【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

イベント(政治)

新ローマ教皇レオ14世が図らずも成し遂げた大事業

ルイ14世初顔出し650

新ローマ教皇レオ14世が誕生して一週間が過ぎた。

新教皇が生まれる時はいつもそうであるように、イタリアはまだまだ祝賀ムード一色に染まっている、と言いたいところだが、2013年のフランシスコ教皇誕生時とは違って興奮は急速に収まった。

ウクライナ戦争終結を目指してトランプ米大統領が中東入りすることや、プーチン大統領がトルコに出向く、いや出向かないなど、戦争をめぐる大きな動きがメディアの最大の関心事になって、新教皇関連のニュースは二の次になっている。

レオ14世はウクライナとガザの2つの戦争を念頭に、選出以来あらゆる機会を捉えて平和の重要性を指摘し停戦を呼びかけている。当然のことである。

新教皇へのイタリア人の、そして世界のカトリック教徒の暖かい声援は尽きない。それは初々しい教皇に対する人々のごく普通の反応だが、今回は少し違う。

教皇が史上初のアメリカ出身という事実が後押しして、アメリカ国民の関心が異様に高くなっている。バチカンや教皇とは何ぞや、ということを初めて知った人々も多いに違いない。

それらの人々が無邪気に喜ぶさまが、欧州や当のアメリカのメディア上で躍っている。

それは先月、教皇フランシスコの死去に伴って、新教皇選びの秘密選挙・コンクラーベが開かれることになり、タイミング良く公開された映画「コンクラーベ・教皇選挙」の視聴者が、米国内で爆発的に増えた現象に続く目覚しい事態だ。

トランプ大統領がアメリカ人教皇の誕生を大いに喜び、国にとって極めて名誉なことだと表明したことが象徴的に示すように、普段はバチカンや教皇に関心のないアメリカ人が手放しで浮かれる様子はとても興味深い。

そうした朴直な大衆は、ヨハネ・パウロ2世の出身国のポーランド、次のベネディクト16世のドイツ、そして前教皇フランシスコの母国のアルゼンチンなどでも雲霞の勢いで出現した

つまりメリカで、大量のアメリカ人教皇ファンが増えていること自体は何も特別なことではないのである。それがアメリカであることが印象的なのだ。

アメリカは今、トランプ政権のけたたましい反民主主義的、あるいはファシズム的でさえある政策や思想信条に席巻されている。それはバチカンが伝統的に否定し対峙してきた政治体勢である。

アメリカ国民の半数近くはバチカン思想信条と親和的だろう。だが半数以上の国民は、バチカンのスタンスとは相容れないトランプ主義の支持者でありそれの容認者だ。

片や、彼らと同じアメリカ人のレオ14世は、民主主義の信奉者であると同時にフランシスコ教皇の足跡をたどって弱者に寄り添い、慎ましさを武器に強者にも立ち向かっていくことが期待されている力だ。

トランプ主義を容認する国民のうちの何割かがこの先、レオ14世に感化されて転向すれば、トランプ政権は行き詰まる。あるいは4年後の選挙で瓦解する可能性が高くなる。

それは荒唐無稽な話ではない。過去にはローマ教皇をめぐってもっと大きな歴史的事件も多く起きている。

例えば2005年に亡くなった第264代教皇ヨハネ・パウロ2世は1980年代、、故国ポーランドの民主化運動を支持し、「勇気を持て」鼓舞して同国に民主化の大波を発生させた。

その大波はやがて東欧各地に伝播して、ついにはベルリンの壁を崩壊させる原動力になった、とも評価される

教皇ヨハネ・パウロ2世の当時の敵は共産主義だった。

レオ14世が真にフランシスコ教皇の足跡を辿るなら、彼の敵の一つは必ずファシズムまがいのトランプ主義だろう。

トランプ主義を打倒するのは、気の遠くなるような壮大な事業だった共産主義破壊活動に比べれば、何ほどのこともない。やすやすと達成が可能な政治目標のようにも見える。

だがその前に新教皇は―再び言う ― トランプ大統領を含む膨大な数のアメリカ国民の目を彼自身とバチカンに引き付ける、という大事業を軽々と成し遂げた.

今後のレオ14世の活躍がとても楽しみである。




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AfDの恐怖はありきたりになって、故にさらに危険が増した

Weidel大&Merz650

ドイツ総選挙の結果は驚きのないものだった。極右のAfDが躍進して、第1党の「キリスト教民主・社会同盟(CDUCSU)」に次ぐ2位につけた

だがそれは早くから予想されていた展開で、目新いものではなかった。

ならばAfDの危険はなくなったかと言えば、もとより全く逆で、2021年の前回選挙に比べて支持を倍増させた極右党の勢力が今後も続伸すれば、やがて世界をも激変させかねない事態だ。

だが第1党になったキリスト教民主・社会同盟は、「ファイアウォール(防火壁)」を盾にAfDとの連携を拒否している。従ってAfDが近い将来に政権入りする可能性は低い

ドイツの「ファイアウォール(防火壁)」はナチスへの嫌悪と反省から生まれた。極右政治がタブー視され、政党間でAfDを政権から排除する合意が形成されたものである。

だが仮にAfDが政権の一角を担うことになっても、彼らは生の主張をそのまま前面に押し出すことはないと僕は考えている。

それはここイタリアの極右「イタリアの同胞」とそれを率いるメローニ首相が、極右からより穏健な急進的右派へと舵を切って進んだ例を見れば分かる。

ここイタリアでは政治土壌の要因子である多様性がそれを成し遂げるが、ドイツにおいては国内のリベラル勢力とEUの中心勢力が、極右モメンタムを厳しく抑制すると思う

また客観的に見て、AfD自体も過去のナチ党 (国民社会主義ドイツ労働者党)とヒトラーの轍を踏むとは考えにくい。

ヒトラーはヒトラーを知らなかったが、AfDとその支持者たちは巨大な負の遺産であるヒトラーを知悉している。その現実が彼らのナチス化を厳しく制すると思うのである。

そうではあるが、しかし、トランプ主義がトランプ氏以後、ヴァンス副大統領を始めとする“トランプの金魚の糞”勢力によって席巻され続ける場合は、状況が全く違うことになるだろう。

欧州ではAfDとそれに付き従うと見られる極右政党がさらに力を付けて、社会情勢がかつての日独伊三国同盟時代のような暗黒に向かいかねない。

人々の怒りをあおり、憎しみの火に油を注ぎ、不寛容の熾き火を焚きつけるのが得意な彼ら極右過激派の悪意は、易々と世の中を席巻する。歴史がそれを証明している。

従って彼らは拡大する前に抑え込まれたほうがいい。放っておくとかつてのナチスのごとく一気に肥大して、制御不能な暴力に発展しかねない。

とはいうものの、繰り返し強調しておきたい。欧州の今この時の極右勢力はヒトラーのナチズムやムッソリーニのファシズムと同じではない。

悪魔の危険を知り、悪魔ではないように慎重に行動しようとする悪魔が、現今の欧州の極右なのである。

しかしそれでも、いやそうだからこそ、極右モメンタムは抑さえ込まれたほうがいい。激流となって制御不能になる前に、その芽が摘み取られるべきだ。

なぜなら正義を振りかざし天使を装う狡猾な悪魔も、悪魔には違いないからである。





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プーチンが天誅を騙ってアサドを謀殺するのは時間の問題ではないか

プーチン&アサド並び顔650

プーチン大統領がアサド元大統領のロシアへの亡命を受け入れたのは、そうすることが徹頭徹尾ロシアの利益になるからだ。

アサド元大統領は就任以降23年間、シリア国民の財産のことごとくを盗んで蓄財を続けてきたことが分かっている。

プーチン大統領は、アサド元大統領の隠し資産を、彼のケツの毛までむしり取るやり方で徹底的に横取りするだろう。

そうしておいて、もしもシリアの新政権が同国にあるロシアの利権を保護するなら、見返りにアサド元大統領を彼らに引き渡すこともいとわないはずだ。

アサド政権を長く支えてきたロシアは、シリア国内にタルトゥース海軍基地フメイミム 空軍基地を置いている。海軍基地はロシアの地中海における最重要拠点基地。そこからアフリカ全体への影響力を行使できる。

シリアの新政権が好意的に動く、というプーチン大統領の読みが当たるかどうかは微妙な情勢だが、本来なら敵基地にあたるロシアの2つの施設をシャーム解放機構は徹底攻撃していない。

従ってプーチン大統領の目論見が完全に外れたとはまだ言えない。

アサド政権を駆逐したシャーム解放機構の背後にはトルコがいる。

トルコのエルドアン大統領と、プーチンン大統領はどっこいどっこいのサイコパス指導者だ。

プーチン大統領が、エルドアン大統領を介して解放機構に毒まんじゅうを食らわせアサド元大統領を「逆回転の死刑台のメロディー」送りにするのは、赤子の手をひねるよりも楽な仕事になるだろう。

