【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

菜園歳時記

菜園に遊ぶ 

北東畝チンゲン菜、大根ヒキ800

野菜作りが趣味のFB友の方から「イタリアは、どんな気候で、どんな野菜が育てやすいのか? 」というメッセージをいただいた。

ここまでそのテーマではいろいろ書き散らしてきた。いい機会なので少しまとめておくことにした。

イタリアの季節はほぼ日本と同じだが、僕の住む北イタリアは空気が乾いていて春と秋が日本より1ヶ月づつ短く、その分だけ冬が長い、と言えば印象が一番近いように思う。

だがイタリアも日本同様に南北に長い国。地域によってかなり季節が違う。

イタリアには沖縄のように冬が極端に暖かい土地はないが、北と南ではずいぶん寒さの質が違う。それは野菜作りにもかなり影響する。

野菜の種類に関しては日本とイタリアでは多くの野菜が共通している。

そのうち僕が毎年菜園で育てるのは:

何よりも先ずラディッキオ(チコリの一種・菊苦菜)、ルコラ(ハーブの一種・ロケットサラダ)などを含む多種類のサラダ菜、トマト、ナス、ピーマン、ズッキーニ、キュウリ、フダン草、大葉、大根、(各種)ネギ、ラディッシュ、春菊など。

気が向けば育てるのが:

プチトマト、白菜、チンゲン菜、、ほうれん草、サントー白菜、ゴボウ、ブロッコリー、カリフラワーやキャベツなど。

イタリアでは白菜や大根また生姜などもスーパーで普通に売られている。だがそれらの野菜の種は販売されていない。

チンゲン菜、春菊、ゴボウ、サントー白菜、ゴボウ、各種ネギなど、その他の日本野菜の種も同様である。大葉に至っては野菜そのものが存在しないに等しい。

僕は生姜は栽培しないが、白菜、大根に始まる日本野菜は、帰国の度にせっせと種を購入してはイタリアの野菜(世界共通野菜?)と共に育てている。

僕が菜園を耕し始めたのは、アルプス山中に釣行した際に川で転倒し、左肩を脱臼したのがきっかけだった。

退屈をまぎらわそうとして、僕は右腕だけで土を掘り起こして遊ぶ野菜作りを始めた。以後、毎年変わらずに続けている。

30坪に足りないほどの菜園に多くの種類の野菜を育てる。食べることもそうだが観賞用、という意識もある。

例えば唐辛子は、真っ赤な色が好きで良く育てる。トマトもいろいろな種類があるので、育てて面白がっている。

カボチャも茎が菜園中ににょきにょき伸びる姿が面白くて時どき作る。作ると実が成るがあまり食べない。結局友人知己に裾分けする。

野菜作りは美味しい食料の調達という実利もさることながら、自然や命またそこにからまる人の生などについて考えるきっかけを与えてくれたりもする。

美味しく、得がたく、楽しい作業が野菜作りなのである。




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漁師の命と百姓の政治


The Prank 漁650                    ©ザ・プランクス

                         

                     

菜園を耕して分かったことの一つは、野菜は土が育ててくれる、という真理である。

土作りを怠らず、草を摘み、水や肥料を与え、虫を駆除し、風雪から保護するなどして働きつづければ、作物は大きく育ち収穫は飛躍的に伸びる。

しかし、種をまいてあとは放っておいても、大地は最小限の作物を育ててくれるのである。

百姓はそうやって自然の恵みを受け、恵みを食べて命をつなぐ。百姓は大地に命を守られている。

大地が働いてくれる分、百姓には時間の余裕がある。余った時間に百姓は三々五々集まる。するとそこには政治が生まれる。

1人では政治はできない。2人でも政治は生まれない。2人の男は殺し合うか助け合うだけだ。

百姓が3人以上集まると、そこに政治が動き出し人事が発生する。政治は原初、百姓のものだった。政治家の多くが今も百姓面をしているのは、おそらく偶然ではないのである。

漁師の生は百姓とは違う。漁師は日常的に命を賭して生きる糧を得る。

漁師は船で漁に出る。近場に魚がいなければ彼は沖に漕ぎ進める。そこも不漁なら彼はさらに沖合いを目指す。

彼は家族の空腹をいやすために、魚影を探してひたすら遠くに船を動かす。

ふいに嵐や突風や大波が襲う。逃げ遅れた漁師はそこで命を落とす。

古来、海の男たちはそうやって死と隣り合わせの生業で家族を養い、実際に死んでいった。彼らの心情が、土とともに暮らす百姓よりもすさみ、且つ刹那的になりがちなのはそれが理由である。

船底の板1枚を経ただけの地獄と格闘する、漁師の生き様は劇的である。劇的なものは歌になりやすい。演歌のテーマが往々にして漁師であるのは、故なきことではない。

現代の漁師は馬力のある高速船を手にしたがる。格好つけや美意識のためではない。沖で危険が迫ったとき、一目散に港に逃げ帰るためである。

また高速船には他者を出し抜いて速く漁場に着いて、漁獲高を伸ばす、という効用もある。

そうやって現代の漁師の生は死から少し遠ざかり、欲が少し増して昔風の「荒ぶる純朴な生き様」は薄れた。

水産業全体が「獲る漁業」から養殖中心の「育てる漁業」に変貌しつつあることも、往時の漁師の流儀が廃れる原因になった。

今日の漁師の仕事の多くは、近海に定位置を確保してそこで「獲物を育てる」漁法に変わった。百姓が田畑で働く姿に似てきたのだ。

それでも漁師の歌は作られる。北海の嵐に向かって漕ぎ出す漁師の生き様は、男の冒険心をくすぐって止まない。

人の想像力がある限り、演歌の中の荒ぶる漁師は永遠なのである。




菜園に爛漫の野菜草が輝く時

南窓開け庭650

日本から戻ると北イタリアも春爛漫の景色に変貌していた。

菜園にも命がみなぎっている。

命は野菜と雑草のせめぎあいである。

風が冷たかった3月、菜園の至るところにサラダ用野菜の混合種や春菊、またチンゲンサイや葱などの種をびっしりとまいた。

菜園は有機農法で耕しているため雑草が繁茂し虫がわく。

種下ろしをした野菜たちは根がおだやかで育ちやすく、しかも除去が簡単だ。

土中深くまで根を張るしつこい、処理に困る、つる草や宿根草などとは大違いである。

ことしは野菜作りが始まる3月から4月にかけて日本に帰るので、雑草抑えのつもりもあって前述の野菜たねを満遍なく播種したのだった。

雑草に勝って大きく伸びている野菜もあれば、怖れるように小さく芽を出し青草に辺りを覆われているものもある。

よく育っているものは収穫して食べていくが、雑草に圧されて萎縮している芽はと共に除き、跡に不断草に始まる温野菜用野菜や根菜、また果菜や花菜の苗を植えつける。

畑では種を蒔いて後は放っておいても最低限の作物が育つ。

文字通りの自然の恵みだ。

僕は菜園を細かく手入れする野菜作りではない。作業をしたいのは山々だが時間がない。除草などもほとんどしないまま放っておくことが多い。

雑草は取り除かないと次々に花をつけ種を撒き散らして大きくはびこる。

それは分かっているが、じっくりと土に向き合う時間がないので、ミニ耕運機をひんぱんに畑に入れて鋤いてしまうことが多い。

ことしは特に耕運機の出番が多くなりそうである。

それは栽培法や土作りという意味では邪道かもしれないが、それでけっこう除草がうまく行き作物も育つ。

自然は怠け者の野菜作りにも惜しみなく恵みを与える。

母なる大地の面目躍如である。



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雨を待つ間に


650堆肥&caliora(手押し車)

