【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

感染症

コロナ犠牲者追悼記念日

棺運ぶ郡トラック切り取り656

イタリア政府は、毎年3月18日をコロナ(犠牲者)追悼記念日と定めた。

2020年3月18日、おびただしい数の新型コロナの死者の棺を積んだ軍トラックが、隊列を組んで進む劇的な映像が世界を駆けめぐった。コロナ禍に苦しむイタリアを象徴する凄惨なシーンだった。

当時世界最悪とも言われたコロナ禍中のイタリアは、全土ロックダウンを導入し最終的には20万人近い犠牲者を出した。

コロナパンデミックはイタリア人に対する僕の認識を大きく変えた。

僕はイタリアが好きでこの国に移り住んだが、コロナ禍を介して自身のイタリアへの好情は、いわば愛に変わったと考えている。

イタリアはその頃、どこからの援助もない絶望的な状況の中で、誰を怨むこともなく且つ必死に悪魔のウイルスと格闘していた。

コロナ地獄が最も酷かったころには、医師不足を補うために300人の退職医師のボランティアをつのったところ、25倍以上にもなる8000人が、24時間以内に名乗りを挙げた。

周知のように新型コロナは高齢者を主に攻撃して殺害した。加えて当時のイタリアの医療の現場は酸鼻を極めていた。

患者が病院中にあふれかえり、医師とスタッフを守る医療器具はもちろんマスクや手袋さえ不足した。患者と競うように医療従事者がバタバタと斃れた。

8000人もの老医師はそれらを十分に承知のうえで、安穏な年金生活を捨て死の恐怖が渦巻くコロナ戦争の最前線へ行く、と果敢に立ち上がった。

退役医師のエピソードはほんの一例に過ぎなかった。

長い厳しいロックダウン生活の中で、多くのイタリア国民が救命隊員や救難・救護ボランティアを引き受け、困窮家庭への物資配達や救援また介護などでも活躍した。

イタリア最大の産業はボランティアである。

イタリア国民はボランティア活動に熱心だ。猫も杓子もせっせと社会奉仕活動にいそしむ。彼ら善男善女の無償行為を賃金に換算すれば、莫大な額になる。まさにイタリア最大の産業だ。

そのボランティア精神が、コロナ恐慌の中でも自在に発揮された。8000人もの老医師が、険しいコロナ戦線に向かう、と決死の覚悟をする心のあり方も、根っこは同じだった。

コロナ禍中のイタリア国民は誰もが苦しみ、疲れ果て、倒れ、それでも立ち上がってまたウイルスと闘う、ということを繰り返した。

パンデミックと向き合う彼らのストイックな奮闘は僕を深く感動させた。

逆境の中で毅然としているイタリア国民の強さと、犠牲を厭わない気高い精神はいったいどこから来るのか、と僕はいぶかった。答えはすぐに見つかった。

国民の9割近くが信者ともいわれるカトリックの教義にその秘密がある。

カトリック教は博愛と寛容と忍耐と勇気を説き、慈善活動を奨励し、他人を思い利他主義に徹しなさいと諭す。だが人は往々にしてそれらの精神とは真逆の行動に走る。

だからこそ教義はそれを戒める。戒めて逆の動きを鼓舞する。鼓舞されてその行動をし続けるうちに、そちらのほうが人の真実になっていく。

いい加減で、時には嘘つきにさえ見えて、いかにも怠け者然としたゆるやかな生活が大好きな多くのイタリア国民は、まさにその通りでありながら、同時に寛容で忍耐強く底知れない胆力を内に秘めていた。

彼らの芯の強さと、恐れを知らないようにさえ見える腹の据わった態度に接して、僕はこの国に居を定めて以来はじめて、許されるならイタリア人になってもいい、と思ったりした。

周知のように日本人が他国籍を取得したいなら、日本国籍を捨てなければならない。僕は今のところは自国籍を放棄する気は毛頭ない。だから実現することはない。

だが、イタリア人になってもいいと信ずるほどに、イタリア国民をあらためて心底から尊敬するようになったのである。


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マスクを神聖視する羊群の危うさ

羊群切り取り最小画576

5月8日を興味津々に待っている。正確には5月8日以降の日本の光景。

5月8日はいうまでもなくコロナが日本でも季節性インフルエンザとみなされる日だ。それに伴って人々がついにマスクを手放すかどうか、僕は深い関心を抱いて眺めている。

マスク着用が個人裁量にゆだねられても人々はマスクを外さなかった。ちょうど帰国中だった僕はそれを自分の目でつぶさに見た。

異様な光景を見たままにそう形容すると、ほとんど侮辱されたのでもあるかのように反論する人もいた。だが異様なものは異様だ。

鏡に顔を近づけ過ぎると自分の顔がぼやけて見えなくなる。日本国内にいてあたりの同胞を見回すと同じ作用が起きやすい。距離が近過ぎて客観的な観察ができなくなるのだ

政府が3月13日以降マスクの着用は個人の自由、と発表したにもかかわらず日本国民のほとんどはそれを外すことがなかった。その事実を軽視するべきではない。

人々がマスクを外さないのは、①周りがそうしているので自分も従ういわゆる同調圧力、②真にコロナ感染が怖い、③花粉症対策のため、などの理由が考えられる。

このうちの花粉症対策という理由はうなずける。日本人のおよそ4人に1人が花粉症とされる。それどころか国民の約半数が花粉症という統計さえある

そうしたことを理由に日本人がマスクを外さないのは花粉症対策のためと主張する人も多い。

だがそれは最大およそ5割の日本人が花粉症としても、残りのほぼ5割もの国民がマスクに固執している理由の説明にはならない。

また雨の日や夜間は花粉が飛ばない事実なども、マスクに拘泥する現象のミステリー度に拍車をかける。

日本にはインフルエンザに罹ったときなどに割と気軽にマスクを着ける習慣がある。習慣は文化だ。マスク文化がコロナという怖い病気の流行によって極端に強まった、という考え方もできるだろう。

文化とは地域や民族から派生する、言語や習慣や知恵や哲学や教養や美術や祭礼等々の精神活動と生活全般のことである。

それは一つ一つが特殊なものであり、多くの場合は閉鎖的でもあり、時にはその文化圏外の人間には理解不可能な「化け物」ようなものでさえある。

文化がなぜ化け物なのかというと、文化がその文化を共有する人々以外の人間にとっては、異(い)なるものであり、不可解なものであり、時には怖いものでさえあるからだ。

そして人がある一つの文化を怖いと感じるのは、その人が対象になっている文化を知らないか、理解しようとしないか、あるいは理解できないからである。だから文化は容易に偏見や差別を呼び、その温床にもなる。

ところが文化の価値とはまさに、偏見や恐怖や差別さえ招いてしまう、それぞれの文化の特殊性そのものの中にある。普遍性が命の文明とは対照的に、特殊であることが文化の命である。

そう考えてみると、日本人がいつまでもマスクにこだわること、つまり日本の文化のひとつを異端視することは当たらない。

ところが僕は日本人である。日本の文化には親しんでいて理解もしている。その僕の目にさえいつまでもマスクを外さない人々が多い景色は異様に見えるのだ。

異様に見えるのは、その主な原因が花粉症対策というよりも同調圧力にあると疑われるからである。同調圧力そのものも異様だが、それに屈する国民が多い現実はさらに異様であり危険、というのが僕の気掛かりだ。

同調圧力は多様性の敵対概念だ。同調圧力の強い社会は排他性が強く偏見や差別が横行しやすい。またひとたび何かが起こると、人々が雪崩を打って一方向に動く傾向も強い。

片や多様性のある社会では、政治や世論が一方に偏り過ぎて画一主義に陥り全体主義に走ろうとする時、まさに多様な民意や政治力やエネルギーが働いてそれの暴走を回避する。

日本社会の画一性は古くて新しい問題である。日本国民の無個性な大勢順応主義は、間接的に第2次大戦勃発の原因になったと見ることさえ可能だ。

いまこの時は、ロシアのウクライナ侵攻によって引き起こされた欧州の危機感が日本にも伝播して、中国を念頭に軍拡が急速に進もうとしている。

そこには正当な理由がある。だが、まかり間違えば政治が暴走し再び軍国主義が勢いを増す事態にもなりかねない。それを阻止するのが社会の多様性だ。

おびただしい数のマスクが、人々の動きに伴って中空を舞う駅や通りの光景を目の当たりにして、僕は少なからぬ不安を覚えていた。

5月8日以降もしっかり見守ろうと思う。




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仙人は風邪をひかない

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2021年4月、イタリアの離島で32年間独り暮らしをしていた男が島から転出する、というニュースが注目を集めた。

