【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

あまりにも、イタリア的な・・

プーチン信徒もはびこるイタリアの度量


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前回エントリーで、プーチン“悪の根源”大統領を受身に擁護する、ジュゼッペ・コンテ前イタリア首相を批判した

彼の名誉のために付け足すと、プーチン大統領を名指しで非難しないイタリアの有力政治家は、ほかにも少なからずいる。

その筆頭がマッテオー・サルヴィーニ同盟党首である。極右とも規定される同盟のトップは、かねてからプーチン大統領を崇拝し、彼を称揚する言動を堂々と展開してきた。

サルヴィーニ党首は先日、ウクライナからの難民に連帯を示したいと称してポーランドを訪れたが、プーチン大統領支持の正体を見抜かれて現地の人々の総スカンを食らった

サルヴィーニ党首は、プーチン大統領とともにトランプ前大統領も敬する。

サルヴィーニ党首はポーランドで叱責を受けた際、ロシアのウクライナ侵攻は良くないことだ、としぶしぶ認めたが、その後はコンテ前首相と同じく、“プーチン”という名を一切口にせず、むろんロシアを非難することもしない。

支持するとまでは表明しないものの、沈黙を守ることでプーチン大統領を支持した、もう一人の大物政治家もいる。ベルルスコーニ元首相である。

プーチン大統領と親密な元首相は、ロシアがウクライナで殺戮を繰り返すのを目の当たりにしながら、当初は同大統領を全く指弾しなかった。

ベルルスコーニ元首相はおよそ一ヵ月後、これまたしぶしぶという風体でロシアの蛮行を初めて批判した。

そして4月9日、自身が党首を務めるFI党の党大会で「プーチン大統領には失望した」と強い調子で友人の独裁者を糾弾した。

遅きに失した感はあるが、だんまりを決め込んだり、消極的にあるいは受け身にプーチン大統領支持に回るよりは増しだろう。

醜聞にまみれたベルルスコーニ元首相には多くの批判がある。だがそのことはさて置いて、彼は政治的には、いわゆる「欧州の良心」から大きく逸脱することは一貫してなかった、と僕は思う。

プーチン大統領を擁護する勢力は、イタリアにおいても左右の極論者が多い。左の代表が前述したようにコンテ前首相であり、右の極論者がサルヴィーニ同盟党首である。

彼らはトランプ主義者である点でも共通している。

僕が知る限りコンテ前首相は公にトランプ前大統領を称揚したことはない。だが彼の上に君臨する五つ星運動創始者のグリッロ氏は、隠れなきトランプ礼賛者でありプーチン追従者だ。

コンテ前首相は、残念ながら彼のボスに倣って、ここのところは“プーチン”という言葉を全く口に出さない主義を貫いている。

そのようにイタリアでは、他の先進民主主義国では中々見ることができない衝撃的な政治実況に出くわすことも珍しくない。

つい先日まで首相の座にあった者や10年近くも首班を務めた政治家、あるいは世論調査で支持率1、2位を争う政党の党首などが、今このときのロシアの蛮行を見て見ぬ振りをしたり、あまつさえ支持するなど、ほとんどあり得ないことではないか。

イタリアではそれが堂々となされることも少なくない。

イタリア政治の特徴は多様性だ。それは傍目には混乱に映ることも多い。

事実、混乱も起きるが、イタリア共和国は混乱では崩壊しない。国家の中にかつての自由都市国家群が息づいているからだ。

仮にイタリア共和国が崩壊しても、歴史的存在の自由都市国家群はしぶとく生き残って、さらなる歴史を継承していくことが確実だ。

イタリア共和国とは、つまり、決して崩壊しない一つ一つの自由都市国家の集大成だ。従ってイタリア共和国自体もまた崩壊することはない、とも言える。

むろんイタリアが民主主義国家であり続ける限り、イタリア共和国の「民主的な解体」はいつでも起こり得る。

そのイタリア共和国は、たとえばBrexitに走った英国や、国民連合が台頭するフランス、またドイツのための選択肢を抱えるドイツなどとそっくり同じだ。

つまり他の西側諸国がプーチン・ロシアの愚行を受け入れることがないように、イタリア共和国がプーチン大統領の悪行に寄り添うことはあり得ない。

だがイタリアの国民的合意には、イタリア的多様性がもたらす不協和音に似た耳障りな響きも、またくっきりと織り込まれているのが常なのである。




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残念なジュゼッペ・コンテ前首相 

コンテ白黒横長

イタリアは2024年までに防衛費をGDP(国内総生産)の2%に引き上げるとしたNATOとの合意を反故にした。

連立政権を構成する五つ星運動の党首、コンテ前首相が激しく反対したからである。

コンテ前首相は、2019年に当時首相だった自分自身がNATOと約束した防衛費の増額を否定したのだ。

それによって彼は、右顧左眄と民心扇動が特徴的なポピュリスト政党のトップであることを如実に示した。

彼の主張は五つ星運動の目玉であるバラマキ策、「最低所得保障(reddito di cittadinanza 」とも深く結びついている。

コンテ氏が首相だった2019年、五つ星運動のゴリ押しが功を奏して、イタリア政府は低所得者層に一定の金額を支給し始めた。

コンテ政権は同年、NATOとの防衛費増額にも合意した。

ところが最近になってコンテ前首相は、イタリアを含む欧州が、プーチン・ロシアに侵略されるかもしれない危険に備えるための防衛費増は認めない、と声高に主張し始めたのだ。

弱者を援助するという名目で票集め用に金をバラまくのは構わないが、安全保障は天からの恵みで自然に備わるものだから気にしなくてもよい、とでも考えているのだろうか。

イタリア共和国がロシアによって破壊された場合、貧者も富裕者も関係がなくなり誰もが等しく地獄に落ちる。そんな瀬戸際に陥らないための防衛費増である。

NATOとEUを含む欧州各国が、歴史を大転回させるほどのロシアの凶行に太平の夢を破られて緊張し、欧州全体を守るために団結して即座の防衛費増を決めた。イタリア一国の問題ではないのだ。

言うまでもなく弱者は救済されるべきだ。だがそれは国が存続してはじめて可能になる事案だ。国が破壊されたら弱者への援助どころか、金持ちも貧乏人も何もかも消滅する。

今はその大本の真理のみを凝視して、基本原理に立ち返る努力をするべき時ではないか。

それをしないで詭弁を弄するのは、ロシアのプーチン大統領が「主権国家を侵略してはならない」という 原理原則を踏みにじっておきながら、細部を持ち出して言い訳や詭弁や強弁を声高に主張するのとそっくり同じ行為だ。

ドラギ政権は、コンテ前首相の強硬な反対に遭って、NATOとの合意を変更せざるを得なくなった。五つ星運動が大連立政権内の最大勢力だからだ。

過激は得てして ― それが右か左かには全く関係なく ― 常識を一気に飛び越えて極論に走る。

この場合は極左の五つ星運動が、大本の議論を無視して、たとえロシアからミサイルが飛来しても先ず貧者を助けろ、とわめいているに等しい。

五つ星運動は、ベーシックインカム(最低所得保障)導入に関しても、同じ偏執論理で突っ走った。

だが貧者を援助するための財源は働く人々の税金から出される。ならば先ず働く人々を助けるべきだ。

同時に働かない、あるいは働けない人々を、働くように仕向けることが重用だ。つまりバラマキの前に、仕事を生み出す知恵を働かせるべきである。その上で貧者に手を差し伸べる政策を強化すれば、誰もが納得する。

だが彼らは端からその努力を怠って、財源には全く目を向けることなく金をバラマクことばかりを目指している。そうすれば投票してもらえるからだ。

コンテ前首相は、イタリアがコロナ地獄の底で苦悶していた2020年、強い意志と勇気とポジティブ思考で国民を鼓舞し、厳しい全土封鎖を断行してイタリアを危機から救った。

僕は彼の力量を大いに評価して、そこかしこで褒めそやし喧伝した。

また彼が首相退任後に五つ星運動のトップに迎え入れられた時は、僕が強い違和感を抱き続けてきた五つ星運動を、根底から変えてくれるのではないかとさえ期待した。

コンテ氏は首相時代に五つ星運動の支持を受けてはいたが、そこの所属ではなかったのである。

だが彼は今や、大衆迎合主義政党「五つ星運動」の、過激な本性を身にまとっただけの極論者になりつつある。

いや、もともとそうだった正体が、コロナ禍の混乱が去りつつある現在、徐々に表に出てきたというのが真実に近いだろう。

コンテ前首相は、ウクライナで残虐行為を続けているプーチン大統領を支持する、という信じがたい迷妄の底にも沈んでいる。

正確に言えば、コンテ前首相は、彼のボスである党の創始者、ベッペ・グリッロ氏の「金魚の糞」化して戦争勃発以来ひと言も「プーチン」という言葉を口に出さす、ロシアを表立って批判することもない。

ボスのグリッロ氏がそうしているからだ。あるいは2人が示し合わせてそうしているのかもしれない。

コンテ前首相は、確信犯的にプーチン大統領の名前を口にせず、同時に彼の蛮行から目をそらすことで、プーチン大統領を援護しているのである。

彼が党首を務める五つ星運動は、親中国、親ロシアのポピュリスト政党である。また同党は反体制、反EUも標榜している。

彼らは古い政党や腐った政治家をインターネットを介して糾弾する、という目覚しい手法で急速に支持を伸ばした。

イタリア政界にはびこる腐敗政治家を指弾しようとする姿勢はすばらしい。また弱者に寄り添おうとする取り組みも共感できる。

だが彼らには創造的な政策がない。働く人々が稼いだ国庫の富を、無条件に貧者に分け与えろ!と叫ぶばかり。

その公平な分配法、財源、不正防止策などにはお構いなしだ。そして致命的なのは、繰り返しになるが、貧者のためまた国民のために仕事を創出する、という視点がないことだ。

そうした無責任な体質が、党首であるコンテ前首相のプーチン大統領への「受身の支持」を招き、NATO軽視、安全保障無視のスタンスを呼び込んでいる。

彼らが極左のポピュリスト、と規定され批判されるゆえんである。

極左、とは過激派という意味である。その部分では彼らは、右の過激派である極右の同盟やイタリアの同胞などと寸分違わない。極論には右も左もないのである。

コンテ前首相はつまるところ、左の過激派と呼ばれても仕方のない言動に終始している。

プーチン・ロシアの脅威を排除するための軍事費の増額を批判して、その金を貧者に回せ、と叫ぶのは平和時なら正しい。

だが平和が危機にさらされている状況では、まず平和維持を追求するのが筋だ。

また、蛮行に突っ走るプーチン大統領を、コンテ前首相がこの期に及んでも批判しない了見は、全く理解できない。それどころかほとんど狂気の沙汰だ。

2020年のイタリア全土ロックダウン時の彼の八面六臂の活躍は、もはや帳消しになったと言っても過言ではないだろう。

残念至極である。




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イタリアの化けは偽者かもかい?の答えは残念ながら YESだ!


