【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

あまりにも、イタリア的な・・

一帯一路という迷路から抜け出しそうなイタリア

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イタリアはようやく中国とのズブズブの関係を切り捨てると決めたらしい。

インドでのG20サミットに出席したイタリアのジョルジャ・メローニ首相は、中国の李強首相と会談した際に、「一帯一路」構想あるいは投資計画から離脱すると伝えたとされる。

2019年、イタリアはEUの反対を無視して、G7国では初めて中国との間に「一帯一路」投資計画を支持する覚書を交わした。

当時のイタリア首相は、ジュゼッペ・コンテ「五つ星運動」党首。同じく「五つ星運動」所属で中国べったりのルイジ・ディマイオ副首相と組んでのごり押し施策だった。

イタリア政府は世界のあらゆる国々と同様に、中国の経済力を無視できずにしばしば彼の国に擦り寄る態度を見せる。

極左ポピュリストで、当時議会第1党だった「五つ星運動」が、親中国である影響も大きかった。

またイタリアが長い間、欧州最大の共産党を抱えてきた歴史の影響も無視できない。

共産党よりもさらに奥深い歴史、つまりローマ帝国を有したことがあるイタリア人に特有の心理的なしがらみもある。

つまりイタリア人が、古代ローマ帝国以来培ってきた自らの長い歴史文明に鑑みて、中国の持つさらに古い伝統文明に畏敬の念を抱いている事実だ。

その歴史への思いは、今このときの中国共産党のあり方と、膨大な数の中国移民や中国人観光客への違和感などの、負のイメージによってかき消されることも多い。

しかし、イタリア人の中にある古代への強い敬慕が、中国の古代文明への共感につながって、それが現代の中国人へのかすかな、だが決して消えることのない好感へとつながっている面もある。

それでもイタリアは、名実ともにEUと歩調を合わせて中国と距離を取るべきだ。ロシア、北朝鮮などと徒党を組みウクライナの窮状からも目を背ける、反民主主義の独裁国家と強調するのは得策ではない。

実のところイタリアは、「一帯一路」構想から離脱するかどうかまだ正式には決めていない。離脱すると断定的に伝えたのは米国の一部メディアのみだ。 

イタリアが今年末までに離脱すると明言しない限り、協定は2024年3月に自動更新される。

メローニ首相は、債務に苦しむイタリアが数兆ドル規模の「一帯一路」投資計画に参加することの「メリットを熟知している。

同時にその政治的なデメリットについても。

メローニ首相は、一帯一路からの撤退を選挙公約にして先の総選挙を戦い、イタリアのトップに昇りつめた。従って彼女の政権が覚書を破棄するのは驚きではない。

メローニ首相は、中国を慕う極左の五つ星運動とは対極にある政治姿勢の持ち主だ。だが中国との経済的結びつきをただちに断ち切ることはできないため、今この時は慎重に動いている。

離脱した場合は中国の報復もあり得ると強く警戒しているフシもある。

そうではあるが、しかし、「一帯一路」覚書からのイタリアの離脱は避けられないだろう。それは歓迎するべきことだ。





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イタリア初の女性首相の精悍

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イタリアではベルルスコーニ元首相が6月12日に死去した直後から、彼も参与していたメローニ政権の先行きを危ぶむ声が多く聞かれた。

86歳だったベルルスコーニ元首相はキングメーカーを自認し、周りからは政権の肝煎りとしての役割も期待された。

メローニ政権は首相自身が党首を務める「イタリアの同胞」と故ベルルスコーニ氏が党首だった「フォルツァ・イタリア」、またサルビーニ副首相兼インフラ相が党首の「同盟」の3党連立政権だ。

連立を組む3党はいずれも保守政党。イタリアでは中道右派と規定される。だがその中で中道の呼び方に見合うのは、元首相の「フォルツァ・イタリア」のみである。

メローニ首相率いる議会第1党の「イタリアの同胞」は、ファシスト党の流れを汲む極右政党。政権第2党の「同盟も極右と呼ばれることが多い超保守勢力だ。

「フォルツァ・イタリア」も極右2党に迫るほどの保守派だが、ベルルスコーニ元首相を筆頭に親EU(欧州連合)で結束しているところが2党とは違う。

メローニ首相はベルルスコーニ政権で閣僚を務めたこともある親ベルルスコーニ派。「同盟」のサルビーニ党首も、過去に4期、計9年余も首相を務めたベルルスコーニ氏に一目置いている、という関係だった。

ベルルスコーニ元首相が政権の調整役、という役割を負っても不思議ではなかったのである。

政権の副首相兼インフラ大臣でもあるサルビーニ「同盟」党首は、野心家で何かと独善的に動く傾向があり、過去の政権内でも問題を起こすことが多かった。

そのためベルルスコーニ元首相の死去を受けて、サルビーニ副首相兼インフラ相が俄かに勢いづいて動乱の狼煙をあげるのではないか、と危惧された。

それは杞憂ではなかった。サルビーニ氏は先日、来たる欧州議会選挙ではフランス極右の国民連合と、ドイツ極右の「ドイツのための選択肢」とも共闘するべき、と主張し始めたのだ。

するとすぐに「フォルツァ・イタリア」の実質党首で外相のタイヤーニ氏が、極右の2党とは手を結ぶべきではない、と反論。連立政権内での軋みが表面化した。

「フォルツァ・イタリア」はベルルスコーニ党首の死後、ナンバー2のタイヤーニ外相(兼副首相)が党を率いているが、彼にはベルルスコーニ元首相ほどのカリスマや求心力はない。

それでも政権内ではタイヤーニ外相の存在は軽くない。彼とサルビーニ氏の対立は、一歩間違えば政権崩壊への道筋にもなりかねない重いものだ。

メローニ首相は、前述の欧州最強の極右勢力との共闘については今のところ沈黙している。

彼女は選挙前、サルビーニ氏以上の激しさで極右的な主張を展開した。だが総選挙を制して首班になってからは、激烈な言動を控えて聡叡になった。

ある意味で一国のトップにふさわしい言動を続けて、風格さえ漂わせるようになったのだ。

メローニ首相にはもはやベルルコーニ元首相のような仲介役は政権内に要らないのかもしれない。独自にサルビーニ氏をあしらう法を編み出したのではないか、と見えるほど落ち着いている。

彼女がこの先、サルビーニ“仁義なき戦い”大臣をうまく制御できるようになれば、連立政権は長続きするだろう。

だがその逆であるならば、イタリア初の女性首相の栄光は終わって、早晩イタリア共和国の「いつもの」政治不安の季節が訪れるに違いない。





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ベルルスコーニの功と影と罪と罰

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醜聞まみれの大衆迎合政治芸人、ベルルスコーニ元イタリア首相が死去した。6月12日のことである。

元首相は土建屋から身を起してテレビ、広告界に進出。イタリアの公共放送RAIに対抗するほど大きな3局の民放を武器に、ほぼあらゆる業界で事業を展開して席巻。押しも押されぬ金満家になった。

そして1994年、ビジネスで得た財力を背景に政界に進出した。進出するや否や自らの党・フォルツァイタリア(Forza Italia)が総選挙で第1党に躍進。党首の彼は首相になった。

その後、浮き沈みを繰り返しながら4期ほぼ9年に渡って首相を務めた。

彼の政治キャリアについては、訃報記事用にあらかじめ用意されていたものを含め多くの報道がある。

そこで僕は彼の履歴説明はここで止めて、日本人を含む多くの世界世論がもっとも不思議に思う点について述べておきたい。

つまりイタリア国民はなぜデタラメな行跡に満ちた元首相を許し、支持し続けたのか、という疑問である。その答えの多くは、世界中のメディアが言及しないひとつの真実にある。

つまり彼、シルヴィオ・ベルルスコーニ元首相は、稀代の「人たらし」だったのである。日本で言うなら豊臣秀吉、田中角栄の系譜に連なる人心掌握術に長けた政治家、それがベルルスコーニ元首相だった。

こぼれるような笑顔、ユーモアを交えた軽快な語り口、説得力あふれるシンプルな論理、誠実(!)そのものにさえ見える丁寧な物腰、多様性重視の基本理念、徹頭徹尾の明るさと人なつっこさ、などなど・・・元首相は決して人をそらさない話術を駆使して会う者をひきつけ、たちまち彼のファンにしてしまった。

彼のそうした対話法は意識して繰り出されるのではなく、自然に身内から表出された。彼は生まれながらにして偉大なコミュニケーション能力を持つ人物だったのだ。人心掌握術とは、要するにコミュニケーション能力のことだから、元首相が人々を虜にしてしまうのは少しも不思議なことではなかった。

ここイタリアには、人を判断するうえで「シンパーティコ」「アンティパーティコ」という言葉がある。

これは直訳すると「面白い人」「面白くない人」という意味である。

面白いか面白くないかの基準は、要するに「おしゃべり」かそうでないかということだ。

コミュニケーション能力に長けたベルルスコーニ元首相は、既述のようにこの点でも人後に落ちないおしゃべりだった。「シンパーティコ」のカタマリのような男だったのだ。

さらに言おう。

イタリア的メンタリティーのひとつに、ある一つのことが秀でていればそれを徹底して高く評価し理解しようとするモメンタムがある。

極端に言えばこの国の人々は、全科目の平均点が80点の秀才よりも、一科目の成績が100点で残りの科目はゼロの子供の方が好ましい、と考える。

そして どんな子供でも必ず一つや二つは100点の部分があるから、その100点の部分を120点にも150点にものばしてやるのが教育の役割だと信じ、またそれを実践している節がある。

たとえば算数の成績がゼロで体育の得意な子がいるならば、親も兄弟も先生も知人も親戚も誰もが、その子の体育の成績をほめちぎり心から高く評価して、体育の力をもっともっと高めるように努力しなさい、と子供を鼓舞する。

日本人ならばこういう場合、体育を少しおさえて算数の成績をせめて30点くらいに引き上げなさい、と言いたくなるところだと思うが、イタリア人はあまりそういう発想をしない。要するに良くいう“個性重視の教育”の典型なのである。

イタリア人は長所をさらに良くのばすことで、欠点は帳消しになると信じているようだ。だから何事につけ欠点をあげつらってそれを改善しようとする動きは、いつも 二の次三の次になってしまう。

ベルルスコーニ元首相への評価もそのメンタリティーと無関係ではない。

醜聞まみれのデタラメな元首相をイタリア人が許し続けたのは、行状は阿呆だが一代で巨財を築いた能力と、人当たりの良い親しみやすい性格が彼を評価する場合には何よりも大事、という視点が優先されるからだ。

ネガティブよりもポジティブが大事なのである。もっと深い理由もある。

「人間は間違いを犯す。間違いを犯したものはその代償を支払うべきであり、また間違いを決して忘れてはならない。だがそれは赦されるべきだ」というのが絶対愛と並び立つカトリックの巨大な教えである。

ほとんどがカトリック教徒であるイタリア国民は、ベルルスコーニ元首相の悪行や嫌疑や嘘や醜聞にうんざりしながらも、どこかで彼を赦す心理に傾く者が多い。「罪を忘れず、だがこれを赦す」のである。

彼らは厳罰よりも慈悲を好み、峻烈な指弾よりも逃げ道を備えたゆるめの罰則を重視する。イタリア社会が時として散漫に見え且つイタリア国民が優しいのはまさにそれが理由だ。

