【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

note記事

日本共和国はあり得るか


旗握り締める拳切り取り650

イタリアは昨日、共和国記念日で祝日でした。

第2次大戦後の1946年6月2日、イタリアでは国民投票により王国が否定されて、現在の「イタリア共和国」が誕生しました。イタリアが真に近代国家に生まれ変わった日です。

世界の主な民主主義国は、日本とイギリスを除いて共和国体制を取っています。筆者は民主主義国には共和国体制が最もふさわしいと考えています。

共和国制は民主主義と同様にベストの体制ではありません。あくまでもベターな仕組みです。しかし再び民主主義と同じように、われわれは今のところ共和制を凌駕する体制を知りません。

ベストを知らない以上、ベターが即ちベストです。

先年、筆者は熱烈な天皇制支持者で皇室尊崇派の読者から「あなたは天皇制をどう見ているのか」という質問を受けました。その問いに筆者は次のような趣旨の返事をしました。

天皇制については私は懐疑的です。先の大戦の如く、制度を利用して、国を誤らせる輩が跋扈する可能性が決してなくならないからです。

しかし「天皇制」と「天皇家」は別物です。天皇制を悪用して私利私欲を満たす連中は天皇家のあずかり知らないことです。

天皇家とその家族は善なる存在ですが、天皇制はできればないほうが良いと考えます。しかし、(天皇制を悪用する)過去の亡霊が完全に払拭されるならば、もちろん今のままの形でも構わない、とも思います。


筆者は今のところ、信条として「共和国主義が最善の政治体制」だと考えています。「共和主義者」には独裁者や共産党独裁体制の首魁などもいます。筆者はそれらを認めません。あくまでも民主的な「共和国主義」が理想です。

それはここイタリア、またフランスの共和制のことであり、ドイツ連邦やアメリカ合衆国などの制度のことです。それらは「全ての人間は平等に造られている」 という不磨の大典的思想、あるいは人間存在の真理の上に造られています。

民主主義を標榜するするそれらの共和国では、主権は国民にあり、その国民によって選ばれた代表によって行使される政治制度が死守されています。多くの場合、大統領は元首も兼ねます。

筆者は国家元首を含むあらゆる公職は、主権を有する国民の選挙によって選ばれ決定されるべき、と考えます。つまり国のあらゆる権力や制度は米独仏伊などのように国民の選挙によって造られるべき、という立場です。

世界には共和国と称し且つ民主主義を標榜しながら、実態は独裁主義にほかならない国々、例えば中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国なども存在します。

共和国と民主国家は同じ概念ではありません。そこを踏まえた上で、筆者は「共和国」を飽くまでも「民主主義体制の共和国」という意味で論じています。

筆者が読者への便りに「天皇制はできればないほうが良い」と言いつつ「今のままの形でも構わない」と優柔不断な物言いをしたのは、実は筆者が天皇制に関しては、自身がもっとも嫌いな「大勢順応・迎合主義」を信条としているからです。

大勢順応・迎合主義とは、何事につけ主体的な意見を持たず、「赤信号、皆で渡れば怖くない」とばかりに大勢の後ろに回って、これに付き従う者のことです。

ではここではそれはどういう意味かと言いますと、共和国(制)主義を信奉しながらも、日本国民の大勢が現状のように天皇制を支持していくなら、筆者は躊躇することなくそれに従うということです。

共和国(制)主義を支持するのですから、君主を否定することになり、従って天皇制には反対ということになります。それはそうなのですが、筆者が天皇制を支持しないのは天皇家への反感が理由ではありません。

読者への返信で示したように、天皇制を利用して国家を悪の方向に導く政治家が必ずいて、天皇制が存続する限りその可能性をゼロにすることは決しできません。だから天皇制には懐疑的なのです。

しかしながら、繰り返しになりますが、日本国民の大多数が天皇制を良しとしているのですから、筆者もそれで良しとするのです。天皇家を存続させながら天皇制をなくす方法があれば、あるいはそれが適切かもしれません。

とはいうもののそのことに関しては、筆者は飽くまでも大勢に従う気分が濃厚なのです。そこには日本国民が、今さらまさか昔の過ちを忘れて、天皇制を歪曲濫用する輩に惑わされることはないだろう、という絶対の信頼があります。



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マフィアの壊死は進まない

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1992年5月23日、つまり30年前の今日、イタリア共和国シチリア島パレルモのプンタライジ空港(1995年に「ファルコーネ・ボルセリーノ国際空港」と改称)から市内に向かう自動車道を、時速約150キロ(140キロ~160キロの間と推測される)のスピードで走行していた「反マフィアの旗手」ジョヴァンニ・ファルコーネ判事の車が、けたたましい爆発音とともに中空に舞い上がりました。

それはマフィアが遠隔操作の起爆装置を用いて、1/2トンの爆薬を炸裂させた瞬間でした。正確に言えば1992年5月23日17時58分。ファルコーネ判事と同乗していた妻、さらに前後をエスコートしていた車中の3人の警備員らが一瞬にしてこの世から消えました。マフィアはそうやって彼らの天敵であるファルコーネ判事を正確に葬り去りました。

大爆殺を指揮したシチリアマフィアのボス、トト・リィナは、その夜部下を集めてフランスから取り寄せたシャンパンで「目の上のたんこぶ」ファルコーネ判事の死を祝いました。当時、イタリア共和国そのものを相手にテロを繰り返して勝利を収めつつある、とさえ恐れられていたトト・リィナは得意の絶頂にいました。が、実はそれが彼の転落の始まりでした。

敢然とマフィアに挑み続けてきた英雄ファルコーネ判事の死にシチリア島民が激昂しました。敵対する者を容赦なく殺戮するマフィアの横暴に沈黙を強いられてきた島の人々が、史上初めてマフィア撲滅を叫んで立ち上がりました。その怒りは島の海を越えてイタリア本土にも広がりました。折からのマニプリーテ(汚職撲滅)運動と重なってイタリア中が熱く燃えました。

世論に後押しされた司法がマフィアへの反撃を始めました。翌年1993年の1月、ボスの中のボスといわれたトト・リィナをついに警察が逮捕したのです。マフィアはその前にファルコーネ判事の朋友ボルセリーノ判事を爆殺し、リィナ逮捕後もフィレンツェやミラノなどで爆弾テロを実行するなど激しい抵抗を続けました。しかし司法はマフィアの一斉検挙を行ったりして、組織の壊滅を目指して突き進みました。

1996年5月20日、ファルコーネ判事爆殺テロの実行犯ジョバンニ・ブルスカが逮捕されました。彼はマフィアの襲撃防止のために高速走行をしていたファルコーネ判事の車の動きを、近くの隠れ家から双眼鏡で確認しつつ爆破装置を作動させた男。フィレンツェほかの爆弾テロの実行犯でもあります。100人~200人を殺したと告白した凶暴な殺人鬼でありながら、リーダーシップにも優れた男であることが判明しています。

ブルスカは当時マフィアの第3番目のボスと見られていました。組織のトップはすでに逮捕されたリィナ。ナンバー2が1960年代半ば以来逃亡潜伏を続けているベルナルド・プロヴェンツァーノでした。ブルスカは逮捕後に変心して司法側の協力者になり、逃亡先からマフィア組織を指揮していたプロヴェンツァーノは2006年4月に逮捕され、2016年6月、83歳で獄死しました。

現在のマフィアを指揮しているのは、トト・リィナが逮捕された1993年から逃亡潜伏を続けている マッテオ・メッシーナ・デナーロ(Matteo Messina Denaro 60歳)と見られています。警察はこれまでに何度か彼を逮捕しかけましたが失敗。やはり獄中で死亡したトト・リィナとなんらかの方法で連絡を取っていた、という見方も根強くありますが真相は闇の中です。

メッシーナ・デナーロが逮捕される時、マフィアの息の根が止まる、という考え方もありますが、それは楽観的過ぎるどころか大きな誤謬です。30年前、反マフィアのシンボル・ファルコーネ判事を排除してさらに力を誇示するかに見えたマフィアは、そこを頂点に確かに実は崩壊し始めました。だがその崩落は30年が過ぎた今もなお全体の壊滅とはほど遠い、いわば壊死とも呼べるような不完全な死滅に過ぎません。

イタリアの4大犯罪組織、つまりマフィア、ンドランゲッタ、カモラ、サクラ・コローナ・ウニータのうち現在最も目立つのはンドランゲッタです。彼らを含むイタリアの犯罪組織を全て一緒くたにして「マフィア」と呼ぶ、特にイタリア国外のメディアのおかげで、真正マフィアは表舞台から姿を消したのでもあるかのように見えます。だがその状況はマフィア自身がその現実をうまく利用して沈黙を守っている、とも考えられるのです。

その沈黙は騒乱よりも不気味な感じさえ漂わせています。トト・リィナの逮捕後、潜伏先からマフィア組織を牛耳ったプロヴェンツァーノが2016年に獄死したとき、元マフィア担当検事で上院議長のピエトロ・グラッソ氏(Pietro Grasso)は「多くの謎が謎のまま残るだろう。プロヴェンツァーノは長い血糊の帯を引きずりながら墓場に行った。おびただしい数の秘密を抱え込んだまま・・」とコメントしました。

