【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

ウサギ

鎮魂





ウサギのカテリーナが死んでしまった。


 

数日前ブドウ園の中で息絶えているのをワイナリー責任者のマルコが発見した。


 

僕と妻が留守だったのでマルコは庭師のグイドを呼び、死亡を確認してブドウ園の一角に埋葬した。


 

カテリーナはブドウ園で横たわって眠るように息絶えていたという。仰向けとかうつ伏せとかの姿勢ではなく、横向きに丸まるように。全く自然な形で。


 

外傷はなく、吐血とかの異変も一切見られなかった。つまり他の肉食獣に襲われたとか、毒物を食べた可能性などは考えられない状況。


 

ブドウ園は完全有機栽培に移行していて、最近は除草剤などの毒物は一切投入されていないので、後者の可能性はほとんどない。


 

また何ものかに襲われたのなら、外傷なり出血なり、あるいはもがき苦しんだ痕跡(たぶん毒物を食べた場合も)などがある筈だから、これも可能性はゼロと言ってもいいだろう。


 

全くの突然死としか形容の仕様がない寝耳に水の出来事。


 

僕が彼女を最後に見たのはちょうど9月の終り。2週間と少し前のことである。

その時はいつものように元気いっぱい、ブドウ園で懸命に草を食んでいた。


 

カテリーナの死因として一番可能性があるのはやっぱり病気だろうと思う。


 

飼いウサギではなく、野生の形で、自宅庭と屋敷周り及びブドウ園を棲み処に自由に生きていたから、彼女の容体は全く分からない。


 

が、ウサギは結構病気にかかりやすい動物なので、やはり何らかの感染症などに取り付かれたということなのだろうと思う。

心臓発作とかも無いことはないだろうし・・


 

悲しいけれど、元を正せば彼女は檻の中で飼われて、うまく育てば遅かれ早かれ屠殺されて食肉として処理される運命だったのだから、ほぼ3年間自由に生きたことを少しの慰めにして彼女の死を受け入れようと思う。


 

カテリーナブドウ園遠景のポツン50%ブドウ園遠景のポツン少しヨリ50%









カテリーナが主に棲み処にしていたのはこのブドウ園。中央の白いポツンがカテリーナ。


庭遠景5割縮小をまた5割ウサギ前庭









ブドウ園に通じる自宅前庭。ここもカテリーナお気に入りの場所だった。


黒点ナカテリーナ書斎から見下ろしロング50%2012年9月雨のカテリーナ中景50%









僕の仕事場から見下ろすブドウ園。遊ぶカテリーナが良く見えた。


カテリーナ黒点ロング木の下5割黒点カテリーナ書斎から見下ろしヨリ50%









ブドウ園と前庭の間の車庫でも良く遊んだカテリーナ。夏頃には僕の車の下に潜り込んで油で汚れた。ワロタ。


カテリーナ夜の散歩ヒキ50%カテリーナ夜の散歩ヨリ50%









カテリーナは夜も庭で遊ぶことがあった。危険を感じなかったからだろうと思う。僕の推理が当たっているなら嬉しい・・・








今は新しくウサギを放つ気にはなれないが、カテリーナのおかげで我が家の屋敷周りや庭や畑はウサギの棲み処としては上々の環境であることが分った。


 

なので、将来は子兎をもらい受けてまた放し飼いをするかもしれない。


 

カテリ-ナにはずい分癒やされたから。


ありがとう、カテリーナ・・・

さようなら、カテリーナ・・・



スカラ座初日の。また雪降りの日のことドモ。



雪&カテリーナ

2012年12月8日土曜日、朝6時半の気温-8度。最低気温は-10度。

 

昨日の夕方から降り始めた雪が積もって、外は一面の銀世界。


初雪ではないが、この冬一番の雪らしい雪景色。

 

ウサギのカテリーナが遊び、食べ、生きているブドウ園も、庭園も、屋敷周りも真っ白。

 

