【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

気候変動

「無原罪の御宿リ」の日に無限大の野菜を収穫した

白菜被せ縦から見る800

128日はイタリアの祝日だった。

聖母マリアが生まれながらにして原罪から解放されていたことを祝う、無原罪の御宿り(Immacolata Concezione)」の日である。

イタリア中がこの日を境にクリスマスモードに入る、とよく言われる。

ことしはコロナの毒の勢いがワクチンによって抑えられていることもあって、クリスマスの祝祭が盛り上がりそうだ。

むろん限界がある。

ワクチン忌諱者がいるために社会全体の自由が狭められているからだ。

欧州第4波の恐怖におののいているドイツに代表されるEU各国は、ワクチンを接種しない住民をロックダウンしたオーストリアに続いて、反ワクチン派の国民への締め付けを強化しようとしている。

4波の痛みが今のところはまだ軽いイタリアも、じわじわと増えるコロナ感染者数をにらんで、ワクチン接種の義務化を含めた反ワクチン派の人々への干渉をしきりに考慮している。

不穏な空気の中、ミラノ・スカラ座は例年通り127日に開演した。

スカラ座の初日が127日と定まったのは1951年である。元々は1226日が初日と定められていて、それは1939年まで140年間同じだった。

127日と決められたのは、その日が街の守護聖人「聖アンブロージョの祝日」だから。

ミラノのクリスマスシーズンは、「聖アンブロージョの日」を境に始まる。無原罪の御宿り」を契機とするイタリア全国よりも1日早いのである。

昨年はコロナ禍でスカラ座も閉鎖された。

ことしはやはりワクチン様様で公演が可能になり、およそ40万円の特等席を含む全てのチケットが、1126日に販売開始から数時間で売り切れた。

オープニングにはマタレッラ大統領も出席した。

大統領は来年2月に退任する。それを惜しんで劇場では「マタレッラ2期目を!」コールが湧き起こった。

そうした世の中の動きを追いかけつつ、僕は菜園でまた少し仕事をした。

ここのところ野菜尽き菜園づくめになっている。

温暖化のせいらしい野菜たちの変化が気になるのである。

ひと言でいえば、12月に入っても夏野菜の幾種類かが収穫できていることへのおどろきと、喜びと、そして不審。

たとえば127日。

スカラ座初日のニュースに気を取られたわけではないが、翌128日が大雪になるというニュースを見逃した。

夜になって予報を知ったが、時すでに遅し。ミックスサラダ菜などの夏野菜は朝までには雪で全てダメになるだろうと観念した。

明けて128日。

5時に起きて書斎兼仕事場から暗いぶどう園を見渡したが、雪が積もっている様子はない。

まだ降り出さないのである。

8時前、どんより曇った空がようやく少し明るくなった。急ぎ菜園に行きミックスサラダ菜ほかの野菜を全て刈り取った。

その後でこれから成長する白菜や大根に雪除けの網をかぶせた。

その際、虫食いの激しい白菜3株も引き抜いた。食害の犯人はヨトウムシとカタツムリが多い。

結球しかけている玉を割ってそれを確認し、退治法を考えようと思った。

空気は冷えて雪の前兆が明白に漂っていたが、作業を全て終わるまで雪は落ちてこなかった。

結局、雪は夕方になって少し降っただけだった。しかもすぐに雨に変わり、雪は溶けて跡形も無くなった。

北イタリアはあちこちでドカ雪になったが、僕の住む一帯はほとんど降雪がなかった。

あわてて野菜を収穫したことを悔いたがもう後の祭り。

無理して収穫した野菜たちの量は今回もまた多い。

できるだけサラダで食べるが、食べきれないときは他の食材と炒めたり、茹でて保存に回したりと、店で買い求めた野菜なら決してやらない余計な仕事を、自分に課す羽目になった。