マフィアの力は、前述してきたように、過去およそ30年の間に確実に弱まってはいます。ファルコーネ判事の意思を継いだ反マフィア活動家たちが実行し続ける「マフィア殲滅」運動が、じわじわと効果をあげつつあるのです。またイタリアがEU(欧州連合)に加盟していることから来るマフィアへの圧力も強いと考えられます。しかし、マフィアは相変わらず隠然とした勢力を保っています。

反マフィアのピエトロ・グラッソ氏が指摘したように、多くの事案が謎に包まれた犯罪組織は絶えず蠕動し続けていて、死滅からは程遠いと言わざるを得ないのです。


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文章が吹きすべれば暴力がもうかり喜ぶ

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文章の趣旨は、基本的に読者に100%は伝わらないと思っています。

原因は書き手と読み手の両方にあります。

言うまでもなく書き手がヘタで、読者に読解力がない場合、というのがもっとも深刻でもっとも多い要因でしょう。

しかし、ひんぱんに起こるのは、書き手の思い込みと読者の思い込みによる誤解です。

書き手の思い込みは「書き手のヘタ」と同じ意味でもありますが、読者の思い込みは少し違います。

読み手はいかに優れた人の場合でも、文章を「読みたいようにしか読まない」のです。

そのために同じ文章でも読み手によって全く違う解釈が生まれます。

黒と白、という極端な違いはあるいは少ないかもしれませんが、黒と白の間のグラデーションの相違、という程度のずれは多くあります。

そこに読者の「感情」がからまると、違いは目に見えるほど大きくなります。

例えば暴力に関する記述に接したとき、それと同じシチューエーションで殴った側に立ったことがある読者と、殴られた側にいた読者の間には、文意にそれぞれの「感情」がからまって違う解釈になる可能性が高い。

あるいは恋愛において、相手を捨てた側と捨てられた側の感情の起伏も、文意の解釈に影響することがあると思います。

それどころか、女と男という性差も文章読解にすでに影響している可能性があります。女と男の物事への感じ方には違いがあります。

その違いが文章読解に作用しないとは誰にも言えません。

そうしたことを考えだすと書く作業はひどく怖いものに見えてきます。

だが書かないと、理解どころが「誤解」さえもされません。つまりコミュニケーションができない。

人の人たるゆえんは、言葉によってコミュニケーションを図ることです。つまりそうすることで人はお互いに暴力を抑止します。

言葉を発せずに感情や思いを胸中に溜めつづけると、やがてそれは爆発し、人はこわれます。

こわれると人は凶暴になりやすい。

それどころか、コミュニケーションをしない人は、いずれ考えることさえできなくなります。

なぜなら「思考」も言葉だからです。

思考や思索の先にある文学は言うまでもなく、思想も哲学も言葉がなければ成立しません。数学的思考ですら人は言葉を介して行っています。

それどころか数式でさえも言葉です。

さらに感情でさえ言葉と言えるのかもしれません。なぜならわれわれは感情の中身を説明するのに言葉をもってするからです。

感情がいかなるものかを説明できなければ、他人はもちろん自分自身にもそれが何であるかがわかりません。

ただやみくもに昂ぶったり落ちこんだりして、最後には混乱しやはり暴力に走ります。

暴力は他人に向かう場合と自分自身に向かう場合があります。自分自身に向かって振るわれる最大の暴力が自殺です。

暴力は自分に向かうにしろ他人に向かうにしろ、苦しく悲しい。

暴力を避けるためにも、人はコミュニケーションをする努力を続けなければなりません。

文章を書くとは、言うまでもなくコミュニケーションを取ることですから、たとえ文意が伝わりづらくても、書かないよりは書いたほうがいい、と思うゆえんです。



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親の壁

800壁の赤バラ一輪

数年前、筆者の父親が101歳で他界しました。またその数ヶ月前にはイタリア人の義母が92歳で逝きました。

義母は先年、日本の敬老の日を評して「最近の老人は、もう誰も死ななくなった。いつまでも死なない老人を敬う必要はない」と喝破したツワモノでした。

101歳の父と92歳の義母が「いつまでも死なない老人」であったかどうかはわかりません。しかし、その名文句 を言い放ったときの義母が89歳だったことを思えば、彼女の言う「いつまでも死なない老人」 の目安は90歳あたりです。

それというのも義母は正確に言えば、「《私を含めて》最近の老人は、もう誰も死ななくなった。いつまでも死なない老人を敬う必要はない」と自らの境遇に即して発言したのでした。

また当時、麻生太郎副総理兼財務相 が「90歳になって老後が心配とか、訳の分からないことを言う人がいる。一体いつまで生きているつもりだ」という趣旨の発言をして物議をかもしました。

筆者は日本の敬老の日の趣旨に続いて麻生さんの発言も義母に話しました。彼女は麻生さんの箴言に拍手喝采しました。そうしたいきさつからも「いつまでも死なない老人」の始まりは90歳前後、と筆者は考えます。

そしてその90歳という目安は、長寿がますます盛んになっていく昨今は、速い速度で95歳、100歳とどんどん先送りされていくことになるでしょう。

義母の「爆弾発言」は、日伊ひいては世界の大問題の一つである高齢化社会のあり方について、しきりに考えをめぐらせることが多い筆者に目からウロコ的な示唆を与えました。

高齢化社会の問題とは、財政と理念に基づく国のあり方であり、安楽死や尊厳死の解釈と当為の是非であり、命題としての一人ひとりの人間の死に様、つまり「生き様」のことです。

60歳代の筆者は、父や義母ほどの老人ではないかもしれませんが、いかに死ぬか、つまりいかに生きるべきか、という問いに不自然さを感じない程度の“高齢者”となりました。

老人の義母が「いつまでも死なない老人」と断罪したのは、「無駄に長生きをして周囲に疎まれながらもなお生存している厄介な超高齢者」という意味でした。

また彼女の見解では「疎まれる老人」とは、愚痴が多く、精神的にも肉体的にも自立していない退屈な高齢者、のことでした。

義母自身もまた筆者の父も、終わりの数年は愚痴の多い、あまり幸せには見えない時間を過ごしました。とはいうものの2人の愚痴は、老人の誰もが陥る晩年の罠というよりも、両者の生来の難しい性格から来ているように見えました。

2人のさらなる長生きを願いながらも、筆者は彼らのあり方をいわば「反面教師」として、自らの老い先の道しるべにしよう、とひそかに思ったりもしたことを告白しなければなりません。

とまれかくまれ、父を最後に筆者の親と妻の両親、また双方の親世代の家族の人々がこの世から全ていなくなりました。それは寂しく感慨深い出来事です。

生きている親は身を挺して死に対する壁となって立ちはだかり、死から子供を守っています。だから親が死ぬと子供はたちまち死の荒野に投げ出されます。次に死ぬのはその子供なのです。

親の存在の有難さを象徴的に言ってみました。しかしそれはただの象徴ではありません。先に死ぬべき親が「順番通り」に実際に逝ってしまうと、子供は次は自分の番であることを実感として明確に悟るのです。

筆者自身が置かれた今の立場がまさにそれです。だが人が、その場ですぐに死の実相を知覚するのかといえば、もちろんそんなことはありません。

死はやがて訪れるものですが、生きているこの時は「死について語る」ことはできてもそれを実感することはあり得ません。

人は死を思い、あるいは死を感じつつ生きることはできません。「死を意識した意識」は、すぐにそのことを忘れて生きることに夢中になります。

100歳の老人でも自分が死ぬことを常時考えながら生きたりはしません。彼は生きることのみを考えつつ「今を生きている」のです。

まだ元気だった頃の父を観察して筆者はそのことに確信を持ちました。父は残念ながら100歳のすぐ手前でほとんど何も分からなくなりましたが、それまでは生きることを大いに楽しんでいました。

楽しむばかりではなく、生に執着し、死を恐れうろたえる様子さえ見せました。潔さへの憧憬を心中ひそかに育んでいる筆者は、時として違和感を覚えたほどでした。

ともあれ、死について父と語り合うことはついにありませんでしたが、筆者は人が「死ぬまで生き尽くす」存在であるらしいことを、父から教わったのでした。




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エーゲ海のカモメに会いたい


サントリーニ水色屋根教会650

ことしは、6月または9月に、コロナ騒動で中断していた地中海行を復活させる計画である。

日本語のイメージにある地中海は、西のイベリア半島から東のトルコ・アナトリア半島を経て南のアフリカ大陸に囲まれた、中央にイタリア半島とバルカン半島南端のギリシャが突き出ている海、とでも説明できるだろうか。

