で現行の年間税率の6倍にもなる固定資産税を課すことも検討されている。

「国民が平等に痛みを分かち合う」ことをモットーにしているモンティ政権は、40年前に発効した「条項18」を死守しようとする強力な労組への懐柔策として、これまた長い間改正されずに来た貴族館などへの増税をバーターとして提示しているのである。

増税率がどの程度に落ち着くのかは今のところ不透明だが、大幅な増税が一時的ではなく持続的なものになった場合、イタリア全国で相当数の「潰れ貴族」家が出るのは間違いないだろう。

「斜陽貴族」でも書いたように、栄華を極めた者が没落するのは歴史の必然である。古い貴族家が潰れたなら、新規に富を得た者がそこを買い入れて、建物の歴史を新しく書き続けていけばいいだけの話だ。


しかし、今回のような不況のまっただ中で「潰れ貴族が」出た場合、彼らの住まいなどの歴史的建造物が打ち捨てられたまま荒廃する可能性が高くなる。

なぜなら新たに富を得た実業家なども経済的に困窮している時期だから、買い手が付かなくなるケースが増大すると考えられるからである。

膨大な数のイタリアの歴史的遺産は、たとえそれが私有物であっても、最終的には国の財産であることには変わりがない。

モンティ首相は就任以来、財政危機を確実に修正してイタリアをまともな方向に導いているように見える。

が、一歩道を間違えると、国の文化遺産を破壊したトンデモ首相として、歴史に名を残す可能性も又、無きにしも非ずなのである。

 

斜陽貴族



先週の土曜日に晩餐会が開かれたのは、北イタリア・ブレッシャ県の貴族家である。

 

一家の館は県都ブレッシャノのすぐ隣の町にあるが、館は館でも、堀に囲まれた城のような堅牢な建物。

 

実際にそこは、館を意味するPalazzo(パラッツォ)ではなく、城を意味するCastello(カステッロ)と一般には呼ばれている。

 

一家の長女で修復師のベアトリーチェは、シチリア島のパレルモで教会の修復作業をしている。

→<ベアトリーチェとシチリア


長男のフランコはサラリーマン、次女のマリアンナは法学部の学生である。

 

僕は3人の子供のうち特に長男のフランコを良く知っている。彼は子供のころ、毎年夏休みを僕ら一家と共に、妻の実家の伯爵家の山荘で過ごしたのだ。

 

息子2人より少しだけ年上の彼は、礼儀正しい大人しい少年で、子供たちと非常に仲がよく、僕ら夫婦もまた伯爵家の人たちも彼をかわいがった。

 

フランコが僕らと夏休みを過ごしたのは、実は彼の家族に子供たちを連れて旅行に出たり、どこかのリゾート地でひと夏を過ごす、などという経済的な余裕がなかったからだった。

 

イタリアはバカンスの国である。どこの家でも夏には家族全員でバカンスに行くのが当たり前だ。ましてや貴族家などの裕福な家庭は、特に長い贅沢なバカンスを過ごすものである。

 

というのが普通の考えで、また実際にそういうことも多いが、しかし、りっぱな邸宅を構えてはいるものの、家計が火の車だったりする貴族家も、また実はとても多いのである。同家はその典型的な例だった。

 

一族の当主は、芸術家肌の男で、あまり甲斐性があるとは言えない。絵を描きつつ看護士として働いてきた。こういう場合にはよく政略結婚のようなことが行われて、古い貴族家の台所を潤(うるお)す事態が起こる。ま、いわば名誉と金の握手。

 

でも、正直者で人の良い彼は、貴族でも金持ちでもない煙草屋の娘と結婚した。大金持ちの事業家や商家などからの縁談もいくつかあったが、彼はその娘との恋愛結婚を選んだのである。

 

同家には、音楽の先生をしている当主の姉も同居している。姉弟2人の給料が、貴族家の収入のほとんどだった。それでは邸宅の台所が火の車になるのは見え見えである。古い館には莫大な維持費が掛かるのだ。

 

かつかつの生活をしている同家では、新妻が家政婦も雇わずに家事の一切を行っている、という信じられないような噂もあった。城とまで呼ばれるバカでかい館は、掃除をするだけでも大変な労力と時間が要る。パートでもいいからせめて家政婦の1人ぐらいは雇わないと、主婦の1日は広大な建物の清掃だけで終わりかねない。
 