その男とは当時81歳のマウロ・モランディさん。1989年、イタリアの島嶼州サルデーニャのブデッリ島に移り住んだ。

以来、島のたった1人の住人として生きてきたが、島を管轄するマッダレーナ諸島国立公園の要請で離島することになった。

孤独な男のエピソードは国内のみならず世界の関心を呼び、英国のBBCなどは“イタリアのロビンクルーソー”として彼のこれまでの生き様を詳しく伝えたりした。

モランディさんは人間が嫌いで自然が好き。それが嵩じて、文明から離れて南太平洋のポリネシアの孤島に移り住もうと考えた。

彼は友人とともに航海に出て、サルデーニャ島の北東部にあるマッダレーナ諸島に着いた。そこで働いてポリネシアまで航海を続けるための資金を作ると決めたのだった。

だがブデッリ島を訪ねた際、島の管理人が退職することを知って、そこに移り住むことを決意。以来32年が過ぎた。

モランディさんはインタビューに答えて、32年間健康で風邪一つひかなかったと強調した。

僕はその言葉に強い印象を受けた。

人間は孤独なら風邪をひかない、という真実を確認できたからだ。

コロナパンデミックが起きて以来、僕はインフルエンザにもかからず風邪もひかなくなった。

同居している妻以外の人間とは全くと言っていいほど接触しなかったからだ。

僕は風邪やインフルエンザに愛されていて、それらの流行期にはほぼ必ず罹患する。特にインフルエンザには弱く、しかもかかると高熱が出る。

若いころに横隔膜を傷めていて、それが原因で高熱が出ると医者には言われた。医者は毎年インフルエンザワクチンを打つように勧めた。

僕は懐疑的だった。ワクチンは自然に逆らっているようで危険ではないか、と思い医者にそう伝えた。

彼は即座に言った:

あなたの場合、インフルエンザにかかる度に高熱を出して寝込むことの方がワクチンよりずっと危険です。

目からうろこが落ちた。ワクチンへの僕の信頼はそこから始まった。20年以上前の話だ。

以来、毎年冬の始めにインフルエンザワクチンを打つ。それでもインフルエンザにかかることがある。だが、以前のように高熱が出ることはなくなった。

ワクチンを打っていてもインフルエンザにかかるのは、外に出て他者と接触するからである。あるいは自家に人が訪ねてくるからである。

その証拠に同居人以外にはほとんど会わなかった2020年~2021年の間、前述のように僕全く風邪ひかずインフルエンザにもかからなかった。

独り孤島に生きていマウロ・モランディさんは、風邪をひきたくてもインフルエンザにかかりたくても、ウイルスを運び来る他者がいないため罹患することはなかったのだ。

僕はコロナ感染を避けるために人との接触を絶っていた頃の自分の暮らしを振り返って、“人は孤独ならインフルエンザはおろか風邪さえひかない”としみじみ思うのである。

2020年以降はインフルエンザワクチンと並行してコロナワクチンも接種している。

コロナワクチンを3回接種し4回目を待っていることし(2022年)の春からは、ほぼ普通に外出をし人とも当たり前に会っている。

これまでのところ、コロナはおろかインフルエンザにもかかっていない。だが人との接触が増えた今は、先のことはわからない。



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ミコノス島の鮮烈Lamb料理

羊中身炙り650

2022年6月、ギリシャのミコノス島でおどろきの料理に出会った。

羊のモツの炙り焼きである。

心臓、肝、胃、腎臓、横隔膜ほかの内臓をさばき腸に詰めて巻き固め、炭火でじっくりと回し焼いた一品。

腸を入れ物に使う食べ物の代表格としては、ミンチ肉を詰めて熟成させるサラミあるが、完成するとサラミの皮になる腸は普通は食べない。

ところが子羊モツの炙り焼きは、サラミとは違って中身を詰めて巻きつけた腸自体も美味しく食べられる。

肉とは違う食感と香り、そしてなによりも各部がこんがりと焼けた腸にからまって絶妙な味わいを演出していた。

僕はレバ(肝)の味が苦手である。日本で食べるレバニラ炒めも、レバ抜きで、と頼むほどだ。

ところが子羊モツの炙り焼きに含まれているレバは、えぐみが他の具材で抑えられていてほとんど気にならなかった。

地中海域の旅ではヤギ・羊肉料理を食べ歩いている。

言うまでもなくそこでは魚介料理をはじめ牛、豚、鶏などの当たり前の肉料理も楽しむ

その合間に日本ではあまりなじみのないだが世界ではよく食べられているヤギ・羊肉レシピを敢えて探し求めるのである。

ヤギ&羊肉は地中海域ではごく普通の食材だ。珍味とは呼べない。それでも旅人の僕らにとっては少し珍しい。

珍しさに魅かれて食べるうちに、その美味さにのめり込んだ。今ではイタリア国内を含む旅先のレストランで、メニューを手にするとすぐにヤギ・羊肉料理の項を探す。

10年以上も前に始まったその習慣は、僕に付き合ってくれる妻が次第に「ヤギ・羊肉料理好き」になったことでますます深まった。妻はかつてはヤギ・羊肉料理が嫌いな人だったのだ。

僕がこだわるヤギ・羊肉料理はもともと成獣の肉ではなく、子ヤギと子羊肉のレシピのことだった。

ヤギや羊の肉には独特の臭いがある。それは成獣になるほど強くなる。

そのために両者の肉は幼獣のものが好まれ成獣のそれは避けられる。北部イタリアなどでは成獣の肉はほとんど市場に出回らない。

だが、南イタリアを含む南部の地中海沿岸では成獣のヤギ・羊肉も食される。その場合は独特の強烈な臭いが消されて風味へと昇華し深みのある肉の味だけが生かされているケースがほとんどだ。

子羊モツ炙り焼きUP650

僕はこれまでにイタリアのサルデーニャ島、スペインのカナリア諸島、トルコのイスタンブールなどで絶品のヤギ・羊の成獣肉料理に出会った。

子ヤギと子羊の場合は、地中海域のあらゆる国で優れたレシピがある。

2022年現在、食べた子ヤギ・子羊レシピのベスト3は、敢えて言えば:

1.ギリシャのロードス島の山中の食堂の一品

2.クロアチア国境に近いボスニア・ヘルツェゴビナのレストランの丸焼き肉

3.イタリア、ギリシャの島々、またその他の地域の多くのレストランのレシピ

という具合いである。

要するに子ヤギ・子羊はどこでもよく食べられ、その結果レシピが発達してバラエティに富み、味も多彩になったということである。

長くトルコの支配下にあったギリシャの島々のヤギ&羊肉膳は特に奥が深い。

イスラム教徒のトルコ人は豚を食べない。代わりに羊やヤギを多く食べる。トルコ人の食習慣はギリシャの島々にも定着した。

それは以前から根付いていたギリシャ独自のヤギ&羊肉文化と融合して、より奥深い味を生み出していった。

ギリシャのヤギ&羊肉料理は、欧州ではいわば本場のレシピ。従って当たりはずれはほとんどない。ほぼすべての店の膳美味しい。

その中でもミコノス島で食べた子羊モツの炙り焼きは、素材ユニークさもさることながら、モツの各部位が絶妙のバランスで融合して感動的なまでの味の良さに仕上がっていた

ヤギ・羊肉料理は、既述のようにギリシャの島々からイタリアのサルデーニャ島、トルコや北アフリカなど多くの素晴らしいレシピが存在する。だがモツ料理には出会ったことがなかった

2018年、サルデーニャ島のレストランでモツ焼き及びモツのパスタソースを味わった。めざましいレシピだったがそれは豚と子牛の内臓でヤギ羊のそれではなかったのである。

