【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

時事(一般)

「テンポラーレ祭り」のあとの寂しさ



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強風になぎ倒された庭のレモンの大鉢


2017年8月10日午後、朝からの薄い曇り空ににわかに黒雲が湧き起こって風が吹きつけ、巨大な雹が叩きつけるように降り注いだ。

イタリアの夏の風物詩テンポラーレ(雷雨を伴う強烈な夕立、あるいは豆台風、あるいは野分)である。雹を伴うと農作物に甚大な被害をもたらす。

短い間に大量に降りなぐった雹は、未収穫のブドウのほぼ4割を破壊したと見られる。農家にとっては4月の冷害に続く災難である。救いは全体の半分以上がすでに収穫済みだったことだ。

例によって僕の菜園の野菜たちも手ひどい暴力にさらされた。トマトが半死、白菜とキャベツが恐らく全滅。不断草がきついダメージ。あまり結実はしていないものの、ナスとピーマンも破壊された。

白菜とキャベツは、カリフラワーとブロッコリともども、冬に向けての収穫が楽しみの種だった。雹のあまりの攻撃でたぶん巻いて結球することなく終わるだろう。残念無念。

壁際の円形鉢でよく育っていた大葉はかろうじて救われた。週末にオーストリアから訪れる友人夫婦に、天ぷらにしてご馳走する計画だからよかった。その分はなんとかなりそうだ。

トマトもなんとか助かった。生き延びた分を早めに収穫してソースを作ろうと思う。実は今年はすでに2回トマトソース作りをした。不作で2回とも量は少なかった。

次の3回目もたいした量にはならないだろう。豊作だった去年とはえらい違いだ。具体的に言えば今年は、昨年の3分の一程度のソースしかできない見込み。

少しさびしいトマトソース作りは、原料の少なさに加えて、外野からあれこれチャチを入れたり写真撮影をしたりする妻が、今年は母親の介護で留守だったことも原因の一つ。

それにしても、今夏イタリアを襲っている異様な暑気と旱魃は、実は北イタリアの特にわが家のあるロンバルディア州の一角では、ほとんど実感されていない。

昨日のすさまじい雹嵐ほどではないものの、テンポラーレ(雷雨を伴う強烈な夕立、あるいは豆台風、あるいは野分)が適度な頻度で襲って雨を降らせ、暑気を吹き散らしてくれたのだ。

アルプスと向き合う北イタリアと、アフリカに対面する南イタリアが一国を構成するこの地では、経済格差に加えて環境格差もまた南北問題を作り出している、とも考えられる。



トト・リイナは刑務所内で尊厳死を、と裁判所



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裁判所のリイナ



2017年7月17日、イタリアの拘留再審裁判所(ボローニャ市)は、史上最悪のマフィアボスとも規定されるトト・リイナの尊厳死を否定する判決を下した。

1993年に逮捕されて服役中のリイナは、高齢と病気を理由に終身刑の減刑を申し立て、伊最高裁は先日、彼の申請を吟味するように拘留再審裁判所に命じていた。

ボローニャ拘留再審裁は、リイナが収監されているパルマ刑務所内の41Bis(最高警戒レベル棟)の医療施設は最良のものであり、彼の尊厳死が損なわれることはない、とした。

また、リイナは今年2月、面会に来た妻との会話の中で「俺は絶対に司法に屈しない。謝罪も告白もしない。奴らが俺の刑期を30年から3000年に切り換えてもだ」という趣旨の発言をした。

裁判所はそのことも指摘して「リイナは依然として(マフィアのトップにあって)社会の敵である。彼を解放するのは危険が大き過ぎる」とも断言した。

リイナの弁護人は再び控訴するとしているが、恐らく今後申し立ては取り上げられることはなく、世紀の悪人「野獣トト・リイナ」は、41Bis(最高警戒レベル)監視下で死を迎えることになるだろう。


皇太子さんとヘンリー王子



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写真:デンマーク、ハイネ氏配信


皇太子(徳仁親王)さんがデンマークでゆきずりの人と自撮りをしたことを、僕はゆるりとひそかにうれしく思った。

そのことを書きたいが、さて皇太子さんの呼び方をどうするかで少し迷った。

「皇太子殿下」「徳仁親王殿下」「東宮さま」など、堅苦しい伝統に縛られた言い方をするのがはばかられた。

それというのも皇太子さんが、一般人と街中の路上で、気さくに自撮りに応じたのは、まさにそれらの堅苦しい呼称に代表される「伝統」に挑む行為にほかならないからだ。

大時代なそれらは伝統という名の、だがもしかすると陋習かもしれないコンセプトである。だから皇太子さんはあえてそれらに挑んでいるのだろう。

皇太子さんのその「勇気」を賞賛するのがこの稿の目的である。それなのに僕が、伝統ならまだしも、陋習かもしれないものに縛られた言い方をしては自己撞着だ。

あれこれと迷う間に京都の人々が天皇陛下を(親しみをこめて)天皇さん、と呼ぶことを思い出して、試しに「皇太子さん」と口にしてみた。すると、それが一番しっくりくることがわかった。

先に進む前に保守派の皆さんが眉をひそめそうなので断りを入れておきたい。

皇太子さんを、さん付けで呼ぶのは決して侮辱する意味ではない。皇室典範には皇太子さんを「皇太子殿下」と呼ぶと明記されているが、皇太子は天皇と同じようにその呼称自体がすでに尊称だとも考えられるから、実は陛下や殿下をつけなくても恭しい言葉だ。

だから「皇太子は」と書いても問題はない。むしろ正確と実を重んじるジャーナリズムの書き方はそうあって然るべきだ。

だが僕のこの文章はジャーナリズムのコンセプトで書くものではない。あくまでも僕の意見また心情を吐露するエッセイやコラムや随筆の意味合いで書く。

いわばオフィシャルな呼称ではなく、個人的、人間的な親しみをこめて僕は皇太子殿下を「皇太子さん」と呼ぶのである。

この際なのでさらに付け加えておけば、今こうして僕があれこれと説明したり言い訳をしたりしていること自体が日本の、そして皇室の、つまり宮内庁の時代錯誤と封建制がもたらす弊害以外の何物でもない。

そしてそれは、世界の中で日本が生きていく際に、日本国と日本国民の後進性あるいは閉鎖性を象徴する概念や事象やファクトや思念と見られかねないものであり、日本のイメージの低下をもたらすことはあっても、イメージの向上に資することは決してない。

皇太子さんが自撮りに気軽に応え、大きな笑顔を世界中に披露したのはすばらしいことだ。それは皇室が開けたものになる未来を垣間見させる象徴的な出来事だ。

それはまた今上天皇が、皇太子さんほかの子供たちを手元において、皇后陛下ともどもに「家庭で」育てた「皇室の近代化」の動きの結実でもある。

宮内庁は皇太子さんの前例のない行動におどろき、おそれたという。僕はそれとは逆に、宮内庁の反応そのものにこそおどろき、おそれたものだ。

おどろいたのは、皇太子さんの徹頭徹尾ポジティブな行動をポジティブと理解しない愚昧な守旧性への驚嘆。

またおそれは、宮内庁の考えに似た姿勢でいる日本国内の民族主義者と、それに唯々諾々と取り込まれるであろう一部の、無思考の国民への不安。

彼らの非難の声が起こって、皇太子さんが目指している皇室の行く末と、従って日本の行く方向に暗雲が垂れ込める可能性をおそれ憂いたのだ。

皇太子さんが自撮りを披露した直後に、偶然にも、英国ではヘンリー王子が
「王室の家族の中ですすんで王や女王になりたい者などいない」と」発言して話題になった。

それは王や女王であることの重い責任と、不自由と、非人間的な規制生活の諸々を喜んで引き受ける者などいない。

それでも

王になり女王になるのは、要するに国民に対する王族としての責任感と義務感があるからだ、という意味を行間に込めた人間味あふれる宣言だった。

ヘンリー王子は同時に、彼の母親のダイアナ妃の葬儀の際、幼かった自分が母親の棺の横で行列に従って歩いた苦痛を「あってはならないこと」と、これまた聞く者の涙と共感を呼ばずにはおかない心情も吐露した。

それは伝統やしきたりや慣習の秘める残酷を指弾した宣告だ。だが決して伝統やしきたりや慣習を否定するものではなく、それらは変革し作り変えられるべきものでもある、という開明的な考えの披瀝でもあったのだ。

僕はヘンリー王子の真摯な気持ち表明と、皇太子さんのニコヤカな自撮りに同じルーツを見たのである。

今上天皇から皇太子さんに確実に受け継がれている、人間的な皇室を目指す彼らの摯実な行状は、日本の未来を象徴する明るいものだ。

皇太子さんが妻の雅子妃を妻として「普通に」守り、かばう言動を繰り返すことと共に、実に喜ばしいことだと腹から思うのである。



終わらないイタリアのFemicideまた女性暴力事案について



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塩酸被害者のジェシカ・ノターロさん


先週水曜日、癌専門医のエスター・パスクアロ-ニさん(53)が、イタリア中部アブルッツォ州の勤務先の病院の駐車場で、男に首を刺されて死亡した。

パスクアローニさんは2人の子供の母親。病院の癌部門の責任者で、勤務を終えて帰宅するため車に向かって歩いているところを襲われた。

刺した男はパスクアローニさんにストーカー行為をしていて、警察がすぐに容疑者と割り出して追跡を始めた。だが翌朝、近くのアパートの一室で自殺しているのが発見された。

パスクアロ-ニさんが殺害された翌日、僕が先日の記事で言及した塩酸被害者のジェシカ・ノターロさん(28)が、アシカの飼育員としての仕事に復帰した写真をSNSで公表した。

女性が女性であるという理由だけで殺害されるFemicideは、中南米を中心に頻繁に起こっている。アメリカ、インド、中東などでも多い。

ここ欧州にもかなりの頻度で発生し、たとえばイタリアでは2000年~2012年の12年間で2200人もの女性がFemicideの犠牲になり、昨年も100人以上が殺害された。

その数字はドイツやイギリスではさらに多く、トルコもイタリアより犠牲者の数は多い― トルコも欧州の一国とみなすなら、という条件付きだが。

イタリアの特殊性は前回記事でも言及したように、femicideを男と女の愛のもつれ或いは痴情からくる最悪の結果であり、痴情である以上それは他人が口をさしはさむべき問題ではない、と多くの国民が考えていることである。

男はパートナーの女性を愛し過ぎるあまり時には声を荒げ、暴力を振るい、ストーカー行為に走り、ついには殺害にまで至る不幸が起こったりする。それは仕方のないことだ、という認識が多くのイタリア人の中にあるというのだ。

だがそれは愛などではなく、男の嫉妬であり、歪んだ女性支配願望の顕現であり、女性への優越意識つまり女性蔑視の感情などに根ざした殺人事件に過ぎない。「愛故の殺人」など言い逃れであり幻想である。

イタリアのさらなる問題は、男性ばかりではなく女性も「愛故の殺害」説を認める傾向があり、従ってパートナーからの行過ぎた強要や暴力行為があった場合でも、攻撃を受けた女性が黙ってしまったり、事実を否定し勝ちでさえあるという点。

そういう女性たちは「私さえ我慢すれば相手の暴力は静まる」などと考えて告発を控える。世間体というものも邪魔をする。すると暴力は歯止めがきかなくなってエスカレートし、ついにはFemicideにまで至るケースが少なくない。

