【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

同時投稿コラム

信者Mのケガの光明

夫婦子供川の字650
©ザ・プランクス



目ざめ

 「やあ、こんにちは。ようやくすっかり目が覚めましたね」

 ベッドで目覚めたMのすぐ目の前にある男の顔は、巨顔症かと思うくらい異常に大きくて丸く、両目はカミソリで切りこんだ傷あとみたいに細くて瞳がまったく見えなかった。男がぶあつい唇を横に引きつらせて笑っているために、顔中の皮膚がずりあがって、ただでも細い目をおおい隠してしまっているのだ。そのうえ男の獅子鼻の下には汚れのようなうすい口ヒゲがこびりついていて、下あごにはカリカチュアの中国人そっくりのみじめったらしい長いヒゲまでぶらさがっていた。

 Mはぎゃ! と悲鳴をあげた。大きな双眸と高い鼻と濃い髭を持つ美顔の白人ばかりを見つづけてきたMの目には、息がかかるほど近くにぬっとつき出されている男の顔はゾンビのように映ったのだ。

 男はMの反応に気をわるくすることもなく、ニコニコと笑いつづけている。気を落ちつけて見ると、男の顔はM自身のそれと同類の日本中のどこにでもころがっている顔だった。白人の感覚でおどろいたMがどうかしているのだ。Mは一転して、あ、やさしい顔だなと思い、そうすると俺は日本にいるのだな、と安心した。

 「ドメニコ・ナガオカです。はじめまして」

男はMの鼻をなめるほど近くに寄せていた顔を上げて一歩うしろに下がり、きまじめな表情でぺこりと頭をさげた。Mの視界がひらけて、男の全身が見えた。どうひいき目に見ても医師の診察着にしか見えない白衣を着ている。Mはそのとき、男の頭のてっぺんがつるつるに禿げあがっていることにも気づいた。

 「たいへんでしたね。3日3晩ずっと眠りっぱなしでしたよ。いやあ、一時はどうなることかと思った。よかった、よかった。もう大丈夫ですからね」

自分がなぜ日本にいるのか、いったい何が起こったのか、どうしてそこに50歳がらみの白衣を着た男がいるのか、何もかもが突然でわけが分からずにいるMにはおかまいなしに、男は精いっぱい愛想をふりまいた。

 「----ここはどこですか。あなたはいったい誰ですか」

ぽかんとして男の顔を見あげていたMはようやく聞いた。

「まあーた。またまたまたまたまた! なかなかお上手ですね。バスルームで倒れて頭を打って、気絶して、時間がたって気がついたら、そこは天国か病院に決まっているじゃないですか」

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「でも、大丈夫。安心しなさい。ここは天国ではありません。サンタマリア元修道院病院です。わたしはごらんの通り、医者です」

「病院……」

「そうです。バチカン市国経営、法王さま直属のサンタマリア元修道院病院。フィレンツエの郊外の丘の上にあります。ごらんなさい」

 医師に言われて窓外に目をやると、なるほど眼下はるかには花の聖母寺の大キューポラを景色の中心に据えた、フィレンツエの美しい街なみが薄い霞のむこうに広がっているのが見える。

 そうか、ここはまだやっぱりイタリアだったのだ------。Mは窓外の景色のようにぼんやりと霞のかかっている頭の中で思った。Mはもう10年近くもフィレンツエに住んでいる貧乏画家だ。しかも彼は気をうしなう寸前まで、フィレンツエにほど近い地中海沿岸の町でイタリア人の妻と子供と共にバカンスを過ごしていたのだ。イタリアにいるのが当たり前なのである。

 「日本じゃないのか……」

Mはなぜかすこしがっかりした。

「日本? まさか。イタリアですよ、ここは。神の国、精神の国、法王さまのおわしますイタリアです。泥のように精神のない国、日本なんかであるはずがないでしょう。気をしっかり持ってください」

「先生は日本人?」

「そうですよ。やっぱりイタリア人に見えます? いやあー、よく言われるんです。しかし正真正銘百パーセント、本家本元純粋ピュアな日本人ですよ」

「でも、日本人じゃないみたい。名前が―――」

「ドメニコのこと? ドメニコは洗礼名です。元の名は洋一。洋一長岡。今は本名もドメニコ・ナガオカでいいです」

医師はMの言葉を途中でさえぎってほがらかに言い、それからえんえんと自分と病院の関係を説明し始めた。

 それを要約すると、彼は敬けんなカトリック教徒で、20年ほど前にバチカンのサンピエトロ寺院に参詣にやって来て、そのままイタリアに住みついたのだという。はじめはローマに住んでいたのだが、10年ほど前からはフイレンツエ郊外の丘の上にあるこのサンタマリア元修道院病院につとめている。しかし仕事は無報酬無私無欲のいわばボランテイアである。彼はバチカンからの指令によってこの病院に派遣されて来ている医師なのだ。

 サンタマリア元修道院病院は、その名前からも分かる通りカトリック系の由緒ある病院である。ここには主に宗教問題で悩んでいるカトリック教徒が多くおとづれる。その大半は、異教圏に生まれながら何の因果かカトリックを信奉するようになってしまい、カトリックの理想と生まれた土地の思想風習文化情愛生活習慣義理人情など、ありとあらゆる因縁としがらみのはざ間で悩み疲れた熱心な信者である。イタリア人も多少いるが、アラブ人、ユダヤ人、アフリカ人、また日本人の信者もかなりの数がおとづれる。

 ドメニコ長岡医師は、本人が若いころに宗教問題で大いに悩んだ経験があるために、そうした人々にきわめて同情的で、すこしでも彼らの力になってやるのが同じ信者としての自分の義務だと考え、バチカンからの指令をこころよく受け入れたのだという。

 「要するにここは気ちがい病院ですか」

医師の話がひと通り終わるとMは聞いた。医師はぎょっとして細い目を思いきり見ひらいた。見ひらいても彼の目は鏡もちのひび割れくらいにしか見えなかった。

「き、気ちがい……なんてことを。それ放送禁止用語ですよ。そんなことはありません。精神の疲れと、き、気ちがいとはまったく話がことなります」

「ぼくは気ちがいじゃないですよ」

「当たり前です。自分で自分のことを気ちがい―――じゃない、え~と、クレージーとかクレージーじゃないとか主張するクレージーなクレージーがいますか。ここには誰ひとりとして気の狂った人間はいません。病院という名前がついているから誤解したのでしょうが、ここは疲れた信者の心を安めるいわば保養所。静かな環境の中でゆっくりと体をやすめて精神をリラックスさせるための場所です。変なことを考えてはいけません」

医師はきっぱりと言い、ふいにはじけるスマイルでMの目の前に再びぐあんと顔をつき出した。

「あなたの洗礼名はフランチェスコですね、Mさん」

仲間意識をあらわにして、医師は猫なで声でささやいた。

「そうだよ」

Mはぶすっとして返した。洗礼名がフランチェスコならどうだというのだ。

 Mは3年前、イタリア人の妻と結婚したのを機会にカトリックの洗礼を受けた。骨の髄までカトリックの信奉者である妻にしつこくすすめられて、彼はその儀式を受けたのだ。信仰心などすこしもなかった。妻にホれた弱みと、白人の仲間入りをしたいという虚栄心があったのだ。今では彼はそのことを後悔している。フランチエスコなどという名前で呼ばれると、目がくらむほど恥ずかしい。柄(がら)ではないと思う。医師が嬉々として自分のことを「ドメニコ」などと呼ぶのを聞くと、Mはよけいにそんな気分になる。鳥肌が立つ。図々しいと思う。Mの顔も医師の顔も、仏教か神道かアニミズムがふさわしい。信仰は顔でするものなのだ。

 「いい名前ですね。本当にいい名前です。フランチェスコというのは、あなたに良く似合っていると思いますよ」

まるでMの腹の中を見すかしたように医師はMを持ち上げておいて、

「さ、それでは何が起こったか話してみて下さい。気絶する前のでき事を一つ一つゆっくりと思い出して、わたしに話してみるのです」

と彼をうながした。

「それと洗礼名と何か関係があるのですか」

「あるかも知れないし、ないかも知れない。そのことをはっきりさせるのが病気をなおす一番の近道です」

「病気?」

「あ、いや。病気ではありません。つまり、あなたのケガのことです。ケガの原因というか、理由というか……。そういうことを知っておかなければなおるものもなおらない。ま、そういうことです」

 ケガの原因………とMはつぶやいた。そうだ、それがあって俺はここにいるのだ、と彼はふいに気づいた。すると頭の後ろがズキズキと痛んだ。Mは無意識にそこに右手をのばした。ごわごわした感触の異物が貼りついている。彼はそのときはじめて、自分の頭に包帯がぐるぐると巻きつけられていることを悟った。

「あ、気をつけて。傷口はまだふさがっていないんです」

医師があわてて両手を上げてMを制した。しかしそのときのMは、医師の言葉にはまったく耳を貸していなかった。

彼はその時けんめいに意識を集中してなにかを思い出そうとしていた。後頭部が激しく痛んだ。ケガのせいか意識がもうろうとしてなかなか考えがまとまらない。それでも彼は考えた。ケガの原因  怪我のゲンイン  怪我の原因  ケガのげんインの怪我のゲンインのケガ-……そうだ! 俺は子供を殺した……それでケガをして……気をうしなって……子供殺しが俺のケガの原因――。長い時間をかけてMはようやく結論に行きついた。

 深い悲しみがどっとMをおそった。ぽろぽろぽろぽろと彼の目から涙があふれ出て、頬をつたって落ちた。やがて彼はおいおいと声をあげて泣いた。涙で枕がぬれて、さらにシーツがぬれても彼は泣きやまなかった。

「さ。さ。ささささささささ。Mさん落ちついて。泣いてばかりいてはだめです。気をしっかりもってなにもかも話してしまうことです。そうすれば救われます。救うのが神の仕事です。さ、さ、さ。さささささささささささ」

 医師にやさしくうながされて、Mはしゃっくりをしいしい話しはじめた。


未知との遭遇

「好きで生まれたわけじゃない」

Mの耳にははっきりとそう聞こえた。はじめはもちろんそら耳だと思った。草木もねむる丑三つ時。午前3時に近い海の借家のキッチンにいるのは、Mと生後70日の彼の息子だけだ。

生まれたての赤ん坊が口をきくはずはない。とすればユーレイか。しかし窓の外には柳の木も見えなければ生あたたかい風も吹かない。それでなくてもスマホ、パソコン、スーパーコンピュターのこの時代にユーレイは冗談がきつい。加えてここは、見るもの聞くもののすべてが陽気じみているのが取り柄の国イタリアだ。そのイタリアのユーレイにしては、低いが良く通る声の質にねばつくような実在感があって、あまりにも愛きょうがなさ過ぎた。

 Mは疲れていた。ビーチでの長い日光浴と慣れない水泳のおかげで、重石を腹にのみこんだような倦怠感を全身におぼえていた。それでも彼は、出産に体力を使いはたして病人のごとく弱っている妻のドリエラに代わって、赤ん坊の世話をしなければならない。

 赤子は手がかかる。おしめの交換や風呂の世話や食事のそれはいうまでもなく、寝ても起きても黙っていても、親の手助けがなければ生きていけないのが赤ん坊だ。赤子がひとりでできるのは吐いて吸う息だけなのだ。

 Mが真夜中の3時に、ドロボー猫よろしくこうしてキッチンでうろうろしているのも、子供に食事をさせてやるためだ。妻のドリエラは、体が弱りきっているために乳が一滴も出ない。なので子供はずっとミルクで育っている。

 朝の7時に始まって1日に6回、ほぼ4時間ごとに子供はミルクを要求する。真夜中の3時が1日の終わりの、あるいは始まりの食事というわけである。日課になっているから機械的に目は覚めるが、そんな時間に子供の面倒を見るのはMはいつもうんざりだった。

 Mは車輪つきの子供の箱ベッドを寝室からキッチンに移動して、寝ぼけまなこで子供のミルクを作っていた。授乳時間にベッドから抱きあげると、子供は目覚まし時計のようにけたたましく泣き出す。だから彼は、ぐっすりと寝こんでいる妻のねむりをさまたげないように、子供を毎晩ベッドごとキッチンにはこびこむのだ。

 ミルクをあたためながらMは腹の中で子供にさんざん悪態をついていた。

(こいつのおかげでせっかくのバカンスが台なしだ。俺はまだまだ子供なんかほしくなかったのだ。ちくしょう、あの晩俺が酔っぱらってさえいなければ、こいつがこの世にひり出されることもなかったのに……。一生の不覚だ。事故で生まれてきたくせに、こいつは1日に人の倍の6回も食事をしたいときた。おまけに自分では少しも体を動かす努力をしやがらない。何かというとビービー泣くだけが能だ。腹が減ったといっては泣き、ねむいといっては泣き、フンをしては泣き、目が覚めたといっては泣き、うれしいときでさえ悲鳴をあげている。ろくでもないチビめ)

そのとき、まるでMの腹の中のつぶやきにこたえるように、冒頭の文句が彼の耳に飛びこんだ。

 Mはかすかな物音も聴きのがすまいとして、ありたけの神経を両耳に集中した。哺乳瓶をあたためているガスコンロの栓をそっとひねる。ぶつぶつと不満たらしい音を立てていた熱湯が静まった。そこにふたたび声がかかった。

「いつまでもブーたれていないで、早く食わせろ」

 まちがいない。声はMの背後にある赤ん坊のベッドからもれて来ていた。

Mの腰から下をおそう虚脱感。まるで他人の下半身を引きずっているみたいだ。後頭部にピストルを突きつけられた逃亡者よろしく、Mはそろりと振りむいて箱ベッドの中をのぞき見た。

 ほっとした。なにも異常はなかった。子供はゴムのような赤い唇に、左手の中指と薬指を思いきり押しこんで、ちゅうちゅうと音を立てて吸っている。おしゃぶりは歯茎に悪いと医者に言われて、Mと妻は子供にそれをあてがわないことにした。手もちぶさたなのか、赤ん坊は生まれてまもなく2本の指を口につっこむ癖をつけた。

 Mはベッドの手すりから手をはなした。哺乳瓶を取ろうとして流し台に振りむきかけたとき、無心に中空を見ていた子供の視線が動いた。同時に瞳の色が鳶色から深みのあるグレーに変わった。

 赤ん坊の瞳の色は白人の妻の血を強く引いていて、日ごとに、極端な場合には時間ごとにくるくると変わって見える。色素の関係で光の当たる量や角度に敏感に反応するのだ。まるでビー玉のようだ。Mはふだんなら赤ん坊の瞳の色の変化をながめて楽しむところだ。子供のころに色とりどりのビー玉を光にかざして見た遊びを思い出して、ノスタルジアをかき立てられるのだ。

 その時はようすが違った。赤ん坊の瞳はなにかの意志を秘めてくるりと変化したように見えた。

 Mの予感はあたった。

「ぼくのおかげでけっこうなバカンスが過ごせるんじゃないか。じゃま者あつかいにするなよ。ミルク、あたたまったんだろう? はやく飲ませてくれ」

子供は指をくわえこんだ唇をくねらせて声を発した。Mの総髪が逆立ってピンポン玉みたいな鳥肌が全身に飛び出す。

「ドリエラ!」

Mはけたたましく妻の名を呼んだ。呼びながら顔を妻のいる寝室の方に向けた。しかし視線が子供の顔に貼りついてどうしても動かせない。だからよく見えた。赤ん坊はMの叫び声にびくんと大きく反応した。反応はしたが、すぐには泣き出さなかった。一呼吸置いて、決心をして、それからわざとらしく顔をゆがめるやいなや、こわれたサイレンのようなすさまじい泣き声を上げたのだ。

(こいつは一筋縄ではいかない怪物だ。演技をしている!)

Mは穴に吸いこまれるような恐怖感におそわれながら頭の片すみで思った。

 「どうしたの!」

声よりも速いかと見える勢いで妻の体がキッチンの中に飛びこんできた。立ちすくんでいるMを一べつする間ももどかしく、彼女は箱ベッドに突進して中をのぞきこむ。たちまち、ずる、とくずおれて、それの手すりにかけている両腕に顔をうずめた。

 「おどかさないで」妻はそのままの姿勢で顔だけをMに向けた。「赤ちゃんがやけどでもしたのかと思った――」

うらめしげに、しかし安堵感を満面にたたえて彼女は言った。

 妻はボロ布のように弱った体にむち打って、夢中で寝室から飛び出してきたにちがいなかった。彼女は出産のときに帝王切開の手術を受けて大量に血をうしなった。それは2個の大きな腫瘍を摘出する作業も兼ねていた。そのために5時間にもおよぶ大手術になってしまった。もともと貧血の体質だった妻は、その後さらに重度の貧血症におちいって、出産の後の体力の回復が遅々として進んでいない。今は育児どころか、自分の身の世話もおぼつかない、なかば寝たきりの療養中の身なのだ。

 箱ベッドに寄りかかったまま妻はしばらく息をととのえた。やがて残る力を振りしぼってゆっくりと身を起こしにかかる。Mは妻に手を貸すこともわすれて、流し台に背中を押しつけて棒のようにつっ立っていた。妻は立ちあがって箱ベッドの中で泣きわめいている赤ん坊を抱き上げた。とたんに赤ん坊はぴたりと静かになった。まるでスイッチを切るような不自然な沈黙。Mはそこでも子供の強い意志を感じた。

 「いったいぜんたいどうしたの?」

ドリエラは子供を胸に抱きしめてそれの肩ごにMを見た。視線にトゲがある。

「……口をきいた」

「え?」

「子供が口をきいた。化け物だ」

ドリエラは真四角な卵でも見るようにMの顔を見た。やがて、ふっと表情がゆるむ。

「あきれた。夢を見たのね」

頭を小きざみに左右にふりながら、妻は芯からあきれた、とMに伝えていた。

 無力感がどっとMの全身をとらえた。妻の反応が当たり前だ。彼女が自分の目と耳でたしかめない限り、Mの話は永久に信じないだろう。動てんしてはいるが、Mにはそれくらいの判断力は残っていた。そして………子供は母親の目の前ではしゃべることがない……。Mが妻の名を呼んだときの子供の反応の仕方や、たったいま母親に抱き上げられてぴたりと泣きやんだときの意志的な態度から推して、Mはそんな予感がした。その予感も後になってみるとやっぱり当たっていた。


誤解

 「あら、まだミルクを飲ませていないの。しょうがないわね」

妻は湯わかしの中にある哺乳瓶に気づいて言った。言いおわるときには既にそれを湯わかしから取り出している。子供を抱きかかえている左腕の手首を器用に前に差し出して、ドリエラは哺乳瓶のミルクの一滴をその上にたらして温度をたしかめた。

「ちょっとぬるいけど、大丈夫」

ドリエラはひとりごとのように言って、ミルクをなめて手首を清め、子供をあお向けに抱き変えて椅子に腰を下ろす。

 子供は泣きやむと同時にふたたび2本の指をしゃぶっていた。妻が赤ん坊の口からそれをそっと引き出してやって、代わりに哺乳瓶の乳首をあてがう。赤ん坊は、飢えたオオカミのような、というたとえも真っ青になるくらいのすごい勢いでバクリとそれに食らいついた。食らいつくと同時に両の拳を顎の下でぎゅとにぎりしめて、こん身の力をこめて乳首を吸いはじめた。

 子供は息をつく間もおしんでひたすら食べつづける。妻はその様子を至福感にくもった目で見おろして微少している。やがて、

「ゆっくり飲みましょうね。はい、ちょっと休んで」

と言いながら、子供の口から乳首を抜いて息をつかせてやる。そうしないと赤ん坊はミルクを飲みながら窒息死しかねない。

 (慣れた手つきだ)

Mは妻の一連の動きを観察しながら思った。

(どうも何かがおかしい。しっくりこないものがある。だがおかしいと言えば今夜はすべてがおかしいのだ。何もかもおかしいから、ついでに目の前に展開されている光景もおかしく見えるのだろう……)

 子供はと見ると、母親が哺乳瓶の乳首を口から抜き出したことにも気づかず、めくれた両唇をつき出して惰性でなおもちゅうちゅうとやっている。そこに妻が哺乳瓶の乳首をあてがった。赤ん坊はふたたびそれにかぶりついて必死に吸う。頃合いを見はからってドリエラが瓶を動かして息をつかせてやる。子供は哺乳瓶の乳首が口から離れても委細かまわずに、唇をつき出してちゅうちゅうとやっている。

