【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

イタメシ・ワメシ

一石二鳥のニラツナ・パスタ

笊のニラ


日本にある一般的な野菜の中でイタリアにはないもののひとつがニラです。

筆者はニラが好きなので仕方なく自分で育てることにしました。

わが家はミラノ郊外のブドウ園に囲まれた田舎にあります。ですから菜園用の土地には事欠きません。

日本に帰った際にニラの種を買って戻って、指定された時期にそれを菜園にまきました。が、種は一切芽を出しませんでした。
 
イタリアは日本よりも寒い国だから、と時期をずらしたりして試してみましたが、やはり駄目でした。20年近くも前のことです。

いろいろ勉強してプランターで苗を育てるのはどうだろうかと気付きました。

次の帰国の際にニラ苗を持ち込んでプランターに植えました。今度はかなり育ちました。

かなりというのは日本ほど大きくは育たなかったからです。

成長すれば30~40センチはあるりっぱなニラの苗だったのですが、ここではせいぜい15~20センチ程度しかなく茎周りも細かったのです。

しかし、野菜炒めやニラ玉子を作るには何の支障もありませんので、頻繁に利用しています。

そればかりではありません。ニラはニンニク代わりにも使えます。特にパスタ料理には重宝します。

わが家ではツナ・スパゲティをよく作りますが、そこではニンニクを使わずニラをみじん切りにして加えます。ニンニクほどは匂わずしかもニンニクに近い風味が出ます。

またニンニクとオリーブ油で作る有名なスパゲティ「アーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノ」にもニラをみじん切りにして加えたりします。

すると味が高まるばかりではなく、ニラの緑色が具にからまって映えて、彩(いろど)りがとても良くなります。

見た目が美しいとさらに味が良くなるのは人間心理の常ですから、一石二鳥です。





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秘境のヤギ料理はチョー世界一の味がした

agora子ヤギ皿全体800pic
チヴィタ風カプレット(子ヤギ)煮込み


6月から7月初めにかけて滞在したカラブリア州では、いつものように地域グルメを満喫した。

今回の休暇でも、1日に少なくとも1回はレストランに出かけた。昼か夜のどちらかだが、初めの1週間はこれまた例によって1日に2度外食というのがほとんどだった。

だが時間が経つに連れて、美食また飽食に疲れて2度目を避けるようになったのも、再び「いつもの」成り行きだった。

海のリゾートなので食べ歩くレストランではまず魚介料理に目が行った。

海鮮のパスタは全く当たり外れがなく、全てが極上の味だった。

イタリアではそれが普通だ。パスタの味が悪いイタリアのレストランは「あり得ない」と断言してもいい。もしあるならそれはまともなレストランではない

イタリアにおけるレストランのレベルは、パスタを食べればすぐに分かる、というのが僕の持論である。

一方、魚そのものの料理の味わいは、いつも通りだと感じた。

つまり日本食以外の世界の魚料理の中では1、2を争う美味さだが、日本の魚料理には逆立ちしてもかなわない、という味である。

そんな訳で結局、魚介膳はパスタに集中することになった。

それに連れて、メインディッシュは肉料理が多くなった。

そこでもっとも印象に残ったのは、黒豚のロースト・秘伝ソース煮込みである。肉を切るのにナイフはいらず、フォークを押し当てるだけでやわらく崩れた。口に入れるととろりと舌にからんでたちまち溶けた。

芳醇な味わいと、甘い残り香がいつまでも口中に漂った。

黒豚皿全体800pic
黒豚のロースト秘伝タレ煮込み


肉料理に関してはさらに驚きの、全く予期しない出来事もあった。

なんと僕が追い求めているカプレット(子ヤギ肉)の煮込み料理に出会ったのだ。味も一級の上を行くほどの秀逸なレシピだった。

場所はカラブリア州コセンザ県の山中の町、チヴィタのレストランである。

チヴィタは15世紀頃にバルカン半島のアルバニアからイタリアに移り住んだ、「アルブレーシュ」と呼ばれる人々の集落である。アルブレーシュの集落がコセンツァ県には30箇所、カラブリア州全体では50箇所ほどあるとされる。

キリスト教のうちの正教徒であるアルブレーシュの人々は、彼らの故郷がイスラム教徒のオスマントルコに侵略されたことを嫌って、イタリア半島に移住した。

チヴィタは広大なポッリーノ国立自然公園内にある。よく知られた町でアルバニア系住民を語るときにはひんぱんに引き合いに出される。

アルブレーシュの人々は、むろん今はイタリア人である。彼らは差別を受けるのでもなければ、嫌われたりしているわけでもない。

イタリア人は、日本人を含む世界中の全ての国民同様に混血で成り立っている。

そのことをよく知り且つ多様性を誰よりも愛するイタリア人は、自らのルーツを忘れずに生き続けるアルブレーシュの人々を尊重し親しんでいる。

僕はそうした知識を持って滞在地から30キロほど離れた山中にあるチヴィタを訪ねた。

そこでチヴィタ独特のカプレット(子ヤギ)料理があると聞かされたのである。

それまでは「アルブレーシュ」の人々が、ヤギや羊肉料理に長けているとは思ってもみなかった。

僕はイタリアを含む地中海域の国々を訪ねる際には、いつもカプレットや子羊を含むヤギ&羊肉料理を食べ歩く。むろん他の料理も食べるが、ヤギや羊肉は地中海域独特の膳なので集中して探求するようになった。

初めは珍味どころか、ゲテモノの類いにさえ見えていたヤギ&羊肉膳は、最近ではすっかり僕の大好きな料理になっている。

以前はそれを見るさえいやだ、と怒っていた妻も、今では僕と同じか、あるいはさらに上を行くかもしれないほどのヤギ&羊肉料理愛好家になってしまった。

カラブリア州でも「ヤギ&羊肉を食べるぞ」計画を立てて乗り込んだが、海際のリゾート地にはそれらしい料理は見当たらなかった。

山中のチヴィタで初めて、思いがけなく出会ったのだ。

チヴィタで食べたカプレットの煮込みは、これまでに食べたヤギ&羊肉料理のなかでもトップクラスの味がした。

食べながら少し不思議な気がした。

ヤギや羊肉を好んで食べるのは、イスラム教徒を主体にする中東系の人々である。宗教上の理由で豚肉を避ける彼らは、自然にヤギや羊肉の調理法を発達させた。

アルバレーシュはキリスト教徒である。従ってイスラム教徒やユダヤ教徒、また中近東系のほとんどの人々のようにヤギや羊を好んでは食べない、と僕は無意識のうちに思い込んでいた。

だが思い返してみると実際には、地中海域のキリスト教徒もヤギや羊をよく食する。イスラム教徒の影響もあるだろうが、ヤギや羊は地中海地方のありふれた家畜だから、彼らも自然に食べるようになった、というのが歴史の真実だろう。

チヴィタでよく知られたレストランは、どこでもカプレット料理を提供していた。他のアルブレーシュの町や村でも同じだという。

アルブレーシュ風のヤギ・羊肉膳は、ソースやタレで和えた煮込みと焼き料理が主だが、肉を様々にアレンジしてパスタの具にする場合もある。

チヴィタでは日にちを変えて3件のレストランを訪ね、それぞれが工夫を凝らしたカプレット料理を堪能した。

また、滞在地から遠くない内陸の村にもアルブレーシュの女性が経営するレストランがあり、カプレット料理を出すことが分かった。チヴィタのレストランで得た情報である。

早速訪ねてカプレットの煮込みを食べてみた。そこの味も出色だった。

場所が近いのでもう一度訪ねて、今度はカプレットの炭火焼きに挑戦しようと思ったが、時間が足りずに叶わなかった。

そのレストランもチヴィタの店も、もう一度訪ねたい気持ちは山々だが、旅をしたい場所や国は多く、人生は短い。

果たして再び行き合えるかどうかは神のみぞ知るである。





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手のかからない野菜の王様

ラデッシュ味噌漬けヒキ650
             ラディッシュの味噌漬け

菜園をたがやしてわかったことはたくさんあるが、作りやすい野菜と育てるのが難しい野菜がある、ということもそのひとつである。

そんなことはあたり前だと思っていたが、じつはそれはどこかで読んだり聞いたりしたことで、自分で本当に野菜の種の選択や芽の成長過程などにかかわってみないかぎり、具体的にはわからないものだと気づいた。

作りやすい野菜とは、僕の場合はおよそ次のようなことである。

種が早く、そして多く芽ぶく(つまりムダな種が少ない)。

萌えた芽の成長が早い。

水遣りや肥料がいらないか、最小限で済む。

病気になりにくい。

日照りや風や寒さに強い。など、など。

また地域によって異なる土質に適応しやすい。

土地の気候に順応しやすい。

などの人の力では変えられない条件に適合することも重要だろうが、そうした点はあまり気にかけなくてもいいようだ。

それというのも市販されている種子や苗は、種苗メーカーが長い間の経験で取捨していて、たとえば起源が南国の野菜でも寒い北イタリアで十分に育つ、など品種改良がなされている。

逆に作りにくい野菜とは、上記とは逆の性質を持つもののことである。

10年あまりにわたって野菜を作った中で、僕がもっとも作りやすいと思うのは、なんといってもラディッシュと春菊である。

どちらも種をまき散らしておけば確実に芽ぶき、成長も早い。水遣りも少なくて済む。また追肥もいらない。

ラディッシュは欧州で盛んに栽培される。

春菊はここにはないので日本から種を持ち込む。

ラディッシュはサラダで食べるのが主流だが、煮たり焼いたり漬物にしたりもできる。

僕はほぼ大根と同じとらえ方で扱い調理する。

冒頭の写真は収穫したばかりのラデッシュを葉とともに味噌をまぶして半日ほど漬け込んだもの。

イタリア人の友人らにも好評な一皿だ。

一方春菊は、自分で作ってはじめて生食できることを知った。新芽あるいは若芽を刈ってサラダにするのだ。

みずみずしく香りもまろやか。きわめて美味だ。

かつては僕にとって春菊とは、においのきつい、鍋に入れることが多い、個性の強烈な野菜のことだった。

が、菜園で栽培して初めて、新芽がにおいも味もたおやかで上品な野菜だと知った。

春菊の新芽のサラダを食べるのは、菜園をたがやす者の特権だとひとり合点しているが、実際はどうなのだろうか。

ラディッシュも春菊も、春浅い時期に種をまいてもよく芽ぶく。成長があきれるほどに早く、数週間から遅くても1ヵ月ほどで食べごろになる。

ラディッシュは一度収穫したらそれで終わりだが、春菊は切り取った茎からまた芽が出てくるので何度も収穫できる。

新芽を食べつづければ夏の間ずっと楽しめる。

春菊はサラダ以外に、野菜炒めに加えたり、豆腐と煮たり、白和えにしたりもする。

だがここイタリアで食べるかぎり、他のサラダ菜とまじえる生食がほとんどである。

その場合はわが家の鉄則で、オリーブ油と醤油だけで和える。




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コロナがいてもトマトソースは作らねば



弾けるソース横拡大歪み750


今年はトマトが不作だった。新型コロナのせいである。もっと正確に言えば、新型コロナの脅威に心が折れて、菜園から足が遠のき種まきや苗の植え付けが少し時期外れになった。