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目からサラダでうろこが落ちた話  


12月一日収穫全体800

2021年11月末日、寒くなった菜園でなにごともなかったかのように繁茂している、チンゲンサイ、ピーマン、ナス、ルッコラ、春菊、ミックスサラダ菜を収穫。

そのうちナスと春菊はほぼ全て採り込んだが、ほかの野菜はまだ菜園に残っている。

急速に寒気が深まればたちまち朽ちるだろうが、いまこのときは十分に青く健やかだ。

温暖化の力は全くもって驚異的である。

収穫したチンゲンサイとナス以外の野菜をツナと混ぜて、オリーブ油と醤油で和えて昼食に。

食べきれないので、野菜はツナを加えたり除いたりしながら、4、5日は続けて食べ、それでも残れば豆腐やハムなどと炒めて食することになる。

サラダをオリーブ油と醤油だけで食するのは、2、3世紀も前のロンドン時代にイタリア人の妻が発明した食べ方。

当時は生野菜をそんな和え方で食べたことがなかったのでびっくりした。

若くて腹を空かしていた僕は、そのころはまだ結婚していなかった若い妻の感覚にあきれながらも、食べてみた。

おいしさにふたたびびっくりした。

それ以来、わが家ではツナのあるなしにかかわらずサラダは常にオリーブ油と醤油で和えて食する。

友人知己を招いての食事会でも同じ。

ただし、食事会で出すサラダは付け合せなのでツナは加えない。新鮮な野菜をオリーブ油と醤油のみで和える。

評判はいつも上々である。

すでに知っている者は、それが楽しみ、と口にしたりもする。

妻はやはりまだ若かりしころ、茶碗蒸しをラーメン用の丼鉢で作って僕を仰天させたこともある。

どうしたのだ、と訊くと、おいしいからたくさん作ったの、と涼しい顔で言う。

ナルホド、と目からうろこが30枚ほど落ちた。

小さな鉢に少なく作るからおいしい、というのは真実だが心理的である。

おいしいから大きな鉢にたくさん作る、というのは真理であり物理的である。

若くて腹を空かしていた僕は、妻の物理的な真理に大いに感心した。

背中に負っている文化が違う者同志が一つ屋根の下で暮らす。

すると摩擦も起きるが文化の化学反応も起きて面白かったりもする。

地球温暖化も障害ばかりではなく何か取り柄があってほしいものだ。

だがいまのところ分かるのは、菜園で野菜の寿命が伸びるケースもあるというささやかなメリットのみ。

一方では地球そのものが危機に瀕しているのだという。

12月に夏野菜が収穫できることを喜んでばかりもいられないのである。

だからといって菜園に罪があるわけではなく、個人的にはむしろ、温暖化による異常気象を感触できる「装置」としても小さな野菜畑を重宝している。





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温暖化の恩恵は悪魔の囁きか~2021年11月現在の菜園始末記

則手唐辛子空に掲げる800

地球全体の気温上昇を1.5℃までに抑えようとするCOP26は紛糾し、会議期間が一日延長されたにもかかわらず、またもや問題を先送りにする採択をしてお茶を濁した。

誰もが問題の核心を知っていて、誰もがエゴむき出しにして自らの犠牲を逃れようとする。

地球を健康体に戻そうとする試みは相変わらず困難を極めている。

太平洋の島国をはじめとする被害国を除いて、CO2大量排出国のほとんどが、問題を真に自らの痛みとして捉えられないことが混乱の原因だ。

地球規模で破滅をもたらすかもしれないと恐れられる温暖化と、それによる気候変動は、ことし夏のイタリアに48,8℃という欧州記録の異常気温をもたらした。

欧州ではその1ヶ月前の7月、ドイツ、ベルギー、オーストリアなどを豪雨が襲って河川が氾濫し、多数の人命を含む大きな被害が出た。

言うまでもなく温暖化は単に気温を上昇させるだけではなく、異様な酷暑、豪雪、山火事、巨大台風、海面上昇などの異常気象をもたらすとされている。

異常気象は高温と冷温が交互にやって来るような印象もあって、特に冷温やドカ雪が降ったりすると、熱をもたらすという温暖化は実は嘘ではないか、という誤解を与えたりもする。