子羊の腸に内臓各部を詰めてからめて炙り焼き、深い滋味を作り出すミコノス島の店の手法は見事だった

そこにはシェフの創造性と多くの努力と試行錯誤の歴史がぎゅうぎゅうに詰まっている。

意外性のある美味いレシピに出会う喜びの真諦は、味もさることながら、料理人の独創性に触れる感動なのである。





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エーゲ海の光と風~群青の空とカモメとグルメ

子羊モツ炙り焼きUP650

エーゲ海を旅した。コロナ後初のイタリア国外への旅。

610日、ミラノからミコノス島に飛び、船でパロス島に移動した。

目的地のパロス島の前に寄った、乗り換え地のミコノス島の上空がすでに曇っていた。

船に乗り換えて、パロス島に着いた。その夜から朝にかけて雨が降った。

翌日もぐづついた天気が続いた。だが徐々に回復していき、3日目にはエーゲ海の空が戻ってきた。

群青色とシアンが重なったような深い青色。

あるいは瑠璃紺からホリゾンブルー分の青をそっと抜き取ったのでもあるかのような濃い空色。

言葉で遊べばいくらでも表現ができる。だが、どんなに言葉をなぞっても正確には言いあらわせない、エーゲ海の空だけの美しい巨大な色。

見渡す限り、360度の天空に明るい稠密な青いカーテが展延している。

それはコバルトブルーの海にきらきらと反射し、教会の青い屋根をくっきりと縁取り、白い壁や鐘楼をまぶしく輝かせる。

景色の細部は遠景の真っ白な光彩に吞み込まれて融合し昇華する。そうやって空と地の天淵が埋まる。

調和した世界には朝も昼も夜も、間断なく強風が吹き募る。碧海にも群青の空にも地上の白い街並みにも。

強風はメルテミ(Meltemi)と呼ばれる。夏のエーゲ海を象徴する風物詩だ

調和した、だが違う色彩の天地の間をカモメが飛ぶ。

風に乗って舞い上がり、碧空の白い一点となって悠々と浮かぶ。やがて吹き上がる強風を捉えて猛然と加速する。

加速するカモメは白い光跡を残しながら群青のカーテンの中に吸い込まれていく。

僕はビーチを行き来しては滑空するカモメの白い飛翔を撮影しようと試みる。

だがただの一度も成功したことがない。

かろうじて捉えることができるのは、風と戯れながら低空で静かに浮かぶ彼らの姿だけである。

海鳥をカメラで追うゲームに疲れると、ビーチパラソルの下の寝椅子にねそべって読書をし、あれこれ思いを巡らし、想像し、空想の中で遊ぶ。

それにも飽きたら泳ぎ、水中眼鏡をかけて海中を探索し、13時前後から食べる。

レストランにはギリシャ料理とともにイタリア料理が幅を利かせている。僕らはむろんイタリア料理には見向きもしない。

素朴な味わいのギリシャ料理を堪能する。

魚介はタコとイワシが特に美味く、小さなマグロと呼ばれるカツオの煮込みなども味わい深い。

肉は相変わらずヤギと羊肉を追い求める。

ギリシャのヤギ&羊肉料理は、欧州ではいわば本場のレシピだから当たりはずれはほとんどない。

ヤギ&羊肉膳はほぼすべての店が美味しかった。そして今回もまた世界一と呼びたくなるLamb(子羊)料理に出会った。

子羊のモツの炙り焼き。

内臓をさばき腸に詰め込んでじっくりと炭火で回し焼いた一品。肉とは違う食感と香りと味が秀逸だった。

ミコノス島での経験である。

少し以外な感じがしないでもなかった。ヤギや羊の炭火モツ焼き、と言えばワイルドな響きがする。ミコノス島はエーゲ海の島々の中でも洗練された場所。

その料理はたとえば今回訪れた中ではナクソス島あたりが似合いそうだ。ナクソス島はキクラデス諸島の中では最も大きく山岳地帯も多い。

素朴な山中などに息づいていそうな料理にも見えたが、実態は違う。子羊モツの炙り焼きの味は洗練されたものだった。やはりミコノス島に最も似合う、と考え直した。







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パンデミックはどうやら真にエンデミックになったようだ

マスクを投げ捨てる切り取り650

2022211日、イタリアは屋外でのマスク着用義務を撤廃した。

それを皮切りに同国はコロナ関連の厳しい規制を徐々に解き始める。

クラブをはじめとする夜の歓楽施設も営業を開始。サッカースタジアムも規制緩和を拡大して、ことし末までには収容人員を100%にする。

そしてなによりも、3月31日で期限が切れる国家緊急事態宣言をもはや延長しない、とした。

北欧では規制の全撤廃に動く国が相次いでいる。だが、イタリアは規制解除や緩和には慎重だ。

本来なら北欧の国々が細心で、ラテン気性のイタリアがさっさと規制撤廃に動きそうなものだ。

普段はノーテンキなイタリアが思慮深いのは、パンデミックの初期に、世界に先んじて医療崩壊に始まるコロナ地獄を味わった苦い経験を忘れていないからである。

イタリアはパンデミックに於いては常に規制を迅速にしかも厳しくし、逆に規制の解除には用心深く、且つ緩和のスピードをゆるやかに保ってきた。

そのイタリアが、コロナパンデミックをインフルエンザなどと同じく流行が一定期間で繰り返される「エンデミック」として扱い始めた。

それは喜ばしい兆候だ。なぜならイタリアは北欧などの動きを見つめつつ、慎重の上にも慎重を期して、ようやくパンデミックの収束を視野に入れ始めたことを意味するからだ。

規制解除の動きに関しては、我がままで気ままな国民が多いイタリアが、生真面目な国民性が特徴の北欧各国よりも自重的である方がより信頼できる。

イタリアはブースター接種も進み、感染者数は欧州各国並みに多いものの、重症化率も低い。

コロナに関する限り臆病過ぎるほど臆病なイタリアが、北欧の国々を追いかける形で「コロナはもはや社会の脅威ではない」と見なし始めたのは、真実そう見なしてもよいということである。

ひたすら感染者数を重視して規制を続ける日本から見ていると、あるいは分かりづらいかもしれないが、それがコロナパンデミックの真の顔だ。安心してもいいと思う。

パンデミックが終息した場合の最も喜ばしいプレゼントは、社会の分断が終わるかもしれない点である。

ワクチンを拒否する人々の大多数は、接種に慎重な人々と健康上の理由で接種できない人々だ。

また頑なにワクチンを否定するいわゆる過激派NoVaxの人々も、彼らなりの思惑で自らの健康を気遣っている側面もある。

それは間違った情報に基づいている場合が多い。だが、われわれは誰もが間違いを犯す。

コロナパンデミックが収まった暁には、間違いを犯すことが本性のわれわれ全員は、必ず間違いを許し合い抱擁し合うことができるだろう。

そうなるように努力するべきである。









コロナはもはやインフルってホント?

650マスク、霧、小中庭

欧州ではコロナ規制を撤廃したり大幅に緩和する国が相次いでいる。

2月1日にはデンマークが欧州で初めてコロナ規制をほぼ全面撤廃した。

続いてノルウェーも撤廃を決めた。1月26日から厳格な規制を緩めているオランダもさらに束縛を緩和する方針。

そのほかアイルランド、スウェーデン、英国なども同じ方向に舵を切っている。

少し意外なのは、1日あたりの感染者数が一時50万人を超え現在も数十万人程度の数字が続くフランスが、屋外でのマスク着用義務をなくすなどの制限緩和に動き出したこと。

ただしフランスは一方では、偽のワクチン接種証明を提示した場合、30日以内にワクチンを接種しなければ4万5千ユーロもの罰金と禁錮3年の刑を科すなど、規制を強化している部分もある。

ここイタリアでも、スペランツァ保健相が、コロナとの闘いは希望の持てる新しいフェーズに入った、と言明した。

イタリアでは.ワクチン接種年齢の国民の91%が接種。

88%が2回接種。

3回目の接種もおよそ3500万人が済ませている。

集中医療室のコロナ患者占拠率は14,8% 。一般病棟のそれも29,5%に下がった。

だがイタリアは、おそらく他の欧州諸国、特に北欧の国々とは違って、規制緩和を急ぐことはないと思う。

イタリアは-繰り返し言い続けていることだが-コロナパンデミックの初めに世界に先駆けて医療崩壊を含む地獄を味わった。

その記憶があるために、ほぼ常に規制緩和をどこよりもゆるやかに且つ小規模で行ってきた。その一方で、規制の強化や延長はどこよりも早くしかも大規模に実施する傾向がある。

それはとても良いことだと僕は思う。

法律や規則や国の縛りが大嫌いなイタリア国民は、少し手綱をゆるめるとすぐに好き勝手に動き出す。

コロナ渦では国民全てのために、そしてお互いのために、不自由でも規制は強めのほうがいい。

平時には断じて譲れない個人の自由の概念を持ち出して、ワクチン接種拒否は個人の自由、などと叫ぶのはやはり控えたほうが賢明だろう。

それにしても、感染者数がなかなか減らない中で欧州各国が大幅な規制緩和に乗り出すのは、頼もしくもあり違和感もある不思議な気分だ。

だが科学の浸透が深い欧州の、しかも北欧の国々が先陣を切って動き出したのだから、それなりの根拠があってのことに違いない。

パンデミックの初期、イギリスのジョンソン首相は国民をできるだけ多く感染させてすばやく集団免疫を獲得するべき、と考えそう動こうとした。

周知のようにそれは国民の総スカンを食らってポシャり、しかも後遺症で欧州最大のコロナ犠牲者を出す結果になった。

今回の規制緩和の流れもイギリスが先導した、と言っても構わないだろう。

ミニトランプのジョンソン首相が、経済回復を急ぐあまり「またもや」勇み足をしたのではないことを祈りたい。

前回はスウェーデンだけが追随して失敗した。今回は多くの国が倣っているから大丈夫なのだろうけれど。。




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コロナ規制強化は普通に反ワクチン頑民に留めるべきかも

650霧のぶどう園と道路

イタリアのコロナ感染者数は12月23日~25日にかけて3日連続で過去最悪を記録した。

その数字は英独仏ほかの国々に比べると低かったが、パンデミックの初っぱなで医療崩壊を含むコロナ地獄を経験しているイタリアは、敏感に反応して年末年始の規制強化策を導入した。