 Mの関心は、いつの間にか妻の動静から子供のそれに移ってしまっていた。

(――こいつは何かに似ている……。そうだ、酸素不足にあえぐ生簀の鯉。こんなみじめったらしい生き物が言葉をしゃべるはずがない。もしかすると、しゃべるように見えたのは、口につっこんでいる指のすき間からもれる空気の加減だったのかも知れない………)

 父親など完全に無視してひたすら食事に固執している赤ん坊を見つめて、Mは自分に言い聞かせようとする。しかしどうしてもそれは気やすめのように思えて仕方がない。子供がしゃべるのを見た瞬間からMの中に居すわっている暗い洞のような不安が、彼の気分を決定的に支配していた。

 「赤ちゃんはあなたに何て話しかけたの。パパ? それともオトーサン?」

妻がMの方に顔を上げて、下手くそな日本語をまじえて聞いた。笑っている。Mが子供のしゃべる夢を見て寝ぼけたと信じているのだ。

「好きで生まれたんじゃない。ブーたれずに早くミルクを飲ませろ、と生意気な口をきいた」

Mはブゼンとして言った。妻の目がぱっとかがやいた。

「うわあ、すごい。そんなことパパに言ったの。ジュリオ・タカシ、えらいわねえ!」

哺乳瓶を右手で支えて、子供の口にあてがいながらドリエラは赤子の顔をのぞきこむ。Mはいらいらしたが、うまい反撃の文句は思い浮かばなかった。妻がかさにかかってからかってくる。

「何語で話したの。英語、日本語、それともイタリア語?」

「日本語だ」

Mは言って、しまった、と思った。しかし、もう遅い。妻はバネ仕かけの笑い仮面のようにけたたましく笑った。これで彼女は、Mが夢を見たという思いこみをますます強固にしてしまう。

 子供は生まれてこの方イタリア語しか耳にしていなかった。Mたち夫婦の間の会話は英語だが、子供に話しかける彼らの言葉も、もちろんまわりの人々のそれも、すべてイタリア語なのである。

 妻を含むイタリア人はともかく、なぜMが子供にイタリア語で話しかけていたのかというと、まず第一にMのイタリア語のレベルが幼児並のものだったからだ。第2はイタリア語そのものがにぎやかで愛きょうたっぷりの言語だから、子供に話しかける言葉としてはいちばん都合がいいとMは考えたのだ。したがって今の状況では、子供がまっ先に話す言葉はイタリア語以外にはありえない。

「ジュリオ・タカシは将来は日本語も話せるようになるべきだ、とあなたが思いこんでいるから夢に出たのよ」

ドリエラは勝ち誇って断定した。

 妻はMを誤解している。Mは子供は将来、日本語を話すべきだ、と強制的に思ったことはない。子供は将来は日本語も必要になるだろう、と柔軟に考えているだけだ。だから子供が言葉をえる時期になったら、日本語で話しかけて少しはそれを教えるつもりではいた。しかし教えはするが、日本語を話すのはいやだ、と子供が自主的に判断すればそれはそれでいいと思っている。いやなら日本語など覚えなくてもいいのだ。

 イタリアで育つ限り子供にとってはイタリア語が母国語であり、日本語は第2第3の外国語にすぎない。言葉は国籍だ。イタリア人がイタリア語を話すのでもなければ、日本人が日本語を話すのでもない。イタリア語を話す人間がイタリア人であり、日本語を話す人間が日本人なのだ。なぜなら言葉は人の感情も理性も表情も仕草も思想までも規定する。

 言葉が規定できないのは人の皮膚の色だけだ。したがって子供はイタリアで育ってイタリア語を第1言語にする限り、どう逆立ちしてもイタリア人だ。イタリア人ならイタリア語をうまく話すことが先決問題だから、第2第3言語の日本語などどうでもいい。

 とはいうものの、言葉が規定できない唯一のもの、つまり皮膚の色が子供は両親を白人に持つふつうのイタリア人とは違う。そしてふつうのイタリア人の中には、たいていの日本人と同じように阿呆が多い。だから、そこのところを言いがかりにして子供をいじめる者がこの先にはかならず出てくる。子供がそのとき混乱して、自分のユニークさが他人よりも劣っている、と誤解する日にそなえて日本語を習っておくのも悪くないとMは考えるのだ。

 なにも日本人のMの血が子供の中に半分流れているからそのことにりを持て、と途方もない言いがかりをつけようというのではない。ふつうのイタリア人とも、また日本人ともすこし皮膚の色が違う子供にとっては、日本とイタリアのうちのどちらが住み良いかというと、イタリアは天国、日本は地獄、くらいの差があることをしっかりと認識するためだ。イタリアには人種差別がある。片や日本は、人種差別の存在にさえ気づかない国民が多い、絶望的な人種差別国だ。

 日本語を知っておけば、子供はかならず日本や日本人と接する機会が多くなるから、そのことを人生の早い時期に理解することができる。したがって日本という国に対する間違った好意的な幻想を抱かなくてもむというわけだ。イタリアで多少いじめられても絶対に日本に逃げこんではならない。イタリアで踏ん張っていればかならずいいことがある。なぜかというとこの国は、日本とはまったく逆に、異なものユニークなものを至上と考える、少し頭のネジのゆるんだ人々の住む国だからである。

 事故で生まれてきた子供だとはいえ、Mは赤ん坊の将来に対して一応その程度の見しは立ててやっていたのだ。それなのに子供はMの親心を踏みにじるような暴言をはく。憎たらしいことこの上もない。しかし実を言えば、M自身も彼の父親に暴言を吐きつづけて、それを肥やしにここまで成長した男だ。だから暴言の件は腹は立つが許してやってもいい。

 Mが気に食わないのは、赤ん坊がどうやら人の心を読み取る能力を持っているらしい点だ。

  「好きで生まれたわけじゃない」という文句は、「好きで生んだわけじゃない」というMの内心を察した子供が鋭く放ったジャブパンチのようだし、何も言った覚えはないのに、やはりMの腹の中を見すかして「いつまでもブーたれるな」とストレートパンチをくり出してきた。その上、赤ん坊が言ったように、子供のおかげでMがけっこうなバカンスを過ごしているのも事実なのだ。自前でバカンスを買う金などない貧乏画家の彼は、子供の誕生祝いという名目で妻の家族がプレゼントしてくれた長い海の休暇を、負い目を感じながら過ごしている最中なのである。


食わせ者

(怪物が生まれたのはいったい何が原因だ)

Mは暗闇の中であお向けにベッドに横たわって考えつづけていた。

 赤ん坊はミルクを飲み終えるとすぐに妻の腕の中で寝入った。腹がくちてくると安心してコクリコクリと船をこ、あわてて目覚めては哺乳瓶の乳首にぱくりとむしゃぶりつく、というしまりのない動きを何度かくり返して、ついに本気でねむりこけたのだ。

 Mは妻の腕から子供を受け取って箱ベッドに放りこみ、寝室まではこんでやった。それからドリエラがベッドに横たわるのをたしかめて、ふたたびキッチンにもどった。気を落ち着かせるために彼はそこでワインをしこたま飲んだ。その後で寝室に入って、妻の横のベッドにもぐりこんだのだが、とてもねむるどころの騒ぎではない。

 (アーリア人種のドリエラとモンゴロイドの俺の組み合わせが、子供に突然変異をもたらしたのだろうか。まさか。そんな組み合わせはいくらでもある。いちいち怪物が生まれていたら、いまは世界中がパニックにおちいっている……。コロナの影響―ありそうなことだ。イタリアへの影響は思ったより少なかったというが、役人の発表したことだから絶対に信用はできない。異常気象や大気汚染の付けがまわり出したのかも知れない。クスリ漬けの肉を食いすぎた可能性もある。

 あるいは――地球外生物の落とし子、という線も考えられる。地球の鳥でさえ誰かの巣に卵を産みつけて、他人に子供を育てさせるくらいだ。宇宙の果てから飛んできてドリエラの腹にちゃっかり種を植えつけて、俺たち夫婦に子供を育てさせるくらいの高等な知恵を持つ生物がいても………待て。これが一番あやしいぞ。どこかで一度聞いたような話だ。俺はあの晩したたかに酔っぱらっていて、何が起こったか良くえていない。俺のサッカーのひいきチームのミランが優勝したのを祝って、皆んなで明け方まで飲みまくった日だったのだ。

 ドリエラの言い分によると、完全に正体をうしなっていた俺が、めでたい日だからとかぶせるべき物をかぶせるのをいやがって、抜き身で突っ走った結果、彼女の腹がふくれてしまったのだという。俺は妻の主張を全面的に信じて今日まで来た。が、真相は闇の中だ。なにしろ俺はあの夜ドリエラを実際に抱いたのかどうかさえ覚えてはいないのだ。

 何かがおかしい。それにしても、これと同じような話をたしかに俺はどこかで聞いている。いったいどこ―)

 雷鳴に頭のてっぺんをど突かれたと思った。おどろいてベッドからはね起きた。それが子供の泣き叫ぶ声だと気づくまでにかなりの時間がかかった。Mはいつの間にかねむってしまっていたのだ。

 反射的にサイドテーブルの上の置き時計を見た。七時半を回っている。定刻の七時を過ぎてもMが起きないので、赤ん坊はミルクを要求してわめき立てることにしたらしい。Mはねむりこむ前に同じ時計が6時を示すのをたしかめていた。そうすると一時間かそこらねむったところでたたき起こされた計算になる。

 (てめえさえねむれば、人のことはどうでもいいと思っていやがる。チビエゴイストめ)

脳みそがそこら中をころげ回っているように頭が痛い。もうろうとした意識をふるい起こして、腹の中で子供をののしってからMはベッドを離れた。

 子供の箱ベッドの中をのぞき見る。赤子は歯茎だけの歯の間に赤い舌をつき出して、思いきりわめいている。寝不足の重い頭にガンガンひびく猫じみたかん高い悲鳴。子供の歯茎の奥には、穴のように暗い口腔がぽかりと開いてMを歓待していた。

 「わかった。わかった。いまミルクを好きなだけ流しこんでやるから、そのでかい口を閉じろ」

Mが言いつつ箱ベッドを押して部屋を出ようとしたとき、妻がうめき声をもらした。

「もう7時? 手伝おうかM?」

寝返りを打ってこちらに顔をむけて、つらそうな声で妻は言った。

「いいよ、ドリエラ。ぼくがすこし寝すごしたから、子供は腹を空かして泣きわめいているんだ。起こして悪かった。君はゆっくり寝ていてくれ」

Mは言い残して寝室を出た。

 妻は特に朝が弱い。以前の半分にも回復しない体力に加えて、重度の貧血症だから、朝は長い時間をかけてベッドから立ち上がれるだけのエネルギーを体内に温存しなければならないのだ。Mは7時の授乳のときも妻に気をつかって、子供が泣き出す前に箱ベッドをキッチンに移動して食事の世話をしてやる。今朝はそれがうまく行かなかったために、彼女は赤子の悲鳴におどろいて目を覚ましてしまったのだ。

 「お前の出産のためにドリエラはもうすこしで死ぬところだったんだぞ。ちょっとは気をつかって静かにしたらどうだ。この恩知らずの胃ぶくろヤロー」

キッチンに入って、粉ミルクをスプーンで哺乳瓶に入れながらMは言った。子供が日本語で口をきいて以来、Mも日本語で息子に語りかけている。子供は答えなかった。両目をきつく閉じて、口の中に顔があるかと見えるほどに大口を開けて力の限りに泣き叫ぶばかりだ。

「お前が母親の目の前ではしゃべらない腹づもりでいるのは分っているぞ。だが心配するな。ドリエラはまだ寝ている。さっきのはお前の泣き声でちょっと目をさましただけだ。今ここにやって来ることはないから安心して口をききな」

子供はやはりMの言葉には反応しない。ミルクを要求してひたすらに悲鳴を上げている。

 「ふん。そうやってビービー泣いていると、すこしはかわい気があるようにも見えるからたいしたものだ。なかなかの役者だよ。だが、ごまかされないぞ。どういう魂胆かじっくりと話を聞かせてもらおう――」

「手伝うわ、M」

背後でふいに妻の声がした。おどろいて振りむくと、ガウンの胸元を両手で押さえながらドリエラがキッチンに入って来る。

「ね、寝ていなくてもいいのかい」

Mはうろたえて箱ベッドから離れた。

「すこしは体を動かした方がいいのよ。黙って横になっているといつまでも目がさめないわ。それにいつもいつもあなただけに赤ちゃんの世話をさせているのが悪くて……。疲れたでしょう」

「いや、ぼくはそんな―――」

「ミルクはできたの」

「い、いま、あたためるところだ」

Mはあわてて言って、嘘のばれた詐欺師みたいにこそこそとガスコンロの前に行く。妻に内緒で子供に悪態をついたのがまるで幼児虐待みたいに思えて、Mはつい罪悪感を覚えてしまったのだ。        

 Mは哺乳瓶を湯わかしの水の中に置いてコンロに火をつけた。妻はその間に箱ベッドから子供を抱き上げた。

 「おお、よしよし。いまミルクができますからね、ジュリオ・タカシ。はい、泣かないで。パパ、早くしてちょうだいね。ぼくはお腹がチュいた」

赤ん坊とMを交互に見やりながら話す妻の声に呼応して、子供のわめき声が尻すぼまりに小さくなった。

 (こいつめ、なんて奴だ! ドリエラがここに来ることを予知していたから、さっきはどうしても口をきこうとしなかったのだ………)

Mは赤ん坊をにらんでボーゼンと立ちつくしていた。


ビーチの異変

  キノコ雲みたいなパラソルが生い茂るビーチは、今日も海水浴客でごった返している。

 世界は自分を中心に回っているつもりのガキが、数をかぞえるさえ腹立たしい数で縦横に砂地を駈けめぐっている。

老人らが扁平な胸にこびりついた白い胸毛を見せびらかして、、細い足と巨大な尻を持つ、もはや女とは呼べない女たちを、それでも女に見立てていちゃつきながらボッチェに興じている。黒い鉄の玉を下手投げに前に放り投げるだけの、老いぼれにはもってこいの他愛のないゲームだ。

 隠すよりも見せびらかすことに熱心な若い女たちの挑発的な体が砂地にくねり、男たちの間をねり歩き、波打ちぎわを駆けまわる。海に飛びこむ。飛沫と喚声が上がる。

 ディスコミュージックががんがん鳴りひびいて、若者らがそこかしこでパーテイーをくり広げる。パンク気取りの数人の若者のグループが、一つ一つのパーテイーに飛び入りで参加してはまた離れて、愛きょうの押し売りをつづける。老夫婦がわれ関せずという顔で波打ちぎわに杖を引く。

 キャンデイー屋、パンケーキ売り、アイスクリーム屋、アクセサリー売り、ペット売り兼記念写真屋、ココナツ売り……おびただしい数の物売りが、ビーチの喧騒に拍車をかける。

 バスタオル、帽子、ビーチボール、サーフボード、浮き袋、海水パンツ、サングラス、パラソル、ビキニ、脇や股間のはみ出し毛、サッカーボール、バルーン、凧、広告……色とりどりのオブジェが中空を舞い、止まり、走り、入りみだれて動き回っている。一刻も無駄にすまい、と誰もが目をつり上げている必死のバカンス――。

 Mはミラー貼りのサングラスをかけて、寝不足つづきでチクチク痛む両眼を保護しながら、海風になぶられてうねるパラソルの下の寝椅子に横たわっている。パラソルの日陰の中心には、妻の寝椅子と乳母車がある。妻は長袖のブラウスとスカートを着て、その上にさらに薄手のバスタオルを乗せて、体を保護しながらうつらうつらしている。直射日光と強い風はドリエラの体にはまだ毒だ。

 子供の乳母車は幌付きの真っ赤なやつだ。パラソルが風にうねるたびに影が動いて、強烈な光がそれにかかって赤い化繊布の全体が燃えるようにかがやく。

 赤ん坊はその中で、例によって指をちゅうちゅうやりながら中空を見ている。なにかをじっと考えているようないないような得体の知れない眼差し。まぶしいのか、ときどき目を細める。頭を振る。少し体をずらして冬眠中の小熊みたいにもぞもぞと動く。伸びの仕方もまだ知らない赤子独特のしぐさだ。

 (まったくたいしたタマだ)Mは子供の動きを盗み見ながら内心で舌を巻く。(完璧な演技ぶりだ。どこから見ても純粋無垢な赤ん坊だぜ)

出口のまったく見えてこない迷路に踏みこんでしまったような、もどかしい気分でMは考えていた。はた目にはサングラス越しにビーチのにぎわいをながめているように見えるが、彼はずっと子供の動きを観察しているのだ。気持ちは子供を無視して、以前のようにバカンスを楽しみたいのに、彼の視線は目玉にバネでも取りつけたみたいに絶えず子供の方に引き寄せられてしまう。

 そのくせ赤ん坊が正体をあらわすのは、午前3時の授乳の時だけなのだ。それ以外の時間にはMがいくらそそのかしても、子供は口をきくようなヘマは絶対にやらかさない。

 今のようにビーチにいるときは、たくさんの人の目があるからMはそれは分からないでもない。が、たとえば夜の11時と午前7時の食事時にも、かたくなに口をつぐんでいる赤ん坊の意志の強さには、Mはほとほと感心する。その時間には妻のドリエラは十中八九寝室で横になっている。しかし赤ん坊は母親の眠りが浅く、ときどき起き出してはキッチンに顔を出すことを知っていて、片時も気を許そうとはしないのだ。

 「うっ! かわいい。ね、見て見て!」

股ぐらと胸に申しわけ程度の布きれをあてがった女が、巨大な筋肉の塊にやみくもに剛毛をちりばめてみました、といった風体の連れの男の腕を引っ張って乳母車の中をのぞきこんだ。大男は気のない顔でしぶしぶ立ち止まる。丸裸になった方がまだよっぽど刺激が少ないにちがいない女の大胆な水着とはちきれそうな肉体もうれしいが、ピラミッドでも隠し入れているみたいな男の股間の高まりがMの気を引いた。ふいに敵愾心のような、あるいは嫉妬のような、わけの分らない熱いものがMの身内に湧きおこった。

 「かわいい。食べちゃいたいくらい。あーっ、笑った、笑った。まだ歯も生えていないのよ。ねえ、見て。見てったら!」

女は乳母車の中の子供と男の顔を交互に見やって、ひとりで興奮している。男はうろたえ、困惑しながらも、女にせかされて仕方なく乳母車の中を一べつした。

「ね、かわいいでしょう」

女がすかさず言う。声の調子は明らかな断定的脅迫型同意催促形だ。

「うん……まあ…」

しどろもどろにつぶやく男。

 赤ん坊にこだわって終始重い気分でいたMは、そのことを忘れて(バ~カ)と男の顔にほくそ笑んだ。

 ピラミッドの魅力で女を征服しているかと見えた男は、実のところは女にがんじがらめに束縛されているだけのただの甲斐性なしのようだ。男は毎晩、下半身の爆発の後で「結婚したい」とか「あたしたちの子供きっとかわいいわよ」とか「体はこんなにちがっているのに、あたしたちどうして心はぴたりと一つなのかしら」などと女にいちいち因縁をつけられて、身動きがとれなくなっているにちがいない。

 男のピラミッドに覚えたMの劣等感がすーっと晴れていく。

(まだ若いのに……キンニクバカ。早く子供を作れ。子供を作って地獄を知れ。そうなったら、お前のピラミッドも俺の粗末な一物も同じ穴のムジナだ――)

脈らくのない考えがMの頭に浮かんで、なぜかそれが楽しい。

 彼はこみ上げてくる笑いをけんめいにこらえた。こらえたすき間から、ふふ、ぐふふふ、と笑いの滓がこぼれ出た。こぼれ出た笑いがさらに笑いをさそって、ついに止まらなくなった。

