【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

あまりにも、イタリア的な・・

右でも左でも中庸を目指せば終わりは必ず良しだ


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イタリア総選挙は大方の予想通り右派連合が勝利した。

中でも極右の「イタリアの同胞」が躍進。

同党のジョルジャ・メローニ党首がイタリア初の女性首相になる公算が一層高まった。

メローニ氏はネオ・ファシストの心を持っている。だが、それを顔には出さない努力を続けてきた。彼女が選挙に勝ったのはその努力のおかげ、という一面もある。

だがむろんそれよりも、イタリア国民の多くが、彼女の主張に共感を持ったことが最大の勝因であるのは、言うまでもない。

連立とはいえ、ついに極右政党が政権を握る事態に欧州は驚愕している、と言いたいところだが現実は違う。

欧州は警戒心を強めながらもイタリアの状況を静観している、というのが真実だ。

しかも、メローニ政権は、少しの反抗を繰り返しながらも、基本的にはEU(欧州連合)と協調路線を取る、との読みがあるように思う。

近年、欧州には極右政党が多く台頭した。それは米トランプ政権や英国のBrexitEU離脱)勢力などに通底した潮流である。

フランスの国民連合、イタリアの同盟、スペインのVOXほかの極右勢力が躍進して、EUは強い懸念を抱き続けてきた。

極右興隆の連鎖は、ついにドイツにまで及んだ。

ドイツでは2017年、極右の「ドイツのための選択肢」が総選挙で躍進して、初めての国政進出ながら94議席もの勢力になった。

それはEUを最も不安にした。ナチズムの亡霊を徹底封印してきたドイツには、極右の隆盛はあり得ないと考えられてきたからだ。時代の変化はそこで明々白々になった。

それらの極右勢力は、決まって反EU主義を旗印にしている。EUの危機感は日増しに募った。

そしてついに2018年、極右の同盟と極左の五つ星運動の連立政権がイタリアに誕生した。ポピュリストの両党はいずれも強いEU懐疑派である。

英国のBrexit騒動に揺れるEUに過去最大級の激震が走った。

だが極右と極左が野合した政権は、反EU的な政策を掲げつつもEUからの離脱はおろか、決定的な反目を招く動きにも出なかった。

そこには、イタリア社会独特の多様性の力が働いている。

多様性が政治の極端化を妨げるのだ。

何はともあれ、政治的過激派が政権を握っても、彼らの日頃の主張が国の行く末を決定付けることにはならない、ということをイタリアの例は示した。

今回のイタリアの同胞が主導する右派政権もおそらく同じ運命を辿るだろう。

“ファシスト党の流れを汲む極右政党イタリアの同胞”というおどろおどろしい響きの勢力は、強い右寄りの政策を導入することは間違いないだろうが、過去のァシズムの闇に引きずり込まれることはあり得ない。

極右勢力に特有の暴力的な空気は充満するだろうが、政権がファシズムに陥らない限り彼らの存在は民主主義の枠組みの中に留まる。

僕は彼らを支持しないが、民主主義国の正当な選挙によって民意を得た彼らが政権を樹立することは、言うまでもなく認める。

2018年、極左の五つ星運動が総選挙で議会第1党になった時、僕は愕然とした。彼らの主導で政権が船出した時は、ついにイタリアの地獄が始まると思った。

それでも、民主主義の手続きを踏んでイタリア国民に選出された彼らの政権樹立に異論はなかった。むしろ民意の負託を得た以上それは必ず認められるべき、と考えそう主長した。

今回はイタリアの同胞が五つ星運動に取って変わった。五つ星運動で“さえ”政権を担った。当然イタリアの同胞“にも”その権利がある。

極左の五つ星運動と、極右のイタリアの同胞の間に何の違いがあるの?彼らは双方ともに政治的過激派で、ポピュリストという同じ穴のムジナに過ぎないぜ、というのが僕の正直な思いだ。

多様性が息づくイタリアには極論者も多いが、その多様性自体が極論者をまともな方向に導く、という持説を僕は今回も変える気はない。

極右でも極左でも、中庸を目指して進んでくれれば終わりは必ず良し、というふうに思いたいのである。

そうしなければ政権は与党内の争いで空中分解する。あるいは次の選挙で必ず政権の座から引きずり下ろされる。

例えば日本とは違ってイタリアには、民主主義の根幹の一つである政権交代の自浄作用が十分以上に備わっている。

その意味でも極左、極右、なにするものぞ、というところなのである。



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多様性のふところ

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‘’ファシスト気質‘’

イタリアでは来たる9月25日に総選挙が行われて、極右政党が主導する政権が樹立される見通しだ。主導するのはファシスト等の流れを汲む「イタリアの同胞」。

ファシストが政権党、と聞けば以前なら思わずぎょっとするところだが、ファシスト気質のトランプ前大統領の登場以降は、どうということもなくなった。

世界にはファシスト気質の政治家や政権が溢れている。トランプ前大統領に心酔する英ジョンソン首相とブレグジッド派勢力、フランスのルペン国民連合党首、ボルソナロ大統領ほかの南米またアジア・アフリカの指導者、などなど。日本の安倍元首相と周辺勢力もそこに親和的だ。

民主主義を無視して、安倍元首相の国葬を強行しようとする岸田政権は、安倍政権の上を行くファシスト気質の統治体制、と言っても構わないのではないか。

それらの政治家や政治勢力は、強権的という意味でプーチン大統領や習近平国家主席、また金正恩総書記などにも似ている。彼らのうちの多くは実際にお互いに友誼を結んでいる関係でもある。

‘’慣れの功罪‘’

伊総選挙後の首相就任がほぼ確実視されている、イタリアの同胞党首のジョルジャ・メローニ氏は、いま述べた世界のファシスト気質の政治家の中でも最もファシストに近い指導者である。

だが彼女は、ファシストどころか極右と呼ばれることも嫌い、自らが率いるイタリアの同胞をかつてのファシスト党のイメージから遠ざける努力を続けてきた。

それは半ば成功し半ば失敗していると言える。イタリアの同胞を支持率トップに引き上げたことが成功であり、彼女が未だに「ファシストと完全に決別する」と高らかに宣言できないところが失敗である。

それでも彼女が政権を握ることは、かつてそうであったほどの脅威にはならない。なぜならイタリアを含む世界は、既述のファシス的性向の指導者や政権に慣れて来ているからだ。

慣れは油断につながり、権力の暴走を許す可能性がある。同時に、対抗政治勢力と国民が、それら危険な権力への対処法を学ぶ原動力にもなる。

2022年現在、世界は剣呑な権力の抑制に成功している。それと言うのもトランプ政権は否定され、ブレグジッドを主導したジョンソン首相も退陣した。またフランスのルペン氏は大統領選で敗れた。

さらにブラジルのボルソナロ大統領の勢いは削がれ、日本では安倍元首相が銃弾に斃れて政治の表舞台から去った。

むろんそれは偶然の出来事だ。だが歴史の大きなうねりは得てして偶然に見える必然も生み出す。その歴史はさらに、岸田政権という強権&忖度集団まで作り出してしまった。

‘’極左と極右は同じ穴のムジナ‘’

一方イタリアでは2018年、極左と極右と定義されることも多い「五つ星運動」と「同盟」が政権を樹立する事態になった。それは欧州を震撼させたが、イタリア共和国は幸いに2党がかねてから主張する脱EUには向かわなかった。

ポピュリスト政権は、EUの意向に反してバラマキ政策を敢行した。と同時にEUとの共存の道も模索し続けた。やがて同盟が離反すると、 五つ星運動はEUと親和的な民主党と連立を組み直して、政権はより穏健になった。

そして今回、正真正銘の極右政党イタリアの同胞が議会第1党になる可能性が出てきた。

それが他の主要民主主義国で起これば一大事だが―そしてむろんイタリアでも強く懸念されてはいるが―この国の核を成している多様性が担保して、極右は強硬保守へと骨抜きにされると思う。

イタリアでは政治制度として、対抗権力のバランスが最優先され憲法で保障されている。そのため権力が一箇所に集中しない、あるいはしにくい。

その制度は、かつてファシスト党とムッソリーニに権力が集中した苦しい体験から導き出されたものである。

同時にそれは次々に政治混乱をもたらす仕組みでもある。が、たとえ極左や極右が政権を担っても、彼らの思惑通りには事が運ばれない、という効果も生む。

過激勢力が一党で過半数を握れば危険だが、イタリアではそれはほとんど起こりえない。再び政治制度が単独政党の突出を抑える力を持つからだ。

‘’多様性が極論を抑える‘’

イタリアが過激論者に乗っ取られにくいのは、いま触れた政治制度そのものの効用のほかに、イタリア社会がかつての都市国家メンタリティーを強く残しながら存在しているのが理由だ。

都市国家メンタリティーとは、換言すれば多様性の尊重ということである。

イタリア共和国は精神的にもまた実態も、かつての自由都市国家の集合体である。

そして各都市国家の末裔たちは、それぞれの存在を尊重し盛り立てつつ、常にライバルとして覇を競う存在でもある。そこに強い多様性が生まれる。

多様性にはカオスに似た殷賑が付き物だ。

都市国家メンタリティーが担保する多様性重視のイタリア社会では、誰もが自説を曲げずに独自の道を行こうと頑張る。その結果、カラフルで雑多な行動様式と、あっとおどろくような 独創的なアイデアがそこらじゅうにあふれる。

多様性を重視するイタリア社会は、平時においては極めて美しく頼もしくさえある。だがそれには、前述のカオスにも似た殷賑が付いて回る。

多様性を否定したい人々はそこを殊更に重視する。そして多様性に伴う殷賑あるいはカオスを、アナーキズムと曲解して多様性を指弾したりもする。

言うまでもなく彼らは間違っている。彼らは千差万別、多彩、人それぞれ、 百人百様、十人十色、 多種多様、、蓼食う虫も好き好き 、など、など、人の寛容と友誼と共存意識の源となる美しいコンセプトを理解しないのだ。

多様性というのはあくまでも絶対善だ。絶対とはこの場合「完璧」という意味ではなく、欠点もありながら、しかし、あくまでも善であるという意味だ。例えば民主主義と同じである。

‘’多様性と民主主義‘’

民主主義はさまざまな問題を内包しながらも、われわれが「今のところ」それに勝る政治体系や構造や仕組みや哲学を知らない、という意味で最善の政治体制だ。

また民主主義は、より良い民主主義の在り方を求めて人々が試行錯誤を続けることを受容する、という意味でもやはり最善の政治システムである。

言葉を変えれば、理想の在り方を目指して永遠に自己改革をしていく政体こそが民主主義、とも言える。

多様性も同じだ。飽きることなく「違うことの良さ」を追求し歓迎し認容することが、即ち多様性である。

多様性を尊重すればカオスにも似た殷賑が生まれる。だがそれは、多様性を否定しなければならないほどの悪ではない。

なぜならそれは、多様性が内包するところの疑似カオス、つまり前記の「個性が思い思いに息づく殷賑」に過ぎないからだ。再び言葉を変えて言えば、カオス風の賑わいがない多様性はない。

多様性の対義概念は幾つもある。全体主義、絶対論、専制主義、統制経済、侵略主義、軍国主義、民族主義、選民主義、チキンゲーム、干渉主義、デスポティズムetc。日本社会に特有の画一主義または大勢順応主義などもその典型だ。

僕はネトウヨ・ヘイト系排外差別主義と極端な保守主義、またそれを無意識のうちに遂行している人々も、多様性の対極にあると考えている。

なぜならそれらの人々には、彼らのみが正義で他は全て悪と見做す視野狭窄の性癖がある。つまり彼らは極論者であり過激派だ。むろんその意味では左派の極論者も同じ穴のムジナだ。

‘’多様性は敵も抱擁する‘’

