【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

イベント(政治)

人の上に人を作る英国の徒空


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イギリスの天は人の上に人を作り、結果、人の下に人を作る。

同国のスナク政権は政治闘争に敗れて政界を去ったデヴィド・キャメロン元首相を、選挙の洗礼を経ずに貴族に仕立て上げて貴族院(上院)議員とし、さらに外務大臣にしつらえた。

世界一の民主主義国家とも評されるイギリスの、非民主主義的な一面を目にするたびに僕の彼の国への尊敬は磨り減っていく。特にBrexitを機にその傾向は深まるばかりだ。

キャメロン新外相は自身が首相だった2016年、国民投票でイギリスの欧州連合離脱=Brexitが決まった責任を取って首相を辞任し、やがて下院議員も辞めて政界から引退した。

ところが今回、Brexit推進派で彼の政敵だったスナク首相の要請を受け入れて、恥ずかしげもなく外相職を引き受けた。

日和見主義は政治家のいわば天質だから、キャメロン氏を軽侮しつつも敢えて太っ腹などと評価することもできないではない。

だが、人の上に人を作り人の下に人を作るイギリス社会の未開振りにはげんなりする。換言すれば王を戴く同国の身分制社会は胡散臭い。見ていて胸が悪くなる。

民主主義大国と謳われながら非民主主義的な傷ましい本質にも縛られている怪物国は、連合王国としての構造破壊がなされない限り決して変容しない。

僕は英連合王国の解体を見てみたい。英国解体は荒唐無稽な話ではない。

英国はBrexitによって見た目よりもはるかに深刻な変容に見舞われていると思う。

その最たるものは連合王国としての結束の乱れだ。

イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランド から成る連合王国は、Brexitによって連合の堅実性が怪しくなった。

スコットランドと北アイルランドに確執の火種がくすぶっている。

スコットランドはかねてから独立志向が強い。そこにBrexitが見舞った。住民の多くがBrexitに反発した。今も反発している。

スコットランドは今後も独立とEUへの独自参加を模索し続けるだろう。北アイルランドも同じだ。

僕は若いころ首都ロンドンに足掛け5年間暮らした。僕の英国への尊敬と親愛と思慕の念はその5年の間にかつてないほど高まった。

英国を去り、日本、アメリカ、そしてここイタリアと移り住む間も僕の英国への思いは変わらなかった。三嘆のはむしろ深まった。

Brexitを機に僕の思念は揺れ動いた。それはアメリカへの思慕がトランプ前大統領の誕生を機に一気にしぼんだことと軌を一にしていた。

英国は僕が信じていた民主主義大国ではなく、生まれながらにして人の上に立つ王を崇める原始人国民が多く住む悲惨な国だと分かった。Brexit はそのことと無関係ではない出来事だった。

キャメロン元首相が、ふいに貴族となって貴族院議員になり外相になるという事態も、国王を上に戴き人を生まれながらに身分で選り分ける鬱陶しい体質故の奇態と理解できる。



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老共産主義者の一徹 

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イタリアのジョルジョ・ナポリターノ前大統領が922日、入院先のローマの病院で死去した 。98歳だった。

前大統領は南部ナポリ生まれ。第2次大戦中にレジスタンス運動に加わり20歳で共産党入りした。

若いころは国王に似た容姿や物腰から赤いプリンスと呼ばれ、徐々に筋金入りの共産主義者へと変貌していった。

赤いプリンスは下院議長、閣僚、欧州議会議員などを経て2006年、共産党出身者として初めての大統領に就任。

同大統領は1期目7年の任期が終わろうとしていた2013年、強く請われて2期目の大統領選に出馬した。

イタリアは当時、財政危機に端を発した政治混迷が続き、総選挙を経ても政権樹立が成らない異常事態に陥っていた。

そこに新大統領決定選挙が実施されたが、政治混乱がたたって事態が紛糾し、次期大統領が中々決まらなかった。

事実上政府も無く、大統領も存在しないのではイタリア共和国は崩壊してしまいかねない。

強い危機感を抱いた議会は、高齢のため強く引退の意志表示をしていたナポリターノ大統領に泣きつき立候補を要請した。

大統領は固辞し続けたが、最後は負けて「仕方がない。私には国に対する責任がある」と発言して立候補。圧倒的な支持を受けて当選した。

87歳という高齢での当選、また2期連続の大統領就任も史上初めてのことだった。

だが何よりも国民は、立候補に際して大統領がつぶやいた「私には国に対する責任がある」という言葉に改めて彼の誠実な人柄を認め、同時に愛国心を刺激されて感銘した

イタリア人ではない僕は、ナポーリターノ大統領が不屈の闘志一念の共産主義者である事実にも瞠目しつづけた。

政治体制としての共産主義には僕は懐疑を通り越して完全に否定的だが、その思想のうちの弱者に寄り添う形と平等の哲学には共感する。

そしてその思想はもしかすると、私利私欲に無縁だった老大統領の、ぶれない美質の形成にも資したのではないか、と考えて強い感慨を覚えたりするのである。

欧州最大の規模を誇ったイタリア共産党が崩壊して大分時間経つ。

ナポリターノ前大統領の死去によって、かすかに命脈を保っていた旧共産党の残滓が完全に払拭された、と感じるのは僕だけだろうか。




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一帯一路という迷路から抜け出しそうなイタリア

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イタリアはようやく中国とのズブズブの関係を切り捨てると決めたらしい。

インドでのG20サミットに出席したイタリアのジョルジャ・メローニ首相は、中国の李強首相と会談した際に、「一帯一路」構想あるいは投資計画から離脱すると伝えたとされる。

2019年、イタリアはEUの反対を無視して、G7国では初めて中国との間に「一帯一路」投資計画を支持する覚書を交わした。

当時のイタリア首相は、ジュゼッペ・コンテ「五つ星運動」党首。同じく「五つ星運動」所属で中国べったりのルイジ・ディマイオ副首相と組んでのごり押し施策だった。

イタリア政府は世界のあらゆる国々と同様に、中国の経済力を無視できずにしばしば彼の国に擦り寄る態度を見せる。

極左ポピュリストで、当時議会第1党だった「五つ星運動」が、親中国である影響も大きかった。

またイタリアが長い間、欧州最大の共産党を抱えてきた歴史の影響も無視できない。

共産党よりもさらに奥深い歴史、つまりローマ帝国を有したことがあるイタリア人に特有の心理的なしがらみもある。

つまりイタリア人が、古代ローマ帝国以来培ってきた自らの長い歴史文明に鑑みて、中国の持つさらに古い伝統文明に畏敬の念を抱いている事実だ。

その歴史への思いは、今このときの中国共産党のあり方と、膨大な数の中国移民や中国人観光客への違和感などの、負のイメージによってかき消されることも多い。

しかし、イタリア人の中にある古代への強い敬慕が、中国の古代文明への共感につながって、それが現代の中国人へのかすかな、だが決して消えることのない好感へとつながっている面もある。

それでもイタリアは、名実ともにEUと歩調を合わせて中国と距離を取るべきだ。ロシア、北朝鮮などと徒党を組みウクライナの窮状からも目を背ける、反民主主義の独裁国家と強調するのは得策ではない。

実のところイタリアは、「一帯一路」構想から離脱するかどうかまだ正式には決めていない。離脱すると断定的に伝えたのは米国の一部メディアのみだ。 

イタリアが今年末までに離脱すると明言しない限り、協定は2024年3月に自動更新される。

メローニ首相は、債務に苦しむイタリアが数兆ドル規模の「一帯一路」投資計画に参加することの「メリットを熟知している。

同時にその政治的なデメリットについても。

メローニ首相は、一帯一路からの撤退を選挙公約にして先の総選挙を戦い、イタリアのトップに昇りつめた。従って彼女の政権が覚書を破棄するのは驚きではない。

メローニ首相は、中国を慕う極左の五つ星運動とは対極にある政治姿勢の持ち主だ。だが中国との経済的結びつきをただちに断ち切ることはできないため、今この時は慎重に動いている。

離脱した場合は中国の報復もあり得ると強く警戒しているフシもある。

そうではあるが、しかし、「一帯一路」覚書からのイタリアの離脱は避けられないだろう。それは歓迎するべきことだ。





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プーチンは❛歩く死体❜を❛ただの死体❜に変えて自身の死期をケムに巻いた

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ロシア非常事態省は8月23日、民間軍事会社ワグネルの創始者プリゴジン氏の自家用機が、モスクワの北西約300キロ地点で墜落し、乗員3人と乗客7人の計10人全員が死亡したと発表した。

プリジコジン氏は6月、プーチン大統領への反乱を起こした。それは失敗し彼は許されたように見えた。だが反乱後はプリジコジン氏が歩く死体であることは明らかだった。

そうではあるものの、彼がベラルーシ、アフリカ、ロシア間を自在に行き来しているらしい様子は、あるいはプーチン大統領の支配力が低下した証かも知れない、などの憶測ももたらした。

プーチン大統領はプリコジン氏を密かに消すのか、見せしめを兼ねて派手に殺るのかと僕は興味津に見ていたが、非情であり異様なスパイであるプーチン大統領は後者の方法を選んだ。

プーチン大統領の非情さは分かり切ったことだが、隠微を好む傾向があるスパイでありながら、プリコジン氏が乗ったジェットを爆破(撃墜という報も)し、ビデオ撮影させて世界中に発信した手法はラスボスらしい大胆さ。不気味でさえある。

また異様にも見えるのは、プーチン大統領が事件から24時間も経たないうちにテレビ演説で、「事故の犠牲者と家族に哀悼の意を表する」とヌケヌケと述べたことだ。ロシア国内での彼の力は弱まってなどいないことを如実に示すエピソードだった。

プーチン大統領は、今回のプリコジン氏を含め少なく見積もっても30人ほどの政敵や批判者を殺害した疑いがある。100人を超える、という主張さえある。だが、証拠は一切ない。心証はしかし、100%クロである。

