【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

菜園歳時記

イタリアが燃えている


山火事キプロス650

イタリアは文字通り燃えるほどの猛暑に見舞われている。

南部のシチリア島では811日、欧州の最高気温となる48,8℃を記録した。それまでの欧州記録は1977年ギリシャのアテネで観測された48℃。

なお、1999年に今回と同じシチリア島で48,5℃が観測されたが、それは公式の記録としては認められていない。

欧州とは思えないほどの熱波はアフリカのサハラ砂漠由来のもの。広大な砂漠の炎熱は、ヒマラヤ山脈由来の大気が日本に梅雨をもたらすように、地中海を超えてイタリアに流れ込み気象に大きな影響を及ぼす。よく知られているのは「シロッコ」。

熱風シロッコはイタリア半島に吹き付けて様々な障害を引き起こすが、最も深刻なのは水の都ベニスへの影響シロッコは秋から春にかけてベニスの海の潮を巻き上げて押し寄せ、街を水浸しにする。ベニス水没の原因の一つは実はシロッコなのである。

48,8℃を記録した今回の異様な気象は、アフリカ起源の炎熱もさることながら地球温暖化の影響が大きいと見られている。

シチリア島では熱波と空気乾燥で広範囲に山火事が起きた。

シチリア島に近いイタリア本土最南端のカラブリア州と、ティレニア海に浮かぶサルデーニャ島でも山林火災が発生し緊急事態になっている。

同じ原因での大規模火災は、ギリシャやキプロス島など、地中海のいたるところでも連続して起きている。

熱波と乾燥と山火事がセットになった「異様な夏」は、もはや異様とは呼べないほど“普通”になりつつあるが、山火事に関してはイタリア特有の鬱陶しい現実もある。

経済的に貧しい南部地域に巣くうマフィアやンドランゲッタなどの犯罪組織が、人々を脅したり土地を盗んだりするために、わざと山に火を点けるケースも多々あると見られているのだ。

イタリアは天災に加えて、いつもながらの人災も猖獗して相変わらず騒々しい。

偶然だが、ことし6月から7月初めにかけての2週間、いま山火事に苦しんでいるカラブリア州に滞在した。

その頃も既に暑く、昼食後はビーチに出るのが億劫なほどに気温が上がった。

夕方6時頃になってようやく空気が少し落ち着くというふうだった。

それでもビーチの砂は燃えるほどに熱く、裸足では歩けなかった。

人々の話では普段よりもずと暑い初夏ということだった。今から思うとあの暑さが現在の高温と山火事の前兆だったようだ。

北イタリアの僕の菜園でもずっと前から異変は起きていた。

4月初めに種をまいたチンゲン菜とサントー白菜が芽吹いたのはいいが、あっという間に成長して花が咲いた。

花を咲かせつつ茎や葉が大きくなる、と形容したいほどの速さだった。

チンゲン菜もサントー白菜も収穫できないままに熟成しきって、結局食べることができなかった。

温暖化が進む巷では、気温が上昇する一方で冷夏や極端に寒い冬もあったりして、困惑することも多い。

だが菜園では野菜たちが異様に早い速度で大きくなったり、花を咲かせて枯れたり、逆に長く生き続けるものがあったりと、気温上昇が原因と見られる現象が間断なく起きている。

自然は、そして野菜たちは、確実に上がり続けている平均気温を「明確」に感じているようだ。

だがいかなる法則が彼らの成長パターンを支配しているかは、僕には今のところは全くわからない。

今回のイタリアの酷暑は、バカンスが最高に盛り上がる8月15日のフェラゴスト(聖母被昇天祭)まで続き、その後は徐々にゆるむというのが気象予報だ。

だがいうまでもなくそれは、温暖化の終焉を意味しない。

それどころか、暑さはぶり返して居座り、気温の高い秋をもたらす可能性も大いにありそうである。




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手のかからない野菜の王様

ラデッシュ味噌漬けヒキ650
             ラディッシュの味噌漬け

菜園をたがやしてわかったことはたくさんあるが、作りやすい野菜と育てるのが難しい野菜がある、ということもそのひとつである。

そんなことはあたり前だと思っていたが、じつはそれはどこかで読んだり聞いたりしたことで、自分で本当に野菜の種の選択や芽の成長過程などにかかわってみないかぎり、具体的にはわからないものだと気づいた。

作りやすい野菜とは、僕の場合はおよそ次のようなことである。

種が早く、そして多く芽ぶく(つまりムダな種が少ない)。

萌えた芽の成長が早い。

水遣りや肥料がいらないか、最小限で済む。

病気になりにくい。

日照りや風や寒さに強い。など、など。

また地域によって異なる土質に適応しやすい。

土地の気候に順応しやすい。

などの人の力では変えられない条件に適合することも重要だろうが、そうした点はあまり気にかけなくてもいいようだ。

それというのも市販されている種子や苗は、種苗メーカーが長い間の経験で取捨していて、たとえば起源が南国の野菜でも寒い北イタリアで十分に育つ、など品種改良がなされている。

