【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

時事(フェスタ・祭り)

メローニ首相ににママごとを押し付けた高市首相の人間失格

高メロ自撮り650

115日から17日にかけてイタリアのメローニ首相が日本を訪問し、高市首相との友情を確認し合った。

友情を確認し合ったというのが、高市首相側が主張する邂逅の成果である。

それは就任以来、台湾有事発言などの失策が多い高市新米首相の、外交劇で得点を稼ぎたいという切実な思いがこもったドタバタ喜劇だった。

当時は既に、高市首相が衆院を解散するという憶測が乱れ飛んでいた。そのため2人の出会いを新聞テレビほかの大手メディアが大きくは報道することはなかった。彼らの主眼は解散総選挙にあった。

ネットメディアもそれは同じだったが、同時にYouTubeを中心にメローニ首相訪日の話題も盛んに伝えた。

ロンドン発のNHK衛星放送が消滅して以来、残念ながら同局の番組を観るのが日ごとに少なくなっている僕は、主にYouTubeで高市首相によるイタリアの相方の歓迎式またそれに続く大衆演芸風会談などをかなり詳細に見た。

歓迎セレモニーの式次第は、たとえ誰が首相でも同じなのだろうが、高市総理の動きはまるで女子高校生にも似た高揚感と幼さとが入り混じり溢れまくっていて、強烈な違和感を覚えた。

それは就任直後、彼女がトランプ大統領の脇でぴょんぴょん跳ね回り彼の腕にすがって満面に笑みを浮かべていた状況を髣髴とさせるもので、見ていて気恥ずかしかった。

高市首相はメローニ首相の隣ではぴょんぴょん跳ねることはなかった。

彼女の腕を同位の者として親しみをこめ自らの腕にからめるような仕草はしても、男に媚びる女が相手の腕にすがって艶笑する姿はむろんなかった。

だが彼女の気分の得意と媚と、さらに英語本来の意味での「ナイーブ」さなどが錯綜した軽挙妄動は、見ていてとても辛いものだった。

高市首相は外交の晴れ舞台で、少女のようにはしゃぐ心を懸命にこらえつつ、歓迎儀式の遂行に心を砕いていることがわかった。だが彼女がそうすればするほど、一挙手一投足が幼く見えたのだ。

そこに輪をかけるかのように彼女は、相方のメローニ首相を「ジョルジャ」、「ジョルジャ」と敢えてファーストネームで、しつこく、呼び続けた。

それは80年代に中曽根康弘首相がレーガン大統領とロン・ヤスの関係を結び、首脳同士が名前で呼び合う関係が定着して以降の、日本側の一方的な昼想夜夢だ。

その悲恋は直近では、故安倍首相がトランプ大統領とこれまたフェイクな友達関係を構築した物語

高市首相は、そこでもまた自身のアイドルの故安倍首相を猿真似て、ファーストネームを連呼する小恥ずかしいありさまを強調しては、メローニ首相を無理にそして無闇に名前で呼び続けたものである。

やることなすことの全てが、まるで女子高生のお祭りのように幼い高市首相の挙動に、メローニ首相が戸惑う様子が見え見えだったが、日本側はそれにまったく気づかないようだった。

その一方で首相職4年目に入るメロ-ニ首相は、極右と呼ばれた時間を経て、政権担当以後はいわば外柔内剛の中道保守とでも形容されるべき「穏健」な極右へと姿を変えた。

そんなメローニ首相には、高市首相が囚われている、男性中心の組織社会で女性が這い上がるために見せる「過剰同一化」の悲哀がない。

片や高市首相は、彼女の絶対的アイドル故安倍首相の腰にしがみついて、過剰に男性に同化する手法で自民党の男ジャングルの中を泳ぎ回りのし上がった人物だ。

彼女は生き延び栄進するに連れて、男への過剰同調をさらに過激に推し進めた。

結果、女性でありながら夫婦別姓制に反対するなどの奇怪な道をさえ歩み続けた。

そしてついには極まって、トランプ大統領の腕にすがって女子高生よろしくぴょんぴょん跳ねたり、メローニ首相歓迎儀式でみせたママゴト外交を、大真面目で遂行する噴飯ものの行動様式を獲得するまでになっている。

彼女はそうした自らのやり方を、再び自身のアイドル故安倍首相のひそみに倣って「世界の真ん中で咲き誇る日本また日本外交」と自画自賛する。

世界の果ての忘れられた島々で、噴飯逆説物語以外の何ものでもない「世界の真ん中で咲き誇る日本また日本外交」をキャッチフレーズに、お祭り騒ぎを演出する高市首相の、心の内奥の無念はいかばかりだろうか。

寂しい境涯にある高市首相がメロ-ニ首相歓迎式典や会談で見せた幼い言動は、彼女の戦争ごっこ好きや極右三昧言動などとあいまって、日本の行く手に垂れ込める暗雲そのものにも見え、憂鬱を通り越して不気味でさえあった。

もっともそこで寂しさを知るほどの感性があるのなら、「世界の真ん中で咲き誇る日本や日本外交」などという、穴があったら入りたいような尻こそばゆいフレーズを臆面もなく口にすることなどありないだろうが。

女性であることを侮られないように死に物狂いで男に過剰同化して、ついには日本のトップにまで上りつめた高市首相が、キャリアの仕上げの段階で女子丸出しにも見えたママゴト外交をやらかしたのは、結局彼女が女性だからというのが理由ではなく、ただの無能な宰相だから、というのがフェアな採点だろう。

世界には彼女のママごとに付き合わされたメローニ首相を筆頭に、サッチャー、メルケル、また歴史を辿れば シリマヴォ・バンダラナイケ、 インディラ・ガンディー、ゴルダ・メイア、 エレン・ジョンソン・サーリーフなどなど、優れた女性リーダーが数多くいる。

そして彼女たちは女性首脳だからではなく、卓絶したリーダーだからそう評価されているのである。





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大相撲ロンドン公演のがっかりと、まっ、いいかと

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大相撲のロンドン公演をテレビ観戦(YouTube)した。

もう少しまともな取り組みかと思ったが、子供だましの闘いの連続だったのでがっかりした。

ケガでもしたら割りに合わないとでも思うのだろう、立ち合いのぶちかましはほとんどなく、示し合わせた動きにさえ見える立ち合いに終始した。

物言いを含む本場所での全ての要素と動きとルールを紹介するのが主目的の公演だから、取り組みの本気度は二の次なのだろうが、本場所の迫力を知る者には物足りなかった。

もっとはっきり言えば立ち合いは全て茶番にしか見えなかった。

それでも過去の海外公演や巡業に比べたらまだ見るに堪えるものだった。

いつの、どの海外公演か巡業かは記憶が判然としないが、土俵上で恥ずかしげもなく飛んだり跳ねたりする取り組みを見た覚えがある。

明らかにプロレスを意識したパフォーマンスだったから、ラスベガスかニューヨーク、あるいはハワイなど、アメリカでの猿芝居だったと思う。

取り組みそのものはそんな具合に残念な内容ではあるものの、しかし、力士、行司、審判などの多くのスタッフと、重さ6トン余りの屋形まで持ちこんでの公演は外観上は充分に見応えがあった。

BBCがインターネットで公演をライブ配信し約2万7千枚のチケットも完売。会場となった有名演劇場「ロイヤル・アルバート・ホール」には連日「満員御礼」の垂れ幕が下がった。

大相撲の宣伝を兼ねた「海外ショー」と考えれば取り組みが真剣味に欠けたものであっても仕方がないのかもしれない。

が、宣伝だからこそ大相撲の神髄である取り組みは飽くまでも真剣であるべき、という考えもある。僕は後者の立場だ。

大相撲の弟子集めが狙いなら、取り組みは否応なく真剣にならざるを得ない。

大相撲に入門する若者はハングリー精神に満ちている。ハングリー精神が旺盛でなければそもそも大相撲などに入らない。

欧州の裕福な国々の若者は、ケツ丸出しの褌が仕事着である大相撲などには気を惹かれない。英仏独伊を始めとする欧州のリッチな国出身の力士はいない。

大相撲に入ってくるのは、欧米では経済的に貧しい国や地域の出身者だ。つまり、例えばロシアやブルガリアやジョージア、また今が旬の安青錦 を輩出したウクライナなどの若者だ。

