【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

あまりにも、イタリア的な・・

ベルルスコーニを許すイタリア人はワクチン抜け駆け接種者も斬り捨てない


イタリアを含むEU(欧州連合)のワクチン接種戦略は、宇紆余曲折をたどりながらもほぼ軌道に乗りつつある。

2021年、5月18日現在のイタリアのワクチン接種状況は:18.977.897人 人口の 31,82% 。このうち2回接種を受けた者:8.787.150 人口の14,73%

接種率約32%というイタリアの数字は、EU全域の数字と見てほぼ間違いない。

EU27ヵ国は共同でワクチンを購入し、人口に応じて公平に分配する仕組みを取っている。人口が多いほど受け取るワクチンの数は多いが、比率はほぼ同じである。

しかし国によって国民間の接種状況は違う。

ある国は高齢者への接種を優先させ、ある国は医療従事者への接種をまず徹底するなど、国によってワクチンの使い道は自由に裁量できるからだ。

例えばここイタリアでは医療従事者への優先接種を大幅に進めたあとで、80歳以上の高齢者への接種を始めた。

5月18日現在は、50歳代の国民への接種も開始されている。

ちなみに僕はワクチン鑑識表上は40歳~49歳をジジババ予備軍、50歳~69歳を若ジジババ、70歳~79歳をジジババ、80歳~99歳を老ジジババ、100歳~を超人老と呼んで区別している。

ワクチンの数が足りなかった2月から3月にかけては、順番や年齢を無視して抜け駆け接種をする不届き者の存在が問題になった。

僕の近くでも、介護で多くの老人に接することが多い、と偽って抜け駆け接種をした女性がいる。50歳代の彼女は他人の家で働くいわゆる家事手伝い。

長い間寝たきりだった夫を介護していた事実を利用して、あたかも他者の介護もする介護人資格保有者のように装い2月頃にワクチンの優先接種を受けた。

そのことがバレて近所で評判になったが、彼女は悪びれず「私は他人の家に入って清掃をするのが仕事。人の家だから感染のリスクが高い」と強弁してケロリとしていた。

似たようなことがイタリア中で起こった。4月初めの段階で、自分の番でもないのに割り込みで抜け駆け接種を受けた者は全国で230万人にものぼった。

中でも南部のシチリア、カラブリア、プーリア、カンパーニャ各州で割り込み接種が多く、4州ではそのせいで優先接種を受けるべき80歳代以上の住民の接種が大幅に遅れた。

そのうちナポリが州都のカンパーニャ州では、デ・ルーカ州知事自身が順番を無視して抜け駆け接種をしたことが明るみに出た。

批判を浴びると知事は、「カンパーニャ州は年齢順ではなく業種別に接種を進める」と開き直った。

南部4州に加えて、フィレンツェが州都のトスカーナ州でも割り込み接種が多かった。同州では80歳以上の人を尻目に接種を受けた不届き者が、弁護士や役場職員や裁判官などを中心に12万人にも及んだ。

似たようなことは、お堅いはずのドイツでさえ起こっている。例えば旧東ドイツのハレ市では、64歳の市長が優先接種の対象となっている80歳以上の人々を出し抜いてワクチン接種を受けた。

彼は「時間切れで廃棄処分に回されそうなワクチンを接種しただけ」と言い訳したが、規則に厳しいドイツ社会は抜け駆けを許さず、辞職を含む厳しい処分を受けると見られている。

同様な問題は日本でも起こっているが、ドイツほどの苛烈な批判にはさらされていないようだ。むろんイタリアほどひどくはないが、コネや地位を利用しての抜け駆け接種はやはり見苦しい。

その一方で、ドイツの厳格さも息が詰まるように感じるのは、よく言えばイタリア的寛容さ、悪く言えばイタリア的おおざっぱに慣れた悪癖なのかもしれない。

「人は間違いをおかす。だから許せ」が信条のイタリア人は、醜聞まみれのあのベルルスコーニさんも許し、ワクチン抜け駆け接種の狡猾漢も最終的には許してしまう。

人間が小さい僕は、どちらも許せないと怒りはするものの、結局イタリア人の信条にひそかに敬服している分、ま、しょうがないか、と流してしまういつもの体たらくである。




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イタリア解放記念日に佇想するファシズム

25 APRILE風船と白黒古合成


今日、4月25日はイタリアの「解放記念日」である。

解放とはファシズムからの解放のこと。

ドイツとイタリアは第2次大戦中の1943年に仲たがいした。日独伊3国同盟はその時点で事実上崩壊し、独伊は敵同士になった。

イタリアではドイツに抵抗するレジスタンス運動が戦争初期からあったが、仲たがいをきかっけにそれはさらに燃え上がった。

イタリアは同時に、ドイツの傀儡政権である北部の「サロ共和国」と「南部王国」との間の激しい内戦にも陥った。

1945年4月、サロ共和国は崩壊。4月25日にはレジスタンスの拠点だったミラノも解放されて、イタリアはムッソリーニのファシズムとドイツのナチズムを放逐した。

つまりそれはイタリアの「終戦記念日」。

掃滅されたはずのイタリアのファシズムは、しかし、種として残った。そしてコロナパンデミックで呻吟する頃来、種が発芽した。

極右政党と規定されることが多い「同盟」と、ファシスト党の流れを組むまさしく極右政党の「イタリアの同胞」がそれである。

「同盟」はトランプ主義と欧州の極右ブームにも後押しされて勢力を拡大。2018年、極左ポピュリストの「五つ星運動」と組んでついに政権を掌握した。

コロナパンデミックの中で連立政権は二転三転した。だが「同盟」も「イタリアの同胞」も支持率は高く、パンデミック後の政権奪還をにらんで鼻息は荒い。

彼らは決して自らを極右とは呼ばない。中道右派、保守などと自称する。だがトランプ主義を信奉し、フランス極右の「国民連合」 と連携。欧州の他の極右勢力とも親しい。

特に「イタリアの同胞」は連立政権に参加していないこともあって、より過激な移民排斥や反EU策を標榜してそれが支持率のアップにつながったりする。

欧州もイタリアも、そして地中海を介して移民の大流入と対峙しなければならないイタリアでは特に、移民排斥をかかげる極右政党には支持が集まりやすい。

極右とはいえそれらの政治勢力は、ただちにかつてのファシストと同じ、と決めつけることはできない。彼らもファシトの悪は知っている。

だからこそ彼らは自身を極右と呼ぶことを避ける。極右はファシストに限りなく近いコンセプトだ。よって彼らはその呼称を避けるのである。

第2次大戦の阿鼻地獄に完全に無知ではない彼らが、かつてのファシストやナチスや軍国主義日本などと同じ破滅への道程に、おいそれとはまり込むとは思えない。

だが、それらの政治勢力を放っておくとやがて拡大成長して社会に強い影響を及ぼす。あまつさえ人々を次々に取り込んでさらに膨張する。

膨張するのは、新規の同調者が増えると同時に、それまで潜行していた彼らの同類の者がカミングアウトしていくからである。

トランプ大統領が誕生したことによって、それまで秘匿されていたアメリカの反動右翼勢力が一気に増えたように。

政治的奔流となった彼らの思想行動は急速に社会を押しつぶしていく。日独伊のかつての極右パワーがそうだったように。

そして奔流は世界の主流となってついには戦争へと突入する。そこに至るまでには、弾圧や暴力や破壊や混乱が跋扈するのはうまでもない。

したがって極右モメンタムは抑さえ込まれなければならない。激流となって制御不能になる前に、その芽が摘み取られるべきである。



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たかがオリンピック、されどワクチン~強気のイタリア&大風呂敷のEU?


中庭的ストーブ付き650

ことし3月中旬から事実上のロックダウン下にあったイタリアは、4月26日から規制を段階的に緩和していくことになった。

2020年、イタリアは世界初の全土ロックダウンという地獄を体験した後、年末年始と4月の復活祭にかけてもロックダウンをかけた。

だが、強い規制とワクチン接種の進展が効を奏しつつあり、感染拡大の鈍化のきざしが見え始めた。

状況はまだ全く予断を許さないが、ドラギ政権は規制緩和に踏み切った。

過酷な封鎖措置に国民の疲弊はピークに達している。特に打撃の大きかった観光業界や飲食業界では不満が爆発してデモが頻発。抗議の声が日ごとに高まっていた。

それらを受けての決断である。

イタリアはコロナの警戒レベルを高い順に赤、オレンジ、黄色、白と4段階に色分けして規制を掛けている。規制が最も弱い白の地域は今のところは存在しないに等しい。

今月初めの復活祭期には、島嶼州のサルデーニャが唯一白の安全地帯と規定された。ところが今やそこは赤の危険地帯に。人の移動が活発になるとウイルスも活性化する、という典型的な例である。

現在は全国が赤とオレンジで埋まっているが、4月26日からはほとんどの州が警戒レベルが“やや弱い”に当たる黄色に規定される。最高警戒域の赤の州はいったん無くなる予定。

黄色域では各州間の移動が自由になり、オレンジと赤の州にも許可証(グリーンパス)を所持すれば移動ができる。

許可証はワクチンを接種済みか、コロナに掛かったことのある人のそれは6ヶ月間有効。コロナ検査で陰性とされた人のものは48時間だけ有効となる。違反すると禁固刑を受ける可能性がある。

レストランは店の外の席のみ昼夜営業可能。店内での接客は6月1日からランチのみ営業可。映画館、劇場、博物館はオープン。屋外でのコンサートやショーも許可される。

屋外プールは黄色州では5月15日から営業可。屋内ジムは6月1日から。全国レベルのスポーツイベントは観客を数を制限して6月1日から開催してもよい

フィエラ(見本市)は6月15日から再開。コングレス(大会議、各種大会)またテーマパークなどは7月1日より開催許可。

高校生は70%が対面の授業を許される。残りはオンライン授業。これはバスや電車などの公共交通機関が密になり過ぎることを避ける措置。現在は25-50%が対面授業中。小中学校はこの規制対象ではない。

夜間外出禁止令は当面は従来どおり午後10時以降朝5時まで。これに関してフォルツァ・イタリアと同盟またイタリア・ヴィヴァが午後11時からを主張して対立。多党連立のドラギ内閣では初の造反込みの政策となった。

イタリアは4月30日までにEUの査定(2090億ユーロ)より多い2215億ユーロ(28兆円弱)分のコロナ復興資金を申請する。認められればEU内で最悪クラスの打撃を受けた経済のカンフルになると期待されている。

4月22日現在、イタリアのワクチン接種実績は約1150万回。2回接種された者は約480万人。秋までに国民の80%の接種を終えるのがドラギ政権の目標。

だがEUはもっと野心的な計画を持っている。7月までに全加盟国の成人人口の7割に接種を済ませるというのである。達成すればEU全域での集団免疫がほぼ獲得されることになる。

イタリアよりもEUの計画のほうが早期実現することを祈りたい。

そうはいうもののEUは一枚岩ではない。先日もいわば組織の双頭とも呼べるEU大統領とEU委員長が、トルコのエルドアン大統領に侮辱されながらも共闘できず、弱点をさらけ出した。

それでもEUはワクチン接種を加速させるために必死に動いている。無論イタリアもそれは同じ。EUにとってもイタリアにとっても、遠い日本で騒がれているオリンピックなど念頭にはない。

たかがオリンピック、されどワクチン。誰も大っぴらには口にしないが、欧州でも、親日国のイタリアにおいてさえも、そして世界でも、人々の気分は今のところはそれに尽きるのである。



