【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

ファッション

叶わなかったフェレとのコラボ

デブ目立つ625

ミラノコレクション取材の仕事は数年間続き、僕はジャンフランコ・フェレを追いかけるドキュメンタリーを撮る、という約束をデザイナー本人と交わすなどした。

フェレは当時 、先日91歳で他界したアルマーニまたヴェルサーチとともに、ミラノモードの3Gと称えられたレジェンドである。

建築家でもあったフェレの作品には、ベルサーチの才気やアルマーニの優美とは違う何か確固としたものが底流にあった。

建築設計の技術や見識が、ファッションデザイナーとしての彼の創造性を支えている、とでもいうような強い何かである。僕はそのことと彼のキャラクターにドキュメンタリー監督として魅力を感じた。

巨大な肥満体を持て余して、いつもはにかんでいるみたいな雰囲気があった彼は、自らの作品の強さとは裏腹にとことん静かな優しい人で、ファッション音痴の僕が繰り出すバカな質問にもいやな顔一つせずに答えてくれた。

雑音の激しいオープンスタジオからテレビの生中継をした際、「少し大き目の声でしゃべって下さい」と僕が頼むと、彼は「分かりました」と蚊の鳴くような声で答えた。が、結局しゃべっている間はずっと蚊の鳴くような声だった。

高慢や軽薄や尊大とは無縁だった大アーティストを取り上げる番組を僕は考え、生中継の仕事の後で彼に提案をすると、デザイナーが出演を快諾してくれたのだった

だがその企画は実現しなかった。僕自身が他の仕事にかまけきっている間にどんどん時が過ぎて、とうとうカリスマデザイナーが亡くなってしまった。2007年のことだ。

僕が多忙だったのは事実だが、本当のことを言えば、撮影開始に至らなかったのはもっとほかにも理由がある。

僕は有名デザイナーのジャンフランコ・フェレを、どうすれば僕の制作スタイルのドキュメンタリーの枠内にはめ込めるかの道筋がつかめず、呻吟するうちに時間が過ぎ去ったのだ。

僕の作るドキュメンタリー番組は、市井の人々を取り上げるのがほとんどだ。有名人は追いかけないし、あまり興味もない。いや、興味がないわけではないが、市井の人のほうにより強い興味を覚える。

フェレとのコラボを考えている間にも、僕はシエナの市中競馬の話やらシチリア島の突きんぼ漁譚やらオリーブ物語やらスローフード発祥ルポ等々、多くの長短物のドキュメントや報道物を制作していたが、そのほとんども市井の人が話の中心にいた。

この世の中に存在する一人一人の人間の生きざまは全て劇的だ。それが僕の持論だ。従ってあらゆる人々の人生はドキュメンタリーになり得る。

だが同時に、喜び、怒り、悲しみ、親しみ、憎み、家族を愛し、家族に苦しみetcという全ての人間の人生は似通ってもいる。

似通っているが一つ一つの人生は、しかし、同時にそれぞれ違う。その違いを際立たせることが即ち人間を描くドキュメンタリーの真髄だ。

人は生涯でたった一つの人生しか生きられない。つまり人は、自分自身の人生以外の他者の生についてはその実態を知らない。

知っていると感じるのは、家族だったり友人知己だったり、あるいはどこかで見たり聞いたりした他人の人生の物語に触れた経験があるからだ。しかしそれは単なる「知識」であり「情報」である。

人が自らの人生を生きつつ他者の人生を生きることは、永遠に不可能なのである。

従って他者の人生は全て珍しい特異な事象だ。それだけでも興味深いものになるはずだが、それだけでは足りない。アクセントがほしい。

そのアクセントが取り上げる人物の仕事であり、考え方であり、特殊能力であり、人となりやあるいはキャラクターである。

そこに人物の日常を彩る例えば家族や友人や同僚などの人間の輪がからむ。その人間の輪は隣近所や村や町の共同体へと広がる。

共同体には祭りやイベントや寄り合いや、式典見せ物や年中行事等々の盛りだくさんの文化と、それが織りなす歴史が満ち満ちている。

主人公はそれらと共存し、時には格闘し、悩み、喜びながら成長していく。その過程を網羅し描ききることによって、主人公となる人物あるいは人物群が躍動し、輝き、存在感を増していく。

どこにでもいる「普通の人」が特別な「何者か」になりドラマチックに変貌する瞬間だ。それを見ている視聴者は自分とあまり変わらない人物が輝きを放つことに共感を覚える。

普遍が特殊化するときに、市井の人の人生のドラマが完成するのである。

それを紡ぎだすのがドキュメンタリー監督の仕事だ。もっと言えば、視聴者が納得し感情移入できる人物像の造形が、つまるところドキュメンタリー制作者の使命なのである。

さて、

僕が取り上げようと考えたジャンフランコ・フェレは普通の人ではない。セレブである。有名デザイナーのジャンフランコ・フェレの日々は、市井の人々のそれよりも既に激しく劇的だ。