塩酸被害者のノターロさんは幸い死亡することはなかったが、Femicideの被害者に匹敵する苦痛を受けた存在であり、かつ女性への暴力を糾弾する活動をしていることで、全国的に動向を注目されるようになった。

ノターロさんの本職はアシカの飼育員。事件前は歌手としても活動していた彼女は、ミスユニバース・イタリア代表選の最終選考まで残ったこともある美形。アドリア海のリゾート地リミニ近郊ではよく知られた存在だった。

彼女は塩酸をかけられた後、顔がケロイド火傷 状に変形し焼け付くような痛みに苦しみ続けている。左目が失明する不安にも苛まれている。

リハビリと手術に明け暮れていた今年4月、彼女はテレビの有名番組に出演して、女性暴力への反対と被害者女性たちへの連帯を呼びかけた。

番組の打ち合わせの際、著名タレントの司会者が「顔をスカーフで隠して出演していただいても構いません」と提案したが、彼女は敢えて崩壊した素顔を見せることを選んだ。

彼女は番組の中で:
「私が素顔をさらすのは全国の視聴者の皆さんに私を襲った元恋人の行為を見てほしいからです。こんなことは決して愛ではありません」
と訴えた。

ノターロさんの前には弁護士のルチア・アンニバリさんが同じ被害に遭って人々の怒りと同情を買った。アンニバリさんのケースでは、元恋人の弁護士が2人の男を金で雇って襲撃させたものだった。

2013年に起きたその事件でも、被害者のアンニバリさんが同じ被害者の女性たちを救いたい、として広報活動を始めたことから事態が広く知られるようになった。

Femicideと同じかそれ以上の罪悪にも見える女性へのそうした攻撃は、嫉妬と凶暴な破壊願望と支配欲とがからんだ蛮行以外の何ものでもない。愛とは嫉妬ではなく信頼であり、破壊ではなく守ることであり、支配ではなく対等であることだ。

直接、間接の理由が何であるにせよ、自分から遠ざかっていく女性を襲うそれらの男の胸中には、共通する底深い闇が広がっている。

すなわち「他の男に取られるくらいなら殺してしまえ。あるいは女性の美を台無しにしてしまえ」という男性特有の危険な利己主義である。

陳腐な歌謡曲のセリフのような心理状況でありまた描写だが、それが真実なのだろう。だからこそ「愛故の殺人」などという不可解な呼称さえ生まれるのではないか。


ロンドン「グレンフェル・タワー」で焼け死んだグロリアとマルコは「死以上の恐怖」を味わっていたかもしれない



大炎上タワー切り取り2 400pic



ロンドン「グレンフェル・タワー」で悲惨な死をとげたイタリア人カップルグロリアとマルコの物語は、いうまでもなくビル内で亡くなった全ての犠牲者の物語である。

象徴的な意味ではなく、「グレンフェル・タワー」火災の一人ひとりの犠牲者が、生きながら焼き殺された凄まじい現実は、若い2人のイタリア人と正確に同じ、という意味で。

そればかりではなく、グロリアとマルコと同様に家族や親しい人に連絡を入れて助けを求め、それが不可能と知って、再びグロリアとマルコのように愛する人たちに永遠の別れを告げた人もまたいたのかもしれない。

いずれにしても、彼らがひと息に死に至るのではなく、恐怖と苦悶に責めさいなまれながらじわじわと死んでいったであろうことを思うとき、僕は胸が苦しくなる。とても他人事には思えない。

その地獄絵図は、2015年初頭、テロ集団ISに拘束されたヨルダン人パイロット、ムアーズ・カサースベ中尉(当時26 )が、檻に入れられて生きたまま焼き殺された凄惨な映像を僕に思い出させた。

そしてその分別によって僕は新たに次の発見をした。つまり「グレンフェル・タワー」に閉じ込められた人々のうち、今まさに彼らがいる建物そのものが燃え盛っている実況生中継のTV映像を見た者がいるのではないか、と思いついたのだ。

そしてその思いつきは僕の意識をやすやすとイタリア人カップルに運んだ。

マルコとグロリアは、彼らが住むタワーの下層階で火災が発生したと知った時、テレビのスイッチをONにする余裕はなかっただろう。

あるいはその時間にちょうどテレビを見ていたとしても、2人はすぐに火事の状況を把握すること、そしてそこからの脱出を考えることで頭の中はいっぱいになって、テレビを消さないにしてもそれを見る気など吹っ飛んでしまったに違いない。

しかし、2人はイタリアの家族と連絡を取り続ける中で、テレビの実況映像を見る羽目に陥った可能性があると思うのだ。

つまり、イタリア時間の午前3時頃に始まった火災の生中継映像を見たグロリアの両親が、そのことを電話で彼らに告げた公算。

燃え狂う建物の中にいる2人が、テレビをONにして、生きたまま焼かれる自らの火葬現場を見てしまうむごい光景が展開されていたかもしれない・・。

そう気づいた時、いかんともしがたい煩悶が僕の中に芽生えた。彼らのさらなる恐怖体験を想像して暗澹たる思いに押しつぶされそうになった。

生前葬という「遊び」がある。年老いた「元気な」人が、自らの死を想定して自らの意志で行う葬儀。友人知己を招いて本人の死を「祝う」のが基本だ。

生前葬儀を主催する人は、自らが死ぬ様子を客観的に眺めるわけだが、そこには切羽詰まった死の恐怖もなければ、阿鼻叫喚の騒ぎもない。

生前葬とは死の恐怖を逃れたい者が、死の恐怖を感じていない振りで、親しい人々と共に儀式を執り行って悦に入る遊び、と言っても大きな間違いではないだろう。

若いイタリア人カップルが、もしも自らが焼かれつつあるタワーの大炎上シーンを同時進行で見ていたとしたら、生前葬にも似た設定になるわけだが、そこには生前葬などとは似ても似つかない巨大な恐怖と苦悶が充満していた違いない。

ここまでに僕が知った限りの情報では、グロリアとマルコの両親がそれぞれの娘と息子に、火災の生中継映像がテレビで流れている、と話したかどうかはうかがい知れない。

しかし、ロンドンからイタリアに送られてくる映像を見ながら、彼らが罠に落ちた若い2人の「現場からの迅速な脱出の助けになるかも」、と考えてそのことを告げた可能性も十分にあると思う。

それに続く2人の狼狽と恐怖と絶望は、文字通り「想像を絶する」ものであって、とても言葉に言い尽くせるものではない。せめてそんな事態にはなっていなかったことを祈りたい。




グロリアとマルコはロンドン「グレンフェル・タワー」の23階でイタリアの両親と電話で話しながら焼け死んでいった



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グロリアとマルコ


プロローグ・悲劇

「お母さん。どうやら私はここで死ぬことになるらしい。今日まで私のためにたくさんのことをしてくれてありがとう。私は天国からお母さんたちを見守ります」

グロリア・トレヴィザン(26)は炎に包まれたロンドン「グレンフェル・タワー」の23階の自宅から、電話の向こうで恐慌に陥っているイタリアの母親に言った。

グロリアの側には同郷の恋人、マルコ・ゴッタルディ(27)がいた。建築家の2人は3ヶ月前、仕事と夢を求めてロンドンに移住したばかりだった。

いきさつ

グロリアがイタリアの両親に最初に電話を入れたのは、イタリア時間の6月14日午前2時頃。「お母さん、怖いことが起こっている。ビルの下の階で火事があったらしい」と彼女は言った。

マルコと一緒にグレンフェル・タワーの23階から下に逃げたいが、炎が階段を伝って駆け上がっていて、煙も充満して身動きできない。閉じ込められたようだ、と続けた。

そのときのグロリアの声は不安そうではあるがまだパニックにはなっていなかった。5階あたりで発生した火事は、ほぼ最上階の彼らのアパートに達する前に消し止められるだろう、という希望的観測があったものと考えられる。

しかし、時間経過と共に彼女は明らかに狂乱に陥った。「私はまだ死にたくない。私にはやるべきことがたくさんある。もっと人生を楽しみたい。こんな不公平は受け入れられない!」グロリアは代わる代わる電話に出る父と母に訴えた。

父親のロリスは万が一のことを考えて娘とのやり取りを記録し始めていた。最悪の事態になった場合、そこにいないグロリアの弟に彼らのやり取りを聞かせてやらなければならない、と思ったのだ。

AM2:45分頃、グロリアと一緒にいるマルコもイタリアの自分の両親に電話を入れた。父親のジャンニーノが応答した。マルコは言った。

「ここから動けないが、消火活動が盛んに行われているから大丈夫。何も心配しなくていい。間もなく鎮火するはずだ」マルコは何度も繰り返した。

父親のジャンニーノは「息子は私の妻と事件現場にいるグロリアを安心させようとして、問題はない、心配するなと言い続けていたようだ」と後に新聞記者のインタビューに応えて話した。

ロンドンまで

2016年秋、グロリア・トレヴィザンはトップクラスの成績でベニス大学の建築学科を卒業した。しかし不況にあえぐイタリアには満足のできる仕事はなかった。

グロリアは今年3月、恋人のマルコと共に仕事を求めてロンドンに移住した。マルコも彼女と同じ新米の建築家である。マルコもまた優秀な成績で大学の建築学科を卒業していた。

グロリアはイタリアでは、月にわずか300ユーロ(4万円)程度の不安定な仕事しかできなかった。マルコも似たような状況にあった。彼らはイタリアを諦めてロンドンに夢を追うことにした。

2人の動きは、仕事と夢を求めて国外に流れるおびただしい数のイタリア人若者の象徴的な姿だった。イタリアの若者の失業率は40%余り。実感としては、行き合う若者の2人に1人が失業者、という惨憺たる状況だ。

グロリアの父親は、「娘が死んだのは、経済不況を手をこまねいて見ているだけの無能な政治家や政府のせいだ」、と強い怒りをあらわにした。

夢かなう

ロンドンではグロリアとマルコは2人ともに名の通った建築設計事務所に即採用になった。給料もそれぞれ一ヶ月2100ユーロ(約26万円)と新米建築家としては満足のいく額だった。それが今年3月である。

2人は高層マンション、グレンフェル・タワーの23階に住まいも得た。広い快適な部屋である。グロリアは4月10日、高層階から眺めるロンドンの景色はすばらしい、とSNS で写真付きの投稿もしていた。

ゴッタルディ夫妻は5月に息子のマルコをロンドンに訪ねた。マルコはグロリアと共に幸せで希望にあふれ、仕事も暮らしも順風満帆の時をエンジョイしていた。2人がロンドンに移住して本当に良かったと両親は思った。

一方グロリアの両親は経済的に困窮していた。ロンドンに娘を訪ねる余裕はなかったが、彼女が近く帰省することを楽しみにしていた。グロリアには夏までにその予定があったのだ。

火災概観

2人が入居しているグレンフェル・タワーの5階で6月14日に起きた火災は、火の回りが異常に速く20分ほど(15分という目撃証言まである)で建物全体に広がった。そのため高層階にいるグロリアとマルコは逃げ道を絶たれた。

必死の消火作業も空しく、炎は燃え盛って手がつけられない状況になり、その一部始終がイギリスはもちろん、世界にも衛星を介して伝えられた。

終焉

午前3時過ぎ、イタリアのテレビも生中継でロンドンの火事の模様を伝え始めた。テレビの恐ろしい映像にかぶさるようにその時、絶望の淵からふりしぼられたグロリアの冒頭の必死の声が聞こえてきた。