2012年12月8日 ブドウ園雪景色①

2012年8日 カテリーナの木
カテリーナお気に入りの木の下の芝も濃い雪化粧

2012年12月8日ブドウ園雪景色②

でも雪の積もらない廃屋や空間はたくさんあるから、彼女はきっとうまく身を護っているだろう。いつものように。

 

菜園

数日前から雪の予報が出ていたので、僕は一昨日初体験の仕事をした。仕事というか趣味というか、遊び。

 

豊作だった菜園のダイコンの多くを、訪ねてくれる友人達に進呈したあと、残りの全てを収穫して土中に埋めた。

 

そういう保存方法があると知ってはいたが、実際にやるのは初めて。埋めたのは大小20本余り。 


2012年12月1日~8日 009

形のいいのは友人らにプレゼントして、残ったのはいびつな形のものが多いが、それでも完全有機栽培のおいしいダイコン。捨てる訳にはいかない。

 

2012年12月1日~8日 011

葉を切り落として根の部分を下にして埋め、一部を逆に差し立てて埋めた。さらに数本は葉を付けたまま埋めた。どの形がより長く新鮮さを保つかの試み。

 

翌日、そこに予定通りに雪が降り積もった。今後少しづつ掘り起こして食べるか、春まで待って一斉に掘り起こしてみるか、ちょっと楽しみ。

 

スカラ座&イタリア危機


昨日、12月7日はミラノスカラ座のシーズン初日。例年のならわし。

 

昨年の同じ日、モンティ首相はナポリターノ大統領と申し合わせてオープニング公演に顔を出した。イタリア財政危機のまっただ中で、国民に苦痛を押し付ける経済緊縮策を発表した直後のパフォーマンスだった。

 

モンティ首相は今年もオープニング公演を観劇した。そこにはナポリターノ大統領の姿はなく、オペラ好きの首相のプライベートな時間というふうで大きなニュースにはならなかった。

 

モンティ内閣の誕生以来、毎日が緊縮財政策の発動と言っても過言ではない。だからあらためてニュースにならないが、イタリアの経済状況は深刻。

 

あらゆる緊縮策のうち、固定資産税や所得税等の加増がもっとも国民生活への影響が大きい。直接の打撃に止まらず、増税のあおりを受けての消費の低迷から景気の落ち込みが激しい。

 

妻の実家の伯爵家は、税金の支払いでもはや半潰れ状態。伯爵家よりも経済基盤の弱い(かつての)貴族家の中には、既に破産の危機にあるところも少なくない、との噂も。

 

今の税制があと数年も変わらずに続けば、妻の実家の伯爵家も潰れる可能性がある。モンティ政権の増税策はそれほど過酷だ。

でもそれはイタリア国家にとって必要なことだから仕方がない・・

 

 

渋谷君、Ho cambiato idea:ワルイけど転びます、ね。



本や新聞や雑誌や手紙などの文章と、ブログの文章は違うのではないか、と友人の渋谷君に意見された。

 

彼は僕がブログでは写真を使わない(投稿しない)、と宣言したことに疑問を投げかけたのだ。

 

少し考えた。

 

本や新聞や雑誌などの紙媒体の文章も、ブログ他の電子媒体(Webページ)の文章も、僕にとっては基本的には同じである。

 

少なくとも僕自身が文章を書くときには、文体も語彙も調子も思想も構えも、あるいは書く苦労も書く喜びも、つまり一切が両媒体で同じ。何も変わらない。


ところが


渋谷君の言う

「本や新聞や雑誌や手紙などの文章と、ブログの文章は違うのではないか」


という意見を


「本や新聞や雑誌や手紙などの『表現法』と、ブログの『表現法』は違うのではないか」


と「文章」を「表現法」に置き換えて見ると、彼の指摘が正しいようにも感じられてきた。


そこであっさりと「転ぶ」ことにした。


せっかくブログという新しい媒体で表現をしているわけだから、こだわらずに写真などの武器も使ってみようと。


その上で、やっぱり文章だけで勝負したいと感じるならば、そのときには写真はさっさとやめにすればいいじゃないか、と。


そこで


まずは先日撮ったウサギカテリーナの写真を掲載してみることにした。



IMG_3032
ブドウ園では機械による草刈が良く行なわれる。必要ならば除草剤も用いられる。
 

 