でもそれはいわば劇場劇とも言える特殊な劇で、劇場の外の広い巷間に展開される劇とは違うものである。有名人という名の劇場劇と市中劇とは違うのだ。

僕が有名人を単に有名人という理由だけで追いかけるドキュメンタリーに興味がないのはそれが理由である。

デザイナーとしてのフェレをそのまま追いかければ、何もしなくても既にドラマチックだ。視聴率も稼げるだろう。そういう形のドキュメンタリーはごまんとある。

だが僕が知りたいのは、つまり描きたいのは、デザイナーである以前のフェレである。言葉を替えれば仕事師のフェレではなく、人間フェレなのだ。

ここでは市井の人を追うドキュメンタリーとは逆に、既に特別な存在であるジャンフランコ・フェレを世間並みの存在に変貌させなければならない。特殊を普遍化するのだ。

視聴者が同じ人間としてエンパシーを感じたとき、主人公は人として輝く。

それを成すためには僕はもっとデザイナーと付き合い、信頼関係を築き、本音で語り合える環境を作り上げなければならない。

僕が追及したいと願う人間」を描くドキュメンタリーは、 市井の人であれ有名人であれ、撮影する側とされる側の間に人としての信頼関係があってはじめて成り立つ。

そしてその人間関係とは、監督である僕自身と撮影される側の人々とが結ぶ友誼 であり精神的絆だ。

僕はその部分に一番エネルギーを注ぐ。だからいつも一つの作品を作る前に長い準備期間を持つ。何度も足を運んではこちらの意図を説明して人々に納得してもらう。

それがうまくいった時だけ、まがりなりにも見るに耐えるだけの作品ができる。

お互いに多忙な中で僕は機会を探し、待った。だがそれさえ構築できないうちに彼は他界した。

彼よりひと回り若い僕は少しのんびりしすぎたかもしれないが、もう後の祭りだった。

実は僕はフェレの場合ととそっくりの経験をもうひとつしている。

1994年夏、僕はシチリアのリパリ島で天才シンガーソングライターのルーチョ・ダッラに会った

マグロを追いかけるドキュメンタリーの撮影中のことだった。

僕はシチリア本島のメッシーナから遠出をした猟師たちと共に船で寝泊りをして、連日マグロ漁の撮影をしていた。

ルーチョはリパリ島で船上のバカンスを過ごしていて、港で一緒になった。

彼は僕が行動を共にしている猟師たちと友だちで、よくこちらの漁船にやって来ては夕食を一緒に食べた。

カジキマグロを中心にした猟師料理は抜群の美味しさで、彼はリパリ島にいるときはひんぱんに猟師の船に招かれて食事をするのだった。

ルーチョはシンプル且つ自然体の男だった。僕はそこで彼と親しくなり、いつか一緒にドキュメンタりー番組を作りましょうと話した。ルーチョは快くOKしてくれた。

その機会はないまま時間は過ぎた。そして2012年3月に彼が亡くなって、こちらも幻の企画になってしまった。







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 嘘かまことかうつつか夢か

鮮明白人前面650


《加筆再録》

ファッションショーを取材する時には、僕はいつも相反する二つの感慨に襲われる。それを強く称賛する気持ちと、軽侮とまでは言わないものの、粘性の違和感が交錯して我ながら戸惑ってしまうのである。

称賛するのはデザイナーたちの創造性と、ビジネスとしてのファッション及びファッションショーの重さである。

次々に新しいファッションを創り出していくミラノのデザイナーたちは、疑いもなく秀れた才能に恵まれた、かつ厳しいプロフェッショナルの集団である。彼らはたとえば画家や作家や音楽家が創作に没頭するように、新しい流行を求めて服のデザインに没頭する。

そうやって彼らが生み出すファッションは、どれもこれも一級の芸術品だが、流行に左右される消費財であるために、作った先から消えていくような短い命しか持ち得ない。

それでも彼らが創造するデザインの芸術的価値は、他のいかなる分野のアートに比べても少しも遜色はないと思う。咲いてすぐに散ってしまう桜の花の価値が、命の長い他の花々と比べて少しも遜色がないように。

むしろ存在が儚いために一段と輝きを増すという一面の真実もある。

デザイナーは次の季節の流行をにらんで髪を振り乱して創作をする。この時彼は画家や小説家や作曲家と同じ一人の孤独なクリエイターである。無から何かを作り出す苦しみも喜びも、彼はすべて1人で味わう。

その後、彼の作品はファッションショーで発表される。画家の絵が展覧会で披露され、小説家の作品が出版され、作曲家の曲がコンサートで演奏されるのと同じことである。

それらのクリエイターは誰もが、発表の場においてある時は称賛され、ある時はブーイングを受ける。つまりそれは誰にとっても「テスト」の場である。

それでいながらファッションデザイナーの立場は、他のクリエイターたちのそれとは全く違う。

なぜならデザイナーは、前述の三つの芸術分野に即して言えば、クリエイターであると同時に画廊を持つ画商であり、出版社のオーナーであり、コンサートホールの所有者兼指揮者でもある場合が多いからである。

つまりデザイナーという1人のクリエイターは、同時に彼の名を冠したブランドでもあるケースが一般的なのである。たとえばアルマーニとかフェレ、はたまたヴェルサーチやミッソーニやモスキーノetcのように。

従ってファッションショーは、デザイナーという1人の秀れたクリエイターの作品が評価される場所であるだけではなく、デザイナーの会社(ブランド)の浮沈を賭けた販売戦略そのものでもある。

同時にファッションショーには、華やかで楽しいだけの「見世物」の軽さも必ず付いて回る。舞台上で時々ポロリとこぼれ出るモデルたちのたおやかなオッパイみたいに。

ファッションの世界にはそんな具合に僕を当惑させる二面性がいつもついて回っている。しかしそれは僕にとっては、どちらかというとファッション界の魅力になっているものであり、決して否定的な要素ではない。

二面性とは「虚と実」である。「虚」は言うまでもなくファッションショーとその回りに展開される華々しい世界で、「実」はデザイナーの創造性と裏方の世界、つまりデザイナーがデザインした服を生産管理し、販売していく巨大なビジネスネットワークのことである。

虚と実がないまぜになったファッションの世界は、僕が生きているテレビ・映画の世界と良く似ている。

テレビ画面やスクリーンで展開される華々しい世界は「虚」のファッションショーで、それを作り出したり、放送したり、スポンサーを抱きこんだりしていく大きな裏方の世界は、「実」であるファッションビジネスの巨大ネットワークの部分にあたる。

そして虚の部分にひっぱられて実が虚じみて見えたり(あるいは実際に虚になってしまったり)、その逆のことが起こったりするところも、2つの世界はまた良く似ている。

そんな訳で僕は、ファッションの世界にたくさんある虚の部分を茶化したり、やや軽侮したりしながらも、全体としてはそれに一目置いている。

僕の泳ぎ回っているテレビや映画などの映像の世界も、見栄や虚飾やカッコ付けの多い軽薄な分野だが、僕はそこが好きだし自分なりに真剣に仕事をしてもいる。

だからきっとファッションの世界に生きている人たちも同じなんだろうな、と僕なりに納得したりするのである。



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ファッションモデルのオッパイは粋なオッパイかも。かい?