ブルーマンチーニ&選手ら背景650


イタリアが2大会連続でワールドカップ出場を逃した。

あきれてものが言えず、おどろきで涙も出ない。

1年遅れで昨年開催されたEURO2020の覇者が、北マケドニアという人口200万とちょっとの国のささやかなチームに負けて予選敗退。

EURO2020で燃えに燃えた「燃え尽き症候群」といえばカッコいいが、また実際にそうなんだろうが、「ざけんなよコノヤロー、人の楽しみを2回も奪いやがって」という気分だ。

イタリアサッカーの大ファンの1人として、やっぱり次のことも言っておいてやる。

「イタリアには燃え尽き症候群という高級な病気にふさわしい超一流プレーヤーなどいない!ゼイタク言うな!」


昨年11月末、僕は:

イタリアの化けは偽者だったかも、かい?

という記事をここに書いた。その中に言いたいことの多くが込められているの

で、併せて読んでもらいたい。


閑話休題


結論を先に言ってしまえば、イタリアにはやはり違いを演出できる優れたファンタジスタ(ファンタジーに富む創造的なフォーワード)が必要だ。

イタリアの常勝監督の一人ファビオ・カペッロ氏は、サッカーでは監督の力量が影響を及ぼすのは15%ほどに過ぎない、と語ったことがある。

理論も実際もまた実績も超一流の監督の見解が、正しいかどうかは誰にも分からない。

カペッロ監督にも匹敵する力量の持ち主であるマンチーニ監督は、イタリアが60年振りにW杯出場を逃した2018年に就任した。

そしてすぐに改革を断行し、チームを強力軍団に作り上げた。

そうやってイタリアは2021年、53年振りに欧州選手権を制した。

そこまでのマンチーニ監督の貢献は70%、もしかすると80%程度にもなるのではないか、と僕は個人的に感じていた。

マンチーニ監督は、イタリアがW杯に出場して活躍し、あわよくば5度目の優勝を目指す、という明確な目標を掲げて監督に就任した。

ところがマンチーニ・イタリアは、いま触れたようにW杯を待たずに、W杯にも匹敵する厳しい欧州杯を制した。

彼の力量はますます高く評価され、カタールW杯への期待が一層高まった。

そんな折りにイタリアは再びコケた。

それでもマンチーニ監督の続投が決まった。

僕はその決定に賛成である。

だが、彼の能力が選手のそれを凌いでチームが勝ち進む、という幻想からは完全に決別すると決めた。

イタリアはやはり、1人あるいは2人の天才プレーヤーを中心に、9人~10人の世界クラスの選手が進撃する形を目指すべきだ。

それがイタリアサッカーの強さであり同時に面白さだ。

イタリアには次なるバッジョ、デルピエロ、トッティ、ピルロが必要だ。

早く出て来いスーパー・ファンタジスタよ!!



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ロシア包囲網でのイタリアの立ち位置

伊ウク国旗650

新聞、テレビ、ネットをはじめとするとするありとあらゆるメディアが、昼も夜もそして真夜中でさえも、ウクライナにおけるプーチン・ロシアの蛮行をこれでもかとばかりに伝え続けている。

戦争は世界中で一日の休みもなく行われている。だが情報開示が当たり前に展開されている欧州で、実戦が進行するのはきわめて異例のことだ。

欧州は紛争や対立を軍事力で解決するのが当たり前だった野蛮且つ長い血みどろの歴史を経て、それを話し合いと外交で解決しようとする、開かれ教化された進歩的民主主義の道を確立した.

片やロシアは、未だそこに至らない未開国であることが明らかになった

情報を隠し、歪め、虚偽を垂れ流すプーチン・ロシアは欧州の一部ではない。それはアジアである

ここで言うアジアとは、民主主義を理解しない中国的、アラブ的、日本右翼的勢力の全てだ。つまり未開で野蛮で凶悪なアジア的精神。

敢えて日本のみに目を向ければ、残虐でどう猛で卑怯な戦闘集団だった旧日本軍と軍国主義日本の過去を直視しようとせずに、むしろそれを隠蔽し否定し都合のよい情報のみを言い立てて、歴史を修正しようとするネトウヨ系排外差別主義勢力のことだ。

自由と民主主義を死守する西側世界は、アジアに属するロシアとは全く逆の社会状況にある。そこでは横暴と欺瞞と悪意に支配されたプーチン・ロシアの情報操作の実態が、あらゆる角度から暴かれている。

欧州の全ての国は、ウクライナ危機が自国にとって対岸の火事ではないことを実感している。ウクライナが陸続きで地理的に近く、且つ欧州の過去の血みどろの大戦や闘争の記憶が人々に共有されているからだ。

そして何よりもロシアのプーチン大統領が、民主主義の精神とはかけ離れた独善と悪意と暴力にまみれた異様な指導者であることが再確認されたからだ。

ロシア包囲網に断固とした意志で参加しているイタリアは、歴史的にロシアと親和的な関係を築いてきた。イタリアが長く欧州最大の共産党を有してきたからだ。同じ動機でイタリアは中国とも親しい

それはだが近代史における政治ゲームに過ぎない。独立心旺盛で自由な都市国家が統一国家イタリア共和国の真髄である。イタリアの核心は政治ゲームの主体ではなく、それらの都市国家がもたらす多様性なのである。

国家構成の基底に多様性が居座っているイタリアは、対外的にも多様で実践的な政治体制を維持している。敢えてひとことで分かり易くいえば、イタリアは世界中のあらゆる国と親和的なのである。少なくともその意志を秘めて世界に対しているのがイタリア共和国だ。

それは八方美人とか日和見主義を意味するのではない。自立志向の強い都市国家群を統一国家内に含む場合の必然の帰結である。言葉を変えれば中央政府は、国内にある多種多様な意見や意思を絶えず尊重し耳を傾け続けなければならない。

そのスタンスは対外的にも増幅されてイタリア共和国の立ち位置を規定していく。つまりそこでも多様性を重視する姿勢になる。イタリアは歴史的にもまた思想的にも、誰とでも共存しなければならない性根を持っている。あるいは誰とでも親和的でなければならない性根に縛られている。

イタリアとロシアは、地理的には遠い間柄ながらも、歴史的に良好な関係を保ち続けてきた。専門家の中にはその状況を指して「イタリアは欧州におけるロシアのもっとも親しい国である」と断定する者さえいる。

イタリアはプーチン大統領自身とも友好的な関係にある。その善し悪しは別にして、現代イタリア最大の政治的存在であるベルルスコーニ元首相は、プーチン大統領とは親友同士とさえ呼べる仲である。

86歳の元首相は2022年3月19日、性懲りもなく53歳年下の女性と3回目の結婚式を挙げた。彼の友人のプーチン大統領は、ウクライナへの暴力行使で忙しくしていなければ、あるいは結婚式に出席していたかもしれない。

また極右政党「同盟」と「イタリアの同胞」のサルヴィーニ、メローニの両党首は、相変わらずプーチン大統領を賞賛して止まない。イタリア中がプーチン大統領の残虐な戦争に怒りをあらわにしているため、彼らも戦争反対と口では言っている。だが本心は相変わらずプーチン万歳というところだろう。

ポピュリストの彼らは時勢が右といえばそれに追随し、左といえばそれに媚びる。節操もなく信義もなく核もない。あるのは粗暴で抑圧的な感情と怒りだ

そして極右の2政党とベルルスコーニ党が手を組んで選挙に臨めば、イタリアは世論調査の数字上は、明日にでも彼らに統治されることがほぼ確実な情勢だ。

だがそれらプーチン愛好家の人々の願いも空しく、イタリア政府は今のところはNATOまたEUとぴたりと歩調を合わせてロシアに歯向かっている。そしてロシアは、イタリアを敵性国家と規定しエネルギー供給を止める、などと脅してさえいる。

イタリアはエネルギー源であるガスの90%を国外から輸入している。そして総輸入の45%がロシア産である。イタリアはEU加盟国の中では、ガスの5割以上をロシアから購入しているドイツに次いでロシアへの依存度が高い。

2014年~15年のクリミア危機では、イタリアの当時のレンツィ政権は、ロシアと関係が深い国内のエネルギー業界の抵抗に遭って、ロシアに対して強硬措置が取れなかった。ドイツも同じ状況だった。

だが両国は、今回のロシアの蛮行に際しては揃って立ち上がり、他の国々と歩調をあわせてロシアに対峙している。

イタリアが速やかに行動できたのは、ドラギ政権の力によるところが大きい。

2021年に政権を握ったマリオ・ドラギ首相は、ほぼ全ての政党が一致団結して政権を支持している事実と、首相自身の求心力の強さを背景にEUにぴたりと寄り添い、対ロシアへの強硬路線を取っている。