トランプ前大統領に代表されるポピュリストらは、そのことを利用して温暖化理論はまやかし、と叫んで世界をさらに混乱に陥れようと騒ぐ。

僕の菜園の野菜たちにも一見混乱がもたらされる。温暖化によって野菜の成長が極端に早まり、あっという間に花が咲いて結実する。それは植物の早い死滅を意味する。

ところが一方で、気候がいつまで経っても温暖なために、夏の終わりには命を終える野菜たちが長く生き続ける、という一見矛盾した現象も起きるのである。

僕の菜園ではほぼ毎年それに近い変化が起きている。だが自然の変化は異様なものではなく、人間だけが不審がる「自然の常態」、というのがほとんどだと思う。

そうはいうものの、近年はそれが普通の域をはるかに超えて、実際に「異変」になっていると感じられることが多い。つまりそれが温暖化の影響ということなのだろう。

異様さは近年はますます目立つようになっている。例えば僕の菜園では2016年も野菜が極端に長命だった。その年は12月近くなっても多くの野菜が枯れなかった。

だが長命だったのはほとんどが夏の葉野菜だった。実が生る果采類は、夏の終わりから秋の初めには普通に命を終えた。

ピーマン4個列生り11月800

ところがことしはまた状況が違う。菜園の果菜類が長命で、9月にはほとんどが枯れるピーマンとナスが、11月になっても実を付け続けているのである。

トマトも未だ完全には枯れず、わずかだが実を付けている茎がある。

鮮やかな朱色が好きで、ほぼ観賞用だけのつもりで毎年作る唐辛子も健在だった。

唐辛子はもう少し菜園に置いて楽しもうとさえ考えたが、料理用に欲しいという家族のリクエストに応えて収穫した。

ピーマンとナスはまだ育ちそうなので様子見も兼ねていくつか残した。

夏野菜のほかには、冬用に白菜とラデッキオ(菊苦菜)と大根が成長中。

夏の初め、チンゲンザイが異様な勢いで伸び盛り、とうが立つどころか結実して、そのこぼれ種が再び発芽した。

そのことに触発されて、9月、あらたにチンゲンサイの種を別場所にまいた。

その時に間違って大量にこぼした種も発芽した。

間引きをしようと思いつつ、ぼうぼうに盛る様子が面白くて放っておいた。

だがさすがに伸び過ぎた。遅まきながら近いうちに間引きをして、豆腐と豚肉とでも和えて食べる腹づもり。

チンゲイサイの播種ついでに、夏サラダや春菊の種もまいてみた。そのどちらも9月に育てた経験はない。

それらはあくまでも、6月に花が咲き結実したチンゲンサイに刺激されて、実験の意味合いで種をまいたものである。

温暖化、あるいは気候変動を確認したい思いからだ。

チンゲンサイが異常生育をして、収穫前に結実したのは温暖化の負の影響だが、それが再発芽したり 11月まで夏果菜類が収穫できるのは逆に好影響と言えるのではないか。

もっともそうやって喜ばせておいて、最後には大きなドンデン返しがありそうにも見えるのが、不気味でないこともないけれど。。





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2021采園始末~七転び八起き


結実し枯れるサントー采800

野菜つくりをしながら気候変動の徴を見ようと努めているが、ことしはほとんどここに報告しなかった。

理由は単純。

サッカー欧州選手権やオリンピックなどのイベントが多かったこと。コロナ禍が少し落ち着き、ワクチン接種も済ませて休暇旅に出たことなどで時間が足りなかった。

ことしも菜園では不思議なことが起こった。春に種をまいたチンゲン菜とサントー白菜が、異常な速さで生育して、収穫もできないままトウが立ち結実した。

チンゲン菜はトウの立ちやすい野菜とされるが、それでも成長の速度が速すぎるように思えた。サントー采は春まき用の種から芽吹いたもので、こちらもさっさと育って花が咲いた。

結局いちども食べられなかった2種類の野菜だが、チンゲン菜は実って自然に落ちた種つまりこぼれ種が9月に芽吹き、サントー白菜は枯れたと見えた茎から新芽が出た。

チンゲン菜は秋から冬にかけて獲れる野菜だが、僕は春に種をまくことが多い。栽培が容易で放っておいても育つ。それはいいのだが、突然急成長して結実し、こぼれ種から再び芽吹いたのに驚いた。

またサントー白菜も、育ち過ぎて倒れた太い茎のそこかしこから芽が出て、それらが立派に育ちそこそこに収穫することができた。

チンゲン菜もサントー白菜も僕が継続的に育てている野菜ではない。それなので菜園で起きた現象が普通なのか異常な出来事かは判然としない。

ただ両野菜ともに成長がびっくりするほどに速く、一度枯れたものが夏の間に再生して、収穫できるまでに育った。いわば二期作である。不思議ではないか。

二期作は温暖な地方で行われる農業だ。僕の菜園で起きたことも、やはり温暖化と関係しているのではないかと思う。少なくとも空気が寒冷ならあり得ない現象だ。

こぼれ種から芽吹いたチンゲン菜に触発されて、僕は9月に新たに場所を変えてチンゲン菜の種をまいた。

それは問題なく成長した。空気が冷涼だからだろう、トウが立つこともなく、11月1日現在も順調に育っている。

実を言うと僕はチンゲン菜を多くは作らない。チンゲン菜は栽培が春菊やラディッシュ並に簡単だから、その気になればいくらでも作れるが、野菜炒め以外には料理法が分からないのである。

菜園を始めたころは、面白いように育つので毎年作った。だが豆腐や豚肉と炒めて食べるくらいで、それ以上はレシピが広がらない。漬物にもしてみたが具合が悪い。サラダとしてもいまいちだ。

そんなわけで最近は、思い出したときにぱらぱらと種をまくだけになった。ことし敢えて秋にも種をまいたのは、ひとえにこぼれ種の発育に刺激されたからである。

それとは別に秋にはナスやピーマンにも異変があった。どちらも遅くまで枯れずに残って多くの実を付けてくれた。ナスの実はほぼ全てが小さくて硬かった。

一方ピーマンはナスとは違って実が成長し続けるので、11月に入った今も生かしている。急に寒くなったり霜が降りたりしなければまだ育ちそうに見える。

実は2016年にも野菜は長命だった。そのときは11月の終わりになっても多くの野菜が枯れなかった。だがほとんどが葉野菜だった。果采類は秋の初めには普通に命を終えた。