雰囲気良多人数650

《加筆再録》


44歳の若さで亡くなったミラノの偉大なデザイナー・モスキーノが語ったようにファッションショーはデザイナーたちの真剣な戦いの場である。

ミラノコレクションのショー会場では、華やかな衣装を身にまとったトップモデルたちが、音楽に合わせて舞台の上を行進する。

舞台の周りには世界中のファッション関係者やバイヤーが陣取って、彼女たちのきらびやかな服に熱い視線を送る。

そこには必ず世界の有名スターやスポーツ選手やミュージシャンなどが顔を出して(招待されて)いて、ショーにさらなる華を添える仕組みになっている。

ファッションショーはカッコ良くてエレガントで胸がわくわくするような楽しい催し物である。  

同時にファッションショーは変である。

何が変だと言って、たとえばモデルたちの歩き方ほど変なものはない。

ショーの舞台には出たものの、彼女たちは歌を歌ったり踊りを披露したりする訳ではないから、仕方がない、とばかりに見せるために歩き方に精いっぱい工夫をこらす。

ニコヤカに笑いながら尻をふりふり背筋を伸ばし、前後左右縦横上下、斜曲正面背面東海道中膝栗毛、東西南北向こう三軒両隣の右や左の旦那様、とありとあらゆる方角に忙しく体を揺すりながら、彼女たちは舞台の上をかっぽする。

そういう歩き方が、最も優雅で洗練された女性の歩行術、という暗黙の了解がファッションショーにはある。

しかしそれは、誰かが「イカレ者か宇宙人でもない限り人類は街なかでそんな歩き方はしない」と茶々を入れてもおかしくないような、不思議な歩き方でもある。

モデルたちはにぎやかに歩行をくり返しながら、時々ポロリとオッパイをこぼす。これはジョークではなく、茶化しでもない。

どう考えても「こぼれた」としか形容の仕方のない閑雅な現われ方で、モデルたちのきれいなバストがファッションショーではしばしば露出するのである。

もちろんそれは着ている服が非常にゆるやかなデザインだったり、ふわりと体にかぶさるだけの形になっていたりするときに起きる。むろん大揺れに揺れる、揺さぶり歩行の影響も大きい。

そういう予期しない事件が起きたときに当のモデルはどうするかというと、実は何もしない。知らんぷりを決め込んで堂々と歩行を続ける。

恥じらいもなければ臆することもなく、怒りも何もない。まるでこれは他人(ひと)様のオッパイです、とでも言わんばかりの態度である。

それではこれを見ている観客はどうするか。彼らも実は何もしない。口笛も吹かなければ拍手もしない。

モデルにとっても観客にとっても、この際はファッションだけが重要なのである。だからたまたまこぼれ出たオッパイは無き物に等しい。

従って全員が、イチ、ニの、サン!でこれを無視するのである。モッタイナイなどと言ってはいけない。

モデルたちの覚悟ある身ごなしも、それに共振する観客の佇まいも、見事な粋の骨頂だ。言葉を換えれば全体が都会的に洗練されている。徹頭徹尾文明的なのだ

人の振りを見て、さりげなく見ない振りができるのは、文明人の文明人たるゆえんの一である。

見て見ぬ振りは、“無関心”というマザーテレサが悲しんだネガティブな立ち居を示す場合もある。悪や不正義を見逃したり見過ごしたりする隠微態度につながることもある。

だがそれには、他人のちょっとした失敗や無粋を目くじらを立てて責めない。さりげなく許すという意味合いもある。

見知らぬ者の野暮に遭遇した都会人はそっと身を引く。見て見ぬ振りをする。それは都会人の、いわば秘すれば花のゆかしいエートスでありルールだ。

他者のしくじりを容赦なく攻撃するのはムラの住人の慣習で、見知らぬ者のマナー違反を正面切って指摘するのはマナー違反だ。

そこで見て見ぬ振りをするのが洗練なのである。

こぼれ出た自らのバストを気にしない。あるいは気にはしても、身に纏ったデザイナーの新作の服を引き立てるための動きを断固として優先させる、というモデルの気迫はあっぱれだ。プロの心意気である。

また露出した美しい胸を見て「お!」「あ!」「ヤバい!」などと一瞬思っても、見て見ぬ振りでやり過ごす観衆の料簡は粋の極みだ。

要するにファッションショーの会場には、デザイナーとモデルと観衆が醸し出す粋と洗練と文化の香気が満ち満ちている。

そうしてみると、洗練と文明がいきれるほどに詰まった広いショー会場にいる者のうちの最大の野暮天は、見て見ぬ振りができないまま―カメラマンにカットの指示をすることも忘れて― モデルの美しいオッパイにポカンと見とれているこの僕なのだった。




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小さなミラノの底力

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《加筆再録》

アルマーニが亡くなり一時代が終わったという実感をかみしめつつ、もう少しファッションにこだわっておくことにした。

ミラノコレクションを取材したのは80年代後半~90年代初め頃のことである。

この仕事をしたことで、僕はそれまで無視あるいは軽視していたファッションとファッションビジネスを見直した。よくあることだ。

実は僕はファッションを無視あるいは軽視していたのではなく、無知ゆえに何も見えなかっただけの話だった。

ドキュメンタリーまた報道取材に関わっていると、時としてそういう僥倖に行き逢う。

ミラノでファッションショーを取材する時にいつも感じたことがある。

それは、なぜこの小さな街がロンドンやパリやニューヨークや東京などの巨大都市と対抗して、あるいはそれ以上の力強さで、世界をリードするファッションやデザインを発信して行けるのだろうか、ということだ。 

ロンドンとパリは都市圏の人口がそれぞれ約1400万人と1200万人、ニューヨークは2000万人もいる。東京の都市圏の人口3700余万人には及ばな いにしても、巨大な都会であることに変わりはない。