 「M、だいじょうぶ?」

ドリエラの声で我にかえった。すぐに顔を引きしめる。

「ん? なに?」

Mはとぼけた。

「……びっくりした。急に泣き出すんだもの」

ぽかんとしているカップルに、妻は照れ笑いを浮かべて弁解して、うまくごまかした。


絶対美形

 Mたち一家のパラソルには、カップルが去った後にも次々に見物客がやってくる。いつものことだった。見てくれの悪い東洋人のMと、北欧人的に金髪碧眼の容姿を持つ妻の組み合わせは、ただでも人の気を引く。そこに子供の乳母車が強いアクセントを加えて、彼らの姿はいよいよ人々の好奇心をそそるのだ。

 物見高い連中が乳母車の中の子供に期待しているのは、Mのひな型かそれに近い何かだ。白人の妻のひな型はそこら中にいくらでもころがっている。彼らは見飽きている。Mを鋳型にして考える赤ん坊は、彼らにとっては得体の知れない代物だ。誰もが焼けつくような興味を覚える。しかし乳母車の中をのぞきこむ連中は、みごとに期待を裏切られる。赤ん坊はMには少しも似ていない。かと言って妻の分身そのままの形もしていない。

 実は子供は、見る者がその姿を一べつしてギョッとして身を引き、ふたたび本腰を入れて今度はじっくりと観察をしないではいられない、息をのむような美しい姿態をした生き物なのだ。

 赤ん坊の頭は、帝王切開手術で難なく母親の体外に取り出された子供に特有の、ゆがみのない完璧な丸みを帯びている。そこにはほのかにウエーブのかかったうすい栗色の髪の毛が、ふさふさと茂って両耳に触れるか触れないかのあたりで流れるように安んでいる。子供ははじめから髪の毛が生えそろった姿で生まれたのだ。

 額は成長したときの聡明さが今から分かる広いなめらかな形。眉毛は先細の刷毛で軽くひと息に引いたような2本の曲線で、色は金髪のうぶ毛のようにきわめてうすい。

 その下にはMと妻というよりも、東洋人と西洋人のそれぞれの美を集約した形の、圧巻の双眸がある。二重まぶたの大きな目は、吊り目になる手前のほど良い角度で東洋的に切れ上がって、中には色のうすい神秘的な瞳が収まっている。光をたたえているようにも、また光を反射しているようにも見える白人の赤子独特のうすい色の目玉は、無垢な魂の映し絵だ。

 鼻は額と同じく、将来のノーブルなたたずまいが今から明らかな、大きすぎもしない小さすぎもしない盛り上がりを見せ、あるか無きかのすき間をあけて2枚重ねに寄りそっている唇は、小さな桜貝に熱い血をすこし注入したようにやわらかくふくらんでいる。

 容貌だけを見れば、赤ん坊はたしかに世界中の幸運をかき集めてひとりじめにしているような、なんとも愛くるしい姿形をしている。しかし、子供をはじめて見る人間が一度ギョッとして立ちすくみ、自分の身の上に一瞬思いをめぐらせるみたいな変な眼差しをして、それから呆けた柔和な顔つきになって今度はしげしげとそれをながめまわすのは、どうも圧倒的な美形のせいだけではないような気がMはする。

 そのくせ、それじゃ乳母車の中にころがっているのがMに良く似た、言うのも業腹だが、つまりぶさいくなチビだとした場合、見物人がはたしてそれを恍惚として見つめるかと言えば、それはまずあり得ないような気がするから、子供が人の気を引きつけるのはやっぱり見てくれがいいせいだろう、とMは結論づけざるを得ない。


対決

 (なにがこの子はエンジェルよ、だ。どいつもこいつも赤ん坊の正体を知らないから、勝手なことばかりぬかしやがって。他人はともかく、母親のドリエラまで“ジュリオ・タカシは私のちっちゃな天使よ宝物よ星の王子様よ”と公言してはばからないのだから、あきれてものも言えない。しかし―――考えてみれば、これは連中がバカだというよりも、赤ん坊がそれだけ人心をたぶらかす手練手管にたけている、ということの証明なのだからおそろしい。化け物は化け物らしい顔をしていてくれれば、あきらめもつくし少しはかわい気もあるが、化け物とは正反対の顔をした化け物というのは、化け物の中でも一番しまつの悪い化け物だからまったく腹の立つ化け物だ)

 Mはいつの間にかキッチンで子供の食事の準備をしながら、腹の中でぶつくさ言っていた。

 キッチンには3基の蛍光灯が派手にともって、昼間のような明るさだ。子供に食事をさせる時には、Mは以前はガスコンロの上に備えつけられた小さな白熱灯だけをともしていた。箱ベッドの中で子供が目覚めた時にまぶし過ぎないように、と気をつかったのだ。今はそんなこと知るもんか、とキッチンに入ると同時にがんがん明りをつけて意地悪をしてやる。

 子供はさっきから強い光にあてられて顔をしかめ、薄目を開けたり閉じたりして苦労していたが、ふいに左手の中指と薬指をそろえてぎゅと鼻に押しつけた。寝ぼけて口のつもりで鼻面に指を突っこんでいるのだ。

(ザマミロ)

Mは、ぐふふ、と含み笑いをして、粉ミルクをスプーンですくって哺乳瓶に入れる作業をはじめた。

 「化け物、化け物って、さっきからうるさいな。バカの一つ覚えなんだよ」

とたんにMの背後でパンツがずり落ちるくらいに不気味で楽しい子供の声がした。

 それ、来た、とMは体を固くして身構える。しかし、子供がはじめて口をきいた夜のようにあわてて振りむいたりはしなかった。今では彼はこの奇怪な生き物と正面切って対決する腹ができているのだ。

 Mは流し台の前で悠然とミルクを作りつづけながら、顔だけをゆっくりと箱ベッドに向けて、両目におもいきり力をこめてじろりと子供にすごんでやった。

 子供はうまく口の在りかをさぐり当てて、二本の指を押しこんでちゅうちゅうとやっている。薄目を開けて視線を中空に投げて、たったいま口をきいたことなんかそ知らぬ顔だ。

 子供のそらぞらしい態度がMの癇をわしづかみにしてグリグリとこねまわした。敵意があるならあるで堂々とこっちの顔をにらみつけてぶつかってこい、と思わず意見をしかけたとき子供がふたたび言った。

「言っておくけど、あんたに化け物よばわりをされる筋合いはないんだ。ぼくは人よりも早く言葉を覚えてしまっただけさ」

「それが化け物だというんだ、トッツアンボーヤ」Mはぴしゃりと言ってやる。「それとついでだから教えてやるが、人にものを言うときは、まっすぐに相手の顔を見てBGM抜きでやるものだということを覚えておけ」

子供はしゃべるときも2本の指を後生大事に口にくわえこんでいるので、舌が絶えず指にからんで、会話の途中にぴちゃぴちゃとリズミカルな雑音が入る。それでも奇妙なことにしゃべる言葉は少しも舌足らずにならないで良く分る。しかしどうしても態度が横柄に見えてMは気に食わないのだ。

 子供の赤い唇がぐにゅとゆがんだ。

「何がおかしい」

Mはきっと目をむいた。

「人のことをとやかく言う前に自分の態度をあらためてくれ」

「なんだと」

「ぼくを化け物よばわりするなということさ。歩き出すのが人より早い者もいれば、歯が人より早く生える者もいる。ということは、人よりも早く言葉をしゃべる赤ん坊がいてもおかしくないと思わないかい」

「思わないね。お前は生まれてまだ3ヶ月にもならないドチビだ」

「無知な男だな。歯がきれいに生えそろって生まれ出る赤ん坊や、生まれて1月もたたないうちに歩き出す子供のことを知らないらしい」

 Mはぎょっとした。そんな話は彼はたしかに知らない。しかし、それを言って自分で自分の無知を認めるのはシャクだからごまかした。

「ふん。そんなことは百も承知だ。だがそういうのは単なる肉体の発育度の問題だ。肉体なら犬も猫もウサギも持っている。言葉はそれとはちがう。もっと複雑な要素がからんでいるのだ。それともお前のような狂い咲きの赤ん坊がほかにもいるというのか」

 Mは子供がイエスと答えてくれるのをひそかに期待した。他にもこいつと同じ化け物がいるなら、すこしは気が楽だと思ったのだ。

「知らないな。あまり聞いたことがない。できのいい人間というのは数が少ないと相場が決まっているだろう」子供はしゃあしゃあと言った。「あんた、人の親ならぼくのような子供を持ったことをよろこぶべきだよ」

「ほう。そんなに親のよろこぶ顔が見たいのなら、ドリエラの目の前でもしゃべったらどうだ。え? なぜ母親の目の前ではしゃべらないんだ。え?えええええええ。心にやましい物があるからだろう。この極悪人」

Mは鬼の首でも取ったように言いつのった。

「おふくろが卒倒するのを見たくないからだよ」

すずしい声で子供は答えた。

 Mの頭にカッと血がのぼった。

「この ―― 寸足らずの狂い咲きのビンボーガキめ。 俺は卒倒してもいいというのか!」

「分らないかな。あんたを見こんで口をきいてみたんだ。男親なら冷静に現実を見てくれると思ったからさ」

「お前のような子供の父親になって、我ながら情けないという現実なら良く見えている」

「……どうもあんたは本当の父親じゃないような気がしてきた」

「なんだと――お前の父親はほかにいるってのか」

「さあね。本当の父親なら、子供にもっとやさしいんじゃないかと思っただけさ」

 子供はいつの間にか顔をこちらに向けてMを見上げていた。瞳の色がうすい灰色になっている。水晶のように澄んだふしぎな色合いだ。暗い感じではない。しかし意志の読み取れないその双眸が、Mには逆に子供の深い悪意のあらわれのように見えた。

「はっきりしろ。お前、なにかとんでもない秘密をにぎっているんじゃないのか。ドリエラのやつ浮気をしたのか」

 Mは哺乳瓶を振りまわして叫んだ。振りまわすたびに中の粉ミルクが水にとけて、うまい具合に赤ん坊の食事が仕上がっていく。

 「あんまり興奮するなよ。ぼくにそんなことが分るわけがない。おふくろだけだよ、そんなことを100パーセント知っているのは」

「お前が人の心を見抜けることは先刻承知だ。隠さないでさっさと白状しろ」

「ちょっと待ってくれよ、おやじ。変な言いがかりをつけないでくれ。どうしてぼくが人の心を見抜けるんだ。なんのことかさっぱり分らない」

「とぼけるな。それじゃ聞くが、お前がいつも俺の腹の中の考えに正確に反応するのはなぜだ」

「考えていることをぶつぶつしゃべれば、耳があるから聞こえるさ」

「この悪たれ。俺がいつぶつぶつ言った」

「やれやれ。この間おふくろが夢を見たのかとあんたに言ったのは、どうやらそんなに的はずれでもなかったみたいだな。あんたあの夜、ミルクを作りながらさんざんぼくの悪口を言っていたんだぜ。ついさっきもそうだ。人のことを化け物の中でも一番しまつの悪い化け物だとこきおろしたのは、いったいどこの誰だと思っているんだ。あんた、ほんとに覚えていないのかい。モーロクしたんじゃないのか」

「このガキ、よくもそんな出まかせをしゃあしゃあと――」

 Mは逆上してあやうく子供に哺乳瓶を投げつけそうになった。腹の中で赤ん坊に罵詈雑言をあびせたのは否定しない。しかしそれを声に出してぶつくさ言った覚えはない。子供が人の心の内を読み取る暗い能力を隠ぺいするために、父親に濡れ衣を着せようとするのがMは許せなかった。

 「ちょっと待って。タンマ!」子供に制止されてMは哺乳瓶を振り上げている手をおろした。「あの夜と今日だけの話じゃないよ、おやじ。あんたのべつ幕なしにぶつぶつ言ってる。ほんとに記憶にないのなら、一度医者に見てもらった方がいいんじゃないか」

「こ――この……殺してやる」

Mは怒りのあまり胸がふさがって、ほとんどうめくような声になった。

 子供が明らかにうろたえた。Mの怒りが通りいっぺんのものではないことにようやく気づいたらしい。

「ぼくを殺すのは簡単だけど、殺した事実を隠すの不可能だよ、おやじ」

精いっぱいクールに言ったつもりらしいが、赤ん坊の声はひきつってふるえていた。

「どうだか」子供が暴力の前には無力な存在であることに今さらのように気づいて、Mは勝ち誇るように言った。「首をきゅとしめてトイレに流してやる。あとかたもなく消えるぜ」

目を細めて両手でくいと首をひねるマネ真似をした。

「そんなことをしたら、大声で叫んでやる」

赤ん坊の口からはじめて子供らしいかん高い声がもれた。

 「大志をいだけ。大いに叫べ。ヒトゴロシ! ってな。お前は小ざかしく見えても、しょせんは芋虫みたいに無力なガキだから知らないだろうが、大人は聞いたことがない音は空耳だと思って無視するんだ。ドリエラはお前の声には注意をはらわない」

「あんたと2人だけになったら、ぼくは眠らないでずっと見張っている」

「だまれ! 一日に25時間もいびきをかかなきゃ体が持たないヨタローのくせに」

 子供は黙った。Mが哺乳瓶の乳首を子供の口にぐいと押しこんだのだ。ふいをつかれて一瞬ためらった子供は、それでも食べ物に我を忘れて乳首にむしゃぶりつく。一気呵成に食いはじめた。が、たちまちせきこんでごぼごぼとミルクを吐き出す。あお向けに寝ている子供の口にMが瓶を逆さまに押し立てたために、細い喉には大量すぎるミルクがほとばしったのだ。

 Mはあわてて哺乳瓶を子供から離した。子供は目を白黒させて、ヒッと一つしゃっくりをした。それを合図にヒッヒッヒッヒッヒッとしゃっくりのオンパレードがはじまる。

 「チッ」

Mは舌打ちをした。急いで冷蔵庫からレモンの一切れをとりだして、コーヒースプーンに汁をしぼり出す。それを片手に箱ベッドの底から子供をひょいと抱き上げて、うむを言わさず口の中にレモンの汁を流しこんだ。

 子供は、ついに気が違った、としか思えない勢いで盛大に顔をしかめた。酸い味といっしょにたっぷりとショックを味わったのだ。おかげでしゃっくりがぴたりと止まった。

 「手のかかるガキめ」

Mは吐き捨てるように言って、あらためて子供を抱きかかえて椅子に腰を下ろし、膝に乗せて左腕で首を支える。いまいましいがほかに仕様がない。それが子供のいつもの食事のスタイルなのだ。哺乳瓶の先を今度はすこし横倒しにして、Mは子供の口にあてがった。つい先刻の騒ぎもけろりと忘れて、赤ん坊は大口を開けて乳首に食らいつこうとした。Mは腹立ちまぎれに瓶をさっと口から離してフェイントをかけてやる。そうやって3度ばかり肩すかしを食わせてもて遊んでから、Mはようやく赤ん坊の口に乳首を含ませた。

 子供は例によって乳首にむしゃぶりついて、わき目も振らずにがつがつ食う。赤ん坊にとっては食事はいつも大仕事だ。大人とちがって次の食事があることなど知らないから、そのときどきの食べ物を思いきりかきこむ。食事は子供にとっては1回限りの命をかけた大仕事なのだ。恥も外聞も見栄も義理も喜びもない。一心不乱に食べまくって体力を完全に使いはたす。そして眠る。眠るのは次の食事に備えてひたすら体力を養うためだ。

 赤ん坊はそうやって今夜もぷつりと静かになった。

「おい。こら。起きろ。このヤロー。ジュリオ・タカシ。まだ話しは終わっていないぞ。こら。ちくしょう……、また逃げられてしまった」

Mは仕方なく子供の頭を肩に置いて後ろむきに抱きかかえて、背中をさすりながらキッチンの中をしばらく歩きまわった。げっぷをさせるためだ。そうしないと赤ん坊は後で腹痛を起こして泣きぶ。ミルクといっしょに飲みこんだ空気が腹の中にたまるせいだ。

 子供は徹夜あけの工員みたいにりこけながら、それでも父親をバカにして、げぷ、と派手な寝ごとを言った。


独白

 「毎晩そんなことがつづいて、ついに疲れきったんだと思います。それで自分でも何がなにやらわけが分らなくなって、ある日子供を殺してしまおうと……」

Mは神妙な口調で言った。ドメニコ長岡医師は、うんうんうんううううんん、と深くうなづき感激しながらいつものようにMの話を聞いている。

 長岡医師には人を安心させるふしぎな魅力がある。ゾンビのようだとMがはじめおどろいたぶさいくな顔が、今ではMのアイドルになっていて、彼は寝てもめても頭がボーとしていても、長岡医師の顔がなつかしい。長岡医師の治療哲学が、人の心の奥の奥まで見とおして病巣をさぐりあて、その病巣もいっしょに病人をやさしく包容して救ってやろうというものであることが、わかっても分からなくなるMにもわかるのだ。

 ふつうの医者なら病巣をさぐりあてた時点で、焼きゴテやらハサミやらトンカチやら笑顔やらを使って、病人をそっちのけで病巣だけをぶんなぐってやろうとやっきになるものだ。病巣も病人の一部だからなぐられたら痛いという真理は、女王陛下の直参スパイよろしく病巣殺しのライセンスを持っているつもりの彼らにとっては、なぐるのはどうせ他人の病巣だから痛くない、というありあまる真実の思想訓練が鉄壁になされていることもあって、すこしも痛くないのだ、とMは長岡医師を見ていて思ったりしているように感じることがある。

 治療哲学といっても長岡医師のやり方は、毎日決まった時間にMの病室にやって来て、よもやま話しふうにMと会話をするだけのものだ。薬も与えないし精神分析のテストをすることもない。

 Mと医師はその日の気分によって、Mが寝起きする部屋であれこれ話しをすることもあれば、テレビのある娯楽室のソファにのんびりと腰かけて話しをすることもある。またのように、花と緑と彫刻にかこまれた病院の広大な敷地の中を散歩するついでに、そこかしこのベンチにすわって小鳥のさえずりに耳をかたむけながら会話をすることもある。

 「Mさん、あなたは赤ちゃんを殺してなんかいませんよ」長岡医師はこれまで何度もMに言ってきかせたことをまた口にした。「赤ちゃんを風呂に入れてやっただけなんです」

「先生がぼくをかばってそんなふうに言ってくれるのはありがたいと思っています。でもぼくはたしかに子供に殺意を持っていて、実際に子供の首をしめて、死体をトイレに流したんです。きのうのことのようにはっきりと覚えています」

 医師は微笑した。いつものように人の心をなごませる愛に満ちた笑顔だ。彼のこの顔を見ると、Mはなにもかもこの人にまかせておけばだいじょうぶ。すべてを包みかくさずに話して楽になってしまおう、という気分になるからふしぎだ。

「あなたの病名は“チョー重症育児ノイローゼ”です。赤ちゃんの世話に加えて、奥さんと家事のめんどうまで見なければならなかったためにすこし疲れて、それでだんだんふつうとはちがう精神状態になっていったのです。現実と非現実が混乱して見えるのはそれが原因です。

 あなたは赤ちゃんを傷つけもしなければ、もちろん殺しもしなかった。大便器の中にすわらせて体を洗ってやっただけなんです。そこは風呂としてはたしかに変な場所です。しかし洗面台にお湯を入れて赤ちゃんの体を洗う人はいくらでもいます。この国の洗面台は日本のものとはちがってデカイから、赤ちゃんの湯船としてはちょうどいい具合なんですね。異常な状況下にあったあなたが、すぐ近くに並ぶようにそなえ付けられていた大便器と洗面台をまちがえても、そんなにおどろくべきことじゃあない。わたしもやるかもしれない。いやあ、きっとやるなわたしも。うまいところに目をつけたものですよ、あなたは。まいった、まいった。まいっちゃったな、じっさい――。

 そういうわけだから、全てわすれなさいね。赤ちゃんにつらくあたったという自責の念があなたの中には非常に強いために、どうしてもそう思えてしまうんです。あなたは男でありながらじゅうぶんに良く子供の面倒を見ました。しかも病気の奥さんをかかえて、家事のいっさいを切り盛りしながらそれをやったのだから、えらいものです。うん、あなたはえらい。えらいものだよ、あなたは。感心しちゃうな、わたしは」