プリコジン氏の乗った飛行機が、ロシア上空で爆破されてまっ逆さまに墜落したのと時を同じくして、アメリカではトランプ前大統領がジョージア州フルトン郡の拘置所に出頭し、逮捕された。

彼は続いて指紋を採取され、顔写真を撮られ、身長・体重などを記録された。その後、およそ20万ドル(約2900万円)の保証金を支払って釈放された。

前大統領の拘置所での登録番号は「P01135809」。いかにも凶状持ちという表号で彼にふさわしい。

トランプ前大統領が起訴されて出頭し、逮捕と保釈の一連の手続きを取ったのは、今年だけでなんと4回目だ。

こんな男が再び本当にアメリカ大統領になるのだろうか?彼が暗殺に手を染めていないのは、民主主義国家のトップという立場がもたらした僥倖に過ぎない。

トランプ前大統領が、彼の地金であるファシストの本領を発揮できる国家の指導者であったならば、彼はプーチン大統領に負けずとも劣らない独裁者となり、暗殺指示も朝飯前の暴君となることだろう。

プーチン大統領は、世界の多くの人々が願った権力喪失の罠にはどうやらはまっていないようだ。結果、圧制者としての彼の死期も見えない。

トランプ氏が来年大統領に返り咲けば、シューキンペー国家主席も加わって、世界はまたもや反民主主義勢力が跋扈する、暗殺陰謀フェイクニュース満載なんでもありの、タノシー世界になりそうである。



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陸自ヘリ墜落の恐怖連想ゲーム

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ことしは6月までに2度帰国し計ほぼ2ヶ月余り滞在した。その間に沖縄の宮古島沖で自衛隊ヘリが墜落する大事故があった。

合計10名の隊員が亡くなった事故は既に重大事件だが、そこに師団長や駐屯地司令官などの幹部が含まれたことで事態はさらに深刻化した。

ところで

事故に対する防衛省、また自衛隊の情報公開はどうなっているのだろう?

フライトレコーダーも回収され、自衛隊内部にはかなりの情報が蓄積されていると考えられる。それなのに情報開示が少ない、遅い。

あるいは何かを隠したがっているのではないか、と感じるのは僕だけだろうか。

旧日本軍に限らずどの国の軍隊も隠蔽体質を持つ。それは専制、暴力、欺瞞、権謀術策、裏切りなどの悪行と表裏一体である。

2つの世界大戦と民主主義が多くの国の軍隊の悪の体質にメスを入れて、少しは情報開示と文民統制の意識が進んだ。

第2次大戦で専制主義による悪事を働いたナチスドイツ、ファシズムイタリア、軍国主義日本のうちのドイツとイタリアは、大戦を徹底総括して軍隊の制御法を学んだ。

それは文民統制と情報公開と民主主義による暴力装置の抑制のことだ。軍自体もそれに沿って進化した。

日本は第2次大戦の徹底総括を怠った。そのために旧日本軍の欺瞞、横暴、隠蔽体質などが密かに自衛隊に受け継がれた可能性がある。

自衛隊が非常事態に際して文民統制を無視し暴走する危険性は常に高い。防衛省また自衛隊が、ヘリの墜落に関する情報公開を徹底できなければ、そのことが露見、確認されることになる。

ここでは国民とマスコミの意識の度合い或いは民度が試されている。

日本国民は依然として、右翼の街宣車が暴力的言辞をがなり立てて公道を行進しても罪にならない、野蛮な社会に生きている。

自衛隊がドイツ、イタリアの軍隊並みに正確に制御され民主化されて、右翼の街宣車が違法として取締りの対象になる時にこそ、日本の戦後が真に終わる。

宮古島沖の陸自ヘリ墜落事故の周囲には ― 情報開示が十分になされないと仮定して ― 軍隊と日本社会の行く末を占う要素が多く秘匿されているようにも見える。








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オランダ・ルッテ首相の真意はどこ?

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これはあくまでも心証である。少しの楽観論も入っている。

先日、オランダのマルク・ルッテ首相が政界から引退すると表明したことに少し感服する思いでいる。

中道右派の自由民主国民党(VVD)を率いるルッテ首相はまだ56歳。

脂ぎった性格の者が多くいつまでも権力に固執する傾向が強い政治家らしからぬ潔さ、と感じるのだ。

ルッテ氏は2010年10月に首相に就任した。以来およそ13年に渡った在任期間はオランダ史上で最も長い。

オランダはほぼ全ての欧州の国々と同様に難民・移民問題で大きく揺れている。

同国は人口約1700万人の小国だが、歴史的に移民を受け入れて成長した多民族国家であり千姿万態が美質の国だ。

国土が狭く貧しいため、歴史的に世界中の国々との貿易によって生存を確保しなければならなかった。

宗教の多様性に加えて、貿易立国という実利目的からも、オランダは常に寛容と自由と開明の精神を追求する必要があった

オランダは国の経済状況に応じて世界中から移民を受け入れ発展を続けた。

だが近年はアフリカや中東から押し寄せる難民・移民の多さに恐れをなして、受け入れを制限する方向に動くことも少なくない。

保守自由主義者のルッテ首相は、流入する難民の数を抑える政策を発表。だが連立政権を組む中道左派の「民主66」と「キリスト教連合」の造反で政権が崩壊した。

ルッテ首相はこれを受けて、総選挙後に新内閣が発足した暁には政界を去る、と明言したのである。

僕は日本とイタリアという、よく似た古い体質の政治土壌を持つ国を知る者として、彼の動きに感銘を受けた。

イタリアにも日本にも老害政治家や蒙昧な反知性主義者が多い。加えて日本では世襲政治家も跋扈する。

日伊両国の感覚では、政治家としてはまだ若いルッテ首相が、あっさりと政界に別れを告げた潔さに、僕は知性の輝きのようなものを見るのだ。日伊の政治家とはずいぶん違うと感じる。

ルッテ首相が示したエリートまた教養主義的な面影は、得てして左派政治家に見られるものだが、この場合は保守主義者のルッテ氏であるのがさらに面白い。

大国ではないが政治的腕力の強いオランダを長く率いる間には、ルッテ首相は財政面でイタリアに厳しい姿勢で臨むなど、強持ての一面も見せた。が、印象は常に潔癖な知性派であり続けた。

そんなたたずまいも彼の政界引退宣言と矛盾しないのである。

そうはいうものの、しかし、ルッテ氏も権謀術数に長けた政治家だ。前言を翻して今後も政界に留まらないとも限らない。そこは少し気をつけて見ていようと思う。




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イタリア初の女性首相の精悍

三色旗真ん中メロン650

イタリアではベルルスコーニ元首相が6月12日に死去した直後から、彼も参与していたメローニ政権の先行きを危ぶむ声が多く聞かれた。

86歳だったベルルスコーニ元首相はキングメーカーを自認し、周りからは政権の肝煎りとしての役割も期待された。

メローニ政権は首相自身が党首を務める「イタリアの同胞」と故ベルルスコーニ氏が党首だった「フォルツァ・イタリア」、またサルビーニ副首相兼インフラ相が党首の「同盟」の3党連立政権だ。

連立を組む3党はいずれも保守政党。イタリアでは中道右派と規定される。だがその中で中道の呼び方に見合うのは、元首相の「フォルツァ・イタリア」のみである。

メローニ首相率いる議会第1党の「イタリアの同胞」は、ファシスト党の流れを汲む極右政党。政権第2党の「同盟も極右と呼ばれることが多い超保守勢力だ。

「フォルツァ・イタリア」も極右2党に迫るほどの保守派だが、ベルルスコーニ元首相を筆頭に親EU(欧州連合)で結束しているところが2党とは違う。

メローニ首相はベルルスコーニ政権で閣僚を務めたこともある親ベルルスコーニ派。「同盟」のサルビーニ党首も、過去に4期、計9年余も首相を務めたベルルスコーニ氏に一目置いている、という関係だった。

ベルルスコーニ元首相が政権の調整役、という役割を負っても不思議ではなかったのである。

政権の副首相兼インフラ大臣でもあるサルビーニ「同盟」党首は、野心家で何かと独善的に動く傾向があり、過去の政権内でも問題を起こすことが多かった。

そのためベルルスコーニ元首相の死去を受けて、サルビーニ副首相兼インフラ相が俄かに勢いづいて動乱の狼煙をあげるのではないか、と危惧された。

それは杞憂ではなかった。サルビーニ氏は先日、来たる欧州議会選挙ではフランス極右の国民連合と、ドイツ極右の「ドイツのための選択肢」とも共闘するべき、と主張し始めたのだ。

するとすぐに「フォルツァ・イタリア」の実質党首で外相のタイヤーニ氏が、極右の2党とは手を結ぶべきではない、と反論。連立政権内での軋みが表面化した。

「フォルツァ・イタリア」はベルルスコーニ党首の死後、ナンバー2のタイヤーニ外相(兼副首相)が党を率いているが、彼にはベルルスコーニ元首相ほどのカリスマや求心力はない。

それでも政権内ではタイヤーニ外相の存在は軽くない。彼とサルビーニ氏の対立は、一歩間違えば政権崩壊への道筋にもなりかねない重いものだ。

メローニ首相は、前述の欧州最強の極右勢力との共闘については今のところ沈黙している。

彼女は選挙前、サルビーニ氏以上の激しさで極右的な主張を展開した。だが総選挙を制して首班になってからは、激烈な言動を控えて聡叡になった。

ある意味で一国のトップにふさわしい言動を続けて、風格さえ漂わせるようになったのだ。

メローニ首相にはもはやベルルコーニ元首相のような仲介役は政権内に要らないのかもしれない。独自にサルビーニ氏をあしらう法を編み出したのではないか、と見えるほど落ち着いている。

