ポルトガルの歌謡、ファドをシャンソンやカンツォーネを引き合いに出して語るとき、僕は隣国スペインのフラメンコやタンゴを思わずにはいられない。
さらにイベリア半島のタンゴが変容発展して生まれたアルゼンチンタンゴ、またブラジルのサンバなどにも思いは飛ぶ。
サンバやタンゴまたフラメンコは踊りが主体という印象が強いが、実はそこでも音楽や歌は重要だ。特にフラメンコはそうである。
フラメンコは踊りよりも先ず歌ありき、で発生したと考えられている。
ファドはラテン系文化圏に息づくそれらの音楽の中でも、特に日本の演歌に近い情感と姿容を備えている。
哀愁と恋心と郷愁また人生の悲しみなどを歌うファドは、日本の歌謡で言えば、子守歌の抒情を兼ね備えたまさに演歌そのもの、と感じるのである。
演歌だから、同種の歌詞に込めた情念を、似通ったメロディーに乗せて歌う陳腐さもある。だがその中には心に染み入り好き刺さる歌もまた多い。
リスボンでは盛り場のバイロ・アルトで店をハシゴしてファドを聴いた。
2人の女性歌手が交互に歌う店、若いファデイスタが入れ替わり立ち代わり歌う賑やかな店があった。
また老齢の渋い男性歌手が、彼の弟子らしい若い女性歌手と交互に歌い継ぐ店などもあった。
それぞれが個性的で、趣の深い楽しい雰囲気に包まれていた。
女性歌手が多いファドだが、最後に聴いた老齢の男性歌手の歌声が、もっともサビが効いて面白いと感じた。
ファドのように専門の店を訪ねて歌を聴く、という体験は僕にとっては希少だ。ニューヨークでのジャズ、沖縄の島唄、そして欧州ではスペインで見聴きしたフラメンコくらいのものだ。
フラメンコは、スペインのアンダルシア地方をじっくりと見て回った際、セビリアとグラナダまたカディスなどで 店や小劇場を巡って大いに見惚れ聞き惚れた。
アルゼンチンタンゴとサンバはまだ本場では体験していない。機会があればどちらもそれぞれのメッカで見、聴きたいと思う。