だが多様性を信奉する立場の者は、彼らを排除したりはしない。 ネトウヨ・ヘイト系排外差別主義や極右は危険だが、同時にそれは多様性の一環でもある、と考えるのである。

多様性の精神は、「それらの人々のおかげで、寛容や友愛や共存や思いやりや友誼、つまり“多様性”がいかに大切なものであるかが、さらに良く分かる」と捉えて、彼らはむしろ“必要悪”であるとさえ結論付ける。

例えば政治危機のような非常時には、国民の平時の心構えが大きく作用する。つまり、多様性のある社会では、政治が一方に偏り過ぎるときは、多様性自体が画一主義に陥り全体主義に走ろうとする力を抑える働きをする。

一方でネトネトウヨ・ヘイト系排外差別主義がはびこる世界では、その力が働かない。それどころか彼らの平時の在り方が一気に加速して、ヘイトと不寛容と差別が横行する社会が出現してしまう。

ここイタリアには、冒頭で触れたように、来たる総選挙を経てほぼ確実に極右政党が主導権を握る政権が誕生すると見られている。

その政権には保守主義を逸脱して、ファシズムへ傾こうとするモメンタムが働くことが十分に予想される。

だがイタリア社会に息づく多様性の精神が、危険なその動きにブレーキを掛ける可能性が非常に高い。

そうは考えられるものの、しかし、油断大敵であることは言うまでもない。



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極右政権が誕生しそうなイタリア~多様性はそれを保守へとたらし込めるか

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イタリアでは9月25日の投票に向けて激しい選挙戦が展開されている。

世論調査によれば、右派連合が過半数を制して政権樹立を目指す見込み。

右派連合は極右の「イタリアの同胞」と「同盟」、中道右派を自称する「フォルツァ・イタリア」の3党が中心。

このうちファシスト党の流れをくむ正真正銘の極右政党「イタリアの同胞」は、左派で政権与党の民主党をわずかながら抑えて、世論調査で支持率トップを維持している。

それはつまり右派連合が勝った場合、イタリアの同胞のジョルジャ・メローニ 党首がイタリア初の女性宰相になることを意味する。

女性か否かはさておき、極右のイタリア首相の誕生は、EUを筆頭にする世界を震撼させそうだ。だが実際には人々は、冷静に成り行きを観察しているように見える。

それはおそらく反EUを標榜してきたメローニ党首が、その矛先を収めてEUとの共存を示唆し、ウクライナ危機に関してはロシアを否定して、明確にウクライナ支持を表明していることにもよる。

その一方で彼女の盟友のサルビーニ同盟党首とフォルツァ・イタリア党首のベルルスコーニ元首相は、ロシアのプーチン大統領との友誼に引きずられて曖昧な態度でいる。

彼らのスタンスは、ウクライナ支持で結束しているEU各国の不信を招いている。恐らくその反動もあって、メローニ党首の立ち位置が好ましくさえ見えているのだろう。

またイタリアはEUから巨額のコロナ復興支援金を受け取ることが決まっている。

メローニ首相が誕生した場合、彼女は復興支援金を滞りなく受け取るためにも、より一層反EUのスタンスを封じ込めて、EUと協力する道を選ぶことが確実と見られている。

EUをはじめとする世界の見方はおそらく半ば以上正鵠を射ている。

そのことは2018年、議会第1党になった極左の「五つ星運動」が反EUの看板を下ろして、割と「まともな」政権与党に変貌していった経緯からも読み取ることができる。

極右のイタリアの同胞もほぼ間違いなく同じ道をたどると考えられる。連立政権であることもそれに資することになる。

が、同時に-- 五つ星運動が極左の本性もさらけ出しにしたように--彼らが主張する反移民、排外差別主義者の正体もむき出しにするに違いない。

政治的感覚の優れたメローニ党首は、自らが主導するファシストの流れを汲むイタリアの同胞を、かつてのムッソリーニ派につながるイメージから引き離す努力を続けてきた。

それはフランスの極右、国民連合のルペン党首が、反移民・排外差別主義的なこわ持ての主張を秘匿してソフト路線で選挙を戦う、いわゆる「脱悪魔化」と呼ばれる手法と同じだ。

メローニ党首は極右と呼ばれることを嫌い、ファシストと親和的と見なされることを忌諱する。だが同時に彼女は、ファシズムと完全に手を切る、とは決して宣言しない。

なぜか。言うまでもなく彼女がいわゆるネオファシスト的な政治家だからだ。

ネオファシストは、反移民、ナショナリズム、排外人種差別主義、白人至上主義、ナチズム、極右思想、反民主主義などを標榜する。

メロ-ニ党首は明らかにそれらに酷似した主義、思想をまとって政治活動をしている。このうち反移民の立場は進んで明らかにするが、他の主義主張は時として秘匿したり曖昧にしたりする。

それは彼女がファシズムの過去の失態と国民のファシズムアレルギーを熟知しているからだ。ネオファシスト的主張を秘匿し曖昧にすることが、いわゆる彼女の「脱悪魔化」なのである。

イタリアのファシストはファシストを知らなかったが、ジョルジャ・メローニ党首はファシストを知っている。これは大きな利点だ。彼女が過去に鑑みて、ファシズム的な横暴を避けようとするかもしれないからだ。

だが同時に、彼女がファシズムの失敗を研究した上で、より狡猾な方法でファシズムの悪を実践しようとするかもしれない、という懸念もむろんある

なにはともあれ、今このときのイタリアの世論は、右派連合の政権奪還を容認し、メローニ党首の首相就任を「受身」な形ながら是認しているように見える。

それは2018年の総選挙で、イタリア国民が極左の五つ星運動の躍進を容受したいきさつと同じだ。

イタリア国民の大半は現在、バラマキに固執する左派の政策にうんざりしていて、そこに明確に反対する右派に期待を寄せていると考えられる。

実は右派もまたバラマキと変わらない政策綱領も発表している。だがそれは左派の主張より目立たない形での提案なので、国民は大目に見ているというふうだ。

ネオファシスト的体質の、将来のメローニ首相は、選挙戦中と同様に“保守主義者”として自らをアピールしまた政策を推進しようとするだろう。

ファシズムを容認するイタリア国民は皆無に等しい。だから将来のメローニ首相は、国民の気分に合わせるスタンスで政権を運営すると思う。

彼女を批判する場合の最も強い言葉は、例えば保守強硬派、強権主義、保守反動などで、ファシストという言葉は使われないし、使えないに違いない。

ファシズムという言葉がそれだけ侮辱的で危険なものだからだ。そして繰り返しになるが、ファシスト色を帯びた彼女の正体は、彼女自身も認めることをためらう程の悪であるからだ。

そしてその躊躇する心理が、彼女のファシズム的な体質を矯正し、政策をより中道寄りに引き戻して危険を回避する効果があると考えられる。

その傾向はイタリアではより一層鮮明になる。

政治勢力が四分五裂して存在するイタリアでは、極論者や過激派が生まれやすい。

ところがそれらの極論者や過激派は、多くの対抗勢力を取り込もうとして、より過激に走るのではなくより穏健になる傾向が強い。

そこには自由都市国家が乱立して覇を競ったイタリアの歴史が大きく関わっている。分裂国家イタリアの強さの核心は多様性なのである。

イタリア共和国には、都市国家群の多様性が今も息づいている。そのため極論者も過激思想家も跋扈するものの、彼らも心底では多様性を重んじるため、先鋭よりも穏便に傾斜する。

いわば政治的に過激な将来のメローニ首相も、必ずそういう道を辿ると思う。それでなければ彼女の政権は、半年も経たないうちに崩壊する可能性が高い。それがイタリアの政治だ。

極右のメローニ政権が船出する場合の危険と憂鬱は、彼女自身が極右に偏り過ぎることではなく、極右政権を支持する「極右体質」の国民が驕って声を荒げ、暴力的になり民主主義さえ否定しようと動くことだ。

右派が政権を奪取すると、小さな地方都市においてさえ暴力の臭いが増して人心が荒む状況になる。それは僕の住む北イタリアの村でさえ同じだ。

信じられない、と思うならばアメリカに目を向ければ良い。

ファシスト気質のトランプ前大統領が権力を握っていた間、アメリカでは暴力的な風潮が強まり人心が荒んだ。

右翼の、特に極右の最大の不徳は、極左と呼ばれる勢力と同様に、昔も今もそしてこれからも、言わずと知れた彼らの暴力体質なのである。







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斧で指を切断したイタリア人学者の武士道

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2020年、イタリアが世界に先駆けてコロナ地獄にさいなまれ医療崩壊に陥った時、医師不足を補うために300人の定年退職医師の現場復帰を求めたところ、たちどころに8000人もの老医師の応募があった。

彼らベテランの医師たちは、コロナが主に高齢者を攻撃して死に至らしめることを熟知しながら、年金生活者の平穏な暮らしを捨てて危険な医療の現場に敢然と飛び込もうとしたのだ。

老医師らの使命感と勇気は目覚ましいものだったが、当時は実は一般のイタリア国民も、先行きの見えないコロナパンデミックの恐怖の底で、彼らなりの勇気をふるって必死にコロナと向かい合っていた。

普段はひどく軽薄で騒々しい印象がなくもないイタリア国民の、ストイックなまでに静かで勇猛果敢なウイルスとの戦いぶりは、僕を感動させた

彼らの芯の強さと、恐れを知らないのではないかとさえ見えた肝のすわった態度はまた、作家のダーチャ・マライーニとその父フォスコのエピソードも僕に思い起こさせた。

ノーベル文学賞候補にも挙げられる有力作家のダーチャ・マライーニは、アイヌ文化の研究家だった父親に連れられて2歳から9歳までを日本で過ごした。

第2次大戦末期の1943年、ドイツと反目していたイタリアは連合国と休戦し、日独伊3国同盟の枠組を離れて日本の「友邦」から「敵国」になった。

ヒトラーはイタリア北部に傀儡政権サロー共和国を樹立。日本にいるイタリア人はそのナチス・ファシズム国家への忠誠を誓うように求められたが、ダーチャの両親はこれを拒否した。

その結果、一家は名古屋の収容所に入れらる。家族は敵性国家の国民として収容所で虐待された。

食事もろくに与えられないような扱いに怒りを募らせたダーチャの父フォスコは、待遇の改善を要求して抗議のために斧で自らの左小指を切断した。

フォスコ・マライーニの勇猛な行動に震え上がった収容所の監視役の特高は、ヤギを調達して父親に与えた。

フオスコ・マライーニはその乳を搾ってダーチャと兄弟に与えて飢えをしのいだ

そのエピソードはダーチャの両親やダーチャ自身によってもあちこちで語られ書かれているが、僕は10年以上前に作家と会う機会があって、彼女自身の口からも直に聞くことができた。

