【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

掲載し遅れたこと

掲載し遅れたこと~ベルルスコーニさんお大事に、そしてきれいな余生を~

トランプスコーニ縦400pic
イラスト by KA Nakasone


僕のPCのブログフォルダには、ある程度書き進んだネタや、ほぼ書き上げて後は推敲するだけのテーマ、などというものも結構ある。それらは時事ネタである場合がほとんどである。時事ネタだから腐ってしまっている。しかし、書き進んだテーマにはその時々の自分の思いが既にきっちりと現れている。そこで、《過ぎた時事ネタを今振り返る》みたいなコンセプトで「掲載し遅れたこと」あるいは「投稿し忘れたこと」というカテゴリにまとめてそうした事案も公表してみようと考え付いた。つまらなければさっさとやめるつもりで。


【2016年6月11日付け・掲載し忘れ稿】
ベルルスコーニ元首相、愛称ベルルスカ(以下ベルルスカ)さんが、心臓手術のために入院し、大動脈弁を人工心臓弁に取りかえる手術を受けた。同氏は10年前にアメリカで心臓ペースメーカーの手術を受け、最近電池交換の手術も受けていた。元首相は入院したとき命の危険もある重篤な状態だったが手術は成功。経過も順調でリハビリなどを経て1ヶ月後には政界復帰も可能とのこと。

病気からの回復は良かった。めでたい。お大事に。と心から思うが、御歳 ほぼ80歳の元首相がまだ政界復帰を目論んでいるという話には、そういうのが政治家然とした成り行きだと知りつつ、またそいういう脂ぎった性格でないと強い政治家にはなれないことなども熟知しつつ、余計なお世話ながら、ここで政界から足を洗って静かに余生を生きれば彼の人生も大きく変わるだろうに、惜しい。とも思う。

元首相は、イタリア第3の政治勢力であるForza Italia党の党首である。だが脱税の有罪判決を受けて2013年11月に議員資格を剥奪され、その後いかなる公職にも就けない前科者の身である。他のいわゆるまともな先進民主主義国ならそれだけでも十分に政治生命が終わる事態だが、ここは不思議の国アリス、じゃなく不思議の国のベルルスカさん。よく言えば寛大、悪く言えばいい加減な国民も多く住むイタリア共和国である。しっかりと生き延びてきた。

しかし、もうそろそろそういう無駄な戦いは終わりにしたほうが良い。そうすることで彼は、政治的に晩節を汚した(晩節ではなくずっと汚れていたという厳しい声もある)あまたの汚職疑惑、未成年者買春容疑、贈収賄容疑、そして議員生命に止めを刺した脱税有罪判決など、100件以上の裁判沙汰や、ブンガブンガ乱交パーティ疑惑などで地に落ちた評判を回復することも可能だと思うからだ。

なぜ可能なのかというと、ベルルスカさんが基本的にはコミュニケーション能力に優れた楽しい面白い人だからだ。そして数々の放言暴言差別発言などにもかかわらず、彼は多分それほどの極悪人ではないと考えられるからだ。ベルルスカさんの放言暴言差別発言は、深刻な根を持たない軽はずみな、誤解を恐れずに言えば「イタリア人的な趣味の悪いジョーク」の類ではないか、というのが僕の持論である。

あるいはイタリア人的な「ノリ過ぎ」から来る軽佻浮薄発言といっても良い。要するに子供メンタリティーから出たもの。いつまで立ってマンマ(おっかさん)にド頭をなでられてかわいがられていたい、イタリアの「コドモ男たち」の一人ベルルスカさんならではの、お調子者丸出しのおバカな言動なのである。

性格が明るくジョーク好きな彼は、政界入りする前には実に輝いていた。こ ぼれるような笑顔、ユーモアを交えた軽快な語り口、説得力あふれるシンプルな論理、誠実(!)そのものにさえ見える丁寧な物腰、多様性重視の基本理念、徹頭徹尾の明朗と人なつっこさ、などなど・・・元首相は決して人をそらさない話術を駆使して会う者をひきつけ、たちまち彼のファンにしてきた。それはイタリア政界を牛耳る権力者になってもからも変わらなかった。