その後の世話も後回しになり、遅れ、見逃し、忘れがちになった。一時は世界最悪だったイタリアのコロナ禍は、それほどに凄まじかった。

加えて菜園の土の地味が弱いのも不作の一因になっているようだ。野菜作りは土作りである。地味が良くなかったり土が瘠せていては作物は大きく育たない。

トマト以外の、例えばフダン草やナスや春野菜の出来も良くなかった。堆肥の投入が必要なようだ。菜園は完全な有機栽培である。

不作ながら8月と9月の2回、トマトソース作りをした。8月には500ml 9本+250ml 1本、9月には500ml 7本、計いわば16,5本。8リットル余のトマトソースを作った。大分少ない。

家族や友人に分けると自家消費分はほとんど残らないだろう。しかし、皆楽しみにしているので、分けないわけにはいかない。

トマトソース作りは:

1先ずトマトのヘタ周りに包丁を入れて芯をえぐり取る。

2反対側にやはり包丁で十文字(✕印でも何でもいい)の切り込みを入れる(そうしておくとトマトを茹でたとき皮がつるりと剥ける)。

3トマトを沸騰した湯に浸し、取り出して冷水に投げ込み冷やす。

4皮を剥き、適当な大きさに切るなりして身を絞り出す。皮は捨てる。芯と同様に硬くてソースには向かないから。

5絞り出した身を沸騰させて煮ながら水分を飛ばす。どろりとした感じなった時点で火を止め、そのまま冷ます(一晩なり)。

6保存用の容器(瓶など)に移し(分け)入れ、ソースを覆うようにオリーブ油を少し加える。きっちりと蓋をする。

7.全ての瓶が出来上がったら、瓶の全体が水に浸かる深さの鍋に入れ、冷水から沸騰させる(煮沸していく)。

8沸騰したらそのまま5分ほど置き、火を消す。

9鍋の中で冷ます(一晩なり)。湯が完全に冷めたら一本一本取り出す。出来上がり。

ソースには塩やハーブを加えても良い。僕は一切何も入れない。後で調理をするときに好きなだけ追加すればいい、と考えるから。

ソースはきっちりと手順を踏んで作れば常温でも1年は保つ。冷蔵保存すればもっと長持ちする。僕の場合は冷蔵保存で3年、という記録があるが科学的、専門的に見たときにどうなのかは分からないのでおすすめはできない。

そのときのソースは3年目で食べつくしたが、もしかするとそれ以上長持ちするケースもあるかも、というふうにも思う。



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パスタをフォークとスプーンで食う不穏

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ここのところスパゲティやパスタに言及する機会が多かった。そこでついでにもう一点その周辺にこだわって記しておくことにした。

僕はこの直近のエントリーで、スパゲッティの食べ方にいちいちこだわるなんてつまらない。自由に、食べたいように食べればいい。食事マナーに国境はない、と書いた。

だが、しかし、右手にフオォーク、左手にスプーン姿でスパゲティを食べるのはアメリカ式無粋だからやめた方がいい、という意見があることは指摘しておきたい。

フォークにからめたスパゲティをさらにスプーンで受けるのは、湯呑みの下にコースターとか紅茶受け皿のソーサーなどを敷いて、それをさらに両手で支えてお茶を飲む、というぐらいに滑稽な所作だ。

田舎者のアメリカ人が、スパゲティにフォークを差し立ててうまく巻き上げる仕草ができず、かと言って日本人がそばを食べるようにすすり上げることもできず、苦しまぎれに発明した食べ方。

それを「上品な身のこなし」と勘違いした世界中の権兵衛が、真似をし主張して広まったものである。本来の簡素で大らかで、それゆえ品もある食べ方とは違う。

上品のつもりで慎重になりすぎると物事は逆に下卑ることがあり、逆に素直に且つシンプルに振舞うのが粋、ということもある。スパゲティにフォークを軽く挿(お)し立てて、巻き上げて口に運ぶ身のこなしが後者の典型だ。

というのは、2年前に亡くなった義母ロゼッタ・Pの受け売りである。義母は北イタリアの資産家の娘として生まれ、同地の貴族家に嫁した。

義母は物腰の全てが閑雅な人だった。義母に言わせると、イタリアで爆発的に人気の出たスイーツ「ティラミス」も俗悪な食べ物だった。

「ティラミス」はイタリア語で「Tira mi su! 」である。直訳すると「私を引き上げて!」。それはつまり、私をハイにして、というふうな蓮っ葉な意味合いにもなる。

義母にとってはこの命名が下品の極みだった。そのため彼女はスイーツを食べることはおろか、その名を口にすることさえ忌み嫌った。

僕は義母のそういう感覚が好きだった。彼女は着る物や持ち物や家の装飾や道具などにも高雅なセンスを持っていた。そんな義母がけなす「ティラミス」は、真にわい雑に見えた。

また、フォークですくったパスタをさらにスプーンで受けて食べる所作は、義母が指摘したアメリカ的かどうかはともかく、大げさに言えば、法外で鈍重でしかも気取っているのが野暮ったい。

その野暮ったさを洗練と履き違えている心情は2重に冴えない、というあまのじゃくな主張は、未だ人間のできていない僕の、大気ならぬ小気な品性による感慨である。

あまのじゃくで軽薄な僕の目には同時に、フォークにスプーンを加えて二刀流でスパゲティに挑む人々の姿は、宮本武蔵をも彷彿とさせて愉快、とも映る。

発見や発明は多くの場合、保守派の目にはうっとうしく見え、新し物好きな人々の目には斬新・愉快に見える。

そして僕は、新し物好きだが保守的な傾向もなくはない、中途半端な男である。



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一石二鳥



【“ピアッツァの声”から転載】


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日本にある一般的な野菜の中でイタリアにはないもののひとつがニラです。筆者はニラが好きなので仕方なく自分で育てることにしました。

わが家はミラノ郊外のブドウ園に囲まれた田舎にあります。ですから菜園用の土地には事欠きません。

日本に帰った際にニラの種を買って戻って、指定された時期にそれを菜園にまきました。が、種は一切芽を出しませんでした。
 
イタリアは日本よりも寒い国だから、と時期をずらしたりして試してみましたが、やはり駄目でした。20年近くも前のことです。

いろいろ勉強してプランターで苗を育てるのはどうだろうかと気付きました。
次の帰国の際にニラ苗を持ち込んでプランターに植えました。今度はかなり育ちました。かなりというのは日本ほど大きくは育たなかったからです。

成長すれば30~40センチはあるりっぱなニラの苗だったのですが、ここではせいぜい15~20センチ程度しかなく茎周りも細かったのです。

しかし、野菜炒めやニラ玉子を作るには何の支障もありませんので、頻繁に利用しています。

そればかりではありません。ニラはニンニク代わりにも使えます。特にパスタ料理には重宝します。

わが家ではツナ・スパゲティをよく作りますが、そこではニンニクを使わずニラをみじん切りにして加えます。ニンニクほどは匂わずしかもニンニクに近い風味が出ます。

またニンニクとオリーブ油で作る有名なスパゲティ「アーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノ」にもニラをみじん切りにして加えたりします。

すると味が高まるばかりではなく、ニラの緑色が具にからまって映えて、彩(いろど)りがとても良くなります。
 
見た目が美しいとさらに味が良くなるのは人間心理の常ですから、一石二鳥です。



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ピアッツァの声



“パスタ”という「言の葉」



【“ピアッツァの声”から転載】pasta-with-vegetables



以前、日本のオヤジ世代にはスパゲティをパスタと言うと怒る者がいると聞いて、新聞雑誌などにそのことに対する筆者の意見を書いたことがあります。

あれから少し時間が経ち、もはやパスタという語は日本人の誰にも違和感なく受け入れられているのではないか、と思ってきました。

ところが、今日でもやはりその言葉に― 反発とまではいかなくとも ― しっくりこないものを覚える中高年の男たちが存在すると知りました。

それらの人々はきっとパスタという言葉に、気取りや若者言葉のような軽さを感じてむかつくのだろうと思います。

筆者もれっきとしたオヤジで、しかも言葉が気になる類の人間ですから、日本に住んでいたなら「パスタ」という新語(?)には彼らのように反感を抱いていたかもしれません。

ところがイタリアに住んでいるおかげで、日本における「パスタ」という言葉の普及には腹を立てるどころか、少し大げさに言えば、むしろ快哉を叫んでさえいます。 

「パスタ」とは、たとえて言えば「ごはん」というような言葉です。麺類をまとめて言い表す単語。スパゲティを気取って言っている表現ではありません。

スパゲティは多彩なパスタ(麺)料理のうちの一つです。つまり、焼き飯、かま飯、炊き込みご飯、雑炊、赤飯、茶漬け、おにぎりなどなど・・、無数にある「ごはん」料理の一つと同じようなものなのです。
 
焼き飯や雑炊を「ごはん」とは言いませんが、イタリアには個別のパスタ料理を一様に「パスタ」と呼ぶ習慣もあります。スパゲティも日常生活の中では、単にパスタと呼ばれる割合の方が高いように思います。

従ってスパゲティを「パスタ」と呼ぶのは正しい。

筆者はここで言葉のうんちくを傾けて得意になろうとしているのではもちろんありません。

おいしくて楽しくて種類が豊富なイタリア料理の王様「パスタ」を、スパゲティだけに限定しないで、多彩に、かろやかに、おおいに味わってほしいという願いを込めて、日本中の傷つきやすいわがオヤジ仲間の皆さんに、エールを送ろうと思うのです。



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ピアッツァの声





3密空間で食べるイタメシの味


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イタリアの経済は新型コロナウイルスによって破壊された。いうまでもなくそれは欧州のほとんどの国を含む世界中が同じ状況だが、欧州財務危機以来の不況と借金苦に悩まされているイタリアの現実はより深刻だ。

ジュゼッペ・コンテ首相が5月4日からのロックダウンの段階的緩和を発表したとき、営業開始が遅れるレストランなどの飲食業者と美容師組合などは早速大きな抗議の声を上げた。

それに呼応するように、南イタリア・カラブリア州のヨーレ・サンテッリ( Jole Santelli )知事は、レストランほかの飲食店の営業を政府が指定する6月1日からではなく、解除初日の5月4日から許可すると宣言して物議をかもした。

ベニスではレストランオーナーや美容師らが街の中心のサンマルコ広場に集合して、6月1日を待たずに営業を許可しろと抗議デモを行った。世界に名高い観光都市ベニスを象徴する美しい広場での怒りの集会は、主催者の思惑通りメディアの注目を集めた。

5月4日の第一段階の規制緩和では、約450万人が働く製造業と建設業の営業が許可され、5月18日からは飲食業と美容業以外のほとんど全ての業種の営業が始まる、とされた。しかし営業許可が遅れる業種からは強い不満が沸き起こったのである。