「お母さん。どうやら私はここで死ぬことになるらしい。今日まで私のためにたくさんのことをしてくれてありがとう。私は天国からお母さんたちを見守ります」その声に両親は、呼吸をすることさえもが苦しいような痛みと無力感に心身を打ち砕かれていた。

マルコの父親が息子の最後の声を聞いたのはそれよりも後のことだった。「ここの部屋の中にも煙が充満して危機的な状況だ」とマルコが言った。彼の声音ももはや以前の落ちついたものではなく、断末魔の喘ぎにおののくのが分かる凄惨なものだった。朝4:07分にマルコの電話は切れた。

マルコの両親はその後も繰り返し電話をかけ続けた。グロリアの両親もイタリアのそう遠くない場所で全く同じ行為を繰り返していた。しかし、若者2人はもはやどちらの電話にも答えることがなかった。

エピローグ

6月 17日現在、グレンフェル・タワー火災の犠牲者の数は少なくとも30人。58人が行方不明。不明者の全員が死亡と考えられる。この数字は今後も増えて、犠牲者数は100人を超えるのではないか、という見方さえある。

同じく6月17日、イタリア外務省はグロリア・トレヴィザンとマルコ・ゴッタルディの死亡を確認した、と発表した。


英総選挙、米コミー証言、伊マフィアをきょろきょろ見回しながら



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世界は今日も激しく動いている。

ちょうど一ヶ月前、ぼくはこのブログで「仏大統領選の結果を待ちながら」、というタイトルの記事を書いた。

あの時も世界は激しく動いていて、その動きの先にあるものは予測がつかない状況だった。

一ヵ月後の今は、表面の流動的な情勢は同じに見えるが、実は大きな方向性は固まりつつある、と僕は思っている。

つまり、世界はポピュリズムあるいはトランプ主義の大流行を脱して、安全な方向に進み出している。少なくともそこに向かう兆候が見える、と僕は考えるのである。

それはフランスでマクロン大統領が誕生したことで明確になった。もっと言えば、極右国民戦線のルペン氏の敗北によって確実になった。

ポピュリズム退潮の兆しは、フランスの前のオランダ総選挙、そのさらに前のオーストリア大統領選でうっすらと見え始め、仏総選挙で姿がはっきりした。

その流れは今日の英国総選挙にも続いていると思う。

ハードBrexitを目指すメイ首相の保守党が、EUとのより強い絆を残存させてEU離脱を唱える、労働党に追い上げられているのがその表れである。

当初、地滑り的な大勝利を収めると見られていた保守党は、おそらく敗北はしないものの、メイ首相が願ったほどの強い政権基盤を獲得するには至らない、と見られている。

選挙キャンペーン中の変化は、テロなどによる偶然が大きく影響したようにも見えるが、実はそれは偶然ではなく、前述のポピュリズムの退潮の大波がもたらしているものだと思う。

なぜならテロの頻発は、リベラルな労働党よりも治安に強硬手段を用いることを厭わない保守党に有利に働くことが普通だ。

それが逆に影響しているのは、Brexitをもたらしたポピュリズムに英国民が疲れ、当初はEU残留派だった保守党の、特にメイ首相の対EU強硬姿勢に、英国民が不安を覚え始めていることの証だ。

ポピュリズムの勝利は英国のEU離脱決定で決定的になり、米トランプ大統領の誕生で最高潮に達して、ついに世界中がその洪水に飲み込まれていくのではないか、と恐れられた。

だが実は、トランプ大統領の誕生がポピュリズムのまさにピークであり、投げた石が上昇し切った後には必ず落下するように、ポピュリズムの弱体化が始まった、と僕は思うのである。

理想的には今日の総選挙を機に英国の状況が一変して、「Brexitをひっくり返してEU残留を決める」ことである。

しかし、それは奇跡が起こって、たとえ労働党が勝利しても、今のところは無理な話である。

だが、将来は分からない。僕は分からない将来に、英国のEU残留の芽があることを願う。

アメリカではトランプ大統領に突然解任されたコミー前FBI長官が今日、議会で証言する。

コミー氏は「大統領は捜査対象ではない」とトランプ氏に告げたことを確認しつつも、トランプ大統領がロシアゲートの捜査を中止し、自分に忠誠を誓うように暗に促した、とも証言するという。

「忠誠を誓え」と迫るのは、要するにコミー氏への脅迫ではないのか。

トランプ大統領のその言動が、違法なものであるかどうかを証明するのは難しいだろう。しかし、ロシアゲート捜査への介入が証明されれば、トランプ大統領は十中八九アウトだろう。

イタリアでは前倒しの総選挙を目指して、「壊し屋」のレンツィ前首相が得意の権謀術策に奔走している。だが今日のイタリアが驚愕しているのは、それとは別の大きな「事件」である。

イタリア最高裁が、マフィアのボスの中のボス、トト・リイナにも「尊厳死」の権利があるとして、彼の赦免を審議するように拘留再審裁判所に命じたのである。

イタリアは蜂の巣をつついたような騒ぎになった。

実は僕はそのことを書いているのだが、筆の遅い無能が災いして、英国総選挙とコーミー証言が重なる今日までだらだらと続いてしまった。

ブログはニュースではなく意見開陳の場、と僕は考えているので時事ネタをあわてて書くのは邪道、とみなしている。それでも今日のような重大イベントについてはやはりひとこと言いたい思いがする。

そこでこのエントリーをまず優先させて、ほぼ書き上げつつある「マフィア話」は次に投稿することにした。




イタリアのFemicide(女性殺害)は「アモーレ(愛情)過多が原因」という荒唐無稽



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被害者ヴァヌッキさんと犯人


先月末、イタリア・トスカーナ州のルッカで、元愛人(女性)にガソリンを浴びせて着火殺害した男に30年の禁固刑が言い渡された。犯行はそれより10ヶ月前に行われた。

パスクアレ・ルッソ(46)は、愛人だったヴァニア・ヴァヌッキさん(46)に別れ話を持ち出されて激昂。ストーカー行為を続けた後の2016年8月2日、彼女を呼び出して犯行に及んだ。

遅滞で悪名高いイタリアの司法が、ほとんど奇跡的とも言える迅速さで判決を言い渡したのは、女性への暴力沙汰が後を絶たないことへの危機感があると見られる。検察は終身刑を要求していた。

夫や元夫、また恋人や元恋人などが相手の女性を殺害する事件を、殺人(homicide)になぞらえて女性(FemininまたはFemale)と合わせFemicide(伊語Femicidio)と呼ぶ。女性殺し、というようなニュアンスである。

世界の殺人事件の被害者は、およそ8割が男性である。そのため一般的ではない女性被害者にことさらに焦点を当てるFemicide論争はおかしい、という見解も根強くある。

しかし、Femicideの根底にあるのは深い女性差別の心理であり、男による女性支配願望等である。Femicideの被害者は、ただ「女性であること」が理由で殺される。それは必ず是正されるべきだ。

イタリアでは、Femicideの被害者が2000年~2012年の12年間で
2200人に上った。これは1年に平均171人。またはほぼ2日に1人のペースである。

数字は年々減る傾向にあり、2014年:136人、2015年:128人、2016年は12月現在で116人程度だった。それでも毎年100人を優に超す人数の女性がFemicideに遭っている。

世界全体では毎年6万6千人の女性がFemicideで殺害される。最も多いのは中南米の国々。またインドやアラブ諸国も多く、米国では1日に平均4人の女性がfemicideに遭う。

イタリアのfemicideの件数は欧州で最も多いのではない。発生率も異様に高くはなく、平均的といってもかまわない数字である。

欧州で発生件数が多いのはドイツ。少し古い統計だが例えば2010年はドイツが387件で最も多く、2位がトルコの334人、3位が英国の195人。イタリアはその年は169人で4位。

イタリアのfemicideの件数は前述したように年々減少し、毎年スペインなどと順位が入れ替わるような形で推移している。なお、人口比率でのfemicideの数字は欧州ではキプロスが最も高く、オーストリア、フィンランド、チェコなどが続く。

イタリアの特異さは、femicideが軽視される傾向にあることだ。男が主として愛情のもつれから女性を殺害するのは、「相手女性を愛し過ぎているから」という暗黙の了解、見方が厳然としてある。

いわゆる痴話喧嘩の極端なケースがfemicideである。そして痴話喧嘩は極めて個人的な事案であり、痴話喧嘩には他人は口を出すべきではない、という心理がイタリア人には強く働くと言われている。

まさにアモーレ(愛)の国ならではの在りようだが、被害になる女性はたまったものではないだろう。だからこそイタリアでも、女性に対する暴力を何とかしなければならない、という気運が高まってはいる。

しかしこの国では、2013年に女性への暴力を厳しく取り締まる特別な法律も成立したが、成果が非常に上がっているとは言いがたい。

イタリアでは、女性の殺害には至らないものの、顔や体に大きな損傷を受ける酸攻撃の被害者なども少なくない。たとえば今年1月には、ジェシカ・ノターロさん(27)が元恋人の男に酸を浴びせられて顔を大きく損傷。

前:塩酸被害顔Gessica Notaro200

事件前のノターロさんと事件後

後:塩酸被害顔Gessica Notaro200

ノターロさんはミスユニバースのイタリア代表選で最終選考まで残り、歌手としても知られた存在。事件から2ヶ月後に敢えてテレビ出演をして、破壊された顔をテレビにさらし「私をこんな姿にしたのは断じてアモーレ(愛)などではない」と訴えて、視聴者の心を震撼させた。

女性の権利意識が高い欧州の中で、イタリアはどちらかというと後進地域の一つであり続けている。そこには保守傾向が強いバチカンを抱えた特殊な事情等がある。だがそのイタリアに於いてさえ、「愛にかこつけた女性への暴力」の愚劣を根絶しよう、という動きが遅まきながら高まっている。


終わコン茶番劇「G7」の再生法   



劇場前中ヒキ400


イタリア、シチリア島のタオルミーナで開かれたG7が終わった。イタリアで開かれることもあって、準備段階から気をつけて見続けた。その感想は、G7は「やはり」もうやめるべき、である。

金持ち国の首脳が集まって、世界をわがもの顔に語る時代遅れの会議には、もうほとんど何の意味もない。各国首脳はそのことを知っている。

その証拠にトランプ米大統領とメルケル独首相は、会議終了後に行われる恒例の記者会見をスキップ、逃走した。

トランプさんは記者にロシアゲートを追求されるのを嫌い、メルケルさんは会議での不協和音から目をそらしたい一心で記者会見を拒否した、とされる。

ということはつまり、彼らが会議そのものの重要性を少しも認めていない、ということにほかならない。その逆ならば2人とも、何はさておいても会議の成功と意義を説明するために記者会見を開くはずだ。

それを避けたのは、G7がやはり形骸化しただけの空虚なセレモニーに過ぎないからだ。他の参加国の首脳らも、そのことを知っている。おそらく日本のトップを除いて。

会議前、日本のネトウヨ政治家と市民またネトウヨメディアは、タオルミーナでは「G7サミットの古株」になった安倍首相がリーダーシップを発揮して、新顔の米英仏伊の首脳らを引っ張るだろう、と相も変らぬチンケな分析を披瀝していた。

世界から顔を背けて、日本という家に閉じこもって壁に向かって怨嗟を叫び続けているだけの、それらの「ネトウヨ勢力」には世界は見えない。そこに支持されて得意になっている安倍さんも同じ穴のムジナ。