カテリーナ引き
カテリーナは草刈が済んだばかりの、赤土の露出が多い園にいた。




カテリーナ後ろ引き
草が刈り取られた後とはいえ、ブドウ園内ではカテリーナが食べる分の食料には事欠かない。

 

 カテリーナ右横寄り
カテリーナが好んで食べる草を摘み取って、何度か差し伸べてやる動きをするうち、彼女は一瞬だけ背中に触れさせてくれた。ただほんとに一瞬の出来事で、その様子を写真に収めることはできなかった。



・・と書き込んでみると、やはり写真の力は大きいと痛感する。

だって写真を見れば文章なんていらねーだろう・・・

と、腹から思う。

う~む、悩ましい・・
 


愛のカテリーナ



雪解けの庭の一角にウサギのカテリーナがいた!

 
丸々と太って。元気いっぱいで。

 

庭やブドウ園の草は厳寒の今も完全には枯れず、ウサギの餌は充分にある分かってはいても、一面が雪におおわれた景色を見ているとやはり心配だった。

 

雪が降っても積もっても、わが家の敷地まわりには倉庫や石垣や門扉脇などにたくさんの庇(ひさし)や日よけや屋根がある。そこには雪はない。草もよく茂る。

 

でも大雪になると、さすがにそれらの空間の多くも「流れ雪」に見舞われてうっすらと綿帽子をかぶる。古い倉庫内を除いて。

 

それなので、積雪中はカテリーナが気になって何度か倉庫周りや中を覗いてみた。しかし、一度も見つけることができなかった。

 

飢え死にすることはあり得ないと分かっていても、姿が見えないとやはりどうしてもやきもきした。

 

白状すると、僕はもうカテリーナは死んだのだとさえ考えたりした。

いろいろな可能性があった。

 

まず庭師のグイドがカテリーナを捕らえて食べてしまったこと。あるいはブドウ園やワイナリーの従業員や近所の農夫の可能性・・

 

また、犬や猫や、あるいはそれとは全く違う野生動物の餌食になったかも知れないこと。

 

さらに、もしかすると、わが家の敷地の外に逃げ出して、誰かに捕らえられたか、交通事故に遭った確率も・・・

が、

逃亡物語りの場合には、近くの畑地や藪や森にまぎれ込んで、そこで生きのびている見込みもあるので、少しの安心も。

しかし、

 

そのどれもが思い過ごしで、カテリーナはちゃんとわが家の敷地内で生きていた!

では、

 

雪が解けると同時に姿を見せたカテリーナは一体どこにひそんでいたのだろうか?

 

白い保護色を頼りに雪の中?

まさか。

 

やはり最も可能性が高いのは、倉庫の中だろう。

 

カッシーナと呼ばれる巨大倉庫は、あちこちが朽ちかけている農業用施設。

かつて、貴族家の屋台骨を支えた巨大農地と農業の、そのまた屋台骨となった建物。

 

何かの奇跡で資金が手に入れば、倉庫を改修して売却あるいは賃貸に出して、伯爵家の建物などの莫大な維持費に宛てたい、と僕が密かに考えているほどの古い大きな価値ある「準」廃屋。

 

カテリーナは、そんな建物を独り占めにして生きている・・


ウ~む、なんとゼイタクな・・・




樹氷とウサギとアルプスと



ミラノ郊外にあるわが家はブドウ園の中にある。あるいは屋敷に付随する形でブドウ園が広がっている。

 