感染拡大への恐れと、経済のさらなる破壊を懸念する声が激突して、イタリアは騒然とした。多様性を何よりも重んじ、自己主張の噴出を当然のこととして受容するイタリア社会の、いつも通りのにぎやかな光景である。

業種ごとに営業許可の日にちが違うのは不公平という反論と、経済の全面的な再始動を要求する財界からの強い圧力にさらされたイタリア政府は、ついにレストランや美容室を含む全ての業種の営業を5月18日付けで許可すると発表した。

それを受けてイタリア高等保健研究所(ISS)と全国労働災害保険機構(INAIL)は、レストランなどの飲食店とビーチ施設等の営業条件を発表した。その内容は:

1.客はレストランへの出入りの際にはマスク着用を義務付けられ、トイレに行くときなど席を離れる際にもにも必ずそれを着ける。

2.テーブルはウエイターの動きも勘案して、4メートル四方内に1セットだけ置くこと。飲食費の精算は人と人の接触を避けるためにWebなどによる電子決算が推奨される。

3.メニューは伝統的なものではなく人が直接に手で触れないものにする。たとえば黒板表記にする。あるいは使い捨ての紙などに書く。またWEBやアプリで見る形などにする。

3.店の必要な場所、たとえばバスルームの出入り口などにはたえず消毒薬を用意しなければならない。客はその使用を義務付けられる。

4.また入店を待って客が集まったり、待合室で人が密集したりすることを避けるために、予約制で営業すること。同じ理由でビュッフェも禁止とする。

など、など。

それらの設備やルールの多くは店側に課せられるものである。だが客にとってもひどく窮屈な内容だ。むろん必要不可欠の措置だろうが、いかにも重苦しい。

個人的には、食べている時間以外は店の中でもマスク着用が義務付けられる環境は、密閉空間にウイルスがふわふわ浮かんでいるような印象。そんなところで、わざわざ金を払って食事をする気には残念ながらなれない。

しかしレストランでぺちゃくちゃしゃべりながら食べたり、ビーチで家族や友人としゃべり遊んだり、いつでもどこでも寄り集まってしゃべりふざけるのが大好きなイタリア人にとっては、ウイルスがいようがいなかろうが、レストランに行けること自体がきっと既に至福なのである。



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またもや世界一美味いヤギ料理に出会った



サフラン煮込みヤギ肉800
ヤギ成獣肉のサフラン煮込み


2019年6月、イタリア・サルデーニャ島でバカンスを過ごした。前年と合わせて2年連続での同島への休暇旅になった。自然が豊かなサルデーニャ島では、名所旧跡巡りよりもビーチで過ごす時間や食ベ歩きが主な楽しみになる。

サルデーニャ島の、いわばソウルフードともいうべき深みのある郷土食また伝統食は、肉料理である。島でありながら魚料理よりも肉料理が充実したのは、外敵の侵略にさらされ続けた島人が、内陸部に逃げ込んで定住した歴史があるからだ。

島の肉料理の素材は、豚・牛・鶏・羊・山羊・馬・猪・鹿・驢馬等々である。驢馬を別にすればそれらの食材は欧州ではありふれたものだ。また驢馬肉はサルデーニャ島でも珍しい部類の食品。ひんぱんには見られない。

サルデーニャ島の有名肉料理にポルケッタ(島語ではporceddu=ポルチェッドゥ)がある。子豚の丸焼きである。乳飲み子豚が最高級品とされる。また牛、豚、羊、ヤギなどは肉以外の内臓や器官もよく食べられる。ポルケッタを別にすれば、僕は島のヤギ及び羊料理が好きである。

牧羊が盛んな島なのでヤギ肉や羊肉(以下=ヤギ・羊肉)も良く食べられているが、豚や牛や鶏肉などに比較すると目立たない。通常食材の豚・牛・鶏肉が多く食べられるのは、島が「イタリア本土化」し、経済的に豊かになったからである。かつては ヤギ・羊肉 は島の食文化の中心にあった。

島の「イタリア本土化」つまり島の近代化は、魚介料理の発達ももたらした。魚料理は昔からもちろん島にはあった。だが現在の豊富な魚介膳は、イタリア本土の金持ちバカンス客らによって導入された側面が大きい。そしてリゾート地としての同島の中心食は、今や海鮮料理である。

四方が海の島だけにサルデーニャの海産物は新鮮だ。新鮮であれば魚介は何でも既に美味い。刺身が美味なのがその証拠だ。そこにさらに、本土由来の豊穣なイタリア料理のレシピが導入されたのだから、島の魚介膳が飛躍的に発展したのもうなずける。

特に魚介を使ったパスタは今では、イタリア全国でも屈指の美味さを誇るほどになった。僕は島ではいつものように肉料理、中でもヤギ・羊肉料理を探し求めたが、同時に魚料理も積極的に食べた。ただ魚料理といってもメインコースではなく、魚介パスタのファーストコースが主だった。

今回旅ではアサリとボッタルガ(カラスミの一種)をはじめとする、ミックス魚介のパスタに見るべきものが多くあった。秀逸な具材の組み合わせと味付けは、舌の肥えたバカンス客を相手にすることが多い、サルデーニャ島のレストランならではの品々だと痛感した。

だが実は僕は昨年、ほぼ同じ作りのパスタで最悪の味の一皿にまさにそのサルデーニャ島で出会っている。その店の顧客は多くが北欧や旧共産主義圏のバルカン半島からの観光客だった。彼らは食物の味におおらかでイタメシなら何でも美味い、と思い込んでいるとも評価される。

それが理由の一つなのかどうか、その店のアサリとボッタルガのスパゲティは両方とも水っぽく、具材の良さが完全に失われた粗悪な一品だった。パスタの本場のイタリアでは麺料理はほぼ常に美味い。それだけに店の不手際は少し異様にさえ見えた。

今回の旅の初めでは魚介の美味い店は多かったが、肉料理には見るべきものがなかった。それでも情報を集めてポルケッタが美味いと評判のアグリツーリズモにたどり着いた。しかし店構えは良かったものの、そこの料理の味は昨年食べたポルケッタのそれには遠く及ばなかった。

やはり昨年、島の北部のレストランで堪能した、サルデーニャ本来の少し風変わりだが濃厚な味の肉料理を探すことは諦めて、それ以後はイタリア本土が起源の、だが島独自の要素もふんだんに盛り込んだ、海鮮料理に的をしぼって食べ歩くことにした。


アサリ&ボッタルガ
アサリ&ボッタルガのスパゲティ

前述のようにハズレがほとんどない美味い店の連続だった。その中でも海辺のレストランで食べた、上の写真のアサリ&ボッタルガのスパゲティが超一級品だった。昨年、似たような立地のビーチレストランで食べたパスタとは、似ても似つかない素晴らしい味だったのである。

僕はバカンスでは「何もしないことが休暇」というモットーで、連日ビーチでのんびり過ごすが、食事や観光や史跡また名所巡りなどにも、「何もしない」のと同じくらいの情熱で車を駆ってどんどん出掛ける。今回は滞在先に近い島の中心都市カリャリにも足を伸ばした。

カリャリでは昨年のサルデーニャ肉料理店と良く似た体験をした。想定外のおどろきのヤギ肉料理に出会ったのである。成獣のヤギ肉をサフランで煮込んだ一皿で、去年の一大発見である「羊の成獣の骨付き焼肉」に勝るとも劣らない風味を閉じ込めた絶品だった。

冒頭の写真がそれだ。見た目は、例えば沖縄のヤギ汁から汁だけを取り除いたような一皿だが、味わいはヤギ汁とは雲泥の差のある極上、且つ上品なものだった。上質なヤギ・羊肉料理の常で、独特の豊かな風味は残しながら、それらの肉の最大の欠点である異臭がきれいさっぱり消し去られていた。

ヤギや羊の成獣の肉には、独特の臭気という深刻な障害がある。そこで出色の店は、ハーブや香辛料やワインや酢やリキュール等々を駆使して肉をさばいて臭みを消す。その店ではサフランに加えて、おそらくワインも併用して見事に消臭を成し遂げていた。

またヤギ&羊の成獣肉には肉質が硬いという難点もある。成功した調理法では、異臭を消すと同時に、肉も柔らかく且つ上品な歯ごたえに改良されているケースがほとんどだ。僕が知る限りでは舌触りも必ずまろやかになっている。むろんその店の仕上がりも同様だった。

店は丘の上に広がるカリャリの旧市街、カステッロ地区にある。地区の入り口付近にあるエレファンテの塔(Torre dell'Elefante)を通過し左に歩いてすぐの場所だ。 海と市街を見渡す路上にテーブルを並べた同店は、昨年の島の北部のレストランと同じサルデーニャ伝統の肉料理専門店。

全くの偶然で見つけた。昨年のレストランよりもより豪快で素朴な肉料理に徹していた。だが海鮮料理店がひしめいているカリャリで、島伝来の肉料理にこだわるところは、海際の街にありながらやはり島伝統の肉料理に集中していた、昨年の店と心意気は同じだと思った。

ヤギ肉のサフラン煮込みとは正反対のサプライズもあった。子羊の骨付き肉のローストを頼んだところ、肉がタイヤのように硬くて、ナイフで切り分けるのも一苦労、という信じがたい代物が出てきたのである。ようやく切り分けて口に含むとやはり異様に硬い。

味は、ま、普通の味だが肉質の硬さが料理を完全にぶち壊しにしていた。成獣肉のサフラン煮込みという見事なレシピを編み出したシェフが、なぜこんなにも粗悪な料理を提供するのか、と僕は不審になった。よほどクレームを入れようかと思ったが、やめた。

子羊肉はサルデーニャでは秋から春が旬の食材、という話を思い出したからだ。牧羊が盛んなサルデーニャ島では、子羊料理が一年中食べられると思い込んでいた僕は、再び昨年、子羊料理は季節限定の品だとレストランで告げられてひどくおどろいた経験がある。

冷凍技術が発達した現在では、子羊肉はイタリアでは一年中出回っている。ましてや牧羊が活発なサルデーニャ島なのだからいつでもどこでも食べられると思ったのだ。だが牧羊が盛んで羊肉を良く知っているからこそ、サルデーニャの人々は新鮮な子羊肉にこだわるということらしい。

間違った季節に子羊料理を注文した自分が悪い、と僕は思い直した。ヤギ成獣肉のサフラン煮込みのあまりの美味さが、子羊料理のガッカリ感を吹き飛ばしていたこともある。また最高と最悪の味が同居している島の食環境は面白い、という思いもあった。

昨年は最悪の味のアサリとボッタルガのスパゲティを食べた。今年は一転して、妙妙たる口当たりのアサリ&ボッタルガのパスタに出会った。そして今、超ド級の味覚のヤギ成獣肉を頬張りつつ、木切れのように味気ない子羊肉も咀嚼している。実に面白い、とひとり密かにつぶやいた。