内弁慶の安倍さんは、G7が唯一の国際舞台での見せ所、とわきまえていることもあって、ネトウヨ勢力を背景に懸命に目立つ努力をしたが誰にも相手にされなかった。

アメリカのネトウヨ大統領との間に「北朝鮮への圧力を高める」という、陳腐で無能な口約束を交し合い、それと同じ合意を他の5ヶ国とEU首脳とも交わした、という無内容な声明を引き出しただけだ。実質的な成果など何もないのだ。

他には国際的な活躍の場がない安倍さんはG7を重視していることが明らかだ。またその気持ちも分からないではない。が、他の国の首脳らはG7のミッションがとうに終わっていることを知悉している。

G7はもともとは政治ではなく経済のことを話し合う目的で始まった。日本ではあたかも「政治的な重要問題を話し合う場」でもあるかのように主要メディアでさえ喧伝するが、それはほとんど印象操作にも似たフェイク所感だ。欧米のメディアは一貫してそれを「経済サミット」と位置づけてきた。

時間経過と共に、政治的な問題も話し合われる場合も確かに多くはなった。が、G7サミットの本質は金持ち国による「金儲けの話し合いの場」である。金儲けの話し合いの場に、いまや世界第2の経済大国である中国が参加していないのは茶番だ。

また世界政治を話し合う場であるならば、往々にしてそのトップつまりプーチン大統領が、もはや「世界最強の権力者」、とさえみなされるロシアが参加していないのは噴飯ものだ。

同時に、政治的には世界でほぼ影響力ゼロの日本やイタリアやカナダが、したり顔でサミットのテーブルに着いているのはお笑い種だ。

G7は2014年、クリミア問題への制裁処置としてロシアを(G8から)排除した。また中国に対しては、グループ入りを検討してみることさえばかばかしい後進国とみなして、冷淡な態度を取ってきた。

だがいまや経済規模の小さいロシアは強大な政治力国であり、政治力の劣る中国は巨大な経済国だ。後者は経済力を背景に政治力も日々高め続けている。

ロシアと中国の悪を嫌って彼らを金持ちクラブから締め出しても、彼らの悪がなくなる訳ではない。G7のメンバー国は、自らを世界のリーダーだと自認するならば、悪を悪のまま排除しておくのではなくそれを取り込んで、彼らが悪ではなくなるように仕向けるべきだ。

G7構成国が中心になって進めてきた対ロシアまた対中国政策はほとんど功を奏していない。ロシアは経済制裁などものともせずにシリアほかに介入して混乱を増長させている。

中国は中国で米国を相手に一歩も引かない力の張り合いを繰り返し、日本や韓国その他の対立国など眼中にないほどの大物ぶりだ。

G7は今後も存続を目指すなら、ロシアと中国を巻き込んでG9を目指すべきだ。もしもG9がいやならば、解散して、たとえばG20 に軸足を移すなりして活動するべきだ。それが終わコンG7を救う方法である。


伊豪華客船‘コスタ・コンコルディア’船長の「堕ち尽き」先が決まった!


横倒しの船を陸から見る切り取り

2012年1月、地中海周遊の豪華客船「コスタ・コンコルディア」を、軽薄な動機でジリオ島に過度に寄せて座礁させた、イタリアメディアの言う「腰抜け船長」フランチェスコ・スケッティーノに、伊最高裁が禁錮16年を言い渡し刑が確定した。検察は26年の刑を要求していた。

日本人43人を含む3276人の乗客と1023人の乗組員を乗せた「コスタ・コンコルディ」は、ローマ近くのチビタヴェッキオ港を出発して地中海に乗り出した。イタリア沿岸部と地中海の島々、またフランス、スペインなどを7日間で巡るツアーだった。

出発から間もない夕食時、正確には夕餉が佳境に入っていた夜10時前、コスタ・コンコルディアはイタリア・トスカーナ州沖合いのジリオ島の浅瀬に座礁し、ほぼ1時間後に右舷側に70度傾き転覆した。

32人の犠牲者が出た大惨事に関しては、驚愕の事実が次々に明るみに出た。最大のものは、船長のスケッティーノが、船を無理に島に近づけて座礁・沈没させておきながら、乗客を船に残したまま逃げ出した事実だった。

スケッチノ切り取り
事故当時、スケッティーノは若い愛人とワインを飲みながら食事をしていた。スケッティーノは東欧出身でダンサーのその女性を、誕生日祝いとして航海に招待し無断で乗船させていた。女性の名前が乗客名簿になかったことが、後日露見したのである。

その前にスケッティーノは、巨大客船を無理に島に近づける操船をした。イタリアの船乗りの間には、船から陸の友人知人に挨拶を行う習慣がある。スケッティーノは当初、島に住む元船乗りの知人を喜ばせるために船を島に寄せた、と考えられていた。

しかしそれは誤報で、彼は島出身の同船の給仕長を喜ばせるために、その無茶な舵取りをしたことが間もなく明らかになった。スケッティーノは給仕長をデッキに呼んで「見ろ、君のジリオ島だ」と得意気に言ったという。給仕長は驚愕して「船が島に近づき過ぎている」と返した。その直後に事故が起きた。

スケッティーノは船が沈みかけている間まともな行動を取るどころか、乗客よりも先にジリオ島に上陸避難していた。つまり船から逃げ出したのだ。そればかりではなく、沿岸警備隊員や港湾当局者に「船に戻って救助の指揮をとれ!」と繰り返し罵倒されてさえいた。

彼の行動はイタリア国内に怒りの嵐を巻き起こした。イタリアのメディアはスケッティーノを「腰抜け船長」「ふ抜け野郎」などと命名して激しく非難した。それに対してスケッティーノと彼の弁護人は、あれこれと言い訳がましいことを持ち出しては反論した。

いわく:スケッティーノ船長は最後に船を離れた。いわく:犠牲者の数は32人では済まなかった。座礁後にスケッティーノが、陸側に近づくように操船をしたり、いかりを下ろす措置などをしたおかげで、犠牲者の数が大幅に抑えられた、など。など。

しかしその後の捜査や多くの検証によって、スケッティーノの言い分が事実ではないことが明らかになると、彼はついに乗客を見捨てて船を離れたことを認めた。ところがそれについても「船の上で転んで、偶然に救命ボートの中に落ちた」と付け加えて、人々のさらなる不信と怒りと嘲笑を買った。

スケッティーノの行為と、にわかには信じがたい彼の反論の数々は、国際的な摩擦にまで発展した。ドイツの週刊誌が「スケッティーノは典型的なイタリア人」という趣旨の記事を掲載したのだ。これにイタリア中が猛反発。折からの欧州財政危機に伴う2国民の対立も重なって、外交問題にまで発展する騒ぎになった。

スケッティーノは裁判が進行する間、なんら拘束されることもなく自由の身だった。彼は2014年9月には、ローマ大学で「危機管理とはなんぞや」というテーマで講演までしている。僕はそのことを知ったとき、彼を講師に呼ぶほうも呼ぶほうだが、のこのこと出かけて行くスケッティーノも相当のKY・鉄面皮だ、と思った。

事故後一貫して世論の怒りを招くような言動を繰り返してきたスケッティーノは、禁固16年という最高裁判決が下された2017年5月12日、「違う結果を期待したが、私は司法を信頼し尊重している」と珍しく神妙な言葉を発して出頭し、直ちにローマの刑務所に収監された。

それは「腰抜け」「卑怯者」「恥知らず」などとさんざんマスコミに叩かれ、世論からも総スカンを食らい続けた「堕天使船長」フランチェスコ・スケッティーノが初めて見せた、賞賛に値すると言えば過言になるだろうが、少なくとも潔い言動であるように僕は感じた。

ところでコスタ・コンコルディア事故の2年後には 韓国でセウォル号事件が起きて、船長が真っ先に船から逃げ出して問題になった。船長が船と運命を共にする、という万人承知のコンセプトいわゆる「最後退船義務」は、実は飽くまでも慣例であって義務ではない。

しかし船の危険に際しては船長は「人命と船舶と積荷の救助に全力を尽くさなければならない」と規定されている。世界中の批判を浴びたスケッティーノの大失態を見て、世の中の船乗りは改めて襟を正したはずなのに、セウォル号の船長はそのことを知らなかったのだろうか、と僕はその時に考えたことをふと思い出したりもした。



メディアの喉元を過ぎたイタリア地中海難民問題の殺気


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ヨーロッパにおいてさえ、いや、それどころかイタリアにおいてさえ、ともすると忘れられがちだが、地中海を渡ってイタリアに到着するアフリカ・中東諸国からの難民は、絶えることなく、ほぼ連日大挙して押し寄せている。

例えば2017年度は、フランスに史上最年少の大統領が誕生した翌日すなわち5月8日現在、43245人がイタリアに上陸した。これは2016年の同時期よりも38.54%多い数字。

また欧州全体で見ると、イタリア、ギリシャ、スペインの3国が今年のほとんどの難民の票着地。イタリアには全体の84%が上陸し、続いてギリシャの11.5%、スペインが4.5%である。

2016年4月、EU(欧州連合)とトルコは、シリアを中心とする国々からギリシャへの密航者をトルコに送り返すことで合意した。

難民が中東からギリシャに渡り、バルカン半島を通って北部ヨーロッパに向かう、いわゆるバルカンルートの閉鎖である。

以来、難民は主に北アフリカのリビアを経由して、地中海⇒イタリア⇒欧州各地を目指す方向に転換。

いわゆる地中海ルートは、バルカンルートと共にいつも存在していたが、後者が閉鎖されてからは地中海が主な流入ルートになっている。

イタリアは常に難民救助にあたってきたが、EUの多くの国が国境を閉鎖しているために、難民の保護、管理、衣食住の提供その他の負担に悩まされ続けている

そうした中、ほとんどの難民が上陸するシチリア島のカルメロ・ズゥッカロ( Carmelo Zuccaro)検察官が、難民を救出している民間NGOが難民ボートを誘導して(利益を得て)いる、と発言して物議を醸している。

難民は「人身売買兼運び屋」に金を払って、用意されたボートに乗って命がけで地中海に乗り出す。NGOの勝手な救出活動は、難民を鼓舞して危険な海に向かわせている、という指摘は以前からある。

殺到する難民問題はイタリア国内の政治闘争となって、台頭するポピュリズム政党の格好の攻撃材料になっている。

極右の北部同盟はあからさまに難民・移民の受け入れに反対し、ポピュリズム政党の五つ星運動も彼らのイタリア一時滞在に反対している。

2013~2016年間にイタリアには55万人以上の難民・移民が到着した。今年は前述したように1月1日~5月8日までに既に4万3千人あまりが上陸。

その数は夏に向かうほどに好天が続いて、海が静かになるこれからの季節にさらに増大することが確実視されている。

ドイツを始めとする難民受け入れ国が国境を閉ざしたり管理を厳しくして、欧州内の人の移動を自由にしたシェンゲン協定が形骸化した現在、イタリアの一人苦悩が続く。

それは、前述のポピュリズム政党の怒りを増大させて、フランス大統領選で下火になる兆候が見え始めた、欧州のトランプ主義の再燃を誘導しかねない危険も秘めている。

フランス大統領選「危険な棄権」を憂慮する


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僕はこの前の記事で、仏大統領選決戦投票でのマクロン候補有利説に対する懐疑を述べた。それは同説からくる楽観を戒めたい思いで書いたものだが、その後あらたにマクロン敗北の可能性が浮き彫りになってきた。