800仕上がり7本半

僕の采園の果采類の王様はトマトである。トマトはほぼ全てソースに使う。ことしは7月、8月、9月と3度に渡ってトマトソースを作った。

以前は7月と8月の2回という年が多かった。作るソースの量は変わらないものの、最近はそれを仕上げる回数が増えた気がする。トマトの生育期間が長くなったのだろう。

するとそこにもやはり温暖化が影響している、と見ていいのかもしれない。





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南イタリアの異常気象の化けの皮


650一本の木と猛火

米気象学会は8月25日、昨年2020年のヨーロッパの気温が観測史上最高を記録したと発表した。

それは世界でも史上3番目に入る暑さだった。

スイス、ベルギー、フランス、スペイン、スウェーデン、ノルウェーなど、欧州の17カ国で史上最高気温となった。

一方、米海洋大気局(NOAA)によれば、ことし7月の世界の平均気温は16.73度となり観測史上で最も高かった。

7月は1年で地球が最も暑くなる時期。

2021年7月は例年にも増して暑くなり、142年間の観測史上で最も暑い月となった。

そうした流れの中で2021年8月11日、イタリアのシチリア島では欧州の過去最高気温となる48,8℃が記録された

それまで欧州で最も暑かった記録は、1977年にギリシャのアテネで観測された48℃である。

炎熱はアフリカのサハラ砂漠が起源の乾いた風と共にやってきた。

熱波と乾燥に伴って、シチリア島のみならずイタリア本土やギリシャ、またキプロスやトルコなど、地中海沿岸の国々に山火事が頻発して緊急事態になった。

8月25日までに焼失したイタリア全土の山林はおよそ15万8千ヘクタール。

その数字はイタリアの3大都市圏ローマとミラノとナポリを合わせた面積に匹敵する。

15万8千ヘクタールは、2017年全体の焼失記録およそ141,000ヘクタールを既に超えている。

なおイタリアでは 2018年に14,000ヘクタール、2019年には37,000ヘクタール、2020年には53,000ヘクタールの山林が灰になっている。

山火事は夏のイタリアの風物詩のような様相を呈しているが、他の国々とは違う陰鬱な顔も持っている。

ほとんどの山林火災が、放火あるいは人災として発生しているのである。

具体的には全体の54,7%が放火。13、7%が不慮あるいは人の不注意から来る事故。

一方で落雷などが原因の自然発生的な山火事は、全体の2%以下にとどまっている。

放火は多くの場合犯罪組織と結びついていると考えられている。

マフィア、ンドランゲッタ、カモラなどが、土地争いに絡んで脅迫や強奪を目的に火を点けたり、緑地を商業地に変えようとしたり、ソーラーパネル用の土地を獲得しようと暗躍したりする。

