【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

いつまでも生きる老人

名誉教皇の「たわけ」の真相


16世フランシスコ&ベネディクト



2013年に退位して名誉教皇となったベネディクト16世(92)が、完全消滅とさえ見えた隠棲所からふいに表舞台に姿をあらわして、世迷い言にも見える主張をして多くの人々の顰蹙を買っている。

世迷い言とは、「カトリック教会は聖職者の独身制を守り通すべき」というものだ。カトリック教会の司祭の独身制は、未成年者への性的虐待の元凶ともいうべき悪しき習慣として、いま世界中で厳しく批判されている。

そんな折に、ブラジルのアマゾンに代表される世界中の僻地での司祭不足がクローズアップされた。地球上の辺縁地ではカトリックの司祭の成り手がなく、ミサが開けないために信者への接触もままならない。それは地域の信者のカトリック離れにつながる。

カトリック教はただでもプロテスタント他の宗派に信者を奪われ続けていて、バチカンは危機感を抱いている。フランシスコ教皇は、既婚者の男性も司祭になる道を開くことで、その問題に風穴を開けようとした。

そこに突然反対を表明したのが、この世にほとんど存在しないようにさえ見えた名誉教皇、つまり旧ベネディクト16世なのである。彼は現役の教皇時代からバチカン守旧派のラスボス的存在だった。どうやら死んだ振り隠棲をしていたようだ。

ベネディクト16世は2013年、719年ぶりに自由意志によって生前退位し名誉教皇になった。高齢を理由に挙げたが、歴代教皇はほぼ誰もが死ぬまで職務を全うした。その事実も影響するのか、ベネディクト16世の言動には違和感を覚える、という人が少なくない。僕も同感だ。

違和感の理由はいろいろある。最大のものはベネディクト16世が、聖職者による性的虐待問題から逃げるために退位した、という疑惑また批判である。問題は2002年に明らかになり、2010年には教皇の退位を要求する抗議デモが起きるなど、ベネディクト16世への風当たりが強まり続けた。

「教義の番犬」とも陰口されたベネディクト16世は、ガチガチの保守派で在位中にはほかにも少なくない問題を起こした。例えば不用意なイスラム教のジハード批判や、ホロコースト否定者への安易な接近、あるいは「聖職者による性的虐待は“ アメリカの物質偏重文化 ”にも一因がある」というトンチンカン発言などである。

重篤なHIV問題を抱えるアフリカの地で、感染予防に用いられるコンドームの使用に反対する、とやはり無神経に発言したこともある。産児制限、同性愛、人工妊娠中絶などにも断固反対の立場だった。またバチカンで横行するマネーロンダリングと周辺問題への対応でも彼は強く批判された。

さらに言えば教皇ベネディクト16世は、聖職者による未成年者性虐待の元凶とされる、司祭の独身制の維持にも固執していた。そして今般、あたかもゾンビの出現にも似た唐突さで表舞台に現れて、十年一日のごとく「独身制を維持するべき」と発言したのである。

その主張への反発と共に、勝手に引退をしておきながらふいにまかり出たさらなる身勝手に、信者の間ではおどろきと反駁の嵐がひそかに起こっている。彼の言動はただでも抵抗の強いバチカン保守派を勢いづけて、フランシスコ教皇の改革を停滞させ、バチカン内に分裂をもたらす恐れもある。

いうまでもなく教会内の守旧派が名誉教皇を焚きつけて異例の声明を出させた、という見方もできる。むしろその方が真相に近いだろう。それでなければ名誉教皇が、友好的な関係にあったフランシスコ教皇に、出しぬけに正面から刀で切りつけるような発言をした真意が判りづらい。

世界13億の信者の心の拠り所であるバチカンの威儀は、2005年のヨハネ・パウロ2世の死後、まさしく今ここで言及しているベネディクト16世の在位中に後退した。少なくとも停滞した。 しかし2013年に第266代フランシスコ現教皇が就任すると同時に、再び前進を始めた。

清貧と謙虚と克己を武器に、保守派の強い抵抗の中バチカンの改革を推し進めようともがいている現教皇フランシスコは、聖人ヨハネ・パウロ2世に似た優れた聖職者である。少なくともベネディクト16世とは似ても似つかないように見える。

ローマ教皇はカトリック教徒の精神的支柱である。その意味では、日本教という宗教の信者である日本国民の精神的支柱、と形容することもできる天皇によく似ている。両者にいわば性霊の廉潔が求められることも共通している。

その例にならえば、自らの意思で退位したベネディクト名誉教皇は、同じく平成の天皇の地位から自発的に退位した明仁上皇のケースとそっくりである。退位の動機が高齢と健康不安からくる職務遂行への憂慮、というのも同じだ。

だが、双方の信者の捉え方は全く違う。明仁上皇の人となりや真摯や誠実を疑う日本国民はほとんどいないだろう。一方ベネディクト名誉教皇の場合には、明仁上皇のケースとは正反対の意見を抱いている信者が多くいる。「不誠実で身勝手な存在」と声を潜めて言う信者を僕も多数知っている。

それでも彼らは、名誉教皇が隠棲所に引っ込んで、この世にほとんど存在しないような状況が続いていた頃には、彼への反感を覚えることなどなかった。存在しないのだから反感の覚えようがない。そして2013年以降はそれが常態だった。彼の存在の兆候はそれほどに希薄だったのである。

そんな人物がにわかに姿をあらわして、自らの持論をゴリ押しする態度に出たものだから人々が驚かないわけがない。ましてやその主張が時流に真っ向から対峙する「聖職者の独身制を維持しろ」というものだから、反発する信者や関係者が多いのもうなずける。

司祭の独身制はカトリックの教義ではない。 単なる慣習である。12世紀以前には聖職者も普通に結婚していた。イエスキリストの一番弟子で初代教皇とされる聖ペテロが結婚していたことは明らかだし、イエスキリスト自身が既婚者だった可能性さえある。少なくとも彼が独身であることが重要、という宗教的規範はない。

カトリック教会が司祭の独身制を導入した直接の動機は、聖職者が家庭を持ち子供が生まれた暁に生じる遺産相続問題だったとされる。教会は子供を持つ聖職者に財産を分与しなければならなくなる事態を恐れたのだ。そのことに加えて、精神を称えて肉体を貶める二元論の考え方も重要な役割を果たした。

元々キリスト教は子を産む生殖つまり婚姻と性交を称揚する。そんな宗教が司祭の結婚を否定する奇天烈な因習にとらわれるようになったのは、肉体と精神のあり方を対比して説く二言論の影響があったからだ。そこでは肉体に対する精神の優位が主張され、肉体の営為であるセックスが否定される。だから聖職者の独身が奨励されるのである。

その論法には婚姻をあたかも肉体の行為のためだけのメカニズム、と捉える粗陋がある。婚姻は夫婦の性の営みと共に夫婦の精神的なつながりや行動ももたらす仕組みだ。それなのに夫婦の性愛だけを問題にするのは、教会こそが男女のセックスのみを重視する色情狂である、と自ら告白しているようなものだ。