5月7日の決選投票までわずか4日となった今も、世論調査上は無所属のマクロン候補の勝利は間違いない、という数字が示され続けている。ところがそこには、大きな「普通ならば」という枕詞が付くのである。

「普通ならば」とは、有権者が過去の大統領選と同程度の確率で投票所に足を運んだ場合、という意味である。投票を棄権したり白票を投じたりする者が続出した時は、ルペン氏の大逆転勝利の可能性があるのだ。

正確に言えば、全体の投票率ではなく、マクロン支持者の棄権率が問題だ。ルペン支持者の投票率が高く、マクロン支持者のそれが低い場合に、思わぬ結末が待っているかもしれない。

マクロン支持者が投票所に行かない理由は「私が投票しなくても大丈夫。マクロンは勝つ」と思った時だ。その場合は、米大統領選でのトランプ現象のように、基礎票が強いルペン氏が有利になる。

選挙では、大幅にリードしているとされる候補者の支持者が、安心し油断して、投票に行かないケースがしばしば起こる。そうやって一発逆転劇が生まれる。マクロン陣営がその轍を踏む可能性が指摘されている。

マクロン支持者の油断の可能性と共に、多くの有権者が「棄権」という選択肢を取る前兆もあり、それが最大の懸念だ。

第一回投票で敗れた極左のメランション元候補は、マクロン支持を表明していない。そのせいもあって、メランション氏の支持者の39%~41%程度が棄権に回るのではないか、と見られている。

それだけではない。同じく第一回投票で敗北し、直後にマクロン候補への支持を表明した共和党のフィヨン元候補の支持者の間にも、決選投票で「棄権か白票を投じる」と回答する者が増えている。その数は支持者全体の32%前後にのぼるとされる。

さらにそれよりも悪い情報もある。マクロン氏への投票を呼びかけた、社会党のアモン元候補支持者の間にも、同じ事態が起こっているのだ。マクロン候補は社会党を基盤とするオランド政権の元閣僚であり、大統領自身の支持も受けている。

政権与党の社会党党員を始めとするアモン元候補支持者からの共鳴は、マクロン候補にとっては、中核の支持者の後押しにも等しい重要なものである。それらの有権者のあいだに、棄権や白票投じという行動が増えれば、大きな痛手になりかねない。

それらの有権者が投票放棄や白票を考える理由はさまざまだ。最も多いのは、極右のルペンは嫌だがマクロンも嫌、という理由。あるいはルペンを阻止したいが大差でのマクロンの勝利も阻止したい。マクロンの勝利は、単純にルペンの次の大統領撰での勝利を保証するだけだから棄権する、など、などである。

理論上はマクロンとルペン両候補への支持率の変化はない。とはいうものの、今述べたように、第一回投票で敗北した重要候補の支持者のあいだに広まる、白票や投票棄権の動きが、ルペン候補の大躍進の可能性を消し去っていない。棄権や白票は、結局ルペン候補に投票するのと同じ行為なのである。

投票日5月7日の翌月曜日が連休中の旗日にあたることも、投票率の低下につながりかねない要因と見られている。多くの国民がバカンスに出てしまい投票所に足を運ばない可能性があるのだ。それらの有権者の「棄権票」は米大統領撰の「隠れトランプ票」と同じ効果をもたらしかねない。

数理社会学者セルジュ・ガラム氏の計算によれば、ルペン候補を支持すると考えている有権者の90%が実際に投票所に行って投票し、マクロンを支持すると答えた有権者の65%だけが同じ行動を取った場合、ルペン氏の最終的な得票率は50.07%になって、彼女が僅差で勝つことになる。

そしてルペン候補がその分水嶺を制覇するには、各種世論調査が示しているマクロン62%~59% VS ルペン38%~41%の数字を42%にまで上げれば済む、という見方もある。もちろん同時にマクロン支持者の大量棄権が発生することが条件である。

ルペン候補が42%の票を獲得するのは、もはやハードルが高いとはとても言えないだろう。ハードルが高いどころか十分に達成可能な数字だ。特に第一回目の投票以降一週間で、マクロン支持率が3%下がり、逆にルペン支持がわずかに伸びている状況を見てもそれは明らかだ。

間違ってはならないのは、ルペン氏が42%を獲得しマクロン氏が残りの58%を獲得した場合は、文句なしにマクロン氏の勝利ということである。ところが、前述したように、そこでルペン支持者の多くが予定通りに投票行動をし、マクロン支持者が大量に棄権すれば、逆転現象が起こり得るのだ。

2002年のフランス大統領選でルペン氏の父親のジャンマリー・ルペン候補が決選投票に進出したとき、非常な危機感に襲われたフランス国民は、「極右ルペン阻止」で大同団結して投票所に繰り出した。結果、対立するジャック・シラク候補が82%強もの票を獲得してルペン氏を完全に押さえ込んだ。

当時はあり得ないと考えられていた極右のルペン候補が決選投票に進んだのは、低い投票率が強固な組織と支持者を抱える政党、国民戦線に有利に働いたからだ。あれから15年。フランスの社会状況は大きく変わって、今回は決選投票で同じ事態が起こり、極右の大統領が誕生するという悪夢が待ち受けているかもしれないのである。

仏大統領選「マクロン有利」説をマユツバで見る気がかり


マクロン&ルペン400pic


フランス大統領選の第1回投票は、ほぼ事前の予測どおりマクロン氏とルペン氏が勝った。得票率も事前の統計通りだった。あっけないほどの正しさで世論調査結果が当たった。その意味では米大統領選挙とは全く様相が違った。

予想が当たった欧米の各メディアは安心したのか、これまたかねてからの論調である「マクロンの大差での勝利」を予測する報告を嬉々として開陳している。接戦を予測する者はほとんど見られず、ルペン勝利を予想する者は僕が知る限り皆無だ。

第一回目投票と同様に、実は僕もそれらの見方とほぼ同じだ。そして再び、第一回目と同じように密かな懐疑も胸に抱いている。その疑念は第一回目の時よりもはるかに強い。安心感は選挙では得てして敗北につながる。マクロン勝利を規定路線のようにみなすのは、陥穽を招く油断に至る可能性がある。

極右のルペン候補が決選投票に進むであろうことは十分に予測されていた。そして決戦投票では誰が彼女の相手であろうが、その対立候補が最終勝利する、というのがほぼ一致した見方だった。たとえ出遅れた感のあった極左のメランション候補が相手になった場合でさえ、6:4の得票率でルペン候補が負ける、というのが大方の意見だったのだ。

その意味では、ルペン候補に最も強いと考えられてきたマクロン候補が決戦投票に進むのだから、勝利は間違いないと断定してもおかしくはない。たとえ5月7日の投票日までに、ルペン候補を利するあらたなテロなどが起きても、大勢には影響がないだろうと見られている。

そればかりではない。敗北を認めたフィヨン候補、政権与党のアモン候補 、またオランド大統領と複数の閣僚経験者、政界の重鎮などもマクロン候補への支持を表明している。彼らの中にはマクロン候補の積極的な支持者ではないが、「極右のルペンを阻止する」ために、と明言してマクロン支持を訴える者も多いのである。

フランスは極右のルペン候補が大躍進した「異常事態」を容認した上で、「ルペン阻止」で大同団結しつつあるように見える。米英を席巻したポピュリズムの大波は、イタリアも飲み込んで(国民投票)殺到したが、オーストリア(大統領選挙)とオランダ(総選挙)の海で勢いを殺がれて、フランス(大統領選)でようやく力尽きたのかもしれない。そうであってほしいものである。

だが、楽観はできない要素も多くある、と僕はゲンを担ぐのではなく思う。理由がいくつかある。

一つ、第一回投票で敗退した2候補やオランド大統領など、多くのフランス政界の「主流派」がマクロン支持を表明したが、彼らに従う有権者の割合は不明だ。現状に不満を持つ若者や貧困層などが反発し、逆にマクロン候補を見放してルペン氏に流れる可能性も高い。

それを裏付けるように、第一回投票で敗退した急進左派のメランション候補はマクロン支持は打ち出さず、支持者に自主投票を呼びかけている。彼はルペン候補同様に反EU主義者であり、米大統領選挙における民主党サンダース候補に似て若者層の不満の受け皿となった。格差の是正も呼びかけて支持を広げた。彼に投票した有権者が大量にルペン候補支持に回る可能性もある。

二つ、ルペン候補が強く敵視しているフランスのイスラム教徒は、実はルペン大統領誕生をそれほど怖れてはいない、という耳を疑うような情報もある。それというのも、フランス全土に400万人~600万人いるとされるイスラム教徒は、大統領候補の全員がルペン氏と同じかそれ以上に反イスラムだと見なしているからだ。誰が大統領になっても同じ、というわけだ。

また多くのムスリムは、ムスリム以外の多くのフランス人と同様に、国家から見捨てられていると感じていて、やはり誰が大統領になっても自らには関係ない、と感じているからだ。たとえば前回2012年の大統領選では、ムスリムの86%が現職のオランド大統領に投票したが、彼らのほとんどには何の見返りもなく、今ではオランド大統領に裏切られたと感じている。

ルペン氏はたとえ大統領になっても、フランスの憲法と政敵に阻まれて、彼女が目指す政策を全て実行することはできない。国民戦線は間違っても議会で多数派になることはできないだろうから、彼女の権限は制限される。たとえばムスリム女性のスカーフをルペン大統領が法律で公共の場から剥ぎ取ろうとしても、反対勢力によって阻止される可能性が非常に高い。

また彼女は党首になって以来、党のイメージを高める努力をしてきて、それはイスラム教徒の意見にも良い影響を与えている。それどころか、ルペン候補を積極的に押すイスラム教徒さえいる。なぜなら多くのイスラム教徒は彼女と同様に「イスラム過激派」を憎んでいて、それを排撃しようとする彼女に賛同している。さらに彼女が同性結婚を禁止したい、と願っていることに共感するムスリムも少なからずいる。

三つ、ムスリムと同じように、ルペン候補に疎まれているはずの同性愛者たちの中にも、彼女に投票すると表明している者が相当数いる。彼らはルペン候補の主張が、LGBTを嫌う国民戦線支持者に向けてのポーズであり、実際の彼女はそれほど反LGBT主義者ではないと考えているのだ。またLGBTの中には「敵の敵は味方」の論法で、「LGBTを嫌うムスリム嫌いのルペン」は自分たちの味方、と信じてルペン候補を支持する者もいるのである。

そのように分断されたフランス社会の内実は複雑だ。決戦投票はマクロン氏の圧勝、と単純に片付けるのは極めて危険だ。世論調査の数字が正しいことを祈りつつ、僕は第一回投票の時のように固唾を呑む思いで、フランスの選挙戦を注視している。

ここまで書いたところで一つの朗報を知った。

ルペン候補が国民戦線党首を辞める、と表明したのだ。それは彼女が、党よりも国全体を重視していると示すことで 、極右思想に反感を持つ人々を自らの側に取り込もうとするポーズなのだろう。欺瞞にしか見えない姑息な言動は、彼女に有利どころか、逆に不利に働くだけではないかと思うのだが。。。


仏大統領選~EU崩壊か存続かを問う天下分け目の戦い

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左からフィヨン、マクロン、メランション、ルペンの各候補

EU(欧州連合)の命運を決めるフランス大統領選の第一回投票日がとうとうやって来た。マクロン、ルペン、フィヨン、メランションの4大候補が支持率僅差でひしめく大混戦である。