それらの大都市に対してミラノ市の人口はおよそ140万人、その周辺部を含めた都市圏でもわずか390万人余りに過ぎない。

もちろん人口数が全てではないが、人が多く寄ればそれだけ多くの才能が集まるのが普通だから、小さなミラノがファッションの世界で多くの巨大都市に負けない力を発揮しているのはやはり稀有なことである。

それは多分ミラノが、都市国家の伝統を持つ自治体として機能し、完結したひとつの小宇宙を作って独立国家にも匹敵する特性を持っているからではないか、と考えられる。

つまり、ニューヨークやパリやロンドンが飽くまでも国家の中の一都市に過ぎないのに対して、ミラノは街そのものが一国なのである。

都市と国が相対するのだから、ミラノが世界の大都市と競合できたとしても何の不思議もないわけだ。

言葉を換えれば、都市国家メンタリティーをルーツにするイタリアの多様性の良さが、最も先鋭的に表れているのがミラノのファッション界ではないか、と思うのである。




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モスキーノを偲ぶ

モデル合成650

《加筆再録》

ミラノファッションの大御所、アルマーニが亡くなって一時代が終わったことを実感すると同時に、ファッションに完全無知だった自分が、ミラノコレクションの取材をするようになったいきさつをあらためて考えたりしている。

フリーランスのテレビ屋である僕は、番組を制作する場合、簡単に言えば、企画書をテレビ局やプロダクションやスポンサーなどに提出して、OKをもらい制作費を得る。

企画書を出すまでには情報を収集し、テーマを決め、リサーチを徹底し、ロケハンを重ね、アイデアを文章にまとめて反復推敲し、受け入れ側あるいは資金提供者と折衝を繰り返す。それは僕の場合ほぼ100%がテレビ局だ

僕が追及したいと願う人間」を描くドキュメンタリーでは、 撮影する側とされる側の間に、人としての信頼関係があってはじめて番組、つまり自分の考えるドラマが成立する。

そしてその人間関係とは、プロデューサーでもカメラマンでも音声マンでもなく、監督である僕自身と撮影される側の人々との信頼関係である。

僕はその部分に一番エネルギーを注ぐ。だからいつも一つの作品を作る前に長い準備期間を持つ。何度も足を運んではこちらの意図を説明して人々に納得してもらう。

それがうまくいった時だけ、まがりなりにも見るに耐えるだけの作品ができる。

こちらから積極的に働きかける仕事のほかに、向こうから依頼が舞い込むこともある。

ミラノコレクション(ファッションショー)の撮影取材は、NHKパリ総局の要請で始まった。だが、言いだしっぺは自分だったかもしれない。衛星放送の黎明期で僕の拙い企画もよく通った。

その仕事自体は、撮影素材とそれに伴う情報だけをNHKパリ総局に送り、彼らが編集仕上げをして電波に乗せる、という形だった。

それは僕自身が企画を出してOKをもらい、制作費を得て取材から編集仕上げまでを責任を持って遂行する仕事とは大きく違う。

有体に言えば、企画から最終仕上げまでを一括して請け負う番組作りに比べると、リラックスしたものだった。だが、言うまでもなくそれは、「手抜き」してもいいという意味ではない。

一度でもそういうことをすれば、しがないフリーランスのディレクターの自分には、翌日から一切の仕事が来なくなるだろう。

フリーランスは、組織の歯車に組み込まれないという自由奔放な良さがある反面、一度でもしくじれば仕事を干されるという怖さがある。

僕はファッションには全く無知でほとんど興味もなかったが、フリーランスの立場では仕事は断れない。また断ってはならない、というのが若い頃の信条であり身上だった。

そういう場合の常で、僕は仕事を請けると同時に大急ぎでミラノコレクションについて情報を集め懸命に勉強して取材を開始した。

僕はそうやってミラノの3Gと称えられたアルマーニ、フェレ、ヴェルサーチを筆頭にするイタリアの有名デザイナーたちと知り合う機会を得た。

言うまでもなくミラノは、ニューヨークやパリやロンドンなどと並ぶ世界のファッションの流行発信地である。そのミラノの中でも最も重要な、いわば流行発信の震源地、とも呼べるのがファッションショーの会場である。

ミラノコレクションでは、イタリアのトップデザイナーたちが作った服を、世界中から集められたこれまたトップの中のトップモデルたちが美しく、優雅に、そして華麗に着こなして舞台の上を練り歩く。

テレビカメラが回りつづけ、写真のフラッシュがひっきりなしにたかれる中で、観客は舞台上のモデルたちを見上げながら、称賛し、ため息をつき、あるいは拍手を送ったりしてショーを盛り上げる。華やかで胸が躍る色彩と光と夢に満ちあふれた催し物である

秀れた才能に恵まれたミラノのファッションデザイナーたちが、新しい流行を求めて生み出す服のデザインは、まぎれもなく一級の芸術作品だ。

しかしその芸術作品は、どんなに素晴らしい傑作であっても、たとえば絵画や小説や音楽のように長く人々に楽しまれることはない。

言うまでもなくファッショ ンが、流行によって推移していく消費財だからである。

ファッションデザイナーたちは、一瞬だけ光芒を放つ秀れた作品を作るために、絶え間なく努力をつづけていかなければならない。

なにしろファッション ショーは、1年間に女物が2回、男物が2回の計4回行なわれる。彼らはその度に、日々の制作とは別に、多くの新しい作品を作り上げていく。

アイデアをひねり 出すだけでも、大変な才能と精進が必要であることは火を見るよりも明らかである。

20世紀も終盤に入った頃、44歳の若さで亡くなった偉大なデザイナー、フランコ・モスキーノが、かつてファッションショーで語ってくれた内容を、僕は決して忘れることができない。

