【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

極右を斬り、極左を撃つ

核弾頭を抱いて寝る高市首相に添い寝するのが歴史修正主義者である

嵐

高市首相が白紙委任を求めた、国論を二分する政策とはいったい何か。それほど難しくない問いに既存メディアを含む多くの答えがネット上に踊っている。

最もポピュラーな推理は憲法改正であり、自衛隊存在の明確化であり、スパイ防止法であり、皇室典範改正であり、外国人差別法の整備などだろう。

どれを見ても極右が改悪に向けてしゃかりきになるなるであろうイシューばかりである。

多くの推論の中で刺激的なのは、内田樹氏が指摘した「核武装挑戦論」だろう。

日本が核武装をするには、実現がほぼ不可能と考えられるほどの高いハードルがある。おそらく最大のものは「宗主国」アメリカを含む国際世論の反発である。

次いで開発費また維持運営費が膨大であること。

国際世論に匹敵する大きな壁もある。唯一の被爆国である日本国民の、核への強いアレルギー&絶対反対論である。

日本核武装論は、日本極右の主上アメリカが、自らの利益のために日本を核武装させるというものである。それはアメリカの国際政治・外交専門誌 「Foreign Affairs」に掲載された論文がになっている。

世界情勢とアメリカの立ち位置、また経済利益を最優先に政策を練るトランプ主義の実相を論理的に分析して、日本の核武装の可能性を説いたもので説得力が極めて高い。

トランプ大統領を含む米保守層の一部に、日本を核武装させようという考えがあるのは周知の事実だ。そこにもある程度の説得力がある。

今はあくまでも少数派だが、トランプ以後もトランプ主義がアメリカを席巻するようなら、もっと現実味を帯びていく可能性がある。

だが、そうならない可能性も高い。

なぜならアメリカのリベラル主流派は、日本に核武装をさせるのはナントカに刃物と同じ、という強い警戒感を抱いている。

第2次大戦を主舞台に激情に駆られて我を忘れ、殺戮と破壊の限りを尽くした暴虐狂気の日本人の姿を、彼らは決して忘れていない。

その陰鬱なイメージにつながるのが、戦争を総括することなく、従って日本人自身の狂気の意味も原因も知らない日本軍国主義者、あるいは歴史修正主義者の群れだ。

言葉を換えれば、高市首相から安倍元総理、さらにはその祖父の岸信介戦犯首相らの系譜へと遡る「激昂する極右」の精神の集合体が、依然として跳梁跋扈している。

そして過去を見つめようとしない彼らは、必ず過去の過ちを繰り返す。だから日本の核武装などもってのほか、というのがアメリカの半分の知性群の判断である。

ところが高市首相と政権を支える極右モメンタムは、歴史修正主義史観にまみれたままで総選挙を戦い、地滑り的勝利を収めると予測されている。

選挙結果が予測どおりになるならば、日本核武装論はあるいはトランプ主義の強いバックアップを受けて、前のめりになる可能性も否定できない。

憂鬱極まりない事態なのである。



facebook:masanorinakasone






独裁者サナエ・タカイチが日本を再生させる


キンペー高市合成650

高市早苗首相の荒唐無稽&抱腹絶倒のスローガン「世界の真ん中で咲き誇る日本、また日本外交」が実現する可能性が高まっている

それを示唆するのは高市首相支持率が最大90%にも上るという統計さえある若年層国民の存在である。

インターネット世代の若者らには、彼らより年齢がはるかに上の高市首相と共通の、反知性的な思考パターンがある。

昔日の日本の、あるいは昭和世代の親たちの、仕事第一主義、伝統的な家族形態への強い執着、努力の神聖視などの古い価値観が、SNSを通して共有され極大拡散されて、それらが日本初の女性首相となった高市氏の成功物語とも重なり、いよいよ若者受けするようになった。

若い世代が高市首相を慕う心理は、ごく自然に反中国感情とも共鳴し重層的に広がって、彼らはさらに興奮し激昂高揚 して我を忘れる。

若者は高市首相の台湾有事発言に対する中国の反発に、その意味を理解することなく、また理解もできないながら“衝動“反発して、高市首相の強硬姿勢を称えますます意気衝天する。

台湾有事発言を撤回しない高市首相の思い上がった態度を支えているのは、中国に対する優越意識であり嫌中国感情である。それは実は、経済大国になり従って軍事大国ともなった隣への畏れと不安の裏返しに過ぎない。

日中の複雑な関係を天皇の赤子論に基づく胡乱な選民意識によって卑小化し、同国から朝鮮、さらにはアジア全体を侵略蹂躙した「暴虐日本の蛮人魂」は、極右カルト信奉者らのなかに今もしっかりと生きている。

故安倍元首相の虎の威を借りて、傲岸な態度で国会内を闊歩し睥睨していた過去からも判るとおり、高市首相には庇護者の力をバックにして威張り散らす傾向がある。

彼女が中国に居丈高になっているのは、既述の日本極右の専売特許である「中国からアジア全体蔑視主義」に加えて、アメリカという虎の威光を笠に着ての背伸びでもある。

彼女は日本の過去の加害の歴史を意図的に無視して、あるいは真にそのことに無知であるがために、天皇崇拝、靖国跪拝、日本会議抱擁、統一教会愛護、神社本庁恭順、また安倍晋三カルト神殿随順、 などの狂信的右翼ドグマに取り憑かれ、そのドグマの威光で中国を屈服させられると考えているように見える。

支持者の若者たちとそのアイドルの高市首相&取り巻きまた今述べた極右カルト勢力の全てには、戦争加害者の意識が完全に欠落している。

そしてもっとさらに現実を直視すれば、戦後の日本国民全体を金縛りにしている「我ら日本人はひたすら先の大戦の被害者」意識が、事態を一段と悪化させる。

戦争の総括を責任放棄したために、日本人はある時点から戦争の加害者であることを忘れて、自らを戦争の被害者と決め込み被害者意識の傷をなめることばかりにかまける性癖を獲得した

戦後の日本人は老いも若きも誰もが、広島、長崎の原爆も東京空襲も沖縄戦の悲劇もひたすら被害者の目線で見てこれを嘆き、恨み、怒ってきた。

ではそこでの加害者は一体誰なのか。アメリカか?連合軍か?中国か?

断じてそうではない。

加害者は昭和天皇であり、軍部であり、岸信介を筆頭にする戦犯である。

戦前、戦時中に日本国民は誰もが戦争を称揚し、喜び、悪鬼となって敵を憎み、勝利に酔い、アジア侵略に興奮した。従って日本国民は誰もが加害者だったという考え方もある。

だが国民をそこに導いたのは天皇を中心とする権力機構であり軍部でありそれを翼賛した多くの戦争共犯メディアだ。

それでもやはり日本国民に罪があるとするなら、国民が国民自身の手で戦犯のただの1人も断罪しなかった痛恨の歴史だ。

米占領軍の意向で天皇が助命され、やはりアメリカの心算で戦犯との取引がなされて、日本の暗部の多くがアメリカによる日本支配のためのツールとして利用された。結果、仕置きの機会が遠のいた、というのは言い逃れに過ぎない。

なぜならば同じ穴のムジナ仲間だった日独伊三国同盟の悪鬼ドイツを見てみればいい。それに続いた小悪魔のイタリアも凝視してみればいい。

彼らは、特にドイツは、日本がアメリカ主導の極東裁判だけで大戦の仕置きを終わらせたのとは違い、「ニュルンベルク国際軍事裁判」の後も徹底して戦犯を追及し処罰し総括した。それは2026年現在の、今も続いている驚くべきアクションだ。

またイタリアは、戦犯の格としてはいわば同国の昭和天皇であったムッソリーニを処刑し、彼の盲従者らの戦争遂行意志を根絶するために、敢えて遺体をミラノの中心広場の一つに逆さ吊りにして晒しものにした。

イタリアは大戦の途中でドイツと仲違いし連合国側に無条件降伏した後、ドイツに宣戦布告した。のみならず連合国側に味方したいきさつもあって、戦後はドイツのような厳しい戦犯追及はしなかった。

しかしドイツの徹底総括は、かつて彼らの仲間だったイタリアの良心も激しく揺さぶり続けた。ドイツの厳しい戦後処理は、ムッソリーニを処刑したイタリアの民衆の反ファシズム精神を刺激し伸張させて、やがて強固なものへと変貌させた。

ところが今日も戦犯の追及を続けているドイツにおいてさえ、驚いたことに近年は極右勢力が台頭している。それどころかイタリアでは、極右ともネオファシストとも規定されたりする政党「イタリアの同胞」が政権党になり、党首のジョルジャ・メローニ氏が首相の座に就いている。

だが日独伊の悪の枢軸を形成した3国のうち、戦前の全体主義勢力の陰湿な精神風土が残っているのは日本極右だけである。それはひとえに戦争総括の欠如と、その結果生じた「加害者日本」意識の消滅によっている。

戦後日本の最大の闇の一つが、雲霞のごとく湧き続ける歴史修正主義者の跋扈だ。高市早苗首相はその首魁なのである。

ヒトラーはヒトラーを知らなかったがドイツの極右はヒトラーを知っている。同じくムッソリーニはムッソリーニを知らなかったが、イタリアの同胞を筆頭にする同国の極右はムッソリーニを知悉している。だから彼らはヒトラーにはならず、ムッソリーニの轍も踏まないと僕は予測する。

たとえ彼らがそこに向かおうとしても、大戦を厳しく総括したドイツとそれに倣うイタリアの両国民、またその影響も受けて全体主義に立ち向かおうとする意志が強固な欧州全体の世論がこれを阻止するだろう。

日本の極右は日本軍国主義を知らない。わずかに知っていても歴史修正主義者の宿命で過去への反省がなく同じ轍を踏む可能性が極めて高い。

いま盛んに右カーブを切って燃えている若者たちは、日本がかつて巨大な加害者だったという戦争の実相を学校で習わなかったために、極右の醜顔を脱悪魔の仮面で覆って「強い日本を」と叫ぶ高市首相に魅入られている。

彼らは被害者である。だが過去を知らない危険で凶暴な被害者である点が憂鬱だ。

彼らはもしかするとごく近い将来、高い支持率に押されて独裁権を握る高市首相とファシズム勢力に加担して、中国に戦争を仕掛けるかもしれない。その時アメリカは、トランプ主義の流儀に則って自らの利益にならない仕事はしないと決め、日本を助けようとはせずにこれを静観する。

結果、日本は第2次大戦の轍を踏んで再び廃墟と化する。だが幸いにも民主主義を信奉するリベラル思考の国民が生き残って、戦場に行かず空爆やミサイル攻撃の難も逃れた権力中枢と軍部を徹底糾弾する。

国民は今度こそ戦犯の全員を断罪し、余罪を徹底追及し、殲滅する。そうやっていま現在のドイツとイタリアに近いメンタリティーの市民が繁栄する日本国が誕生する。

もしもそうなれるのなら、再び廃墟となる巨大な不幸を代償にしてでも日本は生まれ変わったほうがいい。

もっとさらに良いのは、しかし、言うまでもなく戦争が回避され且つ高市政権が崩壊して、ファシストの高市早苗首相が永遠に政治の舞台から去ることである。

だがその後は日本はやはり、忘れられつつある第2次大戦を必ず徹底総括して加害者としての自分を見つめなおし、せめてドイツまたイタリアのレベルにまで民度を高めて、真に世界に信頼される国家になるべきだ。