逆に作りにくい野菜とは、上記とは逆の性質を持つもののことである。

10年あまりにわたって野菜を作った中で、僕がもっとも作りやすいと思うのは、なんといってもラディッシュと春菊である。

どちらも種をまき散らしておけば確実に芽ぶき、成長も早い。水遣りも少なくて済む。また追肥もいらない。

ラディッシュは欧州で盛んに栽培される。

春菊はここにはないので日本から種を持ち込む。

ラディッシュはサラダで食べるのが主流だが、煮たり焼いたり漬物にしたりもできる。

僕はほぼ大根と同じとらえ方で扱い調理する。

冒頭の写真は収穫したばかりのラデッシュを葉とともに味噌をまぶして半日ほど漬け込んだもの。

イタリア人の友人らにも好評な一皿だ。

一方春菊は、自分で作ってはじめて生食できることを知った。新芽あるいは若芽を刈ってサラダにするのだ。

みずみずしく香りもまろやか。きわめて美味だ。

かつては僕にとって春菊とは、においのきつい、鍋に入れることが多い、個性の強烈な野菜のことだった。

が、菜園で栽培して初めて、新芽がにおいも味もたおやかで上品な野菜だと知った。

春菊の新芽のサラダを食べるのは、菜園をたがやす者の特権だとひとり合点しているが、実際はどうなのだろうか。

ラディッシュも春菊も、春浅い時期に種をまいてもよく芽ぶく。成長があきれるほどに早く、数週間から遅くても1ヵ月ほどで食べごろになる。

ラディッシュは一度収穫したらそれで終わりだが、春菊は切り取った茎からまた芽が出てくるので何度も収穫できる。

新芽を食べつづければ夏の間ずっと楽しめる。

春菊はサラダ以外に、野菜炒めに加えたり、豆腐と煮たり、白和えにしたりもする。

だがここイタリアで食べるかぎり、他のサラダ菜とまじえる生食がほとんどである。

その場合はわが家の鉄則で、オリーブ油と醤油だけで和える。




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コロナ忙中の閑


650植苗ヒキ


イタリアが世界最悪の新型コロナ被害地だった頃から今日にかけて、心穏やかでいたつもりだが、やはりCovid-19の悪影響から完全に自由ではいられなかったらしい。

その痕跡は、ここまでテーマを新型コロナ一色に絞って書き綴って来たブログ記事や、コラムその他の文章の内容に如実に示されている。

加えて、移動規制が緩和された今でさえ、外出をひどく億劫に感じたりするのも、おそらくコロナの障りに違いない。

菜園管理にも悪影響が出た。例年3月始めころに果菜類を主体にプランターで育苗をして、4月に直播きの野菜と前後して菜園に移植するが、ことしはまったく育苗をする気になれなかった。

それでも小さな畑に耕運機を入れて土起こしだけはやった。その後、4月も終わりになった頃に、菜園のかなりの部分にサラダ用野菜の混合種をびっしりと蒔いた。

野菜が隙間なく生い茂れば、一部を収穫して普通にサラダとして食べ、残りは雑草の抑えとしてそのまま茂るにまかせるつもりだった。

菜園では、農薬も化学肥料も使わない有機栽培を実行していて、雑草が繁茂し虫が多く湧く。雑草には特に苦労している。

そのせいもあって、以前から生食用の野菜を一面に育てて雑草の邪魔ができないか、と考えていた。それが土にどんな影響を与えるかは知らないが、ことしとうとう実行してみた。

5月になるとミックスサラダの新芽が生い茂った。雑草の害も明らかに少ない。気をよくしつつ一部を収穫して食べるうちに、ふつうに菜園管理への意欲がわいてきた。

先日、苗屋に行ってみた。人々はロックダウン中もきちんと仕事をしていて、りっぱな苗が育っていた。ロックダウンのため店は半ば閉まっているが、訪ねてくる客には販売もしているという。早速トマト、ピーマン、ナス、ズッキーニ、胡瓜、また少しのハーブ苗を購入した。

ことしは毎年自分で育苗をするトマトも育てなかったので、夏以降に行うトマトソース作りも中止、と考えていた。それだけに苗屋で新芽を手に入れられたのは嬉しかった。トマトソースは毎年大量に作って友人らにも裾分けするのが僕の習いだ。

トマトは購入した苗に加えて、昨年の落実から菜園で自然に芽吹いた苗も育ててみることにした。両方がうまく育てば、結局いつもの年よりも多目のトマトソースができることになるだろう。

ところで日本人の中には、トマトソースをイタリア料理の基本と考える人もいるようだが、それは誤解である。イタリア料理では確かにパスタやピザや煮込みなどにトマトソースがよく使われる。

とはいうものの、トマトソースはイタメシの基本でもなければ主体でもない。あくまでも料理素材の一部に過ぎない。

もっとも僕はトマトソースに塩、胡椒のみを加えて、そのまま煮ただけでも美味しいと感じる。そのため他の食材に加えて料理をするばかりではなく、ソースそのものもふつう以上によく食べるけれど。

菜園では、いたるところに蒔いたサラダが生い茂ったおかげで、いつもよりもあきらかに雑草が少ない。今後は毎年同じことをやってみようかとも考えている。

それをやれば連作障害が起きる懸念がある。が、しつこくて始末に困るある種の雑草の成長をブロックできるなら、それでも構わないのではないか、とも思う。実際のところはどうなのだろうか。