犯罪者の意図的な悪行とは別に、乾き切った山野また畑地などでは火災が容易に発生する。

例えば農夫が焼き畑農法の手法で不注意あるいは不法に下草に火を放った後に制御不能に陥る。

人々がバーベキューや炊事や湯沸かしの火を消し忘れる。

ドライバーが車の窓から火のついたままの煙草を投げ捨てて、乾き切った道路脇の枯草に引火する。

不埒な通行人が同じように煙草のポイ捨てをすることもある。

ほとんど雨が降らない7月から8月の間の南部イタリアの山野は、既述のようにアフリカ由来の高気圧や熱波に襲われて気温が高くなり空気が極度に乾いている。

砂漠並みに乾燥した山野の枯葉や枯草は、ガソリンのように着火しやすく一気に炎上して燃え盛るのである。

犯罪や事故による山林火災は昔から常に発生してきた。近年は地球の温暖化に連れて気温が上がり、山火事がより発生しやすくなっているとされる。

だが、南イタリアの山林火災に関する限り、気候変動を隠れ蓑にした犯罪者らの悪行のほうが、地球の温暖化そのものよりもより深刻、とさえ言えそうである。





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「いつもの」異常気象がやってくるか



6月1日、2019年の北イタリアにようやく春が来た。

菜園爆発壁込みヒキ600


4月、5月と今年も寒く、春はどこにも見えなかった。

菜園の野菜たちも小さく縮こまって、ほぼ成長が止まった状態の2ヶ月だった。

菜園爆発ヒキ北600


今日は6月4日。日差しが強く気温がぐんぐん上がって4日目である。

このまま夏に突入ということはなく、冷える日もまた来るだろうが、それは夏に向けての自然の準備体操。

時間とともに空気が温まり、やがて夏真っ盛りとなる。

菜園爆発ラディシュ引き600


菜園の野菜たちは、冷温の終わりを察知したのだろう、「目に見えて」と表現しても過言ではない勢いで背伸びを始めた。

ここから8月までの3ヶ月間は、菜園のおいしい野菜たちが食べごろのまま推移する。

運が良ければ9月も。さらに運が良ければ、つまり異常気象になれば、10月もおいしい野菜が食べられる可能性がある。

Rapanelliヨリ600


そうなった場合、果たしてそれを異常気象と呼んでいいのだろうか。。

菜園の野菜だけに関して言えば、それは異常気象ではなく「良い気象」である。

そんな季節が実はもう毎年のようにあらわれている。異常気象という言葉はたぶんもう当たらない。

繰り返し書いてきたが、異常が通常になりつつあるのがわれわれが生きている今このときなのである。



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ことしも異常気象という名の春の詐欺師がやってきた 



悪天候サルでニア ツイッター:3B Neteo
サルデニア島の水害:3Bメテオ


動画を伴ったトルコの大洪水のニュースが世界を駆け巡っている。

昨年の今頃、僕の住む北イタリアは冷害に見舞われてブドウ園に大きな被害が出た。

その前には、前年から続く水不足が農作物に打撃を与えていた。そこにふってわいた気温低下で、農家はまさに泣きっ面に蜂の不運に見舞われたのだった。

それはいわゆる異常気象だった。今年は割と普通に季節が動いていて、僕の周りの農家は笑顔でいる。

それは僕の菜園にもてきめんにあらわれていて、サラダ菜などが順調に発育。3日ほど前からおいしい野菜を食べ始めている。

4月から6月の間の北イタリアの季節変化は予測ができない。したがってこの先悪天候が襲って農作物や僕の小さな菜園を破壊するかもしれない。

その兆候は今年はすでに地中海のサルデニア島で起きた。数日前から島は悪天候に見舞われて洪水や暴風に苦しんでいる。

それは中部から南部イタリアにも上陸。サルデニア島ほどではないが、やはり風水害を引き起こしている。

悪天候は北イタリアにも及ぶ可能性がある、と気象庁は予測しているが、今日ここまでのところは僕の住む一帯には被害は出ていない。

風は強くなく、雨は慈雨と呼ぶほうが適切な勢いで降るのみである。だがそれらが暴風雨になって牙をむかないとは誰にもいえない。。。


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リラ冷えのブドウ園?

400南中ヒキ
ブドウ園のうち絵の中央から壁際までの一帯が冷害で傷めつけられた区画


4月半ばから続いている北イタリアの寒の戻りは農作物に大きな被害をもたらしている。

雪にはならないが、雨もかなり降ってそれも気温の低下につながっている。

雨そのものはいい。3月以降は水不足で農業への悪影響が心配されていたのだから。

だが、降雨とともに居座ってしまった冷気が 厳しい状況を作り出している。

イタリア・シャンパンつまり「スプマンテ」の里として知られる、ミラノ近郊のフランチャコルタ地域のブドウ園も災難に遭っている。

場所によって、また風の具合や大気の流れの妙で、同じ区画内のブドウの木々が(写真のように)ダメージを受けたり受けなかったりする。

フランチャコルタ地方にはひそかにパニックが広がっている。

冒頭で今の低温を「寒の戻り」と言ってみたが、少し違う。それに似た言葉「花冷え」はもっと腑に落ちない。

日本の「寒の戻り」は晩春の冷温だが、ここの「寒さのぶり返し」は、時には6月にまで害するところが、北海道の「リラ冷え」にイメージが近いようにも思う。緯度的に見ても北イタリアは北海道北部あたりに位置している。

僕の小さな菜園にも影響が出ている。

4月初めの陽気ですくすくと育ったサラダ菜を除いて、野菜の発育が阻害されているのだ。

早めの収穫を目指して、苗屋から購入して露地に植えた果菜類の背も全く伸びてくれない。

キュウリ枯れUP400育苗用プランターの苗のいくつかは、霜焼けに似たダメージを受けて枯れてしまうものも出た。

冷温が続くこういうときには、温暖化現象を疑ってみたくなる。

しかし、温暖化という言葉ができるはるか以前から、4月~6月のイタリアの気候は、諺にもなっているように予測が難しいと相場が決まっていた。

温暖化という言葉は、高温をイメージさせることが多い。

だが、実際には温暖化とは、地球が暖まるとによって起こる異常気象の全体のことでもあるのだから、暑い時期に寒くなったりその逆の奇矯が展開されることも、つまり温暖化現象なのだろう。

それにしても、農家にとっては辛いこの冷温現象を、「リラ冷え」などという美しい響きの言葉で表すのは、よいことなのだろうか、鈍感のそしりを免れないことでもあるのだろうか。。。

