【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

イベント(政治)

欧州の極右がつるめば世界が危ない

タイトルなし

欧州議会選挙は大方の予想通り右派が勝利した。フランス、イタリア、オーストリアなどでは極右政党が躍進。

フランスではライバルのマリーヌ・ルペン氏の極右政党「国民連合」に大敗したマクロン大統領が、議会下院を解散して今月末に総選挙を行うと発表。世界を驚かせた。

極右のさらなる躍進を阻もうとする動きであることは明らかだが、裏目に出てマクロン大統領はいま以上の窮地に追い込まれる可能性も高い。

イタリアはメローニ首相率いる極右政党、イタリアの同胞」が勝利した。これも予測通りである。その他の国々でも極右と形容される政党の躍進が目立つ。

選挙直後から旅をしているここポルトガルも、右へならえ状態。カーネーション革命から50年の節目の年だが、極右への拒絶反応が薄まり欧州全体の右傾化の流れに吞み込まれた格好だ。

欧州の極右勢力は全体の2割程度にまで拡大している。それは言うまでもなく憂慮するべき事態だが、彼らはそれぞれが自国に閉じこもって勝手に主張しバラバラに行動することが少なくない。

その辺りがまさしく「極」の枕詞がつきやすい政治集団の限界である。街宣車でわめき散らす日本の極右などと同じで、彼らは蛮声をあげて威嚇を繰り返すばかりで他者を尊重しない。

従って相手の言い分を聞き、会話し、妥協して協力関係を築き上げる、という民主主義の原理原則が中々身につかない。

そのために彼らは欧州内にあってもそれぞれが孤立し、大きな政治の流れを生み出すには至らない場合が多かった。だが今後は団結する可能性も出てきた。

流れが変わって、過激政党がお互いに手を組み合うようになれば、欧州は危なくなる。欧州の極右の躍進は、11月の米選挙でのトランプ返り咲きを示唆しているようにも見えてうっとうしい。

一番気になるのは、ドイツ極右のAfDが度重なるスキャンダルを跳ね除けて勢力を伸ばしたことだ。欧州の極右政党の中で最も危険なのがAfDだ。

AfDはドイツ国民の過去への真摯なそして執拗とさえ見える頻度の謝罪と、全面的かつ徹底した総括を経た後に誕生した。

彼らはドイツの良心が煮詰まった挙句に生まれた醜悪な滓のようなものであり、極右思想やナチズムは決して死なないことを証明している。

だがそのAfDでさえも将来、万が一政権の一翼を担うことがあれば、たとえばイタリアの極右が政権を握って軟化したように穏健化する可能性が高い。

しかしながらそれは、ドイツ国内のEU懐疑主義への流れを加速させ、その結果欧州の結束が弱まる可能性が高い。それが最も憂うべきことだ。

人々の怒りをあおり、憎しみの火に油を注ぎ、不寛容の熾き火を焚きつけるのが得意な彼らの悪意は、易々と世の中を席巻する。歴史がそれを証明している。

従って彼らは拡大する前に抑え込まれたほうがいい。放っておくとかつてのヒトラーのNSDAP (国民社会主義ドイツ労働者党 )、つまりナチスのごとく一気に肥大し制御不能な暴力に発展しかねない。

とはいうものの、繰り返し強調しておきたい。欧州の今この時の極右勢力はヒトラーのナチズムやムッソリーニのファシズムと同じではない。

悪魔の危険を知り、悪魔ではないように慎重に行動しようとする悪魔が、現今の欧州の極右なのである。

そうはいうものの、狡猾な悪魔も悪魔には違いないのだから、極右モメンタムは抑さえ込まれたほうがいい。激流となって制御不能になる前に、その芽が摘み取られるべきである。




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ボルサリーノハットが泣く事大主義パフォ-マンス

帽子胸にアホーとトランプ650

麻生太郎副総理が4月23日、ニューヨークのトランプタワーのオーナーを表敬訪問した。

2016年の安倍元首相の猿真似。

タワーのオーナーのトランプ氏は、11月の選挙で大統領に返り咲くかもしれない。

従ってたとえ彼がいわくつきの人物であれ、誰であれ、日本の国益のために友誼を結ぶのは悪いことではない。

だが麻生さんのやり方は、安倍さんと同じで原則原則に欠け節操がなく誇りもない。コメツキバッタよろしく相手におもねっただけだ。

トランプ氏への批判精神が微塵もなかった安倍元首相の動きも、世界から見れば恥ずかしいものだった。

だが少なくとも当時のトランプさんは既に当選が確定していた。

今回はそのはるか以前での追従訪問。

見苦しいこと、この上もない。



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ナワリヌイ殺害はプーチンの弱さという幻想

Nav,Pu.Kremlin650

アレクセイ・ナワリヌイ氏が死亡、というBBCの速報を見るとすぐに僕はなにか記事を書こうと試みた。

だが思い浮かぶのはプーチン大統領への憎悪だけだった。

身内にじりじりと湧く怒りをそのまま記そうと思ったが、そういう趣旨記事は僕はもうこれまでに何度も書いている。

無力感に襲われた。

ナワリヌイ氏が毒殺未遂から生還してロシアに帰国し即座に逮捕された頃、プーチン大統領はその気になれば彼を簡単に殺せるだろうが、今回はそうしないのではないか、という見方が広まった。

なぜなら世界世論が固唾を呑んで成り行きを監視している。さすがのプーチン大統領でも易々と手は下せない、と世界の常識ある人々は心のどこかで考えていた。

その予想は再び、再三、再四、つまりいつものように裏切られた。プーチン大統領は、自由世界の縷の望みをあざ笑うかのようにナワリヌイ氏を屠った。

昨年8月のプりコジン氏に続く政敵の暗殺である。

暗殺だから真相は分からない。証拠がない。だが証拠がないのがプーチン大統領の仕業である証拠、というのが真相だろう。

プーチン政権下では、独裁者に刃向かった人々が次々と殺害されてきた。政治家に始まりジャーナリスト、オリガルヒ、反体制派の活動家、元情報機関員、軍人など枚挙に暇がない。

プーチン大統領は、魂の奥深くまでスパイである。なにものも信用せず何者であろうが虫けらのように殺せる悪鬼だ。

ナワリヌイ氏は殺害されたことで殉教者になった、という説がある。だがその殉教者とは、飽くまでも自由主義社会の人々にとってのコンセプトだ。

大半のロシア人にとっては、彼の死は殉教どころかどうでもいいこと、という見方が現実に近いのではないか彼らにとっては民主主義や人権よりも安定が大事、というふうにしか見えない。

プーチン統領の専制政治は、少なくとも国内に安定をもたらす。その安定を脅かす反体制活動は忌諱される。

ロシア国内にプーチン大統領への反撃運動が起こりにくいのは、多くが政権の抑圧によるものだ。だが、それに加えて、ロシア国民の保守体質が反体制運動の芽を摘む、という側面も強いと考えられる。

大統領選挙が間近に迫る中、ナワリヌイ氏を意図的に殺害するのは、プーチン大統領にとって得策ではない、との意見も多くあった。だがそれらもプーチン派の人々の希望的観測に過ぎなかった。

ナワリヌイ氏を消すことはロシア国内の多くの事なかれ主義者、つまり積極的、消極的を問わずプーチン支持に回る者どもを、さらにしっかり黙らせる最強の手法だ、とプーチン大統領は知悉していたのだ。

プーチン大統領の恐怖政治は、その意味においては完璧に成功していると言える。

ナワリヌイ氏を殺害することは、ロシア国内の鎮定に大いに資する。彼の関心はロシア国民を支配し権力を縦横に駆使して国を思い通りに動かすことだけにある。

欧米を主体にする自由主義社会の批判は、プーチン大統領とっては蛙の面にションベン、無意味なことなのだ。

批判を批判として怖れ尊重するのは民主主義社会の人間の心理作用であって、専制主義者には通じない。われわれはいい加減、もうそのことに気づくべきだ。

彼は自由主義社会の多くの人々の予想に反して、いとも簡単にくナワリヌイ氏を抹殺した。

プーチン大統領は病気だ、悩んでいる、ためらっている、西側の批判を怖れている、などの楽観論は捨て去らなければならない。

ましてやナワリヌイ氏を殺害したのはプーチン大統領の弱さの表れ、などというもっともらしい分析など論外だ。

長期的にはそれらの見方は正しい。なぜならプーチン大統領は不死身ではない。彼の横暴は彼の失脚か、最長の場合でも必ず来る彼の死によって終わる。

だがそれまでは、あるいは彼の最大の任期が終了する2036年までは、プーチン大統領は今のままの怖れを知らない、強い独裁者で居つづけると考えるべきだ。

ナワリヌイ氏は、彼を描いたアカデミー賞受賞のドキュメンタリ-映画「ナワリヌイ」の中で、「邪悪な者は、善良な人々を黙らせることで勝利する。だから沈黙してはならない。声を挙げよ。あきらめるな」と語った。

プーチン大統領は、彼が倒れるまでは圧倒的に強い。

自由と民主主義を信じる者はそのことをしっかりと認識して声を挙げつづけ、挑み、断固とした対処法を考えるべきだ。

対処法には言うまでもなく、西側諜報機関などによる彼の排除また暗殺さえも睨んだドラスティックな、究極のアクションも含まれる。





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トランプ再選より不穏なドイツAfDの躍進 

トランプ+AfD合成

米大統領選に向けた共和党の候補者選びで、トランプ候補が第1戦第2戦と連勝した。

共和党は11月の米大統領選へ向けて、どうやらトランプ候補を彼らのエースと決めたようだ。

それを受けて世界の魑魅魍魎たちがあちこちでが呟いている。

~~

先ずイスラエル・ネタニヤフ首相:

米大統領選までは何があっても戦争は止めない。トランプが勝てばこっちのものだ。俺と同じ穴のムジナのトランプにとってはパレスチナ人なんて虫けら以下だ。極端なイスラエル擁護者の彼は、大統領に返り咲けばわれらがユダヤの国を徹底的に支援するだろう。ああ、トランプの再選が待ち遠しい。

ロシア・プーチン大統領:

ウクライナへのエンパシーはかけらも持ち合わせない2期目のトランプ大統領は、アメリカの支出を削減するという理由だけでもウクライナに停戦を要求するだろう。ウクライナはアメリカの支援がなければ戦争を続けられない。奴らは失った領土とずたずたにされた誇りと愛国心を抱えたまま、絶望の底で停戦に応じることになる。俺の狙い通りだ。

北の将軍様:

トランプは頭の中身も体型も俺とそっくりだから大好きだ。早く俺に並ぶ独裁者の地位に戻れ。

中国・習近平主席:

バイデンもトランプも悪魔だ。だがEUや日本などともつるみたがるバイデンよりも、1人で騒ぎまくるトランプの方が御しやすい悪魔だ。

岸田首相:

死んでも私のアイドルである安倍氏に倣います。トランプ大統領閣下、どうかいつまでもあなたの金魚のフンでいさせてくださいませ。

ドイツAfD:

ホロコーストはすぐには起こさないつもりだ。今はユダヤ人より移民のほうがマジ臭い。次は総統様がおっしゃった黄色い猿の日本人や、規則を知らない未開人のイタ公は抜きで、プーチン、北のデブ、シューキンペーなどをたぶらかし巻き込んで、白人至上主義を宇宙にまで撒き散らす計画だ。

~~

第1次トランプ政権の最大の脅威はトランプ大統領自身だった。だが、アメリカも世界も4年間で彼への対処の仕方を学んだ。

トランプ大統領は相変わらず民主主義への挑戦ではあり続けるだろう。

しかしトランプ再選の最大の脅威は最早トランプ大統領ではなく、彼に親和的なドイツの極右AfDがさらに勢力を伸ばすことである。

AfDがかつてのナチスと同様にホロコーストを起こす危険があるという意味ではない。AfDの不寛容な怒りっぽい性格は危険だ。が、彼らとてナチズムの悪と失敗は知悉している。

ヒトラーとナチズムとホロコーストを経験したドイツは、そしてひいては世界は、それらの再現を許さない。なぜなら「欧州の良心」がそれを阻むからだ。

「欧州の良心」とは、欧州が自らの過去の傲慢や偽善や悪行を認め、凝視し、反省してより良き道へ進もうとする“まともな”人々の心のことだ。

その心は言論の自由に始まるあらゆる自由と民主主義を標榜し、人権を守り、法の下の平等を追求し、多様性や博愛を尊重する制度を生み出した。

「欧州の良心」はトランプ主義に異議を申し立て、プーチンロシアに対峙し、習近平中国の前にも立ちはだかる。

ヒトラーはヒトラーを知らず、ムッソリーニはムッソリーニを知らなかった。だが今この時の欧州の極右は、ヒトラーもムッソリーニも知っている。

そして彼らは、ヒトラーとムッソリーニを極限のさらに向こうの果てまでも否定する、欧州の民意も知悉している。

また彼らのうちの少しの知性ある者つまり指導者層も、ナチズムとファシズムの悪を知り尽くしている。だから彼らはヒトラーにもムッソリーニにもなり得ないだろう。

だが、人々の怒りをあおり、憎しみの火に油を注ぎ、不寛容の熾き火を焚きつけるのが得意な彼らの悪意は、易々と世の中を席巻することが多い。歴史がそれを証明している。

従って彼らは拡大する前に殲滅されたほうがいい。放っておくとかつてのヒトラーのNSDAP (国民社会主義ドイツ労働者党 )、つまりナチスのごとく一気に肥大し制御不能な暴力に発展しかねない。

とはいうものの、繰り返し強調しておきたい。欧州の今この時の極右勢力はヒトラーのナチズムやムッソリーニのファシズムと同じではない。

悪魔の危険を知り、悪魔ではないように慎重に行動しようとする悪魔が、現今の欧州の極右なのである。

それは2022年10月、イタリアで政権を握った極右政党「イタリアの同胞FDI)」の在り方を検証するだけでも明らかだ。

「イタリアの同胞」のジョルジャ・メローニ党首は、激しい反移民言論やEU懐疑思想を全面に押し出して総選挙を勝ち抜いた。

そして彼女は首相の座に就くと同時に選挙戦中の極右丸出しの主張を引っ込めて、より「穏健な極右」あるいは「急進的な右派」政治家へとシフトした。

それにはイタリア独特の政治風土が大きく関わっている。

各地方が精神的に自主独立している自治体が、寄り合って統一国家を成しているのがイタリア共和国だ。

多様性が何よりも優先されるイタリア共和国の政治は頻繁に乱れる。だがそれは外から眺めただけのイタリアの“見た目”に過ぎない。

イタリア政治には混乱はない。多様性が担保する殷賑と狂乱と興奮が織り成す、百花繚乱というイタリア的な秩序があるだけだ。

多様性は政治に四分五裂の勢力をもたらす。過激思想も生む。極論者も政治的過激論者も跋扈する。

それらの過激勢力は、互いに相手を取り込もうとしてさらに過激に走るのではなく、より穏健へと向かう。身近な実例が、1018年に発足した極左の五つ星運動と極右の同盟の連立政権だ。

政権を樹立した彼らは、選挙運動中の過激な主張どおりにEUを否定し独立独歩の道を行くということはなく、いわば“穏健な過激派政権”となった。

そして2022年に政権の座についた極右のメローニ首相も、選挙前の剽悍な言動を抑えて「穏健な過激派」へと変貌した。それが彼らの正体、というのがふさわしい。

ネオナチあるいはネオファシストとも呼ばれるAfDも、政権奪取あるいは連立政権入りを果たした暁には、メローニ首相が率いるイタリアの同胞(FDI)と同じ道を辿るだろう。

だがAfDは、世界的には政治的弱小国に過ぎないイタリアではなく、EUを主導する大国ドイツの極右だ。政権を握れば、イタリアの極右とは違う大きなインパクトを欧州に、そして世界に与える。

そして最も重大な懸念は、彼らが反EUあるいはEU懐疑主義思想を深めることで、EUがひいては欧州が弱体化することだ。

なぜなら世界がかく乱された第一次トランプ政権時代、ファシズム気質のトランプ主義に敢然と立ち向かったのは、EUを核に団結した強い欧州だけだった。

その欧州は同時に、中露の専制主義に立ち向かえる唯一の力であることも、またその時代に証明された。

要するに欧州の弱体化は、本質的に世界の弱体化と同じである。

世界の民主主義の盟主は、専制主義とほぼ同義語のトランプ主義でさえ政権奪取が可能な米国ではなく、“欧州の良心”を堅固な民主主義で死守しようとする、EUを核とする欧州そのものなのである。

第2次トランプ政権が後押しをしそうに見えるドイツAfDの勢力拡大は、欧州の力を確実に大きく削ぐ。それこそがトランプ再選の最大の痛手であり脅威である。





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“ザ極右“の隠し切れない尻

ピストル_pozzoloと

イタリアは年初からポッツォロ事件で揺れている。

国会議員のエマヌエレ・ポッツォロ(Emanuele Pozzolo)氏が、年忘れパーティーにあろうことか拳銃をポケットに忍ばせて出席し、それが“暴発”して一人が負傷した。

ポッツォロ氏は38歳。極右で与党の「イタリアの同胞」所属の代議士である

ポッツォロ議員は拳銃は自分が発砲したのではないと主張。事態が紛糾した。

代議士の主張はこうだ。

彼はポケットにピストルを忍ばせたオーバーコートを椅子の背もたれに掛けた。するとピストルがこぼれ落ちた。(あわてた)ポッツォロ氏がそれを拾い上げたとき、はずみで銃が暴発したという。

だがそこにいた人々の中にはポッツォロ議員が意図的に発砲した、と証言する者もいて、今も混乱が続いてる。

彼の所属党、イタリアの同胞党首でもあるメローニ首相はこの事件に激怒。彼を党から除籍すると息巻いた。結局党資格停止処分になった

メローニ首相はネオファシストと規定されることさえある右派政治家だが、昨年首相に就任してからは、極右的な激しい言動を控えてより中道寄りの物腰と政策を心がけている。

それは効を奏して、彼女はEU本部からも国内の野党からも、対話が可能な右派政治家として見なされ、それに沿って「普通に」仕事をこなしていると見える。

自由都市国家メンタリティーの集合体であるイタリア共和国には強い多様性が息づいている。そこでは政治勢力が四分五裂して存在極論者や過激派が生まれやすい。

ところがそれらの極論者や過激派は、多くの対抗勢力を取り込もうとして、より過激に走るのではなく、より穏健になる傾向が強い。

多様性が政治の過激化を抑制するのである。

2018年に船出した極右「同盟」と極左「五つ星運動」による連立政権は、政治的過激派が政権を握っても、彼らの日頃の主張がただちに国の行く末を決定付けることはない、ということを示した。多様性の効能である。

イタリアの同胞が主導する右派政権も、ここまでは同じ道を辿っている。

メロ-ニ首相は ポッツォロ事件では代議士を激しく非難。前述のように彼は党員資格を停止された。処分は今後の成り行きではさらに重くなると見られている。

メロ-ニ首相は―事件の真相が何であれ―ポケットに拳銃を忍ばせて大晦日の年越しパーティーに出席するという異様且つ「暴力的」な行動は、いかにも極右的と国民に受け止められることを知っていたに違いない。