そうやって僕のヤギ・羊肉料理体験記には、また一つ「世界一」と格付けしたくなる極上レシピがリストに加えられた。そのリストは実は、子ヤギ・子羊料理のランク付けとして始まったものだが、いつの間にかヤギ・羊の「成獣肉」料理の一覧になりつつある。

ヤギ・羊の成獣肉は、子ヤギ・子羊の肉よりもはるかに臭気が強く肉質も硬い。従って料理の切り盛りも幼獣肉のそれよりずっと難しい。良く言えば珍味、もっと良く言えばゲテモノ(!)のヤギ・羊の成獣肉を、目覚ましい食材に変貌させるシェフたちの意気と技量に、僕ははなはだ感じ入ることが多くなった。


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また犯した「子ヤギ食らい」という自罪

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4月21日はイタリアのパスクアだった。イギリスではイースター。日本語では復活祭。イエス・キリストの復活を寿ぐキリスト教最大のイベント。ハイライトは祭り当日に供される子ヤギまたは子羊料理。

不信心者の僕にとっては、パスクアは神様の日というよりも、ほぼ一年に一度だけ食べる子ヤギ料理の日。イタリアでは子羊料理は一年中食べられるが、子ヤギのそれはきわめて難しい。

ことしは初めてレストランで子ヤギ料理を食べた。去年までは家族一同が自宅で、または親戚や友人宅に招かれて食べるのが習いだった。

実はことしも親戚に招かれていたが、子ヤギも子羊も供されない普通の肉料理の食事会、と知って遠慮した。年に一度くらいは特別料理を食べたい。

復活祭前夜の一昨日、友人からも子ヤギ料理への誘いがあった。しかし、レストランを予約してしまっているという不都合もあったので、そちらもやはり遠慮した。

結論をいえば、レストランでの食事は大成功だった。12時半から4時間にも渡った盛りだくさんの料理のメインコースは、もちろん子ヤギのオーブン焼きである。

それは成獣肉を含むこれまでに食べたヤギおよび羊肉料理の中でも第一級の味だった。来年も同じ店で食べてもいいとさえ思っている。

イタリアのレストランでは子羊料理は一年中提供される。だが子ヤギ料理は復活祭が過ぎるとほぼ完全に姿を消す。理由はよく分からない。単純に子ヤギの絶対量が子羊に比べて少ないからではないかと思う。
 
この国を旅すると、羊飼いと牧羊犬に連れられた羊の大群によく出会う。牧草地ばかりではなく、時には田舎町の道路を羊の群れが渡っているのに出くわしたりもする。

羊は数が多い。羊には羊毛の需要もあるから数が多くなるのだろう。それに比べてヤギの姿はめったに見かけない。探せば見つかるが、羊のように頻繁に目にすることはない。

ヤギは山羊、つまり「山の羊」と呼ばれるくらいだから、飼育や繁殖がむつかしくて数が少ないということもあるのかもしれない。

復活祭になぜ子羊や子ヤギ料理を食べるのかというと、由来はキリスト教の前身ともいえるユダヤ教にある。古代、ユダヤ教では神に捧げる生贄として子羊が差し出された。

子羊は犠牲と同義語である。イエス・キリストは人間の罪を贖(あがな)って磔(はりつけ)にされて死んだ。つまり犠牲になったのである。

そこで犠牲になったもの同士の子羊とイエス・キリストが結びつけられて、イエス・キリストは贖罪のために神に捧げられる子ヒツジ、すなわち「神の子羊」とみなされるようになった。そこから復活祭に子羊を食べてイエス・キリストに感謝をする習慣ができた。

復活祭に子羊を食べるのは、そのようにユダヤ教の影響であると同時に、「人類のために犠牲になった子羊」であるイエス・キリストを食する、という意味がある。

救世主イエスを食べる、という感覚はなかなか理解できないという日本人も多い。だがよく考えてみれば、実はそれはわれわれ日本人が神仏に捧げたご馳走や酒を後でいただく、という行為と同じことである。

神棚や仏壇に供された飲食物は、先ず神様や仏様が食べてお腹の中に入ったものである。その後でわれわれ人間は供物を押し頂いて食べる。それはつまり神仏を食するということでもある。

われわれは供物とともに神様や仏様を食べて、神仏と一体化して煩悩にまみれた自身の存在を浄化しようと願う。キリスト教でもそれは同じ。そんなありがたい食べ物が子羊料理なのである。

僕は冒頭でことわったように不信心者なので、神や霊魂や仏や神々と交信するありがたさは理解できない。ただ、おいしいものを食べる幸せを何ものかに感謝したい、とは常々思う。

イタリアでは復活祭の期間中に、通常400万頭内外の子羊や子ヤギが食肉処理されてきたとされる。それ以外の期間にも80万頭が消費されてきた。

しかし、その数字は年々減ってきて、ここ数年は200万頭前後に減少したという統計もある。不景気のあおりで人々の財布のヒモが堅いのが理由だ。子ヤギや子羊の肉は、豚肉や牛肉などのありふれた食材に比べて値段が張るのだ。

一方で消費の落ち込みは主に、動物愛護家や菜食主義者たちの反対運動が功を奏しているという見方もある。最近はいたいけな子ヤギや子羊を食肉処理して食らうことへの批判も少なくないのである。

2017年にはあのベルルスコーニ元首相が「復活祭に子羊を食べるのはやめよう」というキャンペーンを張って、食肉業者らの怒りを買った。

ベジタリアンに転向したという元首相は、彼の内閣で観光大臣を務めたブランビッラ女史と組んで、動物愛護を呼びかけるようになった。アニマリストから拍手喝采が起こる一方で、ビジネス界からは反発が出た。

僕は正直に言ってその胡散臭さに苦笑する。突然ベジタリアンになったり動物愛護家に変身する元首相も驚きだが、子羊だけに狙いを定めた喧伝が不思議なのである。食肉処理される他の家畜はどうでもいいのだろうか。

動物の食肉処理の現場は凄惨なものである。僕は以前、英国で豚の食肉処理場のドキュメンタリー制作に関わった経験がある。屠殺される全ての動物は、次に記す豚たちと同じ運命にさらされる。

彼らは1頭1頭がまず電気で気絶させられ、失神している20秒~40秒の間に逆さまに吊り上げられて喉を掻き切られる。続いて血液を抜かれ、皮を剥がれ、解体されて、またたく間に「食肉」になっていく。

その工程は全て流れ作業だ。すさまじい光景だが、工程が余りにも単純化され操作がスムースに運ばれるので、ほとんど現実感がない。肉屋やスーパーに並べられている食肉は全てそうやって生産されたものだ。

菜食主義者や動物愛護家の皆さんが、動物を殺すな、肉を食べるな、と声を上げるのは尊いことだと思う。それにはわれわれ自身の残虐性をあらためて気づかせてくれる効果がある。

だが、人間が生きるとは「殺すこと」にほかならない。なぜなら人は人間以外の多くの生物を殺して食べ、そのおかげで生きている。肉や魚を食べない菜食主義者でさえ、植物という生物を殺して食べて生命を保っている。

人間が他の生き物の命を糧に、自らの命をつなぐ生き方は誰にもどうしようもないことだ。それが人間の定めだ。他の生命を殺して食べるのは、人間の業であり、業こそが人間存在の真実だ。

大切なことはその真実を真っ向から見据えることだ。子羊や子ヤギを始めとする小動物を慈しむ心と、それを食肉処理して食らう性癖の間には何らの矛盾もない。

それを食らうも人間の正直であり、食わないと決意するのもまた人間の正直である。僕はイタリアにいる限りは、復活祭に提供される子ヤギあるいは子羊料理を食べる、と心に決めている。



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サルデーニャ食紀行~進化目覚ましい海鮮料理



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麺もソースも進化し続ける海鮮パスタ~スコーリオ&ボッタルガ~


サルデーニャ島の料理の主流、あるいは正当な伝統料理の食材は肉である。ところがいま現在のサルデーニャ島には魚料理があふれていて、それは食の国イタリアのどの地域の海鮮料理にも全くひけをとらない味を誇っている。

島の魚料理はリゾート地として目覚ましく発展している沿岸地帯を中心に生長してきた。ミラノをはじめとする北イタリアの金持ちたちが、彼らの専属シェフとともに魚料理のレシピを持ちこんで流行らせたり、古くからある沿岸地帯の数少ない魚料理を改良(ある種の人々にとっては改悪)していったのだ。

専属シェフを抱えるほどの経済的余裕や食への情熱をそれほどは持たない者は、島のレストランや招待先で彼らの知る「イタリア本土料理」の要諦を講釈し、そこへ向けて島料理が変化するように要求した。そうやってサルデーニャの「島風魚料理」は、徐々に「イタリア本土風の味」に変ることを余儀なくされた。

言葉を変えれば、島の魚介膳は世界の誰もが知る「普通の」イタメシへと変貌していったのだ。イタメシだからそれはほとんどの人にとって美味しい煮炊きである。それがサルデーニャ島の海岸地域に見られる今日の魚介料理の状況だ。いつでも、どこで食べても美味い。

2018年夏のサルデーニャ訪問旅で行き逢った最善の魚料理は、滞在先のキャンプ場の中のレストランで食べたタコ料理だった。その一皿は茹でたタコをスライスしてマリネで包み固めたもの。レシピも味も伝統料理とはずいぶん違っていた。

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秀逸~まろやかタコマリネ~

僕はマリネに特別な嗜好を持たない。むしろ嫌いなほうだ。そんな自分がすぐに好きになったほどの料理の漬け汁の味が、タコのデリケートな滋味にからまって、得も言われぬ 旨味 を生成していた。

地中海域には、ギリシャやトルコやイタリアなど、タコ料理の美味い国々がある。そこで共通しているのは、日干しのタコやイイダコなどをトマトソースやオリーブ油やワインなどを絡ませてじっくりと煮込む調理法で、どの国の膳も美味い。

サルデーニャ島を含む地中海の島々のオリジナルのタコ料理は、主に新鮮なタコを茹でたり焼いたりする原始的なものだった。16世紀にトマトが南米から欧州に導入され、18世紀に食用として一般化すると、タコ料理はオリジナルのレシピも保ちつつ、大半がトマトにワインとオリーブ油などを加えて煮込む調理法へと変わっていった。

今回食べたタコ料理は、地中海伝統のそれらの煮込み膳とは似ても似つかなかった。見た目はむしろ、海鮮サラダとして提供される時の「茹でダコのスライス」に近い。だが味は初めて体験するもので、一般的な海鮮サラダとはまるで違う、豊饒でまろやかな舌触りが特徴の優れた一品だったのである。

それに続く魚介料理の発見もあった。滞在先近くの街、ポルト・トーレスの老舗レストランで体験した魚介の前菜(伊語アンティパスト、英語スターター或いはアペタイザー)である。エビやタコなどの通常素材をデリケートなタッチで仕上げたもので、シェフの絶妙な手腕に舌を巻いた。

またそれとは別に、何種類もの魚肉をミンチにして混ぜ合わせ、丸めて油で揚げたpolpetta(魚肉ボール揚げ)も美味しかった。さらに、小鮫の肉の煮込みという一品もあった。個人的には鮫肉の味はさておくとして、面白い趣向だと思った。

