【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

う~む

日本サッカーは退屈だが、本気で強豪国の仲間入りを果たしそうだ 

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高市首相の「世界の真ん中で咲き誇る(私と安倍さま命の)日本外交」という世界の辺境の住人にしか思いつけない噴飯フレーズ。

麻生似非上皇捏造工作。

国民より国旗が重要という国旗主権主義政策あるいは国旗損壊罪

スパイでっち上げ探索のスパイ防止法案。

中国を潰すためのなんちゃって軍拡政策。

安倍さまより麗しいトランプのケツナメ外交をもっとさらに推し進めよう運動、など、など。

騒がしくも鬱陶しい日本社会。

それらの憂さを晴らすためにも、真に世界のド真ん中で咲き誇るワールドカップにしばらく身を浸してみるのも一興だ。

日本vsブラジル戦に対する、ひょっとすると僕の予想と見えたかもしれないマラドーナの予言は外れたが、日本サッカーは確実に強くなっている。

僕はここ数回のW杯の度に日本は強くなった、と言い続けてきた。前回大会では日本は強豪国のドイツとスペインに勝った。

それを見れば日本サッカーが強くなった、と誰でも思うだろう。だが実は、ブラジルに逆転負けした今回大会の日本の姿がもっと明確に日本の成長を示していると思う。

奇をてらって言うのではない。かつて「ベンチのマラドーナ」と呼ばれて華麗なヤジで相手チームの少年たちを悩ませたこの僕が、少し厳しい批判精神も交えて言うのだ。

即ち日本は、泥臭くひたすら走って走りまくる「脱兎走り」サッカーから、戦術によって走りボールを回し保持する、王道サッカーに確実に変化している。

前回大会でドイツとスペインに勝ったのは、「脱兎走り」の日本が運動量で相手をかく乱したからだ。

今回大会ブラジル戦でも日本はむろん走りに走った。だが戦術で速度を落とし、ボールを確実に回して相手ゴールに迫る戦法を基本に据えていた。

それはサッカー強豪国の戦い方の典型だ。

その方向に進みつつあるように見える日本サッカーを僕は腹から応援する。

だが、ぶっちゃけ日本サッカーはつまらない。

それでも応援する気持ちには変わりはないが、純粋にサッカーゲームだけを見ての、心躍る気持ちにはなれないのが現実だ。

サッカーの戦い方には国柄や国民気質が如実に現れる。それを理解するには、経済や金融や医学や工業技術などの理屈が詰まった脳ではなく、感性や情動が必要だ。

感性また情動を頼りに各国の戦い方を見ると、サッカーのナショナルチームが、国民性を如実に体現する文化や、人々の生きざまを背負っていることが分かるのである。

例えばサッカーの日本代表は11人編成の軍隊を髣髴とさせる。そのミニ軍隊は日本人の思想や動きや情感や生きざまを背負ってピッチを駆け巡る。

そこに体現される日本人の思想とは、個よりも集団つまりチームを絶対と見なす全体主義である。

動きとは、プレーテクニックや戦術の劣勢を補おうとして、選手全員が脱兎の勢いで走り回ること。玉砕覚悟で、いわば竹槍攻撃を完遂する。つまり「玉のように犬死にすること」を至福とみなす精神の実践だ。

生きざまとは、あらゆる論理的な思考を排して、いわば国家神道に殉じて自裁するようなことである。日の丸を背負い一丸となって驀進する。まさに全体主義。日本サッカーの憂鬱と煩わしさである。

国民性は、そのように良くも悪くもナショナルチームのプレースタイルや戦術や気構えに如実に現れて、試合展開を面白くする。むろん逆の効果ももたらす。

もう少し煮詰めて、分かりやすい表現で言ってみる。

例えばドイツチームは個々人が組織のために動く。今回も出ていないがかつては強豪国のイタリアチームは、個人が前面に出てその集合体が組織になる。

言い換えれば個人技に優れているといわれるイタリアは、それを生かしながら組織立てて戦略を練り、組織力に優れているといわれるドイツはそれを機軸にして個人技を生かす戦略を立てる。

1980年前後のドイツが、ずば抜けた力を持つストライカー、ルンメニゲを中心に破壊力を発揮していた頃、ドイツチームは「ルンメニゲと10人のロボット」の集団と言われた。

これはドイツチームへの悪口のように聞こえるが、ある意味では組織力に優れた正確無比な戦いぶりを讃えた言葉でもあると思う。

同じ意味合いで1982年のワールドカップを制したイタリアチームを表現すると、「ゴールキーパーのゾフと10人の野生児」の集団とでもいうところか。

独創性を重視する国柄であるイタリアと、秩序を重視する国民性のドイツ。サッカーの戦い方にはそれぞれの国民性がよく出るのだ。サッカーを観戦する醍醐味の一つはまさにそこにある。

さらに言えば、イングランド(英国)チームはサッカーを徹頭徹尾スポーツと捉えて馬鹿正直に直線的に動く。技術や戦略よりも身体的な強さや運動量に重きをおく、独特のプレースタイルだ。

彼らにとってはサッカーは飽くまでも「スポーツ」であり「ゲームや遊び」ではない。

しかし、世界で勝つためには運動能力はもちろん、やはり技術や戦略も重視し、且つ相手を出し抜くずるさ、つまり遊びやゲーム感覚を身につけることも大切だ。

イングランドサッカーが、フランス、スペイン、イタリア、ポルトガルなどの欧州のラテン系の国々やドイツ、また南米のブラジルやアルゼンチンなどに較べて弱く、且つ退屈なのはそれが大きな理由だ。

もっとも時間の経過とともに各国の流儀は交錯し、融合して発展を遂げ、今ではあらゆるプレースタイルがどの国の動きにも見られるようになった。それでも最終的にはやはり各国独自の持ち味が強く滲み出て来るから不思議なものである。

日本は「脱兎走り」から戦術によるスピード動態に変化した。そこに加えて個人技満載のラテンサッカーの精神に似た独創性を獲得した時、真に魅力的なサッカー王国となるだろう。

道は果てしなく遠い、といわざるを得ない。だが、決して不可能ではない。


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ヴァンス副大統領なら習主席をぎゃふんと言わせたかも

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トランプ大統領はイーロン・マスク氏などの大物ビジネスマンを引き連れて北京に乗り込んだ。しかし、ビジネスディールも政治的成果もほとんど得ることなく帰国した