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「いつもの」異常気象がやってくるか



6月1日、2019年の北イタリアにようやく春が来た。

菜園爆発壁込みヒキ600


4月、5月と今年も寒く、春はどこにも見えなかった。

菜園の野菜たちも小さく縮こまって、ほぼ成長が止まった状態の2ヶ月だった。

菜園爆発ヒキ北600


今日は6月4日。日差しが強く気温がぐんぐん上がって4日目である。

このまま夏に突入ということはなく、冷える日もまた来るだろうが、それは夏に向けての自然の準備体操。

時間とともに空気が温まり、やがて夏真っ盛りとなる。

菜園爆発ラディシュ引き600


菜園の野菜たちは、冷温の終わりを察知したのだろう、「目に見えて」と表現しても過言ではない勢いで背伸びを始めた。

ここから8月までの3ヶ月間は、菜園のおいしい野菜たちが食べごろのまま推移する。

運が良ければ9月も。さらに運が良ければ、つまり異常気象になれば、10月もおいしい野菜が食べられる可能性がある。

Rapanelliヨリ600


そうなった場合、果たしてそれを異常気象と呼んでいいのだろうか。。

菜園の野菜だけに関して言えば、それは異常気象ではなく「良い気象」である。

そんな季節が実はもう毎年のようにあらわれている。異常気象という言葉はたぶんもう当たらない。

繰り返し書いてきたが、異常が通常になりつつあるのがわれわれが生きている今このときなのである。



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ことしも異常気象という名の春の詐欺師がやってきた 



悪天候サルでニア ツイッター:3B Neteo
サルデニア島の水害:3Bメテオ


動画を伴ったトルコの大洪水のニュースが世界を駆け巡っている。

昨年の今頃、僕の住む北イタリアは冷害に見舞われてブドウ園に大きな被害が出た。

その前には、前年から続く水不足が農作物に打撃を与えていた。そこにふってわいた気温低下で、農家はまさに泣きっ面に蜂の不運に見舞われたのだった。

それはいわゆる異常気象だった。今年は割と普通に季節が動いていて、僕の周りの農家は笑顔でいる。

それは僕の菜園にもてきめんにあらわれていて、サラダ菜などが順調に発育。3日ほど前からおいしい野菜を食べ始めている。

4月から6月の間の北イタリアの季節変化は予測ができない。したがってこの先悪天候が襲って農作物や僕の小さな菜園を破壊するかもしれない。

その兆候は今年はすでに地中海のサルデニア島で起きた。数日前から島は悪天候に見舞われて洪水や暴風に苦しんでいる。

それは中部から南部イタリアにも上陸。サルデニア島ほどではないが、やはり風水害を引き起こしている。

悪天候は北イタリアにも及ぶ可能性がある、と気象庁は予測しているが、今日ここまでのところは僕の住む一帯には被害は出ていない。

風は強くなく、雨は慈雨と呼ぶほうが適切な勢いで降るのみである。だがそれらが暴風雨になって牙をむかないとは誰にもいえない。。。


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大地の出産



800チョイあくび



僕が菜園を始めたのは、南アルプスに川釣りに行って、左肩だっきゅうと打撲で全治1ヶ月余の大ケガをしたのがきっかけである。

僕は釣りが好きだ。かつては海釣り一辺倒だったが、海まで遠いイタリアの内陸部に居を構えてからは、近場の湖や川での釣りも覚えた。

その時は森林監視官で秘密の釣り場を多く知っているイタリア人の友人と2人で出かけた。クマも出没する2千メートル近い山中である。

険しく、緑深い絶景が連なる清流を上るうちに、なんでもない岩に足を取られて転倒した。肩に激痛が走って僕は一瞬気を失い、身動きができなくなった。

救急ヘリを呼ぼうにも携帯電話は圏外で不通。たとえ飛んできても、木々が鬱蒼と茂る深い谷底である。救助は無理に違いない。

100則包帯アメリカン縦その後1ヵ月余り、僕は酷暑の中で上半身をぐるぐると包帯で固められて呻吟した。その途中で退屈まぎれに右手ひとつで土を掘り起こし野菜作りを始めたのだった。


野菜作りはおいしい食料の獲得、という実利以外にも多くのことを教え、気づかせてくれる。

種をまいた後は何もしなくても、大地は最小限の野菜を勝手にはぐくんでくれる、という驚愕の事実に気づいたのも菜園のおかげだ。

季節の変化に敏感になり、野菜たちの成長や死滅に大きくかかわる気候変動に一喜一憂し、育児のごとく世話を焼く。

もっとも感動的なのは、土中で種から起きた芽が、背伸びをし肩を怒らせてはせりあがり、「懸命に」土を割って表に出てくる瞬間だ。

それは大地の出産である。いつ見ても劇的な光景だ。

出産できない男がそこに感服するのは、おそらく無意識のうちに「分娩の疑似体験」めいたものを感じているからではないか、と思う。

自ら耕やし、種をはぐくむ過程が、仮想的な胚胎の環境を醸成して、男をあたかも女にする。そして男は大地とひとつになって野菜という子供を生むのである。

それはいうまでもなく「生みの苦しみ」を伴わない出産である。苦しみどころか生みの喜びだけがある分娩だ。だが楽で面白い出産行為も出産には違いない。

一方、女性も菜園の中では「命の起こりの奇跡」を再び、再三、繰り返し実体験する。真の出産の辛さを知る女性は、もしかすると苦痛を伴わないその仕事を男よりもさらに楽しむのかもしれない。

菜園ではそうやって男も女も大地の出産に立ち会い合流する。野菜作りは実利に加えて人生の深い意味も教えてくれる作業だ。少なくともそんな錯覚さえも与えてくれる歓喜なのである。

菜園のオモチャ


800耕運機バック


僕の菜園は30坪に足りないほどの広さに過ぎないが、手作業での土掘りの辛さに負けて、2年前に耕運機を導入した。

僕が知る限り、ここイタリア製の耕運機の中では最小型のマシンである。

サイズ的には管理機あるいはテーラーなどと呼ぶべきかもしれない。

だが、ロータリー刃が回転してひたすら土を耕すだけの機械だから、やはり耕運機というのが正しいように思う。

菜園はもとは花壇だった場所。細長い土地が□状につながった形なので、もっと小さな耕運機が便利かと思ったのだけれど、実は逆である。

端から端へ何度も往復しなければならず、大仕事だ。次回は少し大きめのものを購入して、一度に鋤く面積を増やして楽をするつもり。

野菜作りも面白いが耕運機での作業も愉快だ。

僕の機械はチビなのにずしりと重く、黙っていてもぐいぐいと深く潜って土を掘り起こし、撹拌していく姿が頼もしい。

作業機でもあり、僕のオモチャでもあるのが耕運機である。

一般に欧州の機械や道具は便利で武骨、というのが多い。僕のこの小さな機器も同じ。

ところが農作業用の道具なのに、イタリアらしく少しシャレた感じもあって、ヘンなところがますます気に入っている。

この冬最後の土起こしは昨年12月9日だった。

この先、2月終わり~3月初め頃に堆肥を撒き(敷き詰め)、再び耕運機で耕し土に埋め込む。その後種まき、苗植えという手順。

友人らから聞いて適当にやっているので、専門家から見るとおかしいところもあるかもしれないが、この方法で結構うまく野菜を育てている。


漁師の命と百姓の政治



2017年10月末収穫の作物800pic
種まき、少しの水遣りの後、放っておいた野菜たち(2017年10月末収穫)


菜園を耕して分かったことの一つは、野菜は土が育ててくれる、という真理である。

土作りを怠らず、草を摘み、水や肥料を与え、虫を駆除し、風雪から保護するなどして働きつづければ、作物は大きく育ち収穫は飛躍的に伸びる。

しかし、種をまいてあとは放っておいても、大地は最小限の作物を育ててくれるのである。

百姓はそうやって自然の恵みを受け、恵みを食べて命をつなぐ。百姓は大地に命を守られている。

大地が働いてくれる分、百姓には時間の余裕がある。余った時間に百姓は三々五々集まる。するとそこには政治が生まれる。

1人では政治はできない。2人でも政治は生まれない。2人の男は殺し合うか助け合うだけだ。

百姓が3人以上集まると、そこに政治が動き出し人事が発生する。政治は原初、百姓のものだった。政治家の多くが今も百姓面をしているのは、おそらく偶然ではないのである。

漁師の生は百姓とは違う。漁師は日常的に命を賭して生きる糧を得る。

漁師は船で漁に出る。近場に魚がいなければ彼は沖に漕ぎ進める。そこも不漁なら彼はさらに沖合いを目指す。

彼は家族の空腹をいやすために、魚影を探してひたすら遠くに船を動かす。

ふいに嵐や突風や大波が襲う。逃げ遅れた漁師はそこで命を落とす。

古来、海の男たちはそうやって死と隣り合わせの生業で家族を養い、実際に死んでいった。彼らの心情が、土とともに暮らす百姓よりもすさみ、且つ刹那的になりがちなのはそれが理由である。