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五つ星運動と中国のマインドコントロール状態から生還したジャンカルロC

習のユニフォーム渡すディマイオ

熱烈な「五つ星運動」支持者のジャンカルロCは、新型コロナがイタリアを打ちのめした昨年の春以降、過激なほどの中国批判者になった。

「五つ星運動」は極左ポピュリストとも呼ばれ中国と極めて親しい。2018年の総選挙で議会第1党になり、極右政党「同盟」と手を組んで連立政権を樹立した。

ジャンカルロC「は支持政党の五つ星運動」を介して熱心な中国愛好者になった。だが中国を毛嫌いするようになった今は「五つ星運動」にも懐疑的だ。

それでもジャンカルロCは「五つ星運動」にはまだ未練があるようだ。南イタリア出身の彼は、「五つ星運動」の旗印である最低所得保障(ベーシックインカム)策を熱く支持している。

「五つ星運動」は貧困層に月額約10万円を支給するその政策をゴリ押ししてついに実現させた。ジャンカルロCは、彼の故郷の親族や友人知己の一部が支給金に助けられている、と信じている。

だがその政策は貧困層という水をザルで掬うようなものだ。南イタリアを拠点にする幾つもの犯罪組織が、制度を悪用して資金を盗み肥え太っていることが分かっている。

貧しい人々の大半は組織犯罪に利用されるだけで、援助金は彼らに行き渡らない。それでもバラマキ策を推進する「五つ星運動」への南部の支持は強い。

援助金を掠め取って巨大化する犯罪組織が、民衆を脅したりすかしたり心身双方をいわば殴打するなどして票をまとめ、自在に操作すると考えられるからだ。

ジャンカルロCと僕は最近次のような会話をした。

ジャン:中国に核爆弾を落としてやりたい。

ジャンカルロCは、友人ふたりが交わす無責任な会話の空気に気を許して、口先ばかりながら中国に対してしきりに物騒なことを言う。

僕は答える。

A:口先だけは相変わらず勇ましいね。だがイタリアも日本も核兵器は持たないよ。中国をやっつけるには核兵器を持つ米英仏と協調してこらしめるしかない。だが君の好きな「五つ星運動」は反EUで英仏が大嫌い。英がEUから去っても嫌イギリス感情は残っている。トランプが消えたので彼らはアメリカも好きではなくなった。どうするんだい?

ジャン:どうもしない。ただ習近平も中国人も憎い。地上からいなくなってほしい。

A:なんだい。つい最近まで僕が中国政府を批判したら傷ついていた男が。

ジャン:あの頃はコロナはなかった。中国がコロナを世界に広めた。中でもイタリアは最悪の被害を受けた。中国も中国人もクソくらえだ。

A:別に中国人をかばうつもりはないが、ウイルスは中国以外の場所でも生まれる。新型コロナもそうかもしれない。

ジャン:だが奴らはウイルスとその感染を隠蔽した。なんでも隠していつでも平気で嘘をつくのが中国人だ。

A:中国人を一般化するのはどうかな。それを言うなら「習近平政権はなんでも隠蔽し平気で嘘をつく」だろう。それなら僕もそう思う。

ジャンカルロCは馬鹿ではない。かつて法律を学び弁護士を目指した。が、挫折。世界を放浪した後に家業のワイン造りを継承したものの、ジプシーだったという先祖のひとりから受け継いだらしい放浪願望の血が騒ぎ、家業を捨てた。再び漂泊して北イタリアに定住。実家の情けも借りて少しのワイン販売で糊口をしのいでいる。その間にNPOを立ち上げて人助けにもまい進しているという男だ。

A:なんにしても君が中国の欺瞞と危険に気づいてくたことはうれしいよ。チベットやウイグル弾圧、台湾脅しと香港抑圧。わが日本の尖閣諸島も盗もうと画策している国だ。

ジャン:尖閣は知らんが香港はひどい。台湾への横槍も聞いている。

A:君らイタリア人はチベットやウイグルには関心が高いが、香港、台湾のことになると、遠隔地の騒ぎと捉えてモグラみたいに無知になる。尖閣のことを知らないとはけしからん。

ジャン:でも中国が南シナ海でやりたい放題をしているのは知っている。尖閣諸島も南シナ海の一部なんだろう?

A:少し違うが、まあ、遠いイタリアから見た場合はそういう捉え方も許されるだろう。習近平一味は相も変わらず傍若無人な連中だよ。ミャンマー軍の信じられないような悪行も、つまりは中国のせいだと見られている。中国の後ろだてがあるから、弱体で卑劣なミャンマーの軍人が、自国民を大量に殺戮できる。

ジャン:やっぱりそうなのか。

A:北朝鮮の狂犬・金正恩総書記がいつも牙を剥いているのも中国が背後にいるからだ。その中国をイタリアは、というよりも君の好きな「五つ星運動」は、賞賛し持ち上げ庇っている。イタリア政府は覇権主義国家と握手して「一帯一路」構想を支持する旨の覚書まで交わした。あれは全て「五つ星運動」のゴリ押しによって実現した。

ジャン:わかっているよ。だから僕は「五つ星運動」への支持を止めた。覚書は間違いだった。

A:だが「五つ星運動」は相変わらず中国を慕っている。

ジャン:そんことはない。いつまでも中国にしがみついているのは、「五つ星運動」の中でも外相のディマイオくらいのものじゃないかな。

A:どうだか。ま、とにかく君がアンチ中国になったのはいいことだ。米中アラスカ会談で「アメリカにはアメリカの民主主義があり中国には中国の民主主義がある」とのたまうような欺瞞だらけの、厚顔で未開で野蛮な全体主義国だ。君が「五つ星運動」と中国のマインドコントロール並みの縛りから抜け出したのはいいことだ。

中国への不信感と怒りはイタリアでもじわじわと増えている雰囲気だ。だが国際社会は、中国が香港でやりたい放題をやっても、ウイグルで民衆を弾圧しても、ミャンマーの虐殺部隊をそそのかしていても、ほとんど為す術がないように見える。欧州はウイグル問題に関連して中国に制裁を科しアメリカもいろいろと動く素振りではいる。だがそのどれもが迅速な効果をあらわすものではなく、時間が経つごとに中国の横暴はエスカレートして被害者が増えるばかりに見える。

中国に武力行使ができない限り、国際社会は一致団結して彼の国の蛮行に対していくしかない。この際は日本も覚悟を決めて中国に向けて強く出たほうがいいのではないか。あくまでも対話によって問題を解決するのが理想だが、これまでの中国の傲岸不遜な言行の数々をいやというほど見てきた目には、ソフトなアプローチは効果がないと映る。

国際社会は経済的に成長した中国が、徐々に民主化していくと期待した。だがそれは全くの幻想であることが明らかになった。中国は国際社会の支援と友誼と守護で大きく成長した。それでいながら強まった国力を悪用して、秩序を破壊し専横の限りを尽くして世界を思いのままに操ろうとしているようにさえ見える。

中国の野望達成のプロセス上で発生しているのが、ウイグルやチベットへの弾圧であり、台湾および香港への圧力と脅しと嫌がらせであり、尖閣諸島への横槍だ。中国はそれだけでは飽き足らず、ミャンマー軍による自国民への残虐行為も黙認しているとされる。黙認どころか、積極的に後押ししているという見方もある。

習近平独裁体制の暴虐は阻止されるべきだし、必ず阻止されるだろう。なぜならデスポティズムの方法論は、人々を力でねじ伏せて自らに従わせようとするだけのもので、体制の内側からじわりとにじみ出る魅力で人々の気を引くことはない。

世界の人々に愛されない、従って訴求力のない政治体制や国家は、将来は確実に崩壊するだろう。だがそうはいうものの今この時の世界は、残念ながら中国の専横の前に茫然自失して、いかにも腺病質に且つ無力に見える。民主主義を信奉する自由主義社会の結束が、いつにも増して求められているのはいうまでもない。



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飾り物のイタリア大統領が化け物になるとき

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イタリアでまた政権が変わった。1月26日にジュゼッペ・コンテ首相が辞任し、ほどなくマリオ・ドラギ内閣が誕生した。イタリアではひんぱんに内閣が倒れ政権が交代する。よく日本の政治状況に似ていると言われるが実は大きく違う。イタリアでは政治危機の度に大統領が大きな役割を果たすところが特徴的である。

国家元首であるイタリア大統領は、上下両院議員の投票によって選出される。普段は象徴的な存在で実権はほとんどない。ところが政治危機のような非常時には議会を解散し、組閣要請を出し、総選挙を実施し、軍隊を指揮するなどの「非常時大権」を有する。大権だからそれらの行使には議会や内閣の承認は必要ない。

今回の政変は1月13日に起きた。コンテ内閣の一角を担っていたレンツィ元首相率いる小政党「イタリア・ヴィーヴァ」が、連立政権からの離脱を表明した。それによって、昨年の新型コロナ第1波の地獄を乗り切り国民の強い支持を受けてきたコンテ内閣が、一気に倒壊の危機に陥った。

しかし、レンツィ派の造反にもかかわらず、コンテ首相への支持は強いものがあった。反乱後の信任投票でコンテ内閣はイタリア下院の絶対多数の信任を得た。一方で下院と全く同等の権限を持つ上院では、出席議員の過半数を僅かに超える単純多数での信任にとどまった。絶対多数161に対して5票足りない156票だったのである。

僅差での信任はコンテ内閣が少数与党に転落したことを意味し、予算案などの重要法案を可決できなくなる可能性が高まる。危機感を抱いたコンテ首相は、冒頭で触れたように1月26日、マタレッラ大統領に辞表を提出する。この動きは予期されたものだ。大統領に辞表を提出し、けじめをつけた上で改めて大統領から組閣要請を受ける、というのがコンテ首相の狙いだった。それはイタリアではごく自然な動きである。

コンテ内閣は世界最悪とも言われたコロナ危機をいったん克服はした。だがイタリアは依然として、パンデミックの緊急事態の最中にある。今の状況では、コンテ首相が辞表を出して大統領の慰留を引き出すのが得策。その上で新たに上院議員の支持を取り付け第3次コンテ内閣を発進させる、というのが最善の成り行きのように見えた。それが大方の予想でもあった。

しかし、マタレッラ大統領が「非常事大権」を行使して状況を急転させた。大統領はコンテ首相に新たに連立政権工作をするよう要請する代わりに、ロベルト・フィーコ下院議長にそのことを指示したのだ。フィーコ議長は議会第1党の五つ星運動の所属。五つ星運動は議会最大の勢力ながら政治素人の集団である。フィーコ氏には党外での政治的影響力はほとんどない。

コンテ内閣の再構築を念頭に各党間の調整を図る、というフィーコ下院議長の連立政権工作はすぐに行き詰まる。するとマタレッラ大統領は、まるでそれを待っていたかのように前ECB(欧州中央銀行)総裁のマリオ・ドラギ氏に組閣要請を出した。「非常事大権」を意識した大統領の動きは憲法に則ったもの。誰も異議を唱えることはできない。

大統領のその手法は、見方によっては極めて狡猾なものだった。なぜなら彼はそこで一気にコンテ首相の再登板への道を閉ざした、とも考えられるからだ。そうやってイタリアの最悪のコロナ地獄を克服した功労者であるコンテ首相は、マタレッラ大統領によって排除された。

少し脇道にそれて背景を説明する。マタレッラ大統領はコンテ政権内で反乱を起こしたレンツィ元首相と極めて親しい関係にある。2人はかつて民主党に所属していた仲間。加えてマタレッラ大統領は2015年、当時首相だったレンツ氏が率いる中道左派連合の強い支援で大統領に当選した。それ以前も以後も、大統領がレンツィ元首相に近いのは周知の事実である。