日本語ではひとくちに「地中海」と言って済ませることも多い広い海は、実は場所によって呼び名の違う幾つかの海域から成り立っている。

イタリア半島から見ると、地中海には西にバレアス海とアルボラン海があり、さらにリグリア海がある。東にはアドリア海があって、それは南のイオニア海へと伸びていく。

イタリア半島南端とギリシャの間のイオニア海は、ギリシャ本土を隔てて東のエーゲ海と合流し、トルコのマルマラ海にまで連なる。

それら全てを合わせた広大な海は、ジブラルタル海峡を経て大西洋と合流する。

地中海の日差しは、北のリグリア海やアドリア海でも既に白くきらめき、目に痛いくらいにまぶしい。

白い陽光は海原を南下するほどにいよいよ輝きを増し、乾ききって美しくなり、ギリシャの島々がちりばめられたエーゲ海で頂点に達する。

エーゲ海を起点に西に動くとギリシャ半島があり、イオニア海を経てイタリア半島に至る。

イタリア半島の西にはティレニア海がある。そこにはイタリア随一のリゾート地、サルデーニャ島が浮かんでいる。

サルデーニャ島は、一級の上に超が付くほどのすばらしいバカンス地である。

太陽はきらめき、地中海独特の乾いた環境が肌に心地よい。

エーゲ海の島々の空気感は、サルデーニャ島よりもさらに乾いて白いきらめきに満ちている。地中海では西よりも東の方が気温が高く、空気ももっと乾燥している。

そして多くの島々を浮かべたエーゲ海は、サルデーニャ島を抱くティレニア海よりも東にある。

清涼感に富む光がよりまぶしく、目に映るものの全てを白色に染めて輝くように見えるのは、そこが地中海の中でも南の、且つ東方に位置している碧海だからだ。

夏のエーゲ海の乾いた島々の上には、雲ひとつ浮かばない高い真っ青な空がある。

雨はほとんど降らず、来る日も来る日も抜けるような青空が広がっている。

エーゲ海の砂浜に横たわって真っ青な空を見上げていると、ときおり白い線が一閃する。

目を凝らして追いかけると、白光は強い風に乗って飛ぶカモメの軌跡だったのだと気づく。

空気が乾いて透明だから、白が単なる白ではなく、鮮烈に輝く白光というふうに見えるのである。

コロナパンデミックの闇に慣れた目には、ことしのエーゲ海の光は一段と輝いて見えるに違いない。

すると空の青を裂いて飛ぶカモメの白い軌跡は、いったいどのような光彩となって目を射るのだろうか。

目もくらみそうなまぶしい想像に、心躍る思いを禁じえない。









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「時には娼婦のように」の革命的愉快

deandre切り取り横長650

なかにし礼作詞の名曲「時には娼婦のように」は次のように綴られます。

『時には娼婦のように 淫らな女になりな 
真赤な口紅つけて 黒い靴下をはいて
大きく脚をひろげて 片眼をつぶってみせな 
人さし指で手まねき 私を誘っておくれ

バカバカしい人生より バカバカしいひとときが 
うれしい ム・・・・・

時には娼婦のように たっぷり汗を流しな 
愛する私のために 悲しむ私のために
時には娼婦のように 下品な女になりな 
素敵と叫んでおくれ 大きな声を出しなよ

自分で乳房をつかみ 私に与えておくれ 
まるで乳呑み児のように むさぼりついてあげよう

バカバカしい人生より バカバカしいひとときが 
うれしい ム・・・・・

時には娼婦のように 何度も求めておくれ 
お前の愛する彼が 疲れて眠りつくまで』

この歌が発表された時、筆者は東京の大学の学生でした。歌詞の衝撃的な内容に文字通り目をみはりました。歌謡曲詞の革命だとさえ思いました。今もそう思っています。

「時には娼婦のように」について書いておこうと思ったのは、それが理由です。

かつて三島由紀夫は詩が書けないから小説を書くんだと言いました。詩とはそれほど卓越したものです。そして音楽とともに存在する歌詞もまた詩の一種です。

なかにし礼という作詞家は、阿久悠と共に一世を風靡しました。日本歌謡詞界の双璧として一時代に君臨しましたが、「時には娼婦のように」を生み出した分、なかにし礼の方が少し上かな、と筆者は考えています。

歌詞に限らず、あらゆる創造的な活動とは新しい発見であり発明です。新しい考え、新しい見方、新しい切り口、新しい哲学、新しい表現法などなど、これまで誰も思いつかなかったものを提示するのが創造です。

「時には娼婦のように」はそういう創造性にあふれた歌詞です。際どい言葉の数々を駆使しながらポルノにならず、「歌詞」という型枠を嵌められた「詞」でありながら、自由詩の大きさや凄みの域に達していると思います。

男の下賎な妄想である「昼は貞淑、夜は娼婦」という女の理想像を、歌謡曲という子供も女性たちも誰もが耳にする可能性のある普遍的な表現手段に乗せて、軽々とタブーを跨(また)ぎ越え世の中に広めてしまいました。

もう一方の天才・阿久悠は、名曲「津軽海峡冬景色」を

<上野発の夜行列車おりた時から 青森駅は雪の中~>

と始めて短い表現で一気に時間を飛び越え、東京の上野駅と青森駅を瞬時に結んでドラマを構築しました。よく知られた分析ですが、こちらもまたすごいので一応言及しておこうと思います。

作詞家なかにし礼はそのほかにも多くの創造をしましたが、新人の頃には「知りたくないの」という訳詞でも物議をかもしましたた。

エルビス・プレスリーも歌った英語の名曲「I really don't want to know」を「あなたの過去など知りたくないの~」という名調子で始めたのですが、歌い手の菅原洋一が「過去」という語はよくないとゴネたといいます。

でも彼は信念を押し通して、そのおかげで今ある名訳詞が世の中に出回ることになりました。ヨカッタ。

筆者の独断と偏見による意見では、イタリアにも「なかにし礼」はいます。

ファブリツィオ・デ・アンドレというシンガーソングライターです。

彼は20年以上も前に亡くなりました。が、歌詞でも音楽でも圧倒的な存在感を持っています。あえて日本の歌手にたとえれば、小椋佳と井上陽水を合わせて、さらに国民的歌手に作り上げた感じ、とでも言えるでしょうか。

実力人気ともに超がつく名歌手、名作詞家、名作曲家です。

デ・アンドレもよく娼婦の歌を作り歌いました。彼は娼婦に対してとても親和的な考えを持っていました。娼婦を不幸な汚れた存在とは見ずに、明るく生命力にあふれた存在として描きました。

娼婦や娼婦に似せた女を歌うタブーは、デ・アンドレの活動期の頃のイタリアには存在しませんでした。従って禁忌を勇敢に破って世に出た「時には娼婦のように」と、デアンドレの歌を同列には論じられないかもしれません。

しかし、筆者はどうしても両者の「歌詞」の一方を聞くたびに、片方を思い起こしてしまいます。


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サルが木から落ちないためにするべきこと

猿650

先年、ミラノの語学学校でイタリア語を勉強しているN・Y君が筆者のところにやって来ました。

N・Y君は将来、イタリアと日本を結んでデザイン関係の大きなビジネスをやりたい、と青雲の志に燃えています。

そのためにイタリア語をものにしようとけん命に取り組んでいます。が、なかなか思うように上達しないのが悩みだそうです。

「おれ、語学の才能がないんだと自分でも思っています。くやしいけど、そのことは口を大にして言ってもいいですよ。おれ、本気ではそんなことは毛頭認めたくないんですけど・・・」
N・Y君は深刻な顔で彼の悩みを語り始めました。
 
筆者はN・Y君のイタリア語がうまくならない理由が分かったと思ったので、なおも話し続けようとする彼を制して、笑って言いました。
「イタリア語もいいけど、日本の古典文学をまず勉強した方がいいな」
「へ?」
「たとえば“源氏物語”とか“枕草子”とか、日本の古典文学だよ」
「・・コテン・・・ブンガク・・?」
N・Y君は、まるで頭の中がコテン、とでんぐり返った男でも見るような顔で筆者を見ました。

少しふざけ過ぎたと思ったので、筆者は言葉を変えました。
 
「今は必死になってイタリア語を勉強しているのだから、日本語は関係がない、と君は思っているだろう。そこが一番の問題なんだ」
「・・・?」
「はっきり言うと君の日本語はおかしい。口を大にして、というのは正確には声を大にして、と言うんだ。本気では、というのもここでは使い方が間違っている。それを言うなら、本心では、と変えた方がいい。毛頭、という小むつかしい語の使い方も少しニュアンスが違う。ついでに言うなら、おれ、おれと言いながらデスマス調で言葉をしめくくるのも変だ」
筆者はあえて指摘しました。
 
N・Y君は決してバカではありません。特別でもありません。彼の世代の日本の若者は皆彼のような言葉遣いをします。しかし、変なものは変です。
 
日本語をしっかり話せない日本人は外国語も決して上達しない。それが長い間そこかしこの国で言葉に苦労した筆者が出した結論です。
 
語学のうまい、へた、は多くが「言い換え」の能力によって決まります。
 
たとえば<猿も木から落ちる>という諺を、一番分かりやすいように英語にしてみます。

格言の一字一句を英語に変える時にはたいていの日本人は、たとえば

<猿>⇒モンキー。
<も>はトゥー、あ、でもここでは<でも>の意味だから多分イーブン。
<木>⇒ツリー。
<から>はフロムなのでフロム・ツリー。
そして<落ちる>⇒ドロップ?フォール?多分フォール・・・

などと辞書を引き引き考えて、最終的に《EVEN A MONKY FALLS  FROM  A TREE》のように英文を組み立てるのではないでしょうか。

少なくとも受験勉強をしていた頃の筆者などはそうでした。
 
こういう直訳の英語で話しかけられた外国人は、目をパチクリさせながら、それでも言おうとする意味は分かりますから、苦笑してうなずきます。

それでは<猿も木から落ちる>と全く同じ意味の<弘法にも筆の誤り>を訳するときはどうするのでしょうか。

前者と同じやり方で《EVEN MR. KOBO MAKES MISTAKES WITH HIS PENCIL》とでも言おうものなら、ドタマの変な奴に違いないと皆が引いたり、避けて通っていくこと必定です。

