寂しい出来だったNHK朝ドラ「ちむどんどん」に続く「舞いあがれ」を欠かさず見ている。
ロンドン発の日本語放送が1日に5回も放送をする。そのうちの1回を録画予約しておき、空き時間にクレジットを速回しで飛ばして時間節約をしながら目を通す。
このやり方だとほぼ見逃すことがない。
存在自体があり得ないデタラメな登場人物・ニーニーが、ドラマをぶち壊しにした前作とは違い、「舞いあがれ」は落ち着いた雰囲気で安心して見ていられる作りになっている。
ところが今回作は、ドラマツルギー的には「ちむどんどん」よりもさらに悪い出来になりかねない展開になっている。
「舞いあがれ」はこれまでのところ、前半と後半が全く違う展開になっているのだ。そのままで終われば構成が破綻した話になるのが確実だ。
主人公の舞がパイロットになるため勉強に励む前半と、パイロットになる夢を捨てて町工場を立て直そうと奮闘する後半が、分裂と形容しても構わないほどに互いに独立した内容になっている。
ひとりの若者が夢を諦めてもう一つの人生を歩む、というのは世の中にいくらでもある話だ。従って主人公が家業を手伝う流れは自然に見える。
だがこのドラマの場合は、ひとりの女の子がパイロットになるという夢を抱いてまい進する様子が前半の核になっている。いや、物語の全てはそこに尽きている。
成長した主人公の舞は、大学を中退してまで航空学校に入学し、パイロットになる夢を追いかけて格闘する。その内容はきわめて濃密だ。
パイロット養成学校の内幕と人間模様を絡めつつ、「男社会のパイロット界」で、女性が道を切り開いていくであろう未来を予想させながら、説得力のあるドラマが続く。
そこに父親の死と家業存続の危機が訪れる。舞はプロのパイロットになる直前で一時歩みを止めて、家業の手助けをする決心をする。
そこには時代の流れで、舞の就職先の航空会社が採用を先延ばしにする、というアクシデントが絡まる。だから話の推移は納得できる。
舞は一度立ち止まるが、どこかで再びパイロットになるために走り出すだろう、と誰もが思う。なぜならドラマは冒頭からそれを示唆する形で進んできたからだ。
ドラマの内容のみならず、「舞いあがれ」というタイトルも、紙飛行機が舞うクレジットのイラスト映像も、何もかもがそのことを雄弁に語っている。
ところがドラマは、町工場の再建で悪戦苦闘する舞と家族の話に終始して、パイロットの話は一向に「舞いあがらない」。忘れ去られてしまう。
この先にそこへ向けてのどんでん返しがあることをひそかに期待しつつ、ドラマがこのまま「町工場周辺の話」で終わるなら、それはほとんど詐欺だとさえ言っておきたい。
ドラマツルギー的にも構成がデタラメな失敗作になる。
ところが― 矛盾するようだが ―パイロット養成学校とその周辺の成り行きが主体の前半と、町工場の建て直しがコアの後半の内容はそれぞれに面白い。
大問題は、しかし、このままの形で終わった場合、前半と後半が木に竹を接いだように異質で一貫性のないドラマになってしまうことだ。
朝ドラは前作の「ちむどんどん」を持ち出すまでもなく、細部の瑕疵が多い続き物だ。
物語が完結したときに、それらの瑕疵が結局全体としては問題にならない印象で落ち着くことが、つまり成功とも言える愉快なシリーズだ。
「ちむどんどん」はそうはならなかった。主人公の兄の人物像が理解不可能なほどにフェイクだったのが大きい。
「ちむどんどん」の大きな瑕疵はしかし、飽くまでも細部だった。話の本体は主人公暢子の成長物語である。
一方「舞いあがれ」がパイロットの物語を置き去りにして町工場周辺の話のみで完結した場合、それは細部ではなくストーリーの主体が破綻したまま終わることを意味する。
そうなればドラマツルギー的には呆れた駄作になること請け合いだ。
それとは別に個人的なことを言えば、パイロットの育成法や彼らのプロとしての生き様に強い関心を抱いている僕は、それらが中途半端にしか描かれないことにさらなる不満を抱く。
加えて女性パイロットが、いかにして「冷静沈着」な職業パイロットへと成長して男どもと対峙し、また理解し合い、飛行時の困難や危険を回避して「舞いつづける」かも見たかったので腹が立つ。
今が旬のジェンダーギャップ問題にも大きな一石を投じる機会だったのに、と余計に残念だ。
「舞いあがれ」は複数の脚本家が担当しているという話を聞いた。そのせいで前半と後半のストーリーが違う、という言い訳もあるようだ。だがそれはおかしな主張だ。
構成が破綻した脚本を受け入れる演出家も、その成り行きを許すプロデュサーも理解しがたい。前作の「ちむどんどん」に関しても僕はほとんど同じ疑問を呈した。
NHKは大丈夫か?とさえ締めくくりたくなるが、流石にそれはできない。なぜならNHKのドラマ部門は、報道やドキュメンタリー部局に全く引けを取らない充実した作品を作り続けているからだ。
衛星放送のおかげで、外国に居住しながらNHKの番組を多くを見続けている僕はそのことを知悉している。
朝ドラの不出来は、やはり一本一本の瑕瑾と見なすべきものだ。
その伝で言えば「ちむどんどん」にはがっかりしたが、「舞いあがれ」は欲求不満でイラつくというふうである。
むろん、どんでん返しでパイロットのストーリーが展開されれば話はまた別、とあらかじめ言っておきたい。
だが、終盤が近い今の段階で展開が変わっても、尻切れトンボになる気配が濃厚であるように思う。
物語を元の軌道に戻すには町工場の話が長過ぎたと見える。それを力ずくで大団円に持ち込むことができるなら演出の力量はすばらしいものになる。
僕はここまでドラマツルギーと言い、構成と言い、一貫性や破綻などと言った。あるいは論理や方法論などを持ち出して批判することもある。だがそれらは飽くまでも傍観者の評論である。
論理や方法論で人を感動させることはできない。たとえそれらが破綻していても、視聴者を感動させ納得させることができればそれが優れたドラマだ。
朝ドラはよくそれをやってのける。
ここから終幕まで、演出のお手並み拝見、といきたい。