ダマスカスを落としてシリアを征服したシャーム解放機構は、前述のようにアサド政権の保護者だったロシアの2つの基地を即座に破壊する動きに出なかった。

彼らはアルカイダと手を切り穏健派に転じたと主張したり、反対勢力を尊重するなどの戦略で過激派としてのイメージを払拭しようと躍起になっている。

解放機構はまた、アサド支持者の国々やクルド人武装派を支持するアメリカなどとも会話をしたい、と発言したりもする。

従って解放機構の敵であるロシアも、彼らとのパイプを確保して、秘密裡に対話交渉を進めている可能性が高い。

アサド元大統領は、シリアから盗んだ莫大な現金と資産をロシアに運んで、モスクワの高級住宅街に逗留しているとされる。

ロシアは彼以前にも、ウクライナの元権力者やベラルーシほかの元独裁者などをかくまっている。

プーチン大統領は、アサド元大統領が莫大な富を彼に渡す代わりに、彼が死ぬまでロシアに留まることを許すつもりなのかもしれない。

むろんそれは友情からではなく、ロシアの言う人道的見地からという噴飯ものの理由でもなく、ひたすらアサド元大統領が富を横流しするからにほかならない。

資産を取り上げた後、元大統領をシャーム解放機構に売り渡さずに国内に住まわせ続けれは、それはそれでやはりプーチン大統領の益になる。

なぜなら元独裁者の食わせ者やアウトローでも、ロシアでは安全にかくまわれる、と世界中のプッツン独裁者やファシスト権力者らに秋波を送ることができるからだ。

そうしておけば、ロシアの悪の友達の輪がしっかりと維持できるのみならず、拡大していくことさえも期待できるのである。




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死の自己決定権をめぐる英国下院の一家言


英国安楽死賛成デモ大ロング800

英国下院は11月29日、遅ればせながら終末期にある成人の幇助自死を認める法案を可決した。

なぜ遅ればせながらかと言うと、幇助自死つまり医師が患者に致死薬を投与したり、患者の自殺に関与したりする作為を認めている国は、欧州を筆頭に世界に少なからず存在するからだ。

幇助自死を認めるとは言葉を替えれば、終末期患者が安楽死を選ぶ権利を認める、ということである。

それについてはスペインやイタリアまた南米のコロンビアなど、自殺を厳しく戒めるカトリック教国でさえ紆余曲折を経て黙認あるいは明確に法制化している。

プロテスタントの国のイギリスが遅れているのは、敢えて言えば、同国が民主主義国家でありながら王を戴く似非民主主義国家、つまり超保守国家だからという見方もできるかもしれない。

しかし、英国下院の取り組み方にはさすがと思わせる点がある。

それは安楽死をめぐる議題が、政治的な問題ではなく道徳的な問題と特定され、採決は各議員が所属政党の党議縛られない自由投票で行われたことである。

つまり一人ひとりの議員は、それぞれの良心と誠心また価値観等、要するにあるがままの自分の考え方に従って行動することを求められた。

安楽死は、国家権力が決めるものではなく、国民一人ひとりが能動的に関与するべき事案だ。なぜならそれは自らの生と死にかかわる生涯最大の課題だからである

英国下院はそのことをしっかりと認識していた。

だからこそ議員の一人ひとりは、党員あるいは選挙で選ばれた特殊な存在、つまり特権を持つ代議士としてではなく、飽くまでも赤肌の個人として課題に向き合い、熟考した後に投票することを求められたのである。

繰り返しになるが、安楽死はお上から下賜されるものではなく、必ず個々人が決意し選択し勝ち取るべきものだ。

そのあり方は、たとえば安楽死を描いた日本映画、Plan75に提示された日本人や日本的エトスとは大きく違う。

Plan75では、安楽死を「政府が75歳以上の高齢者に死を選ぶ権利を“認め支援する制度」

国が生死の選択権を“与える制度」などと表現される。

また予告編やキャッチコピー、あるいは映画レビューや解説文等でも「75歳以上の高齢者の「死ぬ権利」を“認めた日本」「果たして《死ぬ権利》は“認められるべきなのか?」

などなど、政府が国民に一方的に安楽死また安楽死の制度を押し付けるのが当たり前、というニュアンスの文言が巷にあふれた。

映画そのものも、安楽死を「認められる」つまり強制されても仕方がないものとして無意識のうちに了解しているのが垣間見える手法で描いている。そこが極めて日本的なのである。

高齢者も若者も健康な者も病人もなにもない。誰も彼もが政府の押し付けに唯々諾々と従う。日本国民は怒り、立ち上がり、叫び、殺気立って暴動に走ったりはしない。

75歳になったら死を選ぶ権利を獲得するとは、年金また社会福祉制度が破綻しつつあると喧伝され、且つ同調圧力が強烈な日本においては「強制」とほぼ同義語である。

日本的安楽死論の怖さは、高齢になれば政府に安楽死を強制されても仕方がないという諦観に基づく感情、言葉を替えれば従順なヒツジ的根性に支配された、飽くまでも受動的な民心の中にこそある。

片や英国下院の動きに象徴される英国的エトスあるいは民意とは、何よりも先ず個人個人の意思を最重視し、その後でのみ立法を探ることを許すというものであり、日本の民心とは対極にあるコンセプトだ。

僕は安楽死に賛成の立場だが、これまで「先ず安楽死ありき」で考察を進める傾向があった。だがそれは危険な態度だと最近は考えるようになっている。

安楽死は厳しい規制を掛けた上で本人が希望するなら必ず認められるべきだ。

だがその議論の前には、飽くまでも安楽死に反対して生命維持装置を外さず、医療も果ての果てまで続けてほしい、という人々の当たり前の願いだけが真っ先に、必ずかなえられるべきだ。

その後でのみ、ようやく僕のような安楽死賛成論者の言い分が考慮されるべきである。

つまり患者を徹頭徹尾「生かす」ことが第一義であり、安楽死賛成論は二の次の事案であるべき、と考えるのである。

英国下院の思慮深い動きは、僕の今の心境とも符丁が合う取り組みであり、僕はそのことをとても心強く感じた。



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ついにシリアの独裁者アサドに鉄槌が下った


バシャー挟んでアスマ&女王握手650
 

毎年めぐってくる12月7日はミラノ・スカラ座の開演初日と決まっている。

スカラ座の開演の翌日、つまり今日8日はジョン・レノンの命日だ。偉大なアーチストは44年前の12月8日、ニューヨークで銃弾に斃れた。

そんな特別な日に、記憶に刻むべき新たな歴史が作られた。

2024年12月8日、シリアの独裁者バッシャール・アサド大統領がついに権力の座から引きずりおろされたのだ。

2011年にチュニジアで火が点いたアラブの春は、リビア、エジプトを巻き込みシリアにも飛び火した。

だがアラブの春を呼んだ業火はバッシャール・アサドを焼き殺さなかった。

国民を毒ガスで殺すことも辞さなかった彼は生き残った。例によってロシア、イラン、中国などの閉じたナショナリズムに毒された国々が独裁者を助けた。

2011年から2024年までのアサドの圧政下では、毒ガスによるものを含め 50人以上が殺害され、600万人が国外難民となった。

2024年現在、ロシアはウクライナ戦争で疲弊し、アサド政権を支えてきたイランの代替勢力ヒズボラは、イスラエルに激しく叩かれて弱体化した。中国はロシアやイランほどの目立つ動きには出ていない。

アサド独裁政権が孤立しているのを見たイスラム武装組織HTSが主導する反政府勢は、2024年11月27日、電光石火にシリア第2の都市アレッポを制圧。

すぐに南進してダマスカスに至る都市や地域をほぼ一週間で手中に収めた。そして12月7日~8日未明、ついに、ダマスカスを攻略した。

アサド大統領は逃亡してロシアに入ったとも、イランにかくまわれたとも言われている。逃走の途中で飛行機が墜落して死亡したという情報もある。

アサド政権の終焉は朗報だが、しかし、それをアラブの春の成就とはとても呼べない。

なぜなら彼を排除したイスラム武装組織HTSは、過激派と見なされている。アメリカと多くの西側諸国、国連、トルコなどは、彼らをテロ組織に指定しているほどだ

シリアの民主化は恐らく遠い先の話だろう。それどころか同国を含むアラブ世界が、真に民主主義を導入する日はあるいは永遠に来ないのかもしれない。

アラブの春が始まった2011年以降、僕はアサド独裁政権の崩壊を祈りつつ幾つもの記事を書いた。

独裁者のアサド大統領はいうまでもなく、彼に付き添って多くの話題を振りまいた妻のアスマ氏の動静にも注目した。

「砂漠の薔薇」とも「中東のダイアナ妃」とも称えられた彼女は、シリア危機が深まるに連れて化けの皮を剥がされ「ヒジャブを被らない蒙昧なアラブ女性」に過ぎないことが明らかになった。