そうやってカトリック教徒である寛大な人々の多くが彼を死ぬまで赦し続けた。つまり消極的に支持した。あるいは罪を見て見ぬ振りをした。

結果、軽挙妄動の塊のような元首相がいつまでも政治生命を保ち続けることになった。

元首相は寛大な国民に赦されながら、彼のコミュニケーション力も遺憾なく発揮した。

相まみえる者は言うまでもなく、彼の富の基盤であるイタリアの3大民放局を始めとする巨大情報ネットワークを使って、実際には顔を合わせない人々、つまり視聴者にまで拡大行使してきた。

イタリアのメディア王とも呼ばれた彼は、政権の座にある時も在野の時も、頻繁にテレビに顔を出して発言し、討論に加わり、主張し続けた。有罪確定判決を受けた後でさえ、彼はあらゆる手段を使って自らの無罪と政治メッセージを申し立てた。

だがそうした彼の雄弁や明朗には、負の陰もつきまとっていた。ポジティブはネガティブと常に表裏一体である。即ち、こぼれるような笑顔とは軽薄のことであり、ユーモアを交えた軽快な口調とは際限のないお喋りのことであり、シンプルで分りやすい論理とは大衆迎合のポピュリズムのことでもあった。

また誠実そのものにさえ見える丁寧な物腰とは偽善や隠蔽を意味し、多様性重視の基本理念は往々にして利己主義やカオスにもつながる。さらに言えば、徹頭徹尾の明るさと人なつっこさは、徹頭徹尾のバカさだったり鈍感や無思慮の換言である場合も少なくない。

そうしたネガティブな側面に、彼の拝金主義や多くの差別発言また人種差別的暴言失言、少女買春、脱税、危険なメディア独占等々の悪行を加えて見れば、恐らくそれは、イタリア国民以外の世界中の多くの人々が抱いている、ベルルスコーニ元首相の印象とぴたりと一致するのではないか。



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「いかに死ぬか」とは「いかに生きるか」という問いである

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2023年6月9日、イタリア・ベネト州の保健当局および生命倫理委員会は、末期がんの78歳女性が申請していた自殺幇助の嘆願書を承認した。

一定の条件下では自殺幇助は訴追の対象外、とする憲法裁判所の判決に沿ったもので、史上4人目のケースである。

イタリアでは基本的に安楽死は認められていない。

憲法裁判所の裁定や生命倫理委員会の決定は、今のところは飽くまでもいわば例外規定だ。それがゆるぎない法律となるには国民投票を経なければならない。

自殺幇助には5年から12年の禁固刑が科される。そのため毎年約200人前後ものイタリア国民が、自殺幇助を許容している隣国のスイスに安楽死を求めて旅をする。

そのうちのおよそ6割は実際にスイスで安楽死すると言われる。

安楽死に対するイタリア社会の抵抗は強い。そこにはバチカンを抱える特殊事情がある。自殺は堕胎や避妊などと同様に、ローマ教会にとってはタブーだ。その影響力は無視できない。

安楽死は命を救うことが至上命題である医療現場に、矛盾と良心の呵責と不安をもたらす。イタリアではそこにさらにカトリック教会の圧力が加わる。

医者をはじめとする医療従事者は、救命という彼らの職業倫理に加えて、自殺を否定し飽くまでも生を賛美するカトリック教の教義にも影響され、安楽死に強い抵抗感を持つようになる。

安楽死を推進する人々に対しては、キリスト教系の小政党などからも「死の文化」を奨励するものだ、という批判が湧き起こる。

またカトリックの総本山であるバチカンは、自殺幇助は「本質が悪魔的な行為」として、飽くまでも声高に論難する。

それらは極めて健全な主張だ。生を徹頭徹尾肯定することは、宗教者のいわば使命であり義務だ。彼らが意図的に命を縮める安楽死を認めるのは大いなる矛盾だ。

安楽死を怖れ否定するのは、しかし、宗教者や医療従事者のみならず、ほぼ全ての人々に当てはまる尋常な在り方だろう。

生は必ず尊重され、飽くまでも生き延びることが人の存在意義でなければならない。

従って、例え何があっても、人は生きられるところまで生き、医学は人の「生きたい」という意思に寄り添って、延命措置を含むあらゆる手段を尽くして人命を救うべきである。

その原理原則を医療の中心に断断固として据え置いた上で、患者による安楽死への揺るぎない渇求が繰り返し確認された場合のみ、安楽死は認められるべきと考える。

安楽死は、命の炎が消え行くままに任せる尊厳死とは違い、本人または他者が意図的に命を絶つ行為である。

その意味では尊厳死よりもより罪深いコンセプトであり、より広範な論議がなされるべき命題と言えるかもしれない。

僕は安楽死及び尊厳死に賛成する。いわゆる「死の自己決定権」を支持し、安楽死・尊厳死は公的に認められるべきと考える。

回復不可能な病や耐え難い苦痛にさらされた不運な人々が、「自らの明確な意志」に基づいて安楽死を願い、それをはっきりと表明し、そのあとに安楽死を実行する状況が訪れた時には、粛然と実行されるべきではないか。

安楽死を容認するときの危険は、「自らの明確な意志」を示すことができない者、たとえば認知症患者や意識不明者あるいは知的障害者などを、本人の同意がないままに安楽死させることである。

そうした場合には、介護拒否や介護疲れ、経済問題、人間関係のもつれ等々の理由で行われる「殺人」になる可能性がある。親や肉親の財産あるいは金ほしさに安楽死を画策するようなことも必ず起こるだろう。

あってはならない事態を限りなくゼロにする方策を模索しながら-繰り返しになるが-回復不可能な病や耐え難い苦痛にさらされた不運な人々が、「自らの明確な意志」に基づいて安楽死を願うならば、これを受け入れるべきである。

実を言えば安楽死や尊厳死というものは存在しない。死は死にゆく者にとっても家族にとっても常に苦痛であり、悲しみであり、ネガティブなものだ。

あるべき生は幸福な生、つまり「安楽生」と、誇りある生つまり「尊厳生」である。

不治の病や限度を超えた苦痛などの不幸に見舞われ、且つ人間としての尊厳を全うできない生は、つまるところ「安楽生」と「尊厳生」の対極にある状態である。

人は 「安楽生」または「尊厳生」を取り戻す権利がある。

それを取り戻す唯一の方法が死であるならば、人はそれを受け入れても非難されるべきではない。

死がなければ生は完結しない。つまり、死は疑いもなく生の一部だ。

全ての生は死を包括している。むろん「安楽生」も「尊厳生」も同様である。





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イタリア共和国記念日の快

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毎年6月2日はイタリアの共和国記念日。祝日である。

第2次大戦後の1946年6月2日、イタリアでは国民投票により王国が否定されて、現在の「イタリア共和国」が誕生した。

イタリアが真に近代国家に生まれ変わった日である。

そのおよそ1年前の1945年4月25日、イタリアはナチスドイツとその傀儡だった自国のファシズム政権を放逐した。

日独伊三国同盟で結ばれていたドイツとイタリアは、大戦中の1943年に仲たがいしイタリアはドイツに宣戦布告。完全に敵同士になっていた。

ナチスドイツとその操り人形と化していたムッソーリーニに立ち向かったのは、イタリアのレジスタンスである。

イタリアのレジスタンス運動は自由主義者・共産主義者・カトリック教徒・社会主義者の四者で構成された。

それはつまりファシストと、それ以外の全てのイタリア人の戦い、と形容しても過言ではない広がりだった。

既述のように彼らは1945年4月25日、ムッソーリーニとナチスを完全撃滅した。むろんそこには連合軍の後押しがあった。

世界の主な民主主義国は、日本やイギリスなどを除いて共和国体制を取っている。

民主主義国には共和制が最もふさわしい。

共和制は民主主義と同様にベストの政治体制ではない。あくまでもベターな仕組みだ。

しかし、民主主義と同じように、われわれは今のところ共和制を凌駕する政治制度を知らない。

ベストを知らない以上、ベターが即ちベストだ。

それはここイタリア、またフランスの共和制のことであり、ドイツ連邦やアメリカ合衆国などの制度のことだ。

その制度は「全ての人間は平等に造られている」 という人間存在の真理の上に造られている。

民主主義を標榜するするそれらの共和国では、主権は国民にあり、その国民によって選ばれた代表によって行使される政治システムが死守されている。

多くの場合、大統領は元首も兼ねる。

真の民主主義体制では、国家元首を含むあらゆる公職は主権を有する国民の選挙によって選ばれ決定されるべきだ。

つまり国のあらゆる権力や制度は、米独仏伊などのように国民の意志によって創設されるべきだ。

その意味では王を頂く英国と天皇制を維持する日本の民主主義は歪だ。

予め人の上に人を創出しているその仕組みは、いわば精神の解放を伴わない不熟な民主主義という見方もできる。

世界には共和国と称し且つ民主主義を標榜しながら、実態は独裁主義にほかならない国々、例えば中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国なども存在する。

共和国と民主国家は同じ概念ではない。そこを踏まえた上で、「共和国」を飽くまでも国民の意志に基づく政治が行われる「民主主義体制の共和国、という意味で論じてみた。

ジョルジャ・メローニの幸運

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メローニ首相に反ファシズム宣言をしろと呼びかける「元ファシスト」のジャンフランコ・フィニ氏

今日4月25日は、イタリアの終戦記念日である。ここでは解放記念日と呼ばれる。

イタリアの終戦はムッソリーニのファシズムとナチスドイツからの解放でもあった。だから終戦ではなく「解放」記念日なのである。

日独伊三国同盟で結ばれていたドイツとイタリアは大戦中の1943年に仲たがいした。日独伊3国同盟はその時点で事実上崩壊し、独伊は敵同士になった。

イタリアは日独と歩調を合わせて第2次世界大戦を戦ったが、途中で状況が変わってナチスドイツに立ち向かう勢力になったのである。

言葉を替えればイタリアは、開戦後しばらくはナチスと同じ穴のムジナだったが、途中でナチスの圧迫に苦しむ被害者になっていった。

ナチスドイツへの民衆の抵抗運動は、1943年から2年後の終戦まで激化の一途をたどり、それに伴ってナチスによるイタリア国民への弾圧も加速していった。

1945年4月、ドイツの傀儡政権・北イタリアのサロー共和国が崩壊。4月25日にはレジスタンスの拠点だったミラノも解放されて、イタリアはナチスドイツを放逐した。

日独伊三国同盟で破綻したイタリアが日独と違ったのは、民衆が蜂起してファシズムを倒したことだ。それは決して偶然ではない。

ローマ帝国を有し、その崩壊後は都市国家ごとの多様性を重視してきたイタリアの「民主主義」が勝利したのである。むろんそこには連合軍の後押しがあったのは言うまでもない。

イタリア共和国の最大最良の特徴は「多様性」である。

多様性は時には「混乱」や「不安定」と表裏一体のコンセプトだ。イタリアが第2次大戦中一貫して混乱の様相を呈しながらも、民衆の蜂起によってファシズムとナチズムを放逐したのはすばらしい歴史だ。

イタリアは大戦後、一貫してファシズムとナチズムからの「解放」の日を誇り盛大に祝ってきた。

ことしの終戦記念日は、しかし、いつもとは少し違う。極右とさえ呼ばれる政党が連立を組んで政権を維持しているからだ。

イタリア初の女性トップ・ジョルジャ・メローニ首相は、ファシスト党の流れを汲むイタリアの同胞の党首だ。

彼女は国内外のリベラル勢力からファシズムと完全決別するように迫られているが、未だに明確には声明を出していない。

それは危険な兆候に見えなくもない。だが僕は日本の右翼勢力ほどにはイタリアの右翼政権を危惧しない。なぜなら彼らは陰に籠った日本右翼とは違い自らの立ち位置を明確に示して政治活動を行うからだ。