北イタリアは厳しい旱ばつに見舞われている。昨年末からほぼ4ヶ月に渡って雨も雪もまったく降らない。

北イタリアを貫く大河ポーが、枯渇寸前まで水位が下がり大きな問題になっている。

これが夏の出来事なら強い危機感で息苦しさを覚えていたに違いない。それほど異様な雰囲気がある。

昨年夏、イタリアは熱波に襲われた。

南のシチリア島では、欧州で過去最高気温となる48,8℃が記録された。

雨も少なく、暑さとともに乾燥が続いて山火事が相次いだ

冬の間の水枯れが異様に感じられるのは、あるいは昨夏のおどろきの暑さと渇水と山火事の記憶が、未だに強く残っているせいかもしれない。

なにしろポー川が冬に枯渇する様を、少なくとも僕は見たり聞いたりした記憶がない。

僕の季節感覚は、近年は菜園の移り変わりとともに多感になったようだ。雨や雪や日照りや寒暖をしきりに気にする。

今の干天も大いに気になる。

いや、正確に言えば、春が来てそろそろ菜園の準備を始めようと思い立って以来、空を見上げ、雲の動きを追いかけ、しきりに天気予報を気にするようになった。

3月に入ってから少しづつ堆肥を埋め込み、小さな耕運機を動かし、マルチをはずしたり移動したりして準備を進めた。

ここ1週間ほどは動きを加速させた。

それというのも、3月30日の水曜日を皮切りに大雨が降る、との予報が出たからだ。

その前に土つくりを済ませて種をまき、また雨の後の植え付けや播種にも備える作業をひと息に進めた。

土つくりはほぼ完了した。サラダを始めとするいくつかの野菜の種もまいた。

今日は、これからCOSTE(フダンソウ)を直播する。

いつもはプランターに苗を作るが、古い種を整理する意味と直まきトライを兼ねての初の試みである。

その作業を済ませたら、静かに雨を待とうと思う。

イタリアの天気予報は最近はかなり正確だ。

おそらく恵みの雨がやって来るだろう。

ウクライナでは人々が苦しんでいる。

それを思うと心痛は絶えないが、こちら側の時間は不思議に平穏に進んでいる。



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「無原罪の御宿リ」の日に無限大の野菜を収穫した

白菜被せ縦から見る800

128日はイタリアの祝日だった。

聖母マリアが生まれながらにして原罪から解放されていたことを祝う、無原罪の御宿り(Immacolata Concezione)」の日である。

イタリア中がこの日を境にクリスマスモードに入る、とよく言われる。

ことしはコロナの毒の勢いがワクチンによって抑えられていることもあって、クリスマスの祝祭が盛り上がりそうだ。

むろん限界がある。

ワクチン忌諱者がいるために社会全体の自由が狭められているからだ。

欧州第4波の恐怖におののいているドイツに代表されるEU各国は、ワクチンを接種しない住民をロックダウンしたオーストリアに続いて、反ワクチン派の国民への締め付けを強化しようとしている。

4波の痛みが今のところはまだ軽いイタリアも、じわじわと増えるコロナ感染者数をにらんで、ワクチン接種の義務化を含めた反ワクチン派の人々への干渉をしきりに考慮している。

不穏な空気の中、ミラノ・スカラ座は例年通り127日に開演した。

スカラ座の初日が127日と定まったのは1951年である。元々は1226日が初日と定められていて、それは1939年まで140年間同じだった。

127日と決められたのは、その日が街の守護聖人「聖アンブロージョの祝日」だから。

ミラノのクリスマスシーズンは、「聖アンブロージョの日」を境に始まる。無原罪の御宿り」を契機とするイタリア全国よりも1日早いのである。

昨年はコロナ禍でスカラ座も閉鎖された。

ことしはやはりワクチン様様で公演が可能になり、およそ40万円の特等席を含む全てのチケットが、1126日に販売開始から数時間で売り切れた。

オープニングにはマタレッラ大統領も出席した。

大統領は来年2月に退任する。それを惜しんで劇場では「マタレッラ2期目を!」コールが湧き起こった。

そうした世の中の動きを追いかけつつ、僕は菜園でまた少し仕事をした。

ここのところ野菜尽き菜園づくめになっている。

温暖化のせいらしい野菜たちの変化が気になるのである。

ひと言でいえば、12月に入っても夏野菜の幾種類かが収穫できていることへのおどろきと、喜びと、そして不審。

たとえば127日。

スカラ座初日のニュースに気を取られたわけではないが、翌128日が大雪になるというニュースを見逃した。

夜になって予報を知ったが、時すでに遅し。ミックスサラダ菜などの夏野菜は朝までには雪で全てダメになるだろうと観念した。

明けて128日。

5時に起きて書斎兼仕事場から暗いぶどう園を見渡したが、雪が積もっている様子はない。

まだ降り出さないのである。

8時前、どんより曇った空がようやく少し明るくなった。急ぎ菜園に行きミックスサラダ菜ほかの野菜を全て刈り取った。

その後でこれから成長する白菜や大根に雪除けの網をかぶせた。

その際、虫食いの激しい白菜3株も引き抜いた。食害の犯人はヨトウムシとカタツムリが多い。

結球しかけている玉を割ってそれを確認し、退治法を考えようと思った。

空気は冷えて雪の前兆が明白に漂っていたが、作業を全て終わるまで雪は落ちてこなかった。

結局、雪は夕方になって少し降っただけだった。しかもすぐに雨に変わり、雪は溶けて跡形も無くなった。

北イタリアはあちこちでドカ雪になったが、僕の住む一帯はほとんど降雪がなかった。

あわてて野菜を収穫したことを悔いたがもう後の祭り。

無理して収穫した野菜たちの量は今回もまた多い。

できるだけサラダで食べるが、食べきれないときは他の食材と炒めたり、茹でて保存に回したりと、店で買い求めた野菜なら決してやらない余計な仕事を、自分に課す羽目になった。