ベルルスカさんのポジティブな一面は、軽薄や際限のないお喋りや隠蔽や利己主義や鈍感や無思慮などのネガティブな面と表裏一体なのだが、ポジティブ好きの多くのイタリア国民によって裏の要素は無視されて、表の要因ばかりがスポットライトを浴びてきた。そうやって彼はイタリア政界のスターであり続け、スターであることが彼にカリスマ性を付与してきた。

一代で巨万の富を築いた自信満々のベルルスカさんは、政界に打って出た当初、ドロ沼のように停滞したイタリアの古い政治体質を変えるのではないかと期待された。それは表面的には成就されたように見えた。だが、3期およそ9年に渡って政権を担い、野にあった時期も含めると20年もイタリア政界を牛耳った男が腐らない訳がない。彼は自身のビジネス王国を守り発展させることと、国政とを混同して最終的には失脚した。

2011年に失脚したものの、ベルルスカさんは普通の政治家とは違っていた。民放テレビ3大ネットワークを中心とするメディアグループを筆頭に、「ベルルスコーニ・ビジネス王国」が巨大な力を持ち続けて、イタリア政治経済のあらゆる局面に影響力を行使した。結果としてそこの主である彼の政治基盤も揺らぐことなく存在し続け、今も存在している。

当然彼の主たる関心はビジネスであり、国を思い国を憂う、英語で「公正でりっぱな政治家」と表現されるいわゆる『Statesman(ステイツマン)』としての高邁な哲学ではない。そんな具合いに、全てが真っ黒とは言わないまでも、灰色一色の政治家生活を病気を機会に捨てて、彼本来の面白い人『Simpatico(シンパーティコ)』に戻ればいいのに、と僕は余計なお世話に思うのである。

イタリア には人を判断するのに「Simpaticoシンパーティコ⇔Antipaticoアンティパーティコ」という基準があるが、これは直訳すると「面白い人⇔面白くない人」という意味だ。そし て面白いと面白くないの分かれ目は、ひとことで言ってしまえば「おしゃべりかそうでないか」ということなのである。自己表現に長けたおしゃべりで面白い人が『Simpatico(シンパーティコ)』であり、しかもそれは、イタリア人が人を評価するときに頻繁に用いる、最上のほめ言葉なのである。

彼が『Statesman(ステイツマン)』と呼ぶにふさわしいい政治家だったならば、ベルルスカさんは自らの後継者も育てるはずだった。しかし彼はそれをしなかった。そのため今回、彼の入院手術の報が出ると、即座に元首相の後釜に座るのは誰かという憶測が流れた。ベルルスカさんの支持を受けてミラノ市長に立候補しているParisi氏や元教育相のGelmini 氏、また彼の片腕とみなされる81歳のLetta氏(レッタ前首相の叔父)などが取りざたされたが、いずれも強い調子で否定。

まるで噂に上ることはベルルスカさんの不評を買う、とでもいいたげな性急な否定の仕方が、ちょっと不自然な感じだった。彼らが後継者ではないなら、党内にトロイカ体制が組まれるのではないかなどとも噂されたが、これは党の指導部が強く否定するなど、ベルルスカさんのほぼ独裁体制を思わせる動きが矢継ぎ早に出た。

こういう動きからも、ベルルスカさんが常に私利私欲で行動しているらしいことが分かる。彼は恐らく自分の子供らに家督、つまり党首の地位を引き継ぐ形以外には後継者には興味がないのではないか。以前はアルファーノ内務大臣が後継と見られていたが、彼はアルファーノ氏をこき下ろすような言動もいとわず、同氏は2013年にベルルスコーニ党(FI)を割って出て、新党「新中道右派(NCD) 」を結成した。

ベルルスカさんはそのころは、どうやら娘のマリーナさんを自らの後継者にする構想を持っていたようだ。その計画は彼女の拒否で立ち消えになったが、ベルルスカさんは前述したように多分彼自身の家族以外には党の権力を譲る気持ちにはなれないのだろう。つまり、家族以外の人間には心を許せないのだ。それって典型的な独裁者の心理状態と同じ不穏なものだ。

ベルルスカさんには男女4人の子供がいて、全員が彼のビジネス王国で重要な役職を担っている。そうした事実も相まって、ベルルスカさんの行状の全ては私利私欲のため、という批判が絶えない。ならば彼は今こそ、我欲オンリーの自らのあり方を捨てて、若かりしころの『Simpatico(シンパーティコ)』な男に戻るべき、と僕は再び老婆心に思うのである。