<ミスター・コーボー>を<空海>と置き換えても、<ペンシル>を<ブラッシュ>と置き換えても事情は変わりません。
 
こういうときに、素早く言い換えができるかどうかによって語学のうまい、へた、が決まるのです。

2つの諺は<私達はみんな間違いを犯す>という意味です。

そこで素早く直訳して《WE ALL MAKE MISTAKES》などと言い換えます。あるいは<人間は不完全な存在(動物)である>として《HUMANS ARE INPERFECT BEINGS 》など言い換えます。

それらは既に《EVEN A MONKY FALLS FROM A TREE》よりもはるかに英語らしい英語だと思いますが、さらに言い換えて<人は誰でも間違いを犯す>《EVERYBODY MAKES MISTAKES》とでもすればもっと良い英語になります。

それをさらに言い換えて

<完全な人間などいない>つまり《NOBODY IS PERFECT》
と簡潔に言い換えることができれば、<猿も木から落ちる>や<弘法にも筆の誤り>のほぼ完璧な英訳と言ってもいいのではないでしょうか。

事は英語に限りません。外国語はそうやってまず日本語の言い換えをしないと意味を成さない場合がほとんどです。

日本語を次々と言い換えるためには、当然日本語に精通していなければなりません。語彙が豊富でなければならない。筆者がN・Y君に言いたかったのは実はその一点に尽きます。

言葉を全く知らない赤ん坊ならひたすらイタリア語を暗記していけばいい。しかし、一つの言語(この場合は日本語)に染まってしまっている大人は、その言語を通してもう一つの言語を習得するしか方法がありません。

N・Y君は日本語の聞こえないイタリアに来て、イタリア語にまみれてそれを勉強しています。それは非常にいいことです。

言葉は学問ではありません。単なる「慣れ」です。従ってN.Y君も間もなく慣れて、少しはイタリア語が分かるようになります。

しかし、うまいイタリア語は日本語をもっと勉強しない限り絶対に話せないと筆者は思います。

この先彼が何十年もイタリアに住み続け、彼の中でイタリア語が日本語に取って代わって母国語にでもなってしまわない限り・・・。


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夫婦の寝床と夫婦のベッド

・ミモザ合成イラクサ650

イタリアきってのシンガーソングライター、ファブリツィオ・デ・アンドレは彼の名作の一つ「バーバラの唄」の中で

「♪~あらゆる夫婦のベッド
 オルティカとミモザの花でできているんだよ
 バーバラ~♪」

と歌いました。

オルティカは触れると痛いイラクサのことです。

結婚生活は山あれば谷あり、苦楽でできています。

それを「夫婦のベッドは、イラクサと美しく甘い香りのミモザで作られているんだよ、バーバラ」と艶っぽく表現するところがデ・アンドレの才能です。

同時に、そういう言い回しができるのがイタリア語の面白さだとも考えられます。

それというのも、これを正確な日本語で言い表すと「夫婦の褥(しとね)は~でできている」とか「夫婦の寝床は~でできている」とかいうふうになって、とたんにポルノチックな雰囲気が漂い出しかねません。

少しこだわり過ぎに見えるかもかもしれませんが、この歌の内容は日伊ひいては日欧の文化の根源的な違いにまでかかわる事象の一つ、とも考えられますのであえて書いておくことにしました。

「♪~あらゆる夫婦のベッドは
  オルティカとミモザの花でできているんだよ ~♪」

をイタリア語で書くと、

「♪~ ogni letto di sposa
e’ fatto di ortica e mimosa ~♪」

となり、そのうち「夫婦のベッド」に当たるのは「letto di sposa」です。

筆者はその部分をダイレクトに「夫婦のベッド」と訳しました。

その上で、実は日本語では「夫婦の寝床」とか「夫婦の褥(しとね)」または「」夫婦の布団」とするのが正確な表現、というふうにもって回った説明をしました。

なぜそうしたのかというと、イタリア語をそのまま本来の日本語にすると「letto di sposa」の持つ「性的な意味合い」だけが突然強調されて、その結果、原詩が強く主張している(夫婦の)人生や生活や暮らし、というニュアンスが薄くなると考えたからです。

ポルノチックになりかねない、と書いたのもそういう意味でした。

だが、そうではあるものの、二次的とはいえ「letto di sposa」には性的な含蓄も間違いなくあって、それらの微妙なバランスがイタリア語では「艶っぽい」のです。

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日本語とイタリア語の間にある齟齬やずれは、性あるいは性的なものを解放的に語ったり扱ったりできるかどうか、という点にあります。

イタリア語のみならず欧米語ではそれができるが、日本語では難しい。

言葉が開放的である、とは思考や行動が開放的である、ということです。そう考えれば性的表現における欧米の開放感と日本の閉塞感の違いが説明できます。

性や性表現が閉鎖的だから、日本にはそのはけ口の一つとして「風俗」という陰にこもった性産業が生まれた、とも考えられます。

人生の機微や結婚生活の浮き沈みの中には、夫婦の性の営みも当然含まれていて、欧米文化の方向性はそのことも含めて直視しようとします。

日本文化の方向性はそこから目をそらせます。あるいは見て見ぬ振りをします。あるいはぼかして捉えます。

そこには日本文化の奥ゆかしさに通じる美もありますが、内向して「風俗」的な執拗につながる危うさもあるように思います。

良くしたもので、日本語には都合の悪い表現を別の言い回しでうまく切り抜ける方法があります。それが外来語です。

たとえば日常の会話の中ではちょっと言いづらい「性交」という言葉を「セックス」と言い換えると、たちまち口に出しやすくなるというようなこと。

筆者がバーバラの唄の「letto di sposa」を「夫婦の寝床」と訳さずに、あえて太字で強調して「夫婦のベッド」と書いたのも、そのあたりの機微にこだわったからです。

ベッドはもはや、日本語と言っても良いほどひんぱんに使われる言葉です。

しかし夫婦の「寝床」や「褥(しとね)」や「布団」に比べると、まだまだ日本語のいわば血となり肉となっている言い回しではありません。

依然として外来語のニュアンスを保っています。

だから「性交」に対する「セックス」という言葉のように、生々しい表現のクッションの役を果たして、それらの直截的な言い回しをぼかす効果があるように思います。

そればかりではなく、日本の大半の家の中には「夫婦のベッド」など存在しないのが普通です。夫婦のベッドとは巨大なダブルベッドのことです。だから狭い日本の家にはなじみません。

また例えそれを用いていても、ベッドはあくまでもベッド、あるいは寝台であって、朝になれば畳まれて跡形もなくなる「寝床」や「褥」や「布団」ではないのです。

そんな具合に日本の家においては「ベッド」は、やっぱりまだ特別なものであり、日本語における特別な言葉、つまり外来語同様に特別なニュアンスを持つ家具なのです。

だから夫婦の「寝床」や「褥」や「布団」と言わずに「夫婦のベッド」と表現すると、この部分でも恥ずかしいという感じがぐんと減って、耳に心地よく聞こえるのです。

もっと言えば、日本語では「夫婦の寝室」「や「夫婦の寝間」などと空間を広げて、つまりぼかして言うことは構わないが、「夫婦の寝床」とピンポイントで言うと、微妙に空気が変わってしまいます。

そこがまさに日本語のつまり日本文化の面白いところであり、ひるがえってそこと比較したイタリア語やイタリア文化、あるいは欧米全体のそれの面白さの一つなのだと思います。

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思い上がりが時間経過を速くする

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年を重ねるごとに時間経過が速く感じられるのは、「人の時間の心理的長さは年齢に反比例する」というジャネーの法則によって説明されます。

だがその法則は、状況の報告をするだけで「なぜそうなるのか」の論説にはなっていません。

それを筆者なりに解読しますと、要するに人は年を取るに連れて見るもの聞くものが増え、さらにデジャヴ(既視)感も積層して物事への興味が薄れていく、ということなのだろうと思います。

さしずめ、食べに食べ過ぎて次の一皿への食欲をなくしたスーパー・デブ、とでもいうところでしょうか。

多くの事案がどこかで既に見、聞き、体験したと感じることなので、人はそこで立ち止まって物事をしみじみと検分し、感じ、思案して勉強することが少なくなります。

立ち止まらない分、人は先を急ぐことになり、時間が飛ぶように過ぎて行くのです。NHKのチコちゃんはそれを「ときめかないから」と表現していましたね。

そこには自らの意志に反して心が乾いていく悲しさと、同時に大人のいわば驕りがあります。

年齢を重ねて知っていることも事実多いのでしょうが、無駄に時間を費やし馬齢を重ねただけで、実は何も知らない知ったかぶりの大人は、筆者自身も含めて多くいます。

それでも知ったつもりで、人は先へ先へと足早に進みます。死に向かって。

すると理論的には、知ったかぶりをしないであらゆるものに興味を持ち、立ち止まって眺め続ければ、人の時間はもっとゆっくりと過ぎて行く、と考えられます。


時計巻き戻す女

しかし筆者の感じでは、それも少し違うように思います。

何よりもまず、目の前に出現するあらゆるものの検分に時間をかけ過ぎれば、未知なるものに費やす時間がない、という物理的な問題が生じます。

知らないことがあまりにも多すぎて、その過大な未知のもろもろを学び、知り、体験するには、1日1日が短かすぎる。

短かすぎる時間の経過また毎日の積み重ねが、すなわち「時間の無さ」感を呼び起こすように思います。

そして 「時間の無さ」感 とは、時間が「速く飛び去る感じ」のことです。

つまり、時間が疾風よりも光陰よりもさらに速く過ぎていくのは、「一生は短い」という当たり前の現実があるから、とも言えます。

その短い一生を愚痴や、怨みや、憎しみで満たして過ごすのはもったいない。人生にはそんな無駄なことに費やす時間などありません。

と、何度も何度も繰り返し自らを戒めるものの、人間ができていない悲しさで日々愚痴を言い、怨み、憎む気持ちが起こります。

そしてその度にまた自戒を繰り返します。自戒に伴って苦い悔恨が胸中に忍び入るのもいつものパターンです。

結局、人の人生の理想とは、多くの事柄がそうであるように、愚痴らず、怨まず、憎まない境地を目指して、試行錯誤を重ねていく『過程そのもの』にあるのではないか。
そう考えれば、中々人間ができない情けない筆者自身にも、まだ救いの道があるようで少し肩の荷が軽くなる気がします。