また彼ら―特にレンツィ元首相―が左派ポピュリストの五つ星運動と犬猿の仲であることもよく知られている。コンテ首相は五つ星運動所属ではないものの同党に親和的。マタレッラ大統領にはそのことへの違和感もあったのではないか。そこにコンテ首相の排除を望むレンツィ元首相の影響も作用して、政変の方向性が決定付けられたのだろう。

そればかりではない。大統領とレンツィ元首相は強烈なEU(欧州連合)信奉者だ。その点はECB(欧州中央銀行)前総裁のドラギ氏ももちろん同じ。しかもレンツィ氏とドラギ氏も親密な仲である。次期イタリア首相候補としてドラギ氏を最初に名指したのも実はレンツィ元首相なのだ。

かくてEU主義者のマタレッラ、レンツィ、ドラギの3氏が合意して、反EU主義政党である五つ星運動に支えられたコンテ首相を排除する確固とした道筋が出来上がった。マタレッラ大統領は彼の持つ「非常時大権」を縦横に行使してその道筋を正確に具現化した。

国家元首であるイタリア大統領は、既述のように上下両院の合同会議で全議員及び各州代表によって選出される。普段はほとんど何の実権もないが、政府が瓦解するなどの国家の非常時には、あたかもかつての絶対君主のような権力行使を許され、機能しない議会や政府に代わって単独で役割を果たす。いわば国家の全権が大統領に集中する事態になるのだ。

例えば2011年11月、イタリア財務危機のまっただ中でベルルスコーニ内閣が倒れた際には、当時のナポリター ノ大統領が彼の一存でマリオ・モンティ氏を首相に指名して、組閣要請を出した。そうやって国会議員が一人もいないテクノクラート内閣が誕生した。

また2016年、レンツィ内閣の崩壊時には現職のマタレッラ大統領が外相のジェンティローニ氏を新首相に任命。ジェンティローニ内閣はレンツィ政権の閣僚を多く受け継ぐ形で組閣された。そして泥縄式の編成にも見えたその新造の内閣は、早くも3日後には上下両院で信任された。

2018年の総選挙後にも大統領は「非常時大権」を行使した。政権合意を目指して政党間の調整役を務めると同時に、首班を指名して組閣要請を出した。その時に誕生したのが第1次コンテ内閣である。コンテ首相は当時、連立政権を組む五つ星運動と同盟の合意で首相候補となりマタレッラ大統領が承認した。

政治危機の中で大統領が議会と対峙したり、上下両院が全く同じ権限を持つなど、混乱を引き起こす原因にもなる政治システムをイタリア共和国が採用しているのは、ムッソリーニとファシスト党に多大な権力が集中した過去の苦い体験を踏まえて、権力が一箇所に集中するのを防ごうとしているからだ。

議会は任期が満了したり政治情勢が熟すれば解散されなければならない。議会が解散されれば次は総選挙が実施される。総選挙で過半数を制する政党が出ればそれが新政権を担う。その場合は大統領は、政権樹立に伴う一連の出来事の事後承認をすれば済む。それが平時のイタリア大統領の役割である。

しかし、いったん政治混乱が起きると、大統領は一気に存在感を増す。イタリアの政治混乱とは言葉を変えれば「大統領の真骨頂が試される」時でもあり、「大統領の“非常時大権“の乱用」による災いが起きるかもしれない、微妙且つ重大な時間なのである。



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武漢がイタリアに引っ越した日



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阿鼻叫喚のイタリアの新型コロナ地獄はちょうど1年前の今日、2020年2月21日に始まった。

北部ロンバルディア州コドーニョ(Codognio)でクラスターが発生したのだ。

その前日の2月20日、コドーニョ病院でイタリア初の新型コロナの感染者が発見された。

当初その第1号患者は0号患者と誤解された。

クラスターは第1号患者の周辺で発生し、彼が入院したコドーニョ病院での院内感染も伴っていた。

いくつかのクラスターはたちまち感染爆発を招いた。

その日からイタリアは武漢化した。

ほぼ20日後の3月10日、イタリア政府はコドーニョを含むロンバルディア州と近辺に敷いていたロックダウンを、全土に拡大した。

クラスターの発生からちょうど1年後の2021年2月21日現在、イタリアの新型コロナの死者は9万5千486人。

累計の感染者は279万5千796人である。

昨年12月に始まったワクチン接種は遅々として進まず、これまでに212万8千130回分が接種されたに過ぎない。

人数にすると132万8千162人である。

閑話休題

国家非常事態の中でもイタリア人の政治好きは止まず、コロナ第1波の惨劇を誠心と勇気で乗り切ったジュゼッペ・コンテ首相の首がすげ替えられた。

新首相は超有名エコノミストのマリオ・ドラギさん。口げんかの絶えない政界の魑魅魍魎たちが、ぐっと口をつぐむほどの経済の大家、希望の星である。

コンテ首相は、イタリアの政治を引っ掻き回しているポピュリストの五つ星運動が、ほぼ唯一放った大ホームランだった。

大学教授のコンテさんを政界に引っ張り込んだのは五つ星運動なのである。

得意の経済政策はバラマキだけ、と見える五つ星運動に支えられたコンテさんは、コロナ禍が落ち着いたあとは経済で苦労するのは必至だった。

従って経済の専門家のドラギさんが首相になったのは、コンテさんのためにもイタリアのためにも、ドラギさんのためにもきっと良いことだ。

問題は、コンテ首相を大得意の権謀術数で退陣に追い込んだ、魑魅魍魎中の大妖怪レンツィ元首相を筆頭にする政治家連である。

経済も、コロナ対策も、何よりもワクチン接種の推進も、ドラギ新首相はきっとうまくやってくれそうな気配だ。

魑魅魍魎たちが邪魔さえしなければ。

多分。。



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極右に「北朝鮮みたい」と酷評されたイタリア新政権

6502012年12月8日南庭美雪


マリオ・ドラギ内閣がイタリアの上院と下院で正式に信任された。

上院は賛成262票、反対40票。また下院は賛成535票、反対56票。圧倒的と形容するのもバカバカしいほどの絶対多数での信任になった。

議会第1党の極左ポピュリスト「五つ星運動」と、同じく第2党の極右ポピュリスト「同盟」が、2018年の第1次コンテ内閣をなぞるかのように同時に政権入りした。

そこに左派の「民主党」とベルルスコーニ元首相が率いる右派の「フォルツァ・イタリア」 が加わり、さらに左右中道ナンデモカンデモコレデモカ、とばかりに各小政党や会派が連立に参加した。

主要政党で政権入りしなかったのはファシスト党の流れをくむ「イタリアの同胞」のみ。

まさに大連立、大挙国一致内閣である。

喧嘩、対立が絶えないイタリア政界を見慣れている目には異様とも映るその状況を、極右政党「イタリアの同胞」のジョルジャ・メローニ党首は、「北朝鮮みたい」と喝破した。

ま、正確に言えば「われわれが反対しなければドラギ政権は北朝鮮と同じだ」だったけれど。

極右の「イタリアの同胞」は、ドラギ首相よりも彼らの天敵である五つ星運動への反発から大連立に加わらなかった。

とはいうものの、実態は「連立から弾き出された」という方がより真相に近い。

同党は、いつも怒っていていつも人に殴りかかりそうな、険しい話し方をするメローニ党首に似て暗く、少しうっとうしい。

それはさておき、僕はメローニ党首の「北朝鮮みたい」発言に少々ひっかかりを覚えた。

彼女はなぜイタリアでは北朝鮮よりもはるかに存在感の強い「中国みたい」とは言わなかったのだろう?と。

北朝鮮はその隣でいろいろ迷惑をこうむる日本から見る場合とは違って、イタリアからは心理的にも距離的にも遠い。

距離の遠さという意味では中国も同じだが、中国は遠くにありながら心理的にも物理的にもイタリアに極めて近い。というか、近すぎる。

イタリアは中国の一帯一路構想を支持し、G7国で初めて習近平政権との間に覚書を交わした。

極左のポピュリスト五つ星運動のいわばゴリ押しが功を奏した。

そればかりではなく、イタリアには中国製品と中国人移民があふれている。昨年は中国由来とされる新型コロナで、世界初且つ世界最悪ともされる感染地獄に陥った

さらに良識あるイタリア国民の間には、中国による香港、ウイグル、チベットなどへの弾圧や台湾への威嚇などに対する反感もある。

イタリアの右派は一帯一路を巡る中国との覚書を快く思っていない。

2019年にそれが交わされた時、政権与党だった「同盟」は反発した。「イタリアの同胞」は「同盟」の朋友でしかも同盟よりも右寄りの政党である。

中国への反発心はイタリアのどの政党よりも固いと見られている。

それでいながらメローニ党首は、ネガティブな訳合いの弁論の中で中国を名指しすることを避けた。それはおそらく偶然ではない。

そこには中国への強い忖度がある。

イタリア国民の間には明らかな反中国感情がある。しかし政治も公的機関も主要メディアも、国民のその気分とは乖離した動きをすることが多い。

イタリア政府は世界のあらゆる国々と同様に、中国の経済力を無視できずにしばしば彼の国に擦り寄る態度を見せる。

極左ポピュリストで議会第1党の「五つ星運動」が、親中国である影響も無視できない。イタリアが長い間、欧州最大の共産党を抱えていた歴史の残滓もある。

共産党よりもさらに奥深い歴史、つまりローマ帝国を有したことがあるイタリア人に特有の心理的なしがらみもある。

イタリア人が、古代ローマ帝国以来培ってきた自らの長い歴史文明に鑑みて、中国の持つさらに古い伝統文明に畏敬の念を抱いている事実だ。

その歴史への思いは、いまこのときの中国共産党のあり方と、中国移民や中国人観光客への違和感などの負のイメージによってかき消されることも多い。

しかし、イタリア人の中にある古代への強い敬慕が、中国の古代文明への共感につながって、それが現代の中国人へのかすかな、だが決して消えることのない好感へとつながっている面もある。

淡い好感に端を発したそのかすかなためらいが、極右のボスであるメローニ党首のしがらみとなって、「ドラギ政権は一党独裁の中国みたい」と言う代わりに「まるで北朝鮮みたい」と口にしたのではないか、と思うのである。

僕は極右思想や政党には強烈な違和感を覚える者だが、中国共産党に噛み付かない極右なんて、負け犬の遠吠えにさえ負けるタマ無しで、もっとつまらない、と思わないでもない。


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ドラギ挙国一致内閣は両刃の剣スキーム

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新首相と大連立与党連合

2021年2月13日、イタリアでドラギ新内閣が誕生した。73歳のマリオ・ドラギ新首相は2011年から2019年までECB(欧州中央銀行)総裁を務めたセレブな経済学者。コロナ・パンデミックで落ちるところまで落ちたイタリア経済の救世主になるのではないか、との期待が高まっている。

期待は経済や政治に関心のある国民ばかりではなく、普段は全くそこに興味を持たない人々の間にまで広まっている。そのことはイタリアの政治システムに不明な人々までが、ドラギ氏の高名に興奮してSNSにファンレターまがいのとんちんかんな書き込みをすることなどでも類推できる。

アカデミックな経済の専門家としてのドラギ氏の経歴は華々しい。彼は米国のMIT(マサチューセッツ工科大学)で経済学博士号を取得。フィレツェ大学の教授を務めたあとイタリア銀行総裁に出世。さらに2011年から2019年までは欧州中央銀行総裁の職にあった。