彼女の市民感覚は極めて正常、と証明されたと言っても良いだろう。

年越しパーティー兼新年会にピストルを持ち込む国会議員とは一体なんだろう?ほとんどキ印と形容してもいいのではないか。

極右の問題はそういうところにある。やることが過激であり暴力的なのだ。それは左の極論者も同じだ。

過激派を放っておくとやがて拡大成長して社会に強い影響を及ぼす。あまつさえ人々を次々に取り込んでさらに膨張する。

膨張するのは、新規の同調者が増えると同時に、それまで潜行していた彼らの同類の者がカミングアウトしていくからである。

トランプ大統領が誕生したことによって、それまで秘匿されていたアメリカの反動右翼勢力が一気に姿を現したのが典型的な例だ。

彼らの思想行動が政治的奔流となった暁には、日独伊のかつての極右パワーがそうであったように急速に社会を押しつぶしていく。

そして奔流は世界の主流となってついには戦争へと突入さえする。そこに至るまでには、弾圧や暴力や破壊や混乱が跋扈するのはうまでもない。

したがって極右モメンタムは抑さえ込まれなければならない。激流となって制御不能になる前に、その芽が摘み取られるべきである。

ポッツォロ事件の怖さは、銃を発砲したしないの問題よりも、そもそも「年越し兼新年会パーティー」に拳銃を持ち込む感覚がすでに異様で暴力的、という点だと思う。

ネオファシストとさえ呼ばれたメーローニ首相は、政権奪取以来より穏健で中道寄りに傾く政策を採っている。

しかし彼女が率いる極右政党は、ポッツォロ代議士のようなトンデモ人間を包含して存在する、という現実を片時も忘れてはならない。




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安倍派ガサ入れの意義

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2023年12月19日朝、東京地検特捜部が安倍派と二階派の事務所に家宅捜索に入った。

大物議員の逮捕起訴には大きなハードルがあるとされる中、裏金工作事件で東京地検特捜部がおよそ19年ぶりに安倍派と二階派の事務所にガサ入れをした、というニュースは新鮮だった。

政治に抑圧されていた司法が、闇の力の消失あるいは弱体化によって一気に力を盛り返す事例は、民主主義が歪に発達した国で特によく起こることだ。

イタリアで2006年、43年間潜伏逃亡をし続けたマフィアの大ボス、ベルナルド・プロヴェンツァーノが逮捕された。

プロヴェンツァーノは逃亡中のほとんどの時間を、時には妻子までともなってシチリア島のパレルモで過ごしたことが明るみに出た。

するとマフィアのトップの凶悪犯が、人口70万人足らずのパレルモ市内で、妻子まで引き連れて40年以上も逃亡潜伏することが果たして可能か、という議論がわき起こった。

それは無理だと考える人々は、イタリアの総選挙で政権が交替したのを契機に何かが動いて、ボス逮捕のGOサインが出たと主張した。

もっと具体的に言うと、プロヴェンツァーノが逮捕される直前、当時絶大な人気を誇っていたイタリア政界のドン、シルヴィオ・ベルルスコーニ元首相が選挙に 負けて政権から引きずり下ろされた。

そのためにベルルスコーニ元首相はもはやマフィアを守り切れなくなり、プロヴェンツァーノ逮捕のGOサインが出た、というものである。

その説はベルルスコーニ元首相とマフィアが癒着していると決め付けるものだった。が、確たる証拠はない。

証拠どころか、それは彼の政敵らによる誹謗中傷の可能性さえあった。だが醜聞が多かった元首相には、マフィアがらみの黒い報告も少なくないのだ

東京地検特捜部が特に安倍派をターゲットに捜索を強め様子は、ベルルスコーニ元首相とマフィアのエピソードを想起させる。

安倍元首相というラスボスが死去したことを受けて、司法が反撃に出たようにも見えるのだ。

特捜部の動きは、ガサ入れのあと少し腰砕けになりつつある、という見方もあるようだが、ぜひ踏ん張って捜索を強行していってほしい。

なぜならひとりの議員が一国の司法を抑圧し闇の力を行使するなど断じてあってはならないことだからだ。

死者を鞭打つなという日本独特の美徳は、権力者に対しては示されるべきではない。

公の存在である政治家は、公の批判、つまり歴史の審判を受ける。受けなければならない。

安倍元首相の力が悪徳の隠ぺいに一役買っていたのなら、彼は死して後もなお、実行犯の議員らと同様に徹底糾弾されるべきである。




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たとえ裏金作りでも沽券は無いよりあったほうがいい 

族安倍悪

金は、天下ならぬ政治の回り物。

政治と金の問題は世界中のどの国にもある。どの国にもあるが、安倍派の裏金工作は中身がいかにも日本的なところが陰うつだ。

日本的とは、裏金作りでさえ集団で成されている事実だ。安倍派の閣僚がこぞって辞任したのを見るまでもなく、1人では何もできない者ら集まって悪事を働いていたことが分かる。

似たような事件がここイタリアを含む欧州あるいは南北アメリカなどで起きたなら、それは政治家個々人の裁量でなされる悪事になるに違いない。

悪事はひとりで働くほうが露見する可能性が低くなる。

同時にそれは、悪事とは言え、自主独立した一個の人格が自己責任において動く、という自我の確立した現代社会の一員としての当たり前の生き方だ。

自主性また自我の確立が優先される集団では、それぞれの個性、つまり多様性が、画一主義に陥り全体主義に走ろうとする力を抑える働きをする。集団の暴走に歯止めがかかる。

逆に自主性また自我よりも集団の論理が優先する社会では、何かが起きた場合は集団催眠状態に陥り全体が暴走する可能性が高くなる。

その典型例が国家全体で太平洋戦争に突き進んだ日本の在りし日の姿だ。

集団で裏金工作にまい進する安倍派また自民党の各派閥は、第2次大戦という巨大な悲劇を経てもなお変わらない日本の汚点そのものだ。見ているだけで胸クソが悪くなる。

たとえばここイタリアでは2018年に極右と極左が手を結んで連立政権が生まれたが、彼らが極端に突っ走ることはなかった。

また2022年には極右のメローニ政権が誕生したが、これまでのところはやはり過激論には走らず、より穏健な「右派政権」であり続けている。

それらはイタリア社会が、自主性と確固とした自我が担保する多様性に満ちた世界であるがゆえの、ポジティブな現象である。

安倍派裏金工作では、日本の諸悪の原因のひとつである独立自尊の風の欠落、という一面ばかりが見えてやりきれない。

しかもそれらのどんぐりの背比べ政治家群は、安倍元首相という隠れ独裁者の手先だったところがさらに見苦しい。

彼らは集団で安部元首相の配下になり、集団で裏金工作まで行うという恥ずかしい作業に夢中で取り組んだ節がある。

重ねて不快なのは、安倍派のひいては自民党の主勢力がトランプ主義者の集団である点だ。

そのことは2016年、安倍元首相が大統領選に勝った「就任前の」トランプ氏をたずねて諂笑を振りまいた事件で明らかになった。

ファシスト気質のトランプ前大統領は、一見するとソフトな印象に覆われた、だがその正体は彼と同じくファシスト気質の安倍元首相を、あたかも親友でもあるかのように見せかけて自在に操った。

ラスボス・トランプ前大統領に仕えたチビボス・安倍元首相の子分の議員らが、「こぞって」犯したのが今回の安倍派裏金工作事件ではないか







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Sunak英ココナッツ首相と仲間たちの危うさ

snak braverman650

ここ最近イギリスのスナク首相の動向が気になる。もっと具体的に言えば、スナク首相と彼の取り巻きの、特に有色人種の権力者らの動きだ。

スナク英首相は先日、英国を訪問中だったギリシャのミツォタキス首相との会談をドタキャンした。

ミツォタキス首相は、会談の直前に行われたBBCとのインタビューの中で、「大英博物館所蔵のエルギン・マーブル彫刻群”は、ギリシャのパルテノン神殿から盗み出されたものだ」と発言した。

スナク首相はミツォタキス首相に歴史的事実を指摘されて逆切れ。返還はイギリスの法律によって禁止されている、と主張し一方的にギリシャ首相との会談を取り消した。

盗人猛々しいとはこのことだろう。パルテノン神殿から彫刻群を盗み出すのはギリシャの法律で禁止されている。それを犯して持ち去ったイギリスの外交官をギリシャが指弾し盗品の返還を求めるのは当然だ。

ミツォタキス首相は、返還を求めるギリシャ政府の姿勢は今に始まったものではなく、かねてから表明された周知のものだ。また人は自分の見解が正しく公正だと確信していれば、反対意見を恐れたりはしない、としてスナク首相の態度を痛烈に批判した。

ミツォタキス首相の見解はまっとうなものだ。イギリスの歴代首相はギリシャの要求に対しては一貫して拒否してきたが、痛いところを突かれて逆上した者はいない。

むろん首相同士の会見を、視野狭窄そのものとしか見えない形でキャンセルするなどの傲岸な行動に出る者もいなかった。

スナク首相はハマスvsイスラエル戦争に関しても、強者のイスラエル擁護に狂奔している。弱者のパレス人への思いやりのひとかけられも感じられない一方的な動きは見苦しい。

もう一人腑に落ちない有色人種の権力者がいる。ハマスvsイスラエル戦争で、パレスチナを支持する人々を「暴徒」「ヘイト犯罪者」などと批判して、職を解かれたスエラ・ブレイバーマン内相である。

彼女はリズ・トラス内閣でも内務大臣を務めたが、強硬な反移民政策を推し進めて批判され職を辞した。

ブレイバーマン前内相はスナク首相と同じくインド・パキスタン系移民の子供だ。ところが自らの同胞を含む難民・移民には極めて厳しい態度で臨む。必要以上に冷酷、と形容してもいい。

英国社会には峻烈な人種差別がある。しかもそれはあるかなきかの密やかな様態で進行する。例えばアメリカのそれとは大きく違う。

アメリカは人種差別が世界で最も少ない国である。

これは皮肉や言葉の遊びではない。奇を衒(てら)おうとしているのでもない。これまで米英両国に住んで仕事をしその他の多くの国々も見聞した、僕自身の実体験から導き出した結論だ。