モスキーノは当時のミラノのファッション界では、3Gなどと並び称される大物デザイナーだった。

同時に彼らとは一線を画す、カ ラフルで斬新で遊び心の強い作品を魔法のように次々に生み出すことで知られていた。

彼のファッションショーも、作り出された服と同じでいつもハチャメチャ に明るく賑やかで、舞台劇を見るような楽しさにあふれていた。

ある日彼のショーを取材した後の雑談の中で、ファッションショーの度に次から次へとアイデアが出るのには感心する、というような月並みな賛辞を僕はモスキーノに投げかけた。するとデザイナーが答えた。

「ファッションショーは一つ一つが生きのびるか死ぬかを賭けたテストなんだ。この間何かの雑誌で読んだけど、日本の大学の入学試験はものすごく厳しいらしいじゃないか。

ファッションショーもそれと同じだよ。しかも僕らの入学試験は、仕事を続ける限り毎年毎年4回、敢えて言えば 3ヶ月に1度の割合いで繰り返されていく。ときどき辛く て泣きそうになる・・・」

駆け出しのデザイナーならともかく、一流のデザイナーとして既に揺るぎない評価を得ているモスキーノが、一つ一つのファッションショーを「生きのびるか否かのテストだ」と言ったのが僕にはすごく新鮮に聞こえた。

季節ごとに一新される各デザイナーの作品(コレクション)は、必ずファッションショーで発表される。そしてそのショーの成否は服の売り上げに如実に反映される。モスキーノはそのことを指して、ファッションショーを生きのびるか否かを賭けたテストだと言ったのである。

ファッションは創作と販売が分かち難くからみついている珍しい芸術分野である。創作がそのまま販売を左右する。モスキーノが、ファッションショーを生死を賭けたテスト、と言ったのは極めて適切な表現だった思う

ミラノには日夜髪を振り乱して創作にまい進する多くのモスキーノたちがいる。その頂点に君臨し続けたのが、数日前に91歳で亡くなったジョルジョ・アルマーニだった。

アルマーニの死とともにひとつの時代が終わり、新しい時代が始まった。

だがそこを支え続けて行くのもまた、多くの優れたモスキーノたちであることは疑う余地がない。



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トランプの「Pussy」の正しい日本語訳って何?



漫湖はごこだ!切り取り


「トランプのPussyの正確な日本語訳」のヒント、いや正解は、僕の故郷沖縄県にある。すなわち、同県の那覇市と豊見城市にまたがる、その名も・・・ヨイショっと・・「漫湖(下写真)」である。この「漫湖」を平仮名にして、そこにさらに日本語らしく、奥ゆかしくていねいに、接頭辞の「O(お)」をつけた発音が、すなわちトランプさんのPussyだ。それは英語でも日本語でも禁忌語であるのはいうまでもない。

トランプさんの問題発言が表ざたになって騒然としたころ、NHKがトランプさんの言葉Pussyを、きちんと「O漫湖」と伝えなかった、と批判している文章をSNSなどで見た記憶がある。いわゆる俗語、淫語、卑語、あるいはタブー語の類を
「言わない」のと「言えない」の間には、ゾーアザラシと歯磨き粉ほどの違いがある。

NHKへの批判は、NHKが意図的に「言わない」と判断してのものだと思うが、僕はNHKは「言えない」と考える立場である。ジャーナリズム的には「言えない」も批判の対象になり得る。しかし、文化的視点からはそのスタンスは批判されるべきものでは毛頭なく、考察し眺めまわして、言葉にまつわる文化的背景をむしろ楽しむべきものだ。

平4姫

僕はタブーを破壊する気はないので、あからさまな直訳のひらがな4音はここに書かない。その代わり僕はそれを、「ひらがな4文字のお姫様」という意味で「平4姫」と呼びたいのである。すなわち「ていねい接頭辞“O”+漫湖」の平仮名4文字を「平4」と表示し、そこに女性の美と優しさを象徴する意味でお姫さまの「姫」を付けて【平4姫(ひらよんひめ)】と表現するのだ。

確認すると、「平4姫」とは「ていねい接頭辞“O”」+沖縄県那覇市の「漫湖」の4発音そのもののことである。つまり読者の皆さんは僕が「平4姫」と書くときは、それを“O漫湖”と正確にひらがなの4文字(音)に言い換えてほしいのである。そうしないとここで論じる言葉の不思議や可笑しみや意外感があまり伝わらないと思うので。

Pussyhatデモ

トランプさんが大統領に就任した2017年1月20日前後に、Pussyハット大抗議デモが全米で起きた。「平4姫」そのものを表すピンクの帽子をかぶった数百万人規模の女性が繰り出し、ワシントンD.C.がピンクの海に呑み込まれた。トランプさんが「俺は金持ちで有名人だから《平4姫》をいつでも間単にさわることができる」「股ぐらをつかむんだぜ」と発言したことに怒ったのだ。

その大規模デモの模様を紹介した日本語の記事では、僕が知る限り正確な
「平仮名4文字」で伝えたものはなく、もっとも近い語でも「子宮」「女性器」止まりだった。でも子宮や女性器は医学用語でもある正式名称で、断じてpussyつまり「平4姫」ではない。

Pussyは英語でも禁忌語である。しかし、禁忌のいわば“度合い”が日本語とは違う。普通の会話の中では女性を尊重して、あるいは紳士淑女のたしなみとして、その言葉は使わない。それは下ネタ語であり、Pussyと連呼したオフレコの会話を暴露されたトランプさんが、「ロッカールーム猥談(Lockeroom talk)」と呼び、奥さんのメラニアさんが「Boys Talk」、すなわち若者(男ども)の会話だ、と規定して夫をかばったように、全ての年齢の男たちがふざけて口にする類の禁忌語と認識されている。

禁忌語の開放度

しかし、大規模デモでも示されたように、それは日本語の「平4姫」のごとく徹底したタブー、つまり「メディアなども絶対に口にしない類の表現」ではない。Pussyという言葉そのものが、SNSはもちろん大手メディア上でも大乱舞したことからもそれは明らかだ。それは英語ではファック(Fuck)、ここイタリアの言葉ではカッツォ(Cazzo)などに似た禁忌語なのだ。