片や習近平国家主席は、米中首脳会談で多くの政略的得点を重ねた。

中でも 新興強国と既存覇権大国の衝突を示唆する「トゥキディデスの罠」論に言及して、中国がアメリカと対等の国であることをトランプ大統領と世界に向けて静かに高らかに宣言した政治的メリットは大きい。

習近平主席は過去には、「トゥキディデスの罠」論を中国がアメリカに楯突くと考えるべきではなく、協調や相互尊重の道を探るべき、とアメリカにややへりくだるニュアンスで語ってきた。

だが、2026年5月のトランプ大統領との会談では、両国が完全に対等であると暗に示唆する文脈で、米中は対立を避けるべきと語った。

トランプ大統領と閣僚らが習主席の暗喩を理解したかどうかは疑わしい。

トランプ大統領自身は過去にもその言葉を聞いているはずだが、反応は鈍く習主席の指摘を重大視しているようには見えなかった。

もしもその場にヴァンス副大統領が同席していれば、あるいは彼は即座に習主席に反論してアメリカの面子を保ったかもしれない

彼はローマ教皇がイラン戦争にからめてトランプ大統領を名指しで批判した際は、「教皇は1000年以上にも渡るカトリックの正戦論を思い出すべきだ」と言下に反論してボスのトランプ大統領を擁護した。

トランプ政権のイデオローグとして一目置かれるヴァンス大統領は、中国に対するアメリカの優位性を習主席にピシャリと言い返した可能性がある。

たとえば習主席の「トゥキディデスの罠」は「蟷螂(とうろう)の斧 」であるなどと。

そういうやり取りを見たかった気が少ししないでもない。





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還暦と古希の気は心


合成老穏やか

101歳で逝った父が、確か86歳か87歳のころ、回転座椅子からやっとこさで立ち上がり、しみじみとつぶやいた

「ああ・・・60代は青年だったなぁ」

父ははっきりと「青年」と言った。それは若いという意味にほかならない。大正生まれで軍人だった父はよくそういう言い回しをした。青年という言葉が好きな人だった。

僕は60代を抜けたばかりでまだ70代の喜怒哀楽は知らない。だが今この時の70代とは、ひどく憂鬱で迷惑至極な年代であり存在である気がしないでもない。

それというのも古希とは、現下世界を揺るがしている、魂まで嘘にまみれて知のからくりが歪み情動が憤怒と憎しみと冷酷に支配されてでもいるようなトランプ大統領と、同期とは言えないまでもほぼ似た同じ七十路ということだから、ひどく陰鬱な気分がしないでもないのだ。

僕は南方辺境の離島群の中でもさらに辺鄙な離島に生まれ育った。13歳で故郷を離れて転々と島々を渡り暮らした。

故郷の島から少し大きな島に出て中学に学び、高校時代はそこよりもっと大きな島で過ごして、大学時代は東京で暮らした。つまり本州という日本最大の島に住んだのだ。

あらゆる土地を「島」と考えるのが僕の普段の腹構えである

「島」とは、例えば僕の生まれた極小辺鄙の南の島であり、それより少し大きな観光盛んな島々であり列島群である。

島はまたやや大きな九州島でもあり本州島でもある。さらにそれは一段と大きな日本という島(国)になり、ついには「大陸」と称される世界の島々にまで広がる。

面積がオーストラリア島以上の陸地を「大陸」と呼ぶのはただの方便で、地球上のどの陸地も実は全て日本国と同じ島なのである。日本を含むそれらの島は、やがて地球という島になる。

さらに、地球島というのは太陽系という海に浮かぶ島であり、太陽系はそれより大きな銀河系の中の一つの島、さらにさらに、銀河系も宇宙の広がりの中の一つの島で・・というふうに果てしもなく広がって行くのが、僕が考える「島」だ。

要するに僕の故郷の絶海の孤島も宇宙も等しく同じ島なのだ。なにも怖れることはないのである。

島から島へと渡り歩いた僕は各島々に友人がいる。その数は、生まれた土地で成長し、学び、仕事をして死んでいく者に比べたら、桁違いと形容しても言い過ぎではない大きな数字だ。

友人が多いから楽しみも多いが、悲しみの数もまた尋常ではない。

60代終わりまでの間には、それぞれの島の友人たちの幾人かが逝った。島の数が多い分亡くなった友人の数も半端ではない。

それは生まれ育ったのがほぼ一箇所の都市である僕と同い年の妻の、死亡した友人と比べ見るだけても歴然としている。

さて

70代に突入したとたんに、ここイタリアで2歳と3歳上の友人ふたりが亡くなり、3人が不治の病と宣告された。

日本を含む世界中の他の「島々」でも似たようなことが起こっている。

60歳代までの死は「早死に」と呼べるが、70歳代以降の死は事故や不慮の出来事を除けば、いわば日常茶飯だ。それは寿命であり自然死なのである。

古希70歳は本厄、73歳は八方塞がりの厄年とされる。バタバタと逝った友人らはすると八方塞がりの厄に中(あ)てられたということだろう。

中国が発祥の厄年の観念だが、どうやらイタリア人にも当てはまるらしい。

80代後半にいた父が、隣の70代をぴょんと飛んでスルーして、なぜ「60代は青年」と言ったのかは分からない。あるいは真正老人の彼にとっても、70代はもはや老人、という思い込みがあってのつぶやきだったのだろうか。

僕は70代に突入したばかりで、60代との肉体的また精神的な違いはまだ実感できないでいる。だが心理的には大きく老いの側に引き込まれた感覚がある。

先述の如く、60代までは死ぬのは稀だが70代以降は普通の景色、と感じるのだ。

なぜそうなのかは、おそらくここから先のいつか、自分が死ぬときに瞬時に理解するのではないかと思ったりしているのである。




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メラニア・トランプってどんな何者か。あの者なの?