米国の人種差別が世界で一番ひどいように見えるのは、米国民が人種差別と激しく闘っているからだ。問題を隠さずに話し合い、悩み、解決しようと努力をしているからだ。

断固として差別に立ち向かう彼らの姿は、日々ニュースになって世界中を駆け巡り非常に目立つ。そのためにあたかも米国が人種差別の巣窟のように見える。

だがそうではない。自由と平等と機会の均等を求めて人種差別と闘い、ひたすら前進しようと努力しているのがアメリカという国だ。

長い苦しい闘争の末に勝ち取った、米国の進歩と希望の象徴が、黒人のバラック・オバマ大統領の誕生だったことは言うまでもない。

物事を隠さず直截に扱う傾向が強いアメリカ社会に比べると、英国社会は少し陰険だ。人種差別は、先述したようにさり気なく目立たない仕方で進行する。

人々は遠回しに物を言い、扱う。言葉を替えれば大人のずるさに満ちている。人種差別でさえしばしば婉曲になされる。そのため差別の実態が米国ほどには見えやすくない。

差別があからさまには見えにくい分、それの解消へ向けての動きは鈍る。だが人種差別そのものの強さは米国に勝るとも劣らない。

人種差別の重篤な英国社会でのし上がった有色人種のスナク首相やブレイバーマン前内相は、もしかすると彼らを差別した白人に媚びて同胞に厳しく当たっているのではないか、と見えたりもする。

媚びるのは2重の心理的屈折があるからだ。一つは有色人種の難民・移民は「私も嫌いだ」と白人に示して仲間意識を煽ろうとする心理。もう一つは同じルーツを持つ人々を拒絶して、(自らが参入することができている)白人支配層の権益守りたい、という願いからの動きである。

後者には実利もある。白人の権益を守れば自分のそれも庇護され上騰するからだ。

保守党の有色人種の権力者である彼らは、元々のイギリス人、つまり白人よりもより強い白人至上主義似の思想を秘匿していて白人の保守主義者よりもさらに右よりの政治心情に傾くよう

昨年10月、リシ・スナク氏が英国初の非白人の首相として颯爽と就任演説を行う様子を、僕は同じアジア人として誇らしく見つめた。

政治的には相容れないものの、彼が白人支配の欧州で少数派の有色人種にも優しい眼差しを注ぐことを期待した。

だがその期待は裏切られた。彼の政治手法は僕が密かに懸念していたように、いわば“褐色のボリス・ジョンソン”とも呼ぶべき彼の前任者に似た白人至上主義系の仕様に親和的なものだった。

彼はまた、自らと同じ人種系列のスエラ・ブレイバーマン氏を内務大臣に招聘した。ブレイバーマン氏は“赤銅色のドナルド・トランプ”とでも呼びたくなるほど、弱者への差別的な言動が多い人物だ。

アジア人且つ黄色人種でありながら、意識してまた無意識のうちにも自らを白人と同じに見なす日本人は、表が黄色く中身が白い「バナナ」である。

そうした人々は、往々にしてネトウヨヘイト系排外差別主義者だが、それは権力者も一般人も同じだ。イギリスのネトウヨヘイト系の差別排外主義者の大物が、つまりスナク首相やブレイバーマン前内相、と考えれば分かりやすいかもしれない。

「バナナ」と同じ心理状況にあるらしいスナク首相やブレイバーマン氏は、さしずめ表が褐色で中身が白い「ココナッツ」でもあるか。

スナク首相やブレーマン前内相は、厳しい人種差別の眼差しを撥ね返してイギリス社会で出世した。あるいは自らのルーツを嫌い同胞を見下し彼らにつらく当たる手法で出世の階段を昇った。

出世した彼らは同国のエリートや富裕層がひしめく保守党内でものし上がった。階段を上るに連れて、彼らは白人の保守主義者よりもより白人的な、いわば白人至上主義者的な保守主義者になって行った。

そこには有色人種としての劣等感と自らを劣等ならしめている物を厭う心根があった。彼らが白人の保守主義者よりも移民や難民またパレスチナ人などの弱者に冷たいのは、先に触れたように屈折した心理ゆえと考えられる。

アメリカの保守主義勢力、共和党内にも有力な有色人種の政治家はいる。例えばコリン・パウエル元国務長官、コンドリーザ・ライス元国務長官などだ。またロイド・オースチン現国防相も黒人だ。

アメリカの有色人種の権力者たちは、イギリスの同種の人々とは違って誰もが穏やかだ。あるいは常識的だ。それはアメリカ社会が、紆余曲折を繰り返しながらも、人種差別を確実に克服して行く明るい空気の中にあるせいかもしれない。

片やイギリスの有色人種の政治家の猛々しい言動が、攻撃的な中にも絶えず悲哀と憐憫のベールをまとっているように見えるのは、恐らくアメリカとはまた違う厳しい社会状況が生み出す必然、と感じるのは僕だけだろうか。






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人の上に人を作る英国の徒空


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イギリスの天は人の上に人を作り、結果、人の下に人を作る。

同国のスナク政権は政治闘争に敗れて政界を去ったデヴィド・キャメロン元首相を、選挙の洗礼を経ずに貴族に仕立て上げて貴族院(上院)議員とし、さらに外務大臣にしつらえた。

世界一の民主主義国家とも評されるイギリスの、非民主主義的な一面を目にするたびに僕の彼の国への尊敬は磨り減っていく。特にBrexitを機にその傾向は深まるばかりだ。

キャメロン新外相は自身が首相だった2016年、国民投票でイギリスの欧州連合離脱=Brexitが決まった責任を取って首相を辞任し、やがて下院議員も辞めて政界から引退した。

ところが今回、Brexit推進派で彼の政敵だったスナク首相の要請を受け入れて、恥ずかしげもなく外相職を引き受けた。

日和見主義は政治家のいわば天質だから、キャメロン氏を軽侮しつつも敢えて太っ腹などと評価することもできないではない。

だが、人の上に人を作り人の下に人を作るイギリス社会の未開振りにはげんなりする。換言すれば王を戴く同国の身分制社会は胡散臭い。見ていて胸が悪くなる。

民主主義大国と謳われながら非民主主義的な傷ましい本質にも縛られている怪物国は、連合王国としての構造破壊がなされない限り決して変容しない。

僕は英連合王国の解体を見てみたい。英国解体は荒唐無稽な話ではない。

英国はBrexitによって見た目よりもはるかに深刻な変容に見舞われていると思う。

その最たるものは連合王国としての結束の乱れだ。

イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランド から成る連合王国は、Brexitによって連合の堅実性が怪しくなった。

スコットランドと北アイルランドに確執の火種がくすぶっている。

スコットランドはかねてから独立志向が強い。そこにBrexitが見舞った。住民の多くがBrexitに反発した。今も反発している。

スコットランドは今後も独立とEUへの独自参加を模索し続けるだろう。北アイルランドも同じだ。

僕は若いころ首都ロンドンに足掛け5年間暮らした。僕の英国への尊敬と親愛と思慕の念はその5年の間にかつてないほど高まった。

英国を去り、日本、アメリカ、そしてここイタリアと移り住む間も僕の英国への思いは変わらなかった。三嘆のはむしろ深まった。

Brexitを機に僕の思念は揺れ動いた。それはアメリカへの思慕がトランプ前大統領の誕生を機に一気にしぼんだことと軌を一にしていた。

英国は僕が信じていた民主主義大国ではなく、生まれながらにして人の上に立つ王を崇める原始人国民が多く住む悲惨な国だと分かった。Brexit はそのことと無関係ではない出来事だった。

キャメロン元首相が、ふいに貴族となって貴族院議員になり外相になるという事態も、国王を上に戴き人を生まれながらに身分で選り分ける鬱陶しい体質故の奇態と理解できる。



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老共産主義者の一徹 

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イタリアのジョルジョ・ナポリターノ前大統領が922日、入院先のローマの病院で死去した 。98歳だった。

前大統領は南部ナポリ生まれ。第2次大戦中にレジスタンス運動に加わり20歳で共産党入りした。

若いころは国王に似た容姿や物腰から赤いプリンスと呼ばれ、徐々に筋金入りの共産主義者へと変貌していった。

赤いプリンスは下院議長、閣僚、欧州議会議員などを経て2006年、共産党出身者として初めての大統領に就任。

同大統領は1期目7年の任期が終わろうとしていた2013年、強く請われて2期目の大統領選に出馬した。

イタリアは当時、財政危機に端を発した政治混迷が続き、総選挙を経ても政権樹立が成らない異常事態に陥っていた。

そこに新大統領決定選挙が実施されたが、政治混乱がたたって事態が紛糾し、次期大統領が中々決まらなかった。

事実上政府も無く、大統領も存在しないのではイタリア共和国は崩壊してしまいかねない。

強い危機感を抱いた議会は、高齢のため強く引退の意志表示をしていたナポリターノ大統領に泣きつき立候補を要請した。

大統領は固辞し続けたが、最後は負けて「仕方がない。私には国に対する責任がある」と発言して立候補。圧倒的な支持を受けて当選した。

87歳という高齢での当選、また2期連続の大統領就任も史上初めてのことだった。

だが何よりも国民は、立候補に際して大統領がつぶやいた「私には国に対する責任がある」という言葉に改めて彼の誠実な人柄を認め、同時に愛国心を刺激されて感銘した

イタリア人ではない僕は、ナポーリターノ大統領が不屈の闘志一念の共産主義者である事実にも瞠目しつづけた。

政治体制としての共産主義には僕は懐疑を通り越して完全に否定的だが、その思想のうちの弱者に寄り添う形と平等の哲学には共感する。

そしてその思想はもしかすると、私利私欲に無縁だった老大統領の、ぶれない美質の形成にも資したのではないか、と考えて強い感慨を覚えたりするのである。

欧州最大の規模を誇ったイタリア共産党が崩壊して大分時間経つ。

ナポリターノ前大統領の死去によって、かすかに命脈を保っていた旧共産党の残滓が完全に払拭された、と感じるのは僕だけだろうか。




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一帯一路という迷路から抜け出しそうなイタリア

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イタリアはようやく中国とのズブズブの関係を切り捨てると決めたらしい。