昨年6月の英国EU離脱国民投票、11月の米大統領選、12月のイタリア国民投票に次ぐ、ポピュリズムのうねりが勝利するか、民主主義と欧州の良心がそれを蹴散らすかの分水嶺となる選挙だ。

おそらく「欧州最大のグローバル反体制運動」と位置づけても過言ではないフランスのポピュリズムは、選挙戦開始から極右のルペン候補に集約されていた。ところが終盤になって極左急進派のメランション候補が急追して、さらのそのうねりが大きくなった。

極右と極左のポピュリズムが相まって、フランスの大統領選挙は混沌の極みに達したように見えた。そこに追い討ちをかけるようにISのテロがまた発生して、いよいよ風雲急を告げる状況になっている。

今日の第一回投票を経て、おそらく得票数上位2者が決戦投票に進むであろう選挙戦。主要候補4人の最終支持率(4月21日現在)と政策主張の概要は次の通りである。

前経済相マクロン:24,5%。中道無所属の彼は親EU派である。EU統合をさらに推進し、ロシアには厳しい姿勢で対して行くことを公言している。だが選挙戦終盤になって、政策に具体性がないという批判にさらされ支持率の伸びが止まった。

国民戦線党首ルペン:22,5%。 いわずと知れた極右のトランプ主義者。自らの党に穏健右派のイメージを与えようと躍起になって「脱悪魔化」を進めているが、内実は変わっていない。EU離脱を問う国民投票の実施、反移民・反イスラムを隠さず、自国通貨フランの復活も唱えている。 

前首相フィヨン:19、5%。中道右派の彼は、人の移動制限などEU改革を要求しているが、親EU派である。ロシアとの融和策も主張。支持率トップにいたが、勤務実態がない妻と子供に多額の報酬を支払っていた疑惑が明るみになって失速。決選投票への進出は厳しいと見られている。

欧州議会議員メランション:18,5%。 EUとの関係見直しを主張する反EUの急進左派。 NATOやIMFからの脱退も明言し、富裕層への課税と最低賃金大幅増を主張。YouTubeなどで自らを語る姿勢は、米大統領選のトランプ・ツイート作戦をも思い出させる。終盤になって支持率が急伸した。

レースが混沌としているとはいえ、第一回投票で勝利するのはマクロンとルペンという意見は依然として多い。だが上位2人が決選投票に挑む組合わせはいろいろと考えられる。例えばマクロンvsフィヨン、マクロンvsメランション、ルペンvsフィヨン、ルペンvsメランションなど、など。

特定の候補や党派のプロパガンダ媒体を別にすれば、欧米の大手メデイァやWEBメディアのほとんどが、勝者を予測するのは難しいが、紆余曲折を経て結局極右のルペン候補以外の誰かが大統領に選ばれる、とあからさまにまた密かにも思っているフシがある。

僕も実はそう思うが、同時に米大統領選の苦い体験も思い出す。これだけ混戦になっているのは、結局フランス社会が揺れ動いているからである。世界が揺れ動き欧州が揺れ動き、その波動がフランス社会を揺り動かしている。

その巨大な揺れは、あるいはルペン勝利を告げる天のシグナルかもしれない。それはつまりEU崩壊を宣告する神の声である。ルペン候補の勝利より衝撃は少ないだろうが、極左のメランション候補の勝利もやはりEU崩壊の前触れと考えていいだろう。EUはBrexitや伊国民投票などとは比べ物にならない瀬戸際の瀬戸際に立たされているのだ。

僕は日本国籍を捨てる気は毛頭ないが、今のところイタリアで骨を埋める公算が高いEU(欧州連合)信奉者の「欧州住民」の1人である。EUの崩壊は僕にとって、自らのアイデンティティーが揺らぐほどの、巨大な喪失感をもたらす事態になるだろうと思っている。

僕はEUの存続の可否に大きなインパクトを与え続けているBrexit、トランプ主義、伊国民投票とポピュリズムなどを、強い関心と不安を抱きつつ凝視してきた。その中でも最大のイベントがフランス大統領選だ。フランスがEUを脱退すればそれはつまりEUの終焉だ。僕にとっては全く他人事ではないのである。




「いつまでも死なない老人」も「いつまでも死なないでほしい老人」もいる~117歳の大往生~


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117歳の誕生日を祝福されるエンマ・モラーノさん

2017年4月15日、イタリア北部マッジョーレ湖畔のヴェルバニア町で、世界最高齢者のエンマ・モラーノさんが亡くなった。117歳だった。

モラーノさんの誕生年は1899年。世界でただ一人の19世紀生まれの人物で
「3世紀にまたがって生きた女性」とメディアにもてはやされた。

昨年のモラーノさんの117歳の誕生日と、先日の彼女の大往生のニュースに接した時、僕は今年で91歳になる義母・ロゼッタ・Pの名言「いつまでも死なない老人」を思い出していた。

義母のロゼッタ・Pは先年、日本の敬老の日を評価して「最近の老人はもう誰も死ななくなった。いつまでも死なない老人を敬う必要はない」、と喝破した荒武者である。

その言葉は、自身が紛れもない老人である義母の口から言われた分だけ、僕にとっては目からウロコ的な名言に聞こえた。以来僕は、その言葉と高齢化社会について、頻繁に考えるようになった。

義母の言う「いつまでも死なない老人」とは、「ムダに長生きをし過ぎて世の中に嫌われながらも、なお生存しつづけている厄介な高齢者」という意味である。

そして再び義母の規定に従えば、世の中に嫌われる老人とは「愚痴が多く自立心が希薄で面倒くさい」人々のことである。僕は彼女の見立てに結構共感している。

同時にこうも思う。「いつまでも死なない老人」の中には、いつまでも生きていてほしい、と願いたくなる高齢者もいる、と。それは例えば、愚痴を言わず穏やかで優しかった僕の死んだ母のような老人だ。

エンマ・モラーノさんの場合もそういう風だ。モラーニノさんの生涯はつましいものだったが、彼女はそれに満足して生きてきた。少々の病気では医者にかかることさえせずに自然体で過ごした。

それは逆に考えれば、彼女が大病を患わない健康な人だった、ということだろうが、何かというとすぐに大げさに騒ぎ立てて、医者に駆け込む無体な老人ではなかった、ということでもあるのだろう。

またモラーノさんは100歳を過ぎてもカクシャクとしていて周りに迷惑をかけず、明るくひっそりと生きた。そんな女性がやがて世界一の長寿者とギネスブックに認定されたのだから、僕を含めた多くの人々が「いつまでも生きてほしい」と願っても不思議ではないだろう。

モラーノさんは今からほぼ80年前の1938年、暴力的な夫と決別した。それは彼女の幼い息子が亡くなった直後のことだった。以来彼女は、ジュート(黄麻) の袋を生産する会社で75歳まで働きつつ独身を貫いた。

2016年11月29日、117歳の誕生日を迎えるに際して、モラーノさんは長生きの秘訣は「毎日卵を2個食べること」と話した。

それと同時に「独身でいることも大事」と示唆した。欧州の中でも暴君気味の夫が多いとされる、イタリアの女性らしいコメントだと僕はそのとき感じた。

イタリアでは先ごろ、夫に先立たれた女性は、そうでない女性よりも長生き、という調査結果が発表されたばかり。暴君から解放された女性たちは、ストレスがなくなって元気になり、長生きする傾向があるという。

その調査結果が真実なら、恐らく日本の女性たちにも当てはまる現象に違いない。僕が知る限り、日伊両国のうち暴君気味の夫の割合は圧倒的に日本が多いように思う。

暴君気味の夫とは、男尊女卑の因習に影響されている男、という言い方もできる。そのコンセプトで見れば、イタリアの男性が日本の男性よりも陋習からより解放されているのは明らかではないか。

イタリアはまがりなにりにも欧州の一員だ。欧州は男尊女卑の悪習を切り捨てる努力を続けてある程度成功している。前述したようにイタリアは、その方面では欧州内の遅れた国群に属してはいるけれど。

モラーノさんは116歳になった頃に、寝たきりではないがベッドからあまり離れられない状態になって、フルタイムの介護が必要になった。耳もひどく遠くなった。視力も落ちてテレビ鑑賞もままならなくなった。

しかし、頭脳は明晰でおしゃべりが大好き。食事も小食ながらよく食べた。前述の卵2個とクッキーが定番。加えてベッド上でのスナックの間食も大いに楽しんだ。

モラーノさんが亡くなった今、世界最高齢者の栄誉はジャマイカのヴァイオレット・ブラウン(Violet Brown)さんに引き継がれた。ブラウンさんはモラーノさんより約4ヶ月若い1900年3月10日生まれである。

ブラウンさんについては僕は何も知らないが、モラーノさんの跡継ぎの彼女は、その事実だけでも「いつまでも死なないでいてほしい老人」の一人であることは、最早火を見るよりも明らかな成り行きではないか。

娘の頭を丸刈りにするムスリムの悲哀


怒った顔の子供


先日、イタリア・ボローニァ市でバングラデシュ生まれの14歳の少女が、両親に無理やり頭を丸坊主にされた。彼女はヒジャブ(スカーフ)を頭に被らなかったために、罰として親に髪を切られたのである。

警察は両親を虐待の疑いで取り調べた。それによると少女は、ムスリム女性が身に着けなければならないヒジャブにうんざりしていて、家の中では両親の手前それを着用していたが、外でははずしていた。母親がそのことに気づいて娘を責め父親が髪の毛を剃った。

警察は事態が明るみになったことを受けて、両親が娘にさらなる懲罰を与えかねないとして、少女自身と彼女の姉妹らを児童養護施設に一時的に保護した。

それと似た事件が同時期にシエナ市でも起きた。ボスニア出身のイスラム教徒の父親が、娘がヒジャブ(スカーフ)を着用せず、コーランも読まず、アラブ語も勉強しないなどの理由で彼女に暴行を加えた。

少女は自分から父親を告発することはなかったが、学校のクラスメートや教師が異変に気づいて警察に訴えた。父親は傷害容疑で身柄を拘束された。

イタリアに限らず、欧州では似たような事件が頻発する。そうした蛮行は、イスラム教徒への偏見を助長するのみならず、「過激派のテロリストとイスラム教徒を混同してはならない」という原則をも吹き飛ばしかねない、忌まわしいエピソードだ。

キリスト教徒が大多数を占める欧州には、ムスリムへの偏見や差別が歴然としてある。それは是正されなければならない。同時にイスラム教徒も欧州の規律を尊重し、女性への抑圧や暴力をやめるべき、と主張するのはおかしいだろうか。

イスラム教徒に限らず、非欧州人への偏見や差別は欧州にはよく見られる。日本人への偏見や差別も皆無ではない。それどころか欧州人同士でも似たようなことが起こる。世界のどこでも見られる光景だ。

そうしたことは無くさなければならないし、徐々に無くなっていくだろう。その方法は、偏見差別する側はもちろん、される側も共に事態の本質を見つめて対話し、行動し、歪みを正す努力を怠らないことだ。

イスラム教の戒律はその信者らの祖国では尊重されても、欧州その他の国々では理解されないことが多い。ましてや女性への暴力や抑圧や差別は、理解されるどころか、人々の怒りを買うばかりだ。

人も宗教も変わるのが世の常だ。女性差別や偏見はキリスト教徒も過去にしてきたことだ。日本を含むその他の地域の宗教社会も同じことだ。だがその因習は捨てられつつある。今やそうした時代錯誤な態度や思考は許されない。