その噂を裏付けるような愉快な話もある。一家の主人は、盗難防止のアラームを取り付ける経済的な余裕が無いので、夜な夜な起き出しては警報代わりに邸宅の周囲を巡り歩いて警戒を続けたりもしたという。これは本人から聞いたジョークのような、でも、どうも真実らしい話。

 

妻の実家の伯爵家と同家は、何世代も前からの親しい間柄である。その縁で、一族の跡とりのフランコ少年を、夏休みの間うちで面倒をみたというわけである。もちろんわが家に2人の男の子がいたから、男の子同士で遊ばせる意味合いがあったのは言うまでもない。

 

同じように同家の2人の娘、ベアトチリーチェとマリアンナも、一家の友人や親戚などのもとで夏休みを過ごした。

 

そんな貧しい家族だったが、7、8年ほど前に突然羽ぶりが良くなった。当主の叔母が亡くなって遺産が彼のところに入ったのである。それは県都のブレッシャ市にある広大な館。彼はすぐに遺産を売りに出した。館の値段は、浪費さえしなければ一家が今後何世代かに渡ってのんびり暮らせるだけの巨額。それは周知の事実。

 

以来、同家は昔のように晩餐会も催す余裕を取り戻した。バカンスなども優雅に過ごせるようになった。

 

遺産相続前までの一家のように、経済的に厳しい状況に置かれている貴族家は多い。いや、よほど幸運に恵まれてでもいない限り、現在まで存続している貴族家はどこも経済的に困窮していると見ていい。
 

同家のような僥倖(ぎょうこう)はそうそうは巡って来ない。貴族の多くは、豪華な館などの外見とは裏腹に、昔の蓄えを少しづつ食いつぶしながらつましく暮らし、ひっそりと生きているケースがほとんどなのである。

 

妻の実家の伯爵家なども事情は同じ。伯爵家の場合は、まだ決して貧しくはないが、巨大な館や建物などの膨大な維持費に家計を押しつぶされて、苦しいやりくりをしているのが実情である。


そして、それは将来も悪化し続けることが宿命である。悪化し続けて、ついには伯爵家そのものが消滅する。
 

でも、それだから世の中は面白い。

 

始まった全てのものは必ず終わり、栄華を極めた者は例外なく落ちる。そして富を手に入れた者がやがてそこに入れ替わる。それが人の世の、そして歴史の法則。

別にどうということはないのである。

 

 

 


チャリティーの夏


先週の金曜日、マルコとアンナの結婚式を終えて伯爵家に戻ったのは午後11時前。

もっと早く帰宅できたのだが、伯爵家のある町とは対岸になるペスキエーラの街に寄ってから帰った。あえて時間潰(つぶ)しをしたのだ。

 

湖に面した伯爵家の前庭では、大規模な晩餐会が催されていた。僕らはそれを避けてわざと遅れて帰宅した。

 

晩餐会はガルダ湖のヨットレース「チェントミリア」の前夜祭の一環として開かれた。

 

「チェントミリア」は、ブレッシャのクラシックカーレース「ミッレミリア」にならって、60年前に始められた。湖でヨットを楽しんでいた貴族の若者たちが音頭を取ったのだ。

 

その若者グループのリーダーが、20年前に亡くなった妻の叔父だった。

 

その関係で「チェントミリア」は前夜祭を伯爵家の前庭で行い、レースのスタート地点も同家の前と定めて開催されるのがならわしになった。

 

半世紀以上の歴史を刻んで、ガルダ湖の観光名物として広く知られてきた「チェントミリア」だが、近年は盛り上がりに欠けて注目度も低くなった。レースの規模も年々縮小し、地元の賑わいもどこかに消えた。

 

伯爵家で開催される前夜祭も、最近は形骸化してしまって、地元の政治家たちが彼らの都合で晩餐会を開いて大騒ぎをする、政治ショーのような内容になってしまっている。

僕らは時どきそれに疲れて、晩餐会には場所だけを提供して、なるべく遠くから眺めるようにしている。

 