 Mは医師にそう言われると、なんとなくそんな気がしないでもない。が、実のところはよくわからない。

 彼はたしかに赤ん坊と夜な夜な言い争いをして、しまいには赤ん坊の首をくいとしめて、ぐったりとなったそれを大便器に押しこんでジャーッと派手に水を流したと思うのだ。赤ん坊は小なりとは言え、そこに流すブツとしてはさすがに巨大だったから、なかなかひといきには吸いこまれず、Mは2度3度4度と出水レバーを引きつづけた。そう

しているところに、物音に気づいて目をさました妻がバスルームにやって来て、彼の完全犯罪は失敗に終った………。

 それらのすべてがMの妄想だと医師は力説するのだ。

「妻はバスルームにいるぼくを見て、ギャーッとすごい悲鳴をあげたんだよ、先生。あれは殺人現場を見た人間の絶叫です」

「赤ちゃんが夜中の3時に大便器の中で水浴びをしているのを見れば、奥さんだけではなくカバもツチノコも悲鳴をあげます」

「……でも、妻はすごい形相でぼくを突きとばした。それでぼくはぶっ倒れてタイルに頭をぎゃんとぶつけて……気がついたらここにいたんです」

「奥さんは赤ちゃんを便器から早く救いあげようとして、はずみであなたを突きとばしたんです。でも彼女をうらんではいけませんよ。おかげであなたはすこし正気に返ったんですから」

 なるほど、とMは納得する。納得した先から、どうも変だとまた思う。そんなにも現実感のあるはっきりした記憶が妄想夢想のたぐいなら、今こうして医師と話しをしているのも妄想じゃなかろうかと疑心暗鬼を生ずるのだ。

 だけど医師の診断によると、今のMは夢とうつつの区別がつけられなくなっていた気絶前の危険な精神状態を脱して、タイルに頭をぶつけた後遺症でまだもうろうとしてはいるものの、かなり正常に近い容態になっているという。

 (第三者のしかも専門家の医師がそういうのだからたぶんまちがいない。だから今こうしているのは、嘘いつわりのない真っ当至極本家本元山本山の輝かしい現実なのだ。したがってこの現実とまったく同じように現実感のあるあれらのでき事が、妄想夢想のたぐいだったということはあり得ないように見えて現実にあるわけだから、あれらの現実は非現実だったと結論づけざるを得ず、そのあたりのアウンの呼吸をまだしつこくこの現実とあの現実と分けて比較検討している自分というのは、現実中の現実であるこの現実の一部でありながら且つ現実には現実でないあの現実の一部でもあると考えている自分でもあるということになり、それは第三者の医師の指摘によれば現実としておかしい。だから現実問題として、自分が変か医師が変かの二つに一つ、二つに二つ、あるいは二つ三つ四つのうちのどちらでもないということになる)

「―――そうでしょう、先生」

Mは頭に浮かぶままのことを医師に話して同意を求めた。

 おだやかな笑みを片ときも絶やさずに、しんぼう強くMの話しを聞いていた長岡医師は答えた。

「そういうふうに考えてもいいが、考えすぎてはいけません。今あなたはトンネルを出かかっているところです。トンネルの中の暗闇に目が慣れきっているために、外のまぶしい光が目に痛いばかりではなく、内側も外側もはっきりとは見えなくなっている。しかしそのまま歩きつづければかならず外に出ます。だからあまりあれこれと気をまわさないでのんびり構えることです。あとはもう時間の問題だけですから。さ、いつものようにあなたが気絶する前のことを一つ一つゆっくりと思い出して、わたしに話してみてください」

「あれ? だって先生。いま考えすぎるなと言ったばかりだよ」

「ワッハハハハ。そうだったね。そういうふうに明るく行こうじゃない」医師は子どもに1本取られた父親のように笑った。「いいですかMさん。思い出すことと考えることはちがいます。あなたは思い出して、思い出した通りをわたしに話してくれればいいのです。思い出したことに批判を加えたり、味付けをしたり、人に知られるのはいやだからここはちょっとゴマカシちゃえ、とかそういうズルをしちゃいけません。わたしが考えすぎるなと言ったのはそういうことです」

「わかりました。はい。いいですよ」

 Mは言ったがあまり気のりはしなかった。なぜなら彼はもう何度も同じことを医師に話して聞かせているからだ。

 長岡医師はそのたびに、すこしもMをばかにしないで真剣そのもの且つほとんどうっとりとした愛情あふれる顔つきでMの話を聞いている。Mの話をたくさん聞いて、それを通してなんとか彼の病気の総元締めに行きついて、今後の治療法の目安にしようとしているな、ということは一瞬わかってわからなくなるMだが、医師は適切なところでうんうんと相づちを打ったり、話の腰を折らないように気をつけながらツボにはまった質問をしたりする。だから話す側にとっては非常に話し甲斐のある聞き手であることはまちがいない。しかしいくらMがタイルに頭を派手にぶつけたせいで、ノイローゼ症状が進んでノーミソがでんぐり返ってしまっている病人だとしても、自覚症状がある分すこしは正常でもあるのかも知れない、と感じている程度のビョーニンだと本人は本人の頭の中で思っているのだから、やはり一応はマンネリズムを退屈だなアと思うこともあるのだ。

 Mはそれでも話しはじめた。ところが赤ん坊がはじめて口をきいて、腰がぬけるほどタマゲたので妻のドリエラの名を呼んだら、彼女が火事場の馬鹿力で、病身にムチ打ってキッチンの中に飛び込んできたというところまで話したとき、ふいに妻と子供はどうしたのだろう、というなつかしさと悲しさの入り混じった気分におそわれて、涙がぽろぽろあふれ出てどうにもならなくなった。

 「……妻と子供は今どうしているんですか、先生。妻はどうしてここをたずねてこないんですか。先生の言うとおり子供は無事でいるなら、妻はぼくを許してくれてもいいいんじゃないの」

「大丈夫。大丈夫ですよ、Mさん。コーフンしてはいけません。あなたはたしかにトンネルを抜けつつあるが、まだ完全には抜けきっていない。だから奥さんはたずねてこないのです。ここには顔を見せていないが、もちろん奥さんはあなたを許してくれていますよ。大丈夫です」


出口

 「そういう気やすめはやめてくれ」

Mはふいに医師が憎らしくなった。

「人のことを気ちがいあつかいにして、気ちがいに逆らうのはまずいと思っていつもうまいことを言っているのは分かっているかも知れないぞ。ああ、俺は気ちがいかもよ。しかし、自分があんたに気ちがいだと思われていることは、はっきり言って自分の頭の中ではひしひしと感じているらしいと、俺は思ったことを否定もしなければ肯定もしない。その板ばさみの痛みを他人よりはかなり理解して、痛みを分ち合えれば理解はさらに深くなっていくだろうと、日々努力を惜しまない俺のような人間をあんたがどう思うか、そんなことはあんた自身で考えて欲しいもんだ。

 大丈夫、大丈夫、奥さんはあなたを許してくれていますよ、なアんて良く言うよ。許しているなら妻はどうしてここにたずねてこないんだ。え? えええええええええええええ? 許すのは俺か妻か、そんなことはあんたも妻も知らないんだ。いいかげんなことを言うな。このカッパハゲ!

 先生だって気ちがいかも知れないと誰それやこの彼女が言わなくても、自分が気ちがいか気ちがいではない人間のどちらかと人に聞いたとき、たぶん気ちがいの部類と断定されるような日常性の端っこのあるか無きかの足場の世界で生きている人間が、あたりを比較検討右顧左眄してながめまわすとき、小説よりも奇なる事実と出来事は森羅万象森森としてもなお波風が立つ場合もあることだし人間いったい誰が気ちがいで誰が気ちがいでないかを当人の気持にかかわりなく決めつけるのは、神ではないから怖いという気持が気持の中でせめぎ合って、あれこれ誰それをあの気ちがいその気ちがいではないと分類するのは、結局人の気持が許さない。だからやっぱり神だけが人の気持を判断できると結論付けるしかないのだ。違いますか?」

 「ピン・ポーン。おみごと。まさにその通り。ここまでしつこくあなたに言いつづけてきた甲斐があったみたい。Mさん、やはりあなたはトンネルを抜けつつあります。神を忘れてはなりません。神こそ命。神こそ全能。神こそ正常の泉。神ある限りあなたはたとえ狂っていてもクレージーじゃない。 なぜなら神の前ではあなたもわたしもトランプもプーチンもシューキンペーも、皆同じ羊だからです。もうすぐです。もうすぐあなたはトンネルを抜けます。トンネルを抜けるとそこは神の国です。雪国なんかじゃありません。トンネルを抜けると雪国だなんて、そんな貧しい救われない、お金も家も財産も定収入も心の平安もない文学なんかやっちゃいけません。トンネルの向こうにはさんさんと光のあふれる愛と希望と酒池肉林の救済の地があるんだ」

長岡医師はガッツポーズで言葉をしめくくった。

 Mの頭の中で歯車がカチとかみ合う音がした。何かが動き出す気配がする。彼は考えているような気分で、先刻から2人が腰を下ろしている白いベンチの上に右膝を立てて、さらにそれに右肘をつぎ木して頬杖をつくる。

 芝生のむこうの大木の下に“考える人”の銅像が置かれていた。生まれつき感化されやすい性質のMは、無意識のうちにそれに感化されたのだが、無意識のうちに感化されるくらいだから、彼の頭の中には当然なにもひらめかない。ただボーバクとした白い地平線のようなものが、じわりふわりとただようだけである。

(あれがトンネルの出口かな)

とMは思った。

「そうです。あれとは何のことか知りませんが、まさしくそれはトンネルの出口ですよ、Mさん」

「あれ。なんだい。先生も赤ん坊みたいに人の心が読める」

「考えていることを口に出して言えば、人には耳があるから聞こえます」

医師はすこし哀れむような声で言った。しかしすぐに思いなおして、笑顔にビジネスと使命感を混ぜ合わせた元の木阿弥になってつづける。

「さ、さ。それよりもトンネルの出口を目ざして歩きましょう。つづけて何が起こったかを思い出してわたしに話してください。考えてはいけませんよ。思い出して、思い出したことをそのまま話しつづければいいんです」

「いやだよ」Mはスネた声を出した。「いつもその手に乗って、しまいには頭がこんがらがっちゃうんだもの」

 「ワッハハハ。ばれたか。今日はいつもとちょっと様子がちがうみたいだな。わッかりました。それではちょっとやり方を変えてみますか。そうですね――それじゃわたしが質問をして、あなたはそれに答えるという形にしましょうか。あ、それがいい、それがいい、とMさんは言いました。いいですね。いいですね」

「………」

「あなたは今なにも言わなかったつもりでしょうが、ちゃんとはっきりと“いいですよ”と言いましたよ。言わなかったことは口に出し、口に出したことは言ってない。夢と現実虚虚実実の世界が、入りみだれてコンゼン一体を成しているのが今のあなたの状態です。したがってわたしの言うことをすべて信じるように。

 それではいいですかあ、質問に行きますよ。考えてはいけません。答えは考えることなく、答えようとして思い出せばいいんです。

 しからば質問の一。

 赤ちゃんがはじめてあなたに話しかけた夜、あなたは子供の世話なんかしたことのないはずの奥さんが、手ぎわ良く赤ちゃんにミルクを飲ませるのを目のあたりにして、何かがおかしいと感じた。あなたはいったいなぜ何かがおかしい、と感じたのでしょうか。あ、あ、あ、あああああああ。またあなたは夢の世界に行こうとしている。奥さんはあなたと結婚したとき、ちっとも処女なんかではなくて、子供をぼんぼこぼんぼこ何人もひり落としたことのあるあばずれだった、とありもしない虚構の世界に安らぎを見出そうとしている。現実に戻りなさい。真実をしっかりと見つめなさい。

 あれは非常に啓示的な出来事だったのですよ。あなたはそのことを良く知っている。もう10日以上も同じことをしつこくあなたの頭の中に吹きこんできたわたしですよ。がっかりさせないで下さいね。さ、良く思い出して答えてごらん。さ。さ。ささささささささささささささ」

 「………妻は……姦婦だ…………」

「まあた。股股股股股股股! めっ!そういうヒネたことを言ってはいけません。そんなフィクションはあなたが考えたことでもなければ体験したことでもない、夢の世界だとあなたは思いたいと思っている。その思いたいと思っている部分が真実の世界で、あなたは本当はそれを信じているんですよ。いいですか。しっかりとそのことを頭にたたきこんで。

 はい。はいはいはいはい。しっかりと真実が見えますね。はい、その通り。今あなたは黙っていると自分では思っていますが、現実にはちゃんとあれは神聖な出来事だった、とあなたが信じていることを口に出して言いました。それでいいんですよ。このことをしっかり覚えておいて、明日わたしが同じ質問をしたら、必ず自分の過去の体験の一部だと思いこんでわたしに話して下さい。いいですね。

 はい。それでは質問の2に行ってみます。

 あなたは赤ちゃんがふしぎな能力を持って生まれたのは、もしかすると人智を超えた何か宇宙的なものが関係しているのではないかと疑い、しかもそれはどこかで聞いたことがあるような話だと感じた。それはいったいなんなのでしょうか。思い出して。はい、ぐっと力んで思い出してごらんなさい。しかし、考えすぎてはいけません。考える必要はないのです。ゆっくり、ゆっくりと思い出せばいいのですよ。思い出したことがあなたの信じていることで、信じていることがあなたの頭の中に浮かんでいるんですから。ほら……そうそう。ゆっくり。ゆっくりと自然に………」

 医師は催眠術でもかけるようにMをさそいながら、彼自身も術にかかった魔術師みたいなうっとりした目つきになる。

 さそわれるMの目つきはというと、医師のそれよりももっとうっとりとすわってしまって、彼の目は医師の目、医師の目はMの目となって、且つ医師の側にも同じ混乱が起こったからたまらない。2人の日本人の視線はぐちゃらもじゃらにからみあって、ついに2体が1体になってしまった。

 「さあ、ようやく調子が出てきたぞ。このままつづけて質問の3に行こう。はい、いいですかあ。今度は赤ちゃんのことを頭に浮かべて――考えちゃダメ。思い出すだけですよ。いいですかあ。

 あなたは赤ちゃんが人の気を引いてやまないのは、ただ単に容貌が美しいせいではなくて、なにか特別のふしぎな魅力があるからではないかと考えた。思い出しましたか……いいですね。

 その通りです! あなたは100パーセント真っ正直に正しい。

 赤ちゃんは神の子です。だから赤ちゃんを見る人は誰もがギョッとして立ちすくみ、一瞬のうちに自分の身の上と赤ちゃんのそれを比較し納得して、それから柔和な顔つきになってうっとりその姿をながめ回さずにはいられなかったのです。人々は赤ちゃんを通して神を見たのです。そうでしょう……? よーく思い出して。ほーら今あなたが思い出していることが、あなたの信ずるべき唯一絶対の真実です。考えてはいけません。考えると疑いが生まれてそこはたちまち雪国ですよ。思い出してそのまま信じてしまえばそこは神の国。さ。さ。ささささささささささ。ただひたすら信じるのです。

 ――信じましたか。信じていますね。そう。それが正しい。あなたは信じている。さあ、それでは核心に行きます。いいですかあああああ、赤ちゃんは神の子で、すると当然……奥さんは……そう、聖母マリア…そう。その通りです。しからば、あなたは―――」

「ぼくはヨセフです」

 Mの口からごく自然に言葉がもれて出た。とろりととろけるような甘い気分がMの全身全霊を支配している。考えるのも思い出すのもすべてが面倒で気だるい。まるでアヘンをしこたま吸いこんだような―――。

 医師は満足げにうなずいた。うなずきながら、彼は吊り目の目をさらに吊り上げて、憑かれたようにダメを押しつづけた。

「ほーら、思い出した。その通り。しっかりとそのことを覚えておくんですよ。明日になってもあさってになっても、9月10月11月がきて来年2年3年10年たっても、あなたはそのことを覚えておいて下さいよ。あなたはその輝かしい真実のおかげでりっぱなカトリック教徒になるんですから。赤ちゃんは神の子。奥さんは聖母マリア。あなたはヨセフ。コキュなんかじゃありませんよ。あなたはヨセフ。ヨセフはあなた。あなたはヨセフ、ヨセフヨセフヨセフヨセフヨセフヨセフヨセフヨセフ…あなたはヨセフはあなた……」

医師はMの耳に口を押しつけるようにしてささやきつづける。その声はMの頭の中で神がかり的に大反響して、福音の渦巻になった。

 

 2人の日本人の様子を病院の一角にあるチャペルの窓からのぞき見ている男女がいた。         

 1人は初老の神父。もう1人はMの妻のドリエラである。

「御主人はこれで妻に裏切られた苦しみを知らずに済み、しかもりっぱなカトリック教徒になる。一石二鳥というやつじゃよ。フオッホホホホホホホ」

神父が便秘の化鳥のような声で笑った。

「でも、神父さま、ほんとにうまく行きますでしょうか」

ドリエラが聞いた。

「お疑いですかな」

「だって、あの先生もここの患者の1人だというのでは心配で――」

「あれでも布教に熱心な信者の1人には違いないのじゃよ。特に同胞の日本人を折伏する段になると、ほとんど狂信的と言っていい力を発揮する。彼がここの病院に収容されているのもまさにそれが理由でしてな。これまで彼の手にかかってカトリックに改宗しなかった日本人は1人もいない。その点は心配しなくてもよろしい」

 ドリエラの顔にほっと安堵の色がにじみ出る。神父が素早くくそれを認めてたしなめた。

「しかし夫を裏切っているあなたの罪がそれで消えるわけではありませんぞ」

「はい。分かっております神父さま」

ドリエラは神妙に答えた。

「赤ちゃんは元気にしていますか」

神父が話題を変えた。

「はい。おかげさまで」

「ふむ――。いくら神経衰弱で頭がおかしくなっていたとはいえ、御主人が人の心を読み言葉をしゃべると思いこんだほどの赤ん坊だ。本当に神の申し子かもしれませんぞ。フオッホホホホホ―――して、わしのかの」

「め、めっそうもない! それにしては見た目が美しすぎます」

ドリエラは思わず言って、しまった、とばかりに右手で口を押さえた。神父は苦りきった顔で相手をにらみつけた。

「―――ったく。どうしようもない女だの。約束が守られるかどうか不安になってきたぞ」

「お許し下さい神父さま。約束はかならず守ります。今後はきっと心は主人だけに、体は神父さまだけに操を立てて神の御心に添うように生きてまいります。きっとそういたします」

 信者は皆、真っ正直に生きている、と下界を見おろしながら神がつぶやいた。

                                                                      



                                         (了)




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ステレオタイプたちの真実

石榴主役鈴生りアーチ800

イタリア男のイメージの一つに「女好きで怠け者で嘘つきが多く、パスタやピザをたらふく食って、日がな一日カンツォーネにうつつを抜かしているノーテンキな人々」というステレオタイプ像があります。

イタリアに長く住む者として、その真偽についての考察を少し述べておくことにしました。

イタリア人は恋を語ることが好きです。男も女もそうですが、特に男はそうです。恋を語る男は、おしゃべりで軽薄に見える分だけ、恋の実践者よりも恋多き人間に見えます。

ここからイタリア野郎は手が早くて女好き、というウラヤマシー評判が生まれます。しかも彼らは恋を語るのですから当然嘘つきです。嘘の介在しない恋というのは、人類はじまって以来あったためしがありません。

ところで、恋を語る場所はたくさんありますが、大人のそれとしてもっともふさわしいのは、なんと言っても洒落たレストランあたりではないでしょうか。イタリアには日本の各種酒場のような場所がほとんどない代わりに、レストランが掃いて捨てるほどあって、そのすべてが洒落ています。なにしろ一つひとつがイタリアレストランですから・・。
 
イタリア人は昼も夜もしきりにレストランに足を運んで、ぺちゃクチャぐちゃグチャざわザワとしゃべることが好きな国民です。そこで語られるトピックはいろいろありますが、もっとも多いのはセックスを含む恋の話です。

実際の恋の相手に恋を語り、友人知人のだれ彼に恋の自慢話をし、あるいは恋のうわさ話に花を咲かせたりしながら、彼らはスパゲティーやピザに代表されるイタリア料理のフルコースをぺろりと平らげてしまいます。
 
こう書くと単純に聞こえますが、イタリア料理のフルコースというのは実にもってボー大な量です。したがって彼らが普通に食事を終えるころには、2時間や3時間は軽くたっています。そのあいだ彼らは、全身全霊をかけて食事と会話に熱中します。

どちらも決しておろそかにしません。その集中力といいますか、喜びにひたる様といいますか、太っ腹な時間のつぶし方、というのは見ていてほとんどコワイ。
 
そうやって昼日なかからレストランでたっぷりと時間をかけて食事をしながら、止めどもなくしゃべり続けている人間は、どうひいき目に見ても働くことが死ぬほど好きな人種には見えません。

そういうところが原因の一つになって、怠け者のイタリア人のイメージができあがります。
 
さて、次が歌狂いのイタリア人の話です。

この国に長く暮らして見ていると、実は「カンツォーネにうつつを抜かしているイタリア人」というイメージがいちばん良く分かりません。おそらくこれはカンツォーネとかオペラとかいうものが、往々にして絶叫調の歌い方をする音楽であるために、いちど耳にすると強烈に印象に残って、それがやたらと歌いまくるイタリア人、というイメージにつながっていったように思います。

イタリア人は疑いもなく音楽や歌の大好きな国民ではありますが、人前で声高らかに歌を歌いまくって少しも恥じ入らない、という性質(たち)の人々ではありません。むしろそういう意味では、カラオケで歌いまくるのが得意な日本人の方が、よっぽどイタリア人的(!)です。
 
そればかりではなく、助平さにおいても実はイタリア人は日本人に一歩譲るのではないか、と筆者は考えています。

イタリア人は確かにしゃあしゃあと女性に言い寄ったり、セックスのあることないことの自慢話や噂話をしたりすることが多いが、日本の風俗産業とか、セックスの氾濫する青少年向けの漫画雑誌、とかいうものを生み出したことは一度もありません。

嘘つきという点でも、恋やセックスを盾に大ボラを吹くイタリア人の嘘より、本音と建て前を巧みに使い分ける日本人の、その「建て前という名の嘘」の方がはるかに始末が悪かったりします。
 
またイタリア人の大食らい伝説は、彼らが普通1日のうちの1食だけをたっぷりと食べるに過ぎない習慣を知れば、それほど驚くには値しません。それは伝統的に昼食になるケースが多いのですが、2時間も3時間もかけてゆっくりと食べてみると、意外にわれわれ日本人でもこなせる量だったりします。
 
さらにもう一つ、イタリア人が怠け者であるかどうかも、少し見方を変えると様相が違ってきます。

イタリアは自由主義社会(こういう表現は死語になったようですがイタリアを語るにはいかにもふさわしい語感です。また自由主義社会ですから中国は排除します)の主要国の中で、米日独仏などにつづく経済力を持ちます。イタリアはイギリスよりも経済の規模が大きいと考える専門家さえいるのです。

言うまでもなくそれには諸説ありますが、正式の統計には出てこないいわゆる「闇経済」の数字を考慮に入れると、イタリアの経済力が見た目よりもはるかに強力なものであることは、周知の事実です。
 
ところで、恋と食事とカンツォーネと遊びにうつつを抜かしているだけの怠け者が、なおかつそれだけの経済力を持つということが本当にできるのでしょうか?
 