イスラム教だけが変わらずにいることは不可能だ。特に女性蔑視の悪習は一刻も早く改善されるべきだ。それでなければ、欧州におけるムスリムの地位はいつまで経っても改善しないだろう。

欧州にはムスリムの女性が身にまとうヒジャブ(スカーフ)を問題にする歴史がある。

1989年、フランスでヒジャブをまとった女子中学生が校門から中に入ることを拒否された。ヒジャブが政教分離の原則に反するとみなされたのだ。以後欧州では、様々な形でムスリム女性のヒジャブ着用の是非が議論され続けている。

欧州社会の大半は、ヒジャブを女性抑圧や差別の象徴とみなしてこれを禁止しようとする。対してイスラム教徒は、ヒジャブを禁止しようとするのは信仰の自由への介入だと反発する。ムスリム女性は自らの自由意志でヒジャブを被っているのであり、強制ではないと主張するのである。

欧米では最近、イスラム過激派によるテロの横行によって、イスラムフォビア
(嫌悪)が急速に高まりつつある。それに伴ってヒジャブを巡る議論は、欧米側のイスラムフォビアに油を注ぐ形になることが多くなってしまった。宗教論争というよりも、憎悪の応酬の様相を呈するようになったのである。

そうした中で起こる、イスラム教徒家族内での娘や女性への理不尽な扱いは、人々のさらなる反発や嫌悪を呼んで、対立がますます深まる原因の一つになっている。

宗教は絶対的なものではない。宗教者とその周りの当事者また関係者は、自らの権威を守るために守旧派になる。だが変わらない宗教はいつか崩壊する。

繰り返すが人も社会も絶えず変化している。流転変遷が世の常だ。人と世の中の変異に合わせて宗教も変わる勇気を持つべきなのである。イスラム教だけが変わらずにいることはあり得ない。

特に女性蔑視の風習は一刻も早く改善されるべきだ。他者の信奉する宗教にイチャモンをつけるのはタブー、と知悉しながらも僕は、一部のイスラム教徒が自らの信教の評判を傷付ける事件を引き起こすたびに、ひとり思わずにはいられないのである。

霧憂いあるいは霧ブルー


書斎から見下ろすブドウ園400pic
書斎からブドウ園を望む。奥に高い壁があるが全く見えない


2017年2月22日朝、ミラノからほど近いわが家の周りは深い霧に包まれた。翌23日はさらに濃い霧が立ち込めた。

12月ごろから2月ごろのミラノと周辺は、ひんぱんに深い霧に閉ざされる。霧は冬の、特に晴れた日に発生する、いわゆる放射霧。

若いころ住んでいたロンドンにもよく霧がかかった。「霧の街ロンドン」と昔から言われる。が、ミラノの霧に比較するとロンドンの霧は、僕のイメージの中では子供だましに等しい

それでも霧は、ミラノ市内では幽玄に見えないこともない。いくら深くても街の灯りに淡いベールのようにからんで、霞みとなって闇の中にぼうと浮かび上がっていうにいわれぬ風情がある。

しかし郊外に出ると霧はたちまち怖い障害物になる。車の運転に支障をきたして、時には死の恐怖さえもたらすとんでもない代物になる。

僕は自分の事務所のあるミラノでは車ざんまいの暮らしをしてきた。郊外にある自宅との行き来も常に車だが、運転の大敵である霧には大分悩まされた。

霧は街なかよりも、人家や明かりの少ない郊外ではさらに濃くなって、行く手を阻む。

ひどい時は前後左右がまったく見えず、車のドアを開けて路上のセンターラインを確認しながらそろそろと走ることさえある。

霧中での運転にあまり自信がない僕は20数年前、霧が発生して車での帰宅が覚束なくなるときのために、ミラノ市内に小さな古いマンションを一軒確保したほどである。

年月とともに霧の中での運転にも少しは慣れていったが、霧の夜の運転は依然として不安だ。仕事柄、僕は夜遅い帰宅が多い。番組編集などがあるとなおさらだ。

高速道路で霧に出くわすと、一般道よりもさらに運転の危険が増す。

視界を遮られた霧の中では、恐怖から車を止めたくなるが、「死にたくなければ絶対に停車するな」というのが鉄則である。

みだりに停止すると視界のきかない後方車がたちまち激突しかねない。

だからといって高速で走ればもっと危ない。

霧の怖さやそれに対する心構えは当然イアタリア人は良く知っている。それにもかかわらずに彼らは、濃霧の中でも高速走行をしたがる。

運転に自信があるのだ。事実、イタリア人は一般的に運転がうまい。もっと正確にいえば、高速走行時の運転がうまい。言葉を替えれば乱暴である。

すべての車が止まらずに走り続ければ玉突き事故は起こらない、というのが彼らの言い分だが、そんなばかな話はあるはずもなく、霧中の高速運転は容易に事故を呼ぶ。

結果、数十台、時には何百台もの車が巻き込まれる玉突き事故さえ起きる。

事故の原因はいつも同じ。スピードの出し過ぎである。今さらのような言い方だが、イタリア人はスピード狂が多いのだ。

視界が閉ざされた高速道路で一台が玉突き事故を起こすと、玉突きはドミノ式に次々に起こって、結果多くの車を巻き込む壮大な事故になる。

そんな現実を見ると僕はイタリア人が分からなくなり、この国に住んでいること自体が怖くなったりすることさえある。

同時に、学生時代のロンドンの霧がひたすらロマンチックに見えたのは、車を持つ余裕などない貧しさのおかげだったのだ、とこれまた今さらながら気づいたりもするのである。



私刑(リンチ)殺人を招いたイタリア司法の稚拙

夫婦ヨリ400pic
ディ・レッロ&ロベルタ夫妻


2016年7月1日夕刻、イタリア・アブルッツォ州ヴァストの交差点で、ヤマハのスクーターに乗った女性が、赤信号を無視して交差点に侵入してきたフィアット車に撥ねられ、単車ごと信号機に激突した。女性はすぐに病院に運ばれたが同日の夜死亡した。女性の名はロベルタ・スマルジャッシ(33歳)。加害者はイタロ・デリーザ(22歳)。

それからちょうど7ヶ月後の2017年2月1日、事故のあった同じ町のカフェ前の路上で、事故加害者のイタロ・デリーザは1人の男に至近距離から拳銃で撃たれて即死した。撃ったのはファビオ・ディ・レッロ(34歳)。デリーザの車に撥ねられて亡くなったロベルタ・スマルジャッシの夫である。彼は妻を殺された報復に4発の銃弾を若者に浴びせたのだった。

若者を殺害したディ・レッロ は、その足で墓地に向かい、妻の墓前に供え物でもするように拳銃を置いた。それから警察に自首した。ディ・レッロ は妻の死後、毎日亡き彼女の墓に参っては悲嘆に暮れていた。その行為の仕上げとして、彼は復讐を遂げたあと墓前に拳銃を安置したのである。

交通事故の加害者を被害者(の家族)が私刑で殺害する、という耳を疑うようなこの事件は、イタリア司法制度の最大の欠陥のひとつ、審理の遅滞と混乱が引き起こした悲劇である。同時に、イタリア司法制度の長所の一つである厳罰回避主義も関係しているのが皮肉だ。

加害者から一転して被害者になったイタロ・デリーザは、交差点で赤信号を無視して死亡事故を起こしたにもかかわらず、裁判所の審理を待つ間、ほとんど何の制約も受けずにヴァストの町を自由に動き回っていた。そこは人口3万8千人の町。住人の全てがお互いに顔見知りのような関係だった。

何事もなかったかのように振舞うデリーザの噂を聞くのは、ディ・レッロにとっては耐えがたい苦痛だった。彼は裁判の迅速化を主張し、人々に働きかけ、SNSでも同様の投稿を繰り返した。町の住民の多くも妻を殺されたディ・レッロに味方をした。

町には動きの遅い裁判所への批判が高まった。「早く裁判をしろ!ロベルタに正義を!」という抗議デモまで起こった。それは同時に、重大事故を起こしながら自由を謳歌しているデリーザへの問責でもあった。デリーザへの風当たりはそうやって日ごとに強くなった。

2017年2月21日には公判が予定されていたが、加害者のデリーザは恐らく刑務所に入ることもない軽い刑罰で済み、結審後もほぼ自由であろうことが予想された。なぜならイタリアの法律では、交通事故の犯人は酒気帯び、麻薬摂取、あるいは轢き逃げのような悪質なケースを除いて、刑罰が極めて軽くなるからである。

その観測が妻を殺されたディ・レッロの苦悩となっていた。事故のことを謝ろうともしないデリーザへの怒りも募った。そんな折、彼はデリーザと道で行き逢った。デリーザは、事故後に乗り回すようになったバイクのエンジンをこれ見よがしに噴かして、彼に挑むような態度に出た。

その出来事がディ・レッロに重大な決意をさせた。デリーザを殺害してしまおうと心に誓ったのだ。恐らくディ・レッロは、町の人々が彼に同情し、事故加害者のデリーザを非難する風潮にも触発されたのだろう。ディ・レッロはその時まで拳銃を扱ったことはなかったが、密かに一挺を手に入れて襲撃の準備を始めた。

彼は犯行に及ぶ直前、Facebookに映画グラディエーターの主人公マキシマス・デシマス・メレディウス の写真と共に、彼の有名なセリフ“~And I will have my vengeance...in this life or the next=~私は必ず復讐を果たす・・この世か、あるいはあの世で”と投稿した。そして事件は起きた。

この不幸な出来事には、いかにもイタリアらしいエピソードや、多くの偶然や必然や不運や誤解などが複雑に絡まっている。だが実はそれは、イタリアに限らずどこにでも起こり得る事件であり、真相は「藪の中」にしか存在しない人間劇だと僕には見える。

ここからはその人間劇について少し言及しておこうと思う。

ディ・レッロは妻の死後、毎日彼女の墓に参っては悲嘆に暮れていた。それは愛情の深さを物語るエピソードに違いないが、7ヶ月にも渡って連日墓に出向いては涙に暮れる、というのは少し異様で、彼の思い込みの強さを語るエピソードという感じがしないでもない。

その行為はFacebookにグラディエーターの一場面の模様を投稿したことや、復讐を果たした後にピストルを妻の墓前に手向けた事実などと共に、少し芝居がかっていて、やはり違和感を覚えずにはいられない。犯罪心理の専門家などが分析を試みたがる案件のようでもある。

銃撃犯のディ・レッロは、前述したように、彼にとっては妻を殺した憎むべき犯人であるデリーザが、まるで挑発するように町で行き逢った彼に対してバイクのエンジンを吹かした、と主張している。それは事実らしいがそこに至るまでには伏線がある。

デリーザの家族の言い分によると、彼は死亡事故を起こした後、強いトラウマに襲われて苦しんでいた。そこに彼を非難する町の住民の声が重なって、当人の心的苦痛はいよいよ高まった。そうした異常な精神状態にあったため、デリーザはディ・レッロと遭遇した際、思わず反抗的な態度に出たのだという。

つまりふてぶてしく生きているように見えたデリーザは実は、「普通に」死亡事故を起こした責任感に苛まれていた。罪悪感で押しつぶされそうになっていた彼に世論のバッシングが重なって、彼はますます追い詰められていった、というある意味で尋常な加害者の心理劇がそこにはあったのである。