船底の板1枚を経ただけの地獄と格闘する、漁師の生き様は劇的である。劇的なものは歌になりやすい。演歌のテーマが往々にして漁師であるのは、故なきことではない。

現代の漁師は馬力のある高速船を手にしたがる。格好つけや美意識のためではない。沖で危険が迫ったとき、一目散に港に逃げ帰るためである。

また高速船には他者を出し抜いて速く漁場に着いて、漁獲高を伸ばす、という効用もある。

そうやって現代の漁師の生は死から少し遠ざかり、欲が少し増して昔風の「荒ぶる純朴な生き様」は薄れた。

水産業全体が「獲る漁業」から養殖中心の「育てる漁業」に変貌しつつあることも、往時の漁師の流儀が廃れる原因になった。

今日の漁師の仕事の多くは、近海に定位置を確保してそこで「獲物を育てる」漁法に変わった。百姓が田畑で働く姿に似てきたのだ。

それでも漁師の歌は作られる。北海の嵐に向かって漕ぎ出す漁師の生き様は、男の冒険心をくすぐって止まない。

人の想像力がある限り、演歌の中の荒ぶる漁師は永遠なのである。




異常気象と遺伝子

搾り出されるトマトヨリ1800pic
夏恒例のトマトソース作り


異常気象、といっても異常が通常になっていて、もはやあまり意味をなさない。だがイタリアでは今年は、水不足と暑さのせいなのか野菜の成長が急激で、サラダ菜などは7月中に花が咲いたり、老いて硬くなったり、枯れたりしてほとんど食べられないものが多くあった。

トマトの出来も良くなかった。主茎も側枝 も大きく育って木のようになったにもかかわらず、実があまり成らなかったのだ。それでも7月19日に第一回目の収穫をした。昨年に比べると10日ほど早かった。実の数は少ないが成長が早かった、ということだ。その後、どちらもひどく少ない量だがさらに2回トマトソース作りをした。

ここ北イタリアは3月以降は極端な少雨で4月、5月は冷えた。6月になると相変わらず少雨ながら日差しは強かった。おかげで野菜の成長は早くなった。7月に入ると気温が高くなり野菜はますます良く育った。雨もテンポラーレ(強風を伴う雷雨)が適度に襲って結構降った。

ところがその時期、北イタリアの一部を除くイタリアの大部分は雨がほとんど降らず、旱魃に見舞われていた。ローマでは給水制限が検討されるほど事態は深刻だった。

不思議に思うのは、4月~5月の寒さを除いて、ここ北イタリアのロンバルディア州一帯では結構な日差しと降雨があったにもかかわらず、つまり割りと通常の天候であったにもかかわらず、野菜の成長が異常に早かったという点である。

イタリア半島全体が暑さと水不足になることを察知して、野菜の多くは自ら成長を早めて花を咲かせ種を実らせたのではないか、と思ったりしている。

今夏よりも日差しが強く、日照時間も長く、且つ暑いイタリアの夏は過去に何度もあった。当年が過去と違うのは、3月~6月の間に雨がほとんど降らなかったことだ。今年は過去60年間で2番目に乾いた春期だったのである。

奇態な春の気象状況は夏になってもそのまま続き、北イタリアの一部を除くイタリア半島は高温と旱魃に苦しんだ。水不足は農作物を直撃して大きな損害をもたらした。飲料水にまで影響が出て、首都ローマは給水制限にまでは至らなかったものの、噴水や水飲み場の閉鎖を強いられた。

僕は小さな菜園に多種類の野菜を少量づつ作って、多彩な生態を楽しみ多様な味をエンジョイしている。もとよりそれは趣味の域を出ず、野菜たちの世話も時間があまりない関係で十分と言うには程遠いものだが、おかげで季節変化や天気の動きに以前よりも敏感になった。

いくつかの野菜の今年の奇妙な成長振りを見てふと思った。もしかするとそれらの植物は、春から夏に至る季節の乾きをなんらかの途方で事前に悟って、子孫を残すため、つまり種の保存のために、速く成長し花を付けて種子を得ようとするのではないか。

それが事実ならその途方とは、要するに遺伝子である。遺伝子には子孫を残そうとする強制力がある。子孫を残そうとしない生物はたちまち淘汰され絶滅するからだ。野菜たちは意思や原因や目的とは全く関係なく、今年は遺伝子の働きで急いで種(たね)を作ろうとした。。。

ということは、野菜には意思はないが、遺伝子にはそれに近い何かがある、という結論になる。今現在そこに存在している生物とは、子孫を残そうとする遺伝子を持つ生物、のことである。そこには機械的なプログラムが存在しているだけだ。自然の摂理と言ってもいい。

だが、この先の乾き(水不足)を感知して今年は速く成長しよう、と遺伝子がはたらきかけたのであれば、それは遺伝子の意思とも呼べるべきものである。子孫を残そうとする通常の機械的なプログラミングに加えて、遺伝子には特殊状況に対応する意思や手段も備わっている。

という具合に考える先から、それはおかしい、とも僕はまた考えた。遺伝子にそのような力があるならば、全ての生物(の遺伝子)が「先の危険」を予測し、それを避けようとして何らかの方策を企てるのではないか。僕の菜園の野菜たちが種を残すために急速に成長したように。

その思考過程を経て僕はまたあらたな発見をした。つまり今年は多くの農作物が水不足でいびつな育ち方をしたり、結実しなかったり、果ては枯れたりしたが、実はそうした弊害は、それらの作物が僕の菜園の野菜同様に「急激に成長しようとした結果」もたらされた毀損なのではないか、と。

それならば作物の不作は、来年の豊作へ向けての準備段階、という考え方もできる。つまり不作は豊作の予兆。従って喜ぶべきこと、と捉えられないこともない。こんなことを口にすれば、耕作で生計を立てている農家から「オチャラケを言うな。俺たちにとっては今年の不作、つまり生活が破壊される現実だけが問題だ」と憤慨されるだろうが。。。