2017年3月7日現在、 ベルルスカさんはいたって元気。この記事に書いた心臓手術のあと、予定通りほぼ1ヶ月後の2016年7月5日に退院。その後は順調に回復して、昨年12月4日に行われた憲法改正を問う国民投票では、当時のレンツィ首相降ろしのキャンペーンに暗躍して成功。現在は単独での政権獲得が無理なことを察して、連立政権の一角に食い込むか、少なくとも影響力を行使することを念頭に、相変わらずイタリア政界最強の魑魅魍魎振りを発揮している。


投稿し忘れたこと~パク・クネ大統領の功罪~

パククネと崔400pic



僕のPCのブログフォルダには、ある程度書き進んだネタや、ほぼ書き上げて後は推敲するだけのテーマ、などというものも結構ある。それらは時事ネタである場合がほとんどである。時事ネタだから腐ってしまっている。しかし、書き進んだテーマにはその時々の自分の思いが既にきっちりと現れている。そこで、《過ぎた時事ネタを今振り返る》みたいなコンセプトで「掲載し遅れたこと」あるいは「投稿し忘れたこと」というカテゴリにまとめてそうした事案も公表してみようと考え付いた。つまらなければさっさとやめるつもりで。


韓国の特別検察官チームは2017年2月17日、サムスングループのトップ、サムスン電子副会長のイ・ジェヨン容疑者を贈賄容疑などで逮捕、2月28日に起訴した。同チームはサムスンが贈賄、パク・クネ統領と友人のチェ・スンシル被告が収賄側に当たり、2人が「利益を共有していた」とみている。

「名声が地に落ちた」どころか、地獄にまで崩落したとさえ言えそうなパク・クネ韓国大統領には、「功などは無く、ただ罪があるのみ」と考える人もきっと多いだろう。今となってはその主張を否定することは難しい。

しかし彼女には、日中韓の「3大東アジア女性蔑視国」にあって、大統領にまで上り詰めた実績がある。それは、米国で黒人初のオバマ大統領が誕生したことにも似た、歴史的に大きな意味のある出来事だ。その思いから僕はこの記事のタイトルを「パク・クネ大統領の功罪」とした。

【2014年9月28日付け・投稿し忘れ稿】

ここのところ政治や国際関係やグローバル経済等にまつわる事案について、大げさに言えば大上段に構えて自分の主張を展開するような気分になれない。それは何よりも先ず自らの能力の低さによるものだが、一つの問題が起こると多くの論者や自称記者やライターや主張者などが、寄ってたかってそれについての論評を言い募る風潮にうんざりしているからでもある。

たとえば慰安婦問題。アジア人、特に韓国人蔑視の暗い情念を持て余す一部の日本人は、強制連行の有無にこだわって、軍の強制を証明する資料はなく、従って韓国の主張はおかしい、という結論にたどり着く。そこまではいいのだが、彼らは鬼の首でも取ったようにそのことを言い募るうちに自らの論弁に酔ってしまって、ついには慰安婦は存在しなかった。存在していてもそれは戦時中世界各国に同様に存在していたことであり、日本だけが悪いのではない。いや日本は少しも悪くない、と主張がエスカレートして、やすやすと問題のすり替えが成される。

韓国と中国を除く世界の多くの人々は、従軍慰安婦(という言い方を敢えてする)を旧日本軍が強制的に徴用したかどうか、などには誰も関心を抱いていない。従軍慰安婦はそれがどこで起こった事案であっても、現代の感覚・価値観では「悪」なのであり、その悪を犯した日本軍は糾弾されなければならない。それなのに日本は今になって慰安婦の存在を否定しようとしている。それは安倍首相を始めとするナショナリスト(世界のジャーナリスムの感覚では極右)が台頭して、過去の日本(軍)のおぞましい顔を化粧してごまかそうとしている、まやかしの一端である、というのがグローバル世論の真の論点である。

もう少し分かりやすく言う。例えばドイツとポーランドとの間に従軍慰安婦問題があったとする。ナチスドイツは従軍慰安婦を雇い実際にこれを管理営業していたが、たまたまそこに強制的に、あるいは騙されて、あるいは仕事として割り切って慰安婦になった女性がいて、彼女が戦後、私はナチスに強制徴用されて慰安婦になった。だからドイツは私に謝れ、と申し立てたときは一蹴されるのが落ちである。韓国人慰安婦の主張もそれと同じだ、などとも歴史修正主義者は強弁する。しかし繰り返すが、論点はそこではなく、慰安婦の存在が現代の感覚や価値観では悪である、というのが問題の核心なのだ。