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目からサラダでうろこが落ちた話  


12月一日収穫全体800

2021年11月末日、寒くなった菜園でなにごともなかったかのように繁茂している、チンゲンサイ、ピーマン、ナス、ルッコラ、春菊、ミックスサラダ菜を収穫。

そのうちナスと春菊はほぼ全て採り込んだが、ほかの野菜はまだ菜園に残っている。

急速に寒気が深まればたちまち朽ちるだろうが、いまこのときは十分に青く健やかだ。

温暖化の力は全くもって驚異的である。

収穫したチンゲンサイとナス以外の野菜をツナと混ぜて、オリーブ油と醤油で和えて昼食に。

食べきれないので、野菜はツナを加えたり除いたりしながら、4、5日は続けて食べ、それでも残れば豆腐やハムなどと炒めて食することになる。

サラダをオリーブ油と醤油だけで食するのは、2、3世紀も前のロンドン時代にイタリア人の妻が発明した食べ方。

当時は生野菜をそんな和え方で食べたことがなかったのでびっくりした。

若くて腹を空かしていた僕は、そのころはまだ結婚していなかった若い妻の感覚にあきれながらも、食べてみた。

おいしさにふたたびびっくりした。

それ以来、わが家ではツナのあるなしにかかわらずサラダは常にオリーブ油と醤油で和えて食する。

友人知己を招いての食事会でも同じ。

ただし、食事会で出すサラダは付け合せなのでツナは加えない。新鮮な野菜をオリーブ油と醤油のみで和える。

評判はいつも上々である。

すでに知っている者は、それが楽しみ、と口にしたりもする。

妻はやはりまだ若かりしころ、茶碗蒸しをラーメン用の丼鉢で作って僕を仰天させたこともある。

どうしたのだ、と訊くと、おいしいからたくさん作ったの、と涼しい顔で言う。

ナルホド、と目からうろこが30枚ほど落ちた。

小さな鉢に少なく作るからおいしい、というのは真実だが心理的である。

おいしいから大きな鉢にたくさん作る、というのは真理であり物理的である。

若くて腹を空かしていた僕は、妻の物理的な真理に大いに感心した。

背中に負っている文化が違う者同志が一つ屋根の下で暮らす。

すると摩擦も起きるが文化の化学反応も起きて面白かったりもする。

地球温暖化も障害ばかりではなく何か取り柄があってほしいものだ。

だがいまのところ分かるのは、菜園で野菜の寿命が伸びるケースもあるというささやかなメリットのみ。

一方では地球そのものが危機に瀕しているのだという。

12月に夏野菜が収穫できることを喜んでばかりもいられないのである。

だからといって菜園に罪があるわけではなく、個人的にはむしろ、温暖化による異常気象を感触できる「装置」としても小さな野菜畑を重宝している。





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温暖化の恩恵は悪魔の囁きか~2021年11月現在の菜園始末記

則手唐辛子空に掲げる800

地球全体の気温上昇を1.5℃までに抑えようとするCOP26は紛糾し、会議期間が一日延長されたにもかかわらず、またもや問題を先送りにする採択をしてお茶を濁した。

誰もが問題の核心を知っていて、誰もがエゴむき出しにして自らの犠牲を逃れようとする。

地球を健康体に戻そうとする試みは相変わらず困難を極めている。

太平洋の島国をはじめとする被害国を除いて、CO2大量排出国のほとんどが、問題を真に自らの痛みとして捉えられないことが混乱の原因だ。

地球規模で破滅をもたらすかもしれないと恐れられる温暖化と、それによる気候変動は、ことし夏のイタリアに48,8℃という欧州記録の異常気温をもたらした。

欧州ではその1ヶ月前の7月、ドイツ、ベルギー、オーストリアなどを豪雨が襲って河川が氾濫し、多数の人命を含む大きな被害が出た。

言うまでもなく温暖化は単に気温を上昇させるだけではなく、異様な酷暑、豪雪、山火事、巨大台風、海面上昇などの異常気象をもたらすとされている。

異常気象は高温と冷温が交互にやって来るような印象もあって、特に冷温やドカ雪が降ったりすると、熱をもたらすという温暖化は実は嘘ではないか、という誤解を与えたりもする。