僕はそうなる前から、彼女にまとわりついていた「悲哀感」が気になって仕方がなかった。




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息子を恩赦したバイデンはトランプとどっこいどっこいの史上最低の米大統領かもしれない

眠るバイデン650

バイデン大統領は退任も間近になった121日、有罪評決を受けた次男ハンター氏を恩赦すると、突然発表した。

バイデン大統領はそれまで、何があっても息子を恩赦することはない、と繰り返し述べていた。

彼もまた人の親である。気持ちは理解できる。

だが、彼はこの世の最高権力者である米大統領だ。法の下の平等という民主主義の根幹を歪める行為は厳に慎むべきだ。

もっとも米大統領の正義や良心などというものは、カスでまやかしに過ぎない、とトランプ前大統領が世界に向けて堂々と示して以降は、彼らの愚劣さにはもはや誰も驚かなくなったが。

バイデン大統領の次男ハンター氏は、薬物依存を隠して不法に銃を購入した罪と、脱税の2つの罪でそれぞれ最長17年と25年の禁錮刑を科される可能性があった。

それらの罪の判決が出る前に、父親が全てチャラにする、と宣言したのである。

バイデン氏は前任者のトランプ大統領が恩赦を発表する度に、自分とは違い法の支配を軽視する言動をしていると繰り返し批判した。

例えば2019年、いわく:

「トランプ大統領は法の支配、米国を特別なものにしているわれわれの価値観、そして名誉ある軍服を着た男女の国民を裏切った」

トランプ大統領がRストーン氏を減刑にした2020年、いわく:

「トランプ大統領は現代アメリカ史上最も腐敗した大統領だ」

また2020年の選挙運動中、トランプ大統領が司法長官職を政治利用しているとしていわく:

「司法長官は大統領の弁護士ではなく国民の弁護士だ。今のような司法長官職の売春行為はかつて存在しなかった」

云々。

一方でバイデン大統領は次男のハンター氏の問題では、先に触れたように「司法判断を尊重する。息子は決して恩赦しない」と明言してきた

ところがふいに方向転換し、大統領権限を使って「国や司法よりも家族が大事」と、驚愕の判断を下したのである。

バイデン氏の名誉のために付け加えておけば、米大統領が家族や自らのスタッフ、また支持者などを免責するのはよくあることで珍しくもなんともない。

最近の例で家族に限って言えば2001年、退任直前のクリントン大統領が有罪判決を受けていた異母兄弟を恩赦した。
また2020年にはトランプ前大統領が、義理の息子クシュナー氏の父親を恩赦で免責にした。

だがどの大統領も、バイデン氏のように「恩赦は断じてしない」と繰り返し正義をふりかざした挙句に、豹変する醜態はさらさなかった。

バイデン大統領は、司法制度が万人に公平であり平等あるという法の支配の大原則に逆らって、家族を優遇し個人の利益を優先させた。

それは彼がトランプ前大統領に投げつけた「現代アメリカ史上最も腐敗した大統領」という言葉が、ブーメランとなって自身に襲い掛かることを意味している。

まもなく退任する彼は、驚きも喧騒も喜悦も殷賑ももたらさない陳腐な米大統領だった。

だが彼は、トランプ前大統領が破壊した欧州やアジアの同盟国との信頼関係を取り戻し、ロシアに蹂躙されるウクライナを徹底して支援するという重要な役割も果たした。

直近では米国提供のミサイルでロシア本土を攻撃してもよい、という許可をウクライナに与えて紛争の激化を招きかねないと非難もされた。が、少なくともそれには、北朝鮮軍を抑制するという大義名分があった。

それらの得点は、バイデン氏が息子を恩赦したことで帳消しとなり、あまつさえその行為によって、自身がトランプ前大統領とどっこいどっこいの史上最低の米大統領かもしれない、と世界に向けて高らかに宣言することにもなった。




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ICCはもっと早くネタニヤフをしばくべきだった

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国際刑事裁判所(ICC)は1121日、イスラエルのネタニヤフ首相とガラント前国防相 、またハマス軍事部門のデイフ司令官に対して、戦争犯罪及び人道に反する罪の疑いで逮捕状を出した。

 ネタニヤフ首相ICCの決定を“例によって”「反ユダヤ的」と非難した。

彼は反ユダヤ主義、つまりAntisemitismという言葉に反射的に強い怖れを抱く欧米世論を意識して、彼自身やイスラエルあるいはユダヤ人全般に対する批判や疑問や否定的見解に対しては、ほぼ常にその言葉を口にする。

ネタニヤフ首相のその口癖は、自身の脆い政治的立場を秘匿するための詭弁、と断言してもあながち間違いではないだろう。

ICCはイスラエルやユダヤ人を糾弾しているのではない。飽くまでも無差別攻撃で無垢なガザの住民虐殺している首相と元国防相を、ピンポイントで有罪と宣告してしているだけだ。

それは合法であり道徳的にも真っ当なアクションだ。

アメリカのバイデン大統領を始めとする、欧米の“必要以上に”親イスラエル派の指導者は、ICCガザ地区でのイスラエルの行動と、2023年10月7日のハマスによる攻撃を、道徳的に同じと見なしていると批判した。

だがその言葉自体が既に虚妄だ。なぜならネタニエフ首相率いるイスラエル(軍)は、ガザ地区において「無差別攻撃」を行い民間人を殺戮しまくっているのであって、単なる「行動」ではない。

またICCは敢えて言えば、昨年10月7日のハマスによる攻撃と、イスラエル軍の残虐行為に「道徳的同等性」を見出しているのであって、それ以上でも以下でもない。

また僕を含む世界中の心ある人々は、ユダヤ人が歴史的に蒙ってきた多くの差別と苦しみと、その集大成ともよぶべきホロコーストを断じて忘れていない。

ネタニヤフ政権がガザ地区で犯している大量殺人は、れっきとした犯罪であり人道に反する悪逆だと断じているに過ぎない。

欧州ではイタリアとオランダがICC決定に従って、ネタニヤフ首相とガラント元国防相が入国すれば逮捕すると表明した。

また英国も、慎重な表現を用いつつ、彼らが入国することがあれば、イタリアとオランダに倣って逮捕する旨の声明を出した。

一方、事大主義者の日本政府は、例によって沈黙している。

自らの考えも主体性も、従って危機意識もない日本の石破政権は、黙ることでネタニヤフ首相を支持し、パレスチナの人々を見殺しにしているという見方もできる。

それとは逆に、極右と断罪されることも多いここイタリアのメローニ首相は、ICCの決定を尊重する誠実な態度に出たことで、この事案でもまた好感度を上げたようにさえ見える。




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記名ネトウヨ、イーロン・マスクの大きなお世話  

Elon Musk 高慢650

口角泡飛ばし男のイーロン・マスク氏が、なぜかイタリアの移民政策にちゃちゃを入れて物議を醸している。

イタリアのメローニ極右政権は、選挙公約を履行する形で、不法移民をアルバニアの抑留施設に送りこんだ。

するとイタリアの司法は、それを違法として移民7人をイタリアに差し戻す判決を下した。マスク氏はそのことを踏まえて、イタリアの裁判官は更迭されるべき、と声高に主張したのである。

遠いアメリカから、ただの金持ち様が「あんた何様のつもり?」の思い上がり行為に走るのは、むろん米大統領選でトランプ候補が勝利したことを受けてのアクションである。

イタリアの最極右とも見られていた「イタリアの同胞」党首・メローニ首相は、政権の座に就いて以来、政策スタンスをより中道寄りに軌道修正して、国内でもまたEU内でも好評に近い反応さえ得ている。

一方、国内でもまたEUからも胡散臭い目で見られているイタリア政権内のもうひとつの極右勢力、「同盟」を率いるマッテオ・サルヴィーニ副首相は、マスク氏の主張を歓迎する声明を出した。

インフラ大臣も兼ねるサルヴィーニ副首相は、プーチン大統領とトランプ次期大統領の信奉者でもある。

そのことからも分かるように、マスク氏の悪女の深情けな放言は、ファシスト気質のトランプ次期大統領の威を借りつつ、イタリアの極右政権へ親しみをこめて送ったエールだったのだ。

