【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

時事(フェスタ・祭り)

秋の欧州で撃ち殺される確率



猟師を撃つ熊500


欧州は新型コロナ感染拡大第2波に襲われつつある。それどころか、スペイン、フランス、イギリス等の感染状況を見ると、第2波の真っただ中という見方もできる。

そんな中でも― いや感染を恐れて家に閉じこもる機会が多いそんな折だからこそ―ヨーロッパ人は狩猟に出ることをやめない。

欧州の多くの国の狩猟解禁時期は毎年9月である。新年をまたいで2月頃まで続く。いうまでもなく細かい日時は国によって異なる。

たとえばイタリアは9月の第一日曜日に始まり約5ヶ月にわたって続く。フランスもほぼ似通っている。

一方、狩猟超大国のスペインは春にも狩猟シーズンがあって、一年のうちほぼ9ヶ月間は国中の山野で銃声が聞こえる。

スペインの狩猟は悪名高い。狩猟期間の長さや獲物の多さが動物愛護家やナチュラリスト(自然愛好家)などの強い批判の的になる。

2012年には同国のフアン・カルロス前国王が、ボツワナで像を撃ち殺して世界の顰蹙を買い、スペインの狩猟の悪名アップに一役買った。

もっとも狩猟への批判は、フランスやイタリアでも多い。欧米の一般的な傾向は、銃を振り回し野生動物を殺すハンティングに否定的だ。

近年はハンターも肩身の狭い思いをしながら狩猟に向かう、といっても過言ではない。彼らの数も年毎に減少している。

それでもスペインでは国土の80%が猟場。今でも国民的スポーツ、と形容されることが多い。正式に狩猟ライセンスを保持しているハンターはおよそ80万人である。

だが実際には密猟者と無免許のハンターを合わせた数字が、同じく80万程度になると考えられている。つまり160万人もの狩猟者が野山を駆け巡る。

イタリアのハンターは75万人。状況はスペインやフランスなどと同じで、多くの批判にさらされて数は年々減っている。しかし、真の愛好者は決してその趣味を捨てない。

かつてイタリア・サッカーの至宝、と謳われたロベルト・バッジョ元選手も熱狂的ハンターである。彼は仏教徒だが、殺生を禁忌とは捉えていないようだ。

狩猟が批判されるもうひとつの原因は、銃にまつわる事故死や負傷が後を絶たないことである。犠牲者は圧倒的にハンター自身だが、田舎道や野山を散策中の関係のない一般人が撃ち殺される確立も高い。

狩猟は山野のみで行われるのではない。緑の深い田舎の集落の近辺でも行われる。フランスやイタリアの田舎では、家から150メートルほどしかない範囲内でも銃撃が起こる。

そのため集落近くの田園地帯や野山を散策中の人が、誤って撃たれる事故が絶えない。狩猟期間中は山野はもちろん郊外の緑地帯などでも出歩かないほうが安全である。

イタリアでは昨年秋から今年1月末までのシーズン中に、15人が猟銃で撃たれて死亡し49人が負傷した。また過去12年間では250人近くが死亡、900人弱が負傷している。

またフランスでは毎年20人前後が狩猟中に事故死する。2019年の秋から今年にかけての猟期には平均よりやや少ない11名が死亡し130人が負傷した。

狩猟の規模が大きくハンターも多いスペインでは、一年で40人前後が死亡する。また負傷者の数は過去10年の統計で、年間数千人にも上るという報告さえある。

事故の多さや批判の高さにもかかわらず、スペインの狩猟は盛況を呈する。経済効果が高いからだ。スペインの狩猟ビジネスは12万人の雇用を生む。

ハンティングの周囲には狩猟用品の管理やメンテナンス、貸し出し業、保険業、獲物の剝製業者、ホテル、レストラン、搬送業務など、さまざまな職が存在する。

スペインは毎年、世界第2位となる8000万人を大きく上回る外国人旅行者を受け入れる。ところが新型コロナが猛威を振るう2020年は、その97%が失われる見込みだ。

観光業が大打撃を受けた今年は国内の旅行者が頼みの綱だ。その意味でもほとんどがスペイン人である狩猟の客は重要である。2020年~21年のスペインの狩猟シーズンは盛り上がる気配があるが、それは決して偶然ではない。

スペインほどではないがここイタリアの狩猟も、またフランスのそれも盛況になる可能性がある。過酷なロックダウンで自宅待機を強いられたハンター達が、自由と解放を求めて野山にどっと繰り出すのは理解できる。

欧州では2020年秋から翌年の春にかけて、鹿、イノシシ、野生ヤギ、ウサギまた鳥類の多くが狩られ、ハンターと同時に旅人や散策者や住人が誤狙撃されるいつもの危険な光景が出現することになる。

同じ欧州は新型コロナの感染拡大第2波に襲われている。外出をし、移動し、郊外の田園地帯や山野を旅する者は従って、狩猟の銃弾の剣呑に加えて新型コロナウイルスの危険にも晒される、という2重苦を味わうことになりそうである。


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ガルダ湖の空が晴れるまで


牛込み俯瞰800


イタリア最大の湖、ガルダ湖を1000メートル下に見おろす山中にいる。元修道院だった古ぼけた山荘があって、8月の猛暑時などに滞在したり、夏の終わりから秋口に友人らを招いて伝統料理のスピエド(ジビエ串焼き)を振舞ったりする。

コロナ禍の今年はむろんスピエド会食はしないつもりだが、しばらく滞在するつもりで登ってきた。暑さよりも湖畔の人出を避けたい気分で。だがスマホはかろうじて使えるものの、PCのインターネット環境がほぼゼロなので不便なことこの上もない。

ガルダ湖は南アルプスに連なるプレ(前)アルプスの山々に囲まれている。今いる山はその一つ。山頂の標高は1500メートルである。800メートルから1000メートルの間には、雰囲気の悪くないレストランが3軒ある。

湖を出てここまで車で登る間には三つの集落を眺め、一つの集落を横断する。それらの集落は行政区分上は全て湖畔の町の一部である。滞在しているのは人口10数人の集落に近い一軒家。そこは山中の集落のなかではもっとも高い位置にある。

湖畔の町はDHローレンスが滞在しゲーテもイタリア旅行の際に通ったという名前の知れた場所。新型コロナウイルスの感染爆発時には、ほとんど感染者が出なかったことで称えられた。山中の集落のみならず、湖畔のメインの集落でも死者は出ず感染者もほぼゼロだった。

町はイタリア最悪の感染地であるロンバルディア州に属しているから、感染者が少ないのはなおさら喜ばれた。8月の今はドイツ人バカンス客でにぎわっている。もともとドイツ人観光客に人気のある町なのである。

Covid19を抑え込んだおかげもあって、町にはバカンスや観光目的のドイツ人が押し寄せている。いつもの年よりも多く感じられるのは、Covid19禍でドイツ人観光客の行き場が限られているせいもあるのだろう。

だが山中にはドイツ人はほとんどいない。彼らは便利で且つ湖畔の景色が美しい下界の町に長逗留しているケースがほとんどだ。山中の集落を含む町の全体は感染予防策に余念がない。しかし観光客は無頓着で利己的だ。

自らが楽しめればウイルスの感染のリスクなどはほとんど意に介さない。しばらくすればどうせ町を去る身だ、自分には関係がない、という意識を秘めている。マスクなども付けずに動き回る不届き者も多い。秋から冬にかけて、ドイツ人が持ち込んだウイルスが暴れないか、と僕は密かに気を揉んでいる。

かすかな電波を頼りにスマホでググると、日本では人口割合で最悪感染地になっている僕の故郷の沖縄県での感染拡大が続いている。そこでの問題もおそらく観光客だろう。観光客が自主的に感染拡大予防策を取る、などと考えるのは甘い。

彼らは既述のように自らが楽しめれば良い、と考えていることが少なくない。特に若者の場合は感染しても重症化する危険が少ないから感染予防などは二の次だ。自らの感染を気にしないとは、他者を感染させることにも無頓着ということだ。

コロナの感染を本気で食い止めたいのなら、人の動きを制限するしかない。それも強制的に。自粛に頼るだけでは心もとない。むろんそれは社会経済活動の制限と同義語だから、舵取りが難しい。

コロナの感染防止と経済活動のバランスに世界中が四苦八苦している。そしていま現在は感染防止よりも経済を優先させた国々がより大きな危機に瀕している。アメリカ、ブラジルがそうだ。インドも同じ。日本もそこに近づいているようにも見える。

またここ欧州でもロックダウンの後に、ただちにまた全面的に経済活動を開始した国ほど、またそれに近い動きをした国ほど第2波の襲来らしい状況に陥っている。欧州の主要国で言えば、スペイン、フランス、ドイツにその兆候がある。

ところが主要国の一つで最悪の感染地だったここイタリアは、新規感染者は決してゼロにはならないものの、感染拡大に歯止めがかかって落ち着いている。世界一厳しく世界一長かったロックダウンを解除したあとも、社会経済活動の再開を慎重に進めているからだ。

一例をあげれば、前述の国々では若者らはクラブやディスコで踊りまくることが可能だが、イタリアではそれはできない。それらの店の営業内容が規制されているからだ。イタリアは突然にコロナ地獄に突き落とされ孤立無援のまま苦しんだ、悪夢のような時間を忘れていないのである。

また規則や禁忌に反発することが多い国民は、コロナ地獄の中ではロックダウンの苛烈な規制の数々だけが彼らを救うことを学び、それを実践した。今も実践している。国の管制や法律などに始まる、あらゆる「縛り」が大嫌いな自由奔放な国民性を思えば、これは驚くべきことだ。

だが激烈なロックダウンは経済を破壊した。特に観光業界の打撃は深刻だ。そこでイタリアは大急ぎでEU域内からの観光客を受け入れることにした。湖畔の町にドイツ人観光客が溢れているのはそれが理由の一つだ。

同時にイタリア人自身もガルダ湖半を含む国内の観光リゾート地に多く足を運んでいる。夏がやってきてバカンス好きな人々の心が騒ぐのだ。だがコロナへの恐怖や経済的問題などもあって、国外には出ずに近場で過ごす人が多くなっている。

「観光客」になったイタリア人も、歓楽を優先させるあまり全ての観光客と同様に感染防止策を忘れがちになる。その意味では、ドイツ人観光客やバカンス客だけが特殊な存在、ということではもちろんない。

バカンスの向こうには感染拡大という重いブルーが待っている、というのが僕のぬぐい切れない悲観論だ。大湖ガルダの雄大な景色を見おろしながら、僕は自分の憂鬱なもの思いが杞憂であることを願わずにはいられない。



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バカンスのつけが怖い

ビーチ人混みマスクゼロ


欧州は新型コロナウイルス感染拡大の第2波が襲来、ともいわれる状況下にある。スペイン、フランス、ドイツなどの大国や東欧圏の国々だ。

イタリアは長く過酷なロックダウンの効果で今のところは静かだ。ところがそのイタリアで行われた新型コロナウイルスの大規模な抗体検査で、およそ3割の感染者が無症状だったことが明らかになった。無自覚のうちに感染を広げる懸念が高まっている。

抗体検査は約6万5千人を対象に行われた。その結果、150万人近くが抗体を持っていると推定される。イタリア国民の2,5%程度にあたる数値である。

イタリアで感染が確認されているのは累計でおよそ25万人。従って実際にはその6倍もの感染者がいることになる。しかも3割の50万人は無症状で、知らずに感染を広げているかもしれない。

それが事実であるならば、第2波の襲来では?と恐れられる欧州や、第1波がまだ続いている南北アメリカ、また感染拡大が止まらない世界中で、見た目よりもはるかに厳しいコロナ災禍 が進行していることになる。

検査態勢の不備や医療事情の貧困等々に加えて、無症状の感染者が多い現実などもあり、世界の感染者は実際よりもはるかに多いのではないか、と常に考えられてきた。死者の数も「実際には公表数の3倍」といわれるイランなどを筆頭に、発表されている数字よりは大きいと見られている。

従ってイタリアの状況を知っても実は僕はあまり驚かない。イタリアでも感染者や死者の数は正式な数字より多いはずだとしきりに言われてきた。南北アメリカはもちろんインドなどもそうだ。イタリア以外のヨーロッパ諸国も似たり寄ったりだ。