2021年2月3日、ドラギ氏はイタリア大統領からの組閣要請を受けた。彼はすぐにイタリアの各政党との面談を開始。たちまちほぼ全ての勢力から支持を取り付けた。その手腕はエコノミストというだけではなく政治家としても有能であるように見える。

彼を支持するのは、極左のポピュリスト・五つ星運動から極右ポピュリストの同盟、左派の民主党、さらにベルルスコーニ元首相が率いるほぼオワコンにさえ見えるフォルツァ・イタリア党、それらに加えて全ての小政党や会派など。文字通り挙国一致と呼べる巨大な連立与党連合が出来上がった。

ここから数ヶ月の蜜月期間は、世界クラスの知名度を持ちカリスマ性もあるドラギ首相に物申す相手はいないだろう。だが、時間とともに各政党の利害がむき出しになるのは政治である限り避けることはできない。そのときになってもドラギ首相が強いリーダーシップを発揮し続けているなら、イタリアの未来は明るい。だがそうではない可能性もいまのところは5割ある。

3人のEU教徒

僕はEU(欧州連合)支持者である。ブリュッセルの官僚支配という弊害はあるものの、欧州がひとつになり各国民が交流し刺激し合い成長し合うのはすばらしい。何よりもEUが「戦争防止装置」としての役割を十分に果たしていることは見逃せない。

欧州中央銀行の総裁を務めたドラギ首相は、いうまでもなくがちがちのEU主義者である。ジュゼッペ・コンテ前首相の辞表を待ってましたとばかりに受理して(なぜ待ってましたとばかりかは後述)、ドラギ氏に組閣を指示したセルジョ・マタレッラ大統領も筋金入りのEU信奉者。さらにドラギ氏を誰よりも先に首相に推したマテオ・レンツィ元首相も隠れなきEU支持者である。

その意味では僕は3者を支持するが、ジュゼッペ・コンテ首相をいわば排除したという意味では、3者に強い違和感も持つ。特にマテオ・レンツィ元首相は今回の政変の首謀者。彼はことし1月13日、自身が率いる政党「イタリア・ヴィヴァ」所属の閣僚を、コンテ内閣から引き上げて政権を崩壊させた。

理由はEUからイタリアに与えられるコロナ復興資金の使用法に異議がある、というものだった。だが真相は、衰退著しく存在感がぼゼロと言われるほどに落ちぶれた「イタリア・ヴィヴァ」と自身の求心力低下に焦ったレンツィ元首相が、起死回生を狙って打った大芝居、というのが定説。

しかし、そ反乱はあまりにもタイミングが悪かった。コンテ内閣は昨年の阿鼻叫喚のコロナ地獄を克服したことでイタリア国民の強い信頼を得ている。特に強いリーダーシップと類まれなコミュニケーション力で、国民を勇気付け慰撫し続けたコンテ首相は、かけがえのない存在とみなされてきた。

イタリアは昨年3月から5月にかけての第1波の凄惨な危機からは抜け出した。が、コロナパンデミックは依然として続いている。収束とは程遠い状況である。そんな非常時にレンツィ元首相は我欲に駆られて政治危機を招いた。イタリア中から強い批判が湧き起こった。

だがレンツィ元首相の反乱は、行き当たりばったりの妄動ではなく、周到に計算されたものであるらしいことが明らかになった。少なくとも僕の目にはそう映る。レンツィ元首相は政治的に彼と近しいマタレッラ大統領と連携して、政変を起こした可能性が高いのだ。連携が言いすぎなら、少なくともマタレッラ大統領に“予告した”上で、倒閣運動を仕掛けた。

マタレッラ大統領は2015年、当時首相だったレンツィ氏が主導する中道左派連合の強いバックアップで大統領に当選した。彼らはかつて民主党に所属した同僚でもある。また既述のように親EU派としてもよく知られている。2人が政治的にきわめて親密な仲であることは周知の事実だ。

大統領の遠謀?

一方、大学教授から首相になったジュゼッペ・コンテ氏は、反EUで左派ポピュリストの五つ星運動に支えられている。コンテ首相は五つ星運動所属ではないが、心情的には同党に近いとされる。反体制が合い言葉の五つ星運動の根幹の思想に共感するものがあるのだろう。その在り方の是非はさておき「弱者に寄り添う」という同党の主張にも賛同しているのではないか。

繰り返しになるが五つ星運動はEU懐疑派である。彼らは元々EUからの離脱を目指し、トランプ主義にも賛同してきた。だがイタリアの過激主義は「国内に急進的な政治勢力が乱立している分お互いに妥協して軟化する」、という僕の持論どおり選挙運動中に反EUキャンペーンを引っ込め、政権を取るとほぼEU賛同主義者へと変わるなどした。だが、彼らの本質は変わっていない。マタレッラ大統領は、レンツィ元首相とともにそのことにも危機感を抱いたに違いない。

2者は極端な推論をすればそれらの背景があってコンテ首相を排除し、ドラギ氏擁立のプランを立てた。そして事態は次のように動いた。
1、レンツィ元首相の反乱。
2、コンテ首相辞任(マタレッラ大統領から再組閣指示を引き出すためのいわば根回し辞任。予期された通常の手続きである。だからマタレッラ大統領は「待ってました」とばかりに辞表を受理した)
3.マタレッラ大統領、コンテ首相にではなく政治的に非力なフィーコ下院議長に連立工作を指示(失敗を見越して)。
4.フィーコ下院議長の連立工作、予想通り失敗。 
5.マタレッラ大統領がすぐさまマリオ・ドラギ氏に組閣を要請。

という筋書き通りに事が動いた。

新旧首相の幸運

コンテ首相は国民に真摯に、誠実に、そして熱く語りかける姿勢でコロナ地獄を乗り切り圧倒的な支持を集めた。コロナ感染抑止を経済活動に優先させたコンテ首相の厳格なロックダウン策は、感染が制御不可能になり医療崩壊が起きて多くの死者が出ていた昨年の状況では、的確なものだった。だがそれによってただでも不振に喘いでいたイタリア経済が多大なダメージを受けたのも事実だ。

コンテ首相には今後も、引き続きコロナ対策を講じながら経済の回復も期す、という厳しい責務が課されることは間違いがなかった。しかし彼の政権は、経済政策といえばベーシックインカムに代表されるムチャなバラマキ案しか知らない政治素人の集団・五つ星運動に支えられている。適切な経済策を期待するのは厳しいようにも見えた。その意味ではコロナ対策で高い評価を受けたまま退陣したのはあるいは好いことだったのかもしれない。

ドラギ内閣は迅速な経済の回復を進めると同時にワクチン接種を広範囲に迅速に実施しなければならない。後者は出だしでのつまずきが問題になっている。一方経済の建て直しに関しては、ドラギ首相は大きな僥倖に恵まれている。つまりイタリアに提供されるEUからの莫大なコロナ復興資金である。総額は2090億ユーロ、約26兆5千億円にのぼる。そのうちの4割は補助金、6割が低金利の融資だ。

ドラギ首相は理論的にはその大きな資金を縦横に使って経済を再生させることができる。実現すればすばらしいことだが、経済学者が「理路整然」と実体経済を読み違えるのもまた世の常である。ましてや国家経営には、銀行経営とは違って「感情」というやっかいなものが大きく絡むから、ドラギ首相の仕事は決して単純ではない。


ドラギ首相はかつて、ECB総裁として経済危機に陥ったイタリアに緊縮財政策を押し付けた張本人のひとりだ。2011年、財政危機の責任を取って退陣したベルルスコーニ首相に代わって、政権の座に就いたマリオ・モンティ首相は、ドラギ首相とよく似たいきさつで内閣首班になった。だがモンティ首相は当時、ブリュッセルのEU本部とECB総裁のドラギ氏のほぼ命令に近い要請で、財政緊縮策を強いられた。ドラギ氏はちょうど10年の年月を経て自らがイタリア首相になり、且つ潤沢な資金を使って経済の建て直しをする、というモンティ元首相とは真逆の立場におかれたのだ。大きな幸運である。

さらにドラギ首相への追い風が吹いている。EU首脳部は、彼らがイタリアに強要した緊縮財政策が悪影響を及ぼして、イタリアの経済がさらに失速し回復が遅れている、と内心認めていると言われる。従ってドラギ内閣が、EU内でイタリアがギリシャに次ぐ借金大国に成り果てている苦境をしばらく忘れて、さらなる借金さえしかねない財政拡大策を推し進めもこれを黙認する、と考えられている。

ドラギ首相のスネの傷

ドラギ首相は高位のエコノミストとしてこれまでイタリア内外で多くの経済政策を推進してきた。その中には重大な失策もある。例えばドラギ首相はイタリア財務省総務局長時代に、当時国有だった巨大企業イタリア高速道路管理運営会社(ASPI)の民営化を進めた。民営化された同社はオーナー一族に莫大な利益をもたらした。

だが会社は巨利をむさぼるばかりで維持管理を怠り、2018年にはジェノバで高架橋の落下という重大事故を起こして43人もの死者が出た。その事故以外にも ASPIのインフラ管理の杜撰さが問題になっている。コンテ政権は同社を再び国営化した。だが全ての課題が突然消えた訳ではない。かつてASPIを民営化させたドラギ首相は、事態がさらに複雑化し問題が再燃することを恐れているかもしれない。

また世界最古の銀行MPS(モンテ・デイ・パスキ・ディ・シエナ)が経営破綻した時、イタリア中央銀行総裁だった彼はその責任の一端を担っている。さらに問題が巡りめぐって同銀行が公的資金で救済された際には、ドラギ首相はECB(欧州中央銀行)総裁を務めていた。MPSに公的資金が投入されたのは、ECBの誘導によるとされている。従って彼はMPSの行く末にも責任を負わなければならない。

コロナ対策も経済政策も、ドラギ政権を支持する全ての政党が一致団結して事に当たれば、きわめてスムースに実行されるだろう。だが意見を異にする政党が寄り集まるからには、対立や分断もまた容易に起こりうる。それぞれの政治勢力がてんでに主張を強めれば、政権内の混乱の収拾がつかなくなる可能性もある。ドラギ内閣を構成している「ドラギを信奉する一大連合勢力」は、両刃の剣以外の何者でもないように見える。



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置き物のイタリア大統領が化け物になる理由(わけ)  



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イタリアでまた政権が変わりました。1月26日にジュゼッペ・コンテ首相が辞任し、ほどなくマリオ・ドラギ内閣が誕生しました。イタリアではひんぱんに内閣が倒れ政権が交代します。よく日本の政治状況に似ていると言われますが実は大きく違います。イタリアでは政治危機の度に大統領が大きな役割を果たすところが特徴的です。

国家元首であるイタリア大統領は、上下両院議員の投票によって選出されます。普段は象徴的な存在で実権はほとんどありません。ところが政治危機のような非常時には議会を解散し、組閣要請を出し、総選挙を実施し、軍隊を指揮するなどの「非常時大権」を有します。大権ですのでそれらの行使には議会や内閣の承認は必要ありません。

今回の政変は1月13日に起きました。コンテ内閣の一角を担っていたレンツィ元首相率いる小政党「イタリア・ヴィーヴァ」が連立政権からの離脱を表明しました。それによって、昨年の新型コロナ地獄を乗り切り国民の強い支持を受けてきたコンテ内閣が、一気に倒壊の危機に陥りました。