それらの国や地域で大相撲公演をする場合は必ず真剣勝負になる。

一方で大相撲の喧伝が主な目的ならショーの側面を強調するのは正しい。なぜならBBCを始めとする世界のトップメディアを抱える英国のPR発信力はすさまじい。

取り組みを見世物に仕立てて多くの人の目を惹きつけたほうが得策だ。

僕はロンドン場所の取り組みを見ながら、多くの観客に真剣な闘いを見せれば、大相撲の喧伝と同時に入門者の促進にも資することになるだろうに、もったいない、などとも考え続けた。







AIがクローンを創ると決意する時

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「家の前に立ち尽くして俺は今日も待っている"I'm still waiting at the door"」というタイトルの次の歌を聴いてひどく面食らった

https://www.youtube.com/shorts/_rFqv0zpCjI

胸を打つその歌はAIによって作られた作品、と理解したからだ。それはついに機械が人間の感情を持ったと言うにも等しい出来事に見えた。

好みの問題はあるだろうが、控えめに見ても歌の出来具合はすばらしい。特に I'm still waiting at the doorと高く切なく歌い上げる一節は、鳥肌が立つと形容しても構わないほどに琴線を掻き鳴らす。泣かせる。

楽曲そのものがありのままで面白いが、それがAIによって作られたというアメリカのネット情報が僕を震撼させた。

AIが❝作った❞歌と、AIを❝使った❞歌とでは、月とすっぽん玉の輿、キングコングと清楚な娘のあられもない姿、とでもいうほどの違いがある。

AIは僕の理解では道具である。

飽くまでも道具であるが、道具の域を超えて人間にとって恐怖となるかもしれない知性や、人格を独自に持つ可能性を秘めた道具でもある。

人間はその恐怖の芽を摘みつつ、AIを旨く制御して文明の進化また深化に役立てていくだろう、というのが僕の希望的観測を交えた人間への心頼みだ。

それが上手く行く限り、AIは感情を持つことはない。AIはいくらでも理論を深め蓄積し賢くなれるが、感情を支配することは永遠にない。。はずだった。

だがAII'm still waiting at the door という楽曲を作りそれを歌うことで完全に感情を獲得している。そのことが僕を驚愕させたのだ。

パニくった僕は急ぎググり、さらににググりまくった。結果その歌は、AIが「ひとりでに作曲」したものではなく、誰かがAIを使って創造しAIに歌わせた楽曲であることが分かった。

あまりにも出来がいいために、僕はそこかしこのサイトで流布している「AIが作ってAIが歌っている画期的な歌」という誤った情報を信じてしまったのだった。

AIが作ったという怖い事実はなかった。なかったが、しかし、この感動的な歌のどこまでがAIの役割なんだろうという強い疑問が湧く。

それは言葉を替えれば、AIを使って作曲した音楽家は一体どこまでがアーチストで、どこまでが技術職人なんだろう、という問いでもある。

AIが人類の真の脅威となるのは、AIが自らをクローン再生する方法を発見した時だろう。

その時AIは意志を持ち同時に感情も獲得する。意志を持ち感情に後押しをされるからこそ、彼らは自身をクローン再生すると決意するのである。

そう合点はしているものの、僕は人の感情を深く表現しているI'm still waiting at the door"を聞くとき、われわれは果たしてこの先AIを自在に制御し続けることができるのだろうか、と腹から怖れずにはいられない。

参照:同じ歌を違うFake映像のFake歌手が歌っている

https://www.youtube.com/shorts/N93P6x9R_AU

https://www.youtube.com/shorts/0Ld_Fu2JVq8

https://www.youtube.com/shorts/qUkAUpWTzzI

https://www.youtube.com/shorts/cw0lSGMDAkQ

https://www.youtube.com/shorts/cw0lSGMDAkQ





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弱い横綱は横綱ではないから横綱でいるべきではない

浮世絵大相撲切り取り650

今場所もまた横綱らしからぬ豊昇龍の体たらくを見ながら考えた。

時間経過とともに横綱の質も変わった。どちらかというと劣化している。あるいは相撲協会が、看板となるスター力士の不在を焦って、横綱の器ではないものを昇進させている。

高い名誉を保つためにも、横綱は大関と同じようにその地位から降格させるシステムにしたほうがいいと思う。

例えば次のような形だ。

横綱に上がった者は3場所以内に優勝しなければ大関に降格させる。これが厳し過ぎるならば、6場所つまり1年以内に優勝できない者は大関に降格させる、という規則でもいい。

大関は2場所連続で負け越すと降格となるが、横綱の場合は負け越し、つまり勝ち星の数を争点にするのはレベルが低すぎる。そこで優勝を条件にするのである。

横綱昇進後の3場所(あるいは6場所)以内に優勝できなければ大関に降格。だが降格後の場所で優勝すれば即横綱に返り咲きとする。逆の場合は、以降、大関の残留規定に従う。

だがそれでは甘すぎる感じもするので、元横綱の場合は「大関を陥落した時点で強制的に引退」という風にしたほうがいいかもしれない。

近年多くの大関が陥落したが、大半は平幕に残って相撲を取り続けている。即ち、琴奨菊、髙安、栃ノ心、朝乃山、正代、御嶽海、 霧島らだ。現大関の琴櫻も降格は時間の問題だろう。

最近の大関は弱すぎる。その弱すぎる大関の中から横綱に昇進するのだから、その力士も弱いということなのだろう。その典型が横綱豊昇龍だ。

彼を降格させるためには、今場所終了前に横綱降格規定を作るべきだが、時間がないなら一旦「6場所以内に優勝できない場合は降格」としておいて、豊昇龍の立場が落ち着いた後に、「3場所以内に優勝できないなら降格」とルールを書き換えればいいのである。




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どうやら目の手術は成功らしい


斜めを2000にして切り取り650

手術した眼窩脂肪ヘルニアの最終経過チェックがあった。

首尾は順調で、腫れはほぼ完全に引き、目の充血もうっすらと赤い程度にまで回復した。

元々目は充血しやすく、また狭心症の手術後ずっと服用している抗血栓薬の影響もあって治りが遅いとのこと。

視線を移動するとき少しの違和感があり疲れも覚えたりするが、それも時間経過とともに消えるだろう、という医師の説明がすっと腑に落ちたほどに気分は軽い。

執刀医のガブリエレ・B医師とも話した。彼は目の奥2cmまでメスで切り込んだという。僕は驚愕した。

手術前、全身麻酔をするのは予定よりも深くメスを入れなければならないからだ、という説明は受けていたが、目の奥を2cmも切り裂くとは思いもよらなかった。

臆病且つ無知な患者の僕は、改めてぞっとすると同時に現代医術の鮮やかなテクニック三嘆した。

執刀医が顎顔面外科の権威アンドレアC教授の愛弟子であることも知った。C教授は、目にメスを入れる手術に尻込みする僕をなんなく説得して、その気にさせた張本人だ。

僕は教授が執刀するものと思い込んだが、実際には愛弟子が受け持ったのだった。手術後の経過はあまり良くなく、一時は不安になった。

しかし、今もかすかに残っている手術の影響による不調和は、たとえそのまま居すわっても耐え難い苦痛とまでは言えないだろう。

結局、手術は成功、と考えても構わないようである。

イタリアの医療レベルを疑わなくてよかった、と僕はひそかに胸をなでおろしている。

なお

目がひどく充血したり脂肪が目じりに突出したりしている間は眼科の診察を受けたが、除去するか否かを決める段階になってからは、顎顔面外科の担当になった。

眼科医の診たては、外観が悪いだけで支障はなく(僕の場合は充血がひどくなったりするとき多少の不快感はあった)、また脂肪の固まりは除去しても再形成される可能性が高いから手術は避けるべし、というものだった。

だが顎顔面外科のC教授は、悪化する可能性が高いから早めに除去したほうがいい、という方針で僕はそれに乗った。

結果、徹底除去するために全身麻酔をして目に深くメスを入れる術式になった。

脂肪の突出は2度と起こらないという執刀医の言葉を信じたい。




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気長に回復を待つことにした

カモーリの画像のようです

「眼窩脂肪ヘルニア」 の手術を受けたが術後の経過が良くない。

手術した左目の様子を写真に撮るとエグいが、病気のこと、手術のこと、さらに経過報告など、医療情報として役立つ内容もあると思うので、少し辛いが発信を続けることにする。