ブドウ園の脇にある2本のエノキの大木には、最近は樹氷の花が咲くことが多い。その右手の門柱の外には、一本の巨大なシナノキが冬枯れてそびえている。そこにも白く輝く樹氷がこびりつく。

 

わが家の二つの巨大な樹氷の塊(かたまり)の間に、もう一つ大きな雪の群らがりが見える。標高およそ2千メートルのカンピオーネ山の遠景である。

 

日帰りのスキーも楽しめるその山を見ながら北東に向かってしばらく車を走らせると、そこはもう3千メートル級の山がそびえるアルプスである。空気の澄んでいる日にはわが家からアルプス・チロルの山々の連なりが鮮やかに見える。

そうやって今年もまた雪山の景色が美しい時間が来た。でも寒い。僕はこの時期は、アルプスやプレアルプス(前アルプス)の山々の雪景色と樹氷のコラボにうっとりと見とれながら、南方の暖かい国や島の情景なども強く意識するのが常である。

 

今日は日差しがなく空はどんよりと雲っている。風も眺望も山水も空気も、何もかもが雪をはらんで重く滞っているようである。

 

三階にある僕の書斎兼仕事場から見下ろすブドウ園も、冷気の中に横たわっている。とっくに収穫が済んで葉がすっかり枯れ落ちたブドウの木々は、幹だけが寒そうに並んで立って春に向けての剪定(せんてい)を待っている。

 

ブドウの畝(うね)に沿って生えている下草は、青色と枯れ葉の褐色のまだら模様を描いて、何列にも渡って続いている。草は毎朝、まっ白な厚い霜におおわれるが、日ざしを受けて午前中にはほとんどが元通りのまだら模様に戻る。

 

ブドウ園と邸内の草地を自由に行き来して生きているはずのウサギのカテリーナを想って、僕は連日早朝にぶどう園の草の状態を確かめずにはいられない。

 

間もなく2月。今が一番の寒さ。ブドウ園の下草は、さすがに色あせてはいるが十分に青いものも多い。ウサギの餌としてはあり余るほどだと素人目にも分かる。

 

庭師のグイドは、彼が食用に飼っているウサギのために、せっせとブドウ畑や庭園の草を刈っている。干し草がたくさんあるが、新鮮な草も与えた方がウサギはより元気に大きく育つそうだ。

 

雪が降れば庭や畑の草の多くは枯れるだろうが、それでもカテリーナ1匹には充分すぎるほどの青草は残る。青草がなくてもウサギは枯れ草を食べ、それもなくなれば木の実や樹皮や昆虫まで食べる。だからカテリーナは春までにはさらに丸々と太るだろう、とグイドは笑いながらいつもの自説を説く。僕はそれを聞いてさらに安心する。

 

それにしても一年で一番寒いこの時期になっても、庭や畑に青草がかなりあることには驚く。霜や雪や氷の世界が一面に広がる印象の真冬には、このあたりでは針葉樹を除くほとんどの野生植物が枯れてしまう、と思い込んでいたのが不思議である。

 

人は虫歯になってはじめて歯痛の辛さを知る。それまでは無関心だ。ウサギを放し飼いにしてはじめて僕は冬の植物の生態に関心を持った。ありがとう、カテリーナ!(笑)

 

最低気温が氷点下10度前後だった一週間ほど前の寒さを経ても、青草はそうやってけっこう繁っている。そうとは知らずに僕がカテリーナの餌を心配したのはほとんど笑い話だし、草むらに逃げた番(つがい)のウサギが数年で100匹近くにまで繁殖したという話も、今なら「なるほど」と心からうなずけるのである。
 

 

霜とウサギと采園と



北イタリアの田舎にあるわが家の周りは昨日、今日と雪のように濃い霜でびっしりと被(おおわ)われた。

 

今秋の初霜は日曜日に降りた。

 

それはうっすらとはかなげな印象だったが、3日後の今日は、早くも寒さが牙をむいたことを想わせる、深い重い霜に変わった。

 