長いものに巻かれている者には見えないイタリア民主主義の精妙

1月24日に始まったイタリア大統領選は、8回目の全体投票で現職のマタレッラ大統領を再選して幕を閉じました。

2期連続で大統領を務めるのは、前職のナポリターノ大統領に続くもの。議会が適任者を絞り込めず、続投を辞退するマタレッラ大統領にいわば懇願して了解を得ました。

2013年の大統領選では、ナポリターノ前大統領が高齢を理由に2期目を固辞しまたが、議会有力者が泣きついて立候補を受諾させました。

ナポリターノ大統領は高齢のため2期目の任期途中で引退しました。マタレッラ大統領も再び同じ道を歩もうとしているのかもしれません。

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選挙戦は事前の予想通り紆余曲折七転八倒、行き当たりばったりの政治狂宴になりました。

イタリアのある大手メディアはそれを「各政党は合意できない弱さと混乱と無能ぶりをさらけだした」という表現で嘆きました。

その論調は筆者にため息をつかせました。

なぜなら彼らは、イタリアのメディアでありながら、イギリスやドイツやフランスやアメリカ、またそれらの国々を猿真似る日本などのジャーナリズムの視点で物を見ています。

イタリアの各政党の「弱さと混乱と無能」は今に始まったことではありません。

イタリアの政治は常に四分五裂して存在しています。そのために一見弱く、混乱し、無能です。

四分五裂はイタリア共和国とイタリア社会と、従ってイタリア政治の本質です。

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「四分五裂する政治」を別の言葉でいえば、多様性であり、カラフルであり、盛りだくさんであり、万感せまるワイドショーであり、選り取り見取りネホリンパホリン、ということです。

多様性は混乱にも見えます。だがイタリアには混乱はありません。イタリアの政治にも混迷はありません。

そこにはただイタリア的秩序があるだけです。「カオス風」という名のイタリア独特の秩序が。

多様性に富む社会には極端な思想も出現します。過激な行動も生まれます。

例えば今が旬のイタリアの反ワクチン過激派NoVax、極左の五つ星運動、極右の同盟またイタリアの同胞など、など。

イタリアにおける政治的過激勢力は、国内に多くの主義主張が存在し意地を張る分、自らの極論を中和して他勢力を取り込もうとする傾向が強くなります。

つまり、より過激になるよりも、より穏健へと向かう。

それがイタリア社会の、そしてイタリア政治の最大の特徴である多様性の効能です。

2大政党制の安定や強力な中央集権国家の権衡、またそこから生まれる国力こそ最善、と考える視点でイタリアの政治を見ると足をすくわれます。

イタリア共和国の良さとそして芯の強さは、カオスにさえ見える多様性の中にこそあるのです。

その屋台骨は、「各政党の合意できない弱さと混乱と無能」が露呈する国政を尻目に、足をしっかりと地に着けて息づいているイタリアの各地方です。

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国のガイドラインがなくてもイタリアの各地方は困りません。都市国家や自由共同体として独立し、決然として生きてきた歴史のおかげで、地方は泰然としています。

イタリア国家が消滅するなら自らが国家になればいい、とかつての自由都市国家群、つまり旧公国や旧共和国や旧王国や旧海洋国などの自治体は、それぞれが腹の底で思っています。

思ってはいなくても、彼らの文化であり強いアイデンティティーである独立自尊の気風にでっぷりとひたっていて、タイヘンだタイヘンだと口先だけで危機感を煽りつつ、腹の中ではでペろりと舌を出しています。

「イタリア国家は常に危急存亡の渦中にある(L`Italia vive sempre in crisi)」と、イタリア人は事あるごとに呪文のように口にします。

それは処世術に関するイタリア人の、自虐を装った、でも実は自信たっぷりの宣言です。

統一からおよそ160年しか経たないイタリア共和国は、いつも危機的状況の中にあります。

イタリア共和国は多様な地域の集合体です。国家の中に多様な地域が存在するのではありません。

つまり地域の多様性がまず尊重されて国家は存在する、というのがイタリア国民の国民的コンセンサスです。

だから彼らは国家の危機に対して少しも慌てません。慣れています。アドリブで何とか危機を脱することができると考えているし、また実際に切り抜けます。歴史的にそうやって生きてきたのです。

イタリア大統領選出のために国会議員が好き勝手に言い合い争っているのも、イタリアの多様性のうちの想定内の出来事。

誰もあわてません。

そして終わったばかりのイタリア大統領選は、いつものように国家元首である大統領を選ぶ舞台であると同時に、イタリアのカオス風の多様性と、強さと、イタリア式民主主義のひのき舞台でもあった、と筆者は思います。


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‘違うこと’は美しい

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僕はここイタリアではミラノにある自分の事務所を基点にテレビの仕事をして来たが、これまでの人生ではイギリスやアメリカにも住まい、あちこちの国を旅し、学び、葛藤し、そしてもちろん大いに仕事もこなして来た。そんな外国暮らしの日々は、いつの間にか僕が大学卒業まで暮らした故国日本での年月よりも長くなってしまった。長い外国暮らしを通して僕はいろいろなことを学んだが、その中で一つだけ大切なものを挙げてみろといわれたら、それは”違い”を認める思考方法と態度を、自分なりに身につけることができたことだと思っている。

国が違えば、人種が違い言葉が違い文化も習慣も何もかも違う。当たり前の話である。ある人は、人間は全ての違いがあるにもかかわらず、結局は誰も皆同じであると言う。またある人は逆に、人間は人種や言葉や文化や習慣などが違うために、お互いに本当に理解し合うことはできないと主張する。それはどちらも正しく且つどちらも間違っている。なぜなら人種や言葉や文化や習慣の違う外国の人々は、決してわれわれと同じではあり得ず、しかもお互いに分かり合うことが可能だからである。

世界中のそれぞれの国の人々は他の国の人々とは皆違う。その「違う」という事実を、素直にありのままに認め合うところから真の理解が始まる。これは当たり前のように見えて実は簡単なことではない。なぜなら人は自分とは違う国や人間を見るとき、知らず知らずのうちに自らと比較して、自分より優れているとか、逆に劣っているなどと判断を下しがちだからである。

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他者が自分よりも優れていると考えると人は卑屈になり、逆に劣っていると見ると相手に対してとたんに傲慢になる。たとえばわれわれ日本人は今でもなお、欧米人に対するときには前者の罠に陥り、近隣のアジア人などに対するときには、後者の罠に陥ってしまう傾向があることは、誰にも否定できないのではないか。

人種や国籍や文化が違うというときの”違い”を、決して優劣で捉えてはならない。”違い”は優劣ではない。”違い”は違う者同士が対等であることの証しであり、楽しいものであり、面白いものであり、美しいものである。

僕は今、日本とは非常に違う国イタリアに住んでいる。イタリアを「マンジャーレ、カンターレ、アモーレ」の国と語呂合わせに呼ぶ人々がいる。三つのイタリア語は周知のように「食べ、歌い、愛する」という意味だが、僕なりにもう少し意訳をすると「イタリア人はスパゲティーやピザをたらふく食って、日がな一日カンツォーネにうつつを抜かし、女のケツばかりを追いかけているノーテンキな国民」ということになる。それらは、イタリアブームが起こって、この国がかなり日本に知れ渡るようになった現在でも、なおかつ日本人の頭の中のどこかに固定化しているイメージではないだろうか。

ステレオタイプそのものに見えるそれらのイタリア人像には、たくさんの真実とそれと同じくらいに多くの虚偽が含まれているが、実はそこには「イタリア人はこうであって欲しい」というわれわれ日本人の願望も強く込められているように思う。つまり人生を楽しく歌い、食べ、愛して終えるというおおらかな生き方は、イタリア人のイメージに名を借りたわれわれ自身の願望にほかならないのである。

そして、当のイタリア人は、実は誰よりもそういう生き方を願っている人々である。願うばかりではなく、彼らはそれを実践しようとする。実践しようと日々努力をする彼らの態度が、われわれには新鮮に映るのである。

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僕はそんな面白い国イタリアに住んでイタリア人を妻にし、肉体的にもまた心のあり方でも、明らかに日伊双方の質を持つ二人の息子を家族にしている。それはとても不思議な体験だが、同時に家族同士のつき合いという意味では、世界中のどこの家族とも寸分違わない普通の体験でもある。