いやなら場所の提供も拒否すればいいようなものだが、そういうわけにもいかない。内容が空疎になったとはいえ、それは妻の叔父の功績を讃える意味合いから始められたものでもあるから、われわれが否定することはできないのである。

 

また前夜祭の主催者が、ここ数年は実質レースの参加者から街の役場に移ってしまっている事情もあって、なおさら断るのが難しい。

 

とてつもない大きさの邸宅を地域に有しているのだから、街のためになる行事には、伯爵家は館を開放してほしいと考える人々も多い。そしてそれに応えるのが伯爵家のならわしである。

 

今さらその伝統を覆(くつがえ)すのは不可能だ。邸宅がある限りは、地域に貢献するという貴族家の義務もまた続くのだろう。それがいやなら館を手放せばいいだけの話だ。そしてそれはすぐにでも可能なことである。

→<ノブレス・オブリージュ

そんなわけで、僕と妻は先週の晩餐会の夜はちょっとストライキをしてみた(笑)。行事が重なると、時どきそこから逃げ出したくなるのである。


晩餐会は政治ショーであってチャリティーではないが、家を開放して客をもてなすという意味では、僕らにとっては慈善事業と変わらない。

いわば街への寄付、とでもいうべき性格を持つのが、役場主催の晩餐会や展示会などの行事である。

それやこれやで、春から夏にかけては伯爵家とわが家は慈善行事の多い日々になる。

明後日の日曜日は、伯爵家の別荘「ラゾーネ」で再びスピエド昼食会。

→<9月、秋はじめと仕事はじめの期

でもそれはチャリティーとは関係のない仲間同志の集い。前回慈善昼食会を開催したボランティアたちが再び山に集まって、慰労会を開くのだ。

きっと気の張らない楽しいパーティーになるだろう。スピエドもまた格別の味がするに違いない。楽しみである。

 

ワインビジネス



今収穫中のブドウは、自家のワイン造りにも用いられる。
→<ヴェンデミア(VENDEMMIA)
ワインはイタリアのシャンパン「スプマンテ」である。

 

ワイン造りは今のところは全くの赤字ビジネス。昨年亡くなった義父が残した負の遺産である。

 

伯爵家は大昔から常にワインを造ってきた。しかしそれは一家が消費する分と客に提供する分で、商業ベースのワイン生産ではなかった。

 

伯爵家の農夫のうちワイン醸造に長けた者が、一家のブドウを活用して一族のためだけに赤ワインを造ってきたのである。その伝統は今でも続いていて、混じりけのないシンプルな赤ワインはとても美味しいと僕などは感じる。

 

農学が専門だった義父は、アフリカや南イタリアの農場で仕事をした後、北イタリアに戻って伯爵家の土地で肉牛の生産を始めた。彼は同時に、元々あった一家のブドウ園とは別に、少し規模の大きなブドウ園の経営にも乗り出した。今から30年以上前のことである。

 

肉牛の飼育はすぐに失敗して負債が残った。

 

そこでやめておけば良いものを、彼は自らが作るブドウを使って商業ベースのワインの生産まで始めてしまった。

最初は白ワインと赤ワイン。さらにスプマンテにも手を伸ばした。

 

しかし、裕福な伯爵家で純粋培養されて、何不自由なく育った義父である。商売の厳しさなど知る由もなく、ワインビジネスもまた赤字続きだった。

 

それでも基本的には、放っておいても実が生(な)るブドウの生産はそれなりにうまく行って、ブドウのあがりでワインの赤字を埋める、ということを繰り返して20年余りが過ぎた。

 

義父は亡くなる前の数年間は、ワイナリーを閉鎖する方法を模索していた。赤字だらけのビジネスを残して逝くことには、さすがに忸怩(じくじ)たる思いがあったのだろう。

 

僕もワインの生産を止(や)めたほうがいいと、義父にはそっと言いつづけてきた。金の苦労を知らない大甘な彼の商売は、見ていて胸が痛むほどわびしい感じがいつもした。

 

義父は結局、ワイナリーを閉める「仕事」も貫徹できないまま亡くなった。優しすぎてここ一番での決断ができないところも、いかにも義父らしいといえば言えた。

 

義父が病に倒れた後、専門家の力を借りてワイナリーの実態を徹底的に検証した。結果、ワイン造りを続けたほうが負債の清算が早まる可能性がある、ということが分かった。

 