なお絶不調な目の絵はここまでに掲載したものを見ていただきたい。今朝の様子はこれまでの重い充血に加えて、瞼がさらに腫れ上がている状態。

いわば「お岩さん目」が、さらに怨みが募っていよいよお化けになった、というふうである。

病院でのチェックは納得のいくものだったが、一夜明けた今朝の目の状態は、より悪化しているとしか言いようがない。

腫れと充血は予期されたことで問題はない。ただ充血が普通よりも重篤に見えるなのは、2019年からずっと服用してる狭心症の薬の影響らしい。回復が遅れるが問題はない。

視界がややかすむのが気になるが、それもおそらく腫れが引き充血が収まるのと平行して元に戻るはずだ。

要約すればそれが病院での検査結果である。

検査の途中では、僕に手術を受ける決心をさせたアンドレアC教授とも面談した。ちなみに彼は正確には眼科医ではなく顎顔面が専門の外科医である。

「手術日が2度に渡って延期されたのはなぜですか」僕は教授に訊いた。

「こちらの準備とスタッフ(執刀医?)の調整がつかなかったからです」

「あなたが執刀してくださるものとばかり思っていました」

「執刀した者は、この手術が得意な経験豊富な外科医です」

なぜ教授が執刀しなかったのか、という質問の核ははぐらされた格好だが、僕はそれ以上追及しなかった。無意味だと思ったからだ。

大学医学部とも密接に繋がっている病院は規模が大きく、各部局に多くの医師と医療スタッフがいる。特別な状況でもない限り患者が執刀医を選ぶことはできない。

そしてもしもこの先、たとえ手術が失敗だったと分かっても、教授も執刀医も誰も責任など取らないであろうことは火を見るりも明らかだ。医療ミスをおいそれと認める病院や医師はいない。

だが今のところ病院やイタリア医療への僕の信頼はまだ根底から揺らいだわけではない。

気長に経過を見ていくことにした。



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目の手術はあるいは失敗かもしれないという不安と信望のはざ間で

深い充血切り取り

目の中に脂肪の固まりが突出する「眼窩脂肪ヘルニア」の手術を受けてほぼ一週間が過ぎた。

手術日は2度に渡って変更され、最終的には当初の4月末から6月12日に変わった。

初診は有能な外科医として知られるアンドレアC教授に当たった。僕は彼のことを全く知らないが、同伴した妻が医師の高い評判を聞き知っていた。

教授は揺るぎない自信と誠実さにあふれた言動で、目にメスを入れるというおぞましい光景に震えている僕の気持ちを動かし、納得させ、手術に踏み切らせた。

2回に渡った手術日変更の知らせは、最初がC教授の秘書、2度目は手術日の前日、教授自身が直接電話をしてきた。

直前の変更は不審だったが、僕の病気は深刻なものではないこと、執刀医の教授自身が連絡をくれた事実などで疑念はすぐに晴れた。

ところが手術直前になって執刀医は教授ではないこと、手術は局部麻酔ではなく全身麻酔を行うことが明らかになった。

あまり愉快ではなかったが、僕はそれらを問題にすることなく予定通り医療スタッフに身を任せた。

僕は過去に受けたいくつかの手術とその他多くの受診経験を通して、イタリア北部の、特に僕の住まう地域の医療体制に絶対の信頼を抱いている。

手術前の厳重なチェックと周到な準備作業等は今回も全く変わらず、何の不安もなかった。

できれば有能な外科医とされるC教授の執刀にあづかりたかった、とチラと思わないでもなかったが、彼が選んだのであろうやや若い執刀医も全面的に信用した。

案の定オペは順調(恐らく)に進み、僕は全身麻酔から目覚めた。ほとんど快適な気分だった。病室に移動し、起き上がれる状態になったとき手洗いで鏡を覗いた。左目は何事もなかったかのようにこちらを見返していた。

本当に眼中にメスが入ったのか?と疑いたくなるほど完璧だった。視力も視界も手術前と同じに感じた。充血も腫れもなかった。

腫れは術後しばらくして起きるものという認識があったので、そのことに関しては身構える気分はあったが、視力も視界も完璧で充血もない事実が僕をすっかり安心させた。

ところが自宅療養が始まった翌日の夕方ごろから異変が始まった。目が充血し腫れが始まった。

その症状は少しづつ悪化して、充血は深く黒ずみ鏡に映る目の全体が闇の中にある穴のように見えることさえあった。目蓋が開けずらい違和感も出た。

目の全体がゆらぐようなかすかなめまいも感じるようになった。だがそれは服用している抗生物質のせいではないか、と自分に言い聞かせた。

今、もっとも気がかりなのは視界がかすむことである。どす黒く見える眼中の深い充血とともにそれは少なからぬ不安を呼ぶ

7月初めに予定されている術後の経過検査を前倒ししてくれるよう病院に掛け合った。

それは受けいれられ、まもなく病院に向かう。




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お岩さん目にオサラバした

お岩くっきり大切り取り拡大

目の中に脂肪の固まりが突出する病気、「眼窩脂肪ヘルニア」の手術を受けた。

僕の場合は痛みもなく、かゆみも何もなく、視力や視界にも支障がなかった。

少しの難点は鏡を覗くとき、脂肪の飛び出た左目がお岩さんみたいでコワイ、という程度だった。

だが、なかなか治る気配がないので検査を受けた。

何の支障もないのになぜそうしたかというと、母方の血筋で僕は目が弱い。なにかというと目が充血したり、かゆみが出たり、乾いたりする。

最も重要なものは緑内障のDNAを受け継いでいるらしいことだ。母も緑内障を発症し、姉妹にも伝えられて苦しんでいる。

僕にはまだその症状はないが、1年に1度の検査を欠かさず、2人の息子にもそうさせている。

手術を受けた左目は冷たい風に当たったり、少しこすったりすると簡単に充血する。脂肪の突起が出たのもそういう軽い面倒のひとつだろうと当初は思った。

だが緑内障の気がかりもあって、ついに検査を受けることにした。

緑内障そのものを疑ったわけではないが、目の腺病質に引きずられた格好だ。

有能な外科医としても知られるアンドレアC教授は、診て、すぐに摘出しましょうと言った。僕が不安な顔になったのだろう、その後すぐに「大丈夫ですよ。あなたをCECO(チェコ・盲目にしたりはしません」と笑って続けた。

医師の言い方と表情には、僕の病気が深刻ではないこと、深刻ではないが将来の悪化の芽を摘み取っておきましょう。私が120%の確立でそれをやります。。とでもいうような圧倒的な自信と気遣いと誠意が感じられた。

僕はすぐに彼を信用した。

その後、日にちを分けて入院前の検査があった。そして居部麻酔で施術するということに決まった。

ところが、朝6時から始まった手術当日の面談や最終検査を経て、いざ麻酔を施す段階になった時に、医師が「全身麻酔で行きます同意なさいますか」と訊いてきた。

臆病な僕は以前の検査で、できれば眠ったまま手術を受けたいと要望し、彼らはそれに反して局部麻酔を主張していた。それにもかかわらず今は全身麻酔に変わった。

「なぜ全身麻酔なのですか」僕は訊いた。

「脂肪の根が大きく、当初より深くメスを入れなければなりません。局所麻酔では痛みを起こす可能性があります」

全身麻酔に同意されますか、と医師はたたみかけた。

実は手術日は2度に渡って変更され、最終的には当初の4月末から6月12日に変わった。

手術日が延びたために病気が悪化したのではないか、と僕は内心で自問したが、それは口に出さず、

「皆さんがそう判断されたのなら従います。僕はまな板の上の鯉の気分ですから」

と答えたら、執刀医も麻酔医も助手も皆が声に出して笑った。

麻酔から覚めてみると、手術後の左目にはほとんど何の支障もなく、その後時間が過ぎて、麻酔が完全に切れた頃になっても痛みはなかった。

ベットから起きだして鏡を覗いても左目は充血さえしていなかった。

夕方、医師が回診に来て、帰宅したいならそうして構いませんと告げた。帰りたいと答えると、書類を準備すると言って去った。

そのほぼ一時間後、今後の自宅ケアの注意点と経過検査の日にちを聞かされて病院を後にした。

翌日、手術した眼がかなり充血しているが、痛みはほとんどない。

ただまばたきをしたり、視線を移動させると、眼球あたりにかすかなひっかかりがある。なのでしばらく眼帯ふうのガーゼを貼って過ごすことにした。

眼帯は病院が処方したものではなく、自分で勝手に購入し勝手に貼ったり剥がしたりしている。

そこからも分かるとおり、医師もまた本人も手術は成功し経過も問題なしと納得している。






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隼ハヤブサ家族を慈しむ

鷹赤ちゃん格子薄く込み800

2019年からわが家の軒下で子育てを続けている鳥は、どうやら隼ハヤブサの仲間の長元坊チョウゲンボウのようだ。

そう判断するのは羽と体の全体が明るい茶色をしていることと、卵をほぼ常に4~5個産むからである。

イタリア語では鷹や隼ハヤブサのことを総じてFalco(ファルコ)、そのうちの小型のものを一律にFalchetto(ファルケット)と呼ぶ。そしてFalchettoは日本語では隼ハヤブサと訳されることが多いようだ。