12月23日のことである。

僕はその策は生ぬるいと感じた。ワクチン未接種を厳しくロックダウンすると同時に全体的な規制も強めるべき、と考えていた。

だがどうやら僕は間違っていたようだ。

僕は濃厚接触者への隔離策が厳しすぎるという点を見逃していたのだ。

現在の抑制策は、濃厚接触者がワクチンを接種済みなら7日間、未接種なら10日間、自主隔離するというものだ。

だがそれでは2週間以内に全国で500万人から1000万人が自主隔離を迫られることになる。

緩和策が取られなければ国全体がたちまち麻痺する事態に陥りかねない。

多くの専門家がそう指摘している。

ワクチン接種を済ませている者の隔離を減らし、逆にワクチン未接種者への規制を強化するべき、という強い意見もそこかしこから上がっている。

僕もそれに賛成だ。

イタリアの一日あたりの感染者数は、12月25日の54762人をピークに下降線をたどろうとしているようにも見える。

12月31日まで屋外での集会やイベントが禁止されることを考えれば、その傾向は続くのだろうが油断はむろん禁物だ。

少し油断をすれば、基本的に規則や法律に始まるあらゆる「縛り」が嫌いなイタリア国民は、自由奔放、やりたい放題に動いて、すぐに感染爆発がやって来かねない。




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オミクロン株の足音が聞こえる


海に沈むomicron看板

12月23日、イタリア政府による年末年始のコロナ規制強化策が発表された。

それらは:

1.屋内でのみ義務化されているマスク着用を屋外にも適用。

2.ワクチン接種証明のグリーンパスの有効期間を9ヶ月から6ヶ月に短縮。

3.映画館、劇場、スポーツ観戦、また公共交通機関を利用する際には現在使われているサージカルマスク(医療用マスク)ではなく、FFP2(防塵マスク)を使用すること。

4.現在はグリーンパスが無くても飲食できるバーやカフェ、レストランカウンターなどでもグリーンパスの提示を義務付ける。

5.屋外でのイベントやパーティーを12月31日まで禁止。

など。

12月23日、イタリアの1日あたりの感染者数が過去最悪の44595人にのぼった。

これまでの記録は2020年11月13日の40902人。

また23日の死者数は168。最近では高い数字だが、これまでの最悪記録である、やはり2020年11月13日の550人よりは大幅に少ない。

12月23日の集中治療室収容の患者は1023人、通常病棟のコロナ患者は8772人。

片や昨年11月13日の記録は集中治療室収容の患者が3230人、通常病棟のコロナ患者は30914人にものぼった。

昨年の11月にはまだワクチンはなかった。その事実は数字の高さと相まってイタリア中を不安の底に陥れた。

ワクチン接種を拒む頑民は存在するものの、今年はワクチンが普及したため人々は少し穏やかな年末年始を迎えようとしている。

しかし、クリスマスの祝祭と年末年始の賑わいを考えた場合、イタリア政府の規制策は生ぬるいと思う。

ここ数日で感染が急激に拡大し、ついには過去最悪の数字を超えた事態を軽視していないか。

感染力の強いオミクロン株が、英国を真似て跋扈しそうな雰囲気があり、とても不気味だ。












めでたさも中くらいのクリスマス 

omicron650

イタリア政府は今日(12月23日)中に、年末年始のコロナ規制をどうするか、閣議決定する予定である。

イタリアは昨年、年末年始を全土の完全ロックダウンではなく、クリスマスイブから新年の6日までの間に、スイッチを入れたり切ったりする変形ロックダウンで乗り切った。

具体的には1月24日から1月6日までの2週間のうち、12月28、29、30日と1月4日以外の日々は、全土にロックダウンをかける、というものだった。

クリスマス前後と年末年始の数日間はイタリアも人出が多い。だからそこを封鎖したのである。

ことしはワクチンのおかげで状況は改善した。しかし、オミクロン株とワクチン未接種の頑民のせいで、再び環境が悪化。コロナ以前と同じ年末年始になることは望めない。

欧州ではオランダが12月19日から全土のロックダウンを敷いている。

ドイツとその周辺の北欧諸国のコロナ環境も最悪だ。

むろんここイタリア、フランス、スペインなどの大国の状況も切羽詰っている。

オランダに続いて誰がロックダウンを宣言してもおかしくない。

また欧州ではオーストリアが来年2月からワクチン接種を義務化する。

ドイツもその方向で動いている。

どの国も、市民の自主的な判断に任せていては、これ以上ワクチン接種人口は増えない、と考えている。

特にいまだにワクチンは危険だとか陰謀だとかの世迷言をいう輩や、コロナは怖い病気ではないとのたまう痴人、果てはコロナは存在しないとまで主張する狐憑きが存在する限り、パンデミックは収まらない。