しかし、レンツィ派の造反にもかかわらず、コンテ首相への支持は強いものがありました。反乱後の信任投票でコンテ内閣はイタリア下院の絶対多数の信任を得ました。一方で下院と全く同等の権限を持つ上院では、出席議員の過半数を僅かに超える単純多数での信任にとどまりました。絶対多数161に対して5票足りない156票だったのです。

僅差での信任はコンテ内閣が少数与党に転落したことを意味し予算案などの重要法案を可決できなくなる可能性が高まります。危機感を抱いたコンテ首相は、冒頭で触れたように1月26日、マタレッラ大統領に辞表を提出します。この動きは予期されたものです。大統領に辞表を提出し、けじめをつけた上で改めて大統領から組閣要請を受ける、というのがコンテ首相の狙いでした。それはごく自然な動きです。

コンテ内閣は世界最悪とも言われたコロナ危機をいったん克服はしたものの、イタリアは依然としてパンデミックの緊急事態の最中にあります。今の状況では、コンテ首相が辞表を出して大統領の慰留を引き出すのが得策。その上で新たに上院議員の支持を取り付け第3次コンテ内閣を発進させる、というのが最善の成り行きのように見えました。それが大方の予想でした。

しかし、マタレッラ大統領が「非常事大権」を行使して状況を急転させました。大統領はコンテ首相に新たに連立政権工作をするよう要請する代わりに、ロベルト・フィーコ下院議長にそのことを指示したのです。フィーコ議長は議会第1党の五つ星運動の所属。五つ星運動は議会最大の勢力ながら政治素人の集団です。フィーコ氏には党外での政治的影響力はほとんどありません。

コンテ内閣の再構築を念頭に各党間の調整を図る、フィーコ下院議長の連立政権工作はすぐに行き詰まります。するとマタレッラ大統領は、まるでそれを待っていたかのように前ECB(欧州中央銀行)総裁のマリオ・ドラギ氏に組閣要請を出しました。「非常事大権」を意識した大統領の動きは憲法に則ったものです。誰も異議を唱えることはできません。

大統領のその手法は、見方によっては極めて狡猾なものでした。なぜなら彼はそこで一気にコンテ首相の再登板への道を閉ざした、とも考えられるからです。そうやってイタリアの最悪のコロナ地獄を克服した功労者であるコンテ首相は、マタレッラ大統領によって排除されました。

少し脇道にそれて背景を説明します。マタレッラ大統領はコンテ政権内で反乱を起こしたレンツィ元首相と極めて親しい関係にあります。2人はかつて民主党に所属していました。加えてマタレッラ大統領は2015年、当時首相だったレンツ氏が率いる中道左派連合の強い支援で大統領に当選しました。それ以前も以後も、大統領がレンツィ元首相に近いのは周知の事実です。

また彼ら―特にレンツィ元首相―が左派ポピュリストの五つ星運動と犬猿の仲であることもよく知られています。コンテ首相は五つ星運動所属ではないものの同党に親和的です。マタレッラ大統領にはそのことへの違和感もあったのではないか。そこにコンテ首相の排除を望むレンツィ元首相の影響も作用して、政変の方向性が決定付けられたのでしょう。

そればかりではありません。大統領とレンツィ元首相は強烈なEU(欧州連合)信奉者です。その点はECB(欧州中央銀行)前総裁のドラギ氏ももちろん同じ。しかもレンツィ氏とドラギ氏も親密な仲です。次期イタリア首相候補としてドラギ氏を最初に名指したのも実はレンツィ元首相なのです。

かくてEU主義者のマタレッラ、レンツィ、ドラギの3氏が合意して、反EU主義政党である五つ星運動に支えられたコンテ首相を排除する確固とした道筋が出来上がりました。マタレッラ大統領は彼の持つ「非常時大権」を縦横に行使してその道筋を正確に具現化しました。

国家元首であるイタリア大統領は、既述のように上下両院の合同会議で全議員及び各州代表によって選出されます。普段はほとんど何の実権もありませんが、政府が瓦解するなどの国家の非常時には、あたかもかつての絶対君主のような権力行使を許され機能しない議会や政府に代わって単独で役割を果たします。いわば国家の全権が大統領に集中する事態になるのです。

例えば2011年11月、イタリア財務危機のまっただ中でベルルスコーニ内閣が倒れた際には、当時のナポリター ノ大統領が彼の一存でマリオ・モンティ氏を首相に指名して、組閣要請を出しました。そうやって国会議員が一人もいないテクノクラート内閣が誕生しました。

また2016年、レンツィ内閣の崩壊時には現職のマタレッラ大統領が外相のジェンティローニ氏を新首相に任命。ジェンティローニ内閣はレンツィ政権の閣僚を多く受け継ぐ形で組閣されました。そして泥縄式の編成にも見えたその新造の内閣は、早くも3日後には上下両院で信任されました。

2018年の総選挙後にも大統領は「非常時大権」を行使しました。政権合意を目指して政党間の調整役を務めると同時に首班を指名して組閣要請を出しました。その時に誕生したのが第1次コンテ内閣です。コンテ首相は当時、連立政権を組む五つ星運動と同盟の合意で首相候補となりマタレッラ大統領が承認しました。


政治危機の中で大統領が議会と対峙したり、上下両院が全く同じ権限を持つなど、混乱を引き起こす原因にもなる政治システムをイタリア共和国が採用しているのは、ムッソリーニとファシスト党に多大な権力が集中した過去の苦い体験を踏まえて、権力が一箇所に集中するのを防ごうとしているからです。

議会は任期が満了したり政治情勢が熟すれば解散されなければなりません。議会が解散されれば次は総選挙が実施されます。総選挙で過半数を制する政党が出ればそれが新政権を担います。その場合は大統領は政権樹立に伴う一連の出来事の事後承認をすれば済みます。それが平時のイタリア大統領の役割です。

しかし、いったん政治混乱が起きると、大統領は一気に存在感を増します。イタリアの政治混乱とは言葉を変えれば「大統領の真骨頂が試される」時でもあり、「大統領の“非常時大権“の乱用」による災いが起きるかもしれない微妙且つ重大な時間なのです。



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イタリアの「またもや」の政治危機が行く~ドラギ内閣が生まれそう


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イタリアのセルジョ・マタレッラ大統領の要請を受けて、政権樹立の可能性を探ってきたマリオ・ドラギECB(欧州中央銀行)前総裁の仕事が完成しそうだ。

議会第1党と第2党で、且つ鋭く対立してきた五つ星運動と同盟が、ドラギ内閣を支持することがほぼ確実になってきた。

しかし、五つ星運動は内部が平穏ではなく、ドラギ政権に参加することによって分裂が進みかねない状況。土壇場での方向転換もありうる情勢。

五つ星運動と同盟は左右のポピュリストである。ポピュリストという点移外にはほとんど共通点がないにもかかわらず、両党は2018年に手を結んで野合政権を樹立した。

だが元々犬猿の仲である五つ星運動と同盟は多くの政策で対立、喧嘩が絶えなかった。連立政権発足から1年余りの2019年8月、同盟が対立激化を理由に早期の解散総選挙を要求。

否定されると内閣不信任決議案を提出して政権を離脱した。同盟のサルビーニ党首に、総選挙に持ち込んで右派勢力を結集し、独自政権を樹立したい思惑があったのは周知のことである。

第1次コンテ内閣は崩壊した。が、五つ星運動がすぐに彼らの天敵だった議会第3党の民主党に呼びかけて、2019年9月5日、あらたに連立政権を樹立した。

第2次コンテ内閣は、2020年初めからイタリアを襲ったコロナ惨禍を克服。それは大きな指導力を発揮したジュゼッペ・コンテ首相の手柄だった。

コロナ地獄と、それをうまく処理するコンテ首相の前にしばらく鳴りを潜めていた守旧派の政治勢力は、EU(欧州連合)からの莫大なコロナ復興援助金に目が眩んで密かに暗躍を開始。

その流れで2021年1月13日、レンツィ元首相が率いる連立内の小政党「Italia Viva イタリア・ヴィヴァ」が政権からの離脱を表明。「壊し屋」の異名を持つレンツィ元首相が、「コロナ復興資金の使途不明確」という不明確な理由を口実に反乱を起こしたのだ。

レンツィ元首相の一存で「Italia Viva イタリア・ヴィヴァ」が同党所属の閣僚を引き上げたため、第2次コンテ内閣は事実上崩壊。2021年1月26日、コンテ首相は辞任を表明した。

それを受けて2021年1月29日、マタレッラ大統領がロベルト・フィーコ下院議長に連立模索を指示。しかしそのわずか数日後にフィーコ下院議長の連立工作は失敗に終わった。

マタレッラ大統領はあたかもそれを待っていたかのように素早く行動する。ためらうことなくマリオ・ドラギ前ECB総裁に組閣要請を出したのだ。そこにはレンツィ元首相の暗躍があった。

マタレッラ大統領は2015年、当時首相だったレンツ氏が率いる中道左派連合の強い支援で大統領に当選している。それ以前も以後も、大統領がレンツィ元首相に近いのは周知の事実である。

1月29日、マタレッラ大統領がコンテ首相ではなくフィーコ下院議長に連立模索を指示したのは、ドラギ氏に組閣要請を出すための深謀遠慮、伏線のように見える。

つまりマタレッラ大統領は、辞任を表明したコンテ首相ではなく、敢えてフィーコ下院議長に連立工作を指示することによって、第3次コンテ内閣の成立を阻んだとも考えられるのだ。

政治的にほぼ無力のフィーコ氏が連立工作に失敗するのは明らかだった。一方、コロナパンデミックを通して国民の圧倒的な支持を受け強い指導者に変貌しているコンテ首相なら、再び彼自身が首班となる政権樹立が可能だった。

マタレッラ大統領もそのことは知悉し、また昨年のコロナ地獄を乗り切ったコンテ首相への信頼も十分にあると思う。それでいながら彼がコンテ首相に3度目の組閣要請を出さなかったのは、おそらく首相の背後に控えている五つ星運動への警戒感からではないか、と僕は考える。

そこに政治的に近しいレンツィ元首相の影響が加わって、マタレッラ大統領の動きが規定された。なにしろ次の首相候補としてマリオ・ドラギ前ECB総裁の名を最初に口にしたのは、レンツィ元首相なのである。

マタレッラ大統領、レンツィ元首相、そして前欧州中央銀行総裁のドラギ氏は言うまでもなく、全員が強力なEU(欧州連合)信奉者だ。片やコンテ首相は反EU主義政党・五つ星運動と親和的。

むろんそのこと以外にも対立や苛立ちや不審また不信感などがあるだろうが、親EUで固く結びついた政治勢力は、コンテ首相を排除してドラギ氏に白羽の矢を立てたのである。

以来、今日までのほぼ一週間に渡って、ドラギ氏は彼の内閣の誕生を目指して全ての政党と政権協議を進めてきた。

結果、冒頭で述べたようにドラギ氏は、最大勢力の五つ星運動と同盟をはじめとするほぼ全勢力の支持を取り付けた。

同盟はほぼ全党一致に近い賛成。一方の五つ星運動は、内部分裂の危機を孕んだ危うい状態での賛成ではある。

五つ星運動は彼らの金看板である「一定の国民に所得を保障する」ベーシックインカムまがいのバラマキ政策を死守したい思惑がある。が、そのバラマキ策に違和感を抱く国民も多くいる。