隠蔽や嘘やごまかしが多くて真実が見えずらい、とされる中国に至ってはもっとさらにそうである。世界のコロナ惨害は今でも見た目より酷いに違いない。第2波や第3波が襲ってくれば凶変はさらに深刻になるだろう。

隠れ感染者の存在に加えて、バカンスの人の動きと無鉄砲な若者らの行動パターンもイタリアでは憂慮されている。それを体現するようにクロアチアとギリシャで休暇を過ごした若者らが、帰国後に検査で陽性とされるケースが増えた。

イタリア自体は、3月から4月の世界最悪のコロナ兇変を体験して非常に用心深くなり、感染防止対策にも余念がない。また社会経済活動の再開もスペインやフランスに比較するとゆっくり目である。それらが今現在のイタリアの感染状況を落ち着かせている。

だが、そうはいうものの、イタリア人がバカンスに出かける先の国々の規制や感染防止策はまちまちだ。イタリアよりは規制がゆるい国が多い。8月の終わりになればそれらの国々で休暇を過ごした人々が一斉に帰国する。

クロアチアとギリシャから帰った若者らに感染が広がっている事実は、9月以降の感染爆発の予兆である可能性も大いにある。当たり前の話だが、コロナ大厄は全く終わってなどいないのである。



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景気の気分~ロックダウン解除記念日によせて



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欧州では6月15日、新型コロナの感染拡大を抑えるために敷かれていた移動規制がほぼ全面解除され、EUおよび移動の自由を認めたシェンゲン協定域内での人の移動が自在になった。

あえて楽観的に表現すれば、2020年6月15日は「コロナからの欧州解放記念日」である。むろんコロナの脅威は全く消えていないし、季節が冬に向かえばウイルスはまた牙を剥くのだろう。

それどころか、6月15日を境に欧州全体の社会経済活動が活発になって、冬を待たずにヨーロッパ大陸が再びコロナ地獄に陥る可能性もある。ワクチンの開発まではあらゆる活動再開は暗中での模索だ。

経済破壊が進んだイタリアでは、コロナ恐怖に苛なまれつつも5月4日、建設業と製造業を再開。5月18日に商店や飲食店の営業許可。6月3日以降は全ての移動制限を解除して、EU加盟国からの観光客も受け入れている。

欧州ロックダウンほぼ全面解除直前の週末、正確に記せば6月13日の土曜日、ガルダ湖畔を訪ねた。前アルプスの山並みが迫るリゾート地には、驚くほど多くの地元民や観光客がいた。観光客のほとんどはドイツ人である。

湖畔の町には古くからドイツ人観光客が多い。そこに住み着いたドイツ人も少なくない。ゲーテの時代からドイツ人に愛された場所なのだ。ゲーテ自身もガルダ湖を訪ねて大湖を「海のようだ」と形容した。

町の賑わいには腑に落ちない暗さがあるように感じた。マスク姿の人々と感染予防対策を厳重に施している通りの店のたたずまいが、半ば開いているような半ば閉まっているような印象で、落ち着かない。

ひとことで言えば、働く人々も買い物や飲食を楽しむ人々も、そして明らかにドイツ人と分かる観光客らも、少し無理をして懸命に楽しさを「演出し演技」しているように見えたのだ。

僕はそこにイタリアの観光業の厳しい先行きを見たように思った。経済は人が作り出す生き物だ。その動静をあらわす景気は、気分の景色と書くように人の気分に大きく作用されて動く。

経済学者や専門家は、数字や論理や実体&金融のあり方や学識や机上理財論等々によって景気を語る。そして彼らは往々にしてそのあり方を理路整然と間違う。

専門バカは人の気持ちが分からない。だから人の気持ちの集合が動かす景気が、従って生きた経済が分からない、ということなのかもしれない。

リゾートの町のいわば「空疎な賑わい」は、人々の心がコロナの恐怖で固くなっているからだ。人々は長い外出規制と抑圧から解放されて意気揚々と町に繰り出した。

久しぶりの歓楽はまちがいなく彼らに喜びをもたらしている。だがそれは心の底までしみこむ十全の歓喜ではない。完全無欠の喜悦はコロナの終焉まではおそらく望めないのだ。

ウイルスが消滅することはないのだから、それはごく当たり前に言えばワクチンが開発され人々に行き渡る時、ということだろう。ならばそれは僕自身の心理ともぴたりと符合する。

僕はワクチンが登場するまでは、好きなワインバーやレストランなどに行く気がしない。その気分ではない。多くの人が僕と同じ気分でいるだろう。だから景気は簡単には回復しない。

僕はリゾートの町の通りを急ぎ足に歩いただけで、いつもなら立ち寄る美味いワインが飲める数店のバールやエノテカ(ワインバー)をスルーした。

対人距離を確保して設えられた店のテーブルが満席だったからではない。「気分的に」そこに腰を落ち着けるスペースが見えなかったのである。

イタリア政府は苛烈なロックダウンによって破壊された、特に観光業を救うために早め早めに規制を緩め、国内外からの観光客を呼び込もうと躍起になってきた、だが情勢は厳しい。

イタリアのホテルは営業再開が可能になってもおよそ60%がシャッターを降ろしたままである。営業を再開した飲食店にはガルダ湖畔のように人が集まるケースもなくはない。

だがそうした店で遊ぶことが好きな僕のような人間が、一度、二度三度、と足を運ぶことをためらうケースもまた多い。それらの人々の気分が蝟集して景気が動くことを思えば、やはり先行きは安泰とばかりは言えないようである。


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ファシズムなら新型コロナウイルスをあっさりと始末する。ついでに民衆も。



祝4月25日切り取り650


新型コロナウイルスによる米国の死者が5万890人、イタリアのそれが2万5千969人となった今日4月25日は、イタリアの終戦記念日。ここでは解放記念日と呼ばれる。イタリアの終戦はナチスドイツからの解放でもあった。だから終戦ではなく「解放」記念日なのである。

日独伊三国同盟で結ばれていたドイツとイタリアは、大戦中の1943年に仲たがいが決定的になった。同年7月25日にはクーデターでヒトラーの朋友ムッソリーニが失脚して、イタリア単独での連合国側との休戦や講和が模索された。

しかし9月には幽閉されていたムッソリーニをドイツ軍が救出し、彼を首班とする傀儡政権「イタリア社会共和国」をナチスが北イタリアに成立させて、第2のイタリアファシズム政権として戦闘をつづけさせた。

それに対して同年10月3日、南部に後退していたイタリア王国はドイツに宣戦布告。以後イタリアではドイツの支配下にあった北部と南部の間で激しい内戦が展開された。そこで活躍したのがパルチザンと呼ばれるイタリアのレジスタンス運動である。

レジスタンスといえば、第2次大戦下のフランスでの、反独・反全体主義運動がよく知られているが、イタリアにおいては開戦当初からムッソリーニのファシズム政権へのレジスタンス運動が起こり、それは後には激しい反独運動を巻き込んで拡大した。

ファシスト傀儡政権とそれを操るナチスドイツへの民衆の抵抗運動は、1943年から2年後の終戦まで激化の一途をたどり、それに伴ってナチスドイツによるイタリア国民への弾圧も加速していった。

だがナチスドイツは連合軍の進攻もあってイタリアでも徐々に落魄していく。大戦末期の1945年4月21日には、パルチザンの要衝だったボローニャ市がドイツ軍から解放され、23日にはジェノバからもナチスが追放された。

そして4月25日、ついに全国レジスタンス運動の本拠地だったミラノが解放され、工業都市の象徴であるトリノからもナチスドイツ軍が駆逐された。

その3日後にはナチスに操られて民衆を弾圧してきたムッソリーニが射殺され、遺体は彼の生存説の横行を避けるために、ミラノのロレート広場でさらしものにされた。

同年6月2日、国民投票によってイタリア共和国の成立が承認され、1947年には憲法が成立した。新生イタリア共和国は1949年、4月25日をイタリア解放またレジスタンス(パルチザン)運動の勝利を記念する日と定めた。

イタリアは日独と歩調を合わせて第2次世界大戦を戦ったが、途中で状況が変わってナチスドイツに立ち向かう勢力になった。言葉を替えればイタリアは、開戦後しばらくはナチスと同じ穴のムジナだったが、途中でナチスの圧迫に苦しむ被害者になっていったのである。

日独伊三国同盟で破綻したイタリアが日独と違ったのは、民衆が蜂起してファシズムを倒したことだ。それは決して偶然ではない。ローマ帝国を有し、その崩壊後は都市国家ごとの多様性を重視してきたイタリアの「民主主義」が勝利したのである。むろんそこに連合軍の巨大な後押しがあったのは言うまでもない。

イタリア共和国の最大最良の特徴は「多様性」である。多様性は時には「混乱」や「不安定」と表裏一体のコンセプトだ。イタリアが第2次大戦中一貫して混乱の様相を呈しながらも、民衆の蜂起によってファシズムとナチズムを放逐したのはすばらしい歴史だ。

それから75年後の今、イタリアは民主主義世界の先頭に立って、新型コロナウイルスとの戦いを繰り広げている。それに先立って一党独裁国家の中国は、邪魔な国民を排除-あるいはもしかすると抹殺さえして-都合の悪い情報を隠蔽し、思い通りに民衆を圧迫する方法でウイルスと対峙した。

自由主義世界のうちの民主主義国家のイタリアは、国民との対話を続け、情報を徹底開示し、国民の協力を得つつ都市封鎖を実践して、どうやら感染封じ込めに成功しつつある。イタリアの成功はスペイン、フランスにも波及し、今日現在は厳しい状況にあるイギリスやアメリカも間もなく追いつくだろう。

もともと症状の軽いドイツをはじめとする北欧諸国は、イタリアよりも明確な形で現われた封じ込めの効果を逃さず、ロックダウンを緩和してさらに先に進もうとしている。日本も感染爆発や医療崩壊をうまく回避できれば、経済をはじめとする全てが速やかに復調していくだろう。

イタリアの終戦は先に触れたようにナチズムからの解放だった。同時にそれはナチズムと強く結託していたファシズムを打倒した瞬間でもあった。ナチズムやファシズムは、民衆への圧制や虐待や弾圧によって即座に全土を封鎖分断し、新型コロナウイルスでさえも思いのままに封じ込めることだろう。一党独裁国家・中国が武漢でやったように。

ナチズムやファシズム、また日本軍国主義や一党独裁体制下では、人民は虫けらと同じだ。だから人々を思いのままに縛り上げ抑圧し抹殺して、都市封鎖でも何でも自在に断行しウイルスの封じ込めができる。だが民主主義国家ではそれはできない。やってもならない。

民主主義国の政府は国民と対話し、情報開示を完遂しながら国民の自由意志と権利を死守する。その上で必要ならば「自らの責任」においてロックダウンのような苛烈な規制を国民に課する。時には「自主規制」と称して責任を国民に押し付ける歪形ロックダウンもあるが、それとて独裁方式よりはましだ。

民主主義国家でも規制はかけるが、それは例えば中国が武漢でやったような有無を言わせずに力で抑え込むものではなく、法の支配の原則に基づく民主的な方策だ。罰則もかけるが、それらも全て民主主義の手続きを経て国民との合意に基づいて科されるものだ。

独裁国家や専制体制の国々が、強権を用いて人々を圧迫し、よってウイルスの感染も阻止する様を見て、独裁や専制も悪くないと考える者が必ずいる。だがそれは間違っている。世界はナチズムやファシズム、また軍国主義や独裁や専制による辛酸をさんざん味わい苦しんだ後に、これを打倒して今の民主主義と開明と自由を獲得した。

われわれはその開かれた仕組みによってパンデミックを克服し、例えば一党独裁国家中国よりも優れた体制の下にあることを証明しなければならない。それでなければ、第二次大戦前までと同じ暴虐と抑圧と恐怖が支配する暗黒の世界に逆戻りしかねない。

中国におけるパンデミックは、警察国家としての同国の性格をより強化するのに役立った、という論考がある。それは恐らく正しい。全ての民主主義国家は、繰り返しになるが、中国とは対極にある開明と自由を基にパンデミックを克服するべきである。例えば75年前の今日、イタリアがナチズムとファシズムを放逐して自由を獲得したように。