むろんそこには、移民に厳しい姿勢で臨むトランプ次期大統領へのヨイショの意味もあるのは言うまでもない。

しかし、肝心のイタリア政府のボス、メローニ首相は何も反応しなかった。

代わりに、今やイタリアの極右の総大将の位置に君臨する、サルヴィーニ副首相が喜んだという構図である。

マスク氏はただの大金持ちだが、一代で財を成した事実にはそれなりの理由があるに違いない。きっと何者かではあるのだ。

しかし、不遜な独り善がり言動が多いのは、どうにもいただけない。

彼は来たる2025年1月以降の4年間、トランプ大統領の右腕兼太鼓もちとして、あらゆる場面で不愉快な言動に出るであろうことが確実視されている。

マスク氏はアメリカ国籍をもつものの、幸い同国生まれではないため自身が大統領になることはできない。

だが、老いぼれで危険なトランプ大統領を操って、世界をさらなる分断へと導きかねないことが懸念される。





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トランプ災を転じて福となせるか日本

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トランプ返り咲きが確実になったようだ。

ハリス大統領の誕生を期待したが、仕方がない。

欧州、正確に言えばEU(欧州連合)の権力中枢も僕と同じ気分だろう。だが頭脳明晰で冷徹なEUの権力機構は、トランプ再選を想定しての戦略をしっかりと描いている。

心配は日本である。

先日の総選挙の結果、誰が政権を担うかも不確実な今の状況で、アメリカファースト主義のトランプ政権と対峙するスキームはあるのだろうか。

もしも高市政権が誕生していれば、安倍政権の続きでトランプの犬に徹する仕方を踏襲し、その意味では「安心」だったかもしれない。

石破政権も、高市政権ほどではなくとも、“日本はアメリカの属国”策を死守して、何とか生かせてもらえただろう。

与党が過半数割れして混沌とした状況の現在、日本には“トランプほぼファシズム政権”に対応して独自にアイデアを繰り出す甲斐性はなさそうだ。

既述のようにEUが核を成す欧州は、トランプ政権との付き合い方を2017~2021の間に学習し、今回の選挙では彼の勝利の可能性を見越して徹底シミュレーションして備えている。

日本は軍備はしっかりと整えながら、その増強のみを考えるのではなく、またアメリカ一辺倒のポチ街道を邁進するのでもなく、近隣の厄介国すなわち中露北朝鮮とも対話し欧州と協調して、グローバルサウスとも真剣に付き合い必要なら即座に援助の手を差し伸べる“当たり前”の先進国を目指すべきだ。

災いを転じて福となす覚悟で、厄介なトランプ政権を逆手に取り日本の国益になるよう賢明にまた懸命に動くのである。

と本心を書いても、真の民主主義が根付いていない日本の民度を思うと、脱力感に襲われるのが寂しい。




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メローニ「極右政権の」嘘から出たまこと、かも、かい?


メローニ激穏合成800
 

イタリアのメローニ“極右”政権が発足から3年目に突入した。

メローニ政権は極右から中道寄りにシフトし続け、表向きはいわば急進的な右派政権という具合になっている。

メローニ政権はEU(欧州連合)とも良好な関係にある。ウクライナ戦争では反プーチンの立場を貫き、NATOとも、従ってアメリカとも今日現在は緊密に結びついている。

ファシスト党の流れを組む「イタリアの同胞」のメローニ党首は、いかにも極右らしく反移民と反EU(欧州連合)を旗印に活動を始めたが、政権奪取に至った2022年の選挙では、反EUのスタンスを胸奥に収めて戦い勝利した。

イタリアの同胞は、第二次世界大戦後に結成されたネオファシスト集団に起源を持つが、メローニ首相自身は近年極右から距離を置くよう努めており、自身の政党は主流保守派だと主張する。

彼女は首相になると同時に険しい極右の言動を控えて、いわば強硬右派とも呼ばれるべき穏健な道を歩みだした。顔つきまで変わった。

ほとんど 狂暴にさえ見えた激甚な表情が母親のように優しくなったのだ。

弱小政党を議会第一党にまで育てるには、烈烈たる情緒と確固たる信念を胸に活動することが求められる。

彼女はそれを実践し選挙運動では声高に、過激に主張を展開し続けた。それが彼女の酷烈な表情だったのだと分かる。

メロ-ニ首相は2年前、議会の初演説でファシズムを非難し、ムッソリーニの人種差別法はイタリア史上最悪の出来事だったとも述べた。また同盟国に対しイタリアの欧州連合への責任ある関与も保証した。

政敵からはネオファシストと呼ばれたりもする右派のメローニ首相が、政権奪取後には中道寄りへと舵を切るであろうことを僕は予想し何度もそう書いた

彼女はその通りの道を歩んでいる。メローニ政権が極右らしい動きに出たのは、不法移民をアルバニアの収容所に送り始めたことぐらいだ。

その策は時間とともに拡大強化されて、ファシストの大好きな反移民また排外差別主義の巣窟へと変化して行く危険を秘めている。

不法移民への反発は欧州中にも広がっていて、メローニ政権の政策に同調する声も高まっている。

それだけに欧州の寛大な心が冷たく過酷な反移民、排外差別主義へと向かう可能性は否定できない。

それでも今のところは、メローに首相の政策を極右の酷薄な仕打ち、と即座に連想する者は少ない。




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NHKが“与党過半数割れの衝撃”と騒ぐ衝撃


 逆光雲ビーチ人影800

今回の衆議院選挙で最も気になったのは、相も変わらない投票率の低さである。

裏金問題という深刻な事案が争点の選挙でも、投票率は53.85%という寂しい数字だった。

日本の選挙の投票率が低いのは、国民が政治に関心を持たないからだ。そして国民が政治に関心を持たないのは彼らが民主主義を理解していないからだ。

自らの一票が真実、権力の行方やあり方を左右する、という厳然たる事実を多くの国民が意識すれば、投票率は必ず上がる。

結果、政権交代が起きる。

そして政権交代が起きることを政治家が肌身で感じれば、彼らは襟を正す。少なくとも国民を恐れ国民の声に耳を傾ける。

そこの部分が日本の民主主義には欠落している。つまり日本の民主主義は真の民主主義ではなく、民主主義の名を借りた「一党独裁政治主義」に過ぎないのである。

そのことを象徴的に表しているのが、選挙結果を踏まえてNHKの看板番組「クローズアップ現代」が放った、“与党過半数割れの衝撃”というタイトルだ。

与党の過半数割れは、まともな民主主義国家の選挙なら当たり前の事相だ。それを衝撃と呼ぶNHKの心状こそが衝撃である。

米英に代表される2大政党の回転ドア式政権樹立法を別にすれば、過半数を制する政党が無く、複数の勢力が連立を組んで政権を担うのが民主主義国の普通の在り方だ。

言葉を替えれば、与党過半数割れが現代政治の常態なのである。

自民党がほんのひと時を除いて政権を握り続けてきたのは、日本の政治環境が中露北朝鮮にも似た独裁主義まがいの硬直した政体だからだ。

日本はその醜悪な政治文化を早急に破壊して、政権交代が簡単に起きる政治環境を作り上げるるべきだ。

ここイタリアでも、戦後一貫して日本の自民党に当たるキリスト教民主党 が政権を担いつづけた。

だが1994年、スキャンダルに始まる政治危機の連鎖によってキリスト教民主党が崩壊、消滅しベルルスコーニ率いるフォルツァ・イタリア党が政権を握る“政治革命”が成就した。

以来イタリアは、政権交代が易々と起きる国になった。

イタリアの民主主義は、民主主義先進国の中では最も稚拙とみなされることが多い。だがそれは稚拙ではなく、多様性が差配する政治環境の殷賑が、外部からは政治の混乱と見えるに過ぎない。

混乱に見えるからイタリアの民主主義は稚拙、と知ったかぶりを言う自称ジャーナリストや専門家や知識人が、特に日本を中心に多くいる。

彼らにはイタリア政治を支配している多様性の精神がまるで見えていないのである。

それに対して一党独裁的な政治環境が継続している日本では、国民の政治参加が圧倒的に少なく、結果民主主義の核の一つである政権交代が起きない、という悪循環が続いている。

日本は敗戦後にタナボタで手に入れた民主主義を研鑽し、本質をしっかりと捉えて、子供たちに死に物狂いで教え彼らの血となり肉となるように仕向けなければならない時期に来ている。

それが成れば、必ず投票率が上がる。結果―繰り返しになるが―政権交代が起きる。そして政権交代が起きることを政治家が実感すれば、彼らは反省し態度を改め国民の声に真摯に耳を傾ける。