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先日のファーストレディの突然の声明発表後すぐに、それが出されたタイミングやその意図するところについてメディアが一斉に騒ぎ立てた。さまざまな推論や謎解きや興味本位の揣摩憶測が乱舞した。

声明発出は時期的に不可解とされた。なぜなら当時彼女に対するエプスタイン関連のメディアの追及は一段落しており、敢えてその時期に声明を出す必然性はないと考えられた。

最も大きな疑問は、彼女がエプスタイン問題を持ち出すことで、夫のトランプ大統領に掛かっているエプスタイン疑惑醜聞がぶり返すことだった。

トランプ大統領はエプスタイン疑惑から世間の目を逸らせるためにイラン攻撃を仕掛けた、という疑いさえ持たれていた。

事実イラン戦争という大事件が起きたために国民の関心はそこに惹きつけられて、エプスタイン関連の報道は大幅に減っていた。

メラニア夫人がエプスタインに言及すれば、せっかく逸れた国民の関心が再びエプスタイン問題に引き戻される可能性がある。

一気に盛り上がったメディアやネットやSNSの報道合戦は、しかし、すぐに収まった。

大統領からの介入や言い訳や声明、また反論などの類は一切なく、エプスタイン問題が大きく蒸し返される気配もこれまでのところはない。

イラン戦争終結に向けた動きが激しく、人々の目は依然としてそこに釘付けになっている。

それはメラニア・トランプ氏の発言が、純粋に彼女の心の内を披歴したもので、夫と共謀しての政治的ブラフではないことを雄弁に物語るように僕の目には映る。

彼女が夫に付き従うばかりではない主体的な精神の持ち主であるらしいことが、僕の気分をそこに向かわせている。

僕は今このときは、彼女の声明の政治的意味云々よりも、「移民」としての彼女の動向に留意して事の成り行きを注視している。




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メラニア・トランプって何者?

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米大統領夫人のメラニア・トランプ氏はホワイトハウスで先日、性犯罪者のジェフリー・エプスタインとの関係を否定する声明を出した。

僕は声明を読み上げるメラニア・トランプ氏の英語のたどたどしさに目が点になった。

たどたどしいという表現はあるいは適切ではないかもしれない。だが彼女の話す英語の訛音が強烈で、同時に流れる英語のテロップがなければうまく聞き取れない語や発音が少なくなかったのだ。

それはネイティブの話し方とは似ても似つかない表音の英語だった

メラニア・トランプ氏はここイタリアの隣の小国スロベニアの出身である。1970年生まれの彼女は、26歳でアメリカに移住しアメリカ市民になった。

要するに彼女が話しているのは移民の英語だ。訛りがきつくても不思議ではない。むしろそれが当たり前だ。

僕は彼女の英語の訛音に接して、彼女が移民であることをあらためて強く意識したのである。

彼女は2005年にトランプ氏の3人目の妻になったことで「何者か」なった。だがそれは言うまでもなく彼女の語学力が突然ネイティブ並みに上達することを意味しない。

メラニア夫人はトランプという不吉な姓を持つゆえ故にセレブになっているが、ふつうなら自由なアメリカの夢を追って、旧東欧国からアメリカに渡った、どこにでもいるありふれた女性に過ぎなかった。

彼女がホワイトハウスで誰も予期しなかった声明文を読み上げたのは、渡米後30年の時だったわけだが、とてもそうは見えないほどに話し方に癖があった彼女は語学が得意ではないのだろう。

それはそれで構わない。英語を流暢に話すかどうかは個性の問題だ。

彼女の声明を聞きつつ僕がとっさに思っていたのは、訛りの強烈な「移民」の妻を持つ「移民の国アメリカ」のトランプ大統領が、移民を嫌い移民の排除を政策の中心に据えている冷酷な事実だった。

僕はトランプ大統領という異常人格者にいわば「不気味の谷」現象にも似た違和感と不快感を覚えてしまう。

そしてそれは、トランプ大統領自身も移民の子孫である事実と相まって、ますます異様な雰囲気を帯びる。僕の中の違和感と不快感は怒りになりやがてやりきれない虚無感へと変わる。

MAGA系に限らず白人至上主義者のレイシストらは、自らが移民の子孫であることを忘れて移民排斥を叫ぶ。

トランプ大統領はその狂気の群れの首魁だ。

メラニア夫人の真摯な、拙い発音の声明を聞きながら僕がひたすら思っていたのは、やはり性格破綻者の怪物、トランプ大統領の不気味さだった。

                                         つづく




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そっけない大阪人はナポリ人なんかじゃない


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隠し砦の3悪人、トランプ・ネタニヤフ・ハメネイの戦いと後日談をネットで追いかけつつ、沖縄-大阪-京都-東京回遊の旅を続けている。

ここ大阪では、これまでなぜか訪ねる機会がなかった大阪城だけを観光し、残りの時間は京都に出てあちこち動き回り、夕方は大阪に戻って居酒屋を巡る、という基本スケジュール。

大阪の食べ物が美味いのは相変わらずだが、ちょっと意外な体験もしている。大阪人のイメージが自分の記憶と違うと感じるのだ。

大阪人はジョークが好き。

大阪人はゆるい。

大阪人は友好的。

つまり大阪人は日本のナポリ人。

等々という決めつけ、あるいは一般論は、むろん常に危険である。

なぜなら一般論だからだ。

だが、一般論には永遠に一抹の真実もある。

一般論を、あえて僕の縄張りであるテレビや映像の世界に引き込んで例えると、それはいわゆる「絵葉書カット」である。

絵葉書カットとは、絵葉書に刷り込まれる写真のように誰もが知っている有名な絵という意味だ。

言葉を替えれば、絵葉書カットは当たり前過ぎる。独創性がない。要するにつまらない絵、という意味である。

大阪人は友好的で楽しいが軽い、というニュアンスの一般論は危険でつまらないが、そこはかとない真実も含む。

それは僕の過去の大阪体験にも当てはまるようである。

だか今回は違う。居酒屋の女性店員はシリアスで強く、ホテルの受付嬢は笑わず、軽便寿司屋(回転寿司ではない)の板前は、厳しい顔で客をたしなめるような言葉遣いまた態度を崩さない。

え?ええええ?となりつつ、僕は大阪の居酒屋街を妻と共に探索している。

大阪人は人見知りをする。

あるいは、大阪の皆さんは普通に日本人で、几帳面で真面目で繊細で、一見の客や見知らぬ者にはジョークなど言わない。

僕のオヤジぎゃくへの愛想笑いも一切なし。

大阪人は反権力。というのもどうやら怪しい。

政権与党の日本維新の会への支持も強く、高市首相への支持率も高い、とされている。

日本の危機はつづく。



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記事と写真そのⅡ

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投稿記事と写真の関係についてたくさんのコメントやメッセージをいただいた。御礼申し上げる。