2014 爆雨の夏



イタリアは雨また雨+低温の夏が続いている。

8月の今でも夜は寒い日が多い。

リゾート地は海も山も川も湖もどこもかしこも閑古鳥の群れが泣き叫び、ビーチも土産物屋もレストランも収入がガタ落ち。

結果、仕事にあぶれる者も続出。

イタリアはただでも財政危機で大きな不況に見舞われている。

バカンス関連ビジネスの不振は泣き面に鉢だ。

海や山の歓楽施設や飲食店などは9月の晴天に大きな期待をかけている。

が、見通しはあまり良くない。

このまま季節が移ろえば10月どころか9月にもストーブを点火する家庭が多く出そうな勢い。

日本も広島の不幸を筆頭に大雨の被害が大変だと聞いている。ここイタリアの今夏の降雨も記録破りである。

そうしたおかしな気候を目の当たりにすると、異常気象という言葉はもはや正しくないような気さえしてくる。

僕らはもしかすると異常が通常になって、通常が異常になる過程を生きているのかもしれない。

爆雨の夏で得をしたのは僕の小さな菜園と、

無許可の路上傘売り屋と、

日焼けサロンと、

連日の雨で自宅待機を余儀なくされた人々が群がるIKEAの日曜大工コーナーと、

街中の映画館と美術館など、など。。。

でもそれらは、リゾート地のバカンスビジネスが蒙(こうむ)った大きな損失に比べると、もちろんささやかすぎる程ささやかなゲインに過ぎない・・・


イタリア洪水、再びの。



イタリアがまた爆雷雨に襲われた。そこかしこで水害。洪水。

 

去年時期も場所も良く似ている。

 

昨年大きな被害のあったジェノバは今年は災害から外れたものの、同市のあるリグーリア州は再びの打撃。

 

リグーリア州には山が直接に海に落ちこむような険しい地形が多い。

普段は絶景の観光地だが、ひとたび大雨が来ると惨事をもたらすことが少なくないのだ。

 

ベニス沈下


恒常(慢性)的に水の被害を受ける、という点でリグーリア州に共通しているのがベニス。

 

ベニス高潮カフェ前回廊
ベニスの老舗有名店「カフェ・フローリアン」前の回廊


今回もサンマルコ広場を1メート49センチもの高さの高潮が襲った。

これは1872年以来では6番目のワースト記録。

 ベニス高潮2012-④
サンマルコ広場の観光客。この日の最低気温は10度前後。


周知のようにベニスは年々水没している。

ベニス高潮2012-②
サンマルコ広場を横切る観光客。

高潮が襲うのはまさにこの時期(11月~)。ここに始まり冬の間発生し続けるケースが多いのである。

ベニス高潮11-11-2012-①
サンマルコ寺院をバックに寒中水泳をする観光客のカップル。新聞のトップページを飾った


今夏、イタリアは「いつものように」異常気象に見舞われた

 

夏の猛暑と旱魃をこの国のメディアは異常気象と呼び続けている。

 

でも、もはやそれは毎年続く行事で「異常」は「通常」になっているように僕は思う。

 

夏の間、人々があれほど待ち望んだ雨は、今は嫌われもの。

 

異常気象ってホント?と僕はヘソを曲げてよく自問したりする。

 

 

 

領土という武骨、秋言葉という風雅


加筆再録



尖閣、竹島、北方四島・・

ここところ、それらを思う度に心が昂ぶり体が戦闘的になるような気がします。自分自身も、また故国日本全体の世論も、ここ数週間ですっかり「兵(つわもの)振り」が身についたようにも見えます。

それはそれでいいのですが、日本には勇猛な武将でさえ花を活け和歌をたしなむ、という文武両道、硬軟融和の伝統もあります。国難を見て心が騒ぐ今こそ、その繊細な文化を思い出してみるのも一興かも知れません。

ここ北イタリアは9月の声を聞くと同時に涼しくなり、今はもうすっかり秋です。異常気象とまで言われた8月の猛暑が遠い昔のようです。秋の日はつるべ落としと言いますが、この国では秋そのものがつるべ落としに素早くやって来て、あっという間に過ぎ去ります。印象としては夏が突然冬になります。

日本の平均よりも冬が長く厳しい北イタリアですが、短い秋はそれなりに美しく、風情豊かに時間が流れて行きます。ところが、イタリア語には、枯れ葉、病葉(わくらば)、紅葉(こうよう)、落葉、朽ち葉、落ち葉、木の葉しぐれ、黄葉、木の葉ごろも、もみじ・・などなど、というたおやかな秋の言葉はありません。枯れ葉は「フォーリア・モルタ」つまり英語の「デッド・リーフ」と同じく「死んだ葉」と表現します。

少ししとやかに言おうと思えば「乾いた葉(フォーリア・セッカ)」という言い方もイタリア語には無いではない。また英語にも「Withered Leaves(ウイザード・リーブ)」、つまり「しおれ葉」という言葉もあります。が、僕が知る限りでは、どちらの言語でも理知の勝(まさ)った「死に葉」という言い方が基本であり普通です。