父親の豪胆な行動は、日本国家と家族を現場で虐待する看守らへの怒り、と同時に家族を守ろうとするひとりの父親の強い意志から出たものだ。

彼はその行為をいわば切腹のような武士の自傷行為に見立てたのである。

指を切る日本の風習は、武家社会で誓文に血判をする時などに見られたもの。

江戸時代には遊女がそれを真似する陋習が生まれ、それをさらにヤクザが真似しやがて曲解して、いわゆる「指詰め」の蛮習へと発展する。

フォスコ・マライーニの記憶の中には、武士の自傷行為は潔癖と勇猛の徴として刻まれていた。彼は武士に倣って激烈な動きで異議申し立てをしたのである。

収容所で一家を監視していたのは前述の特高である。彼らの多くは粗野で小心で品性下劣だった。旧日本軍の中核を成していた百姓兵士と同列の軍国の走狗である。

今で言えば、正体を隠したままネット上で言葉の暴力を振るうネトウヨ・ヘイト系排外差別主義者や、彼らに親和的な政治家、似非文化人、芸能人等々のようなものか。

収容所では侍の精神は日本人ではなく、フオスコ・マライーニの中にこそ潜んでいた。

フォスコ・マライーニの壮烈なアクションは、コロナパンデミックの最中に死地に赴こうとした8000人のイタリア人老医師の勇気に通底している。

8000人の年老いた医師の魂の中には、カトリックの教義の刷り込みがある。片やフォスコ・マライーニの魂には、最善の形での武士の精神の刷り込みが見られる。

そしてそれらの突出した強さは-繰り返しになるが-コロナ地獄の中では一般の人々によってもごく普通に顕現されていた。

善男善女によるボランティアという形での献身と犠牲の尊い働きがそれだ。

死と隣り合わせの医療現場に突き進んだ退役医師のエピソードはほんの一例に過ぎない。

当時は多くのイタリア国民が、厳しく苦しいロックダウン生活の中で、救命隊員や救難・救護ボランティアを引き受け、困窮家庭への物資配達や救援また介護などでも活躍した。

イタリア最大の産業はボランティアである。

イタリア国民はボランティア活動に熱心である。彼らは誰もがせっせと社会奉仕活動にいいそしむ。

善良なそれらの人々の無償行為を賃金に換算すれば、莫大な額になる。まさにイタリア最大の産業だ。

無償行為の背景には、自己犠牲と社会奉仕と寛容を説くカトリックの強い影響がある。

カトリックの教義は、死の危険を顧みずに現場復帰を申し出た老医師らの自己犠牲の精神と、ボランティアにいそしむ一般国民の純朴な精神の核になっている。

それはさらに、学者であるフォスコ・マライーニが、家族のためにささげた自己犠牲、つまり斧で自分の指を切断するという果断な行為にもつながっている。

武士道は筋肉を鍛え上げたサムライの険しい肉体だけに宿るのではない。

自己犠牲を恐れないか弱い女性や善良な男たち、また年老いた医師たちの中にもある気高く尊い精神なのである。





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「や、コンニチワ、またですね」のイタリア政治危機を招いたバカの壁

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マリオ・ドラギ首相が辞任して、イタリアのお家芸の政治危機が始まった。

近年は野心家のマッテオ・レンツィ元首相が政権をぶち壊す悪役を演じることが多かった。

だが2019年には政権与党だった極右「同盟」のマッテオ・サルビーニ党首が第1次コンテ内閣を倒した。

そしてその2年後には、再びレンツィ元首相が悪役を演じて第2次ジュセッペ・コンテ政権が崩壊した。

その直後に成立したマリオ・ドラギ政権が7月21日、事実上空中分解したのである。

連立政権内の今回の裏切り者は、「五つ星運動」党首のジュゼッペ・コンテ前首相。

自らの政権を木っ端みじんにされたコンテ前首相が、今度は他者の内閣を引き裂いた恰好である。

もっともドラギ政権の崩壊には、コンテ前首相に加えて同盟のサルビー二党首、ベルルスコーニ元首相などの反逆もからんではいるが。

コンテ前首相は、2021年の首相辞任後に彼の政権を支えた五つ星運動の党首に迎えられた。

つまりコンテ前首相はそうやって、極左の真っ赤なハチマキを巻き付けて吠えるポピュリスト政党の党首になったのである。

とたんに彼は、自身が首相当時にNATOと約束した防衛費増額を認めない、と言い出して約束を平然と破る過激論者の一端を示した。

そしてロシアがウクライナを侵略すると、彼のボスである五つ星運動創始者のベッペ・グリッロ氏に追随して、ロシアのプーチン大統領を擁護する立場を取った。

五つ星運動は、ロシアと中国にきわめて親和的な組織。創始者のグリッロ氏はトランプ主義者でもある。

2019年、イタリアはEUの反対を無視して、G7国では初めて中国との間に「一帯一路」構想を支持する覚書を交わした。

当時のイタリア首相は件のコンテ氏。覚書に署名したのは、当時五つ星運動の党首だったディマイオ副首相。今は外務大臣である。彼もコンテ氏同様に中国に目がない男だ。

コンテ前首相とドラギ政権の対立が決定的になったのは、前者がイタリアのウクライナへの武器供与に強硬に反対したことである。

コンテ氏は、武器の供与が戦争終結を遅らせる、と考える人々に近いように見えるが、実はプーチン・ロシアへの忖度が背後にある。

彼は、武器に金を使うならイタリアの貧者を救済しろ、と叫ぶのが得意だ。

ウクライナ危機は欧州危機であり、ロシアに対抗することが欧州の一部であるイタリアの救済にもつながることを理解しない。あるいは理解しない振りをしている。

五つ星運動の旗艦政策は、ベーシックインカムすなわち最低所得保障である。

五つ星運動党首で前首相のコンテ氏が、貧者を救済しろと吼えるのは、彼の政権が導入した最低所得保障制度を死守したいから。

それは五つ星運動の最大の票田につながっている。

イタリアの貧富の格差は開き続けている。

弱者はいうまでもなく救済されなければならない。だがそのことを盾に金をバラまく五つ星運動のやり方は無残だ。

金をバラまくのではなく、それが確実に弱者に行き渡る仕組みを作り、同時に仕事を創出する政策を考えるのが為政者の役割だ。

現行の制度では多くの不正受給が明らかになっている。また特に南イタリアでは、予想されたようにマフィアやカモラなどの犯罪組織が交付金に喰らいついている。

言いにくいことを敢えて言えば、怠け者で補助金に寄りかかることが得意な者も多い地域では、仕事をしない若者が増えている。

たとえ仕事をしても、報酬を闇で受け取って失業中を装い給付を受ける、という者も多い。

働き者が多い僕の住む北イタリアでさえ、給付金を目当てに仕事をしない住人が増えて、人手不足が深刻化している現実さえある。

五つ星運動のバラ巻き策は、百害あって一利なし、というふうだ。いや、真に貧しい弱者へ行き渡る金もあるのだから、百利のうち五利ぐらいはあるのかもしれない。

それでもやはり、バラまき策は人心をたぶらかし、嘘と怠惰と不誠意を増長させると僕は思う。

またウクライナが危機に瀕し、欧州もそれに巻き込まれている現在は、ウクライナに武器を供与して他の欧州の国々と共にロシアに対抗するべきだ。

欧州の民主主義と自由と富裕は、ロシアのような覇権主義勢力の横暴を黙って看過すればすぐに破壊される類いのもろい現実だ。それらは闘って守り、勝ち取るものなのだ。

それは断じて戦争を推進するべき、という意味ではない。攻撃され侵略された場合には、反撃し守りぬくべき、ということだ。

欧州が破壊されイタリア共和国が抑圧されれば貧者も金持ちもない。誰もが等しく地獄に落ちる。コンテ前首相と彼の周囲の過激論者にはそれが分からないらしい。

4年前イタリア政界に彗星のようにあらわれた素人政治家のンテ氏は、世界に先駆けてコロナ・パンデミックの地獄に沈んでいたイタリアに、全土ロックダウンという前代未聞の施策を導入してこれを救った。

あっぱれな仕事ぶりだった。

当時イタリアは、国家非常事態宣言下にあった。政府は議会に諮ることなく、閣議決定だけで法律を制定することができた。

コンテ首相はその制度に守られてほぼ自在に規制を行うことができた。

未曾有のコロナ恐慌に陥っていたイタリアの国民は、コンテ政権が打ち出すロックダウンほかの強烈な規制を唯々諾々と受け入れた。それしか道はなかったからだ。

コンテ首相にそれなりの求心力があったのは確かだが、空前のパンデミックの中では、あるいは誰が首班であっても成し得た仕事だった可能性も高い。

ともあれ危機を抜け出したコンテ首相を待っていたのは、彼自身と彼を支える五つ星運動が「体制側」とみなして反発する政治勢力の巻き返しだった。

連立を組む小政党が離脱してコンテ政権は立ち行かなくなった。またその前には冒頭で述べたように、連立相手の同盟が反乱を起こしてコンテ政権は危機に陥ったことがある。

そして2022年7月、今度はコンテ氏率いる五つ星運動が反旗を翻してドラギ政権を崩落させた。彼はそうすることでイタリアに再びの政治危機をもたらすことになった。

それはイタリアではありふれた政変劇だ。一見するとカオスに見えるが、それがイタリア政治の王道だ。

地方が都市国家の意気を持ち続けているタリアでは、中央政府の交代劇は深刻に捉えられはするものの、各地方が独立独歩の前進を試みようとする。

試みようとする意志を固く秘めている。だから大きくは動揺しない。それがイタリアの最大の長所である多様性の効能だ。

だからといってコンテ前首相の罪が消えるわけではないが。。。




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プーチン信徒もはびこるイタリアの度量


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前回エントリーで、プーチン“悪の根源”大統領を受身に擁護する、ジュゼッペ・コンテ前イタリア首相を批判した

彼の名誉のために付け足すと、プーチン大統領を名指しで非難しないイタリアの有力政治家は、ほかにも少なからずいる。

その筆頭がマッテオー・サルヴィーニ同盟党首である。極右とも規定される同盟のトップは、かねてからプーチン大統領を崇拝し、彼を称揚する言動を堂々と展開してきた。

サルヴィーニ党首は先日、ウクライナからの難民に連帯を示したいと称してポーランドを訪れたが、プーチン大統領支持の正体を見抜かれて現地の人々の総スカンを食らった

サルヴィーニ党首は、プーチン大統領とともにトランプ前大統領も敬する。

サルヴィーニ党首はポーランドで叱責を受けた際、ロシアのウクライナ侵攻は良くないことだ、としぶしぶ認めたが、その後はコンテ前首相と同じく、“プーチン”という名を一切口にせず、むろんロシアを非難することもしない。

支持するとまでは表明しないものの、沈黙を守ることでプーチン大統領を支持した、もう一人の大物政治家もいる。ベルルスコーニ元首相である。

プーチン大統領と親密な元首相は、ロシアがウクライナで殺戮を繰り返すのを目の当たりにしながら、当初は同大統領を全く指弾しなかった。

ベルルスコーニ元首相はおよそ一ヵ月後、これまたしぶしぶという風体でロシアの蛮行を初めて批判した。

そして4月9日、自身が党首を務めるFI党の党大会で「プーチン大統領には失望した」と強い調子で友人の独裁者を糾弾した。

遅きに失した感はあるが、だんまりを決め込んだり、消極的にあるいは受け身にプーチン大統領支持に回るよりは増しだろう。

醜聞にまみれたベルルスコーニ元首相には多くの批判がある。だがそのことはさて置いて、彼は政治的には、いわゆる「欧州の良心」から大きく逸脱することは一貫してなかった、と僕は思う。

プーチン大統領を擁護する勢力は、イタリアにおいても左右の極論者が多い。左の代表が前述したようにコンテ前首相であり、右の極論者がサルヴィーニ同盟党首である。

彼らはトランプ主義者である点でも共通している。

僕が知る限りコンテ前首相は公にトランプ前大統領を称揚したことはない。だが彼の上に君臨する五つ星運動創始者のグリッロ氏は、隠れなきトランプ礼賛者でありプーチン追従者だ。

コンテ前首相は、残念ながら彼のボスに倣って、ここのところは“プーチン”という言葉を全く口に出さない主義を貫いている。

そのようにイタリアでは、他の先進民主主義国では中々見ることができない衝撃的な政治実況に出くわすことも珍しくない。

つい先日まで首相の座にあった者や10年近くも首班を務めた政治家、あるいは世論調査で支持率1、2位を争う政党の党首などが、今このときのロシアの蛮行を見て見ぬ振りをしたり、あまつさえ支持するなど、ほとんどあり得ないことではないか。