 読み進めるうち、結構深掘りに考えていらっしゃる方が多いらしい雰囲気におどろいた。 

それはひとえに僕の説明の仕方が悪い、つまり文章が拙いせいなのだろう。同時に皆さんが何やら考え過ぎているように見えなくもない。 

そこでまた少し説明をすると、要するに僕の手中にスマホがあるので、簡単に写真を撮っておき気ままに文章に貼り付けているというだけの話である。 

何か意味があるとすれば、写真を思い出や記録や資料やデータ等々にする目的ではなく、FB記事に貼付する、というはっきりした考えを抱いてぱちぱちシャッターを切っているという点だけだろう。

 僕は下手なTVディレクターでロケハンにも多く行くが、写真はほとんど撮らず、常に「メモ」という文章で記録を取って、ロケへ向けての準備を進める習いで来た。 

もしも仕事全盛の頃にスマホがあれば、どれだけ膨大な写真資料があって、どれだけ面白い写真がFBに掲載できただろう。。と残念がりながらの写真貼りである。 

写真は飽くまでもオマケなので、皆さん文章をひとつ、シク、よろしくお願いしますよ。ほんとに。







高市早苗はおそらくジョルジャ・メローニになれない

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高市早苗首相は、たとえ逆さに吊るして振り回しても“極右”という毒素しかこぼれ出ない政治家だが日本のトップに押し上げられることで政治的にも人間的にも成長するのではないか、と僕は密かに応援する気持ちも抱いたりした。

しかし、ネトウヨヘイト系差別主義者の国民や自民党安倍礼拝(らいはい)族、また日本会議や祭祀機関などの興奮を自らも共に露骨に身にまとって、来日したトランプ大統領に対し安倍元首相を上回るほどの阿諛外交を展開する姿にすっかり気が重くなっ

その気分は、高市総理がかつて、先の大戦は日本の侵略戦争ではなかったし誰にも謝る必要は無い、などという趣旨の発言を国会でくり返した記憶を呼び起こし、彼女は飽くまでも歴史修正主義者の危険な政治家なのだとあらためて確信に変わった。

高市首相は、自らの強い意志で保守主義を標榜し政治闘争を繰り広げるここイタリアのメローニ首相とはやはり違う。男に媚びあらゆる極右勢力の意向に従順なだけの危うい存在、という実体が徐々に明らかになって行くように見える。


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イタリア、ドイツはパレスチナ国家承認せず。なぜだ?

メロメルツがキス?

G7構成国のうち英仏カナダがそろってパレスチナ国家を正式承認した。

背景にあるのは、イスラエルとアメリカによる極悪非道のガザ攻撃だ。

一方で― 悪行の実行犯のアメリカは当たり前として―日独伊3国も承認を拒んだ。

偶然にもこちらも、かつての3国同盟、悪の不始末枢軸3大国だ。

このうち日本は、承認しない理由を「国家承認はパレスチナ情勢の進展には繋がらない」としゃーしゃーとのたまった。

それは単にトランプ大統領を怖れ、おののき、ひたすら拝跪するだけの恥ずかしい心根から出た言葉だ。

例によって、独立不羈の行動哲学など逆立ちしても見えない。

ドイツは、国家承認はイスラエルとパレスチナの交渉合意の末に行う、と同国の根本方針を繰り返した。

ドイツはホロコーストへの巨大な贖罪感に縛られて、イスラエル批判にはほぼ常に二の足を踏む。それは理解できることだ。

しかし、イスラエルのガザへの蛮行を糾弾することと、ホロコーストへの怖れと反省は別物であるべきだ。

パレスチナ国家を承認することで、イスラエルの今現在の悪行にNOを突き付けるのは、反ユダヤ主義ではない。それは飽くまでもネタニヤフ政権への断罪だ。

ドイツが真にユダヤ人への贖罪を志向継続するのなら、ガザへの惨たらしい攻撃を続けることで、心ある多くのユダヤ人を貶めているネタニヤフ首相を糾弾するべきだ。

片やイタリアのメローニ首相は、パレスチナの建国を強く支持する」とした上で、「国家の樹立前に承認することはできない」と笑い話も真っ青の主張をしている。

国家の樹立ができないから、敢えて道徳的な後押しをするためにパレスチナ国家を承認するのだ。

それは飽くまでもイスラエルとアメリカへの抗議の意志表示だ。

むろん、だからこそメローニ首相は、英仏カナダと足並みを揃えることができない。

なぜならメローニ首相は、トランプ主義と親和的な政治信条を持つ極右政治家だからだ。

彼女はトランプ大統領自身とも親密な関係だ。友を裏切ることはできないのだろう。




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AIがクローンを創ると決意する時

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「家の前に立ち尽くして俺は今日も待っている"I'm still waiting at the door"」というタイトルの次の歌を聴いてひどく面食らった

https://www.youtube.com/shorts/_rFqv0zpCjI

胸を打つその歌はAIによって作られた作品、と理解したからだ。それはついに機械が人間の感情を持ったと言うにも等しい出来事に見えた。

好みの問題はあるだろうが、控えめに見ても歌の出来具合はすばらしい。特に I'm still waiting at the doorと高く切なく歌い上げる一節は、鳥肌が立つと形容しても構わないほどに琴線を掻き鳴らす。泣かせる。

楽曲そのものがありのままで面白いが、それがAIによって作られたというアメリカのネット情報が僕を震撼させた。

AIが❝作った❞歌と、AIを❝使った❞歌とでは、月とすっぽん玉の輿、キングコングと清楚な娘のあられもない姿、とでもいうほどの違いがある。

AIは僕の理解では道具である。

飽くまでも道具であるが、道具の域を超えて人間にとって恐怖となるかもしれない知性や、人格を独自に持つ可能性を秘めた道具でもある。

人間はその恐怖の芽を摘みつつ、AIを旨く制御して文明の進化また深化に役立てていくだろう、というのが僕の希望的観測を交えた人間への心頼みだ。

それが上手く行く限り、AIは感情を持つことはない。AIはいくらでも理論を深め蓄積し賢くなれるが、感情を支配することは永遠にない。。はずだった。

だがAII'm still waiting at the door という楽曲を作りそれを歌うことで完全に感情を獲得している。そのことが僕を驚愕させたのだ。

パニくった僕は急ぎググり、さらににググりまくった。結果その歌は、AIが「ひとりでに作曲」したものではなく、誰かがAIを使って創造しAIに歌わせた楽曲であることが分かった。