トランプ前大統領に代表されるポピュリストらは、そのことを利用して温暖化理論はまやかし、と叫んで世界をさらに混乱に陥れようと騒ぐ。

僕の菜園の野菜たちにも一見混乱がもたらされる。温暖化によって野菜の成長が極端に早まり、あっという間に花が咲いて結実する。それは植物の早い死滅を意味する。

ところが一方で、気候がいつまで経っても温暖なために、夏の終わりには命を終える野菜たちが長く生き続ける、という一見矛盾した現象も起きるのである。

僕の菜園ではほぼ毎年それに近い変化が起きている。だが自然の変化は異様なものではなく、人間だけが不審がる「自然の常態」、というのがほとんどだと思う。

そうはいうものの、近年はそれが普通の域をはるかに超えて、実際に「異変」になっていると感じられることが多い。つまりそれが温暖化の影響ということなのだろう。

異様さは近年はますます目立つようになっている。例えば僕の菜園では2016年も野菜が極端に長命だった。その年は12月近くなっても多くの野菜が枯れなかった。

だが長命だったのはほとんどが夏の葉野菜だった。実が生る果采類は、夏の終わりから秋の初めには普通に命を終えた。

ピーマン4個列生り11月800

ところがことしはまた状況が違う。菜園の果菜類が長命で、9月にはほとんどが枯れるピーマンとナスが、11月になっても実を付け続けているのである。

トマトも未だ完全には枯れず、わずかだが実を付けている茎がある。

鮮やかな朱色が好きで、ほぼ観賞用だけのつもりで毎年作る唐辛子も健在だった。

唐辛子はもう少し菜園に置いて楽しもうとさえ考えたが、料理用に欲しいという家族のリクエストに応えて収穫した。

ピーマンとナスはまだ育ちそうなので様子見も兼ねていくつか残した。

夏野菜のほかには、冬用に白菜とラデッキオ(菊苦菜)と大根が成長中。

夏の初め、チンゲンザイが異様な勢いで伸び盛り、とうが立つどころか結実して、そのこぼれ種が再び発芽した。

そのことに触発されて、9月、あらたにチンゲンサイの種を別場所にまいた。

その時に間違って大量にこぼした種も発芽した。

間引きをしようと思いつつ、ぼうぼうに盛る様子が面白くて放っておいた。

だがさすがに伸び過ぎた。遅まきながら近いうちに間引きをして、豆腐と豚肉とでも和えて食べる腹づもり。

チンゲイサイの播種ついでに、夏サラダや春菊の種もまいてみた。そのどちらも9月に育てた経験はない。

それらはあくまでも、6月に花が咲き結実したチンゲンサイに刺激されて、実験の意味合いで種をまいたものである。

温暖化、あるいは気候変動を確認したい思いからだ。

チンゲンサイが異常生育をして、収穫前に結実したのは温暖化の負の影響だが、それが再発芽したり 11月まで夏果菜類が収穫できるのは逆に好影響と言えるのではないか。

もっともそうやって喜ばせておいて、最後には大きなドンデン返しがありそうにも見えるのが、不気味でないこともないけれど。。





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菜園のうれしい訪問者

kijisenaka800

2021年11月6日土曜日、秋晴れの菜園で仕事中に雉が迷い込んだ。

菜園には小鳥をはじめ多くの鳥がやってくるが、巨大な雉の姿は圧巻だった。

呆然と、しかしワクワクしながらスマホを向けて訪問者の一挙手一投足を追いかけた。

雉は冬枯れの、だがまだ緑も見える、コの字形の僕の菜園の中を行きつ戻りつして動き回る。日差しが強くて僕はしばしば珍客の姿を見失った。

鳥はまるで勝手知ったるかのように菜園を縦横に動き回り、野菜の枯れ色に擬態したり、隠れたり、紛れ込んだりして僕の目をくらました。

菜園は中世風の高い壁を隔てて広いぶどう園につながっている。

ぶどう園は有機栽培である。有機栽培なので昆虫などの生き物が増え、それを狙う動物も目立つようになった

ぶどう園にもたくさんの鳥がやってくる。それを追うらしい鷹も上空を舞う。夕刻と早朝には小型のフクロウの姿も目撃できる。

ぶどう園にはネズミなども生息していると容易に想像できる。

ぶどう園の隣の僕の菜園にも多くの命が湧く。菜園も有機栽培なので虫も雑草も思いきりはびこっている。

ヘビもハリネズミもいる。石壁の隙間や2箇所の腐葉土場の周囲、また夏は野菜とともに生い茂る雑草の中に紛れ込んでいたりする。小さなトカゲもたくさん遊び騒ぐ。

ヘビは毒ヘビのVipera(鎖蛇)ではないことが分かっているので放っておくが、出遭うのはぞっとしない。

向こうもそれは同じらしい。ここ数年は姿を見ないが、脱皮した残りの皮が壁や野菜の茎などにひっかかっていて、ギョッとさせられる。

ヘビは僕と遭遇する一匹か、命をつないだ固体が、今日もその辺に隠れているに違いない。

雉は菜園を行き来しつつ、しきりに腐葉土周りにも立ち止まった。腐葉土の中にはカブトムシの幼虫に似た巨大なジムシが多く湧いている。それを食べるのかもしれない。

雉にとっては隣接する広いぶどう園と僕の菜園はひとつながりの餌場なのだろう。ぶどう園に寄ったついでに菜園も覗いてみた、というところか。

あるいはこうも考えられる。

イタリアはいま狩猟の季節の真っ盛りだ。住宅地に近い山野や畑でも狩が行われていて、パンパンという銃声が絶えない。

雉はもしかすると銃弾を避けて飛来したのかもしれない。それならずっと僕の菜園で遊べばいいが、雉はきっと僕の気持ちも状況も分からないだろう。

でも実は分かっていて、明日も明後日もずっと訪ねてきてくれるのなら、菜園での僕の楽しみがまた増えるのだけれど。




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2021采園始末~七転び八起き


結実し枯れるサントー采800

野菜つくりをしながら気候変動の徴を見ようと努めているが、ことしはほとんどここに報告しなかった。

理由は単純。

サッカー欧州選手権やオリンピックなどのイベントが多かったこと。コロナ禍が少し落ち着き、ワクチン接種も済ませて休暇旅に出たことなどで時間が足りなかった。

ことしも菜園では不思議なことが起こった。春に種をまいたチンゲン菜とサントー白菜が、異常な速さで生育して、収穫もできないままトウが立ち結実した。

チンゲン菜はトウの立ちやすい野菜とされるが、それでも成長の速度が速すぎるように思えた。サントー采は春まき用の種から芽吹いたもので、こちらもさっさと育って花が咲いた。

結局いちども食べられなかった2種類の野菜だが、チンゲン菜は実って自然に落ちた種つまりこぼれ種が9月に芽吹き、サントー白菜は枯れたと見えた茎から新芽が出た。

チンゲン菜は秋から冬にかけて獲れる野菜だが、僕は春に種をまくことが多い。栽培が容易で放っておいても育つ。それはいいのだが、突然急成長して結実し、こぼれ種から再び芽吹いたのに驚いた。

またサントー白菜も、育ち過ぎて倒れた太い茎のそこかしこから芽が出て、それらが立派に育ちそこそこに収穫することができた。

チンゲン菜もサントー白菜も僕が継続的に育てている野菜ではない。それなので菜園で起きた現象が普通なのか異常な出来事かは判然としない。

ただ両野菜ともに成長がびっくりするほどに速く、一度枯れたものが夏の間に再生して、収穫できるまでに育った。いわば二期作である。不思議ではないか。

二期作は温暖な地方で行われる農業だ。僕の菜園で起きたことも、やはり温暖化と関係しているのではないかと思う。少なくとも空気が寒冷ならあり得ない現象だ。

こぼれ種から芽吹いたチンゲン菜に触発されて、僕は9月に新たに場所を変えてチンゲン菜の種をまいた。

それは問題なく成長した。空気が冷涼だからだろう、トウが立つこともなく、11月1日現在も順調に育っている。

実を言うと僕はチンゲン菜を多くは作らない。チンゲン菜は栽培が春菊やラディッシュ並に簡単だから、その気になればいくらでも作れるが、野菜炒め以外には料理法が分からないのである。

菜園を始めたころは、面白いように育つので毎年作った。だが豆腐や豚肉と炒めて食べるくらいで、それ以上はレシピが広がらない。漬物にもしてみたが具合が悪い。サラダとしてもいまいちだ。

そんなわけで最近は、思い出したときにぱらぱらと種をまくだけになった。ことし敢えて秋にも種をまいたのは、ひとえにこぼれ種の発育に刺激されたからである。

それとは別に秋にはナスやピーマンにも異変があった。どちらも遅くまで枯れずに残って多くの実を付けてくれた。ナスの実はほぼ全てが小さくて硬かった。

一方ピーマンはナスとは違って実が成長し続けるので、11月に入った今も生かしている。急に寒くなったり霜が降りたりしなければまだ育ちそうに見える。

実は2016年にも野菜は長命だった。そのときは11月の終わりになっても多くの野菜が枯れなかった。だがほとんどが葉野菜だった。果采類は秋の初めには普通に命を終えた。

800仕上がり7本半

僕の采園の果采類の王様はトマトである。トマトはほぼ全てソースに使う。ことしは7月、8月、9月と3度に渡ってトマトソースを作った。

以前は7月と8月の2回という年が多かった。作るソースの量は変わらないものの、最近はそれを仕上げる回数が増えた気がする。トマトの生育期間が長くなったのだろう。

するとそこにもやはり温暖化が影響している、と見ていいのかもしれない。





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イタリアが燃えている


山火事キプロス650

イタリアは文字通り燃えるほどの猛暑に見舞われている。

南部のシチリア島では811日、欧州の最高気温となる48,8℃を記録した。それまでの欧州記録は1977年ギリシャのアテネで観測された48℃。

なお、1999年に今回と同じシチリア島で48,5℃が観測されたが、それは公式の記録としては認められていない。

欧州とは思えないほどの熱波はアフリカのサハラ砂漠由来のもの。広大な砂漠の炎熱は、ヒマラヤ山脈由来の大気が日本に梅雨をもたらすように、地中海を超えてイタリアに流れ込み気象に大きな影響を及ぼす。よく知られているのは「シロッコ」。

熱風シロッコはイタリア半島に吹き付けて様々な障害を引き起こすが、最も深刻なのは水の都ベニスへの影響シロッコは秋から春にかけてベニスの海の潮を巻き上げて押し寄せ、街を水浸しにする。ベニス水没の原因の一つは実はシロッコなのである。

48,8℃を記録した今回の異様な気象は、アフリカ起源の炎熱もさることながら地球温暖化の影響が大きいと見られている。

シチリア島では熱波と空気乾燥で広範囲に山火事が起きた。

シチリア島に近いイタリア本土最南端のカラブリア州と、ティレニア海に浮かぶサルデーニャ島でも山林火災が発生し緊急事態になっている。

同じ原因での大規模火災は、ギリシャやキプロス島など、地中海のいたるところでも連続して起きている。

熱波と乾燥と山火事がセットになった「異様な夏」は、もはや異様とは呼べないほど“普通”になりつつあるが、山火事に関してはイタリア特有の鬱陶しい現実もある。

経済的に貧しい南部地域に巣くうマフィアやンドランゲッタなどの犯罪組織が、人々を脅したり土地を盗んだりするために、わざと山に火を点けるケースも多々あると見られているのだ。

