欧州はことしは6月から熱波に見舞われた。
フランス、スペイン、ポルトガルなどでは記録的な猛暑が続き、山火事が相次いだ。それは昨年のイタリア南部の状況によく似ていた。
昨年、イタリアでは熱波で気温が上がり、シチリア島ではヨーロッパで過去最高となる48、8℃が観測された。それに合わせて山火事も頻発した。
ことしのイタリアは北部で干ばつが起きた。冬の間もその後もほとんど雨が降らず、川や湖が干上がって農業用水が確保できなくなった。
イタリア最強の大河ポーでさえ至るところで枯渇し、そこを灌漑のよすがにする広大な農業地帯の作物が枯れた。イタリア以外の欧州の国々の多くも同じような被害を被っている。
そんな中、さらなる驚きがやってきた。北国のイギリスで7月、気温がついに40℃を超えたのだ。それは昨年、イタリア南部で気温が48、8℃まで上がった時と同じくらいの大きなニュースになった。
北イタリアの干ばつは8月の雨で一部解消された。だが雨は各地で集中豪雨となり、それ自体が被害をもたらした。まさに異常気象である。
世界の気温は産業革命を機に約1、1度上昇してきた。
増加幅は年々大きくなって、1970年から現在までの気温は過去2000年間でも例のない異様な速度で上がっているとされる。
COP(気候変動枠組条約締約国会議) では、今後の世界の気温上昇を、1、5度までに抑える目標が立てられた。だが、各国の欲と思惑と術数が複雑にからんで達成は難しそうだ。
パリ協定を離脱した政治的放火魔トランプ前大統領や独裁者のプーチン大統領、ラスボス習近平主席、また彼らに追随する世界中の多くの唯我独尊指導者らが幅を利かせる限り、地球はますます熱を帯びて耐えがたくなっていくのではないか。
異常気象が続けばそれが当たり前になってもはや異常とは呼べない。
僕らはもしかすると異常が通常になって、通常が異常になる過程を生きているのかもしれない。
だが、もっとよく考えてみると、気象の異常とはつまり支離滅裂ということだから、やはりそれを尋常とは規定できないだろう。
異常気象はどこまで行っても異常気象なのだ。
ただわれわれ人間も動物も植物も、要するに自然の全てが、きっと異常気象に順応していく。
むろんある程度の犠牲や、混乱や、痛みはあるだろう。でも異常気象に慣れてなんとか生き延びるのだ。歴史はいつもそうやって作られてきた。
幸いなことに人も自然も世界も、しぶとい。
・・という見方が正しかった、と将来われわれが確認できるようなら万々歳だ。
しかし、そうはならない最悪の事態がやって来る可能性も高い。
だからやっぱり今、異常を正常に戻す努力を懸命にしたほうがいい。