そうやって民主主義はさらに深化していく。

民主主義は漫然と付き合っていると、たちまち中露北朝鮮のような専制主義に取って代わられる危ういシステムだ。一人ひとりが立ち上がって闘わなければならない。

その最たるものが投票に行くという行為だ。

民主主義体制はそこにあるのが当たり前ではない。専制主義や過激主義、またトランプ論者や独裁者が跋扈する世界で、懸命に闘い努力をしてのみ得られる開放であり、自由であり、喜びなのである。










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石破茂の誠実公正の限界

カメレオン可愛い650

自民党総裁選は石破さんの勝利で終わった。順当無難な結果である。

僕は9人の候補をドングリの背比べと見た。いずれもドングリならファシズム気質の高市さんの目もあっていい、とさえ思ったりした。

高市さん選出なら、少なくとも日本の諸悪の根源「男尊女卑」精神に一撃が加えられるからだ。それは、無いよりはあったほうが確実に日本のためになるイベントだ。

僕は石破さんには多くを期待しない。彼の口癖である 公正、誠実、且つ謙虚で丁寧な政治なるものが、薄っぺらなキャッチコピーに過ぎないことを知っているからだ。

石破さんは2018年、故安倍さんと戦った総裁選で、47都道府県に向けたビデオメッセージを作った。その中で「沖縄に基地が集中している理由について:

反米基地運動の拡大を恐れた日米両政府が1950年代、当時日本から切り離されていた沖縄に、山梨や岐阜にあった海兵隊司令部を含む海兵隊部隊を押し付けたからだ」と真実を語った。

国土の1%にも満たない小さな沖縄には、日本国全体の安全保障を担う米軍基地が全体のおよそ70%以上置かれ、地元は基地被害に苦しんでいる。

それは余りにも不公平だ。負担を減らして欲しいという沖縄のまっとうな訴えは、安全保障の意味も民主主義の精神もあずかり知らない国民の無関心によってひたすら否定される。

それはまたネトウヨヘイト系差別主義者らの「沖縄は補償金欲しさに基地反対を叫んでいる」という偽りの誹謗中傷まで呼んで、沖縄はいよいよ貶められ侮辱され続けている。

国民の気分を熟知している政府はそれを巧みに利用して、口先だけの基地負担軽減を言いながら、イスラエルによるガザ弾圧よろしく辺野古を蹂躙している。

いわゆる構造的沖縄差別である。

石破さんはかつて、政府の要人として初めて沖縄の米軍基地問題の核心を語り、総裁になった暁には是正に奔走すると示唆した。

だが彼は、沖縄を植民地状態のまま利用しようと企む自民党内の反動的な力に負けて、卑怯「不誠実」にもそのビデオメッセージをあっさりと削除しほっかむりを決め込んだ。

つまり彼の言う「公正 誠実、且つ謙虚で丁寧な政治」とは、飽くまでも多数派に向けてのスローガンであり、弱者は切り捨てても構わないという、強権指向に満ちた偽善と見えるのだ。

一事が万事である。

今このときは、とてもそんな男に期待する気にはなれない。


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高市早苗‘首相’の影と、影の中にあるかもしれない光

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FB友のお1人から「高市早苗」候補には絶対に首相になってほしくない、という強い怒りのメッセージが届いた。似たような趣旨のコメントはほかにも多い。

高市早苗候補だけは決して日本のトップにしてはならない、とつい最近まで僕も考えそこかしこに書いてもきた。

今もそうだが、それでも総裁候補の顔ぶれを見ているうちに、毒を持って毒を制す、のような気分になっている。高市という猛毒をもって日本の男社会という毒に楔を打ち込む、という印象である。

ちなみに僕は上川さんに期待し、老害政界に風穴を穿て、と密かに進次郎候補を応援していた。

だが残念ながら上川さんの覇気のない常識路線と、進次郎候補の明るいウツケ振りに呆れて、それらは過去形になった。

代わりに猛毒の高市候補が日本初の女性首相になる手もあると考え出した。

❛高市首相❜もありかもと考える第1の、そして最大の理由は高市候補がオヤジよりもオヤジ的な政治家でありながら、それでも女性だという点だ。

首相になれば日本の諸悪の根源である男尊女卑メンタリティーにとりあえず一撃を見舞うことになる。それは、無いよりはあったほうが確実に日本のためになるイベントだ。

心優しい良い女性、すばらしい女性を待っていては日本には永久に女性首相は生まれない。女性首相の大きな条件の一つは「タフな女」であることだ。

サッチャーもメルケルもここイタリアのメローニ首相も男などにビビらないタフさがある。高市候補は権力者のオヤジらに媚びつつも、鉄面皮で傲岸なところがタフそのものに見える。

2つ目は、アメリカでカマラ・ハリス大統領が誕生すると想定しての強い興味だ。

トランプ氏再選なら、❛高市首相❜は彼女の神様である安倍元首相に倣って、ここイタリアで言うケツナメ(lecca culo)外交に徹するだけだろうが、ハリス大統領になった場合は遠慮し諭される状況もあり得る。

それは❛高市首相❜を変える可能性がある。むろん、それにはハリス大統領のリベラルとしての、有色人種としての、そして女性としての強さと見識と人間性の有無が重要になる。

今のところハリス候補にはその兆候はない。だが、彼女も大統領になって品格を備えるようになる可能性が高い。

肩書きや地位はただでも人を創りやすい。ましてや世界最強の権力者である米国大統領という地位が、人格に影響を及ぼさないと考えるなら、むしろそちらのほうが不自然だ。

3つ目は天皇との関係だ。人格者の上皇、つまり平成の天皇は静かに、だが断固として安倍路線を否定した。現天皇は今のところ海のものとも山のものともつかない。顔がまだ全く見えない。

❛高市首相❜が本性をあらわにファシスト街道を突っ走るとき、天皇がどう出るか、僕はとても興味がある。

天皇は政治に口出しをしないなどと考えてはならない。口は出さなくとも「天皇制」がある限り彼は大いなる政治的存在だ。それを踏まえて天皇は「態度」で政治を行う。

彼に徳が備わっていれば、という条件付きではあるが。

日本の政治と社会と国民性は、先の大戦を徹底総括しなかった、或いはできなかったことでがんじがらめに規定されている。

右翼の街宣車が公道で蛮声を挙げまくっても罪にならず、過去を無かったことにしようとする歴史修正主義者が雲霞のように次々に湧き出てくるのも、原因は全てそこにある。

ドイツが徹底しイタリアが明確に意識している過去の「罪人」を葬り去るには、再び戦争に負けるか、民衆による革命(支配層が主体だった明治維新ではなく)が起きなければならない。

しかし、そういう悲惨は決して招いてはならない。

極右で狡猾で危険な高市候補が首相になっても、おそらく戦争だけはしないだろう。だからチャンスがあれば、彼女にチャンスを与えても良いのではないか、とつらつら考えてみるのである

ちなみに今このとき僕が女性首相にしてみたいのは蓮舫氏。彼女が嫌いな日本人は、高市候補が嫌いな日本人とほぼ同数程度に存在していそうだが、僕は蓮舫氏をリベラルと見做して推す。

男では山本太郎氏だ。山本氏なら戦争総括に近いこともやりそうな雰囲気がある。自民党のオヤジ政治家群は、ほとんどが過去の総括の意味さえ知らないように見える。

それは国際社会では、中露北朝鮮を筆頭とする専制主義勢力と同じフェイク、民主主義の向こう側でしか生きられないカスな存在、と見做されることを意味する。




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君はプラハの春を愛(お)しんで憤死した青年を知っているか


右上から俯瞰中ヨリ800

1968年8月20日、ソ連はチェコスロバキアに軍事介入して民主化運動「プラハの春」を蹂躙した。

5ヵ月後の1969年1月19日、ソ連の蛮行に抗議して20歳のカレル大学学生のヤン・パラフが、プラハきっての繁華街ヴァーツラフ広場で焼身自殺した。

広場には彼の写真付きの記念碑とシンボリックな人型のモニュメントが設置されている。

地面に浮き彫りされた人型モニュメントには不思議なオーラがある。だが、道行く人のほとんどはそこに目を向けない。

中国による天安門事件、香港抑圧、ロシアのウクライナ侵略、イスラエルによるガザへ虐待など、世界にはプラハの春弾圧とそっくり同じ構図の事件が間断なく起きている。

プラハの人々は苦しい過去を語りたがらない。忘れたい思いとソ連が黒幕だった恐怖政治へのトラウマが未だに消えないからだ。

プラハの魅力に惹かれて街を訪れるおびただしい人群れもヤン・パラフのことなど知らない。

そうやって世界は、いつまでも愚劣で悲惨な歴史を繰り返す宿命から逃れられずにいる。



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牙を剥かないトランプさんもやっぱり消えてほしい役者に見える

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イタリア時間の午前3時に始まったトランプvsハリスの討論会を生中継で観た。