またイタリアの政治状況は、第2次大戦の徹底総括をしないために戦争責任が曖昧になり、その結果過去の軍国主義の亡霊が跋扈してやまない日本とは大きく違う。

極右と呼ばれるイタリアの政治勢力は、危険ではあるもののただちにかつてのファシストと同じ存在、と決めつけることはできない。なぜなら彼らもファシトの悪を十分に知っているからだ。

だからこそ彼らは自身を極右と呼ぶことを避ける。極右はファシストに限りなく近いコンセプトだ。

第2次大戦の阿鼻地獄を知悉している彼らが、かつてのファシストやナチスや軍国主義日本などと同じ破滅への道程に、おいそれとはまり込むとは思えない。

だが、それらの政治勢力を放っておくとやがて拡大成長して社会に強い影響を及ぼす。あまつさえ人々を次々に取り込んでさらに膨張する。

膨張するのは、新規の同調者が増えると同時に、それまで潜行していた彼らの同類の者がカミングアウトしていくからである。

トランプ大統領が誕生したことによって、それまで秘匿されていたアメリカの反動右翼勢力が一気に姿を現したのが典型的な例だ。

彼らの思想行動が政治的奔流となった暁には、日独伊のかつての極右パワーがそうであったように急速に社会を押しつぶしていく。

そして奔流は世界の主流となってついには戦争へと突入する。そこに至るまでには、弾圧や暴力や破壊や混乱が跋扈するのはうまでもない。

したがって極右モメンタムは抑さえ込まれなければならない。激流となって制御不能になる前に、その芽が摘み取られるべきである。

イタリア初の女性首相メローニ氏は、ガラスの天井を打ち破った功績に続いて、イタリア右派がファシズムと決別する歴史的な宣言を出す機会も与えられている。

その幸運を捉え行使するかどうかで、彼女の歴史における立ち位置は大きく違うものになるだろう。



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最後の大ボスの逮捕もマフィアの壊滅を意味しない

デナーロ、昔・今650

マフィアの最後の大ボスとも呼ばれる、マッテオ・メッシーナ・デナーロが逮捕された。

デナーロは悪名高いトト・リイナの弟子。リイナとその後継者のベルナルド・プロヴェンツァーノが収監された2006年以降、逃亡先からマフィア組織を統率していたとされる。

デナーロはリイナが逮捕された1993年に逃亡。以後30年に渡って潜伏を続けた。

彼はシチリア島の反マフィアの急先鋒だったファルコーネとボルセリーノ両判事の爆殺に加わり、ミラノ、フィレンツェ、ローマの連続爆弾事件の共犯者とも目されている。

また1996年には裏切り者への報復として、男の12歳の息子を誘拐し殺害して酸で溶かすという凄惨な事件にも関わった。

警察は過去に何度も彼を逮捕しかけたがその都度逃げられた。

2010年前後にはシチリア島の中心都市パレルモで、デナーロ の顔を建物の壁に描いた落書きが出現して大きなニュースになった。

壁の似顔絵は、デナーロの逮捕が近いことの現われなのではないか、と僕はそのとき密かに思った。

マフィアの大物の逮捕が近づくと、 逮捕されるべき男に関する不思議な話題が突然出現したりするのだ。

だが何事もなく過ぎて、彼の行方はその後も杳として知れなかった。

閑話休題

1992年5月23日、シチリア島のパレルモ空港から市内に向かう自動車道を高速走行していた 「反マフィアの旗手」ジョヴァンニ・ファルコーネ判事の車が、けたたましい爆発音とともに空中に舞い上がった。

マ フィアが遠隔操作の起爆装置を用いて500キロの爆弾をさく裂させた瞬間だった。  

90年代初頭のマフィアは、判事を爆殺し国家に挑戦するとまで宣言して得意の絶頂にいた。だがそこは組織の転落の始まりでもあった。

判事の 殺害は民衆の強い怒りを呼んだ。

イタリア中に反マフィアの空気がみなぎり、司法は世論に押される形で犯罪組織への反撃を開始。

翌93年1月、ほぼ4半世紀に渡って潜伏、逃亡していた、ボスの中の大ボス、トト・リイナを逮捕した。  

シチリア島のマフィアは近年、イタリア本土の犯罪組織ンドランゲッタやカモラに比べて影が薄い。

マフィアはライ バルに「最強者」の地位を奪われているようにさえ見える。だが、実態は分からない。

マフィアは地下に潜り、より目 立たない形で組織を立て直している、と見る司法関係者も多い。

現にコロナパンデミック禍中には、マ フィアが困窮した人々を助ける振りで、彼らを食い物にする実態も明らかになった。

メッシーナ・デナーロが逮捕された今、マフィアの息の根が止まるのではないかという希望的観測もある。

しかしマフィアの絶滅が近いとはまだと ても考えられない。それは文字通りの楽観論。大きな誤謬ではないかと思う。




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柿とカキ

柿2個家壁背景やや鮮明650

数年前に庭に植えた柿の木が実をつけている。

柿はイタリア語でも「カキ」と呼ばれる。そのことから分かる通り柿はもともとイタリアにはなく、昔日本から持ち込まれたもので、ほとんどすべてが渋柿である。

そのままでは食べられないので、イタリア人は容器や袋に密封して暗がりに置き、実がヨーグルトのようにとろとろになるまで熟成させてから食べる。そうすると渋みがなくなって甘くなるのだ。

要するにイタリアには、固い渋柿かそれを超完熟させた、とろとろに柔らかい甘柿しかない。

つまりこの国の人々にとっては、柿とは「液状に柔らかくなった実をスプーンですくって食べる果物」のことなのである。

最近は外国産の固い甘柿も売られているが、彼らはそれもわざわざ完熟させて極端に柔らかくしてから食べる。

かつて日本から柿をイタリアに持ち込んだのは恐らくキリスト教の宣教師だろう。

その際彼らがあえて渋柿を選んだとは考えにくい。きっと甘柿と渋柿の苗木を間違えたのだ。

あるいは甘柿のなる木が多くの場合、接ぎ木をして作られるものであることを知らなかったのだろう。

そんなわけで「普通に固い甘柿」が大好きな僕は秋になるといつも欲求不満になる。

店頭に出回る柔らかい柿はあくまでも「カキ」であって、さくりと歯ごたえのある日本のあの甘い柿とはまるきり別の果物だと感じるのだ。

そこで庭に柿の木を植えて甘柿の収穫を目指した。

植木屋に固い甘柿がほしいのだと繰り返し説明して、柿の木を手に入れ植えた。

数は多くないが甘柿の木はあるのだ。それには蜘蛛の巣のような模様のある実が生る。ところが庭の木に生った実は全て渋柿だった。

植木屋が筆者をだましたとは思えない。

彼はきっと筆者にとっての固い甘柿の重要さが理解できなくて、実がとろとろになるまで熟成させて食べれば渋いも甘いも皆同じじゃないか、と内心で軽く見切って木を筆者に売ったと見える。

少し腹立たしくないこともないが、実をつけた柿の木は景色として絵になるので、まあ好し、と考えることにした。

結局、庭に生る柿は熟成させて家族が食べ、僕は相変わらず店で固い甘柿を買って食べている。



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異端がトリノの個性である


ポルチーニ売るおばさん650

オットブラータ(Ottobrata10月夏)の暖気に促されて繰り返した週末旅で、ピエモンテ州のアルバ(Alba)を訪ねた。

アルバはトリュフで知られた街。ちょうどトリュフ祭り(展示会)が開かれていた。だが僕が食べたいのはトリュフよりもポルチーニ茸だった。

トリュフは嫌いではないが興味もない、というのが僕の昔からの偽りのない気持ちだ。香りも味もピンと来ないのだ。

トリュフのパスタには簡単に出会った。だが、ポルチーニ料理にはありつけなかった。それでもメインで食べた子牛の頬肉煮込みが出色だったので満足した。

遅くなって帰宅の途に就いたが、途中で気が変わって一泊することにした。翌日は日曜日なので成り行き任せの決断でも問題なかった。

ほぼ行きあたりばったりにアスティ(Asti)で宿を取った。実はアルバほかの街々の宿はどこも満員で全く空きがなかった。「仕方なく」アスティに泊まった、というのが真実だ。

コロナが終息した、と考える国民が多いイタリアは旅行ブームだ。厳しい都市封鎖や規制から開放された人々が、観光地へどっと繰り出している。ホテルが混んでいるのもそのせいだった。

アスティは殺風景なたわいない街だった。ひとつ良かったのはアスティ産の甘い「アスティ・モスカートワイン」。アルコール度数がビール並みに低いので、ひとりでほぼ一本を開けた。むろん美味くなければそんなことはしない。

翌日は雨模様だった。

過去に仕事で訪ねた体験からも、地方は期待外れに終わりそうだと判断して、州都のトリノを目指すことにした。

トリノはイタリアの一部だがイタリアではない、と僕は少し誇張して考える。フランスのあるいはパリの下手な写しがトリノという都会である。

それは少し感性のある者なら誰でもすぐに嗅ぎつける同市の属性だ。

物事の多くは模写から始まる。

ところが模写を習いや修行や鍛錬などと称して尊重する日本文化とは違い、西洋のそれはオリジナリティを重視する。のみならず模写を否定する。

その意味ではトリノも否定的に捉えられがちだ。しかしトリノがフランスのそしてさらに詳細にはパリの模倣であっても構わない、と僕は思う。

なぜならトリノはフランスやパリを真似することで、イタリアの中で異彩を放つ都市になった。物真似がトリノの独自性である。

物真似から誕生したトリノは、そのありのままの形で存在することで、全体が個性的な都市や町や地域の集合体であるイタリア共和国の、多様性の一環を成している。

そうではあるものの、僕にとってはトリノは少しも美しくはない。

その理由はトリノの新しさだ。フランス的なものが新しく見えてつまらない。また建物が大げさで、そこかしこの広場や街路も無意味に広大だ。

イタリアの都市に必ず存在する旧市街あるいは歴史的街並がトリノにはない。気をつけて見ればないことはないのだが、それらは近代の建物に圧倒されてほとんど目につかない。

旧市街を別の言葉で言えば中世の街並み。あるいは中世的な古色に染まる景色。はたまた狭い通りや古い建物、崩れ落ちそうな遺跡などが醸し出す豊かな風情。あるいはワビサビの世界。

そういうシーンがトリノにはない。繰り返しになるが全てが比較的新しく、大きく、重厚気味に存在感があり、そしてたまらなく退屈だ。

トリノの街並みを思わせる歴史的なスタイルがイタリアにはもう一つある。それはファシスト時代の建築の構え、つまりリットリア様式の建築物だ。

リットリア様式は古代ローマを模倣しようとした表現法で、武骨且つ単純な力強さがある。尊大なファシストのムッソーリーニと取り巻きが、自らの力を誇示しようとして編み出した。

正確に言えばむろんそれとは違う。だが大きく、重々しく、うっとうしい雰囲気は共通している。

そこには「イタリアを所有している」とまで形容された巨大自動車メーカー、フィアット(FIAT)のイメージも影を落としている。

複合的な心象や写像や現実は、FIATそのものを支配し、果てはトリノという都市まで支配したアニエッリ一族のイメージへとつながる。

古い時代のトリノは、イタリア統一にかかわったサヴォイア王家の拠点だった。フランスの猿真似はサヴィオア家によって完成された。

後年、アニエッリ一族は自動車産業を介してトリノを支配した。街伝統の猿真似を踏襲しつつ貴族を気取ったのがアニエッリ一族だ。そのうさん臭さ。

アニエッリ一族の中でもっとも著名なジャンニ・アニエッリは、欧州に進出する日本のビジネスに恐れをなして「黄禍論」を公然と語った不埒な男だ。

当時の日本は今の中国と同程度に世界に嫌われ恐れられていた。従ってジャンニ・アニエッリの口吻は理解できないこともない。

だがイタリアに来たばかりの若い僕は、その有名人の言動に強い反感を抱いた。時間とともに怒りは収まったが、ジャンニ・アニエッリとアニエッリ家への好感は残念ながら未だに芽生えない。