タコの新しい味わいを引き出した前述の一皿や、冒険心満載の魚介の前菜などは、島の外の人々、つまりリゾートに休暇でやって来るバカンス客を目当てに、島の外からやって来たシェフや料理通らが編み出したレシピだ。だが今では島出身の料理人たちも自家薬籠中の物にしてさらに進展している。

一風変わったそれらの海鮮料理はさておいて、今回もよく食べたのが魚介ソースのパスタだった。いや、「最も多く」食べたのが魚介ソースのパスタだった、と言わなければならない。アサリやムール貝のソース、ボッタルガ(マグロの卵のタラコ風塩漬け)、ミックス魚介ソース和えなどの「通常」パスタをほぼ連日口にしたが、味はどこの店のものもすこぶる美味かった。

イタリア本土からの観光客が多いサルデーニャ島のレストランで、魚介ソースのパスタを美味く仕上げられないなら、その店は完全にアウトである。だからどの店も必死に魚介ソースのパスタに磨きをかける。魚介ソースのパスタは、サルデーニャ島を含むイタリアでは、どこでもいつでも美味いのが「当たり前」なのだ。

ところが今回は、イタリア国外でよく遭遇する不味い魚介パスタにそっくりの代物にも行き会った。極めて珍しい例なので、後学のために敢えてここで言及しておくことにした。

その場所は、スペインのカタルーニャ人が多く渡来し住み着いた濃厚な歴史の街、アルゲーロ(Alghero)のレストラン。アルゲーロのスペイン風の街並みと空気感を楽しんだ後に、車を駆って面白そうなレストランを探し回った。

そうして見つけたのが、ビーチに杭を打ち立てて建造されたりっぱな建物のレストラン。水着姿の客も多い文字通りの「海際の」店だった。

僕はごく普通にボンゴレ(あさり)ソースのスパゲッティを頼み、同伴している妻は魚卵ボッタルガのスパゲティを注文した。出てきたのは見た目がちょっとゆるい感じのソースがからまったボンゴレと、ボッタルガの量をケチったのが見え見えの薄っぺらな雰囲気の2皿。

味見をした。さすがに2品ともにパスタのアルデンテ(歯ごたえのある)まで外すことはなかったが、ソースの不味(まず)さにおおげさではなく「驚愕」した。見た目そのままの味だったからである。

ボンゴレは水っぽく、プチトマトの味もよくなかった。おまけに貝の量が恥ずかしいくらいに少ない。魚介の味がほとんど感じられなかった。パスタ全体の味を語る前に、まず魚介の具を増やさなければ話にならない、というほどの貧しさである。プチトマトを生のものではなく「乾燥トマト」を使っていれば味はぐんと違っていただろうが、「ないものねだり」という風だった。

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本場イタリアとは思えない~お粗末ボッタルガ・スパゲティ~

もう一皿のパスタも良くなかった。こちらも具のボッタルガの量が少ないのに加えて、素材がぱさぱさに乾ききっていて魚卵の風味が損なわれていた。ボッタルガに絡ませる素材も全く考慮していないのが明らかな不手際ぶりである。

その店の料理人は恐らく夏場の超多忙な時期に雇われる三流シェフなのだと感じた。素人に毛が生えただけの料理人を雇って、質よりも量を重視して一気に稼ぐ手法の経営体制の店に違いない。よくある話だが、パスタの本場のイタリアにおいては、ファーストコースの麺料理をないがしろにする店が成功するのは至難の業だ。

それでも繁盛しているように見えるのは、顧客層が普通とは違っていたからだ。イタメシの本場の味としてはいかにも貧弱なその店の客は、ほとんどが外国人だったのだ。特にドイツを中心とする北欧各国と東欧の旧共産主義国からのバカンス客のようだ。彼らは少々のイタメシの粗悪には気がつかないことも多いとされる。

その悪口はイタリア人を始めとする、欧州のいわゆる「グルメの国」の食通たちの言い草である。見方によっては不遜と取られても仕方のないそうした評価は、まさに思い上がりそのものである場合もある。だが一方で、真実を突いた見解であることも少なくない。

繰り返しになるがその店の顧客は常連客やリピターではなく、その場限りの通りすがりの外国人がほとんどだった。味の貧弱にも拘わらずにレストランが繁盛している陰には従って、あるいは食通たちの批判通りの現実があるのかもしれない。

同時に実は僕は、20年前のサルデニャ海鮮料理体験を思い出していた。妻と子供2人を伴って、3週間にわたってキャンピングカーでサルデーニャ島を巡った折、僕は島の魚料理の貧しさに閉口して自分で魚介を買っては調理した経験がある。

20年後の今、サルデーニャ島の魚介レシピは目覚ましい発展を見せている。だがもしかすると、根元では肉料理が主体の「島料理」のメンタリティーはあまり変わっていないため、魚介膳のそうした不備が時々顔を出すのかもしれない、と思ったりもしてみたのである。



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サルデーニャ食紀行 ~ 勘違いからボタモチ



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絶妙な味がした成獣羊肉


6月終わりから7月半ばまで滞在したサルデーニャ島では、海とビーチを忘れて観光や食巡りに終始したが、サルデーニャ島の食に関しては、僕は一つ大きな勘違いをしていた。

それは島の重要な味覚の一つである子羊料理が、一年中食べられるもの、と思い込んでいたことだ。島では子羊料理は晩秋から春にかけて提供される季節限定の膳だと聞かされて驚いた。

冷凍技術の発達で、子羊の肉はイタリアではいつでも、どこでも手に入る。ましてや羊肉の本場のサルデーニャでは一年中食べられるに違いない、と思い込んでいた。

ところが子羊料理はどこのレストランにもメニューに載っていなかった。代わりに多く目についたのが、サルデーニャ島のもう一つの有名肉料理「ポルケッタ(Porchetta)」、つまり子豚の丸焼きである。

ポルケッタにされる子豚は幼ければ幼いほど美味とされ、乳飲み子豚のそれが最高級品とされる。そのコンセプトは子羊や子ヤギの肉の場合とそっくり同じである。

ヒトの食料にされる動植物は、果物を除けばほぼ全てにおいて、残念ながら幼い命ほど美味とされる。それどころか誕生前のさらに幼い命である卵類でさえも、ヒトは美味いとむさぼり食らう。

ポルケッタ寄り800カリカリに焼けた皮が旨いポルケッタ

ポルケッタは2軒のレストランで食べた。皮ごと提供されるその料理は、通ほどカリカリに焼けた皮を好むとされる。僕は通ではないが、見事に焼きあがった皮の美味さに舌を巻いた。

肉そのものも絶妙な柔らかさに焼きあがって舌ざわりが良く、且つ香ばしい。口に含むとほんのわずかな咀嚼でとろりと溶けた。2軒の膳ともにそうだった。

店の一軒目は壁画アートが熱いオルゴーソロの店。路上にテーブルを出しているほとんど屋台同然の質素な場所だったが、味は極上だった。

2軒目は滞在先のすぐ近くにあるレストランだった。その店は海際の街にありながら魚料理を一切出さず、島のオリジナルの「肉料理」にこだわって評判が高い。

ポルケッタを食べに初めて足を運んだあと、その店には一週間ほど毎日通った。山深い島の内陸部でなければ食べられないような肉料理が盛りだくさんだったからだ。

ポルケッタの次には普通の牛ステーキに始まって、成獣羊肉や牛の内臓や豚のそれを焼き上げた料理を一週間、毎日メニューを変えて味わった。はほぼ全ての膳が出色の出来栄えだった。

店のメインの肉料理は炭ではなく徹底して薪の熾火で焼かれる。また味付けはほぼ塩のみでなされるのが特徴で、胡椒などもほとんど使わない。

料理される内臓は主に牛の心臓、肝、肺、腎臓、横隔膜、脳みそなど。また豚の睾丸なども巧みな火加減と塩使いで焼かれて提供される。

ステーキ切り分け前800切り分ける前のステーキ

それらはいずれも秀逸な味付けだった。ごく普通の牛ステーキでさえもちょっとほかでは味わえないような 妙々たる風味があった。有名なフィオレンティーナ・ステーキも真っ青になるような豊かな味覚なのである。

パスタもミンチ肉や内臓の細切り煮込みやチーズなどを活かしたソースを使って、とにもかくにも「サルデーニャ島内陸部の伝統肉料理」にこだわったものである。

サルデーニャ島の料理の基本は肉である。島でありながら魚介料理よりも肉料理が好まれたのは、住人が海から襲ってくる外敵を避けて内陸の山中に逃げ、そこに移り住んだからだ。山中には魚はいない。

現在のサルデーニャ島には魚介料理が溢れていて味も素晴らしい。だがそれは島オリジナルの膳ではなく、沿岸部を中心とするリゾート開発の進行に伴って、イタリア本土の金持ちたちが持ち込んだレシピだ。

魚料理、特にパスタに絡んだサルデーニャ島の魚介料理は、イタリア本土のどの地域の魚介パスタにも引けを取らない。当たり前だ。元々がイタリア本土由来のレシピなのだから。

店で出される島オリジナルの肉料理はなにもかもが珍しく、またどれもが目覚ましい味わいだったが、その店での最高の料理は「羊の成獣の骨付き焼肉」だった。僕の料理紀行を読んでいる人は、「また羊にヤギ肉か」と苦笑するかもしれない。

だがそれは羊肉とヤギ肉が好きな僕の手前みそな評価ではなく、同伴している妻の評価でもあったのだ。妻はどちらかと言えば羊肉やヤギ肉が好きではない類の女性である。

初日に予約していたポルケッタを食べた僕は、メニューに「焼き羊肉」があることを知って小躍りした。そしてレストラン通い2日目に早速それを頼んだ。

目を洗われるような味わいの焼き方だった。しっとりと焼き上げられた羊肉は、肉汁はほとんどないのに肉汁のうま味がジワリと口中に広がるような不思議な秀逸な味がするのだ。

羊の成獣肉の臭みはきれいに消し去られている。だが「子羊肉」にも共通する羊肉独特の風味はきちんと残っている。もしかすると熟成肉なのかとも思ったが確認しなかった。

焼きソーセージを頼んだ妻が、僕の皿の羊肉の一切れをフォークで自分のそれに移して味見をした。僕らはお互いに違う料理を頼んでは2人で分け合うのが習いである。できるだけ多くの種類の地元料理を味わいたいからだ。

妻は羊肉の絶妙な味におどろいて目を丸くしている。おいしい、おいしいと何度も繰り返して言った。そして僕の皿からさらに一切れを取って食べ続けた。

それだけでも驚きだったが、彼女はなんとレストラン通いの最終日にどうしてももう一度味わいたい、と言って今度は自ら焼き羊肉を注文したのだ。

羊肉がむしろ嫌いな部類の女性である妻の反応だけを見ても、その料理がいかに目覚ましいものであったかが分かってもらえるのではないかと思う。

羊(及びヤギ)の成獣の肉料理は僕の中では、これまでカナリア諸島で食べた一皿が一番の味だった。が、今回のサルデーニャ島の焼き羊肉がそれを抑えてあっさりとトップに躍り出た。