楽しみと同時に、いろいろなことに気づかせてくれるのが菜園である。





「テンポラーレ祭り」のあとの寂しさ



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強風になぎ倒された庭のレモンの大鉢


2017年8月10日午後、朝からの薄い曇り空ににわかに黒雲が湧き起こって風が吹きつけ、巨大な雹が叩きつけるように降り注いだ。

イタリアの夏の風物詩テンポラーレ(雷雨を伴う強烈な夕立、あるいは豆台風、あるいは野分)である。雹を伴うと農作物に甚大な被害をもたらす。

短い間に大量に降りなぐった雹は、未収穫のブドウのほぼ4割を破壊したと見られる。農家にとっては4月の冷害に続く災難である。救いは全体の半分以上がすでに収穫済みだったことだ。

例によって僕の菜園の野菜たちも手ひどい暴力にさらされた。トマトが半死、白菜とキャベツが恐らく全滅。不断草がきついダメージ。あまり結実はしていないものの、ナスとピーマンも破壊された。

白菜とキャベツは、カリフラワーとブロッコリともども、冬に向けての収穫が楽しみの種だった。雹のあまりの攻撃でたぶん巻いて結球することなく終わるだろう。残念無念。

壁際の円形鉢でよく育っていた大葉はかろうじて救われた。週末にオーストリアから訪れる友人夫婦に、天ぷらにしてご馳走する計画だからよかった。その分はなんとかなりそうだ。

トマトもなんとか助かった。生き延びた分を早めに収穫してソースを作ろうと思う。実は今年はすでに2回トマトソース作りをした。不作で2回とも量は少なかった。

次の3回目もたいした量にはならないだろう。豊作だった去年とはえらい違いだ。具体的に言えば今年は、昨年の3分の一程度のソースしかできない見込み。

少しさびしいトマトソース作りは、原料の少なさに加えて、外野からあれこれチャチを入れたり写真撮影をしたりする妻が、今年は母親の介護で留守だったことも原因の一つ。

それにしても、今夏イタリアを襲っている異様な暑気と旱魃は、実は北イタリアの特にわが家のあるロンバルディア州の一角では、ほとんど実感されていない。

昨日のすさまじい雹嵐ほどではないものの、テンポラーレ(雷雨を伴う強烈な夕立、あるいは豆台風、あるいは野分)が適度な頻度で襲って雨を降らせ、暑気を吹き散らしてくれたのだ。

アルプスと向き合う北イタリアと、アフリカに対面する南イタリアが一国を構成するこの地では、経済格差に加えて環境格差もまた南北問題を作り出している、とも考えられる。



イタリアの春から初夏の気候はやっぱり詐欺師だ


山並み稲妻



2017年7月2日。

短パンに靴下、ビロード風の長袖シャツという格好で居間のソファでテレビを見ていると、開け放した窓から吹き込む風が冷たく、我慢できずに窓を閉めた。

短パンに厚手の長袖シャツというおかしな格好でいたのは、毎日がおかしな天候だからである。

5月4日、僕はこのブログに:

4月になって、暖かいというよりも暑いくらいの陽気になった北イタリアは、このまま夏に突入かとさえ見えた。

ところが4月半ばの復活祭(伊語:パスクア 英語:イースター)直後から冬が舞い戻ったような寒さがやってきた。

今日5月4日も、気温が下がった当初から数日前までの、本気モードの寒さほどではないものの、けっこう冷える。

と書いた

その後、季節は徐々に進行して6月20日過ぎまで暖かみが増していった。

6月22,23,24日ころは盛夏の暑さが思いやられるほどに気温が上昇した。

特に6月24日(土)の暑さはひどかった。僕らはその日友人3夫婦を招んで庭でBBQをした。

BBQがメインで、前菜代わりに氷に乗せた刺身をふるまった。

そうしながら僕はBBQも進めていたのだが、夜8時を過ぎても異常に暑く、僕はその日のイベントを後悔したほどだ。

ところが翌日の日曜日は一転して豪雨を伴う嵐に見舞われた。

雷とともに吹き付ける風はテンポラーレ。僕が勝手に「豆台風」と呼んでいる強烈な夕立、あるいは野分(のわき)。

夏の終わりに吹くのが普通だが、最近は今回のように夏の初めや途中でも吹くことが多い。

気象変動は確実にそこにあるのだ。

豆台風は庭の大鉢に植えられたレモンの木を鉢ごとなぎ倒した。

壁に這うバラの木々の枝の多くも千切り飛ばした。

雨は農家には慈雨になったが、降雨量が多すぎて洪水や土砂崩れなどの被害ももたらした。

その豆台風は涼を通り越して寒の空気も運んできた。

さすがに4月半ばの寒さにはならないものの、空気は日中でも風が吹くとひんやりとしている。

以後、雨も断続的に降り続いて今日(7月2日)になった。

それらの変動は北イタリアのみの状況である。

イタリア半島の南半分とシチリア及びサルデニアの島嶼部は、雨が降らず旱魃になっている。

イタリアの気候は南北真っ二つに分断されているのだ。

しかし、その分断はどうやら解消されそうな気配。

この先しばらくはイタリア南部にもテンポラーレが襲って雨も期待されている。

7月、8月は例年よりも暑くなりそうだが、どうなることやら。

今年は6月にいつものように休暇を取って旅に出ることができなかった。

すこし悔しい。





リラ冷えのブドウ園?

400南中ヒキ
ブドウ園のうち絵の中央から壁際までの一帯が冷害で傷めつけられた区画


4月半ばから続いている北イタリアの寒の戻りは農作物に大きな被害をもたらしている。

雪にはならないが、雨もかなり降ってそれも気温の低下につながっている。

雨そのものはいい。3月以降は水不足で農業への悪影響が心配されていたのだから。

だが、降雨とともに居座ってしまった冷気が 厳しい状況を作り出している。

イタリア・シャンパンつまり「スプマンテ」の里として知られる、ミラノ近郊のフランチャコルタ地域のブドウ園も災難に遭っている。

場所によって、また風の具合や大気の流れの妙で、同じ区画内のブドウの木々が(写真のように)ダメージを受けたり受けなかったりする。

フランチャコルタ地方にはひそかにパニックが広がっている。

冒頭で今の低温を「寒の戻り」と言ってみたが、少し違う。それに似た言葉「花冷え」はもっと腑に落ちない。

日本の「寒の戻り」は晩春の冷温だが、ここの「寒さのぶり返し」は、時には6月にまで害するところが、北海道の「リラ冷え」にイメージが近いようにも思う。緯度的に見ても北イタリアは北海道北部あたりに位置している。