だれもが自由を希求する。現代の民主主義世界では、たとえどんなに強権的な政府でも、自国民の自由を縛ろうとは考えない。

それができるのは、例によって中露北朝鮮をラスボスとする独裁政権と、彼らを崇める世界中の“金魚のフン“国家のみだ。

ワクチンを拒否する頑迷人種は、その固陋さゆえに他者、つまり政府によって自由を束縛されることになるだろう。

残念だがそれは仕方のないこと、と言わざるを得ない。



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祝祭の日々割れ


Rotterdum riot lockdown

2021年12月18日、オランダが全土ロックダウンを敢行した。

欧州のコロナ状況ははかばかしくない。オミクロン株への不安に加えて、感染拡大が止まないのである。

人口1700万人あまりのオランダは、1日あたりの感染者数が2万人近くにのぼる日もあり、クリスマス期間の大きな人出に耐えられないと判断した。

オランダに先立ってロックダウンを敷いたオーストリアは、規制を緩和したが状況は予断を許さない。

大国ドイツの感染状況も依然として厳しい。

ここイタリアでもじわじわと感染が拡大し続けている。

だが情勢はいま触れた3国をはじめとする欧州のほとんどの国よりは良い。

特にオミクロン株が今のところは低く抑えられている。

そのことを踏まえてドラギ政権は、EU各国からの旅行者にワクチン接種済みか否かを問わず入国制限をかけた。

オミクロン株を排除するのが目的だが、EU本部からの反発も受けた。

イタリアを含む欧州各国は、経済に大きな影響を与えるクリスマス需要を守ろうと必死になっている。

だがついに-冒頭で触れたように-オランダが脱落してロックダウンを断行した。

状況が良くないドイツがもしも将来ロックダウンに踏み切れば、オランダのそれとは比較にならない大きな影響が出る。

EUを離脱した英国の環境も険悪だ。

ミニトランプのジョンソン首相は、死に物狂いで規制強化を避けようとするだろうが、先行きは極めて不透明。

クリスマスから年末年始にかけては、感染が拡大するであろう、と予想されてきた。

そのため欧州各国はクリスマス期間前に規制を強化して、祝祭の日々をできる限り明るくしようと懸命に動いている。

その結果がどうなろうとも、ワクチン接種を拒否する人々の数が減らない限り、パンデミックの終息は速やかにはやってこないだろう。

来年2月にワクチン接種を義務化するオーストリアの計画が、もしも予定通り遂行されて現実のものとなったとする。

その場合は欧州もまたそのほかの世界も、本格的に反ワクチン住民を仕置きする動きに出るだろう。

それは必要なことかもしれないが、社会はさらに深い分断の闇に飲み込まれていく可能性が高い。

それでも事ここに至っては、何らかの仕置きはなされるべきだろう。ひたすらパンデミックの終焉のために。







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自由な人々には自らをロックダウンする自由もある


山荘への道2021-10月800

イタリアのワクチン接種は順調に進んでいるが、数日来新規の感染者が増えている。

早めに接種を済ませた人々の発祥予防効果が薄れ出したこと。

ワクチン未接種の人々の感染増加などが原因と見られている。

欧州全体が似通った状況になっている。

反ワクチンの立場が宗教の域にまで達している者や、これを煽る極右の政治勢力はさておいて、ワクチンに懐疑的な人々が未だに多いのは不思議だ。

彼らを説得できない政治が悪いのか、彼ら自身がヘンなのか。

たぶん両方なのだろう。

ワクチン接種は個人の自由意志によるべきだ。

民主主義社会では個人の自由が何よりも大切であることは論を俟たない。

だがその個人の自由を担保する「自由な社会」そのものが、コロナによって破壊されようとしているのが今の現実だ。

もしも未接種の人々のせいでコロナが収束しない、と科学的に証明されるなら、それらの人々には「自由意志で」彼らだけのロックダウンに入ってもらうのが筋だろう。

だが、むろんそれだけでは問題は解決しない。




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イタリア政府の巧緻なたくらみ


ansa壁絵マスク越しのキス450

ワクチンパスポートあるいはグリーンパスに仕掛けたイタリア政府の小さな術策はどうやら成功したようだ。

イタリアでは10月15日から全ての労働者にグリーンパス(ワクチン接種証明書ほか)の携帯が義務付けられた。

統計ではイタリア国民のおよそ3分の2がその措置に賛成しているが、断固反対の人々もいて暴力沙汰を含む抗議デモが繰り返された。

反ワクチン過激派の反対運動は今も続いている。だが、急ぎワクチンを接種したり、グリーンパスをダウンロードする国民が15日以降急増した。

10月15日は金曜日である。

イタリア政府がわざわざ週末を期して法を施行したのは、人々が月曜日からの仕事に備えて週末にワクチン接種をし、グリーンパスを手に入れようと急ぐに違いない、と計算したからだろう。

その思惑は当たって、金曜日だけでも86万7千あまりのグリーンパスがダウンロードされた。土、日にもその傾向は続き、18日の月曜日は1日あたりの過去最高となる104万9千384件のパスが発行された。

駆け込みでグリーンパスを取得した人々の全員がワクチン接種を受けたのではない。グリーンパスはワクチン接種を受けた者と、感染し回復した者、直近の検査が陰性だった者に発行される。

とはいうものの、ワクチンの接種に踏み切った人は多い。それでなければ数日毎に「自費で」PCR検査を受け続けなければならないから負担が重いのだ。

ワクチン接種が自発的な選択で成されなければならないのは、民主主義世界では自明のことだ。誰も個人の自由や権利を冒すことはできないし冒してもならない。

それは例えば、ことし1月に出された 欧州評議会決議2361の「ワクチン接種は義務ではない。ワクチン接種を受けたくない者に、政治的、社会的、その他の圧力をかけてはならない。またワクチン接種を受けたくない者を差別してはならない」という勧告にも明らかだ。

それ以前にも、ワクチン接種に限らず、「医学研究への参加は、自発的な行為でなければならない」とするヘルシンキ宣言や、「人は誰でも自己の身体を尊重する権利がある。人の身体は不可侵である」と謳うフランス民法など、医療にまつわる個人の自由を守る法や宣言は多くある。

新型コロナワクチンの接種に対しても、そうした事例は適応されるべき、という考え方もある。だが新型コロナは社会全体が危険にさらされる緊急事態だ。個人の自由が社会全体の不都合や危機に直結する可能性が高い。

イタリア政府の措置はその考えに基づいた険しい動きだ。それは昨年2月イタリアで始まった未曾有のコロナ危機と、それに続いた前代未聞の全土ロックダウンを意識しての政策だ。

イタリアは全土ロックダウンのあとも、医療従事者へのワクチン接種義務、娯楽施設でのグリーンパス提示義務、そして今回の全労働者へのグリーンパスの提示義務など、世界初や欧州初という枕詞がつく過酷な施策を次々に導入してきた。

全労働者へのグリーンパスの提示義務には、ワクチン接種をさらに加速させるという大きな狙いがある。イタリアは経済的にも社会的にも再びの全土ロックダウンには耐えられない、とドラギ政権は考えている。それは恐らく正しい。

僕もその考えを支持する。だが行政はワクチンを拒否する人々を排除するのではなく、彼らを説得する道筋を辿って不安と不満を取り除く努力をするべきだ。

イタリア共和国は将来の過酷な全土封鎖に耐える体力はもはやなく、国民の大半もそれを避けたい。同時に極右の政治勢力ではない反ワクチン派の人々にとっては、グリーンパスの強制はロックダウンにも匹敵する苦痛であることは、常に意識されるべきと考える。




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欧州初のコロナ地獄国イタリアが、欧州初の集団免疫獲得国になる?!


腕に射す700に拡大

イタリアのワクチン接種数が急増している。

政府が、10月15日から全労働者にワクチンの接種証明「グリーンパス」の提示を義務付ける、と発表したからだ。

イタリアはことし4月、欧州で初めて医療従事者にワクチン接種を義務付けた。

「グリーンパス」の提示を全労働者に義務付けるのも、欧州ではイタリアが初めてである。

医療従事者に「グリーンパス」の提示を義務付けたのは、全国民へのワクチン接種義務化を目指す伏線、と僕はずっと考えてきた。

だから今回それが全労働者へと拡大されても驚かず、いよいよ全義務化に向けた取り組みが加速した、と捉えた。

マリオ・ドラギ首相が、ワクチン接種の義務化を否定しない、と何かにつけて示唆しつづけていることも僕の推測の根拠になっていた。

また僕自身も、ワクチン接種を義務付けない限り、イタリアの集団免疫確保は困難だろうと考えていた。

イタリア国内に根強くあるワクチン懐疑論や、過激な反ワクチン勢力NoVaxの存在などが気になっていたからだ。

NoVaxは暴力行為や脅迫さえいとわない狂的な反ワクチン運動である。

ごく少数の過激な人々で構成されているが、声が大きく行動が過激な分、影響力も大きい。

反ワクチン派の大多数は、言うならば「ためらい」派あるいは「慎重」派である。

彼らは正しい情報と正確な言葉によって説得すれば、将来はおそらくワクチンの接種を受けるに違いない人々だ。

だが、SNS上にあふれるFake情報がそれを困難にし、NoFaxをはじめとする反ワクチン過激派のかく乱行為が事態を複雑にする。

それやこれらで僕は、イタリア全国民へのワクチン接種の義務化は避けて通れないもの、と考えてきた。

ところが、各労働者に「グリーンパス」の提示を義務付ける、という法律が成立するや否や、ワクチン接種の予約が急増した。

この調子で行くとイタリアは、あるいは欧州で初の「集団免疫獲得国」になるのかもしれない。

楽観的思考また希望的観測に過ぎないとは思うけれど。。





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集団免疫効果“ただ乗り”の是々非々


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世論調査によるとイタリア人の8割がコロナワクチンの接種を義務化するべき、と考えている。

驚きの統計は、反ワクチン過激派NoVax(ノー・ヴァックス)が、ワクチン接種を証明するグリーンパスを阻止するとして、全国の駅を占拠すると宣言した直後に発表された。

列車の運行を妨害しようとしたNoVaxの試みは失敗した。強い危機感を抱いた当局が全国の主要駅に厳しい警護策を施したからだ。

グリーンパスはレストランや劇場等への入店入場のほか、飛行機や列車移動に際しても提示を要求される。NoVaxが駅を占拠して列車の運行を妨害しようとしたのもそれが理由だ。

イタリアのワクチン接種は割合順調に進んでいる。

しかしワクチン接種を拒む人々も一定数存在している。彼らはワクチンの拙速な開発や効果を疑って反対する。それは理解できる動きだ。

コロナワクチンが迅速に開発されたのにはれっきとした科学的な理由がある。また完璧なワクチンや効果が100%のワクチンは存在しない。その中でコロナワクチンは効果が極めて高い。

それを知らずに―だが理解できないこともない理由で―ワクチン接種をためらう人々とは別に、根拠のないデマや陰謀論に影響されてワクチン反対を叫ぶ人々もいる。

それらの人々のうち、陰謀説などにとらわれている勢力は、科学を無視して荒唐無稽な主張をするトランプ前大統領や、追随するQアノンなどをほう彿とさせる。

彼らを科学の言葉で納得させるのはほとんど不可能に近い。思い込みがほぼ彼らの宗教になっていて、他者の言葉に貸す耳を持たないからだ。

イタリアにおいてはそれがNoVaxを中心とする少数の反ワクチン過激派の人々だ。

彼らは単にワクチン接種を拒否するばかりではなく、政治家や医療専門家やジャーナリストなどを脅迫したり、ワクチンの接種会場に火炎瓶を投げつけたりするなど、過激な動きを続けている。

NoVaxを含む反ワクチン論者の人々は、彼らなりの考えで自分自身と愛する人々の健康を守ろうとしている。

従って彼らを排除するのではなく、政治が彼らを説得して、ワクチン接種に向かうように仕向けるべきだが、現実はなかなか難しい。

ワクチンはフェイクニュースや思い込みに縛られている人々自身を救う。同時に彼らが所属する社会は、コロナ禍から脱出するために「集団免疫」が必要だ。

反ワクチン派の人々は、それ以外の人々が副反応のリスクなどの対価を払ってワクチンを接種して、やがて社会全体が守られる集団免疫に達したとき、何の貢献もしないまま同じ恩恵を受ける。