イタリアではそれが堂々となされることも少なくない。

イタリア政治の特徴は多様性だ。それは傍目には混乱に映ることも多い。

事実、混乱も起きるが、イタリア共和国は混乱では崩壊しない。国家の中にかつての自由都市国家群が息づいているからだ。

仮にイタリア共和国が崩壊しても、歴史的存在の自由都市国家群はしぶとく生き残って、さらなる歴史を継承していくことが確実だ。

イタリア共和国とは、つまり、決して崩壊しない一つ一つの自由都市国家の集大成だ。従ってイタリア共和国自体もまた崩壊することはない、とも言える。

むろんイタリアが民主主義国家であり続ける限り、イタリア共和国の「民主的な解体」はいつでも起こり得る。

そのイタリア共和国は、たとえばBrexitに走った英国や、国民連合が台頭するフランス、またドイツのための選択肢を抱えるドイツなどとそっくり同じだ。

つまり他の西側諸国がプーチン・ロシアの愚行を受け入れることがないように、イタリア共和国がプーチン大統領の悪行に寄り添うことはあり得ない。

だがイタリアの国民的合意には、イタリア的多様性がもたらす不協和音に似た耳障りな響きも、またくっきりと織り込まれているのが常なのである。




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残念なジュゼッペ・コンテ前首相 

コンテ白黒横長

イタリアは2024年までに防衛費をGDP(国内総生産)の2%に引き上げるとしたNATOとの合意を反故にした。

連立政権を構成する五つ星運動の党首、コンテ前首相が激しく反対したからである。

コンテ前首相は、2019年に当時首相だった自分自身がNATOと約束した防衛費の増額を否定したのだ。

それによって彼は、右顧左眄と民心扇動が特徴的なポピュリスト政党のトップであることを如実に示した。

彼の主張は五つ星運動の目玉であるバラマキ策、「最低所得保障(reddito di cittadinanza 」とも深く結びついている。

コンテ氏が首相だった2019年、五つ星運動のゴリ押しが功を奏して、イタリア政府は低所得者層に一定の金額を支給し始めた。

コンテ政権は同年、NATOとの防衛費増額にも合意した。

ところが最近になってコンテ前首相は、イタリアを含む欧州が、プーチン・ロシアに侵略されるかもしれない危険に備えるための防衛費増は認めない、と声高に主張し始めたのだ。

弱者を援助するという名目で票集め用に金をバラまくのは構わないが、安全保障は天からの恵みで自然に備わるものだから気にしなくてもよい、とでも考えているのだろうか。

イタリア共和国がロシアによって破壊された場合、貧者も富裕者も関係がなくなり誰もが等しく地獄に落ちる。そんな瀬戸際に陥らないための防衛費増である。

NATOとEUを含む欧州各国が、歴史を大転回させるほどのロシアの凶行に太平の夢を破られて緊張し、欧州全体を守るために団結して即座の防衛費増を決めた。イタリア一国の問題ではないのだ。

言うまでもなく弱者は救済されるべきだ。だがそれは国が存続してはじめて可能になる事案だ。国が破壊されたら弱者への援助どころか、金持ちも貧乏人も何もかも消滅する。

今はその大本の真理のみを凝視して、基本原理に立ち返る努力をするべき時ではないか。

それをしないで詭弁を弄するのは、ロシアのプーチン大統領が「主権国家を侵略してはならない」という 原理原則を踏みにじっておきながら、細部を持ち出して言い訳や詭弁や強弁を声高に主張するのとそっくり同じ行為だ。

ドラギ政権は、コンテ前首相の強硬な反対に遭って、NATOとの合意を変更せざるを得なくなった。五つ星運動が大連立政権内の最大勢力だからだ。

過激は得てして ― それが右か左かには全く関係なく ― 常識を一気に飛び越えて極論に走る。

この場合は極左の五つ星運動が、大本の議論を無視して、たとえロシアからミサイルが飛来しても先ず貧者を助けろ、とわめいているに等しい。

五つ星運動は、ベーシックインカム(最低所得保障)導入に関しても、同じ偏執論理で突っ走った。

だが貧者を援助するための財源は働く人々の税金から出される。ならば先ず働く人々を助けるべきだ。

同時に働かない、あるいは働けない人々を、働くように仕向けることが重用だ。つまりバラマキの前に、仕事を生み出す知恵を働かせるべきである。その上で貧者に手を差し伸べる政策を強化すれば、誰もが納得する。

だが彼らは端からその努力を怠って、財源には全く目を向けることなく金をバラマクことばかりを目指している。そうすれば投票してもらえるからだ。

コンテ前首相は、イタリアがコロナ地獄の底で苦悶していた2020年、強い意志と勇気とポジティブ思考で国民を鼓舞し、厳しい全土封鎖を断行してイタリアを危機から救った。

僕は彼の力量を大いに評価して、そこかしこで褒めそやし喧伝した。

また彼が首相退任後に五つ星運動のトップに迎え入れられた時は、僕が強い違和感を抱き続けてきた五つ星運動を、根底から変えてくれるのではないかとさえ期待した。

コンテ氏は首相時代に五つ星運動の支持を受けてはいたが、そこの所属ではなかったのである。

だが彼は今や、大衆迎合主義政党「五つ星運動」の、過激な本性を身にまとっただけの極論者になりつつある。

いや、もともとそうだった正体が、コロナ禍の混乱が去りつつある現在、徐々に表に出てきたというのが真実に近いだろう。

コンテ前首相は、ウクライナで残虐行為を続けているプーチン大統領を支持する、という信じがたい迷妄の底にも沈んでいる。

正確に言えば、コンテ前首相は、彼のボスである党の創始者、ベッペ・グリッロ氏の「金魚の糞」化して戦争勃発以来ひと言も「プーチン」という言葉を口に出さす、ロシアを表立って批判することもない。

ボスのグリッロ氏がそうしているからだ。あるいは2人が示し合わせてそうしているのかもしれない。

コンテ前首相は、確信犯的にプーチン大統領の名前を口にせず、同時に彼の蛮行から目をそらすことで、プーチン大統領を援護しているのである。

彼が党首を務める五つ星運動は、親中国、親ロシアのポピュリスト政党である。また同党は反体制、反EUも標榜している。

彼らは古い政党や腐った政治家をインターネットを介して糾弾する、という目覚しい手法で急速に支持を伸ばした。

イタリア政界にはびこる腐敗政治家を指弾しようとする姿勢はすばらしい。また弱者に寄り添おうとする取り組みも共感できる。

だが彼らには創造的な政策がない。働く人々が稼いだ国庫の富を、無条件に貧者に分け与えろ!と叫ぶばかり。

その公平な分配法、財源、不正防止策などにはお構いなしだ。そして致命的なのは、繰り返しになるが、貧者のためまた国民のために仕事を創出する、という視点がないことだ。

そうした無責任な体質が、党首であるコンテ前首相のプーチン大統領への「受身の支持」を招き、NATO軽視、安全保障無視のスタンスを呼び込んでいる。

彼らが極左のポピュリスト、と規定され批判されるゆえんである。

極左、とは過激派という意味である。その部分では彼らは、右の過激派である極右の同盟やイタリアの同胞などと寸分違わない。極論には右も左もないのである。

コンテ前首相はつまるところ、左の過激派と呼ばれても仕方のない言動に終始している。

プーチン・ロシアの脅威を排除するための軍事費の増額を批判して、その金を貧者に回せ、と叫ぶのは平和時なら正しい。

だが平和が危機にさらされている状況では、まず平和維持を追求するのが筋だ。

また、蛮行に突っ走るプーチン大統領を、コンテ前首相がこの期に及んでも批判しない了見は、全く理解できない。それどころかほとんど狂気の沙汰だ。

2020年のイタリア全土ロックダウン時の彼の八面六臂の活躍は、もはや帳消しになったと言っても過言ではないだろう。

残念至極である。




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イタリアの化けは偽者かもかい?の答えは残念ながら YESだ!


ブルーマンチーニ&選手ら背景650


イタリアが2大会連続でワールドカップ出場を逃した。

あきれてものが言えず、おどろきで涙も出ない。

1年遅れで昨年開催されたEURO2020の覇者が、北マケドニアという人口200万とちょっとの国のささやかなチームに負けて予選敗退。

EURO2020で燃えに燃えた「燃え尽き症候群」といえばカッコいいが、また実際にそうなんだろうが、「ざけんなよコノヤロー、人の楽しみを2回も奪いやがって」という気分だ。

イタリアサッカーの大ファンの1人として、やっぱり次のことも言っておいてやる。

「イタリアには燃え尽き症候群という高級な病気にふさわしい超一流プレーヤーなどいない!ゼイタク言うな!」


昨年11月末、僕は:

イタリアの化けは偽者だったかも、かい?

という記事をここに書いた。その中に言いたいことの多くが込められているの

で、併せて読んでもらいたい。


閑話休題


結論を先に言ってしまえば、イタリアにはやはり違いを演出できる優れたファンタジスタ(ファンタジーに富む創造的なフォーワード)が必要だ。

イタリアの常勝監督の一人ファビオ・カペッロ氏は、サッカーでは監督の力量が影響を及ぼすのは15%ほどに過ぎない、と語ったことがある。

理論も実際もまた実績も超一流の監督の見解が、正しいかどうかは誰にも分からない。

カペッロ監督にも匹敵する力量の持ち主であるマンチーニ監督は、イタリアが60年振りにW杯出場を逃した2018年に就任した。

そしてすぐに改革を断行し、チームを強力軍団に作り上げた。

そうやってイタリアは2021年、53年振りに欧州選手権を制した。

そこまでのマンチーニ監督の貢献は70%、もしかすると80%程度にもなるのではないか、と僕は個人的に感じていた。

マンチーニ監督は、イタリアがW杯に出場して活躍し、あわよくば5度目の優勝を目指す、という明確な目標を掲げて監督に就任した。

ところがマンチーニ・イタリアは、いま触れたようにW杯を待たずに、W杯にも匹敵する厳しい欧州杯を制した。

彼の力量はますます高く評価され、カタールW杯への期待が一層高まった。

そんな折りにイタリアは再びコケた。

それでもマンチーニ監督の続投が決まった。

僕はその決定に賛成である。

だが、彼の能力が選手のそれを凌いでチームが勝ち進む、という幻想からは完全に決別すると決めた。

イタリアはやはり、1人あるいは2人の天才プレーヤーを中心に、9人~10人の世界クラスの選手が進撃する形を目指すべきだ。

それがイタリアサッカーの強さであり同時に面白さだ。

イタリアには次なるバッジョ、デルピエロ、トッティ、ピルロが必要だ。

早く出て来いスーパー・ファンタジスタよ!!



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ロシア包囲網でのイタリアの立ち位置

伊ウク国旗650

新聞、テレビ、ネットをはじめとするとするありとあらゆるメディアが、昼も夜もそして真夜中でさえも、ウクライナにおけるプーチン・ロシアの蛮行をこれでもかとばかりに伝え続けている。

戦争は世界中で一日の休みもなく行われている。だが情報開示が当たり前に展開されている欧州で、実戦が進行するのはきわめて異例のことだ。

欧州は紛争や対立を軍事力で解決するのが当たり前だった野蛮且つ長い血みどろの歴史を経て、それを話し合いと外交で解決しようとする、開かれ教化された進歩的民主主義の道を確立した.