僕の小さな菜園にも影響が出ている。

4月初めの陽気ですくすくと育ったサラダ菜を除いて、野菜の発育が阻害されているのだ。

早めの収穫を目指して、苗屋から購入して露地に植えた果菜類の背も全く伸びてくれない。

キュウリ枯れUP400育苗用プランターの苗のいくつかは、霜焼けに似たダメージを受けて枯れてしまうものも出た。

冷温が続くこういうときには、温暖化現象を疑ってみたくなる。

しかし、温暖化という言葉ができるはるか以前から、4月~6月のイタリアの気候は、諺にもなっているように予測が難しいと相場が決まっていた。

温暖化という言葉は、高温をイメージさせることが多い。

だが、実際には温暖化とは、地球が暖まるとによって起こる異常気象の全体のことでもあるのだから、暑い時期に寒くなったりその逆の奇矯が展開されることも、つまり温暖化現象なのだろう。

それにしても、農家にとっては辛いこの冷温現象を、「リラ冷え」などという美しい響きの言葉で表すのは、よいことなのだろうか、鈍感のそしりを免れないことでもあるのだろうか。。。

イタリアの春の詐欺師に気をつけろ!


明け雷鳴400pic


4月になって、暖かいというよりも暑いくらいの陽気になった北イタリアは、このまま夏に突入かとさえ見えた。

ところが4月半ばの復活祭(伊語:パスクア 英語:イースター)直後から冬が舞い戻ったような寒さがやってきた。

今日5月4日も、気温が下がった当初から数日前までの、本気モードの寒さほどではないものの、けっこう冷える。

イタリア語には春から夏に向かう時期を的確に言い表すことわざがある。すなわち:
Aprile non ti scoprire ; maggio va adagio ; giugno apri il pugno, Luglio poi fai quel che vuoi.

イタリア語を知らない人でも、アルファベットを「ローマ字」と呼ぶことを思い出して、ローマ字風にそのまま読んでみてほしい。そうすればほぼ完全にイタリア語の発音になる。イタリア語は日本語に優しい言語なのである(笑)。

そこで前述のイタリア語を敢えてカタカナで表記してみると:
『アプリィレ ノン ティ スコプリィレ; マッジョ ヴァ アダァジョ; ジューニョ アプリ
イル プーニョ, ルーりィョ ファイ クエル ケ ヴォイ』

直訳すると: 4月には覆いを外すな。5月はゆっくり行け。6月に拳をひらけ。そして7月は好きなようにしろ。

意訳をすると:4月に早まって冬着を仕舞うな。5月も油断はできない。6月にようやく少し信用して拳を緩めるように衣替えの準備をしろ。7月は好きなように薄着をして夏を楽しみなさい。

4月から6月を表現するのに《アプ“リィレ” スコプ“リィレ”; マ“ッジョ”  アダ“ァジョ”; ジュー“ニョ” プー“ニョ”》と 韻を踏みつつ、予測の難しい季節の装いを提案しているのがこの格言である。

他にAprile non ti scoprire ; maggio adagio adagio ; giugno allarga il pugno, ossia ti puoi liberare dei vestiti pesanti.

という言い方など、地域や人によって言い方が多少違う。だが4月~6月までの不安定な天候(気温)に気をつけろ、と戒めているところは皆同じ。冒頭の箴言は7月まで言及し後者は6月でまとめているが。

イタリアの季節の変わり目は男性的で荒々しい。暑くなったり寒くなったり荒れたり吹き付けたり不機嫌になったりと予測ができない

春から夏に移行する時季を言いあらわす上記のことわざは、そんなイタリアの自然の気まぐれと躍動をうまく言い当てたものだと思う。

イタリアを含む欧米のメンタリティーには、季節を細やかに観察し、楽しみ、詩心を研ぎ澄まして表現したりする文化はない。

いや、あることはあるが、日本人ほどの強いこだわりはない。何事につけ季節、つまり自然よりも人間に関心の比重があるのが、欧米のメンタリティーだ。

そんな中にあって、季節の移り変わりを気にしているイタリアの格言は珍しいものである。「珍しい」とは、くどいようだが「日本語の豊富な季節感」と比較して、という意味である。

イタリア語にはここで言及している金言以外にも季節表現があることは言うまでもない。それは英語などの他の欧州の言語も同じである。

話は変わるが、

先日、厚切りジェイソンというアメリカ人お笑いタレントが「4季は日本だけじゃなくどこにでもあるよ」と騒いでいたというネット記事を見つけて僕は笑った。

日本には4季があるのがすごいのではなく、「日本人が4季を敏感に悟りそれを徹底して愛(め)でるのがすごい」のである。4季があるだけではもちろんすごいとは言わない。

厚切りジェイソンに4季を語ったという日本人もうっかりだが、彼の言葉の意味を解しなかったお笑い芸人自身も似たり寄ったりだ。

お笑い芸人が日本人の説明をうまく理解しなかったのは、前述したように欧米人が日本人ほどには季節のあれこれを繊細に感じるメンタリティーを持たないからだ。

欧米人である厚切りジェイソン(それにしても面白い芸名だなぁ)は、「4季があるのがすごい」は「4季に感動しまくる日本人はすごい」のことだと気づけなかったのだろうと思う。

それは優劣や良い悪いの問題ではなく、単に文化が違う、ということである。文化には優劣はなく、文化間の「違い」があるだけだ。

春の桜や秋の紅葉に熱狂したり感服したりして、テレビが連日桜前線や紅葉前線を追いかける文化は、日本好きの外国人には素敵に見えるが、そうでない場合は首を傾げる類の不思議だ。

同時に日本人にとっては、なぜ四季の美しさにもっと思い入れを持たないのか、春の花や秋のもみじに激しく心を乱されないのか、と外国人が不思議に見えるわけだが。

で、日本で生まれ住んだ時間よりももはや外国住まいが長くなってしまった僕は、桜や紅葉を愛寵しながらも、例えば衛星を介して見るNHKが、毎年、連日、桜また紅葉前線をニュースで語るのを見ると、少し首を傾げたくなることがないでもない。それってそんなにニュースバリューがあることなの?と。