陽が差し始めても中々消えない。

 

おそらく、アフリカ生まれの温風シロッコも、もう来春まではやってこないだろう。

 

僕は仕事場から見下ろすブドウ園の草が気になってならない。

 

そこを含む屋敷周りの叢(くさむら)のどこかに、白ウサギのカテリーナがいる。

 

霜をかぶった草はきっと食べ辛いだろう。

 

でも、すっかり枯れ落ちたブドウの葉とは違って、草はまだ青々と繁っている。もう少し時間が経てば、霜も消えてなくなるからカテリーナも喜ぶに違いない。

 

今冬は、僕はずっと草のことを気にしながら過ごすことになりそうだ。

 

冬の間の庭草がどうなっているかなんて、僕はほとんど考えたことがない。従って、それを詳しく観察したこともない。

 

カテリーナのおかげで少し勉強ができそうだ。

 

勉強といっても、1月、2月頃の寒さの中でも、庭師のグイドの説の通りに、青草が生えるかどうかしっかり見つづける、というだけのことだけれど。

 

僕の小さな采園にもまだ野菜が残っている。

 

日本から種を持ち込んで作る白菜と大根とゴボウ。そして主に若芽をサラダで食べるシュンギク。

 

イタリアの野菜ももちろん作る。

 

今も残っているのはほとんどサラダサ菜のみ。トマトやピーマンも少し残っているが、霜が降りた今はもうダメだろう。

 

小さな土地にわずかづつ、数多くの種類(たぶん多過ぎるくらい)の野菜を作るのが僕のやり方である。いろいろな種類の野菜を見るのが好きなのだ。

 

農薬や化学肥料は一切使わない。だから雑草がすごい。

 

その草をむしったり、水をやったりぐらいのことはするが、ほかにはほとん菜園の面倒は見ない。

 

霜対策ももちろんしない。

 

時間がないこともあるが、真相は、菜園に打ち込むほどの情熱が今のところはない。

 

そのくせ、楽しんだり、有機野菜の美味さに感嘆したりしている。

 

凝り性の自分は、間もなく野菜作りの虜(とりこ)になるのかもしれない。

 

だが、よく分からない。

 

4、5年前から料理も作るようになったが、楽しんだり、喜んだりしながら、でもそれに夢中になってはいない。

 

野菜作りも同じかもしれない。

 

でも、こう書きつつ、せめて育ちつづけている白菜の霜対策ぐらいはやってみようか、と、たった今気持ちが動いている・・

 


生き物語り~ジェリーと、その素敵な仲間たち~



飼い主に生き埋めにされた牧羊犬のジェリーは奇跡的に助かった。

→<生き物語り ~ジェリーの受難~

 

僕はジェリーの幸運と生き物の命の強さに感動した。そしたら、今度はアメリカからさらなる感動の物語がもれ聞こえてきた。

 

米国のとある動物養護施設で、19匹の犬が殺処分されることになりガス室に送られた。17分間の処理が済んで職員が部屋に入ったところ、息絶えて横たわっている18匹の脇に1匹のビーグル犬が立って彼をじっと見ていた。

 

わが目を疑う奇跡に驚愕した職員は、大急ぎで獣医を呼んで犬の診断を頼んだ。すると、ダニエルという名のそのビーグル犬の健康状態には全く問題がなかった・・

 

ダニエルの奇跡はアメリカ中の話題になり、動物の殺処分に対する関心が高まった。

 

そして生き残ったダニエル自身は、ニュージャージー州の動物愛護団体に引き取られて、新たな飼い主の登場を待ちながら今も元気に過ごしている・・

 

ジェリーやダニエルほどではないが、実はわが家のカテリーナの生命力もすごい。

 

カテリーナとは庭で放し飼いにしている白ウサギのこと。メスだから女の子の名前を取って「カテリーナ」。庭師のグイドがふざけて付けた名前である。

→<ウサギ

 