何が言いたいのかといいますと・・

要するにイタリア人というのは、結局、日本人やアメリカ人やイギリス人やその他もろもろの国民とどっこいどっこいの、助平で嘘つきで怠け者で大食らいのカンツォーネ野郎に過ぎない、ということです。

それでも、やっぱりイタリア人には、他のどの国民よりももっともっと「助平で嘘つきで怠け者で大食らいのカンツォーネ野郎」でいてほしい。せめて激しくその「振り」をし続けてほしい。それでなければ世界は少し寂しく、つまらなく見えます。



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聖人も信徒も等しく死者になる

光の中で女天使慟哭650

昨日、つまり11月2日はイタリアの盆でした。

一般には「死者の日」と呼ばれる万霊節。

「死者の日」という呼び名は日本語ではちょっとひっかかるニュアンスですが、その意味は「亡くなった人をしのぶ日」ということです。

やはり霊魂を慰める日本の盆や彼岸に当たると言えます。

ところで

死者の日の前日、すなわち11月1日は「諸聖人の日」でイタリアの祝日でした。

カトリックでは「諸聖人の日」は、文字通り全ての聖人をたたえて祈る日です。

ところがプロテスタントでは、聖人ではなく「亡くなった全ての信徒」をたたえ祈る日、と変化します。

プロテスタントでは周知のように聖人や聖母や聖女を認めず、「聖なるものは神のみ」と考えます。

聖母マリアでさえプロテスタントは懐疑的に見ます。処女懐胎を信じないからです。

その意味ではプロテスタントは科学的であり現実的とも言えます。

聖人を認めないプロテスタントはまた、聖人のいる教会を通して神に祈ることをせず、神と直接に対話をします。

権威主義的ではないのがプロテスタント、と筆者には感じられます。

一方カトリックは教会を通して、つまり神父や聖人などの聖職者を介して神と対話をします。

そこに教会や聖人や聖職者全般の権威が生まれます。

カトリック教会はこの権威を守るために古来、さまざまな工作や策謀や知恵をめぐらしました。

それは宗教改革を呼びプロテスタントが誕生し、カトリックとの対立が顕在化していきました。

カトリックは慈悲深い宗教であり、懐も深く、寛容と博愛主義にも富んでいます。

プロテスタントもそうです。

キリスト教徒ではない筆者は、両教義を等しく尊崇しつつ、聖人よりも一般信徒を第一義に考えるプロテスタントの11月1日により共感を覚えます。

また、教会の権威によるのではなく、自らの意思と責任で神と直接に対話をする、という教義にも魅力を感じます。

それでは筆者は反カトリックの男なのかというと、断じてそうではありません。

筆者は全員がカトリック信者である家族と共に生き、カトリックとプロテ

スタントがそろって崇めるイエス・キリストを敬慕する、自称「仏教系無心論者」です。



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イタリア人がベルルスコーニを許す理由(わけ)

典型的な笑顔650

間もなく発足する予定のイタリアの右派政権には、醜聞と汚職と暴言また金権にもまみれたベルルスコーニ元首相も加わると見られています。

政権を率いるのは極右政党党首のジョルジャ・メローニ氏。彼女はかつてのベルルスコーニ政権で、31歳の史上最年少閣僚として起用された過去を持っています。

以来ベルルスコーニ氏は「政界の親」として、彼女を擁護してきました。

立場が逆転した今、メローニ氏が自らの政権内でベルルスコーニ氏を優遇する可能性は十分にあります。

ベルルスコーニ氏は外相あるいは法相を目指しているとも、上院議長の席を狙っているとも噂されています。

ベルルスコーニ元首相は2013年、脱税で有罪判決を受けて6年間の公職追放措置になりました。だが悪運強く前倒しで解放されました。

彼はすぐに選挙活動を開始。2019年には欧州議会議員に選出されて政界復帰を果たしました。86歳になる今日も変わらずにイタリア政界を掻き回しています。

実業家だったベルルスコーニ氏は1994年、独自のフォルツァ・イタリア党を結成。長年イタリアを牛耳っていたキリスト教民主党の死滅を受けて、ほどなく総選挙で勝利し首相に就任しました。

以後、3期(4期)9年余に渡って首班を務め、下野している間も一貫してイタリア政界に君臨し多大な影響力を持ち続けてきました。

他の先進民主主義国ならありえないようなデタラメな言動・行跡に満ちた彼を、なぜイタリア国民は許し、支持し続けるのか、という疑問が国際社会では良く提起されます。

その答えは、世界中のメディアがほとんど語ろうとしない、一つの単純な事実の中にあります。

つまり彼、シルヴィオ・ベルルスコーニ元イタリア首相は、稀代の「人たらし」なのです。

日本で言うなら豊臣秀吉、田中角栄の系譜に連なる人心掌握術に長けた政治家、それがベルルスコーニ元首相です。

こぼれるような笑顔、ユーモアを交えた軽快な語り口、説得力あふれるシンプルな論理、誠実(!)そのものにさえ見える丁寧な物腰、多様性重視の基本理念、徹頭徹尾の明るさと人なつっこさ、などなど・・・元首相は決して人をそらさない話術を駆使して会う者をひきつけ、たちまち彼のファンにしてしまいます。

彼のそうした対話法は意識して繰り出されるものではなく、自然に身内から表出されます。

彼は生まれながらにして偉大なコミュニケーション能力を持つ人物なのです。

人心掌握術とは、要するに優れたコミュニケーション能力のことです。元首相が、人々を虜にしてしまうのは少しも不思議なことではありません。

元首相はそのコミュニケーション力で日々顔を合わせる者をからめ取ります。

加えて彼の富の基盤である、自身が所有するイタリアの3大民放局を始めとする巨大情報ネットワークを使って、実際には顔を合わせない人々、つまり視聴者まで取り込んで味方にしてしまうのです。

イタリアのメディア王とも呼ばれる元首相は、政権の座にある時も在野の時も、ひんぱんにテレビに顔を出して発言し、討論に加わり、飽くことなく政治主張をし続けてきました。

有罪判決を受けて以降も、彼はあらゆる手段を使って自らの潔白と政治メッセージを明朗に且つ雄弁に申し立ててきたのです。

しかしながら彼の明朗や雄弁には、暗い影もつきまとっています。ポジティブはネガティブと常に表裏一体なのです。

即ち、こぼれるような笑顔とは軽薄のことであり、ユーモアを交えた軽快な口調とは際限のないお喋りのことであり、シンプルで分りやすい論理とは大衆迎合のポピュリズムのことでもあります。

また誠実そのものにさえ見える丁寧な物腰とは、偽善や隠蔽を意味し、多様性重視の基本理念は往々にして利己主義やカオスにもつながります。

さらに言えば、徹頭徹尾の明るさと人なつっこさは、徹頭徹尾のバカさだったり鈍感や無思慮の換言である場合も少なくありません。

そうしたネガティブな側面に、彼の拝金主義や多くの差別発言また人種差別的暴言失言、少女買春、脱税、危険なメディア独占等々の悪行を加えて見てみればいい。

すると恐らくそれは、イタリア国民以外の世界中の多くの人々が抱いている、ベルルスコーニ元首相の印象とぴたりと一致するのではないでしょうか。

それでもイタリア国民は彼を許し続けています。ポジティブ志向のイタリア国民は、元首相のネガティブな側面よりも彼の明朗に多く目を奪われます。

短所はそれを矯正するのではなく、長所を伸ばすことで帳消しにできる、とイタリア国民の多くは信じています。短所よりも長所がはるかに重要なのです。

例えばこういうことです。

この国の人々は全科目の平均点が80点のありふれた秀才よりも、一科目の成績が100点で残りの科目はゼロの子供の方が好ましい、と考えます。

そして どんな子供でも必ず一つや二つは100点の部分があります。その100点の部分を120点にも150点にものばしてやるのが教育の役割だと信じ、またそれを実践しようとします。

具体的な例を一つ挙げます。

ここに算数の成績がゼロで体育の得意な子供がいるとします。すると親も兄弟も先生も知人も親戚も誰もが、その子の体育の成績をほめちぎり心から高く評価して、体育の力をもっともっと高めるように努力しなさい、と子供を鼓舞するのです。

日本人ならばこういう場合、体育を少しおさえて算数の成績をせめて30点くらいに引き上げなさい、と言いたくなるところですが、イタリア人はあまりそういう発想をしません。

要するに良くいう“個性重視の教育”の典型です。醜聞まみれのデタラメな元首相をイタリア人が許し続けるのも、子供の教育方針と似た理由からです。

元首相は未成年者買春や収賄や脱税などの容疑にまみれた男です。

同時に彼は性格が明るく、コミニュケーション能力に長け、一代で巨万の富を築いた知略を持つ傑出した男でもあります。

ならば後者をより重視しよう、という訳です。

イタリア共和国には ― 繰り返しになりますが ― 短所を言い募るのではなく長所を評価するべき、と考える人が多いのです。

実はそこには「過ちや罪や悪行を決して忘れてはならない。しかしそれは赦されるべきである」 というカトリック教の「赦し」の理念も強く作用しているように見えます。

人々は元首相の負の側面を決して忘れてはいません。忘れてはいませんがあえてそれを赦して、彼のポジティブな要素により重きをおいて評価をしている、とも考えられるのです。

閑話休題

ベルルスコーニ元首相が、極右とも規定されるメローニ政権内で国民のために成すことがあるとすれば、政権が反EUに走ろうとする際にこれを引き止めることです。

元首相はEU信奉者です。

メローニ氏は、逆に反EUを標榜してこれまで政治活動をしてきました。メローニ氏の立場は欧州の全ての極右勢力と同じです。

それはつまり、英国のBrexit首謀者やトランプ主義者と同じ穴のムジナ、ということでもあります。

保守主義者でプーチン大統領とも親しいベルルスコーニ氏が、我欲を捨ててEU結束のためにメローニ首相に諫言し立ちはだかるのかどうか、筆者はここからはより注意深く見守ろうと思います。


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パスタをスプーンで食う不穏、また愉快

カニスパゲティLivorno 650


先年、相手が音を立ててそばを食べるのが嫌、という理由で日本の有名人カップルの仲が破たんした、と東京の友人から連絡がありました。

友人は筆者がいつか「音を立ててスパゲティを食べるのは難しい」と冗談交じりに話したのを覚えていて、愉快になって電話をしてきたのです。

筆者も笑って彼の話を聞きましたが、実は少し考えさせられもしました。

スパゲティはフォークでくるくると巻き取って食べるのが普通です。巻き取って食べると3歳の子供でも音を立てません。

それがイタリアにおけるスパゲティの食べ方ですが、その形が別に法律で定められているわけではありません。

従って日本人がイタリアのレストランで、そばをすする要領でずるずると盛大に音を立ててスパゲティを食べても逮捕されることはない。

スパゲッティの食べ方にいちいちこだわるなんてつまらない。自由に、食べたいように食べればいい、と筆者は思います。

ただ一つだけ言っておくと、ずるずると音を立ててスパゲティを食べる者を、イタリア人もまた多くの外国人も心中で眉をひそめて見ています。あまり見栄えが良いとは言えません。

しかし分別ある大人はそんなことはおくびにも出しません。知らない人間にずけずけとマナー違反を言うのはマナー違反です。

また音を立ててスパゲティをすするほどではないかもしれませんが、右手にフォーク、左手にスプーン(あるいは左右逆の)姿でスパゲティを食べるのは、アメリカ式無粋だからやめた方がいい、という意見もあります。

フォークにからめたスパゲティをさらにスプーンで受けるのは、例えば湯呑みの下にコースターとか紅茶受け皿のソーサーなどを敷いて、それをさらに両手で支えてお茶を飲む、というぐらいに滑稽な所作です。

田舎者のアメリカ人が、スパゲティにフォークを差し立ててうまく巻き上げる仕草ができず、かと言って日本人がそばを食べるようにズルズルと盛大に音を立ててすすり上げることもできず、苦しまぎれに発明した食べ方。

それを「上品な身のこなし」と勘違いした世界中の権兵衛が、真似をし主張して広まったものです。本来の簡素で大らかで、それゆえ品もある食べ方とは違います。

上品のつもりで慎重になりすぎると物事は逆に下卑ることがあり、逆に素直に且つシンプルに振舞うのが粋、ということもあります。

スパゲティにフォークを軽く挿(お)し立てて、巻き上げて口に運ぶ身のこなしが後者の典型です。

というのは実は、数年前に亡くなったイタリア人の義母ロゼッタ・Pの受け売りです。義母は北イタリアの資産家の娘として生まれ、同地の貴族家に嫁しました。

義母は死の直前には残念ながら壊れてしまいましたが、それまでは物腰の全てが閑雅な人でした。義母に言わせると、イタリアで爆発的に人気の出たスイーツ「ティラミス」も俗悪な食べ物でした。

「ティラミス」はイタリア語で「Tira mi su! 」です。直訳すると「私を引き上げて!」となります。それはつまり、私をハイにして、というふうな蓮っ葉な意味合いにもなります。

義母にとってはこの命名が下品の極みでした。そのため彼女は「ティラミス」を食べることはおろか、その名を口にすることさえ忌み嫌いました。

筆者は義母のそういう感覚が好きでした。

彼女は着る物や持ち物や家の装飾や道具などにも高雅なセンスを持っていました。そんな義母がけなす「ティラミス」は、真にわい雑に見えました。

また、フォークですくったパスタをさらにスプーンで受けて食べる所作は、アメリカ的かどうかはともかく、大げさに言えば、法外で鈍重でしかも気取っているのが野暮ったい、という感じがしないでもありません。

そう感じるのは義母の影響もありますが、多くは子供でさえフォーク1本でうまくスパゲティをからめ取って食べる、イタリアの食卓を見慣れていることが関係しています。

その一方で筆者の目には、フォークにスプーンを加えて2刀流でスパゲティに挑む人々の姿は、剣豪宮本武蔵をも彷彿とさせて愉快、とも映ります。

発見や発明は多くの場合、保守派の目にはうっとうしく見え、新し物好きな人々の目には斬新・愉快に見えます。

そして筆者は、新し物好きだが保守的な傾向もなくはない、普通に中途半端な男です。




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イタリア・シエナの広場を疾駆する美しき裸馬たち

正面躍動Ⅱ650

コロナ禍で中止されていたイタリア・シエナのパリオが復活しました。

シエナはフィレンツェから70キロほど南にある中世の美しい街。パリオは街の中心の広場で開催される伝統競馬です。

街を構成する「コントラーダ」と呼ばれる17の町内会のうち、くじ引きで選ばれた10の町内会の馬が競い合います。

パリオは毎年7月と8月の2回行われます。8月16日が今年2度目のパリオの日でしたが、悪天候のために一日順延されました。

パリオはずっと存続の危機にさらされてきました。動物愛護者や緑の党などの支持者が、競走馬の扱いを動物虐待と見なして祭りの廃止を主張するのです。

そこにコロナパンデミックがやって来て2年間中止されました。多くの人が祭りの行く末を憂慮しましたが、ことし7月に祭りが再開されました。

パリオは街の中心にある石畳のカンポ広場を馬場にして、10頭の裸馬が全速力で駆け抜けるすさまじい競技です。

なぜすさまじいのかというと、レースが行なわれるカンポ広場が本来競馬などとはまったく関係のない、人間が人間のためだけに創造した、都市空間の最高傑作と言っても良い場所だからです。

カ ンポ広場は、イタリアでも1、2を争う美観を持つとたたえられています。1000年近い歴史を持つその広場は、都市国家として繁栄したシエナの歴史と文化の 象徴として、常にもてはやされてきました。シエナが独立国家としての使命を終えて以降は、イタリア共和国を代表する文化遺産の一つとしてますます高い評価 を受けるようになりました。

パ リオで走る10頭の荒馬は、カンポ広場の平穏と洗練を蹂躙しようとでもするかのように狂奔すます。狂奔して広場の急カーブを曲がり 切れずに壁に激突したり、狭いコースからはじき出されて広場の石柱に叩きつけられたり、混雑の中でぶつかり合って転倒したりします。負傷したり時には死ぬ馬も出ます。

カンポ広場を3周するパリオの所要時間は、1分10秒からせいぜい1分20秒程度。熾烈で劇的でエキサイティングな勝負が展開されます。しかし、それにも増して激烈なのが、このイベントにかけるシエナの人々の情熱とエネルギーです。それぞれが4日間つづく7月と8月のパリオの期間中、人々は文字通り寝食を忘れて祭りに没頭します。

シエナで広場を疾駆する現在の形のパリオが始まったのは1644年です。しかしその起源はもっと古く、牛を使ったパリオや直線コースの道路を走るパリオなどが、13世紀の半ば頃から行なわれていたとされます。もっと古いという説もあります。

パリオでは優勝することだけが名誉です。2位以下は全く何の意味も持たず一様に「敗退」として片づけられます。従ってパリオに出場する10の町内会「コントラーダ」は、ひたすら優勝を目指して戦う・・・と言いたいところですが、実は違います。

それぞれの町内会「コントラーダ」にはかならず天敵とも言うべき相手があって、各「コントラーダ」はその天敵の勝ちをはばむために、自らが優勝するのに使うエネルギー以上のものを注ぎこみます。

天敵のコントラーダ同志の争いや憎しみ合いや駆け引きの様子は、部外者にはほとんど理解ができないほどに直截で露骨で、かつ真摯そのものです。天敵同志のこの徹底した憎しみ合いが、シエナのパリオを面白くする最も大きな要因になっています。

パリ オの期間中のシエナは、敵対するコントラーダ同志の誹謗中傷合戦はもとより、殴り合いのケンカまで起こります。毎年7月と8月の2回、それぞれ4日間に渡って人々はお互いにそうすることを許し合っています。そこで日頃の欲求不満や怒りを爆発させるからなのでしょう、シエナはイタリアで最も犯罪の少ない街とさえ言われています。

長い歴史を持つパリオは、2011年7月のパリオに出走した馬の1頭が、広場の壁に激突して死んで以来、恒常的に存続の危機にさらされています。動物愛護者や緑の党の支持者などが、馬の虐待だと決めつけて祭りの廃止を叫ぶのです。実 はそのこと自体は目新しいものではなく、パリオを動物虐待だとして糾弾する人々はかなり以前からいました。

2011年の場合は事情が違いました。当時ベルルスコーニ内閣の観光大臣だったミケーラ・ブランビッラ女史が、声を張り上げて反パリオ運動を主導したのです。動物愛護家で菜食主義者の大臣は、かねてからシエナのパリオを敵視してきました。事故を機に彼女はパリオの廃止を強く主張し、その流れは今も続いています。

筆者はかつてこのパリオを題材に一時間半に及ぶ長丁場のドキュメンタリーを制作しました。6~7年にも渡るリサーチ準備期間と、半年近い撮影期間を費やしました。NHKで放送された番組は幸いうまく行って高い評価もいただきました。筆者は今もパリオに関心を持ち続け、番組終了後の通例で、撮影をはじめとする全ての制作期間中に出会ったシエナの人々とも連絡を取り合います。

その経験から言いたいことがあります。

パリオで出走馬が負傷したり、時には死んだりする事故が起こるのは事実です。しかしシエナの人々を動物虐待者と呼ぶのは当たらないのではないかと思います。なぜなら馬のケガや死を誰よりも悼(いた)んで泣くのは、まさにシエナの民衆にほかならないからです。街の人々は馬を深く愛し、親しみ、苦楽を共にして何世紀にも渡って祭りを盛り上げてきました。

彼らは馬を守る努力も絶えず続けています。石畳の広場という危険な馬場に適合した馬だけを選出し、獣医の厳しい監査を導入し、馬場の急カーブにマットレスを敷き詰め、最終的には激しい走りをするサラブレッドをパリオの出走馬から外すなど、など。それでも残念ながら事故は絶えません。

しかし、だからと言って歴史遺産以外のなにものでもない伝統の祭りを、馬の事故死という表面事象だけを見て葬り去ろうするのは、あまりにも独善的に過ぎるのではないでしょうか。今日も世界中の競馬場で馬はケガをし、死ぬこともあります。それも全て動物虐待なのでしょうか?