聖職者が独身であることが、性的虐待行為の「引き金」の全て、という証拠は実はない。また既婚者であることが虐待行為の完全抑止になる訳でもない。しかし、ある程度の効力はあると考えられる。それだけでも独身制を破棄する意味がある。

だがそうしたことよりも何よりも、聖職者の結婚を不浄とみなす馬鹿げた考えを捨てる意味で、カトリック教会は独身制の継続を諦めるべきと思う。それは不誠実で、偽善的で、卑猥でさえある教会の偏執に過ぎない、という真実に教会自身がそろそろ気づくべきである。

名誉教皇の突然の寝ボケた声明は、世界中で湧き起こっている聖職者の性的虐待問題の火にひそかに油を注いでいる。燃え上がるのは反感の炎と共に保守派の気炎である。対立する二つの火焔はさらに燃え上がって、ローマ教会を焼き尽くし大きく分裂させる可能性もゼロではない。

突然のようだが、しかし、最後に付け加えておきたいと思う:

名誉教皇ことベネディクト16世は、教皇在位の頃から時流や世間に合わないずれた言動をすることがよくあった。そんな彼の真の問題は実は、コミュニケーション能力の欠落にある、と僕は考える。教義と理論のみを愛する無味乾燥な神学者、と見えなくもなかった教皇ベネディクト16世は、温かく豊かな情感と信義と慈悲を教会に求める大部分の信者には不人気だった。彼はコミュニケーションが絶望的に下手だったのだ。名誉教皇は今回の騒動で再び同じ轍を踏んでしまった、と僕の目には映る。



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平気で生きる



菊


僕は以前、次のようなコラムを新聞に書いた。それと前後してブログほかの媒体にも寄稿しそこかしこで同じ趣旨の話も多くした。

悟りとは「いつでもどんな状況でも平気で死ぬ」こと、という説がある。

死を恐れない悟りとは、暴力を孕んだいわば筋肉の悟りであり、勇者の悟りである。

一方「いつでもどんな状況でも平気で生きる」という悟りもある。

不幸や病気や悲しみのどん底にあっても、平然と生き続ける。

そんな悟りを開いた市井の一人が僕の母である。

子沢山だった母は、家族に愛情を注ぎつくして歳月を過ごし、88歳で病に倒れた。

それから4年間の厳しい闘病生活の間、母はひと言の愚痴もこぼさずに静かに生きて、最後は何も分からなくなって眠るように息を引き取った。

療養中も死ぬ時も、母は彼女が生き抜いた年月のように平穏そのものだった。
 
僕は母の温和な生き方に、本人もそれとは自覚しない強い気高い悟りを見たのである。

同時に僕はここイタリアの母、つまり妻の母親にも悟りを開いた人の平穏を見ている。

義母は数年前、子宮ガンを患い全摘出をした。その後、苛烈な化学療法を続けたが、副作用や恐怖や痛みなどの陰惨をおくびにも出さずに毎日を淡々と生きた。

治療が終わった後も義母は無事に日々を過ごして、今年で87歳。ほぼ母が病気で倒れた年齢に達した。

日本の最果ての小さな島で生まれ育った僕の母には、学歴も学問も知識もなかった。あったのは生きる知恵と家族への深い愛情だけである。

片やイタリアの母は、この国の上流階級に生まれてフィレンツェの聖心女学院に学び、常に時代の最先端を歩む女性の一人として人生を送ってきた。学問も知識も後ろ盾もある。

天と地ほども違う境涯を生きてきた二人は、母が知恵と愛によって、また義母は学識と理性によって「悟り」の境地に達したと僕は考えている。

僕の将来の人生の目標は、いつか二人の母親にならうことである。


僕はこの話を修正しなければならなくなった。義母がその後こわれてしまったからだ。いや、こわれたのではなく、死の直前になって彼女の本性があらわれた、ということのようだった。

義母は昨年90歳で亡くなったのだが、死ぬまでの2年間は愚痴と怒りと不満にまみれた「やっかいな老人」になって、ひとり娘である僕の妻をさんざんてこずらせた。

義母はこわれる以前、日本の「老人の日」に際して「今どきの老人はもう誰も死なない。いつまでも死なない老人を敬う必要はない」と言い放ったツワモノだった。

老人の義母は老人が嫌いだった。老人は愚痴が多く自立心が希薄で面倒くさい、というのが彼女の老人観だった。その義母自身は当時、愚痴が少なく自立心旺盛で面倒くさくない老人だった。

こわれた義母は、朝の起床から就寝まで不機嫌でなにもかもが気に入らなかった。子供時代から甘やかされて育った地が出た、というふうにも見える荒れ狂う姿は少々怖いくらいだった。

義母の急変は周囲をおどろかせたが、彼女の理性と老いてなお潔い生き方を敬愛していた僕は、内心かなり落胆したことを告白しなければならない。

義母はほぼ付きっ切りで世話をする妻を思いが足りないとなじり、気がきかないと面罵し、挙句には自ら望んだ死後の火葬を「異教徒の風習だからいやだ。私が死んだら埋葬にしろ」と咆哮したりした。

怒鳴り、わめき、苛立つ義母の姿は、最後まで平穏を保って逝った母への敬慕を、僕の中につのらせるようでさえあった。

義母を掻き乱しているのは、病気や痛みや不自由ではなく「死への恐怖」のように僕には見えた。するとそれは、あるいは命が終わろうとする老人の、「普通の」あり方だったのかもしれない。

そう考えてみると、「いつでもどんな状況でも平気で生きる」という母の生き方が、いかにむつかしく尊い生き様であるかが僕にはあらめてわかったように思えた。

いうまでもなく母の生き方を理解することとそれを実践することとは違う。僕はこれまでの人生を母のように穏やかに生きてはこなかった。

戦い、もがき、心を波立たせて、平穏とは遠い毎日を過ごしてきた。そのことを悔いはしないが、「いかに死ぬか」という命題を他人事とばかりは感じなくなった現在、晩年の母のようでありたい、とひそかに思うことはある。

死は静謐である。一方、生きるとは心が揺れ体が動くことだ。すなわち生きるとは文字通り心身が動揺することである。したがって義母の最晩年の狼狽と震撼と分裂は、彼女が生きている証しだった、と考えることもできる。

そうした状況での悟りとはおそらく、心身の動揺が生きている者を巻き込んでポジティブな方向へと進むこと、つまり老境にある者が家族と共にそれを受け入れ喜びさえすること、なのではないか。

それは言うのはたやすく、行うのは難しい話の典型のようなコンセプトだ。だが同時に、老境を喜ぶことはさておき、それを受け入れる態度は高齢者にとっては必須といってもよいほど重要なことだ。

なぜなら老境を受け入れない限り、人は必ず不平不満を言う。それが老人の愚痴である。愚痴はさらなる愚痴を誘発し不満を募らせ怒りを呼んで、生きていること自体が地獄のような日々を招く。

「いつでもどんな状況でも平気で生きる」とは、言い方を変えれば、老いにからむあらゆる不快や不自由や不都合を受け入れて、老いを納得しつつ生きることだ。それがつまり真の悟りなのだろう。