そうなれば「世界の真ん中で咲き誇る日本、また日本外交」などと、痴呆じみた笑劇スローガンを言い募る必要もなくなる。

なぜなら日本が歴史修正主義者のいない国家に生まれ変る暁には、世界のほうが懸命に日本に擦り寄って来て、日本は嫌でも世界の真ん中に押し祭られて行くからである。

その観測が荒唐無稽という者がいるならば、僕はこう訊きたい。

かつての軍国主義の亡霊が、生霊となって体内に出現したのでもあるかのような荒ぶる高市早苗氏が、日本の首相にまで成り上がった荒唐無稽をあなたは一体どう説明するのか、と。




facebook:masanorinakasone





メローニ首相ににママごとを押し付けた高市首相の人間失格

高メロ自撮り650

115日から17日にかけてイタリアのメローニ首相が日本を訪問し、高市首相との友情を確認し合った。

友情を確認し合ったというのが、高市首相側が主張する邂逅の成果である。

それは就任以来、台湾有事発言などの失策が多い高市新米首相の、外交劇で得点を稼ぎたいという切実な思いがこもったドタバタ喜劇だった。

当時は既に、高市首相が衆院を解散するという憶測が乱れ飛んでいた。そのため2人の出会いを新聞テレビほかの大手メディアが大きくは報道することはなかった。彼らの主眼は解散総選挙にあった。

ネットメディアもそれは同じだったが、同時にYouTubeを中心にメローニ首相訪日の話題も盛んに伝えた。

ロンドン発のNHK衛星放送が消滅して以来、残念ながら同局の番組を観るのが日ごとに少なくなっている僕は、主にYouTubeで高市首相によるイタリアの相方の歓迎式またそれに続く大衆演芸風会談などをかなり詳細に見た。

歓迎セレモニーの式次第は、たとえ誰が首相でも同じなのだろうが、高市総理の動きはまるで女子高校生にも似た高揚感と幼さとが入り混じり溢れまくっていて、強烈な違和感を覚えた。

それは就任直後、彼女がトランプ大統領の脇でぴょんぴょん跳ね回り彼の腕にすがって満面に笑みを浮かべていた状況を髣髴とさせるもので、見ていて気恥ずかしかった。

高市首相はメローニ首相の隣ではぴょんぴょん跳ねることはなかった。

彼女の腕を同位の者として親しみをこめ自らの腕にからめるような仕草はしても、男に媚びる女が相手の腕にすがって艶笑する姿はむろんなかった。

だが彼女の気分の得意と媚と、さらに英語本来の意味での「ナイーブ」さなどが錯綜した軽挙妄動は、見ていてとても辛いものだった。

高市首相は外交の晴れ舞台で、少女のようにはしゃぐ心を懸命にこらえつつ、歓迎儀式の遂行に心を砕いていることがわかった。だが彼女がそうすればするほど、一挙手一投足が幼く見えたのだ。

そこに輪をかけるかのように彼女は、相方のメローニ首相を「ジョルジャ」、「ジョルジャ」と敢えてファーストネームで、しつこく、呼び続けた。

それは80年代に中曽根康弘首相がレーガン大統領とロン・ヤスの関係を結び、首脳同士が名前で呼び合う関係が定着して以降の、日本側の一方的な昼想夜夢だ。

その悲恋は直近では、故安倍首相がトランプ大統領とこれまたフェイクな友達関係を構築した物語

高市首相は、そこでもまた自身のアイドルの故安倍首相を猿真似て、ファーストネームを連呼する小恥ずかしいありさまを強調しては、メローニ首相を無理にそして無闇に名前で呼び続けたものである。

やることなすことの全てが、まるで女子高生のお祭りのように幼い高市首相の挙動に、メローニ首相が戸惑う様子が見え見えだったが、日本側はそれにまったく気づかないようだった。

その一方で首相職4年目に入るメロ-ニ首相は、極右と呼ばれた時間を経て、政権担当以後はいわば外柔内剛の中道保守とでも形容されるべき「穏健」な極右へと姿を変えた。

そんなメローニ首相には、高市首相が囚われている、男性中心の組織社会で女性が這い上がるために見せる「過剰同一化」の悲哀がない。

片や高市首相は、彼女の絶対的アイドル故安倍首相の腰にしがみついて、過剰に男性に同化する手法で自民党の男ジャングルの中を泳ぎ回りのし上がった人物だ。

彼女は生き延び栄進するに連れて、男への過剰同調をさらに過激に推し進めた。

結果、女性でありながら夫婦別姓制に反対するなどの奇怪な道をさえ歩み続けた。

そしてついには極まって、トランプ大統領の腕にすがって女子高生よろしくぴょんぴょん跳ねたり、メローニ首相歓迎儀式でみせたママゴト外交を、大真面目で遂行する噴飯ものの行動様式を獲得するまでになっている。

彼女はそうした自らのやり方を、再び自身のアイドル故安倍首相のひそみに倣って「世界の真ん中で咲き誇る日本また日本外交」と自画自賛する。

世界の果ての忘れられた島々で、噴飯逆説物語以外の何ものでもない「世界の真ん中で咲き誇る日本また日本外交」をキャッチフレーズに、お祭り騒ぎを演出する高市首相の、心の内奥の無念はいかばかりだろうか。

寂しい境涯にある高市首相がメロ-ニ首相歓迎式典や会談で見せた幼い言動は、彼女の戦争ごっこ好きや極右三昧言動などとあいまって、日本の行く手に垂れ込める暗雲そのものにも見え、憂鬱を通り越して不気味でさえあった。

もっともそこで寂しさを知るほどの感性があるのなら、「世界の真ん中で咲き誇る日本や日本外交」などという、穴があったら入りたいような尻こそばゆいフレーズを臆面もなく口にすることなどありないだろうが。

女性であることを侮られないように死に物狂いで男に過剰同化して、ついには日本のトップにまで上りつめた高市首相が、キャリアの仕上げの段階で女子丸出しにも見えたママゴト外交をやらかしたのは、結局彼女が女性だからというのが理由ではなく、ただの無能な宰相だから、というのがフェアな採点だろう。

世界には彼女のママごとに付き合わされたメローニ首相を筆頭に、サッチャー、メルケル、また歴史を辿れば シリマヴォ・バンダラナイケ、 インディラ・ガンディー、ゴルダ・メイア、 エレン・ジョンソン・サーリーフなどなど、優れた女性リーダーが数多くいる。

そして彼女たちは女性首脳だからではなく、卓絶したリーダーだからそう評価されているのである。





facebook:masanorinakasone







高市首相はメローニ首相のプラグマティズムをしっかり見習え

拡大美人Meloni&高市319原版を450に

ここイタリアのジョルジャ・メローニ首相が1月15日から17日にかけて日本を訪問し高市首相と会談する。

イタリアと日本というG7の味噌っかす国の首脳同士が会って、いったい何を話すんだい、と訊きたいところだが、人は互いにマッチョ且つ男尊女卑な政界を持つ国で、初の女性首相となったともがらだ。なんとなく親近感を覚えるのだろう。

しかも双方ともに極右と規定されることが多い右派政治家である。

そのあたりにこの不思議な邂逅の秘密があるが、それでは国民を納得させられないので、どうでもいいような一応の理屈を幾つも発明している。

いわく、日伊外交関係樹立160周年を記念して両国の友好・協力関係を一層深化させる。いわく、両首脳の個人的な信頼関係を構築する。 いわく「戦略的パートナーシップ」の強化を図る。いわく安全保障協力の強化など、など。

だがその「催し物」は、日本側のほとんど懇願に近い要請で実現したことは明らかだ。

なぜなら、高市首相にはメローニ首相を招いて外交演出をすることで、台湾有事発言に始まる自らの危なっかしい政権運営に少しでも役立てたい思いがある。

片やイタリアにとっては、メローニ首相が日本の相方と会うメリットとは何もない。内政をおろそかにして日本までの長旅をするのは時間の無駄だ。むしろ迷惑だろう。

それでも行くのは日伊間の友情への配慮と、日本初の女性首相となった高市氏への義侠心だろう。

そんな2人だが、政治信条や手腕また人格には、天下一品メローニと生活必需品高市ほどの違いがある。

中卒程度の学力を持つメローニ首相は、15歳でファシスト党の流れを組むMSIに参加し、活発な右翼活動家となった。

2012年には同じ流れの極右政党、「イタリアの同胞」を結成。以後、その泡沫政党を率いて党勢を拡大させた。

そしてついに2022年、総選挙で第一党に躍り出て政権を奪取。イタリア初の女性首相となった。

彼女は選挙運動では声高に、過激に、右派の主張を展開。その期間中は顔つきがほとんど狂暴にさえ見えた。

選挙中、彼女は極右と形容された右寄りの政策を声高に叫びつつ、一つのスローガンをさらに大声で主張した。

いわく、「私はジョルジャだ。私は女性だ。私は母親だ。そして私はイタリア人だ」と。

「私はジョルジャだ」は自らが自立自尊の人格であることを、「私は女性だ」は女性であることを誇ると同時にジェンダー差別への抗議を、「私は母親だ 」は愛と寛容を、「私はイタリア人だ」は愛国の精神を象徴していると僕は見た。

メローニ氏はそうやって国民の支持を得て首相の座に上り詰めた。

ところが彼女は、首相になると同時に険しい極右の言動を控えて現実路線にシフトし、いわば強硬中道保守とでも形容されるべき「穏健な」道を歩みだした。顔つきまで変わり穏和になった。

政治的にも極端な言動は鳴りをひそめ、対立する政治勢力を敵視するのではなく、意見の違う者として会話や説得を試みる姿勢が顕著になった。

敵対していたEU(欧州連合)とも良好な関係を築いた。同氏に懐疑的だったEUの主勢力は、警戒心を抱きながらもメローニ首相を対話の可能な右派政治家、と規定して協力関係を構築した。

彼女はそうやって中道寄りの現実路線にシフトして、イタリアのみならず欧州全体でも一目おかれる「保守政治家」へと変貌した。

そうした変化が可能になったのは、彼女がイタリア共和国のトップとして統率力を発揮し、支持基盤である「イタリアの同胞」に始まる極右モメンタムを抑えているからだ。

片や高市首相は、右翼政治家としての独自の強烈な活動歴はなく、自民党内の安倍極右カルト神殿の一員として男社会に尽くすことで、日本会議神社本庁集団、西田雑魚歴史改ざん組などの支持を得て日本初の女性首相になった。

思い込んだら百年目の極右熱情に支えられた高市首相には、日本のトップとしての独立した強い権限や独自性はない。

前述のカルト勢力に加えて全国に蠢くいわゆる自称文化人やアカデミック層また芸能人などを含む、有象無象のネトウヨヘイト系国民によって操られるパペットであることが明らかになりつつある。

彼女にはメローニ首相が強く意識する女性の権利推進や家父長制社会への挑戦などのイデオロギーもほぼ皆無で、ひたすら自民党男組の虎の威を借りてあたりを睥睨恫喝する存在に過ぎない。

歴史への洞察や知識も不足している高市首相は、軽々と台湾有事即ち日本存立危機発言をかまして、日本のトップとしての自覚も戦略的思考もゼロであることを世界に晒した。

高市首相の中国を敵とみなし、侮り、開戦も辞さないとする危険な思い上がり論法は、日本の加害の歴史も民主主義も知らない特に若年層に指示されて、国全体が熱に浮かされ極右のさらに右方向へと突き進んでいる。