ドラギ氏との政権協議には、普段は姿を隠している五つ星運動の大ボス、ベッペ・グリッロ氏も参加。彼はかつてドラギ氏を「ECBのドラキュラ」などと口汚く罵っていた過去をころりと忘れて、ドラギ氏に擦り寄った。

グリッロ氏が突然表舞台に姿を現したのは、コンテ首相の退陣によって五つ星運動の求心力が下がるどころか、下手をすると党がドラギ氏の連立政権から弾き出されかねないことを恐れての動きだろう。

五つ星運動に似たもう一方のポピュリスト・極右の同盟も、早期の解散総選挙を声高に主張していた姿勢を改めて、あっさりとドラギ氏支持に回った。

政治に誠実や正直を求めても詮無いことだが、2党の指導者の節操の無さは相変わらずすさまじい。もっともそれは他の政治勢力も同じだが。

民主党とレンツィ党はEU主義者という意味で、既述のように欧州中央銀行の総裁だったドラギ氏とは親和的。また同盟とともに右派勢力を形成するベルルスコーニ元首相の「フオルツァ・イタリア」も、ドラギ氏とベルルスコーニ氏が旧知の仲であることを言い訳に、さっさとドラギ政権支持に回った。

ドラギ氏は先に触れたように、ほぼすべての政党からの支持を取り付けた。おそらく今週中にも首相に就任する見通し。 現時点で明確にドラギ不支持を表明しているのは、ファシストの流れをくむ極右小政党「イタリアの同胞」のみである。




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イタリア政治危機が行く~ジコチュー政治家より経済学者のほうがいいかも


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コンテ首相の辞任を受けて政治混乱が続くイタリアでは、マタレッラ大統領が欧州中央銀行(ECB)前総裁のマリオ・ドラギ氏に組閣要請を出した。

ドラギ氏は要請を受諾して「コロナパンデミックを乗り越え、ワクチン接種を完遂して国民生活を普通に戻し、イタリアを再生させなければならない。われわれにはEU(欧州連合)からの膨大な支援金がある」と抱負を述べた。

ドラギ氏は政権樹立を目指して各政党との話し合いに入った。しかし議会多数の支持を得られるかどうかは不明。

議会第一党の左派ポピュリスト五つ星運動はただちに不支持を表明した。五つ星運動は辞任したコンテ首相の再任を強く推してきた。

また右派の中心で議会第二勢力の同盟は総選挙を主張しているが、ベルルスコーニ元首相率いるフォルツァ・イタリアはドラギ政権に肯定的。

欧州中央銀行(ECB)総裁として欧州ソブリン危機で大きな役割を演じたドラギ氏は、国際的な知名度も評価も高い。

だが彼は経済学者である。経済学者は経済を理路整然と間違うこともよくある。ましてや政治家としての力量は未知数だ。

とはいうものの、前任のコンテ首相も就任した時はずぶの政治素人だった。

コンテ首相は最初の頃は、周囲の政治家連の“操り人形”と批判されたりもした。が、間もなく有能なリーダーであることが明らかになっていった。

もしもドラギ氏が対立の激しい各政党を説得して組閣にまで至るなら、レンツィ元首相に代表される我欲のカタマリのような政治家連よりも、イタリアのためにはるかに良いかもしれない。

コンテ、もはや「前」首相のように。。



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神さまは私を忘れた

Fatima Negrini108歳


108歳のイタリア人女性、ファティマ・ネグリーニさんは昨年新型コロナに感染したが、奇跡的に回復した。

死の淵から生還した時、ファティマさんは「神様はどうやら私を呼び寄せるのを忘れたようだ」とジョークを飛ばして医師や看護師らのスタッフを笑わせ、それはメデァアで大きく伝えられた。
 
イタリアでは2021年2月1日現在、 8万8千人以上の人々が新型コロナで亡くなり、その多くは80歳以上の高齢者である。

そのために新型コロナから回復したお年寄りには注目が集まる。

欧州全体でもその傾向は強い。 

例えばイタリアよりも新型コロナの犠牲者が多い英国は、世界で最も早く新型コロナワクチンの接種を始める際、最初の患者として90歳の女性を選んで話題になった。

英国ではその後も94歳と99歳のエリザベス女王夫妻がワクチン接種を受けてニュースになった。

普通ならそんな事案がメディアをにぎわすことはない。ニュースバリューのある話題ではなく、且つ個人情報の争点にもなりかねないからだ。

だがそのトピックは、おそらく女王夫妻の了解も得て、ニュースに仕立てあげられた。

そこにはできるだけ多くの人にワクチンを受けるように促す宣伝の意味合いが込められている。

世界にはワクチン接種を嫌い、科学を疑う人々が少なからず存在している。
 
ここイタリアでは2020年12月27日にコロナワクチンの接種が始まり、2021年1月月31日現在、195万8千691回分が接種された。

新型コロナを克服した冒頭のファティマ・ネグリーニさんも、1月18日にワクチンの接種を受け、そのことも再びニュースになった。

イタリアのワクチン接種件数は欧州では英国に次いで多い。だがその数字は当初の計画に比べると遅れている。

製造元の欧州での生産が追いつかないというのが理由だが、説明に少々不明瞭な部分もあって、EU(欧州連合)と製薬会社が対立している。
 
コロナワクチンは医療関係者に優先的に接種され、次に感染すると重症化しやすい高齢者に接種される。

ことし6月に109歳の誕生日を迎えるファティマ・ネグリーニさんは、むろん高齢者として優先的に接種を受けた。

同時に、ワクチン接種者としては世界最高齢とも見られるその年齢によって、イタリア中に明るい話題を振りまいている。

それはさておき、

日本政府のワクチン接種戦略の迷走ぶりは目もあてられない。

いくつかの製薬会社とワクチン購入契約を結んだというが、中身はどうなっているのだろうか。

昨年からワクチンの供給を受けはじめているEU(欧州連合)でさえ、購入契約をめぐって製薬会社ともめている。

コロナ対策すらもしっかり行えない管政権が、生き馬の目を抜く世界のワクチン獲得ゲームで勝てるとはとうてい思えない。

いつから、誰に、どのようにワクチン接種を開始するかも不明瞭なら、ワクチンの入手そのものでさえ覚束ないように見える。

最短で2月の末に初のワクチン接種が行われたたとしても、EU(欧州連合)に2ヶ月以上も遅れてのスタート。

世界で初めて新型コロナワクチンの接種を始めたイギリスに比較すると、ほぼ3ヶ月もの遅れになる。

日本はワクチン接種戦略で大きく失敗して、その結果経済で欧米ほかの国々に太刀打ちできなくなる、という懸念が世界のそこかしこで出始めている。

そんな折に菅首相は、国会質疑で議員の批判を受けて「失礼だ。一生懸命仕事をしている」などと子供にも劣る愚かな答弁をした。

日本最強の権力者、という願ってもない地位をタナボタで得た彼は、その僥倖に深く感謝して謙虚になるどころか、権力を笠に着て居丈高になっている。

何おか言わんや、である。

民主主義の底の浅い日本の権力者は、お上に無批判に頭を垂れる国民が多いことに乗じて、自らが国民の下僕であることも忘れてすぐに増長しがちだ。

管首相の「失礼だ」発言はそのことを端的に示している。

国民への真摯な語りかけもコロナ対策も不得手な彼は、国民に「失礼」だ。さっさと退場してもらうほうがよほど国益にかなうのではないか。




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コンテ内閣、上院できわどい信任


2012年12月1日~8日 026 650


イタリア上院は19日、賛成156、反対140の僅差でコンテ内閣を信任した。

レンツィ元首相が率いる小政党「Italia Viva イタリア・ヴィヴァ」が連立政権から離脱したのが政局混乱の原因である。

議会絶対多数は161だった。そこに届かない場合はコンテ首相が辞任するなど、さらなる政治不安が出現する可能性もあった。

単純多数で信任されたンテ首相は「少数与党政権」を率いることになる。

イタリアでは珍しくないことだが、新型コロナパンデミックの中での厳しい政権運営になることが必至である。

イタリアでは上下両院が同等の権限を持つ。コンテ首相は予算案などの重要法案の可決の度に絶対多数工作をしなければならない。

パンデミックがはびこる非常時に、エゴイズム丸出しで政治混乱を演出したレンツィ元首相は無体な政治家だが、無体がイタリア政治の常態だから、今後もしぶとく恥知らずに生き延びるのだろう。



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コロナ死者が多くてもイタリアはもはやパニくらない


雪のドゥオーモ切り取り650

イタリアの日ごとの新型コロナ感染者数は減少傾向にある。

ところが12月3日、1日の死者が過去最多を更新して993人にものぼった。

これまでの記録は第1波のロックダウン中の969人。3月27日のことだった。

新法令

死者が激増した同じ日、イタリア政府は、新型コロナ対策として新たな法令を発動した。

それによるとクリスマス直前の12月21日から1月6日までは、州をまたいだ移動は禁止。

また夜10時から翌朝5時までの外出も引き続き禁止とする。

さらにクリスマス当日と翌日、また元日には住まいのある自治体から外に出てはならない。

ただし、いずれのケースでも、仕事や医療また緊急事態が理由の移動は許される。

レストランは、赤、オレンジ、黄色の3段階の警戒レベルのうち、最も低い黄色の地域にある店だけ午後6時まで営業できる。

大晦日から新年をホテルで過ごす場合、食事はルームサービスのみ許される。

スキーリゾートは来年1月6日まで閉鎖。1月7日より営業が可能、など。など。

パニくらないイタリア

イタリアの累計の新型コロナ死亡者は、12月3日現在5万8千38人。

欧州ではイギリスの6万210人に次いで多い。

欧州で死者が節目の5万人を超えているのは、イギリス、イタリア、そしてフランスの5万4千231人。スペインの死者数ももうすぐ5万人クラブに入る勢いである。

イタリアの1日あたりのコロナ感染者数は、例えば日本に比べると、依然としてぞっとするほどに多い。重症者も、従って死者も然りである。

なぜイタリアのコロナ死亡者は多いのか。答えは相変わらずイタリアが欧州一の高齢化社会だから、という陳腐なものだ。一種のミステリーである。

もやもやした心情を抱きつつも、人々は落ち着いている。第1波のコロナ地獄と全土のロックダウンを経験して、イタリア国民はコロナとの共存法をある程度獲得し、さらに獲得しつつある。

イタリアが最も賑やかになるクリスマスシーズンを控えめに過ごして、休暇後の感染爆発を回避しようとする政府の方針は、ほとんど国民的合意といってもかまわないように見える。

そうした社会情勢は、2回目のロックダウンを敷いて感染拡大をいったん制御し、クリスマスを前に一息ついているフランス、イギリス、スペインなども同じ。

欧州主要国の中ではドイツだけがロックダウンを延長しているが、それはドイツ的慎重の顕現で、同国のコロナ状況は依然として英仏伊西よりも良好である。


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コロナ禍中の盆も盆 



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今日11月2日はイタリアの盆である。「死者の日」という奇妙な名で呼ばれるが、日本の盆のように家族が集まって亡くなった人々を偲ぶ祭りの日。

「死者の日」の前日は「諸聖人の日」。さらにその前日、10月31日は「ハロウィン」である。ハロウィンとは「全ての聖人(諸聖人)の日の前夜」のことである。

「ハロウィン」「諸聖人の日」「死者の日」の三者は、全てのキリスト教徒ではなく“多くのキリスト教徒“にとっては、ひとかたまりの祭りである。次の理由による。

ハロウィンは元々キリスト教の祝祭ではなく古代ケルト人の祭り。それがキリスト教に取り込まれた。カトリック教会では今もハロウィンを宗教儀式(祭り)とは考えない。

一方、米英をはじめとする英語圏の国々では「ハロウィン」は重要な宗教儀式(祭り)。プロテスタントだからだ。プロテスタントは聖人を認めない。だから緒聖人の日を祝うこともない。

