第2次対戦中の1945年4月25日、イタリアのレジスタンスはムッソーリーニとナチスを撃滅した
翌年の1946年6月2日、イタリアでは国民投票により王国が否定されて、現在の「イタリア共和国」が誕生した。
イタリアが真に近代国家に生まれ変わった日である。
世界の主な民主主義国は、日本やイギリスなどを除いて共和国体制を取っている。
民主主義国には共和制が最もふさわしい。だが共和制は民主主義と同様にベストの政治体制ではない。あくまでもベターな仕組みだ。
われわれは今のところ民主主義に勝る政治理念を知らない。同様にわれわれは共和制よりも良い政治システムもまた知らない。
ベストを知らない以上、ベターが即ちベストだ。
今この時のベストの政治体制とは、ここイタリアまたフランスの共和制のことであり、ドイツ連邦やアメリカ合衆国などの制度のことだ。
その制度は「全ての人間は平等に創られている」 という人間存在の真理の上に構築されている。
民主主義を標榜するするそれらの共和国では、主権は国民にあり、その国民によって選ばれた代表によって行使される政治体制が死守されている。
多くの場合、そこでは大統領が元首も兼ねる。
真の民主主義体制では、国家元首を含むあらゆる公職が主権を有する国民の選挙によって選ばれ決定されるべきだ。
つまり国のあらゆる権力や制度は、米独仏伊などのように国民の意志に基づいて創設されなければならない。
その意味では王を頂く英国と天皇制を維持する日本の民主主義は歪だ。
予め人の上に人を創出しているその仕組みは、いわば精神の解放を伴わない不熟な民主主義という見方もできる。
日本が共和国制の国になれば、いま日本を覆っているさまざまな反民主主義的な黒雲が吹き飛ぶだろう。なぜなら欧米風の民主主義共和国では、既述のごとく「人間は皆平等に創られている」という思想が血となり肉となって国民の全体に染み渡り国の礎となっている。
だが今この時も即座に天皇にひれ伏し、お上には盲目的に従順になる日本国民の「魂」がある限りそれはほぼ不可能なことだ。
ちなみに僕は平成の天皇(上皇)を心の底から尊崇する者である。平成の天皇と僕は同じ平等な人間として生まれたが、上皇は「人間として」僕などよりもはるかに大きな人格者と考えるからだ。
それは仏陀やイエス・キリストに対する僕の畏敬の念とそっくり同じものであり、その心は共和国制を支持する立場と矛盾しない。
参照:
https://terebiyainmilano.livedoor.blog/archives/52331777.html
https://terebiyainmilano.livedoor.blog/archives/52298622.html
https://terebiyainmilano.livedoor.blog/archives/52326215.html
https://terebiyainmilano.livedoor.blog/archives/52323856.html