彼女がこの先、サルビーニ“仁義なき戦い”大臣をうまく制御できるようになれば、連立政権は長続きするだろう。

だがその逆であるならば、イタリア初の女性首相の栄光は終わって、早晩イタリア共和国の「いつもの」政治不安の季節が訪れるに違いない。





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プーチンの終わりが始まった

ビニールの中の2人の顔650

ならず者のプリゴジンが、ならず者のプーチンを倒して世界を救うかも、と淡い期待を抱かせたもののあえなく沈没した。

ロシアの民間傭兵組織・ワグネルの反乱は24時間足らずで鎮圧された。毒を持って毒を制すなんてそう簡単にはいかないものだ。

プりゴジンは「7月1日にワグネルがロシア政府によって強制的に解体され消滅するのを防ぐために反乱を起こした。プーチン政権を転覆させるのが目的ではなかった」と言い訳した。

だが当たり前に考えれば、ワグネルのプリゴジンはもう死体になったも同然だと見るべきだろう。

プーチンに武力で対抗しようとして事実上敗れ、プーチンの犬のルカシェンコの庇護の下に入ったのである。プーチンは思い通りに、いくらでも彼をなぶることができるのではないか。

殺すにも幾通りかのやり方がありそうだ。

先ず密かに殺す。スパイのプーチン得意のお遊びだ。殺しておいて知らんぷりをし、殺害現場を見られても証拠を突きつけられても、鉄面皮に関係ないとシラを切り通す

おおっぴらに処刑する。今回の場合などは裏切り者を消しただけ、と大威張りで主張することも可能だ。意外と気楽にやり切るかもしれない。

殺害する場合はどんな手段にしろ、邪魔者を排除するという直接の利益のほかに、プーチン大統領に敵対する者たちへの見せしめ効果もある。

飼い殺しにするやり方もあるだろう。飼っておいていざという時には再び戦闘の最前線に送る、汚い仕事を強制的にやらせる、などの道がある。

殺すとプリゴジンが殉教者に祭り上げられてプーチンに具合が悪い事態になるかもしれない。だが長期的にはほとんど何も問題はないだろう。

逆に殺さなければプーチンの権威がますます削がれて危険を招く可能性が高まる。プーチンはやはりプリゴジンを殺すと見るべきだろう。

だがその前に、プリゴジンと親しくワグネルの反乱計画を事前に知っていた、とされるロシア軍のスロビキン副司令官が逮捕されたと各メディアが伝えている。

プーチンは「ロシアに背中から斬りつけた“裏切り者”」として、先ずスロビキン副司令官を粛清すると決めたらしい。

最大の裏切り者であるプリゴジンではなく、スロビキン副司令官を先に断罪するのは、プーチンがプリゴジンに弱みを握られていることの証だろう。

弱みとは、彼を排除することで、ワグネルの隊員や同調者らの反感を買うことや、先に触れたようにプリゴジンが神格化される可能性などを含む。

それでも彼は、スロビキンを排除したあとにはプリゴジンにも手を伸ばして殺害しようとするのではないか。

このまま何もしないでプリゴジンがベラルーシで生存し続けることを許せば、プーチンの権威はさらに地に落ちる。

そうなれば、遅かれ早かれプーチン自身も失墜し排除されるのは確実だ。

つまり、何がどう転ぼうと、プーチンの終わりは既に始まっている。




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ベルルスコーニの置き土産

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2023年6月12日、人生と政治生命の黄昏に立たされても鈍い光沢を放ち不死身にさえ見えたベルルスコーニ元イタリア首相が死去した。

脱税、少女買春、利害衝突とそれを否定する法改悪、数々の人種・女性・宗教差別発言、外交失言、下卑たジョークの連発、などなど、彼は彼を支持する無知な大衆が喜ぶ言動と、逆に彼を嫌悪する左派インテリがいよいよ激昂する、物言いや行動を無意識にまた多くの場合はわざと繰り返した。

そのために彼の周りでは騒ぎが大きくなり、ポピュリストしての彼の面目が躍動するというふうになった。

ベルルスコーニ元首相は道化師のように振舞ったが、常にカリスマ性を伴っていた。彼は一代で富を築いた自分を国民の保護者として喧伝し、国家の縛りに対抗して誰もが自分のように豊かになれる、と言い続けた。

彼はまたポリティカルコレクトネス(政治的正義主義)とエリートと徴税官と共産主義を嫌う大衆の心を知り尽くしていて、自分こそそれらの悪から国民を守る男だ、と彼の支配するメディアを通して繰り返し主張した。

それからほぼ30年後にはアメリカに彼とそっくりの男が現れた。それがドナルド・トランプ第45代米大統領だ。

彼と前後して出たブラジルのボルソナロ前大統領、トルコのエルドアン大統領、ハンガリーのオルバン首相、果てはBrexitを推進した英国右翼勢力までもがベルルスコーニ元首相のポピュリズムを後追いした。

美徳は模倣されにくいが、不徳はすぐに模倣される現実世界のあり方そのままだ。悪貨は良貨を駆逐するのである。

ちなみにそれらのポピュリストとは毛並みが違うものの、ベルルスコーニ元首相の負の遺産と親和的という意味で、安倍元首相やプーチン大統領などもベルルスコーニ氏のポピュリズムの影響下で蠢く存在だ。

世界のポピュリストに影響を与えたベルルスコーニ元首相は同時に、それらの政治家とはまったく異なる顔も持つ。それが彼の徹頭徹尾の明朗である

トランプ前大統領との比較で見てみる。

ベルルスコーニ元首相は、トランプ前大統領のように剥き出しで、露骨で無残な人種偏見や、宗教差別やイスラムフォビア(嫌悪)や移民排斥、また女性やマイノリティー蔑視の思想を執拗に開陳したりすることはなかった。或いはひたすら人々の憎悪を煽り不寛容を助長する声高なヘイト言論も決してやらなかった。

言うまでもなく彼には、オバマ大統領を日焼けしている、と評した愚劣で鈍感で粗悪なジョークや、数々の失言や放言も多い。前述のようにたくさんの差別発言もしている。また元首相は日本を含む世界の国々で-欧州の国々では特に-強く批判され嫌悪される存在でもあった。

僕はそのことをよく承知している。それでいながら僕は、彼がトランプ米前大統領に比べると良心的であり、知的(!)でさえあり、背中に歴史の重みが張り付いているのが見える存在、つまり「トランプ主義のあまりの露骨を潔しとはしない欧州人」の一人、であったことを微塵も疑わない。

言葉をさらに押し進めて表現を探れば、ベルルスコーニ元首相にはいわば欧州の“慎み”とも呼ぶべき抑制的な行動原理が備わっていた、と僕には見える。再び言うが彼のバカげたジョークは、人種差別や宗教偏見や女性蔑視やデリカシーの欠落などの負の要素に満ち満ちている。

だが、そこには本物の憎しみはなく、いわば子供っぽい無知や無神経に基づく放言、といった類の他愛のないものであるように僕は感じる。誤解を恐れずに敢えて言い替えれば、それらは実に「イタリア人的」な放言や失言なのだ。

あるいはイタリア人的な「悪ノリし過ぎ」から来る発言といっても良い。元首相は基本的にはコミュニケーション能力に優れた楽しい面白い人だった。彼は自分のその能力を知っていて、時々調子に乗ってトンデモ発言や問題発言に走る。しかしそれらは深刻な根を持たない、いわば子供メンタリティーからほとばしる軽はずみな言葉の数々だ。

いつまでたってもマンマ(おっかさん)に見守られ、抱かれていたいイタリア野郎,つまり「コドモ大人」の一人である「シルビオ(元首相の名前)ちゃん」ならではの、おバカ発言だったのだ。

トランプ氏にはベルルスコーニ元首相にあるそうした無邪気や抑制がまるで無く、憎しみや差別や不寛容が直截に、容赦なく、剥き出しのまま体から飛び出して対象を攻撃する、というふうに見える。

トランプ前大統領の咆哮と扇動に似たアクションを見せた歴史上の人物は、ヒトラーと彼に類する独裁者や専制君主や圧制者などの、人道に対する大罪を犯した指導者とその取り巻きの連中だけである。トランプ前大統領の怖さと危険と醜悪はまさにそこにある。

最後にベルルスコーニ元首相は、大国とはいえ世界への影響力が小さいイタリア共和国のトップに過ぎなかった。だが、トランプ前大統領は世界最強国のリーダーである。拠って立つ位置や意味が全く異なる。世界への影響力も、イタリア首相のそれとは比べるのが空しいほどに計り知れない。

その観点からは、繰り返しになるが、トランプ前大統領のほうがずっと危険な要素を持っていた。

ベルルスコーニ元首相が亡くなって世界からひとつの危険と茶目が消えた。だが彼が発明して世界に拡散した危険は、トランプ氏が再び米大統領に返り咲く可能性を筆頭に、ポピュリズムの奔流となってそこら中に満ち溢れている。




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ベルルスコーニの功と影と罪と罰

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醜聞まみれの大衆迎合政治芸人、ベルルスコーニ元イタリア首相が死去した。6月12日のことである。

元首相は土建屋から身を起してテレビ、広告界に進出。イタリアの公共放送RAIに対抗するほど大きな3局の民放を武器に、ほぼあらゆる業界で事業を展開して席巻。押しも押されぬ金満家になった。

そして1994年、ビジネスで得た財力を背景に政界に進出した。進出するや否や自らの党・フォルツァイタリア(Forza Italia)が総選挙で第1党に躍進。党首の彼は首相になった。

その後、浮き沈みを繰り返しながら4期ほぼ9年に渡って首相を務めた。

彼の政治キャリアについては、訃報記事用にあらかじめ用意されていたものを含め多くの報道がある。

そこで僕は彼の履歴説明はここで止めて、日本人を含む多くの世界世論がもっとも不思議に思う点について述べておきたい。

つまりイタリア国民はなぜデタラメな行跡に満ちた元首相を許し、支持し続けたのか、という疑問である。その答えの多くは、世界中のメディアが言及しないひとつの真実にある。