ところが「死者の日」はプロテスタントも祝う。カトリックを批判して宗教改革を進めたマルティン・ルターが祭りを否定しなかったからである。

つまりひとことで言えば、「ハロウィン」はキリスト教のうちでもプロテスタントが主に祝う。「諸聖人の日」はカトリック教徒が重視する。

「死者の日」には人々は墓地に詣でる。あらゆる宗教儀式が教会と聖職者を介して行われるのがカトリック教だが、この日ばかりは人々は墓地に出向いて直接に霊魂と向かい合うのである。

イタリアは他のほとんどの欧州諸国と同じように新型コロナ第2波に呑み込まれつつある。そのせいで墓参りをする人々が普段よりも少ないと見られている。

今日の「死者の日」は、カトリックもプロテスタントも寿ぐ。激しい選挙戦が展開されているアメリカに例えて言えば、分断の象徴が「ハロウィン」と「緒聖人の日」。融和の象徴が「死者の日」である。

「死者の日」は霊魂を迎える祭りであり、死者と生者が互いを偲びつつ静かに交流する機会。且つカトリックもプロスタントも祝う。つまり二重の意味で融和の祝祭なのである。

急速に悪化しつつあるコロナ禍と、明日が投票日の米大統領選の険しい動きを逐一追いかけるうちに、アメリカに融和は訪れるのだろうか、ととりとめもなくまたこじつけのように思ったりもしている。



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イタリアはコロナ感染抑制の「貯金」を使い果たしつつある


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英仏スペインを筆頭に進んできた欧州の新型コロナ感染拡大の第2波が、どうやらこれまで極めて静かだったイタリアも飲み込みこんでさらに勢いを増しつつあるようだ。

10月初めのイタリアの一日当たりの新型コロナ感染者数は2000人台だった。当時はそれは驚くほど大きな数字に見えた。ロックダウン解除後、イタリアの新規感染は低い水準で推移していたからだ。

ところがその数字は感染が急増していたスペイン、フランス、イギリスなどに比べると、とても低い水準に過ぎなかった。だがその後イタリアの感染者数は、3国をなぞるようにじわじわと増え続けた。

そして10月16日、ついにイタリアの一日当たりの感染者数は1万人を超えた。翌日も増えて1万925人が新たに感染した。また累計の感染者数も節目の40万人を超えた。

18日は日曜日にもかかわらず感染者数はまた増えて1万1705人に達した。週末は欧州のほとんどの国と同じようにイタリアの検査数も少なくなる。それでも新規の感染者数は減らなかった。

だが第2波が猛威を振るっているフランスでは、イタリアの感染者数が1万人に達する前の10月15日に、一日の感染者数が3万人を超えた。それを受けてフランス政府は、首都パリを含む9都市に夜間外出禁止令を発動した。

パリの街の灯がまた消えた。マルセイユ、リヨン、グルノーブル、 サン・テティエンヌなどの街の夜も漆黒に閉ざされる。規制期間は4週間。だが状況によっては延長されることが決まっている。

スペインとイギリスの感染拡大も続いている。10月15日、イギリスの感染者は1万8980人を数えた。スペインの毎日の新規感染者数も極めて多い。優等生のドイツでさえ間もなく1万人に迫る勢いである。

各国は感染拡大に伴ってさまざまな規制をかけ始めている。飲食店などの営業時間が短縮されバーやパブなどでの立ち飲みも制限される。ロンドン市内にある3600余のパブの多くは、今後の展開によっては倒産閉鎖に追い込まれる可能性がある。

またスペインのカタルーニャ州では、バーやレストランの営業が大幅に制限されテイクアウトのみが可能となる。さらにジムや文化施設またショッピングセンターや各種店舗では、それぞれ定員の50%まで、あるいは30%まで、と収容人数が制限される。

一方オランダでは、全てのバーやレストラン、カフェなどの店内営業が全面禁止。テイクアウトのみが許されることになった。さらに人々が各家に招待できる客の数は1日に3人までに制約される。

国民の辛苦を尻目にオランダ王室の家族はギリシャに休暇に出向いた。当然国民から強い怒りの声が沸き起こった。そのため愚か者の王室のメンバーがあわてて休暇を切り上げる、というハプニングもあった。

その他の欧州の国々、たとえばチェコ、ベルギー、ポルトガル、またポーランドなどの感染拡大も急速に進んでいる。第2波はもはや誰にも否定できない。

ここイタリアではさらに、一日の感染者数が1万1705人に膨れ上がった10月18日以降は、各市町村長が、地域の広場や道路を含む公共の場所を夜9時をもって閉鎖できる、とする政府の決定が告示された。

同時にバーやカフェなどの営業は、午後6時以降はテーブル席のみに制限され、各席の人数は最大6人まで、とも決められた。レストランの営業もそれに準じる。また公共交通機関の混雑を避けるために、各学校に時差登校を要請するなどした。

イタリアでは長く厳しい全土封鎖措置を導入したことが功を奏して、夏の間は感染が押さえ込まれてきた。日毎の死者数も3月から4月のピーク時の900人超から激減した。だが感染拡大はじわじわと進行しつづけた。

イタリアは最近、残念ながら第1波の過酷な犠牲によって獲得した感染抑制の「貯金」を使い果たしつつあるように見える。だが人々の中にしっかりと留まっている恐怖心が感染拡大を堰き止めるだろう。

たとえ思い通りに感染を抑制できなくても、3月~4月の感染爆発とそれに伴う医療崩壊への怖れ、と同時に最終的にはそれを克服した自信が相まって、イタリアは危機を上手く切り抜けるだろう。

切り抜けると信じたい。


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海が割れるモーゼの奇跡がベニスに出現!



モーゼ2箇所合成切り取り800


沈み行くベニスにどうやら救世主があらわれたようだ。

2020年10月3日、ベニスは高潮に見舞われて街じゅうが水浸しになると予想された。住民は浸水に向けて建物や通りを厳重に防御し長靴や雨具などで重装備をした。海抜の最も低い街の中心のサンマルコ広場を筆頭に、戦々恐々とした時間が流れた。

高潮は135cmを超えると予報が出た。そこで巨大な移動式堤防「モーゼ」が起動されることになった。普段は水中に没している78基の鉄製の防潮ゲートがせり上がって、外海からベニスの潟湖へと流入する潮を堰き止めるのである。

装置はこれまで一度も使用されたことがなかった。試験的な起動は行われていたが、高潮時に実際に始動したことはないのだ。それどころか試験運転の成否はあいまいで、住民を納得させるだけの結果は得られていなかった。

モーゼの構想は1980年代に生まれ、建設は2003年に始められた。しかし経費の高騰や繰り返し起きた汚職問題などで、完成が何度も先延ばしにされてきた。いつまでも成就しない事業にベニスの住民は疲れ、モーゼへの期待も信頼もほぼ全て無くしてしまっていた。

人々は今回の悪天候でもお決まりの辛苦を想定した。ところが高潮が135cmに達してもベニスの街に水は流れ込まなかった。海抜の低いサンマルコ広場周辺も地面は乾いたままだった。つまりモーゼは見事に膨大な潮の流れを堰き止めたのである!

史上初の快挙にベニス中が沸き立ち、イタリア全土が賛嘆した。建設開始から数えて17年の歳月と55億ユーロ(約7000億円)以上の税金を飲み込み、汚職と疑惑と不信にまみれた一大プロジェクトがついに完成したのだ。

ベニスは遠浅の海に浮かぶ100以上の島から成る。海に杭を打ち込み石を積んで島々を結び、水路を道に見立てて街が作られている。街が生まれた5世紀以来、ベニスは悪天候の度に高潮に襲われてきた。海に浮かぶ作為の土地の宿命である。

近代に入ると、地下水の汲み上げなど工業化による地盤の乱用によって、街自体が沈下を始めた。海抜1メートルほどの高さしかないベニスの礎は、1950年から70年にかけての20年間だけで、12センチも沈降した。現在は大幅に改善されたが、脆弱な土壌は変わることはない。

人災がなくなっても残念ながらベニスの不運が変わることはない。というのもベニスの地下のプレートが、毎年数ミリづつ沈下しているからだ。放っておいてもベニスの大地は、数百年後には海抜0メートルになる計算である。

現在ひんぱんに起こるベニスのいわゆる水没問題の本質は、しかし、地盤沈下ではなく高潮の恐怖である。ベニスには秋から春にかけて暴風雨が頻発する。それによって高潮が発生してベニスの潟に洪水のように流れ込む。

元からあるそれらの悪条件に加えて、最近は温暖化による水位の上昇という危難も重なった。そのため自然と人工の害悪が重層的に影響し合って、ベニスの街はさらに大きな高潮浸水に襲われる、という最悪の構図が固定化してしまった。

高潮はアフリカ大陸発祥の強風「シロッコ」によって増幅され膨張して、アドリア海からベニスの浮かぶ潟湖へとなだれ込む。そういう場合にベニスは“沈没”して、壊滅的と形容しても過言ではない甚大な被害を蒙るのである。

ベニスで最も海抜が低いのは、前述したサンマルコ広場の正面に建つサンマルコ寺院。その荘厳華麗な建物は、1200年の歴史の中で高潮による浸水被害を6度受けた。そのうち4度は過去21年の間に起きている。その事実は、ベニスの高潮問題が地球温暖化による海面上昇と無関係ではないことも示唆している。

年々悪化する浸水被害を食い止めようとして、ベニスでは古くから多くの施策が編み出され試行錯誤を繰り返してきた。その中で究極の解決策と見られたのが、ベニスの周囲に可動式の巨大な堤防を設置して海を堰き止めるという壮大な計画、「モーゼ・プロジェクト」なのである。

モーゼという名は旧約聖書からきている。モーゼがヘブライ人を率いてエジプトから脱出した際、海が割れて道ができたという一節を模しているのだ。モーゼは海を割って道を作る軌跡を起こした。「モーゼ・プロジェクト」は海を遮断して壮麗な歴史都市ベニスを救うのである。

2020年10月3日、高潮の予報が出たとき、当局は史上初めてモーゼを起動すると発表した。だが既述したように、ベニスのほとんどの住民はモーゼの実効性を信じることはなく、むしろ「うまくいくわけがない」と内心で嘲笑った。誰もが濡れ鼠になることを覚悟した。

ところが、おどろいたことに、モーゼはうまく高潮を堰き止めた! 着想から数えると何十年もの遅延と汚職と疑義にまみれた歳月を経て、巨大プロジェクトがついに成功を収めたのだ。標高が最低のサンマルコ広場を含む海抜1メートルほどの街の全体が、史上初めて高潮災害時に浸水しなかった。

ベニスはあるいは今後、高潮の被害から完全に開放されようとしているのかもしれない。それはこの先、史上最悪の高潮だった1966年の194cm、また昨年11月に起きて甚大な被害をもたらした187cmの高潮などに迫る大難が襲うときに、一気に明らかになるだろう。



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イタリア南部の感染爆発が怖い



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フランス、スペイン、イギリス、ベルギーなどに続いてイタリアもついにコロナ感染爆発第2波に襲われつつあるようだ。