世界の論調とは大きくずれる「軍隊による強制性があったかどうか」を問題視する見解は、遺憾なことに日本国内に多い「世界から目を逸らしたまま民族主義を声高に強弁する<引き籠りの暴力愛好家>」たちに支持されて、小さな閉じたサークルの中で熱気を帯びて行き、膨張し、増長してやがて熱狂となる。それがネット上の従軍慰安婦問題にまつわるネトウヨや「中道を騙る隠れネトウヨ」論者らの正体だ。

誤解なきようにここで強調しておきたい。日本による韓国併合は侵略であり悪であり指弾されるべきである。それは直接には関与していない戦後世代の我われ自身にも責任がある。繰り返す。「罪はないが責任はある」のだ。過去なくしては現在の我われは存在しないからだ。

また朝日新聞は、従軍慰安婦問題に関して誤報と捏造(今となってはそうとしか考えられない「誤報」が多過ぎる)を繰り返してきた責任を十分に取って、最終的には世界の主要メデァ(例えばNYタイムズ)にそのことを認める論文を発表するべきである。なぜなら同紙の誤報が国際世論に与えた影響は無視できないものだからだ。

論文が認められない(ボツになる)ようなら、誤報の事実と謝罪広告を「金を払って」掲載するべきである。この場合の謝罪とは韓国国民に向けて、彼らをミスリードしたことを詫びる、という趣旨であり日本国民や世界に向けての謝罪という意味ではない。

なぜなら同紙は世界に向けては謝罪をする理由はなく、同紙が誤報を流し続けたという事実が世界に向けて発信されれば良い。また日本国民への謝罪とは、同紙購読者への謝罪という意味だから、それは日本語で成されるべきであり、実際に木村社長の謝罪、という形で実行されていて解決済みである。

その上で主張したい。韓国、特にパク・クネ大統領が、頑なに日本政府との対話を拒んでいるのは愚かであり醜悪である。対話拒否は蛮人の態度だ。自由と民主主義を信奉する韓国の姿勢にそぐわない。

頑な過ぎるパク・クネ大統領の態度は、もはや私怨としか見なせない域にまで落ちた、と批判されても仕方がない。彼女の態度は、国粋主義的な思想信条を隠して、米国を始めとする世界世論の顔色をうかがっては右顧左眄する、安倍晋三首相の態度と何も違わない。

パク・クネ氏は過去の日本を糾弾する姿勢を捨てないならば捨てないなりに、そのことを懐に抱え込んだままで、とにかく日本との対話を始めるべきだ。そうすることによって、彼女は自らの主張を日本に認めさせる道を開くことができるだろう。

また安倍首相は、頭隠して尻隠さずの滑稽な似非保守の演技を捨てて、潔く「右翼思想」を前面に出して己のスタンスを明らかにし、日本国内と国際世論に訴えてその審判を受けるべきだ。そうすることによってしか彼は日韓、日中関係の進展を図り、国際世論の賛同を得ることはできないのではないか、と考える。


僕は過去には、パク・クネ大統領が女性であることを特別に賞賛し敬仰 しつつも、日本との対話を拒否する彼女の頑なな姿勢には批判を禁じ得なかった。その後大統領は少し軟化して、日本との対話を模索する方向に動き出したが、醜聞に見舞われて沈んだ。彼女が収賄をしていたのなら全く同情の余地はない。が、残念な出来事だと思う。

パク・クネさんが女性でありながら、日本と同じ男尊女卑社会の韓国で大統領にまでなった事実を、僕はどうしても評価しないではいられない。アジアの国が世界で真の先進国になれないのは、女性の地位の低さが障害の一つになっているからだ。世界の国々の「文明度」は、女性の地位の高さに正比例する。あるいは世界の文明国のランクは、女性差別の重さに反比例する。

その意味では女性差別の撤廃に向かって積極的に歩み、且つ成就させている欧米の国々が、日本や韓国あるいは中国などよりもはるか上位にランク付けされるのは必然である。女性差別を無くさない限り真の民主主義はあり得ず、人間性の解放もない。パク・クネ大統領は東アジアに於ける女性解放気運の象徴的な存在だった。挫折したことを返す返すも遺憾に思う。