トランプ候補は、相手や司会者の質問をはぐらかしながら自らの岩盤支持者が聴きたいことだけを集中してわめく、という自身が2016年の大統領選挙で発明した手法にこだわった。

だが、ハリス候補がそこに小さな風穴を開けて、トランプ候補を討論の本筋に引っ張りこむ場面があった分だけ、討論はハリス候補の勝ち、というふうに僕の目には映った。

トランプ候補は司会者が提示するほぼ全てのテーマで、当初はテーマに沿って話し出すものの、途中で脱線して移民問題を声高に論じることを繰り返した。

バイデン政権がメキシコ国境から入る多数の移民を受け入れ、それがアメリカを危険に陥れているという、 一貫した主張だ。

トランプ候補は排外差別主義者も多い彼の岩盤支持者層が、移民問題をもっとも重要なイシューと捉えることから、話をしつこくそこに持っていこうとするのである。

彼は反移民感情に支配されるあまり、移民ペットの犬や猫を食べているとさえ発言し、司会者がそれは真実ではないとたしなめる場面もあった。

トランプ候補は移民を憎む彼の支持者の受けを狙って、平気でそうした下劣な発言をすることがしばしばだ。

2016年の選挙戦以来つづく彼の憎しみを煽るレトリックは、アメリカ国民の半数にとってはもはや恥ずべきことなどではなく、ごく当たり前の手法になってしまった。

程度が低いと形容することさえはばかられるような、醜い主張を平然と口にできる男が、かつてアメリカ大統領であり、かつ再び大統領になろうとやっきになっている現実は見苦しい。

僕は高市早苗氏だけは断じて自民党の総裁になってはならないと考える者だが、それと同様にトランプ候補もけっして再び大統領にしてはならない、と腹から思う。

しかし、アメリカ国民の少なくとも3割強はトランプ候補と同じことを信じ込み、選挙になると彼らに同調する者が増えて、結果投票者のおよそ半分がトランプ主義者へと変貌することが明らかになっている。

そういう状況を踏まえれば、討論会でやや優勢だったハリス候補が最終的に勝利を収めるがどうかは、全く予断を許さない。

その根拠となるもう一つの要素を指摘しておきたい。

トランプ候補は過去の討論会では、相手への憎悪や怒りや悪口を狂犬のように吼えたてることも辞さなかった。

むしろその方法で隠れトランプ支持者とも呼ばれたネトウヨヘイト系差別排外主義者に近い人々を鼓舞して、彼らが闇から出て名乗りを上げるように仕向けた。

それは社会現象となり、彼らが団結してトランプ候補を第45代アメリカ合衆国大統領に押し上げた、と表現しても過言ではない状況になった。

それらのいわゆる岩盤支持者は今も変わらずにそこにいる。だが一方で、差別や憎しみや怒りを露わに他者を攻撃しても構わないという彼の行動規範は、多くの人々の反感も買っている。

トランプ候補は無党派層を始めとするそれらの反トランプ派の票を意識して、今回の討論会では汚い言葉や激しい表現で相手を罵倒するのを控えて「紳士」を装ったふしもある。

そして反トランプとまではいかなくとも、トランプ候補を支持するかどうか迷っている人々が、彼の「少しまともな」言動に好感を抱いて支持に回ることも十分にあり得る。

それは少数の有権者かもしれないが、あらゆる統計で僅差のレースが確実視されている厳しい戦いでは、そのわずかな数の票が決定的な影響を持つこともまた十分に考えられる。

結果11月の選挙の行方は、やはり五里霧中の探し物と言うにも相応しい極めて微妙なものになると思うのである。





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あれに見えるはジョルジャ・メローニの馬脚か自身のダイコン足か?


メローニ党看板650

イタリアのジョルジャ・メローニ首相は、欧州議会の欧州委員会委員長選挙で、朋友とさえ見られていたウルズラ・フォンデアライエン委員長の再選に同調せず反対票を投じた。

それは彼女が、自身の政権内のちまちました利害と忖度にとらわれ過ぎて、大局的な視点を失った愚劣な動きだった。

メローニ首相は真っ向からフォンデアライエン氏を支持して、イタリアの国益を追求するべきだったのだ。

ところが首相は連立政権内のサルヴィーニ同盟党首と、ネトウヨヘイト系排外差別主義者も少なくない「イタリアの同胞」支持者らへの遠慮から、欧州の良心の象徴である保守自由主義者陣営を率いるフォンデアライエン氏に反旗を翻した。

メローニ首相はファシスト党の流れを汲む「イタリアの同胞」を先導し、彼女自身もファシストの心を持つ政治家とみなされてきた。事実彼女は極右と呼ばれる政治スタンスで既存の権力機構に挑み、反移民のレトリックとEU懐疑思想を声高に主張して総選挙を勝ち抜いた。

ところが首相の座に就くと同時に、選挙戦中の極右丸出しの主張を引っ込めて、より「穏健な極右」あるいは「急進的な右派」政治家へと変貌した。

それはイタリアの歴史的な政治状況を踏まえた上で、2018年に極左と極右が手を結んで成立した政権の動向を観察してみれば、即座に理解できる変わりようだった

歴史的な政治状況とは、独立自尊の気風と多様性に裏打ちされた都市国家メンタリティーがもたらす、四分五裂した政治勢力のあり方である。

そこには左右中道から過激論者までの雑多な政治勢力が跋扈するが、暴力に訴えてまで自説を通したがる極右や極左でさえ、より過激に向かうよりもより中道へとシフトする傾向がある。

多様な政治勢力がはびこるために、彼らはより多くの賛同者を得ようとして、極論よりもより穏当なレトリックと行動に向かおうとするのである。それが多様性の効用である。

2018年に成立した極左の「五つ星運動」と極右の「同盟」の野合政権は、反EU的な主張を続けながらも、彼らが主張するEU離脱はおろか、EUとの決定的な反目も避けた。過激よりも穏健を選んだのである。

多様性が重視され多様性がもたらす殷賑が乱舞するイタリア社会は常に混乱状態にあるが、その混乱とはイタリア的な秩序なのであり、過激論が乱れ飛びつつ互いに抑制するという関係なのである。

EUが本分の極右、さらにネオファシストというレッテルまで貼られたりするメローニ首相は、既述のように急進的な右派へと穏健化し、EUとも協調する形で政権を運営してきた。

そうならざるを得ない理由がもう一つある。

イタリアでは政治制度として、対抗権力のバランスが最優先され憲法で保障されている。そのため権力が一箇所に集中しない、あるいはしにくい。

その制度は、かつてファシスト党とムッソリーニに権力が集中した苦しい体験から導き出されたものである。同時にそれは次々に政治混乱をもたらす仕組みでもある。

一方で、たとえ極左や極右が政権を担っても、彼らの思惑通りには事が運ばれない、という効果も生む。

メローニ首相率いる「イタリアの同胞」は元々はEUに懐疑的でロシアのクリミア併合を支持するなど、欧州の民主主義勢力と相いれない側面を持つ。

同党はファシスト党の流れも汲んでいる。だがイタリア国民の多くが支持したのは右派であって極右ではない。ファシズムにいたっては問題外だ。

僕自身も実はメローに政権の軟化を早くから予想し、そう主張し続けた。そしてメローニ首相はまさしくその方向に動いてきた。

首相は彼女の支持基盤への気遣いを終始忘れない。だが基本的には― 繰り返しになるが― EUとの協調路線を志向し移民政策ではEUの最高権力者であるフォンデアライエン委員長の支持も取り付けるなど、極めて良好な関係を築いた。

また経済政策でもフォンデアライエン委員長の信頼を得て、PNRR(コロナ禍からの再興・回復のためのイタリアの計画)へのEUの資金提供もほぼスムースに展開された。

だが今後は分からなくなった。

メローニ首相の失策は、EU内でのイタリア共和国と首相自身の存在感を大きく損なうことになった。彼女の反抗はイタリアをヨーロッパから孤立させる効果こそあれ決して国益にはならない。

メロ-ニ首相は国家に尽くす思慮深い政治家、いわゆるステーツマンではなく、彼女の小さな右翼政党や保守派のリーダーに過ぎないと自ら告白した。結果ここまで彼女が模索してきたポピュリズムから遠ざかろうとする明朗な未来もいったん否定された。

メローニ首相はEUとうまく付き合い、結果― 極右勢力に特有の暴力的な空気がそこかしこに流れたりもするが ―ファシズムや極右にアレルギーを持つ大半の国民の好感度も良くなって、ステーツマンとしての株も上がりつつあった。だがそれもいったん反故になった。