それはいわゆる フリーライダーつまりただ乗り以外のなにものでもない。

ワクチン接種の必要性を理解しない者、あるいは理解してもワクチン接種を意図的に拒む者には、罰則が科されてもあるいは仕方がないと考える。反社会的行為にも当たるからだ。

いったんそうなった暁には、ワクチンの強制接種、という施策が取られるのも時間の問題だろう。

イタリア国民の80%がワクチンの強制接種に賛成という統計は、2020年に世界に先駆けて凄惨なコロナ地獄を体験した人々の切実な願いの表れと見える。

イタリアではワクチン強制接種論と平行して、基礎疾患のある高齢者を対象に3回目のワクチン接種を始めるべき、という意見も出ている。

後者はすぐにでも実施されるだろうが、ワクチンの強制接種に関しては、まだまだ紆余曲折があるのではいか、と思う。




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日本の感染爆発とワクチン無策の相関図

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ワクチン無策の危険

日本の今の急激なコロナ感染拡大は、経済活動を含む国民の全ての動きを封鎖する厳格なロックダウンを断行してこなかったことの当然の帰結である。

経済も維持しながら感染拡大も抑える、という理想像を追いかけて日本はここまで来た。

その延長で経済を回すどころか、必ず感染拡大につながると見られていたオリンピックさえ開催した。

そして予想通り感染急拡大がやってきた。

だが日本の課題は感染拡大ではない。ワクチン政策の失敗、あるいはもっと直截に言えば、ワクチン無策が最大の問題である。まともなワクチン政策があったならば日本の今の感染爆発などどうということもなかったのだ。

なぜならワクチン接種が進展していれば、感染拡大が起きても重症化や死亡が防げる。それは医療崩壊危機も遠ざけるということと同義語である。

ここイタリアを含む現在の欧州やアメリカ、またイスラエルなどがそういう状況下にある。

展望なき2人のボスの罪

ウイルス感染を予防するワクチンだけがコロナパンデミックから人類を救うというコンセプトは、コロナ禍が深刻になった時点で世界中の科学者や有能な政治家などに共有されていた。

だがそのことを理解した有能な政治家の中には、残念ながら日本の安倍前首相と菅首相は含まれていなかったようだ。

彼らはワクチン争奪戦が熾烈になることを予測するどころか、ワクチンそのものが人類を救うという厳然たる事実にさえ気づかないように、目の前の感染拡大と経済、つまり金との融和だけに気を取られた。

もっと言えばオリンピックという巨大イベントの開催を執拗に推し進めながら、ワクチンが五輪開催にとって命綱とさえ言えるほどに重要であることに気づかず、たずらに時間を費やした。

その意味では安倍前首相の罪は菅首相にも増して深い。なぜなら安倍前首相こそ五輪開催を熱心に唱えた張本人だからだ。

前首相の右腕だった菅首相は、ボスの足跡を忠実になぞっただけだ。だからと言って、現在は日本最強の権力者の地位にいる菅首相の罪が軽減されるわけではないけれど。

いつか来た道

今の日本の感染拡大のありさまは、イタリアの昨年の10月末~11月ころに似ている。

とはいうものの似ているのは一日当たりの感染者の増減で、重症者や死者の数は圧倒的に当時のイタリアのほうが多かった。

2波に見舞われていた当時のイタリアには、今とは違ってワクチン接種が進行している事実から来る希望も余裕もなかった。

イタリアは世界に先駆けてロックダウンを敢行した第1波時とは逆に、同国に先んじてロックダウンを導入したドイツ、フランス、イギリス等を追いかけて、部分的なロックダウンを断行しながら第2波の危機を乗り切った。

そして20201227日、世界の情勢が読めない日本がまだぼんやりとしている間に、ワクチン接種を開始してコロナとの戦いの新たなフェーズに突入した。

ワクチン争奪戦

ワクチンの入手は当初は困難であることが明らかになった。イギリスのアストラゼネカ社のワクチン生産が間に合わずEUはワクチン不足に陥った。

EUは一括してワクチンを購入し加盟各国に分配する方式を取った。そのためEU加盟国であるイタリアもワクチン不足で接種事業が停滞した。

ところがBrexitEUを離脱したばかりのイギリスは、EUをはるかに凌ぐ勢いでアストラゼネカ社製を含む各種のワクチンを入手して、急速に国民への接種を進めた。

EUは疑心暗鬼になった。イギリスの製薬会社であるアストラゼネカが、秘密裡に母国への供給を優先させているのではないか、と考えたのである。

EU加盟国はこぞってアストラゼネカを責め、同社の製品をボイコットするなどの対抗措置に出た。イギリス政府への不満も募らせた。

誰も表立って認めることはなかったが、そこにはEUを離脱して連合の弱体化を招いたイギリスへの反感もくすぶっていた。それはEUとイギリスの将来の関係を示唆する出来事のようにも見えた。

EUとイギリスは、後者の離脱によって発生したドーバー海峡での漁業権をめぐって既に対立を深めていた。イギリスは海峡に戦艦を送りフランスが対抗するなどの事態にさえなった。

ワクチン争奪戦は一歩間違えば、血で血を洗う武力衝突が日常茶飯事だったかつての欧州への先祖返りさえ示唆するような、深刻な事態を招く可能性もゼロではなかった。

しかしアストラゼネカ社の不正がうやむやになる中、幸いにもファイザー社のワクチンを始めとする各社の製品の供給が進んで、EUのワクチン接種戦略は2月末~3月にかけて大きく進展した。

イタリアの安心

EUへのワクチン供給がスムーズになるに連れて、イタリアのワクチン接種環境も大きく改善した。

2021823日現在、イタリア国民の61,2%が2回の接種を済ませている。

それによって人々の日常は―マスクを付けたまま対人距離を保つ習慣はまだ捨てられないものの―コロナ禍以前と同じ生活に戻りつつある。

それはEUに加盟する国々にほぼ共通した状況である。

イタリアの過ぎた地獄と日本のノーテンキ

イタリアは20203月、コロナの感染爆発に見舞われ医療崩壊に陥った。そのため世界に先駆けて全土ロックダウンを敢行した。

それは功を奏してイタリアは地獄から生還した。

イタリアの先例は後に感染爆発に見舞われたフランス、イギリス、スペイン、ドイツの欧州各国やアメリカなどの手本となり、ロックダウンは世界中で流行した。

世界の成り行きを固唾を飲みながら見守っていた日本政府は、感染爆発の気配が見えた時、「緊急事態宣言」を発出して国民の移動を規制し危機を脱しようと企んだ。

強制力のない「緊急事態宣言」は、日本社会に隠然とはびこる同調圧力を利用しての、政権安易なコロナ政策にほかならない。

国民が自らの「自由意志」によって外出を控え、集合や密を回避し、行動を徹底自制して感染拡大を防ぐ、とは言葉を替えれば「感染拡大が止まなければそれは国民自身のせいだ」ということである。

日本社会の同調圧力は、時として「民度の高さ」と誤解されるような統一した国民意識や行動規範を醸成してポジティブに作用することも少なくない。

だがそれは基本的には、肌合いの違う者や思想を排除しようとするムラの思想であり精神構造である。村八分になりたくないなら政府の方針を守れ、と恫喝する卑怯な政策が緊急事態宣言なのである。

それに対してロックダウンは、政府が敢えて国民の自由な行動を規制して感染拡大を食い止める代わりに、不自由を押し付けた代償として政府の責任において国民生活を保障し国民の健康を守る、という飽くまでも国民のための「不愉快な」強行政策なのである。

日本の幸運がもたらした不幸

安倍前政権と菅政権は、1度目はともかく2度目以降は必ず“宣言慣れ“や“宣言疲れ”が出て効果が無くなる緊急事態宣言を連発して、災いの元を絶たない対症療法に終始した。

その結果起きているのが、閉幕したオリンピックの負の効果も相乗して勢いを増している、今現在の感染爆発である。

だがそれは、日本のコロナ禍が世界の多くの国に比較して軽いという、「僥倖がもたらした行政の怠慢」という側面もあると思う。

つまり日本はこれまで、ロックダウン=国土の全面封鎖という極端な策を取らなければならなくなるほどの感染爆発には見舞われなかった。

だからこそコロナパンデミックの巨大な危機に際して、緊急事態宣言という生ぬるい政策を思いつき、gotoキャンペーンのような驚きの逆行策がひねり出され、挙句にはオリンピックの開催という究極の反動策まで強行することができた。