インドでのG20サミットに出席したイタリアのジョルジャ・メローニ首相は、中国の李強首相と会談した際に、「一帯一路」構想あるいは投資計画から離脱すると伝えたとされる。

2019年、イタリアはEUの反対を無視して、G7国では初めて中国との間に「一帯一路」投資計画を支持する覚書を交わした。

当時のイタリア首相は、ジュゼッペ・コンテ「五つ星運動」党首。同じく「五つ星運動」所属で中国べったりのルイジ・ディマイオ副首相と組んでのごり押し施策だった。

イタリア政府は世界のあらゆる国々と同様に、中国の経済力を無視できずにしばしば彼の国に擦り寄る態度を見せる。

極左ポピュリストで、当時議会第1党だった「五つ星運動」が、親中国である影響も大きかった。

またイタリアが長い間、欧州最大の共産党を抱えてきた歴史の影響も無視できない。

共産党よりもさらに奥深い歴史、つまりローマ帝国を有したことがあるイタリア人に特有の心理的なしがらみもある。

つまりイタリア人が、古代ローマ帝国以来培ってきた自らの長い歴史文明に鑑みて、中国の持つさらに古い伝統文明に畏敬の念を抱いている事実だ。

その歴史への思いは、今このときの中国共産党のあり方と、膨大な数の中国移民や中国人観光客への違和感などの、負のイメージによってかき消されることも多い。

しかし、イタリア人の中にある古代への強い敬慕が、中国の古代文明への共感につながって、それが現代の中国人へのかすかな、だが決して消えることのない好感へとつながっている面もある。

それでもイタリアは、名実ともにEUと歩調を合わせて中国と距離を取るべきだ。ロシア、北朝鮮などと徒党を組みウクライナの窮状からも目を背ける、反民主主義の独裁国家と強調するのは得策ではない。

実のところイタリアは、「一帯一路」構想から離脱するかどうかまだ正式には決めていない。離脱すると断定的に伝えたのは米国の一部メディアのみだ。 

イタリアが今年末までに離脱すると明言しない限り、協定は2024年3月に自動更新される。

メローニ首相は、債務に苦しむイタリアが数兆ドル規模の「一帯一路」投資計画に参加することの「メリットを熟知している。

同時にその政治的なデメリットについても。

メローニ首相は、一帯一路からの撤退を選挙公約にして先の総選挙を戦い、イタリアのトップに昇りつめた。従って彼女の政権が覚書を破棄するのは驚きではない。

メローニ首相は、中国を慕う極左の五つ星運動とは対極にある政治姿勢の持ち主だ。だが中国との経済的結びつきをただちに断ち切ることはできないため、今この時は慎重に動いている。

離脱した場合は中国の報復もあり得ると強く警戒しているフシもある。

そうではあるが、しかし、「一帯一路」覚書からのイタリアの離脱は避けられないだろう。それは歓迎するべきことだ。





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プーチンは❛歩く死体❜を❛ただの死体❜に変えて自身の死期をケムに巻いた

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ロシア非常事態省は8月23日、民間軍事会社ワグネルの創始者プリゴジン氏の自家用機が、モスクワの北西約300キロ地点で墜落し、乗員3人と乗客7人の計10人全員が死亡したと発表した。

プリジコジン氏は6月、プーチン大統領への反乱を起こした。それは失敗し彼は許されたように見えた。だが反乱後はプリジコジン氏が歩く死体であることは明らかだった。

そうではあるものの、彼がベラルーシ、アフリカ、ロシア間を自在に行き来しているらしい様子は、あるいはプーチン大統領の支配力が低下した証かも知れない、などの憶測ももたらした。

プーチン大統領はプリコジン氏を密かに消すのか、見せしめを兼ねて派手に殺るのかと僕は興味津に見ていたが、非情であり異様なスパイであるプーチン大統領は後者の方法を選んだ。

プーチン大統領の非情さは分かり切ったことだが、隠微を好む傾向があるスパイでありながら、プリコジン氏が乗ったジェットを爆破(撃墜という報も)し、ビデオ撮影させて世界中に発信した手法はラスボスらしい大胆さ。不気味でさえある。

また異様にも見えるのは、プーチン大統領が事件から24時間も経たないうちにテレビ演説で、「事故の犠牲者と家族に哀悼の意を表する」とヌケヌケと述べたことだ。ロシア国内での彼の力は弱まってなどいないことを如実に示すエピソードだった。

プーチン大統領は、今回のプリコジン氏を含め少なく見積もっても30人ほどの政敵や批判者を殺害した疑いがある。100人を超える、という主張さえある。だが、証拠は一切ない。心証はしかし、100%クロである。

プリコジン氏の乗った飛行機が、ロシア上空で爆破されてまっ逆さまに墜落したのと時を同じくして、アメリカではトランプ前大統領がジョージア州フルトン郡の拘置所に出頭し、逮捕された。

彼は続いて指紋を採取され、顔写真を撮られ、身長・体重などを記録された。その後、およそ20万ドル(約2900万円)の保証金を支払って釈放された。

前大統領の拘置所での登録番号は「P01135809」。いかにも凶状持ちという表号で彼にふさわしい。

トランプ前大統領が起訴されて出頭し、逮捕と保釈の一連の手続きを取ったのは、今年だけでなんと4回目だ。

こんな男が再び本当にアメリカ大統領になるのだろうか?彼が暗殺に手を染めていないのは、民主主義国家のトップという立場がもたらした僥倖に過ぎない。

トランプ前大統領が、彼の地金であるファシストの本領を発揮できる国家の指導者であったならば、彼はプーチン大統領に負けずとも劣らない独裁者となり、暗殺指示も朝飯前の暴君となることだろう。

プーチン大統領は、世界の多くの人々が願った権力喪失の罠にはどうやらはまっていないようだ。結果、圧制者としての彼の死期も見えない。

トランプ氏が来年大統領に返り咲けば、シューキンペー国家主席も加わって、世界はまたもや反民主主義勢力が跋扈する、暗殺陰謀フェイクニュース満載なんでもありの、タノシー世界になりそうである。



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陸自ヘリ墜落の恐怖連想ゲーム

小山上飛ぶヘリ縦650

ことしは6月までに2度帰国し計ほぼ2ヶ月余り滞在した。その間に沖縄の宮古島沖で自衛隊ヘリが墜落する大事故があった。

合計10名の隊員が亡くなった事故は既に重大事件だが、そこに師団長や駐屯地司令官などの幹部が含まれたことで事態はさらに深刻化した。

ところで

事故に対する防衛省、また自衛隊の情報公開はどうなっているのだろう?

フライトレコーダーも回収され、自衛隊内部にはかなりの情報が蓄積されていると考えられる。それなのに情報開示が少ない、遅い。

あるいは何かを隠したがっているのではないか、と感じるのは僕だけだろうか。

旧日本軍に限らずどの国の軍隊も隠蔽体質を持つ。それは専制、暴力、欺瞞、権謀術策、裏切りなどの悪行と表裏一体である。

2つの世界大戦と民主主義が多くの国の軍隊の悪の体質にメスを入れて、少しは情報開示と文民統制の意識が進んだ。

第2次大戦で専制主義による悪事を働いたナチスドイツ、ファシズムイタリア、軍国主義日本のうちのドイツとイタリアは、大戦を徹底総括して軍隊の制御法を学んだ。

それは文民統制と情報公開と民主主義による暴力装置の抑制のことだ。軍自体もそれに沿って進化した。

日本は第2次大戦の徹底総括を怠った。そのために旧日本軍の欺瞞、横暴、隠蔽体質などが密かに自衛隊に受け継がれた可能性がある。

自衛隊が非常事態に際して文民統制を無視し暴走する危険性は常に高い。防衛省また自衛隊が、ヘリの墜落に関する情報公開を徹底できなければ、そのことが露見、確認されることになる。

ここでは国民とマスコミの意識の度合い或いは民度が試されている。

日本国民は依然として、右翼の街宣車が暴力的言辞をがなり立てて公道を行進しても罪にならない、野蛮な社会に生きている。

自衛隊がドイツ、イタリアの軍隊並みに正確に制御され民主化されて、右翼の街宣車が違法として取締りの対象になる時にこそ、日本の戦後が真に終わる。

宮古島沖の陸自ヘリ墜落事故の周囲には ― 情報開示が十分になされないと仮定して ― 軍隊と日本社会の行く末を占う要素が多く秘匿されているようにも見える。








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オランダ・ルッテ首相の真意はどこ?