新カテゴリ 「投稿し忘れたこと」また「掲載し遅れたこと」について

則UP200pic


このブログのカテゴリにも置いている「書きそびれたこと」や「書き遅れたこと」はアイデアであったり数行のメモであったりの、「まだ書いていないテーマ」のことである。

ところが僕のPCには、そこから一歩先に行った「ある程度書き進んだネタ」や
「ほぼ書き上げて後は推敲するだけのテーマ」などというものが結構ある。

それらは時事ネタである場合がほとんどである。つまり、「書きそびれたこと」や
「書き遅れたこと」と同じだ。しかし、書き進んだテーマにはその時々の自分の思いが既にきっちりと現れている。

そこで、「投稿し忘れたこと」あるいは「掲載し遅れたこと」というカテゴリでそうした事案も公表してみようと考え付いた。自分なりのあらたなトライである。

僕はこれまで自分がかかわってきたテレビ主体の映像媒体や、紙媒体とは違う可能性や面白さを感じて、このネットメディアを活用している。

可能性および面白さの一つは、周知のように、SNSの基本コンセプトである自らが『テレビ局になり出版社や新聞社になる』ことである。もう一つは『そこでは何でもトライできる』ことである。

そんなわけで、たとえば《過ぎた時事ネタを今振り返る》みたいなコンセプトでトライしてみようと思う。つまらなければさっさとやめるつもりで。

手始めに次のエントリーかその先あたりで、韓国のパク・クネ大統領にまつわる「投稿し忘れたこと」を掲載してみようと思う。


ホントの気候変動は菜園の中にある

400pic南畝ヒキ肥料込み


2016年11月末現在、僕の菜園には冬を越すカリフラワーやキャベツなどと共に、大根、ネギ、ラディッキオ(チコリの一種・菊苦菜)、さらに夏野菜のフダン草やルコラ(ロケットサラダ・ハーブの一種)などがまだ結構残っていた。

そのうちのネギとラディッキオを残して全てを刈り取った。

200へ400picラディッキオ・チコーラ→春、庭造りの際に菜園の一部に入れてもらった土が、水はけほとんどゼロの粘土質で野菜作りには適さない。

そこで深さ10センチ~15センチを入れ替えてもらうことにした。それで入れ替え部分の作物を全て取り込んだのである。

今年は、たとえばトマトやピーマンやナスなどは、普通に寿命が来て9月末頃にはすっかり枯れ果てた。

が、前述のラディッキオやルコラやフダン草などはまだしっかりと芽生え育っていた。200へ400picズッキーニ花一輪→

ズッキーニもほとんど枯れたが、まだ花が咲いたりする茎があったので、その部分は11月半ば頃まで生かしておいたりした。

花はさすがにうまく結実し成長することはなかった。

こう書いている今日は2016年12月2日の金曜日である。少し前までならあり得ない話。

200へ400picネギ→11月といえば菜園の作物は冬野菜以外は全て枯れて、土もかちかちに凍る手前の時間だった。

気候変動は「熱」に向かって確実に時を刻んでいる。

渡り鳥は渡らなくなり、冬でも蚊や昆虫が舞い飛ぶ。渡り鳥はそれらを食べることができるので餌に困らなくなり、渡らなくなったのだという。

大雨が降ったり暴風が吹き付けたりと異変が多い。でも、異変はもはや頻繁すぎて異変とは言えないのではないか。200へ400picコステ→

非日常が日常になりつあるのが今の気候のあり方だが、普段は温暖化で暑いと思っているのに寒い年があったり、冷夏さえも出現して頭が混乱する。

しかし、菜園では混乱がない。前述したように気候変動は確実に「熱」に向かっている。

だから野菜の寿命が長いのだ。あるいは野菜を枯らす寒さの到来が遅いのだ。

ありdaikon better 400pic→200へ奥行き季節はその部分では混乱しない。いや、野菜たちが、空気が確実に暖かくなっていることを知っていて、いつまでも枯れない、と言うべきか。