まるで日本ウサギみたいな赤目の白ウサギは、ブドウ園や庭園でしばしば見かけるが、毛が灰茶色だったもう1匹は8月頃からまったく姿が見えない。

 

庭師のグイドとワイナリーの従業員らの話では、屋敷外に逃亡したか、猛禽類など、別の生き物の餌食になったのではないかという。

 

残念だが、逃亡の可能性も猛禽類に食われた可能性も確かにあると考えられる。

 

ワイナリーのあるわが家の敷地内には人の出入りが多く、門扉を開放しての醸造作業もひんぱんに行われる。開いた門からウサギが外に逃げ出したとしてもおかしくはないのだ。

 

また、自家のブドウ園を含む広大な農地が広がる一帯の上空には、鷲や鷹らしい鳥が舞い飛ぶ姿も時々見られる。小型のフクロウもよく見かける。それらの猛々しい鳥たちが、ウサギをさらって行ったこともまた十分にあり得ると考えられる。

 

そうだとしたら、残念だが仕方がない。不可抗力にまで責任を感じて嘆くような偽善には陥るまい。半野生的に放し飼いをするのは、ウサギに自由を謳歌して欲しいからだが、そこには檻の中で至れり尽くせりの世話をされて育つ場合とは違う、危険や不便もつきまとう。当たり前のことだ。


グイドによると、わが家の敷地内で元気に遊んでいるカテリーナは、冬の間もまったく問題なく生きのびることができるらしい。

 

ブドウ園と館の前後の庭園と倉庫周りの広い敷地には、冬でもウサギが腹いっぱい食べるだけの草は生え続ける。

 

たとえ万が一それが足りなくても、屋外のウサギは枯れ草や木の根や樹皮や木の実なども食べ、さらに土を掘って昆虫なども食べる。

 

檻の中で干し草を食べて冬を過ごす、グイド所有の食用ウサギなどよりも、よっぽど食べ物が豊富で元気一杯に生きるものらしい。

 

村の田園地帯にある駅の近くでは、ある家から逃げ出した2匹のウサギが草むらに住み着いて、数年で100匹近くにまで繁殖したことがあるそうだ。

 

ウサギは余りにも数が増え過ぎて、付近に迷惑をかけたり病気持ちもあらわれたりして住民に憎まれた。そこで村では仕方なく人を送り込んで、ウサギを捕らえて殺処分にした。僕はまったく知らなかったが、それはごく最近の出来事だとのこと。

 

ことほどさようにウサギの生命力は極めて強い。ほんの小さい時分にブドウ園に放たれたわが家のウサギは、腹いっぱいに食べて大きくたくましくなり、今やほぼ野生化していて雪山のウサギにも負けないくらいの生命力を持っている。里で命をつなぐことなど何の問題もないから少しも心配することはない、とグイドは続けた。

  

グイドの話を聞いて僕はとても安心した。

 

栄養不良の子ウサギへの同情心から2匹を庭に置くことにしたが、僕は彼らの面倒も十分に見られないくせに余計なことをして、いたずらに小さな命を苦しませることになったのではないか、とひどく気が重かったのだ。

 

グイドは、オスのウサギを1匹購入して、カテリーナの相手として庭に放そうかとも聞いてきた。そうすればウサギはすぐに数が増える。餌の草はたくさんあるのだ、と真顔で続けた。

 

僕はあわてて彼の申し出を断った。彼にとってはウサギは、あくまでも「食用」の家畜なのだ。

 

僕はこれ以上ウサギを増やす気はない。今いるウサギだけをできる限り保護しようと思う。ただ保護すると言っても、甘やかして過保護に面倒を見るのではなく、今のまま、ほぼ野生の生態と考えられる形を守って、農夫らに捕らえられないように監視しながら、あるがままに放し飼いを続ける。

 