日本は取り返しのつかない事態に至る前に冷静にならなければならない。

中国とのいらぬ軋轢を引き起こして正念場にある日本を、高石首相よりも政治的に存在がはるかに大きなメローニ首相が訪問してくれるのはいいことだ。

メローニ首相には、日本初の女性首相で、極右で、歴史修正主義者の危なっかしい高市氏を助けたいという気持ちがあるに違いない。

極右から身を起こして今や右派政治家として知恵を発揮するメローニ首相が、軽佻浮薄のカタマリのような高市首相を諌めることを期待したい。

それによって高市首相が、トランプ大統領の腕にすがってぴょんぴょん跳ねたり、中国との間に 軍事的緊張を誘発するなどの愚かな火遊びを止めて、シビアな世界政治の舞台に足を踏み入れてくれれば、あるいは戦争の危険はとりあえず遠のくかもしれない。




facebook:masanorinakasone







高市早苗という国難を一刻も早く排除するべき

メローニ高市650

自身へのけじめを込めて年が変わる前に書いておくことにした。

僕は高市早苗氏が、日本初の女性首相になることにより極右スタンスの政治姿勢を改めて、より穏健な右派政治家に生まれ変わることを期待した。

それは言葉を替えれば、現実路線に舵を切って日本国のトップらしい主体的で思慮深く、人間的に磨かれたリーダーに生まれ変わることを意味した。

彼女はかつて次のようなおぞましい言動を重ねた。

1.議員一年生の1994年10月12日、国会で村山富市首相に「過去の戦争に関して周辺国に勝手に謝罪をするな」と言。

2.1995年3月16日、「私自身は、戦争の当事者とは言えない世代だから、反省なんかしていないし、反省を求められるいわれもない」と衆議院外務委員会で言明

3.2016年2月8日、気に入らないテレビ局の「電波を停めてやる」主旨の傲慢極まる発言もした。

ファシストやナチでさえ真っ青になりそうな呆れた発言を知りつつ、僕は彼女が首相になって変貌することをほんの束の間だけ思い描いたのである。

それはここイタリアのメローニ首相を念頭に置いての、無いものねだりの期待であり希望だった。

ジョルジャ・メローニ首相は、極右という形容は当たり前、政敵からはネオファシスト(新ファシスト)とさえ指弾されたりする存在である。

彼女は2012年にファシスト党の流れを組む右派政党「イタリアの同胞(FdI)」を結成した。

以来、泡沫政党「イタリアの同胞」の党首として、烈烈たる情緒と確固たる信念を胸に活動を続けた。

10年後の2022年、彼女は激しい選挙戦を闘い抜いてついに政権を奪取した。

選挙運動では声高に、過激に右派の主張を展開。その期間中は顔つきがほとんど狂暴にさえ見えた。

ところが彼女は首相になると同時に険しい極右の言動を控えて、いわば強硬右派とも形容されるべき穏健な道を歩みだした。顔つきまで変わった。

見苦しい激甚な表情が母親のように優しくなった。

極右政治家のメローニ首相が、政権奪取後には中道寄りへと舵を切るであろうことを僕は予想し何度もそう書いた

彼女はその通りの道を歩んでいる。

高市首相は、メローニ首相と同じファシスト気質の政治信条を持つばかりではなく、イタリア同様に圧倒的に男性優位の政治体制を持つ国で初の女性首相になった。

しかし彼女は日本国の首相として現実路線にシフトするどころか、政権の座に就いて間もない2025年11月7日、衆議院予算委員会で、「台湾有事は日本存立危機事態になり得る」と極右きわめ付きの発言をした。

僕はその時点で彼女の「化け」をあり得ないことと判断した。

彼女の台湾有事発言は、自らが師と仰ぐ安倍元首相の「戦略的曖昧さ」を否定して、その遺志を「国策」として具体化しようとする明確な信念の顕れとの意見もあるが、笑止千万だ。

彼女に戦略的な思惑があったとは考えにくい。

そうではなく、発言は彼女がネトウヨヘイト系差別主義教団カルトの仲間内で気勢を上げるノリで、つい言ってみた、というのが真実だろう。

彼女は、イタリアの過去、特にファシズムを明確に否定して国の舵を取る右派政治家のメローニ首相とは似ても似つかない。

このデタラメな政治家が、日本のトップであり続けてはならない。

僕はほんの一時はいえ、彼女が化けてメローニ首相のように周囲から尊重される存在になるかもしれない、と考えた自らの不明を恥じる。

と同時にそうした方向の発言の一切を撤回する。彼女の本性はもはや隠しようがない。

彼女は戦略的な思考ができない分、安倍元首相よりも危険な歴史修正主義者であり超国家主義者である。

取り返しのつかない事態が起こらないよう一刻も早く排除されるべきだ。




facebook:masanorinakasone





高市総理を含む日本人は誰もが愛国者だ

キンペー高市合成650

はっきりさせておこう。

スパイやテロリストでもない限り、日本を悪くしようと思う日本人はいない。

右も左もない。

ただ右と左ではより良い日本という頂上に向かう道筋が違う。

そして頂上に向かう道のうちには遭難したり、事故ったり、地滑りや雪崩に遭ったりする危険なものがある。

危険を伴う道程の最たるものは過去を直視しないアプローチだ。それは歴史修正主義という深い迷い道へと続き、ついには脱出が不可能になる。

そして極端な場合は迷い道は、山自体が崩壊するにも等しいほどの結末を招く。それが第2次世界大戦の惨劇へと日本が辿った道だ。

登山の間違ったルートを行かないように右と左が互いに呼びかけるのが、民主主義社会における政治論争であり対話である。

極右や極左の人々でさえも「彼らなりの考えで」日本を良くしようとあれこれ模索している。

だが残念なことに彼らは、民主主義という仕組みを無視し破壊して、一息に頂上を目指そうとする。

それはつまるところ過激主義であり、専制政治や独裁政治に至る不吉な道だ。

保守やリベラルと規定される、過激派よりも穏健な政治思想を持つ人々も、むろん誰もが日本を良くしたいと願っている。

その意味では日本人は誰もが愛国者である。

ネトウヨヘイト系人士を含む右派の多くは、彼らだけが愛国者だと信じて、、対峙するリベラルや自由主義者などの左派を反日、売国奴、自虐史観主義者などと罵倒したがる。

だが彼らは、例えば日本の侵略行為を否定したり、靖国神社を盲目的に称揚したり、旧日本軍の蛮行を認めない等々の歴史修正主義に走ることによって、世界から批判される。

つまり実は彼らのそうした動きこそが、日本を貶める自虐史観行為だ。

平家、海軍、国際派という成句がある。

社会のメインストリームから外れたそれらの人々は、日本では出世できないという意味の言葉だが、政治の論壇などでは往々にして「反日」と同じ風に使われたりもする言い回しだ。

だがそれは間違いで、平家の中にも、海軍の中にも、国際派の中にも愛国者はいる。と言うか、そこには源氏、陸軍、国内(民族)派とまったく同数の愛国者がいるのだ。

そして僕自身は国際派の愛国者を自負している者だ。国際派だから、出世もできずに恐らく死ぬまで外国を放浪し続ける、という寂しい人生を送っているわけだが。

中国に宣戦布告をするのでもあるかのような、高市早苗首相の「台湾有事は日本の存立危機事態」の国会発言は、元を正せば歴史修正主義に根ざしている。

彼女は先の大戦は日本の侵略戦争ではないと信じている。従って被害国への謝罪も必要がないと結論付ける。そこには既に被害国への蔑視感情秘匿されている。

特に隣国の中国、韓国、北朝鮮への優越意識は強い。敵愾心と言い換えてもいい。

劣った国々だから優位にいる日本が彼らを支配しても問題はない、という思い上がった感情がそこにはある。

その気合いは、靖国参拝に反発するそれらの国々への怒りを呼んで、彼女の不機嫌がさらに募る。

高市首相の中国への敵対感情は特に深い。

日本が蹂躙しても構わないほど“劣って”いた中国は、近年経済的にも従って軍事的にも巨大化して、もはや日本は太刀打ちできない。その現実が彼女の怒りをさらに煽る。

そうやってアメリカを頼みにしつつ、台湾を卑小化し宗主国気取りでをこれ庇護するという思い上がりが加わった。

その結果中国に対して居丈高になり勇ましく拳を振り上げたのが、愚かな台湾有事=日本存立危機発言だ。

要するにその意思表明は、WEB上に踊るネトウヨヘイト系排外差別主義者らの勇ましくも空虚な反中国言論と大差ないのである。




facebook:masanorinakasone





高市首相は世界ネトウヨ連盟のくび木から早急に抜け出せ

高市キンペー合成650

開いた口が未だに塞がらない。

高市早苗首相の台湾有事・日本存立危機発言とそれに対する中国の反応のことである。

どっちもどっちだ。

貧弱な政治文化の本質がてんこ盛りになった、恥ずかしくも見苦しい言動の数々だ。

高市首相が、台湾有事は日本の存立危機事態と口を滑らせたのは、日本の過去の蛮行を認めない歴史修正主義に凝り固まった精神が言わせたものだろう。

国際政治を知らず、従って外交に疎い迷妄もあるが、中国への深い蔑視と敵愾心も秘匿されている。日本のトップの人物がWEB上で汚い言語を撒き散らすネトウヨに似ているのは寂しい。

これに対して、大阪在の薛剣中国総領事が「勝手に突っ込んできた汚い首を斬ってやる」と、汚い首に付いた汚い口から腐臭を放つ言葉を投げつけた。

中国政府もこれを諌めるどころか、似たり寄ったりの野蛮醜悪な言動を続けている。

それらは“アジア”に共通した未開で好戦的な政治精神の発露だ。ここで言う“アジア”とは、外交も民主主義も理解しない中国的、アラブ的また日本極右的な勢力の全てである。

そこには無論ロシアも北朝鮮も含まれる。またネタニヤフのイスラエル、エルドアンのトルコもりっぱな、いや、“アジア”以上の“アジア”であることは論を俟たない。

最近そこには信じがたい巨大パワーも加わった。言わずと知れたトランプ主義が席巻するアメリカだ。

日本は一刻も早くそれらの「ああ喚(わめ)けばこう叫んで背中に斬りつける」蛮人連合体から抜け出したほうがいい。

そうしておいて意識改革を断行し、欧州並みの政治文化また文明を獲得する努力をするべきだ。

それにはどうするか。ひとえに過去の蛮行を認めて反省し、被害者の国と国民に腹からの謝罪を行って生まれ変わる以外には方法がない。

僕は再び、再三再四、繰り返し何度でも主張する。ドイツを見習え。イタリアを意識しろ。

僕は11月3日、「高市首相は、独裁者気質のトランプ大統領や、極右とも批判されるここイタリアのメローニ首相もできない急カーブのファシスト街道を走りまくって、すわ!中国と開戦、というゴールに飛び込まないとも限らない」

とここに書いた。

それから4日後の11月7日、高市首相は 台湾有事は日本の「存立危機事態になりうる」と既述のあっと驚く国会発言をかまして、露わすぎるほど露わに自らの本性を激白したのだ。

高市首相の―あえて大げさな意味合いで言うと―中国への宣戦布告じみ日本の存立危機事態発言は、彼女が仲間のネトウヨ人士らとの会合で気勢を上げるノリで口に出したものだろう。

高市首相の先の大戦は侵略戦争ではないに始まる一連の歴史修正主義発言や靖国称揚思想、テレビ局への停波するぞ恫喝などのファシスト気質を知りつつ、また政治信条的にも大いに疑問を抱きつつも僕は密かに彼女の❝化け❞を期待してきた。

ここイタリアのジョルジャ・メローニ首相に重ねて彼女を見ようとしたのだ。

イタリア初の女性首相となったジョルジャ・メローニ氏は、ファシスト党の流れを汲む「イタリアの同胞」を率いて選挙を勝ち抜いた。

ところがメローニ氏は、首相になると同時に険しい表情をゆるめ、極右独特の厳しい言動を控えて、いわば強硬右派とでも呼ばれるべき穏健な道を歩みだした。

高市早苗首相は、たとえ逆さに吊るして振り回しても“極右”という毒素しかこぼれ出ない政治家だが、日本のトップに押し上げられることで政治的にも人間的にも成長するのではないか、と僕は密かに応援する気持ちでもいたのである。

だがそれはしょせん、大いなる無いものねだりだったようだ。

高市首相は彼女の岩盤支持層である日本極右勢力、即ちネトウヨヘイト系差別主義者の国民や自民党安倍礼拝族、また日本会議や国家神道など同じ穴の貉会が一体になった、日本ほぼカルト 勢力に呑み込まれあるいは同調して、結局独自の政治信条も無いままさらに右へと急カーブを切り続け、ついには昏倒する運命であるように見える。




トランプの終わりの始まりが見えたかも。なの?

