ワールドカップが終わって少し時間が経ったが、欧州の一部には相変わらずその余韻が響いている。それはドイツの勝利がスポーツの域を超えた社会現象としての様相を呈しているからだが、ここでは遅ればせながらスポーツとしてのサッカーに限定したドイツ優勝の意味について意見を述べておきたい。
1-0でドイツの勝利に終わったW杯の決勝戦は見応えのある内容だった。世界サッカーにはトレンドがあり、トレンドを摑むもの、あるいはトレンドを作るものがW杯を制する。
ドイツはトレンドを摑んで優勝した。そのトレンドとは、2008年以降世界サッカーを席巻してきたスペインのポゼッション(ボール保持)サッカーを消化し、深め、かつ乗り越えて変革しようとする動きである。それはつまるところ、ポゼッションサッカーを否定することでもあった。
欧州の各チームと中南米のチームが腐心してきた作業は、ドイツチームによって一応の完成を見た。オランダもドイツとほぼ同じ完成度に達していた。
それに反してトレンドの蚊帳の外に置かれたスペインは、完膚なきまでに打ちのめされて早々と姿を消した。スペインのプレースタイルを否定するのがトレンドなのに、当のスペインは自分自身にこだわり過ぎて敗れ去った。
僕が世界サッカーの四天王と勝手に規定している、ブラジル、ドイツ、イタリア、アルゼンチンのうち、イタリアが一次リーグでさっさと姿を消したのも、トレンドの主であるスペインサッカーにこだわり過ぎた結果だ。
つまりイタリアはスペインサッカーを消化し、深化させ、乗り越えたと錯覚した。特にW杯第1戦で古豪のイングランドを一蹴したことがイタリアに大いなる幻想をもたらし、伊チームは自らの力を過信して驕り失敗した。言葉を替えれば、イタリアもまたスペインサッカーにこだわり過ぎたのである。
こうした見方を深読み、大げさ、考え過ぎなどと捉える人もいるだろう。だが「サッカーボールは決して偶然にゴールポストを揺らすことは無い」というセオリーに従えば、あらゆる勝利と敗北には必ず理由がある。そしてそれはきっと正しい見方なのだと僕は思う。
そのことを裏付けると考えられる例を挙げておく。まずPK(ペナルティーキック)である。
ほぼゴールに匹敵するプレイ(シュート)を守備側が妨害した、と見られる場合にPKが与えられる。サッカーを知らない者は、守備側の妨害を偶発的なものと捉えるかもしれない。が、それは決して偶然のアクションではない。
自陣内に攻め込まれたプレイヤー(多くの場合ディフェンダー)は、失点を回避するために「必死」で相手の動きを封じようとする。切羽詰ったアクションの結果、故意にあるいは偶発的に彼は相手(多くの場合アタッカー)を違法に妨害する。これがPKにつながる。要するに守る側を攻めつけた相手の切り込みが素晴らしかったから、守備側はたまらずにファウルを犯した。結局それは、攻める側の優勢勝ちなのであり、1ゴールにも等しい。
いわゆるオウンゴールの場合も同じだ。味方が偶発的に自陣のゴールにボールを蹴りこんだ、と見えるかもしれないが、そうではなく、相手の激しい攻撃に慌てたあるいは押し込まれて必死になった守備側が、自らを見失って必然的に犯すのがオウンゴールだ。つまりそれは「守備側のミス」ではなく「守備側のミスを誘い出した」攻撃側の勝利なのである。
サッカーにはかつてさまざまなトレンドがあった。例えばWMフォーメーションであり、トータルフットボールであり、マンマーク (マンツーマン)でありゾーンディフェンスであり、4-2-2フォーメーションとその多くの発展系であり、あるいはカテナッチョ、オフサイド・トラップ、カウンターアタック、そしてスペインが完成させて敗れ去ったポゼッション等々、等々である。
今回のW杯でドイツが完成させたのは、ポゼッションサッカーを取り込んでさらに組織化し、速さと力強さと技術を先鋭化させた、トータルな改良版である。つまり、ドイツサッカーは2008年頃から世界に旋風を巻き起こしてきたスペインのポゼッションサッカーを乗り越えた。
しかしドイツが完成させた競技様式は、ポゼッションサッカーやカテナッチョやVMフォーメーションなどのようにはっきりと目に見える形のものではない。ドイツが成就したのは、ポゼッションサッカーを取り入れたドイツ伝統の力技によって、ポゼッションサッカーそのものを否定する「コンセプト」だったのであり、それに代わる具体的且つ新しいフォーメーションを生み出したのではない。
とは言え、ポゼンッションサッカーを凌駕することが今回のW杯のテーマでありトレンドだったのだから、ドイツは明らかにそのトレンドを摑み取った勝者である。そしてこれからの世界サッカーは、まさに世界サッカーのトレンドの定石通りに2016年の欧州選手権、2017年のコンフェデ杯、さらに2018年のW杯ロシア大会へ向けて、王者ドイツの技術を取り込み、消化し、深め、且つ乗り越えて変革する作業に入って行くだろう。
その中心的役割を果たすのは、依然として欧州の各古豪チームとブラジル、アルゼンチンなどの南米の強豪チームになると考えられる。残念ながら日本の属するアジア・アフリカのチームには、レベルの高度な位置で高留まるそれらのサッカー先進軍団を凌駕する力量はない。
日本を始めとするアジア・アフリカのサッカーは確実に前進を続け力をつけている。しかし、後進地域が向上する分、強豪たちもまた進歩している。アジア・アフリカの国々が欧州と南米の実力者らの域に中々近づけないのはそれが理由である。
事サッカーに関する限り、特に「老」欧州大陸のサッカー強国群のメンタリティーはいつまでも若く、溌剌として疲れを知らない。前衛的なまでに貪欲に改善改良を繰り返して飽くことがないのである。伸びしろの大きなアジア・アフリカのサッカーが急進しても、高みのレベルにある彼らが漸進を続ける限り、世界サッカーのヒエラルキーは中々変わらないだろう。