ルッテ知性的横顔650

これはあくまでも心証である。少しの楽観論も入っている。

先日、オランダのマルク・ルッテ首相が政界から引退すると表明したことに少し感服する思いでいる。

中道右派の自由民主国民党(VVD)を率いるルッテ首相はまだ56歳。

脂ぎった性格の者が多くいつまでも権力に固執する傾向が強い政治家らしからぬ潔さ、と感じるのだ。

ルッテ氏は2010年10月に首相に就任した。以来およそ13年に渡った在任期間はオランダ史上で最も長い。

オランダはほぼ全ての欧州の国々と同様に難民・移民問題で大きく揺れている。

同国は人口約1700万人の小国だが、歴史的に移民を受け入れて成長した多民族国家であり千姿万態が美質の国だ。

国土が狭く貧しいため、歴史的に世界中の国々との貿易によって生存を確保しなければならなかった。

宗教の多様性に加えて、貿易立国という実利目的からも、オランダは常に寛容と自由と開明の精神を追求する必要があった

オランダは国の経済状況に応じて世界中から移民を受け入れ発展を続けた。

だが近年はアフリカや中東から押し寄せる難民・移民の多さに恐れをなして、受け入れを制限する方向に動くことも少なくない。

保守自由主義者のルッテ首相は、流入する難民の数を抑える政策を発表。だが連立政権を組む中道左派の「民主66」と「キリスト教連合」の造反で政権が崩壊した。

ルッテ首相はこれを受けて、総選挙後に新内閣が発足した暁には政界を去る、と明言したのである。

僕は日本とイタリアという、よく似た古い体質の政治土壌を持つ国を知る者として、彼の動きに感銘を受けた。

イタリアにも日本にも老害政治家や蒙昧な反知性主義者が多い。加えて日本では世襲政治家も跋扈する。

日伊両国の感覚では、政治家としてはまだ若いルッテ首相が、あっさりと政界に別れを告げた潔さに、僕は知性の輝きのようなものを見るのだ。日伊の政治家とはずいぶん違うと感じる。

ルッテ首相が示したエリートまた教養主義的な面影は、得てして左派政治家に見られるものだが、この場合は保守主義者のルッテ氏であるのがさらに面白い。

大国ではないが政治的腕力の強いオランダを長く率いる間には、ルッテ首相は財政面でイタリアに厳しい姿勢で臨むなど、強持ての一面も見せた。が、印象は常に潔癖な知性派であり続けた。

そんなたたずまいも彼の政界引退宣言と矛盾しないのである。

そうはいうものの、しかし、ルッテ氏も権謀術数に長けた政治家だ。前言を翻して今後も政界に留まらないとも限らない。そこは少し気をつけて見ていようと思う。




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イタリア初の女性首相の精悍

三色旗真ん中メロン650

イタリアではベルルスコーニ元首相が6月12日に死去した直後から、彼も参与していたメローニ政権の先行きを危ぶむ声が多く聞かれた。

86歳だったベルルスコーニ元首相はキングメーカーを自認し、周りからは政権の肝煎りとしての役割も期待された。

メローニ政権は首相自身が党首を務める「イタリアの同胞」と故ベルルスコーニ氏が党首だった「フォルツァ・イタリア」、またサルビーニ副首相兼インフラ相が党首の「同盟」の3党連立政権だ。

連立を組む3党はいずれも保守政党。イタリアでは中道右派と規定される。だがその中で中道の呼び方に見合うのは、元首相の「フォルツァ・イタリア」のみである。

メローニ首相率いる議会第1党の「イタリアの同胞」は、ファシスト党の流れを汲む極右政党。政権第2党の「同盟も極右と呼ばれることが多い超保守勢力だ。

「フォルツァ・イタリア」も極右2党に迫るほどの保守派だが、ベルルスコーニ元首相を筆頭に親EU(欧州連合)で結束しているところが2党とは違う。

メローニ首相はベルルスコーニ政権で閣僚を務めたこともある親ベルルスコーニ派。「同盟」のサルビーニ党首も、過去に4期、計9年余も首相を務めたベルルスコーニ氏に一目置いている、という関係だった。

ベルルスコーニ元首相が政権の調整役、という役割を負っても不思議ではなかったのである。

政権の副首相兼インフラ大臣でもあるサルビーニ「同盟」党首は、野心家で何かと独善的に動く傾向があり、過去の政権内でも問題を起こすことが多かった。

そのためベルルスコーニ元首相の死去を受けて、サルビーニ副首相兼インフラ相が俄かに勢いづいて動乱の狼煙をあげるのではないか、と危惧された。

それは杞憂ではなかった。サルビーニ氏は先日、来たる欧州議会選挙ではフランス極右の国民連合と、ドイツ極右の「ドイツのための選択肢」とも共闘するべき、と主張し始めたのだ。

するとすぐに「フォルツァ・イタリア」の実質党首で外相のタイヤーニ氏が、極右の2党とは手を結ぶべきではない、と反論。連立政権内での軋みが表面化した。

「フォルツァ・イタリア」はベルルスコーニ党首の死後、ナンバー2のタイヤーニ外相(兼副首相)が党を率いているが、彼にはベルルスコーニ元首相ほどのカリスマや求心力はない。

それでも政権内ではタイヤーニ外相の存在は軽くない。彼とサルビーニ氏の対立は、一歩間違えば政権崩壊への道筋にもなりかねない重いものだ。

メローニ首相は、前述の欧州最強の極右勢力との共闘については今のところ沈黙している。

彼女は選挙前、サルビーニ氏以上の激しさで極右的な主張を展開した。だが総選挙を制して首班になってからは、激烈な言動を控えて聡叡になった。

ある意味で一国のトップにふさわしい言動を続けて、風格さえ漂わせるようになったのだ。

メローニ首相にはもはやベルルコーニ元首相のような仲介役は政権内に要らないのかもしれない。独自にサルビーニ氏をあしらう法を編み出したのではないか、と見えるほど落ち着いている。

彼女がこの先、サルビーニ“仁義なき戦い”大臣をうまく制御できるようになれば、連立政権は長続きするだろう。

だがその逆であるならば、イタリア初の女性首相の栄光は終わって、早晩イタリア共和国の「いつもの」政治不安の季節が訪れるに違いない。





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プーチンの終わりが始まった

ビニールの中の2人の顔650

ならず者のプリゴジンが、ならず者のプーチンを倒して世界を救うかも、と淡い期待を抱かせたもののあえなく沈没した。

ロシアの民間傭兵組織・ワグネルの反乱は24時間足らずで鎮圧された。毒を持って毒を制すなんてそう簡単にはいかないものだ。

プりゴジンは「7月1日にワグネルがロシア政府によって強制的に解体され消滅するのを防ぐために反乱を起こした。プーチン政権を転覆させるのが目的ではなかった」と言い訳した。

だが当たり前に考えれば、ワグネルのプリゴジンはもう死体になったも同然だと見るべきだろう。

プーチンに武力で対抗しようとして事実上敗れ、プーチンの犬のルカシェンコの庇護の下に入ったのである。プーチンは思い通りに、いくらでも彼をなぶることができるのではないか。

殺すにも幾通りかのやり方がありそうだ。

先ず密かに殺す。スパイのプーチン得意のお遊びだ。殺しておいて知らんぷりをし、殺害現場を見られても証拠を突きつけられても、鉄面皮に関係ないとシラを切り通す

おおっぴらに処刑する。今回の場合などは裏切り者を消しただけ、と大威張りで主張することも可能だ。意外と気楽にやり切るかもしれない。

殺害する場合はどんな手段にしろ、邪魔者を排除するという直接の利益のほかに、プーチン大統領に敵対する者たちへの見せしめ効果もある。

飼い殺しにするやり方もあるだろう。飼っておいていざという時には再び戦闘の最前線に送る、汚い仕事を強制的にやらせる、などの道がある。

殺すとプリゴジンが殉教者に祭り上げられてプーチンに具合が悪い事態になるかもしれない。だが長期的にはほとんど何も問題はないだろう。

逆に殺さなければプーチンの権威がますます削がれて危険を招く可能性が高まる。プーチンはやはりプリゴジンを殺すと見るべきだろう。

だがその前に、プリゴジンと親しくワグネルの反乱計画を事前に知っていた、とされるロシア軍のスロビキン副司令官が逮捕されたと各メディアが伝えている。

プーチンは「ロシアに背中から斬りつけた“裏切り者”」として、先ずスロビキン副司令官を粛清すると決めたらしい。

最大の裏切り者であるプリゴジンではなく、スロビキン副司令官を先に断罪するのは、プーチンがプリゴジンに弱みを握られていることの証だろう。

弱みとは、彼を排除することで、ワグネルの隊員や同調者らの反感を買うことや、先に触れたようにプリゴジンが神格化される可能性などを含む。

それでも彼は、スロビキンを排除したあとにはプリゴジンにも手を伸ばして殺害しようとするのではないか。

このまま何もしないでプリゴジンがベラルーシで生存し続けることを許せば、プーチンの権威はさらに地に落ちる。

そうなれば、遅かれ早かれプーチン自身も失墜し排除されるのは確実だ。

つまり、何がどう転ぼうと、プーチンの終わりは既に始まっている。




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ベルルスコーニの置き土産

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2023年6月12日、人生と政治生命の黄昏に立たされても鈍い光沢を放ち不死身にさえ見えたベルルスコーニ元イタリア首相が死去した。

脱税、少女買春、利害衝突とそれを否定する法改悪、数々の人種・女性・宗教差別発言、外交失言、下卑たジョークの連発、などなど、彼は彼を支持する無知な大衆が喜ぶ言動と、逆に彼を嫌悪する左派インテリがいよいよ激昂する、物言いや行動を無意識にまた多くの場合はわざと繰り返した。

そのために彼の周りでは騒ぎが大きくなり、ポピュリストしての彼の面目が躍動するというふうになった。

ベルルスコーニ元首相は道化師のように振舞ったが、常にカリスマ性を伴っていた。彼は一代で富を築いた自分を国民の保護者として喧伝し、国家の縛りに対抗して誰もが自分のように豊かになれる、と言い続けた。

彼はまたポリティカルコレクトネス(政治的正義主義)とエリートと徴税官と共産主義を嫌う大衆の心を知り尽くしていて、自分こそそれらの悪から国民を守る男だ、と彼の支配するメディアを通して繰り返し主張した。

それからほぼ30年後にはアメリカに彼とそっくりの男が現れた。それがドナルド・トランプ第45代米大統領だ。

彼と前後して出たブラジルのボルソナロ前大統領、トルコのエルドアン大統領、ハンガリーのオルバン首相、果てはBrexitを推進した英国右翼勢力までもがベルルスコーニ元首相のポピュリズムを後追いした。

美徳は模倣されにくいが、不徳はすぐに模倣される現実世界のあり方そのままだ。悪貨は良貨を駆逐するのである。

ちなみにそれらのポピュリストとは毛並みが違うものの、ベルルスコーニ元首相の負の遺産と親和的という意味で、安倍元首相やプーチン大統領などもベルルスコーニ氏のポピュリズムの影響下で蠢く存在だ。