片やロシアは、未だそこに至らない未開国であることが明らかになった

情報を隠し、歪め、虚偽を垂れ流すプーチン・ロシアは欧州の一部ではない。それはアジアである

ここで言うアジアとは、民主主義を理解しない中国的、アラブ的、日本右翼的勢力の全てだ。つまり未開で野蛮で凶悪なアジア的精神。

敢えて日本のみに目を向ければ、残虐でどう猛で卑怯な戦闘集団だった旧日本軍と軍国主義日本の過去を直視しようとせずに、むしろそれを隠蔽し否定し都合のよい情報のみを言い立てて、歴史を修正しようとするネトウヨ系排外差別主義勢力のことだ。

自由と民主主義を死守する西側世界は、アジアに属するロシアとは全く逆の社会状況にある。そこでは横暴と欺瞞と悪意に支配されたプーチン・ロシアの情報操作の実態が、あらゆる角度から暴かれている。

欧州の全ての国は、ウクライナ危機が自国にとって対岸の火事ではないことを実感している。ウクライナが陸続きで地理的に近く、且つ欧州の過去の血みどろの大戦や闘争の記憶が人々に共有されているからだ。

そして何よりもロシアのプーチン大統領が、民主主義の精神とはかけ離れた独善と悪意と暴力にまみれた異様な指導者であることが再確認されたからだ。

ロシア包囲網に断固とした意志で参加しているイタリアは、歴史的にロシアと親和的な関係を築いてきた。イタリアが長く欧州最大の共産党を有してきたからだ。同じ動機でイタリアは中国とも親しい

それはだが近代史における政治ゲームに過ぎない。独立心旺盛で自由な都市国家が統一国家イタリア共和国の真髄である。イタリアの核心は政治ゲームの主体ではなく、それらの都市国家がもたらす多様性なのである。

国家構成の基底に多様性が居座っているイタリアは、対外的にも多様で実践的な政治体制を維持している。敢えてひとことで分かり易くいえば、イタリアは世界中のあらゆる国と親和的なのである。少なくともその意志を秘めて世界に対しているのがイタリア共和国だ。

それは八方美人とか日和見主義を意味するのではない。自立志向の強い都市国家群を統一国家内に含む場合の必然の帰結である。言葉を変えれば中央政府は、国内にある多種多様な意見や意思を絶えず尊重し耳を傾け続けなければならない。

そのスタンスは対外的にも増幅されてイタリア共和国の立ち位置を規定していく。つまりそこでも多様性を重視する姿勢になる。イタリアは歴史的にもまた思想的にも、誰とでも共存しなければならない性根を持っている。あるいは誰とでも親和的でなければならない性根に縛られている。

イタリアとロシアは、地理的には遠い間柄ながらも、歴史的に良好な関係を保ち続けてきた。専門家の中にはその状況を指して「イタリアは欧州におけるロシアのもっとも親しい国である」と断定する者さえいる。

イタリアはプーチン大統領自身とも友好的な関係にある。その善し悪しは別にして、現代イタリア最大の政治的存在であるベルルスコーニ元首相は、プーチン大統領とは親友同士とさえ呼べる仲である。

86歳の元首相は2022年3月19日、性懲りもなく53歳年下の女性と3回目の結婚式を挙げた。彼の友人のプーチン大統領は、ウクライナへの暴力行使で忙しくしていなければ、あるいは結婚式に出席していたかもしれない。

また極右政党「同盟」と「イタリアの同胞」のサルヴィーニ、メローニの両党首は、相変わらずプーチン大統領を賞賛して止まない。イタリア中がプーチン大統領の残虐な戦争に怒りをあらわにしているため、彼らも戦争反対と口では言っている。だが本心は相変わらずプーチン万歳というところだろう。

ポピュリストの彼らは時勢が右といえばそれに追随し、左といえばそれに媚びる。節操もなく信義もなく核もない。あるのは粗暴で抑圧的な感情と怒りだ

そして極右の2政党とベルルスコーニ党が手を組んで選挙に臨めば、イタリアは世論調査の数字上は、明日にでも彼らに統治されることがほぼ確実な情勢だ。

だがそれらプーチン愛好家の人々の願いも空しく、イタリア政府は今のところはNATOまたEUとぴたりと歩調を合わせてロシアに歯向かっている。そしてロシアは、イタリアを敵性国家と規定しエネルギー供給を止める、などと脅してさえいる。

イタリアはエネルギー源であるガスの90%を国外から輸入している。そして総輸入の45%がロシア産である。イタリアはEU加盟国の中では、ガスの5割以上をロシアから購入しているドイツに次いでロシアへの依存度が高い。

2014年~15年のクリミア危機では、イタリアの当時のレンツィ政権は、ロシアと関係が深い国内のエネルギー業界の抵抗に遭って、ロシアに対して強硬措置が取れなかった。ドイツも同じ状況だった。

だが両国は、今回のロシアの蛮行に際しては揃って立ち上がり、他の国々と歩調をあわせてロシアに対峙している。

イタリアが速やかに行動できたのは、ドラギ政権の力によるところが大きい。

2021年に政権を握ったマリオ・ドラギ首相は、ほぼ全ての政党が一致団結して政権を支持している事実と、首相自身の求心力の強さを背景にEUにぴたりと寄り添い、対ロシアへの強硬路線を取っている。

イタリアはロシアがウクライナに侵攻して間もなく、11千万ユーロをウクライナ政府に提供すると表明した。またNATOには、今後2年間であらたに17400万ユーロの貢献をすることも決めた。同時にウクライナ難民には難民申請を出さなくてもイタリア滞在が可能になる措置を取っている。

さらにイタリアは、ひとまず合計約5000人の兵士をウクライナ周辺国へ送る決定も下した。ハンガリーとルーマニアにはそのうちの3500人が派遣される。ルーマニアでは同国の空軍をイタリア空軍が指導しサポートする。

加えてイタリアは、ウクライナ危機を国家非常事態宣言下に置くことも決めた。それによって政府はコロナ禍中と同様に、緊急の規制や法律を国会の承認を得ることなく施行することが可能になる。

イタリアを含む欧州は、静かにだが断固とした意志で、プーチン独裁政権に対抗して臨戦態勢に入っていると形容しても過言ではない。





サラミを手土産に早く日本に帰りたい

各種サラミ650

まだ希望的観測の類ではあるものの、コロナが終息しそうだからと、日本帰国に備えてお土産を考え始めた。

するとそこにウクライナ危機が勃発して、気分が元の重さに逆戻りしてしまった。

コロナも戦争もなく、欧州もむろん日本も平和だったころ、僕は新聞に次のような趣旨のコラムを書いた。


               イタリアみやげ

かさばらない、腐らない、気どらない。それでいてイタリア的、とういうのが僕の日本へのおみやげ選択の条件である。例えばとてもイタリア的なものであるワインはかさばる。またうまいチーズや生ハムは腐りやすい。デザイン系の装飾品やファッションなどは気どる。試行錯誤を経てたどりついたのがサラミである。

サラミはかさばらず、腐らず、気どらず、しかも大いにイタリア的である。イタリアの食の本筋である肉のうま味が凝縮されていて、そのうえ優れた保存食という重大な一面もある。ところが、サラミは都会の人々には好まれるものの、田舎ではあまり人気がない。生ハム等に比べると香りや味に特徴があって、慣れない者には食べづらい印象もある。そのせいかどうか、たとえば東京あたりの友人知己には喜ばれるが、地方では人気がない。

僕の故郷の南の島々では、豚肉がよく食べられるのに豚肉が素材のサラミはもっと人気がない。地方の人は日本でもイタリアでも新しい食べ物を受けつけない傾向がある。いわゆる田舎者の保守体質というものであろう。

生まれも根っこも大いなる田舎者である僕は、白状すると、イタリアに来て丸2年間ほぼ毎日食卓に出るサラミを口にできなかった。2年後に思い切って食べてみた。

以来、今ではサラミや生ハムのない食事は考えもつかない。

僕は自分が体験した喜びを親しい人々に味わってもらおうと、いつもサラミを島に持ち帰っている。だが、歓迎されないおみやげは贈る自分もあまり喜ばず、正直少し疲れを覚えないでもない。


日本はその後、、口蹄疫、ASF(アフリカ豚熱)、高病原性鳥インフルエンザなどの家畜伝染病の侵入を防ぐため、という理由で海外からの肉や肉製品の個人持込みを禁止した。

僕のイタリア土産の主力打者であるサラミももちろん持ち込み禁止になった。

イタリアは衛生管理の厳しい先進国である。言うまでもなくサラミや生ハムほかの製品は、峻烈な生産工程を経て店頭に出る。

しかもイタリアの加工肉の種類の豊富と品質は、日本が逆立ちしてもかなわない。またその安全性はまぎれもなく世界のトップクラスである。

肉製品だけに関して言えば、あるいは日本のそれよりも安全であり安心できるとさえ感じる。

なので僕は、サラミの日本への持ち込み禁止措置なんて一時的な対策に過ぎない。すぐに解除になると考えた。

ところがどっこい2019年、禁止措置は強化されて、海外からの畜産物の持込みには3年以下の懲役、または最高100万円の罰金が科されることになった。

しかもそれだけでは終わらなかった。

翌2020年7月には家畜伝染病予防法が改正され、懲役は同じだが罰金は最高300万円にまで引き上げられたのである。

正直、目が点になった。鎖国メンタリティーの日本の面目躍如、と思った。

コロナ禍中での外国人締め出し措置に似た、日本独特の異様な政策だと今も思う。

趣旨は分かるのである。島国の利点を活かした厳格なやり方で、合理的に行えば感心できる。

だが、日本人と外国人の区別をしないウイルスをつかまえて、日本人の入国はOKだが外国人はNGというのでは、排外差別主義的な政策だと批判されても仕方がない。

肉製品の全面持込み禁止措置は、むろんコロナ政策と同じではない。が、コロナ対策に似たいわばヒステリックな思い込みが見え見えでうっとうしい。

あえてイタリアと日本の間柄だけに限って言う。

イタリアの加工肉の最高傑作である生ハムやそれに匹敵するサラミの日本への持込み禁止は、例えばイタリア政府が「イタリアでは寿司や刺身の消費を厳禁する」と言い張ることがあるとしたなら、それと同じ程度に愚劣きわまりない施策である。




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先祖返りするイタリア

鈴蘭?白650

イタリア憲法裁判所は安楽死の是非を問う国民投票を実施しない、と審判を下した。

2月15日のことである。

イタリアでは安楽死を合法化しようという気運が高まって昨年8月、国民投票を求める署名運動が75万人を突破した。

この国では50万人以上の署名で、国民投票を要求できる決まりがある。

だが憲法裁判所は、国民投票で安楽死が認められれば、憲法が保障する最低限の生命保護の義務が守られなくなる、として弱者への配慮を示す形でこれを否定した。

イタリア生命倫理委員会は昨年11月、安楽死を切望する四肢の麻痺した40歳の男性の自殺幇助を認めた。

史上初の出来事だった。

イタリアでも安楽死を求める声は年々高まっている。だから国民投票を要求する署名が多く集まったのだ。

回復不可能な病や心身の耐え難い苦痛にさらされた人々が、自らの明確な自由意志によって安楽死を願う場合には許されるべきだ。

それが文明国のまっとうな在り方だと思う。

北欧やスイスなどではそれは法制化されている。

だがここイタリアでは難しい。自殺を厳しく戒めるローマ教会の影響が大きいからだ。

それでも昨年、ついに法制化に向けての国民投票が実施される、という観測が高まったのだった。

だが憲法裁判所の拒絶でイタリアは未開国へと先祖返りした。

今後は安楽死の法制化の是非は、国会で審議されていくことになる。







長いものに巻かれている者には見えないイタリア民主主義の精妙

1月24日に始まったイタリア大統領選は、8回目の全体投票で現職のマタレッラ大統領を再選して幕を閉じました。

2期連続で大統領を務めるのは、前職のナポリターノ大統領に続くもの。議会が適任者を絞り込めず、続投を辞退するマタレッラ大統領にいわば懇願して了解を得ました。

2013年の大統領選では、ナポリターノ前大統領が高齢を理由に2期目を固辞しまたが、議会有力者が泣きついて立候補を受諾させました。

ナポリターノ大統領は高齢のため2期目の任期途中で引退しました。マタレッラ大統領も再び同じ道を歩もうとしているのかもしれません。

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選挙戦は事前の予想通り紆余曲折七転八倒、行き当たりばったりの政治狂宴になりました。