日本に帰ると「奥さんが外国人だといろいろ大変でしょうね」と僕は良く人に聞かれる。そこで言う大変とは「夫婦の国籍が違い、言葉も、文化も、習慣も、思考法も、何もかも違い過ぎて分かり合うのが大変でしょうね」という意味だと考えられる。しかし、それは少しも大変ではないのである。僕らはそれらの違いをお互いに認め合い、受け入れて夫婦になった。違いを素直に認め合えばそれは大変などではなく、むしろ面白い、楽しいものにさえなる。

日本人の僕とイタリア人の妻の間にある真の大変さは、僕ら夫婦が持っているそれぞれの人間性の違いの中にある。ということはつまり、僕らの大変さは、日本人同士の夫婦が、同じ屋根の下で生活を共にしていく大変さと何も変わらないのである。なぜなら、日本人同士でもお互いに人間性が違うのが当たり前であり、その違う二人が生活を共にするところに「大変」が生じる。

僕らはお互いの国籍や言葉や文化や習慣や何もかもが違うことを素直に認め合う延長で、人間性の違う者同志がうまくやって行くには、無理に“違い”を矯正するよりも「違うのが当然」と割り切って、お互いを認め合うことが肝心だと考え、あえてそう行動しようとする。

それは一筋縄ではいかない、あちこちに落とし穴のある油断のならない作業である。が、僕らは挫折や失敗を繰り返しつつ“違い”を認める努力を続け、同時に日本人の僕とイタリア人の妻との間の、違いも共通点も全て受け継いで、親の欲目で見る限り中々良い子に育ってくれた息子二人を慈しみながら、日常的に寄せる喜怒哀楽の波にもまれて平凡に生きている。

そして、その平凡な日常の中で僕は良く独(ひと)りごちるのである。

――日本とイタリアは、この地球上にたくさんある国のなかでも、たとえて言えば一方が南極で一方が北極というくらいに違う国だが、北極と南極は文字通り両極端にある遠い大違いの場所ながら、両方とも寒いという、これまた大きな共通点もあるんだよなぁ・・・――

と。


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無神論者がクリスマスに熱狂する理由(わけ)


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イタリアを含む欧米諸国や世界中のキリスト教国では、人々がクリスマスをにぎやかに且つ厳かに寿ぎます。同時に世界中の非キリスト教国でも、人々はクリスマスを大いに楽しみ祝います。

昨年はコロナで痛めつけられ、クリスマスを祝う余裕はほとんどありませんでした。コロナ禍は続きますが、ワクチンのおかげでことしは少し祝祭を楽しむ余裕が出ています。

毎年、クリスマスのたびに思うことがあります。

つまり、今さらながら、西洋文明ってホントにすごいな、ということです。クリスマスは文明ではありません。それは宗教にまつわる文化です。それでも、いや、だからこそ筆者は、西洋文明の偉大に圧倒される思いになるのです。

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文化とは地域や民族から派生する、祭礼や教養や習慣や言語や美術や知恵等々の精神活動と生活全般のことです。それは一つ一つが特殊なものであり、多くの場合は閉鎖的でもあり、時にはその文化圏外の人間には理解不可能な「化け物」ようなものでさえあります。

だからこそそれは「化け物の文(知性)」、つまり文化と呼称されるのでしょう。

文化がなぜ化け物なのかといいますと、文化がその文化を共有する人々以外の人間にとっては、異(い)なるものであり、不可解なものであり、時には怖いものでさえあるからです。

そして人がある一つの文化を怖いと感じるのは、その人が対象になっている文化を知らないか、理解しようとしないか、あるいは理解できないからです。だから文化は容易に偏見や差別を呼び、その温床にもなります。

ところが文化の価値とはまさに、偏見や恐怖や差別さえ招いてしまう、それぞれの文化の特殊性そのものの中にあります。特殊であることが文化の命なのです。従ってそれぞれの文化の間には優劣はありません。あるのは違いだけです。

そう考えてみると、地球上に文字通り無数にある文化のうちの、クリスマスという特殊な一文化が世界中に広まり、受け入れられ、楽しまれているのは稀有なことです。

それはたとえば、キリスト教国のクリスマスに匹敵する日本の宗教文化「盆」が、欧米やアフリカの国々でも祝福され、その時期になると盆踊りがパリやロンドンやニューヨークの広場で開かれて、世界中の人々が浴衣を着て大いに踊り、楽しむ、というくらいのもの凄い出来事なのです。

でもこれまでのところ、世界はそんなふうにはならず、キリスト教のクリスマスだけが一方的に日本にも、アジアにも、その他の国々にも受け入れられていきました。なぜでしょうか。それはクリスマスという文化の背後に「西洋文明」という巨大な力が存在したからです。

文明とは字義通り「明るい文(知性)」のことであり、特殊性が命の文化とは対極にある普遍的なコンセプトです。言葉を替えれば、普遍性が文明の命です。誰もが希求するもの、便利なもの、喜ばしいもの、楽しい明るいものが文明なのです。

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それは自動車や飛行機や電気やコンピュターなどのテクノロジーのことであり、利便のことであり、誰の役にも立ち、誰もが好きになる物事のことです。そして世界を席巻している西洋文明とは、まさにそういうものです。

一つ一つが特殊で、一つ一つが価値あるものである文化とは違って、文明には優劣があります。だから優れた文明には誰もが引き付けられ、これを取り入れようとします。より多くの人々が欲しがるものほど優れた文明です。

優れた文明は多くの場合、その文明を生み出した国や地域の文化も伴なって世界に展延していきます。そのために便利な文明を手に入れた人々は、その文明に連れてやって来た、文明を生み出した国や地域の文化もまた優れたものとして、容易に受け入れる傾向があります。

たとえば日本人は「ザンギリ頭を叩いてみれば文明開化の音がする」と言われた時代から、必死になって西洋文明を見習い、模倣し、ほぼ自家薬籠中のものにしてきました。その日本人が、仏教文化や神道文化に照らし合わせると異なものであり、不可解なものであるクリスマスを受け入れて、今や当たり前に祝うようになったのは一つの典型です。

西洋文明の恩恵にあずかった、日本以外の非キリスト教世界の人々も同じ道を辿りました。彼らは優れた文明と共にやって来た、優劣では測れないクリスマスという「特殊な」文化もまた優れている、と自動的に見なしました。あるいはそう錯覚しました。

そうやってクリスマスは、無心論者を含む世界中の多くの人が祝い楽しむ行事になっていきました。それって、いかにも凄いことだと思うのですが、どうでしょうか。



ハゲの横好き


偉大だったドイツのメルケル首相が退陣して、ショルツ新首相が誕生しました。

筆者はショルツ首相を公私ともに応援しています。

「公」は民主主義の旗手、ドイツを率いる彼の手腕。

「私」は容姿が似ている彼への親しみ。

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筆者はショルツ首相の後を追って、ハゲ街道を驀進中なのです。

なのに、あ~それなのに、いいハゲこいて、もとへ、いいトシこいて、筆者はPerfumeが好きです。

いまPerfumeを香水と思った人はオヤジでありオバchanです。

ならばPerfumeとは何か。Perfumeを知らない若者のために説明しますと、Perfumeは若い女性3人組のアイドルグループです。テクノポップユニット とも言うらしい。

そんなものを好きな筆者のようなオヤジはエロいと見なされることもあります。正確に言うと若い女性歌手やグループを追っかけるオヤジはエロいらしい。エロ目的のくせにエロい情熱を隠して出没する、ということなんでしょうね。

筆者はぶっちゃけそこまでエロくはなさそうです。なぜならPerfumeの追っかけをするほどの元気はありませんし、それほどの情熱もありません。また筆者の子供ほどの年齢のアイドル娘3人をアイドルともみなせません。

筆者のアイドルは(年齢と時代の関係で敢えて言えば)キャンディーズです。へてからに、キャンディーズを知っている人はぶっちゃけオヤジとオバchanです。で、人気絶頂の頃のキャンディ-ズの3人娘は、まぶしくて近寄りがたくて憧れでした。

筆者はそこでもキャンディーズの追っかけをするほどの熱烈なファンではなく、遠くから眺めているという程度の煮え切らない若者でした。が、同世代の女性アイドルを熱く見つめている青年が内に秘めているのは、歌への情熱に織り込んだまさにエロだった、という気はしないでもありません。

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ところが、Perfumeの3人の踊り子たちは、とても田舎っぽくて前述したように筆者にはアイドルには見えません。Perfumeは、キャンディーズオジさ んの筆者にとっては憧れではなく、例えば故郷の友人のタカオとかヨシオとかの娘みたいな、 あるいは田舎の姪っ子たちみたいな、要するにフツーの娘過ぎてエロにはならないのです。

とはいうものの、こうしてあれこれ言い訳めいたことを書き連ねているのが怪しい。やっぱりエロだ。というスルドイ指摘もありそうですので、本題に戻ります。

筆者のPerfume好きをもっと具体的に言えば、実は筆者はPerfumeの歌「ワンルーム・ディスコ」が好きなのです。それは♪ジャンジャンジャン♪という電子音(デジタルサウンドと言うらしい)に乗って次のように軽快に歌われます。

ディスコディスコ ワンルーム・ディスコ
ディスコディスコ
ディスコディスコ ワンルーム・ディスコ
ディスコディスコ                           なんだってすくなめ 半分の生活 だけど荷物はおもい 気分はかるい
窓をあけても 見慣れない風景 ちょっとおちつかないけれど そのうち楽しくなるでしょ                           新しい場所でうまくやっていけるかな 部屋を片付けて 買い物にでかけよ
遠い空の向こうキミは何を思うの? たぶん できるはずって 思わなきゃしょうがない
(中略)
新しい場所でうまくやっていけるかな 音楽をかけて計画をねりねり 
今日はなんだかね おもしろいこともないし リズムにゆられたいんだ ワンルーム・ディスコ                          ディスコディスコ ワンルーム・ディスコ
ディスコディスコ~