苦しいのは、それが「悟り」という高い境地であるために実践することが難しい、ということなのではないか。決して若くはないものの、未だ老境を実感するには至らない僕は、時々そうやって想像してみるだけである。



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盆と十字架~仏教系無心論者の墓参り



ロゼッタ墓ヒキ800



霊魂を慰めるイタリアの盆は昨日、すなわち11月2日である。それは 一般に
「死者の日」と呼ばれる万霊節。プロテスタントでは聖徒の日である。

カトリックの教えでは、人間は死後、煉獄の火で責められて罪を浄化され、天国に昇る。その際に親類縁者が教会のミサなどで祈りを捧げれば、煉獄の責め苦の期間が短くなる、とされる。

それは仏教のいわゆる中陰で、死者が良い世界に転生できるように生者が真摯な祈りを捧げる行事、法要によく似ている。

万霊節には死者の魂が地上に戻り、家を訪ねるという考えがある。イタリアでは帰ってくる死者のために夜通し明かりを灯し薪を焚く風習もある。

また死者のためにテーブルを一人分空けて、そこに無人の椅子を置く家庭もある。食事も準備する。むろん死者と生者が共に食べるのが目的である。

イタリア各地にはこの日のために作るスイーツもある。甘い菓子には「死の苦味」を消す、という人々の思いが込められている。

それらの習慣から見ても、カトリック教徒の各家庭の表現法と人々の心の中にある「死者の日」は、日本の盆によく似ていると感じる。

10月31日から11月2日までの3日間も、偶然ながら盆に似ている。盆は元々は20日以上に渡って続くものだが、昨今は迎え火から送り火までの3日間が一般的である。

10月31日のハロウィン、11月1日の諸聖人の日、翌2日の万霊節(死者の日)と宗教祭礼が続く日々が、盆の3日間に似ている、と思うのである。

3つの祭礼のうちハロウィンは、キリスト教本来の祭りではないため教会はこれを認知しない。が、一部のキリスト教徒の心の中では、彼らの信教と不可分の行事になっていると考えられる。

人々は各家庭で死者をもてなすばかりではなく、教会に集まって厳かに祈り、墓地に足を運んでそれぞれの大切な亡き人を偲ぶ。

昨日、僕も6月に亡くなった義母の墓参りをした。義母の新盆、という意識があった。十字架に守られた墓標の前に花を供え、日本風に手を合わせたが、少しも違和感はなかった。

義母は先年、日本の敬老の日を評価して「最近の老人はもう誰も死ななくなった。いつまでも死なない老人を敬う必要はない」と一刀両断、脳天唐竹割りに断罪した荒武者である。

義母の言う「いつまでも死なない老人」とは明らかに、「ムダに長生きをして世の中に嫌われながらも、なお生存しつづけている厄介な高齢者」という意味だった。

当時89歳だった義母は、その言葉を放った直後から急速に壊れて、彼女自身が「いつまでも死なない」やっかいな老人になった。

今考えれば「いつまでも死なない老人」と言い放ったのは、壊れかけている義母の底意地の悪さが言わせた言葉ではないか、という気がしないでもない。

義母は娘時代から壊れる老人になる直前まで、自由奔放な人生を送った。知性に溢れ男性遍歴にも事欠かなかった彼女は、決してカトリックの敬虔な信者とは言えなかった。

死して墓場の一角に埋葬された義母は、それでも、十字架に守られ僕を介して仏教思念に触れて、盆の徳にも抱かれている、と素直に思った。

何らの引っかかりもなく僕がそう感じるのは、恐らく僕が自称「仏教系の無心論者」だからである。僕は宗教のあらゆる儀式やしきたりや法則には興味がない。心だけを重要と考える。

心には仏教もキリスト教もイスラム教もアニミズムも神道も何もない。すなわち心は汎であり、各宗教がそれぞれの施設と教義と準則で縛ることのできないものだ。

死者となった義母を思う僕の心も汎である。従ってカトリックも仏教も等しく彼女を抱擁する。僕の心がそれを容認するからだ。僕は勝手にそう思っている。

カトリックの宗徒は、あるいは義母が盆の徳で洗われることを認めないかもしれない。いや恐らく認めないだろう。一神教の窮屈なところだ。

仏教系無心論者の僕は、何の問題もなく義母が仏教に抱かれ、イエス・キリストに赦され、イスラム教に受容され、神道にも愛される、と考える。

それを「精神の欠けた無節操な不信心者の考え」と捉える者は、自身の信教だけが正義だ、というドグマに縛られている。

だが、一神教だけが正道ではないのだ。他者を認めないそれはむしろ邪道、という考え方もあると思うのである。


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104歳で自殺する“健全な精神”を悼む


david goodall
ほう助自殺を発表したグッドールさん



104歳のオーストラリアの科学者デヴィッド・グッドールさんが、高齢のあまり身動きもままならなくなった自らの命を絶つことを決め、スイスでそれを実行することになった。これを受けてオーストラリアでは、尊厳死また安楽死をめぐる議論が沸騰した。

グッドールさんは不治の病や限度を超えた苦痛など、尊厳死・安楽死の一般的な基準にもなる不幸な健康状態にあるのではない。だが当人によると体力の衰えによる生活の質の低下は我慢の度合いを超えており、もはや先行きに何の希望もないので死を決意したのだという。

グッドールさんはオーストラリアのExit International(尊厳死推奨会)の20年来のメンバー。あらゆる文明社会は人が自らの命を絶つ権利を保障するべき、と主張してきた。オーストラリアのビクトリア州では尊厳死・安楽死を認める法律が間もなく施行されるが、それは「不治の病に侵されて余命いくばくもない病人」だけに許されるものである。

本人の精神的苦痛が不治の病と同じレベルの耐え難いものであるにもかかわらず、肉体的には「高齢で体が不自由」というだけのグッドールさんには、ほう助自殺の権利を認めたビクトリア州の法律は適用されない。そこで彼はほう助による尊厳死・安楽死が認められているスイスでそれを行うことにした。

グッドールさんがほう助自殺を決意した直接の原因は、彼が自宅で突然倒れて意識を失い、2日間誰にも気づかれなかった「事件」だった。彼はそこまでに体の自由が徐々に奪われていく現実に遭遇していたが、ふいに全身が崩れ落ちた事件を受けて、医師に今後は1日24時間の介護が必要、と診断された。

グッドールさんは1979年に大学を退職した。しかしその後も活発な研究活動を続け、最近も世界の生態系に関する30シリーズにも及ぶ本の編集を終えたばかりだった。またグッドールさんはオーストラリアのエディス・コーワン大学のリサーチ部門の名誉リサーチャーも無報酬で務めてきた。

仕事ではつい最近まで成果を収めつづけ、また私生活でも充実した日々をすごしてきたグッドールさんだが、ここ2年ほどの間に急激に体力が衰えて不自由な生活をよぎなくされてきた。そこに死に向かって背中を押されるような自身の崩落事件が起きて「もはやこれまで」と自らに言い聞かせた。