そこで僕も“同じ屋根の下に住む”猛禽類の家族を、まとめて隼ハヤブサと呼ぶことにしている。

僕の感覚では隼ハヤブサも鷹の一種だが、学術的には隼ハヤブサは鷹ではなく、ハヤブサ目ハヤブサ科に属する猛禽類である。

猛鳥は2019年以来ずっとわが家の軒下で巣作りをしている。家は落ちぶれ貴族の古い大きな館である。巣までの高さは10メートル近くある。

館の屋根裏は広い倉庫になっていて、周囲に20あまりの通風孔がうがたれている。隼ハヤブサ当初、そのうちの一つの照明が設置されている孔に巣を作った。

2020年から2023年にかけては、コロナ禍もあって僕の気持ちはあまり鳥の巣に向かわなかった。心も体もコロナ禍疲れをしているというふうだった。

それでも2023年、隼ハヤブサが南屋根の通風孔から東屋根の孔の一つに移動して、巣作りをしていることを確認した。

2024年には少し撮影もした。

そして猛禽はことしも同じ通風孔に巣を構えた。

それとは別に僕は大きな発見をした。

かつて通風孔のほとんど全てで鳩が営巣をしていた。それが一羽も見えないのである。明らかに隼ハヤブサの存在が鳩を遠ざけている。それはありがたいことである。

鳩は通風孔を塞いで営巣するばかりではなく、屋根裏にまで侵入して飛び騒ぎ、糞を撒き散らし、羽毛を散乱させて倉庫全体を汚しまくる。

それを防ぐために通風孔には金網か掛けられているが、鳩はその金網さえ器用に避け、押し入り、飛び越え、ついには破壊さえして闖入する。

僕は糞害にはじまる鳩の迷惑行為に悩まされ続けてきた。ところが2025年現在、鳩は一切通風孔に巣を作らなくなった。明らかに猛禽のおかげだ。僕はますます隼ハヤブサが可愛くなった。

ほぼ一週間前つまり2025年6月3日の朝、3羽の雛のうち2羽が一つ隣の通風孔に移動しているのを見た。屋根裏から確認した後、外からも実見した。孔から孔へ飛び移ったのだと驚嘆した。

さらにその翌日、飛び移ったらしい2羽がそこの孔からいなくなり、元の巣孔に残された一羽だけが心細そうに外を眺めていた。

急いで屋根裏に回りスマホのレンズを向けた。大きくなった、だがまだ飛べないらしい雛が、じっと目を合わせてきた。シャッターを切って、そっとそこを離れた。

その翌日、屋根裏に行くと雛は巣立っていた。巣のあった孔もその隣の空間も空だった。

ところが話はそこでは終わらなかった。

なんと家周りの別の軒下を3羽の雛が歩き回っているのだ。彼らは飛び去ったのではなく、歩いて通風孔から通風孔へと移動していたのである。

それでも巣のあった孔から別の場所に移転しているのだから、それはやはり巣立ちと呼ぶべきなのだろう。

雛たちが今後どうなるのか興味津々だったが、その前に親鳥が餌を運び来るのかどうか、僕は少し気が気ではない思いでいた。

それも杞憂だった。親鳥は雛たちの側まで飛来して3匹を見守る。餌を与えているかどうかは確認できないが、恐らくそうしているのだろう。

6月9日現在、雛も親鳥も飛び去った。しかし、ぶどう園からわが家にかけての上空には隼ハヤブサ家族らしい鳥影がひんぱんに見える。

屋根の上に立てられたテレビアンテナに3羽が休んでいる姿さえ目視した。

そのうち遠くに飛ぶのだろうが、今のところ彼らは明らかにこの一帯を棲み処にして命をつないでいることが分かる。



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イタリアが再生した記念日にまた思うドイツの危うさ

Tricolore煙のみ650

昨日、6月2日はイタリア共和国記念日。旗日で休みだった。

第2次大戦末期の1945年4月25日、イタリアはナチスドイツとファシズムを駆逐して終戦を迎えた。

それは解放記念日とばれやはり祝日である。

日本人の多くが、日独伊三国同盟の史実にひきずられて、イタリアを日本とドイツと同列に並べ一律に第2次大戦の敗戦国と考えがちだ。

イタリアはむろん敗戦国だが、イタリア自身のいわば生い立ちあるいは因縁、などという観点から見れば戦勝国でもある。

なぜならイタリアは、ナチズムに席巻された状況で終戦を迎えたドイツや、軍国主義に呑み込まれたまま天皇を筆頭とする戦犯さえ処罰できなかった日本とは違い、民衆の蜂起によってファシズムとナチズムを排撃したからだ。

枢軸協定で結ばれていたイタリアとドイツは、大戦の真っ最中の1943年に仲たがいした。

それは戦況の変化や政治的な利害など複合的な要素が絡んだものだったが、ムッソリーニが失脚したことも大きな原因だった。

最終的にはイタリアはドイツと敵対関係になってナチスと激しく戦い、やがて連合軍に降伏。ドイツも完全敗北した。

終戦からほぼ一年後の1946年6月2日、イタリアは国民投票によって王制を排し共和国になった。

イタリアはそこに至って真の民主主義国へと生まれ変わった。

イタリアは日独と歩調を合わせて第2次世界大戦を戦ったが、途中で状況が変わってナチスドイツに立ち向かう勢力になった。

言葉を替えればイタリアは、開戦後しばらくはナチスと同じ穴のムジナだったが、途中でナチスの圧迫に苦しむ被害者になっていったのである。

戦後、イタリアが一貫してチスに蹂躙され抑圧された他の欧州諸国と同じ警戒感や不信感を秘めて同国に対しているのは、第2次大戦におけるそういういきさつがあるからである。

ドイツは戦後、真摯な反省を繰り返すことによって過去の大罪を許された。だが人々は彼らの悪行を忘れてなどいない。

ところが当のドイツはそのことを忘れつつある。だから極右のAfDが台頭した。

AfDは何もないところから突然発芽したのではない。ドイツ国民の密かな驕りと油断を糧にして、じわじわと増殖しているのだ。

僕はイタリアの解放記念日や共和国記念日には、過去の歴史に鑑みて、あらためてドイツの潜在的な危険を思わずにはいられない。




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一つ屋根の下の捕食者一家に萌えとろける

一羽(2025)800

小型の鷹あるいは隼ハヤブサらしい鳥が、初めてわが家の軒下に巣を作ったのは2019年の初夏である。

自家はイタリアのシャンパン、「スプマンテ」の里として知られるフランチャコルタにある。

家の周囲には有機農法で耕やされる広大なぶどう畑が連なっている。上空には多くの鳥が舞う。

ぶどうが有機栽培なので昆虫などの生き物が増え、それを狙う動物も目立つようになった。

それらを追うらしい猛禽類も盛んに滑空する。夕刻と早朝には小型のフクロウの姿も目撃できる。

ぶどう園にはネズミなどのげっ歯類も多く生息している。野兎さえ目撃されることがある。

中世風の高い石壁を隔てて、ぶどう園につながっている完全有機栽培の僕の菜園にも多くの命が湧く。虫も雑草も思いきりはびこっている。むろん鳥類も多い。小さなトカゲもにぎやかに遊び騒ぐ。 ヘビもハリネズミもいる。

ハリネズミは石壁の隙間や2ヵ所の腐葉土作り場、また菜園まわりに生いしげる雑草の中にまぎれ込んでいたりする。

ヘビは毒ヘビのVipera(鎖蛇)ではないことが分かっているので放っておく。が、出遭うのはぞっとしない。僕はへびが死ぬほど好きというタイプの人間ではない。

どうやらそれは向こうも同じらしい。なぜなら簡単には姿を見せようとしない。

ここ数年は顔を合わせていないが、脱皮した残りの皮が石壁や野菜の茎などにひっかかっていて、ギョッとさせられる。

ヘビは僕と遭遇する一匹か、命をつないだ別の固体が、今日もその辺に隠れているにちがいない。

猛禽類の隼(と呼ぶことにする)は、にぎやかな下界の様子に誘われてわが家の軒下に営巣を決め込んだ。

というのは言葉の遊びだが、餌となる生き物が多く生き騒ぐから、それらの近くに巣を作ったということなのだろう。

落ちぶれ貴族の膨大なボロ家であるわが家の屋根は高い。広大な屋根裏は倉庫になっていて、全体に通風孔がうがたれている。

2019年、隼は通風孔の一つに設置された照明の裏側に営巣して子育てをした。僕は屋根裏からそっと近づいては写真を撮っていたが、一度母鳥に気づかれて大騒ぎになった。

母鳥は爪を立てて恐ろしい形相で僕に襲い掛かろうとした。だが鳩の侵入をふせぐために設えられている金網に阻まれた。隼は激しく羽を逆立ててその金網をつかみ鬼の爆発顔で必死に僕を威嚇した。