イタリアのある大手メディアはそれを「各政党は合意できない弱さと混乱と無能ぶりをさらけだした」という表現で嘆きました。

その論調は筆者にため息をつかせました。

なぜなら彼らは、イタリアのメディアでありながら、イギリスやドイツやフランスやアメリカ、またそれらの国々を猿真似る日本などのジャーナリズムの視点で物を見ています。

イタリアの各政党の「弱さと混乱と無能」は今に始まったことではありません。

イタリアの政治は常に四分五裂して存在しています。そのために一見弱く、混乱し、無能です。

四分五裂はイタリア共和国とイタリア社会と、従ってイタリア政治の本質です。

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「四分五裂する政治」を別の言葉でいえば、多様性であり、カラフルであり、盛りだくさんであり、万感せまるワイドショーであり、選り取り見取りネホリンパホリン、ということです。

多様性は混乱にも見えます。だがイタリアには混乱はありません。イタリアの政治にも混迷はありません。

そこにはただイタリア的秩序があるだけです。「カオス風」という名のイタリア独特の秩序が。

多様性に富む社会には極端な思想も出現します。過激な行動も生まれます。

例えば今が旬のイタリアの反ワクチン過激派NoVax、極左の五つ星運動、極右の同盟またイタリアの同胞など、など。

イタリアにおける政治的過激勢力は、国内に多くの主義主張が存在し意地を張る分、自らの極論を中和して他勢力を取り込もうとする傾向が強くなります。

つまり、より過激になるよりも、より穏健へと向かう。

それがイタリア社会の、そしてイタリア政治の最大の特徴である多様性の効能です。

2大政党制の安定や強力な中央集権国家の権衡、またそこから生まれる国力こそ最善、と考える視点でイタリアの政治を見ると足をすくわれます。

イタリア共和国の良さとそして芯の強さは、カオスにさえ見える多様性の中にこそあるのです。

その屋台骨は、「各政党の合意できない弱さと混乱と無能」が露呈する国政を尻目に、足をしっかりと地に着けて息づいているイタリアの各地方です。

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国のガイドラインがなくてもイタリアの各地方は困りません。都市国家や自由共同体として独立し、決然として生きてきた歴史のおかげで、地方は泰然としています。

イタリア国家が消滅するなら自らが国家になればいい、とかつての自由都市国家群、つまり旧公国や旧共和国や旧王国や旧海洋国などの自治体は、それぞれが腹の底で思っています。

思ってはいなくても、彼らの文化であり強いアイデンティティーである独立自尊の気風にでっぷりとひたっていて、タイヘンだタイヘンだと口先だけで危機感を煽りつつ、腹の中ではでペろりと舌を出しています。

「イタリア国家は常に危急存亡の渦中にある(L`Italia vive sempre in crisi)」と、イタリア人は事あるごとに呪文のように口にします。

それは処世術に関するイタリア人の、自虐を装った、でも実は自信たっぷりの宣言です。

統一からおよそ160年しか経たないイタリア共和国は、いつも危機的状況の中にあります。

イタリア共和国は多様な地域の集合体です。国家の中に多様な地域が存在するのではありません。

つまり地域の多様性がまず尊重されて国家は存在する、というのがイタリア国民の国民的コンセンサスです。

だから彼らは国家の危機に対して少しも慌てません。慣れています。アドリブで何とか危機を脱することができると考えているし、また実際に切り抜けます。歴史的にそうやって生きてきたのです。

イタリア大統領選出のために国会議員が好き勝手に言い合い争っているのも、イタリアの多様性のうちの想定内の出来事。

誰もあわてません。

そして終わったばかりのイタリア大統領選は、いつものように国家元首である大統領を選ぶ舞台であると同時に、イタリアのカオス風の多様性と、強さと、イタリア式民主主義のひのき舞台でもあった、と筆者は思います。


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カオス風に秩序立って進んだイタリア大統領選

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イタリア大統領選は現職のマタレッラ大統領が「続投」という最善の結果になった。

1月24日に始まった選挙戦は事前の予想通り紆余曲折、七転八倒、行き当たりばったりのドンチャン騒ぎになった。

イタリアのある大手メディアはそれを「各政党は合意できない弱さと混乱と無能ぶりをさらけだした」という表現で嘆いた。

その論調は僕にため息をつかせた。

なぜなら彼らは、イタリアのメディアでありながら、イギリスやドイツやフランスやアメリカ、またそれらの国々を猿真似る日本などのジャーナリズムの視点で物を見ている。

イタリアの各政党の「弱さと混乱と無能」は今に始まったことではない。

イタリアの政治は常に四分五裂して存在している。そのために一見弱く、混乱し、無能である。

四分五裂はイタリア共和国とイタリア社会と、従ってイタリア政治の本質なのである。

四分五裂を別の言葉でいえば、多様性であり、カラフルであり、盛りだくさんであり、万感せまるワイドショーであり、選り取り見取りネホリンパホリン、ということである。

多様性は混乱にも見える。

だがイタリアには混乱はない。

イタリア政治にも混迷はない。

そこにはただイタリア的秩序があるだけだ。「カオス風」という名のイタリア独特の秩序が。

多様性に富む社会には極端な思想も出現する。過激な行動も生まれる。

例えば今が旬のイタリアの反ワクチン過激派NoVax、極左の五つ星運動、極右の同盟またイタリアの同胞など、など。

イタリアにおける政治的過激勢力は、国内に多くの主義主張が存在し意地を張る分、自らの極論を中和して他勢力を取り込もうとする傾向が強くなる。

つまり、より過激になるよりも、より穏健へと向かう。

それがイタリア社会のそしてイタリア政治の最大の特徴である多様性の効能である

2大政党制の安定や強力な中央集権国家の権衡、またそこから生まれる国力こそ最善、とする視点でイタリアを見ても仕方がない。

イタリア共和国の良さとそして芯の強さは、カオスにさえ見える多様性の中にこそある。

そしてイタリア大統領選は、国家元首である大統領を選ぶ舞台であると同時に、イタリアのカオス風の多様性と、強さと、イタリア式民主主義のひのき舞台でもある、と僕は思うのである。




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イタリアの級長を選ぶ大統領選挙

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イタリア大統領選挙は投票6日目に入った。

コロナ感染防止の観点から、当初一日に2回投票を行う慣わしを1回に改めて始まったが、途中から古例に戻って一日に2回の投票が実施されている。

状況が混沌として終わりが見えないため、一日に2回の慣行に戻して選出作業を加速させようというわけである。

僕は大統領選から片時も目が話せないでいる。

ここまでの状況は下記の記事ほかに書いてきた。

https://terebiyainmilano.livedoor.blog/archives/52320615.html

https://terebiyainmilano.livedoor.blog/archives/52320809.html

https://terebiyainmilano.livedoor.blog/archives/52320880.html

https://terebiyainmilano.livedoor.blog/archives/52320899.html

イタリア大統領選の不思議と面白さは、あらかじめ募った候補者がなく、議会内各勢力が勝手に候補者を指名して喧々諤々の心理戦を展開するところである。

しかも繰り出される詭計のほとんどは、衆目監視の中で行われるいわば公然の秘密で、パワーゲームに伴う陰湿さがあまり見られない。

引き続き選挙戦をみているうちに、もう一つ面白いことに気づいた。

選挙戦が進行する議会では、立候補を宣言して顕示欲をむきだしに支持を呼びかける候補者がいない代わりに、党派を超えて愛される人物が選出される。

何かに似ていると思ったら、かつて小学校などで行われた「級長選挙」だった。

今は学級委員長選挙などとと称するのだろうが、昔ながらの「級長選挙」という言葉がしっくりくるのでそう呼ぶことにする。

級長選挙では、利害や欲や権謀術数の集大成ではなく、子供たちに幅広く好かれる児童が選出される。

選ばれる子供は自ら級長になるのではなく、クラス全員に推されてその地位に祭り上げられるのだ。

そこでは自己主張の強い子や、抜け目のない策士や、ちゃっかり者などは排除されて、皆に愛され尊敬される子供が、「皆の手で」級長にさせられるのである。

イタリア大統領も同じ。

乱立する政党と対立する議員の大半に愛される者が大統領になる。

選ばれるその人物は、あわてず騒がず、自己主張も奸智に長けた言動も断じてすることなく、人々の好意と友愛と尊敬が集中するのを、静かに待っている。

イタリア大統領が政治的に公正で人格的に清潔な人物、あるいはそういう印象の強い者に落ち着くことが多いのは、ある意味当たり前の成り行きと言って良い。



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狐と狸の‘正直な’化かし合い?


General view of the Senate

イタリア大統領選はあらかじめ候補者を募る形ではなく、投票権を持つ国会議員と州代表がランダムに名前を挙げて、その周りで駆け引きが行われる。

名前を挙げられた候補者との事前協議やすり合わせなどはなく、選挙人の間で喧々諤々の勝手な心理戦が進行するのである。

その場合、普段から影響力のある各党党首や、幹部議員などが口にする候補者の名前が注目されるのは言うまでもない。

だが、全国民が注目する中で行われる彼らのやり取りは、いわば公然の秘密状態となってわかりやすい。

イタリア大統領は、ほぼ常に政治家を中心とする魑魅魍魎の中から選出される。

そして選出された者は、再びほぼ常に、政治的に公正で人格的に清廉な印象の者に落ち着く。

それは全国民が注目する舞台で、いわば透明性のある根回しや策謀が展開されるからだと考えられる。

衆目のなかで人選が行われイタリア共和国大統領の顔が徐々に見えてくるプロセスが、汚れた政治闘争を浄化する、と形容すれば言い過ぎかもしれないが、そういう雰囲気がある。

あらかじめ候補者を募ることなく選挙戦が展開されるのは、ローマ教皇を選ぶコンクラーベにも似ている。

だが宗教行事であるコンクラーベは完全な密室の中で行われて、選挙人らの間の化かし合いは第三者には全くうかがい知れない。

一方イタリア大統領選の場合は、いま触れたように権謀術策の中身がある程度透けて見えるところが違う。

閑話休題

選挙戦は5日目に入った今日もまだ先が見えない。右派の実力者サルビーニ同盟党首が、カゼラーティ上院議長に執着する「素振り」を見せているが、恐らく彼一流のハッタリではないか。

議会全体の空気は、2013年の大統領選挙と同様に、人気を終えて去ろうとする現職のマタレッラ大統領の続投を望む方向に動いているようだ。

同時に、ドラギ首相を大統領に押す空気もまた、無視できない密度で執拗に漂い、流れている。

2013年には次々に出た大統領候補者が過半数の票を獲得できず、任期を終えるナポリターノ大統領に議会が懇願する形で彼の続投が確定した。

今回も同じ流れになっているが、2013年時との違いは、ドラギ首相というある意味ではマタレッラ大統領を凌ぐ有力者が存在する点である。




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イタリア大統領選の少しの重大

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1月24日に始まったイタリア大統領選挙は、4日目の27日も埒が明かないまま終わった。

選挙は上下両院議員と終身議員、また各州代表あわせて1009人の無記名投票によって行われる。

投票は一日に2回づつ実施されるのが慣例だが、今回はコロナ感染対策の意味合いから、一日1回のみの投票と改められた。

1回目から3回目までの投票では3分の2以上の得票が必要だが、4回目以降は過半数の得票があれば当選となる。

多くの政党が乱立するイタリア議会では、党派を超えた幅広い支持がない限り大統領に選ばれるのは不可能だ。

そこで各党は選出作業を続けながら間断なく話し合いを続け、権謀術数を巡らし、やがて妥協に持ち込んでいく。

投票は無記名で行われる。前もって立候補者を募って投票する通常選挙の形式ではないため、各党間の合意がない間は無効票の白票や棄権票も多い。

戦後の12回の選挙では、第1回目の投票で選出されたケースは2度しかない。10回以上投票を繰り返したことも多く、1971年の選挙では23回目の投票でようやく決まった。