最後に不思議なことに、ブランビッラ元大臣を含むパリオの動物虐待を指摘する人々は、馬に乗る騎手の命の危険性については一切言及しません。また筆者が知る限り、元大臣を含む多くの反パリオ活動家の皆さんは、パリオ開催中のシエナの街に入ったことがない。つまり彼らは、パリオについては、馬の事故死以外は何も知らないように見えます。

そのことに違和感を覚えるのは筆者だけでしょうか?



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子ヤギ食らいという自罪を見つめて生きる

下を向く木の向こうの銅像650

輿子田さん

ことしの復活祭で子ヤギ肉を食べたあと、先日のギリシャ旅でも子ヤギ&子羊肉(以後子ヤギに統一)を食べる罪を犯しました。あなたに責められても仕方がないと思います。

ただし私があなたの批判を甘んじて受けるのは、あなたが考えるような意味ではありません。私は子ヤギという愛くるしい動物の肉を食らった自分を悪とは考えません。

その行為によって、感じやすいやさしい心を持ったあなたの情意を傷つけたことを、心苦しく思うだけです。

私たちが食べる肉とは動物の死骸のことです。野菜とは植物の亡き骸です。果物は植物の体の一部を切断したいわば肉片のようなものです。

私たち人間はあらゆる生物を殺して、それを食べて生きています。菜食主義者のあなたは動物を殺してはいませんが、植物は殺しています。

動物は赤い熱い血を持ち、動き、殺されまいとして逃げ、殺される瞬間には悲痛な泣き声をあげます。だから私たちは彼らを殺すことが辛く、怖い。

植物は血液を持たず、動かず、殺されても泣かず、私たちのなすがままにされて黙って運命を受け入れています。

彼らは傷つけられても殺されても痛みを覚えない。なぜなら血も流れず、逃げもせず、悲鳴も上げないから。だから私たちは彼らを殺しても、殺したという実感がない。

でも、私たちのその思い込みは本当に正しいのでしょうか?

私たち動物も植物も、炭素を主体にした化合物 、つまり有機化合物と水を基礎にして存在する生命形態です。

動物と植物の命の根源や発祥は共通なのです。だから私たち動物は植物と同じ「生物」と呼ばれ、そう規定されます。

同時に動物と植物の間には、前述の違いを含む多くの見た目と機能の違いがあります。私たちは、動物が持つ痛みや苦しみや恐怖への感覚が植物にはないと考えています。

しかし、その証拠はありません。私たちは、植物が私たちに知覚できる形での痛みや苦しみや恐怖の表出をしないので、今のところはそれは存在しない、と勝手に思い込んでいるだけです。

だがもしかすると、植物も私たちが知らない血を流し(樹液が彼らの血にあたるのかもしれません)、私たちが気づかない痛みの表現を持ち、私たちが知覚できない悲鳴を上げているのかもしれません。

私たち人間は膨大な事物や事案についてよくわかっていません。人間は知恵も知識もありますが、同時に知恵にも知識にも限界があります。

そしてその限界、あるいは無知の領域は、私たちが知るほどに広がっていきます。つまり私たちの「知の輪」が広がるごとに円周まわりの未知の領域も広がります。

知るとは言葉を替えれば、無知の世界の拡大でもあるのです。

そんな小さな私たちは、決して傲慢になってはならない。植物には動物にある感覚はない、と断定してはならない。私たちは無知ゆえに彼らの感覚が理解できないだけかもしれないのですから。

そのことが今後、私たちの知の進化によって解明できても、しかし、私たちは私たち以外の生命を殺すことを止めることはできません。

なぜなら私たち人間は、自らの体内で生きる糧を生み出す植物とは違い、私たち以外の生物を殺して食べることでしか生命を維持できません。

人が生きるとは殺すことなのです。

だから私は子ヤギを食べることを悪とは考えません。強いて言うならばそれは殺すことしかできない「人間の業」です。子ヤギを食らうのも野菜サラダを食べるのも同じ業なのです。

それでも私は子ヤギを憐れむあなたの優しい心を責めたりはしません。その優しさは、私たち人間の持つ残虐性を思い起こさせる、大切な心の装置なのですから。

殺すことしかできない私は、子ヤギ食らいという自罪を畏れつつ、これからもいただく命にひたすら感謝しつつ生きて行きます。




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島々の死者たち



ギリシャのクレタ島に滞在した時の話です。

借りたアパートからビーチに向かう途中に墓地がありました。そこには大理石を用いた巨大な石棺型墓石が並んでいました。

墓石はどれもイタリアなどで見られる墓標の4~5倍の大きさがあります。筆者はそれを見たときすぐに日本の南の島々の異様に大きな墓を想いました。

先年、母を亡くした折に筆者は新聞に次のような内容の文章を寄稿しました。

生者と死者と


死者は生者の邪魔をしてはならない。僕は故郷の島に帰ってそこかしこに存在する巨大な墓を見るたびに良くそう思う。これは決して死者を冒涜したりばち当たりな慢心から言うのではない。生者の生きるスペースもないような狭い島の土地に大きな墓地があってはならない。  

島々の墓地の在り方は昔ならいざ知らず、現代の状況では言語道断である。巨大墓の奇怪さは時代錯誤である。時代は変わっていく。時代が変わるとは生者が変わっていくことである。生者が変われば死者の在り方も変わるのが摂理である。

僕は死んだら広いスペースなどいらない。生きている僕の息子や孫や甥っ子や姪っ子たちが使えばいい。日当りの良い場所もいらない。片隅に小さく住まわしてもらえれば十分。われわれの親たちもきっとそう思っている。

僕は最近母を亡くした。灰となった母の亡き骸の残滓は墓地に眠っている。しかしそれは母ではない。母はかけがえのない御霊となって僕の中にいるのである。霊魂が暗い墓の中にいると考えるのは死者への差別だ。母の御霊は墓にはいない。仏壇にもいない。

母の御霊は墓を飛び出し、現益施設に過ぎない仏壇も忌避し、母自身が生まれ育ちそして死んだ島さえも超越して、遍在する。

肉体を持たない母は完全に自由だ。自在な母は僕と共に、たとえば日本とイタリアの間に横たわる巨大空間さえも軽々と行き来しては笑っている。僕はそのことを実感することができる。

われわれが生きている限り御霊も生きている。そして自由に生きている御霊は間違っても生者の邪魔をしようとは考えていない。僕と共に生きている母もきっと生者に道を譲る。

母の教えを受けて、母と同じ気持ちを持つ僕も母と同じことをするであろう。僕は死者となったら生者に生きるスペースを譲る。人の見栄と欺瞞に過ぎない巨大墓などいらない。僕は生者の心の中だけで生きたいのである。



日本の南の島々の墓が巨大なのは、家族のみならず一族が共同で運営するからです。生者は供養を口実に大きな墓の敷地に集まって遊宴し、親睦を深めます。

そこは死者と生者の距離が近い「この世とあの世が混在する共同体」です。生者たちは死者をダシにして交歓し親しみあうのです。島々の古き良き伝統です。

ところが、従前の使命が希薄になった現代の墓を作る際も、人々は虚栄に満ちた大きな墓を演出したがります。筆者はそこに強い違和感を覚えます。

ギリシャ南端のクレタ島には、ギリシャの島々の街並みによくみられる白色のイメージがあまりありません。山の多い島の景色は乾いて赤茶けていて、むしろアフリカ的でさえあります。

その中にあって、白大理石を用いた石棺型墓石が並ぶ霊園は明るく、強い陽ざしをあびて全体がほぼ白一色に統一されています。

大きな墓石のひとつひとつは、島の遅い夏の、しかし肌を突き刺すような陽光を反射してさらに純白にかがやいています。

死の暗黒を必死に拒絶しているような異様な白さ、とでも形容したいところですが、実はそこにはそんな重い空気は一切漂っていません。

墓地はあっけらかんとして清廉、ひたすら軽く、埋葬地を抱いて広がる集落の向こうの、エーゲ海のように心はずむ光景にさえ見えました。

ギリシャと日本の南の島々の巨大墓には、死者への過剰な思い入れと生者の虚栄心が込められています。

そして死者への思い入れも生者の精神作用に他ならないことを考えれば、巨大墓はつまるところ「生者のための」施設なのです。

あらゆる葬送の儀式は死者のためにあるのではない。それは残された遺族をはじめとする生者のためにあります。

死者は自らの墓がいかなるものかを知らないし、知るよすがもありません。

墓も、葬儀も、また供養の行事も、死者をしのぶ口実で生者(遺族)が集い、お互いの絆を確かめ、親睦を図るための施設であり儀式です。

死者たちはそうやって生者のわれわれに生きる道筋を示唆します。

死者は生者の中で生きています。巨大墓地などを作って死者をたぶらかし、暗闇の中に閉じ込めてはなりません。

通常墓や仏壇でさえ死者を縛り、貶める「生者の都合」の所産です。

死者は生者と共に自由に生きるべきです。

それどころか生者の限界を超えてさらに自由な存在となって空を飛び、世界を巡り、「死者の生」を生きるべきなのです。

筆者の中の、筆者の母のように・・




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「クイ食いネー」と言われても食えねェバヤイもある


仰向け丸焼き












ペルーは南米でもっとも観光客に人気のある国とされます。アンデス山脈、アマゾン川、ナスカの地上絵、マチュピチュなど、など・・ペルーには魅惑的な観光スポットが数多くあります。


そのぺルーを旅した時の話。

旅では標高約5千メートルの峠越え3回を含む、3700メートル付近の高山地帯を主に移動しました。

目がくらむほどに深い渓谷を車窓真下に見る、死と隣り合わせの険しい道のりと、観光客の行かない高山地帯の村々や人々の暮らしは、見るもの聞くものの全てが新鮮で大いに興奮しました。

その中でも特に面白かったのは「ペルーの豚」料理でした。面白かったというのは実は言葉のあやで、筆者は「ペルーの豚」料理に閉口しました。

ペルーには2種類の豚がいます。一つは誰もが知っている普通の豚。山中の村では豚舎ではなく、道路などでも放し飼いにされています。これはとてもおどろきでした。

でももう一種の豚はもっとおどろきです。それは普通の子豚よりもずっと小さな豚で、ここイタリアを含む欧米で「ギニア(西アフリカ)の豚」とか「チビ豚」また「インド豚」などとも称されます。

ペルーでは「クイ」と呼ばれ、それの丸焼き料理がよく食べられます。つまり先に触れた「ペルーの豚」料理です。レストランなどでも正式メニューとして当たり前に提供されています。

クイは見た目は体がずんぐりしていて頭が大きく、確かに極小の豚のようでもあります。だがクイは本当は豚ではなく、モルモットのことです。日本語では天竺鼠とも言います。

筆者はクイの丸焼き料理がどうしても食べられませんでした。天竺鼠の「ネズミ」という先入観が邪魔をして、とても口に入れる気になれないのでした。

クイの丸焼きの見た目は、どちらかと言えばウサギの丸焼きです。イタリアでよく食べられるウサギも、実は筆者は長い間食べることができませんでした。

が、郷に入らば郷に従え、と自分に言い聞かせて後には何とか食べられるようになりました。

ウサギ肉は、自ら望んで「食べたい」とは今も思いませんが、提供されたら食べます。クイもそのつもりでいました。

しかしモルモットでありネズミである、という思いが先にたってどうしてもだめだったのです。

実を言うと筆者がクイを食べられなかったのは、ネズミという先入観が全てではありません。筆者が田舎者であることが真の理由なのだろうと思います。

田舎の人というのは新しい食べ物を受けつけない傾向があります。誤解を恐れずに言えば、いわゆる田舎者の保守体質です。

日本でもそうですが、ここイタリアでも田舎の人たちは、たとえば筆者が日本から土産で持ち込む食べ物を喜ばないことが多い。悪気があるのではなく、彼らは食の冒険を好まないのです。

生まれが大いなる田舎者の筆者は、イタリアに来て丸2年間生ハムを口にしませんでした。それが生肉だと初めに告げられたのが原因でした。ウサギ肉どころの話ではなかったのです。

イタリアでは生ハムは、ほぼ毎日と言っても良いくらいにひんぱんに食卓に供される食物です。2年後に思い切って食べてみました。以来大好きになり、今では生ハムのない食卓は考えもつきません。

ウサギを食べられるようになったのは、生ハムのエピソードからさらに10年以上も経ってからのことです。筆者はそんな具合に田舎者にありがちなやっかいな食習慣を持っています。

日本のド田舎を出て、ついには日本という祖国も飛び出して外国に住んでいる身としては、この「食の保守性」というか偏向性はちょっとまずい性癖です。世界の食は多様過ぎるほど多様なのですから。

それは良く分っているのですが、その面倒くさい性分は、標高が富士山よりはるかに高いアンデス山中でも変わることはありませんでした。

変わるどころか、土地の珍味を食べなくても別に死にはしない、と開き直っている自分がいました。まさに田舎者の保守性丸出しだったのです。





日本共和国はあり得るか


旗握り締める拳切り取り650

イタリアは昨日、共和国記念日で祝日でした。

第2次大戦後の1946年6月2日、イタリアでは国民投票により王国が否定されて、現在の「イタリア共和国」が誕生しました。イタリアが真に近代国家に生まれ変わった日です。

世界の主な民主主義国は、日本とイギリスを除いて共和国体制を取っています。筆者は民主主義国には共和国体制が最もふさわしいと考えています。

共和国制は民主主義と同様にベストの体制ではありません。あくまでもベターな仕組みです。しかし再び民主主義と同じように、われわれは今のところ共和制を凌駕する体制を知りません。

ベストを知らない以上、ベターが即ちベストです。

先年、筆者は熱烈な天皇制支持者で皇室尊崇派の読者から「あなたは天皇制をどう見ているのか」という質問を受けました。その問いに筆者は次のような趣旨の返事をしました。

天皇制については私は懐疑的です。先の大戦の如く、制度を利用して、国を誤らせる輩が跋扈する可能性が決してなくならないからです。

しかし「天皇制」と「天皇家」は別物です。天皇制を悪用して私利私欲を満たす連中は天皇家のあずかり知らないことです。

天皇家とその家族は善なる存在ですが、天皇制はできればないほうが良いと考えます。しかし、(天皇制を悪用する)過去の亡霊が完全に払拭されるならば、もちろん今のままの形でも構わない、とも思います。


筆者は今のところ、信条として「共和国主義が最善の政治体制」だと考えています。「共和主義者」には独裁者や共産党独裁体制の首魁などもいます。筆者はそれらを認めません。あくまでも民主的な「共和国主義」が理想です。

それはここイタリア、またフランスの共和制のことであり、ドイツ連邦やアメリカ合衆国などの制度のことです。それらは「全ての人間は平等に造られている」 という不磨の大典的思想、あるいは人間存在の真理の上に造られています。

民主主義を標榜するするそれらの共和国では、主権は国民にあり、その国民によって選ばれた代表によって行使される政治制度が死守されています。多くの場合、大統領は元首も兼ねます。

筆者は国家元首を含むあらゆる公職は、主権を有する国民の選挙によって選ばれ決定されるべき、と考えます。つまり国のあらゆる権力や制度は米独仏伊などのように国民の選挙によって造られるべき、という立場です。

世界には共和国と称し且つ民主主義を標榜しながら、実態は独裁主義にほかならない国々、例えば中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国なども存在します。

共和国と民主国家は同じ概念ではありません。そこを踏まえた上で、筆者は「共和国」を飽くまでも「民主主義体制の共和国」という意味で論じています。

筆者が読者への便りに「天皇制はできればないほうが良い」と言いつつ「今のままの形でも構わない」と優柔不断な物言いをしたのは、実は筆者が天皇制に関しては、自身がもっとも嫌いな「大勢順応・迎合主義」を信条としているからです。

大勢順応・迎合主義とは、何事につけ主体的な意見を持たず、「赤信号、皆で渡れば怖くない」とばかりに大勢の後ろに回って、これに付き従う態度でありそういう動きをする者のことです。

ではここではそれはどういう意味かと言いますと、共和国(制)主義を信奉しながらも、日本国民の大勢が現状のように天皇制を支持していくなら、筆者は躊躇することなくそれに従うということです。

共和国(制)主義を支持するのですから、君主を否定することになり、従って天皇制には反対ということになります。それはそうなのですが、筆者が天皇制を支持しないのは天皇家への反感が理由ではありません。

読者への返信で示したように、天皇制を利用して国家を悪の方向に導く政治家が必ずいて、天皇制が存続する限りその可能性をゼロにすることは決しできません。だから天皇制には懐疑的なのです。

しかしながら、繰り返しになりますが、日本国民の大多数が天皇制を良しとしているのですから、筆者もそれで良しとするのです。天皇家を存続させながら天皇制をなくす方法があれば、あるいはそれが適切かもしれません。

とはいうもののそのことに関しては、筆者は飽くまでも大勢に従う気分が濃厚なのです。そこには日本国民が、今さらまさか昔の過ちを忘れて、天皇制を歪曲濫用する輩に惑わされることはないだろう、という絶対の信頼があります。



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マフィアの壊死は進まない

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1992年5月23日、つまり30年前の今日、イタリア共和国シチリア島パレルモのプンタライジ空港(1995年に「ファルコーネ・ボルセリーノ国際空港」と改称)から市内に向かう自動車道を、時速約150キロ(140キロ~160キロの間と推測される)のスピードで走行していた「反マフィアの旗手」ジョヴァンニ・ファルコーネ判事の車が、けたたましい爆発音とともに中空に舞い上がりました。