つまり彼、シルヴィオ・ベルルスコーニ元首相は、稀代の「人たらし」だったのである。日本で言うなら豊臣秀吉、田中角栄の系譜に連なる人心掌握術に長けた政治家、それがベルルスコーニ元首相だった。

こぼれるような笑顔、ユーモアを交えた軽快な語り口、説得力あふれるシンプルな論理、誠実(!)そのものにさえ見える丁寧な物腰、多様性重視の基本理念、徹頭徹尾の明るさと人なつっこさ、などなど・・・元首相は決して人をそらさない話術を駆使して会う者をひきつけ、たちまち彼のファンにしてしまった。

彼のそうした対話法は意識して繰り出されるのではなく、自然に身内から表出された。彼は生まれながらにして偉大なコミュニケーション能力を持つ人物だったのだ。人心掌握術とは、要するにコミュニケーション能力のことだから、元首相が人々を虜にしてしまうのは少しも不思議なことではなかった。

ここイタリアには、人を判断するうえで「シンパーティコ」「アンティパーティコ」という言葉がある。

これは直訳すると「面白い人」「面白くない人」という意味である。

面白いか面白くないかの基準は、要するに「おしゃべり」かそうでないかということだ。

コミュニケーション能力に長けたベルルスコーニ元首相は、既述のようにこの点でも人後に落ちないおしゃべりだった。「シンパーティコ」のカタマリのような男だったのだ。

さらに言おう。

イタリア的メンタリティーのひとつに、ある一つのことが秀でていればそれを徹底して高く評価し理解しようとするモメンタムがある。

極端に言えばこの国の人々は、全科目の平均点が80点の秀才よりも、一科目の成績が100点で残りの科目はゼロの子供の方が好ましい、と考える。

そして どんな子供でも必ず一つや二つは100点の部分があるから、その100点の部分を120点にも150点にものばしてやるのが教育の役割だと信じ、またそれを実践している節がある。

たとえば算数の成績がゼロで体育の得意な子がいるならば、親も兄弟も先生も知人も親戚も誰もが、その子の体育の成績をほめちぎり心から高く評価して、体育の力をもっともっと高めるように努力しなさい、と子供を鼓舞する。

日本人ならばこういう場合、体育を少しおさえて算数の成績をせめて30点くらいに引き上げなさい、と言いたくなるところだと思うが、イタリア人はあまりそういう発想をしない。要するに良くいう“個性重視の教育”の典型なのである。

イタリア人は長所をさらに良くのばすことで、欠点は帳消しになると信じているようだ。だから何事につけ欠点をあげつらってそれを改善しようとする動きは、いつも 二の次三の次になってしまう。

ベルルスコーニ元首相への評価もそのメンタリティーと無関係ではない。

醜聞まみれのデタラメな元首相をイタリア人が許し続けたのは、行状は阿呆だが一代で巨財を築いた能力と、人当たりの良い親しみやすい性格が彼を評価する場合には何よりも大事、という視点が優先されるからだ。

ネガティブよりもポジティブが大事なのである。もっと深い理由もある。

「人間は間違いを犯す。間違いを犯したものはその代償を支払うべきであり、また間違いを決して忘れてはならない。だがそれは赦されるべきだ」というのが絶対愛と並び立つカトリックの巨大な教えである。

ほとんどがカトリック教徒であるイタリア国民は、ベルルスコーニ元首相の悪行や嫌疑や嘘や醜聞にうんざりしながらも、どこかで彼を赦す心理に傾く者が多い。「罪を忘れず、だがこれを赦す」のである。

彼らは厳罰よりも慈悲を好み、峻烈な指弾よりも逃げ道を備えたゆるめの罰則を重視する。イタリア社会が時として散漫に見え且つイタリア国民が優しいのはまさにそれが理由だ。

そうやってカトリック教徒である寛大な人々の多くが彼を死ぬまで赦し続けた。つまり消極的に支持した。あるいは罪を見て見ぬ振りをした。

結果、軽挙妄動の塊のような元首相がいつまでも政治生命を保ち続けることになった。

元首相は寛大な国民に赦されながら、彼のコミュニケーション力も遺憾なく発揮した。

相まみえる者は言うまでもなく、彼の富の基盤であるイタリアの3大民放局を始めとする巨大情報ネットワークを使って、実際には顔を合わせない人々、つまり視聴者にまで拡大行使してきた。

イタリアのメディア王とも呼ばれた彼は、政権の座にある時も在野の時も、頻繁にテレビに顔を出して発言し、討論に加わり、主張し続けた。有罪確定判決を受けた後でさえ、彼はあらゆる手段を使って自らの無罪と政治メッセージを申し立てた。

だがそうした彼の雄弁や明朗には、負の陰もつきまとっていた。ポジティブはネガティブと常に表裏一体である。即ち、こぼれるような笑顔とは軽薄のことであり、ユーモアを交えた軽快な口調とは際限のないお喋りのことであり、シンプルで分りやすい論理とは大衆迎合のポピュリズムのことでもあった。

また誠実そのものにさえ見える丁寧な物腰とは偽善や隠蔽を意味し、多様性重視の基本理念は往々にして利己主義やカオスにもつながる。さらに言えば、徹頭徹尾の明るさと人なつっこさは、徹頭徹尾のバカさだったり鈍感や無思慮の換言である場合も少なくない。

そうしたネガティブな側面に、彼の拝金主義や多くの差別発言また人種差別的暴言失言、少女買春、脱税、危険なメディア独占等々の悪行を加えて見れば、恐らくそれは、イタリア国民以外の世界中の多くの人々が抱いている、ベルルスコーニ元首相の印象とぴたりと一致するのではないか。



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G7の光と影と日本メディアのディメンシア

無題

C7広島サミットを連日大々的に且つ事細かに伝える日本のメディアの熱狂を面妖な思いで眺めきた

ここイタリアもG7メンバー国だがメディアは至って冷静に伝え、ほとんど盛り上がることはない。

イタリア初の女性首相の晴れの舞台でもあるというのに少しも騒がず、金持ち国の集会の模様を淡々と報道した。

それはイタリアメディアのG7へのいつもの対応だ。そしてその姿勢は他のG7メンバー国のメディアも同じだ。

国際的には影の薄い日本の畢生の大舞台を、日本のメディアがこれでもかとばかりに盛んに報道するのは理解できる。しかも今回は日本が晴れの議長国だ。

だが外から見れば空騒ぎ以外のなにものでもない日本の熱狂は、見ていてやはり少し気恥ずかしい。

ここイタリアは国際政治の場では、日本同様に影響力が薄い弱小国だ。だがメディアは、たとえG7が自国開催だったとしても日本のメディアの如くはしゃぐことはまずない。

イタリアは国際的なイベントに慣れている。政治力はさておき、芸術、歴史、文化などで世界に一目おかれる存在でもある。スポーツもサッカーをはじめ世界のトップクラスの国である。

政府も国民も内外のあらゆる国際的なイベントに慣れて親しんでいて、世界の果てのような東洋の島国ニッポンの抱える孤独や、焦りや、悲哀とは縁遠い。

前述したようにイタリアは憲政史上初の女性首相を誕生させた。そのこと自体も喜ばしいことだが、メローニ首相が国際的なイベントに出席するという慶事にも至って冷静だった。

イタリアは同時期に、北部のエミリアロマーニャ州が豪雨に見舞われ、やがてそれは死者も出大災害に発展した。

メローニ首相にはG7出席を取りやめる選択もあった。が、ロシアが仕掛けたウクライナへの戦争を、G7国が結束して糾弾する姿勢をあらためて示す意味合いからも、敢えて日本に向かった。

このあたりの事情は内政問題を抱えて苦慮するアメリカのバイデン大統領が、もしかするとG7への出席を見合わせるかもしれない、と危惧された事情によく似ている。

日本のメディアは米大統領の問題については連日大きく取り上げたが、僕が知る限りメローニ首相の苦悩についてはひと言も言及しなかった。

あたり前である。G7構成国とはいうもののイタリアは、先に触れたように、日本と同じく国際政治の場ではミソッカスの卑小国だ。誰も気にかけたりはしない。

そのことを象徴的に表していた事案がもう一つある。

岸田首相が広島で開催されるG7という事実を最大限に利用して、核廃絶に向けて活発に動き各国首脳を説得したと喧伝した。

だがそれは日本以外の国々ではほとんど注目されなかった。

この部分でも大騒ぎをしたのは、政権に忖度する日本のメディアのみだった。

アメリカの核の傘の下で安全保障をむさぼり、核廃絶を目指す核兵器禁止条約 にさえ参加していない日本が、唯一の被爆国であることだけを理由に核廃絶を叫んでも、口先だけの詭弁と国際社会に見破られていて全く説得力はない。

G7国が岸田首相の空疎な核廃絶プログラムなるものに署名したのは、同盟国への思いやりであり外交辞令に過ぎない。

核のない世界が誰にとっても望ましいのは言わずと知れたことだ。だが現実には核保有国がありそれを目指す国も多いのが実情だ。

G7内の核兵器保有国でさえただちに核兵器を捨てる気など毛頭ない。それどころか核兵器禁止条約に反対さえする。

日本政府はそうしたこともを踏まえて、現実を冷厳に見つめつつ廃棄へ向けての筋道を明らかにするべきだ。

被爆国だからという感情的な主張や、米の核の傘の下にいる事実を直視しないまやかし、また本音とは裏腹に見える核廃絶論などを全身全霊を傾けて修正しない限り、日本の主張には国際社会の誰も耳を貸さない。