イタリアは天災に加えて、いつもながらの人災も猖獗して相変わらず騒々しい。

偶然だが、ことし6月から7月初めにかけての2週間、いま山火事に苦しんでいるカラブリア州に滞在した。

その頃も既に暑く、昼食後はビーチに出るのが億劫なほどに気温が上がった。

夕方6時頃になってようやく空気が少し落ち着くというふうだった。

それでもビーチの砂は燃えるほどに熱く、裸足では歩けなかった。

人々の話では普段よりもずと暑い初夏ということだった。今から思うとあの暑さが現在の高温と山火事の前兆だったようだ。

北イタリアの僕の菜園でもずっと前から異変は起きていた。

4月初めに種をまいたチンゲン菜とサントー白菜が芽吹いたのはいいが、あっという間に成長して花が咲いた。

花を咲かせつつ茎や葉が大きくなる、と形容したいほどの速さだった。

チンゲン菜もサントー白菜も収穫できないままに熟成しきって、結局食べることができなかった。

温暖化が進む巷では、気温が上昇する一方で冷夏や極端に寒い冬もあったりして、困惑することも多い。

だが菜園では野菜たちが異様に早い速度で大きくなったり、花を咲かせて枯れたり、逆に長く生き続けるものがあったりと、気温上昇が原因と見られる現象が間断なく起きている。

自然は、そして野菜たちは、確実に上がり続けている平均気温を「明確」に感じているようだ。

だがいかなる法則が彼らの成長パターンを支配しているかは、僕には今のところは全くわからない。

今回のイタリアの酷暑は、バカンスが最高に盛り上がる8月15日のフェラゴスト(聖母被昇天祭)まで続き、その後は徐々にゆるむというのが気象予報だ。

だがいうまでもなくそれは、温暖化の終焉を意味しない。

それどころか、暑さはぶり返して居座り、気温の高い秋をもたらす可能性も大いにありそうである。




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手のかからない野菜の王様

ラデッシュ味噌漬けヒキ650
             ラディッシュの味噌漬け

菜園をたがやしてわかったことはたくさんあるが、作りやすい野菜と育てるのが難しい野菜がある、ということもそのひとつである。

そんなことはあたり前だと思っていたが、じつはそれはどこかで読んだり聞いたりしたことで、自分で本当に野菜の種の選択や芽の成長過程などにかかわってみないかぎり、具体的にはわからないものだと気づいた。

作りやすい野菜とは、僕の場合はおよそ次のようなことである。

種が早く、そして多く芽ぶく(つまりムダな種が少ない)。

萌えた芽の成長が早い。

水遣りや肥料がいらないか、最小限で済む。

病気になりにくい。

日照りや風や寒さに強い。など、など。

また地域によって異なる土質に適応しやすい。

土地の気候に順応しやすい。

などの人の力では変えられない条件に適合することも重要だろうが、そうした点はあまり気にかけなくてもいいようだ。

それというのも市販されている種子や苗は、種苗メーカーが長い間の経験で取捨していて、たとえば起源が南国の野菜でも寒い北イタリアで十分に育つ、など品種改良がなされている。

逆に作りにくい野菜とは、上記とは逆の性質を持つもののことである。

10年あまりにわたって野菜を作った中で、僕がもっとも作りやすいと思うのは、なんといってもラディッシュと春菊である。

どちらも種をまき散らしておけば確実に芽ぶき、成長も早い。水遣りも少なくて済む。また追肥もいらない。

ラディッシュは欧州で盛んに栽培される。

春菊はここにはないので日本から種を持ち込む。

ラディッシュはサラダで食べるのが主流だが、煮たり焼いたり漬物にしたりもできる。

僕はほぼ大根と同じとらえ方で扱い調理する。

冒頭の写真は収穫したばかりのラデッシュを葉とともに味噌をまぶして半日ほど漬け込んだもの。

イタリア人の友人らにも好評な一皿だ。

一方春菊は、自分で作ってはじめて生食できることを知った。新芽あるいは若芽を刈ってサラダにするのだ。

みずみずしく香りもまろやか。きわめて美味だ。

かつては僕にとって春菊とは、においのきつい、鍋に入れることが多い、個性の強烈な野菜のことだった。

が、菜園で栽培して初めて、新芽がにおいも味もたおやかで上品な野菜だと知った。

春菊の新芽のサラダを食べるのは、菜園をたがやす者の特権だとひとり合点しているが、実際はどうなのだろうか。

ラディッシュも春菊も、春浅い時期に種をまいてもよく芽ぶく。成長があきれるほどに早く、数週間から遅くても1ヵ月ほどで食べごろになる。

ラディッシュは一度収穫したらそれで終わりだが、春菊は切り取った茎からまた芽が出てくるので何度も収穫できる。

新芽を食べつづければ夏の間ずっと楽しめる。

春菊はサラダ以外に、野菜炒めに加えたり、豆腐と煮たり、白和えにしたりもする。

だがここイタリアで食べるかぎり、他のサラダ菜とまじえる生食がほとんどである。

その場合はわが家の鉄則で、オリーブ油と醤油だけで和える。




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コロナ忙中の閑


650植苗ヒキ


イタリアが世界最悪の新型コロナ被害地だった頃から今日にかけて、心穏やかでいたつもりだが、やはりCovid-19の悪影響から完全に自由ではいられなかったらしい。

その痕跡は、ここまでテーマを新型コロナ一色に絞って書き綴って来たブログ記事や、コラムその他の文章の内容に如実に示されている。

加えて、移動規制が緩和された今でさえ、外出をひどく億劫に感じたりするのも、おそらくコロナの障りに違いない。

菜園管理にも悪影響が出た。例年3月始めころに果菜類を主体にプランターで育苗をして、4月に直播きの野菜と前後して菜園に移植するが、ことしはまったく育苗をする気になれなかった。

それでも小さな畑に耕運機を入れて土起こしだけはやった。その後、4月も終わりになった頃に、菜園のかなりの部分にサラダ用野菜の混合種をびっしりと蒔いた。

野菜が隙間なく生い茂れば、一部を収穫して普通にサラダとして食べ、残りは雑草の抑えとしてそのまま茂るにまかせるつもりだった。

菜園では、農薬も化学肥料も使わない有機栽培を実行していて、雑草が繁茂し虫が多く湧く。雑草には特に苦労している。

そのせいもあって、以前から生食用の野菜を一面に育てて雑草の邪魔ができないか、と考えていた。それが土にどんな影響を与えるかは知らないが、ことしとうとう実行してみた。

5月になるとミックスサラダの新芽が生い茂った。雑草の害も明らかに少ない。気をよくしつつ一部を収穫して食べるうちに、ふつうに菜園管理への意欲がわいてきた。

先日、苗屋に行ってみた。人々はロックダウン中もきちんと仕事をしていて、りっぱな苗が育っていた。ロックダウンのため店は半ば閉まっているが、訪ねてくる客には販売もしているという。早速トマト、ピーマン、ナス、ズッキーニ、胡瓜、また少しのハーブ苗を購入した。

