北イタリアの春は花風あり、暑気あり、雨あり、嵐あり、寒あり、時には降雪さえあり、とめまぐるしく変わる。
非日常という意味で、台風や野分や嵐などの荒々しい天色が好きな僕は、北イタリアの気まぐれな春の雲行きにも強く惹かれる。
この国には春の変わりやすい空模様を衣替えに託して戒める諺語もある。
即ち「4月に肌をさらすな。5月はゆっくり。6月にそっと拳を開け。7月は好きなようにしろ」である。
その意味は「4月に早まって冬着をしまうな。5月も油断はできない。6月にようやく少し信用して、あわてることなくゆるりと衣替えの準備をしろ。7月は好きなように薄着をして夏を楽しみなさい」ということである。
要するに北イタリアの春は変幻自在ということだが、春爛漫の状況に慣れている日本人の目には結局、イタリアの春は全体的には寒いという印象が強い。
そんなわけでここ最近も僕は、日本から持ち込んでいる綿入れを着て書斎にいたり、Tシャツの軽装でウォーキングに出たり、ストーブを焚いたり、菜園でのごく軽い作業で大汗をかいたり、と全く落ち着きがない。
菜園での動きは特に悩ましい。暖かい陽気に浮かれて野菜苗を定植するとたちまち寒気が襲って苗を傷めつける。それを恐れてさらなる好天を待ち過ぎると、発育が遅れて凶作に陥ったりする。
ことしは3月まで日本に帰っていた。そのためにプランターでの苗作りのタイミングが遅れた。園芸ショップでいつもよりも多くの苗を買い、定植のタイミングを見計らっているうちに、水遣りを間違えて多くを枯らしてしまった。
それもこれも結局、北イタリアの千変万化する春の陽気のなせる業なのである。
北部イタリアの春が男性的で荒々しいのは、すぐそこにそびえ連なっているアルプスの山々の冷気と、遠くないアフリカの、特にサハラ砂漠由来の熱気のぶつかり合いが生み出す大自然の営みである。



