叫ぶトランプ切り取り650

アメリカ発の良いニュースと悪いニュースが飛び交っている。

最新の良いニュースは、トランプ大統領の支持率が急速に悪化していること。

悪いニュースは、それでもトランプ主義が引き続きアメリカを席巻しそうなことだ。

もうひとつの良いニュースと悪いニュースもある。

良いニュースはトランプ支持率が落ちているにもかかわらず、対抗する民主党支持率が上昇していないこと。

悪いニュースは、従って、民主党の早い政権奪取はありそうもないことだ。

今、は?とつぶやいた人も多いだろう。

要するにリベラルの民主党に政権を担ってほしいが、今のままの民主党ではNG、というのが僕の言いたいところだ。

民主党はトランプ主義者のエミリー・フィンリーが指摘した、「民意を無視し、平等、多様性、移民包容など、民主党が認める主張だけを“民意”として容認、やがてそれに合わない主張を排除」する“エリート主義”をかなぐり捨てなければ、“トランプの意のまま共和党”に勝つことはできない。

それどころか個人的には「勝ってはならない」とさえ思う。

なぜならリベラルとしての民主党が、平等の理念を全うし民衆の真のニーズや価値観や思いに寄り添って歩む本来の姿に立ち返らない限り、政権を担うべきではない。

それにしても、負け犬とはいえ米民主党は、トランプ大統領に噛み付き勝手を許さない動きを繰り返している。

ここイタリアでも敗者の民主党などの左派が、右派のメローニ政権に挑んで独断専横を監視している。他の欧州諸国も似たり寄ったりだ。

ところが日本はどうだ。結束すれば自維政権を小路に追い込むこともできるはずの野党が、特に立憲民主党のだらしなさ故にひたすら無力全開だ。

今のままの状況では高市首相は、独裁者気質のトランプ大統領や極右とも批判されるここイタリアのメローニ首相もできない急カーブのファシスト街道を走りまくって、すわ!中国と開戦、というゴールに飛び込まないとも限らない。



facebook:masanorinakasone







高市であろうがなかろうが日本極右は欧州極右よりずっと危険だ

sohei-kamiya&参政党議員650

公明党が連立離脱というニュースが駆け巡っている。自民党の高市新総裁がほぼ自動的に首相になるどころか、誰が次の総理大臣になるのか見通せない、混とんとした状況になった。

どの党が連立に加わっても、また自民党が政権を掌握できなくても、極右化する日本の政治の危険度に変わりはないので❝高市政権が発足したなら❞という前提で意見を述べておくことにした。

高市早苗自民党総裁誕生に関する直近記事に多くの方からコメントやメッセージが寄せられた。

最も多かったのが記事の終わり:「高市政権は船出と同時により右カーブではなく左カーブ、即ち中道寄りへと政策も心情もシフトしていく」に対する疑問や反論である。

多くの方が、高市政権は左寄りにシフトする、と僕が主張したと誤解しているようだ。

極右の高市政権がリベラルになる訳がない。そうではなく、ファシスト気質の高市政権は船出と同時に❝現実路線❞を取るだろう、というのが僕の言いたいところだ。

それをしないなら、少し大げさに言えば、中国・韓国・北朝鮮、特に中国と戦火を交えない限り、彼女の極端な超国家主義者魂の立つ瀬がないだろう。

だがさすがの高市ちゃぶ台返しオヤジ首相でも、隣国と火ぶたを切るほどの狂気はまだ持ち合わせていないだろうから、とりあえずはファシストの正体を秘していわば脱悪魔化をはかる。

要するに現実路線に立ち返る、と考えたのである。

だが全く違う結果も考えられる。

高市首相は日本独特の右翼カルト暴風に吹き巻かれて、ますます右へと突き進みついには政治的に自爆死するかもしれない。

それはここ欧州の極右にはあり得ないことだ。

欧州にも右傾化の強風が吹き荒れている。

欧州に於ける極右の台頭はリベラル勢力の驕りに対する民衆の怒りもあるが、最大の要因は強い反移民感情である。増えすぎた移民に欧州の人々はいら立ち、右派はその不満を利用して勢力を伸ばしている。

だが欧州には「欧州の良心」がある。そのため各国政府による移民排斥の動きには一定のブレーキがかかる。

僕が規定する欧州の良心とは、欧州の過去の傲慢や偽善や悪行を認め、凝視し、反省してより良き道へ進もうとする“まともな”人々の心のことだ。

欧州は世界各地を侵略し殺戮をくり返し、域内の紛争も軍事力で解決するのが当たり前の、野蛮で長い血みどろの歴史を持っている。そして血で血を洗う凄惨な時間の終わりに起きた、第1次、第2次大戦という巨大な殺戮合戦を経て、ようやく「対話&外交」重視の政治体制を確立した。

それは欧州が真に民主主義と自由主義を獲得し、「欧州の良心」に目覚める過程でもあった。

欧州の良心はキリスト教の博愛の精神によって補強されより寛大な方向に展伸するが、第2次大戦後にさらに拍車がかかった。

つまりドイツ国民のナチズムへの徹底総括と深い反省、またイタリア国民の強力な反ファシズム感情がヨーロッパ中に大きな影響を与えて欧州の良心はいよいよ強固になった。

欧州に於ける政治の右傾化、また民衆の反移民感情は欧州の良心と並存している。

政治の右傾化や反移民感情は多分に感情的だが、欧州の良心には理がある。その理が政治の右傾化を監視し反移民感情に待ったをかける。制御心が働くのだ。

その情動には極右も無縁ではあり得ない。

例えば移民排斥を叫んで支持を広げ、ついには政権の座にまで就いたここイタリアのジョルジャ・メローニ首相がその好例だ。

メローニ首相は、ファシスト党の流れを汲む「イタリアの同胞」(党)を率いて反移民感情を人々の間に搔き立てては支持を伸ばし、ついには首相にまで上り詰めた。

昇りつめると彼女は政権公約を果たすべく移民規制に乗り出したが、思うようには進んでいない。いや、思うように進んでいないのではなく、彼女には移民を無慈悲に徹底的に排斥する意思はないのだ。

不法移民を規制する方向には動くものの、彼女の中にある欧州の良心がそれを抑制する。ましてや彼女は難民移民の徹底保護を主張してやまないローマ教会の信者だ。

彼女と同じ感情は欧州の右派に多かれ少なかれ宿っている。そして彼らは反移民レトリックを用いて民衆を主導し勢力を伸ばし続けている。

同時に彼らは政権の座に就くと常識的になるだろう。不法移民、悪意ある外国人は厳しく取り締まるとしつつも、欧州の良心に促されて彼らを平等に扱おうとする情動が働くのだ。

彼らは極右らしく暴力的だが、かつてのナチスのように非情な人種差別意識をむき出しにして人々に牙を剥くことはあり得ない。

欧州の今この時の極右勢力はかつてのナチスやファシストではない。

ヒトラーはヒトラーを知らなかった。だがいま欧州で最も大きな脅威と見られているドイツの極右Afdはヒトラーを知悉している。だから彼らはヒトラーの轍は踏まない。

同様にムッソリーニはムッソリーニを認識できなかったが、ムッソリーニを良く知るイタリアの同胞は、メローニ首相をより穏健な極右、あるいは中道寄りに向かう急進右派たる存在に造り変えた。

日本ではあたかも欧州の極右のように反移民をあおる参政党が躍進した。各野党もそれに近い主張をした。自民党の総裁選では高市早苗候補が外国人差別を煽る動きにさえ出た。

だが世界の国々に比較すると日本の移民の数などたかが知れたものだ。ところが参政党を筆頭にする右派は、アメリカや欧州の真似をして選挙で反移民キャンペーンを張った。つまり彼らは例によって欧米の物真似をしたのである。

そうであれば可愛いもので取るに足らない。

しかしながら、その中身は日本独特の天皇崇拝・靖国偏執跪拝・国家神道狂信・日本会議及び安倍憑依教団等々が一体になったカルトの顕れである恐れがある。

一見すると、右傾化という世界共通の現象の中にあるようだが、実はそこには属さずに孤立し鬱屈して牙を研いでいる、デモーニッシュななにかのように見えるのだ。

極右の流れが本流となり、さらに激流となって世の中を席巻するのは、中道や左派の主要政党が彼らの真似をして国民の関心を買おうと考える時だ。そうなると極右モメンタムは制御不能となって爆発する

欧州の極右の動きには因果があり筋道がある。熱に浮かされて天皇崇拝や靖国遥拝や国家神道などを叫ぶ神懸かり的な精神論が入る余地はない。

ところが日本の場合はそうした理や制御心が働かないように映るのだ。いわゆる先進国のうちでは圧倒的に少ない移民に対して、既述のように参政党が突然憎悪を爆発させ、他の保守勢力が追随する。政権党の自民党も例外ではない。

繰り返しになるが、欧米を含む世界の流行が日本で根拠なくコピーされるパターンである。だがその流行は歌やファッションの流行りではない。偏見差別と、究極には殺戮行為にまで簡単に進みかねない反移民運動の流行なのである。

それはやはり日本カルトの顕現としか形容の仕様がない異様な光景だ。カミカゼ的サイコパス政治勢力が何の障りもなく、誰にも阻止されずに当たり前に存在する、世界の中の異形の土地の恐怖だ。

異形の土地は天皇を神と崇める旧人魂と過去の対戦を総括できなかった無念の歴史事実とに守られて厳然として残った。

それに乗っかった日本極右の危険度は、ドイツAfdやイタリアの同胞、またその他多くの欧州極右とは比べものにならないほど高いのである。





facebook:masanorinakasone










日本の解放記念日まで


日本ゲシュタポ憲兵隊650

今日9月2日は、世界の大半(特にアメリカ)が規定する第2次世界大戦の終結日である。つまり日本の敗戦記念日だ。

天皇を中心に物事を考え引きずり回すことが得意な旧弊族が、未だに社会を支配しがちな日本では、昭和天皇がラジオで国民に終戦を伝えた日、すなわち8月15日にこだわる。

あまつさえ彼の声を玉音と呼んでひれ伏したりもする。だが、善悪混交する戦中と戦後の彼の評判はさておき、昭和天皇はまぎれもなく先の大戦の最大の戦犯であることは疑いようがない。

僕は日本の敗戦日をここイタリアに倣って「解放記念日」と呼んでみたい。イタリアでは民衆がムッソリーニを処刑しファシズムを撃破したので、終戦の日を「解放記念日」と呼ぶのである。

しかし日本の場合は、戦争が終わっても戦犯の昭和天皇&軍部が徹底処罰されなかった無念の歴史があるため、とても「解放記念日」とは規定できない

日本は他者、つまりかつては占領軍による断罪、今日なら例えば世界世論などの“外圧”による指弾ではなく、日本国民自身が自主的に戦争を徹底総括する過程を経なければ決して生まれ変わることはできない。