ここのところほぼ連日、ロックダウン解除後の新規感染者数の新記録が書き換えられていて、10月10日は5724人となった。

イタリアは6月のロックダウン解除後、比較的穏やかだった。ロックダウンをどの国よりも長く厳しく維持し、解除を段階的に行った結果が出た。

一方ロックダウンをイタリアよりも遅れて且つ緩やかに実施し、それの解除は素早く大幅に行った英仏西他の国々は、すぐに第2波に襲われた。

3月から4月にかけて医療崩壊に見舞われ。真のコロナ地獄を体験したイタリア国民の間には強い恐怖感がある。それも感染拡大の抑止力になってきた。

だが欧州大陸全体の感染拡大の大波は、イタリア一国の努力や警戒や恐れを軽々と呑み込んでさらに膨張する気配だ。

パリやマドリードやロンドンまたブリュッセルなどの大都市では、ロックダウンを彷彿とさせる規制がかけられたりしている。

イタリア全土の再びのロックダウンは考えにくいことだが、それらの都市と同じ程度の管制や束縛はイタリアでも必ず導入されるだろう。

イタリアの第2波の不安は、第1波では比較的傷が浅かった中部や南部で感染拡大が進むことだ。そこは北部と違って医療体制が脆弱だ。

第1波では、欧州でも一級の医療体制を整備した北部ロンバルディア州が、突然想定外の感染爆発に見舞われて医療崩壊に陥った。

同じことがイタリア南部で起これば、第1波よりも悲惨な事態になりかねない。現にナポリが州都の南部カンパーニャ州では、急速な感染拡大が起きて医療体制が緊張している。

加えて、感染爆心地だったロンバルディア州を始めとする北部州の感染拡大も再燃しつつある。状況は全く予断を許さない。

イタリアは第1波から多くのことを学んだ。医療現場の信頼と自信は深まっている。

しかし北部と南部が同時に、あるいはかつてのロンバルディア州並みの勢いで南部のどこかが感染爆発に見舞われたなら、第1波を凌駕する恐慌が訪れる可能性も高い。



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コロナがいてもトマトソースは作らねば



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今年はトマトが不作だった。新型コロナのせいである。もっと正確に言えば、新型コロナの脅威に心が折れて、菜園から足が遠のき種まきや苗の植え付けが少し時期外れになった。

その後の世話も後回しになり、遅れ、見逃し、忘れがちになった。一時は世界最悪だったイタリアのコロナ禍は、それほどに凄まじかった。

加えて菜園の土の地味が弱いのも不作の一因になっているようだ。野菜作りは土作りである。地味が良くなかったり土が瘠せていては作物は大きく育たない。

トマト以外の、例えばフダン草やナスや春野菜の出来も良くなかった。堆肥の投入が必要なようだ。菜園は完全な有機栽培である。

不作ながら8月と9月の2回、トマトソース作りをした。8月には500ml 9本+250ml 1本、9月には500ml 7本、計いわば16,5本。8リットル余のトマトソースを作った。大分少ない。

家族や友人に分けると自家消費分はほとんど残らないだろう。しかし、皆楽しみにしているので、分けないわけにはいかない。

トマトソース作りは:

1先ずトマトのヘタ周りに包丁を入れて芯をえぐり取る。

2反対側にやはり包丁で十文字(✕印でも何でもいい)の切り込みを入れる(そうしておくとトマトを茹でたとき皮がつるりと剥ける)。

3トマトを沸騰した湯に浸し、取り出して冷水に投げ込み冷やす。

4皮を剥き、適当な大きさに切るなりして身を絞り出す。皮は捨てる。芯と同様に硬くてソースには向かないから。

5絞り出した身を沸騰させて煮ながら水分を飛ばす。どろりとした感じなった時点で火を止め、そのまま冷ます(一晩なり)。

6保存用の容器(瓶など)に移し(分け)入れ、ソースを覆うようにオリーブ油を少し加える。きっちりと蓋をする。

7.全ての瓶が出来上がったら、瓶の全体が水に浸かる深さの鍋に入れ、冷水から沸騰させる(煮沸していく)。

8沸騰したらそのまま5分ほど置き、火を消す。

9鍋の中で冷ます(一晩なり)。湯が完全に冷めたら一本一本取り出す。出来上がり。

ソースには塩やハーブを加えても良い。僕は一切何も入れない。後で調理をするときに好きなだけ追加すればいい、と考えるから。

ソースはきっちりと手順を踏んで作れば常温でも1年は保つ。冷蔵保存すればもっと長持ちする。僕の場合は冷蔵保存で3年、という記録があるが科学的、専門的に見たときにどうなのかは分からないのでおすすめはできない。

そのときのソースは3年目で食べつくしたが、もしかするとそれ以上長持ちするケースもあるかも、というふうにも思う。



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スペインの憂うつ、欧州の心労



殉教医師
イタリアの新型コロナ殉教医師たち


スペインで新型コロナの感染拡大が続いている。8月21日金曜日から24日月曜日までの4日間だけで新規感染者が2万人以上増え、累計の感染者は405436人と欧州で最も多い。

また過去2週間の人口10万人当たりの感染者数は166,18人。ちなみに同じ統計のイタリアの数字は10人。フランスは50人前後である。

感染者の増加とともに入院患者またICU(集中医療室)収容の患者も激増。医療体制の逼迫が懸念されている。死者の数も増えて累計で28872人。

だが累計の死者数は死亡前の検査で陽性と確認された患者のみのデータ。他の国々の知見と同様に実際の死者はもっと多いと考えられている。

スペインではこれまでに530万件の新型コロナウイルス検査が実施された。国民の11,5%にあたる。検査数は時間と共に増える傾向にある。

政府高官や論者の中には、例によって、検査件数の多さが感染者数の増大につながっている、と陳腐な主張をする者がいる。

だが他の欧州の国々は、検査数はスペインよりも多く、感染者の比率は同国よりも低いケースがほとんどだ。

たとえばドイツは国民の12,2%、イタリアは12,8%、イギリスに至っては国民の22,1%に検査を行っている。が、感染比率も感染拡大速度もスペインより鈍い。

スペイン国民はハグや握手やキスなどの体接触が多く、何世代もの家族が同じ屋根の下で住んでいることも珍しくない。そういう社会環境などが感染拡大に貢献している、という意見もある。

しかしそうした社会状況や住環境はイタリアも同じだ。またラテン系のフランス国民もボディコンタクトが多い部類の人々だ。

イタリア人はハグやキスが好きだから感染爆発を招いた、というのは3月から4月にかけてイタリアが世界最悪の感染地獄に陥ったころに、日本を含む世界中の知ったかぶり評者がさんざん指摘した論点だ。

むろんそういう事もあるには違いないが、同じ文化傾向を持つイタリアの感染拡大が抑えられているのだから、スペインの感染拡大をそのことだけで説明するのはいまの状況では無理がある。

厳しいロックダウンへの反動で人々が急速に、幅広く、無制限に自由を求めて活動を始めたことが原因、という指摘もある。それにもまた一理がある。

だがその点でも、再び、イタリアほか英独仏などの欧州主要国や多くの小国が同じように評価される。スペインだけの専売特許ではないのだ。

スペインの中央集権体制がゆるやかで、地方が多くの権限をもつために、統一したコロナ対策を打ち出せないのが感染再拡大の理由、と主張する者もいる。

その説も納得しがたい。なぜならイタリアもまたドイツも、地方自治の強い国だ。イタリアに至っては、独立志向の強い地方を一つにまとめるために、国家が中央集権体制を敢えて強めようと画策さえする、というのが実情だ。それは往々にして失敗するけれど。

また農業関係の季節労働者が、集団でそこかしこの農地を渡り歩いて仕事をすることも、感染拡大の原因の一つとされる。だがそれもイタリアやフランスなどと何も変わらない現実だ。

ではなぜスペインの感染拡大が突出しているのか、と考えていくと見えてくるものがある。特に国民性や文化習慣が似ているイタリアと比較すると分かりやすい。

それはひとえにロックダウン解除後の、社会経済活動の「通常化」へのペースの違いによるもの、と個人的に思う。

ロックダウンを断行した国々は、一国の例外もなく経済を破壊された。そしてロックダウンを解除した国は誰もが、大急ぎで失なわれた経済活動を取り戻そうとした。

中でもスペインは、特に大きなダメージを受けた観光業界を立て直そうと焦って性急な動きをした。国境を開いて外国人を受け入れ、隔離策などもほとんど取らなかった。

多くの国からの旅人を早くから受け入れたスペインには、ロックダウン解除直後の7月だけで、200万人あまりの観光客がどっと流入した。

同時に国内の人の動きにもスペイン政府は割合大らかに対応した。厳しいロックダウンに疲れ切っていた国民は喜び勇んで外出し動き回った。

やがてバカンスのシーズンがやってきて、スペイン国民の移動がさらに激しくなり、外国人の流入も増え続けた。そして感染拡大が始まり加速した。

スペイン政府の対応は、実はイタリア政府のそれとうり二つである。ところがイタリアはスペインに比べて「通常化」への動きがゆるやかだ。それが今現在の両国の感染状況に違いをもたらしている。

そして通常化、特に経済再開のペースに違いが生まれたのは、両国が体験したコロナ感染流行第1波の「恐怖」の大きさの違いによるもの、と考える。

イタリアは3月から4月にかけて、コロナ恐慌に陥って呻吟した。それはやがてスペインに伝播しフランスにも広がった。さらにイギリス、アメリカetcとパニックが世界を席巻した。

イタリアは医療崩壊に陥り、3万5千人余の患者のみならず、なんと176名もの医師が新型コロナで斃れるという惨状を呈した。

イタリアには見習うべき規範がなかった。中国の被害はイタリアのそれに比較して小さく、参考にならなかった。イタリアは孤立無援のまま正真正銘のコロナ地獄を体験した。

世界一厳しく、世界一長いロックダウンを導入して、イタリアは危機をいったん克服した。だが巨大な恐怖心は残った。それがロックダウン後のイタリアの動きを慎重にしている。

イタリアに続いてスペインも感染爆発に見舞われ医療危機も体験した。だが、スペインにはイタリアという手本があった。失敗も成功も悲惨も、スペインはイタリアから習うことができた。その違いは大きい。

恐怖の度合いがはるかに小さかったスペインは、ロックダウン後は良く言えば大胆に、悪く言えば無謀に経済活動を再開した。その結果感染拡大が急速に始まった。

そうした状況は多くの欧州の国々にもあてはまる。フランスやベルギー、マルタやルクセンブルクなどがそうだ。ドイツでさえ第2波の襲来かと恐れられる事態になっている。

しかしイタリアは今のところは平穏だ。バカンスの人の流れが影響して感染拡大の兆候は見えるが、欧州の中では最も感染拡大が少ない国の一つになっている。

イタリアにも気のゆるみはある。イタリアにも感染防止策に熱心ではない者がいる。マスクを付けず対人距離の確保も気にしない不届き者も少なくない。

だがイタリア人の中には強い恐怖心がある。そのために少し感染拡大が増えると人々の間に緊張が走る。自由奔放と言えば聞こえがいいが、いい加減ではた迷惑な言動も少なくないイタリア国民が、新型コロナに関してはひどく真面目で真摯で民度の高い行動を取るようになっている。

それが今のところのスペインとイタリアの違いであり、ひいてはイタリアと欧州の国々の違いである。イタリア国民はこと新型コロナに関しては、ドイツ人よりも規制的であり、フランス人よりも論理的であり、英国人よりも真面目であり、そしてもしかすると、日本人よりも従順でさえあるかもしれない。

飽くまでも「今のところは」だが。。



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