僕はグッドールさんの逸話を三嘆の思いで受け止めた。尊厳死及び安楽死に賛成する者だからだ。安楽死・尊厳死に関しては多くの論考があり世界中で賛否両論がうず巻いているのは周知の事実である。僕はいわゆる「死の自己決定権」を支持し安楽死・尊厳死は公的に認められるべきだと考える。

ただしそれには、安楽死・尊厳死を求める本人が、意志表示のできる環境にあって、且つ明確にその意志を表明し、そのあとに安楽死・尊厳死を実行する状況が訪れた時、という厳然たる条件が付けられるべき、と考えている。

生をまっとうすることが困難な状況に陥った個人が、「自らの明確な意志」に基づいて安楽死、つまり自殺を要求することを拒むのは、僭越であるばかりではなく、当人の苦しみを助長させる残酷な行為である可能性が高い。

安楽死・尊厳死を容認するときの危険は、「自らの明確な意志」を示すことができない者、たとえば認知症患者や意識不明者あるいは知的障害者などを、本人の同意がないままに安楽死させることである。

そうした場合には、介護拒否や介護疲れ、経済問題、人間関係のもつれ等々の理由で行われる「殺人」になる可能性がある。親や肉親の財産あるいは金ほしさに安楽死を画策するようなことも必ず起こるだろう。

人の欲と弱さに起因するそうした不都合を限りなくゼロにする方策を模索しながら、回復不可能な病や耐え難い苦痛にさらされた不運な人々が、「自らの明確な意志」に基づいて安楽死を願うならば、これを公的に認めるべきである。

グッドールさんが自らの高齢と急速に衰えていく心身の活力に見切りをつけて、ほう助自殺の道を選んだ「健全な精神」に僕は深い敬意を覚える。そこで問題にされなければならないのは彼の自殺ではない。自殺の道を選んだ「彼の生き方」である。

いつ、どこで、いかに死ぬか、という自身では制御できない問いをあえて問うことはつまり、それが「いかに生きるか」という問いにほかならなからである。死は生を内包しないが生は死を内在させる。あるいは生は死がなければ完結しない。死は生の一部にほかならないのである。

急速に高齢化がすすむ現代では、高齢者が死ぬリスクよりも、むしろ「無駄に長生きをするリスク」の方が高くなっている現実がある。それは、生を楽しまずにひたすら世の中を恨み愚痴を言い続けて生存したり、生きる屍のようにそこに横たわっているだけの、悲しく苦しい日々のことである。

そういう尊厳なき生に自ら終止符を打つことは決してネガティブな行為ではなく、むしろ「尊厳をもって生をまっとうしよう」とする前向きな行動である。この場合は「尊厳をもって生をまっとうしよう」とすることが、たまたま自殺だった、というだけである。

高齢化社会で「超高齢」になって介護まで必要になった者が、「自らの明確な意志」に基づいて将来の死を選択することができるかどうか。またそうすることは是か非か、という議論はこの先決して避けて通れない命題である。グッドールさんの選択は、その議論に一石を投じる「多くの類似の行為の一つ」に過ぎない。


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2017クリスマス雑感



クリスマス飾りup


2017年のクリスマスは忘れがたいものになった。生まれて初めて入院を伴う手術を受け、クリスマスを体調不良のうちに過ごした。

手術は外傷を伴わないものだが、器官の内部を切除するので出血し痛みをもたらす。やはり体への負担は避けられないのである。

麻酔から覚めて痛みを感じ出血を見定め、しばらくしてベッドから立ち上がった時、やはり生まれて初めて「老い」を意識した。

それは異様な感覚ではあったが、不快ではなく、「あ、なるほど・・」と納得して、今後多くなっていくのであろうそうした「感じ」とうまく付き合ってやるぞ、と思った。

進行してさらに症状が重なれば楽観してはいられないだろうが、今はむしろ老いの兆候を楽しみ期待する気持ちさえある。それはきっとまだ「老い」ではない、ということなのかもしれないが。

「いつまでも死なない老人」、と「老人の」義母が喝破した、嫌われ者の老人が巷にあふれている。実は僕の身内に3人、友人知己の身内にも多い。

「いつまでも死なない老人」とは、身も蓋(ふた)もない言い方をしてもしなくても、要するに《もう生きていてほしくない》と周囲が思っている老人のことである。

年齢的には、義母の言葉が生まれた状況や、有名方言大王『タローア・ソー』氏の“名言”の内容などから推して、「90歳を超えたあたり」というふうに考えれば分かりやすいかもしれない。

90歳を超えてもカクシャクとして、前向きで愚痴を言わず、生きることを楽しんでいる老人なら、200歳まで生きていても誰も「いつまでも死なない老人」などと陰口をたたくことはないだろう。

あるいはカクシャクとしてはいなくとも、足るを知り、高齢まで生きて在ることのありがたみを知って、その良さを周囲に分け与えてくれる老人なら誰もが、「いつまでも死なないでほしい」と願うだろう。

足るを知らないネガティブな存在の老人を、ありのままに受け止めて
「自らのためになす」方法を、僕はやはりことしのクリスマスのあたりで発見した。つまり、彼らを「反面教師」としてしっかり利用しようということだ。

付け加えておけば、「いつまでも死なない老人」の名言を吐いた義母は、その直後から急速に壊れて、今は彼女自身が「いつまでも死なない老人」の一人になってしまった。これは予想外の展開だった。

中国、北朝鮮、およびロシアなどへの僕の敵対意識に近い違和感は急速に薄れて、親近感とは言わないまでも、それらの国々の在り方を一方的に否定することが少なくなった。

トランプ米大統領の存在が原因である。つまり僕が尊敬し愛し肯定し続けてきたアメリカを破壊し、矮小化したトランプという男への嫌悪感の分だけ、僕の中では前述の3国への抵抗感が減少した。

同時に、安倍首相や周囲のネトウヨ・ヘイト・排外主義者らが、トランプ大統領やその(影の)側近のスティーブン・バノン氏などの「白人至上主義者」を称揚し、追随する異様な事態に寒気を覚えるのも今日この頃である。

それらのネトウヨ・ヘイト・排外主義者らは、自らも白人になったつもりなのか「白人至上主義」に凝り固まったアメリカの同種の人々と手を取り合って、日本人と同じ黄色人種の中国人や韓国・北朝鮮人を見下し嘲笑する。その有様は異様を通り越して滑稽だ。

それらの人々は、彼らが「トモダチ」と錯覚している白人種のネトウヨ・ヘイト・排外主義者らが、自分自身やまた同種の日本人を陰で「黄色いサル」などと呼んで蔑んでいる現実に、そろそろ気づくべきだ。彼らは白人種以外を真には認めないから「白人至上主義者」なのである。