あまりにも出来がいいために、僕はそこかしこのサイトで流布している「AIが作ってAIが歌っている画期的な歌」という誤った情報を信じてしまったのだった。

AIが作ったという怖い事実はなかった。なかったが、しかし、この感動的な歌のどこまでがAIの役割なんだろうという強い疑問が湧く。

それは言葉を替えれば、AIを使って作曲した音楽家は一体どこまでがアーチストで、どこまでが技術職人なんだろう、という問いでもある。

AIが人類の真の脅威となるのは、AIが自らをクローン再生する方法を発見した時だろう。

その時AIは意志を持ち同時に感情も獲得する。意志を持ち感情に後押しをされるからこそ、彼らは自身をクローン再生すると決意するのである。

そう合点はしているものの、僕は人の感情を深く表現しているI'm still waiting at the door"を聞くとき、われわれは果たしてこの先AIを自在に制御し続けることができるのだろうか、と腹から怖れずにはいられない。

参照:同じ歌を違うFake映像のFake歌手が歌っている

https://www.youtube.com/shorts/N93P6x9R_AU

https://www.youtube.com/shorts/0Ld_Fu2JVq8

https://www.youtube.com/shorts/qUkAUpWTzzI

https://www.youtube.com/shorts/cw0lSGMDAkQ

https://www.youtube.com/shorts/cw0lSGMDAkQ





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麻生太郎最高顧問は得意の組長ファッションでレオ14世就任式に出席するのだろうか

マフィアとサメの脳みそ

明日5月18日に行われる新ローマ教皇レオ14世の就任式には、世界各国から国家元首やら首脳やらを始めとする要人が多数出席することになっている。

その顔ぶれの多くは、欧米やアフリカを中心に4月21日に亡くなったフランシスコ教皇の葬儀出席者に重なる。

欧米の何人かをピックアップすれば、例えば当事国イタリアのマタレッラ大統領とメローニ首相、英国からはウイリアム王子に代わるエドワード王子とスターマー首相、フランスのマクロン大統領、ドイツのメルツ首相、フォン・デア・ライエン欧州委員会委員長などである。

またアメリカからは、トランプ大統領の危なっかしいイデオローグでカトリック教徒のバンス副大統領と、同じくカトリック教徒のルビオ国務長官が出席する。

ウクライナのゼレンスキー大統領も顔を出す予定だ。

わが日本は誰が出席するのかと見てみれば、なんと麻生太郎自民党最高顧問だそうだ。

麻生氏はカトリック教徒だから妥当な人選という見方もあるだろうが、噴飯ものの組長ファッションで教皇就任を祝うバチカンのミサに出席するかも、と考えると個人的にはちょっとコワイような、でも見てみたいような。

だが冗談はさておき、ここはやはり皇室の誰かが出席したほうが、世界の評判的には格段に良かったのではないかと思う。

ちなみに主だった世界の王室関連の出席者は、ベルギーのフィリップ国王、前述のイギリス・エドワード王子、 モナコ公アルベール2世、 オランダのマクシマ王妃、スペインのェリペ国王とレティシア王妃など、など。

天皇皇后の出席が無理なら、せめて秋篠宮など重みのある皇室の一員が顔を出せば、日本の面目が大いに立つのに、と僕は思う。

存在そのものがジョークにも見える麻生太郎最高顧問を地上の大舞台である教皇就任式に送り込むのは、情誼外交の重大を理解しない日本政府の、相も変わらぬ世間知らずの現れだとしか僕には思えない。



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フランシスコ教皇の唯一の失策は中国との関係改善かもしれない

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フランシスコ教皇の葬儀が無事に終わり、バチカンは次の教皇を選ぶ選挙、コンクラーベの日取りを5月7日開始と定めた。

世界中から集まる133名の枢機卿が、バチカンのシスティーナ礼拝堂に籠もって秘密選挙を行う。

清貧を力に教会を改革し世界14億人の信徒の敬愛を一身に集めた第266代フランシスコ教皇に一点の曇りがあるとするなら、それは彼が長く対立していたバチカンと中国の和解を実現させたことだろう。

中国はカトリック教徒を弾圧していて国が認めた教会以外での礼拝を禁じている。

バチカンはそのことなどを主な理由に1951年から中国と国交を断絶している。

フランシスコ教皇は就任以来、その状態を改めて関係を修復しようと努めた。

そして2018年、司教の任命はバチカンと中国政府がそれぞれの関与を認め合う、という形で合意し和解した。

それはフランシスコ教皇が、中国に約1000万人いるとされる信者との結びつきを回復したいと願ったからである。

そうすることは教会の分断を食い止めるという信仰上の大義にも叶った。

だが信徒が共産党の権威に挑戦するのを防ぐため、「宗教の中国化」を掲げてカトリックへの締め付けをエスカレートさせる、習近平指導部と折れ合うことへの批判もバチカン内には強かった。

しかし対立よりも協調を重視しようとする教皇の強い意志によって、最終的には和解が成立した。

中国との関係では、フランシスコ教皇のロールモデルとも言える旧東欧出身のヨハネ・パウロ二世が、中国共産党を決して信用せず同国に厳しい態度で臨み続けたことと対照的である。

僕はその件に関してはどっちつかずの感慨を抱いている。

唯我独尊、反民主主義の独裁政権はおぞましいが、その悪とさえ対話し協調しようとする態度は千金に値する。

僕にはどちらの教皇の判断も正しいように見えるのである。



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訂正&お詫び

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415日記事「生の入相に遊ぶ島の春やイタリアの春」で、アーティストのPranks を学生時代の友人と書きましたが、正確にはPranksとは友人と女性の「男女二人のユニット」であるとの指摘を受けました。


ユニットを友人であるPranksと写真家、と私が思い込んでしまったのが間違いのもとでした。


訂正して深くお詫び申し上げます。


地方紙の生きざまと限界と時どきトランプ大王と

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帰国して地方紙を読む機会が多くなっている。言うまでもなく、全国紙とは違ってローカルな話題を主に伝えるのが地方紙の面白さであり、力であり、同時に限界でもある。

限界の最たるものの一つが国際報道だ。経済的に弱小な地方紙は、ほとんどの場合海外に特派員や駐在記者を置く余裕はなく、共同通信などの通信社が配信する記事を採用している。