デジタルサウンドという新鮮な音の洪水に乗って流れるメロディーもいいが、筆者にとっては歌詞がもっと良い。つまり:
「なんだってすくなめ 半分の生活」 
「荷物はおもい 気分はかるい」
「そのうち楽しくなるでしょ」
「たぶん できるはずって 思わなきゃしょうがない」

それらの前向きな態度や思考は、筆者が理解している限りでの全き禅の世界です。作詞・作曲をした中田ヤスタカさんが禅を意識していないのが、余計に禅的で良いと思います。

禅とは徹頭徹尾プラス思考の世界です。しかもそのポジティブで前向きな生き方を意識しないまま、自然体で体現するのがもっとも理想に近い禅世界です。

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受身ではなく能動的であること。消極的ではなく積極的であること。言葉を替えれば行動すること。「書を捨てよ。町へ出よう」と動くこと。またはサルトルの「アンガージュマン」で行こうぜ、ということです。

もっと別の言い方で説明すれば、それは筆者の座右の銘である「日々是好日(にちにちこれこうにち(じつ)」と同じ世界です。まさに理想的な禅の世界なのです。

日々是好日とは、どんな天気であっても毎日が面白い趣のある時間だ、という意味です。つまり雨の日は雨の日の、風の日は風の日の面白さがある。あるがままの姿の中に趣があり、美しさがあり、楽しさがある。だからそれを喜びなさい、という意味です。

筆者はバカかった頃、もとへ、若かった頃、この言葉を「毎日が晴れたいい天気だ」と勝手に理解して、東洋的偽善の象徴そのものだと嫌悪しました。これは愚かな衆生に向かって、「たとえ雨が降っても風が吹いても晴れた良い天気と思い(こみ)なさい。そうすれば仏の慈悲によって救われる」という教えだと思ったのです。

まやかしと偽善の東洋的思想、日本的ものの見方がその言葉に集約されていると当時の筆者は思いました。

その大誤解は筆者が日本を飛び出して西洋世界に身を投入する原動力 の一つにもなりました。筆者は禅がまったく理解できませんでした。しかも理解できないまま筆者が思い込んでいる禅哲学が、反吐が出るほど嫌いでした。無知とはゲに怖ろしい。

西洋にも禅的世界観があります。歌の世界であれば:

♪ケセラセラ なるようになるさ~♪

がそうであり、ビートルズの

♪レットイットビー  レットイットビー  レットイットビー♪

もそうです。

ただ西洋のそれは、人生をある程度歩んだ「大人の知恵」という趣が込められた歌だと筆者は感じます。つまりそれは、敢えて言えば哲学です。Perfumeの3人娘が歌うのはそんな重い哲学ではありません。

軽い日常の、どうやら失恋したらしい女の子の、前向きな姿を今風のデジタルな音曲に乗せて、踊りを交えて歌う。その軽さがいい。深く考えることなく、「軽々と」禅の深みに踏み込んでいるところがいい。

あるいは考えることなく「軽々と」禅の高みに飛翔している姿がいい。。

というのはしかし、東洋の、特に禅の全きポジティブ思考に魅せられている「東洋人の」筆者の、東洋世界への依怙贔屓 (えこひいき)に過ぎないのかもしれません。


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歴史を食う

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ミラノ近郊の、筆者の住む北イタリアのブレッシャ県には、有名な秋の風物詩があります。狩猟の獲物を串焼きにする料理「スピエド」です。

狩猟は主に秋の行事です。獲物は鳥類や野ウサギやシカやイノシシなど多岐にわたります。

それらの肉を使うスピエドは野趣あふれる料理ですが、そこは食の国イタリア。

肉の切り身に塩やバター等をまぶして、ぐるぐると回転させながら何時間も炙(あぶ)ります。さらに炙ってはまた調味料を塗る作業を繰り返して、最後には香ばしい絶品の串焼き肉に仕上げます。

スピエドは元々、純粋に狩猟の獲物だけを料理していました。

特に山では、ふんだんに獲れる鳥類が、貧しい木こりや農夫の空腹を満たしました。鳥肉の串焼きには山の斜面の痩せた土でも育つジャガイモが加えられました

スピエドの原型は、野鳥の肉とジャガイモの串焼きなのです。

やがて鳥肉以外の狩猟肉も調理されてレシピが発展していきました。

しかし野生の動物が激減した現在は、狩りで獲得したジビエよりも豚肉やスペアリブ、また家畜のうさぎや鶏肉などを使うのが一般的です。

ジャガイモはそこでも変わらずに重宝されます。

焼きあがったスピエドには、ポレンタと呼ばれる、トウモロコシをつぶして煮込んだ餅のような付けあわせのパスタが添えられます。

スピエドは赤ワインとの相性も抜群です。

イタリアは狩猟が盛んな国です。猟が解禁になる秋には、キジなどの鳥類や野うさぎやイノシシなどが全国各地で食卓に上ります。

しかしもっとも秋らしい風情のあるスピエド料理はブレッシャ県にしかありません。

これは一体なぜか、と考えると見えてくるものがあります。

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ブレッシャにはトロンピア渓谷があります。そこは鉄を多く産しました。

そのためローマ帝国時代から鉄を利用した武器の製造が盛んになり、やがて「帝国の武器庫」とまで呼ばれるようになりました。

その伝統は現在も続いていて、イタリアの銃火器の多くはブレッシャで生産されます。

世界的な銃器メーカーの「べレッタ」もこの地にあります。

べレッタ社の製造する猟銃は、これぞイタリア、と言いたくなるほどに美しいデザインのものが多い。「華麗なる武器」です。

技術も高く、何年か前にはニューヨークの警官の所持する拳銃が全てべレッタ製のものに替えられた、というニュースがメディアを騒がせたりもしました。

ブレッシャは銃火器製造の本場だけに猟銃の入手がたやすく、しかもアルプスに近い山々や森などの自然も多い。

当然のように古くから狩猟の習慣が根付きました。

狩猟はスピエド料理を生み、それは今でも人々に楽しまれている、というのが筆者の解釈です。

つまりスピエドを食べる行為には、少し大げさに言えば、ギリシャ文明と共にヨーロッパの基礎を作ったローマ帝国以来の歴史を食するという側面もある、と筆者はひそかに心を震わせたりもします。

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2020年はコロナ禍でスピエドを食べる機会がほとんどありませんでした。

ことしもコロナ以前に比べるとチャンスはやはり多くはありませんでした。それでも友人一家に招待されて食べることができました。

友人は山育ちです。スピエドでもてなしてくれる筆者の友人は、ほとんどが山の暮らしを知っています。

山では古来、鳥類が多く食べられてきました。

先に触れたスピエドの原型がそこから生まれたのです。

山鳥は野うさぎや鹿に始まる獣類よりも圧倒的に数が多く捕獲も容易でした。

今では獣類も鳥類も大幅に数は減りました。それでもやはり両者のうちでは鳥類が多く狩られます。

山に親しい筆者の友人たちは、彼らが苦心して捕獲した貴重な野鳥をスピエドに加えます。

当節は各家のスピエドに使われる本物の野生動物の肉は、狩猟で獲られる鳥類のみ、といっても過言ではありません。

少しの鳥肉が、豊富な豚肉やスペアリブやウサギやジャガイモとともに香ばしく炙られる場合がほとんどなのです。

ことしはレストランなどでも、週末を中心にスピエドを提供する店がかなり目立ちました。

ただレストランの場合は、狩猟で得られる鳥肉がスピエドに加えられることはまずありません。

鳥類は多くが狩猟が禁止になっています。また捕獲が許されている山鳥でも数が少なく、レストランで提供するのは難しい事情があるのです。

レストランなどでは、野生の鳥肉の代わりに市販の鶏肉が調理され提供される、というのが実情です。

それも美味ですが、少量の山鳥の肉が加わる山のスピエドは、野趣に富み格別の味がします。

最近は料理にも興味を持っている筆者は、友人たちに頼んでスピエドの調理法を習得したいと考えています。

しかし複雑でひどく手間のかかる行程に恐れをなして、なかなか手を出せずにいます。

そうはいうものの筆者にとっては、「歴史を食う」というほどの趣を持つ魅力的な料理ですから、いつかじっくりとレシピを勉強して、必ず自分でも作ってみるつもりでいます。




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「不惑」という困惑

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筆者から見ると若いアラフォー世代の友人女性が、不惑という言葉を知って少し困惑したような、困惑しなかったような、不思議な気分になった様子の連絡をくれました。

そうした世代の男女の友人を見ていると、40歳という年齢に強い感慨を抱いたり不安を覚えるような言動をするのは、男性に比べて女性の方が多いように感じます。

40歳をあらわす不惑という言葉は、言うまでもなく論語の「40歳(しじゅう)にして惑わず」から来ていて、それは人生、つまり寿命が50年程度だった頃の道徳律、と解釈すれば分かりやすいのですが、正確に言うと少し違うようです。

論語の一節であるその言葉を残した孔子の時代、つまり約2500年前は人間の平均寿命は50年よりもきっと短いものだったと考えられます。人間の平均寿命が50歳ほどになったのは明治時代になってからという説さえあります。人間は長い間短命だったのです。