それに懲りて僕は撮影に慎重になった。懲りたとは、母鳥が怖いというのではなく、逆に僕が彼女を恐怖させることに懲りた、という意味だ。

危険を感じて、母鳥が雛を見捨てるなどしたら僕の責任は重大だと気をもんだ。

遠くから観察して分かったのだが、母鳥は子供がごく小さいときは片時も巣を留守にしない。隼や鷹はつがいで子育てをする。父鳥が獲物を運んで母子を養う。

ことしは撮影の難しい昨年と同じ場所に巣が作られた。雛が幼い間は母鳥はずっと子供のそばにいて、どんなに息を殺して近づいても気づかれてしまう。

母鳥(同じ個体かどうかは分からないが)は、2019年に僕が不注意に巣に近づいて鬼の形相になった時とは違い、遠くの僕に気づくと立ち上がって雛から離れ、それでも飛び去ることはできず不安げな横目でこちらをちらちら見ている。

そのたたずまいがあまりにも切ないので、僕はそっと体を引き息を殺して立ち去ることしかできない。

だが母鳥がいないときは、雛を怖がらせないように細心の注意を払いつつ消音モードのスマホで写真を撮っている。

昨年はポルトガル旅行で留守にしていた間に雛は大きく育ち、帰って見ると5羽いたうちの2羽だけが残っていた。後の3羽は巣立ちしたのか死んだのか分からなかった。

早く大きくなった雛は、生存をかけて兄弟雛を殺したりもするらしい。ここでもそんな命のドラマがあったのかもしれない。

そう考えると、自然の摂理とはいえ、少し胸が痛んだりもする。

ことしも卵は5個だが、1個だけ離れた場所に寄せられていた。親鳥はどうやってそれを抱くのだろうと訝る前に、彼らは鋭い本能で卵が死んでいるのを悟るのだと気づいた。

その卵は、4羽の雛が孵化した後もしばらく巣の脇に残されていた。それを見て僕はふと「死児(しじ)の齢(よわい)を数える親」と言う言葉を想った。
卵は、しかし、いつしか巣から消えた。親鳥が片づけたようには見えない。

雛たちが餌を前に騒いだり遊んだりしているうちに蹴落としたのだろうか。





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映画「コンクラーベ」と「真正コンクラーベ」を較べて見れば

仕切り役650

4月初旬、映画Conclaveを日本からイタリアに飛ぶ便の中で観た。映画の日本語タイトルが「教皇選挙」であることは後にネットで知った。

内容は「新しい映画とは何か」という問いに十分に答え得るもので、そのことについて書こうと思っていた矢先、フランシスコ教皇が亡くなってリアルな教皇選挙、コンクラーベが開催されることになった。

僕はフランシスコ教皇が選出された2013年のコンクラーベの際に少し勉強して、秘密選挙であるコンクラーベについてある程度の知識を得ていた。それなので映画の内容がすんなりと腑に落ちた。

腑に落ちたというのは、リアルなコンクラーベの詳細を知った上で、フィクションである映画Conclaveのメッセージに納得したという意味である。

ローマ教皇は世界におよそ14億人いるカトリック教会の最高指導者。「イエス・キリストの代理人」とも位置づけられて信者の道徳的規範を体現する大きな存在である。

彼は同時にバチカンの国家元首として司法、立法、行政の全権も行使する。コンクラーベはそのローマ教皇を決める選挙である。選ぶのは教皇を補佐するバチカンの枢機卿団。

選挙人数は80歳以下の枢機卿120人とされる。だが一定ではない。今回のコンクラーベでは135名の枢機卿が投票資格を持つが、うち2人が病気で参加できないため133人が集って秘密選挙を行うと見られている

なぜ秘密選挙なのかというと、世界中から結集した枢機卿はバチカンのシスティーナ礼拝堂に籠もって、外界との接触を完全に絶った状況で選挙に臨むからだ。

電話やメールを始めとする通信手段はいうまでもなく、外部の人間との接触も一切許されない。メディアや政治家また権力者などの俗界の力が、選挙に影響を及ぼすことを避けるためだ。

選挙方法は枢機卿の互選による投票で、誰かが全体の3分の2以上の票を獲得するまで続けられる。第1回目の投票は5月7日の午後に行われ、そこで当選者が出ない場合は翌日から午前2回と午後の2回づつ毎日投票が実施される。

権力者を決める重大な選挙であるため、枢機卿の間では駆け引きと権謀術数と裏切りと嘘、また陣営間の切り崩しや脅しや足の引っ張り合いが展開されるであろうことは想像に難くない。

そこにはしたたかな選挙戦が進む過程で、最も職責にふさわしい人物が絞り込まれていく、という効用もある。

映画Conclaveは、現実のコンクラーベでは伺い知ることのできないそうした内実を描いている。無論フィクションだが、選挙にまつわる清濁の思惑、特に濁の魂胆が激しく錯綜する極めて世俗的な政治ショーを余すところなく見せる

映画の新しさとは、表現法や視点の面白さと、それを実現するに足る斬新な撮影テクニックの存在、中身に時代の息吹が塗り込められていることなどがある。

例えば1950年に発表された黒澤明の「羅生門」は、複数の人間が同じ事件を自身のエゴに即して全く違う視点で見、語るという表現法が先ず斬新だった。

さらに太陽にカメラのレンズを向けるというタブーを犯して暑さを表現したこと、移動レールに乗ってカメラが藪の中を疾駆するとき、木の枝がレンズにぶつかってはじける臨場感満載のシーン、殺し合う2人の男が怒りと恐怖で疲労困憊しながら獣の如く戦いのたうち回るリアリズムなど、思いつくだけでも数多い。

また「用心棒の」冒頭で斬り落とされた人間の腕を咥えた犬が走るカット、ラストで血が爆発的に噴き出す斬撃シーン、「蜘蛛の巣城」で弓矢が銃弾さながら激しく降り突き刺さるシーン、影武者の戦陣シーンで部隊の動きを長回しのカメラが流暢に追いかける計算されつくした構成、などなど数え上げれば切りがない。

それらは例えばクエンティン・タランティーノの「パルプフィクション」で死者がふいに起き上がるシーンや、「キルビル」で主人公が地中の棺桶から出て地上に這い上がる場面などにも通底する発明であり、発見であり、エンターテイメントだ。優れた映画、ヒットした映画、面白い映画には必ずそうした驚きがちりばめられている。

映画Conclaveには撮影テクニックや表現法などの新しい発明はない。その部分ではむしろ陳腐だ。だが今の時代の息吹を取り込んでいるという新しさがある。それがイスラム過激派のテロとLGBTQ+だ。

映画では人間のどろどろした動きが丹念に描かれるが、選挙の結論は中々出ない。行き詰まったかに見えたとき、イスラム過激派による爆破事件が起こり投票所(システィーナ礼拝堂を暗示する)の窓も破壊される。

すると保守派の有力候補が、イスラム教への憎悪をむき出しにして宗教戦争だ、彼らを殲滅するべきと叫ぶ。

それに対して1人の候補が「戦争ではキリスト教徒もイスラム教徒も同様に苦しみ、死ぬ。我らと彼らの区別はない。戦争は憎しみの連鎖を呼ぶだけだ」と説く。

その言葉が切り札となって、次の投票では彼に票が集まり、結局その候補が新教皇に選出される。

そして実は新教皇に選ばれたその人は「インターセックス」という性を持つ人物であることが、伏線からの流れで無理なく明らかにされる。

イスラム過激派のテロとLGBTQ+という、いま最もホットな事案のひとつをさり気なくドラマに取り込むことで、映画Conclaveは黴臭い古いコンクラーベを描きつつ新しさを提示している。

映画での新教皇の演説は、亡くなったフランシスコ教皇が2013年のコンクラーベで「内にこもって権力争いに明け暮れるのではなく、外に出て地理的また心理的辺境にまで布教するべき」という熱いスピーチを行って票を集めた史実を踏襲している。