そうした日本の幸運な、だがある意味では不幸でもある現実に照らし合わせてみれば、安倍前首相や菅総理を一方的に責め立てることはできないかもしれない。

万死に値する無定見

ところが現実には彼らは、日本の最高責任者として万死にも値するというほどの失策を犯した。

それが冒頭から何度も述べているワクチン政策の巨大なミスである。いや、ワクチン対応の巨大な無策ぶりと言うべきかもしれない。

彼らは世界中の多くの指導者が早くから見抜き、遠慮深謀し、そこへ向けてシビアに行動を開始していた「ワクチン獲得への道筋」を考えるどころか、それの重要性さえ十分には理解していなかった節がある。

だからこそ安倍前首相は、東京五輪を開催すると繰り返し主張しながら、長期展望に基づいたワクチン戦略を策定しなかった。いや、策定できなかった。

そんなありさまだったからこそ日本はワクチン争奪戦に敗れた。

そのために欧米またイスラエルなどがワクチン政策を成功させて、パンデミックに勝利する可能性さえ見えてきた情勢になっても、日本国内にはワクチンが不足するという目も当てられないような失態を演じることになった。

それだけでは飽き足らず、日本は人流と密と接触の増大が避けられない東京五輪まで強行開催した。

その結果、冒頭でも例えた如く「予定通りに」感染爆発がやってきた。

祈り

コロナ地獄に陥ったイタリアで、身の危険を実感しながら日々を過ごした体験を持つ僕の目には、実は今の日本の感染爆発はまだまだ安心というふうに見える。

その一方で、ワクチン不足と接種環境の不備という2つの厳しい現実があることを思えば、それは逆に極めて不気味、且つ危険な様相を帯びて見えてくるのもまた事実である。

僕は遠いイタリアで、母国のワクチン接種の進展と、さらなる僥倖の降臨を祈るばかりである。





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渋谷君への手紙~台湾へのワクチン供与は快挙です

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『 渋谷君

《日本政府が新型コロナウイルスの感染が急拡大している台湾に対し、アストラゼネカのワクチンおよそ124万回分を無償で提供したのは、日本自体がワクチン不足である現実を思うと理解できない》

というあなたの意見には賛成しかねます。

アストラゼネカ製のワクチンを日本は認可したものの、ごくまれに血栓が生じるとされることを懸念して使用していません。眠らせておいて有効期限が切れるかもしれませんから、同ワクチンを普通に接種している台湾に送るのは良いことだと考えます。

ただし、僕が良いことだと考えるのはもっと別の意味からです。つまり台湾へ、ひいては尖閣を介して日本へも軍事的な圧力をかけ続けている中国に対抗する意味でも、また単純に友好国の台湾を支援するという意味でも、ワクチン供与は快挙だと思うのです。

管政権が船出して以来はじめて行ったまともな仕事だとさえ考えます。菅首相の時代錯誤とも見える訥弁や、泥臭さや、無能ぶりなどをうんざりしながら眺めていた僕ですが、ここでは素直に賛辞を贈ります

台湾の皆さんが東日本大震災の際に多くの義援金を送ってくださったのは記憶に新しい。その友情にこたえる意味でもワクチンを迅速に送ったのはきわめて適切な行為です

台湾は周知のように親日の情の厚い国です。しかし日本人は台湾の皆さんの友誼また情誼に十分に応えているとは言いがたい面もあります。

これをきっかけに日本が台湾にもっと目を向け日台の友情がさらに深まれば、と思います。

個人的には僕は2019年に台湾を旅して以来、以前にもましてすっかり台湾ファンになりました。

その理由としては台湾そのものの魅力が先ずありますが、台湾の人々が示す親日の情がとてもうれしかった、という事実もあります。

日本と台湾の間には、こだわるつもりになれば気分が重くなる過去の因縁もあります。それを忘れてはなりませんが、負の遺産ばがりにかかずらうのではなくお互いに未来志向で向き合うべきです。

日本はかつては加害者でした。したがってこちらから過去を水に流してください、とは言えないし言ってもなりません。それは台湾の方々の自発的な意思があって初めて成立することです。

そして台湾の皆さんはあらゆる機会を捉えて、過去のわだかまりを越える努力をし実践されています。日本の側も気持ちは同じですが、今後はもっともっとその機運を高め実行していくべきです。

中国は台湾への威嚇を続けています。香港も脅しています。尖閣諸島への我欲も隠そうとはしません。日本はまず台湾と共闘し、香港も仲間に入れつつ中国に対抗するべきです。それが尖閣を守ることにもつながります。

幸いアメリカも台湾と香港を中国の奸計 から守る意志を示しています。日本はアメリカとも連携して台湾や香港にもコミットメントするべきと考えます。

日本政府はワクチン提供をあえて6月4日に実行しました。それは明らかに天安門事件を意識した動きです。ご存じのように天安門事件は1989年6月4日に発生しました。

日本は中国が台湾のワクチン政策を妨害しているとの観測に基づいて、民主化勢力を弾圧した天安門事件に重ねて行動を起こしたのでしょう。

一党独裁国家中国は、民主化を要求する学生らを弾圧し多くの死傷者が出たその事件の記憶を封印しようと躍起になっています。

その心根は、台湾や香港を抑圧し他国の領土に食指をのばす悪行も生みます。日本はそろそろ覚悟を決めて、同盟国と連携しつつ中国に対峙するべきです。

その意味でもあえて6月4日を選んで台湾にワクチンを届けたのは意味のあることだと考えます。中国に勝手なまねばかりをさせてはならない、という覚悟を少しは示したのですから。

中国は例によって自らの行為を棚に上げて、日本はワクチンを政治目的で台湾に供給している、と鉄面皮な非難をしています。

常識や誠意のなかなか通じない野蛮性は相変わらずです。ワクチンを誰よりも政治的に操っているのは中国なのです。

中国をけん制し蛮行を阻止するためにも、日本はアメリカほかの同盟国とも協力して、必要ならば台湾へのワクチン提供をさらに進めるべきではないでしょうか。


以上


                                       それではまた』





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ベルルスコーニを許すイタリア人はワクチン抜け駆け接種者も斬り捨てない


イタリアを含むEU(欧州連合)のワクチン接種戦略は、宇紆余曲折をたどりながらもほぼ軌道に乗りつつある。

2021年、5月18日現在のイタリアのワクチン接種状況は:18.977.897人 人口の 31,82% 。このうち2回接種を受けた者:8.787.150 人口の14,73%

接種率約32%というイタリアの数字は、EU全域の数字と見てほぼ間違いない。

EU27ヵ国は共同でワクチンを購入し、人口に応じて公平に分配する仕組みを取っている。人口が多いほど受け取るワクチンの数は多いが、比率はほぼ同じである。

しかし国によって国民間の接種状況は違う。

ある国は高齢者への接種を優先させ、ある国は医療従事者への接種をまず徹底するなど、国によってワクチンの使い道は自由に裁量できるからだ。

例えばここイタリアでは医療従事者への優先接種を大幅に進めたあとで、80歳以上の高齢者への接種を始めた。

5月18日現在は、50歳代の国民への接種も開始されている。

ちなみに僕はワクチン鑑識表上は40歳~49歳をジジババ予備軍、50歳~69歳を若ジジババ、70歳~79歳をジジババ、80歳~99歳を老ジジババ、100歳~を超人老と呼んで区別している。

ワクチンの数が足りなかった2月から3月にかけては、順番や年齢を無視して抜け駆け接種をする不届き者の存在が問題になった。

僕の近くでも、介護で多くの老人に接することが多い、と偽って抜け駆け接種をした女性がいる。50歳代の彼女は他人の家で働くいわゆる家事手伝い。

長い間寝たきりだった夫を介護していた事実を利用して、あたかも他者の介護もする介護人資格保有者のように装い2月頃にワクチンの優先接種を受けた。

そのことがバレて近所で評判になったが、彼女は悪びれず「私は他人の家に入って清掃をするのが仕事。人の家だから感染のリスクが高い」と強弁してケロリとしていた。

似たようなことがイタリア中で起こった。4月初めの段階で、自分の番でもないのに割り込みで抜け駆け接種を受けた者は全国で230万人にものぼった。

中でも南部のシチリア、カラブリア、プーリア、カンパーニャ各州で割り込み接種が多く、4州ではそのせいで優先接種を受けるべき80歳代以上の住民の接種が大幅に遅れた。

そのうちナポリが州都のカンパーニャ州では、デ・ルーカ州知事自身が順番を無視して抜け駆け接種をしたことが明るみに出た。

批判を浴びると知事は、「カンパーニャ州は年齢順ではなく業種別に接種を進める」と開き直った。

南部4州に加えて、フィレンツェが州都のトスカーナ州でも割り込み接種が多かった。同州では80歳以上の人を尻目に接種を受けた不届き者が、弁護士や役場職員や裁判官などを中心に12万人にも及んだ。