「いつまでも死なない老人」も「いつまでも死なないでほしい老人」もいる~117歳の大往生~


姪っ子二人にキスされる400pic
117歳の誕生日を祝福されるエンマ・モラーノさん

2017年4月15日、イタリア北部マッジョーレ湖畔のヴェルバニア町で、世界最高齢者のエンマ・モラーノさんが亡くなった。117歳だった。

モラーノさんの誕生年は1899年。世界でただ一人の19世紀生まれの人物で
「3世紀にまたがって生きた女性」とメディアにもてはやされた。

昨年のモラーノさんの117歳の誕生日と、先日の彼女の大往生のニュースに接した時、僕は今年で91歳になる義母・ロゼッタ・Pの名言「いつまでも死なない老人」を思い出していた。

義母のロゼッタ・Pは先年、日本の敬老の日を評価して「最近の老人はもう誰も死ななくなった。いつまでも死なない老人を敬う必要はない」、と喝破した荒武者である。

その言葉は、自身が紛れもない老人である義母の口から言われた分だけ、僕にとっては目からウロコ的な名言に聞こえた。以来僕は、その言葉と高齢化社会について、頻繁に考えるようになった。

義母の言う「いつまでも死なない老人」とは、「ムダに長生きをし過ぎて世の中に嫌われながらも、なお生存しつづけている厄介な高齢者」という意味である。

そして再び義母の規定に従えば、世の中に嫌われる老人とは「愚痴が多く自立心が希薄で面倒くさい」人々のことである。僕は彼女の見立てに結構共感している。

同時にこうも思う。「いつまでも死なない老人」の中には、いつまでも生きていてほしい、と願いたくなる高齢者もいる、と。それは例えば、愚痴を言わず穏やかで優しかった僕の死んだ母のような老人だ。

エンマ・モラーノさんの場合もそういう風だ。モラーニノさんの生涯はつましいものだったが、彼女はそれに満足して生きてきた。少々の病気では医者にかかることさえせずに自然体で過ごした。

それは逆に考えれば、彼女が大病を患わない健康な人だった、ということだろうが、何かというとすぐに大げさに騒ぎ立てて、医者に駆け込む無体な老人ではなかった、ということでもあるのだろう。

またモラーノさんは100歳を過ぎてもカクシャクとしていて周りに迷惑をかけず、明るくひっそりと生きた。そんな女性がやがて世界一の長寿者とギネスブックに認定されたのだから、僕を含めた多くの人々が「いつまでも生きてほしい」と願っても不思議ではないだろう。

モラーノさんは今からほぼ80年前の1938年、暴力的な夫と決別した。それは彼女の幼い息子が亡くなった直後のことだった。以来彼女は、ジュート(黄麻) の袋を生産する会社で75歳まで働きつつ独身を貫いた。

2016年11月29日、117歳の誕生日を迎えるに際して、モラーノさんは長生きの秘訣は「毎日卵を2個食べること」と話した。

それと同時に「独身でいることも大事」と示唆した。欧州の中でも暴君気味の夫が多いとされる、イタリアの女性らしいコメントだと僕はそのとき感じた。

イタリアでは先ごろ、夫に先立たれた女性は、そうでない女性よりも長生き、という調査結果が発表されたばかり。暴君から解放された女性たちは、ストレスがなくなって元気になり、長生きする傾向があるという。

その調査結果が真実なら、恐らく日本の女性たちにも当てはまる現象に違いない。僕が知る限り、日伊両国のうち暴君気味の夫の割合は圧倒的に日本が多いように思う。

暴君気味の夫とは、男尊女卑の因習に影響されている男、という言い方もできる。そのコンセプトで見れば、イタリアの男性が日本の男性よりも陋習からより解放されているのは明らかではないか。

イタリアはまがりなにりにも欧州の一員だ。欧州は男尊女卑の悪習を切り捨てる努力を続けてある程度成功している。前述したようにイタリアは、その方面では欧州内の遅れた国群に属してはいるけれど。

モラーノさんは116歳になった頃に、寝たきりではないがベッドからあまり離れられない状態になって、フルタイムの介護が必要になった。耳もひどく遠くなった。視力も落ちてテレビ鑑賞もままならなくなった。

しかし、頭脳は明晰でおしゃべりが大好き。食事も小食ながらよく食べた。前述の卵2個とクッキーが定番。加えてベッド上でのスナックの間食も大いに楽しんだ。

モラーノさんが亡くなった今、世界最高齢者の栄誉はジャマイカのヴァイオレット・ブラウン(Violet Brown)さんに引き継がれた。ブラウンさんはモラーノさんより約4ヶ月若い1900年3月10日生まれである。

ブラウンさんについては僕は何も知らないが、モラーノさんの跡継ぎの彼女は、その事実だけでも「いつまでも死なないでいてほしい老人」の一人であることは、最早火を見るよりも明らかな成り行きではないか。

放言大王『タローア・ソー』のチョー名言「いつまで生きてんだよ、90歳」


麻生太郎副総理兼財務相 が「90歳になって老後が心配とか、訳の分からないことを言う人がいる。一体いつまで生きているつもりだ」という趣旨の発言をしたという。

僕は麻生さんの発言を早速イタリア人の義母ロゼッタ・Pに伝えた。義母はまさに90歳。昨年、日本の「老人の日」に際して「今どきの老人はもう誰も死なない。いつまでも死なない老人を敬う必要はない」と言い放ったツワモノである。

「お義母さんの友達が日本にもいるよ」と前置きして、麻生さんの発言を「いつまでも生きてんじゃねーよ。邪魔なんだよ90歳」みたいな、ちょっとふざけた 表現に訳して聞かせたら、義母は麻生さんの名前を独特の調子で発音しながら、「Bravo(良くぞ言った)Taroaso(タローア・ソー) Giovanotto(青年よ)」とカカ大笑した。高齢の麻生さんも義母の前では若造なのだ。

真正老人の義母が先頃、激増する長寿者を「いつまでも死なない老人」と喝破した見識は、僕をう~むとうならせた。イタリアを含む欧米諸国はみな日本同様に長寿国だ。老人問題は、特に先進国の全てが抱える深刻な事案だ。それは財政問題にほかならない。

高齢者の増加で年金を始めとする社会保障費の膨張は止まることを知らない。例えばイタリアでは100歳以上の人の数が、2002年の5650人から昨年は
19000人にまで増えた。言うまでもなくそれは慶賀するべきことだが、国の財政という意味では破産にも等しい結果をもたらしかねない。いや、もうもたらしつつある。

財務大臣の麻生さんは、そんなシビアな現実を少しジョークを交えて指摘したのだ。言い方は洗練されていなかったかもしれないが、発言の全体を見れば正論中の正論だったことは明らかだ。発言の一部だけを捉えて、放言だ暴言だと噛み付くのはいかがなものか。

イタリア人の義母は「いつまでも死なない老人」発言の中で、『最近の老人は
《私を含めて》もう誰も死なない』と表現した。死なない他人を責めながらも、自らも問題のまったき当事者だという意識を明確に持っているのだ。

聞くところによると、75歳の麻生さんは講演の度に同じような話をして「かく言う自分も後期高齢者になってしまった」と締めて会場の爆笑を誘うらしい。つ まり自分も「いつまで生きてんだよ」的な高齢者だ、と自虐ネタを言っているのだろう。深刻な問題を笑いに変えた力量を、むしろほめてもいいくらいの名言ではないか。