ことしは毎年自分で育苗をするトマトも育てなかったので、夏以降に行うトマトソース作りも中止、と考えていた。それだけに苗屋で新芽を手に入れられたのは嬉しかった。トマトソースは毎年大量に作って友人らにも裾分けするのが僕の習いだ。

トマトは購入した苗に加えて、昨年の落実から菜園で自然に芽吹いた苗も育ててみることにした。両方がうまく育てば、結局いつもの年よりも多目のトマトソースができることになるだろう。

ところで日本人の中には、トマトソースをイタリア料理の基本と考える人もいるようだが、それは誤解である。イタリア料理では確かにパスタやピザや煮込みなどにトマトソースがよく使われる。

とはいうものの、トマトソースはイタメシの基本でもなければ主体でもない。あくまでも料理素材の一部に過ぎない。

もっとも僕はトマトソースに塩、胡椒のみを加えて、そのまま煮ただけでも美味しいと感じる。そのため他の食材に加えて料理をするばかりではなく、ソースそのものもふつう以上によく食べるけれど。

菜園では、いたるところに蒔いたサラダが生い茂ったおかげで、いつもよりもあきらかに雑草が少ない。今後は毎年同じことをやってみようかとも考えている。

それをやれば連作障害が起きる懸念がある。が、しつこくて始末に困るある種の雑草の成長をブロックできるなら、それでも構わないのではないか、とも思う。実際のところはどうなのだろうか。




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「いつもの」異常気象がやってくるか



6月1日、2019年の北イタリアにようやく春が来た。

菜園爆発壁込みヒキ600


4月、5月と今年も寒く、春はどこにも見えなかった。

菜園の野菜たちも小さく縮こまって、ほぼ成長が止まった状態の2ヶ月だった。

菜園爆発ヒキ北600


今日は6月4日。日差しが強く気温がぐんぐん上がって4日目である。

このまま夏に突入ということはなく、冷える日もまた来るだろうが、それは夏に向けての自然の準備体操。

時間とともに空気が温まり、やがて夏真っ盛りとなる。

菜園爆発ラディシュ引き600


菜園の野菜たちは、冷温の終わりを察知したのだろう、「目に見えて」と表現しても過言ではない勢いで背伸びを始めた。

ここから8月までの3ヶ月間は、菜園のおいしい野菜たちが食べごろのまま推移する。

運が良ければ9月も。さらに運が良ければ、つまり異常気象になれば、10月もおいしい野菜が食べられる可能性がある。

Rapanelliヨリ600


そうなった場合、果たしてそれを異常気象と呼んでいいのだろうか。。

菜園の野菜だけに関して言えば、それは異常気象ではなく「良い気象」である。

そんな季節が実はもう毎年のようにあらわれている。異常気象という言葉はたぶんもう当たらない。

繰り返し書いてきたが、異常が通常になりつつあるのがわれわれが生きている今このときなのである。



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ことしも異常気象という名の春の詐欺師がやってきた 



悪天候サルでニア ツイッター:3B Neteo
サルデニア島の水害:3Bメテオ


動画を伴ったトルコの大洪水のニュースが世界を駆け巡っている。

昨年の今頃、僕の住む北イタリアは冷害に見舞われてブドウ園に大きな被害が出た。

その前には、前年から続く水不足が農作物に打撃を与えていた。そこにふってわいた気温低下で、農家はまさに泣きっ面に蜂の不運に見舞われたのだった。

それはいわゆる異常気象だった。今年は割と普通に季節が動いていて、僕の周りの農家は笑顔でいる。

それは僕の菜園にもてきめんにあらわれていて、サラダ菜などが順調に発育。3日ほど前からおいしい野菜を食べ始めている。

4月から6月の間の北イタリアの季節変化は予測ができない。したがってこの先悪天候が襲って農作物や僕の小さな菜園を破壊するかもしれない。

その兆候は今年はすでに地中海のサルデニア島で起きた。数日前から島は悪天候に見舞われて洪水や暴風に苦しんでいる。

それは中部から南部イタリアにも上陸。サルデニア島ほどではないが、やはり風水害を引き起こしている。

悪天候は北イタリアにも及ぶ可能性がある、と気象庁は予測しているが、今日ここまでのところは僕の住む一帯には被害は出ていない。

風は強くなく、雨は慈雨と呼ぶほうが適切な勢いで降るのみである。だがそれらが暴風雨になって牙をむかないとは誰にもいえない。。。


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大地の出産



800チョイあくび



僕が菜園を始めたのは、南アルプスに川釣りに行って、左肩だっきゅうと打撲で全治1ヶ月余の大ケガをしたのがきっかけである。

僕は釣りが好きだ。かつては海釣り一辺倒だったが、海まで遠いイタリアの内陸部に居を構えてからは、近場の湖や川での釣りも覚えた。

その時は森林監視官で秘密の釣り場を多く知っているイタリア人の友人と2人で出かけた。クマも出没する2千メートル近い山中である。

険しく、緑深い絶景が連なる清流を上るうちに、なんでもない岩に足を取られて転倒した。肩に激痛が走って僕は一瞬気を失い、身動きができなくなった。

救急ヘリを呼ぼうにも携帯電話は圏外で不通。たとえ飛んできても、木々が鬱蒼と茂る深い谷底である。救助は無理に違いない。

100則包帯アメリカン縦その後1ヵ月余り、僕は酷暑の中で上半身をぐるぐると包帯で固められて呻吟した。その途中で退屈まぎれに右手ひとつで土を掘り起こし野菜作りを始めたのだった。


野菜作りはおいしい食料の獲得、という実利以外にも多くのことを教え、気づかせてくれる。

種をまいた後は何もしなくても、大地は最小限の野菜を勝手にはぐくんでくれる、という驚愕の事実に気づいたのも菜園のおかげだ。

季節の変化に敏感になり、野菜たちの成長や死滅に大きくかかわる気候変動に一喜一憂し、育児のごとく世話を焼く。

もっとも感動的なのは、土中で種から起きた芽が、背伸びをし肩を怒らせてはせりあがり、「懸命に」土を割って表に出てくる瞬間だ。

それは大地の出産である。いつ見ても劇的な光景だ。

出産できない男がそこに感服するのは、おそらく無意識のうちに「分娩の疑似体験」めいたものを感じているからではないか、と思う。

自ら耕やし、種をはぐくむ過程が、仮想的な胚胎の環境を醸成して、男をあたかも女にする。そして男は大地とひとつになって野菜という子供を生むのである。

それはいうまでもなく「生みの苦しみ」を伴わない出産である。苦しみどころか生みの喜びだけがある分娩だ。だが楽で面白い出産行為も出産には違いない。

一方、女性も菜園の中では「命の起こりの奇跡」を再び、再三、繰り返し実体験する。真の出産の辛さを知る女性は、もしかすると苦痛を伴わないその仕事を男よりもさらに楽しむのかもしれない。

菜園ではそうやって男も女も大地の出産に立ち会い合流する。野菜作りは実利に加えて人生の深い意味も教えてくれる作業だ。少なくともそんな錯覚さえも与えてくれる歓喜なのである。