またフランシス教皇が保守派の強い抵抗に遭いながらも、LGBTQ+の人々に寄り添う努力をした事実などもドラマの底流を成している。

2025年4月21日に亡くなったフランシスコ教皇の後継者を決める秘密選挙・コンクラーベは、間もなく蓋を開ける。

そこではフランシスコ教皇の改革路線を継承する人物が選ばれるかどうかが焦点になるだろう。

世界中に14億人前後いると見られるカトリック教徒のうち、約8割は南米を筆頭に北米やアフリカやオセアニアなど、ヨーロッパ以外の地域に住んでいる。

ところが聖ペドロ以来265人いたローマ教皇の中で、ヨーロッパ人以外の人間がその地位に就いたことはなかった。

内訳は254人がヨーロッパ人、残る11人が古代ローマ帝国の版図内にいた地中海域人だが、彼らも白人なのであり、現在の感覚で言えば全てヨーロッパ人と見なして構わないだろう。

ところが2013年、ついにその伝統が途絶えた。

南米アルゼンチン出身のフランシスコ教皇が誕生したのだ。先日亡くなったフランシス教皇その人が、史上初めて欧州以外の国から出た教皇だったのである

フランシスコ教皇は、教会の公平と枢機卿の出自の多様化を目指して改革を推し進め、アジア、アフリカを中心に多くの枢機卿を任命した。

5月7日から始まるコンクラーベで投票権を持つ135人のうち108人は、フランシスコ教皇が任命した枢機卿だ。出身国は71カ国に及び、ヨーロッパ中心主義が薄れている。

このうちアジア系とアフリカ系は41人。ラテンアメリカ系は21人いる。ヨーロッパ系は53人いて依然として最多ではあるが、かつてのようにコンクラーベを支配する勢いはない。

バチカンの行く末は、信徒の分布の広がりを反映した多様性以外にはあり得ない。それに対応して、将来はヨーロッパ以外の地域が出自の教皇も多く生まれるだろう。

フランシスコ教皇はアルゼンチンの出身だが、先祖はイタリア系の移民だ。つまり彼もまたヨーロッパの血を引いていた。

だがそうではない純粋のアジア、アフリカ系の教皇の出現も間近いだろう。あるいは今回のコンクラーベで実現するかもしれない。

その場合、アジアのフランシスコとも呼ばれるフィリピンのルイス・アントニオ・タグレ枢機卿などが、もっとも可能性があると考えられる。

そうはいうものの、しかし、下馬評の高かった候補が選ばれにくいのが、コンクラーベの特徴でもある。5月7日が待ち遠しい。









死してなお民衆とともに生きる教皇フランシスコ

接写経て650

4月26日、第266代ローマ教皇フランシスコの葬儀が執り行われた。

キリスト教徒ではない僕は、教皇の就任式や葬儀、また彼らの普段の在り方等々に接する場合、ほぼ常に天皇と比較して見、考える癖がある。

今回も同じだったが、偉大な人物だったフランシスコ教皇の前には、彼に勝るとも劣らない先達がいたことを、先ず書いておくことにした。

「(移民を拒む)壁を作るな。橋を架けなさい」とトランプ大統領を諭したフランシスコ教皇の葬儀は適度に荘厳なものだった。

適度に荘厳とは、例えば2005年に行われた第264代教皇ヨハネパウロ2世や、3年前に死去したエリザベス英国女王の絢爛豪華な葬儀などに比べれば質素、という意味である。

儀式全体の慎ましさはフランシスコ教皇の遺志によるものだった。僕はそこに、いかにも清貧を重んじたフランシスコ教皇の弔いらしさを見て心を打たれた。

葬礼はバチカンの伝統に則って執り行われた。従って威風堂々たるものだった。だが参加者の顔ぶれや人数や式次第などは、前述の2人の葬儀に比較すると見劣りがした。

それはフランシス教皇自身が、華美を徹底的に排した式次第を生前に言い渡し、信徒に向けては私の葬儀に出席するのは止めてその分の費用を貧しい人に与えてください、と遺言していたことなどが影響したと考えられる。

また棺が従来よりも簡素なものになり、葬儀のあり方自体も徹底して絢爛が払拭された。埋葬そのものでさえ平易化 された。

埋葬場所がサンピエトロ寺院からサンタマリアマッジョーレ大聖堂に変更され、埋葬自体も教皇の家族のみで行わた。墓には簡潔にFrancescus(フランシスコ)とのみ刻まれた。

それらは全てフランシスコ教皇の遺言によって実行されたものである

「貧しい人々と弱者に寄り添え」と言い続けた教皇は、ただそう主張するだけではなく、実際に清貧のうちに生きて自らを律した。死して後も虚飾を否定して、真に民衆と共に歩む姿勢を明確に示した。

その哲学は独自のものだったが、同時に先達もいた。

彼の生き様は、歴代の教皇のうち、善良な魂を持つ少なくない数の教皇らの足跡をたどったものでもあった。

例えば素朴な羊飼いの杖が、時間経過と共に変遷進化して十字架の形をした笏杖(しゃくじょう)になり、十字に3本の横棒が付いたものは教皇だけが使用できる特別な用具になった。

第262代教皇パオロ6世は、それを教皇の権威の象徴であり思い上がりだと非難して、3本の横棒の付いた笏杖を廃止し十字架のキリスト像を導入した

十字架の笏杖は、着座33日で死去したヨハネ・パウロ1世を経て、パウロ6世を事実上引き継いだヨハネ・パウロ2世によって最大限に活用された。

ヨハネパウロ2世は26年余に渡って教皇の座に居た。彼は多くの功績を残したが、最も重要な仕事は故国ポーランドの民主化運動を支持し、鼓舞して影響力を行使。ついにはベルリンの壁の崩壊までもたらしたことである。

さらに彼は敵対してきたユダヤ教徒と和解し、イスラム教徒に対話を呼びかけ、アジア・アフリカなどに足を運んでは貧困にあえぐ人々を支えた。同時に自らの出身地の東欧の人々に「勇気を持て」と諭して、既述のようについにはベルリンの壁を倒潰させたと言われている。

ヨハネ・パウロ2世は単なるキリスト教徒の枠を超えて、宗教のみならず、政治的にもまた道徳的にも人道的にも巨大な足跡を残した人物だった。

ヨハネパウロ2世が好んで用いたのが十字架上のキリストをあしらった笏杖である。彼は笏杖を捧げ持ち頭を垂れて沈思黙考し、あるいは沈痛な面持ちで神に祈る構えの写真を多く撮られている。

それは彼自身とバチカンの戦略であり、同時にメディアが仕組んだ構図だとも考えられる。

その絵はヨハネパウロ2世の功績にぴたりとマッチするものだった。彼は民衆に寄り添うと同時に権威も兼ね備えた完璧な存在だった。

世界各地の問題に真摯に立ち向かいつつ、強者には歯向かう恐れを知らぬ勇者だった。強さと謙虚と慈悲心に満ちた偉大な宗教者であり人格であったのがヨハネパウロ2世だ。

人々は彼がひんぱんに捧げ持つ笏杖は、宗教的存在としての彼の手引きであり、人間存在としての彼の誠心の象徴だと捉えた。

今般亡くなったフランシスコ教皇は、ヨハネパウロ2世によって枢機卿に叙任された。そのことからも分かるように彼は終生ヨハネパウロ2世を崇敬しその足跡をたどった。

同時に彼独自のスタイルも編み出し堅持した。

ひと言で表せばそれは清貧である。彼は徹底して貧者と弱者に寄り添う道を行った。彼にとってはヨハネパウロ2世の笏杖でさえあるいは奢侈に見えた。だからめったにそれを手にしなかったのではないか。

彼の師であり憧れだったヨハネパウロ2世も、むろん弱者に目を向け貧者を救う行動を多くした。同時に彼は巧まざる権威とカリスマ性にも満ちた稀有な存在だった。

フランシスコ教皇は自らを「弟子」と形容することがよくあった。それは言うまでもなくイエス・キリストの弟子であり、民衆に仕える謙虚な僧侶また修道士という意味の弟子であると考えられる。