今回も先が読めない選挙戦が展開されている。3日目の投票では、続投を辞退しているマタレッラ大統領に120票余りが集まった。

また依然として、ドラギ首相を大統領に横滑りさせようと画策する勢力も暗躍している。

マタレッラ大統領が翻意せず、有力な候補者も現れない場合には、ドラギ首相を大統領に押す流れが強くなる可能性が高い。

ドラギ首相自身は大統領職への転進を否定していない。むしろ意欲的であるように見える。

国会議員ではない彼は、2023年6月に議会任期が終わって総選挙が行われる際、政権の終焉とともに政局の中心から弾き出されることが確実だ。

だがいま大統領に転進すれば、少なくともこの先7年間は国家元首として影響力を行使することができる。

ドラギ首相は昨年末、「誰が首相になっても仕事ができる環境は整えた」と発言した。

その言葉は、彼が大統領への転進を示唆したものと各方面に受け止められている。

だが広範な政党の支持を集めているいるドラギ首相が退任すれば、イタリアはたちまちいつもの政治危機に陥るだろう。

そして次の政権が話し合いで成立しない場合は総選挙に突入し、極右の同盟とイタリアの同胞が主導するポピュリスト政権が成立する可能性が高い。

その政権の正体は、反EUの排外差別主義者である。彼らはBrexitに倣ってEUからの離脱さえ模索するだろう。

そんな悪夢を阻止するためにも、もうしばらくはドラギ政権が存続したほうがイタリアのためにも、欧州のためにも、従って世界のためにも望ましい。




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尻毛抜きの、涙と笑いとため息に満ちたイタリア大統領選が始まる

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2022年のイタリア大統領選は、オミクロン株が猖獗を極めている中で行われる。そこで通常は1日に2回づつ投票を行う慣例を改めて、1日1回だけ投票を実施すると定められた。

有権者は上下両院議員と終身議員、また各州代表をあわせた1009人。

国会内では対人距離を保つために人数を制限して順番に投票し、議事堂の外には感染者の議員らのためにドライブスルー方式での投票所も設置された。

全員が投票を済ませるには時間がかかるため、1日に1回の投票が限度、となったのである。

イタリア大統領選では正式な候補者は存在せず、形式上それぞれの有権者が思い思いの人物に1票を投じる、という方法が取られる。

そうはいうものの、しかし、彼らの全員が党や党派に属しているため、グループごとに決めた人物に票が行くことになる。

票の行方は常に流動的で、はじめのうちは全く先が読めないケースがほとんどだ。初回投票を含む前半の採決では、欠席者や無効の白票の数も多い。

状況を見て態度を決めようとする動きが活発化するためである。

投票が繰り返されるごとに、いわば人選が進行して有力な候補が明らかになっていく。

投票が反復される舞台裏では、有権者どうしはもちろん党と会派、また派閥や連合などによる話し合いや切り崩しや脅しや賺しなどの権謀術数が繰り広げられる。

3回目までの投票では、当選者は全体の3分の2以上の票数を得ることが要求される。だがそれ以後は過半数の得票で大統領が選出される。

大統領選では、票決を繰り返しながら、もっともふさわしい人物が絞り込まれていくのである。

ふさわしい人物とは、党派を超えた政治的に公正と見なされる人物。人格的にも清廉なイメージの者が好まれるケースが多い。歴代のイタリア大統領はそうやって選ばれてきた。

最も職責にふさわしい人物が、選挙戦が進む過程で絞り込まれていくという形は、ローマ教皇選挙のコンクラーヴェを彷彿とさせる。

またアメリカの大統領選で、民主党と共和党の候補が時間を掛けてふるいにかけられて、適任者が徐々に選び抜かれていくプロセスにも似ている。

今回の大統領選では、現職のドラギ首相が選出される可能性がある。国会議員ではない彼を大統領に祭り上げて、首相職を奪いたい勢力が存在するのだ。

求心力のあるドラギ首相が大統領に横滑りした場合、新たなテクノクラート内閣が発足しない限り総選挙に雪崩れ込んで、極右が主導権を握る右派政権が成立する可能性がある。

むろん選出されたばかりの、且つリベラルの「ドラギ大統領」が、左派の民主党や左派ポピュリストの五つ星運動を取り込んで、極右系の政権の成立を阻止するシナリオも考えられる。

いずれにしても、大連立で安定している現在のドラギ内閣が終焉を迎えれば、イタリアの政局はたちまち混乱に陥る可能性が高い。

選挙初日の段階で大統領候補として名前が挙がっているのは、最も知名度が高いドラギ首相に続いてアマート元首相、ジェンティローニ元首相、マルタ・カルタビア法相、カシーニ元下院議長、など。

マルタ・カルタビア法相が大統領になれば、イタリア初の女性大統領となる。

また現職のマタレッラ大統領の続投の目も消えていない。それどころか、選挙直前になって候補を辞退すると表明した、ベルルスコーニ元首相が復活する可能性もゼロではない。

さらに投票行為が進行するうちに、全く下馬評に上らなかった人物が浮上する可能性もある。出だしでは何も予期できず、同時に何でもありなのがイタリア大統領選なのである。

僕が考える最も理想的な次期大統領は、現職のマタレッラ大統領の続投である。理由は次の通りだ。

ドラギ政権は、イタリアの政治不安と経済混乱を避けるための、今このときの最善の仕組みだ。だからせめて議会任期が終わる2023年まで存続したほうが良い。

そうなった場合には、ドラギ首相以外の人物が大統領にならなければならない。すなわち現在名前が取りざたされている前述のジェンティローニ元首相、アマート元首相、カシーニ元下院議長、カルタビア法相などだ。

だがそれらの人々は、今のところどちらも“帯に短し襷に長し”状態だ。安心できるのはやはりマタレッラ大統領の続投である。

イタリア大統領は一期7年が基本。しかし前任のナポリターノ大統領は例外的に2期目も務め、任期の途中で引退して現職のマタレッラ大統領が誕生した。

マタレッラ大統領もナポレターノ前大統領と同様に、短い任期で2期目の大統領職を務めたほうが各方面がうまくいくと思う。

理想的なのは、マタレッラ大統領が議会任期が終わる2023年6月まで続投し、その後に選挙を経てドラギ首相が新大統領に就任することだ。

将来、求心力の強い「ドラギ大統領」の下で総選挙が行われれば、たとえ反EU主義の右派政権が誕生しても、イタリアはたとえばBrexitの愚を犯した英国のようにはならないだろう。

極右の同盟とイタリアの同胞も、また極左の五つ星運動も、正体はEU懐疑主義勢力である。

現政権内にいる同盟と五つ星運動は彼らの本性をひた隠しにしているが、たとえば単独で政権を取るようなことがあれば、すぐにでもEU離脱を画策しかねない。

イタリアはEUにとどまっている限り、「多様性に富む、従ってまとまりはないが独創性にあふれた」イタリアらしいイタリアであり続けることができる。

EUで1番の経済力や政治力を持つ国の地位はドイツやフランスなどに任せておいて、イタリアはこれまで通り、経済三流、政治力四琉の“美しい国”であり続ければいいのである。

そのためにも強いEU信奉者であるドラギ首相とマタレッラ大統領がしばらく連携を続け、間違ってもEU離脱論者であるポピュリストが政権を奪取しないように画策したほうが良いと考える。

僕のその理想論に賛成するイタリア人はたくさんいる。

同時に反対する国民もまた多くいる。だからこその政治なのだが、衝撃が笑劇になり悲劇になって、ため息で終わる可能性が高いのがイタリア政治の特徴なのである。



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ベルルスコーニさんはいつまでもベルルスコーニさんのままらしい

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ベルルスコーニ元首相が1月24日から始まるイタリア大統領選に立候補しない、と表明した。

理由は「国のために」だそうだ。

元首相は同時に「ドラギ首相は(大統領にならずに)現職にとどまるべき」とも主張した。

国のために身を引く、という宣言は噴飯ものだ。翻訳すると「1ミリも勝つ見込みがないので立候補を断念する」というところだろう。

彼を支持している極右のイタリアの同胞と同盟は一枚岩ではない。

世論調査で支持率1位を保っていた同盟が、最近その地位をイタリアの同胞に奪われて、同盟のサルビーニ党首が焦り、血迷い、内心で怒りまくっているように見える。

そのせいかどうか、彼はいつもよりもさらに妄言・放言・迷言を繰り返し、右派の結束が乱れがちだ。

それに加えて、議会最大勢力の五つ星運動と彼らに野合した民主党が、ベルルスコーニ大統領の誕生に断固反対と広言し、その方向で激しく動いている。

そればかりではない。人間的に清潔で政治的に公正な人物像が求められる大統領職には、ベルルスコーニ氏はふさわしくない、と寛大で情け深く且つおおらかな、さすがのイタリア国民でさえ感じている。

大衆迎合主義のカタマリで、政治屋としての嗅覚がハゲタカ並みに鋭いベルルスコーニ氏は、さっさとそのことに気づいたのだ。

だから「自らのために」立候補を断念したのだろう。

「自らのために」であることは、ドラギ首相が現職にとどまるべき、という言い分にもはっきりと表れている。

ドラギ首相は大統領に「祭り上げられる」可能性も高い。それを阻止するにはベルルスコーニ元首相自身が大統領を目指すことが最も確実だ。

それをしないのは、ドラギ首相継続が今このときのイタリア共和国のためには最重要、という現実よりも、自身の野望つまり政治的に生き延びて政界に影響力を持ち続けることが何よりも大事、と暗に表明しているのも同然だ。

ベルルスコーニさんはかつて、今は亡き母親に向かって「将来は必ずイタリア大統領になる」と約束したことがあるという。

清浄な存在と見なされることが多いイタリア大統領は、彼にとってもきっと憧れの的だったのだろう。

僕はベルルスコーニさんが人生の終末期に臨んで、「国と人民に本気で尽くしたい」と殊勝に考えるなら、許されてもいいのではないかと考えた。

許されて過去の過ちや醜聞や思い上がりをかなぐり捨て、真に人々に尽くして履歴の暗部を償うチャンスが与えられてもいいのではないか、とチラと思ったりもしたのだ。

もはや80歳代も半ばになった彼の中には、そんな善良で真摯な、且つ強い願望が芽生えていても不思議ではないと思った。

だがどうやらそれは、僕の大甘な思い違いだったらしい。

閑話休題

1月23日現在大統領候補として名前が挙がっているのはベルルスコーニ氏のほかには:

ドラギ首相、アマート元首相、カシーニ元下院議長、ジェンティローニ元首相、マルタ・カルタビア法相など。

マルタ・カルタビア法相が大統領になればイタリア初の女性大統領になる。

ここまでの情勢では、ドラギ首相の横滑りの可能性が最も高い、と考えられている。

もしもドラギ首相が大統領に選出され、しかも後任の首相が決まらない場合には、議会任期を待たずに前倒し総選挙の可能性がある。

その場合のイタリアの政情不安はまたもや大きなものになるだろう。

混乱を避ける意味で、フォルツァイタリア所属の最年長閣僚レナート・ブルネッタ行政相(71歳)を首班にして、連立を組む各政党の党首や幹部が来年6月の議会任期まで内閣入りして政権を維持する、という案もある。

それらのアイデアは全て、イタリアのお家芸である政治混乱を避けるための、当の政治家らによる提案である。









「ベルルスコーニ大統領」というオーマイガー!