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しかし2500年前の孔子でさえ72歳まで生きています。また70歳をあらわす古希という言葉もあって、それは周知の如く「70歳は古来、希(まれ)なり」のことです。つまり昔は70歳まで生きる者は「ひどく珍しい」と言われるほどの長生きだったのです。孔子はその希な人間の一人でした。

過去の時代は全て「人生50年」ほどの世の中だった、という日本人の思い込みの多くは実は、織田信長が好んだ敦盛の中の「人間50年 下(化)天のうちを比ぶれば 夢まぼろしのごとくなり~♪」の影響が一番大きいように見えます。

そこで言う人間50年とは平均寿命が50年という意味ではありませんが、人の生命は宇宙の悠久に比べるとあっという間に過ぎず、たとえ50年を生きたとしても宇宙の一日にしか当たらない、まことにはかないものだ、ということですから、拡大解釈をして平均寿命50年の人生、というふうに考えても当たらずとも遠からずというところでしょう。

要するに、今現在の平均寿命である約80歳はさておいても、2500年前の孔子の時代から江戸の頃まで、大ざっぱに言って人間はやっぱり50歳程度が平均寿命だった、と考えてもいいと思うのです。

あるいは人々が願った長生きの目標が50歳程度だった、とか。はたまた、正式な統計があったわけではありませんが、50歳まで生きることができればラッキー、というふうに人々は感じていた、とか。

その伝で行くと、不惑の次の「知命」つまり「50歳にして天命を知る」とは、死期に至った人間が寿命や宿命を知るということになり、さらにその次の「還暦」の60歳は、おまけの命だからもう暦をゼロに戻してやり直すということです。

そんなふうに人間が短命だった頃の70歳なんてほぼ想定外の長生き、希な出来事。だから前述したように古希。

さらに、88歳をあらわす「米寿」という言葉は、88歳なんていう長生きはある筈もないから、八十八をダジャレで組み立てて米という文字を作って「米寿」、というふうにでも決めたんじゃないか、と茶化したくなります。

何が言いたいのかというと、年齢を気にして「年相応に」とか「年甲斐も無く」とか「~才にもなって・・」などなど、人間を年齢でくくって行動や思想や生き方を判断しようとするのは、実に偽善的でつまらないことだと思うのです。

40歳を意味する不惑という言葉にも、精神の呪縛をもたらす東洋的な閉塞感と狭量と抑圧の響きが充満していると思います。少なくとも筆者が好きで住んでいるここ西洋には、全くないとは言いませんが、人を年齢で縛る考え方は多くはありません。

天使と悪魔に囲まれて悩む女性

そういうところも筆者が西洋文化を好きなった一因です。感じるままが年齢だ、という生き方に憧れを抱いている筆者にとっては、年齢をあまり気にしない欧米社会の風通しの良さは心地がよいのです。

40歳でも惑いまくり悩みまくるのが普通の人間であって、それは人生50年の時代でも同じだったはずです。ましてや人生80年の現代、40歳の若さで悟りきって惑わない、つまり「不惑」者がいるとするなら、その人こそまさに「古来希な」大天才か、あるいは重いビョウキか何かなのではないでしょうか。

筆者はもうとっくに還暦も過ぎてしまったオヤジーですが、不惑なんて少しも気にしないまま(惑いまくってそれを気にする暇などないまま)ジーオヤになって、しかもそれが当たり前だと腹から思っている男です。

それどころか、運よく古希を迎えても、さらに喜寿(77歳)を過ぎその先まで生きる喜びがあったとしても、きっと相変わらず惑い、悩み、葛藤し、妄想して、煩悩の中に居つづけることでしょう。

いや、きっとそうしていたい。なぜならそれが生きているということであり、悩まなくなった人間はもはや死人と同じだと思うから。

惑い、悩み、葛藤し、妄想して、煩悩の中にいることこそ生きるということであり、生きている限りそれもまたきっと人生を楽しむ、ということなのでしょう。

楽しむ、というのが言い過ぎなら、そうした人生の負の側面でさえ「生きていればこそ」と考えて立ち向かうこと。あるいは積極的に受け入れて肯定すること。つまりそれから目をそらさないこと。

そんな考え方は、言うまでもなく別に筆者の発見ではありません。禅の教えの根本です。いや、分かった風を装ってはなりません。筆者のここまでの浅い知識の範囲で理解している禅の根本です。

そうしてみると、不惑を意識して悩み、不安にかられ、もがいている女性たちは、男などよりも人生を楽しむ術を知っている優れ者たち、ということにもなるのですが・・



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ハゲとオッパイ

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ハゲとオッパイ

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最近、筆者は急速にハゲてきています。年齢も年齢ですから珍しいことではありませんし、血筋もハゲの系列ですので、さらに大きくハゲることへの覚悟もできています。

それでも、ハゲるのはなんだかイヤだなぁという気分がどうしてもついて回ります。それどころかハゲることが不安のようでもあります。われながらうっとうしいもの思いです。

なぜそうなのか、と考えつづけていたら見えてきたものがあります。

つまり、ハゲは実は女性の問題であり、そう考えてみると、なんとオッパイは実は男性の問題なのではないか、というオソロシイ結論に至りました。

そこで筆者は自分のコワイ発見を、日本のある新聞のコラムに寄稿することにしました。

筆者はこれまで新聞雑誌にも結構記事を書いてきましたが、長く連載を続けているのはそのコラムだけです。つまり筆者とその新聞は、まあまあ強い信頼関係にある、と筆者は考えています。

それにも関わらずその短い記事は、連載開始以来はじめてボツという憂き目を見ました。

記事は次のような内容でした:

ハゲとオッパイ
ハゲは女性の問題であり、オッパイは男性の問題である。
 つまり、男は女のせいでハゲを気にし、女は男のせいでオッパイの大小を気にする。
 僕は男だから100%分かるのだけれども、もしもこの世の中に男しかいなかったなら、男の誰もハゲなんか気にしない。自分のハゲも他人のハゲも。
 たとえば僕は男オンリーの世界でなら、僕の周りの男どもが全員ハゲで、かつ自分が彼らの百倍ハゲていたとしても、まったく気にならないと断言できる。
 世の中の女性が男のハゲを笑い、男のハゲを気にするから、僕ら哀れな男どもはハゲに強烈な恐怖心を抱いている。
 それと同じことがもしかすると女性の側にも言えるのではないか。
 つまり、女性は世の中の男どもが巨乳とかボインとか爆乳とか面白おかしく話題にするから、自分のオッパイの大きさを気にするのではないだろうか。
 もしもこの世の中に女しかいなかったら、自分の胸や他人の胸のデコボコが高いか低いかなんて、全然気にならないのではないか。ハゲは女性の問題であり、オッパイは男性の問題である、とはそういう意味である。
 ところで、男のハゲを気にするのは日本人女性が圧倒的に多い。ここイタリアを含む西洋の女性たちは、男性のハゲをあまり気にしない。
 大人の感覚とも言えるが、欧米人男性が元々毛深くてハゲが多いせいもあるのだろうと思う。女性が男のハゲに寛大だから、西洋の男どもは日本人男性ほどにはハゲを悩みにしていない。
 そんな訳でヤマトナデシコの皆さん、あんまりハゲ、ハゲと僕ら哀れな男どもを笑うのをやめてくれませんか?

記事が掲載拒否になった理由は、ハゲは不快用語で、オッパイという言葉も新聞では使いにくい、というものでした。

ところが実は、まさにハゲが不快用語だからこそ、ほぼハゲである筆者はそれを問題にしました。

つまりハゲと言う言葉に恐怖心を抱いている(不快感をもっている)筆者は、その言葉が無神経に流布している現実への密かな抗議と、また自己防衛の思惑からそのコラムを書きました。

他人にハゲと言われる前に自分で言ってしまえ、というあの心理ですね。

ところが新聞はそこのところを全く無視して、ハゲと言う言葉には読者が不快感を抱きかねないので掲載できない。またオッパイの大小も個性の問題なのであり、これも読者が反発しかねない、という奇妙な論理でボツにしました。

ハゲと言う言葉に不快感を持つ読者とは、つまり「ハゲている読者」のことであり、それらの読者は筆者の同志です。彼らこそまさに、筆者のこのコラムを読みたい人々のはずなのです。

それなのに新聞は、一歩間違えば偽善的とさえ言われかねない自らの考えに固執して、そのことに気づかないように見えます。

またオッパイの大小が女性の個性の一つだというのは、まさにその通りです。

ところが世の中の男どもは、その個性を個性として認めようとはせず、ま、いわば劣情に曇った目で女性の胸を見て、あれこれ品定めをし辱(はずか)しめます。

巨乳よ爆乳よ、とはやし立てるばかりではなく、その逆の大人しい胸を貧乳やペチャパイ、壁やこ(小)っぱいなどと揶揄したりします。

そのことを指摘して、そんなものは男のたわ言であり身勝手な魂胆なのだから、無視して堂々としていた方が良い、というのが最終的には筆者の言いたいところです。

その趣旨は筆者の短い文章の中に十分に示唆されていると考えます。もしもそうでないのなら、それは筆者の文章力の拙さが第一の原因です。

だが、同時にもしかすると、新聞人のあり余るほどの自信と無明がその目を曇らせている、ということもあり得るのではないでしょうか。


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