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covid19を斬る~「復活祭」復活までの隠忍


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イタリアのロックダウン(全土封鎖)は予定では今日(4月13日)までだったが、あっさりと5月3日までに延長された。当然過ぎるほど当然の成り行きである。

イタリアの1日あたりのCovid19死者は減少傾向にある。それでも昨日(4月12日)の死者数は431人にのぼる。新たな感染者数も1984人出た。少しづつ減ってはいるものの、ICU(集中治療室)患者も依然として3343人いる。

そんな中で、ちょうど1ヵ月に渡って続けられてきた新型コロナウイルス対策のガードをゆるめるのは、ほとんど狂気のさたというものだろう。それでも規制を緩和しろと主張する者はいる。

最たるものは財界人である。ロックダウンによって、ただでも絶好調とは言えなかったイタリア経済は青息吐息だ。失業者も巷に満ちている。

収入の道を絶たれた多くの貧しい人々からも、助けを請う悲痛な叫びがあがり始めている。また街中などの狭いアパートやマンションに閉じ込められた人々も、「苦しい」と訴え出した。

だが今の状況では誰もがただひたすら耐えるしかないだろう。経済は最小限の歯車は回り続けている。弱者の人々への救済策も一応打ち出されている。外出は状況が改善され次第徐々に許されるだろう。

新型コロナウイルスは既存の経済社会の仕組みを根底から揺さぶり、人々の慣習や常識や幸福を破壊し続けている。われわれは変化を受け入れ、耐え、生き方を修正することでウイルスの脅威に対抗するしかない。

中でも今このときに全ての人々に求められているのは、忍耐である。苦境に耐え続ければ、苦境が常態となって耐えやすくなる。だから厳しい規制が少しづつ延長されるのは良いことだ。

もちろんそれが永遠に続いて良いわけではない。むしろ逆だ。窮乏生活を一刻も早く終わらせるために、今を耐えるのである。そう信じて耐えなければ、何人も耐えられない。われわれはそんな正念場の時間の中にいる。

昨日、4月12日は「復活祭」だった。イエス・キリストが、死から3日後に甦(よみがえ)る奇蹟をたたえる、キリスト教最大の祭りである。

日本などの非キリスト教世界でも祝われるクリスマスは、イエス・キリストの誕生を寿ぐ祭典。いうまでもなく盛大なイベントだ。だがキリスト教最大の祭りではない。

誕生と死はイエス・キリストのみならず誰にでも訪れる。だが死後3日で甦生する大奇蹟は、イエス・キリストにしか訪れない。クリスマスと復活祭のどちらが重要かは火を見るよりも明らかである。

復活祭も新型コロナウイルスの前に屈服させられた。フランシスコ教皇は信者のいない無人の教会で祈り、人々は家に押し込められたままテレビ画面でその孤独な姿を見た。

家族や友人やゆかりの人々が集って、にぎやかに食べ、飲み、歓談する復活祭の宴も姿を消した。むろん食卓を飾る復活祭特有の子ヤギや子羊料理もほぼ同じ運命になった。

そして復活祭2日目の今日は「小復活祭-パスクエッタ」と呼ばれる「春を讃える」祝日。人々は野山にピクニックに出かけて爛漫の春を満喫する習慣がある。

今年はその楽しみも峻厳な外出禁止令に阻まれて完全に消滅した。僕の住まうロンバルディア州の片田舎の村には、無人の田園地帯が芽吹き始めた緑に覆われて粛然と広がっているばかりである。



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イタリアの決死の戦いは続く


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4月1日、イタリアの新型ウイルス感染者の一日あたりの増加数が、上限に達して安定期に入った可能性が高くなった。だがあくまでも安定期なのであり、終息に向かい始めたというのはまだ全く当たらないと考えるべきだろう。

イタリアの4月1日のCovid19死亡者は727人だった。これは1日当たりの死亡者数としては3月26日以来最低の数字である。

依然として高い数字には違いないが、減少傾向にはある。死者数はここまでに入院している高齢の患者が多数いるため、残念ながらしばらくは高い数字で推移するだろう。

ここまでのイタリアの感染者の総計は110574人。全死者数:13155と回復者数:16847を引いた実質感染者数は80572人である。

感染状況が安定期に入ったらしいという国民保健局の報告を受けて、イタリア政府は外出禁止令を緩めて、親が付き添っての子供の散歩を認める、と達しを出した。するとタリア中が騒然となった。

自宅に閉じ込められて苦痛を強いられている人々の間には歓声が上がった。特に子供のいる家庭は喜んだ。学校閉鎖で自宅に詰め込まれた子供も面倒を見る親もストレスが高まっているのだ。

一方で激しい非難も沸き起こった。Covidi19被害に苦しむロンバルディア州を中心とする北部各州は、いま規制を緩めればここまでの努力が水の泡になるとして、政府の告示を「無意味で無責任、且つ狂気の沙汰」とまで呼んで激しく反発したのだ。

北部各州の抗議は健全なものだ。たとえ感染状況が真に安定期に入っているとしても、イタリアのCovid19禍の現状は依然として無残極まりないものだ。ここで厳しい移動規制に象徴される警戒措置を解くのは危険が多すぎる。

北部の州知事らの激しい糾弾にさらされたイタリア政府は、あっさりと間違いを認めた。翌日(4月1日)には早速方針を転回して、コンテ首相は全土の封鎖を4月13日まで継続する、とテレビ演説で表明した。

4月13日まで、としたことには理由がある。4月12日はキリスト教最大の祭り、復活祭(イースター)である。復活祭当日は家族や友人またゆかりの人々が集って大食事会を開く。

復活祭の食事会では子ヤギや子羊の肉が供される。ことしは恐らくそれらの肉の消費も大きく落ち込むことだろう。

新型コロナウイルスは多くの人の命を奪う代わりに、たくさんの子ヤギと子羊のそれを救うという、残虐と慈悲が交錯するドラマも演出しそうだ。

復活祭の翌日の13日は小復活祭(パスクエッタ)と呼ばれる休日。その日は多くの人々が、やはり家族や友人などと共に野山に出てピクニックを楽しむ習慣がある。

コンテ政権は祭りの両日の人の集まりを規制することで、感染拡大を防止しようと考えているのである。政府は同時に、あたかも4月14日に全土の封鎖が解除されるかのようなもの言いをしているが、今の状況では規制はその後も継続される、と見るのが妥当だろう。

いずれにしてもイタリアの封鎖・隔離策は、状況を確認しながら最長7月いっぱいまで継続される、と以前から決められている。それはつまり、7月以前の全面解除もある代わりに、期限の後も規制が続く可能性がある、ということなのである。



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日本とイタリアは同じ船に乗っている



指ハートの中の太陽


イタリア最大のCovid 19被害地、ロンバルディア州ベルガモ県の道路を昨夕、荷台を幌で覆った10台近い軍用トラックが列を作って通った。

荷台に積み込まれた荷物は全てCovid19被害者の遺体である。ベルガモ県内の墓地も火葬場も受け入れ限界を超えたため、隣接のエミリアロマーニャ州まで運んで火葬されることになったのだ。

Covid19によるイタリアの死者は3月19日AM6時現在、前日から475人増えて2978人。1日あたりの死亡者数はまたもや新記録となった。霊柩車では間に合わず、民間トラックには文字通り荷が重過ぎる任務なので、イタリア陸軍の出動となったのだ。

イタリアの惨状は、もはや欧州全体のそれになりつつある。イタリアに続いてスペイン、ドイツ、フランスの主要国が厳重な移動制限・封鎖体制を敷いた。

また小国のスイスの感染者数も激増。それに続いて、感染者数の多い順にオランダ、オーストリア、ノルウエー、ベルギー、スウェーデン、デンマークが危機に陥り、最小のデンマークの被害者数も1115人と節目の1000人を越えた。

また、EU(欧州連合)を離脱したばかりの英国は、「例によって」唯我独尊の精神を発揮して、まずイタリアが、そして前述の独仏スペインなどに始まる国々が、イタリアをなぞった施策を実行していくのを尻目に、学校閉鎖もしない、大小の各種イベントも禁止しない、国民に自宅待機も呼びかけない等々の方針を宣言してきた。

強気の英国のジョンソン首相を、気でも違ったのではないかと批判する声が多い中、僕はそれらの方針を打ち出した英国の「科学的また論理的」な思考法を舌を巻く思いで見つめ、ひそかに応援もし、日々監視してきた。

僕には英国のやり方が正しい、と自信を持って言うことはできない。またイタリアほかの国々も英国に倣うべき、とも思わない。だが、英国にはわが道を進んでいってほしい、とは思っている。なぜなら厳しい封鎖・移動制限策を取る欧州大陸各国が、Covid19の撃滅に成功するかどうかは誰にも分からない。

一方、英国の独自路線は、イタリアほかの国々が犯した、あるいは犯しているかもしれない失敗や不備を徹底的に研究分析して打ち出されたものだ。学校閉鎖をしないのは新型コロナウイルスがインフルエンザと違って子供を直撃しないからであり、イベントを禁止しないのは外の広いスペースよりも自宅などの狭い空間の方がウイルスに感染しやすいという分析であり、自宅待機を呼びかけないのは、感染がピークに達する頃に、人々が自宅監禁に疲れて外に繰り出す危険を考慮した結果だ。

冷静且つ論理的な分析には説得力がある。むろんそれを実行に移すのは困難だ。ウイルスが人から人へ爆発的に伝播していく現実を前に、人混みに入るな、自宅待機をしろ、と国民に呼びかけずにいるのは政治的にほぼ不可能にさえ見える。だが、ジョンソン首相はそれをしようとした。

その勇気は見上げたものだ。また、英国のやり方は、もしかすると欧州大陸各国の施策が失敗に終わる悪夢が到来したときに、人類を救う希望になるのかもしれない。生物多様性ではないが人の多様な行動は、従って国家間の多様なあり方も、決して悪いことではないのだ。

言うまでもなく英国は、欧州大陸の流儀が正しい、と将来証明されたときには、手ひどいしっぺ返しをこうむることになる。そうなったときには、EUを核にする欧州は必ず英国に救いの手を差し伸べるだろう。逆に英国は、繰り返しになるが、欧州大陸を救う道筋を示しているのかもしれないのだ。

と、そんな具合に思いを巡らしてきたが、ジョンソン首相が18日、英国全土の公立学校を20日から閉鎖し、私立の学校も政府の決定に従うようにと勧告した。首相はついに政治的な圧力に耐え切れなくなったのだろう。多くの人々が、ようやく英国もまともになった、と胸をなでおろしているのが見えるようだ。だがそれが朗報であるかどうかは、今は誰にも分からない。僕は個人的には残念な思いを禁じ得ない。

僕はイタリアの感染爆心地、ロンバルディア州内に住んでいるため、Covid19に関してはイタリアの様子を主体にこのブログで報告を続けているが、今書いたように英国ほかの世界の国々や日本の状況も逐一追いかけている。僕はひとことで言えば、日本の様子がイタリアと全く同程度に心配だ。情報隠蔽という言葉はさすがに当たらないだろうが、日本は意図的かそうでないかに関わりなく、情報をぼかしているようでひどく違和感がある。

日本のウイルス感染者数が少ないのは-実際にそうであることを祈っているが-やはりウイルス検査の数が少ないことが大きな理由なのではないか。イタリア、また欧州各国並みに検査を増やせば、感染者数が急激に多くなるということは本当にないのだろうか。

世界の混乱と緊張を真摯かつ的確に感じ理解することができない日本の政治家らが、この期に及んでもオリンピックの開催に固執して、世界の感覚とは相容れない空気の読めない言動に終始しているのは、中止に伴う莫大な経済損失に目がくらむからだろうが、もうそろそろ誤魔化しは終わりにするべきだ。

欧州のような急激な感染爆発はないものの、じわじわと感染が増えている現実は隠れた感染が進行していることを意味してはいないのか。突然の大規模流行、いわゆるオーバーシュートの危険はないのか。日本政府はせめて、“オリンピックは「延期」もやむなし”と内外に宣言して、Covid19の日本社会における真実を解き明かし、国民の健康を守るために死に物狂いで動くべきではないのか。