また、デリーザは事故後に、共通の友人を介して亡くなったロベルタ・スマルジャッシの家族に謝罪をしたいと申し出たが、彼女の家族は「今はとても謝罪を受けられる心理状態ではない。時間がほしい」と拒否したとされる。

ところがこの点に関しても、前述したようにディ・レッロは逆に、デリーザから一言の謝罪の言葉もなかったと憤っている。ということはもしかすると、彼と亡くなった妻の家族との間には何らかの行き違いがあって、情報が共有されていなかったのだろうか。又は何らかの確執でもあったのだろうか。

ディ・レッロと妻の家族との関係がどうあろうとこの際は関係のない事案かもしれない。しかし、デリーザが彼に謝罪をしなかったことも、ディ・レッロが凶行に走った動機の一つになっているのだから、被害者が実は謝罪を申し出ていたというのは、無視できないエピソードのように見える。

デリーザ側の主張には、普通の感覚では中々受け入れがたいものも幾つかある。たとえば彼らは、「交差点での事故の際、ヤマハのスクーターに乗っていたロベルタ・スマルジャッシはヘルメットを被っていなかった。これは彼女の過失である」と言い張った。

また「責任を取れ。反省しろ」という街の人々の非難に対しても「デリーザは事故時には一滴の酒も飲んでいなかったし、麻薬常習者でもない。また事故後は逃げも隠れもしないで被害者の救護にも当たった。いったい何を反省し何の責任を取るのか」と開き直ったりもしている。

それらの主張は、少なくとも僕にとっては、首を傾げたくなるような強弁にしか聞こえない。加害者が信号を無視して交差点に突っ込み被害者を死亡させた厳然たる事実は、被害者のヘルメットの有無によってキャンセルしたり矮小化したりできるものでは断じてない。

飲酒や麻薬使用の有無、また事故後に救護活動をしたか否か、などの主張もやはり強弁の類であり本末転倒の議論のように思う。自らの立場を明確にしてそれを主張することが善とされる西洋的メンタリティーではOKなのだろうが、少なくとも日本人の僕には分かりづらい、というのが正直な感想だ。

しかし、だからといって、ディ・レッロはもちろん個人的なあだ討ちなどをするべきではなかった。彼は犯行に至る前には一貫して「ロベルタの悲劇は2度とあってはならない」と亡き妻の写真と共にSNSに繰り返し投稿していた。ところが彼は、不幸にも妻の悲劇を繰り返してしまった。被害者の名前が妻ロベルタからデリーザと変わりはしたものの。

僕には亡くなった2人の男はいずれもイタリアの司法制度の被害者に見える。厳罰主義を否定するイタリアの司法の精神はすばらしい。そこにはキリスト教最大の教義の一つ「赦(ゆる)し」の哲学が込められている。

「人は間違いを起こす弱い存在」である。だから、厳罰よりも赦しが優先される。飲酒運転や麻薬摂取や轢き逃げに当たらない、「普通の」死亡事故の加害者を許そうとするベクトルが働くのも、その考え方故だ。

しかし、司法の遅滞は重大問題だ。デリーザが死亡事故を起こした時点で司法による素早い介入があったならば、彼は被害者の家族も住む小さな街で自由に動くことはなく、従って加害者のディ・レッロと行き逢うこともなかった。

精神つまりソフトは優秀だが、時として実体つまりハードが稚拙な「イタリア的な仕組み」の一端がここでも発揮されたのだと思う。ハードの遅れた司法の鈍感と無神経と無能のせいで、事故の加害者と被害者が日常的に顔を合わせるという苦しくも残酷な状態が生まれ、やがて悲惨な結末が訪れたのである。


偏見は「遍在」し差別は「偏在」する



偏見は「遍在」し差別は「偏在」するものである。

言い方を変えれば、あまねくどこにでもあるのが偏見。ある一点に集中して存在するのが差別、ということである。偏見は差別を生み、差別があるところには偏見が自然発生的に生まれる。

それでいながら二つの概念は酷似している。あるいはほぼ同一のものでもある。このうち偏見は割と理解されやすいコンセプトだが、差別はそれよりは見えにくい現象だと考えられる。

少し具体的に説明してみたい。たとえば僕はハゲである。まだ完全ではないが、髪の毛はかなり後退し薄くなって、それは日々進行している。父も祖父も完パゲのハゲ家系なので、おそらくつるつるになるはずである。でも気持ち的にはもう完全にハゲの気分、あきらめ気分。憂鬱状態。

そんな僕は、ハゲに対する偏見が世の中には結構蔓延していると感じる。差別とは言えないかもしれないが、嘲笑を含む強い偏見は確かにある。それは日本により強く、イタリアにはそれ程ではないが、それでもやはり存在している。

そしてさらに言えば、もしも僕がハゲでなかったならば、僕はそれ程ハゲという言葉や、ハゲに偏見を持つ人々の態度に敏感になったり、傷ついたりはしなかったはずなのである。

同様なことが、あらゆる身体的特徴や、仕事や、出身地や、国籍や、家族構成(一人っ子はわがままなど)等々に対してなされるのが人間社会である。偏見のない社会など存在しない。

日本にいるとわかりずらいかもしれないが、日本人であることで偏見の目を向けられた体験のない外国住まいの日本人はいないだろう。もしもその体験がないなら、その人はかなり鈍感である。

あるいは、もしもその人がイタリア住まいなら、日本と日本人が好きなイタリア人だけと付き合っている(付き合っていれば済む)、ラッキーな人だからである。世界には日本や日本人が嫌いな人も残念ながら多くいる。

差別は偏見がさらに進んで悪意が増幅したものである。あるいは偏見が変形したものである。偏見は差別する者同士の間でも起こり、差別される者同士の間でも起こる。

これに対して差別は、「差別する者」と「差別される者」に2分化される。「遍在」する偏見とは違い、差別は2分割されるからその分社会が分断される。だから差別は「偏在」するとも言える。

偏見や差別には憎悪と痛みが伴うが、そのうちの痛みは偏見や差別を「受ける側」だけが感じるものである。偏見を投げる者や差別を「する側」には痛みはない。だから偏見も差別もそれを「する側」の感情は関係がない。「される側」の感情だけが問題である。

なぜなら痛みがあるのは異常事態であり、痛みがない状態が人間のあるべき姿だ。従って偏見や差別を「される側」のその痛みは取り除かれなければならない。

という風なことを僕はよく考える。そこで沖縄県高江のヘリパッド建設現場で起きた機動隊員による「土人」発言にからめて、発言が差別意識から出たものという「前提」で一つの記事を書いた。たくさん書く記事のうちの一つに過ぎないが、それが差別という重いテーマなので書いた僕も、たぶん読む読者も、気分はユーウツ状態である。、

「事件」を起こした機動隊員は抗議者の暴言や暴力にさらされて、極度の緊張状態の中で売り言葉に買い言葉よろしく、とっさに「土人」と口走ってしまった事案だろうと思う。つまり失言だ。従って彼を差別主義者と一方的に責め立てるのは酷である。人間誰しも失言もすれば間違いもおかす。

しかし、同時に彼は事もあろうに、基地の加重負担が一向に解消されず、むしろ悪化している現実をもはや「差別以外のなにものでもない」と憤っている人々が群がる場所で、再び事もあろうに差別用語の「土人」と口走ってしまった。

せめて「このハゲ!」とか「この早漏ヤロー!」とか「短小包茎!」とかで済ませられなかったのかね。頼むよ、ホントに。それらの言葉はもちろん差別的な言語だ。そこまではいかなくとも不快用語だ。しかし「土人」よりはまし、と思うのが僕の偏見である。

そうやって言った本人も、言われた芥川賞作家の目取真氏も、目取真氏の背後にいる沖縄県民も、そして彼ら以外の全ての日本人にとっても、見たり聞きたりしたくない不快な事件が始まり、まだ続いている。

こうした事態に遭遇した場合には、バカバカしい、話が大げさになり過ぎている、などとして見過ごすのも手だが、僕はこの際「事件」を正面切って取り上げて議論をするべき、と考えたので敢えて刺激的な言葉も用いつつその記事を書いた。

そういう記事には賛同する人ももちろんいるが、多くの批判や反論や中には誹謗中傷の類も投げつけられる。公に意見を言うのだからそれはもちろん覚悟の上だが、結構疲れるというのも正直な気持ちである。

そこで僕は ----この直前のエントリーでも書いたが---- しばらくは自分らしい「政治抜き」の話に集中して、書くなら楽しみながら書けるテーマだけを書こう、 などと考えている。

暇があってヘビーな話にも興味がある人は:

http://blog.livedoor.jp/terebiyainmilano/archives/52230744.html

を覗いてどうぞ憂鬱になって下さい。

ヤラ・ガンビラジオ


一週間ほど前、10月20日木曜日にブログの閲覧者が爆発的に増える「事件」がまた起きた。

その当日と2日前に投稿した記事のどちらかが読まれているのだろうと思った。

アクセス解析機能で調べてみたらどうも様子が違う。

ブログを訪問しているのは「ヤラ・ガンビラジオ」という検索ワードから導かれた人たちだと分かった。

ヤラ・ガンビラジオは僕の住ま居から近いベルガの少女だ。2010年に殺害された。

事件は驚くような経緯をたどって解決され、犯人は先日、ベルガモ重罪裁判所で終身刑を言い渡された。

死刑のないイタリアではもっとも重い刑罰である。

僕はそのことを書こうと思いつつ時間ばかりが過ぎた。

そこでいつものように「書きそびれていること」の一つとして2014年9月にブログで短く言及した。

どっと増えた閲覧者はその記事を訪ねているようだった。

どこかで誰かが「ヤラ・ガンビラジオ」について論及し、皆がそれについての情報を検索するパターンである。

以前にも、シリアのアサド大統領夫人アスマ・アサドについて書いた記事に閲覧者がどっと群がったことがあった。

それはNHKが7時のニュースで、アスマ・アサド夫人の名前に言及したからだ、と調べて分かった。

大手メディアの影響力はそんな具合に絶大である。

それに比べたらブログなんてほんとにささやかなものだ。

ましてや僕のブログのようにわずかな読者しかいない媒体なんて、悲しいという形容も悲しいほどの、無力な代物だ。

それでも僕はネットというすばらしい表現手段を大切にして、発信を続けようと思う。

理由は簡単だ。僕はその表現手段がたまらなく好きなのだ。

好きこそ物の上手なれ、という言葉もある。ずっと発信し続けていれば表現がうまくなり、なにかいいことも起こるかもしれない。

閑話休題

閲覧者にならって僕も「ヤラ・ガンビラジオ」と打ち込んで検索した。

しかし、僕のブログ記事以外にはこれといったものは見つからなかった。

アスマ・アサド夫人の時は日本の友人知己に問い合わせてNHKのニュースに行き着いたのだが、今回はそういう作業はしなかった。

ヤラ事件に関しては、ブログで数行触れただけできちんとしたものを書いていなかったからだ。

結局なぜ訪問者が増えたかは今もって分からない。

だけど、その不思議な出来事に触発されて「ヤラ・ガンビラジオ」事件について書きたくなった。

なにかと批判もされ反発も受ける政治絡みの記事を書くことに疲れたので、次のエントリーからはできればもっとも自分らしい「政治抜き」の話でいきたい。

でも、なにかと理不尽なことが多い政治については、やっぱりひとこと言いたくなる。

これは悪い癖だろうか、でももしかして、良い癖だろうか。。。。。

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