地球規模で考える温暖化は悪い兆候ばかりが目立つ。しかし、僕の菜園に関する限り、温暖化は楽しい。

美味しい野菜が12月に入ってもまだ収穫できたりするのだから。

ちなみに僕の菜園は完全なるオーガニック、有機栽培。なので雑草や害虫やカタツムリ類も大変。200picチビキャベツ2個400→



しかし、作物の味は大量生産のものとは違って、コクがあり、かつ実に美味い。


200へ400picラディッキオ・チコーラUP→

よくオーガニックが美味いと感じるのは錯覚、と言う人がいるけれど、彼らはきっと自分で作ることはおろか、本物の有機栽培野菜を食べたことさえないのだと思う。

でなければ、味覚がちょっとサビれてしまっているのかも。



トランプを抱えた世界の未来図


トランプ次期大統領の大統領としてのあり方を多くの人が予想している。それを三つにまとめるとおよそ次のようになると言っていいように思う。

1.トランプ大統領は、(大統領らしく)過激な物言いはもちろん極端な政策も修正して、普通の政治を行うだろう。

2.いやいや、彼は過激な政策や思想を公約にして当選した(選挙戦を勝ち抜いた)。当然その方向で政治を行うだろう。

3.きっとその中間だ。

それらの予想はどちらも正しく、どちらも間違っている、なぜならどの方向に向かうかは誰にも分からないからだ。

そういう不確実な事態はよくあることだが、今回の場合はトランプ仮大統領自身もおそらく先が見えていない、という意味で普通とは違う。不確実の正体は恐らくそこにある。彼の政策の行方ではなく、彼自身が何を政策にすればいいのか分かっていないのだ。

それでも、今年中なにも起こらなければトランプ大統領は必ず誕生するのだから、彼がどういう動きをするのかを占うのは「彼を監視する」意味で悪いことではない。

トランプ大統領は、米国民からも世界世論からも史上最も注視される大統領になることは間違いない。米大統領をそんな位置にもっていったことも彼の変革《チェンジ》の一つだ。

僕はトランプ大統領はより1.に近い動きをすると予想する。理由は、彼がホワイトハウスでオバマ大統領と面会した時の様子と、ライアン共和党下院議長と面会した時の態度だ。

僕はその様子をBBC国際放送で逐一見たのだが、どちらの会見でもトランプ次期大統領が借りてきた猫もビックリ、と言いたくなるほどのかしこまった物腰でいるのに驚き、失笑し、落胆した。

トランプ氏の卑屈な 態度に比べると、ホワイトハウスでは、昨日の敵を鷹揚に迎え接するオバマ大統領の人格の大きさばかりが目だった。そこでのトランプ氏を見て、彼には選挙キャンペーンで喚いた主張や思いや公約を実行する気概は無いのではないか、とさえ僕はいぶかった。

僕の疑念は、彼がポール・ライアン下院議長と国会を回り、記者会見に臨む姿を見て確信に変った。ポール・ライアン下院議長は次期大統領候補とも目されている共和党きっての実力者である。そして、彼は選挙期間中はトランプ候補と対立し、激しく攻撃したりもした。

選挙選の大詰めでは、しぶしぶトランプ候補支持を表明したものの、ぬるま湯につかったようないやいやながらの手打ちだった。

それにもかかわらずトランプ氏は、自分の息子ほどにも見える若い下院議長の前にかしこまり切って、目も合わせられないほどに恐縮している。僕はその卑屈さにオバマ大統領との会見のときをはるかに上回る驚きを覚えた。

トランプ当選者の目の前にいるのは、彼が選挙期間中ののしり続けた共和党主流派の主役の中の主役、ライアン氏である。その前に跪くトランプ氏は、将来きっと主流派に呑み込まれて主義主張を変えていくのだろう、と僕はそのとき確信にも似た思いを持った。

彼は多くの怒れる人々(白人労働者階級ばかりではない。富裕層も貧困者も黒人もヒスパニックもそしてなによりも女性でさえも)が糾弾した体制派の前に跪いている。

対抗者のヒラー・クリントン候補も属し、そしてそれゆえにトランプ候補に攻撃されて共和党支持者は言うまでもなく民主党支持者からもそっぽを向かれた、「古い政治家、古い主流派」に彼は早くも丸め込まれているように見える。それがきっとトランプ氏の正体だ。

僕のその見方がもしも当たっているならば、彼は実はチェンジなど招かなかった。ポジティブな変革は何ももたらさず、ひたすら憎しみと差別と分断のみを世界にもたらした。その意味では彼は、やはり破壊者でしかない、ということになる。



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