オリンピックは日本一国だけではなく、世界がコロナウイルスから解放されていなければ開催できない。また逆に世界がコロナウイルスを撃滅しても、日本が遅れてそれの餌食になるようなら、開催など夢のまた夢だ。それどころか国民の大半が、今現在のイタリア・ロンバルディア州民のような苦悩の中に突き落とされないとも限らない。

日本とイタリアは敵対国ではない。従って両国の関係を呉越同舟という言葉でくくることはできない。また両国の感染状況も今のところ天と地ほどの違いがある。だが僕の目に映る日本とイタリアは、新型コロナウイルスとの戦いという観点では、同じ船に乗り同じ運命に身をゆだねている、いわば「日伊同舟」の存在にしか見えない。


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ベニスカーニバルもサンレモ音楽祭も吹き飛ばした超激爆ウイルス「2019-nCoV」


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2月のイタリアは例年、カーニバルとサンレモ音楽祭で活気づく。カーニバルはイタリア全国で催される祭り。特にベニスのそれが有名だ。また70年の歴史を持つサンレモ音楽祭は、5夜にわたって繰りひろげられるいわばイタリアの「紅白歌合戦」。

2月8日に幕を閉じたサンレモ音楽祭は、視聴率や広告収入が大幅にアップするなど近年にない盛り上がりを見せた。しかしメディアの注目が新型コロナウイルス・パニックに集中してしまい、本来ならもっと高くなるべき筈の祭りへの関心が、著しく削がれてしまった。

一方ベニスカーニバルは、音楽祭と入れ替わるように2月8日に始まった。ベニスには近年、時として地元の人々が嫌うほどの数の中国人観光客が押し寄せる。2月25日まで続くカーニバルには、しかし、中国人の姿は多くは見られない。新型コロナウイルスの侵入を恐れるイタリア政府が、1月末から全ての中国便を差し止めているからだ。

イタリアが世界に先駆けて中国往来便を無期限全面禁止にしたのは、中国人観光客の激減という弊害はあるものの、どうやら正解だったようだ。それはクルーズ船での感染問題が深刻な日本の状況と比較しての今のところの感触だが、わざわざ日本とイタリアを比較するのにはそれとは別の理由がある。

新型コロナウイルス恐慌が起きる直前まで、日本は中国で最も人気の高いアジアの海外旅行先という統計が出ていた。一方イタリアは同時期、フランスやスペインまたイギリスなどの人気スポットを抑えて、中国人に最も人気のある欧州での旅行先になっていたのだ。

欧州の4国はそれまでも同カテゴリーで熾烈な順位争いをしてきたが、2019年3月、イタリアが中国との間に「一帯一路」への連携を約束する覚書を交わしたことで、この国に入る中国人観光客が爆発的に増えて、一躍トップに躍り出た。

覚書以降、中国からの観光客は増え続け、昨年11月にベニスが史上まれに見る水害に襲われたときには、“水の都ベニスが中国人観光客の重さで急速に沈みつつある”というデマが飛ぶほどになった。

そうした悪意ある風評は、中国人観光客のマナーの悪さや中国人移民の増加、また中国本土の一党独裁政権に対するイタリア国民の不信感など、これまでに醸成された負のイメージが相乗し錯綜して、深化拡大していったものである。

イタリアがいち早く中国便を締め出したのは、言うまでもなくパンデミックへの警戒感が第一義だが、それ以外にもいくつかの理由があったと考えられる。その第一はEU(欧州連合)の反対を押し切って、G7国として初めて中国との間に前述の 「一帯一路」覚書を交わしたことへの反省である。

EUは中国の覇権主義への警戒感から覚書に難色を示した。それに対してイタリアは「覚書は拘束力を持つものではなく、我々が望めばすぐに破棄できる」と弁解していた。だがEUの疑念は払拭されなかった。そこで今回イタリアは、中国便を素早く且つ容赦ない形で排除して、EUの疑念を晴らそうとした。

その施策は、国中にあふれるおびただしい数の中国人移民や、覚書を機に爆発的に増えた中国人観光客への違和感も持ち始めていたイタリア政府と国民にとって、都合の良い一手でもあった。また同時にそれは、観光産業への打撃を覚悟した策でもあった。

そうしたいきさつをひも解くと、イタリアと日本の置かれた状況は意外にも良く似ている。日本にはイタリアに見られるような中国人移民への苛立ちはないかもしれない。しかしながら観光客のマナーの悪さや、中国政府の覇権主義などへの反感は、イタリア同様に強いものがあるのではないか。

また、中国人観光客を拒否したときに観光産業が強い悪影響を受ける点も両国は似ている。それでいながらイタリアは、たちどころに中国便を全面禁止にし、日本はそうはしなかった。その違いが現在の両国のウイルス感染者数の差異になって現れた、と考えるのは荒唐無稽だろうか。

日本に於けるウイルスの感染経路はクルーズ船であり航空ルートではない、という反論もありそうだ。それに対しては「もしもクルーズ船のルートがあったならば、イタリアはきっとそこも大急ぎで閉鎖していただろう」と応じようと思う。要するに何が言いたいのかといえば、日伊両国間には危機管理能力の大きな差がある、ということである。

さらに話を続ける。伝統的にアバウトなようで実はしたたかなイタリア政府は、中国便を締め出す一方で、同国との仲を白紙撤回させる気はなく、航空便の全面禁止は行き過ぎだとして猛反発する中国政府に、施策は一時的な予防措置だと言葉を尽くして説得し、事態を沈静化させた。

畢竟イタリア政府は、EUや中国、ひいてはアメリカを始めとする世界の反応もしっかりと見据え考慮に入れながら、国としての峻烈な危機管理策をためらうことなく発動した、という解釈も成り立つのである。

いうまでもなく新型コロナウイルス恐慌がどこに向かうのか誰にも分からない。またウイルスの脅威は実体よりも大きく喧伝されていて、今のところはむしろ風評被害また報道被害のほうがはるかに深刻なのではないか、というふうにさえ見える。

いずれにしてもウイルスの暴走は気温が上がる春頃には終息に向かうと考えるのが妥当だろうし、希望的観測も兼ねてそう願いたい。そうなっても、また不幸にしてさらに長期化するにしても、イタリアの危機管理のあり方は日本が学ぶべき余地があるように思うのだが、果たしてどうだろうか。


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やっぱり聞こえてきた、東洋人は皆ウイルスだという声が。。


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中国発新型コロナウイルスに関して心配していたことが起こった。ローマの有名音楽学校が、中国人、日本人、韓国人を含む東アジアの留学生全てをいっしょくたにして、通学を禁じる校長の通達を発表したのだ。コロナウイルス恐怖症に陥った人々が、日本人も中国人と同じと見なしてあからさまな差別に出たということになる。

世界中のウイルスにまつわる情報は、イタリアまたローマも含めて、大手メディアがふんだんに報道しているだろうから、僕はいつものように現地住まいの者の実感に基づいて、ニッチビジネスならぬ個人的なこだわりや具体的な話に徹しようと思う。

有体に言えば、ローマの音楽学校の処置を誰もが納得しているわけではない。支持する者と批判する者が真っ二つに割れて存在する、というのが実情だ。支持する者は隠微な状況なので「仕方がない」と言う。批判する者はそこに人種差別を見て不快に思う。僕もそのひとりだ。

だが新型コロナウイルス問題のようなケースでは、人種差別や偏見が横行するのは普通のことだ。差別や偏見は、人が差別し偏見を持つ対象の実態を「知らない」場合に起こる。

新型ウイルスの実態は全人類にとっての謎だ。それが中国で発生し、まず中国で猛威を振るっている。人々は得体の知れないウイルスを恐れ、それを媒介するキャリアとなってしまった中国人を恐れる。「怖いウイルス」が「怖い中国人」にもなるのだ。

そんな状況ではむしろ偏見や差別が起こらないほうが不思議なくらいだ。むろん多くの良識ある人々は中国人を差別しない。冷静であろうとする。それが当たり前であるべきだ。

だが同時に、多くの人々は偏見し差別する。ローマの音楽学校のように。そして、少しのエスカレートで偏見差別は拡大し強化される。中国人へのそれが韓国人や日本人へといともたやすく伝播する。

いうまでもなくそうした根拠のない偏見や差別は是正されなければならない。同時に僕は日本の外にいて日本を客観的に見る者として、たちまち感じることがある。だからここではあえてそのことを取り上げて書き留めておくことにした。

つまりローマで起きた東洋人差別は、日本人がアジア人なのであり、中国人や韓国人はもとよりその他のアジアの人々に近い人種であり文化を持つ国民だという、当たり前だが多くの日本人が忘れている現実を思い出させてくれる、重要な出来事でもあるということだ。

日本人が差別されたというこの報告を読んで、傷ついたり腹を立てたりする読者もきっと多くいるだろう。その中身を端的に言ってしまえば 、日本人を中国人と一緒にするな、日本人は韓国人とは違う、などという思い上がりに基づく怒りだ。

あるいは、日本人をそれらの「アジア人」と同じように見なす、イタリア人への怒りを覚える人もいるだろう。だが断っておくけれども、イタリア人はヨーロッパの人々の中で一二を争うくらいの親日的な国民だ。

そんな国民でさえ、混乱し恐怖が支配する風潮の中では当たり前の現実に目覚め、普通に差別さえする。つまり結局日本人は、中国人や韓国人とその見た目はいうまでもなく、文化や歴史や民族性などもよく似たほぼ同じ人種なのだと。

それは少しもおかしなものではない。それをおかしいと感じる日本人こそ異常なのである。言葉を替えれば、日本人が準白人つまり表は黄色いのに中身が白くなってしまった“バナナ的人間”に成り果てていることが、むしろ奇怪なことなのだ。

日本人はイタリア人を含む欧米人が、われわれを「当たり前に」アジア人と見なすことを怒るのではなく、自らが持つ無意識の自己偏見、つまり私はアジア人ではない、という奇怪噴飯ものの思い込みにこそ恥じ入り、怒るべきなのだ。

日本人は自らが豊かであり民度が欧米並みに高いと思うならば、欧米人の感覚でつまり欧米の猿真似をして、同じアジア人を見下すのではなく、中国や韓国やその他のアジアの国々の地位の向上を目指して動くべきだ。欧州が全体的に豊かで民度の高い地域になっているように、グローバル世界てアジア全体が豊かで民度の高い地域となるように願い行動するべきなのだ。

欧州では電車やバスの中などで、中国人を筆頭にするアジア系住民が差別に遭ったり暴力的な扱いを受けるなどのケースが相次いでいる。イタリアのみならずフランスでもスペインでも起きた。日本人も対象になったイタリアのようなケースは今は稀だが、状況が改善しなければそれは増加する運命にある。

そうした厳しい現実を、日本人が自らを見直す好機としても捉えることができるなら、あるいはそれも良しとするべきことなのかもしれない。


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キワモノ食いの因果


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コロナウイルスの状況が読めないので帰国予定をキャンセルした。

人の食習慣をあれこれ言うのは当たらない。

世界で人気の刺身は、つい最近まで大いなるゲテモノとみなされてきたし、今も敬遠する人は多い。

個人的には僕は、多くの人がイカモノと考えるヤギ・羊肉料理を、主に地中海域に捜し求めて飽きない。

「毒魚のフグを美味いと食らう日本人は気がおかしい」と、醗酵ニシンの缶詰であるシュール・ストレンミングの異臭にまみれてスウェーデン人がつぶやき、

イタリア人が腐ったチーズ、カース・マルツゥのウジをつまみ食いながら、ガラガラへびを捕らえて喜び食らうアメリカ・テキサス州人を、悪食の連中、とあざけるのが世界の食文化の景観だ。

世界中のあらゆる民族は、他から見たらゲテモノ以外の何ものでもない食材や食習慣をひとつやふたつは持っている。

そういうわけだから僕は中国人の奇食を批判したくはない。

だが、そうはいうものの、ウイルスを自国以外にもまき散らす彼らは少し迷惑だ。

コウモリかネズミか知らないが、食うなら食って外に出るな、と思わず言ってみたくなる。

外に出るな、とはグローバル世界の今の時代では「死ね」と同じ意味だ。

となると、それらのキワモノはできればやっぱり食うべきではない、というのが結論なのかもしれない。


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イワシも集まれば山となる 



イワシ群れ800に縮小を600に


極右政党「同盟」の勝利が予想されていた北イタリア・エミリア・ロマーニャ州選挙で、不人気の中道左派の民主党が逆転勝ちしたのは、昨年11月に4人の若者が結成し急速に成長した「イワシ運動」のおかげである。運動の拠点はボローニャ市。エミリア・ロマーニャ州の州都である。