それはマフィアが遠隔操作の起爆装置を用いて、1/2トンの爆薬を炸裂させた瞬間でした。正確に言えば1992年5月23日17時58分。ファルコーネ判事と同乗していた妻、さらに前後をエスコートしていた車中の3人の警備員らが一瞬にしてこの世から消えました。マフィアはそうやって彼らの天敵であるファルコーネ判事を正確に葬り去りました。

大爆殺を指揮したシチリアマフィアのボス、トト・リィナは、その夜部下を集めてフランスから取り寄せたシャンパンで「目の上のたんこぶ」ファルコーネ判事の死を祝いました。当時、イタリア共和国そのものを相手にテロを繰り返して勝利を収めつつある、とさえ恐れられていたトト・リィナは得意の絶頂にいました。が、実はそれが彼の転落の始まりでした。

敢然とマフィアに挑み続けてきた英雄ファルコーネ判事の死にシチリア島民が激昂しました。敵対する者を容赦なく殺戮するマフィアの横暴に沈黙を強いられてきた島の人々が、史上初めてマフィア撲滅を叫んで立ち上がりました。その怒りは島の海を越えてイタリア本土にも広がりました。折からのマニプリーテ(汚職撲滅)運動と重なってイタリア中が熱く燃えました。

世論に後押しされた司法がマフィアへの反撃を始めました。翌年1993年の1月、ボスの中のボスといわれたトト・リィナをついに警察が逮捕したのです。マフィアはその前にファルコーネ判事の朋友ボルセリーノ判事を爆殺し、リィナ逮捕後もフィレンツェやミラノなどで爆弾テロを実行するなど激しい抵抗を続けました。しかし司法はマフィアの一斉検挙を行ったりして、組織の壊滅を目指して突き進みました。

1996年5月20日、ファルコーネ判事爆殺テロの実行犯ジョバンニ・ブルスカが逮捕されました。彼はマフィアの襲撃防止のために高速走行をしていたファルコーネ判事の車の動きを、近くの隠れ家から双眼鏡で確認しつつ爆破装置を作動させた男。フィレンツェほかの爆弾テロの実行犯でもあります。100人~200人を殺したと告白した凶暴な殺人鬼でありながら、リーダーシップにも優れた男であることが判明しています。

ブルスカは当時マフィアの第3番目のボスと見られていました。組織のトップはすでに逮捕されたリィナ。ナンバー2が1960年代半ば以来逃亡潜伏を続けているベルナルド・プロヴェンツァーノでした。ブルスカは逮捕後に変心して司法側の協力者になり、逃亡先からマフィア組織を指揮していたプロヴェンツァーノは2006年4月に逮捕され、2016年6月、83歳で獄死しました。

現在のマフィアを指揮しているのは、トト・リィナが逮捕された1993年から逃亡潜伏を続けている マッテオ・メッシーナ・デナーロ(Matteo Messina Denaro 60歳)と見られています。警察はこれまでに何度か彼を逮捕しかけましたが失敗。やはり獄中で死亡したトト・リィナとなんらかの方法で連絡を取っていた、という見方も根強くありますが真相は闇の中です。

メッシーナ・デナーロが逮捕される時、マフィアの息の根が止まる、という考え方もありますが、それは楽観的過ぎるどころか大きな誤謬です。30年前、反マフィアのシンボル・ファルコーネ判事を排除してさらに力を誇示するかに見えたマフィアは、そこを頂点に確かに実は崩壊し始めました。だがその崩落は30年が過ぎた今もなお全体の壊滅とはほど遠い、いわば壊死とも呼べるような不完全な死滅に過ぎません。

イタリアの4大犯罪組織、つまりマフィア、ンドランゲッタ、カモラ、サクラ・コローナ・ウニータのうち現在最も目立つのはンドランゲッタです。彼らを含むイタリアの犯罪組織を全て一緒くたにして「マフィア」と呼ぶ、特にイタリア国外のメディアのおかげで、真正マフィアは表舞台から姿を消したのでもあるかのように見えます。だがその状況はマフィア自身がその現実をうまく利用して沈黙を守っている、とも考えられるのです。

その沈黙は騒乱よりも不気味な感じさえ漂わせています。トト・リィナの逮捕後、潜伏先からマフィア組織を牛耳ったプロヴェンツァーノが2016年に獄死したとき、元マフィア担当検事で上院議長のピエトロ・グラッソ氏(Pietro Grasso)は「多くの謎が謎のまま残るだろう。プロヴェンツァーノは長い血糊の帯を引きずりながら墓場に行った。おびただしい数の秘密を抱え込んだまま・・」とコメントしました。

マフィアの力は、前述してきたように、過去およそ30年の間に確実に弱まってはいます。ファルコーネ判事の意思を継いだ反マフィア活動家たちが実行し続ける「マフィア殲滅」運動が、じわじわと効果をあげつつあるのです。またイタリアがEU(欧州連合)に加盟していることから来るマフィアへの圧力も強いと考えられます。しかし、マフィアは相変わらず隠然とした勢力を保っています。

反マフィアのピエトロ・グラッソ氏が指摘したように、多くの事案が謎に包まれた犯罪組織は絶えず蠕動し続けていて、死滅からは程遠いと言わざるを得ないのです。


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文章が吹きすべれば暴力がもうかり喜ぶ

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文章の趣旨は、基本的に読者に100%は伝わらないと思っています。

原因は書き手と読み手の両方にあります。

言うまでもなく書き手がヘタで、読者に読解力がない場合、というのがもっとも深刻でもっとも多い要因でしょう。

しかし、ひんぱんに起こるのは、書き手の思い込みと読者の思い込みによる誤解です。

書き手の思い込みは「書き手のヘタ」と同じ意味でもありますが、読者の思い込みは少し違います。

読み手はいかに優れた人の場合でも、文章を「読みたいようにしか読まない」のです。

そのために同じ文章でも読み手によって全く違う解釈が生まれます。

黒と白、という極端な違いはあるいは少ないかもしれませんが、黒と白の間のグラデーションの相違、という程度のずれは多くあります。

そこに読者の「感情」がからまると、違いは目に見えるほど大きくなります。

例えば暴力に関する記述に接したとき、それと同じシチューエーションで殴った側に立ったことがある読者と、殴られた側にいた読者の間には、文意にそれぞれの「感情」がからまって違う解釈になる可能性が高い。

あるいは恋愛において、相手を捨てた側と捨てられた側の感情の起伏も、文意の解釈に影響することがあると思います。

それどころか、女と男という性差も文章読解にすでに影響している可能性があります。女と男の物事への感じ方には違いがあります。

その違いが文章読解に作用しないとは誰にも言えません。

そうしたことを考えだすと書く作業はひどく怖いものに見えてきます。

だが書かないと、理解どころが「誤解」さえもされません。つまりコミュニケーションができない。

人の人たるゆえんは、言葉によってコミュニケーションを図ることです。つまりそうすることで人はお互いに暴力を抑止します。

言葉を発せずに感情や思いを胸中に溜めつづけると、やがてそれは爆発し、人はこわれます。

こわれると人は凶暴になりやすい。

それどころか、コミュニケーションをしない人は、いずれ考えることさえできなくなります。

なぜなら「思考」も言葉だからです。

思考や思索の先にある文学は言うまでもなく、思想も哲学も言葉がなければ成立しません。数学的思考ですら人は言葉を介して行っています。

それどころか数式でさえも言葉です。

さらに感情でさえ言葉と言えるのかもしれません。なぜならわれわれは感情の中身を説明するのに言葉をもってするからです。

感情がいかなるものかを説明できなければ、他人はもちろん自分自身にもそれが何であるかがわかりません。

ただやみくもに昂ぶったり落ちこんだりして、最後には混乱しやはり暴力に走ります。

暴力は他人に向かう場合と自分自身に向かう場合があります。自分自身に向かって振るわれる最大の暴力が自殺です。

暴力は自分に向かうにしろ他人に向かうにしろ、苦しく悲しい。

暴力を避けるためにも、人はコミュニケーションをする努力を続けなければなりません。

文章を書くとは、言うまでもなくコミュニケーションを取ることですから、たとえ文意が伝わりづらくても、書かないよりは書いたほうがいい、と思うゆえんです。



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親の壁

800壁の赤バラ一輪

数年前、筆者の父親が101歳で他界しました。またその数ヶ月前にはイタリア人の義母が92歳で逝きました。

義母は先年、日本の敬老の日を評して「最近の老人は、もう誰も死ななくなった。いつまでも死なない老人を敬う必要はない」と喝破したツワモノでした。

101歳の父と92歳の義母が「いつまでも死なない老人」であったかどうかはわかりません。しかし、その名文句 を言い放ったときの義母が89歳だったことを思えば、彼女の言う「いつまでも死なない老人」 の目安は90歳あたりです。

それというのも義母は正確に言えば、「《私を含めて》最近の老人は、もう誰も死ななくなった。いつまでも死なない老人を敬う必要はない」と自らの境遇に即して発言したのでした。

また当時、麻生太郎副総理兼財務相 が「90歳になって老後が心配とか、訳の分からないことを言う人がいる。一体いつまで生きているつもりだ」という趣旨の発言をして物議をかもしました。

筆者は日本の敬老の日の趣旨に続いて麻生さんの発言も義母に話しました。彼女は麻生さんの箴言に拍手喝采しました。そうしたいきさつからも「いつまでも死なない老人」の始まりは90歳前後、と筆者は考えます。

そしてその90歳という目安は、長寿がますます盛んになっていく昨今は、速い速度で95歳、100歳とどんどん先送りされていくことになるでしょう。

義母の「爆弾発言」は、日伊ひいては世界の大問題の一つである高齢化社会のあり方について、しきりに考えをめぐらせることが多い筆者に目からウロコ的な示唆を与えました。

高齢化社会の問題とは、財政と理念に基づく国のあり方であり、安楽死や尊厳死の解釈と当為の是非であり、命題としての一人ひとりの人間の死に様、つまり「生き様」のことです。

60歳代の筆者は、父や義母ほどの老人ではないかもしれませんが、いかに死ぬか、つまりいかに生きるべきか、という問いに不自然さを感じない程度の“高齢者”となりました。

老人の義母が「いつまでも死なない老人」と断罪したのは、「無駄に長生きをして周囲に疎まれながらもなお生存している厄介な超高齢者」という意味でした。

また彼女の見解では「疎まれる老人」とは、愚痴が多く、精神的にも肉体的にも自立していない退屈な高齢者、のことでした。

義母自身もまた筆者の父も、終わりの数年は愚痴の多い、あまり幸せには見えない時間を過ごしました。とはいうものの2人の愚痴は、老人の誰もが陥る晩年の罠というよりも、両者の生来の難しい性格から来ているように見えました。

2人のさらなる長生きを願いながらも、筆者は彼らのあり方をいわば「反面教師」として、自らの老い先の道しるべにしよう、とひそかに思ったりもしたことを告白しなければなりません。

とまれかくまれ、父を最後に筆者の親と妻の両親、また双方の親世代の家族の人々がこの世から全ていなくなりました。それは寂しく感慨深い出来事です。

生きている親は身を挺して死に対する壁となって立ちはだかり、死から子供を守っています。だから親が死ぬと子供はたちまち死の荒野に投げ出されます。次に死ぬのはその子供なのです。

親の存在の有難さを象徴的に言ってみました。しかしそれはただの象徴ではありません。先に死ぬべき親が「順番通り」に実際に逝ってしまうと、子供は次は自分の番であることを実感として明確に悟るのです。

筆者自身が置かれた今の立場がまさにそれです。だが人が、その場ですぐに死の実相を知覚するのかといえば、もちろんそんなことはありません。

死はやがて訪れるものですが、生きているこの時は「死について語る」ことはできてもそれを実感することはあり得ません。

人は死を思い、あるいは死を感じつつ生きることはできません。「死を意識した意識」は、すぐにそのことを忘れて生きることに夢中になります。

100歳の老人でも自分が死ぬことを常時考えながら生きたりはしません。彼は生きることのみを考えつつ「今を生きている」のです。

まだ元気だった頃の父を観察して筆者はそのことに確信を持ちました。父は残念ながら100歳のすぐ手前でほとんど何も分からなくなりましたが、それまでは生きることを大いに楽しんでいました。

楽しむばかりではなく、生に執着し、死を恐れうろたえる様子さえ見せました。潔さへの憧憬を心中ひそかに育んでいる筆者は、時として違和感を覚えたほどでした。

ともあれ、死について父と語り合うことはついにありませんでしたが、筆者は人が「死ぬまで生き尽くす」存在であるらしいことを、父から教わったのでした。




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エーゲ海のカモメに会いたい


サントリーニ水色屋根教会650

ことしは、6月または9月に、コロナ騒動で中断していた地中海行を復活させる計画である。

日本語のイメージにある地中海は、西のイベリア半島から東のトルコ・アナトリア半島を経て南のアフリカ大陸に囲まれた、中央にイタリア半島とバルカン半島南端のギリシャが突き出ている海、とでも説明できるだろうか。

日本語ではひとくちに「地中海」と言って済ませることも多い広い海は、実は場所によって呼び名の違う幾つかの海域から成り立っている。

イタリア半島から見ると、地中海には西にバレアス海とアルボラン海があり、さらにリグリア海がある。東にはアドリア海があって、それは南のイオニア海へと伸びていく。

イタリア半島南端とギリシャの間のイオニア海は、ギリシャ本土を隔てて東のエーゲ海と合流し、トルコのマルマラ海にまで連なる。

それら全てを合わせた広大な海は、ジブラルタル海峡を経て大西洋と合流する。

地中海の日差しは、北のリグリア海やアドリア海でも既に白くきらめき、目に痛いくらいにまぶしい。

白い陽光は海原を南下するほどにいよいよ輝きを増し、乾ききって美しくなり、ギリシャの島々がちりばめられたエーゲ海で頂点に達する。

エーゲ海を起点に西に動くとギリシャ半島があり、イオニア海を経てイタリア半島に至る。

イタリア半島の西にはティレニア海がある。そこにはイタリア随一のリゾート地、サルデーニャ島が浮かんでいる。

サルデーニャ島は、一級の上に超が付くほどのすばらしいバカンス地である。

太陽はきらめき、地中海独特の乾いた環境が肌に心地よい。

エーゲ海の島々の空気感は、サルデーニャ島よりもさらに乾いて白いきらめきに満ちている。地中海では西よりも東の方が気温が高く、空気ももっと乾燥している。

そして多くの島々を浮かべたエーゲ海は、サルデーニャ島を抱くティレニア海よりも東にある。

清涼感に富む光がよりまぶしく、目に映るものの全てを白色に染めて輝くように見えるのは、そこが地中海の中でも南の、且つ東方に位置している碧海だからだ。

夏のエーゲ海の乾いた島々の上には、雲ひとつ浮かばない高い真っ青な空がある。

雨はほとんど降らず、来る日も来る日も抜けるような青空が広がっている。

エーゲ海の砂浜に横たわって真っ青な空を見上げていると、ときおり白い線が一閃する。

目を凝らして追いかけると、白光は強い風に乗って飛ぶカモメの軌跡だったのだと気づく。

空気が乾いて透明だから、白が単なる白ではなく、鮮烈に輝く白光というふうに見えるのである。

コロナパンデミックの闇に慣れた目には、ことしのエーゲ海の光は一段と輝いて見えるに違いない。

すると空の青を裂いて飛ぶカモメの白い軌跡は、いったいどのような光彩となって目を射るのだろうか。

目もくらみそうなまぶしい想像に、心躍る思いを禁じえない。









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「時には娼婦のように」の革命的愉快

deandre切り取り横長650

なかにし礼作詞の名曲「時には娼婦のように」は次のように綴られます。

『時には娼婦のように 淫らな女になりな 
真赤な口紅つけて 黒い靴下をはいて
大きく脚をひろげて 片眼をつぶってみせな 
人さし指で手まねき 私を誘っておくれ

バカバカしい人生より バカバカしいひとときが 
うれしい ム・・・・・

時には娼婦のように たっぷり汗を流しな 
愛する私のために 悲しむ私のために
時には娼婦のように 下品な女になりな 
素敵と叫んでおくれ 大きな声を出しなよ

自分で乳房をつかみ 私に与えておくれ 
まるで乳呑み児のように むさぼりついてあげよう

バカバカしい人生より バカバカしいひとときが 
うれしい ム・・・・・

時には娼婦のように 何度も求めておくれ 
お前の愛する彼が 疲れて眠りつくまで』

この歌が発表された時、筆者は東京の大学の学生でした。歌詞の衝撃的な内容に文字通り目をみはりました。歌謡曲詞の革命だとさえ思いました。今もそう思っています。

「時には娼婦のように」について書いておこうと思ったのは、それが理由です。

かつて三島由紀夫は詩が書けないから小説を書くんだと言いました。詩とはそれほど卓越したものです。そして音楽とともに存在する歌詞もまた詩の一種です。

なかにし礼という作詞家は、阿久悠と共に一世を風靡しました。日本歌謡詞界の双璧として一時代に君臨しましたが、「時には娼婦のように」を生み出した分、なかにし礼の方が少し上かな、と筆者は考えています。

歌詞に限らず、あらゆる創造的な活動とは新しい発見であり発明です。新しい考え、新しい見方、新しい切り口、新しい哲学、新しい表現法などなど、これまで誰も思いつかなかったものを提示するのが創造です。

「時には娼婦のように」はそういう創造性にあふれた歌詞です。際どい言葉の数々を駆使しながらポルノにならず、「歌詞」という型枠を嵌められた「詞」でありながら、自由詩の大きさや凄みの域に達していると思います。

男の下賎な妄想である「昼は貞淑、夜は娼婦」という女の理想像を、歌謡曲という子供も女性たちも誰もが耳にする可能性のある普遍的な表現手段に乗せて、軽々とタブーを跨(また)ぎ越え世の中に広めてしまいました。

もう一方の天才・阿久悠は、名曲「津軽海峡冬景色」を

<上野発の夜行列車おりた時から 青森駅は雪の中~>

と始めて短い表現で一気に時間を飛び越え、東京の上野駅と青森駅を瞬時に結んでドラマを構築しました。よく知られた分析ですが、こちらもまたすごいので一応言及しておこうと思います。

作詞家なかにし礼はそのほかにも多くの創造をしましたが、新人の頃には「知りたくないの」という訳詞でも物議をかもしましたた。

エルビス・プレスリーも歌った英語の名曲「I really don't want to know」を「あなたの過去など知りたくないの~」という名調子で始めたのですが、歌い手の菅原洋一が「過去」という語はよくないとゴネたといいます。

でも彼は信念を押し通して、そのおかげで今ある名訳詞が世の中に出回ることになりました。ヨカッタ。

筆者の独断と偏見による意見では、イタリアにも「なかにし礼」はいます。

ファブリツィオ・デ・アンドレというシンガーソングライターです。

彼は20年以上も前に亡くなりました。が、歌詞でも音楽でも圧倒的な存在感を持っています。あえて日本の歌手にたとえれば、小椋佳と井上陽水を合わせて、さらに国民的歌手に作り上げた感じ、とでも言えるでしょうか。

実力人気ともに超がつく名歌手、名作詞家、名作曲家です。

デ・アンドレもよく娼婦の歌を作り歌いました。彼は娼婦に対してとても親和的な考えを持っていました。娼婦を不幸な汚れた存在とは見ずに、明るく生命力にあふれた存在として描きました。

娼婦や娼婦に似せた女を歌うタブーは、デ・アンドレの活動期の頃のイタリアには存在しませんでした。従って禁忌を勇敢に破って世に出た「時には娼婦のように」と、デアンドレの歌を同列には論じられないかもしれません。

しかし、筆者はどうしても両者の「歌詞」の一方を聞くたびに、片方を思い起こしてしまいます。


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サルが木から落ちないためにするべきこと

猿650

先年、ミラノの語学学校でイタリア語を勉強しているN・Y君が筆者のところにやって来ました。

N・Y君は将来、イタリアと日本を結んでデザイン関係の大きなビジネスをやりたい、と青雲の志に燃えています。

そのためにイタリア語をものにしようとけん命に取り組んでいます。が、なかなか思うように上達しないのが悩みだそうです。

「おれ、語学の才能がないんだと自分でも思っています。くやしいけど、そのことは口を大にして言ってもいいですよ。おれ、本気ではそんなことは毛頭認めたくないんですけど・・・」
N・Y君は深刻な顔で彼の悩みを語り始めました。
 