そうではあるが、しかし、G7は民主主義国の集まりであり、中露が率いる専制国家群に対抗する唯一の強力な枠組み、という意味で依然として重要だと思う。

特に今このときは、ロシアのウクライナ侵略に対して、一枚岩でウクライナを支援する態勢を取っていることは目覚ましい。

2017年のG7イタリアサミットを受けて、僕はそれをおわコンと規定しさっさと廃止するべき、と主張した

だが、ロシアと中国がさらに専制主義を強め、G7に取って代わるのが筋と考えられたG20が、自由と民主主義を死守する体制ではないことが明らかになりつつある現在は、やはり存続していくことがふさわしいと考える。




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ジョルジャ・メローニの幸運

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メローニ首相に反ファシズム宣言をしろと呼びかける「元ファシスト」のジャンフランコ・フィニ氏

今日4月25日は、イタリアの終戦記念日である。ここでは解放記念日と呼ばれる。

イタリアの終戦はムッソリーニのファシズムとナチスドイツからの解放でもあった。だから終戦ではなく「解放」記念日なのである。

日独伊三国同盟で結ばれていたドイツとイタリアは大戦中の1943年に仲たがいした。日独伊3国同盟はその時点で事実上崩壊し、独伊は敵同士になった。

イタリアは日独と歩調を合わせて第2次世界大戦を戦ったが、途中で状況が変わってナチスドイツに立ち向かう勢力になったのである。

言葉を替えればイタリアは、開戦後しばらくはナチスと同じ穴のムジナだったが、途中でナチスの圧迫に苦しむ被害者になっていった。

ナチスドイツへの民衆の抵抗運動は、1943年から2年後の終戦まで激化の一途をたどり、それに伴ってナチスによるイタリア国民への弾圧も加速していった。

1945年4月、ドイツの傀儡政権・北イタリアのサロー共和国が崩壊。4月25日にはレジスタンスの拠点だったミラノも解放されて、イタリアはナチスドイツを放逐した。

日独伊三国同盟で破綻したイタリアが日独と違ったのは、民衆が蜂起してファシズムを倒したことだ。それは決して偶然ではない。

ローマ帝国を有し、その崩壊後は都市国家ごとの多様性を重視してきたイタリアの「民主主義」が勝利したのである。むろんそこには連合軍の後押しがあったのは言うまでもない。

イタリア共和国の最大最良の特徴は「多様性」である。

多様性は時には「混乱」や「不安定」と表裏一体のコンセプトだ。イタリアが第2次大戦中一貫して混乱の様相を呈しながらも、民衆の蜂起によってファシズムとナチズムを放逐したのはすばらしい歴史だ。

イタリアは大戦後、一貫してファシズムとナチズムからの「解放」の日を誇り盛大に祝ってきた。

ことしの終戦記念日は、しかし、いつもとは少し違う。極右とさえ呼ばれる政党が連立を組んで政権を維持しているからだ。

イタリア初の女性トップ・ジョルジャ・メローニ首相は、ファシスト党の流れを汲むイタリアの同胞の党首だ。

彼女は国内外のリベラル勢力からファシズムと完全決別するように迫られているが、未だに明確には声明を出していない。

それは危険な兆候に見えなくもない。だが僕は日本の右翼勢力ほどにはイタリアの右翼政権を危惧しない。なぜなら彼らは陰に籠った日本右翼とは違い自らの立ち位置を明確に示して政治活動を行うからだ。

またイタリアの政治状況は、第2次大戦の徹底総括をしないために戦争責任が曖昧になり、その結果過去の軍国主義の亡霊が跋扈してやまない日本とは大きく違う。

極右と呼ばれるイタリアの政治勢力は、危険ではあるもののただちにかつてのファシストと同じ存在、と決めつけることはできない。なぜなら彼らもファシトの悪を十分に知っているからだ。

だからこそ彼らは自身を極右と呼ぶことを避ける。極右はファシストに限りなく近いコンセプトだ。

第2次大戦の阿鼻地獄を知悉している彼らが、かつてのファシストやナチスや軍国主義日本などと同じ破滅への道程に、おいそれとはまり込むとは思えない。

だが、それらの政治勢力を放っておくとやがて拡大成長して社会に強い影響を及ぼす。あまつさえ人々を次々に取り込んでさらに膨張する。

膨張するのは、新規の同調者が増えると同時に、それまで潜行していた彼らの同類の者がカミングアウトしていくからである。

トランプ大統領が誕生したことによって、それまで秘匿されていたアメリカの反動右翼勢力が一気に姿を現したのが典型的な例だ。

彼らの思想行動が政治的奔流となった暁には、日独伊のかつての極右パワーがそうであったように急速に社会を押しつぶしていく。

そして奔流は世界の主流となってついには戦争へと突入する。そこに至るまでには、弾圧や暴力や破壊や混乱が跋扈するのはうまでもない。

したがって極右モメンタムは抑さえ込まれなければならない。激流となって制御不能になる前に、その芽が摘み取られるべきである。

イタリア初の女性首相メローニ氏は、ガラスの天井を打ち破った功績に続いて、イタリア右派がファシズムと決別する歴史的な宣言を出す機会も与えられている。

その幸運を捉え行使するかどうかで、彼女の歴史における立ち位置は大きく違うものになるだろう。



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高市早苗オヤジ型女性政治家はフェイクっぽい

安倍高市切り取り

「捏造でなければ辞職」と啖呵を切った、高市早苗経済安全保障担当相の驕りは、今に始まったことではないが相変わらず見苦しい

同じ穴のムジナだった安倍元首相に倣ったらしい宣言によって、彼女は思い上がりに思い上がってついに天井にぶつかり墜落す運命を選んだようにも見える。

ファシスト気質の高市氏は、性根が秘匿ファシストだった彼女のボスの安倍元首相よりもよりファシスト的というのが僕の見方だ。

だがジェンダーギャップの激しい日本で女性政治家が頑張る様子を、僕は政治的立場をさて置いてずっと応援する気持ちでいたことも告白しておきたい。

高市氏はここイタリアのジョルジャ・メローニ首相に似ているところがある。言うまでもなくファシスト的な気迫の政治スタンスやメンタリティーだ。

だが同時にふたりはかけ離れた右翼活動家でもある。ひとことで言えば、メローニ首相が明の右翼政治家、片や高市氏は陰にこもったキャラクターだ。

もっと言えば高市氏は自ら大いに右翼運動を担うのではなく、例えば安倍元首相に庇護されて四囲を睥睨したように威光を笠に着て凄むタイプ。

一方のメローニ氏は自ら激しく動いて道を切り開くタイプだ。

肩書きが人間を作る、というのは真実である。

イタリアで初の女性首相となったジョルジャ・メローニ氏は、ファシスト党の流れを汲む「イタリアの同胞」を率いて選挙を勝ち抜いた。

選挙中、彼女は右寄りの政策を声高に叫びつつ一つのスローガンをさらに大声で主張した。

いわく、「私はジョルジャだ。私は女性だ。私は母親だ。そして私はイタリア人だ」と。

「私はジョルジャだ」は自らが自立自尊の人格であることを、「私は女性だ」は女性であることを誇ると同時にジェンダー差別への抗議を、「私は母親だ 」は愛と寛容を、「私はイタリア人だ」は愛国の精神を象徴していると僕は見た。

メローニ氏はそうやって国民の支持を得て首相の座に上り詰めた。

上り詰めると同時に、彼女は激しい言葉を避け、険しい表情をゆるめ、女性また母親の本性があらわになった柔和な物腰にさえなった。

政治的にも極端な言動は鳴りをひそめ、対立する政治勢力を敵視するのではなく、意見の違う者として会話や説得を試みる姿勢が顕著になった。

彼女のそうした佇まいは国内の批判者の声をやわらげた。僕もその批判者のひとりだ。

また同氏に懐疑的なEUのリベラルな主勢力は、警戒心を抱きながらもメローニ首相を対話の可能な右派政治家、と規定して協力関係を構築し始めた。

ジョルジャ・メローニ首相は資質によってイタリア初の女性首相になったが、イタリアのトップという肩書きが彼女を大きく成長させているのも事実なのである。

高市大臣は、あるいは日本初の女性宰相となり、その肩書きによって人間的にも政治的にも成長するかもしれないと僕は秘かに考えていたが、少しバカらしくなってきた。

メローニ首相と同じ右翼政治家の高市大臣には、イタリアのトップに備わっている女性としての自立心や明朗な政治姿勢や誇りが感じられない。

その代わりに虎の威を借る狐の驕りや、男に遠慮する「女性オヤジ政治家」の悲哀ばかりが透けて見える。女性オヤジ政治家は旧態依然とした男性議員を真似るばかりで進取の気性がない。その典型が高市氏だ。

日本にはまた男に媚びる「ブリッコ・オバハン政治家」も多い。その典型は稲田朋美元防衛大臣だ。それらのブリッコ・オバハン政治家は人間としてのまた政治家としての在り様が不自然で主体性がない。

ブリッコ・オバハン政治家は女性オヤジ政治家の対極にあるようにも見える。だが彼女たちは“不自然で主体性がない“というまさにそのことによって、全員が女性オヤジ政治家に分類される存在でもある。

それらのタイプの政治家は実はイタリアにも多い。つまり「オヤジ型の女性政治家」が跋扈する社会現象は、まさにイタリアや日本などの「女性の社会進出が遅れている国」に特有のものなのである。

女性オヤジ政治家 は恐らく肩書きによっても変えられない存在だ。主体性と、そこから生まれるぶれない政治姿勢また真実が欠けているからだ。

肩書きによって作られる人格とはつまるところ、元々それらの特質を備えている人物が、責任ある地位に着くことでさらに磨かれていくことである。

メローニ首相は頑迷固陋なイタリア政界の壁を突き破って輝いた女性だ。

僕は彼女の政治姿勢には同調しないが、日本に似た男社会で見事に自己主張を貫き通す姿勢には拍手を送る。

拍手するその手を返して、高市早苗大臣の面前にかざしNOとひとこと言えればどんなにか胸がすくことだろう。




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外国留学者は少数派だが大いなる特権派でもある

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岸田首相が自身の秘書官の「同性婚は見るのも嫌だ」と発言した差別問題に関連して、「私自身もニューヨークで少数派(マイノリティー)だった」と公言したことに違和感を覚えた。