ファック(Fuck)は性行為のことである。またイタリア語のカッツォ(Cazzo)は男性器のことである。その意味では行為と器官そのものも指す日本語の「平4姫」は、FuckとCazzoを足したくらいに強烈な言葉なのだ。「平4姫」はエライ。

ところで「平4姫」の伴侶についてもここで僕の考えを述べておきたい。日本語におけるまたもやのタブー語、東京都にある神保町の神保が少しなまった有名語で示される器官を、戦闘態勢にある時は「棒状の珍しいもの」という意味で僕は「珍なる棒」と呼んでいる。僕が勝手に造語した「珍なる棒」がすなわち、イタリア語のカッツォ(Cazzo)である。

女子高生語

英語圏ではうら若い乙女たちでさえ、時にはニギヤカにFuckを多用する。例えば、しまった=ファック、やべー=フアック、死ねばか=ファックなどと言い、イタリアでも可愛いくもゲンキな女子高校生たちが、コノヤロ=カッツォ、るせーよ=カッツォ、逃げろ~=カッツォ~etc、etc、etc、などとばんばん使うのだ。

それと似た事態が日本語でも起こるとすれば(過去にも、現在も、将来も起こらないと思うけれど)、語感としては「珍なる棒」よりも「平4姫」のほうが そういう「フツー語」に近い、と僕は思う。「珍なる棒」は語感がただコッケイなだけで、「平4姫!」と叫ぶときのカイホー感やウラミツラミ感、あるいはウシロメタサ感やシテヤッタリ感がない、と思うのである。

むっつりスケベ

僕はそういうこととは別に、日本語で生殖器を陰部と呼ぶ事態にもヒジョーに心が波立つ。陰唇とか陰核とか陰嚢とか陰茎などなど。必要以上に引っ込み思案で且ついやらしい。日本人が風俗などという世にもエロいセックス産業を発達させたのも、そういう引っ込み思案のせいでセックスが開放の反対側に追い詰められていって、ついに爆発するんじゃないかとさえ考えている。

平4姫、平4姫、平4姫ええええええ~~、と気軽に口にできれば、日本人も少しは開放されて真っ当なセックス街道を行くようになるんじゃないか。痴漢とか、街中でいきなりズボンを下ろしてイチモツを女性に開陳するとか、1万人以上の女性を買春して写真に収めるとか・・そういうド変態も日本人に異常に多い気がする。それもあるいは、厳格過ぎるタブーへの反動が原因ではないか。

「平4姫」という4文字また音を、ためしに20~30回も繰り返して口にしてみてほしい。繰り返し発音してみるとその言葉は、もはや股間に座(ましま)す「平4姫」ではなく、「平4姫」という語(音)だけが何者かになって一人歩きを始める。すなわち米英の乙女が叫ぶファック(Fuck)や伊の女子高生が罵るカッツォ(Cazzo)などのようになるのだ。

そうなるとそれらのタブー語は、依然としてタブーではあるものの、日本語の厳格なタブー語とは違う「開放」の空気をかもし出し始める。すなわち「タブーの度合い」が軽くなるのである。

ならば僕は「平4姫」を白日の下にさらけだして、タブーを無くしたいのかというと、全く逆なのである。それはタブーである方がよろしいものだ。だから僕はわざわざ回りくどく「平4姫」と言いつづけている。

僕はここでは、「平4姫」という美しいものを、美しいままでそっとしておくにはタブーでありつづけるべきだと言いたいのであり、且つそのタブーがタブーでなくなるときに起きるかもしれない「文化的激震」を、少し予見し考察してみたかっただけなのである。



ヨリ漫湖
漫湖はれっきとしたラムサール条約登録湿地の一つ



イラスト:Kenji A Nakasone




ファッションモデルのオッパイⅡ



ファッションショーを取材する時には、僕はいつも相反する二つの強い感慨に襲われる。それを強く称賛する気持ちと軽侮する気持ちが交錯して、我ながら戸惑ってしまうのである。

 

称賛するのはデザイナーたちの創造性と、ビジネスとしてのファッション及びファッションショーの重さである。

 


次々に新しいファッションを創り出していくミラノのデザイナーたちは、疑いもなく秀れた才能に恵まれた、かつ厳しいプロフェッショナルの集団である。彼らはたとえば画家や作家や音楽家が創作に没頭するように、新しい流行を求めて服のデザインに没頭する。

 


そうやって彼らが生み出すファッションは、どれもこれも一級の芸術品だが、流行に左右される消費財であるために、まるで作った先から消えていくような短い命しか持ち得ない。

 


それでも彼らが創造するデザインの芸術的価値は、他のいかなる分野のアートに比べても少しも遜色はないと僕は思う。咲いてすぐに散ってしまう桜の花の価値が、命の長い他の花々と比べて少しも遜色がないように。

 


季節ごとに一新される各デザイナーの作品(コレクション)は、必ずファッションショーで発表される。そしてそのショーの成否は服の売り上げに如実に反映される。ファッションは創作と販売が分かち難くからみついている珍しい芸術分野なのである。

 


デザイナーは次の季節の流行をにらんで髪を振り乱して創作をする。この時彼は画家や小説家や作曲家と同じ一人の孤独なクリエイターである。無から何かを作り出す苦しみも喜びも、彼はすべて一人で味わう。

 


その後、彼の作品はファッションショーで発表される。画家の絵が展覧会で披露され、小説家の作品が出版され、作曲家の曲がコンサートで演奏されるのと同じことである。それらのクリエイターは誰もが、発表の場においてある時は称賛され、ある時はブーイングを受ける。つまりそれは誰にとっても「テスト」の場である。

 

それでいながらファッションデザイナーの立場は、他のクリエイターたちのそれとは全く違う。なぜならデザイナーは、前述の三つの芸術分野に即して言えば、クリエイターであると同時に画廊を持つ画商であり、出版社のオーナーであり、コンサートホールの所有者兼指揮者でもある場合が多いからである。