麻生発言の一部だけを切り取った報道に早速、「(老人を侮辱されて)私は怒っている」と言った民進党党首の岡田さんや「人間の尊厳云々」と表明した共産党の志位委員長の発言など、選挙目当ての偽善的な言動などよりよっぽど正直で人間味に溢れている。

財政面もさることながら、日本における高齢化社会の問題の一つは、昔ながらの「敬老」の精神だ。年寄りを敬う心は大切に違いないが、年寄りがひたすら敬われていれば済む限度を超えて長生きをしているのに、その現実を無視して敬う「振り」をし続けていることだ。

老人問題は日本的「敬老精神」だけでは解決できない。90歳にもなればさすがに静かに余生を過ごしてもらうべきだろうが、もっと「若い」高齢者に関しては、就職や労働や年金のカット等を含めて現実的な対応がなされるべきだ。それは老人を切り捨てろ、という意味では断じてない。

長寿を祝いつつも、長寿社会の弊害を正面から見つめるべき時期が来た、という当たり前の話だ。そうすれば、元気に長生きしている人間を「老人」とひとくくりにして、見下したり存在を無視したりしているだけのくせに、「尊敬する高齢者の年金をカットしてはならない」などという偽善的な声も少しは消えて、より理にかなった政策が打ち出せる。

麻生さんはそれらのことを表現を変えて口にしただけ、というのは言い過ぎだろうか?


いつまでも死なない老人の性欲は奇か快か



激増する長寿者を「いつまでたっても死なない老人」と喝破した、ほぼ90歳の義母の名言にここしばらくこだわっている。ハゲて太った点を別にすれば、精神のバカさも含めて30代や40代とあまり変わらないと感じる還暦の自分も、やはり確実に老いているのだろう。、

先ごろ、イタリア、ナポリ近くのサレルノ県スカファーティで、84歳の女性が88歳の夫と離婚したいと表明した。その理由は夫とのセックスに不満だから、というものだった。もっと正確に言うと、セックスの回数が少な過ぎるという主張である。

女性は元教師。4歳年上の夫は元銀行員。女性にとっては3回目の結婚。前夫2人とはともに死別。今の夫は前夫2人とは違って、月に2度しか彼女を愛してくれない。セックスの回数が少な過ぎて欲求不満だと女性は弁護士に告発した。

弁護士がさらに話を聞いてみると、女性は夫にバイアグラを飲んで頑張ってほしいために、離婚話を持ち出してプレッシャーをかけているのだという。夫が受け入れないなら離婚して、ほかに愛人を探す、と女性は言い募った。

女性の直訴に困惑した弁護士は、セックスに代わる何か、つまり女性の年齢に見合う趣味とか生き甲斐を見つけた方が良い、と彼女を促した。それに対して女性は「私には子供も子守をするべき孫も、甥っこや姪っこもいない。たった一つの楽しみがセックスだ。なぜそれを諦めなければならないのか?」と逆切れした。

この女性の言い分は、ある人にとっては眉をひそめたくなるものかも知れない。またある人にとっては滑稽なものであるのかも知れない。エピソードが新聞記事になり英語翻訳版まで出た事実が、興味本位の人々の関心を如実に示している。しかし、高齢者の性欲が好奇なものであるとは僕には思えない。

女性に相談を持ちかけられた弁護士が、セックスではなく年相応の何かに興味を持った方がいいとアドバイスしたことにも納得がいかない。上から目線の弁護士の言い分が事実なら、彼は弁護士を名乗る資格などない。愚かで無知で鈍感な人間だと思う。

江戸の名奉行大岡越前守は、不貞をはたらいた男女の取調べの際、女(やや高齢だった?)が誘った、との男の釈明に納得ができず、自らの母に「女はいつまで性欲があるのか」と問う。すると母親は黙って火鉢の灰をかき回して「灰になるまで。即ち死ぬまで」と告げた。

その話が実話か否かは問題ではない。エピソードには人の性の本質が見事に描かれているから、その話は万人の心を撃つ。年齢と共に変遷する人の心身のあり方には大きな個人差がある。性の様相も千差万別だろうが、人の性欲が死の間際まで存在するというのは普遍的事実だろう。

従って、84歳の女性がセックスに生き甲斐を感じていても何も不思議ではない。そこでの少しの驚きは、女性が夫にバイアグラを飲んでくれと主張した点だ。高齢の女性の旺盛な性欲はそれだけで既に興味深いが、老夫婦の性愛が依然として肉体的な結合であるらしいのは、少なくとも僕にとっては、新鮮な発見だ。

生殖を念頭におかない高齢の男女のセックスは、性器の結合よりもコミュニケーションを希求する触れ合いのセックスである場合が多い。つまりそれは男女が、いわば「生きている」ことを確認し合う行為である。愛の言葉に始まり、唇や手足や胸や背中に触れ合って相手をいつくしむ。

高齢者のセックスの場合は体のあらゆる部分が性器だと表現する専門家さえいる。それは「柔和な癒し合い」という意味だろうが、同時にそれはもしかすると、若い頃のセックスよりもめくるめくような喜びを伴なうものであるのかもしれない。なにしろ体全体が性器だというのだから。

女性の要望や欲求は決して滑稽なものではないと思う。元気で、且つ心と体が若い彼女は、セックスを楽しみたいのである。老人の心身は枯れてしぼんでいるべきで、その年でセックスしたいなどというのはイヤラシイ、恥知らず、気持ち悪いなどというのは、あたらない。

それでも「ババアの性欲はキモイ」みたいな石原慎太郎的差別発言をする者がまだいるなら、僕はその人にこう聞きたい。ならばこの女性が性依存症ならどうだろうか、と。それでもあなたはこの女性を「年寄りのくせにセックスなんか考えるな」と責め続けるだろうか、と。

日本では「セックス中毒」などと面白おかしく語られがちだが、性依存症はりっぱな病気だ。最近の有名例では、ゴルフのタイガー・ウッズがその病気のために世間から総スカンを食って、ついにゴルフ界の帝王の地位から転げ落ちたことが記憶に新しい。

イタリアの片田舎に住むこの高齢の女性は、もしかすると性依存症なのかもしれない。そうだとするなら彼女のセックス好きは、いわば快楽という名の地獄である。それは苦しい病であり、同情されてしかるべき性癖だ。

そうではなく、彼女は年齢が進んだ今もひたすらセックスが好きでしかも実践し続けていたい、というなら、それはそれで素晴らしいことではないか。それを否定するのは、例によって高齢者を「老人」とひとくくりにしてその存在を貶める、世の中の偏見と差別と偽善の所産に過ぎない。

いつまでも死なない老人はどう生きるべきか



去った敬老の日に「いつまでも死なない老人を敬う必要はない」と断言したのは、間もなく90歳になる義母、ロゼッタ・Pである。正確に書くと彼女のセリフは「私のようにいつまでも死なない老人を敬う必要はない」という主旨だった。

