【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

思論想論

高市であろうがなかろうが日本極右は欧州極右よりずっと危険だ

sohei-kamiya&参政党議員650

公明党が連立離脱というニュースが駆け巡っている。自民党の高市新総裁がほぼ自動的に首相になるどころか、誰が次の総理大臣になるのか見通せない、混とんとした状況になった。

どの党が連立に加わっても、また自民党が政権を掌握できなくても、極右化する日本の政治の危険度に変わりはないので❝高市政権が発足したなら❞という前提で意見を述べておくことにした。

高市早苗自民党総裁誕生に関する直近記事に多くの方からコメントやメッセージが寄せられた。

最も多かったのが記事の終わり:「高市政権は船出と同時により右カーブではなく左カーブ、即ち中道寄りへと政策も心情もシフトしていく」に対する疑問や反論である。

多くの方が、高市政権は左寄りにシフトする、と僕が主張したと誤解しているようだ。

極右の高市政権がリベラルになる訳がない。そうではなく、ファシスト気質の高市政権は船出と同時に❝現実路線❞を取るだろう、というのが僕の言いたいところだ。

それをしないなら、少し大げさに言えば、中国・韓国・北朝鮮と戦火を交えない限り、彼女の極端な超国家主義者魂の立つ瀬がないだろう。

だがさすがの高市ちゃぶ台返しオヤジ首相でも、隣国と火ぶたを切るほどの狂気はまだ持ち合わせていないだろうから、とりあえずはファシストの正体を秘していわば脱悪魔化をはかる。

要するに現実路線に立ち返る、と考えたのである。

だが全く違う結果も考えられる。

高市首相は日本独特の右翼カルト暴風に吹き巻かれて、ますます右へと突き進みついには政治的に自爆死するかもしれない。

それはここ欧州の極右にはあり得ないことだ。

欧州にも右傾化の強風が吹き荒れている。

欧州に於ける極右の台頭はリベラル勢力の驕りに対する民衆の怒りもあるが、最大の要因は強い反移民感情である。増えすぎた移民に欧州の人々はいら立ち、右派はその不満を利用して勢力を伸ばしている。

だが欧州には「欧州の良心」がある。そのため各国政府による移民排斥の動きには一定のブレーキがかかる。

僕が規定する欧州の良心とは、欧州の過去の傲慢や偽善や悪行を認め、凝視し、反省してより良き道へ進もうとする“まともな”人々の心のことだ。

欧州は世界各地を侵略し殺戮をくり返し、域内の紛争も軍事力で解決するのが当たり前の、野蛮で長い血みどろの歴史を持っている。そして血で血を洗う凄惨な時間の終わりに起きた、第1次、第2次大戦という巨大な殺戮合戦を経て、ようやく「対話&外交」重視の政治体制を確立した。

それは欧州が真に民主主義と自由主義を獲得し、「欧州の良心」に目覚める過程でもあった。

欧州の良心はキリスト教の博愛の精神によって補強されより寛大な方向に展伸するが、第2次大戦後にさらに拍車がかかった。

つまりドイツ国民のナチズムへの徹底総括と深い反省、またイタリア国民の強力な反ファシズム感情がヨーロッパ中に大きな影響を与えて欧州の良心はいよいよ強固になった。

欧州に於ける政治の右傾化、また民衆の反移民感情は欧州の良心と並存している。

政治の右傾化や反移民感情は多分に感情的だが、欧州の良心には理がある。その理が政治の右傾化を監視し反移民感情に待ったをかける。制御心が働くのだ。

その情動には極右も無縁ではあり得ない。

例えば移民排斥を叫んで支持を広げ、ついには政権の座にまで就いたここイタリアのジョルジャ・メローニ首相がその好例だ。

メローニ首相は、ファシスト党の流れを汲む「イタリアの同胞」(党)を率いて反移民感情を人々の間に搔き立てては支持を伸ばし、ついには首相にまで上り詰めた。

昇りつめると彼女は政権公約を果たすべく移民規制に乗り出したが、思うようには進んでいない。いや、思うように進んでいないのではなく、彼女には移民を無慈悲に徹底的に排斥する意思はないのだ。

不法移民を規制する方向には動くものの、彼女の中にある欧州の良心がそれを抑制する。ましてや彼女は難民移民の徹底保護を主張してやまないローマ教会の信者だ。

彼女と同じ感情は欧州の右派に多かれ少なかれ宿っている。そして彼らは反移民レトリックを用いて民衆を主導し勢力を伸ばし続けている。

同時に彼らは政権の座に就くと常識的になるだろう。不法移民、悪意ある外国人は厳しく取り締まるとしつつも、欧州の良心に促されて彼らを平等に扱おうとする情動が働くのだ。