それは飽くまでも羊(及びヤギ)の「成獣の肉」の味である。成獣よりも上品でデリケートな味わいのある「子羊の肉」は一体どんな素晴らしい味がするのだろう、と考えるとわくわくする。

僕は再三、今度は子羊料理の旬だという晩秋から春の間に、サルデーニャ島を訪ねようと決意したほどである。


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ニラツナ・パスタ



ニラ大地の出産投稿済み




日本にある一般的な野菜の中でイタリアにはないもののひとつがニラである。僕はニラが好きなので仕方なく自分で育てることにした。

わが家はミラノ郊外のブドウ園に囲まれた田舎にあるので、菜園用の土地には事欠かない。

日本に帰った際にニラの種を買って戻って、指定された時期にそれを菜園にまいた。が、種は一切芽を出さなかった。
 
イタリアは日本よりも寒い国だから、と時期をずらしたりして試したが、やはり駄目だった。10年以上も前のことである。

いろいろ勉強してプランターで苗を育てるのはどうだろうかと気付いた。

次の帰国の際に故郷の沖縄からニラ苗を持ち込んでプランターに植えた。今度はかなり育った。かなりというのは日本ほど大きくは育たないからである。

成長すれば30~40センチはあるりっぱなニラの苗だったのだが、ここではせいぜい15~20センチ程度しかなく茎周りも細い。

しかし、野菜炒めやニラ玉子を作るには何の支障もないので、頻繁に利用している。

そればかりではない。ニラはニンニク代わりにも使える。特にパスタ料理には重宝する。

わが家ではツナ・スパゲティをよく作るが、そこではニンニクを使わずニラをみじん切りにして加える。ニンニクほどは匂わずしかもニンニクに近い風味が出る。

またニンニクとオリーブ油で作る有名なスパゲティ「アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ」にニラをみじん切りにして加えると、味が高まるばかりではなく、ニラの緑色が具にからまって映えて、彩(いろど)りがとても良くなる。
 
見た目が美しいとさらに味が良くなるのは人間心理の常だから、一石二鳥である。


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ギリシャ、エーゲ海の島々の食日記~エピローグ 



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ギリシャ・エーゲ海の島々の中でも最大、且つ最南端のクレタ島は、肉料理が豊富である。

また小さなレロス島では、豊富な魚介料理のうちでも日本の刺身に影響された「刺身マリネ」の一生懸命さが印象的だった。

島が大きいほど肉料理が充溢しているように見えるのは、陸地が広い分だけ野生の動物も多いのが理由だろう。

また家畜の場合でも、土地が潤沢なほど牧草や飼料が充溢するから飼育が盛んに行われる、という当たり前の状況もあるに違いない。

数年前に滞在した同じギリシャのロードス島は、肉料理も魚介料理も同じくらいにレシピが盛りだくさんで、味も良かった。

ロードス島はギリシャ国内4番目の広さの島。大きくもなく小さくもない規模、あるいは大きいとも小さいとも言える島。そのせいで料理も肉と魚が満載、ということなのだろう。

10年程度をかけて中東や北アフリカを含む地中海域を旅する、という僕の計画はイスラム過激派のおかげで頓挫した。

僕は命知らずの勇気ある男ではないので、テロや誘拐や暴力の絶えない地域を旅するのは御免である。

世界には一生かけても訪ねきれない素敵な場所がゴマンとある。なのにわざわざ危険な地域を選んで旅することはない。

アラブまた北アフリカの国々は、「将来機会がある場合のみ訪ね歩く」ときっぱり割り切って、僕の地中海紀行は来年以降もギリシャを中心に回る腹づもりである。

その際の食の探訪のひとつには、アラブ圏で大いに楽しもうと考えていた、ヤギ&子ヤギまた羊肉料理をしっかりとメジャーに据えて、食べ歩く決心をした。

もっとも9月のクレタ島でも10月のドデカネス諸島でも、はたまた3月に旅したスペインのカナリア諸島でも、ヤギ&羊料理は目に付く限り食べ、目に付かない場合も「敢えて」探して食べたのだけれど・・



クレタ島の食日記~こってり刺身


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レストランMulinoのマグロのたたき(実はカツオのたたきマリネ風か?)


クレタ島からイタリアに帰還してちょうど20日後の10月13日、再びギリシャを訪ねた。ヨットでドデカネス諸島のうちのいくつかの島々を巡ったのだ。

夏のバカンスをヨット上で過ごす友人に、もう10年以上も誘われていた。断りきれずに今回ようやく実現した。季節はずれの10月の誘い、というのが決め手だった。

もっとも「季節はずれ」とは、7月と8月がピークのバカンス期はいうまでもなく、その前後の6月と9月の準ピーク時にも入らない「10月の静かな時間」と言う意味で、島々の日中の陽射しの強さはまだまだ夏そのものだった。

ヨットは14メートルのかなり大きな船でキャビンが4室あり、中央には6~8人が食事できるリビングがある。快適だが、狭い空間に慣れない自分には息苦しさも伴った。できる限り船外で過ごした。昼と夜の2回の食事も、なるべく船を離れて上陸して、レストランに行った。

島々の食材は、大陸的な風貌をしたクレタ島の肉類とは違って「島らしく」魚介が主体である。それは再び「島らしく」ほぼ全てが新鮮だった。

レシピは欧州のほとんどの地域の魚料理と同様に「焼く、煮る、揚げる」の3形態。単純だが食材が新鮮なだけにどれも美味だった。魚介は新鮮である限り何でも美味い、というのが僕の思いだ。刺身が美味なのも基本的にはそれが理由だ。


2017年10月21日のレロス島のビーチ
2017年10月21日のレロス島のビーチ。11月初めまでこんな風だという

島巡りの拠点だったレロス島には、多くのレストランが軒を連ねていた。ごく普通の観光客やバカンス客のほかに、ヨット愛好家の友人らを含めて僕が勝手に「Barca vela zingari(ヨット・ジプシー族)」と名づけた船上滞在者が多い。ドデカネス諸島最大のヨットハーバーが島にあるからだ。

沖縄県宮古島の半分弱の面積しかない小さな島には、そうした事情もあって夏の間は訪問客があふれる。それらの人々をターゲットにした歓楽施設も多い。その最たるものがレストラン。施設が多い分おいしい店も少なくない。


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レストラン「風車」と風車小屋

島にイタリア語の「風車(Mulino)」という名を冠した店がある。そこは島におけるいわゆる高級店で値段も高いという評判である。訪ねてみると、海際の風車小屋につづくシンプルな造りの店でとても雰囲気が良い。

もちろん魚介がメインのレストランである。シェフが日本食贔屓で刺身も出す。普通に提供しているのは、イタリア語のRicciola(カンパチまたはヒラマサ)とマグロの刺身。新鮮なものが手に入ればイカとエビの刺身も造るらしい。

まずマグロの刺身を頼んだ。普通の刺身と「特別仕立て」があるという。マグロはもはやイタリアでも普通に刺身が食べられるので、どうせなら「特別仕立て」に挑戦したいと思い、それを頼んだ。

出てきたのはどこから見てもカツオのたたき風の一品。イタリアではカツオを
「Tonnetto(小さなマグロ)」と呼ぶので、イタリア風の名を付けているこの店のマグロも、もしかするとカツオのことではないかと思った。だが食べてみるとカツオとは違うようだ。

どちらかといえば大味な感じがあった。正直、マグロの(日本風の)刺身やカツオのたたきのほうが味がデリケートだ。どっちつかずの不思議な味がした。調理されているせいか、カツオかマグロか正確には分からなかったが、素材は極めて新鮮であることはよく分かった。

次に出たのがRicciolaの刺身。オリーブ油やプチトマトの薄切り、唐辛子の千切りに上品なヴィネガ(酢)を和えたソースがかかっている。刺身というよりもマリネだと思った。見栄えが良くて味も悪くはなかった。

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Ricciola(カンパチ)の刺身

イタリアでも、日本食レストラン以外の店の刺身は、マリネ風で提供される場合がほとんどだ。醤油とわさびのみを添えて、素材そのものの味と風味を楽しむ日本風の「サシミ」はあまり受けない。「生の魚肉」をいかに味付けするかが、海外の刺身料理の主流といっても良いだろう。

僕はイタリアでは、ヨーグルトをベースにしたソースで和えた刺身も食べた。それは刺身ではないが、刺身を基にしたフゥージョン料理、というほうが正確なのだろうと思う。不思議な味だが、決して不味いとは言えない。だが僕はまた、これまでのところは、「美味い」と心から思ったことも正直ない。

Ricciolaのマリネはそれなりに美味いと感じた。しかし、舌に重く、味のこってり感がいつまでも残った。シェフの創意工夫と想像力と努力は大いに認めるが、自分が腹から「美味い」とうなり声を上げるような料理ではなかった。

続いてイカとエビの刺身も味わってみた。どちらもやはり味つけ(マリネ)の濃さが気になった。器は趣味や形や色が日本風でどれも趣があった。特に青磁風の皿が上品で良かった。

何でも日本風がベスト、というわけでは毛頭ないが、一応「刺身」と日本風の名前と味を売りにしている料理なので、やはり日本オリジナルのあれこれと比較したくなってしまうのである。

最後に-食事作法としては本末転倒だが-パスタを頼んでみた。店のシェフが刺身をギリシャあるいは「Mulino」風に作り変えたように、パスタもギリシャ風にアレンジするのかどうか見てみたかったのだ。

出てきたのは、イタリアの美味い店のものと寸分違わないひと皿だった。アサリの新鮮なうま味と、完璧なアルデンテ(歯ごたえのある)のパスタががからまっていた。

レロス島の隣のリプスィ島で、魚の卵ソース(ボッタルガではない)和えの秀逸なパスタに出会ったが、それに匹敵するほどのおいしさだった。

どうやらその店では、同じ欧州文化圏の名品「パスタ」は完全に自家薬籠中の物としたようだが、遠い東洋の名品「刺身」の場合は、未だ「試行錯誤の途中」ということらしかった。





ギリシャ・クレタ島の食日記~おいしい味覚史



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肉・野菜・魚介・カタツムり-なんでもありのクレタ料理惣菜



世界で一番美味いのは日本料理、というのが僕の偽らざる思いである。以下ランク順にイタメシ、中華、トルコ料理、ギリシャ料理と続く。

多くの人が世界一と考えるフランス料理は5本の指に入らない。フランス料理にはなんの恨みもない。仏メシの「こってり感と気取り感」が僕の中ではランクを下げる、というだけの話。

僕の独断と偏見では世界第5番目においしいのがギリシャ料理。そのギリシャ料理の中では国の最南端にあるクレタ島の食が、これまでのところはもっとも美味いと感じる。

この直前の2稿でも言及したように、クレタ島の食は魚介類が少なく、肉が主体である。それはギリシャ全体にも言えることだが、クレタ料理が「島の食」である事実を思えば興味は尽きない。

