日本がドル換算名目GDPでドイツに抜かれて世界第4位になった。
そのことに胸が騒ぐ人々は、日独のGDPが逆転したのは異様なほどの円安のせいで、実態を反映しているのではない、などと強がる。それにも一理ある。
だが両国のGDPが反転したのは単に円安のせいではなく、日本経済の凋落傾向が加速しているから、と見たほうがいい。
実はドイツ経済も万全ではなく、むしろ日本同様に衰退トレンドに入っている。
欧州随一の化学メーカーBasfや家電のMieleが人員縮小を発表したことなどが象徴的だ。
つまり、どちらかと言えば落ちぶれつつある日本とドイツのうち、日本の落ちぶれ度合いが勝っているために起きたのが、日独のGDP逆転、というのが真実だろう。
為替相場で円が安いという弱みは、日本とドイツの人口差によって帳消しになってもおかしくない。
要するに経済力が拮抗しているなら、人口8千万余りのドイツは人口1億2千万の日本には適わない、というのが基本的な在り方だ。
だがそうはなっていないのだから、日本の零落の度合いがやはりドイツよりも大きいのである。
始まったものは必ず終わり、生まれたものは確実に死ぬ。盛者は例外なく落魄し、投げ上げた石は頂点に至ると疑いなく落下する。
隆盛を誇ってきた日独の経済もまた同じである。
高齢化社会の日本では、イノベーション力が鈍化し、ただでも低い生産性の劣化が進む、というのは周知の展望だ。
長い目で見れば、そのネガティブな未来を逆転させるのが多様性だ。
多様性は例えば男尊女卑文化を破壊し、年功序列メンタリティーを根底から覆し、外国人また移民を受け入れ登用する等々の、ドラスティックな社会変革によって獲得される。
ところが日本人は裏金工作でさえ集団でやらなければ気が済まない。赤信号皆なで渡れば怖くない主義に毒された、日本独特の反多様性社会は重篤だ。
大勢順応主義、画一性、閉鎖嗜好性などが、日本経済のひいては日本社会の癌である。
日本のGDPは為替頼みではなく、多様性に富む文化の構築によって将来幾らでも逆転が可能だ。
だがそんなことよりもさらに重要なことがある。
つまり日独は共に豊かな自由主義社会の一員であり、今後も極度の失敗をしない限り、この先何十年もあるいは何世紀にも渡って、勝ち組であり続けるであろう前途だ。
落ちぶれてもまだまだ世界の豊かな国の一つでいられるのが日独だ。
世界には、日独の足元程度の経済力と富裕を得たくても適わない国が多々ある。むしろそうした国々で成り立っているのが、今このときのグローバル世界だ。
上を見れば切りがない。だが下を見れば、必ず自らの巨大な幸運に気づくだろう。
今の経済の動向はむろん、われわれが資本主義社会の恩恵に与っている限り重要だ。
だがもっとさらに重要なことは、われわれが豊かな社会に住んでいるという厳然たる事実だ。
わが身のその多幸を思えば、今この時の名目GDBの順位に一喜一憂する必要はないのである。