これからますます寒くなる中で、カテリーナが元気に生き続けることを想像すると、虐待を受けた牧羊犬のジェリーや殺処分からたくましく生きのびたダニエルを思うのとほとんど同じくらいに、
僕は胸のあたりが、ぽこ、と熱くなる気がするのである・・


ウサギ



昨日、今年3月末にわが家にやってきたウサギ2匹のうちの1匹、白ウサギがブドウ園の草を食んでいるのを見た。

→<東日本大震災でイタリアも揺れているⅧ

→<震災支援 チャリティーコンサートⅤ

 

すっかり寒くなった園の端の木の下で、心なしか体を丸めて食餌をしている小動物の姿に僕は、決して大げさではなく、衝撃と言ってもいい強い心の揺れを覚えた。

 

うっかりしていたが、ブドウ園を含む邸内の全ての草地は間もなく枯れ果てるのだ。枯れ果てるばかりではない。凍った死の土が冬の期間中あたりを覆う。

 

そのとき、一体ウサギは何を食べて生きていくのか。

 

僕はそのことを考えてもみなかった。

 

春先、近くの農夫がやせた小さな子ウサギ2匹をわが家に持ち込んだとき、僕は即座に受け入れて敷地に放し飼いにした。

 

庭師のグイドに頼んで、2匹のために簡単な水のみ場を作らせたりもした。

 

また邸内に出入りする職人やワイナリーの従業員はもちろん、ウサギを持ち込んだ農夫らにももはや2匹を捕らえて食べてくれるな、と強く釘を刺した。

 

2匹のあまりの可愛さに、僕も家人もすっかり嬉しくなって、平飼いではあるが家族の一員として扱うことにしたのだ。

 

その気持ちに嘘はなく、広い屋敷内を自由自在に動き回って「たまに」姿を見せる2匹に癒やされ、親しんできた。

 

同時に僕はきっと、栄養不良で死にかけている小さな命を救う自分自身に、うっとりとなってしまったのだろう。

だから草木の枯れる冬のことまでアタマが働かなかった。

 

安っぽい同情、チンケな動物愛護心、余計なお世話、自己満足、偽善・・あらゆる責め句が脳裏をよぎった。

 

反省。

 

じゃ、今後はどうするか。

 

今さら農夫らにウサギを引き取ってくれとは言えない。彼らは喜び勇んですぐさま丸焼きにして食ってしまうだろう。

 

このまま放し飼いにすれば、かなりの確率で死んでしまいそうだ。広い敷地内には、石垣や屋根の下などに冬でも草の生える場所が無いではない。

が、果たしてそれが餌として十分な量かどうか分からない。

 

結局、庭師のグイドに頼んで干し草を作ってもらおうと思う。

 

その干し草を、今は半壊になったまま放置されている古い倉庫の一角に敷き詰めて、餌場とする。

ウサギにとっては、そこはきっと風雪をうまく凌(しの)ぐ巣の代わりにもなるだろう。

 

庭師のグイドは自宅でも食用ウサギを飼っている。夏の間はわが家の庭の手入れをしながら、ブドウ園も含めた敷地内の草をせっせと刈ってウサギの餌用に干し草を作る。だから作業はお手の物ものだ。

 

草が少なくなった今はそれが無理なら、グイドにウサギを引き取ってもらって、春まで彼のウサギと共に飼ってもらう。その後は再びわが家の草地に放つ。

 

一つ不安がある。

 

放し飼いにされてきたウサギはびっくりするほど逃げ足が速い。姿が余りにも可愛いので、時どき近づいて触ろうとすると、文字通り脱兎の勢いで走り去るのだ。

 

ウサギって実は時速60kmから80kmものスピードで走ることができる。

 

人間最速のあのウサイン・ボルトでさえせいぜい時速40km。

 

つまり、韋駄天(いだてん)のウサギ君って、ウサイン・ボルトの2倍ものスピードで脱兎するのだ!(笑)。

そんな彼らを果たしてうまく捕らえて保護することができるかどうか・・

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