映画のスティーブン・スピルバーグ監督が、ハマスを強く批判するコメントを出して注目されている。
ユダヤ人の彼がイスラエルを擁護するのは理解できる。多くの人々を殺害し人質も連れ去ったハマスの蛮行は糾弾されて然るべきだ。
そのことを否定する人間はそう多くはいないだろう。だが同時に、イスラエルのハマスへの報復攻撃の残忍さも許しがたいものだ。
心ある者はユダヤ人の苦難の歴史を忘れない。ホロコーストという彼らの巨大な不幸と悲しみは察するに余りある。
そうではあるが、しかし、悲惨な過去はユダヤ人国家のイスラエルが無差別に、容赦なく、子供たちを含むパレスチナの民間人を殺戮する免罪符にはならない。
ユダヤ人とイスラエルを支持する人々は、彼らの正義の後ろ盾に固執する余り、自身が犯している罪にはほっかむりを決め込んでいるようだ。
スピルバーグ監督をはじめとして、地球上には有能で裕福で且つ強い影響力を持つユダヤ人が数多くいる。彼らは世界の政治経済文化など、あらゆる分野で巨大な“力“を持つ。
アメリカが、そして欧州が、一方的にイスラエルの肩を持つのは、ユダヤ人を抑圧してきた歴史への後ろめたさと共に、その“力”のプレッシャーがあるからだ。
“力”を形成している人々は、今こそ、偽善のベールに包まれた自らの“被害者”意識をかなぐり捨てて、パレスチナの罪無き“被害者”の群れにも思いを馳せるべきだ。
スピルバーグ監督は残念ながらそれをしない。ならば例えばボブ・ディランは?マーク・ザッカーバーグは? マイケル・ブルームバーグは? ダスティン・ホフマンは?
影響力のあるユダヤ人や支持者がイスラエルの蛮行も指弾しなければ、グローバル世論は決して同国に寄り添うことはない。寄り添うどころか、人々の心の中には嫌悪ばかりが募っていく。
その先の先の挙句の果てには―恐ろしい想像だが―巡りめぐってホロコーストまがいの惨劇を招かないとも言えないのではないか、とさえ僕は密かに危惧する。
被害者のパレスチナがハマスを介して示す憎しみも、加害者のユダヤの民がイスラエルを介して見せる憎しみも、等しく空しい。等しく悲しい。
一刻も早く、強い、心あるユダヤ教徒の皆さんの決起を期待したい。