世界のポピュリストに影響を与えたベルルスコーニ元首相は同時に、それらの政治家とはまったく異なる顔も持つ。それが彼の徹頭徹尾の明朗である

トランプ前大統領との比較で見てみる。

ベルルスコーニ元首相は、トランプ前大統領のように剥き出しで、露骨で無残な人種偏見や、宗教差別やイスラムフォビア(嫌悪)や移民排斥、また女性やマイノリティー蔑視の思想を執拗に開陳したりすることはなかった。或いはひたすら人々の憎悪を煽り不寛容を助長する声高なヘイト言論も決してやらなかった。

言うまでもなく彼には、オバマ大統領を日焼けしている、と評した愚劣で鈍感で粗悪なジョークや、数々の失言や放言も多い。前述のようにたくさんの差別発言もしている。また元首相は日本を含む世界の国々で-欧州の国々では特に-強く批判され嫌悪される存在でもあった。

僕はそのことをよく承知している。それでいながら僕は、彼がトランプ米前大統領に比べると良心的であり、知的(!)でさえあり、背中に歴史の重みが張り付いているのが見える存在、つまり「トランプ主義のあまりの露骨を潔しとはしない欧州人」の一人、であったことを微塵も疑わない。

言葉をさらに押し進めて表現を探れば、ベルルスコーニ元首相にはいわば欧州の“慎み”とも呼ぶべき抑制的な行動原理が備わっていた、と僕には見える。再び言うが彼のバカげたジョークは、人種差別や宗教偏見や女性蔑視やデリカシーの欠落などの負の要素に満ち満ちている。

だが、そこには本物の憎しみはなく、いわば子供っぽい無知や無神経に基づく放言、といった類の他愛のないものであるように僕は感じる。誤解を恐れずに敢えて言い替えれば、それらは実に「イタリア人的」な放言や失言なのだ。

あるいはイタリア人的な「悪ノリし過ぎ」から来る発言といっても良い。元首相は基本的にはコミュニケーション能力に優れた楽しい面白い人だった。彼は自分のその能力を知っていて、時々調子に乗ってトンデモ発言や問題発言に走る。しかしそれらは深刻な根を持たない、いわば子供メンタリティーからほとばしる軽はずみな言葉の数々だ。

いつまでたってもマンマ(おっかさん)に見守られ、抱かれていたいイタリア野郎,つまり「コドモ大人」の一人である「シルビオ(元首相の名前)ちゃん」ならではの、おバカ発言だったのだ。

トランプ氏にはベルルスコーニ元首相にあるそうした無邪気や抑制がまるで無く、憎しみや差別や不寛容が直截に、容赦なく、剥き出しのまま体から飛び出して対象を攻撃する、というふうに見える。

トランプ前大統領の咆哮と扇動に似たアクションを見せた歴史上の人物は、ヒトラーと彼に類する独裁者や専制君主や圧制者などの、人道に対する大罪を犯した指導者とその取り巻きの連中だけである。トランプ前大統領の怖さと危険と醜悪はまさにそこにある。

最後にベルルスコーニ元首相は、大国とはいえ世界への影響力が小さいイタリア共和国のトップに過ぎなかった。だが、トランプ前大統領は世界最強国のリーダーである。拠って立つ位置や意味が全く異なる。世界への影響力も、イタリア首相のそれとは比べるのが空しいほどに計り知れない。

その観点からは、繰り返しになるが、トランプ前大統領のほうがずっと危険な要素を持っていた。

ベルルスコーニ元首相が亡くなって世界からひとつの危険と茶目が消えた。だが彼が発明して世界に拡散した危険は、トランプ氏が再び米大統領に返り咲く可能性を筆頭に、ポピュリズムの奔流となってそこら中に満ち溢れている。




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ベルルスコーニの功と影と罪と罰

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醜聞まみれの大衆迎合政治芸人、ベルルスコーニ元イタリア首相が死去した。6月12日のことである。

元首相は土建屋から身を起してテレビ、広告界に進出。イタリアの公共放送RAIに対抗するほど大きな3局の民放を武器に、ほぼあらゆる業界で事業を展開して席巻。押しも押されぬ金満家になった。

そして1994年、ビジネスで得た財力を背景に政界に進出した。進出するや否や自らの党・フォルツァイタリア(Forza Italia)が総選挙で第1党に躍進。党首の彼は首相になった。

その後、浮き沈みを繰り返しながら4期ほぼ9年に渡って首相を務めた。

彼の政治キャリアについては、訃報記事用にあらかじめ用意されていたものを含め多くの報道がある。

そこで僕は彼の履歴説明はここで止めて、日本人を含む多くの世界世論がもっとも不思議に思う点について述べておきたい。

つまりイタリア国民はなぜデタラメな行跡に満ちた元首相を許し、支持し続けたのか、という疑問である。その答えの多くは、世界中のメディアが言及しないひとつの真実にある。

つまり彼、シルヴィオ・ベルルスコーニ元首相は、稀代の「人たらし」だったのである。日本で言うなら豊臣秀吉、田中角栄の系譜に連なる人心掌握術に長けた政治家、それがベルルスコーニ元首相だった。

こぼれるような笑顔、ユーモアを交えた軽快な語り口、説得力あふれるシンプルな論理、誠実(!)そのものにさえ見える丁寧な物腰、多様性重視の基本理念、徹頭徹尾の明るさと人なつっこさ、などなど・・・元首相は決して人をそらさない話術を駆使して会う者をひきつけ、たちまち彼のファンにしてしまった。

彼のそうした対話法は意識して繰り出されるのではなく、自然に身内から表出された。彼は生まれながらにして偉大なコミュニケーション能力を持つ人物だったのだ。人心掌握術とは、要するにコミュニケーション能力のことだから、元首相が人々を虜にしてしまうのは少しも不思議なことではなかった。

ここイタリアには、人を判断するうえで「シンパーティコ」「アンティパーティコ」という言葉がある。

これは直訳すると「面白い人」「面白くない人」という意味である。

面白いか面白くないかの基準は、要するに「おしゃべり」かそうでないかということだ。

コミュニケーション能力に長けたベルルスコーニ元首相は、既述のようにこの点でも人後に落ちないおしゃべりだった。「シンパーティコ」のカタマリのような男だったのだ。

さらに言おう。

イタリア的メンタリティーのひとつに、ある一つのことが秀でていればそれを徹底して高く評価し理解しようとするモメンタムがある。

極端に言えばこの国の人々は、全科目の平均点が80点の秀才よりも、一科目の成績が100点で残りの科目はゼロの子供の方が好ましい、と考える。

そして どんな子供でも必ず一つや二つは100点の部分があるから、その100点の部分を120点にも150点にものばしてやるのが教育の役割だと信じ、またそれを実践している節がある。

たとえば算数の成績がゼロで体育の得意な子がいるならば、親も兄弟も先生も知人も親戚も誰もが、その子の体育の成績をほめちぎり心から高く評価して、体育の力をもっともっと高めるように努力しなさい、と子供を鼓舞する。

日本人ならばこういう場合、体育を少しおさえて算数の成績をせめて30点くらいに引き上げなさい、と言いたくなるところだと思うが、イタリア人はあまりそういう発想をしない。要するに良くいう“個性重視の教育”の典型なのである。

イタリア人は長所をさらに良くのばすことで、欠点は帳消しになると信じているようだ。だから何事につけ欠点をあげつらってそれを改善しようとする動きは、いつも 二の次三の次になってしまう。

ベルルスコーニ元首相への評価もそのメンタリティーと無関係ではない。

醜聞まみれのデタラメな元首相をイタリア人が許し続けたのは、行状は阿呆だが一代で巨財を築いた能力と、人当たりの良い親しみやすい性格が彼を評価する場合には何よりも大事、という視点が優先されるからだ。

ネガティブよりもポジティブが大事なのである。もっと深い理由もある。

「人間は間違いを犯す。間違いを犯したものはその代償を支払うべきであり、また間違いを決して忘れてはならない。だがそれは赦されるべきだ」というのが絶対愛と並び立つカトリックの巨大な教えである。

ほとんどがカトリック教徒であるイタリア国民は、ベルルスコーニ元首相の悪行や嫌疑や嘘や醜聞にうんざりしながらも、どこかで彼を赦す心理に傾く者が多い。「罪を忘れず、だがこれを赦す」のである。

彼らは厳罰よりも慈悲を好み、峻烈な指弾よりも逃げ道を備えたゆるめの罰則を重視する。イタリア社会が時として散漫に見え且つイタリア国民が優しいのはまさにそれが理由だ。

そうやってカトリック教徒である寛大な人々の多くが彼を死ぬまで赦し続けた。つまり消極的に支持した。あるいは罪を見て見ぬ振りをした。

結果、軽挙妄動の塊のような元首相がいつまでも政治生命を保ち続けることになった。

元首相は寛大な国民に赦されながら、彼のコミュニケーション力も遺憾なく発揮した。

相まみえる者は言うまでもなく、彼の富の基盤であるイタリアの3大民放局を始めとする巨大情報ネットワークを使って、実際には顔を合わせない人々、つまり視聴者にまで拡大行使してきた。

イタリアのメディア王とも呼ばれた彼は、政権の座にある時も在野の時も、頻繁にテレビに顔を出して発言し、討論に加わり、主張し続けた。有罪確定判決を受けた後でさえ、彼はあらゆる手段を使って自らの無罪と政治メッセージを申し立てた。

だがそうした彼の雄弁や明朗には、負の陰もつきまとっていた。ポジティブはネガティブと常に表裏一体である。即ち、こぼれるような笑顔とは軽薄のことであり、ユーモアを交えた軽快な口調とは際限のないお喋りのことであり、シンプルで分りやすい論理とは大衆迎合のポピュリズムのことでもあった。