イタリアはロシアがウクライナに侵攻して間もなく、11千万ユーロをウクライナ政府に提供すると表明した。またNATOには、今後2年間であらたに17400万ユーロの貢献をすることも決めた。同時にウクライナ難民には難民申請を出さなくてもイタリア滞在が可能になる措置を取っている。

さらにイタリアは、ひとまず合計約5000人の兵士をウクライナ周辺国へ送る決定も下した。ハンガリーとルーマニアにはそのうちの3500人が派遣される。ルーマニアでは同国の空軍をイタリア空軍が指導しサポートする。

加えてイタリアは、ウクライナ危機を国家非常事態宣言下に置くことも決めた。それによって政府はコロナ禍中と同様に、緊急の規制や法律を国会の承認を得ることなく施行することが可能になる。

イタリアを含む欧州は、静かにだが断固とした意志で、プーチン独裁政権に対抗して臨戦態勢に入っていると形容しても過言ではない。





サラミを手土産に早く日本に帰りたい

各種サラミ650

まだ希望的観測の類ではあるものの、コロナが終息しそうだからと、日本帰国に備えてお土産を考え始めた。

するとそこにウクライナ危機が勃発して、気分が元の重さに逆戻りしてしまった。

コロナも戦争もなく、欧州もむろん日本も平和だったころ、僕は新聞に次のような趣旨のコラムを書いた。


               イタリアみやげ

かさばらない、腐らない、気どらない。それでいてイタリア的、とういうのが僕の日本へのおみやげ選択の条件である。例えばとてもイタリア的なものであるワインはかさばる。またうまいチーズや生ハムは腐りやすい。デザイン系の装飾品やファッションなどは気どる。試行錯誤を経てたどりついたのがサラミである。

サラミはかさばらず、腐らず、気どらず、しかも大いにイタリア的である。イタリアの食の本筋である肉のうま味が凝縮されていて、そのうえ優れた保存食という重大な一面もある。ところが、サラミは都会の人々には好まれるものの、田舎ではあまり人気がない。生ハム等に比べると香りや味に特徴があって、慣れない者には食べづらい印象もある。そのせいかどうか、たとえば東京あたりの友人知己には喜ばれるが、地方では人気がない。

僕の故郷の南の島々では、豚肉がよく食べられるのに豚肉が素材のサラミはもっと人気がない。地方の人は日本でもイタリアでも新しい食べ物を受けつけない傾向がある。いわゆる田舎者の保守体質というものであろう。

生まれも根っこも大いなる田舎者である僕は、白状すると、イタリアに来て丸2年間ほぼ毎日食卓に出るサラミを口にできなかった。2年後に思い切って食べてみた。

以来、今ではサラミや生ハムのない食事は考えもつかない。

僕は自分が体験した喜びを親しい人々に味わってもらおうと、いつもサラミを島に持ち帰っている。だが、歓迎されないおみやげは贈る自分もあまり喜ばず、正直少し疲れを覚えないでもない。


日本はその後、、口蹄疫、ASF(アフリカ豚熱)、高病原性鳥インフルエンザなどの家畜伝染病の侵入を防ぐため、という理由で海外からの肉や肉製品の個人持込みを禁止した。

僕のイタリア土産の主力打者であるサラミももちろん持ち込み禁止になった。

イタリアは衛生管理の厳しい先進国である。言うまでもなくサラミや生ハムほかの製品は、峻烈な生産工程を経て店頭に出る。

しかもイタリアの加工肉の種類の豊富と品質は、日本が逆立ちしてもかなわない。またその安全性はまぎれもなく世界のトップクラスである。

肉製品だけに関して言えば、あるいは日本のそれよりも安全であり安心できるとさえ感じる。

なので僕は、サラミの日本への持ち込み禁止措置なんて一時的な対策に過ぎない。すぐに解除になると考えた。

ところがどっこい2019年、禁止措置は強化されて、海外からの畜産物の持込みには3年以下の懲役、または最高100万円の罰金が科されることになった。

しかもそれだけでは終わらなかった。

翌2020年7月には家畜伝染病予防法が改正され、懲役は同じだが罰金は最高300万円にまで引き上げられたのである。

正直、目が点になった。鎖国メンタリティーの日本の面目躍如、と思った。

コロナ禍中での外国人締め出し措置に似た、日本独特の異様な政策だと今も思う。

趣旨は分かるのである。島国の利点を活かした厳格なやり方で、合理的に行えば感心できる。

だが、日本人と外国人の区別をしないウイルスをつかまえて、日本人の入国はOKだが外国人はNGというのでは、排外差別主義的な政策だと批判されても仕方がない。

肉製品の全面持込み禁止措置は、むろんコロナ政策と同じではない。が、コロナ対策に似たいわばヒステリックな思い込みが見え見えでうっとうしい。

あえてイタリアと日本の間柄だけに限って言う。

イタリアの加工肉の最高傑作である生ハムやそれに匹敵するサラミの日本への持込み禁止は、例えばイタリア政府が「イタリアでは寿司や刺身の消費を厳禁する」と言い張ることがあるとしたなら、それと同じ程度に愚劣きわまりない施策である。




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先祖返りするイタリア

鈴蘭?白650

イタリア憲法裁判所は安楽死の是非を問う国民投票を実施しない、と審判を下した。

2月15日のことである。

イタリアでは安楽死を合法化しようという気運が高まって昨年8月、国民投票を求める署名運動が75万人を突破した。

この国では50万人以上の署名で、国民投票を要求できる決まりがある。

だが憲法裁判所は、国民投票で安楽死が認められれば、憲法が保障する最低限の生命保護の義務が守られなくなる、として弱者への配慮を示す形でこれを否定した。

イタリア生命倫理委員会は昨年11月、安楽死を切望する四肢の麻痺した40歳の男性の自殺幇助を認めた。

史上初の出来事だった。

イタリアでも安楽死を求める声は年々高まっている。だから国民投票を要求する署名が多く集まったのだ。

回復不可能な病や心身の耐え難い苦痛にさらされた人々が、自らの明確な自由意志によって安楽死を願う場合には許されるべきだ。

それが文明国のまっとうな在り方だと思う。

北欧やスイスなどではそれは法制化されている。

だがここイタリアでは難しい。自殺を厳しく戒めるローマ教会の影響が大きいからだ。

それでも昨年、ついに法制化に向けての国民投票が実施される、という観測が高まったのだった。

だが憲法裁判所の拒絶でイタリアは未開国へと先祖返りした。

今後は安楽死の法制化の是非は、国会で審議されていくことになる。







長いものに巻かれている者には見えないイタリア民主主義の精妙

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1月24日に始まったイタリア大統領選は、8回目の全体投票で現職のマタレッラ大統領を再選して幕を閉じました。

2期連続で大統領を務めるのは、前職のナポリターノ大統領に続くもの。議会が適任者を絞り込めず、続投を辞退するマタレッラ大統領にいわば懇願して了解を得ました。

2013年の大統領選では、ナポリターノ前大統領が高齢を理由に2期目を固辞しまたが、議会有力者が泣きついて立候補を受諾させました。

ナポリターノ大統領は高齢のため2期目の任期途中で引退しました。マタレッラ大統領も再び同じ道を歩もうとしているのかもしれません。

選挙戦は事前の予想通り紆余曲折七転八倒、行き当たりばったりの政治狂宴になりました。

イタリアのある大手メディアはそれを「各政党は合意できない弱さと混乱と無能ぶりをさらけだした」という表現で嘆きました。

その論調は筆者にため息をつかせました。

なぜなら彼らは、イタリアのメディアでありながら、イギリスやドイツやフランスやアメリカ、またそれらの国々を猿真似る日本などのジャーナリズムの視点で物を見ています。

イタリアの各政党の「弱さと混乱と無能」は今に始まったことではありません。

イタリアの政治は常に四分五裂して存在しています。そのために一見弱く、混乱し、無能です。

四分五裂はイタリア共和国とイタリア社会と、従ってイタリア政治の本質です。

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「四分五裂する政治」を別の言葉でいえば、多様性であり、カラフルであり、盛りだくさんであり、万感せまるワイドショーであり、選り取り見取りネホリンパホリン、ということです。

多様性は混乱にも見えます。だがイタリアには混乱はありません。イタリアの政治にも混迷はありません。

そこにはただイタリア的秩序があるだけです。「カオス風」という名のイタリア独特の秩序が。

多様性に富む社会には極端な思想も出現します。過激な行動も生まれます。

例えば今が旬のイタリアの反ワクチン過激派NoVax、極左の五つ星運動、極右の同盟またイタリアの同胞など、など。

イタリアにおける政治的過激勢力は、国内に多くの主義主張が存在し意地を張る分、自らの極論を中和して他勢力を取り込もうとする傾向が強くなります。

つまり、より過激になるよりも、より穏健へと向かう。

それがイタリア社会の、そしてイタリア政治の最大の特徴である多様性の効能です。

2大政党制の安定や強力な中央集権国家の権衡、またそこから生まれる国力こそ最善、と考える視点でイタリアの政治を見ると足をすくわれます。

イタリア共和国の良さとそして芯の強さは、カオスにさえ見える多様性の中にこそあるのです。

その屋台骨は、「各政党の合意できない弱さと混乱と無能」が露呈する国政を尻目に、足をしっかりと地に着けて息づいているイタリアの各地方です。

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国のガイドラインがなくてもイタリアの各地方は困りません。都市国家や自由共同体として独立し、決然として生きてきた歴史のおかげで、地方は泰然としています。

イタリア国家が消滅するなら自らが国家になればいい、とかつての自由都市国家群、つまり旧公国や旧共和国や旧王国や旧海洋国などの自治体は、それぞれが腹の底で思っています。

思ってはいなくても、彼らの文化であり強いアイデンティティーである独立自尊の気風にでっぷりとひたっていて、タイヘンだタイヘンだと口先だけで危機感を煽りつつ、腹の中ではでペろりと舌を出しています。