どうやら差別問題の本質を理解しないらしい空疎な言葉には、さぞかし強いバッシングが沸き起こるだろうと思って見ていた。

だが僕が知る限り、批判らしい言説は何も起こっていない。そこで僕が自分で言っておくことにした。

まず総理大臣秘書官の愚かな発言は、それに先立って表明された岸田首相の「(同性婚を認めれば)社会が変わってしまう」という趣旨のこれまた歪つな発言に続いて出たものであることを確認しておきたい。

つまり秘書官の差別発言の元凶は岸田首相の中にある差別意識、という一面がある。

秘書官はボスの意に沿いたいという忖度からあの発言をした可能性がある。むろん、だからと言って彼自身の差別体質が許されるわけではない。

有体に言えば、岸田首相と秘書官は同じ穴のムジナである。

政権トップとその側近が同性愛者への強い差別意識を持っている事実は、日本国民の多くが同じ心的傾向を秘匿していると示唆している。

岸田首相の「私も少数派(マイノリティー)だった」発言を聞いて僕が即座に思ったのは、「やはりその程度の認識しか持てない人物かという妙な納得感を伴った感慨だった。

それはおそらく岸田首相が、虚言癖の強い歴史修正主義者だった安倍元首相と、言葉を知らない朴念仁の菅前首相に続いて出てきた、自らの言葉を持たない無個性の“アンドロイド宰相”であるという印象に僕が違和感を募らせたのが原因だろう。

日本人留学生は、国内に留まっている日本人から見れば少数派(マイノリティー)などではなく、言わばむしろ特権派だろう。日本を出て外国に学ぶことができる者は幸いだ。

留学生にとっては、渡航先の国で味わう少数派としての悲哀よりも、「幸運な特権派」としての歓喜のほうがはるかに大きい。

日本を飛び出して、貧しいながらも外国で学ぶ体験に恵まれた僕にはそれが実感として分かる。

外国で日本人留学生が受ける眼差しや待遇は、「多様性を体現する者」への暖かくて強い賛同に満ちたものである場合がほとんどだ。

一方、荒井勝喜前首相秘書官の差別発言は、国内の少数派に向けて投げつけられた蔑視のつぶてだ。

子供時代とはいえ、ニューヨークで勉学することができた岸田首相が「少数の日本人の1人」として特別視された、あるいは特別視されていると感じた事態とは意味が違う。

そうではあるものの、しかし、岸田首相が彼自身の言葉が示唆しているようにニューヨークで日本人として差別されたことがある、あるいは「差別されたと感じた」経験があるならば、それはそれで首相のまともな感覚の証だから喜ばしいことである。

それというのも外国、特に欧米諸国には白人至上主義者も少なからずいて、彼らは白人以外の人間を見下したり排斥したがったりする。そこには明確な差別の情動がある。

岸田首相はかつてそうした心情を持つ人々から差別されたのかもしれない。だが一方で岸田少年は、多様性を重んじる心を持つ人々の対応を“差別”と感じた可能性も高い。

多様性が尊重される欧米社会では、他とは“違う”ことこそ美しく価値あるコンセプトと見なされる。人々は日本からやって来た岸田少年を“違う”価値ある存在として特別視した可能性が大いにある。

ところが日本という画一主義的な社会で育った者には、“他と違う”ことそのものが恐怖となる。世間並みでいることが最も重要であり、同調圧力のない自由闊達な環境が彼にとっては重荷になるのだ。

岸田少年が、徹頭徹尾ポジティブなコンセプトである“多様性”を知らず、“違う者”として見られ、規定されたことに疎外感を感じた可能性は高い。

むろんそうではなく、先の白人至上主義者あるいは人種差別主義者らによって差別された可能性も否定はできない。

外国のそれらの差別主義者と日本国内の差別主義者は、どちらも汚れたネトウヨ・ヘイト系の群れである。だが両者の間には大きな違いもある。

欧米の差別主義者は明確な意志を持って対象を差別している。ところが日本の差別主義者は、自身が差別主義者であることに気づいていない場合も多い。

その証拠のひとつが、黄色人種でありながら白人至上主義者にへつらう一味の存在である。

白人至上主義者はむろん黄色人種の日本人も見下している。

だが表は黄色いのに中身が白くなってしまったバナナの日本人は、そのことに気づかない。気づいていても見えない振りをする。

差別されている差別主義者ほど醜く哀れなものはない。

同性愛者を差別し侮辱するのは、多くの場合自らを差別している差別者にさえ媚びるそれらのネトウヨ・ヘイト系の連中と、彼らに親和的なパラダイムを持つ国民である。

それらのうち最もたちが悪いのは、自らが他者を差別していることに気づかない差別者である。そしていわゆる先進国の中では、その類の差別主義者は圧倒的に日本に多い。

日本が差別大国である理由は、差別の存在にさえ気づかないそれら“無自覚”の差別主義者が少しも成長しないことなのである。

岸田首相は同性愛者を差別する国民を批判しようとして、「私もニューヨークで少数者(マノリティー)だった」と差別の本質に無知な本性をあらわにしてしまった。

外国に住まう日本人の中には、日本人として差別を受けたことはない、と断言する者もいる。

それが真実ならば、彼らは日本人を好きな外国人のみと付き合っていれば済む環境にいる者か、差別に気づかない鈍感且つ無知な人間か、もしくはバナナである。

バナナとは既述のように表が黄色く中身が白い日本人のこと。自らがアジア人であることを忘れてすっかり白人化してしまい、白人至上主義者とさえ手を結ぶ輩のことだ。

差別発言で更迭された荒井勝喜・前首相秘書官は十中八九そうした類の男だろう。そして僕は岸田首相も彼の秘書官に近い思想信条を持つ政治家ではないか、と強く疑っている。

日本国内における同性愛者への差別とは、日本人が同じ日本人に向けて投げつける憎しみのことだ。岸田首相はそれを是正するために動かなければならない。

ところが首相は自らの外国での体験を、気恥ずかしい誤解に基づいて引き合いに出しながら、あたかも問題の解決に腐心している風を装っている。

一国の宰相のそんな動きは、恥の上に恥の上塗りを重ねる浅はかな言動、と言っても過言ではないように思う





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シューキンペーとアベノボーレイ&アベの忠犬政権が軍拡の暴走を招く

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欧米の多くの心ある人々が呆気に取られた岸田首相のパフォーマンス5ヶ国歴訪には、5月のG7へ向けての日本式の根回しという思惑があったのだろう

だがG7会議に向けて根回しをするは“会議について会議をする“ということであり、その間抜け振りは噴飯を通り越して見ている者が恥ずかしくなるほどだった。

岸田首相は、外遊の目的を「各国首脳と法の支配やルールに基づく国際秩序を守り抜く基本姿勢を確認し(中露北朝鮮がかく乱する)東アジアの安全保障環境への協力を取り付ける」などと語った。

だがそれらはこれまでに繰り返し話し合われ、確認し合い、同意されてきた事案だ。のみならずG7でもまた文書や口頭で傍証する作業が行われるのが確実だ。会議前に論証する意味はない。

それでも人笑わせな5ヶ国歴訪にはひとつだけシリアスな動機があり、岸田首相はそのことを隠すために無体な外遊をした、ということも考えられないではない。

それはつまりロシアによるウクライナ侵略をきっかけに、日本が中露北朝鮮からの軍事的脅威に対抗して軍拡を進めることを、アメリカに認めてもらうよう交渉する、ということである。

岸田首相がその重大なプロセスをカムフラージュするために、アメリカ訪問の前に英仏伊カナダを歴訪したとしたらどうだろうか。

ロシアの脅威を目の当たりにした欧州では、EU加盟国を筆頭に軍事費を急速に拡大する流れが起きた。中でも、大戦後は平和主義に徹してきたドイツの軍事費が、一挙に増大したことが注目された。

のみならずナチスドイツにアレルギーを持つ欧州が、将来彼らの脅威となるかもしれないドイツの軍拡への政策転換を易々と黙認したのである。

ドイツは第2次大戦を徹底総括し、過去のナチスドイツの犯罪を自らのものとして認め、 反省に反省を重ねて謝罪し、果ては「ナチスドイツの犯罪の記憶と懺悔はドイツ国家のアイデンティティの一部」とさえ認定した。

日本は欧州の情勢も見つめつつ、中露北朝鮮のうち特に中国の覇権主義に対抗するため、という大義名分を掲げて防衛費の大幅増額を決めた。

また核兵器の製造・保有とまではいかないが、日本への持ち込みの容認、さらにはアメリカとの核の共有などを含めた抜本的な政策転換を目指していても不思議ではない。

結果、アジアには軍拡が軍拡を呼ぶ制御不能な状況が訪れるかもしれない

日本はドイツとは違い、これまでのところ戦争を徹底総括せず、直接にも間接的にも過去の侵略戦争を否認しようと躍起になっている。

それはネトウヨ・ヘイト系俳外差別主義者の国民、また同種の政治家や財界人や文化人また芸能人などに支持されて、近隣諸国との摩擦や軋轢を招き続けている。

その意味では、日本が軍拡を進めるのはドイツのそれよりもはるかに危険な事態だ。アメリカはそのことを十分に認識しつつ、中国・ロシアへの対抗軸として日本を活用しようとしている。

それは過去に学ぼうとしないアメリカの独善的な態度であり、将来に大きな禍根を残す可能性も高い。

そうではあるものの、しかし、欧州の状況と東アジアの安全保障環境に鑑みて、日本が防衛力強化に踏み切るのはやむを得ない成り行き、とも見える。

日本は自由と民主主義を死守しようとするアメリカほかの友好国と連携しながら、飽くまでも専守防衛による安全保障を目指して慎重に防衛力を強化、維持するべきだ。

その際に日本が強く意識しなければならないのは、今でも多大な基地負担に苦しんでいる沖縄の島々を安全保障の名の元に再び犠牲にしないことだ。

軍事力強化策に伴って南西諸島の島々では、既存の米軍基地に加えて、狭い土地に自衛隊基地や部隊がひしめく環境破壊が繰り返されている。次は戦闘による人的破壊があるのみだ。

多くの日本国民は日本全体の安全保障のために存在する沖縄の基地負担を、沖縄だけの問題と捉えて無関心でいる。

加えて日本政府は、国民のその無関心を巧みに利用して。沖縄に口先だけの基地負担軽減を約束しては重荷を押し付け続けている。いわゆる構造的な沖縄差別だ。

沖縄の人々は、日本以外の世界の先進地域でならとうていあり得ないあからさまな差別と、抑圧と、一方的な犠牲をこれ以上受け入れてはならない。

今こそ中央政府の対応をより厳しく監視しながら、自己決定権を行使するための決死のアクションを含めた、強い真剣な生き方を模索していくべきである。









G7への“地ならし訪問“ってなに?