それをしない限り、日本は将来必ずまた戦争を始めるだろう。

戦前を懐古するのみならず、日本社会を再び天皇中心の狂った仕組み、あるいは全体主義に作り変えようとするカルト的勢力が、急激に台頭しているのがそのだ。

戦犯の昭和天皇はもはや存在しない。だからといって彼の極大の罪がなくなるわけではない。

それでも彼の罪は、明仁上皇つまり平成の天皇の人徳と行動とによって、ある程度は軽減されたと考えることができるかもしれない。

平成の天皇は、 戦前、戦中における日本の過ちを直視し、自らの良心と倫理観に従って事あるごとに謝罪と反省の心を示し続けた。

さらに彼は、被害国と戦場を訪問してはひたすら頭を垂れて贖罪し、平和への歩みをたゆみなく続けた。その事実によって少なくとも「天皇家の罪」は浄化されたと個人的には考えたい

それはひとえに明仁上皇の、軍国主義日本による被害国への謝罪行脚と、誠実な人柄を尊崇しての思いである。

当代の徳仁天皇は、罪人の昭和天皇といわば聖人の明仁上皇の、それぞれの「負の遺産」と「業績」を継承したが、彼は断じて彼が天皇、つまり“何者であるか”によって評価されるべきではない。

そうではなく、彼は“何を成すか”によって評価されるべき存在だ。言葉を換えれば彼は、天皇としてではなく、人としてどう動くか、によって歴史の審判を受けるのである。

僕は徳仁天皇の同時代人として、彼が先の大戦の徹底総括に向けて「何かを成すこと」を期待する。

だが、言うまでもなくそれは、天皇よりもまずわれわれ国民が先鞭をつけるべき事案であり義務である。





facebook:masanorinakasone





加害者の自分を忘れると、いつか大きなしっぺ返しを食わないとも限らない

玉音放送を聞きながら土下座

8月15日の終戦記念日が過ぎると、忘却が得意の日本国民の多くは戦争のことをぴたりと語らなくなる。

8月15日とは、前日に終戦の詔書に署名した昭和天皇が、ラジオ放送で敗戦を国民に知らせた日である。

それから2週間あまり後の9月2日、重光葵外相が米国の戦艦ミズーリ号で、ポツダム宣言の受諾を正式に表明する降伏文書に調印した。

世界ではこの日が第2次大戦の終結日とされるのが一般的だ。

8月15日にこだわるのは、表向きはさておき、天皇を神と崇める朴訥原始の精神を持つ旧人が多数を占める日本に於いては、この期に及んでも天皇の発言が何よりも大事、という心境の現れなのだろう。

ラジオから流れる声を玉音と呼び未だにそう形容しているのがその証だ。

戦争の徹底総括が行われれば、昭和天皇の巨大な罪は決して逃れようがなく、玉音などと言う民衆を見下した言葉もすぐに排除されるだろう。

昭和天皇と軍部という、化け物級の戦犯の徹底仕置きが、国民の手によってされなかった痛恨の歴史が招く不正義、また不条理はあまりにも多い。

そのうちで最も危険なのは、日本人が時間と共に急速に忘れつつある加害者としての自らの過去だ。

僕は8月15日前後の「日本国民による“戦争の犠牲者われら日本国民”称揚祭」の期間のみならず、何かにつけて日本の加害の歴史と、昭和天皇+軍部の超ド級の戦争犯罪を、国民自身で断罪できなかった苦渋の歴史を見つめ直す努力をしている。

その中でいつも心にひっかかっている事案がある。日本の戦争犯罪について書きこまれた次の主張である。

“「日本の軍国主義や右翼勢力が消滅しない限り、被害国の人々の反日感情はなくならない「(中略)」米国やロシアは日本に徹底的に報復したから、今は平穏な 気持ちで日本と付き合える。だが、中国人は何も報復していない」

というものだ。

文章の最後は、「中国人も韓国人も朝鮮人も、その他全てのアジアの被害者国の国民も、何も報復していない」と書き変えることもできる。

北朝鮮による日本人拉致は報復ではないか、という意見 もあるかもしれないが、書き込みの言う報復とは、軍隊による日本全国民への報復、という意味だと考えられるから、規模や恨みの深さが桁違いに違う。

中・韓・北朝鮮を筆頭にアジアの国々と国民をあからさまに、あるいは密かに見下している日本人、つまりネトウヨヘイト系排外差別主義者に加えて参政党とその一味の歴史修正主義者らは、日本の過去の蛮行の被害者であるアジアの人々の心に気を配る努力を怠ってはならない。

欧米の流行りである「~ファースト」を真の意味も知らないまま猿真似て、「日本人ファースト」と叫ぶうちに一歩間違えて、手痛いしっぺ返しをくらう可能性についても少しは心を砕いたほうがいい。

ちなみに上記の意見が書き込まれたサイト:

http://news.livedoor.com/article/detail/7924365/


は今は閉じられてしまっている。URLをここに貼り付けようとして知った。


サイトが閉じられた理由は分からない。あるいは故安倍ご一統さま等による何らかの介入でもあったのだろうか。 


僕は以前、そのサイトを引用して次の記事を書いたので参照していただきたい。

https://terebiyainmilano.livedoor.blog/archives/52128918.html










facebook:masanorinakasone





トランプとAfDはやはり深く通底している

zelensky-trump-thumb-1 650

ウクライナのゼレンスキー大統領と米トランプ大統領が、テレビカメラの前でおどろきの醜態を演じた。

世も末に見える大口論を見ながら、僕はトランプ政権が賛美するドイツのAfDを想った。

先日のドイツ総選挙で躍進した極右のAfDは、しれっとして黒を白と言いくるめるトランプ軍団に似た不吉な気配を帯びている。

ヒトラーはヒトラーを知らなかったが、ドイツのAfDはヒトラーをよく知っている。

だから彼らは野党でいる限りは、けたたましくも醜怪なだけの政治集団に留まるだろう。

しかし彼らが単独で政権を握るような事態になれば、トランプ“笑えないお笑い”大統領が、「独裁者はプーチンではなくゼレンスキーだ!」」とコペルニクス的大発明をわしづかみにして、世界に投げつけたような事件が起きないとも限らない。

それは例えば、彼らが「ヒトラーは独裁者でも悪魔でもない。独裁者の悪魔はユダヤ人だったイエス・キリストだ!」と神がかり的な発見を発明して興奮し、全ての教会とユダヤ人を殲滅しようと企てるような顛末である。

トランプ大統領の言動の多くとAfDの躍進には、それくらいの潜在的な危険がある。

僕はドイツ国民とアメリカの半数の国民の正気を信じる。

だが、ドイツには前科があり、アメリカ国民の半数は-徐々に明らかになったように-陰謀論やデマに踊らされやすい愚民である事実が、多少気がかりでないこともない。


facebook:masanorinakasone




反トランプ的民主主義は死なないし、死なせてはならない

トランプ影絵忠誠心と復讐が鍵の内閣650

DEMOCRATISM『民主至上主義と訳したコンセプトが、知る人ぞ知る人々の間で取りざたされているようだが、DEMOCRATISMの日本語訳はひねらずにそのまま「民主主義愛好主義」などとするべきではないか。

なぜなら真に民主主義を信奉する者は、民主主義が最良つまり「至上の政体」であり絶対的な価値のあるものとは考えないからだ。

もしそう考える者があるとすればその人は民主主義者ではない。それどころか民主主義を騙る独裁主義者である可能性がある。独裁主義者はいつの時代も「われこそは至上の政治の体現者」と強弁して止まない。

民主主義は最善の政治体制ではなく、われわれが知る限りの政治体制の中のBetterな体制であるに過ぎない。そしてBestが見つからない限りはBetterがすなわちBestなのである。

民主至上主義とはひとこと言えば、アメリカの民主党政権とその支持者のことである。

民主至上主義 と訳されたDEMOCRATISMを論じた米ペパーダイン大講師のエミリー・フィンリーは、2024年11月の大統領選で敗北したアメリカ民主党を次のように批判した。

すなわち民主党がエリート主義に陥って民意を無視し、平等、多様性、移民包容など、エリートが認める主張のみを「民意」として容認。それに合わない主張を実質的に排除した。

それは彼女に言わせれば、民主党がいわゆる民主至上主義に陥っているからだと結論付けた。

一方共和党は大衆の声を聴き、大衆が希求するアメリカ第一主義を貫いて選挙に勝った。トランプ主義はポピュリズムではなく、トランプ氏が民衆の声に耳を傾けている証だと言う。

仮にそれが正しいとしよう。だからといって、第一次トランプ政権と次期トランプ政権がエリート支配の政権ではないとは言えない。

民主主義は国民の総意に基づくものとはいえ、政権を担う者は民主党でも共和党でも選ばれた人々、すなわちエリートであることに変わりはない。

民主党は大衆の味方を標榜しながら実際には民衆とかけ離れた特権層や富裕層ばかりに肩入れをしてきた。だから選挙に負けたのである。民主党が民主至上主義に陥っていたからではない。

またたとえそうだとしても、民主党はそれを反省し修正して次の選挙で共和党を打ち負かせばいいだけの話である。

ところが著者フィンリーは、民主党の在り方を民主至上主義そのものと規定して徹底否定する。エリート主義が民主至上主義の特色であるなら、共和党も同じであるにも関わらずである。

選挙で負けた民主党だけが民主至上主義に陥っていると言い張るのは彼女が明らかに共和党支持者でありトランプ主義信奉者だからだ。

共和党を支持しトランプ主義を賛美するのは彼女の自由だ。だが選挙の敗北が即民主至上主義のなせる業だと決め付けるのは当たらない。

民主党は過ちを犯した。それは修正可能なものだ。民主主義は断じて完璧ではない。むしろ欠点だらけの政治体制だ。

だが民主主義は失敗や過ちや未熟さを容認する。容認するばかりではなくそれらの罪を犯した者が立ち直ることを鼓舞し激励する

変動し多様性を称揚し意見の異なる者を包括して、より良い方向を目指し呻吟することを許すのが民主主義なのである。

トランプ主義はその対極にある。トランプ主義者が自らの間違いを認め、多様性を尊重し、移民や 反対勢力を寛大に扱うと考えるのは無理がある。

トランプ主義はトランプ次期大統領が自ら語ったように独裁を志向し、対抗勢力を許さず、自ら反省することはなさそうである。

彼はプーチン、習近平、金正恩を始めとする強権主義指導者と極めて親和的な政治心情の持ち主だ。

彼はまた欧州の極右勢力や中東の独裁者やアジア南米等の権威主義的政権などとも手を結ぶ。

さらにトランプ主義は、政治的スタンスに加えて、トランプ氏の人格そのものも不信の対象になったりするところが極めて異様だ。

民主党は間違いを犯して選挙に負けた。

片や共和党あるいはトランプ主義は、不寛容と差別主義と移民排斥を主張して、2017年以来続く右翼思想あるいは極右体質をさらに強めて政権を握る。

エミリー・フィンリーの言う、平等、多様性、寛容など「民主党エリート」が認める主張」を否定して誕生するのが次期トランプ政権である。

トランプ主義は平等、多様性、寛容に加えて、対話を重視する民主主義もジェンダー平等も政治的正義(ポリティカルコレクトネス)主義も拒絶する。

要するに、言葉を替えれば、これまで民主主義社会が善とみなして獲得し実践しさらに進歩させようとして、必死に努力してきた全ての価値観を破壊しようとする。

破壊しその対極にある不平等、差別主義、排外主義、不寛容などを正義と決めつけ旗印にして前進しようとする。

トランプ次期大統領とその支持者は、民主主義を守ると主張するが、彼らが守り盛り立てようとしているのは権威主義である。民主主義の名の下にファシズム気質の政権を維持発展させようとしている。