政治勘の鋭いメローニ首相はそのことに十分に気づいているに違いない。極右という言葉に嫌悪感を抱きつつも、僕は首相になってからの彼女の言動に好感を抱き続けてきた。

なんと言っても彼女はイタリア初の女性首相であり、ささやかな規模の政党を率いて奮闘し政権まで握ったガッツある人物だ。

そして「肩書きが人を創る」との諺通り、人間的な成長も見せてきた興味深い存在だ。

僕は彼女の足が馬脚ではないことを願いつつさらに注視していこうと思う。



欧州の極右がつるめば世界が危ない

タイトルなし

欧州議会選挙は大方の予想通り右派が勝利した。フランス、イタリア、オーストリアなどでは極右政党が躍進。

フランスではライバルのマリーヌ・ルペン氏の極右政党「国民連合」に大敗したマクロン大統領が、議会下院を解散して今月末に総選挙を行うと発表。世界を驚かせた。

極右のさらなる躍進を阻もうとする動きであることは明らかだが、裏目に出てマクロン大統領はいま以上の窮地に追い込まれる可能性も高い。

イタリアはメローニ首相率いる極右政党、イタリアの同胞」が勝利した。これも予測通りである。その他の国々でも極右と形容される政党の躍進が目立つ。

選挙直後から旅をしているここポルトガルも、右へならえ状態。カーネーション革命から50年の節目の年だが、極右への拒絶反応が薄まり欧州全体の右傾化の流れに吞み込まれた格好だ。

欧州の極右勢力は全体の2割程度にまで拡大している。それは言うまでもなく憂慮するべき事態だが、彼らはそれぞれが自国に閉じこもって勝手に主張しバラバラに行動することが少なくない。

その辺りがまさしく「極」の枕詞がつきやすい政治集団の限界である。街宣車でわめき散らす日本の極右などと同じで、彼らは蛮声をあげて威嚇を繰り返すばかりで他者を尊重しない。

従って相手の言い分を聞き、会話し、妥協して協力関係を築き上げる、という民主主義の原理原則が中々身につかない。

そのために彼らは欧州内にあってもそれぞれが孤立し、大きな政治の流れを生み出すには至らない場合が多かった。だが今後は団結する可能性も出てきた。

流れが変わって、過激政党がお互いに手を組み合うようになれば、欧州は危なくなる。欧州の極右の躍進は、11月の米選挙でのトランプ返り咲きを示唆しているようにも見えてうっとうしい。

一番気になるのは、ドイツ極右のAfDが度重なるスキャンダルを跳ね除けて勢力を伸ばしたことだ。欧州の極右政党の中で最も危険なのがAfDだ。

AfDはドイツ国民の過去への真摯なそして執拗とさえ見える頻度の謝罪と、全面的かつ徹底した総括を経た後に誕生した。

彼らはドイツの良心が煮詰まった挙句に生まれた醜悪な滓のようなものであり、極右思想やナチズムは決して死なないことを証明している。

だがそのAfDでさえも将来、万が一政権の一翼を担うことがあれば、たとえばイタリアの極右が政権を握って軟化したように穏健化する可能性が高い。

しかしながらそれは、ドイツ国内のEU懐疑主義への流れを加速させ、その結果欧州の結束が弱まる可能性が高い。それが最も憂うべきことだ。

人々の怒りをあおり、憎しみの火に油を注ぎ、不寛容の熾き火を焚きつけるのが得意な彼らの悪意は、易々と世の中を席巻する。歴史がそれを証明している。

従って彼らは拡大する前に抑え込まれたほうがいい。放っておくとかつてのヒトラーのNSDAP (国民社会主義ドイツ労働者党 )、つまりナチスのごとく一気に肥大し制御不能な暴力に発展しかねない。

とはいうものの、繰り返し強調しておきたい。欧州の今この時の極右勢力はヒトラーのナチズムやムッソリーニのファシズムと同じではない。

悪魔の危険を知り、悪魔ではないように慎重に行動しようとする悪魔が、現今の欧州の極右なのである。

そうはいうものの、狡猾な悪魔も悪魔には違いないのだから、極右モメンタムは抑さえ込まれたほうがいい。激流となって制御不能になる前に、その芽が摘み取られるべきである。




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ボルサリーノハットが泣く事大主義パフォ-マンス

帽子胸にアホーとトランプ650

麻生太郎副総理が4月23日、ニューヨークのトランプタワーのオーナーを表敬訪問した。

2016年の安倍元首相の猿真似。

タワーのオーナーのトランプ氏は、11月の選挙で大統領に返り咲くかもしれない。

従ってたとえ彼がいわくつきの人物であれ、誰であれ、日本の国益のために友誼を結ぶのは悪いことではない。

だが麻生さんのやり方は、安倍さんと同じで原則原則に欠け節操がなく誇りもない。コメツキバッタよろしく相手におもねっただけだ。

トランプ氏への批判精神が微塵もなかった安倍元首相の動きも、世界から見れば恥ずかしいものだった。

だが少なくとも当時のトランプさんは既に当選が確定していた。

今回はそのはるか以前での追従訪問。

見苦しいこと、この上もない。



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ナワリヌイ殺害はプーチンの弱さという幻想

Nav,Pu.Kremlin650

アレクセイ・ナワリヌイ氏が死亡、というBBCの速報を見るとすぐに僕はなにか記事を書こうと試みた。

だが思い浮かぶのはプーチン大統領への憎悪だけだった。

身内にじりじりと湧く怒りをそのまま記そうと思ったが、そういう趣旨記事は僕はもうこれまでに何度も書いている。

無力感に襲われた。

ナワリヌイ氏が毒殺未遂から生還してロシアに帰国し即座に逮捕された頃、プーチン大統領はその気になれば彼を簡単に殺せるだろうが、今回はそうしないのではないか、という見方が広まった。

なぜなら世界世論が固唾を呑んで成り行きを監視している。さすがのプーチン大統領でも易々と手は下せない、と世界の常識ある人々は心のどこかで考えていた。

その予想は再び、再三、再四、つまりいつものように裏切られた。プーチン大統領は、自由世界の縷の望みをあざ笑うかのようにナワリヌイ氏を屠った。

昨年8月のプりコジン氏に続く政敵の暗殺である。

暗殺だから真相は分からない。証拠がない。だが証拠がないのがプーチン大統領の仕業である証拠、というのが真相だろう。

プーチン政権下では、独裁者に刃向かった人々が次々と殺害されてきた。政治家に始まりジャーナリスト、オリガルヒ、反体制派の活動家、元情報機関員、軍人など枚挙に暇がない。

プーチン大統領は、魂の奥深くまでスパイである。なにものも信用せず何者であろうが虫けらのように殺せる悪鬼だ。

ナワリヌイ氏は殺害されたことで殉教者になった、という説がある。だがその殉教者とは、飽くまでも自由主義社会の人々にとってのコンセプトだ。

大半のロシア人にとっては、彼の死は殉教どころかどうでもいいこと、という見方が現実に近いのではないか彼らにとっては民主主義や人権よりも安定が大事、というふうにしか見えない。

プーチン統領の専制政治は、少なくとも国内に安定をもたらす。その安定を脅かす反体制活動は忌諱される。

ロシア国内にプーチン大統領への反撃運動が起こりにくいのは、多くが政権の抑圧によるものだ。だが、それに加えて、ロシア国民の保守体質が反体制運動の芽を摘む、という側面も強いと考えられる。

大統領選挙が間近に迫る中、ナワリヌイ氏を意図的に殺害するのは、プーチン大統領にとって得策ではない、との意見も多くあった。だがそれらもプーチン派の人々の希望的観測に過ぎなかった。

ナワリヌイ氏を消すことはロシア国内の多くの事なかれ主義者、つまり積極的、消極的を問わずプーチン支持に回る者どもを、さらにしっかり黙らせる最強の手法だ、とプーチン大統領は知悉していたのだ。

プーチン大統領の恐怖政治は、その意味においては完璧に成功していると言える。

ナワリヌイ氏を殺害することは、ロシア国内の鎮定に大いに資する。彼の関心はロシア国民を支配し権力を縦横に駆使して国を思い通りに動かすことだけにある。

欧米を主体にする自由主義社会の批判は、プーチン大統領とっては蛙の面にションベン、無意味なことなのだ。

批判を批判として怖れ尊重するのは民主主義社会の人間の心理作用であって、専制主義者には通じない。われわれはいい加減、もうそのことに気づくべきだ。

彼は自由主義社会の多くの人々の予想に反して、いとも簡単にくナワリヌイ氏を抹殺した。

プーチン大統領は病気だ、悩んでいる、ためらっている、西側の批判を怖れている、などの楽観論は捨て去らなければならない。

ましてやナワリヌイ氏を殺害したのはプーチン大統領の弱さの表れ、などというもっともらしい分析など論外だ。

長期的にはそれらの見方は正しい。なぜならプーチン大統領は不死身ではない。彼の横暴は彼の失脚か、最長の場合でも必ず来る彼の死によって終わる。

だがそれまでは、あるいは彼の最大の任期が終了する2036年までは、プーチン大統領は今のままの怖れを知らない、強い独裁者で居つづけると考えるべきだ。

ナワリヌイ氏は、彼を描いたアカデミー賞受賞のドキュメンタリ-映画「ナワリヌイ」の中で、「邪悪な者は、善良な人々を黙らせることで勝利する。だから沈黙してはならない。声を挙げよ。あきらめるな」と語った。