価格の変動が激しいブドウを収穫してそのまま全て売るのではなく、何割かを付加価値のつくスプマンテに仕立てて一部を樽のまま卸し、残りをこれまで通りに瓶詰めにして販売するのである。

 

義父が亡くなった後は、公私混同が当たり前だった彼の商法も改めた。

若いマネージャーを雇って、ワイナリーをビジネスとして徹底させると同時に、ボトル販売のプロたちとも契約した。

 

机上の計算では、義父の残した負債を8年から10年かけて返済できる計画。

しかし、競争が激しく、切り盛りが難しいワインビジネスである。赤字がさらに進行する兆しが見えたら、ためらうことなく即座に止(や)めてしまうことを前提にしている。

 

ワインは誰にでも造れる。資金さえあれば、ワインの杜氏(とうじ)であるエノロゴが幾らでも造ってくれるのだ。優れたエノロゴを雇えば優れたワインを生産することも可能だ。

 

ワインビジネスの問題は「ワイン造り」などでは全くなく、
ひとえに『販売』が課題なのである。

 

販売が好転する兆しが見えたとき、赤字解消の確かな道筋が生まれ、さらに将来への展望が開けるはずである。

 

それでなければ、全てのブドウ園を失うような事態があっても、少しも不思議ではない、と僕は考えている。

 

ノブレス・オブリージュ



2008年5月、僕は東京の友人に次のような便りを送った。

 

『 渋谷君

 

今年もまた北イタリアのガルダ湖畔にある妻の実家の伯爵家の庭園で、環境と緑をテーマにしたガーデン祭りが開催される。家は歴史的建造物として国の指定を受けていて、広い庭園内に花や植物や自然食品の展示販売所などが立って多くの入が集まる。

 

館のあるガルダ湖は有名な観光地だが、近年は少し客足が落ち込んでいる。そこでこのガーデン祭りが考案され、妻の家の家族は全面的に協力することにしたわけだ。

 

祭りを主催しているのは地元の建築家のグループ。伯爵家では館を3日間開放して、年老いた家族の全員が祭りの顔となって催し物に協力する。家族が無償で活動をするのは、祭りが地域の活性化に寄与すると考えるからなんだ。

 

西洋には「ノブレス・オブリージュ」つまり「貴族の義務」という伝統的な考え方があるのは、君も知っての通りだ。古い貴族家に生まれた人間には、奉仕活動や慈善事業など、社会に貢献する義務があるとする思想だね。

 

妻の実家は13、4世紀ごろから続く家柄。二つの貴族家が婚姻を通して一つになった。その一方が13世紀、一方が14世紀に興(おこ)った、と文献にある。恐らく政略結婚ってやつだろうね。昔の貴族社会ではよくあった話さ。

 

一家はガーデン祭りのほかにもチャリティー夕食会やコンサート、文化・学術会議の場所の提供など、よく地域奉仕に動く。

 

館でチャリティー夕食会を開くと、時として20~30人の招待客で300~400万円程度が集まったりする。そういう時はキリスト教文化、特に慈善・博愛精神の底深さを強烈に思い知らされるよ。

 

伯爵家には主な館がそれぞれ違う地域に3軒ある。そのうちの一つ、ガルダ湖畔にある家は一家のメインの建物でパラッツォ(Palazzo=宮殿、館、~宮)と呼ばれる。城と言ったほうがいいかも知れない。アナクロニズムもここまでくればほとんど笑い話の世界さ。


君は銀行員だから、伯爵家の建築物などを見る目も又おのずと違うと思うが、奥さんのユリさんなら出版人の目で見て、僕に賛同して笑ってくれそうな気もするが、どうだろうか?