真の民主主義、あるいは変わることを容認する柔軟な民主主義を信奉する自由主義者は、ネトウヨヘイト系排外差別主義者の集合体にも似たトランプ主義勢力の前に口を噤んではならない。

ネトウヨや差別主義者らが跋扈するネット世界に乗り出して、間断なくカウンターアタックを仕掛けるべきだ。ネトウヨが10のフェイク主張をするなら、リベラル派は20の真実とファクトで彼らの嘘を撃退するべきである。

トランプ主義&ネトウヨヘイト系排外差別主義者連合との戦いは今始まったばかりだ。自由と平等と寛容と多様性を信奉する者は、立ち上がって戦いを続けなければならない。

民主主義は黙っていればすぐにも壊れる儚いものだ。トランプ主義者らの蛮声と暴力を放置すれば、たちまち破壊されてしまう。

ファシスト気質の政治勢力との闘いは、終わることなく続くのが宿命である。





facebook:masanorinakasone






ハマスの攻撃もそれへの報復も同じ穴のムジナの蛮行だ 


 瓦礫子供抱いてさ迷う母親650

107日、ハマスがイスラエルを攻撃。残虐行為を働いた。被害者のイスラエルはすぐに応酬。ハマスに劣らない凶悪さでガザ地区住民を虐殺し続けている。

ところがイスラエルへの非難は、ハマスへのそれに比べると弱い。

ハマスが先に手を出したことと、戦闘員が子供の首を切り落とすなどの残忍非道な行いをしたことが、世界世論の憎しみを誘ったからだ。

同時に、繰り返しになるが、報復したイスラエル側の攻撃も酷いものになった。それにしては彼らに対する視線は寛容すぎるほど寛容だ。

欧米は反ハマス一辺倒である。それはイスラエル支持につながり、イスラエルのガザへの反撃は自衛のためのものだから正当、という議論を呼ぶ。

その延長で、ここイタリアでは反イスラエルまたパレスチナ擁護の立場の者への、魔女狩り的な動きさえ出ている。

イタリアのユダヤ人喜劇俳優 モニ・オヴァディアは、イスラエルの無差別攻撃を断罪して劇場から締め出された。

アラブ世界の抑圧的な政治を批判して英雄扱いされたエジプト人青年、パトリック・ザキは、ハマスの攻撃にはそれなりの理由があると発言しただけで、イタリアの名誉市民権を剥奪されようとしている。

またドイツでは、イスラエルに批判的なパレスチナ人女性作家アダニア・シブリが激しい論難にさらされている。

一方的にイスラエルだけを擁護する言説は危険だ。

ハマスのイスラエルへの残虐な無差別攻撃は、むろん許しがたいものだ。

だがそこに至るまでには、イスラエルによるパレスチナ人民への抑圧、侵略、虐殺行為などが頻発してきたのもまた事実だ。

パレスチナ人とユダヤ人は、2000年の長きに渡ってほぼ無縁の時間を過ごした後、イスラエル建国に続いたユダヤ人の一方的なパレスチナ占領によって、抑圧と抵抗が雪だるま式に膨れ上がり、連鎖していく悲劇に陥った。

血で血を洗う闘争は、ハマスに始まるアラブ強硬派とイスラエル右派またユダヤ原理主義勢力が消滅しない限り終わらない。

和平への道は常に彼らが閉ざしてきた。今回の武力衝突もパレスチナの過激派とイスラエルの極右勢力が引き起こしたものだ。そして2者は永遠に妥協もしなければ消滅もしないように見える。

武力衝突を止めさせる力を持つ欧米列強は、イスラエル支持でほぼ一枚岩になっていて、アラブまたパレスチナの敵意を喚起し続け、やはりどうしても虐殺の連鎖を断ち切ることはできない。

それはつまり、病院爆破に象徴されるイスラエルとパレスチナの無残な殺し合いは果てしなく続き、民間人の犠牲は今後も増え続けていくということである。






facebook:masanorinaksone





危ういのは神道ではなく国家神道である

伊勢内宮入口鳥居650

僕は2023年4月、神社仏閣を次々に訪問参拝しながら宗教と神社神道(以下:純粋神道と呼ぶ)と国家神道に思いを巡らしていた。すると僕の旅が終わってほぼ一週間後の4月21日、高市早苗経済安全保障担当大臣が靖国神社に参拝した。

その出来事は、神道にまつわる僕の物思いを象徴的に示す性格を持っている。そこで高市氏の動きに言及しつつ神道と国家神道について意見を述べておくことにした。

高市大臣は毎年、春と秋の例大祭の期間中や8月15日の「終戦の日」に、靖国神社に参拝するという。従って今回の動きもいつもの彼女の習いと捉えて聞き流すこともできる。

しかし彼女は不遜にも放送法を曲解して、自らと仲間に批判的なメディアを弾劾しようと企てた疑惑にまみれている人物だ。

批判が沸き起こっている今この時は、物議を醸すことの多い靖国参拝を控えるのがあるべき姿だと思うが、高市氏は相変わらずの“仁義なき戦い”精神で靖国神社を訪問した。

彼女はその理由を「国策に殉じた方々の御霊に尊崇の念をもって哀悼のまことをささげる」ため、と靖国を訪れる保守系政治家の常套句を用いて説明した。

戦争で斃れた人々に哀悼の意を表するのは、思想の左右には関係なく人として当たり前の行為だ。だが彼女は国務大臣である。国を代表する公人だ。公人は常に国益を念頭に置きつつ国際情勢にも配慮して行動しなければならない。

戦争犯罪者も祀る靖国神社への参拝は、軍国主義日本を想起させるとして周辺国の反発を呼び、且つ国際社会も眉をひそめることが多いネガティブな事案だ。つまり国益に反するのが実情である。

神社は、古来の日本人の心の拠りどころとして人々に賛美され親しまれている分には、何も問題はない。それどころか美しい施設であり伝統であり理念である。

だが人々の敬仰心を利用して国粋主義を煽り、純粋神道を歪曲して国家神道と成し、天皇を隠れ蓑に暴威を振るった軍国主義者の末裔が存在する限り、危険な施設でもあり続ける。

日本ではついに第2次大戦の徹底総括が行われないまま長い時間が過ぎてしまった。そのため軍国主義の心根を秘匿した勢力が徐々に意を強くしつつある。一歩間違えば国家神道に類する欺瞞が再び席巻しかねない。

具体的にはネトウヨ系政治・文化・財界人や安倍元首相追随者群また極右主義者などが、かつては彼らの抑圧者だったアメリカが口をつぐみ勝ちなのを幸いに、俄然勢いを増しているのが日本の今の姿だ。

そこに最近、ロシアによるウクライナ侵略が想起させる中国の覇権主義の暴走と台湾有事の可能性への怖れ、という新たなトレンドが加わった。人々のその怖れは真っ当なものだ。

だが大戦への総括どころか、歴史修正主義者ばかりが勢いを増すようにさえ見える状況はやはり危なっかしい。そして高市早苗氏は歴史修正主義勢力の旗手だった安倍元首相の追随者だ。

彼女が世間の批判の嵐に抗う形で靖国参拝を強行したのは、右派の支持を集めて自らの政治家生命の危機を乗り越えたい思惑があるようにも見える。

だが同時にその行為は、ファシスト気質の彼女が秘匿ファシストまた民族主義者などの歴史修正主義者に、国家神道の正当性を訴え確認する意味合いがあると捉えることもできる。

繰り返しになるが、神社も神道も古来の人々の純真素朴な信仰心を受け止めてそこにある限り美しいコンセプトだ。その心情も、心情に裏打ちされた建築スタイルも、装飾も儀式も全て目覚ましい。

だがそれが軍国主義者やファシストやナショナリストらの尊崇施設になり思想の拠り所になったとたんに、大いにキナ臭くなるのもまた真実だ。

高市早苗経済安全保障担当大臣の靖国参拝は、そのほかの右派政治家の参拝と同様に、まさにその負の兆しが透けて見える象徴的な動きだった。

僕は先日、伊勢神宮、出雲大社、厳島神社、太宰府天満宮、伏見稲荷などの神殿を訪ね歩いた。

過去には靖国神社、明治神宮、金刀比羅宮なども参拝し、全国各地の神社や杜や祠堂や地蔵また御嶽、位牌堂 、御霊屋等々も訪ね歩いている。

僕がそこで敢えて見ようとするのは、主にキリスト教の対抗軸としての教義や思想や実存根拠、またその信義や哲学である。

僕はキリスト教徒ではないがイエス・キリストを尊崇し仏陀を敬仰する者だ。同時に国家神道ではない純粋神道や凡霊説、さらにはイスラム教やユダヤ教も尊重する。

僕はあらゆる宗教を受け入れる自らのその立ち位置を規定して、「仏教系の無神論者」と称している。言葉を替えれば、僕は「仏教系の無神論者」という宗教の信者なのである。

全ての宗教を善しとする立場は、ある限りの「宗門の信者」に拒絶される可能性がある。

なぜなら一神教にしても多神教にしても、自らの信ずるものが絶対の真実であり無謬の存在だと思い込めば、それを受容しない者は彼らにとっては全て無神論者だろうからだ。

ところでなぜ僕がキリスト教や神道系ではなく「仏教系の無神論者」なのかというと、僕自身の中に仏教的な思想や習慣や記憶や日々の動静の心因となるものなどが、他の教派のそれよりも深く存在している、と感じるからである。

さらに言えば、仏教にはドグマ(教義)が存在する分、思索の基準が明確になりやすい。

一方ドグマが存在せず、本殿のご神体を秘匿して信者の畏怖心を煽る神道の在り方は、神社そのものの構造と共に僕の中の疑心を呼び起こすことがないでもない。

それでも日本人としての僕は、本来の純粋神道の精神に親しみを覚え尊重する。同時にそれを歪曲して国家神道と成し、その周りで狡知にうごめいては国民を支配しようとする勢力を嫌悪し、それに抗う側に立つ。

換言すれば高市早苗氏は、僕と同じく純粋神道の伝統が充満する日本社会に生まれ育ちながら、それを全く違う解釈で規定し実践する類の人物と見える。

具体的に言えば高市氏は僕の目には、純真素朴な神道の精髄を曲げて国家神道に作り変え、危険な政治道具に祭り上げようとする勢力の指導者のひとりと映るのである。

2023年4月21日の高市早苗経済安全保障担当大臣の靖国神社参拝に先立って、多くの社殿を訪ね歩いていた僕の中に錯綜していたのは、純粋神道への郷愁と国家神道への嫌悪感だった。




facebook:masanorinakasone






高市早苗オヤジ型女性政治家はフェイクっぽい

安倍高市切り取り

「捏造でなければ辞職」と啖呵を切った、高市早苗経済安全保障担当相の驕りは、今に始まったことではないが相変わらず見苦しい

同じ穴のムジナだった安倍元首相に倣ったらしい宣言によって、彼女は思い上がりに思い上がってついに天井にぶつかり墜落す運命を選んだようにも見える。

ファシスト気質の高市氏は、性根が秘匿ファシストだった彼女のボスの安倍元首相よりもよりファシスト的というのが僕の見方だ。

だがジェンダーギャップの激しい日本で女性政治家が頑張る様子を、僕は政治的立場をさて置いてずっと応援する気持ちでいたことも告白しておきたい。

高市氏はここイタリアのジョルジャ・メローニ首相に似ているところがある。言うまでもなくファシスト的な気迫の政治スタンスやメンタリティーだ。

だが同時にふたりはかけ離れた右翼活動家でもある。ひとことで言えば、メローニ首相が明の右翼政治家、片や高市氏は陰にこもったキャラクターだ。

もっと言えば高市氏は自ら大いに右翼運動を担うのではなく、例えば安倍元首相に庇護されて四囲を睥睨したように威光を笠に着て凄むタイプ。

一方のメローニ氏は自ら激しく動いて道を切り開くタイプだ。

肩書きが人間を作る、というのは真実である。

イタリアで初の女性首相となったジョルジャ・メローニ氏は、ファシスト党の流れを汲む「イタリアの同胞」を率いて選挙を勝ち抜いた。

選挙中、彼女は右寄りの政策を声高に叫びつつ、一つのスローガンをさらに大声で主張した。

いわく、「私はジョルジャだ。私は女性だ。私は母親だ。そして私はイタリア人だ」と。

「私はジョルジャだ」は自らが自立自尊の人格であることを、「私は女性だ」は女性であることを誇ると同時にジェンダー差別への抗議を、「私は母親だ 」は愛と寛容を、「私はイタリア人だ」は愛国の精神を象徴していると僕は見た。