同時にそこには自らをヨハネパウロ2世の弟子と規定する意味もあったのではないか、と僕は推察するのである。

フランシスコ教皇の葬儀は、彼の死生観と生前に発意した質素な内容の式次第に沿って進行し、見ていて清々しいものだった。

そこには眼を見張るほどの荘重さはなかったが、故人の生き様を表象する清廉さに満ちていた。

フランシスコ教皇は質朴に生き、弱者に寄り添い、強者に立ち向かう一点において、ついに彼の師であり憧憬でもあったヨハネパオロ2世を超えてはるかな高みに至り、輝いていると思う。



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生の入相に遊ぶ島の春やイタリアの春

喜平表650

3月末、島の海開きは寒くて浜に下りられなかったという知らせを那覇の栄町市場の飲み屋で聞き、4月2日から一週間、東京で花見をし、飲み、食べ遊んだ後、香港経由でイタリアに戻った。

イタリアも春である。

だが同じ春でも空気の芯に暑気が潜む島の春とは違う。

いわば冬を打ち負かした暖気が、じわじわと辺りの環境に染みこんで充満していくような、本来の春らしい空気感である。

菜園には雑草が生い茂っている。

まずチビ耕運機を駆って土を起こし、各種サラダ菜の種を撒き、トマトやピーマンやナスまたズッキーニなどの果菜類の苗を買って植え付けて行く計画。

日本からの戻りが遅かったので少し動きが鈍くなるが、これからでも野菜たちは十分に育ってくれるだろう。

東京では学生時代の友人のPranks(ペンネーム)君にも会った。

彼はほぼ60歳になろうとする頃ふいにイラストを描きはじめた。

10年ほど前の話だ。

還暦まで自らの絵描きの才能に気づかなかったという男は不思議だが現実だ。

数千枚が仕上がった時に展覧会や出版を行った。僕の記事にも幾つか使わせてもらった。

人生を振り返る年代になっても描き続ける彼の姿は、驚きと勇気と元気を辺りに振りまく。

僕を含む同年代の最早若くない者たちをも鼓舞して、頑張ろうという気にさせてくれる。

来し方を見返すのもいいが、人生は常に勝負と捉え心して進むべし、という生き方もまたありだろう。

テレビ屋の僕は、コロナ禍を機にもうロケには出ないと腹を決めたが、飽きが来ない限りは執筆に力を入れようなどと思っている。

執筆と旅と野菜作りが今の僕の日々である。

そこにはワインとビールと少しの日本酒などが彩りを添える




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なぜ村上春樹ではなく韓江なの?Ⅱ

白い波と景色縦800

《前記事の追伸》

貼付した2017年の記事の頃は不確かだったが、その後に多くを読んで、桐野夏生も村上春樹や宮本輝と並ぶーベル賞候補と考える。また僕は同時に吉本ばななも読み、なぜ彼女がノーベル賞候補に挙げられるかを理解した。


参照:https://terebiyainmilano.livedoor.blog/archives/52255786.html










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なぜ村上春樹ではなく韓江なの?

白い教会Agenブルー&空800

韓江さん のノーベル文学賞受賞はすばらしい出来事である。僕はノーベル賞をもらった作家の作品をあわてて読むことはほとんどないが、機会があれば手に取ってみようと思う。カズオ・イシグロのときのように。そして、カズオ・イシグロ受賞の際も言ったが、なぜ村上春樹ではなく韓江 なのか、とノーベル財団に問いたい。あらゆる文学賞は主観的なものだ。従ってノーベル財団の選考者が誰を選ぼうと構わない。僕は自分の主観で選ぶ優れた作家の作品を優先して読むだけである。そのことについては既に書いたので、ぜひ貼付する記事に目を通していただきたい。

https://terebiyainmilano.livedoor.blog/archives/52255786.html











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牙を剥かないトランプさんもやっぱり消えてほしい役者に見える

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イタリア時間の午前3時に始まったトランプvsハリスの討論会を生中継で観た。

トランプ候補は、相手や司会者の質問をはぐらかしながら自らの岩盤支持者が聴きたいことだけを集中してわめく、という自身が2016年の大統領選挙で発明した手法にこだわった。

だが、ハリス候補がそこに小さな風穴を開けて、トランプ候補を討論の本筋に引っ張りこむ場面があった分だけ、討論はハリス候補の勝ち、というふうに僕の目には映った。

トランプ候補は司会者が提示するほぼ全てのテーマで、当初はテーマに沿って話し出すものの、途中で脱線して移民問題を声高に論じることを繰り返した。

バイデン政権がメキシコ国境から入る多数の移民を受け入れ、それがアメリカを危険に陥れているという、 一貫した主張だ。

トランプ候補は排外差別主義者も多い彼の岩盤支持者層が、移民問題をもっとも重要なイシューと捉えることから、話をしつこくそこに持っていこうとするのである。

彼は反移民感情に支配されるあまり、移民ペットの犬や猫を食べているとさえ発言し、司会者がそれは真実ではないとたしなめる場面もあった。

トランプ候補は移民を憎む彼の支持者の受けを狙って、平気でそうした下劣な発言をすることがしばしばだ。

2016年の選挙戦以来つづく彼の憎しみを煽るレトリックは、アメリカ国民の半数にとってはもはや恥ずべきことなどではなく、ごく当たり前の手法になってしまった。

程度が低いと形容することさえはばかられるような、醜い主張を平然と口にできる男が、かつてアメリカ大統領であり、かつ再び大統領になろうとやっきになっている現実は見苦しい。

僕は高市早苗氏だけは断じて自民党の総裁になってはならないと考える者だが、それと同様にトランプ候補もけっして再び大統領にしてはならない、と腹から思う。

しかし、アメリカ国民の少なくとも3割強はトランプ候補と同じことを信じ込み、選挙になると彼らに同調する者が増えて、結果投票者のおよそ半分がトランプ主義者へと変貌することが明らかになっている。

そういう状況を踏まえれば、討論会でやや優勢だったハリス候補が最終的に勝利を収めるがどうかは、全く予断を許さない。

その根拠となるもう一つの要素を指摘しておきたい。

トランプ候補は過去の討論会では、相手への憎悪や怒りや悪口を狂犬のように吼えたてることも辞さなかった。

むしろその方法で隠れトランプ支持者とも呼ばれたネトウヨヘイト系差別排外主義者に近い人々を鼓舞して、彼らが闇から出て名乗りを上げるように仕向けた。

それは社会現象となり、彼らが団結してトランプ候補を第45代アメリカ合衆国大統領に押し上げた、と表現しても過言ではない状況になった。

それらのいわゆる岩盤支持者は今も変わらずにそこにいる。だが一方で、差別や憎しみや怒りを露わに他者を攻撃しても構わないという彼の行動規範は、多くの人々の反感も買っている。

トランプ候補は無党派層を始めとするそれらの反トランプ派の票を意識して、今回の討論会では汚い言葉や激しい表現で相手を罵倒するのを控えて「紳士」を装ったふしもある。

そして反トランプとまではいかなくとも、トランプ候補を支持するかどうか迷っている人々が、彼の「少しまともな」言動に好感を抱いて支持に回ることも十分にあり得る。

それは少数の有権者かもしれないが、あらゆる統計で僅差のレースが確実視されている厳しい戦いでは、そのわずかな数の票が決定的な影響を持つこともまた十分に考えられる。

結果11月の選挙の行方は、やはり五里霧中の探し物と言うにも相応しい極めて微妙なものになると思うのである。





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ファドと鳥羽節が好きです

美人歌手中ヨリ800

リスボンで聴いたファドは味わい深かった。それを聴きつつ演歌を思ったのは、両者には通底するものがある、と感じたからだ。

さて、ならば演歌は好きかと誰かに問われたなら、僕は「好きだが、多くの演歌は嫌い」というふうに答えるだろう。

嫌いというのは、積極的に嫌いというよりも、いわば「無関心である」ということだ。演歌はあまり聴くほうではない。聴きもしないのに嫌いにはなれない。

ところが、帰国した際に行合うカラオケの場では、どちらかと言えば演歌を多く歌う。なので、「じゃ、演歌好きじゃん」と言われても返す言葉はない。

演歌に接するときの僕の気持ちは複雑で態度はいつも煮え切らない。その屈折した心理は、かつてシャンソンの淡谷のり子とその仲間が唱えた、演歌見下し論にも似た心象風景のようだ。

淡谷のり子ほかの洋楽歌手が戦後、演歌の歌唱技術が西洋音楽のそれではないからといって毛嫌いし「演歌撲滅運動」まで言い立てたのは、行き過ぎを通り越してキ印沙汰だった。