言葉が貧しいということは、それを愛(め)でる心がないからです。彼らにとっては「枯れ葉」は命を終えたただの死葉にすぎない。そこに美やはかなさや陰影を感じて心を揺り動かされたりはしないのです。山に行けば紅葉がきれいだと知ってはいても、そこに特別の思い入れをすることはなく、当然テレビなどのメディアが紅葉の進展を逐一報道するようなこともあり得ません。

ただイタリア人の名誉にために言っておくと、それは西洋人社会全般にあてはまるメンタリティーであって、この国の人々が特別に鈍感なわけではありません。

それと似たことは食べ物でもあります。たとえば英語では、魚類と貝類をひとまとめにして「フィッシュ」、つまり「魚」と言う場合があります。というか、魚介類はまとめてフィッシュと呼ぶことが多い。Seafood(シーフード)という言葉もありますが、日常会話の中ではやはりフィッシュと短く言ってしまうことが普通です。イタリア語もそれに近い。が、もしも日本語で、たとえひとまとめにしたとしても、貝やタコを「魚」と呼んだら気がふれたと思われるでしょう。

もっと言うと、そこでの「フッィッシュ」は海産物の一切を含むフィッシュですから、昆布やわかめなどの海藻も含むことになります。とは言うものの、欧米人が海藻を食べることはかつてはなかったのですが。タコさえも海の悪魔と呼んで口にしなかった英語圏の人々は、魚介類に疎(うと)いところが結構あるのです。

イタリアやフランスなどのラテン人は、英語圏の人々よりも多く魚介に親しんでいます。しかし、日本人に比べたら彼らでさえ、魚介を食べる頻度はやはりぐんと落ちます。また、ラテン人でもナマコなどは食べ物とは考えないし、海藻もそうです。もっとも最近は日本食ブームで、刺身と共に海藻にも人気が出てきてはいますが。

多彩な言葉や表現の背景には、その事象に対する人々の思いの深さや文化があります。秋の紅葉を愛で、水産物を「海の幸」と呼んで強く親しんできた日本人は、当然それに対する多様な表現を生み出しました。
 
もちろん西洋には西洋人の思い入れがあります。たとえば肉に関する彼らの親しみや理解は、われわれのそれをはるかに凌駕(りょうが)する。イタリアに限って言えば、パスタなどにも日本人には考えられない彼らの深い思いや豊かな情感があり、従ってそれに見合った多彩な言葉やレトリックがあるのは言うまでもありません。

さらに言えば、近代社会の大本を作っている科学全般や思想哲学などにまつわる心情は、われわれよりも西洋人の方がはるかに濃密であるのは論を待たないところだと思います。

と、書き進めても、領土問題の解決には何も役には立ちません。が、逆に領土問題も人の心の琴線を振るわせる何の役にも立ちません。むしろ心を昂ぶらせ、すさませ、虚しくさせる。領土問題ではどうしても気持ちが武闘的になります。その行き着く先は戦争です。戦争などあってはなりません。従って、やはり、われわれは中国その他の国々との問題を平和裏に解決しなくてはなりません。そのためには荒ぶる心を鎮める必要がある。その方法は多々ありますが、陳腐なように見えてもやはり、花や紅葉を愛でる日本の伝統文化に思いを馳せることなどもその一助になる、と考えたりするのはただのこじつけでしょうか。

想い雨



待ちに待った雨が降った。この直前の記事「ブログ日和」を書いてすぐに。


北イタリアのみ。


南の方はまだ乾いた日々が続きそうだ。でも、雨雲もそのうちに南下するだろう。


季節の変わり目なのに、雷鳴を伴わない静かな降雨である。つまり、テンポラーレ(豆台風)ではない普通の雨。


長い間雨が降らなかったから、今度は逆に多過ぎるほどの雨が降り続ける、とまるで見てきたように確信をこめて話す人々が結構いる。

誰もが異常気象に慣れてきたのだ。


異常気象が続けばそれが常態になる。気温が上昇傾向にあるのはどうやら間違いないらしいから、もう既に異常は「普通」になっているのかもしれない。


そうなったらそれで、人も自然も世界も、しぶとく順応して行くのだろう。ある程度の犠牲や、混乱や、痛みを克服しながら。


歴史はいつもそうやって作られてきた。


人も自然も世界も、しぶとい。


幸いなことに・・


今ガルダ湖畔にいる。大湖の水嵩はかなり低い。灌漑用に抜き取られたのだ。例年のことだが、今夏は特に多くの水が灌漑に使われた。


今回の雨量程度では大湖の渇きは癒されない。水位が戻るのは、アルプスの雪解け水が流れ込む来年の春だろう。


冬、雪が十分に降れば・・ 異常気象でなければ・・


明日はスピエド・パーティの日。雨が降り続けなければいいが。と自分の都合に合わせて考え、祈る。


昨日まで、そして夏の間中、あれほど雨を待ち続けていたくせに。


人間はほんとに自己チューで、しぶとい・・




ジェノバ、エルバ、さらにフランスも・・


今朝もシロッコが居座って、寒い中に生暖かい空気が感じられる。

 