つまりデザイナーという一人のクリエイターは、同時に彼の名を冠したブランドでもあるケースが一般的なのである。たとえばアルマーニとか、亡くなったフェレやベルサーチなどのように。従ってファッションショーは、デザイナーという一人の秀れたクリエイターの作品が評価される場所であるだけではなく、デザイナーの会社(ブランド)の浮沈を賭けた販売戦略そのものでもある。


同時にファッションショーには、舞台上でポロリとこぼれ出るモデルのオッパイみたいに、とても軽い部分も多く存在する。
→<ファッションモデルのオッパイ

 

ファッションの世界にはそんな具合に僕を当惑させる二面性がいつもついて回っている。しかしそれは僕にとっては、どちらかというとファッション界の魅力になっているものであり、決して否定的な要素ではない。

 


二面性とは「虚と実」である。「虚」は言うまでもなくファッションショーとその回りに展開される華々しい世界で、「実」はデザイナーの創造性と裏方の世界、つまり、デザイナーがデザインした服を生産管理し、販売していく巨大なビジネスネットワークのことである。

 

虚と実がないまぜになったファッションの世界は、僕が生きている映画・テレビの世界と良く似ている。

 


スクリーンやテレビ画面で展開される華々しい世界は「虚」のファッションショーで、それを作り出したり、放送したり、スポンサーを抱きこんだりしていく大きな裏方の世界は、「実」であるファッションビジネスの巨大ネットワークの部分にあたる。

 


そして虚の部分にひっぱられて実が虚じみて見えたり(あるいは実際に虚になってしまったり)、その逆のことが起こったりするところも、二つの世界はまた良く似ている。

 

そんな訳で僕は、ファッションの世界にたくさんある虚の部分を茶化したり、軽侮したりしながらも、全体としてはそれに一目置いている。

 

僕の泳ぎ回っている映画やテレビの世界も、見栄や虚飾やカッコ付けの多い軽薄な分野だが、僕はそこが好きだし自分なりに結構真剣に仕事をしてもいる。だからきっとファッションの世界に生きている人たちも同じなんだろうな、と僕なりに納得したりするのである。


ファッションモデルのオッパイ



44歳の若さで亡くなったミラノの偉大なデザイナー・モスキーノが語ったように、ファッションショーはデザイナーたちの真剣な戦いの場である。

→<小さな大都市ミラノ

 

ミラノコレクションのファッションショーの会場では、華やかな衣装を身にまとったトップモデルたちが、音楽に合わせて舞台上を行進する。舞台の周りには世界中のファッション関係者やバイヤーが陣取って、彼女たちのきらびやかな服に熱い視線を送る。そこには必ず有名スターやスポーツ選手やミュージシャンなども顔を出して(招待されて)いて、ショーに花を添える仕組みになっている。

 

ファッションショーはカッコ良くてエレガントで胸がわくわくするような楽しい催し物である。  

 

同時にファッションショーは変である。

 

何が変だと言って、たとえばモデルたちの歩き方ほど変なものはない。ショーの舞台には出たものの、彼女たちは歌を歌ったり踊りを披露したりする訳ではないから、仕方がない、とばかりに見せるために歩き方に精いっぱい工夫をこらす。

 

ニコヤカに笑いながら尻をふりふり背筋を伸ばし、前後左右縦横上下、斜曲正面背面膝栗毛、東西南北向こう三軒両隣右や左の旦那様、とありとあらゆる方角に忙しく体を揺すりながら、彼女たちは舞台の上をかっぽするのである。

 

そういう歩き方が、最も優雅で洗練された女性の歩行術だ、という暗黙の了解がファッションショーにはある。しかし、宇宙人か色気違いでもない限り人類は街なかでそんな歩き方はしない、と僕は思う。

 

モデルたちはにぎやかに歩行をくり返しながら、時々ポロリとオッパイをこぼす。これはジョークではない。どう考えても「こぼれた」としか形容の仕方のない現われ方で、モデルたちのきれいなバストがファッションショーではしばしば露出するのである。もちろんそれは着ている服が非常にゆるやかなデザインだったり、ふわりと体にかぶさるだけの形になっていたりするときに起きる。

 

そういう予期しない事件が起きたときに当のモデルはどうするかというと、実は何もしない。知らんぷりを決め込んで堂々と歩行を続ける。恥じらいもなければ臆することもなく、怒りも何もない。まるでこれは他人(ひと)様のオッパイです、とでも言わんばかりの態度である。

 

それではこれを見ている観客はどうするか。彼らも実は何もしない。口笛も吹かなければ拍手もしない。モデルにとっても観客にとっても、この際はファッションだけが重要なのである。だからたまたまこぼれ出たオッパイは無き物に等しい。従って全員が、イチ、ニの、サン!でこれを無視するのである。モッタイナイというか何というか・・・。

 

それはさておき、長身かつプロポーション抜群のモデルたちの着る服は、どれもこれもすばらしく輝いて見える。男の僕が見ても思わず、ウーン、とうなってしまうようなカッコいいデザインばかりである。どれもこれも余りにも決まり過ぎているので、僕はふと心配になる。 

 

「これらのきらびやかな服を、モデルのように長身とはいかないガニ股の、デブの、かつ短足で平鼻の、要するにフツーの人々が着たらどうなるか・・・。これはもう目も当てられない。想像するのも嫌だ。絶対に似合うはずがない!」

と僕は想像をめぐらしては身もだえる。そうしておいて、

「しかし・・・」

と僕はまた気を落ちつかせて考えてみる。

 

「ファッションショーとは、読んで字のごとく要するに「ショー」であり見世物である。従ってモデルたちが着ている服もショーのために作られたものであり、街なかでフツーの人たちが買う服は、またおのずから違うものであろう・・・」

と。

 

ところがこれは大間違いなのである。ファッションショーで発表されて話題になった服は飛ぶように売れる。というよりも、ファッションショーで見られなかった服は、たとえ有名デザイナーのそれでもほとんど売れないという。だからこそファッションショーには世界中のバイヤーが群がるのである。

 