それでいながら、特に4月から6月の間や、晩夏から晩秋にかけてのイタリアの活発な気温の振幅を目の当たりにすると、退屈な番組も多いイタリアのNHK、つまりRAI放送局は、なぜ少しぐらいこの面白い季節変化に目を向けた番組を制作しないのか、と首を傾げたりもするのである。


ホントの気候変動は菜園の中にある

400pic南畝ヒキ肥料込み


2016年11月末現在、僕の菜園には冬を越すカリフラワーやキャベツなどと共に、大根、ネギ、ラディッキオ(チコリの一種・菊苦菜)、さらに夏野菜のフダン草やルコラ(ロケットサラダ・ハーブの一種)などがまだ結構残っていた。

そのうちのネギとラディッキオを残して全てを刈り取った。

200へ400picラディッキオ・チコーラ→春、庭造りの際に菜園の一部に入れてもらった土が、水はけほとんどゼロの粘土質で野菜作りには適さない。

そこで深さ10センチ~15センチを入れ替えてもらうことにした。それで入れ替え部分の作物を全て取り込んだのである。

今年は、たとえばトマトやピーマンやナスなどは、普通に寿命が来て9月末頃にはすっかり枯れ果てた。

が、前述のラディッキオやルコラやフダン草などはまだしっかりと芽生え育っていた。200へ400picズッキーニ花一輪→

ズッキーニもほとんど枯れたが、まだ花が咲いたりする茎があったので、その部分は11月半ば頃まで生かしておいたりした。

花はさすがにうまく結実し成長することはなかった。

こう書いている今日は2016年12月2日の金曜日である。少し前までならあり得ない話。

200へ400picネギ→11月といえば菜園の作物は冬野菜以外は全て枯れて、土もかちかちに凍る手前の時間だった。

気候変動は「熱」に向かって確実に時を刻んでいる。

渡り鳥は渡らなくなり、冬でも蚊や昆虫が舞い飛ぶ。渡り鳥はそれらを食べることができるので餌に困らなくなり、渡らなくなったのだという。

大雨が降ったり暴風が吹き付けたりと異変が多い。でも、異変はもはや頻繁すぎて異変とは言えないのではないか。200へ400picコステ→

非日常が日常になりつあるのが今の気候のあり方だが、普段は温暖化で暑いと思っているのに寒い年があったり、冷夏さえも出現して頭が混乱する。

しかし、菜園では混乱がない。前述したように気候変動は確実に「熱」に向かっている。

だから野菜の寿命が長いのだ。あるいは野菜を枯らす寒さの到来が遅いのだ。

ありdaikon better 400pic→200へ奥行き季節はその部分では混乱しない。いや、野菜たちが、空気が確実に暖かくなっていることを知っていて、いつまでも枯れない、と言うべきか。

地球規模で考える温暖化は悪い兆候ばかりが目立つ。しかし、僕の菜園に関する限り、温暖化は楽しい。

美味しい野菜が12月に入ってもまだ収穫できたりするのだから。

ちなみに僕の菜園は完全なるオーガニック、有機栽培。なので雑草や害虫やカタツムリ類も大変。200picチビキャベツ2個400→



しかし、作物の味は大量生産のものとは違って、コクがあり、かつ実に美味い。


200へ400picラディッキオ・チコーラUP→

よくオーガニックが美味いと感じるのは錯覚、と言う人がいるけれど、彼らはきっと自分で作ることはおろか、本物の有機栽培野菜を食べたことさえないのだと思う。

でなければ、味覚がちょっとサビれてしまっているのかも。



夏、いきなり・・冬



いつもながら北イタリアの季節変化は荒々しい。つい先日まで夏そのままに暑い日々だったのに、だしぬけにストーブを点ける気温になった。

夏ならび><まよい夏

 

夏がとつぜん冬に変わる、とういうのが北イタリアの季節変化の印象なのだが、それはつまり秋が極端に短いということでもある。

「秋の日はつるべ落とし」と言うが、イタリアの場合は秋そのものが、訪れたと思う間もなく「つるべ落とし」的にさっと過ぎていくのである。

 

僕が昔住んでいたイタリアよりもさらに北国の英国ロンドンでも、また冬の寒さが厳しい米国ニューヨークでも、夏が抜き打ちに冬に変わってしまうみたいな極端な季節の動きはなかった。

 

僕は直情径行(ちょくじょうけいこう)なこの国の季節変化を目の当たりにする時、いつも決まってアフリカ大陸を思う。

 

イタリアの四季の推移がときどき激情的になるのは、明らかにアフリカ大陸のせいである。

 

この国には主に初夏のころ「シロッコ」が吹く。これはアフリカ大陸からイタリアに吹きこむ暑い南風のことである。

 

サハラ砂漠で生まれた風は、地中海上を渡るうちに湿気をたっぷりと吸って、イタリアに到達するときは高温湿潤になる。

 

日本からはるかに遠いヒマラヤ山脈の風と雲が、沖縄から東北までの日本列島に梅雨をもたらすように、シロッコは遠いアフリカからイタリアに吹き込んでさまざまな影響を与える。

 

アルプス山脈を抱く北イタリアでは、アフリカからの暑い空気とアルプスの冷気がぶつかり合ってせめぎ合い、時として猛々しい天候のうねりをもたらす。

 

豆台風みたいなテンポラーレ<ヴェンデミア(VENDEMMIA)>もきっとシロッコが生みの親だ。

あるいは真因ではなくても、必ず遠因の一つには違いない。梅雨時の雨が、その後の日本の気象や風情にさまざまな影響を及ぼすように。

 

そんな訳で、つい10日ほど前まで短パンにランニングシャツみたいな真夏の恰好で、「イタリア中の海の家が10月いっぱいまで営業を続けると発表」などと、そこかしこに書いたり情報を送ったりしていた僕は、今や冬着に衣替えをして、暖炉の焚かれた仕事場でこの記事を書いている。

 

そして僕はどちらかというと、北イタリアの奔流のような季節の流れが好きである。いや、大好きである。

 

その気分は子供のころ、日本の南の島で台風を待ちわび、暴風を喜んだ自分の心理と深く結び着いている。僕はその頃から台風が大好きなヒネた子供だったのだ。

 

台風がやって来れば何よりもまず学校が休みになる。僕はそれが嬉しかった。でもそのことが喜びの主体では断じてなかった。

 