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124日から始まるイタリア大統領選で、フォルツァイタリア、同盟、イタリアの同胞から成る中道右派連合は、 フォルツァイタリア党首のベルルスコーニ元首相を支持すると発表した。

ベルルスコーニ元首相は85歳。2011年に首相の座を追われ、2013年に脱税事件で禁錮4年(恩赦法で減刑)の判決を受けて公職追放された。

2019年には欧州議会議員に当選したが、bungabunga乱交パーティーを始め依然としてさまざまな訴訟案件を抱えている。印象としては、灰色どころか真っ黒な人品の政治家だ。

一政党のボスだったり、イタリア一国の首相だったりの役割ぐらいなら、人柄が少々猥雑でも務まる場合が多い。

政界の魑魅魍魎に対抗し、世界中のタフな政治家や指導者と丁々発止に渡り合うためには、むしろ磊落で粗放な神経の持ち主が適任だったりもする。

首相時代のベルルスコーニ氏がまさにその最たる例だ。

だが、イタリア大統領は少し違う。

自己主張の強い身勝手な政治家や政治勢力をまとめ、仲介し、共存させていく力量が求められる。対立ではなく協調と平和をもたらす人物でなくてはならないのだ。

そのためには人格が高潔で政治的に公正、且つ生き方が身奇麗なベテラン政治家、という理想像が求められる。

少し立派過ぎる人物像に見えるかもしれないが、歴代のイタリア大統領には、多かれ少なかれそうしたキャラクターの政治家が選出されている。

むろん彼らとて政治家だ。嘘とハッタリと権謀術数には事欠かない。

だだベテランの域に入って大統領に選ばれるとき、それらの政治家は英語でいういわゆるステーツマン然とした雰囲気を湛えていて、大統領になった後も実際にそう行動した。

それは肩書きが人を作る、という真実の反映かもしれない。だがそれ以前に、彼らにはそうした資質が既に備わっていた、と考えるのが公平な見方だろう。

例えば現職のマタレッラ大統領は、強固な反マフィアの闘志、という彼の魂の上にリベラルな哲学を纏って、よく政党間の審判の役割を果たした。

マフィアの拠点のシチリア島に生まれたマタレッラ大統領は、シチリア州知事だった兄をマフィアの刺客に暗殺された。彼はその現場に居合わせた。彼の反マフィア魂はそこで揺るぎないものになった。

また彼の前任のナポりターノ大統領は、筋金入りの共産主義者、というぶれない鎧をまとった愛国者であり、国父とも慕われた誠実な国家元首だった。

彼は2013年、総選挙の後に混乱が続いて無政府状態にまで至った国政を見かねて、史上初の2期目の大統領を務める決意をした。そのとき彼は間もなく88歳になろうとしていた。

議会各派からの強い要望を受けて立候補を表明する際、彼は「私には国に対する責任がある」と老齢を押して出馬する心境をつぶやいた。その言葉は多くの国民を感動させた

ベルルスコーニ元首相は、4期9年余に渡って首相を務めた大政治家である。だが彼には大統領に求められる「清廉」のイメージが皆無だ。

清廉どころか、少女買春疑惑に始まる性的スキャンダルや汚職、賄賂、またマフィアとの癒着疑惑などの黒い噂にまみれ、実際に多くの訴訟事案を抱えている。

その上2013年には脱税で実刑判決さえ受けている。彼は公職追放処分も受けたが、しぶとく生き残った。そして2019年、欧州議会議員に選出されて政界復帰を果たした。

それに続いて彼は、今回の大統領選では、右派連合が推す大統領候補にさえなろうとしているのである。

しかしベルルスコーニ元首相の醜聞まみれの過去を見れば、彼はイタリア大統領には最もふさわしくない男、と僕の目には映る。

彼を支持するメローニ「イタリアの同胞」党首とサルビーニ「同盟」党首は、どちらも首相職への野心を秘めた政治家である。

彼らが首相になるためには、求心力が高いドラギ首相を退陣させなければならない。そこで彼らはドラギ首相を大統領候補として推進するのではないか、と見られていた。

だが2人はベルルスコーニ元首相を支持すると決めた。それは見方を変えれば、ドラギ首相が政権を維持することを容認する、という意味でもある。

「イタリアの同胞」と「同盟」は、世論調査で1位と2位の支持率を誇っている。党首の彼らが首相職に意欲を燃やしても少しも不思議ではない。

だが彼らは今回はドラギ内閣の存続を認めて、議会任期が切れる2023年6月以降に、政権奪取と首相就任を模索しようと決めたようである。

彼らの利害は、今このときのイタリアの国益にも合致する。

それというのも、コロナ禍で痛めつけられたイタリアの経済社会を救い、同時にお家芸の政治混乱を避けるためには、求心力が強いドラギ首相が政権を担い続けるのが相応しい、と誰の目にも映るからである。

しかし、ベルルスコーニ元首相が幅広い支持を集めるかどうかは不透明だ。

状況によっては、ベルルスコーニ元首相を含む全ての候補者が消去法で姿を消して、結局ドラギ首相が大統領に祭り上げられる事態になるかもしれない。

そうなった場合には総選挙になる可能性も高い。

総選挙になれば、政権樹立を巡って熾烈な政治闘争が勃発し、イタリアはカオスと我欲と権謀術策が炸裂する、お決まりの政治不安に陥るだろう。

そうなった暁には、選出されたばかりの「ドラギ大統領」が、非常時大権を駆使して政治危機の解消に奔走するという、バカバカしくも悲しいイタリア歌劇ならぬ、「イタリア過激政治コメディー」が見られるに違いない。

そうならないことを祈りつつ、僕は一点考えていることがある。

歪めサングラス口

つまり、ベルルスコーニ元首相が奇跡的に大統領に選出されて、これまでの我欲を捨て目覚ましい大統領に変身してはくれまいか、という個人的なかすかな希望である。

僕はここまで批判的に述べてきたように、政治的にも信条的にもベルルスコーニ元首相を支持しない。

だが彼は悪徳に支配されつつも憎めないキャラクターの男だ。だからいまだに国民の一部に熱愛されている。

人間的に面白い存在なのだ。

僕も彼に対して湧く淡い親しみの感情を捨てきれない。

我ながら不思議なもの思いについては以前ここにも書いた。その機微は今も同じだ。

悪行や失策や罪悪や犯罪を忘れてはならない。

だがそれらを犯した者はいつかは許されるべきだ。なぜなら人は間違いを犯す存在だからだ。

その意味でベルルスコーニ元首相も許されて、過去の過ちや醜聞や思い上がりをかなぐり捨て、真に人々に尽くし、且つ履歴を償うチャンスが与えられてもいいのではないか、とも考えるのである。

言うまでもなく、もはや80歳代も半ばになって、彼の中にそんな善良で真摯な且つ強い願いが芽生えているならば、の話だけれど。




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イタリアの「や、コンニチワ、またですね」」の政治危機が見える

魑魅魍魎

マタレッラ大統領の任期が2月で終えるのを受けて、イタリア大統領選の投票が1月24日から始まる。

国家元首であるイタリア大統領は、上下両院議員と終身議員および地域代表者の投票によって選出される。

投票は一日に2回づつ実施される。3回目までの投票では3分の2以上の賛成が必要で、4回目以降は単純過半数を得た者が当選となる。

言うまでもなく1回目の投票で大統領が決まることもある。だが初回投票で結果が出るのは極めて珍しく、複数回投票になるのが普通だ。

最多は23回目の投票まで行ったこともある。むろんそうなれば何日も時間がかかる。

冒頭で「投票が1月24日から始まる」と不思議な言い方をしたのは、投票が何度も行われていつ終わるか分からない可能性があるからだ。

イタリア共和国大統領は、普段は象徴的な存在で実権はほとんどない。ところが政治危機のような非常時には議会を解散し、組閣要請を出し、総選挙を実施し、軍隊を指揮するなどの「非常時大権」を有する。

大権だからそれらの行使には議会や内閣の承認は必要ない。いわば国家の全権が大統領に集中する事態になるのである。

2018年の総選挙後にも大統領は「非常時大権」を行使した。

政権合意を目指して政党間の調整役を務めると同時に、首班を指名して組閣要請を出した。その時に誕生したのが第1次コンテ内閣である。

コンテ首相は当時、連立政権を組む五つ星運動と同盟の合意で首相候補となり、マタレッラ大統領が承認した。

コンテ首相は以後、2021年1月に辞任するまで、世界最悪のコロナ地獄に陥ったイタリアを率いて指導力を発揮した。

だが連立を組む小政党の反逆に遭って退陣した。

その後はふたたびマタレッラ大統領が「非常時大権」を駆使して活躍。ほぼ全ての政党が参加する大連立のドラギ内閣が発足した。

イタリア共和国は政治危機の中で大統領が議会と対峙したり、上下両院が全く同じ権限を持つなど、混乱を引き起こす原因にもなる政治システムを採用している。

一見不可解な仕組みになっているのは、ムッソリーニとファシスト党に多大な権力が集中した過去の苦い体験を踏まえて、権力が一箇所に集中するのを防ごうとしているからだ。

憲法によっていわゆる「対抗権力のバランス」が重視されているのである。

政治不安が訪れる際には大統領は、対立する政党や勢力の審判的な役割とともに、前述の閣僚や首相の任命権を基に強い権限を発揮して、政治不安の解消に乗り出す。

政党また集団勢力は、大統領の権限に従って動くことが多いため、政治危機が収まることがしばしば見られる。

1月24日の選挙は、イタリアの政局が安定している中で行われる。極めて珍しいケースだ。

政局が安定しているのは、ドラギ首相の求心力が強いからである。

ところがそのドラギ首相を降板させて大統領に推そうとする者がいる。

彼が大統領になれば、首相の座が空く。そこを狙う政治家や政治勢力が多々あるのだ。

それが連立政権内にいる五つ星運動の一部であり、連立の外にいて世論調査上は国民の支持を最も多く集めている、極右政党のイタリアの同胞である。

統計ではイタリアの同胞に先を越されたものの、2番目の人気を維持する同盟のサルビーニ党首も首相職への執着が強い。

彼は常にその情動を隠さずに来たが、ここにきて世論調査で友党のイタリアの同胞に先行されたために、ドラギ首相を大統領に推す論を引っ込めて、あいまいな発言に終始するようになった。

だが彼が首相職に強い野心を持っているのは周知の事実だ。

五つ星運動のディマイオ氏、イタリアの同胞のメローニ氏、そしていま触れた同盟のサルビーニ氏。この3者がドラギ首相を大統領に祭り上げて自らが首相になるリビドーを隠している。

だが3者は右と左のポピュリストである。五つ星運動が極左のポピュリスト。イタリアの同胞と同盟は大衆迎合的な極右勢力だ。

右と左の普通の政党であり主張であれば問題ないが、「極」という枕詞が付く政党の指導者である彼らが首相になれば、イタリアの迷走は目も当てられないものになるだろう。

今のイタリアに最も望まれるのは、ドラギ首相がしばらく政権を担うことだ。それはマタレッラ大統領の再選によって支えられればもっと良い。

だがマタレッラ大統領は今のところは続投を否定している。

大統領候補には、ドラギ首相のほかにベルルスコーニ元首相やアマート元首相、またマルタ・カルタビア法相の名などが取りざたされている。

カルタビア法相が選出されれば、イタリア初の女性大統領となる。

大統領には、最低でも清潔感のある個性が求められる。その意味では、いま名を挙げた候補者のうち、多くの醜聞にまみれたベルルスコーニ元首相は論外だろう。

彼以外のベテランが国家元首の大統領職に就き、各方面からの支持を集めるドラギ首相が、コロナで痛めつけられているイタリア共和国の政治経済の舵をもうしばらく取ることが理想だ。

だが言うまでもなく、魑魅魍魎が跋扈する政界では、この先何が起こるかむろん全く分からない。



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