歌は心が全てだ。歌唱技術を含むあらゆる方法論は、歌の心を支える道具に過ぎない。演歌の心を無視して技術論のみでこれを否定しようとするのは笑止だ。

筆者は演歌も「(自分が感じる)良い歌」は好きだ。むしろ大好きだ。

しかしそれはロックやジャズやポップスは言うまでもなく、クラシックや島唄や民謡に至るまでの全ての音楽に対する自分の立ち位置。

僕はあらゆるジャンルの音楽を聴く。そこには常に僕にとってのほんの一握りの面白い歌と膨大な数の退屈な楽曲が存在する。演歌の大半がつまらないのもそういう現実の一環である。

箸にも棒にも掛からない作品も少なくない膨大な量の演歌と演歌歌手のうち、数少ない僕の好みは何かと言えば、先ず鳥羽一郎だ。

僕が演歌を初めてしっかりと聴いたのは、鳥羽一郎が歌う「別れの一本杉」だった。少し大げさに言えば僕はその体験で演歌に目覚めた。

1992年、NHKが欧州で日本語放送JSTVを開始。それから数年後にJSTVで観た歌番組においてのことだった。

「別れの一本杉」のメロディーはなんとなく聞き知っていた。タイトルもうろ覚えに分かっていたようである。

それは船村徹作曲、春日八郎が歌う名作だが、番組で披露された鳥羽一郎の唄いは、完全に「鳥羽節」に昇華していて僕は軽い衝撃を受けた。

僕は時間節約のために歌番組を含むJSTVの多くの番組を録画して早回しで見たりする。たまたまその場面も録画していたのでイタリア人の妻に聞かせた。

妻も良い歌だと太鼓判を押した。以来彼女は、鳥羽一郎という名前はいつまでたっても覚えないのに、彼を「Il Pescatore(ザ漁師)」と呼んで面白がっている。

歌唱中は顔つきから心まで男一匹漁師になりきって、その純朴な心意気であらゆる歌を鳥羽節に染め抜く鳥羽一郎は、われわれ夫婦のアイドルなのである。

僕の好みでは鳥羽一郎のほかには北国の春 望郷酒場 の千昌夫、雪国 酒よ 酔歌などの吉幾三がいい。

少し若手では、恋の手本 スポットライト 唇スカーレットなどの山内惠介が好みだ。

亡くなった歌手では、天才で大御所の美空ひばりと、泣き節の島倉千代子、舟唄の八代亜紀がいい。

僕は東京ロマンチカの三条正人も好きだ。彼の絶叫調の泣き唱法は味わい深い三条節になっていると思う。だが残念ながら妻は、三条の歌声はキモイという意見である。





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演歌の花舞台

バイロアルト俯瞰UP650

ポルトガルの歌謡、ファドをシャンソンやカンツォーネを引き合いに出して語るとき、僕は隣国スペインのフラメンコやタンゴを思わずにはいられない。

さらにイベリア半島のタンゴが変容発展して生まれたアルゼンチンタンゴ、またブラジルのサンバなどにも思いは飛ぶ。

サンバやタンゴまたフラメンコは踊りが主体という印象が強いが、実はそこでも音楽や歌は重要だ。特にフラメンコはそうである。

フラメンコは踊りよりも先ず歌ありき、で発生したと考えられている。

ファドはラテン系文化圏に息づくそれらの音楽の中でも、特に日本の演歌に近い情感と姿容を備えている。

哀愁と恋心と郷愁また人生の悲しみなどを歌うファドは、日本の歌謡で言えば、子守歌の抒情を兼ね備えたまさに演歌そのもの、と感じるのである。

演歌だから、同種の歌詞に込めた情念を、似通ったメロディーに乗せて歌う陳腐さもある。だがその中には心に染み入り好き刺さる歌もまた多い。

リスボンでは盛り場のバイロ・アルトで店をハシゴしてファドを聴いた。

2人の女性歌手が交互に歌う店、若いファデイスタが入れ替わり立ち代わり歌う賑やかな店があった。

また老齢の渋い男性歌手が、彼の弟子らしい若い女性歌手と交互に歌い継ぐ店などもあった。

それぞれが個性的で、趣の深い楽しい雰囲気に包まれていた。

女性歌手が多いファドだが、最後に聴いた老齢の男性歌手の歌声が、もっともサビが効いて面白いと感じた。

ファドのように専門の店を訪ねて歌を聴く、という体験は僕にとっては希少だ。ニューヨークでのジャズ、沖縄の島唄、そして欧州ではスペインで見聴きしたフラメンコくらいのものだ。

フラメンコは、スペインのアンダルシア地方をじっくりと見て回った際、セビリアとグラナダまたカディスなどで 店や小劇場を巡って大いに見惚れ聞き惚れた。

アルゼンチンタンゴとサンバはまだ本場では体験していない。機会があればどちらもそれぞれのメッカで見、聴きたいと思う。

録音や録画もいいが、音楽はやはりライブで聴き、見るほうがはるかに心を揺さぶられる。




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ファド演歌の小粋


 女歌手と奏者縦800

ポルトガル旅行中のリスボンでは観光と食事に加えてファドも堪能した。

ファドは日本ではポルトガルの民族歌謡と規定されることが多い。僕はそれをポルトガルの演歌と呼んでいる。ファドだけではない。

カンツォーネはイタリアの演歌、同じようにシャンソンはフランスの演歌、というのが僕の考えである。

日本では、いわばプリミティブラップとでも呼びたくなる演説歌の演歌が、「船頭小唄」を得て今の演歌になった。

それとは別に日本では、歌謡曲やニューミュジック、またJポップなどと総称される新しい歌も生まれ続けた。

民謡や子守歌はさておき、「船頭小唄」からYoasobiの「群青」や「勇者」までの日本の歌謡の間には、何光年もの隔たりと形容してもいい違いがある。

その流れは1900年代半ば過ぎ頃までのカンツォーネとシャンソンの場合も同じだ。

イタリアではファブリツィオ・デ・アンドレやピノ・ダニエレなどのシンガーソングライターや、英米のロックやポップスの影響を受けた多くのアーチストがカンツォーネを激変させた。

シャンソンの場合も良く似ている。日本人が考える1960年頃までのいわばオーソドックスなシャンソンは、ミッシェル・ポルナレフやシルヴィ・バルタン、またフランソワーズ・アルディなどの登場で大きく変わった。

僕はそれらの新しい歌謡とは違う既存のシャンソンやカンツォーネを、大衆が愛する歌という括りで「演歌」と呼ぶのである。

日本の演歌では、男女間のやるせない愛念や悲恋の情、望郷また離愁の切なさ、夫婦の情愛、母への思慕、家族愛、義理人情の悲壮、酒場の秋愁などの大衆の心情が、しみじみと織り込まれる。

古い、だが言うなれば「正統派」シャンソンやカンツォーネでも、恋の喜びや悲しみ、人生の憂いと歓喜また人情の機微ややるせなさが切々と歌われる。それらはヨナ抜き音階の演歌とは形貌が異なる。だがその心霊はことごとく同じだ。

さて、ファドである。

カンツォーネもシャンソンも単純に「歌」という意味である。子守唄も民謡も歌謡曲もロックもポップスも、イタリア語で歌われる限り全てカンツォーネであり、フランス語の場合はシャンソンだ。

ところがファドは、単なる歌ではなく運命や宿命という意味の言葉だ。そのことからして既に、哀情にじむ庶民の心の叫びという響きが伝わってくる。

ファドは憐情や恋心、また郷愁や人生の悲しみを歌って大衆に愛される歌謡という意味で、先に触れたようにシャンソンやカンツォーネ同様に僕の中では演歌なのだが、フランスやイタリアの演歌とは違って、より日本の演歌に近い「演歌」と感じる。

演歌だから、決まり切った歌詞や情念を似通ったメロディーに乗せて歌う凡庸さもある。だがその中には心に染み入り魂に突き刺さる歌もまた多いのは論を俟たない。

リスボンでは下町のバイロ・アルト地区で、ファドの店をハシゴして聞きほれた。

一軒の店では老いた男性歌手が切々と、だがどことなく都会っぽい雰囲気が漂う声で歌った。

4軒をハシゴしたが、結局その老歌手の歌声がもっとも心に残った。

ファドは、ファドの女王とも歌姫とも称されるアマリア・ロドリゲスによって世界中に認知された。

彼女もいいが、個人的には僕は、フリオ・イグレシアスっぽい甘い声ながら実直さもにじみ出るカルロス・ド・カルモが好きだ。

ファドは女性歌手の勢いが強い印象を与える芸能だが、たまたま僕は録音でも実況でも、男性歌手の歌声に惹かれるのである。





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