 

いつか伯爵家のことを本に書く機会があったら必ず「喜劇」調で書くつもりだ、とユリさんに伝えておいてくれ。「貴族にナッチャッタ僕」とかなんとかのタイトルで、貴族にはなれないし又なる気もない男の話をオモシロおかしく書くのさ。もっとも深刻に書いた方が真の喜劇になるのかも知れないが・・。

 

あるいは、貴族になりたいと必死に足掻く(あがく)男という構図の方が、より滑稽になるのかもしれない。でも、それでは設定がありふれているような気もする。貴族にはなれないし(もちろん心理的な話のことだが)又なる気もない僕自身のことを、笑い話に書ければ本望だ。人は自分で自分を笑える間は、心身共に健全な証拠だからね。が、なにしろ執筆には才能というものが関わってくるから難しい話さ。 


さて、本題に戻るよ。

 

館には妻の親と独身の叔父や叔母が同居している。彼らは団結して伯爵家を守って生きてきたが、皆年老いて一番若い叔父でさえ既に78歳。家のさまざまな行事が一人娘の妻の肩に重くのしかかりつつある。

 

若い頃は考えもしなかったが、今後は妻の「貴族の義務」に僕が付き合わなければならない事態がますます頻繁に起こりそうだ。

 

そうなったら仕方がない。それが日本を飛び出してしまった自分の義務とあきらめて、せいぜい構えることなく、且つ自分らしく、適当に楽しくやって行こうと思うぜ~い 』

 
という内容のメールだった。



それからたった1年後に妻の叔父が亡くなり、義父も昨年逝ってしまった。

 

伯爵家には今は妻の老いた母と叔母がいるだけである。しかも義母は独自にも居を構えていて、そこと伯爵家を行ったりきたりする。そういう状況だから、二人の住人を続けざまに失った館の中は、普通以上に寂しくなっている。

 

今週の日曜日、つまり2011年7月17日、僕は妻の実家の伯爵家の活動に付き合って多忙を極めた。

 

朝10時、湖畔の館を出発。

 

家のすぐ背後にある、およそ1000メートルの山中にある別荘に行く。別荘は修道院だった建物で、山の家にしては規模が大きい。伯爵家の持ち家はほとんど全てが同じ。大き過ぎて問題が多い。

 

建物の一部の修復作業がゆっくりながら進展していることを確認して、別荘に付随する敷地内を車で移動してアルピーニ(Alpini)の集会場に行く。

 

アルピーニとは「アルプスの兵士たち」のこと。アルプスを擁するイタリアの軍隊のうちの山岳部隊のことで、近代的な山岳歩兵隊としては世界で最古の組織である。

 

北イタリアの男たちは兵役義務に就く時、アルピーニを志望する者が多いが、前アルプス(南アルプスの南)の山々が目前に迫っているガルダ湖地域では、ほとんどの若者がアルピーニになると言ってもよい。

 

屋敷内にある集会場は、退役したアルピーニたちが親睦のために集まる場所である。そこには教会も建てられていて、元兵士たちにとっては,楽しい懇親会場であると同時に神聖な場所でもある。

彼らは毎年夏に大きな親睦会を催すのだが、その時には土地と建物を提供している伯爵家の全員が招待される。

 

しかしここ4、5年ほどは親睦会に参加するのは僕と妻の2人だけである。年老いた伯爵家の人々は、兵士らの親交パーティーに顔を出すのもままならなくなっていた。義父と叔父が亡くなった今はなおさらである。

 

15時過ぎに下山して湖畔の館に戻る。

 

1時間ほど休憩した頃、湖に面した庭園にざわざわと人群れの声。見るとトラックに積み込まれた椅子を若者らが下ろし始めたところ。

今夜は館でクラシック音楽のコンサートが開催される。これも毎年夏の恒例の行事。

 

コンサートは、地元住民はもちろん、多くの観光客にも楽しんでもらおうという趣旨で行われる。ガルダ湖畔の自治体が共同で計画して、貴族館や高級ホテルなどに協力を求めている。これも地域振興策の一環という側面があるのは言うまでもない。

地元では古くから「寛大な一族」として知られている伯爵家は、そういう行事には常に最大限の協力を惜しまなかった。もうほとんど妻の代になった現在、僕らが突然そういう伝統を否定すれば大きな波風が立つだろう。


でも正直いつまで続けるのかという疑問が、貴族でもイタリア人でもない僕の中に残らないわけではない。

 

音楽会は、5月にガーデン祭りが開催される裏庭とは反対側の、湖に面した前庭で開催する予定だったが、天候不良で屋内へ。かつて頻繁に舞踏会が開かれた大広間で行うことにする。

