毎年6月2日はイタリアの共和国記念日。祝日である。
第2次大戦後の1946年6月2日、イタリアでは国民投票により王国が否定されて、現在の「イタリア共和国」が誕生した。
イタリアが真に近代国家に生まれ変わった日である。
そのおよそ1年前の1945年4月25日、イタリアはナチスドイツとその傀儡だった自国のファシズム政権を放逐した。
日独伊三国同盟で結ばれていたドイツとイタリアは、大戦中の1943年に仲たがいしイタリアはドイツに宣戦布告。完全に敵同士になっていた。
ナチスドイツとその操り人形と化していたムッソーリーニに立ち向かったのは、イタリアのレジスタンスである。
イタリアのレジスタンス運動は自由主義者・共産主義者・カトリック教徒・社会主義者の四者で構成された。
それはつまりファシストと、それ以外の全てのイタリア人の戦い、と形容しても過言ではない広がりだった。
既述のように彼らは1945年4月25日、ムッソーリーニとナチスを完全撃滅した。むろんそこには連合軍の後押しがあった。
世界の主な民主主義国は、日本やイギリスなどを除いて共和国体制を取っている。
民主主義国には共和制が最もふさわしい。
共和制は民主主義と同様にベストの政治体制ではない。あくまでもベターな仕組みだ。
しかし、民主主義と同じように、われわれは今のところ共和制を凌駕する政治制度を知らない。
ベストを知らない以上、ベターが即ちベストだ。
それはここイタリア、またフランスの共和制のことであり、ドイツ連邦やアメリカ合衆国などの制度のことだ。
その制度は「全ての人間は平等に造られている」
という人間存在の真理の上に造られている。
民主主義を標榜するするそれらの共和国では、主権は国民にあり、その国民によって選ばれた代表によって行使される政治システムが死守されている。
多くの場合、大統領は元首も兼ねる。
真の民主主義体制では、国家元首を含むあらゆる公職は主権を有する国民の選挙によって選ばれ決定されるべきだ。
つまり国のあらゆる権力や制度は、米独仏伊などのように国民の意志によって創設されるべきだ。
その意味では王を頂く英国と天皇制を維持する日本の民主主義は歪だ。
予め人の上に人を創出しているその仕組みは、いわば精神の解放を伴わない不熟な民主主義という見方もできる。
世界には共和国と称し且つ民主主義を標榜しながら、実態は独裁主義にほかならない国々、例えば中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国なども存在する。
共和国と民主国家は同じ概念ではない。そこを踏まえた上で、「共和国」を飽くまでも国民の意志に基づく政治が行われる「民主主義体制の共和国」、という意味で論じてみた。