「イワシ運動」は極右のサルヴィーニ氏への抗議のためだけに組織された。反サルヴィーニの一点に集中する「イワシ運動」は、また反ファシズム運動でもある、と創始者の若者らは語っている。サルヴィーニ氏の政治主張や活動は、確かにかつてのファシズムのそれに近いものもあるから、その言い分は決して荒唐無稽ではない。

「イワシ運動」がボローニャ市で興ったのは偶然ではない。同市を中心とするエミリアロマーニャ州は、隣接するトスカーナ州とウンブリア州と共にイタリア共産党の拠点だった地域。共産党が消滅した現在もリベラルの牙城であり続けている。極右勢力への対抗心はどこよりも強い。

「イワシ運動」は日ごとに大きくなり、ボローニャ市からエミリアロマーニャ州、さらにイタリア全土へと広まって、今や欧州全体にまで広がる勢いを見せている。それは欧州を席巻しつつある「限りなく極右に近い右派」への対抗勢力として、今後ますます成長していくのかもしれない。

「イワシ運動」創始者の4人の若者は、運動がこの先政党へと成長することはない、と断言している。だが先行きは分からない。同運動が政党へと脱皮していけば「イワシ運動」も変質し、五つ星運動と同じように分裂崩壊などの憂き目を見る可能性が高くなるのではないか。

ところで、「イワシ(Sardine)運動」を彼らが毛嫌いするサルヴィーニ(Salvini)氏にかけた命名、という説明が日本のメディアで横行しているようだが、それはLとRの区別がつかない日本人が編み出したフェイクニュースのようだ。イタリア語では Sardineと Salviniは音も意味も全く違う言葉だ。

「イワシ(Sardine)運動」のイワシとは、イワシの群れが固まって身を守るように、皆が寄り集まって固く連帯して極右のサルヴィーニ氏に対抗しよう、という意味だ。いわば抗体としてサルヴィーニ氏の排外差別主義に立ち向かうこと、とも創始者らは語っている。



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ゴーンにガーンと殴られた日本司法よ、懺悔し、再生へと立ち上がれ!



切り取り800に拡大を


カルロス・ゴーン逃亡者(:容疑者、日産元会長、逃亡犯などの呼称もあるが逃亡者で統一する)のレバノンでの記者会見映像を逐一観た。それは中東人や西洋人が、自らを正当化するために口角泡を飛ばしてわめく性癖があらわになった、典型的な絵だった。見ていて少し気が重くなった。

だが、そうはいうものの、日本の「人質司法」の在り方と、ゴーン逃亡者の逮捕拘留から逃走までのいきさつに思いを馳せてみた場合、ゴーン逃亡者はおそらく犠牲者でもあるのだろう、というふうにも見える、と告白しなければならない。

弁護士の立会いなしで容疑者を取り調べたり、自白を引き出すために好き勝手にさえ見える手法で長期間勾留したり、拷問とは言わないまでも、逮捕したとたんに「推定有罪」の思惑に縛られて、容疑者を容赦なく窮追するという印象が強い日本の司法の実態は、極めて深刻な問題だ。

取調べでの弁護人立ち会い制度は、米国やEU(欧州連合)各国はもちろん、韓国、台湾などでさえ確立している。日本でそれが否定されるのは、密室での自白強要によって「真実」が明らかになる、と愚にもつかない偏執に取り付かれている警察が、人権無視もはなはだしい異様な自白追及手法に固執するからだ。

そうしたことへの疑問などもあって、僕はゴーン逃亡者が「容疑者」でもあった頃の日本での扱われ方に、少なからず同情もしていた。だが彼のレバノンでの記者会見の立ち居振る舞いを観て、今度は僕の中に違和感もムクリと湧き上がった。言い分があまりにも一方的過ぎるように感じたのだ。

だが再び、そうはいうものの、ゴーン逃亡者のみならず日本司法も、直ちには信用できないやっかいな代物だという真実に、日本国民はそろそろ気づくべきとも思う。日本の司法制度では、逮捕された時には誰でも長期間勾留されて、弁護人の立ち会いも認められないまま毎日何時間も尋問され続ける可能性が高い。

容疑者は罪を認めて自白しない限り、果てしもなく勾留される。そんな日本の司法の実態はうすら寒いものだ。密室の中で行われる警察の 取調べは、戦前の特高のメンタリティーさえ思い起こさせる。まるで警察国家にも似て非民主的で閉鎖的、且つ陰湿な印象が絶えず付きまとう。

日本国民のうちの特にネトウヨ・ヘイト系の排外差別主義者らは、例えば韓国の司法や政治や国体や人心をあざ笑い優越感にひたるのが好きだ。そこには自らをアジア人ではなく「準欧米人」と無意識に見なす「中は白いが表は黄色い“バナナ”日本人」の思い込みもついて回っている。だが日本の司法制度やそれにまつわる人心や民意や文明レベルや文化の実相は、まさしくアジア、それも韓国や北朝鮮や中国に近いことを彼らは知るべきだ。

さらに言えば、北朝鮮のテレビアナウンサーの叫ぶような醜悪滑稽なアナウンスの形は、戦時中の大本営のアナウンスの様子と寸分も違わない。北朝鮮の狂気は、軍国主義がはびこっていたつい最近までの日本の姿でもあるのだ。そんなアジアの後進性が詰まっているのが日本の刑事司法制度であり、ゴーン事件の背景にうごめく日本社会の一面の真実だ。そこの住民がバナナ的日本人、即ちネトウヨ・ヘイト系の排外差別主義者らなのである。

そのことに思いをめぐらせると、カルロス・ゴーン逃亡者と彼にまつわる一連の出来事は、日本司法の課題を抉り出しそれを世界に向けて暴露したという意味で、ゴーン逃亡者が日産の救世主の地位から日本国全体の救世主へと格上げされた、と将来あるいは歴史は語りかけるかもしれない、というふうにさえ見える。

ゴーン逃亡者は、日本の刑事司法制度を「有罪を前提として、差別が横行する、且つ基本的人権の否定されたシステムであり、国際法や国際条約に違反している」などと厳しく指弾した。「有罪を前提」や「差別が横行」などの非難は、彼の主観的な見解、と断じて無視することもできるが、国際法や国際条約に違反している、という批判はあまりにも重大であり看過されるべきものではない。

ではゴーン逃亡者が言う、日本が違反している国際法や国際条約とはなにか。それは第一に「世界人権宣言」であり、それを改定して法的に拘束力のある条約とした自由権規約(国際人権B規約)だと考えられる。世界人権宣言は1948年に国連で採択された。そこでは全ての国の全ての人民が享受するべき基本的な社会的、政治的、経済的、文化的権利などが詳細に規定され、規約の第9条には「何人も、ほしいままに逮捕、拘禁、または追放されることはない」と明記されている。

さらに自由権規約の同じく第9条3項では、容疑者・被告は「妥当な期間内に裁判を受ける権利」「釈放(保釈)される権利」を有するほか「裁判にかけられる者を抑留することが原則であってはならない」とも規定している。また第10条には「自由を奪われた全ての者は、人道的にかつ人間の固有の尊厳を重んじて取り扱われなければならない」とも記されている。

ゴーン逃亡者は日本では、4度逮捕された上に起訴後の保釈請求を2回退けられた。加えて拘置所に130日間も勾留された。また逮捕から1年以上が過ぎても公判日程は決まらなかった。そうした状況は国際慣例から著しく逸脱していて、国際法の一つである自由権規約に反していると言われても仕方がない奇天烈な事態である。

ゴーン事件に先立つ2013年、国連の拷問禁止委員会が、容疑者の取り調べの改善を求める対日審査を開いた。その際「日本の刑事司法は自白に頼りすぎ、中世のようだ」との指摘が委員から出た。日本の司法は未だに封建社会のメンタリティーにとらわれていて、時として極めて後進的で野蛮だと国際的には見られているのだ。

日本の司法は「お上」の息のかかった権威で、かつての「オイコラ巡査」よろしく、「オイコラ容疑者、さっさと白状しろ」と高圧的な態度で自白を強要する。それは、繰り返しになるが、日本の刑事司法が封建時代的なメンタリティーに支配されていることの証し、ととらえられても仕方がない。欧米の猿真似をしているだけの日本国の底の浅い民主主義の全体が、その状態を育んでいる、という見方もできる。

一方カルロス・ゴーン逃亡者も、大企業を率いたりっぱな経営者で品高い目覚しい紳士などではなく、自己保身に汲々とするしたたかで胡散臭い食わせ物である、という印象を世界に向けて発信した。ゴーン逃亡者も日本の司法制度も、もしも救われる道があるのならば、一度とことんまで検証されけん責された後でのみ再生を許されるべき、と考える。

ゴーン逃亡者の一方的な言い分や遁走行為が、無条件に正当化されることはあり得ない。しかし、「人質司法」とまで呼ばれる日本の刑事司法制度の醜悪で危険な在り方や、グローバルスタンダードである「弁護人の取調べへの立ち会い」制度さえ存在しない実態が、世界に知れ渡ったのは極めて良いことである。なぜなら恐らくそこから改善に向けてのエネルギーが噴出する、と考えられるからだ。ぜひ噴出してほしい。


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「ボヘミアン・ラプソディ」批判者と映画殺害犯は同じ穴のムジナ


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ことしに入って早々(1月3日)に、イギリス娯楽小売業者協会(ERA)が、2019年に英国民が自宅で観た映画のランク付けを発表した。

それによると2018年に大ヒットした映画「ボヘミアン・ラプソディ」がトップになった。映画はDVDやブルーレイ、またダウンロードで170万部が売れた。

「ボヘミアン・ラプソディ」は2019年1月6日、第76回ゴールデングローブ賞の作品賞に輝き、その約2ヶ月後にはアカデミー賞の主演男優賞なども受賞した。

大ヒットした「ボヘミアン・ラプソディ」に関しては、日本を含む世界中で多くの評者や論者がケンケンガクガクの言い合いを演じた。

また欧米、特に映画の主題であるクイーンの母国イギリスや、制作国のアメリカのメディアなども盛んに評したが、それらは概ね批判的で観客の好感度とは大きく異なる奇妙なねじれ現象が起こった。

僕も当時「ボヘミアン・ラプソディ」を観た。結論を先に言えば、文句なしに大いに楽しんだ。映画の王道を行っていると思った。王道とは「エンターテインメント(娯楽)に徹している」という意味である。

メディアや批評家や文化人やジャーナリストなどの評論は、“面白ければそれが良い映画”というエンターテインメント映画の真実に、上から目線でケチをつけるつまらないものが多かった。

そのことへの反論も含めて僕は当時記事を書くつもりだった。が、いつもの伝で多忙のうちに時間が一気に過ぎてしまって機会を逃した。当時僕はブログ記事の下書きを兼ねた覚え書きに次のような趣旨を記している。

『映画の歴史を作ったのは、米英仏伊独日の6ヵ国である。6ヵ国を力関係や影響力や面白さでランク付けをすると、米仏英伊日独の順になる。個人的には面白さの順に米日伊仏英、遠く離れて独というところ。それら6ヵ国のうち、英仏伊独日の映画は没落した。娯楽を求める大衆の意に反して、深刻で独りよがりの“ゲージュツ”映画に固執したからだ。

ゲージュツ映画とは、台頭するテレビのパワーに圧倒された映画人が、テレビを見下しつつテレビとは対極の内容の映画を目指して作った、頭でっかちの小難しい作品群だ。作った映画人らはそうした映画を「芸術」作品と密かに自負し、芸術の対極にある(と彼らが考える)テレビ番組に対抗しようとした。彼らはそうやって大衆に圧倒的に支持されるテレビを否定することで、大衆にそっぽを向き映画を失陥させた。