そんな感慨は、しかし、トリノの街並みや雰囲気への僕のかすかな反感とは無関係だ。

なぜなら僕は、いま述べたように、トリノのみならずピエモンテの各地を巡るとき、他のイタリアの都市や地方とは違い、古色蒼然としたコアな街並みがほとんど存在しない点に、常に物足りなさを感じるからである。






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ヴェローナでリゾットを食べロメオとジュリエットに会った

人混みとジュリエット横顔650

10月、季節はずれのぽかぽか陽気と晴天にはしゃいで近場のヴェローナにも出かけた。

一応の旅の目的を立てた。つまりアマローネ・リゾットを食べること。ヴェローナ近辺で生産される高級ワイン、アマローネを使ったリゾットである。

僕はそれとは別に、なんとかの一つ覚えのように、ポルチーニ料理も頭に思い描いていた。

10月半ば過ぎの北イタリアでは、ほぼどこに行っても新鮮なキノコの料理が食べられる。

中でも僕が“イタリアマツタケ”と勝手に呼んでいるポルチーニは、それ自体でも、またパスタ絡みの調理でも出色の味がする。

ヴェローナはイタリアのエッセンスが詰まった美しい古都の一つだ。

だが晴天と暑気と週末が重なって、街には人出が多く花の都の景観をかなり損なっていた。少し前なら密が怖くて歩けなかったであろうほどに、街じゅうが混雑していた。

ローマ時代の円形闘技場・アレーナがあるブラ広場、街の中心のエルベ広場またシニョーリ広場とそれらを結ぶ大小の道を歩いた。

そこではときどき路上で立ち尽くさなければならないほどの人出があり、思わず雑踏事故の4文字を思い浮かべたりさえした。

イタリアではコロナがほぼ終息したと考えられていて、旅行また歓楽ブームが起きている。

コロナパンデミックに苦しめられ、ロックダウンで窒息した人々の怨念が解き放たれて、心身が雀躍しているのが分かる。

そこにOttabrata(10月夏)の好天が続いたので、人々の外出への欲求がいよいよ高まった。

僕は本職のビデオ取材以外でもヴェローナにはけっこう通った。

義父が製造販売していたワイン展示の手伝いでヴィンイタリー(Vinitaly)会場に出入りしたのだ。

ヴィンイタリー(Vinitaly)は毎年4月、ヴェローナ中心部に近い広大な会場で開催される。1967年に始まった世界最大のワイン展示会である。。

義父は10年ほど前までワインを作っていた。自家のブドウ園の素材を使って生産しVinitaly にも参加していた。

時間が許す限り僕はワインの展示を手伝うために会場に通った。

だが手伝うとは名ばかりで、実は僕はワインの試飲を楽しんだだけだった。展示会場を隈なく回って各種ワインの味見をするのだ。そこではずいぶんとワインの勉強をした。

義父のワイン事業はビジネスとしては厳しいものだった。

ワインは誰にでも作れる。問題は販売である。貴族家で純粋培養されて育った義父には商才は全く無かった。ワインビジネスはいわば彼の贅沢な道楽だった。

義父が亡くなったとき、僕がワイン事業を継ぐ話もあった。だが遠慮した。

僕はワインを飲むのは好きだが、ワインを「造って売る」商売には興味はない。その能力もない。

それでなくても義父の事業は赤字続きだった。

ワイン造りはしなくて済んだが、僕は義父の事業の赤字清算のためにひどく苦労をさせられた。彼の問題が一人娘である僕の妻に引き継がれたからだ。

ワインを造るのはどちらかといえば簡単な仕事だ。日本酒で言えば杜氏にあたるenologo(エノロゴ)というワイン醸造の専門家がいて、こちらの要求に従ってワインを造ってくれる。

もちろんenologoには力量の違いがあり、専門家としてのenologoの仕事は厳しく難しい。

ワイン造りが簡単とは、優秀なenologoに頼めば全てやってくれるから、こちらは金さえ出せばいい、という意味での「簡単」なのである。

ワインビジネスの真の難しさは、先に触れたようにワイン造りではなく「ワインの販売」にある。ワイン造りが好きだった義父は、enologoを雇って彼の思い通りにワインを造っていたが、販売の能力はゼロだった。

だから彼はワイナリーの経営に失敗し、大きな借金を残したまま他界した。借金は一人娘の妻に受け継がれ、僕はその処理に四苦八苦した、といういきさつだった。

vinitalyに顔を出していた頃は、会場から市内中心部まで足を運ぶこともなかった。それ以前にアレーナと周辺のロケをしたことがあるが、記憶があいまいなほどに時間が経った。

淡い記憶をたどりながらアレーナ周りを歩き、観察し、前述の広場や路地を訪ね巡った。

歴史的にはほぼフェイクとされる「ロメオとジュリエット」のジュリエット像と屋敷も見に行った。

そこの人ごみのすごさにシェイクスピアの物語の強烈な影響を思ったが、ただそれだけのことで格別に印象に残るものはなかった。

食べ歩きが主目的なので付け加えておけば、リゾットの後に子羊の骨付き肉を頼んだ。キノコ系のメインコースがなかったからだ。

どこにでもある炭火焼の、ありふれた味の一品だった。

子羊や子ヤギまた子豚などの肉は、炭や薪で焼く場合には丸焼きにしない限り陳腐な口当たりになる。それを地でいくもので作り話のジュリエット像にも似て味気なかった。



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国際都市ジェノヴァの肥溜めの彩

歌碑&顔中ヒキ650

10月の陽気に浮かれて旅したジェノヴァでは、下町の港周辺地区を主に歩いた。特にカンポ通り(Via del Campo)だ。

ジェノヴァは基本的に2地域に分かれると僕は考えている。港の周辺とそれ以外の地区である。

ジェノヴァ港は地中海でも1、2を争う規模と取引量を誇る。ジェノヴァの富の源泉がジェノヴァ港だ。

港周り以外のジェノヴァの地域は、割合で言えば8割程度の重みがある。

そこは街の政治経済文化の中心だ。元々のイタリア人(白人)で、いわば街の支配階級が住む場所である。

一方、そこからフェッラーリ広場を抜けて入るカンポ通りには、港の荷揚げ作業などの苦役に従事する外国人労働者や移民が多く住む。

通りは港の一部と形容しても構わないほどに近接している。

あたりの印象は、外国人に混じってイタリア人あるいはジェノバ人が細々と生きている、という風でさえある。

イタリアきってのシンガーソングライター、ファブリツィオ・デ・アンドレは



「カンポ通りには木の葉色の瞳を持つ娼婦がいる 

(通りも娼婦も街の肥溜めだ) 

ダイヤモンドからは何も生まれない 

だが肥溜めからは花が生まれる


と歌った。※( )内は僕の意訳


肥溜めのように貧しいカンポ通りに生きる娼婦こそ人生を正直に生きる花だ、と讃えたのである。

哀切を誘うメロディーに乗った寓意的な歌詞が、デ・アンドレの低い艶のある声でなぞられて心にぐさりと突き刺さる。

その歌“Via del Campo”は数多いデ・アンドレの名作の中でも最高傑作のひとつと見なされている

カンポ通りの一角の壁には、“Via del Campo”の1節を刻んだ表意絵が掛かっている。

通りを歩くと歌の世界と現実が交錯して、現実が歌を、歌が現実を補填し合い渾然一体となって迫り来る感覚にとらわれる。

歩いた先にあるレストランで食事をした。

そこには地域の住民はいない。街の8割方に住む豊かなジェノヴァ人と旅人が店の客だ。

僕らはその店で散財することができる特権的な旅人のひとりとなって食事を楽しませてもらった。

鮮やかな緑色のペスト・ジェノヴェーゼにからませたパスタは、本場でしか味わえない深い風味があった。

メインで食べたタコ料理に意表を衝かれた。いったいどんな手法なのか、タコが口に含むととろりと溶けるほどにやわらかく煮込まれていたのだ。

タコ料理は今日までにそこかしこの国でずいぶん食べたが、その一品はふいに僕の中で、ダントツのタコ料理レシピとして記憶に刻まれた。

白ワインはリグーリア特産のヴェルメンティーノ(Vermentino)。きんきんに冷えたものを、と頼むと予想を上回るほどに冷えたボトルが出てきた。

味は絶品以外のなにものでもなかった。

ところで

ジェノヴァ市民は、多分イタリアでもっとも親切な人々、というのが僕の持論だ。

特に交通巡査や役人や道行く人々・・つまり全てのジェノヴァ人。

僕はロケでイタリアのありとあらゆるところに行く。その体験から「親切なジェノヴァ人」という結論に行き着いたのである。

情報収集やコンタクトや時間の融通や撮影許可やロケ車の置き場所や始末や・・あるとあらゆる事案にジェノヴァ人は実に懇切、丁寧、に対応してくれる。

それは多分ジェノヴァの人たちが国際的であることと無関係ではない。

港湾都市のジェノヴァには、常に多くの外国人が出入りし居住した。埠頭の人足から豊かな貿易商人まで、様々な境遇の人々だ。

ジェノヴァの人々は言葉の通じない外国人を大事にした。彼らは皆ジェノヴァの重要な貿易相手国の国民だったから。

そこからジェノヴァ人の親切の伝統が生まれた。

国際都市ジェノヴァには、また、国際都市ゆえの副産物も多くあった。

その一つがサッカー。

世界の強豪国、イタリアサッカーの発祥の地も、実はジェノヴァなのである。

その昔、ジェノヴァに上陸したイギリス人の船乗りが母国からサッカーを持ち込んで、それが街に広まった。

今でこそトリノやミラノのチームが権勢を誇っているが、イタリアサッカーの黎明期には、ジェノヴァチームは圧倒的に強かった。

さらに

古来、イタリア半島西端のやせた狭い土地で生きなければならなかったジェノヴァ人は、働き者で節約精神も旺盛だと言われる。

そこで生まれた冗談が「ジェノヴァ人はイタリアのユダヤ人」。イギリスにおけるスコットランド人と同じ。

リグーリア州の大半は山が突然海に落ち込むような地形だ。平地が少なく地味もやせている。

そのため人々は海に進出し、知恵をしぼって貿易にいそしみ巨万の富を得た。

アメリカ大陸を発見したとされるコロンブスもこの地で生まれた。

それは英国におけるスコットランド人や、世界におけるユダヤ人と同じ。

彼らのケチケチ振りを揶揄しながら、人は皆彼らの高い能力をひそかに賞賛してもいる。

「~のユダヤ人」というのは決して侮蔑語ではない。それは感嘆語だ。

親切でこころ優しいイタリアのユダヤ人、ジェノヴァ人に乾杯。

感嘆語のみなもと、ユダヤ人には、もっと、さらに乾杯。




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夏10月を遊ぶ~カモーリ~ 

手前木枝&ビーチ・通り650

イタリア語にOttobrata(オットブラータ)という言い回しがある。Ottobre10月)から派生した言葉で、日本語に訳せば小春日和に近い。

小春日和は初冬のころの暖かい春めいた日のことだ。あえて言えば秋のOttobrataとは時期がずれる。が、イタリアの秋は日本よりも冷えるから小春日和で間に合うようでもある。