それでは、というので僕はミラノの街に出て、通りを歩く女性たちをじっくりと観察してみる。しかし、いくら目を凝らして見てもファッションショーで見たあのめくるめくように美しい衣装は発見できない。

 

衣装はかならずそこらに出回っているはずだが、フツーの人が着ているためにショー会場で見た輝きがなくなって、少しもそれらしく見えないのだ。もちろんモデルのように変な歩き方をする女性もいない。ましてやオッパイをポロリの女性なんか逆立ちしても見当たらない。

 

単なる見世物かと思えばリアルなビジネスになり、それではその商品を街なかで見てみようとすると実態がない。面食らった僕は、そこでくやしまぎれに結論を下す。

 

「ファッションショーやファッションなんて要するにその程度のものだ。モデルのオッパイと同じで、あって無きがごとし。ごくごく軽いものなのだ・・・・」

と。

小さな大都市ミラノ


 

言うまでもなくミラノはニューヨークやパリやロンドンなどと並ぶ世界のファッションの流行発信地である。そのミラノの中でも最も重要な、いわば流行発信の震源地、とも呼べるのがファッションショーの会場である。僕はテレビ番組の取材でそこにも良く出掛けてきた。


毎年行われるファッションショー、つまりミラノコレクションでは、イタリアのトップデザイナーたちが作った服を、世界中から集められたこれまたトップの中のトップモデルたちが美しく、優雅に、そして華麗に着こなして舞台の上を練り歩く。


テレビカメラが回りつづけ、写真のフラッシュがひっきりなしにたかれる中で、観客は舞台上のモデルたちを見上げながら、称賛し、ため息をつき、あるいは拍手を送ったりしてショーを盛り上げる。実に華やかで胸が躍るような色彩と光と夢に満ちあふれた催し物である。


ミラノでファッションやデザインを取材する時にいつも感じるのは、なぜこの小さな街がロンドンやパリやニューヨークや東京などの巨大都市と対抗して、あるいはそれ以上の力強さで世界をリードするデザインやファッションを発信して行けるのだろうかということである。 


ロンドンとパリは都市圏の人口がそれぞれ約1200万人、ニューヨークは1900万人もいる。東京の都市圏の人口3000万人には及ばないにしても、巨大な都会であることに変わりはない。それらの大都市に対してミラノ市の人口はおよそ130万人、その周辺部を含めた都市圏でもわずか390万人ほどに過ぎない。


もちろん人口数が全てではないが、人が多く寄ればそれだけ多くの才能が集まるのが普通だから、小さなミラノがファッションの世界で多くの巨大都市に負けない力を発揮しているのはやはり稀有のことである。


それは多分ミラノが都市国家の伝統を持つ自治体として機能し、完結したひとつの小宇宙を作って独立国家にも匹敵する特性を持っているからではないか、と考えられる。つまり、ニューヨークやパリやロンドンが飽くまでも国家の中の一都市に過ぎないのに対して、ミラノは街そのものが一国なのである。都市と国が相対するのだから、ミラノが世界の大都市と競合できたとしても何の不思議もないわけである。

 
ところで、秀れた才能に恵まれたミラノのファッションデザイナーたちが、新しい流行を求めて生み出す服のデザインは、まぎれもなく一級の芸術作品である。しかしその芸術作品は、どんなに素晴らしい傑作であっても、たとえば絵画や小説や音楽のように長く人々に楽しまれることはない。言うまでもなくファッションが、流行によって推移していく消費財だからである。


ファッションデザイナーたちは、一瞬だけ光芒を放つ秀れた作品(服)を作るために、絶え間なく努力をつづけていかなければならない。なにしろファッションショーは、一年間に女物が二回、男物が二回の計四回行なわれる。彼らはその度に、少なくとも数十点の新しい作品を作り上げていかなければならないのである。アイデアをひねり出すだけでも、大変な才能と精進が必要であることは火を見るよりも明らかである。


僕は、10年以上前に44歳の若さで亡くなった偉大なデザイナー・モスキーノが、ファッションショーで語った内容を決して忘れることができない。


モスキーノは当時のミラノのファッション界では、アルマーニやフェレやベルサーチなどと並び称される大物デザイナーだった。同時に彼らとは一線を画す、カラフルで斬新で遊び心の強い作品を魔法のように次々に生み出すことで知られていた。彼のファッションショーも、作り出された服と同じでいつもハチャメチャに明るく賑やかで、舞台劇を見るような楽しさにあふれていた。


ある日彼のショーを取材した後のインタビューの中で、ファッションショーの度に次から次へとアイデアが出るのには感心する、というような月並みな賛辞を僕はモスキーノに言った。するとデザイナーが答えた。

「ファッションショーは一つ一つが生きのびるか死ぬかを賭けたテストなんだ。この間何かの雑誌で読んだけど、日本の大学の入学試験はものすごく厳しいらしいじゃないか。ファッションショーもそれと同じだよ。しかも僕らの入学試験は、仕事を続ける限り毎年毎年三ヶ月に一度づつ繰り返されていく。ときどき辛くて泣きそうになる・・・」

 
駆け出しのデザイナーならともかく、一流のデザイナーとして既に揺るぎない評価を得ているモスキーノが、一つ一つのファッションショーを生きのびるか否かのテストだと言ったのが僕にはすごく新鮮に聞こえた。


季節ごとに一新される各デザイナーの作品(コレクション)は、必ずファッションショーで発表される。そしてそのショーの成否は服の売り上げに如実に反映される。モスキーノはそのことを指して、ファッションショーを生きのびるか否かを賭けたテストだと言ったのである。


ファッションは創作と販売が分かち難くからみついている珍しい芸術分野である。従ってモスキーノが、ファッションショーを生死を賭けたテスト、と言ったのは極めて適切な表現だったと僕は思う。


ミラノには日夜髪を振り乱して創作にまい進する多くのモスキーノたちがいる。だからこそ小さな都市ミラノは、世界中の大都市に対抗して今日も堂々とファッションの世界をリードしていけるのだろう。

 

 

 

 

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