「イタリア国家は常に危急存亡の渦中にある(L`Italia vive sempre in crisi)」と、イタリア人は事あるごとに呪文のように口にします。

それは処世術に関するイタリア人の、自虐を装った、でも実は自信たっぷりの宣言です。

統一からおよそ160年しか経たないイタリア共和国は、いつも危機的状況の中にあります。

イタリア共和国は多様な地域の集合体です。国家の中に多様な地域が存在するのではありません。

つまり地域の多様性がまず尊重されて国家は存在する、というのがイタリア国民の国民的コンセンサスです。

だから彼らは国家の危機に対して少しも慌てません。慣れています。アドリブで何とか危機を脱することができると考えているし、また実際に切り抜けます。歴史的にそうやって生きてきたのです。

イタリア大統領選出のために国会議員が好き勝手に言い合い争っているのも、イタリアの多様性のうちの想定内の出来事。

誰もあわてません。

そして終わったばかりのイタリア大統領選は、いつものように国家元首である大統領を選ぶ舞台であると同時に、イタリアのカオス風の多様性と、強さと、イタリア式民主主義のひのき舞台でもあった、と筆者は思います。


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カオス風に秩序立って進んだイタリア大統領選

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イタリア大統領選は現職のマタレッラ大統領が「続投」という最善の結果になった。

1月24日に始まった選挙戦は事前の予想通り紆余曲折、七転八倒、行き当たりばったりのドンチャン騒ぎになった。

イタリアのある大手メディアはそれを「各政党は合意できない弱さと混乱と無能ぶりをさらけだした」という表現で嘆いた。

その論調は僕にため息をつかせた。

なぜなら彼らは、イタリアのメディアでありながら、イギリスやドイツやフランスやアメリカ、またそれらの国々を猿真似る日本などのジャーナリズムの視点で物を見ている。

イタリアの各政党の「弱さと混乱と無能」は今に始まったことではない。

イタリアの政治は常に四分五裂して存在している。そのために一見弱く、混乱し、無能である。

四分五裂はイタリア共和国とイタリア社会と、従ってイタリア政治の本質なのである。

四分五裂を別の言葉でいえば、多様性であり、カラフルであり、盛りだくさんであり、万感せまるワイドショーであり、選り取り見取りネホリンパホリン、ということである。

多様性は混乱にも見える。

だがイタリアには混乱はない。

イタリア政治にも混迷はない。

そこにはただイタリア的秩序があるだけだ。「カオス風」という名のイタリア独特の秩序が。

多様性に富む社会には極端な思想も出現する。過激な行動も生まれる。

例えば今が旬のイタリアの反ワクチン過激派NoVax、極左の五つ星運動、極右の同盟またイタリアの同胞など、など。

イタリアにおける政治的過激勢力は、国内に多くの主義主張が存在し意地を張る分、自らの極論を中和して他勢力を取り込もうとする傾向が強くなる。

つまり、より過激になるよりも、より穏健へと向かう。

それがイタリア社会のそしてイタリア政治の最大の特徴である多様性の効能である

2大政党制の安定や強力な中央集権国家の権衡、またそこから生まれる国力こそ最善、とする視点でイタリアを見ても仕方がない。

イタリア共和国の良さとそして芯の強さは、カオスにさえ見える多様性の中にこそある。

そしてイタリア大統領選は、国家元首である大統領を選ぶ舞台であると同時に、イタリアのカオス風の多様性と、強さと、イタリア式民主主義のひのき舞台でもある、と僕は思うのである。




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イタリアの級長を選ぶ大統領選挙

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イタリア大統領選挙は投票6日目に入った。

コロナ感染防止の観点から、当初一日に2回投票を行う慣わしを1回に改めて始まったが、途中から古例に戻って一日に2回の投票が実施されている。

状況が混沌として終わりが見えないため、一日に2回の慣行に戻して選出作業を加速させようというわけである。

僕は大統領選から片時も目が話せないでいる。

ここまでの状況は下記の記事ほかに書いてきた。

https://terebiyainmilano.livedoor.blog/archives/52320615.html

https://terebiyainmilano.livedoor.blog/archives/52320809.html

https://terebiyainmilano.livedoor.blog/archives/52320880.html

https://terebiyainmilano.livedoor.blog/archives/52320899.html

イタリア大統領選の不思議と面白さは、あらかじめ募った候補者がなく、議会内各勢力が勝手に候補者を指名して喧々諤々の心理戦を展開するところである。

しかも繰り出される詭計のほとんどは、衆目監視の中で行われるいわば公然の秘密で、パワーゲームに伴う陰湿さがあまり見られない。

引き続き選挙戦をみているうちに、もう一つ面白いことに気づいた。

選挙戦が進行する議会では、立候補を宣言して顕示欲をむきだしに支持を呼びかける候補者がいない代わりに、党派を超えて愛される人物が選出される。

何かに似ていると思ったら、かつて小学校などで行われた「級長選挙」だった。

今は学級委員長選挙などとと称するのだろうが、昔ながらの「級長選挙」という言葉がしっくりくるのでそう呼ぶことにする。

級長選挙では、利害や欲や権謀術数の集大成ではなく、子供たちに幅広く好かれる児童が選出される。

選ばれる子供は自ら級長になるのではなく、クラス全員に推されてその地位に祭り上げられるのだ。

そこでは自己主張の強い子や、抜け目のない策士や、ちゃっかり者などは排除されて、皆に愛され尊敬される子供が、「皆の手で」級長にさせられるのである。

イタリア大統領も同じ。

乱立する政党と対立する議員の大半に愛される者が大統領になる。

選ばれるその人物は、あわてず騒がず、自己主張も奸智に長けた言動も断じてすることなく、人々の好意と友愛と尊敬が集中するのを、静かに待っている。

イタリア大統領が政治的に公正で人格的に清潔な人物、あるいはそういう印象の強い者に落ち着くことが多いのは、ある意味当たり前の成り行きと言って良い。



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狐と狸の‘正直な’化かし合い?


General view of the Senate

イタリア大統領選はあらかじめ候補者を募る形ではなく、投票権を持つ国会議員と州代表がランダムに名前を挙げて、その周りで駆け引きが行われる。

名前を挙げられた候補者との事前協議やすり合わせなどはなく、選挙人の間で喧々諤々の勝手な心理戦が進行するのである。

その場合、普段から影響力のある各党党首や、幹部議員などが口にする候補者の名前が注目されるのは言うまでもない。

だが、全国民が注目する中で行われる彼らのやり取りは、いわば公然の秘密状態となってわかりやすい。

イタリア大統領は、ほぼ常に政治家を中心とする魑魅魍魎の中から選出される。

そして選出された者は、再びほぼ常に、政治的に公正で人格的に清廉な印象の者に落ち着く。

それは全国民が注目する舞台で、いわば透明性のある根回しや策謀が展開されるからだと考えられる。

衆目のなかで人選が行われイタリア共和国大統領の顔が徐々に見えてくるプロセスが、汚れた政治闘争を浄化する、と形容すれば言い過ぎかもしれないが、そういう雰囲気がある。

あらかじめ候補者を募ることなく選挙戦が展開されるのは、ローマ教皇を選ぶコンクラーベにも似ている。

だが宗教行事であるコンクラーベは完全な密室の中で行われて、選挙人らの間の化かし合いは第三者には全くうかがい知れない。

一方イタリア大統領選の場合は、いま触れたように権謀術策の中身がある程度透けて見えるところが違う。

閑話休題

選挙戦は5日目に入った今日もまだ先が見えない。右派の実力者サルビーニ同盟党首が、カゼラーティ上院議長に執着する「素振り」を見せているが、恐らく彼一流のハッタリではないか。

議会全体の空気は、2013年の大統領選挙と同様に、人気を終えて去ろうとする現職のマタレッラ大統領の続投を望む方向に動いているようだ。

同時に、ドラギ首相を大統領に押す空気もまた、無視できない密度で執拗に漂い、流れている。

2013年には次々に出た大統領候補者が過半数の票を獲得できず、任期を終えるナポリターノ大統領に議会が懇願する形で彼の続投が確定した。

今回も同じ流れになっているが、2013年時との違いは、ドラギ首相というある意味ではマタレッラ大統領を凌ぐ有力者が存在する点である。




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イタリア大統領選の少しの重大

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1月24日に始まったイタリア大統領選挙は、4日目の27日も埒が明かないまま終わった。

選挙は上下両院議員と終身議員、また各州代表あわせて1009人の無記名投票によって行われる。

投票は一日に2回づつ実施されるのが慣例だが、今回はコロナ感染対策の意味合いから、一日1回のみの投票と改められた。

1回目から3回目までの投票では3分の2以上の得票が必要だが、4回目以降は過半数の得票があれば当選となる。

多くの政党が乱立するイタリア議会では、党派を超えた幅広い支持がない限り大統領に選ばれるのは不可能だ。

そこで各党は選出作業を続けながら間断なく話し合いを続け、権謀術数を巡らし、やがて妥協に持ち込んでいく。

投票は無記名で行われる。前もって立候補者を募って投票する通常選挙の形式ではないため、各党間の合意がない間は無効票の白票や棄権票も多い。

戦後の12回の選挙では、第1回目の投票で選出されたケースは2度しかない。10回以上投票を繰り返したことも多く、1971年の選挙では23回目の投票でようやく決まった。