Ottobrataも小春日和も高気圧が張り出すことで生まれる。ただOttobrataは小春日和のように1日1日を指すのではなく、数週間単位のいわば“時節”を示す印象が強い。

ことしのOttobrataはほぼ10月いっぱい続き、11月にまでずれこみそうだ。もっともイタリア語では、11月に入ってからの暖かい日々は「サンマルティーノの夏」と呼ぶ。

それは英語のインドの夏とほぼ同じニュアンスの言葉だ。

ことしのOttobrataは期間が長く気温も高い。そこで週末は遠出をしたり1泊程度のプチ旅行をしたりしている。もう10月も終わるが、好天が続いているので過去形よりも現在進行形で語りたい。

このまま晴天が続けば、「サンマルティーノの夏」にまでなだれこんで、12月まで寒さがやってこないかもしれない、と考えたくなるほどの陽気が続いている。

長すぎるOttobrataはやはり温暖化のせい、というのが専門家の見立てである。専門家ではなくとも、近年の異常気象を見れば何かがおかしいと推測できる。

イタリアはことしは冬、異様な旱魃に見舞われ大河ポーが歴史始まって以来の低水位にまで下がった。危険な状況は春には改善したが、夏には再び干上がって警戒水準が続いた。

夏の少雨は強烈な日差しを伴った。記録的な暑さが和らぐと普通に気温が下がるかと見えた。だがそれはほんの数日のことだった。

真夏の暑さは去ったものの、強い日差しが続いて、Ottobrataに突入したのだった。

近場を巡り、少し足を伸ばしてリグーリア州やピエモンテ州にも出かけた。ほとんどが日帰りの旅だったが、リグーリアとピエモンテではそれぞれ一泊した。

車で半時間足らずの距離の小さな湖や、そこより少し遠いヴェローナなども訪ねた。

食べ歩きをイメージした仕事抜きの旅は、夏の休暇を除けば初めての経験である。

最初は10月半ばの週末。リグーリア州に向かった。そこにはジェノヴァがありチンクエテッレがありサンレモがありポルトフィーノもある。

僕はそれらの土地の全てをリサーチやロケなどの仕事で訪れている。

先ずジェノヴァの隣のカモーリを訪れた。

カモーリは崖と海に挟まれた小さなリゾート地。ミニチュアのような漁港がある。

漁港では毎年5月、直径4メートルもの大フライパンで魚を揚げて、人々に振舞う祭りがある。僕は以前その様子を取材したこともある。

レストランやバールが連なる海岸沿いの通りの下には海がありビーチがある。通りの先にあるのがいま触れた港である。

ほぼそれだけの街だが、リゾートの魅力がこれでもかと詰め込まれた印象があって、全く飽きがこない。

通りを行き来して不精をたのしみ、美味い魚介のパスタと土地の白ワインを堪能した。

きんきんに冷えた白ワインと魚介パスタの相性は、昔食べたときも今回も、筆舌に尽くしがたい絶妙な味がした。





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イタリア初の女性首相と極右の因縁

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極右と規定されることも多い右派「イタリアの同胞」のジョルジャ・メローニ党首が、イタリア初の女性首相となって1週間が経過した。

連立政権とはいえ、ついに極右政党が政権を握る事態に欧州は驚愕した、と言いたいところだが現実は違う。欧州は警戒心を強めながらもイタリアの状況を静観してきた、というのが真実だ。

メローニ政権は、少しの反抗を繰り返しながらも、基本的にはEU(欧州連合)と協調路線を取ると見られている。

近年、欧州には極右政党が多く台頭した。それは米トランプ政権や英国のBrexitEU離脱)勢力などに通底した潮流である。

フランスの「国民連合」、イタリアの「同盟」と「イタリアの同胞」、スペインの「VOX」ほかの極右勢力が躍進して、EUは強い懸念を抱き続けてきた。

2017年には極右興隆の連鎖は、ついにドイツにまで及んだ。極右の「ドイツのための選択肢」が総選挙で躍進して、初めての国政進出ながら94議席もの勢力になった。

それはEUを最も不安にした。ナチズムの亡霊を徹底封印してきたドイツには、極右の隆盛はあり得ないと考えられてきたからだ。

それらの極右勢力は、決まって反EU主義を旗印にしている。EUの危機感は日増しに募った。

そしてとうとう2018年、極右の同盟と極左の五つ星運動の連立政権がイタリアに誕生した。

ポピュリストの両党はいずれも強いEU懐疑派である。英国のBrexit騒動に揺れるEUに過去最大級の激震が走った。

だが極右と極左が野合した政権は、反EU的な政策を掲げつつもEUからの離脱はおろか、決定的な反目を招く動きにも出なかった。

イタリアでは政治制度として、対抗権力のバランスが最優先され憲法で保障されている。そのため権力が一箇所に集中しない、あるいはしにくい。

その制度は、かつてファシスト党とムッソリーニに権力が集中した苦しい体験から導き出されたものである。同時にそれは次々に政治混乱をもたらす仕組みでもある。

一方で、たとえ極左や極右が政権を担っても、彼らの思惑通りには事が運ばれない、という効果も生む。

過激勢力が一党で過半数を握れば危険だが、イタリアではそれはほとんど起こりえない。再び政治制度が単独政党の突出を抑える力を持つからだ。

イタリアが過激論者に乗っ取られにくいのは、いま触れた政治制度そのものの効用のほかに、イタリア社会がかつての都市国家メンタリティーを強く残しながら存在しているのも大きな理由の一つだ。

イタリアが統一国家となったのは今からおよそ160年前のことに過ぎない。

それまでは海にへだてられたサルデーニャ島とシチリア島は言 うまでもなく、半島の各地域が細かく分断されて、それぞれが共和国や公国や王国や自由都市などの独立国家として勝手に存在を主張していた。

国土面積が日本よりも少し小さいこの国の中には、周知のようにバチカン市国とサンマリノ共和国という2つのれっきとした独立国家があり、形だけの独立国セボルガ公国等もある。

だが、実際のところはそれ以外の街や地域もほぼ似たようなものである。

ミラノはミラノ、ヴェネツィアはヴェネツィア、フィレンツェはフィレンツェ、ナポリはナポリ、シチリアはシチリア…と各地はそれぞれ旧独立小国家のメンタリティを色濃く残している。

統一国家のイタリア共和国は、それらの旧独立小国家群の国土と精神を内包して一つの国を作っているのだ。だから政府は常に強い中央集権体制に固執する。

もしもそうしなければ、イタリア共和国が明日にでもバラバラに崩壊しかねない危険性を秘めているからである。

各都市国家の末裔たちは、それぞれの存在を尊重し盛り立てつつ、常にライバルとして覇を競う存在でもある。

イタリア共和国は精神的にもまた実態も、かつての自由都市国家メンタリティーの集合体なのである。そこに強い多様性が生まれる。

そして多様性は政治の過激化を抑制する。多様性が息づくイタリアのような社会では政治勢力が四分五裂して存在するそこでは、極論者や過激派が生まれやすい。

ところがそれらの極論者や過激派は、多くの対抗勢力を取り込もうとして、より過激に走るのではなくより穏健になる傾向が強い。跋扈する極論者や過激思想家でさえ心底では多様性を重んじるのだ。

2018年に船出した前述の極右同盟と極左五つ星運動による連立政権は、政治的過激派が政権を握っても、彼らの日頃の主張がただちに国の行く末を決定付けることはない、ということを示した。

多様性の効能である。

今回のイタリアの同胞が主導する右派政権もおそらく同じ運命を辿るだろう。

メローニ首相率いるイタリアの同胞は元々はEUに懐疑的でロシアのクリミア併合を支持するなど、欧州の民主主義勢力と相いれない側面を持つ。

「イタリアの同胞」はファシスト党の流れも汲んでいる。だがイタリア国民の多くが支持したのは右派であって極右ではない。ファシズムにいたっては問題外だ。

メローニ新首相はそのことを知りすぎるほどに知っている。彼女は選挙戦を通して反民主主義や親ロシア寄りのスタンスが、欧州でもまたイタリア国内でも支持されないことをしっかりと学んだように見える。

メローニ「右派」政権は、明確に右寄りの政策を打ち出すものの、中道寄りへの軌道修正も行うというスタンスで進むだろう。

それでなければ、彼女の政権はイタリアと欧州全体の世論を敵に回すことになり、すぐにでも行き詰まる可能性が高い。




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イタリア初の女性首相の因縁


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ついにイタリア初の女性首相が誕生した。右派「イタリアの同胞」のジョルジャ・メローニ党首が権力の座にすわる。

イタリアの同胞はファシスト党の流れをくんでいて、極右と規定されることも多い。

だがイタリア国民のほとんどは極右を支持していない。ファシズムにいたっては問題外だ。

メローニ新首相はそのことを知悉している。彼女の政権はEU(欧州連合)ともNATO(北大西洋条約機構)とも連携していくはずだ。

しかし連立を組む同盟とFI(フォルツァ・イタリア党)の中には、EU及びNATO懐疑派の勢力もある。

また同盟のサルビーニ党首とFIのベルルスコーニ党首はプーチン大統領と親しく、ロシアのウクライナ侵略に対するEUの制裁に疑問を呈することも辞さない。

メローニ首相率いるイタリアの同胞も、元々はEUに懐疑的でロシアのクリミア併合を支持するなど、欧州の民主主義勢力と相いれない側面を持つ。

メローニ新首相は選挙戦を通して、そうした反民主主義且つ親ロシア寄りの政策が、欧州でもまたイタリア国内でも支持されないことをしっかりと学んだように見える。

メローニ政権は明確に右寄りの政策を打ち出すものの、常に中道寄りへの軌道修正も行うというスタンスで進むだろう。

それでなければ、彼女の政権内の反対勢力が頭をもたげる前に、イタリアの世論と欧州全体のそれが、彼女を権力の座から引きずり下ろすことになるだろう。



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ベルルスコーニの最後の奉公

口歪めサングラス原版

ベルルスコーニ元首相に関する直近の記事を読んだ読者の皆さんの中には、彼のイタリアにおける影響力が極めて大きいと考える人も多いようだ。

それは僕の書き方が悪いのが原因だ。非力を謝罪したうえで少し付け加えておきたい。

ベルルスコーニ元首相は90年代初め以降、イタリア政界に多大な影響力を持ち続けたが、アップダウンを繰り返しながらその力は右肩下がりに下がり続けた。

2011年にはイタリア財政危機の責任を取らされて首相を辞任。支持率は急降下した。

そして2013年、脱税で有罪判決を受けて公職追放となり議員失職。彼の政治生命は絶たれたと見られた。

ところが元首相は2019年、公民権停止処分が解除されたことを受けて欧州議会選挙に出馬。何事もなかったかのように欧州議会議員に当選した。

イタリアのメディアの中には彼を《不死身》と形容するものまで出た。

だが、ベルルスコーニ元首相率いる「FI(フォルツァ・イタリア党)」の、先日の総選挙における得票率はわずか約8%。かつて飛ぶ鳥を落とす勢いだった政党としてはさびしい数字だ。

非力なFI党首のベルルスコーニ氏が影響力を持つのは、同党が選挙で大勝した右派連合の一角を占めるからだ。

右派連合の盟主は、次期首相就任が確実比されているジョルジャ・メローニ氏が率いる極右「イタリアの同胞」である。

両者の立場が逆転した今、メローニ氏が自らの政権内でベルルスコーニ氏を優遇する可能性は十分にある。

醜聞と金権と汚職にまみれたベルルスコーニ元首相が、支持率を落としながらもしぶとく生き残ってきたのは、物理的な側面から見れば彼がイタリアのメディアの支配者である事実が大きい。