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岸田首相がG7へ向けての“地ならし“に5ヶ国を訪ね歩くとは、いったいどういう意味だったのだろう?

話したいことがあるなら、それこそG7で話し合えばいいだけの話ではなかったのか。

そのためのG7ではないのだろうか?

首相の欧米5ヶ国歴訪は、統一教会や安倍国葬や軍拡やコロナ第8波etcの都合の悪い事案から、国民の目をそらしたい一心でのこじつけ外遊に見えないこともない。

内政危機の場合には国民の目を外に向けさせろ、というのが権力機構の常套手段でもあることだし。

安全保障その他の重要な分野で日本が米英仏伊カナダと連携するのは、これまでに幾度となく確認されてきたことだ。G7に向けて敢えて“地ならし“をする必要などない。

それにもかかわらずに、政権の噴飯ものの動きをNHKなどが盛んに報道するものだから、外事にナイーブな国民は首相が何か重大な行動を起こしている、と勘違いしてしまう。

それってほとんど詐欺まがいにさえ見える。

ここイタリアのメローニ首相は岸田首相を暖かく迎えた。日本は大切な友人だし、岸田首相は無能とはいえ友人国の代表だから当然だ。

それはマクロン、バイデンの両大統領もスナク、トルドー両首相も同じだろう。

彼らが意味不明なパフォーマンス訪問をせせら笑うことはありえない。

一方で欧米の冷静な人々は、岸田首相の子供じみた無意味なアクションをぽかんと口を開けて見つめた。

子供じみているその度合いが法外なので、彼らは嘲笑することさえ忘れて呆然としてしまったのだ。

岸田首相はもしかすると、安倍元首相の手法を真似て外国訪問を繰り返したいのかも知れない。

それならば彼はその前に、安倍元首相の盛んな外遊が、ネトウヨヘイト系差別主義者らが考えたがるほど諸外国に評価されていたものではないことを、しっかりと確認するべきだ。

安倍国葬熱烈支持派などの人士は、元首相の無闇な外遊がもたらした結果とも言える彼自身とトランプ前大統領との蜜月、という重い問題さえノーテンキに誇りにしたがる。

そんな彼らには世界情勢など読めない。

岸田首相は外遊を売りものにしたいのなら、それの是と非をいくえにも沈思黙考した上で、世界の笑いものにならないように慎重に行動するべき、と腹から思う。


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Ratzingerの置き土産

Ratzi背中

ほぼ10年前、719年ぶりに自由意志によって生前退位し名誉教皇となったベネディクト16世が、12月31日に死去した。

葬儀は1月5日にバチカンで執り行われる。

厳しいようだが僕は彼に対しては、安倍晋三元首相と同様に「死ねばみな仏、悪口を言うな」という美徳を適用してはならないと考えている。

なぜならベネディクト16世は聖職者でありながら大いなる権力者でもあったからだ。

僕は彼の死に際しては、残念ながら3年前に彼が隠遁生活からふいにゾンビのようによみがえった時に覚えた違和感と同質の感慨しか抱けない。

その気分は次の記事の中に存分に盛り込まれている。

https://terebiyainmilano.livedoor.blog/archives/52299307.html


参照:

https://terebiyainmilano.livedoor.blog/archives/52298622.html







イタリア初の女性首相と極右の因縁

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極右と規定されることも多い右派「イタリアの同胞」のジョルジャ・メローニ党首が、イタリア初の女性首相となって1週間が経過した。

連立政権とはいえ、ついに極右政党が政権を握る事態に欧州は驚愕した、と言いたいところだが現実は違う。欧州は警戒心を強めながらもイタリアの状況を静観してきた、というのが真実だ。

メローニ政権は、少しの反抗を繰り返しながらも、基本的にはEU(欧州連合)と協調路線を取ると見るのが現実的だ。

近年、欧州には極右政党が多く台頭した。それは米トランプ政権や英国のBrexitEU離脱)勢力などに通底した潮流である。

フランスの「国民連合」、イタリアの「同盟」と「イタリアの同胞」、スペインの「VOX」ほかの極右勢力が躍進して、EUは強い懸念を抱き続けてきた。

2017年には極右興隆の連鎖は、ついにドイツにまで及んだ。極右の「ドイツのための選択肢」が総選挙で躍進して、初めての国政進出ながら94議席もの勢力になった。

それはEUを最も不安にした。ナチズムの亡霊を徹底封印してきたドイツには、極右の隆盛はあり得ないと考えられてきたからだ。

それらの極右勢力は、決まって反EU主義を旗印にしている。EUの危機感は日増しに募った。

そしてとうとう2018年、極右の同盟と極左の五つ星運動の連立政権がイタリアに誕生した。

ポピュリストの両党はいずれも強いEU懐疑派である。英国のBrexit騒動に揺れるEUに過去最大級の激震が走った。

だが極右と極左が野合した政権は、反EU的な政策を掲げつつもEUからの離脱はおろか、決定的な反目を招く動きにも出なかった。

イタリアでは政治制度として、対抗権力のバランスが最優先され憲法で保障されている。そのため権力が一箇所に集中しない、あるいはしにくい。

その制度は、かつてファシスト党とムッソリーニに権力が集中した苦しい体験から導き出されたものである。同時にそれは次々に政治混乱をもたらす仕組みでもある。

一方で、たとえ極左や極右が政権を担っても、彼らの思惑通りには事が運ばれない、という効果も生む。

過激勢力が一党で過半数を握れば危険だが、イタリアではそれはほとんど起こりえない。再び政治制度が単独政党の突出を抑える力を持つからだ。

イタリアが過激論者に乗っ取られにくいのは、いま触れた政治制度そのものの効用のほかに、イタリア社会がかつての都市国家メンタリティーを強く残しながら存在しているのも大きな理由の一つだ。

イタリアが統一国家となったのは今からおよそ160年前のことに過ぎない。

それまでは海にへだてられたサルデーニャ島とシチリア島は言 うまでもなく、半島の各地域が細かく分断されて、それぞれが共和国や公国や王国や自由都市などの独立国家として勝手に存在を主張していた。

国土面積が日本よりも少し小さいこの国の中には、周知のようにバチカン市国とサンマリノ共和国という2つのれっきとした独立国家があり、形だけの独立国セボルガ公国等もある。

だが、実際のところはそれ以外の街や地域もほぼ似たようなものである。

ミラノはミラノ、ヴェネツィアはヴェネツィア、フィレンツェはフィレンツェ、ナポリはナポリ、シチリアはシチリア…と各地はそれぞれ旧独立小国家のメンタリティを色濃く残している。

統一国家のイタリア共和国は、それらの旧独立小国家群の国土と精神を内包して一つの国を作っているのだ。だから政府は常に強い中央集権体制に固執する。

もしもそうしなければ、イタリア共和国が明日にでもバラバラに崩壊しかねない危険性を秘めているからである。

各都市国家の末裔たちは、それぞれの存在を尊重し盛り立てつつ、常にライバルとして覇を競う存在でもある。

イタリア共和国は精神的にもまた実態も、かつての自由都市国家メンタリティーの集合体なのである。そこに強い多様性が生まれる。

そして多様性は政治の過激化を抑制する。多様性が息づくイタリアのような社会では政治勢力が四分五裂して存在するそこでは、極論者や過激派が生まれやすい。

ところがそれらの極論者や過激派は、多くの対抗勢力を取り込もうとして、より過激に走るのではなくより穏健になる傾向が強い。跋扈する極論者や過激思想家でさえ心底では多様性を重んじるのだ。

2018年に船出した前述の極右同盟と極左五つ星運動による連立政権は、政治的過激派が政権を握っても、彼らの日頃の主張がただちに国の行く末を決定付けることはない、ということを示した。

多様性の効能である。

今回のイタリアの同胞が主導する右派政権もおそらく同じ運命を辿るだろう。

メローニ首相率いるイタリアの同胞は元々はEUに懐疑的でロシアのクリミア併合を支持するなど、欧州の民主主義勢力と相いれない側面を持つ。

「イタリアの同胞」はファシスト党の流れも汲んでいる。だがイタリア国民の多くが支持したのは右派であって極右ではない。ファシズムにいたっては問題外だ。

メローニ新首相はそのことを知りすぎるほどに知っている。彼女は選挙戦を通して反民主主義や親ロシア寄りのスタンスが、欧州でもまたイタリア国内でも支持されないことをしっかりと学んだように見える。