「ボヘミアン・ラプソディ」を批判する評者の論は、映画を零落させた映画人の論によく似ている。大衆を見下し独りよがりの「知性まがいの知性」を駆使して、純粋娯楽を論難する心理も瓜二つだ。

一方で大衆の歓楽志向を尊重し、それに合わせて娯楽映画を提供し続けた米国のハリウッド映画は繁栄を極めた。ハリウッドの映画人は、テレビが囲い込んだ大衆の重要性を片時も忘れることなく、テレビの娯楽性を超える「娯楽」を目指して映画を作り続けた。「ボヘミアン・ラプソディ」はその典型の一つだ。

*6ヵ国以外の国々の優れた監督もいる。一部の例を挙げればスウェーデンのイングマール・ベルイマン 戦艦ポチョムキンを作ったロシアのセルゲイ・エイゼンシュテイン とアンドレイ・タルコフスキー、スペイン のルイス・ブニュエル 、インドの サタジット・レイ 、 ポーランド のアンジェイ・ワイダ など、など。彼らはそれぞれが映画の歴史に一石を投じたが、彼らの国の映画がいわば一つの勢力となって映画の歴史に影響を与えたとは言い難い。

*インドは映画の制作数では、中国やアメリカのそれさえ上回ってダントツの一位だが、中身が伴わないために世界はほとんど同国の映画を知らない。


映画「ボヘミアン・ラプソディ」の批判者は、主人公フレディの内面を掘り下げる心理劇を見たかった、リアリィティーが欠如している、社会性・政治性、特に同性愛者を巡る政治状況を掘り下げていない、など、など、あたかも映画を徹底して退屈に仕上げろ、とでも言わんばかりの愚論を展開した。

それらの要素はむろん重要である。だがひたすら娯楽性を追及している映画に「深刻性」を求めるのは筋違いだし笑止だ。それは別の映画が追求するべきテーマだ。なによりも一つの作品にあらゆる主張を詰め込むのは、学生や素人が犯したがる誤謬だ。

「ボヘミアン・ラプソディ」の制作者は音楽を中心に据えて、麻薬、セックス、裏切り、喧嘩、エイズなど、など、の「非日常」だが今日性もあるシーンを、これでもかと盛り込んで観客の歓楽志向を思い切り満足させた。それこそエンターテインメントの真髄だ。

そこに盛り込まれたドラマあるいは問題の一つひとつは確かに皮相だ。他人の不幸や悲しみを密かに喜んだり、逆に他人の幸福や成功には嫉妬し憎みさえする、大衆の卑怯と覗き趣味を満足させる目的が透けて見える。だが同時に、薄っぺらだが大衆の心の闇をスクリーンに投影した、という意味では逆説的ながら「ボヘミアン・ラプソディ」は深刻でさえあるのだ。

批判者は大衆のゲスぶりを指弾し、それに媚びる映画制作者らの手法もまた糾弾する。だが大衆の心の闇にこそ人生のエッセンスが詰まっている。それが涙であり、笑いであり、怒りであり、憎しみであり、喜びなのである。そこを突く映画こそ優れた映画だ。

「ボヘミアン・ラプソディ」はクイーンや主人公のフレディのドキュメンタリーではなく、飽くまでもフィクションである。実際のグループや歌手と比較して似ていないとか、嘘だとか、リアリティーに欠ける、などと批判するのは馬鹿げている。

批判者らはそれほど事実がほしいのなら、「ボヘミアン・ラプソディ」ではなくクイーンのドキュメンタリー映像を見ればいい。またどうしても社会問題や心理描写がほしいのなら、映画など観ずに本を読めばいいのだ。

映画館に出向いて、暗い顔で眉をひそめつつ考えに浸りたい者などいない。エンターテインメント映画を観て主人公の内面の深さに感動したい者などいない。「ボヘミアン・ラプソディ」にはそうした切実なテーマがないから楽しいのだ。

それでも、先に言及したように、主人公と父親との間の相克や、エイズや、麻薬などの社会問題や背景などの「痛切」も、実は映画の中には提示されてはいる。だがそれらは映画の「娯楽性」に幅を持たせるために挿入された要素なのであって、メインのテーマではない。

深刻なそれらの要素をメインに取り上げるならば、それは別の映画でなされなければならない。そしてそれらがメインテーマになるような映画はもはや「ボヘミアン・ラプソディ」ではない。誰も観ない、重い退屈な作品になるのがオチである。

主人公の内面を掘り下げろとか、政治状況を扱えとか、人物のリアリティーとかドラマの緻密な展開を見たい、などと陳腐きわまる難癖をつける評論家は悲しい。そうした評論がもたらしたのが、映画の凋落である。言葉を替えれば映画は、大衆を置き去りにするそれらの馬鹿げた理論を追いかけたせいで衰退し崩落した。

2018年、「ボヘミアン・ラプソディ」は世界中の映画ファンを熱狂させた。観客の圧倒的な支持とは裏腹の反「ボヘミアン・ラプソディ」評論は、映画を知的営為の産物とのみ捉える俗物らの咆哮だった。映画は知的営為の産物ではあるが、それを娯楽に仕立て上げることこそが創造でありアートである。大衆がそっぽを向く映画には感性も創造性も芸術性もない。

そこには芸術を装った退屈で傲岸で無内容の「ゲージュツ」があるのみだ。「ボヘミアン・ラプソディ」が2018年には映画館で、また翌年の2019年には英国の家庭で圧倒的な支持を受けたのは、それが観客を楽しませ感動させる優れた映画であることの何よりの証しである。


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東京五輪は札幌ではなく全競技を秋口に引っ越すべき



マラソン2016


来年の東京五輪のマラソンを札幌で行う計画が発表されて騒ぎになっている。僕も7月から8月にかけて開催される2020東京五輪に、強い疑問を抱き続けてきた。

そこに「マラソンを札幌で開催するかも」というニュースが流れたので、後出しジャンケン風になってしまうことを恐れつつ、かねてからの自分の思いを書いておくことにした。

僕は欧州の友人知己に日本を旅する良い季節はいつか、と訊ねられた場合は決まって「6、7、8月以外の9ヶ月」と答えるようにしている。

そのフレーズには「6月は雨期でうっとうしく、7、8月は湿気に満ちた猛暑で卒倒しかねない」という少し大げさな言葉も付け加える。また春と秋なら最高だ、とも。

僕は日本の中でも特に蒸し暑い沖縄の離島で生まれ育った。その経験から言うのだが、7~8月の東京は、海が近く且つ島風つまり海風が吹いたりもする沖縄よりも暑いことがよくある。

同時に、夏のその「蒸し暑さ」が外国人、特に欧米系の人々にとっていかに耐え難いものであるかを、イタリア人の家族を始めとする多くの欧米の友人知己との交流の中で実感してもいる。

それでもまだイメージのわかない人は、「真夏の沖縄で開催されるオリンピック」を想像してみればいい。それは決して爽快な印象ではないはずだ。東京の夏の五輪大会はそれ以上に苛烈である可能性がある。

7月~8月に東京でオリンピックを開催するのは、狂気にも近い異様な行為だとさえ思う。選手にとってもまた海外から訪れる観客にとっても、同時期の東京はどう考えても暑すぎるのだ。

東京の夏はただ暑いのではない。殺人的に「蒸し」暑いのだ。それは慣れない人々にとっては体力的に負担が大きい。体力的につらいから精神的にも苦痛を伴う。

真夏に東京を訪れる海外からの観光客は多くいる。従って7月~8月の東京の蒸し暑さも、全く我慢ができない、という類の困苦ではないことが分かる。

だがそうした観光客は、東京のひいては日本の夏の酷烈を承知であえて旅行にやって来る。中には日本の蒸し暑い夏が好き、という人さえいるだろう。

好きではないが体験してみたい、という人もいるに違いない。いずれにしろ、彼らは日本の四季のうちのその時期を「すき好んで」選ぶのだ。いわば自己責任である。

しかし、オリンピックに出場するアスリートと見物客には選択の余地はない。彼らはいやでもイベントの開催時期に合わせて訪日しなければならない。

アスリートにとっては、7月~8月の東京の蒸し暑さは健康被害を憂慮しなければならないほどの厳しいものだ。観客にとっても自らで選んだ時期ではない分、猛暑がさらにこたえるに違いない。

もう一度言う。7月から8月にかけてオリンピックを東京で開催するのは、ほとんど狂気にも近い動きだと思う。前回1964年の東京オリンピックは10月の開催だった。

秋晴れの涼しい空気の中で行われたその第18回五輪競技大会は、周知のように輝かしい成果をあげた。しかしながらあれから半世紀以上の時が経ち、五輪をめぐる状況は大きく変わった。

オリンピックは、放映権料として大金を支払う主にアメリカのテレビ放送網や、スポンサーなどの意向によって、開催時期や開催中の競技の時間などが左右されるようになった。

2020年のオリンピックも、IOC(国際オリンピック委員会)が7月半ばから8月末の間に開催できることを条件に東京を選んだものだ。

夏以降の開催ではアメリカの大リーグや欧州のプロサッカーリーグなど、欧米の人気スポーツの興行期間と重なって、テレビ番組の編成戦略上どうにも具合いが悪い。

既述のようにアメリカを筆頭にする欧米のテレビ放送網は、巨額のオリンピック放映権料をIOCに支払う。彼らへの配慮なくしては、五輪は開催そのものさえ怪しくなるのが現実だ。

そうした背景を知っているので僕は、2020年東京大会の開催時期の異様さに強い違和感を持ちながらも、敢えて意見を言うことを控えてきた。言っても詮ないことだ感じていたからだ。

しかし、東京の猛暑がアスリートに及ぼす健康障害を恐れて、IOCがマラソンコースを札幌に変更するらしい、という重大なニュースに接して考えが変わった。

そのエピソードは、真夏の危険な暑さを押して五輪競技を行うことの是非について、IOCや巨大テレビ網やスポンサー等に大きな疑問を投げかけている。

言葉を変えればエピソードは、今後のオリンピックの在り方について、理念と実際と金銭のバランスを含む大きな修正がなされなければならない、主張しているように見える。

事は東京五輪に限らない。ただでも夏の猛暑が多い中で、温暖化による地球の沸騰が日々進んでいる。五輪開催時期をテレビ網の都合だけで決定してはならない時期に来ている。

そうしたことを踏まえて、2020年東京オリンピックに関して僕には一つ提案がある。実はそれは東京五輪が7月から8月に開催される、と知った時点ですぐさま思いついたことなのだが。

東京五輪のマラソンを札幌開催にシフトするだけでも、コースの設定、会場選び、警備、選手及び関係者の宿舎の確立、販売済みのチケットの払い戻しや変更など、など、複雑で難しい作業が待っているであろうことが容易に推測できる。

マラソンのみを札幌に移行するのはもしかすると、全てを今のままにして五輪開催期間を秋口に変える作業と同じ、とまでは言わなくとも、それに近いほどの手間暇がかかるのではないか。

ならば、いっそのこと、全ての競技の開催時期を例えば9月から10月にかけて、と改めるのはどうだろうか。むろんその場合にはマラソンも予定通り東京で行う。

比較的涼しい9月~10月に大会を行えば、全ての競技で選手は最大限に力を発揮できるし、観客もイベントのみならず日本の気候とそこにまつわる文化を大いに楽しむことができる。

ネックは言うまでもなく前述の欧米、特にアメリカのテレビ放映権料問題だろうが、IOCが本気でアスリートの健康を憂慮するのならば、世界のテレビ局との交渉もまた本気で選択肢に挙げてみるべきではないか。