僕は子供心に、日常を破壊して逆巻く暴風雨に激烈な羨望を抱きつづけていた。

 

台風が近づくと、わざと予兆の雨の中で駆けっこをして、ずぶ濡れになって帰宅し、母にこっぴどく叱られた。

 

やがて猛烈な風が吹き荒れると、厳重に戸締りされた家の中で昼夜を問わず暴風の咆哮に耳を傾けて、ひとりひそかに歓喜した。

そこに沸騰する非日常の騒乱に僕はめくるめくような憧れを覚えた。

 

僕がイタリアの強烈な季節変化を愛するのは、子供時代の不思議な憧憬と分かちがたく結び着いている、と強く感じるゆえんである。

 

 

まよい夏



今朝6時半頃、強い風の音で目が覚めた。

 

「あ、テンポラーレ(豆台風)だ」
→<ヴェンデミア(VENDEMMIA)
と思いつくやいなや、走るように急いで窓際に行った。

窓を開けようとして、思いとどまった。

 

家の全ての入り口や窓にはアラーム(盗難警報)のセンサーが設置されている。

 

アラームを解除しないでドアや窓を開けると、けたたましいサイレンの音が鳴り響き、警備会社に自動的に知らせが飛ぶ仕組みなのである。

 

アラームを解除して、もう寝室には戻らずに、自分の書斎兼仕事場に入った。

 

外はまだ真っ暗である。窓から見下ろすブドウ園には、闇の中に風のざわめきが踊り、逆巻き、鈍い光のようなものが見えてブドウの木が揺れている。

 

暗がりの中で木が見えるのは、記憶心理の単なる綾だろうと思ったその時、稲妻が走って闇の一角が輝き、激しく騒ぐブドウの枝葉が一瞬まぶしく浮かんで消えた。

 

雷鳴がつづき、さらに雨の音が聞こえた。でも雷の音も雨の音も、心なしか弱々しい。

 

エネルギーを集めて一気に放出する、夏の盛りの憤怒のようなテンポラーレとは様相が違う。

 

30分もすると空が明るんできた。雷鳴が遠のき、でも、雨は降りつづけている。

 

このまま終わるかと思ったころ、風が少し強まって、ふいに雷が近くで鳴った。雨足も速くなった。それが一気にドシャ降りに変わる。

 

空気がすっと冷たくなるのが分かった。雨が雹(ひょう)に変わる前触れである。

 

雹はブドウの大敵。でも、収穫を終えたブドウ園の木々は、少し残る緑と枯れ葉を全身に乗せて、雨に打たれて立たずんでいるだけである。

被害に遭う心配はない。

 

小さな采園のことが頭をよぎった。トマトとピーマンが少し、それに葉野菜が残っている。強い雹が降れば全滅だろう。

残念・・という思いで外の動きに目をこらした。

 

雨はなおも激しく振りつづけたが、一向に雹にはならなかった。やがて小降りになって風が弱くなり、雷鳴も遠くなった。

 

僕はほっとするような残念なような気分で窓外を見つづけている。

 

野菜に被害が出るのは悔しいが、強烈な雹も見たかったのだ。

 

僕はテンポラーレや雹や雷鳴や暴風などの、激しい気候変化が好きなのである。

 

9時になっても雨風は止まない。

雷鳴も遠くなったり近づいたりして、一向に去る気配がない。

ひと息に起こって消える、テンポラーレ独特の厚い黒雲もまだ空にある。でもその雲も夏に比べると薄いようである。

 

なにもかもが中途半端なテンポラーレ。

 

この分だと、きっと「寒くない10月」がまだ続くのだろう。

外でくすぶっている風雨が再三強まって、荒々しい本物のテンポラーレに変わり、暑気を完全に吹き飛ばさない限り・・・

 

 

ヴェンデミア(VENDEMMIA)



今年一番の自家のブドウの収穫(ヴェンデミア)は810日に始まった。

 

まず初めに僕の仕事場から見下ろす3,5ヘクタールを収穫。それは2年前、2009年春に植え替えた木の初めての実りである。

 

品種は白ブドウのシャルドネ。量はまだ少ない。成果が最大になるのは、植樹から4~5年後である。

 

全体では15,5ヘクタールある自家のブドウの収穫は、今後飛び飛びに日にちを定めて9月半ば頃まで続けられる。

 

今年はここまで雹(ひょう)が一切降らなかった。珍しいことである。

 

暑い日本とは違って、北イタリアでは大きな雹は盛夏に多く降りつける。そのためブドウ栽培者は必ず雹保険に加入している。かなりの確率で被害が発生するから、保険の掛け金も安くない。

 

去年(2010年)7月には、あたり一面が真っ白になるほど大量の、巨大粒の雹が降りしきった。それは雪のように積もって、翌日まで解けずに残った。

 

ブドウに大きな被害が出て、僕の小さな采園の野菜も完全に破壊されつくした。ナスやトマトやピーマンには大きな穴がいくつも開いた。

 

激しい雹はほとんどの場合「テンポラーレ」と共にやって来る。

 

「テンポラーレ」はイタリアの夏の風物詩。

 

真っ青だった空にとつぜん黒雲が湧いて稲妻が走り、突風が吹き募って雷鳴がとどろく。同時に激しい雨や雹が視界をさえぎって落下する。目をみはるような荒々しい変化である。

 

イタリア語で「テンポラーレ」と呼ぶこの自然現象は、日本語ではちょっと思いつかない。

驟雨とか夕立、あるいは雷雨などの言葉は弱すぎる。

「野分(のわき)」という古語もあるが「テンポラーレ」はそんな詩的な表現では言い尽くせない。

 

「テンポラーレ」は、しばしば雹を伴なって農作物を破壊する。

 

激しい雹を運んでくる猛烈な「テンポラーレ」を、僕は勝手に「豆台風」と呼んだりしているが、長い時間をかけて発達する台風とは違って「テンポラーレ」はふいに起こる現象だから、実はこの言葉もぴたりと当てはまるものではない。

 

今年もここまでに何度も「テンポラーレ」が発生した。でも一度も雹は降らなかった。この先はどうなるか分からないが、ブドウにも僕の采園にも被害は出ていないのである。

 

8月半ば頃からの「テンポラーレ」は例年、発生するたびに急速に秋を運んで来る。

 

季節がいつも通りなら、秋はもうすぐそこである。

 

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