似たようなことは、お堅いはずのドイツでさえ起こっている。例えば旧東ドイツのハレ市では、64歳の市長が優先接種の対象となっている80歳以上の人々を出し抜いてワクチン接種を受けた。

彼は「時間切れで廃棄処分に回されそうなワクチンを接種しただけ」と言い訳したが、規則に厳しいドイツ社会は抜け駆けを許さず、辞職を含む厳しい処分を受けると見られている。

同様な問題は日本でも起こっているが、ドイツほどの苛烈な批判にはさらされていないようだ。むろんイタリアほどひどくはないが、コネや地位を利用しての抜け駆け接種はやはり見苦しい。

その一方で、ドイツの厳格さも息が詰まるように感じるのは、よく言えばイタリア的寛容さ、悪く言えばイタリア的おおざっぱに慣れた悪癖なのかもしれない。

「人は間違いをおかす。だから許せ」が信条のイタリア人は、醜聞まみれのあのベルルスコーニさんも許し、ワクチン抜け駆け接種の狡猾漢も最終的には許してしまう。

人間が小さい僕は、どちらも許せないと怒りはするものの、結局イタリア人の信条にひそかに敬服している分、ま、しょうがないか、と流してしまういつもの体たらくである。




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特許権停止という世迷言

バイデン横顔 650

バイデン大統領が、コロナワクチンの特許を一時停止することに賛成、と表明して世間を騒がせている。

特許を開放して、ワクチン開発者たちの知的財産を世界中に分け与えるべき、という主張だ。

特許権を停止することで、企業秘密である生産ノウハウに誰もがアクセスしてワクチンを製造することができる。そうやってワクチンが貧しい国々にも行き渡る。だから公平だ、という論法だ。

しかし、それを果たして公平と呼べるのだろうか?

新型コロナは変異種の猖けつ もあり世界をますます恐慌に陥れている。その中でも特に苦しんでいるのがインドをはじめとする途上国だ。

そのインドと南アフリカが口火を切って、ワクチン特許の一時停止論が盛んになった。

ワクチン製造の秘密をまず彼らが無償で手に入れて、世界中の途上国も同じ道を行きワクチンを大量に製造して、コロナ禍から脱するというわけだ。

その主張をバイデン大統領が支持した。彼は善意を装っているが、ここまでアメリカは同国産のワクチンを独り占めにしている、という途上国などからの批判をかわす意図も透けて見える。

それに対して主に英独仏をはじめとする欧州各国が不支持を表明した。彼らは貧しい国々へのワクチンの流通を阻んでいるのは特許権ではなく、生産能力や品質基準の問題だと主張している。

またIFPMA(国際製薬団体連合会)も「ワクチンの特許を停止しても、生産量が増えたり世界規模の健康危機への対抗策が直ちに生まれるわけではない」と反論。

IFPMAはさらに、増産の真の障害はワクチンの原材料不足、サプライチェーンの制約、各国のワクチンの囲い込み、貿易障壁などが主要な要因だとも言明している。

当事者たちのそうした懸念を待つまでもなく、特許を保護しなければ研究開発に必要な民間投資が活性化せず、政府等の資金提供も損なわれる。それはイノベーションが起こらずワクチンの製造が不可能になることを意味する。

インドの惨状に心を痛めない人はまれだろう。また先進国だけがワクチンの接種を進めて途上国や貧しい国々にまで行き渡らなくてもよい、と考える者もよほどの冷酷漢でもない限りあり得ない。

弱者や貧しい人々は必ず救済されなければならない。だが、そのために多くの努力と犠牲と情熱を注いでワクチンを開発した人々や会社が、犠牲になってもいいという法はない。

ワクチン製造は慈善事業ではない。能力と意志と勇気と進取の気性に富んだ人々が、多大な労力を注ぎ込み且つ大きな経済的リスクを冒して開発したものだ。

彼らは成功報酬を目当てにワクチンを開発する。利益を得たいというインセンティブがあってはじめてそれは可能になる。それが自由競争を根本に据えた資本主義世界の掟だ。

懸命に努力をしても彼らの知的財産が守られず、したがって金銭的報酬もなければ、もはや誰も努力をしなくなる。しかもパンデミックは今後も繰り返し起きることが確実だ。

製薬会社は高く強い動機を持ち続けられる環境に置かれるべきだ。それでなければ、次のワクチンや治療薬を開発する意欲など湧かないだろう。彼らの努力の結果である特許権を取り上げるのは間違いだ。

特許権を取り上げるのではなく、それを基にして生産量を増やし急ぎ先進国に集団免疫をもたらすべきだ。その後すばやく途上国や貧困国にワクチンを送る方策を考えればいい。

世界はひとつの池のようなものだ。先進国だけが集団免疫を獲得しても、他の地域が無防備のままならコロナの危険は去らない。だから前者をまず救い同じ勢いで他も救えばよい。

先進国は、それ以外の世界のコロナを収束させなければ、どうあがいても彼ら自身の100%の安全を獲得することはできないのだ。

そのためにも特許権を守りつつ生産を大急ぎで増やして、まず先進国を安全にし、その安全を他地域にも次々に敷衍していけばいいのである。

途上国はコロナという大火事に見舞われている。同時に先進国も熱火に焼かれている。自家が燃えているときには、よその家の火事を消しに行くことは中々できない。

まず自家の火事を鎮火させてから、急ぎ他者の火事場に向かうのが最も安全で効果的な方法だ。それでなければ共倒れになって、二つの家が焼け落ちかねない。

バイデン大統領は、ここは善人づらで無定見な政治パフォーマンスをしている場合ではない。重大な発明をした製薬会社を守りつつ、世界の健康を守る「実務」パフォーマンスもぜひ見せてほしいものである。




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しびれるワクチン


入り口看板と女性650


4月27日、イタリアが3度目のロックダウンを緩和した翌日、待望のワクチン接種を受けた。

副反応は注射跡のほんの少しの痛み。毎年受けているインフルエンザワクチン接種後の症状にも似た、軽いだるさもあるような、ないような。

コロナの恐怖と不快とに比べたら“それがどうした、河童の屁だぜ”という程度の差し合いにすぎないけれど。

5月には早くも2回目の接種を受ける。それでコロナの全てが終わるわけではないが、ある程度の行動の自由は保障されるのではないか。

知らぬ間に年をくって、もはや無駄にできる時間はない、とコロナ自粛・閉鎖中にしみじみと気づいた。

仕事も旅も趣味も、特に旅と趣味にハジケてやる、とひとりひそかに決意中。

4月27日現在のイタリアのワクチン接種状況は:累計13142028 回。5475401人が2回接種済み 。

4月26日に始まったイタリアの規制緩和は早すぎるのではいか、と実は僕は少し気にしている。

ワクチン接種数は、たとえば日本に較べればはるかに多いが、イギリスやイスラエルまたアメリカなどに及ばない。

拙速な規制緩和は強烈なリバウンドを呼びかねない。いま大問題になっているインドがそうだ。

ほかにも枚挙にいとまがない。

ここイタリアでも起きた。

4月初めには感染防止の優等生だったサルデーニャ州が、規制緩和が始まった4月26日には、唯一のロックダウン継続地(レッドゾーン)と指定された。

3月終わりから4月初めにかけての復活祭期間に、安全地帯として規制をゆるめたとたんに、感染再拡大に見舞われたのである。

始まったばかりのイタリア全土のロックダウン解除も同じ結末になりかねない。

だが遅れがちだったワクチン接種計画が軌道に乗りつつあるのも事実。

だから高齢者の入り口あたりでウロウロしている僕にもすぐに順番が回ってきた。

リバウンドが起こらないことを祈りつつ、2回目の接種をわくわくと、且つじれったい思いで待つことにする。

ところで

世の中にはワクチンを喜ばない人々もいる。喜ばないどころか彼らはワクチンを敵視さえする。

理由は拙速な開発や効果を疑うという真っ当なものから、根拠のないデマや陰謀論に影響された思い込みまである。

後者の人々を科学の言葉で納得させるのはほとんど不可能に近い。

それらの人々のうち、陰謀説などにとらわれている勢力は、科学を無視して荒唐無稽な主張をするトランプ前大統領や、追随するQアノンなどをほう彿とさせないこともない。

ここイタリアにもそれに近い激しい活動をする人々がいる。「NoVax(ノー・ヴァクス)” 」だ。

NoVaxはイタリア政府のワクチン政策を乱し、結果最終目標である「集団免疫」の獲得を邪魔する可能性もある。きわめて深刻な課題だ。


そのことについてはまた報告しようと思う。





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