プーチン大統領は、彼が倒れるまでは圧倒的に強い。

自由と民主主義を信じる者はそのことをしっかりと認識して声を挙げつづけ、挑み、断固とした対処法を考えるべきだ。

対処法には言うまでもなく、西側諜報機関などによる彼の排除また暗殺さえも睨んだドラスティックな、究極のアクションも含まれる。





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トランプ再選より不穏なドイツAfDの躍進 

トランプ+AfD合成

米大統領選に向けた共和党の候補者選びで、トランプ候補が第1戦第2戦と連勝した。

共和党は11月の米大統領選へ向けて、どうやらトランプ候補を彼らのエースと決めたようだ。

それを受けて世界の魑魅魍魎たちがあちこちでが呟いている。

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先ずイスラエル・ネタニヤフ首相:

米大統領選までは何があっても戦争は止めない。トランプが勝てばこっちのものだ。俺と同じ穴のムジナのトランプにとってはパレスチナ人なんて虫けら以下だ。極端なイスラエル擁護者の彼は、大統領に返り咲けばわれらがユダヤの国を徹底的に支援するだろう。ああ、トランプの再選が待ち遠しい。

ロシア・プーチン大統領:

ウクライナへのエンパシーはかけらも持ち合わせない2期目のトランプ大統領は、アメリカの支出を削減するという理由だけでもウクライナに停戦を要求するだろう。ウクライナはアメリカの支援がなければ戦争を続けられない。奴らは失った領土とずたずたにされた誇りと愛国心を抱えたまま、絶望の底で停戦に応じることになる。俺の狙い通りだ。

北の将軍様:

トランプは頭の中身も体型も俺とそっくりだから大好きだ。早く俺に並ぶ独裁者の地位に戻れ。

中国・習近平主席:

バイデンもトランプも悪魔だ。だがEUや日本などともつるみたがるバイデンよりも、1人で騒ぎまくるトランプの方が御しやすい悪魔だ。

岸田首相:

死んでも私のアイドルである安倍氏に倣います。トランプ大統領閣下、どうかいつまでもあなたの金魚のフンでいさせてくださいませ。

ドイツAfD:

ホロコーストはすぐには起こさないつもりだ。今はユダヤ人より移民のほうがマジ臭い。次は総統様がおっしゃった黄色い猿の日本人や、規則を知らない未開人のイタ公は抜きで、プーチン、北のデブ、シューキンペーなどをたぶらかし巻き込んで、白人至上主義を宇宙にまで撒き散らす計画だ。

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第1次トランプ政権の最大の脅威はトランプ大統領自身だった。だが、アメリカも世界も4年間で彼への対処の仕方を学んだ。

トランプ大統領は相変わらず民主主義への挑戦ではあり続けるだろう。

しかしトランプ再選の最大の脅威は最早トランプ大統領ではなく、彼に親和的なドイツの極右AfDがさらに勢力を伸ばすことである。

AfDがかつてのナチスと同様にホロコーストを起こす危険があるという意味ではない。AfDの不寛容な怒りっぽい性格は危険だ。が、彼らとてナチズムの悪と失敗は知悉している。

ヒトラーとナチズムとホロコーストを経験したドイツは、そしてひいては世界は、それらの再現を許さない。なぜなら「欧州の良心」がそれを阻むからだ。

「欧州の良心」とは、欧州が自らの過去の傲慢や偽善や悪行を認め、凝視し、反省してより良き道へ進もうとする“まともな”人々の心のことだ。

その心は言論の自由に始まるあらゆる自由と民主主義を標榜し、人権を守り、法の下の平等を追求し、多様性や博愛を尊重する制度を生み出した。

「欧州の良心」はトランプ主義に異議を申し立て、プーチンロシアに対峙し、習近平中国の前にも立ちはだかる。

ヒトラーはヒトラーを知らず、ムッソリーニはムッソリーニを知らなかった。だが今この時の欧州の極右は、ヒトラーもムッソリーニも知っている。

そして彼らは、ヒトラーとムッソリーニを極限のさらに向こうの果てまでも否定する、欧州の民意も知悉している。

また彼らのうちの少しの知性ある者つまり指導者層も、ナチズムとファシズムの悪を知り尽くしている。だから彼らはヒトラーにもムッソリーニにもなり得ないだろう。

だが、人々の怒りをあおり、憎しみの火に油を注ぎ、不寛容の熾き火を焚きつけるのが得意な彼らの悪意は、易々と世の中を席巻することが多い。歴史がそれを証明している。

従って彼らは拡大する前に殲滅されたほうがいい。放っておくとかつてのヒトラーのNSDAP (国民社会主義ドイツ労働者党 )、つまりナチスのごとく一気に肥大し制御不能な暴力に発展しかねない。

とはいうものの、繰り返し強調しておきたい。欧州の今この時の極右勢力はヒトラーのナチズムやムッソリーニのファシズムと同じではない。

悪魔の危険を知り、悪魔ではないように慎重に行動しようとする悪魔が、現今の欧州の極右なのである。

それは2022年10月、イタリアで政権を握った極右政党「イタリアの同胞FDI)」の在り方を検証するだけでも明らかだ。

「イタリアの同胞」のジョルジャ・メローニ党首は、激しい反移民言論やEU懐疑思想を全面に押し出して総選挙を勝ち抜いた。

そして彼女は首相の座に就くと同時に選挙戦中の極右丸出しの主張を引っ込めて、より「穏健な極右」あるいは「急進的な右派」政治家へとシフトした。

それにはイタリア独特の政治風土が大きく関わっている。

各地方が精神的に自主独立している自治体が、寄り合って統一国家を成しているのがイタリア共和国だ。

多様性が何よりも優先されるイタリア共和国の政治は頻繁に乱れる。だがそれは外から眺めただけのイタリアの“見た目”に過ぎない。

イタリア政治には混乱はない。多様性が担保する殷賑と狂乱と興奮が織り成す、百花繚乱というイタリア的な秩序があるだけだ。

多様性は政治に四分五裂の勢力をもたらす。過激思想も生む。極論者も政治的過激論者も跋扈する。

それらの過激勢力は、互いに相手を取り込もうとしてさらに過激に走るのではなく、より穏健へと向かう。身近な実例が、1018年に発足した極左の五つ星運動と極右の同盟の連立政権だ。

政権を樹立した彼らは、選挙運動中の過激な主張どおりにEUを否定し独立独歩の道を行くということはなく、いわば“穏健な過激派政権”となった。

そして2022年に政権の座についた極右のメローニ首相も、選挙前の剽悍な言動を抑えて「穏健な過激派」へと変貌した。それが彼らの正体、というのがふさわしい。

ネオナチあるいはネオファシストとも呼ばれるAfDも、政権奪取あるいは連立政権入りを果たした暁には、メローニ首相が率いるイタリアの同胞(FDI)と同じ道を辿るだろう。

だがAfDは、世界的には政治的弱小国に過ぎないイタリアではなく、EUを主導する大国ドイツの極右だ。政権を握れば、イタリアの極右とは違う大きなインパクトを欧州に、そして世界に与える。

そして最も重大な懸念は、彼らが反EUあるいはEU懐疑主義思想を深めることで、EUがひいては欧州が弱体化することだ。

なぜなら世界がかく乱された第一次トランプ政権時代、ファシズム気質のトランプ主義に敢然と立ち向かったのは、EUを核に団結した強い欧州だけだった。

その欧州は同時に、中露の専制主義に立ち向かえる唯一の力であることも、またその時代に証明された。

要するに欧州の弱体化は、本質的に世界の弱体化と同じである。

世界の民主主義の盟主は、“欧州の良心”を堅固な民主主義で死守しようとする、EUを核とする欧州そのものである。専制主義とほぼ同義語のトランプ主義でさえ政権奪取が可能な米国ではなくなったのだ。

第2次トランプ政権が後押しをしそうに見えるドイツAfDの勢力拡大は、欧州の力を確実に大きく削ぐ。それこそがトランプ再選の最大の痛手であり脅威である。





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