大広間は吹き抜けのとんでもなく高い天井のある空間だが、舞踏会ばかりではなく音楽会もまた良く開かれる場所で、音響的にも評判のいい部屋である。

 

夜9時過ぎにコンサート開始。

 

会場は立ち見も出る盛況。人で埋めつくされた。屋外開催ではなかったため、残念ながら入場できない人々も出た。

伯爵家は、東日本大震災支援のチャリティーコンサート(震災支援 チャリティーコンサートⅥ)を開いたわが家よりもはるかに大きな建物だが、観光地のしかも入場無料のコンサートには、多くの聴衆が押し寄せて、さすがに全員が入場するのは無理だった。

 

夜11時、コンサート終了。

 

夜11時半頃、コンサート出演者や主催者の皆さんと共にレストランへ。慰労反省会。

 

午前1時半過ぎに帰宅。

 

という1日だった。

 

9月の半ばまではまだ催し物が続くが、8月22日から9月初めまでは休暇を取ってシチリア島へ行く。

 

休暇が待ち遠しい・・・


カミングアウト、に続いての話



言うまでもなく、共和国制のイタリアには法的な制度としての爵位はない。第二次世界大戦後に廃止されたのである。しかし社会通念としてのそれは厳然として存在する。これは革命が起こったフランスにおいてさえそうなのだから、いわんやイタリアにおいてをや、というところである。

 

たとえば妻の実家の家族を、人々はほとんど常に伯爵の称号をつけて呼ぶし、郵便物や届け物や書類などにも伯爵という枕詞が添えられている場合が多い。

 

イタリアの爵位は廃止されたけれども、法律では苗字に取り込んで姓の一部として名乗っても良いことになっている。しかし、そういう形を取った貴族家はあまりないようである。少なくとも僕はそういう家を一つも知らない。もちろん妻の実家もそんなことはしていない。

そういうことをしなくても、社会通念としての爵位の存在が十分に大きいから、改名をする必要がなかったのではないかと思う。

 

また、敗戦によって国民の全てが法の前では平等であるとうたわれている時代に、あえて過去の特権にしがみつくような改名をして、威をかざしたいと考える驕慢(きょうまん)は、さすがに出にくかったのではないか。

 

さらに言えば、多くの貴族家はほとんどの場合、その地域で極めて目立つ建物を所有し住居としている。爵位を持つ場合も持たない場合も、人目を引く歴史的建造物によって、貴族の館と分かることがほとんどだから、隠しようもないのである。そのあたりにも、あえて改名までして爵位にこだわろうとする貴族が少なかった原因があるように思う。

 

さて、僕は「カミングアウト 」の記事で、妻が伯爵だと書いた。が、それでは、その言葉が彼女や僕にとってどれだけの意味を持つのかと言うと、ほとんどゼロ、何の意味もないというのが真実である。

だからこそ僕はあえて伯爵と言った。分かりやすくて、しかも軽佻な感じが出て、カミングアウトという軽いタイトルにふさわしいと思ったのである。

 

実際に僕は、ふざける時によく妻を「伯爵(Signora Contessaシニョーラ コンテッサ)さん」と呼んでからかう。僕らの中では、伯爵などという時代錯誤な称号はその程度の意味しか持たない。

 

ただ前述した、妻の実家の家族を伯爵と呼ぶ人々や、その周りにある制度、あるいは習慣などにまつわる社会通念の中では、妻は今でも伯爵(Contessa、男性形はConte)と呼ばれることがよくある。

 

妻はそれには何も反応しない。そういうときに一緒に行動していることが多い僕も、ほとんど無関心である。それが形式だけの、無意味な呼びかけであることを知っているからだ。

 

妻がかつて爵位を持っていた家に生まれた現実が、妻自身はもちろん、僕や息子たちにも大きな影響を与えるのはもっと別なところにある。

そのことはまたおいおい書いて行ければと思う。





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カミングアウト



僕の妻の実家は北イタリアの古い貴族家である。文献や家系図では、家の興りは13世紀頃まで遡(さかのぼ)ることができる。

一家はオーストリア女王のマリアテレジアによって伯爵に叙せられた。マリアテレジアはイタリア語ではマリアテレザである。女王にあやかって付けられた名前はイタリアにも多いが、妻の名もたまたまそのうちのひとつでマリアテレザという。