でも、昨日とは違って、時どき強い気流が吹き付ける。それがアフリカ産の風、シロッコ。

 

寒いのに生ぬるい。ホントに奇妙な風だ。

 

ジェノバのリグーリア州、トリノのピエモンテ州には夜通し洪水警報が出され、ポー川も監視下に置かれている。

 

悪天候はやはり南にも下り、イタリア中部トスカーナ州のエルバ島では、高齢者の女性が浸水した家の中で溺れて亡くなった。

 

また、ジェノバ洪水の犠牲者も1人増えて7人になった。

 

フランス南部でも水害。少なくとも3人が亡くなり750人以上が避難中という。

 

コート・ダジュールを含むフランス南部は、昨年6月にも激しい雨による洪水で多くの犠牲者が出た。

 

地中海に面したフランス南部もまたシロッコの吹きつける大地。

 

シロッコがもたらすアフリカの暖とヨーロッパの寒が、時には静かに、時には荒々しくせめぎ合い、押し合って今のような悪天候を引き起こす。

 

それは世界的な異常気象の一端。

 

でも、この地では大昔から繰り返されてきた「普通の出来事」でもある。

 
イタリアは依然として全土に大雨警報、または注意報を発令中。

北部はもちろん、南部ナポリも困リ果てている。

プロサッカーの試合が中止されたり、紀元79年にベスヴィオ火山の噴火で埋没したポンペイ遺跡への入場が禁止されたり・・

犠牲者こそ出ていないものの、最大級の警戒態勢が取られている。

 

 

夏ならび



イタリアは暑い日が続いている。統計によると去ったばかりの9月は、同月としては過去150年間でもっとも気温が高かった。月の平均気温を3度以上も上回って今年の9月は終わったのである。

 

もうひとつの記録も塗り替えられた。なんと1753年以来、258年振りに9月に「ラ・ファ(蒸し暑い日)」が記録されたのだ。暑いはずである。

 

北イタリアでは例年8月の半ば頃を境に涼しくなって急速に秋がやってくる。今年は夏の初めから涼しい日が続いて、どうやら「冷夏」と規定される年になるかと思ったが、8月15日前後から逆に暑くなって、それはそのまま記録破りの異常気象の9月へとなだれ込んだ。

 

8月24日からシチリア旅行に出ていた僕は、いつになっても涼しくならない気候におどろいたが、それはきっと南イタリアだからだろうと考えたりした。でもそうではなくて、むしろ北イタリアの方がさらに暑かったのだ。

この現象は北欧にも及んでいて、ロンドンも記録的に暑い9月だったらしい。

 

その9月が過ぎて、10月になった今も暑い日がつづいている。しばらくはこんな気候のままだという予報もあるが、果たしてどうだろうか。

 

ただ、暑いとはいうものの、それは例えば日本の夏の蒸し暑さとはまったく色合いが違う。日中、真夏の陽光に似た輝かしい光が降りそそいで気温が上がるが、空気は乾ききっていてさわやかである。

 

夏の間に小麦色の肌になりそびれた人々が、陽気に誘われて庭や公園や海などに寝椅子を持ち出して、日焼けを試みているが多分それは思い過ごし。10月にも入った日ざしには、さすがに肌をこんがりと焼くほどの力はないのではないか。

 

つまり、その程度の暑さであって、朝晩は空気はひんやりと冷えている。正確に言えば、10月になっても寒くない日々がつづいている、というところか。

 

土曜日には、義母と妻と3人できらめく光を浴びながら山荘のあるラゾーネに遊んだ。海抜1000Mの山中もぽかぽかと暖かく、昼食に寄ったレストランでは驚いたことにまだ屋外での食事が可能だった。

→<9月、秋はじめと仕事はじめの期


白樺や胡桃(くるみ)や
山毛欅(ブナ)の大木の下に入るとさすがに冷えるが、陽だまりにあるテーブル席では、半そでシャツのままで食事をすることができたのである。

 

義母は大病を患っていらい急速に老いている。もしかすると山に遊ぶのは今年が最後かもしれない。相変わらず淡々と日々を過ごしている彼女は、陽光の輝く山の景色を見回しながら、さらに穏やかな表情で食事をしている。僕は妻と目配せをして、義母を山に連れ出してよかった、と互いの胸のうちを確認しあった。

→<母たちの生き方

 

10月になっても夏のような日々がつづくので、イタリア各地の海の家は今月末まで営業を続ける、と決定した。

 

ちょっと信じがたいことだが、今日も確かに暑くなりそうな気配。

 

真っ青に晴れ渡った空と、きらめく陽光が降りそそぐ景色は、まるで6月のギリシャのよう・・

 →エーゲ海の光と風エーゲ海の光と風Ⅱ

 

 

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