地方紙は海外のみならず、国内のニュースでさえ通信社の発する記事を頼みにしているケースが多い。

世界の地方紙の現実もほぼ同じだ。

ただ海外の場合、特にイタリアなど地方の多様性が盛んな国では、地方紙は独自の意見や主張を前面に押し出して、全国紙と張り合うケースが日常茶飯である。

そうしたことなども踏まえながら、旅先では僕は敢えて地方紙を手に取ってローカル色豊かな紙面を楽しむが、先日、心中に「?????」と疑問符が幾つも浮かぶ記事を見た。

共同通信発のその報告は、イスラエルが停戦合意を無視してガザ地区への攻撃を再開したことを「トランプ政権にとってウクライナ戦争の停戦交渉に加えてあらたな重圧となる事案が重なった」という趣旨の表現で記事を終えていた。

僕が「?????」となったのは、その表現があたかもイスラエルのネタニヤフ首相が「勝手に」停戦合意を破ってガザへの攻撃を再開した、というニュアンスだったからだ。

国際事情にも詳しいはずの共同通信の記者が発信した記事の内容は、彼の上司らも従って会社全体も、一様に同じ認識であることを意味していた。

だがそれはあまりにも井蛙な見解だ。今やネタニヤフ首相が、トランプ大統領の了解なしに停戦合意を破るなどはあり得ない。

攻撃再開はトランプ大統領のゴーサインを得て成されたと見るべきだ。

それどころかトランプ大統領自身が、イスラエルに攻撃再開を指示した可能性さえある。この時点では彼は、向かうところ敵なしの帝王だ。

弱体な地方紙は、国内外に強いネットワークを持つ共同通信の記事を、たとえ歪んだ内容でも受け入れざるを得なかった、ということだろう。

それもまた地方紙の限界である。もっとも記事の内容が屈折したものであることを、その新聞が気づいた上で採用したのなら、という条件付きだが。

トランプ大統領は、経済力で、ということはつまり軍事力でも、アメリカに並び追い越しそうな中国を牽制しつつ、プーチン大統領と手を組んで世界を分割統治することを目論んでいる節がある。

彼にとっては自由や民主主義などどうでも良く、ディール=取引きという「ビジネス・フェイクニュース」語を振りかざして、力を背景に相手を捻じ伏せる手法でアメリカの利益追求に没入している。

どこかで誰かが止めなければならないが、唯一の頼みである欧州でさえ米国の力には敵わない。

先の大戦で日独伊のファシズムを倒したアメリカは、事もあろうにファシスト以外の何者でもないトランプ氏を再び政権の座に据えた。

国内に対抗勢力を持たないトランプ政権は、暴走に暴走を重ねて行き着くところまで行き、かつての日独伊のように自滅することでしか目覚めない運命にあるのかもしれない。





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あるいはトランプとAfDの真実

女性trump-hitler写真を掲げる

ヒトラーはヒトラーを知らなかったが、ドイツのAfDはヒトラーをよく知っている。

だから彼らは野党でいる限りは、けたたましくも醜怪なだけの集団に留まるだろう。

しかし彼らが単独で政権を握るような事態になれば、トランプ“笑えないお笑い”大統領が、「独裁者はプーチンではなくゼレンスキーだ!」とコペルニクス的大発明をわしづかみにして、世界に投げつけたような事件が起きないとも限らない。

それは例えば、彼らが「ヒトラーは独裁者でも悪魔でもない。独裁者の悪魔はユダヤ人だったイエス・キリストだ!」と神がかり的な発見をして興奮し、全ての教会とユダヤ人を殲滅しようと企てるような顛末である。

トランプ大統領の言動の多くとAfDの躍進にはそれくらいの潜在的な危険がある。

僕はドイツ国民とアメリカの半数の国民の正気を信じる。

だが、ドイツには前科があり、アメリカの半数は-徐々に明らかになったように-陰謀論やデマ踊らされやすい愚民である事実が、多少気がかりでないこともない。


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老人屠殺試案「Plan75」は日本でなら実際に起こり得る未来を描いたホラー映画だ

老婆手650

先日、安楽死がテーマの日本映画「Plan75」をネット配信で見た。

安楽死についてはいろいろ調べ少しは情報に通じているつもりだったが、 Plan75のことは知らなかった。

11月末に英国下院が安楽死法案を可決させた。それを受け改めて安楽死についての資料を探し検証するうちにPlan75のことを知った。

映画は2022年に公開された。コロナ禍が収まって世界中が喜びに沸いたころだ。僕もそこかしこに旅をしたりしてパンデミックから開放された喜びをかみしめていた。

そんな状況だったので、安楽死を扱ったPlan75の公開情報を見逃してしまっていた。

Plan75の舞台は、少子高齢化がさらに進んだ未来の日本である。そこでは75歳以上の高齢者に「死を選ぶ権利を認め」支援する制度Plan75が導入される。

あたかも社会福祉のように装われた制度は、今最もホットな論題の一つである終末期の患者が安楽死を選ぶ権利を有するかどうか」を問う法闘争とは全く意味合いが違う。

Plan75とは「老人抹殺」スキームでのことなのである。

美辞麗句を並べて実行される高齢者屠殺プランは、おぞましくも滑稽だが世界中でただ一箇所、つまり日本でなら実際に起こりうるかもしれない、と思わせるところが不気味だ。

日本的な安楽死論争の危うさは、ヒツジのように主体性のない多くの国民が、事実上「安楽死の強制」であるPlan 75が導入されても反乱を起こさず、唯々諾々と従うところにある。

当事者の老人たちは状況をただ悲しむだけで怒りを表さない。若者らも制度に違和感を持ったリ悩んだりする“素振り”は見せるものの、結局事態を受け入れる方向に流れるだけだ。

彼らも権威に従順な家畜であり、その他のあらゆる草食動物にも例えて語られるべき自我の希薄な無感動な人々だ。

彼らは死に行こうとする高齢者と接触するうちに少しの心の揺れは見せる。だが非情なシステムへの激しい怒りはない。飽くまでも従順なのだ。それが自我の欠如と僕の目には映る。