四方を海に囲まれた島でありながら、魚料理よりも肉料理が豊富なところは、クレタ島と同じく地中海に浮かぶ島、イタリアのサルデーニャ島の状況によく似ている。

サルデーニャ島は歴史的に多くの民族の侵略を受けた。特にイスラム教徒のそれは過酷で殺戮が多発した。そのため島人は内陸の山間部に逃げた。

四国よりも少し大きなサルデーニャ島は山深い土地である。侵略者から逃れた人々は、海から遠い内陸の山里に定住した。魚介よりも羊肉を中心とする肉料理が好まれたのはそのせいである。

いや、肉料理が好まれたというよりも、山峡に住まうことを強いられた人々は、いやでも肉料理に向かわざるを得なかった。海際の住民が魚介を主な糧とするように。

そうした歴史もあって、美食の国イタリアの一部でありながら、サルデーニャ島の魚料理にはあまり見るべきものがない。これは僕が実際に現地で体験しての感想である。

少し前の話になるが、キャンピングカーを借りて家族4人でサルデーニャ島に長期滞在をした。その時にレストランで食べた魚介料理はつまらなかった。

島だけに素材は新鮮な場合が多かったが、料理の味が良くないのである。明らかに魚介類への思い入れが薄いことから来る弊害と見えた。

僕はしばらくすると、魚介類をレストランで食べることをやめた。代わりに鮮魚店や市場で新鮮な素材を手に入れて、家族のために自分で料理をした。

たいした料理ではなかったが、妻も子供たちもそっちの方を喜んで食べた。キャンピングカーでの旅なのでそういうことができたのである。

現在、サルデーニャ島の魚介料理に見える少しの進展は、イタリア北部の金持ちたちによってもたらされたものだと考えられる。

彼らはバカンスで島を訪れる度に沿岸地帯の魚料理を少しづつ改良した。あるいは彼らの要求によって、島の魚介料理は変わることを余儀なくされたのである。

サルデーニャ島に限らずイタリアの魚料理は、パスタにからめたものを別にすれば肉料理ほどのインパクトはない。日本料理における魚介膳のような奥深さはないのだ。

従ってイタリア北部のバカンス客がサルデーニア島に持ちこんだ魚介料理も、日本食に比べた場合はそれほど目覚ましいものではない、と僕には見える。

そうはいうものの魚介類のたとえばパスタは、サルデーニャ島を含むイタリアのそれが世界一の味であることは、幾重にも付け加えておきたい。

あえて簡略化したサルデーニャ島の歴史事実は、ある程度クレタ島にも当てはまるように思う。サルデーニャよりも小さいがクレタ島も山深い土地である。

海からの侵略者に翻弄され続けたクレタ島民も、内陸部を主な居住地とした。そのために島には、魚介ではなく豚、鶏、牛、羊肉などの肉料理が発達した。

そう考えれば、海が間近に広がる島で、魚介膳が大きく進化しなかった理由が説明できるのではないか。ただし繰り返しになるが、島の魚介料理は素朴ではあるものの、素材が新鮮な分うまいことは美味いと付け加えておきたい。

島にやって来たのは侵略者ばかりではなかった。交易や友好を望む者や旅人も多く訪れた。また近年は、島の温暖な気候や鮮やかな景観に魅せられたバカンス客も群れをなして来訪する。

世界中から島に足を運ぶそれらの人々は、彼らの国のレシピを島民に伝え、あるいは彼らの嗜好で島伝来のレシピに改良や変化を求めた。

古来、欧州とアフリカと西アジアの人々が行き交う地中海の要衝であったクレタ島には、そうやって外来の煮炊きも多く根付いていった。

それらのほとんどもやはり肉料理だった。バルカン半島やトルコや西アジアにルーツを持つと見られる、スヴラギやギロスなどの肉料理がもっとも顕著な例である。

またクレタ島の魚介料理も外からの影響によって少なからず変貌していった。その最たるものはイタリア料理である。

クレタ島は13世紀初頭にヴェネツィア共和国の支配下に入った。以後、海の民ヴェネツィア人の魚介レシピが紹介され試されて、次第に島料理に取り込まれていった。

それでも、先に何度も述べたように、クレタ島の食は主に肉料理にかたよって、野菜、オリーブ油、チーズなどの乳製品をからめて発展した。魚介料理は少数派であり続けたのである。

そうしたところもクレタ島とサルデーニャ島の食の容貌は相似している。サルデーニャ島はヴェネツィア共和国に支配されたことはない。が、同島はイタリアの一部であることに変わりはない。

いうまでもなくサルデーニャ島の魚介料理は、イタリア本土のそれの影響下にはある。そしてヴェネツィア(共和国)はイタリア本土の一角にほかならないのである。

ついでに住民の気質についても言及しておくと、2島の住民はどちらかと言えば頑固でとっつきにくい、という評判がある。やはり山の民なのである。

しかし僕が知る限り、気難しい彼らは一度ふところに飛び込んで親しくなってしまうと、逆に大いなる友人となって心あたたかく寛大、且つとびきり明るい素顔を見せてくれる。

そして山の民である彼らが、友好の証として料理のもてなしをしてくれる場合には、今まさに獲れ立ての魚介類がない限り、たとえ島の沿岸部であっても圧倒的に肉料理が多い、とされるのである。


ギリシャ・クレタ島の食日記~珍味という名のゲテモノ料理



2則食べ分に近い
パツァス


ギリシャ料理は僕の勝手なランク付けでは、世界で第5番目に美味い食べ物だが、中でもギリシャ南端のクレタ島料理が特に美味い。

クレタの島料理は、素材が新鮮でそれなりにおいしい魚介レシピよりも、肉料理のほうが豊かである。豚肉と鶏肉が上等で牛肉も美味い。また羊肉料理も秀逸である。

それらの肉料理は、ほとんど全て島の野菜と共に提供される。クレタの島野菜は、まるで家庭菜園の産物でもあるかのように色鮮やかで味が濃く、新鮮そのものである。

サラダで食べても一級品だが、肉に合わせて煮たり焼いたり味付けされたりした野菜もすばらしい。クレタ島は地味豊かな且つ陽光目覚ましい土地柄。野菜の風味も芳醇なのである。

野菜をサラダで食べるときにはオリーブ油が欠かせない。クレタ島はオリーブ油の一大産地であり消費地。ギリシャ全体の約50%を産出し住民の1人当たりの消費量は世界一である。

今年9月に滞在したときは、島産のオリーブ油と醤油で味付をしたサラダを文字通り毎日食べた。僕はもう40年近くサラダをオリーブ油と醤油のドレッシングで食べている。もちろんイタリアでも。

休暇の終わりにはクレタ島第2の街ハニアで、ロンドンの映画学校時代の友人と会食をした。ギリシャのアテネ出身の友人は先年、英国人の奥さん共々クレタ島に移住したのだ。

ハニアの中心街にある市場の中の店で、友人が勧めてくれたパツァスを食べてみることにした。パツァスは豚の胃や腸その他の内臓を煮込んだスープ。牛や羊の内臓も使うという。

僕はその料理を、日本のもつ煮込みやイタリアのトリッパ(牛の胃の煮込み)を想像しながら注文した。ところが出てきたのは、内臓のエグい臭いが沸き立つ代物。良く言えば珍味、はっきり言えばゲテモノ料理だった。

大げさではなく吐き気を催すほどの臭みをぐっとこらえて、僕は口の中の異物を喉に流し込んだ。友人自慢のギリシャ料理を吐き出すのはとてもできなかった。

僕はその後、唐辛子のエキスが詰った激辛のスパイスを大量にスープにぶち込んで、味も臭味もわからないようにした上で必死に、おもむろに、だが完食した。

食べ終わったあとに友人が言った。「良くそんなまずい物が食べられるね」と。実はそれは、イタリアのトリッパと同じで人の好き嫌いが大きく分かれる食べ物であり、彼は大嫌いなほうなのだという。

それを早く言え、と思ったが後の祭りだった。それにしても、日本のもつ煮込みは言うまでもなくイタメシのトリッパにも内臓の臭味はない。パツァスの腐臭じみたにおいは驚きだった。

僕はそこで故郷の沖縄のヤギ汁のにおいを思った。好きな人にとっては強い「風味」であるヤギ汁の臭みは、ヤギ汁が嫌いな人や慣れない人には風味ではなく「異臭」として感じられる。

パツァスの独特のにおいもおそらくそれと同じものである。ある食べ物の「特異な風味」は、それが好きではない者にとっては、「ゲテモノ」とほぼ同義語なのである。

世界の観光地では地元の味をかたくなに守る店がその狷介ゆえに人気がある場合と、観光客向けに味を改良あるいは改悪して人気が出るケースがある。

クレタ島のハニアで僕が食したパツァスは、古いレシピを頑固に守っているという店のひと皿なので、島内の他の店のパツァスとは違っている可能性がある。

その店には地元民らしい客が多かったが、観光地のクレタには、旅行者の嗜好に合わせて、臭いを抑えたパツァスもきっと提供されているに違いない。

伝統料理パツァスの名誉のためにもそう付け加えておく。が、しかし、たとえにおいを制御したパツァスであっても、僕は今のところはもう一度それを食べようという気にはならない。

                                      つづく





空飛ぶ大葉~ロンドン生まれのシソをミラノで育てる愉快~ 



今年、僕の菜園にはシソが育たなかった。

正確に言うと、赤ジソはものすごい勢いで芽を出し育った。が、青ジソつまり大葉が全く芽を出さなかった。

菜園の赤ジソ寄り横400pic

青ジソは菜園の場所を変えたり、プランターを持ち出したりして何度も種をまいたものの、一切芽を出さなかった。

おそらく種が古くなったのだろうと思う。

今年は大葉は無し、と諦めた8月末、ロンドンからの客人がシソの種をお土産として持ってきてくれた。

なんとロンドンの種物商から通販で手に入れたのだという。さすがは世界一のグローバル都市ロンドン

イタリアでは、僕が知る限り、シソの種どころか、スーパーで普通に売っている白菜や大根や生姜などの種も手に入らない。

僕は生姜は栽培しないが、白菜、大根、春菊、チンゲンサイ、ごぼう、ネギ、シソなどの日本(&中国)野菜を、イタリアのそれと共に菜園で作る。

それらの野菜の種は帰国するたびに購入してイタリアに持ち帰る。そのうちのシソの種が駄目になっていたのだ。

客人からありがたくいただいたシソの種は、来年に向けて保存することにした。が、屋内で育ててみようと思い直して、9月初めに少し取り出してプランターに撒いた。

日ごとに弱くなる日差しを捉えるためにプランターを移動し続けたり、夜は屋内に取り込むなど、懸命に世話をしたら芽が出て、ゆるゆると育ち始めた。

写真は今日(10月31日)のプランターのシソたち。

プランター5台横400pic



ところでなぜ僕が来年の春を待ちきれずに無理やり9月にシソの種を蒔いたのかというと、12月のクリスマスシーズンを思って心が躍ったからである。

友人らを招いて食事会をする際や家族そろっての食事などで、刺身を振舞うとき、大葉をツマにしようと思いついたのだ。

僕は以前から自分で釣った魚や漁師から譲り受ける魚など、鮮度が間違いないものに限ってよく刺身をこしらえてきた。

最近は市販の魚も利用する。イタリア人が刺身の旨さに気づいたおかげで、スーパー内の大きな魚屋などでも新鮮な魚が手に入るようになったのだ。

盛り合わせまぐろ、はまち、大葉、わさびyoko200picそれが昂じて僕は最近は寿司を握ったりもするようになった。

僕は刺身や寿司を提供する際、わさびに加えて大葉もツマとしてよく食卓に置く。それは刺身好きの者はもちろん、刺身を初めて食する者にも大人気だ。

だが大葉は、9月頃までしか食べられない。その後、短い花の季節を経て、10月終わりの今の時期までには多くが枯れ果てる。クリスマスの頃には大葉はもうどこにもないのだ。