筆者はN・Y君のイタリア語がうまくならない理由が分かったと思ったので、なおも話し続けようとする彼を制して、笑って言いました。
「イタリア語もいいけど、日本の古典文学をまず勉強した方がいいな」
「へ?」
「たとえば“源氏物語”とか“枕草子”とか、日本の古典文学だよ」
「・・コテン・・・ブンガク・・?」
N・Y君は、まるで頭の中がコテン、とでんぐり返った男でも見るような顔で筆者を見ました。

少しふざけ過ぎたと思ったので、筆者は言葉を変えました。
 
「今は必死になってイタリア語を勉強しているのだから、日本語は関係がない、と君は思っているだろう。そこが一番の問題なんだ」
「・・・?」
「はっきり言うと君の日本語はおかしい。口を大にして、というのは正確には声を大にして、と言うんだ。本気では、というのもここでは使い方が間違っている。それを言うなら、本心では、と変えた方がいい。毛頭、という小むつかしい語の使い方も少しニュアンスが違う。ついでに言うなら、おれ、おれと言いながらデスマス調で言葉をしめくくるのも変だ」
筆者はあえて指摘しました。
 
N・Y君は決してバカではありません。特別でもありません。彼の世代の日本の若者は皆彼のような言葉遣いをします。しかし、変なものは変です。
 
日本語をしっかり話せない日本人は外国語も決して上達しない。それが長い間そこかしこの国で言葉に苦労した筆者が出した結論です。
 
語学のうまい、へた、は多くが「言い換え」の能力によって決まります。
 
たとえば<猿も木から落ちる>という諺を、一番分かりやすいように英語にしてみます。

格言の一字一句を英語に変える時にはたいていの日本人は、たとえば

<猿>⇒モンキー。
<も>はトゥー、あ、でもここでは<でも>の意味だから多分イーブン。
<木>⇒ツリー。
<から>はフロムなのでフロム・ツリー。
そして<落ちる>⇒ドロップ?フォール?多分フォール・・・

などと辞書を引き引き考えて、最終的に《EVEN A MONKY FALLS  FROM  A TREE》のように英文を組み立てるのではないでしょうか。

少なくとも受験勉強をしていた頃の筆者などはそうでした。
 
こういう直訳の英語で話しかけられた外国人は、目をパチクリさせながら、それでも言おうとする意味は分かりますから、苦笑してうなずきます。

それでは<猿も木から落ちる>と全く同じ意味の<弘法にも筆の誤り>を訳するときはどうするのでしょうか。

前者と同じやり方で《EVEN MR. KOBO MAKES MISTAKES WITH HIS PENCIL》とでも言おうものなら、ドタマの変な奴に違いないと皆が引いたり、避けて通っていくこと必定です。

<ミスター・コーボー>を<空海>と置き換えても、<ペンシル>を<ブラッシュ>と置き換えても事情は変わりません。
 
こういうときに、素早く言い換えができるかどうかによって語学のうまい、へた、が決まるのです。

2つの諺は<私達はみんな間違いを犯す>という意味です。

そこで素早く直訳して《WE ALL MAKE MISTAKES》などと言い換えます。あるいは<人間は不完全な存在(動物)である>として《HUMANS ARE INPERFECT BEINGS 》など言い換えます。

それらは既に《EVEN A MONKY FALLS FROM A TREE》よりもはるかに英語らしい英語だと思いますが、さらに言い換えて<人は誰でも間違いを犯す>《EVERYBODY MAKES MISTAKES》とでもすればもっと良い英語になります。

それをさらに言い換えて

<完全な人間などいない>つまり《NOBODY IS PERFECT》
と簡潔に言い換えることができれば、<猿も木から落ちる>や<弘法にも筆の誤り>のほぼ完璧な英訳と言ってもいいのではないでしょうか。

事は英語に限りません。外国語はそうやってまず日本語の言い換えをしないと意味を成さない場合がほとんどです。

日本語を次々と言い換えるためには、当然日本語に精通していなければなりません。語彙が豊富でなければならない。筆者がN・Y君に言いたかったのは実はその一点に尽きます。

言葉を全く知らない赤ん坊ならひたすらイタリア語を暗記していけばいい。しかし、一つの言語(この場合は日本語)に染まってしまっている大人は、その言語を通してもう一つの言語を習得するしか方法がありません。

N・Y君は日本語の聞こえないイタリアに来て、イタリア語にまみれてそれを勉強しています。それは非常にいいことです。

言葉は学問ではありません。単なる「慣れ」です。従ってN.Y君も間もなく慣れて、少しはイタリア語が分かるようになります。

しかし、うまいイタリア語は日本語をもっと勉強しない限り絶対に話せないと筆者は思います。

この先彼が何十年もイタリアに住み続け、彼の中でイタリア語が日本語に取って代わって母国語にでもなってしまわない限り・・・。


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夫婦の寝床と夫婦のベッド

・ミモザ合成イラクサ650

イタリアきってのシンガーソングライター、ファブリツィオ・デ・アンドレは彼の名作の一つ「バーバラの唄」の中で

「♪~あらゆる夫婦のベッド
 オルティカとミモザの花でできているんだよ
 バーバラ~♪」

と歌いました。

オルティカは触れると痛いイラクサのことです。

結婚生活は山あれば谷あり、苦楽でできています。

それを「夫婦のベッドは、イラクサと美しく甘い香りのミモザで作られているんだよ、バーバラ」と艶っぽく表現するところがデ・アンドレの才能です。

同時に、そういう言い回しができるのがイタリア語の面白さだとも考えられます。

それというのも、これを正確な日本語で言い表すと「夫婦の褥(しとね)は~でできている」とか「夫婦の寝床は~でできている」とかいうふうになって、とたんにポルノチックな雰囲気が漂い出しかねません。

少しこだわり過ぎに見えるかもかもしれませんが、この歌の内容は日伊ひいては日欧の文化の根源的な違いにまでかかわる事象の一つ、とも考えられますのであえて書いておくことにしました。

「♪~あらゆる夫婦のベッドは
  オルティカとミモザの花でできているんだよ ~♪」

をイタリア語で書くと、

「♪~ ogni letto di sposa
e’ fatto di ortica e mimosa ~♪」

となり、そのうち「夫婦のベッド」に当たるのは「letto di sposa」です。

筆者はその部分をダイレクトに「夫婦のベッド」と訳しました。

その上で、実は日本語では「夫婦の寝床」とか「夫婦の褥(しとね)」または「」夫婦の布団」とするのが正確な表現、というふうにもって回った説明をしました。

なぜそうしたのかというと、イタリア語をそのまま本来の日本語にすると「letto di sposa」の持つ「性的な意味合い」だけが突然強調されて、その結果、原詩が強く主張している(夫婦の)人生や生活や暮らし、というニュアンスが薄くなると考えたからです。

ポルノチックになりかねない、と書いたのもそういう意味でした。

だが、そうではあるものの、二次的とはいえ「letto di sposa」には性的な含蓄も間違いなくあって、それらの微妙なバランスがイタリア語では「艶っぽい」のです。

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日本語とイタリア語の間にある齟齬やずれは、性あるいは性的なものを解放的に語ったり扱ったりできるかどうか、という点にあります。

イタリア語のみならず欧米語ではそれができるが、日本語では難しい。

言葉が開放的である、とは思考や行動が開放的である、ということです。そう考えれば性的表現における欧米の開放感と日本の閉塞感の違いが説明できます。

性や性表現が閉鎖的だから、日本にはそのはけ口の一つとして「風俗」という陰にこもった性産業が生まれた、とも考えられます。

人生の機微や結婚生活の浮き沈みの中には、夫婦の性の営みも当然含まれていて、欧米文化の方向性はそのことも含めて直視しようとします。

日本文化の方向性はそこから目をそらせます。あるいは見て見ぬ振りをします。あるいはぼかして捉えます。

そこには日本文化の奥ゆかしさに通じる美もありますが、内向して「風俗」的な執拗につながる危うさもあるように思います。

良くしたもので、日本語には都合の悪い表現を別の言い回しでうまく切り抜ける方法があります。それが外来語です。

たとえば日常の会話の中ではちょっと言いづらい「性交」という言葉を「セックス」と言い換えると、たちまち口に出しやすくなるというようなこと。

筆者がバーバラの唄の「letto di sposa」を「夫婦の寝床」と訳さずに、あえて太字で強調して「夫婦のベッド」と書いたのも、そのあたりの機微にこだわったからです。

ベッドはもはや、日本語と言っても良いほどひんぱんに使われる言葉です。

しかし夫婦の「寝床」や「褥(しとね)」や「布団」に比べると、まだまだ日本語のいわば血となり肉となっている言い回しではありません。

依然として外来語のニュアンスを保っています。

だから「性交」に対する「セックス」という言葉のように、生々しい表現のクッションの役を果たして、それらの直截的な言い回しをぼかす効果があるように思います。

そればかりではなく、日本の大半の家の中には「夫婦のベッド」など存在しないのが普通です。夫婦のベッドとは巨大なダブルベッドのことです。だから狭い日本の家にはなじみません。

また例えそれを用いていても、ベッドはあくまでもベッド、あるいは寝台であって、朝になれば畳まれて跡形もなくなる「寝床」や「褥」や「布団」ではないのです。

そんな具合に日本の家においては「ベッド」は、やっぱりまだ特別なものであり、日本語における特別な言葉、つまり外来語同様に特別なニュアンスを持つ家具なのです。

だから夫婦の「寝床」や「褥」や「布団」と言わずに「夫婦のベッド」と表現すると、この部分でも恥ずかしいという感じがぐんと減って、耳に心地よく聞こえるのです。

もっと言えば、日本語では「夫婦の寝室」「や「夫婦の寝間」などと空間を広げて、つまりぼかして言うことは構わないが、「夫婦の寝床」とピンポイントで言うと、微妙に空気が変わってしまいます。

そこがまさに日本語のつまり日本文化の面白いところであり、ひるがえってそこと比較したイタリア語やイタリア文化、あるいは欧米全体のそれの面白さの一つなのだと思います。

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思い上がりが時間経過を速くする

渦巻き時計Fibernacci-Clock650

年を重ねるごとに時間経過が速く感じられるのは、「人の時間の心理的長さは年齢に反比例する」というジャネーの法則によって説明されます。

だがその法則は、状況の報告をするだけで「なぜそうなるのか」の論説にはなっていません。

それを筆者なりに解読しますと、要するに人は年を取るに連れて見るもの聞くものが増え、さらにデジャヴ(既視)感も積層して物事への興味が薄れていく、ということなのだろうと思います。

さしずめ、食べに食べ過ぎて次の一皿への食欲をなくしたスーパー・デブ、とでもいうところでしょうか。

多くの事案がどこかで既に見、聞き、体験したと感じることなので、人はそこで立ち止まって物事をしみじみと検分し、感じ、思案して勉強することが少なくなります。

立ち止まらない分、人は先を急ぐことになり、時間が飛ぶように過ぎて行くのです。NHKのチコちゃんはそれを「ときめかないから」と表現していましたね。

そこには自らの意志に反して心が乾いていく悲しさと、同時に大人のいわば驕りがあります。

年齢を重ねて知っていることも事実多いのでしょうが、無駄に時間を費やし馬齢を重ねただけで、実は何も知らない知ったかぶりの大人は、筆者自身も含めて多くいます。

それでも知ったつもりで、人は先へ先へと足早に進みます。死に向かって。

すると理論的には、知ったかぶりをしないであらゆるものに興味を持ち、立ち止まって眺め続ければ、人の時間はもっとゆっくりと過ぎて行く、と考えられます。


時計巻き戻す女

しかし筆者の感じでは、それも少し違うように思います。

何よりもまず、目の前に出現するあらゆるものの検分に時間をかけ過ぎれば、未知なるものに費やす時間がない、という物理的な問題が生じます。

知らないことがあまりにも多すぎて、その過大な未知のもろもろを学び、知り、体験するには、1日1日が短かすぎる。

短かすぎる時間の経過また毎日の積み重ねが、すなわち「時間の無さ」感を呼び起こすように思います。

そして 「時間の無さ」感 とは、時間が「速く飛び去る感じ」のことです。

つまり、時間が疾風よりも光陰よりもさらに速く過ぎていくのは、「一生は短い」という当たり前の現実があるから、とも言えます。

その短い一生を愚痴や、怨みや、憎しみで満たして過ごすのはもったいない。人生にはそんな無駄なことに費やす時間などありません。

と、何度も何度も繰り返し自らを戒めるものの、人間ができていない悲しさで日々愚痴を言い、怨み、憎む気持ちが起こります。

そしてその度にまた自戒を繰り返します。自戒に伴って苦い悔恨が胸中に忍び入るのもいつものパターンです。

結局、人の人生の理想とは、多くの事柄がそうであるように、愚痴らず、怨まず、憎まない境地を目指して、試行錯誤を重ねていく『過程そのもの』にあるのではないか。
そう考えれば、中々人間ができない情けない筆者自身にも、まだ救いの道があるようで少し肩の荷が軽くなる気がします。








欧州を怒らせたロシア

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ロシアがウクライナに侵攻して1月以上がたった。戦争は世界中で常に起きている。だが情報開示が進んだ欧州で実戦が出現するのは極めて異例だ。
 欧州は紛争や対立を軍事力で解決するのが当たり前だった、長い血みどろの歴史を経て、話し合いと外交でそれを解決しようとする開かれた民主主義の道を確立した。片やロシアは、いまだそこに至らない未開国であることが明らかになった。情報を隠蔽(いんぺい)し、ゆがめ、意図的に虚偽の消息を拡散するばかりでなく、主権国家に土足で踏み込む蛮行に及んだ。
 欧州各国は、ウクライナ危機が自国にとって対岸の火事ではないことを実感している。ウクライナが陸続きで地理的に近く、かつ欧州の過去の凄惨(せいさん)な殺し合いや大戦の記憶を誰もが共有しているからだ。そして何よりもプーチン大統領が、民主主義の精神とはかけ離れた独善と悪意と暴力志向の強い、異様な指導者であることが再確認されたからだ。
 一貫して西洋の開明と知性の根幹を形成する国の一つであり続けているイタリアは、ロシアがウクライナに侵攻するとすぐに、約400億円をウクライナとNATO(北大西洋条約機構)に献金し、5千人弱の兵士をウクライナ周辺国へ送る決定も下した。加えてウクライナ危機を国家非常事態宣言下に置くことも決めた。それによって政府はコロナ禍中と同様に、緊急の規制や法律を国会の承認を得ることなく施行することが可能になる。
 NATOとEU(欧州連合)の加盟国の全ては、国力に応じてそれぞれがイタリアと同じ役割分担を引き受けている。欧州は自由と民主主義の名において、静かにだが断固とした意志で、プーチン・ロシアに対抗し臨戦態勢に入っている、と形容しても過言ではない。




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イタリアの紅白歌合戦「サンレモ音楽祭」の陳腐な凄さ


合成司会800

筆者が勝手にイタリアの紅白歌合戦と呼んでいるサンレモ音楽祭が昨日(2月6日)閉幕しました。サンレモ音楽祭はほぼ毎年2月に開催されます。

紅白歌合戦とサンレモ音楽祭には多くの共通点があります。両者ともに公共放送が力を入れる歌番組で、ほぼ70年の歴史を誇る超長寿番組です。

どちらも1951年のスタート(NHKは1945年開始という説も成り立つ)。当初はNHK、RAI共にラジオでの放送でしたが、NHKは1953年から又RAIは1955年からテレビ番組となりました。

国民的番組の両者は、近年はマンネリ化が進んで視聴率も下がり気味ですが、依然として通常番組を凌ぐ人気を維持。また付記すると、最近のRAIの番組の視聴率はNHKのそれよりもずっと高い傾向にあります。

両者ともにほとんど毎年番組の改革を試みて、たいてい不調に終わりますが、不調に終わるそのこと自体が話題になってまた寿命が延びる、というような稀有な現象も起こります。

その稀有な現象自体が実は両番組の存在の大きさを如実に示しています。

紅白歌合戦とサンレモ音楽祭は、また、似て非なるものの典型でもあります。実のところ両陣営は、相似よりも差異のほうがはるかに大きい。

紅白歌合戦は既存の歌を提供する番組。一方サンレモ音楽祭は新曲を提供します。あるいは前者は歌を消費しますが後者は歌を創造する。サンレモ音楽祭は音楽コンテストだからです。

紅白歌合戦がほぼ100%日本国内のイベントであるのに対して、サンレモ音楽祭は国際的な広がりも持ちます。つまり、そこでの優勝曲はグラミー賞受賞のほか、しばしば国際的なヒット曲にもなってきました。

古い名前ですが、例えばジリオラ・チンクエッティの音楽祭での優勝曲は国際的にもヒットしましたし、割と新しい歌手ではアンドレア・ボッチェッリなどの歌もあります。個人的には1991年の大賞歌手リカルド・コッチャンテなども面白いと思います。

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またサンレモ音楽祭は、欧州全体を股にかけたヨーロッパ最大の音楽番組「ユーロ・ビジョン・ソング・コンテスト」のモデルになるなど、特に欧州での知名度が高い。同時に世界的にも名を知られています。

周知のように紅白歌合戦は大晦日の一回のみの放送ですが、サンレモ音楽祭は5日間にも渡って放送されます。しかも一回の放送が4時間も続きます。つまり紅白歌合戦が5日連続で電波に乗るようなものです。

好きな人にはたまらないでしょうが、筆者などはサンレモ音楽祭のこの放送時間の膨大にウンザリするほうです。しかも番組は毎晩夜中過ぎまで続きます。宵っ張りの多いイタリアではそれでも問題になりません。

筆者は紅白歌合戦とサンレモ音楽祭の根強い人気とスタッフの努力に敬意を表しています。が、紅白歌合戦は日本との時差をものともせずに衛星生中継で毎年見ているものの、サンレモ音楽祭はそれほどでもありません。

その大きな理由は、毎日ほぼ4時間に渡って5日間も放送される時間の長さに溜息が出るからです。しかも翌日にまで及ぶ放送時間帯に対する疲労感も決して小さくありません。

もう一つ筆者にとっては重大な理由があります。そこで披露される歌の単調さです。カンツォーネはいわば日本の演歌です。どれこれも似通っています。そこが時には恐ろしく退屈です。

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もちろんいい歌もあります。優勝曲はさすがにどれもこれも面白いと考えて良い。ところがそこに至るまでの選考過程が長すぎると感じるのです。

演歌は陳腐なメロディーに陳腐な歌詞が乗って、陳腐な歌い方の歌手が陳腐に歌うところに、救いようのない退屈が作り出される場合も多い。カンツォーネも同じです。

誤解のないように言っておきますが、筆者は演歌もカンツォーネも好きです。いや、良い演歌や良いカンツォーネが好きです。ロックもジャズもポップスも同様です。あらゆるジャンルの歌が好きなのです。

しかし、つまらないものはすべてのジャンルを超えて、あるいはすべてのジャンルにまたがってつまらない。優れた歌は毎日毎日その辺に転がっているものではありません。99%の陳腐があって1%の面白い曲があります。

サンレモ音楽祭も例外ではありません。毎日4時間X5日間、20時間にも渡って放送される番組のうちの大半が歌で埋まります。だがその90%以上は似たような歌がえんえんと続く印象で、筆者にはほとんど苦痛です。

それでもサンレモ音楽祭はりっぱに生き延びています。批判や罵倒を受けながらも多くの視聴者の支持を得ている。それは凄いことです。筆者は一視聴者としては熱心な支持者ではありませんが、同じテレビ屋としてサンレモ音楽祭の制作スタッフを尊敬します。

創作とは何はともあれ、「作るが勝ち」の世界です。番組のアイデアや企画は、制作に入る前の段階で消えて行き、実際には作られないケースが圧倒的に多いからです。一度形になった番組は、制作者にとってはそれだけで成功なのです。

そのうえでもしも番組が長く続くなら、スタッフにとってはさらなる勝利です。なぜなら番組が続くとは、視聴率的な成功にほかならないからです。サンレモ音楽祭も紅白歌合戦も、その意味では連戦連勝のとてつもない番組なのです。

 

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