今回も先が読めない選挙戦が展開されている。3日目の投票では、続投を辞退しているマタレッラ大統領に120票余りが集まった。

また依然として、ドラギ首相を大統領に横滑りさせようと画策する勢力も暗躍している。

マタレッラ大統領が翻意せず、有力な候補者も現れない場合には、ドラギ首相を大統領に押す流れが強くなる可能性が高い。

ドラギ首相自身は大統領職への転進を否定していない。むしろ意欲的であるように見える。

国会議員ではない彼は、2023年6月に議会任期が終わって総選挙が行われる際、政権の終焉とともに政局の中心から弾き出されることが確実だ。

だがいま大統領に転進すれば、少なくともこの先7年間は国家元首として影響力を行使することができる。

ドラギ首相は昨年末、「誰が首相になっても仕事ができる環境は整えた」と発言した。

その言葉は、彼が大統領への転進を示唆したものと各方面に受け止められている。

だが広範な政党の支持を集めているいるドラギ首相が退任すれば、イタリアはたちまちいつもの政治危機に陥るだろう。

そして次の政権が話し合いで成立しない場合は総選挙に突入し、極右の同盟とイタリアの同胞が主導するポピュリスト政権が成立する可能性が高い。

その政権の正体は、反EUの排外差別主義者である。彼らはBrexitに倣ってEUからの離脱さえ模索するだろう。

そんな悪夢を阻止するためにも、もうしばらくはドラギ政権が存続したほうがイタリアのためにも、欧州のためにも、従って世界のためにも望ましい。




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尻毛抜きの、涙と笑いとため息に満ちたイタリア大統領選が始まる

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2022年のイタリア大統領選は、オミクロン株が猖獗を極めている中で行われる。そこで通常は1日に2回づつ投票を行う慣例を改めて、1日1回だけ投票を実施すると定められた。

有権者は上下両院議員と終身議員、また各州代表をあわせた1009人。

国会内では対人距離を保つために人数を制限して順番に投票し、議事堂の外には感染者の議員らのためにドライブスルー方式での投票所も設置された。

全員が投票を済ませるには時間がかかるため、1日に1回の投票が限度、となったのである。

イタリア大統領選では正式な候補者は存在せず、形式上それぞれの有権者が思い思いの人物に1票を投じる、という方法が取られる。

そうはいうものの、しかし、彼らの全員が党や党派に属しているため、グループごとに決めた人物に票が行くことになる。

票の行方は常に流動的で、はじめのうちは全く先が読めないケースがほとんどだ。初回投票を含む前半の採決では、欠席者や無効の白票の数も多い。

状況を見て態度を決めようとする動きが活発化するためである。

投票が繰り返されるごとに、いわば人選が進行して有力な候補が明らかになっていく。

投票が反復される舞台裏では、有権者どうしはもちろん党と会派、また派閥や連合などによる話し合いや切り崩しや脅しや賺しなどの権謀術数が繰り広げられる。

3回目までの投票では、当選者は全体の3分の2以上の票数を得ることが要求される。だがそれ以後は過半数の得票で大統領が選出される。

大統領選では、票決を繰り返しながら、もっともふさわしい人物が絞り込まれていくのである。

ふさわしい人物とは、党派を超えた政治的に公正と見なされる人物。人格的にも清廉なイメージの者が好まれるケースが多い。歴代のイタリア大統領はそうやって選ばれてきた。

最も職責にふさわしい人物が、選挙戦が進む過程で絞り込まれていくという形は、ローマ教皇選挙のコンクラーヴェを彷彿とさせる。

またアメリカの大統領選で、民主党と共和党の候補が時間を掛けてふるいにかけられて、適任者が徐々に選び抜かれていくプロセスにも似ている。

今回の大統領選では、現職のドラギ首相が選出される可能性がある。国会議員ではない彼を大統領に祭り上げて、首相職を奪いたい勢力が存在するのだ。

求心力のあるドラギ首相が大統領に横滑りした場合、新たなテクノクラート内閣が発足しない限り総選挙に雪崩れ込んで、極右が主導権を握る右派政権が成立する可能性がある。

むろん選出されたばかりの、且つリベラルの「ドラギ大統領」が、左派の民主党や左派ポピュリストの五つ星運動を取り込んで、極右系の政権の成立を阻止するシナリオも考えられる。

いずれにしても、大連立で安定している現在のドラギ内閣が終焉を迎えれば、イタリアの政局はたちまち混乱に陥る可能性が高い。

選挙初日の段階で大統領候補として名前が挙がっているのは、最も知名度が高いドラギ首相に続いてアマート元首相、ジェンティローニ元首相、マルタ・カルタビア法相、カシーニ元下院議長、など。

マルタ・カルタビア法相が大統領になれば、イタリア初の女性大統領となる。

また現職のマタレッラ大統領の続投の目も消えていない。それどころか、選挙直前になって候補を辞退すると表明した、ベルルスコーニ元首相が復活する可能性もゼロではない。

さらに投票行為が進行するうちに、全く下馬評に上らなかった人物が浮上する可能性もある。出だしでは何も予期できず、同時に何でもありなのがイタリア大統領選なのである。

僕が考える最も理想的な次期大統領は、現職のマタレッラ大統領の続投である。理由は次の通りだ。

ドラギ政権は、イタリアの政治不安と経済混乱を避けるための、今このときの最善の仕組みだ。だからせめて議会任期が終わる2023年まで存続したほうが良い。

そうなった場合には、ドラギ首相以外の人物が大統領にならなければならない。すなわち現在名前が取りざたされている前述のジェンティローニ元首相、アマート元首相、カシーニ元下院議長、カルタビア法相などだ。

だがそれらの人々は、今のところどちらも“帯に短し襷に長し”状態だ。安心できるのはやはりマタレッラ大統領の続投である。

イタリア大統領は一期7年が基本。しかし前任のナポリターノ大統領は例外的に2期目も務め、任期の途中で引退して現職のマタレッラ大統領が誕生した。

マタレッラ大統領もナポレターノ前大統領と同様に、短い任期で2期目の大統領職を務めたほうが各方面がうまくいくと思う。

理想的なのは、マタレッラ大統領が議会任期が終わる2023年6月まで続投し、その後に選挙を経てドラギ首相が新大統領に就任することだ。

将来、求心力の強い「ドラギ大統領」の下で総選挙が行われれば、たとえ反EU主義の右派政権が誕生しても、イタリアはたとえばBrexitの愚を犯した英国のようにはならないだろう。

極右の同盟とイタリアの同胞も、また極左の五つ星運動も、正体はEU懐疑主義勢力である。

現政権内にいる同盟と五つ星運動は彼らの本性をひた隠しにしているが、たとえば単独で政権を取るようなことがあれば、すぐにでもEU離脱を画策しかねない。

イタリアはEUにとどまっている限り、「多様性に富む、従ってまとまりはないが独創性にあふれた」イタリアらしいイタリアであり続けることができる。

EUで1番の経済力や政治力を持つ国の地位はドイツやフランスなどに任せておいて、イタリアはこれまで通り、経済三流、政治力四琉の“美しい国”であり続ければいいのである。

そのためにも強いEU信奉者であるドラギ首相とマタレッラ大統領がしばらく連携を続け、間違ってもEU離脱論者であるポピュリストが政権を奪取しないように画策したほうが良いと考える。

僕のその理想論に賛成するイタリア人はたくさんいる。

同時に反対する国民もまた多くいる。だからこその政治なのだが、衝撃が笑劇になり悲劇になって、ため息で終わる可能性が高いのがイタリア政治の特徴なのである。



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ベルルスコーニさんはいつまでもベルルスコーニさんのままらしい

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ベルルスコーニ元首相が1月24日から始まるイタリア大統領選に立候補しない、と表明した。

理由は「国のために」だそうだ。

元首相は同時に「ドラギ首相は(大統領にならずに)現職にとどまるべき」とも主張した。

国のために身を引く、という宣言は噴飯ものだ。翻訳すると「1ミリも勝つ見込みがないので立候補を断念する」というところだろう。

彼を支持している極右のイタリアの同胞と同盟は一枚岩ではない。

世論調査で支持率1位を保っていた同盟が、最近その地位をイタリアの同胞に奪われて、同盟のサルビーニ党首が焦り、血迷い、内心で怒りまくっているように見える。

そのせいかどうか、彼はいつもよりもさらに妄言・放言・迷言を繰り返し、右派の結束が乱れがちだ。

それに加えて、議会最大勢力の五つ星運動と彼らに野合した民主党が、ベルルスコーニ大統領の誕生に断固反対と広言し、その方向で激しく動いている。

そればかりではない。人間的に清潔で政治的に公正な人物像が求められる大統領職には、ベルルスコーニ氏はふさわしくない、と寛大で情け深く且つおおらかな、さすがのイタリア国民でさえ感じている。

大衆迎合主義のカタマリで、政治屋としての嗅覚がハゲタカ並みに鋭いベルルスコーニ氏は、さっさとそのことに気づいたのだ。

だから「自らのために」立候補を断念したのだろう。

「自らのために」であることは、ドラギ首相が現職にとどまるべき、という言い分にもはっきりと表れている。

ドラギ首相は大統領に「祭り上げられる」可能性も高い。それを阻止するにはベルルスコーニ元首相自身が大統領を目指すことが最も確実だ。

それをしないのは、ドラギ首相継続が今このときのイタリア共和国のためには最重要、という現実よりも、自身の野望つまり政治的に生き延びて政界に影響力を持ち続けることが何よりも大事、と暗に表明しているのも同然だ。

ベルルスコーニさんはかつて、今は亡き母親に向かって「将来は必ずイタリア大統領になる」と約束したことがあるという。

清浄な存在と見なされることが多いイタリア大統領は、彼にとってもきっと憧れの的だったのだろう。

僕はベルルスコーニさんが人生の終末期に臨んで、「国と人民に本気で尽くしたい」と殊勝に考えるなら、許されてもいいのではないかと考えた。

許されて過去の過ちや醜聞や思い上がりをかなぐり捨て、真に人々に尽くして履歴の暗部を償うチャンスが与えられてもいいのではないか、とチラと思ったりもしたのだ。

もはや80歳代も半ばになった彼の中には、そんな善良で真摯な、且つ強い願望が芽生えていても不思議ではないと思った。

だがどうやらそれは、僕の大甘な思い違いだったらしい。

閑話休題

1月23日現在大統領候補として名前が挙がっているのはベルルスコーニ氏のほかには:

ドラギ首相、アマート元首相、カシーニ元下院議長、ジェンティローニ元首相、マルタ・カルタビア法相など。

マルタ・カルタビア法相が大統領になればイタリア初の女性大統領になる。

ここまでの情勢では、ドラギ首相の横滑りの可能性が最も高い、と考えられている。

もしもドラギ首相が大統領に選出され、しかも後任の首相が決まらない場合には、議会任期を待たずに前倒し総選挙の可能性がある。

その場合のイタリアの政情不安はまたもや大きなものになるだろう。

混乱を避ける意味で、フォルツァイタリア所属の最年長閣僚レナート・ブルネッタ行政相(71歳)を首班にして、連立を組む各政党の党首や幹部が来年6月の議会任期まで内閣入りして政権を維持する、という案もある。

それらのアイデアは全て、イタリアのお家芸である政治混乱を避けるための、当の政治家らによる提案である。









「ベルルスコーニ大統領」というオーマイガー!