義母は真正の老人であるから、彼女が「私を含む」老人はこうあるべき、という形の発言をしても許されると思う。しかし、第三者のたとえば僕が、老人はどう生きるべきか、などと発言するのは僭越であり非礼であり許されないことである。

従って僕はこの記事では、僕自身の将来、つまり必ず老境に入っていく自分はこうありたい、ということを語ろうと思う。還暦の僕は義母ほどの老人ではないが、20代や30代の若者からみればりっぱな老人だろうから、そう語る資格があると思うのである。

一言でいえば、全ての老人は義母が指摘した「老人は愚痴が多く自立心が希薄で面倒くさい」という概念を完全否定する生き方をするべきである。つまり「愚痴を言わず自立心を強く持ち他者に面倒をかけない」ことだ。それは義母自身の生き方でもある。

病気や老衰で動けなくなれば仕方がないが、長生きをする者は義母のように生涯を過ごすのが理想だろう。いや、それを他人事のように「理想」と言ってはならない。そういう生き方を目指すのがむしろ老人の義務だ、と僕は考えている。

ここで言う自立には2つの側面がある。1つは義母が指摘した心体の自立である。それはほぼ健康と同一語だ。肉体の自立は己の意志ではどうしようもないケースが多々ある。病気は他動的なものだからだ。しかし、精神の自立は逆に能動的に獲得できるものだ。

高齢者の精神の自立とは、子供が親離れをするように老人が子供離れをすることである。体が動くのに子供に頼ろうと希求する老人は、少なくとも僕の周囲で は、欧米人に比べて日本人が圧倒的に多い。それは若年の頃から自立志向の教育を受けていないのが原因である。日本人の自立心の弱さは日本国の弱さと同じも のだ。

もう一方の側面は経済的な自立である。これは年金という助けによって成されるべきだが、基本は飽くまでも自らで稼ぐ形でなければならない。つまり、いつま でも死なない老人は、元気でいる限り仕事もするべきである。それもまた老人の義務と言っても良いと思う。それは年金給付年齢の引き上げ、という政策とほぼ 同義でもある。

イタリアを含む欧州のほとんどの国は日本同様に長寿国である。世界の他の先進国も事情は同じだ。それらの国では年金を始めとする社会保障費の膨張は止まる ことを知らず少子化も深刻だ。長寿者は元気に長く生きているのだから、その分仕事をして経済的に自立しなければ国の財政が破綻するのは目に見えている。

敬老の日にちなんで発表された厚労省の統計によると、65歳以上の高齢者が日本の総人口に占める割合は、おととし初めて25%を超えてからも増え続けていて、今年は26,7%。過去最高になった。日本人の4人に1人以上が高齢者だ。

また80歳以上の人は1002万人、史上初の1000万人越えである。それらは慶賀するべきことだろうが、国の財政つまり社会保障費というシビアな観点から見れば、破滅的な状況と言っても過言ではない。

それらの数字が示唆しているのはやはり、高齢者も仕事をするべき、という当然過ぎるほど当然な成り行きである。高齢者というコンセプトには、仕事をしない年齢あるいは仕事ができない年齢の者、というニュアンスが込められている。

ならば今や高齢者と規定されるべき年齢は65歳ではなく75歳、いやもしかすると80歳でも良いのではないか。65歳以上を高齢者と規定する日本社会のあ り方はもはや時代錯誤だ。高齢者を「老人」とひとくくりにして尊敬する振りで見下したり、無視したりせずに、労働力としてもしっかりと認識するべきであ る。

高齢化の進展という流れで言えば、不惑などというのも40歳ではなく50歳、それどころか思い切って60歳と改めた方が良いとさえ思う。現代人はそれほど長く生き、高齢者も多くがカク シャクとしている。人生50年とも言われた時代に規定された、高齢者の概念を後生大事に抱え込んでいる日本の状況は異常だ。

元気な高齢者が働いて、不幸にして病気や老いで倒れてしまう他の高齢者の生活を支える、というくらいの発想の転換があってもいい。もちろんそれだけでは足りないだろうから、社会保障費をそこに回して手助けをしなければならないのは言うまでもない。

また少子化を穴埋めするために移民を受け入れて、人生経験の豊富な高齢者が移民と1対1で彼らを導き、教育をして日本の文化や風習に溶け込んでもらう手 助けをする、というような仕組みもあっていい。誤解を恐れずに敢えて言えば、彼ら移民を監視誘導して“日本人”になってもらう努力をする、といったことで ある。

超高齢化社会では老人自身と社会全体の意識改革が求められていて、それは若年のころから国民を教育しないと完成しない。恐らく今もっとも求められているの は、「年相応に」とか「年甲斐も無く」とか「~才にもなって・・」などと、人間を年齢でくくって行動や思想や生き方を判断し、その結果として精神を呪縛 し、閉塞感と狭量と抑圧に満ちた世界を形成する、東洋的な行動様式からの1日も早い決別である。


書きそびれていることども:2015年10月14日

書こうと思いつつ優先順位が理由でまだ書けず、あるいは他の事案で忙しくて執筆そのものができずに後回しにしている時事ネタは多い。僕にとってはそれらは「書きそびれた」過去形のテーマではなく、現在進行形の事柄である。

過去形のトピックも現在進行形の話題もできれば将来どこかで掘り下げて言及したいと思う。その意味合いで例によってここに箇条書きにしておくことにした。

いつまでも死なない老人はいかに生きるべきか
敬老の日に老義母(ほぼ90歳)は「今の老人は誰も死なない。いつまでも死なない老人を敬うな」と発言して僕をう~むとうならせてくれた。老人問題は、日本とイタリアを含む先進国の全てが抱える、国の根幹にかかわる深刻な事案だ。同時にそれは哲学の問題でもある。

いつまでも死なない老人はいつまでセックスをするべきか
つい先日、イタリア、ナポリ近くのサレルノ県スカファーティで、84歳の女性が88歳の夫と離婚したいと表明した。その理由は夫とのセックスに不満だから、というものだった。もっと正確に言うと、セックスの回数が少な過ぎるという主張である。それってニュースにしなければならないほど奇妙なことなのだろうか。

沖縄県の翁長知事の国連スピーチの是非
彼はなぜ尋常ではない手段に出たのだろうか。そもそも彼の手法は本当に尋常ではないのだろうか。国連演説(2分間という短いものだが意義は大きい)に続いて、知事は辺野古の埋め立て承認取り消しも発表した。沖縄の基地問題は佳境に入った。僕は翁長知事を支持する。

欧州大陸から見るサッチャーの賜物
僕は2年前、サッチャー元英国首相の死に際し「イギリスはサッチャーの賜物」と題して、欧州とは距離を置く英国について書いた。EUの一員でありながら、難民問題で欧州とは違うスタンスを取る今の英国を「欧州大陸から眺めるサッチャーの賜物」という視点で分析。