インターネットが普及した欧州先進国の中にあって、イタリアは未だに既存メディアが大きな影響力を持つ国のひとつだ。特にテレビの力は巨大である。

イタリアのメディア王とも呼ばれる元首相は、自らが所有するテレビ局のニュースや番組やショーに頻繁に登場して自己アピールをする。

日本で言えば民放全体を束ねた勢力である元首相所有のMEDIASETが、堂々とあるいは控えめを装って、ベルルスコーニ元首相の動きを連日報道するのである。

そうした実際的な喧伝活動に加えて、多くの国民が元首相を寛大な目で見ることも彼の生き残りに資する。

ほとんどがカトリック教徒であるイタリア国民は、「罪を忘れず、だがこれを赦す」というカトリックの教義に深く捉われている。

彼らはベルルスコーニ元首相の悪行や嫌疑や嘘や醜聞にうんざりしながらも、どこかで彼を赦す心理に傾く者が多い。

たとえ8%の国民の支持があっても、残りの92%の国民が強く否定すれば彼の政治生命は終わるに違いない。

だがカトリック教徒である寛大な国民の多くが彼を赦す。つまり消極的に支持する。あるいは見て見ぬ振りをする。

結果、軽挙妄動の塊のような元首相がいつまでも命脈を保ち続けることになるのだ。

要するにベルルスコーニ元首相は、右派連合が分裂しない限り、メローニ政権内で直接・間接に一定の影響力を行使するだろう。

彼の動きはいつものように我欲とまやかしに満ちたものになるに違いない。それは連立政権を崩壊させるだけの数の力を持っている。

だがそれだけのことだ。彼の時代は終わっている。もしも政権を瓦解させれば彼自身も今度こそ本当に政治生命を絶たれる。

86歳にもなった元首相はそんな悪あがきをすることなく、彼が唯一イタリア国民のために成せることをしてほしい。

つまり前回も書いたとおり、極右的性格のメローニ政権がEUに反目して国を誤ろうとするとき、諌めて中道寄りに軌道修正させるか、軌道修正の糸口を提供することである。

寛大な国民に赦され続けて政治的に生き延びてきたベルルスコーニ元首相の、それが国民への最後の奉公となるべき、と考えるが、果たしてどうなるだろうか。





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イタリア人がベルルスコーニを許す理由(わけ)

典型的な笑顔650

間もなく発足する予定のイタリアの右派政権には、醜聞と汚職と暴言また金権にもまみれたベルルスコーニ元首相も加わると見られています。

政権を率いるのは極右政党党首のジョルジャ・メローニ氏。彼女はかつてのベルルスコーニ政権で、31歳の史上最年少閣僚として起用された過去を持っています。

以来ベルルスコーニ氏は「政界の親」として、彼女を擁護してきました。

立場が逆転した今、メローニ氏が自らの政権内でベルルスコーニ氏を優遇する可能性は十分にあります。

ベルルスコーニ氏は外相あるいは法相を目指しているとも、上院議長の席を狙っているとも噂されています。

ベルルスコーニ元首相は2013年、脱税で有罪判決を受けて6年間の公職追放措置になりました。だが悪運強く前倒しで解放されました。

彼はすぐに選挙活動を開始。2019年には欧州議会議員に選出されて政界復帰を果たしました。86歳になる今日も変わらずにイタリア政界を掻き回しています。

実業家だったベルルスコーニ氏は1994年、独自のフォルツァ・イタリア党を結成。長年イタリアを牛耳っていたキリスト教民主党の死滅を受けて、ほどなく総選挙で勝利し首相に就任しました。

以後、3期(4期)9年余に渡って首班を務め、下野している間も一貫してイタリア政界に君臨し多大な影響力を持ち続けてきました。

他の先進民主主義国ならありえないようなデタラメな言動・行跡に満ちた彼を、なぜイタリア国民は許し、支持し続けるのか、という疑問が国際社会では良く提起されます。

その答えは、世界中のメディアがほとんど語ろうとしない、一つの単純な事実の中にあります。

つまり彼、シルヴィオ・ベルルスコーニ元イタリア首相は、稀代の「人たらし」なのです。

日本で言うなら豊臣秀吉、田中角栄の系譜に連なる人心掌握術に長けた政治家、それがベルルスコーニ元首相です。

こぼれるような笑顔、ユーモアを交えた軽快な語り口、説得力あふれるシンプルな論理、誠実(!)そのものにさえ見える丁寧な物腰、多様性重視の基本理念、徹頭徹尾の明るさと人なつっこさ、などなど・・・元首相は決して人をそらさない話術を駆使して会う者をひきつけ、たちまち彼のファンにしてしまいます。

彼のそうした対話法は意識して繰り出されるものではなく、自然に身内から表出されます。

彼は生まれながらにして偉大なコミュニケーション能力を持つ人物なのです。

人心掌握術とは、要するに優れたコミュニケーション能力のことです。元首相が、人々を虜にしてしまうのは少しも不思議なことではありません。

元首相はそのコミュニケーション力で日々顔を合わせる者をからめ取ります。

加えて彼の富の基盤である、自身が所有するイタリアの3大民放局を始めとする巨大情報ネットワークを使って、実際には顔を合わせない人々、つまり視聴者まで取り込んで味方にしてしまうのです。

イタリアのメディア王とも呼ばれる元首相は、政権の座にある時も在野の時も、ひんぱんにテレビに顔を出して発言し、討論に加わり、飽くことなく政治主張をし続けてきました。

有罪判決を受けて以降も、彼はあらゆる手段を使って自らの潔白と政治メッセージを明朗に且つ雄弁に申し立ててきたのです。

しかしながら彼の明朗や雄弁には、暗い影もつきまとっています。ポジティブはネガティブと常に表裏一体なのです。

即ち、こぼれるような笑顔とは軽薄のことであり、ユーモアを交えた軽快な口調とは際限のないお喋りのことであり、シンプルで分りやすい論理とは大衆迎合のポピュリズムのことでもあります。

また誠実そのものにさえ見える丁寧な物腰とは、偽善や隠蔽を意味し、多様性重視の基本理念は往々にして利己主義やカオスにもつながります。

さらに言えば、徹頭徹尾の明るさと人なつっこさは、徹頭徹尾のバカさだったり鈍感や無思慮の換言である場合も少なくありません。

そうしたネガティブな側面に、彼の拝金主義や多くの差別発言また人種差別的暴言失言、少女買春、脱税、危険なメディア独占等々の悪行を加えて見てみればいい。

すると恐らくそれは、イタリア国民以外の世界中の多くの人々が抱いている、ベルルスコーニ元首相の印象とぴたりと一致するのではないでしょうか。

それでもイタリア国民は彼を許し続けています。ポジティブ志向のイタリア国民は、元首相のネガティブな側面よりも彼の明朗に多く目を奪われます。

短所はそれを矯正するのではなく、長所を伸ばすことで帳消しにできる、とイタリア国民の多くは信じています。短所よりも長所がはるかに重要なのです。

例えばこういうことです。

この国の人々は全科目の平均点が80点のありふれた秀才よりも、一科目の成績が100点で残りの科目はゼロの子供の方が好ましい、と考えます。

そして どんな子供でも必ず一つや二つは100点の部分があります。その100点の部分を120点にも150点にものばしてやるのが教育の役割だと信じ、またそれを実践しようとします。

具体的な例を一つ挙げます。

ここに算数の成績がゼロで体育の得意な子供がいるとします。すると親も兄弟も先生も知人も親戚も誰もが、その子の体育の成績をほめちぎり心から高く評価して、体育の力をもっともっと高めるように努力しなさい、と子供を鼓舞するのです。

日本人ならばこういう場合、体育を少しおさえて算数の成績をせめて30点くらいに引き上げなさい、と言いたくなるところですが、イタリア人はあまりそういう発想をしません。

要するに良くいう“個性重視の教育”の典型です。醜聞まみれのデタラメな元首相をイタリア人が許し続けるのも、子供の教育方針と似た理由からです。

元首相は未成年者買春や収賄や脱税などの容疑にまみれた男です。

同時に彼は性格が明るく、コミニュケーション能力に長け、一代で巨万の富を築いた知略を持つ傑出した男でもあります。

ならば後者をより重視しよう、という訳です。

イタリア共和国には ― 繰り返しになりますが ― 短所を言い募るのではなく長所を評価するべき、と考える人が多いのです。

実はそこには「過ちや罪や悪行を決して忘れてはならない。しかしそれは赦されるべきである」 というカトリック教の「赦し」の理念も強く作用しているように見えます。

人々は元首相の負の側面を決して忘れてはいません。忘れてはいませんがあえてそれを赦して、彼のポジティブな要素により重きをおいて評価をしている、とも考えられるのです。

閑話休題

ベルルスコーニ元首相が、極右とも規定されるメローニ政権内で国民のために成すことがあるとすれば、政権が反EUに走ろうとする際にこれを引き止めることです。

元首相はEU信奉者です。

メローニ氏は、逆に反EUを標榜してこれまで政治活動をしてきました。メローニ氏の立場は欧州の全ての極右勢力と同じです。

それはつまり、英国のBrexit首謀者やトランプ主義者と同じ穴のムジナ、ということでもあります。

保守主義者でプーチン大統領とも親しいベルルスコーニ氏が、我欲を捨ててEU結束のためにメローニ首相に諫言し立ちはだかるのかどうか、筆者はここからはより注意深く見守ろうと思います。


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右でも左でも中庸を目指せば終わりは必ず良しだ


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イタリア総選挙は大方の予想通り右派連合が勝利した。

中でも極右の「イタリアの同胞」が躍進。

同党のジョルジャ・メローニ党首がイタリア初の女性首相になる公算が一層高まった。

メローニ氏はネオ・ファシストの心を持っている。だが、それを顔には出さない努力を続けてきた。彼女が選挙に勝ったのはその努力のおかげ、という一面もある。

だがむろんそれよりも、イタリア国民の多くが、彼女の主張に共感を持ったことが最大の勝因であるのは、言うまでもない。

連立とはいえ、ついに極右政党が政権を握る事態に欧州は驚愕している、と言いたいところだが現実は違う。

欧州は警戒心を強めながらもイタリアの状況を静観している、というのが真実だ。

しかも、メローニ政権は、少しの反抗を繰り返しながらも、基本的にはEU(欧州連合)と協調路線を取る、との読みがあるように思う。

近年、欧州には極右政党が多く台頭した。それは米トランプ政権や英国のBrexitEU離脱)勢力などに通底した潮流である。

フランスの国民連合、イタリアの同盟、スペインのVOXほかの極右勢力が躍進して、EUは強い懸念を抱き続けてきた。

極右興隆の連鎖は、ついにドイツにまで及んだ。

ドイツでは2017年、極右の「ドイツのための選択肢」が総選挙で躍進して、初めての国政進出ながら94議席もの勢力になった。

それはEUを最も不安にした。ナチズムの亡霊を徹底封印してきたドイツには、極右の隆盛はあり得ないと考えられてきたからだ。時代の変化はそこで明々白々になった。

それらの極右勢力は、決まって反EU主義を旗印にしている。EUの危機感は日増しに募った。

そしてついに2018年、極右の同盟と極左の五つ星運動の連立政権がイタリアに誕生した。ポピュリストの両党はいずれも強いEU懐疑派である。

英国のBrexit騒動に揺れるEUに過去最大級の激震が走った。

だが極右と極左が野合した政権は、反EU的な政策を掲げつつもEUからの離脱はおろか、決定的な反目を招く動きにも出なかった。

そこには、イタリア社会独特の多様性の力が働いている。

多様性が政治の極端化を妨げるのだ。

何はともあれ、政治的過激派が政権を握っても、彼らの日頃の主張が国の行く末を決定付けることにはならない、ということをイタリアの例は示した。

今回のイタリアの同胞が主導する右派政権もおそらく同じ運命を辿るだろう。

“ファシスト党の流れを汲む極右政党イタリアの同胞”というおどろおどろしい響きの勢力は、強い右寄りの政策を導入することは間違いないだろうが、過去のァシズムの闇に引きずり込まれることはあり得ない。