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124日から始まるイタリア大統領選で、フォルツァイタリア、同盟、イタリアの同胞から成る中道右派連合は、 フォルツァイタリア党首のベルルスコーニ元首相を支持すると発表した。

ベルルスコーニ元首相は85歳。2011年に首相の座を追われ、2013年に脱税事件で禁錮4年(恩赦法で減刑)の判決を受けて公職追放された。

2019年には欧州議会議員に当選したが、bungabunga乱交パーティーを始め依然としてさまざまな訴訟案件を抱えている。印象としては、灰色どころか真っ黒な人品の政治家だ。

一政党のボスだったり、イタリア一国の首相だったりの役割ぐらいなら、人柄が少々猥雑でも務まる場合が多い。

政界の魑魅魍魎に対抗し、世界中のタフな政治家や指導者と丁々発止に渡り合うためには、むしろ磊落で粗放な神経の持ち主が適任だったりもする。

首相時代のベルルスコーニ氏がまさにその最たる例だ。

だが、イタリア大統領は少し違う。

自己主張の強い身勝手な政治家や政治勢力をまとめ、仲介し、共存させていく力量が求められる。対立ではなく協調と平和をもたらす人物でなくてはならないのだ。

そのためには人格が高潔で政治的に公正、且つ生き方が身奇麗なベテラン政治家、という理想像が求められる。

少し立派過ぎる人物像に見えるかもしれないが、歴代のイタリア大統領には、多かれ少なかれそうしたキャラクターの政治家が選出されている。

むろん彼らとて政治家だ。嘘とハッタリと権謀術数には事欠かない。

だだベテランの域に入って大統領に選ばれるとき、それらの政治家は英語でいういわゆるステーツマン然とした雰囲気を湛えていて、大統領になった後も実際にそう行動した。

それは肩書きが人を作る、という真実の反映かもしれない。だがそれ以前に、彼らにはそうした資質が既に備わっていた、と考えるのが公平な見方だろう。

例えば現職のマタレッラ大統領は、強固な反マフィアの闘志、という彼の魂の上にリベラルな哲学を纏って、よく政党間の審判の役割を果たした。

マフィアの拠点のシチリア島に生まれたマタレッラ大統領は、シチリア州知事だった兄をマフィアの刺客に暗殺された。彼はその現場に居合わせた。彼の反マフィア魂はそこで揺るぎないものになった。

また彼の前任のナポりターノ大統領は、筋金入りの共産主義者、というぶれない鎧をまとった愛国者であり、国父とも慕われた誠実な国家元首だった。

彼は2013年、総選挙の後に混乱が続いて無政府状態にまで至った国政を見かねて、史上初の2期目の大統領を務める決意をした。そのとき彼は間もなく88歳になろうとしていた。

議会各派からの強い要望を受けて立候補を表明する際、彼は「私には国に対する責任がある」と老齢を押して出馬する心境をつぶやいた。その言葉は多くの国民を感動させた

ベルルスコーニ元首相は、4期9年余に渡って首相を務めた大政治家である。だが彼には大統領に求められる「清廉」のイメージが皆無だ。

清廉どころか、少女買春疑惑に始まる性的スキャンダルや汚職、賄賂、またマフィアとの癒着疑惑などの黒い噂にまみれ、実際に多くの訴訟事案を抱えている。

その上2013年には脱税で実刑判決さえ受けている。彼は公職追放処分も受けたが、しぶとく生き残った。そして2019年、欧州議会議員に選出されて政界復帰を果たした。

それに続いて彼は、今回の大統領選では、右派連合が推す大統領候補にさえなろうとしているのである。

しかしベルルスコーニ元首相の醜聞まみれの過去を見れば、彼はイタリア大統領には最もふさわしくない男、と僕の目には映る。

彼を支持するメローニ「イタリアの同胞」党首とサルビーニ「同盟」党首は、どちらも首相職への野心を秘めた政治家である。

彼らが首相になるためには、求心力が高いドラギ首相を退陣させなければならない。そこで彼らはドラギ首相を大統領候補として推進するのではないか、と見られていた。

だが2人はベルルスコーニ元首相を支持すると決めた。それは見方を変えれば、ドラギ首相が政権を維持することを容認する、という意味でもある。

「イタリアの同胞」と「同盟」は、世論調査で1位と2位の支持率を誇っている。党首の彼らが首相職に意欲を燃やしても少しも不思議ではない。

だが彼らは今回はドラギ内閣の存続を認めて、議会任期が切れる2023年6月以降に、政権奪取と首相就任を模索しようと決めたようである。

彼らの利害は、今このときのイタリアの国益にも合致する。

それというのも、コロナ禍で痛めつけられたイタリアの経済社会を救い、同時にお家芸の政治混乱を避けるためには、求心力が強いドラギ首相が政権を担い続けるのが相応しい、と誰の目にも映るからである。

しかし、ベルルスコーニ元首相が幅広い支持を集めるかどうかは不透明だ。

状況によっては、ベルルスコーニ元首相を含む全ての候補者が消去法で姿を消して、結局ドラギ首相が大統領に祭り上げられる事態になるかもしれない。

そうなった場合には総選挙になる可能性も高い。

総選挙になれば、政権樹立を巡って熾烈な政治闘争が勃発し、イタリアはカオスと我欲と権謀術策が炸裂する、お決まりの政治不安に陥るだろう。

そうなった暁には、選出されたばかりの「ドラギ大統領」が、非常時大権を駆使して政治危機の解消に奔走するという、バカバカしくも悲しいイタリア歌劇ならぬ、「イタリア過激政治コメディー」が見られるに違いない。

そうならないことを祈りつつ、僕は一点考えていることがある。

歪めサングラス口

つまり、ベルルスコーニ元首相が奇跡的に大統領に選出されて、これまでの我欲を捨て目覚ましい大統領に変身してはくれまいか、という個人的なかすかな希望である。

僕はここまで批判的に述べてきたように、政治的にも信条的にもベルルスコーニ元首相を支持しない。

だが彼は悪徳に支配されつつも憎めないキャラクターの男だ。だからいまだに国民の一部に熱愛されている。

人間的に面白い存在なのだ。

僕も彼に対して湧く淡い親しみの感情を捨てきれない。

我ながら不思議なもの思いについては以前ここにも書いた。その機微は今も同じだ。

悪行や失策や罪悪や犯罪を忘れてはならない。

だがそれらを犯した者はいつかは許されるべきだ。なぜなら人は間違いを犯す存在だからだ。

その意味でベルルスコーニ元首相も許されて、過去の過ちや醜聞や思い上がりをかなぐり捨て、真に人々に尽くし、且つ履歴を償うチャンスが与えられてもいいのではないか、とも考えるのである。

言うまでもなく、もはや80歳代も半ばになって、彼の中にそんな善良で真摯な且つ強い願いが芽生えているならば、の話だけれど。




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イタリアの「や、コンニチワ、またですね」」の政治危機が見える

魑魅魍魎

マタレッラ大統領の任期が2月で終えるのを受けて、イタリア大統領選の投票が1月24日から始まる。

国家元首であるイタリア大統領は、上下両院議員と終身議員および地域代表者の投票によって選出される。

投票は一日に2回づつ実施される。3回目までの投票では3分の2以上の賛成が必要で、4回目以降は単純過半数を得た者が当選となる。

言うまでもなく1回目の投票で大統領が決まることもある。だが初回投票で結果が出るのは極めて珍しく、複数回投票になるのが普通だ。

最多は23回目の投票まで行ったこともある。むろんそうなれば何日も時間がかかる。

冒頭で「投票が1月24日から始まる」と不思議な言い方をしたのは、投票が何度も行われていつ終わるか分からない可能性があるからだ。

イタリア共和国大統領は、普段は象徴的な存在で実権はほとんどない。ところが政治危機のような非常時には議会を解散し、組閣要請を出し、総選挙を実施し、軍隊を指揮するなどの「非常時大権」を有する。