菜園のオモチャ


800耕運機バック


僕の菜園は30坪に足りないほどの広さに過ぎないが、手作業での土掘りの辛さに負けて、2年前に耕運機を導入した。

僕が知る限り、ここイタリア製の耕運機の中では最小型のマシンである。

サイズ的には管理機あるいはテーラーなどと呼ぶべきかもしれない。

だが、ロータリー刃が回転してひたすら土を耕すだけの機械だから、やはり耕運機というのが正しいように思う。

菜園はもとは花壇だった場所。細長い土地が□状につながった形なので、もっと小さな耕運機が便利かと思ったのだけれど、実は逆である。

端から端へ何度も往復しなければならず、大仕事だ。次回は少し大きめのものを購入して、一度に鋤く面積を増やして楽をするつもり。

野菜作りも面白いが耕運機での作業も愉快だ。

僕の機械はチビなのにずしりと重く、黙っていてもぐいぐいと深く潜って土を掘り起こし、撹拌していく姿が頼もしい。

作業機でもあり、僕のオモチャでもあるのが耕運機である。

一般に欧州の機械や道具は便利で武骨、というのが多い。僕のこの小さな機器も同じ。

ところが農作業用の道具なのに、イタリアらしく少しシャレた感じもあって、ヘンなところがますます気に入っている。

この冬最後の土起こしは昨年12月9日だった。

この先、2月終わり~3月初め頃に堆肥を撒き(敷き詰め)、再び耕運機で耕し土に埋め込む。その後種まき、苗植えという手順。

友人らから聞いて適当にやっているので、専門家から見るとおかしいところもあるかもしれないが、この方法で結構うまく野菜を育てている。


漁師の命と百姓の政治



2017年10月末収穫の作物800pic
種まき、少しの水遣りの後、放っておいた野菜たち(2017年10月末収穫)


菜園を耕して分かったことの一つは、野菜は土が育ててくれる、という真理である。

土作りを怠らず、草を摘み、水や肥料を与え、虫を駆除し、風雪から保護するなどして働きつづければ、作物は大きく育ち収穫は飛躍的に伸びる。

しかし、種をまいてあとは放っておいても、大地は最小限の作物を育ててくれるのである。

百姓はそうやって自然の恵みを受け、恵みを食べて命をつなぐ。百姓は大地に命を守られている。

大地が働いてくれる分、百姓には時間の余裕がある。余った時間に百姓は三々五々集まる。するとそこには政治が生まれる。

1人では政治はできない。2人でも政治は生まれない。2人の男は殺し合うか助け合うだけだ。

百姓が3人以上集まると、そこに政治が動き出し人事が発生する。政治は原初、百姓のものだった。政治家の多くが今も百姓面をしているのは、おそらく偶然ではないのである。

漁師の生は百姓とは違う。漁師は日常的に命を賭して生きる糧を得る。

漁師は船で漁に出る。近場に魚がいなければ彼は沖に漕ぎ進める。そこも不漁なら彼はさらに沖合いを目指す。

彼は家族の空腹をいやすために、魚影を探してひたすら遠くに船を動かす。

ふいに嵐や突風や大波が襲う。逃げ遅れた漁師はそこで命を落とす。

古来、海の男たちはそうやって死と隣り合わせの生業で家族を養い、実際に死んでいった。彼らの心情が、土とともに暮らす百姓よりもすさみ、且つ刹那的になりがちなのはそれが理由である。

船底の板1枚を経ただけの地獄と格闘する、漁師の生き様は劇的である。劇的なものは歌になりやすい。演歌のテーマが往々にして漁師であるのは、故なきことではない。

現代の漁師は馬力のある高速船を手にしたがる。格好つけや美意識のためではない。沖で危険が迫ったとき、一目散に港に逃げ帰るためである。

また高速船には他者を出し抜いて速く漁場に着いて、漁獲高を伸ばす、という効用もある。

そうやって現代の漁師の生は死から少し遠ざかり、欲が少し増して昔風の「荒ぶる純朴な生き様」は薄れた。

水産業全体が「獲る漁業」から養殖中心の「育てる漁業」に変貌しつつあることも、往時の漁師の流儀が廃れる原因になった。

今日の漁師の仕事の多くは、近海に定位置を確保してそこで「獲物を育てる」漁法に変わった。百姓が田畑で働く姿に似てきたのだ。

それでも漁師の歌は作られる。北海の嵐に向かって漕ぎ出す漁師の生き様は、男の冒険心をくすぐって止まない。

人の想像力がある限り、演歌の中の荒ぶる漁師は永遠なのである。




異常気象と遺伝子

搾り出されるトマトヨリ1800pic
夏恒例のトマトソース作り


異常気象、といっても異常が通常になっていて、もはやあまり意味をなさない。だがイタリアでは今年は、水不足と暑さのせいなのか野菜の成長が急激で、サラダ菜などは7月中に花が咲いたり、老いて硬くなったり、枯れたりしてほとんど食べられないものが多くあった。

トマトの出来も良くなかった。主茎も側枝 も大きく育って木のようになったにもかかわらず、実があまり成らなかったのだ。それでも7月19日に第一回目の収穫をした。昨年に比べると10日ほど早かった。実の数は少ないが成長が早かった、ということだ。その後、どちらもひどく少ない量だがさらに2回トマトソース作りをした。

ここ北イタリアは3月以降は極端な少雨で4月、5月は冷えた。6月になると相変わらず少雨ながら日差しは強かった。おかげで野菜の成長は早くなった。7月に入ると気温が高くなり野菜はますます良く育った。雨もテンポラーレ(強風を伴う雷雨)が適度に襲って結構降った。

ところがその時期、北イタリアの一部を除くイタリアの大部分は雨がほとんど降らず、旱魃に見舞われていた。ローマでは給水制限が検討されるほど事態は深刻だった。

不思議に思うのは、4月~5月の寒さを除いて、ここ北イタリアのロンバルディア州一帯では結構な日差しと降雨があったにもかかわらず、つまり割りと通常の天候であったにもかかわらず、野菜の成長が異常に早かったという点である。

イタリア半島全体が暑さと水不足になることを察知して、野菜の多くは自ら成長を早めて花を咲かせ種を実らせたのではないか、と思ったりしている。

今夏よりも日差しが強く、日照時間も長く、且つ暑いイタリアの夏は過去に何度もあった。当年が過去と違うのは、3月~6月の間に雨がほとんど降らなかったことだ。今年は過去60年間で2番目に乾いた春期だったのである。

奇態な春の気象状況は夏になってもそのまま続き、北イタリアの一部を除くイタリア半島は高温と旱魃に苦しんだ。水不足は農作物を直撃して大きな損害をもたらした。飲料水にまで影響が出て、首都ローマは給水制限にまでは至らなかったものの、噴水や水飲み場の閉鎖を強いられた。

僕は小さな菜園に多種類の野菜を少量づつ作って、多彩な生態を楽しみ多様な味をエンジョイしている。もとよりそれは趣味の域を出ず、野菜たちの世話も時間があまりない関係で十分と言うには程遠いものだが、おかげで季節変化や天気の動きに以前よりも敏感になった。

いくつかの野菜の今年の奇妙な成長振りを見てふと思った。もしかするとそれらの植物は、春から夏に至る季節の乾きをなんらかの途方で事前に悟って、子孫を残すため、つまり種の保存のために、速く成長し花を付けて種子を得ようとするのではないか。