メローニ「右派」政権は、明確に右寄りの政策を打ち出すものの、中道寄りへの軌道修正も行うというスタンスで進むだろう。

それでなければ、彼女の政権はイタリアと欧州全体の世論を敵に回すことになり、すぐにでも行き詰まる可能性が高い。




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タナボタ英新首相の正体

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リシ・スナク氏が英国の新首相に就任した

ジョンソン元首相、トラス前首相に続く3人目の負け犬首相である。前代未聞の事態が次々に起きる英国は、あるいは存続の危機にあるのではないか

ジョンソン元首相は追い詰められて辞任した。トラス前首相は失脚した。そしてスナク新首相は保守党の党首選でトラス前首相に敗れたばかり。彼もやはり負け犬なのだ。

負け犬が3連続で首相を務める英国はきわめて異様に見える。

何よりも先ずそのことを指摘しておきたい。

負け犬から突然、タナボタで英国最強の権力者になった、スナク首相の就任演説をBBCの実況放送で聴いた。

辞職したばかりのトラス前首相のミスをさりげなく、だが明確に指摘しながら、そのミスを是正し英国経済を立て直す、と宣言する様子は傲岸なふうではなく、むしろ頼もしいものだった。

だがそれはまだ単なる彼の言葉に過ぎない。

コロナパンデミックに続くロシアのウクライナへの侵攻によって、英国に限らず世界中の経済は危機にさらされている。巨大な危難は英国一国だけで解決できる問題ではないと見える

世界経済は複雑に絡み合い利害を交錯させながら回っている。

有名金融関連企業で働いた後、ジョンソン政権で財務大臣も務めたスナク首相は、実体経済にも詳しいに違いない。だが単独で英国経済を立て直せるかどうかは未知数だ。

経済政策でコケれば彼もまた早期退陣に追い込まれる可能性が高い。そうなるとスナク氏は再び落伍者となって、負け犬指導者が4代続く事態になり英国存続の危機はいよいよ深化するばかりだ。

閑話休題

スナク首相は経済政策を成功させるか否かに関わらず、既に歴史に残る一大事業を成し遂げた。僕の目にはそちらのほうがはるかに重要トピックと映る。

いうまでもなくスナク首相が、英国初の非白人の首班、という事実だ。

彼は宗教もキリスト教ではなくヒンドゥー教に帰依する正真正銘のインド系イギリス人である。人種差別が根深いイギリスでは、画期的な出来事、といっても過言ではない。

2009年、世界はアメリカ初の黒人大統領バラク・オバマの誕生に沸いた。それは歴史の転換点となる大きな出来事だった。

だが同時にそれは、公民権運動が激しく且つ「人種差別が世界で最も少ない国アメリカ」に、いつかは起きる僥倖と予見できた。

アメリカが世界で最も人種差別の強い国、というのは錯覚だ。アメリカは逆に地球上でもっとも人種差別が少ない国だ。

これは皮肉や言葉の遊びではない。奇を衒(てら)おうとしているのでもない。これまで多くの国に住み仕事をし旅も見聞もしてきた、僕自身の実体験から導き出した結論だ。

米国の人種差別が世界で一番ひどいように見えるのは、米国民が人種差別と激しく闘っているからだ。問題を隠さずに話し合い、悩み、解決しようと努力をしているからだ。

断固として差別に立ち向かう彼らの姿は、日々ニュースになって世界中を駆け巡り非常に目立つ。そのためにあたかも米国が人種差別の巣窟のように見える。

だがそうではない。自由と平等と機会の均等を求めて人種差別と闘い、ひたすら前進しようと努力しているのがアメリカという国だ。

長い苦しい闘争の末に勝ち取った、米国の進歩と希望の象徴が、黒人のバラック・オバマ大統領の誕生だったことは言うまでもない。

物事を隠さず直截に扱う傾向が強いアメリカ社会に比べると、英国社会は少し陰険だ。人々は遠回しに物を言い、扱う。言葉を替えれば大人のずるさに満ちている。

人種差別でさえしばしば婉曲になされる。そのため差別の実態が米国ほどには見えやすくない。微妙なタッチで進行するのが英国の人種差別である。

差別があからさまには見えにくい分、それの解消へ向けての動きは鈍る。だが人種差別そのものの強さは米国に勝るとも劣らない。それはここイタリアを含む欧州の全ての国に当てはまる真実だ。

その意味では、アメリカに遅れること10年少々で英国に非白人のスナク首相が誕生したのは、あるいはオバマ大統領の出現以上に大きな歴史的な事件かもしれない。

僕はスナク首相と同じアジア人として、彼の出世を心から喜ぶ。

その上でここでは、政治的存在としての彼を客観的に批評しようと試みている。

スナク首相は莫大な資産家でイギリスの支配階級が多く所属する保守党員だ。彼はBrexit推進派でもある。

個人的に僕は、彼がBrexitを主導した1人である点に不快感を持つ

白人支配の欧州に生きるアジア人でありながら、まるで排外差別主義のナショナリストのような彼の境遇と経歴と思想がひどく気にかかる。

ジョンソン首相の派手さとパフォーマンス好きと傲慢さはないものの、彼の正体は「褐色のボリス・ジョンソン」という印象だ。

それゆえ僕は英国の、そして欧州の、ひいては世界に好影響を与えるであろう指導者としての彼にはあまり期待しない。

期待するのはむしろ彼が、ジョンソン前首相と同様に「英国解体」をもたらすかもしれない男であってほしいということだ。

つまりスナク首相がイギリスにとっては悪夢の、欧州にとっては都合の良い、従って世界の民主主義にとっても僥倖以外の何ものでもない、英連合王国の解体に資する動きをしてくれることである。



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トラス首相とともに沈み行く英国が見える


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トラス英首相が辞任を表明した。

就任からわずか6週間での辞任。

驚きだが、予定調和のような。

不謹慎だが、何かが喜ばしいような。

何が喜ばしいのかと考えてみると、ボリス・ジョンソン前首相の鳥の巣ドタマが見えてきた。

ジョンソン前首相はいやいやながら辞任し、虎視眈々と首相職への返り咲きを狙っている。

トラスさんのすぐ後ではなくとも、将来彼は必ず首相の座を目指すだろう。

彼の首相就任は英国解体への助走、あるいは英国解体の序章。。。

なるほど。喜ばしさの正体はこれだ。僕は英国の解体を見てみたいのだ。

英国解体は荒唐無稽な話ではない。

英国はBrexitによって見た目よりもはるかに深刻な変容に見舞われている。

その最たるものは連合王国としての結束の乱れだ。

イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランド から成る連合王国は、Brexitによって連合の堅実性が怪しくなった。

スコットランドと北アイルランドに確執の火種がくすぶっている。

スコットランドはかねてから独立志向が強い。そこにBrexitが見舞った。住民の多くがBrexitに反発している。

スコットランドは独立とEUへの独自参加を模索し続けるだろう。

北アイルランドも同じだ。

Brexitを主導したのはジョンソン前首相だった。彼は分断を煽ることで政治力を発揮する独断専行型の政治家だ。

Brexitのように2分化された民意が正面からぶつかる政治状況では、独断専行が図に当たればあらゆる局面で政治的に大きな勝ちを収めることができる。

言葉を変えれば、2分化した民意の一方をけしかけて、さらに分断を鼓舞して勝ち馬に乗るのだ。

彼はそうやって選挙を勝ち抜きBrexitも実現させた。だが彼の政治手法は融和団結とは真逆のコンセプトに満ちたものだ。

彼の在任中には英国の分断は癒されず、むしろ密かに拡大し進行した。

だが国の揺らぎは、エリザベス女王という稀代の名君主の存在もあって目立つことはなかった。

そんな折、ジョンソン首相がコロナ政策でつまずいて退陣した。

国の結束という意味ではそれは歓迎するべきことだった。

ところが間もなくエリザベス女王が死去してしまった。

代わってチャールズ3世が即位した。新国王は国民に絶大な人気があるとは言えない。国の統合に影が差した。

そこへもってきて就任したばかりのトラス首相が辞めることになった。

彼女の辞任によって、退陣したばかりのジョンソン前首相がすぐにも権力の座をうかがう可能性が出てきた。

ジョンソン前首相は英国民の分断を糧に政治目標を達成し続けたトランプ主義者であり、自らの栄達のためなら恐らく英国自体の解体さえ受け入れる男だ。

彼が首相に返り咲くのは、先述したように英国の解体へ向けての助走また序章になる可能性がある。

それは悪い話ではない。

理由はこうだ:

英連合王国が崩壊した暁には、独立したスコットランドと北アイルランドがEUに加盟する可能性が高い。2国の参加はEUの体制強化につながる。

世界の民主主義にとっては、EU外に去った英国の安定よりも、EUそのもののの結束と強化の方がはるかに重要だ。

トランプ統治時代、アメリカは民主主義に逆行するような政策や外交や言動に終始した。横暴なトランプ主義勢力に対抗できたのは、辛うじてEUだけだった。

EUはロシアと中国の圧力を押し返しながら、トランプ主義の暴政にも立ち向かった。

そうやってEUは、多くの問題を内包しながらも世界の民主主義の番人たり得ることを証明した。

そのEUBrexitによって弱体化した。EUの削弱は、それ自体の存続や世界の民主主義にとって大きなマイナス要因だ。

英連合王国が瓦解してスコットランドと北アイルランドがEUに加盟すれば、EUはより強くなって中国とロシアに対抗し、将来再び生まれるであろう米トランプ主義的政権をけん制する力であり続けることができる。

大局的な見地からは英国の解体は、ブレグジットとは逆にEUにとっても世界にとっても、大いに慶賀するべき未来だ。

《エリザベス女王死去⇒チャールズ国王即位⇒トラス首相辞任⇒ジョンソン前首相返り咲き》

という流れは、歴史が用意した英国解体への黄金比であり方程式である。

むろんそれは僕の希望的観測ではあるものの。。。



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