極右勢力に特有の暴力的な空気は充満するだろうが、政権がファシズムに陥らない限り彼らの存在は民主主義の枠組みの中に留まる。

僕は彼らを支持しないが、民主主義国の正当な選挙によって民意を得た彼らが政権を樹立することは、言うまでもなく認める。

2018年、極左の五つ星運動が総選挙で議会第1党になった時、僕は愕然とした。彼らの主導で政権が船出した時は、ついにイタリアの地獄が始まると思った。

それでも、民主主義の手続きを踏んでイタリア国民に選出された彼らの政権樹立に異論はなかった。むしろ民意の負託を得た以上それは必ず認められるべき、と考えそう主長した。

今回はイタリアの同胞が五つ星運動に取って変わった。五つ星運動で“さえ”政権を担った。当然イタリアの同胞“にも”その権利がある。

極左の五つ星運動と、極右のイタリアの同胞の間に何の違いがあるの?彼らは双方ともに政治的過激派で、ポピュリストという同じ穴のムジナに過ぎないぜ、というのが僕の正直な思いだ。

多様性が息づくイタリアには極論者も多いが、その多様性自体が極論者をまともな方向に導く、という持説を僕は今回も変える気はない。

極右でも極左でも、中庸を目指して進んでくれれば終わりは必ず良し、というふうに思いたいのである。

そうしなければ政権は与党内の争いで空中分解する。あるいは次の選挙で必ず政権の座から引きずり下ろされる。

例えば日本とは違ってイタリアには、民主主義の根幹の一つである政権交代の自浄作用が十分以上に備わっている。

その意味でも極左、極右、なにするものぞ、というところなのである。



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多様性のふところ

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‘’ファシスト気質‘’

イタリアでは来たる9月25日に総選挙が行われて、極右政党が主導する政権が樹立される見通しだ。主導するのはファシスト等の流れを汲む「イタリアの同胞」。

ファシストが政権党、と聞けば以前なら思わずぎょっとするところだが、ファシスト気質のトランプ前大統領の登場以降は、どうということもなくなった。

世界にはファシスト気質の政治家や政権が溢れている。トランプ前大統領に心酔する英ジョンソン首相とブレグジッド派勢力、フランスのルペン国民連合党首、ボルソナロ大統領ほかの南米またアジア・アフリカの指導者、などなど。日本の安倍元首相と周辺勢力もそこに親和的だ。

民主主義を無視して、安倍元首相の国葬を強行しようとする岸田政権は、安倍政権の上を行くファシスト気質の統治体制、と言っても構わないのではないか。

それらの政治家や政治勢力は、強権的という意味でプーチン大統領や習近平国家主席、また金正恩総書記などにも似ている。彼らのうちの多くは実際にお互いに友誼を結んでいる関係でもある。

‘’慣れの功罪‘’

伊総選挙後の首相就任がほぼ確実視されている、イタリアの同胞党首のジョルジャ・メローニ氏は、いま述べた世界のファシスト気質の政治家の中でも最もファシストに近い指導者である。

だが彼女は、ファシストどころか極右と呼ばれることも嫌い、自らが率いるイタリアの同胞をかつてのファシスト党のイメージから遠ざける努力を続けてきた。

それは半ば成功し半ば失敗していると言える。イタリアの同胞を支持率トップに引き上げたことが成功であり、彼女が未だに「ファシストと完全に決別する」と高らかに宣言できないところが失敗である。

それでも彼女が政権を握ることは、かつてそうであったほどの脅威にはならない。なぜならイタリアを含む世界は、既述のファシス的性向の指導者や政権に慣れて来ているからだ。

慣れは油断につながり、権力の暴走を許す可能性がある。同時に、対抗政治勢力と国民が、それら危険な権力への対処法を学ぶ原動力にもなる。

2022年現在、世界は剣呑な権力の抑制に成功している。それと言うのもトランプ政権は否定され、ブレグジッドを主導したジョンソン首相も退陣した。またフランスのルペン氏は大統領選で敗れた。

さらにブラジルのボルソナロ大統領の勢いは削がれ、日本では安倍元首相が銃弾に斃れて政治の表舞台から去った。

むろんそれは偶然の出来事だ。だが歴史の大きなうねりは得てして偶然に見える必然も生み出す。その歴史はさらに、岸田政権という強権&忖度集団まで作り出してしまった。

‘’極左と極右は同じ穴のムジナ‘’

一方イタリアでは2018年、極左と極右と定義されることも多い「五つ星運動」と「同盟」が政権を樹立する事態になった。それは欧州を震撼させたが、イタリア共和国は幸いに2党がかねてから主張する脱EUには向かわなかった。

ポピュリスト政権は、EUの意向に反してバラマキ政策を敢行した。と同時にEUとの共存の道も模索し続けた。やがて同盟が離反すると、 五つ星運動はEUと親和的な民主党と連立を組み直して、政権はより穏健になった。

そして今回、正真正銘の極右政党イタリアの同胞が議会第1党になる可能性が出てきた。

それが他の主要民主主義国で起これば一大事だが―そしてむろんイタリアでも強く懸念されてはいるが―この国の核を成している多様性が担保して、極右は強硬保守へと骨抜きにされると思う。

イタリアでは政治制度として、対抗権力のバランスが最優先され憲法で保障されている。そのため権力が一箇所に集中しない、あるいはしにくい。

その制度は、かつてファシスト党とムッソリーニに権力が集中した苦しい体験から導き出されたものである。

同時にそれは次々に政治混乱をもたらす仕組みでもある。が、たとえ極左や極右が政権を担っても、彼らの思惑通りには事が運ばれない、という効果も生む。

過激勢力が一党で過半数を握れば危険だが、イタリアではそれはほとんど起こりえない。再び政治制度が単独政党の突出を抑える力を持つからだ。

‘’多様性が極論を抑える‘’

イタリアが過激論者に乗っ取られにくいのは、いま触れた政治制度そのものの効用のほかに、イタリア社会がかつての都市国家メンタリティーを強く残しながら存在しているのが理由だ。

都市国家メンタリティーとは、換言すれば多様性の尊重ということである。

イタリア共和国は精神的にもまた実態も、かつての自由都市国家の集合体である。

そして各都市国家の末裔たちは、それぞれの存在を尊重し盛り立てつつ、常にライバルとして覇を競う存在でもある。そこに強い多様性が生まれる。

多様性にはカオスに似た殷賑が付き物だ。

都市国家メンタリティーが担保する多様性重視のイタリア社会では、誰もが自説を曲げずに独自の道を行こうと頑張る。その結果、カラフルで雑多な行動様式と、あっとおどろくような 独創的なアイデアがそこらじゅうにあふれる。

多様性を重視するイタリア社会は、平時においては極めて美しく頼もしくさえある。だがそれには、前述のカオスにも似た殷賑が付いて回る。

多様性を否定したい人々はそこを殊更に重視する。そして多様性に伴う殷賑あるいはカオスを、アナーキズムと曲解して多様性を指弾したりもする。

言うまでもなく彼らは間違っている。彼らは千差万別、多彩、人それぞれ、 百人百様、十人十色、 多種多様、、蓼食う虫も好き好き 、など、など、人の寛容と友誼と共存意識の源となる美しいコンセプトを理解しないのだ。

多様性というのはあくまでも絶対善だ。絶対とはこの場合「完璧」という意味ではなく、欠点もありながら、しかし、あくまでも善であるという意味だ。例えば民主主義と同じである。

‘’多様性と民主主義‘’

民主主義はさまざまな問題を内包しながらも、われわれが「今のところ」それに勝る政治体系や構造や仕組みや哲学を知らない、という意味で最善の政治体制だ。

また民主主義は、より良い民主主義の在り方を求めて人々が試行錯誤を続けることを受容する、という意味でもやはり最善の政治システムである。

言葉を変えれば、理想の在り方を目指して永遠に自己改革をしていく政体こそが民主主義、とも言える。

多様性も同じだ。飽きることなく「違うことの良さ」を追求し歓迎し認容することが、即ち多様性である。

多様性を尊重すればカオスにも似た殷賑が生まれる。だがそれは、多様性を否定しなければならないほどの悪ではない。

なぜならそれは、多様性が内包するところの疑似カオス、つまり前記の「個性が思い思いに息づく殷賑」に過ぎないからだ。再び言葉を変えて言えば、カオス風の賑わいがない多様性はない。

多様性の対義概念は幾つもある。全体主義、絶対論、専制主義、統制経済、侵略主義、軍国主義、民族主義、選民主義、チキンゲーム、干渉主義、デスポティズムetc。日本社会に特有の画一主義または大勢順応主義などもその典型だ。

僕はネトウヨ・ヘイト系排外差別主義と極端な保守主義、またそれを無意識のうちに遂行している人々も、多様性の対極にあると考えている。

なぜならそれらの人々には、彼らのみが正義で他は全て悪と見做す視野狭窄の性癖がある。つまり彼らは極論者であり過激派だ。むろんその意味では左派の極論者も同じ穴のムジナだ。

‘’多様性は敵も抱擁する‘’

だが多様性を信奉する立場の者は、彼らを排除したりはしない。 ネトウヨ・ヘイト系排外差別主義や極右は危険だが、同時にそれは多様性の一環でもある、と考えるのである。

多様性の精神は、「それらの人々のおかげで、寛容や友愛や共存や思いやりや友誼、つまり“多様性”がいかに大切なものであるかが、さらに良く分かる」と捉えて、彼らはむしろ“必要悪”であるとさえ結論付ける。

例えば政治危機のような非常時には、国民の平時の心構えが大きく作用する。つまり、多様性のある社会では、政治が一方に偏り過ぎるときは、多様性自体が画一主義に陥り全体主義に走ろうとする力を抑える働きをする。

一方でネトネトウヨ・ヘイト系排外差別主義がはびこる世界では、その力が働かない。それどころか彼らの平時の在り方が一気に加速して、ヘイトと不寛容と差別が横行する社会が出現してしまう。

ここイタリアには、冒頭で触れたように、来たる総選挙を経てほぼ確実に極右政党が主導権を握る政権が誕生すると見られている。

その政権には保守主義を逸脱して、ファシズムへ傾こうとするモメンタムが働くことが十分に予想される。

だがイタリア社会に息づく多様性の精神が、危険なその動きにブレーキを掛ける可能性が非常に高い。

そうは考えられるものの、しかし、油断大敵であることは言うまでもない。



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極右政権が誕生しそうなイタリア~多様性はそれを保守へとたらし込めるか

meloni雄叫び650

イタリアでは9月25日の投票に向けて激しい選挙戦が展開されている。

世論調査によれば、右派連合が過半数を制して政権樹立を目指す見込み。

右派連合は極右の「イタリアの同胞」と「同盟」、中道右派を自称する「フォルツァ・イタリア」の3党が中心。

このうちファシスト党の流れをくむ正真正銘の極右政党「イタリアの同胞」は、左派で政権与党の民主党をわずかながら抑えて、世論調査で支持率トップを維持している。

それはつまり右派連合が勝った場合、イタリアの同胞のジョルジャ・メローニ 党首がイタリア初の女性宰相になることを意味する。

女性か否かはさておき、極右のイタリア首相の誕生は、EUを筆頭にする世界を震撼させそうだ。だが実際には人々は、冷静に成り行きを観察しているように見える。

それはおそらく反EUを標榜してきたメローニ党首が、その矛先を収めてEUとの共存を示唆し、ウクライナ危機に関してはロシアを否定して、明確にウクライナ支持を表明していることにもよる。