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ベニスに遊ぶ



ivangelista披露宴会場天井込みヒキ800


ベニスの少し優雅な結婚披露宴に招かれた。

同じ日に別の場所で日本祭りがあり、僕はそこで日本映画のプレゼン責任者だった。

困ったが、結婚披露宴はどうしても避けられない義理ある催し物だったので、そちらへの顔出しを優先せざるを得なかった。

披露宴会場はベニスの中心街から少し離れた場所にあった。いや、大運河からリアルト橋に向かって路地を行く地区だから、中心街の一角ではある。

だが、そのあたりはリアルト橋一帯やサンマルコ広場付近に較べると、ベニスの中心街の中では観光客が少なく静かな雰囲気に包まれている。

いまベニスで取りざたされることの多い中国人観光客も、その他の訪問客もあまり通りを歩いていない。

地元の人らしい老婦人に披露宴会場への道順を訊いた。躊躇なく教えてくれる様子からベニス人の女性であることに確信を持った。

そこでついでにまた訊いた。このあたりはずいぶん静かですね。あまり観光客も歩いていないようですし、と。

すると老婦人は急いで返した。とんでもない。このあたりも含むベニスはもうベニスではありません。ベニスは観光客に乗っ取られてしまいました。嘆かわしいことです、と。

彼女は僕を観光客とは見なさなかったようだ。イタリア語を、ブロークンながら、ま、割りと流暢に話すし、何よりも結婚披露宴に出るためにスーツにネクタイ姿だったからだろう。

カドーロ背景照も300

スーツにネクタイに黒の革靴を履いた観光客なんて、さすがのベニスにもあまりいないはずだ。


老婦人の嘆きは全てのベニス人の嘆き、と断言しても構わないと思う。それは僕のようにベニスを愛する非地元民の嘆きでもあるのだから。

観光客となんら変わることのない仕方でベニスに侵入している自分自身を棚に上げて、僕はそこでもベニスに溢れる旅人の多さを慨嘆するのだった。

僕の慨嘆はさらに深くなった。老婦人と別れてしばらく路地を行くと、明らかに不埒な中国人の仕業に違いない、落書きが目に飛び込んできたのだ。

チャイナ落書き800


美しい水の都は確実に壊れつつある。それは中国人のせいばかりではないが、中国人の影響はやはり少なくない、とは言えそうだ。

その後とどまった結婚披露宴の会場では、ベニスの伝統に彩られた屋内装飾や食や持て成しやゲストの動静や空気感を満喫して、それとは対極にある外の喧騒をしばらく忘れて過ごした。



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盆は生者のためにある


雲の上の光



日本の多くの地域で今日から始まる盆は、昨年11月に101歳で逝った父の新盆にあたる。盆最終日の8月15日にはイタリアでも大きな宗教行事がある。聖母マリアが死して昇天することを寿ぐ聖母被昇天祭である。僕はその日は家族と共に教会のミサに出席するつもりだ。

僕はキリスト教徒ではないが、教会の行事には家族に請われれば、また時間が許す限りは、顔を出すことを厭わない。一方キリスト教徒の妻は日本に帰るときは、冠婚葬祭に始まる僕の家族の側のあらゆる行事に素直に参加する。それは僕ら異教徒夫婦がごく自然に築いてきた、日伊両国での生活パターンである。

教会では父のために、盆の徳を求めて祈ろうと思う。教会はキリスト教の施設だが、聖母マリアも、その子で神のイエス・キリストも、霊魂となった父を拒まない。拒むどころか抱擁し赦し慈しむ。祈る僕に対してもそうである。イエス・キリストとはそういう存在である。全き愛と抱擁と赦しが即ちイエス・キリストである。

祈りには実は宗教施設はいらない。僕は普段でも父に先立って逝った母に語りかけ、父を思っても祈る。 だが信心深かった母と父はもしかすると、多くの人と同様に寺や神社や祠や仏壇などの宗教設備がないと寂しい思いをするかもしれない。だから僕はそうした場所でも祈る。キリスト教の教会においてさえ。

イエス・キリストの代弁者である教会は僕の祈りを拒まないし拒めない。もしもそこに拒絶があるなら、それは教会施設の管理者である聖職者と信者たちによってなされるものだ。だが異教徒でありながら、あるいは仏教系無神論者でありながら、いや仏教系無神論者だからこそ、イエス・キリストを尊崇してやまない僕を彼らも拒まない。

仏教系無神論者とは、仏教的な思想や習慣や記憶や情緒などにより強く心を奪われながら、全ての宗教を容認し尊崇する者、のことである。同時に僕は釈迦と自然とイエス・キリストの「信者」でもある。幾つもの宗教を奉ずる者は、特に一神教の信者にとっては、「何も信じない者」であるに等しい。

その意味でも僕はやはり無神論者なのであり、無神論者とは「無神論」という宗教の信者だと考えている。そして無神論という宗教の信者とは、別の表現を用いれば先に述べた「全ての宗教を肯定し受け入れる者」にほかならない。

葬儀や法要や盆などを含むあらゆる宗教儀式と、それを執り行うための施設は、死者のためにあるのではない。それは生者のために存在する。われわれは宗教施設で宗教儀式を行うことによって、大切な人を亡くした悲しみや苦しみを克服しようとする。盆もその例に漏れない。

宗教はそれぞれの信仰対象を解釈し規定し実践する体系である。体系は教会や寺院や神社などの施設によって具現化される。信者は体系や施設を崇拝し、自らの宗教の体系や施設ではないものを拒絶することがある。特に一神教においてそれは激しい。

再び言う。僕はあらゆる宗教を認め受容し尊崇する「仏教系無心論者」である。僕にとっては宗教の教義や教義を含む全体系やそれを具現し実践する施設はあまり意味をなさない。僕はそれらを尊重し信者の祈りももちろん敬仰する。

だが僕はあらゆる宗教の儀式やしきたりや法則よりも、ひたすら「心が重要」と考える者でもある。心には仏教もキリスト教も神道も精霊信仰も何もない。心は宗派を超えた普遍的な真理であり、汎なるものである。それは何ものにも縛られることがない。

灰となった父の亡き骸の残滓は日本の墓地に眠っている。父に先立って逝った母もそうだ。だが2人はそこにはいない。2人の御霊は墓を飛び出し、現益施設に過ぎない仏壇でさえも忌避し、生まれ育ちそして死んだ島さえも超越して、遍在する

2人は遍在して僕の中にもいる。肉体を持たない母と父は完全に自由だ。自在な両親は僕と共に、たとえば日本とイタリアの間に横たわる巨大空間さえも軽々と行き来しては笑っている。僕はそのことを実感することができる。

僕は実感し、いつでも彼らに語りかけ、祈る。繰り返すが祈りは施設を必要としない。だが盆の最終日には僕は、イエス・キリストを慕いつつ仏陀の徳を求めて、母と、そして新盆を迎える父のために、キリスト教の施設である教会で祈ろうと思う。



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連休という果報、飛び石連休という貧困



サントリーニ見下ろし海パラソル客船800を600に



2019年、日本のゴールデンウイークが10連休になるというニュースは、イタリアにいても日本の衛星放送やネットを介していやというほど見、聞き、知っていた。

それに関連していわゆる識者や文化人なる人々が意見を開陳していたが、その中にまるで正義漢のカタマリのような少し首を傾げたくなる主張があった。

10連休は余裕のあるリッチな人々の特権で休みの取れない不運な貧しい人々も多い。だから、10連休を手放しで喜ぶな。貧者のことを思え、と喧嘩腰で言い立てるのである。

10連休中に休めない人は、ホテルやレストランやテーマパークなど、など、の歓楽・サービス業を中心にもちろん多いだろう。

だが、まず休める人から休む、という原則を基に休暇を設定し増やしていかないと「休む文化」あるいは「ゆとり優先のメンタリティー」は国全体に浸透していかない。10連休は飽くまでも善だったと僕は思う。

休める人が休めば、その分休む人たちの消費が増えて観光業などの売り上げが伸びる。その伸びた売り上げから生まれる利益を従業員にも回せば波及効果も伴って経済がうまく回る。

利益を従業員に回す、とは文字通り給与として彼らに割増し金を支払うことであり、あるいは休暇という形で連休中に休めなかった分の休息をどこかで与えることだ。

他人が休むときに休めない人は別の機会に休む、あるいは割り増しの賃金が出るなどの規則を法律として制定するすることが、真の豊かさのバロメーターなのである。

そうしたことは強欲な営業者などがいてうまく作用しないことが多い。そこで国が法整備をして労働者にも利益がもたらされる仕組みや原理原則を強制するのである。

たとえばここイタリアを含む欧州では従業員の権利を守るために、日曜日に店を開けたなら翌日の月曜日を閉める。旗日に営業をする場合には割り増しの賃金を支払う、など労働者を守る法律が次々に整備されてきた。

そうした歴史を経て、欧州のバカンス文化や「ゆとり優先」のメンタリティ-は発達した。それもこれも先ず休める者から休む、という大本の原則があったからである。

休めない人々の窮状を忘れてはならないが、休める人々や休める仕組みを非難する前に、窮状をもたらしている社会の欠陥にこそ目を向けるべきなのである。

休むことは徹頭徹尾「良いこと」だ。人間は働くために生きているのではない。生きるために働くのである。

そして生きている限りは、人間らしい生き方をするべきであり、人間らしい生き方をするためには休暇は大いに必要なものである。

人生はできれば休みが多い方が心豊かに生きられる。特に長めの休暇は大切だ。夏休みがほとんど無いか、あっても数日程度の多くの働く日本人を見るたびに、僕はそういう思いを強くする。

バカンス大国ここイタリアには、たとえば飛び石連休というケチなつまらないものは存在しない。飛び石連休は「ポンテ(ponte)」=橋または連繋」と呼ばれる“休み”で繋(つな)げられて「全連休」になるのだ。

つまり 飛び石連休の「飛び石」は無視して全て休みにしてしまうのである。要するに、飛び飛びに散らばっている「休みの島々」は、全体が橋で結ばれて見事な「休暇の大陸」になるのだ。

 長い夏休みやクリスマス休暇あるいは春休みなどに重なる場合もあるが、それとは全く別の時期にも、イタリアではそうしたことが一年を通して当たり前に起こっている。

たとえばことしは、日本のゴールデンウイーク前の時節(期間、時分)にもポンテを含む連休があった。復活祭と終戦記念の旗日がからんだ4月20日から28日までの9連休である。

4月20日(土)、21日(日“復活祭”)、22日(月“小復活祭=主顕節”・旗日)23日(火“ポンテ”)24日(水“ポンテ”)25日(木“イタリア解放(終戦)記念日”・旗日)26日(金“ポンテ”)27日(土)28日(日)の9連休である。

もちろん誰もが9連休を取る(取れる)わけではない。23日(火)と24日(水)は働いて25日から28日の間を休む。つまり26日(金)だけをポンテとして休む、という人も相当数いた。だが20日から28日までの長い休暇を取った人もまた多かったのである。

そうした事実もさることながら、旗日と旗日の間をポンテでつなげて連休にする、という考え方がイタリア国民の間に「当たり前のこと」として受け入れられている点が重要である。

飛び石、つまり断続または単発という発想ではなく、逆に「連続」にしてしまうのがイタリア人の休みに対する考え方である。休日を切り離すのではなく、できるだけつなげてしまうのだ。

連休や代休という言葉があるぐらいだからもちろん日本にもその考え方はあるわけだが、その徹底振りが日本とイタリアでは違う。勤勉な日本社会がまだまだ休暇に罪悪感を抱いてるらしいことは、飛び石連休という考え方が依然として存在していることで分かるように思う。

一方でイタリア人は、何かのきっかけや理由を見つけては「できるだ長く休む」ことを願っている。休みという喜びを見出すことに大いなる生き甲斐を感じている。

そんな態度を「怠け者」と言下に切り捨てて悦に入っている日本人がたまにいる。が、彼らはイタリア的な磊落がはらむ豊穣 が理解できないのである。あるいは生活の質と量を履き違えているだけの心の貧者なのである。

休みを希求するのは人生を楽しむ者の行動規範であり「人間賛歌」の表出である。それは、ただ働きずくめに働いているだけの日々の中では見えてこない。休暇が人の心身、特に「心」にもたらす価値は、休暇を取ることによってのみ理解できるように思う。

2019年に出現した10連休は、日本の豊かさを示す重要なイベントだった。日本社会は今後も飛び石連休を「全連休」にする努力と、連休中に休めなかった人々が休める方策も含めて、もっとさらに休みを増やしていく取り組みを続けるべきなのである。



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負け馬たちの功績


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負け馬御三家:左からキャメロン・レンツィ・メイ各氏


いま英国議会下院で起きているBrexit(英国のEU離脱)をめぐる議論の嵐は、民主主義の雄偉を証明しようとする壮大な実験である。それが民主主義体制の先導国である英国で起きているからだ。