女王が家に与えた爵位には男女の区別はない。従って、呼び方が女性形になるが、妻自身も伯爵である。同時に彼女は伯爵家の18代目の跡取りでもある。

つまり僕は、ヨーロッパの女伯爵を妻に持つ一介の日本人である。これが僕のカミングアウトだ。

こう書くと大変な女傑と暮しているように聞こえるかも知れないが、妻はいたって普通の大人しい女性である。若い頃はイタリア人らしくピーチクパーチク良くしゃべったが、最近は少し年を取ってきてカラスみたいにギャーギャーわめくこともある。

僕は最近まで、妻と妻の実家の事情を隠す努力をずっと続けてきた。


理由は、今でも大きな存在感を持つ彼女の実家に、僕が経済的に世話になっているのではないか、と人に勘ぐられるのがシャクだったからである。

僕は妻の実家とは良好な関係にあるが、彼女の実家からは一銭の援助も受けたことはない。自分の甲斐性で妻と二人の息子をきちんと養ってきた。しかし、伯爵家のことを知れば、人は必ず玉の輿ならぬ「逆玉の輿」などと陰口をたたくだろう。その方が話が面白い。僕がいくら弁解をしようとも、人の口に戸は立てられない。僕もヤジウマ根性盛んなテレビ屋の端くれだ。それぐらいの認識はある。

とは言うものの、僕はヨーロッパの歴史がいっぱいに詰まった伯爵家の有り様(よう)を、日本人にも知ってほしいと強く思ってもきた。家屋が博物館などになって過去の遺産として展示されている貴族の歴史などではなく、今でも実際に人が住まい、呼吸し、生き生きと活動している貴族館の様子を実体験として味わってもらう。

それはめったにできないことだし、面白くて少しはためにもなる貴重な体験だと僕はいつも信じていた。なぜなら、僕自身にとっての伯爵家とは、いつもそういうものであり続けていたから。

そこで自分の中で基準を設けて、それに当てはまる人だけを家に招待した。その基準とは「僕がギャクタマ男の、怠惰なヨタロー
的人物ではないことを知っている人々(笑)」というものだった。

その筆頭は家族や友人である。でも日本で普通に仕事をこなし、生活をしている彼らは、そう簡単にはイタリア旅行はできない。従って数は限られた。

次には仕事関係の友人知人。仕事上の付き合いだから、当然彼らは僕の仕事振りを知っているし信頼関係もある。その流れで、大きくお世話になったNHKとWOWOWのプロデュサーやスタッフを中心とする人々に落ち着いた。つまり僕にとってのいわば内輪の皆さんには、妻と伯爵家のことは実は周知のことではあったのである。

このブログを書き続けるなら、僕はどこかで伯爵家のことを話さなければならないと分かっていた。なぜなら、僕が伯爵家から金銭的な援助を受けていない事実を別にすれば、その家の存在は、イタリアに移住してからの僕と僕の家族の生活に深く関わりを持ち続けてきたし、これからも関わり続ける。僕と妻はロンドンで出会い、結婚して東京に移住し、そこからニューヨークに移り住んで、最後に妻の国ここイタリアにやって来たのである。

また、ブログに記す事柄の中には、伯爵家のことを話しておかなければ、恐らく意味が良く分からないような内容も出てくるに違いない。

僕は思い迷った末にこうしてカミングアウトすることにした。

そうすることで、もしかすると自慢だ、気取りだ、威張っているなどと誤解や曲解を受けることがあるかも知れない、とチラと考えないでもなかった。しかし、そういうことは何をどう書いても必ず起こることだから悩んでも仕方がない。あえて無視して僕は早いうちにこうして告白をしておこうと決めたのである。

僕は妻の出自を自慢したりする気は毛頭ないけれども、根が軽佻浮薄でアバウトでノーテンキな男だから、またできれば常にそうありたいと努力をしているつもりの人間だから、伯爵家の在り方や歴史などをひどく面白がる傾向がある。

カミングアウトをした以上は、そうしたことも今後できるだけ書いていくつもりだが、それを自慢や得意やおごりなどと捉えられても困る。

なぜなら、もしかすると、まさにそれが僕のねらいかもしれないではないか!





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