その一方で彼女の盟友のサルビーニ同盟党首とフォルツァ・イタリア党首のベルルスコーニ元首相は、ロシアのプーチン大統領との友誼に引きずられて曖昧な態度でいる。

彼らのスタンスは、ウクライナ支持で結束しているEU各国の不信を招いている。恐らくその反動もあって、メローニ党首の立ち位置が好ましくさえ見えているのだろう。

またイタリアはEUから巨額のコロナ復興支援金を受け取ることが決まっている。

メローニ首相が誕生した場合、彼女は復興支援金を滞りなく受け取るためにも、より一層反EUのスタンスを封じ込めて、EUと協力する道を選ぶことが確実と見られている。

EUをはじめとする世界の見方はおそらく半ば以上正鵠を射ている。

そのことは2018年、議会第1党になった極左の「五つ星運動」が反EUの看板を下ろして、割と「まともな」政権与党に変貌していった経緯からも読み取ることができる。

極右のイタリアの同胞もほぼ間違いなく同じ道をたどると考えられる。連立政権であることもそれに資することになる。

が、同時に-- 五つ星運動が極左の本性もさらけ出しにしたように--彼らが主張する反移民、排外差別主義者の正体もむき出しにするに違いない。

政治的感覚の優れたメローニ党首は、自らが主導するファシストの流れを汲むイタリアの同胞を、かつてのムッソリーニ派につながるイメージから引き離す努力を続けてきた。

それはフランスの極右、国民連合のルペン党首が、反移民・排外差別主義的なこわ持ての主張を秘匿してソフト路線で選挙を戦う、いわゆる「脱悪魔化」と呼ばれる手法と同じだ。

メローニ党首は極右と呼ばれることを嫌い、ファシストと親和的と見なされることを忌諱する。だが同時に彼女は、ファシズムと完全に手を切る、とは決して宣言しない。

なぜか。言うまでもなく彼女がいわゆるネオファシスト的な政治家だからだ。

ネオファシストは、反移民、ナショナリズム、排外人種差別主義、白人至上主義、ナチズム、極右思想、反民主主義などを標榜する。

メロ-ニ党首は明らかにそれらに酷似した主義、思想をまとって政治活動をしている。このうち反移民の立場は進んで明らかにするが、他の主義主張は時として秘匿したり曖昧にしたりする。

それは彼女がファシズムの過去の失態と国民のファシズムアレルギーを熟知しているからだ。ネオファシスト的主張を秘匿し曖昧にすることが、いわゆる彼女の「脱悪魔化」なのである。

イタリアのファシストはファシストを知らなかったが、ジョルジャ・メローニ党首はファシストを知っている。これは大きな利点だ。彼女が過去に鑑みて、ファシズム的な横暴を避けようとするかもしれないからだ。

だが同時に、彼女がファシズムの失敗を研究した上で、より狡猾な方法でファシズムの悪を実践しようとするかもしれない、という懸念もむろんある

なにはともあれ、今このときのイタリアの世論は、右派連合の政権奪還を容認し、メローニ党首の首相就任を「受身」な形ながら是認しているように見える。

それは2018年の総選挙で、イタリア国民が極左の五つ星運動の躍進を容受したいきさつと同じだ。

イタリア国民の大半は現在、バラマキに固執する左派の政策にうんざりしていて、そこに明確に反対する右派に期待を寄せていると考えられる。

実は右派もまたバラマキと変わらない政策綱領も発表している。だがそれは左派の主張より目立たない形での提案なので、国民は大目に見ているというふうだ。

ネオファシスト的体質の、将来のメローニ首相は、選挙戦中と同様に“保守主義者”として自らをアピールしまた政策を推進しようとするだろう。

ファシズムを容認するイタリア国民は皆無に等しい。だから将来のメローニ首相は、国民の気分に合わせるスタンスで政権を運営すると思う。

彼女を批判する場合の最も強い言葉は、例えば保守強硬派、強権主義、保守反動などで、ファシストという言葉は使われないし、使えないに違いない。

ファシズムという言葉がそれだけ侮辱的で危険なものだからだ。そして繰り返しになるが、ファシスト色を帯びた彼女の正体は、彼女自身も認めることをためらう程の悪であるからだ。

そしてその躊躇する心理が、彼女のファシズム的な体質を矯正し、政策をより中道寄りに引き戻して危険を回避する効果があると考えられる。

その傾向はイタリアではより一層鮮明になる。

政治勢力が四分五裂して存在するイタリアでは、極論者や過激派が生まれやすい。

ところがそれらの極論者や過激派は、多くの対抗勢力を取り込もうとして、より過激に走るのではなくより穏健になる傾向が強い。

そこには自由都市国家が乱立して覇を競ったイタリアの歴史が大きく関わっている。分裂国家イタリアの強さの核心は多様性なのである。

イタリア共和国には、都市国家群の多様性が今も息づいている。そのため極論者も過激思想家も跋扈するものの、彼らも心底では多様性を重んじるため、先鋭よりも穏便に傾斜する。

いわば政治的に過激な将来のメローニ首相も、必ずそういう道を辿ると思う。それでなければ彼女の政権は、半年も経たないうちに崩壊する可能性が高い。それがイタリアの政治だ。

極右のメローニ政権が船出する場合の危険と憂鬱は、彼女自身が極右に偏り過ぎることではなく、極右政権を支持する「極右体質」の国民が驕って声を荒げ、暴力的になり民主主義さえ否定しようと動くことだ。

右派が政権を奪取すると、小さな地方都市においてさえ暴力の臭いが増して人心が荒む状況になる。それは僕の住む北イタリアの村でさえ同じだ。

信じられない、と思うならばアメリカに目を向ければ良い。

ファシスト気質のトランプ前大統領が権力を握っていた間、アメリカでは暴力的な風潮が強まり人心が荒んだ。

右翼の、特に極右の最大の不徳は、極左と呼ばれる勢力と同様に、昔も今もそしてこれからも、言わずと知れた彼らの暴力体質なのである。







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斧で指を切断したイタリア人学者の武士道

禅円中の鎧武士600


2020年、イタリアが世界に先駆けてコロナ地獄にさいなまれ医療崩壊に陥った時、医師不足を補うために300人の定年退職医師の現場復帰を求めたところ、たちどころに8000人もの老医師の応募があった。

彼らベテランの医師たちは、コロナが主に高齢者を攻撃して死に至らしめることを熟知しながら、年金生活者の平穏な暮らしを捨てて危険な医療の現場に敢然と飛び込もうとしたのだ。

老医師らの使命感と勇気は目覚ましいものだったが、当時は実は一般のイタリア国民も、先行きの見えないコロナパンデミックの恐怖の底で、彼らなりの勇気をふるって必死にコロナと向かい合っていた。

普段はひどく軽薄で騒々しい印象がなくもないイタリア国民の、ストイックなまでに静かで勇猛果敢なウイルスとの戦いぶりは、僕を感動させた

彼らの芯の強さと、恐れを知らないのではないかとさえ見えた肝のすわった態度はまた、作家のダーチャ・マライーニとその父フォスコのエピソードも僕に思い起こさせた。

ノーベル文学賞候補にも挙げられる有力作家のダーチャ・マライーニは、アイヌ文化の研究家だった父親に連れられて2歳から9歳までを日本で過ごした。

第2次大戦末期の1943年、ドイツと反目していたイタリアは連合国と休戦し、日独伊3国同盟の枠組を離れて日本の「友邦」から「敵国」になった。

ヒトラーはイタリア北部に傀儡政権サロー共和国を樹立。日本にいるイタリア人はそのナチス・ファシズム国家への忠誠を誓うように求められたが、ダーチャの両親はこれを拒否した。

その結果、一家は名古屋の収容所に入れらる。家族は敵性国家の国民として収容所で虐待された。

食事もろくに与えられないような扱いに怒りを募らせたダーチャの父フォスコは、待遇の改善を要求して抗議のために斧で自らの左小指を切断した。

フォスコ・マライーニの勇猛な行動に震え上がった収容所の監視役の特高は、ヤギを調達して父親に与えた。

フオスコ・マライーニはその乳を搾ってダーチャと兄弟に与えて飢えをしのいだ

そのエピソードはダーチャの両親やダーチャ自身によってもあちこちで語られ書かれているが、僕は10年以上前に作家と会う機会があって、彼女自身の口からも直に聞くことができた。

父親の豪胆な行動は、日本国家と家族を現場で虐待する看守らへの怒り、と同時に家族を守ろうとするひとりの父親の強い意志から出たものだ。

彼はその行為をいわば切腹のような武士の自傷行為に見立てたのである。

指を切る日本の風習は、武家社会で誓文に血判をする時などに見られたもの。

江戸時代には遊女がそれを真似する陋習が生まれ、それをさらにヤクザが真似しやがて曲解して、いわゆる「指詰め」の蛮習へと発展する。

フォスコ・マライーニの記憶の中には、武士の自傷行為は潔癖と勇猛の徴として刻まれていた。彼は武士に倣って激烈な動きで異議申し立てをしたのである。

収容所で一家を監視していたのは前述の特高である。彼らの多くは粗野で小心で品性下劣だった。旧日本軍の中核を成していた百姓兵士と同列の軍国の走狗である。

今で言えば、正体を隠したままネット上で言葉の暴力を振るうネトウヨ・ヘイト系排外差別主義者や、彼らに親和的な政治家、似非文化人、芸能人等々のようなものか。

収容所では侍の精神は日本人ではなく、フオスコ・マライーニの中にこそ潜んでいた。

フォスコ・マライーニの壮烈なアクションは、コロナパンデミックの最中に死地に赴こうとした8000人のイタリア人老医師の勇気に通底している。

8000人の年老いた医師の魂の中には、カトリックの教義の刷り込みがある。片やフォスコ・マライーニの魂には、最善の形での武士の精神の刷り込みが見られる。

そしてそれらの突出した強さは-繰り返しになるが-コロナ地獄の中では一般の人々によってもごく普通に顕現されていた。

善男善女によるボランティアという形での献身と犠牲の尊い働きがそれだ。

死と隣り合わせの医療現場に突き進んだ退役医師のエピソードはほんの一例に過ぎない。

当時は多くのイタリア国民が、厳しく苦しいロックダウン生活の中で、救命隊員や救難・救護ボランティアを引き受け、困窮家庭への物資配達や救援また介護などでも活躍した。

イタリア最大の産業はボランティアである。

イタリア国民はボランティア活動に熱心である。彼らは誰もがせっせと社会奉仕活動にいいそしむ。

善良なそれらの人々の無償行為を賃金に換算すれば、莫大な額になる。まさにイタリア最大の産業だ。

無償行為の背景には、自己犠牲と社会奉仕と寛容を説くカトリックの強い影響がある。

カトリックの教義は、死の危険を顧みずに現場復帰を申し出た老医師らの自己犠牲の精神と、ボランティアにいそしむ一般国民の純朴な精神の核になっている。

それはさらに、学者であるフォスコ・マライーニが、家族のためにささげた自己犠牲、つまり斧で自分の指を切断するという果断な行為にもつながっている。

武士道は筋肉を鍛え上げたサムライの険しい肉体だけに宿るのではない。

自己犠牲を恐れないか弱い女性や善良な男たち、また年老いた医師たちの中にもある気高く尊い精神なのである。





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