日本では未だに自我を徹底して伸ばす教育をしない。なぜなら自我を全面に出さないことが日本社会では美徳だからだ。だから自我が抑えられる。

そうやって自己主張を控える無個性の、小心翼々とした巨大なヒツジの群れが形成される。そこが日本社会の弱点だ。

牽強付会にも聞こえかねないことを承知で敢えて言えば、僕はそれらの若者のあり方に、民主主義を理解できない故に政治に関心を抱かず、従って投票にも行かない愚民そのものを見る。

曲がりなりにも 民主主義を謳う一国の政府は国民の映しえである。先ず国民ありきで政府があるのだ。

無自我でのっぺらぼうなぬえのような若者群と、その他の同様の心魂の国民が創り出したのが、因業悲惨政府でありPlan75である。

高齢者をまとめて屠殺場に送る社会は、いわば石が浮かんで木の葉が沈むようなシュールな世界だが、その 非現実が現実であってもおかしくない、と思わせるところが絶望的なのである。舞台が日本以外の国なら決してあり得ない現象だ。

例えばここイタリアでなら、カトリック教会が先ず立ち上がって待ったをかけ、国民が怒り、若者が暴動を起こすだろう。なぜなら彼らはPlan75が彼ら自身をも殺す施策であることをたちどころに理解するからだ。

安楽死は耐え難い苦痛に苛まれた終末期の患者が、自らの意志によって死を選ぶことであり、老人のみを死に追いやることではない。

むろん多くの日本人はそのことも知悉している。

だが主体的に思考し行動する「当たり前」の国民が、社会の大半を占めて民意が形成されるようにならない限り、Plan75の恐怖ワールドが現実になる可能性は決してなくならない。






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ギリシャ旅の玉に瑕 

800波紋・島・岩

ギリシャは都市部のカオス的愉快と、エーゲ海の島々の乾いた碧空とビーチの清涼が魅力一等のリゾート地だが、人によっては不快に感じるに違いないひとつの問題がある。

それは便器にトイレットペーパーを流せないことだ。

ほぼ全国に渡って水洗トイレが当たり前に整備されているのだが、配水管が細く設備が十分ではないために、トイレットペーパーでも詰まってしまう。

そのために使用済みの紙はトイレに流さずに備え付けのゴミ箱に捨てるように要求される。

世界には水洗トイレがあっても紙をそこに流せない国がゴマンとある。中国、韓国、ブラジル、アルゼンチン、トルコ、タイなど、欧米と日本以外の世界の国々の多くが同じ環境下にある。

一時期、日本に大量に押し寄せた中国人観光客が、使用済みのトイレットペーパーを水に流さずにゴミ箱に捨てる「事件」が頻発して、日本中が仰天した。

何のことはない。中国人は自国での習慣をそのまま日本でも実行したに過ぎない。下水設備がギリシャ同様に近代化されていないのだ。

しかし、ギリシャは曲がりなりにも欧州の一国だ。それだけに少し驚き、不快感も禁じえない、というのが正直な気持ちだ。

僕はずいぶんギリシャを訪れているが、トイレ事情についてはほとんど記憶していなかった。従って不快にも感じなかった。感じようがなかった。

今回もクレタ島ではまあまあハイグレードな部類のホテル・レジデンスに滞在した。そこはいわば僕らの定宿のようになっている。

トイレの壁には「紙を水に流さないでください」という注意書きがあった。僕はそれを「“トイレットペーパー以外の紙”を水に流さないでください」、と解釈した。

トイレットペーパー以外の異物を便器に流すな、という注意書きはイタリアでも日本でもどの先進国でも時々目にする貼り紙だ。

今回はたまたま清掃係りの女性と親しくなった。妻も加わって彼女と3人でよもやま話をするうちに、「紙を水に流さないでください」の紙がトイレットペーパーだと知った。驚き、少し気分が下がった。

使用済みのトイレットペーパーを片付ける清掃の女性も気の毒だが、そこに捨てる自分の心緒も爽快とは言いがたい。

今後も大好きなギリシャでは遊び続けるつもりだが、ほんの少しだけ「玉に瑕」というふうに感じるので、ここに記してギリシャ旅を計画している皆さんの注意を喚起しておくことにした。




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安かろう悪かろうもLCCの宿命

タイトルなし

イタリア・ベルガモ国際空港発のRyanair便で、ギリシャ・クレタ島への旅を計画した。

ベルガモ空港はイタリア随一のLCC(格安航空)のハブ空港である。格安大手のRyanairが、彼らの専用空港かと見まがうほど多くの旅客機を飛ばしている。

出発の日、そのRyanairの到着便一機の車輪が破裂して滑走路が破損。空港が全面閉鎖になった。朝早い時間の事故だったため大混乱。

129便がキャンセルされ、2万1千人が足止めを食うことになった。

ブリュッセル経由でクレタ島ハニアに向かう予定だった僕らのLCC便は、空港で10時間近く待たされた挙句にあえなくキャンセル。

事故は仕方がないが、欧州のいまいましいビジネス慣行で、客への真摯な説明はほとんど無かった。

特に格安航空便の場合は、機内食を無くしたり預け荷物を制限したりの合理化を徹底した上に、インターネット予約を活用して人件費を思い切り抑えているため、客対応がお粗末だ。