大航海(時代)を呼んだ大西洋の風 
初夏に訪ねたスペイン・アンダルシアでは、セビリア、コルドバ、グラナダ等をじっくりと見て、太陽海岸で遊び、ジブラルタルを訪ねた後に大西洋沿岸に常時吹き付ける強風を体験した。

その風こそ、アトランティス伝説を生んだ、地中海と大西洋を劇的に隔てる荒海の暴風である。コロンブスはその風を捉えて猛る海に乗り出しアメリカにたどり着いた。大航海時代の先陣を切ったのが、さらに強い風の吹くポルトガルの勇者たちだったのは恐らく偶然ではない。

など。

など。


いつまでも死なない老人を敬う必要はない


去ったシルバーウィークの期間中、間もなく90歳になるイタリア人の義母に日本には「敬老の日」というものがある、と会食がてらに話した。

義母は即座に「私を含めて最近の老人はもう誰も死ななくなった。いつまでも死なない老人を敬う必要はない」ときっぱりと返した。

老人は適当な年齢で死ぬから大切にされ尊敬される。いつまでも生きていたら私のようにあなたたち若い者の邪魔になるだけだ、と義母は続けた。

そう話すとき義母は微笑を浮かべていた。しかし目は笑っていない。彼女の穏やかな表情を深く検分するまでもなく、僕は義母の言葉が本心から出たものであることを悟った。

老人の義母は老人が嫌いである。老人は愚痴が多く自立心が希薄で面倒くさい、というのが彼女の老人観である。そして義母自身は僕に言わせると、愚痴が少なく自立心旺盛で面倒くさくない。

それなのに彼女は、老人である自分が他の老人同様に嫌いだという。なぜならいつまで経っても死なないから。彼女は80歳を過ぎて大病を患った頃から本気でそう思うようになったらしい。

僕は正直、死なない自分が嫌い、という義母の言葉をそのまま信じる気にはなれない。それは死にたくない気持ちの裏返しではないかとさえ考える。だがそれはどうやら僕の思い違いだ。

義母は少し足腰が弱い。大病の際に行われたリンパ節の手術がうまく行かずに神経切断につながった。ほとんど医療ミスにも近い手違いのせいで特に右足の具合が悪い。

足腰のみならず、彼女は体と気持ちがうまくかみ合わない老女の自分がうとましい。若くありたいというのではない。自分の思い通りに動かない体がとても鬱陶しい。いらいらする。

もう80年以上も生きてきたのだ。思い通りに動かない体と、思い通りに動かない自分の体に怒りを覚えて、四六時中いら立って生きているよりは死んだほうがまし、と感じるのだという。

そういう心境というのは、彼女と同じ状況にならない限りおそらく誰にも理解できないのではないか。体が思い通りに動かない、というのは老人の特性であって、病気ではないだろう。

そのことを苦に死にたい、という心境は、少なくとも今のままの僕にはたぶん永遠に分からない。人の性根が言わせる言葉だから彼女の年齢になっても分かるかどうか怪しいところだ。

ただ彼女の潔(いさぎよ)さはなんとなく理解できるように思う。彼女は自分の死後は、遺体を埋葬ではなく火葬にしてほしいとも願っている。カトリック教徒には珍しい考え方である。僕はそこにも義母の潔さを感じる

カトリック教徒が火葬を望む場合には、生前にその旨を書いて署名しておかない限り、自動的に埋葬されるのが習わしである。

そこでカトリック教徒である義母は、50歳台半ば頃にそのことを明記した書類を作成して、火葬協会(SOCREM)に預けた。娘である僕の妻にもコピーを一部渡してある。

現在は書類を作らなくてもカトリック教徒を荼毘に付すことができる。しかし義母がまだ若かった30~40年前までは、イタリアでは火葬は奇怪な風習とみなされていたのだ。今もそう考えるカトリック教徒は多い。

また義母はこのさき病魔に侵されたり、老衰で入院を余儀なくされた場合、栄養点滴その他の生命維持装置を拒否する旨の書類も作成し、署名して妻に預けてある。

生命維持装置を使うかどうかは、家族に話しておけば済むことだが、義母はひとり娘である僕の妻の意志がゆらぐことまで計算して、わざわざ書類を用意したのだ。

義母はこの国の上流階級に生まれた。フィレンツェの聖心女学院に学んだ後は、常に時代の最先端を歩む女性の一人として人生を送ってきた。学問もあり知識も豊富だ。

彼女は80歳台前半で子宮ガンを患い全摘出をした。その後、苛烈な化学療法を続けたが、副作用や恐怖や痛みなどの陰惨をひとことも愚痴ることがなかった。毎日を淡々と生きて来年1月で90歳になる。

理知的で意志の強い義母は、あるいは普通の90歳の女性ではないのかもしれない。ある程度年齢を重ねたら、進んで死を受け入れるべき、という彼女の信念も特殊かもしれない。

だが僕は義母の考えには強い共感を覚える。それはいわゆる「悟り」の境地に達した人の思念であるように思う。理知的ではなかったが僕の死んだ母も義母に似ていた

日本の高齢者規定の65歳が待ち遠しい還暦まっ盛りの「若造」の僕は、運よく80歳まで生きるようなことがあっても、まだ死にたくないとジタバタするかもしれない。

それどころか、義母の年齢やその先までも生きたいと未練がましく願い、怨み、不満たらたらの老人になるかもしれない。いや、なりそうである。

だから今から義母を見習って「死を受容する心境」に到達できる老人道を探そうかと思う。だが明日になれば僕はきっとそのことを忘れているだろう。

常に死を考えながら生きている人間はいない。義母でさえそうだ。死が必ず訪れる未来を忘れられるから人は老境にあっても生きていけるのだ。だが時おり死に思いをめぐらせることは可能だ。

少なくとも僕は、「死を受容する心境」に至った義母のような存在を思い出して、恐らく未練がましいであろう自らの老後について考え、人生を見つめ直すことくらいはできるかもしれない。

これといった理由もないままに忘れ果てていた「敬老の日」が、いつからか9月の第三月曜日と決められ、且つその前後の日々がシルバーウィークと呼ばれることを今回はじめて知った。

「敬老の日」の前日の日曜日、いつもの週末のように妻が母のもとを訪れた際に、妻に伴って行って僕も義母に会った。そこで日本の「敬老の日」の話をしたのである。

義母は足腰以外は今日もいたって元気である。身の回りの世話をするヘルパーを一日数時間頼むものの、基本的には「自立生活」を続けている。そんな義母にとっては「敬老の日」などというのは、ほとんど侮辱にも近いコンセプトだ。

「同情するなら金をくれ」ではないが、「老人と敬うなら私が死ぬまで自立していられるように手助けをしろ」というあたりが、彼女がきっと日本の「敬老の日」への批判にかこつけて僕ら家族や、役場や、ひいてはイタリア政府などに向かって言いたいことなのだろう。

言葉を変えれば、義母の言う「いつまでも死なない老人を敬う必要はない」とはつまり、元気に長生きしている人間を「老人」とひとくくりにして、「敬老の日」などと持ち上げ尊敬する振りで実は見下したり存在を無視したりするな、ということなのだろうと思う。

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