メローニ氏はそうやって国民の支持を得て首相の座に上り詰めた。

上り詰めると同時に、彼女は激しい言葉遣いを避け、険しい表情をゆるめ、女性また母親の本性があらわになった柔和な物腰にさえなった。

政治的にも極端な言動は鳴りをひそめ、対立する政治勢力を敵視するのではなく、意見の違う者として会話や説得を試みる姿勢が顕著になった。

彼女のそうした佇まいは国内の批判者の声をやわらげた。僕もその批判者のひとりだ。

また同氏に懐疑的なEUのリベラルな主勢力は、警戒心を抱きながらもメローニ首相を対話の可能な右派政治家、と規定して協力関係を構築し始めた。

ジョルジャ・メローニ首相は資質によってイタリア初の女性首相になったが、イタリアのトップという肩書きが彼女を大きく成長させているのも事実なのである。

高市大臣は、あるいは日本初の女性宰相となり、その肩書きによって人間的にも政治的にも成長するかもしれないと僕は秘かに考えていたが、少しバカらしくなってきた。

メローニ首相と同じ右翼政治家の高市大臣には、イタリアのトップに備わっている女性としての自立心や明朗な政治姿勢や誇りが感じられない。

その代わりに虎の威を借る狐の驕りや、男に遠慮する「女性オヤジ政治家」の悲哀ばかりが透けて見える。女性オヤジ政治家は旧態依然とした男性議員を真似るばかりで進取の気性がない。その典型が高市氏だ。

日本にはまた男に媚びる「ブリッコ・オバハン政治家」も多い。その典型は稲田朋美元防衛大臣だ。それらのブリッコ・オバハン政治家は人間としてのまた政治家としての在り様が不自然で主体性がない。

ブリッコ・オバハン政治家は女性オヤジ政治家の対極にあるようにも見える。だが彼女たちは“不自然で主体性がない“というまさにそのことによって、全員が女性オヤジ政治家に分類される存在でもある。

それらのタイプの政治家は実はイタリアにも多い。つまり「オヤジ型の女性政治家」が跋扈する社会現象は、まさにイタリアや日本などの「女性の社会進出が遅れている国」に特有のものなのである。

女性オヤジ政治家 は恐らく肩書きによっても変えられない存在だ。主体性と、そこから生まれるぶれない政治姿勢また真実が欠けているからだ。

肩書きによって作られる人格とはつまるところ、元々それらの特質を備えている人物が、責任ある地位に着くことでさらに磨かれていくことである。

メローニ首相は頑迷固陋なイタリア政界の壁を突き破って輝いた女性だ。

僕は彼女の政治姿勢には同調しないが、日本に似た男社会で見事に自己主張を貫き通す姿勢には拍手を送る。

拍手するその手を返して、高市早苗大臣の面前にかざしNOとひとこと言えればどんなにか胸がすくことだろう。




facebook:masanorinakasone






マクロン勝利でも油断はできない

macron650

フランス大統領選は予想通りマクロン候補が勝った。喜ばしいことだ。

ウクライナ危機が大きく影響した選挙戦は、マクロン候補の大差のリードで始まり、その同じ危機の余波でフランス国内のインフレが高まると、ルペン候補に支持が急激に集まった。

投票直前の2候補のテレビ討論によってマクロン候補の挽回が伝えられたが、フランス国内では同候補への反感も強く、棄権する有権者の動向によってはルペン候補の逆転勝利の可能性もあった。

結局、どんでん返しはなく、マクロン大統領が再選された。

マクロン大統領は、ウクライナ危機対応で欧州が暴君プーチンと戦うために欠かせない存在だ。

片や極右のルペン候補は、選挙戦中は必死でプーチン大統領との仲を隠していたが、当選すれば独裁者プーチンに肩入れし、欧州各国はもちろんアメリカなどとも距離を置く可能性があった。

ひと言でいえば“ルペン大統領”は、欧州の民主主義と自由を否定して、プーチン・ロシアや中国が主導する世界の専制主義勢力と親和的な政権を構築する。

それはウクライナ危機でさえ、プーチン大統領に理があると主張する、世界のネトウヨヘイト系排外差別主義勢力と握手をする政権ということだ。

フランスは再び極右の脅威を退けた。しかし、ルペン候補への支持率は右肩上がりに上がっている。

それはフランス国内に親トランプまた親プーチン勢力が増えていることを意味する。

その状況は、世界がネトウヨヘイト系排外差別主義勢力に支配される方向へと、じわじわと進んでいることを示唆している。




炎上はのぞむところだ。けれど、オ~イ沖縄!マジ今のままでいいんか~いイイイ!?


辺野古・広大な埋め立て区域600
辺野古埋め立て予定地域


僕は個人的には沖縄の独立を支持しない。だが米軍基地問題にからんで怒っている沖縄が、その解決のために独立に向けて立ち上がるなら、僕はそれを否定しない。否定しないどころか、もしも必要ならば、僕はここイタリアを引き払ってでも、故郷の島に移り住み闘いに参加しようと思う。それが僕の噓偽りのない気持ちである。

自分の真意を秘匿して書いた「中露北朝鮮お友達&独立沖縄論」は、僕のブログ上では何も問題はなかったが(無視されただけ?)、新聞に転載されたとたんにネトウヨ・バナナ勢力からのバッシングに遭ったらしい。同時に新聞記事のWEB版には多くの賛同「いいね」もまた寄せられているという。

先のエントリーに書いた通り、新聞は僕の真意を知りつつ記事を掲載した。従って彼らも独立沖縄には反対なのだろうと僕は推察している。もっとも記事タイトルの「“独立沖縄” 論が起きてもいい」を、敢えて「“沖縄独立” 論が起きてもいい」と書き直した編集担当記者の真意は、また別にあるのかもしれないけれど。

掲載紙は、地方紙らしく地元の民意に寄り添う報道を続けているガッツのあるメディアだ。中央権力に媚びて地元を無視する地方紙などクソの役にも立たない。新聞は「普通に」反権力の、地元を深く愛することで結局日本国も愛しているリベラル紙だ。だからバナナのネトウヨ・ヘイト系人種からは、反日・国賊・売国奴などと罵られるわけだ。

新聞はバナナ人種らからのバッシングを大いに浴びるべし、と僕は普段から応援している。それというのも弱体な地方紙が生き延びるためには、全国的な注目を浴びる必要があるからだ。彼らは反権力の報道姿勢を保つことで、権力寄りのネトウヨ・バナナ勢力から攻撃を受けて注目度が上がる。地方紙にとっては願ってもないことだ。

新聞を罵倒しているのは、何度でも言うが、世界から目をそむけたまま日本という狭い家に閉じこもって壁に向かって怨嗟を叫ぶ、偏狭な排外国粋主義者のバナナつまり『引きこもりの暴力愛好家』らである。彼らが叩く相手は相も変わらず中露韓北朝鮮。そこに地方紙を含むリベラル系のメディアが加えられる。

中露北朝鮮はそれぞれ一党独裁、変形独裁、純粋独裁の、従って反民主主義のゴロツキ国家である。そこには自由もなく言論は抑圧され国家が人民を監視する恐怖政治が堂々と行われている。彼らと手を組めば、弱体な沖縄はたちまち飲み込まれて、中国におけるチベット化する可能性がある。

そうなったら沖縄には今のような自由もなく、民主主義は夢のまた夢、言論の自由に至っては影も形もなくなる、という事態が考えられる。嫌中韓露北朝鮮また反沖縄のバナナ勢力を含む、全国の懐疑主義者が真っ先に指摘するのもそこのところだ。

また沖縄地元の知識人やオピニオンリ-ダーなども、国内では抑圧されながらも民主主義と言論の自由がある。だが中露北朝鮮と手を結べばたちまち独裁権力の圧政にさらされる、として言下に彼らとの提携を否定し拒否する者が多い。僕はもちろん彼らの不信と不安がよく理解できる。

だが、沖縄が置かれている状況は、ゴロツキ国家が人民に与える不都合にも匹敵する無残な現実のように見えないこともない。民意は徹底的に無視され、構造的な差別が横行し、ネトウヨ・ヘイト系差別主義者らの攻撃に恒常的にさらされている。民主主義国家日本の一県でありながら、中露北朝鮮体制下の社会の一員でもあるかのような差別を受けているのだ。

ならば、危険と苦難を覚悟で、日本を捨てて彼らと手を結ぶ可能性を沖縄の為政者は検討してみてもいいのではないか。少なくともそういう生き方もある、と中央権力機構にたて突いて、彼らをあわてさせるぐらいのガッツまた覚悟を持ってもいいのではないか、という僕の提案を含むさまざまな意見を、満遍なく報道しているのがその地方紙である。

そうした報道姿勢と、民意を無視して辺野古新基地の建設を強行する施策に代表される、安倍政権への強い反発表明などが恨まれて、同紙は排外国粋主義者のバナナ・ネトウヨ勢力からの激しい攻撃を受けるのだ。偏向視点に凝り固まったバナナの目には、リベラル姿勢の新聞の報道は全て「偏向報道」に見えるのである。彼らは自らのその偏向に気づかない。だからいつまで経ってもネトウヨ・バナナのままなのだけれど。



facebook:masanorinakasone





炎上はのぞむところだ。が、



バナナ持つサル着ぐるみ



ここに書いた記事の主旨が新聞に転載されたところ炎上したという知らせがあった。炎上とは見方を変えれば、記事が注目されたということだから望むところだ。炎上が怖くてはブログ記事など書いていられない。

ところが今回の炎上は、僕自身への非難というよりも記事を掲載した新聞への非難、という様相が強いということなので少し状況が違う。自分への攻撃なら無視するところだが、僕が原因の攻撃を他者が受けた、ということだから無視していられなくなった。

まずはっきりしておくが、僕は沖縄の独立には反対である。反対どころかそんな主張は笑止だとさえ考えている。また、中国、ロシア、北朝鮮は、それぞれ一党独裁、変形独裁、独裁そのものの、不自由で野蛮で人権無視の怖いゴロツキ国家だと思っている。

それならば、なぜ僕が沖縄独立の可能性を探り、且つそれらのゴロツキ国家を味方につけるべし、などと書いたのかというと、そのような屈辱的で苦しい手段まで編み出して突破口を探らない限り、安倍政権のひたすらの沖縄軽視、いや沖縄蔑視の施策が止むことはないと考えるからだ。