それが事実ならその途方とは、要するに遺伝子である。遺伝子には子孫を残そうとする強制力がある。子孫を残そうとしない生物はたちまち淘汰され絶滅するからだ。野菜たちは意思や原因や目的とは全く関係なく、今年は遺伝子の働きで急いで種(たね)を作ろうとした。。。

ということは、野菜には意思はないが、遺伝子にはそれに近い何かがある、という結論になる。今現在そこに存在している生物とは、子孫を残そうとする遺伝子を持つ生物、のことである。そこには機械的なプログラムが存在しているだけだ。自然の摂理と言ってもいい。

だが、この先の乾き(水不足)を感知して今年は速く成長しよう、と遺伝子がはたらきかけたのであれば、それは遺伝子の意思とも呼べるべきものである。子孫を残そうとする通常の機械的なプログラミングに加えて、遺伝子には特殊状況に対応する意思や手段も備わっている。

という具合に考える先から、それはおかしい、とも僕はまた考えた。遺伝子にそのような力があるならば、全ての生物(の遺伝子)が「先の危険」を予測し、それを避けようとして何らかの方策を企てるのではないか。僕の菜園の野菜たちが種を残すために急速に成長したように。

その思考過程を経て僕はまたあらたな発見をした。つまり今年は多くの農作物が水不足でいびつな育ち方をしたり、結実しなかったり、果ては枯れたりしたが、実はそうした弊害は、それらの作物が僕の菜園の野菜同様に「急激に成長しようとした結果」もたらされた毀損なのではないか、と。

それならば作物の不作は、来年の豊作へ向けての準備段階、という考え方もできる。つまり不作は豊作の予兆。従って喜ぶべきこと、と捉えられないこともない。こんなことを口にすれば、耕作で生計を立てている農家から「オチャラケを言うな。俺たちにとっては今年の不作、つまり生活が破壊される現実だけが問題だ」と憤慨されるだろうが。。。

楽しみと同時に、いろいろなことに気づかせてくれるのが菜園である。





「テンポラーレ祭り」のあとの寂しさ



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強風になぎ倒された庭のレモンの大鉢


2017年8月10日午後、朝からの薄い曇り空ににわかに黒雲が湧き起こって風が吹きつけ、巨大な雹が叩きつけるように降り注いだ。

イタリアの夏の風物詩テンポラーレ(雷雨を伴う強烈な夕立、あるいは豆台風、あるいは野分)である。雹を伴うと農作物に甚大な被害をもたらす。

短い間に大量に降りなぐった雹は、未収穫のブドウのほぼ4割を破壊したと見られる。農家にとっては4月の冷害に続く災難である。救いは全体の半分以上がすでに収穫済みだったことだ。

例によって僕の菜園の野菜たちも手ひどい暴力にさらされた。トマトが半死、白菜とキャベツが恐らく全滅。不断草がきついダメージ。あまり結実はしていないものの、ナスとピーマンも破壊された。

白菜とキャベツは、カリフラワーとブロッコリともども、冬に向けての収穫が楽しみの種だった。雹のあまりの攻撃でたぶん巻いて結球することなく終わるだろう。残念無念。

壁際の円形鉢でよく育っていた大葉はかろうじて救われた。週末にオーストリアから訪れる友人夫婦に、天ぷらにしてご馳走する計画だからよかった。その分はなんとかなりそうだ。

トマトもなんとか助かった。生き延びた分を早めに収穫してソースを作ろうと思う。実は今年はすでに2回トマトソース作りをした。不作で2回とも量は少なかった。

次の3回目もたいした量にはならないだろう。豊作だった去年とはえらい違いだ。具体的に言えば今年は、昨年の3分の一程度のソースしかできない見込み。

少しさびしいトマトソース作りは、原料の少なさに加えて、外野からあれこれチャチを入れたり写真撮影をしたりする妻が、今年は母親の介護で留守だったことも原因の一つ。

それにしても、今夏イタリアを襲っている異様な暑気と旱魃は、実は北イタリアの特にわが家のあるロンバルディア州の一角では、ほとんど実感されていない。

昨日のすさまじい雹嵐ほどではないものの、テンポラーレ(雷雨を伴う強烈な夕立、あるいは豆台風、あるいは野分)が適度な頻度で襲って雨を降らせ、暑気を吹き散らしてくれたのだ。

アルプスと向き合う北イタリアと、アフリカに対面する南イタリアが一国を構成するこの地では、経済格差に加えて環境格差もまた南北問題を作り出している、とも考えられる。



イタリアの春から初夏の気候はやっぱり詐欺師だ


山並み稲妻



2017年7月2日。

短パンに靴下、ビロード風の長袖シャツという格好で居間のソファでテレビを見ていると、開け放した窓から吹き込む風が冷たく、我慢できずに窓を閉めた。

短パンに厚手の長袖シャツというおかしな格好でいたのは、毎日がおかしな天候だからである。

5月4日、僕はこのブログに:

4月になって、暖かいというよりも暑いくらいの陽気になった北イタリアは、このまま夏に突入かとさえ見えた。

ところが4月半ばの復活祭(伊語:パスクア 英語:イースター)直後から冬が舞い戻ったような寒さがやってきた。

今日5月4日も、気温が下がった当初から数日前までの、本気モードの寒さほどではないものの、けっこう冷える。

と書いた

その後、季節は徐々に進行して6月20日過ぎまで暖かみが増していった。

6月22,23,24日ころは盛夏の暑さが思いやられるほどに気温が上昇した。

特に6月24日(土)の暑さはひどかった。僕らはその日友人3夫婦を招んで庭でBBQをした。

BBQがメインで、前菜代わりに氷に乗せた刺身をふるまった。

そうしながら僕はBBQも進めていたのだが、夜8時を過ぎても異常に暑く、僕はその日のイベントを後悔したほどだ。

ところが翌日の日曜日は一転して豪雨を伴う嵐に見舞われた。

雷とともに吹き付ける風はテンポラーレ。僕が勝手に「豆台風」と呼んでいる強烈な夕立、あるいは野分(のわき)。

夏の終わりに吹くのが普通だが、最近は今回のように夏の初めや途中でも吹くことが多い。

気象変動は確実にそこにあるのだ。

豆台風は庭の大鉢に植えられたレモンの木を鉢ごとなぎ倒した。

壁に這うバラの木々の枝の多くも千切り飛ばした。

雨は農家には慈雨になったが、降雨量が多すぎて洪水や土砂崩れなどの被害ももたらした。

その豆台風は涼を通り越して寒の空気も運んできた。

さすがに4月半ばの寒さにはならないものの、空気は日中でも風が吹くとひんやりとしている。

以後、雨も断続的に降り続いて今日(7月2日)になった。

それらの変動は北イタリアのみの状況である。

イタリア半島の南半分とシチリア及びサルデニアの島嶼部は、雨が降らず旱魃になっている。

イタリアの気候は南北真っ二つに分断されているのだ。

しかし、その分断はどうやら解消されそうな気配。

この先しばらくはイタリア南部にもテンポラーレが襲って雨も期待されている。

7月、8月は例年よりも暑くなりそうだが、どうなることやら。

今年は6月にいつものように休暇を取って旅に出ることができなかった。

すこし悔しい。





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