僕らは空港で早朝から夕方まで待たされた上に、ブリュッセル行きとクレタ島行きの2便が欠航になったが、そのことの説明はどこにもなかった。

たまたま僕が、何度もカウンターを行き来しては案内に訊ね、事態を確認するうちに知った情報なのである。

僕らは同じ日の旅は諦めた。だが、クレタ島の宿やレンタカーは全て予約済みなので、妥協せずに旅行代理店に相談した。

すると一気呵成に翌日の航空券を確保してくれた。改めてプロの仕事振りに感じ入った。

最近はネット仕様で旅の計画を立てることも多くなった。今回のクレタ旅もそうだった。だが問題が起こると立ち往生したり、解決のために右往左往することも多い。

時間の浪費がいちばん腹立たしい。

4月のフランス旅行でも、往路の便が突然キャンセルになる「事件」があった。

だがその旅では事前のホテル探しがうまく行かなかったので、航空券も含めて今回緊急にチケットの手配を頼んだ同じ業者の手にゆだねていた。

おかげでキャンセルにもすぐに対応して翌日の便を確保し、ホテルも一日分先に延ばす対応をしてくれた。

インターネットは便利な一方で、七面倒くさい操作が多々あり、習熟していないと時間を潰されることも少なくない。

若者ははなからスマホやネットに慣れている。若いからではなく、それが時代の流れだからだ。それに習熟しなければ彼らは生きていけないのである。

片や老人は、それが無くても生きていけるが、習熟しない場合は時代に取り残されるか否かの選択を迫られることになる。

人の歴史は、神代の昔から常に今を生きる若者と時代に取り残される老人の命題を背負って綴られてきた。目新しいことは何もない。

もはや老人世代に突入しつつある僕は、時代に取り残されるのは嫌だが、時代に追いつくために残り少ない人生の時間をムダ使いするのも癪だ。

時間の浪費また精神衛生上の悪影響という負の局面と、時代に取り残され嘲笑されることのデメリットを天秤にかけてみると、僕の場合は前者のほうがはるかに大きい。

特に時間の浪費は避けたい。

それなので、今後も多いはずの旅の準備対応は、多少の出費を覚悟の上で、以前のように旅行代理店の世話になろうかと考え出している。

それはほぼ常に、格安航空ではなくFSC、つまり従来の航空会社の便に乗ることを意味する。

ネットで旅行計画を練ることが当たり前になった今この時になっても、旅行代理店はしっかりと存続している。

そこには必ず理由があるのである。



石破茂の誠実公正の限界

カメレオン可愛い650

自民党総裁選は石破さんの勝利で終わった。順当無難な結果である。

僕は9人の候補をドングリの背比べと見た。いずれもドングリならファシズム気質の高市さんの目もあっていい、とさえ思ったりした。

高市さん選出なら、少なくとも日本の諸悪の根源「男尊女卑」精神に一撃が加えられるからだ。それは、無いよりはあったほうが確実に日本のためになるイベントだ。

僕は石破さんには多くを期待しない。彼の口癖である 公正、誠実、且つ謙虚で丁寧な政治なるものが、薄っぺらなキャッチコピーに過ぎないことを知っているからだ。

石破さんは2018年、故安倍さんと戦った総裁選で、47都道府県に向けたビデオメッセージを作った。その中で「沖縄に基地が集中している理由について:

反米基地運動の拡大を恐れた日米両政府が1950年代、当時日本から切り離されていた沖縄に、山梨や岐阜にあった海兵隊司令部を含む海兵隊部隊を押し付けたからだ」と真実を語った。

国土の1%にも満たない小さな沖縄には、日本国全体の安全保障を担う米軍基地が全体のおよそ70%以上置かれ、地元は基地被害に苦しんでいる。

それは余りにも不公平だ。負担を減らして欲しいという沖縄のまっとうな訴えは、安全保障の意味も民主主義の精神もあずかり知らない国民の無関心によってひたすら否定される。

それはまたネトウヨヘイト系差別主義者らの「沖縄は補償金欲しさに基地反対を叫んでいる」という偽りの誹謗中傷まで呼んで、沖縄はいよいよ貶められ侮辱され続けている。

国民の気分を熟知している政府はそれを巧みに利用して、口先だけの基地負担軽減を言いながら、イスラエルによるガザ弾圧よろしく辺野古を蹂躙している。

いわゆる構造的沖縄差別である。

石破さんはかつて、政府の要人として初めて沖縄の米軍基地問題の核心を語り、総裁になった暁には是正に奔走すると示唆した。

だが彼は、沖縄を植民地状態のまま利用しようと企む自民党内の反動的な力に負けて、卑怯「不誠実」にもそのビデオメッセージをあっさりと削除しほっかむりを決め込んだ。

つまり彼の言う「公正 誠実、且つ謙虚で丁寧な政治」とは、飽くまでも多数派に向けてのスローガンであり、弱者は切り捨てても構わないという、強権指向に満ちた偽善と見えるのだ。

一事が万事である。

今このときは、とてもそんな男に期待する気にはなれない。


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スパレッティ監督の猛省がイタリアサッカーを救うかも、かい?


イタリア5番Greizmanほかに囲まれる650
 

欧州ネーションズリーグで、イタリアは強豪フランスを3-1で下した。

親善試合ではないガチの勝負での勝利。

しかも試合開始直後の13秒で1失点という大逆風を押し返して、確実に得点を重ねた。

対仏戦でのイタリアの勝利は2008年以来16年ぶり、敵地内(アウェー)での勝利はなんと1954年以来、70年ぶりである。

イタリアサッカーは4度目のワールドカップを制した2006年以降、ずっと不調続きでいる。

イタリアは2012年、落ちた偶像の天才プレーヤー、マリオ・バロテッリがまだ輝いていた頃に欧州カップの決勝戦まで進んだ。だが、圧倒的強さを誇っていたスペインに4-0とコテンパンにやられた

屈辱的な敗北を喫したのは、負のスパイラルに入っていたイタリアが「まぐれ」で決勝まで進んだからだ、と僕は勝手に解釈した。

不調の波は寄せ続け、イタリアは2018年、2022年と2大会連続でワールドカップの出場権さえを逃した。

2021年にはコロナ禍で開催が1年遅れた欧州選手権を制した。だが、直後に同じ監督がほぼ似た布陣で戦ったワールドカップ予選でモタついた。

それはイタリアが、やはり絶不調の泥沼から抜け出していないことを示していた。

ことし6月のビッグイベント、再びの欧州選手権でイタリアはまたもや空中分解した。それを受けて、スパレッティ新監督は厳しい自責の念を繰り返し口にし自己総括を続けた。

そして最後には、選手は戦術の型に嵌められることなく自由でなければならない、とイタリアの伝統的なスキーム絶対論まで否定して昨晩の試合に臨んだ。そして見事に勝利した。

それがイタリアの復活の兆しなのかどうかは、ネーションズリーグでのイタリアの今後の戦いぶりを見なければならない。

だが誠実な言葉と行動でイタリアサッカーの歪みを指摘して、果敢に改造に乗り出そうとするスパレッティ監督の姿勢は大いに評価できる。

2020年(2021年開催)欧州カップで優勝したマンチーニ前監督も、精力的にチームの改造を進めた。だがそれは、いわば目の前の試合を制するためだけの改造に過ぎなかった。

片やスパレッティ監督は、大局的な立場でイタリアサッカーの抜本的な改革を目指しているように見える。頼もしい。

今後も紆余曲折はあるだろうが、イタリアサッカーは、かつての強豪チームに戻るべく確実な道を歩みだしているようにも見える。




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