記事に書いた通り沖縄の選挙で米軍基地の辺野古移設ノーの民意が繰り返し出ても、さらに県民投票が同じ結果でも、安倍政権は態度を変えない。変えないどころか、民意をあざ笑うように基地用地作成のために土砂を海に投入する蛮行をくり返している。

それに対抗して沖縄県は何をするのかといえば、政権を糾弾する県民総決起大会の開催、というナントカの一つ覚えのような愚策を繰り出すばかりだ。いやそれ自体は重要なものだ。が、同じやり方を反復し続けることで、残念ながら効果がなくなり愚策と似た結果になる。

同じことの繰り返しでは中央権力は動かない。沖縄は彼らを驚かせ、あわてさせるぐらいの策を打たなければ何も変わらない、という思いからの提案が、僕の沖縄独立模索、中露北朝鮮お友達案だ。

荒唐無稽且つ売国的行為にさえ見えかねないそうした主張をすれば、国民の多くは怒って「勝手に独立しやがれ」と沖縄を突き放す可能性もある。その危険を見越した上で僕はあえて記事を書いた。現に僕のコラムが載った新聞に対しては、ネトウヨヘイト系の反沖縄勢力が口角泡を飛ばして反論をしているという。

ましてや沖縄の為政者らが僕の提案と同様の主張をすれば、事態は紛糾して現在は基地問題などで沖縄に親和的な思いを抱いている人々を失望させ、あまつさえ怒らせて沖縄離れ沖縄ヘイトの風潮が、ネトウヨ・ネットワークの殻を破って一般国民の間にも造成されるかもしれない。

だが、政権中枢はどうだろうか?日本とほぼ常に敵対している中露北朝鮮に沖縄が近づくと知れば、あるいは狼狽して態度を変えるかもしれない。沖縄の為政者は、政権を驚愕させるくらいの「何か」を打ち出さなければ、辺野古問題はこのままずるずると進んで、必ず安倍強権政府の思い通りになる、と僕は危惧する。

そこで、繰り返しになるが、辺野古問題の本質とそれへの対応、という意味もこめて中露北朝鮮さえ味方につけての“沖縄の独立”に言及してみた。独立とは、強い経済と軍隊によって得られる自由のことである。僕は沖縄県にそれが可能とは考えないし、たとえ可能でも沖縄の独立などこれっぽちも望まない。

飽くまでも沖縄「基地問題」を解決する糸口の一つとして、また沖縄への構造的差別に対抗するために、もっと具体的に言えば安倍晋三首相と周囲の権力中枢を慌てさせ、考えを変えさせるための作戦、戦略の一つ、として沖縄独立の“カードを切ってみる”手もあるのではないか、と沖縄地元の為政者に提案してみたかったのだ。

そんな重い提案をしながら、自らの沖縄独立論や中露北朝鮮お友達論は「ハッタリ」だと明かしてしまえば、提案の本気度の底が割れてしまう。だから僕は真意は伏せて、「沖縄の独立には反対の立場だが~」と言うだけにとどめて論を展開した。

さらに言えば、記事を載せた当の新聞もそのことは知っていた。なぜなら僕は寄稿するにあたって、コラムの担当者に記事の真の意味を説明しているからだ。僕は「沖縄独立」という言葉のあまりの重さを軽減する意味で、タイトルを「沖縄独立」ではなく『独立沖縄』としてくれとさえ要請した。

コラム担当記者(編集)には僕は正確に次のように言った:

「タイトルの“独立沖縄論が起きてもいい”に少しこだわりました。普通なら「沖縄独立」と言うべきだと思いますが、あえて「独立沖縄」としました。沖縄独立と言えば文字通り沖縄が政治的現実的に日本から独立する、という意味ですが「独立沖縄」とした場合には、思想的なまたは形而上学的な独立、あるいは精神的な自立、といったニュアンスがこもるように思います。私は沖縄の日本からの独立には真っ向から反対ですが、島の心情的な自立や独立には大いに賛成です。その意味合いをこめています。同時に沖縄の為政者は「沖縄の独立」というカードを辺野古問題打破に使うぐらいの肝を持つべきではないか、とも考えています」


だが担当者は、僕のその要請を無視して“独立沖縄”ではなく「“沖縄独立”論が起きてもいい」と敢えてタイトルを書き換えて記事を掲載した。編集担当の記者が、外部からの投稿記事を改善したつもりで、あるいは改善した振りで書き手の意思を無視し、自らの趣味や主張に合う表現に変えるのはよくあることだ。

古典的な新聞記者のいわば思い上がりに近い態度は、ネットが力を持った昨今も変わらない。多くの場合彼らは新聞に代表される紙媒体の失墜に気づかず、たとえ気づいてもそれを過小評価して、不都合な真実から目を逸らしていたい心理に強く捉えられていたりもする。

閑話休題

記事に対する批判が僕に向けられたものなら、僕は十中八九無視するか、記事の内容をそのまま前面に押し出して反論する。だが今回は批判の主な矛先が新聞社に向けられているとのことなので、内情を説明して庇いたいと考えた。違和感を抱かせる記者も少なくない新聞ではあるが、彼らが理不尽な批判にさらされても構わない、とは僕は考えない。

僕はブログ記事には、中露北朝鮮に加えてアメリカも沖縄の独立の後押しをする可能性がある、と示唆した。だがそれを新聞コラムに転載する際には、紙面の厳しい字数制限があるのでその部分は削除した。その事実も結果として、あたかも中露北朝鮮のみが沖縄の味方になる、というコンセプトを強調する形になった。

新聞を攻撃しているというネトウヨヘイト系のエセ愛国者らは、彼ら自身も黄色人種であることを忘れて、トランプ大統領に代表される「白人至上主義」者らとオトモダチのつもりでバナナ人間、つまり表が黄色で中身が白い滑稽な「白人」になってしまっている者がほとんどだ。

彼ら「黄色い白人」はまた、自らがアジア人であることも完全に失念して、中韓北朝鮮に代表される「アジアの国々と国民」への蔑視またヘイト感情に凝り固まり、何かというとこめかみに青筋を立てて隣国の人々を罵倒する。

アジアの3国にロシアを加えた国々には先にも述べたように、確かに問題が多い。だがネトウヨヘイト系の「反日」人種が蔑視しているのは、その国々の体制ではなく、国民だ。特に中韓北朝鮮の人々へのいわれのない優越感は、見ているこちらが「穴があれば入りたい」と感じるほどに恥ずかしく醜い。

僕は自らを「国際派の愛国者」と規定し、そう主張もしている者だ。その立場から見ると、ネトウヨヘイト系・排外差別主義者の国民や政治家また知識人などは、彼らが他者を攻撃するときに良く使う「反日」勢力そのものだ。

なぜなら彼らはアジア人でありながら白人目線でアジア人を見、そこから来る驕りでアジアと世界に迷惑をかけた過去も忘れて歴史を修正し無視しようと躍起になる。その態度は中韓北朝鮮はいうまでもなく世界の良識ある国々の反発も招く。そうやって日本国を貶めている彼らこそ「反日」勢力に他ならない。

そんな反日のバナナらが、主として中韓北朝鮮への蔑視感情とロシアへの反感から繰り出す罵詈雑言は、あまりにも陳腐で醜悪なために取り合うことさえ愚かしい。だが冒頭で述べたように僕の記事が原因で新聞が叩かれている、と知ったので自分の真意また見解をこうして披瀝しておくことにした。



facebook:masanorinakasone











極右のロザリオ~黒い祈り



exorcistt salv 600


イタリアのポピュリズム(大衆迎合主義)政権の一翼を担う極右政党「同盟」は先月(5月26日投開票)行われた欧州議会選挙で予想通り躍進した

同党の党首で副首相のサルヴィーニ氏は、選挙運動中にロザリオをかざして演説を行なうなどしてローマ教皇の怒りを買った。

ロザリオはカトリック教会で聖母マリアへの祈りを唱える時に使う、小さな十字架がついたネックレスのような数珠。

サルヴィーニ氏は、連立政権内で特に難民・移民の排斥を主体にした人種差別的政策を推し進めてローマ教皇と対立している。

イエス・キリストを持ち出すまでもなく、ロザリオに象徴される聖母マリアが貧しい難民・移民を放逐したり、人種差別的な行為を容認するわけがない。

だから教皇を頂点とするバチカンは、聖母マリアの教えと相対するサルヴィーニ氏がロザリオをかざして選挙運動をしたことに不快感をあらわにしたのである。

イタリアは国民の約70%がカトリック教徒とされるが、印象としてはほぼ100%が同教の信者、というのが住んでみての実感だ。9割以上の国民がカトリック教徒という統計も実際に多い。

そこでサルヴィーニ氏は信仰を よりどころに票獲得を企てたが、逆に信仰のシンボル的存在であるローマ教皇の返り討ちに遭った、というふうである。

日本人にはなじみが薄いローマ教皇をわかりやすく語るために、僕は敢えて沖縄に絡めて、沖縄の読者向けに次のような趣旨の文章を書いたことがある。

《ローマ教皇はカトリック教最高位の聖職者である。宗教的存在としての教皇は世界中に13億人程度いるカトリック教徒の精神的支柱だ。同時に彼は政治的な存在でもある。

政治的存在としてのローマ教皇は、われわれの住むこの世界で最も大きな影響力を持つ権力者の1人だ。

ローマ教皇の存在が、遠い極東の島国日本の、さらに外れに当たる沖縄にも影響を与え得る例を一つだけ挙げてみたい。

2011年、アメリカで起きた同時多発テロ事件は、米軍基地の多い沖縄もテロの標的になる可能性が高い、という風評を呼んで観光業に大打撃を与えた。

あの事件はイスラム過激派による反米闘争の一環として決行されたが、その前にはイスラム教とキリスト教のいがみ合いという何世紀にも渡る対立があり、それは現在でも続いている。

つまりひとことで言えば、もしもキリスト教世界とイスラム教世界が親和的な関係であったならば、イスラム過激派のテロは存在せず沖縄の観光産業が打撃を蒙ることもなかった。

そしてローマ教皇はその気になれば、2大宗教の対立に終止符を打つことも、このままま継続させることもできるほどの力を持つ大きな存在なのである。》


“風が吹けば桶屋が儲かる”的な論法に聞こえるかもしれない。が、ローマ教皇はあらゆる国や地域が密接に結びついて狭くなった世界で、一大勢力を持つカトリック教会のトップなのだ。

カトリック教最高位の聖職者たるローマ教皇は非世襲の終身職。コンクラーヴェと呼ばれる枢機卿団の構成員たちの互選投票で選ばれる。

そうしたことからローマ教皇を敢えて日本に例えて言うならば、万世一系の天皇ではなく、一大限りの天皇あるいは選挙で選出される天皇、と形容することもできる。

同盟のサルヴィーニ党首は、国民の圧倒的多数を占めるカトリック教徒に向けて「ロザリオと共に進もう!」と叫ぶことで、あるいはローマ教皇に挑もうと考えているのかもしれない。

極右系の政治家にありがちな彼の思い上がったやり方は、日本の安倍晋三首相が平成の天皇に逆らい、さらに即位したばかりの新天皇を篭絡しようとして躍起になっている、とされる姿にも重なるようだ。

僕は政治家のそうした動きには少しも驚かない。彼らはそうすることで自らの政治目標を達成しようとする。そして政治目標の達成こそが政治家にとっての正義だ。僕はサルヴィーニさんも安倍さんも支持しないが、彼らの飽くなき野心には感心するばかりである。


facebook:masanorinakasone








記事検索
月別アーカイブ
プロフィール

なかそね則

カテゴリ別アーカイブ
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