そこで僕は屋内での大葉の栽培を思いついた。それはどうやらうまくいきそうな勢いだ。大きく育つことはないだろうが、クリスマス前に開く食事会などで家族や友人をもてなすにはきっと十分だ。ざるの大葉yoko150pic

それにしても懸命にシソの世話をしながら思うのは、日本食のグローバル化が一気に進んだ昨今の世界の面白さである。

シソなどというマイナーな香辛野菜の種がロンドンの店先に並ぶのは、同地が世界一の国際都市、という事実を差し引いて考えても、ひとえに日本食がグローバル化したのが原因だ。僕はそこに深い感慨を覚える。

さらにその上に、ロンドン(英国)で採れたシソの種を、イタリアのミラノ近辺で僕がこうして当たり前のように栽培しているのも、やはり日本食の国際化が進んだおかげだと気づいて、僕はさらに嬉しく楽しくおいしく思うのである。



新鮮だぜ、ソースだぜ、トマトのよ~


ほぼ1週間前の土曜日(7月23日)に客人があって、そのときのぞいた菜園のトマトは収穫まで時間があるかと見えたのだが、再びのぞくと茂る枝の奥に多くが良く熟しているので今年最初の収穫をした。

菜園トマトヒキ300pic

早めに赤くなったいくつかは既に取り入れてはサラダにしてきた。それも収穫だが、ここで言う収穫とはトマトソースを作るために一斉に収穫をすること。ひと夏にだいたい2回行う。

今年は事情があって菜園周りの庭を作り変えた。そのために自由に庭に入ることができず、したがって菜園にも思うようには近づけなかった。

で、野菜たちは種をまいたり苗を植えたりした後は、ほとんど手入れをぜずほったらかしにしてきた。それでもトマトをはじめ野菜は勝手に育つのだから自然はスゴイ。

菜園トマト3個ヨリ300pic

少しタイミングが良ければ、訪ねてくれた大切な客人に、作りたてのトマトソースを使ったパスタなりをご馳走できた。客人はそこにいてくれただけでも嬉しかった。

が、

食べ物は人を幸せな気分にさせるから、ソースがあれば客人はもっと喜んでくれて、それを見る僕はもっとさらにチョー嬉しかったに違いない。

というわけで(どんなわけ~?)、新鮮トマトソース(salsa)の作り方(写真は過去のものも使用)をば:

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1.トマトのヘタを取り、芯もえぐり出す。芯は取った方がソースがやわらかくスムースに仕上がる。

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2.頭(ヘタの反対側)に十字の切れ目を入れる。それは十字でもXでも何でも良い。切り込みを入れたところから皮がするりとむける。

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3.沸騰した湯に放り入れる、という感じでさっと熱して、2、3分で取り出す。

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4、取り出した先からどんどん冷水にひたす。冷水にひたしたとたんに皮がむけるものも多い。

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皮はすべてむく。固くてソースにはならないから。

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5.角切りに(小さければ小さいほど良い)して、圧搾器で搾る。圧搾器は電動のものもある。僕は古い手動のものを使う。イタリアの道具らしく頑丈で無骨で面白く、かつ便利。圧搾器で押し出された部分がソース材。

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結構な力仕事だ。
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圧搾器の中にはトマトの芯や皮や傷んだ固い部分などが残るので、圧搾2、3回ごとに取り出して捨てる。
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戦争・圧搾器ヨリ300pic



搾り出し作業が終わる頃には、キッチンは戦場のような惨澹たる状態になっている。
戦争300pic戦争鍋・流し300pic







6.仕分けしたトマト中身(肉+汁) をぐつぐつ煮詰める。
(塩少々加えても良い。またここで好みによりバジリコ、唐辛子などを加えても良し。僕は一切何も加えない。ソースを使って料理をする時に加えればいいから)
鍋一杯の肉汁300pic


7.煮詰まったら鍋の中で完全に冷ます(一晩など)。
ほぼ煮詰まった鍋ヨリ300pic


8.瓶詰めにする。その時表面にオリーブ油をたらす(かける)。こうすることで空気の侵入を防ぐ(らしい)。
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9.瓶が完全に水没した状態で煮沸(冷水のときから温めて、沸騰したら5分程で火を消す)し、そのまま(湯の中に入れたまま)再び完全に冷ます(一晩など)。
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完成
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※常温で一冬保存もOK  念のために冷蔵庫で保管するも良し。僕はいつも冷蔵保存にする。1年は問題なく保存できる。

※瓶を開けて使った残りは冷蔵庫へ。2,3日で使い切るようにする。
 
※冷蔵保存するとオリーブ油が固まって白濁するが、調理すると(熱を加えると)溶けるので心配なし。



新春魚料理談義


加筆再録


「世界には3大料理がある。フランス料理、中華料理、そしてイタリア料理である。その3大料理の中で一番おいしいのは日本料理だ」

これは僕がイタリアの友人たちを相手に良く口にするジョークである。半分は本気でもあるそのジョークのあとには、僕は少し大げさな次の一言もつけ加える。

「日本人は魚のことを良く知っているが肉のことはほとんど知らない。逆にイタリア人は肉を誰よりも良く知っているが、魚については日本料理における肉料理程度にしか知らない。つまりゼロだ」

3大料理のジョークには笑っていた友人たちも、イタリア人は魚を知らない、と僕が断言したとたんに口角沫を飛ばして反論を始める。でも僕は引き下がらない。

スパゲティなどのパスタ料理にからめた魚介類のおいしさは間違いなくイタメシが世界一であり、それは肉料理の豊富さにも匹敵する。

しかしそれを別にすれば、イタリア料理における魚は肉に比べると貧しい。料理法が単純なのである。

この国の魚料理の基本は、大ざっぱに言って、フライかオーブン焼きかボイルと相場が決まっている。海際の地方に行くと目先を変えた魚料理に出会うことはある。それでも基本的な作り方は前述の三つの域を出ないから、やはりどうしても単調な味になる。

一度食べる分にはそれでいい。素材は日本と同じように新鮮だから味はとても良い。しかし二度三度とつづけて食べると飽きがくる。何しろもっとも活きのいい高級魚はボイルにする、というのがイタリア人の一般的な考え方である。

特に家庭料理の場合はそうだ。ボイルと言えば聞こえはいいが、要するに熱湯でゆでるだけの話だ。刺身や煮物やたたきや汁物などにする発想がほとんどないのである。

僕らは日伊双方の料理の素材や調理法や盛り付けや味覚などにはじまる様々な要素をよく議論する。そのとき、魚に関してはたいてい僕に言い負かされる友人たちがくやしまぎれに悪態をつく。
「そうは言っても日本料理における最高の魚料理はサシミというじゃないか。あれは生魚だ。生の魚肉を食べるのは魚を知らないからだ。」

それには僕はこう反論する。
「日本料理に生魚は存在しない。イタリアのことは知らないが、日本では生魚を食べるのは猫と相場が決まっている。人間が食べるのはサシミだけだ。サシミは漢字で書くと刺身と表記する(僕はここで実際に漢字を紙に書いて友人らに見せる)。刺身とは刺刀(さしがたな)で身を刺し通したものという意味だ。つまり“刺刀(包丁)で調理された魚”が刺身なのだ。ただの生魚とは訳が違う」

と煙(けむ)に巻いておいて、僕はさらに言う。
「イタリア人が魚を知らないというのは調理法が単純で刺身やたたきを知らないというだけじゃないね。イタリア料理では魚の頭や皮を全て捨ててしまう。もったいないというよりも僕はあきれて悲しくなる。魚は頭と皮が一番おいしいんだ。特に煮付けにすればそうだ。

たしかに魚の頭は食べづらいし、それを食べるときの人の姿もあまり美しいとは言えない。なにしろ脳ミソとか目玉をずるずるとすすって食べるから。要するに君らが牛や豚の脳ミソをおいしそうに食べるのと同じさ。

あ、それからイタリア人は―というか、西洋人は皆そうだが―魚も貝もイカもエビもタコも何もかもひっくるめて、よく“魚”という言い方をするだろう? これも僕に言わせると魚介類との付き合いが浅いことからくる乱暴な言葉だ。魚と貝はまるで違うものだ。イカやエビやタコもそうだ。何でもかんでもひっくるめて“魚”と言ってしまうようじゃ料理法にもおのずと限界が出てくるというものさ」 

僕は最後にたたみかける。
「イタリアには釣り人口が少ない。せいぜい百万人から多く見つもっても2百万人。日本には逆に少なく見つもっても2千万人の釣り愛好家がいると言われる。この事実も両国民の魚への理解度を知る一つの指標になる。

なぜかというと、釣り愛好家というのは魚料理のグルメである場合が多い。彼らはスポーツや趣味として釣りを楽しんでいますという顔をしているが、実は釣った魚を食べたい一心で海や川に繰り出すのだ。釣った魚を自分でさばき、自分の好きなように料理をして食う。この行為によって彼らは魚に対する理解度を深め、理解度が深まるにつれて舌が肥えていく。つまり究極の魚料理のグルメになって行くんだ。

ところが話はそれだけでは済まない。一人一人がグルメである釣り師のまわりには、少なくとも10人の「連れグルメ」の輪ができると考えられる。釣り人の家族はもちろん、友人知人や時には隣近所の人たちが、釣ってきた魚のおすそ分けにあずかって釣り師と同じグルメになるという寸法さ。

これを単純に計算すると、それだけで日本には2億人の魚料理のグルメがいることになる。これは日本の人口より多い数字だよ。ところがイタリアは1千万から2千万人。人口の1/6から1/3だ。これだけを見ても、魚や魚料理に対する日本人とイタリア人の理解度には、おのずと大差が出てくるというものだ」

友人たちは僕のはったり交じりの論法にあきれて、皆一様に黙っている。釣りどころか、魚を食べるのも週に一度あるかないかという生活がほとんどである彼らにとっては、「魚料理は日本食が世界一」と思い込んでいる“釣り愛好家”の僕の主張は、かなり不可解なものに映るらしい。

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