大権だからそれらの行使には議会や内閣の承認は必要ない。いわば国家の全権が大統領に集中する事態になるのである。

2018年の総選挙後にも大統領は「非常時大権」を行使した。

政権合意を目指して政党間の調整役を務めると同時に、首班を指名して組閣要請を出した。その時に誕生したのが第1次コンテ内閣である。

コンテ首相は当時、連立政権を組む五つ星運動と同盟の合意で首相候補となり、マタレッラ大統領が承認した。

コンテ首相は以後、2021年1月に辞任するまで、世界最悪のコロナ地獄に陥ったイタリアを率いて指導力を発揮した。

だが連立を組む小政党の反逆に遭って退陣した。

その後はふたたびマタレッラ大統領が「非常時大権」を駆使して活躍。ほぼ全ての政党が参加する大連立のドラギ内閣が発足した。

イタリア共和国は政治危機の中で大統領が議会と対峙したり、上下両院が全く同じ権限を持つなど、混乱を引き起こす原因にもなる政治システムを採用している。

一見不可解な仕組みになっているのは、ムッソリーニとファシスト党に多大な権力が集中した過去の苦い体験を踏まえて、権力が一箇所に集中するのを防ごうとしているからだ。

憲法によっていわゆる「対抗権力のバランス」が重視されているのである。

政治不安が訪れる際には大統領は、対立する政党や勢力の審判的な役割とともに、前述の閣僚や首相の任命権を基に強い権限を発揮して、政治不安の解消に乗り出す。

政党また集団勢力は、大統領の権限に従って動くことが多いため、政治危機が収まることがしばしば見られる。

1月24日の選挙は、イタリアの政局が安定している中で行われる。極めて珍しいケースだ。

政局が安定しているのは、ドラギ首相の求心力が強いからである。

ところがそのドラギ首相を降板させて大統領に推そうとする者がいる。

彼が大統領になれば、首相の座が空く。そこを狙う政治家や政治勢力が多々あるのだ。

それが連立政権内にいる五つ星運動の一部であり、連立の外にいて世論調査上は国民の支持を最も多く集めている、極右政党のイタリアの同胞である。

統計ではイタリアの同胞に先を越されたものの、2番目の人気を維持する同盟のサルビーニ党首も首相職への執着が強い。

彼は常にその情動を隠さずに来たが、ここにきて世論調査で友党のイタリアの同胞に先行されたために、ドラギ首相を大統領に推す論を引っ込めて、あいまいな発言に終始するようになった。

だが彼が首相職に強い野心を持っているのは周知の事実だ。

五つ星運動のディマイオ氏、イタリアの同胞のメローニ氏、そしていま触れた同盟のサルビーニ氏。この3者がドラギ首相を大統領に祭り上げて自らが首相になるリビドーを隠している。

だが3者は右と左のポピュリストである。五つ星運動が極左のポピュリスト。イタリアの同胞と同盟は大衆迎合的な極右勢力だ。

右と左の普通の政党であり主張であれば問題ないが、「極」という枕詞が付く政党の指導者である彼らが首相になれば、イタリアの迷走は目も当てられないものになるだろう。

今のイタリアに最も望まれるのは、ドラギ首相がしばらく政権を担うことだ。それはマタレッラ大統領の再選によって支えられればもっと良い。

だがマタレッラ大統領は今のところは続投を否定している。

大統領候補には、ドラギ首相のほかにベルルスコーニ元首相やアマート元首相、またマルタ・カルタビア法相の名などが取りざたされている。

カルタビア法相が選出されれば、イタリア初の女性大統領となる。

大統領には、最低でも清潔感のある個性が求められる。その意味では、いま名を挙げた候補者のうち、多くの醜聞にまみれたベルルスコーニ元首相は論外だろう。

彼以外のベテランが国家元首の大統領職に就き、各方面からの支持を集めるドラギ首相が、コロナで痛めつけられているイタリア共和国の政治経済の舵をもうしばらく取ることが理想だ。

だが言うまでもなく、魑魅魍魎が跋扈する政界では、この先何が起こるかむろん全く分からない。



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オミクロン株の足音が聞こえる


海に沈むomicron看板

12月23日、イタリア政府による年末年始のコロナ規制強化策が発表された。

それらは:

1.屋内でのみ義務化されているマスク着用を屋外にも適用。

2.ワクチン接種証明のグリーンパスの有効期間を9ヶ月から6ヶ月に短縮。

3.映画館、劇場、スポーツ観戦、また公共交通機関を利用する際には現在使われているサージカルマスク(医療用マスク)ではなく、FFP2(防塵マスク)を使用すること。

4.現在はグリーンパスが無くても飲食できるバーやカフェ、レストランカウンターなどでもグリーンパスの提示を義務付ける。

5.屋外でのイベントやパーティーを12月31日まで禁止。

など。

12月23日、イタリアの1日あたりの感染者数が過去最悪の44595人にのぼった。

これまでの記録は2020年11月13日の40902人。

また23日の死者数は168。最近では高い数字だが、これまでの最悪記録である、やはり2020年11月13日の550人よりは大幅に少ない。

12月23日の集中治療室収容の患者は1023人、通常病棟のコロナ患者は8772人。

片や昨年11月13日の記録は集中治療室収容の患者が3230人、通常病棟のコロナ患者は30914人にものぼった。

昨年の11月にはまだワクチンはなかった。その事実は数字の高さと相まってイタリア中を不安の底に陥れた。

ワクチン接種を拒む頑民は存在するものの、今年はワクチンが普及したため人々は少し穏やかな年末年始を迎えようとしている。

しかし、クリスマスの祝祭と年末年始の賑わいを考えた場合、イタリア政府の規制策は生ぬるいと思う。

ここ数日で感染が急激に拡大し、ついには過去最悪の数字を超えた事態を軽視していないか。

感染力の強いオミクロン株が、英国を真似て跋扈しそうな雰囲気があり、とても不気味だ。












蟻の一穴~ イタリア初の安楽死認定

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2021年11月、イタリア生命倫理委員会が、安楽死を切望する四肢の麻痺した40歳の男性の自殺幇助を認める決定を出した。

イタリア初の出来事である。

イタリアではことし8月、安楽死を法制化するように求める署名運動が75万人余りの賛同を集め、それは間もなく100万人を突破した。

50万人以上の署名で国民投票が実施されるのがイタリアの決まり。

それを受けて、早ければ来年にも安楽死への賛否を問う国民投票が実施される見込みになっている。

イタリアの世論は歴史的に安楽死に対して強い抵抗感を示す。その最大の理由はカトリックの総本山バチカンの存在。

ローマ・カトリック教会は自殺を強く戒める。

バチカンにとっては安楽死つまり自殺は、堕胎や避妊などと同様に強いタブーなのである。国民の約8割がカトリック教徒であるイタリアではその影響は大きい。

それにもかかわらず、安楽死を認めるイタリア国民の数は確実に増え続けている。

憲法裁判所は2019年、回復不可能な病や耐え難い苦痛にさらされた人々が、自らの明確な自由意志によって安楽死を願う場合には許されることもある、という決定を出した。

その歴史的な審判は、全身麻痺と絶え間のない苦痛にさいなまれた有名DJが、自殺幇助が叶わないイタリアを出てスイスに渡り、そこで安楽死を遂げたことを受けて示された。

2017年の事例である。

そこでも世論が大きく高まって、2年後には憲法裁判所のその決定につながった。

司法は続いてイタリア議会に安楽死法案の是非を審議するよう求めたが、それは遅々として進まなかった。

だがイタリアは、署名活動の進展、前述の生命倫理委員会の初の自殺幇助の支持決定など、安楽死を合法化する方向を目指している。

僕はその動きを大いに支持する。「死の自己決定権」と安楽死の合法化は、文明社会の真っ当な在り方、と考えるからだ。

イタリアでは基本的に安楽死は認められていない。

憲法裁判所の裁定や生命倫理委員会の決定は、今のところは飽くまでも、いわば例外規定なのだ。

それがゆるぎない法律となるには国民投票を経なければならない。

現在は自殺幇助には5年から12年の禁固刑が科される。

そのため毎年約200人前後ものイタリア国民が、自殺幇助を許容している隣国のスイスに安楽死を求めて旅をする。

イタリアの敬虔なカトリック教徒は、既述のように自殺を否定するバチカンの教えに従う。

医者を始めとする医療従事者はもっと従う。なぜなら彼らの至上の命題は救命であり、且つ彼らの多くもカトリック教徒なのだから。

だがそれは許しがたい保守性だ。不治の病や耐え難い苦痛に苛まれている患者の煩悶懊悩を助長するだけの、思い上がった行為である可能性さえ高い。

僕は以前、そのことについて次のように自らの考えを書いた。

同じことをここで彼らに伝えたい。

安楽死や尊厳死というものはない。死は死にゆく者にとっても家族にとっても常に苦痛であり、悲しみであり、ネガティブなものだ。

あるべき生は幸福な生、つまり「安楽生」と、誇りある生つまり「尊厳生」である。

不治の病や限度を超えた苦痛などの不幸に見舞われ、且つ人間としての尊厳を全うできない生は、つまるところ「安楽生」と「尊厳生」の対極にある状態である。

人は 「安楽生」または「尊厳生」を取り戻す権利がある。

それを取り戻す唯一の方法が死であるならば、人はそれを受け入れても非難されるべきではない。

死がなければ生は完結しない。全ての生は死を包括する。「安楽生」も「尊厳生」も同様である。

生は必ず尊重され、飽くまでも生き延びることが人の存在意義でなければならない。

従って、例え何があっても、人は生きられるところまで生き、医学は人の「生きたい」という意思に寄り添って、延命措置を含むあらゆる手段を尽くして人命を救うべきだ。

その原理原則を医療の中心に断断固として据え置いた上で、患者による安楽死への揺るぎない渇求が繰り返し確認された場合は、しかし、安楽死は認められるべき、と考える。






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先に見え隠れする不都合な真実

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2021126日、イタリアでは「スーパーグリーンパス」制度が施行された。

それ以前に効力があった「グリーンパス」は、①ワクチンを接種した者、 ②コロナから回復した者、 ③48時間以内の陰性証明がある者に与えられた。

「スーパーグリーンパス」はそこから③を除いた証明書。

古いグリーンパスは今後も有効だが、ワクチンを接種しない者は、仕事や交通機関を利用する場合以外はどこにも行くことができず、公共施設も利用できない。

一方でワクチンを接種した者とコロナから回復した者は、これまで通りレストラン、劇場、映画、コンサートなど、自由に娯楽を楽しむことができる。

それを「スーパーグリーンパス」と呼ぶのである。

実質的にワクチン未接種者をロックダウンした形、と考えてもいいだろう。

次に来るのはワクチン接種の義務化となりそうだ。

だが、今日まで頑強にワクチン接種を拒否している人々を翻意させるのは容易ではない。

反ワクチンが宗教の域にまで達している少数の過激な人々と、接種をためらっている多くの慎重派の人々を明確に区別して政治を行うべきだが、今のところ良い知恵はないように見える。

するとパンデミックはいつまでも経っても収束せず、人々の自由は制限され続ける。

誰もが自由を求めている。

ワクチン接種を終えた者も、接種を拒否する者も。

ワクチンを接種した人々が希求する自由は、反ワクチン論者も懐抱する。パンデミックを終息させて、社会全体で共に自由になろうとするものだからだ。

片や反ワクチン派の人々が希求する自由は、ワクチン接種そのものを拒否する自由という、彼ら自身の都合のみに立脚したものである。

そして彼らのその自由は、社会全体が不自由を蒙る、という断じて無視できない害悪をもたらす可能性を秘めている。

国家権力は将来、パンデミックの終焉が望めない、あるいはさらに遅れる、と判明した場合には必ずその害悪を回避しようと動き出すだろう。

その際に暴力の行使が決してないとは誰にも断言できない。

そしていま現在の世相は、国家権力がそんな不快な方向に向かうよう後押ししていると見えないこともない。

そうなれば、ファシズムの到来である。

それはだが、国家権力のみの咎ではない。反ワクチン派の人々が招く不都合な真実だ。

そうならないための鍵は、政府とワクチン未接種者双方の今後の動きの中にある。



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イタリアの化けは偽者だったかも、かい? 