そこでは民主主義の最大特徴である多数決(国民投票)を多数決(議会)が否定あるいは疑問視して、煩悶し戸惑い恐れ混乱する状況が続いている。それでも、そしてまさに民主主義ゆえに、直面する難題を克服して進行しようとする強い意志もまた働いている。

2016年、英国議会はBrexitの是非を決められず、結果として市民の要請に応える形で国民投票を行った。国民の代表であるはずの議会が離脱の当否を決定できなかったのはそれ自体が既に敗北である。だが国民投票を誘導した時の首相ディヴィッド・キャメロンと議会はそのことに気づかなかった。

国民投票の結果、Brexitイエスの結果が出た。民主主義の正当な手法によって決定された事案はすぐに実行に移されるべきだった。事実、実行しようとして議会は次の手続きに入った。そこでEUとの話し合いが進められ、責任者のメイ首相は相手との離脱合意に達した。

ところが英国議会はメイ首相とEUの離脱合意の中身を不満としてこれを批准せず、そこから議会の混乱が始まった。それはひと言でいえば、メイ首相の無能が招いた結果だったが、同時にそれは英国民主主義の偉大と限界の証明でもあった。

議会とメイ首相が反目し停滞し混乱する中、彼女はもう一方の巨大な民主主義勢力・EUとの駆け引きにも挑み続けた。そこではBrexitの是非を問う国民投票が、英国民の十分な理解がないまま離脱派によって巧妙に誘導されたもので無効であり、再度の国民投票がなされるべき、という意見が一貫してくすぶり続けた。

だがそれは、民主主義によって選択された国民の意志を、同じ国民が民主主義によって否定することを意味する。それは矛盾であり大いなる誤謬である。再度の国民投票は従って、まさに民主主義の鉄則によって否定されなければならない。

そこで議会で解決の道が探られるべき、という至極当たり前の考えから論戦が展開された。審議が続き採決がなされ、それが否定され、さらなる主張と論駁と激論が交わされた。結果、事態はいよいよ紛糾し混乱してドロ沼化している、というのが今の英国の状況である。

そうこうしているうちに時限が来て、EUは英国メイ首相の離脱延期要請を受け入れた。それでも、いやそれだからこそ、英国議会は今後も喧々諤々の論戦を続けるだろう。それはそれで構わない。構わないどころか民主主義体制ではそうあるべきだ。

だが民主主義に則った議会での議論が尽くされた感もある今、ふたたび民主主義の名において、何かの打開策が考案されて然るべき、というふうにも僕には見える。その最大最良の案が再度の国民投票ではないか。

なぜ否定されている「再国民投票案」なのかといえば、2016年の国民投票は既に“死に体”になっている、とも考えられるからだ。民意は移ろい世論は変遷する。その変化は国民が学習することによって起きる紆余曲折であり、且つ進歩である。

つまり再度の国民投票は「2度目」の国民投票ではなく、新しい知識と意見を得た国民による「新たな」国民投票なのである。経過3年という月日が十分に長いかどうかは別にして、2016年の国民投票以降の英国の激動は、民主主義大国の成熟した民意が、民主主義の改善と進展を学ぶのに十二分以上の影響を及ぼした、と考えることもできる。

いうまでもなく英国議会は、メイ首相を信任あるいは排除する動きを含めてBrexitの行方を自在に操る権限を持っている。同時にこれまでのいきさつから見て、同議会はさらなる混乱と停滞と無力を露呈する可能性も高い。ならば新たな国民投票の是非も議論されなければならないのではないか。

そうなった暁には、投票率にも十分に目が向けられなければならない。そこでは前回の72,1%を上回る投票率が望ましい。2016年の国民投票後の分析では、EU残留派の若者が投票しなかったことが、離脱派勝利の大きな一因とされた。

もしもその分析が正しいならば、投票率の増加は若者層の意思表示が増えたことを意味し、同時にその結果がもたらす意味を熟知する離脱派の「熟年国民」の投票率もまた伸びて、多くの国民による真の意思決定がなされた、と見なすことができるだろう。

要するにBrexitをめぐる英国の混乱と殷賑は、既述したように民主主義の限界と悪と欺瞞と、同時にその良さと善と可能性を提示する大いなる実験なのである。それは民主主義の改革と前進に資する坩堝(るつぼ)なのであって、決してネガティブなだけの動乱ではない。

EU内の紛糾と見た場合、その大きな変革の波は、先ず英国と欧州の成熟した民主主義の上に、Brexit国民投票を実施した英国のデイヴィッド・キャメロン前首相という負け馬がいて、それにイタリアの負け馬マッテオ・レンツィ前首相が続き、テリーザ・メイ英国首相というあらたな負け馬が総仕上げを行っている、という構図である。

民主主義の捨て石となっている彼ら「負け馬」たちに僕はカンパイ!とエールを送りたい。なぜなら3人は民主主義の捨て石であると同時に、疑いなくそれのマイルストーンともなる重要な役割を果たしていて、民主主義そのものに大きく貢献している、と考えるからだ。



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負け馬の人徳



ユニオンジャック&メイ800切り取り②

EU(ヨーロッパ連合)と英国のメイ首相は、2019年4月12日としていたBrexit
(英国のEU離脱)の期日を、ことし10月31日まで延期することで合意した。

メイ首相は2016年、Brexitの是非を問う国民投票の結果を受けてデーヴィッド・キャメロン前首相が辞任した後、タナボタよろしく無投票で英国首相になった。

以後彼女は、国民投票でイエスと決定したEU離脱に向けて動き出した。ところが、元はEU残留派だった本人が、離脱派に鞍替えした風見鶏的な体質が影響したのでもあるかのように、彼女の政策はことごとく失敗。

首相就任1年後には、野党労働党の困窮を見て自らの権力基盤を固めたい野心にとらわれる。そこでEU離脱に向けた党内のさらなる結束が必要、ともっともらしい口実を作って議会を解散、総選挙を実施する。だがみごとに敗退。保守党は議会過半数をのがした。

それは彼女の前任者のキャメロン首相が、「私を取るかEU離脱を取るか」と思い上がったスローガンをかかげて国民投票を戦い、まさかの敗北を喫した失策とウリふたつの慢心行為だった。

キャメロン氏の失脚の半年後、イタリアの若き「政治屋」マッテオ・レンツィ首相も、「私を取るか上院改革ノーを取るか」と英国の失敗を無視したうぬぼれ行為に走って敗北・失脚した。が、メイ首相はその例にも習わなかった。

メイさんは間抜けな行為の責任を取って首相職を辞めるのかと思ったら、ふてぶてしく居座った。北アイルランドの弱小政党を取り込んでようやく過半数を達成して、EU離脱に向けての権謀術策を再開したのである。

しかし野党労働党はおろか、身内の保守党内からも造反者が続出して、繰り出す政策や施策案はことごとく沈没。ついに「EUのお情け」ともいえる今回の半年間の離脱延期となった。

それを受けて、メイ首相は何を血迷ったのか、身内の保守党から顔をそむけるようにして野党の労働党との妥協を探る、などと表明し先行きの不透明感は増すばかりである。

「民主主義は、それ以外の全ての政治体制を除けば最悪の政治である」というウィンストン・チャーチルの名言は、メイ首相が日々格闘しているまさに同じ場所である英国議会の、けたたましい論戦と智謀と策略のぶつかり合いの中から生まれた。

その民主主義の最大の美点とは、武力を排除した舞台で議員(従って国民)が知恵と意見とアイデアをぶつけ合い、しかる後に生まれる「妥協」である。また民主主義の最大の欠点とは多数決と多数派による横暴である。

多数派による暴虐を殺ぐために考案されたのが、「少数派の意見を尊重する」というコンセプトである。それは実行されることは稀だが、現代のまともな民主主義体制の中では、そのことは強く意識されている。そして意識されていること自体が既に民主主義の改善である。

つまるところ民主主義とは、民主主義体制の不完全性を認めつつ、より最善のあり方を目指して進もうとする際の不都合や危険や混乱や不手際等々を真正面から見つめ、これに挑み、自らを改革・改善しようと執拗に努力する政治体制のことなのである。

僕はメイ首相が対峙する英国下院での論戦の渦と、同時に叱咤と欲望と雄叫び、そして何よりも「混乱」の模様を衛星TV報道画面で確認しつつ、その持論にますます自信を深めたりもするのである。

ひと言でいえば、議会に翻弄されているメイ首相は無能である。彼女の政策の善悪や好悪や是非に関わらず、一国の指導者が自らの政策に対して議会の賛同が得られない状況に長く居つづけるのは、無能以外の何ものでもない。

それにもかかわらずにメイ首相がめざましいのは、状況に決してめげない姿勢と行動力、しぶとい意志と厚顔、起き上がりこぼしもマッサオな打たれ強さ、執拗さ、愚直さ、鈍感さで議会に挑む姿だ。ある意味で政治家の鑑でさえある。

恐らくそれが見えるからなのだろう、EU幹部の彼女を見る目は意外と優しい。むろんその前に、EU幹部がメイ首相との離脱交渉において、彼らの思惑を押し通し有利な合意に達している、という現実があり、その現実から生まれる余裕がある。

そのことを知ってか知らでか、自国の議会でこてんぱんにやられたメイさんは、足しげくEU本部に出向いては、離脱合意の中身の見直しを頼んだり離脱延期を要請したりする。そのことも彼女のめげないしぶとさ、を印象付ける

メイ首相が泣きつく度に、EUのユンケル委員長やトゥスク大統領らは、彼女を慰め励まし協力し援助の手を差し伸べる。独仏のメルケル、マクロン両首脳をはじめとするEU加盟国の全首脳も同じ。メイ首相を非難するのは英国内の反対勢力だけ、というふうにさえ見える。

EU内のこちら側、つまり欧州大陸からイギリス島を観察しているとBrexitに関する限りそんな印象がある。その印象は連日繰り返し流れる英国議会論戦の映像や、EU幹部や加盟各国の首脳と会うメイさんの様子などによってさらに強調される。

EU側は誰もがメイさんに親切だ。首脳らは彼女をいつも歓迎し、抱擁し、激励し、心からの親愛の情を行動で示す。映像には彼らの誠実が素直に露見していて見ていてすがすがしいくらいだ。不思議な情景である。

EU幹部にもまた加盟各国首脳にも、英国がEUに残留してほしいという心底での願いがある、と僕はポジショントークながら思う。だが現実には英国は離脱の道を選び、メイ首相自身もそれを目指して政治的駆け引きを繰り返している。

彼女がひんぱんにEU]本部や加盟国を訪れるのも、すみやかなEU離脱の道を模索してのことである。決してEU残留を願って行動しているのではない。

EUはそのことを熟知しつつ、懸命にメイ首相を応援している。むろん、合意なき離脱になれば英国はいうまでもなくEUにも大きな損害と混乱がもたらされることが予想される。それを避けるためにはEUは、メイ首相との合意に基づく離脱を目指したほうがいい。

その実利を十分に理解したうえで見ても、繰り返しになるが、EUのメイさんを見つめる目は寛大だ。これはもうテリーザ・メイというしぶとくて愚直で鈍感な政治家の「人徳」によるもの、といっても過言ではない感じさえする。

EU支持者で英国ファンの僕は、どんな理由であれ英国の離脱が先延ばしにされるのは喜ばしい。延期を繰り返していけば、最終的には離脱そのものがなくなるかもしれない、という可能性がゼロではない展開へのひそかな期待もある。

一方、たとえそうはならなくても、離脱延期が実現したことで「合意なき離脱」という最悪のシナリオが避けられた、という見方が巷には根強く残っている。だがそれは間違っている可能性も高い。

離脱が延期される度に英国内では離脱強硬派の反発が高まるという現実がある。するとメイ首相は保守党内右派の支持を取り付けるのを諦めて別の道を探す。彼女がEUとの離脱延期合意直後に「野党労働党との協議を進めたい」と明言したもそれが理由だ。

すると自らの拠り所である保守党とその他の離脱強硬派の反発がますます高まって議会が紛糾する。結果、EUとの「離脱合意案」への承認が得られないまま時間切れとなって(延期期間の終わりが来て)なし崩しに「合意なき離脱」に至る可能性も極めて高い、と思うのである。



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