また誠実そのものにさえ見える丁寧な物腰とは偽善や隠蔽を意味し、多様性重視の基本理念は往々にして利己主義やカオスにもつながる。さらに言えば、徹頭徹尾の明るさと人なつっこさは、徹頭徹尾のバカさだったり鈍感や無思慮の換言である場合も少なくない。

そうしたネガティブな側面に、彼の拝金主義や多くの差別発言また人種差別的暴言失言、少女買春、脱税、危険なメディア独占等々の悪行を加えて見れば、恐らくそれは、イタリア国民以外の世界中の多くの人々が抱いている、ベルルスコーニ元首相の印象とぴたりと一致するのではないか。



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G7の光と影と日本メディアのディメンシア

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C7広島サミットを連日大々的に且つ事細かに伝える日本のメディアの熱狂を面妖な思いで眺めきた

ここイタリアもG7メンバー国だがメディアは至って冷静に伝え、ほとんど盛り上がることはない。

イタリア初の女性首相の晴れの舞台でもあるというのに少しも騒がず、金持ち国の集会の模様を淡々と報道した。

それはイタリアメディアのG7へのいつもの対応だ。そしてその姿勢は他のG7メンバー国のメディアも同じだ。

国際的には影の薄い日本の畢生の大舞台を、日本のメディアがこれでもかとばかりに盛んに報道するのは理解できる。しかも今回は日本が晴れの議長国だ。

だが外から見れば空騒ぎ以外のなにものでもない日本の熱狂は、見ていてやはり少し気恥ずかしい。

ここイタリアは国際政治の場では、日本同様に影響力が薄い弱小国だ。だがメディアは、たとえG7が自国開催だったとしても日本のメディアの如くはしゃぐことはまずない。

イタリアは国際的なイベントに慣れている。政治力はさておき、芸術、歴史、文化などで世界に一目おかれる存在でもある。スポーツもサッカーをはじめ世界のトップクラスの国である。

政府も国民も内外のあらゆる国際的なイベントに慣れて親しんでいて、世界の果てのような東洋の島国ニッポンの抱える孤独や、焦りや、悲哀とは縁遠い。

前述したようにイタリアは憲政史上初の女性首相を誕生させた。そのこと自体も喜ばしいことだが、メローニ首相が国際的なイベントに出席するという慶事にも至って冷静だった。

イタリアは同時期に、北部のエミリアロマーニャ州が豪雨に見舞われ、やがてそれは死者も出大災害に発展した。

メローニ首相にはG7出席を取りやめる選択もあった。が、ロシアが仕掛けたウクライナへの戦争を、G7国が結束して糾弾する姿勢をあらためて示す意味合いからも、敢えて日本に向かった。

このあたりの事情は内政問題を抱えて苦慮するアメリカのバイデン大統領が、もしかするとG7への出席を見合わせるかもしれない、と危惧された事情によく似ている。

日本のメディアは米大統領の問題については連日大きく取り上げたが、僕が知る限りメローニ首相の苦悩についてはひと言も言及しなかった。

あたり前である。G7構成国とはいうもののイタリアは、先に触れたように、日本と同じく国際政治の場ではミソッカスの卑小国だ。誰も気にかけたりはしない。

そのことを象徴的に表していた事案がもう一つある。

岸田首相が広島で開催されるG7という事実を最大限に利用して、核廃絶に向けて活発に動き各国首脳を説得したと喧伝した。

だがそれは日本以外の国々ではほとんど注目されなかった。

この部分でも大騒ぎをしたのは、政権に忖度する日本のメディアのみだった。

アメリカの核の傘の下で安全保障をむさぼり、核廃絶を目指す核兵器禁止条約 にさえ参加していない日本が、唯一の被爆国であることだけを理由に核廃絶を叫んでも、口先だけの詭弁と国際社会に見破られていて全く説得力はない。

G7国が岸田首相の空疎な核廃絶プログラムなるものに署名したのは、同盟国への思いやりであり外交辞令に過ぎない。

核のない世界が誰にとっても望ましいのは言わずと知れたことだ。だが現実には核保有国がありそれを目指す国も多いのが実情だ。

G7内の核兵器保有国でさえただちに核兵器を捨てる気など毛頭ない。それどころか核兵器禁止条約に反対さえする。

日本政府はそうしたこともを踏まえて現実を冷厳に見つめつつ廃棄へ向けての筋道を明らかにするべきだ。

被爆国だからという感情的な主張や、米の核の傘の下にいる事実を直視しないまやかし、また本音とは裏腹に見える核廃絶論などを全身全霊を傾けて修正しない限り、日本の主張には国際社会の誰も耳を貸さない。

そうではあるが、しかし、G7は民主主義国の集まりであり、中露が率いる専制国家群に対抗する唯一の強力な枠組み、という意味で依然として重要だと思う。

特に今このときは、ロシアのウクライナ侵略に対して、一枚岩でウクライナを支援する態勢を取っていることは目覚ましい。

2017年のG7イタリアサミットを受けて、僕はそれをおわコンと規定しさっさと廃止するべき、と主張した

だが、ロシアと中国がさらに専制主義を強め、G7に取って代わるのが筋と考えられたG20が、自由と民主主義を死守する体制ではないことが明らかになりつつある現在は、やはり存続していくことがふさわしいと考える。




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ジョルジャ・メローニの幸運

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メローニ首相に反ファシズム宣言をしろと呼びかける「元ファシスト」のジャンフランコ・フィニ氏

今日4月25日は、イタリアの終戦記念日である。ここでは解放記念日と呼ばれる。

イタリアの終戦はムッソリーニのファシズムとナチスドイツからの解放でもあった。だから終戦ではなく「解放」記念日なのである。

日独伊三国同盟で結ばれていたドイツとイタリアは大戦中の1943年に仲たがいした。日独伊3国同盟はその時点で事実上崩壊し、独伊は敵同士になった。

イタリアは日独と歩調を合わせて第2次世界大戦を戦ったが、途中で状況が変わってナチスドイツに立ち向かう勢力になったのである。

言葉を替えればイタリアは、開戦後しばらくはナチスと同じ穴のムジナだったが、途中でナチスの圧迫に苦しむ被害者になっていった。

ナチスドイツへの民衆の抵抗運動は、1943年から2年後の終戦まで激化の一途をたどり、それに伴ってナチスによるイタリア国民への弾圧も加速していった。

1945年4月、ドイツの傀儡政権・北イタリアのサロー共和国が崩壊。4月25日にはレジスタンスの拠点だったミラノも解放されて、イタリアはナチスドイツを放逐した。

日独伊三国同盟で破綻したイタリアが日独と違ったのは、民衆が蜂起してファシズムを倒したことだ。それは決して偶然ではない。

ローマ帝国を有し、その崩壊後は都市国家ごとの多様性を重視してきたイタリアの「民主主義」が勝利したのである。むろんそこには連合軍の後押しがあったのは言うまでもない。

イタリア共和国の最大最良の特徴は「多様性」である。

多様性は時には「混乱」や「不安定」と表裏一体のコンセプトだ。イタリアが第2次大戦中一貫して混乱の様相を呈しながらも、民衆の蜂起によってファシズムとナチズムを放逐したのはすばらしい歴史だ。

イタリアは大戦後、一貫してファシズムとナチズムからの「解放」の日を誇り盛大に祝ってきた。

ことしの終戦記念日は、しかし、いつもとは少し違う。極右とさえ呼ばれる政党が連立を組んで政権を維持しているからだ。

イタリア初の女性トップ・ジョルジャ・メローニ首相は、ファシスト党の流れを汲むイタリアの同胞の党首だ。

彼女は国内外のリベラル勢力からファシズムと完全決別するように迫られているが、未だに明確には声明を出していない。

それは危険な兆候に見えなくもない。だが僕は日本の右翼勢力ほどにはイタリアの右翼政権を危惧しない。なぜなら彼らは陰に籠った日本右翼とは違い自らの立ち位置を明確に示して政治活動を行うからだ。

またイタリアの政治状況は、第2次大戦の徹底総括をしないために戦争責任が曖昧になり、その結果過去の軍国主義の亡霊が跋扈してやまない日本とは大きく違う。

極右と呼ばれるイタリアの政治勢力は、危険ではあるもののただちにかつてのファシストと同じ存在、と決めつけることはできない。なぜなら彼らもファシトの悪を十分に知っているからだ。

だからこそ彼らは自身を極右と呼ぶことを避ける。極右はファシストに限りなく近いコンセプトだ。

第2次大戦の阿鼻地獄を知悉している彼らが、かつてのファシストやナチスや軍国主義日本などと同じ破滅への道程に、おいそれとはまり込むとは思えない。

だが、それらの政治勢力を放っておくとやがて拡大成長して社会に強い影響を及ぼす。あまつさえ人々を次々に取り込んでさらに膨張する。

膨張するのは、新規の同調者が増えると同時に、それまで潜行していた彼らの同類の者がカミングアウトしていくからである。

トランプ大統領が誕生したことによって、それまで秘匿されていたアメリカの反動右翼勢力が一気に姿を現したのが典型的な例だ。

彼らの思想行動が政治的奔流となった暁には、日独伊のかつての極右パワーがそうであったように急速に社会を押しつぶしていく。

そして奔流は世界の主流となってついには戦争へと突入する。そこに至るまでには、弾圧や暴力や破壊や混乱が跋扈するのはうまでもない。

したがって極右モメンタムは抑さえ込まれなければならない。激流となって制御不能になる前に、その芽が摘み取られるべきである。

イタリア初の女性首相メローニ氏は、ガラスの天井を打ち破った功績に続いて、イタリア右派がファシズムと決別する歴史的な宣言を出す機会も与えられている。

その幸運を捉え行使するかどうかで、彼女の歴史における立ち位置は大きく違うものになるだろう。



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