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イタリアは2022年W杯出場権を逃したかもしれない。

W杯欧州予選グループCでスイスに首位を奪われて、激烈な「仁義なき戦い」が繰り広げられるに違いないプレーオフに回ったからだ。

しかもそこでは強豪国のポルトガルと激突する可能性が高い。

プレーオフ決勝戦で敗れれば、イタリアは2018年に続いて2大会連続でワールドカップから締め出されることになる。

イタリアは2006年にW杯を制して以降、深刻な不振に陥り、2018年にはW杯ロシア大会への出場権さえ逃した。

だが同じ年にロベルト・マンチーニ監督が満を持して就任。再生へ向けての治療が開始された。

治療は成功してイタリアは回復。2021年7月には53年ぶりに欧州選手権を制した。

イタリアの長い低迷の最大の原因は、違いを演出できるファンタジスタ(ファンタジーに富む創造的なフォーワード)がいないからだ、と僕はずっと考えそう主張してきた。

だがマンチーニ監督は、ファンタジスタが存在しないイタリア代表チームを率いて、見事に欧州選手権で優勝した。

彼はそれによって、傑出した選手がいないイタリアチームも強いことを証明し、彼自身に付いて回っていた「国際試合に弱い監督」という汚名も晴らした。

僕も彼の手腕に魅了された。

マンチーニ監督がいる限り、再生したイタリア代表チームの好調はしばらく持続する。欧州選手権に続くビッグイベント、2022W杯でも活躍し優勝さえ視野に入ったと考えた。

ところが早くも障害にぶつかった。楽々と予選を突破をすると見られた戦いで引き分けを繰り返し、ついにはプレーオフに追い込まれた。

しかも運の悪いことにそこには、前回の欧州選手権を制したポルトガルも同グループにいる。順当に行けばイタリアとポルトガルは、一つの出場枠を巡って争う。

イタリアは欧州選手権で優勝した後、軽い燃え尽き症候群に陥っている。そのことが影響してCグループでスイスの後塵を拝したと見ることもできる。

プレーオフで強豪のポルトガルが立ちはだかるのは想定外だが、障害を克服した暁にはイタリアは「逆境に強い伝統」を発揮してW杯で大暴れするかもしれない。

いや、きっと大暴れする、と言えば明らかなポジショントークだが、客観的に見てもその可能性は高そうだ。

だが強いポルトガルには世界最強のプレーヤーのひとりであるロナウドがいる。ロナウドはひとりで試合をひっくり返す能力さえある怖い存在だ。

イタリアと対峙するときのロナウドは、さらに怖さを増すことが予想される。

それというのも彼は、3年間所属したイタリアのユヴェントスからお払い箱同然の扱いでトレードに出された。アッレグリ新監督の意向だった。

過去の実績を頼りに自信過剰になったアッレグリ監督は、ロナウドはその他大勢のユヴェントス選手となんら変わるところはない。全て私の指示に従ってもらう、という趣旨の発言をした。

「ユヴェントスを勝利に導くのは、一選手に過ぎないロナウドではなく優れた監督であるこの私だ」という思い上がりがぷんぷん匂う空気を察したロナウドは、静かにユヴェントスを去った。

そうやって英国プレミアリーグに復帰したロナウドは、早速9月の月間MVPに選ばれるなど衰えない力を見せつけている。

一方、ロナウドのいないユヴェントスを率いるアッレグリ監督は絶不調。間もなく解任されそうな体たらくだ。

ロナウドはアッレグリ監督への恨みつらみはほとんど口にしていない。だが、いつもよりも激しい闘志を燃やしてイタリア戦に臨みそうだ。だから怖い。

それでもイタリアがロナウドのポルトガルを退けてW杯本戦に乗り込んんだ場合には、イタリアのほうこそ怖い存在になるだろう。

そしてその後、W杯本戦をイタリアが強いのか弱いのか分からないじれったい調子で勝ち進むなら、イタリアの5度目のW杯制覇も夢ではなくなる。

イタリアはヨタヨタとよろめきながら勝ち進むときに真の強さを発揮する。

それが魅力の、実に不思議なチームなのである。




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ミニトランプ・ボルソナロの喜悦 

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ブラジルのミニ・トランプ、ボルソナロ大統領がイタリアを訪問して、大方は総スカンを食らったが一部では大歓迎された。

ボルソナロ大統領は、ローマで開催されたG20サミット出席を口実にイタリアを訪れた。彼はサミットでも各国首脳に冷ややかに扱われた。

サミットに出席した各首脳のうちで唯一、新型コロナワクチンを接種していなかったトンデモ男が、ボルソナロ大統領である。

表向きはそのことが冷遇の原因のようだが、米トランプ氏並みの嘘や放言また傲岸な態度への反発もあったと見られる。

また新型コロナを軽視し続けて、ブラジルがアメリカに次いで多い60万人を超える死者を出している事実への非難の空気も強かったとされる。

イタリアの国民の一部はしかし、ボルソナロ大統領を歓迎した。政治家で彼を暖かく迎えたのはイタリアのミニ・トランプ、サルヴィーニ「同盟」党首とその他の右翼の面々。

またベニスに近いアングイラーラでは、ボルソナロ大統領はほとんど熱狂的とも言える持て成しを受けた。彼の先祖はその町からブラジルに移住したイタリア人なのだ。

そこで極右政党「同盟」所属の女性市長が、ボルソナロ大統領に名誉市民の称号を与えた。彼はその授与式典に同地を訪れて大いに歓待されたのである。

世界中から冷たい視線を注がれることも少なくないボルソナロ大統領は、実のところは、イタリアの小さな町での栄誉に気を良くして欧州に来たのではないか、とさえ僕は疑う。

イタリアは痩せても枯れてもG7の一角を成す世界の民主主義大国だ。そこで歓迎を受けることは、何かと非難されることが多い彼にとってはこの上もなく有難い利得に違いない。

新型コロナウイルス感染拡大が続く中、ブラジル国内でのボルソナロ氏の支持率は大きく低迷している。今のままでは来年の大統領選挙での敗北も確実視されているほどだ。

青息吐息の大統領は、たとえわずかでも失地回復に資する可能性があるなら、と考えてイタリアに乗り込んだ可能性は否定できない。

名誉市民の称号獲得、という象徴的な意味合い以外にも イタリアを訪れるメリットはある。同国の右派勢力と親交を深め、あまつさえ提携まで模索することだ。

ボル・サル握手切り取り伊伯のミニトランプが握手

先に述べたサルヴィーニ氏に始まるイタリアの極右勢力は彼とは親和関係にある。しかもイタリアの極右は右派全体の核となって勢力を広げている。

極右を熱狂的に支持する国民は少数派だが、近年は彼らと保守層およびコロナワクチン懐疑派の人々との接点が増えてきた。

そこにトランプ大統領の登場によって勢いを得た、アメリカと欧州の「ネトウヨ・ヘイト系排外差別主義者」らが交会した。

2018年、イタリアでは極右政党が政権入りを果たした。それと前後して英国ではBrexitが完成し、フランスでは極右の候補者が大統領選の決選投票まで進んだ。ドイツにおいてさえ極右勢力は台頭した。

そうした世界政治の流れは今日現在も続き、トランプ主義者と極右、またそれに親和的な右派の勢いは、多くの国でリベラル派と拮抗するモメンタムであり続けている

その勢力はボルソナロ大統領とも親和的だ。同時にそれは民主主義と対立するという意味で、世界のならず者国家、つまり中露北朝鮮などとも並列して捉えられるべき政治力学だ。

ボルソナロ大統領を歓迎した、極右が主体のイタリアの右派勢力は、次の選挙で政権を握る可能性もある。フランスでも反移民の政情などが手伝って、極右の勢いはとどまるところを知らない。

加えて英国のBrexit勢力も健在だ。それどころか、バイデン大統領が圧倒的な支持を集めない限り、2024年の米大統領選ではトランプ前大統領の復活当選の目もある。

トランプ主義の台頭で分断された世界は、コロナパンデミックによってさらに対立を深め、分断され、懐疑主義が横行した。

世界はボルソナロ的勢力、あるいはトランプ主義者のさらなる跳梁によってますます分断化されて憎しみの多い不安定な状況に陥りかねない。

コロナ渦中にもかかわらず且つワクチン接種さえ受けていないブラジルの“仁義なき戦い”大統領が、イタリアの小さな町アングイラーラで満面の笑みを浮かべる姿を、僕は複雑な思いで眺めたのである。




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