彼らは極右らしく暴力的だが、かつてのナチスのように非情な人種差別意識をむき出しにして人々に牙を剥くことはあり得ない。

欧州の今この時の極右勢力はかつてのナチスやファシストではない。

ヒトラーはヒトラーを知らなかった。だがいま欧州で最も大きな脅威と見られているドイツの極右Afdはヒトラーを知悉している。だから彼らはヒトラーの轍は踏まない。

同様にムッソリーニはムッソリーニを認識できなかったが、ムッソリーニを良く知るイタリアの同胞は、メローニ首相をより穏健な極右、あるいは中道寄りに向かう急進右派たる存在に造り変えた。

日本ではあたかも欧州の極右のように反移民をあおる参政党が躍進した。各野党もそれに近い主張をした。自民党の総裁選では高市早苗候補が外国人差別を煽る動きにさえ出た。

だが世界の国々に比較すると日本の移民の数などたかが知れたものだ。ところが参政党を筆頭にする右派は、アメリカや欧州の真似をして選挙で反移民キャンペーンを張った。つまり彼らは例によって欧米の物真似をしたのである。

そうであれば可愛いもので取るに足らない。

しかしながら、その中身は日本独特の天皇崇拝・靖国偏執跪拝・国家神道狂信・日本会議及び安倍憑依教団等々が一体になったカルトの顕れである恐れがある。

一見すると、右傾化という世界共通の現象の中にあるようだが、実はそこには属さずに孤立し鬱屈して牙を研いでいる、デモーニッシュななにかのように見えるのだ。

極右の流れが本流となり、さらに激流となって世の中を席巻するのは、中道や左派の主要政党が彼らの真似をして国民の関心を買おうと考える時だ。そうなると極右モメンタムは制御不能となって爆発する

欧州の極右の動きには因果があり筋道がある。熱に浮かされて天皇崇拝や靖国遥拝や国家神道などを叫ぶ神懸かり的な精神論が入る余地はない。

ところが日本の場合はそうした理や制御心が働かないように映るのだ。いわゆる先進国のうちでは圧倒的に少ない移民に対して、既述のように参政党が突然憎悪を爆発させ、他の保守勢力が追随する。政権党の自民党も例外ではない。

繰り返しになるが、欧米を含む世界の流行が日本で根拠なくコピーされるパターンである。だがその流行は歌やファッションの流行りではない。偏見差別と、究極には殺戮行為にまで簡単に進みかねない反移民運動の流行なのである。

それはやはり日本カルトの顕現としか形容の仕様がない異様な光景だ。カミカゼ的サイコパス政治勢力が何の障りもなく、誰にも阻止されずに当たり前に存在する、世界の中の異形の土地の恐怖だ。

異形の土地は天皇を神と崇める旧人魂と過去の対戦を総括できなかった無念の歴史事実とに守られて厳然として残った。

それに乗っかった日本極右の危険度は、ドイツAfdやイタリアの同胞、またその他多くの欧州極右とは比べものにならないほど高いのである。





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女性姿のオヤジ首相が向かう先

高市国旗

高市早苗氏が自民党総裁に選出され、ほぼ確実に次期首相になるという見方が広がっている。

僕は彼女を深い懐疑の目で観察しながら淡い期待も抱いている。

その複雑な思いは、2024年の総裁選時を始めとして自身のブログに全て書き込んだ。

その主旨をまとめると次の如くだ。

僕は高市早苗候補だけは決して日本のトップにしてはならない、と考え、つい最近までそこかしこにそう書いてもきた。

今もそうだが、それでも2度に渡って総裁候補の顔ぶれを見ているうちに、毒を持って毒を制す、のような気分にもなった。

高市という猛毒をもって日本の男社会という毒に楔を打ち込む、という印象である。

つまり、猛毒の高市候補が日本初の女性首相になる手もあるのではないかと考え出したのだ。

❛高市首相❜もありかもと考える第1の、そして最大の理由は高市候補がオヤジよりもオヤジ的な政治家でありながら、それでも女性だという点だ。

首相になれば日本の諸悪の根源である男尊女卑メンタリティーにとりあえず一撃を見舞うことになる。それは、無いよりはあったほうが確実に日本のためになるイベントだ。

心優しい良い女性、すばらしい女性を待っていては日本には永久に女性首相は生まれない。女性首相の大きな条件の一つは「タフな女」であることだ。

サッチャー元首相もメルケル元首相も、またここイタリアのメローニ首相も男などにビビらないタフさがある。高市候補は権力者のオヤジらに媚びつつも、鉄面皮で傲岸なところがタフそのものに見える。

2つ目は肩書の奇跡だ。

肩書きが人間を作る、というのは真実である。

一つ例を挙げる。

イタリアで初の女性首相となったジョルジャ・メローニ氏は、ファシスト党の流れを汲む「イタリアの同胞」を率いて選挙を勝ち抜いた。

選挙中、彼女は右寄りの政策を声高に叫びつつ一つのスローガンをさらに大声で主張した。

いわく、「私はジョルジャだ。私は女性だ。私は母親だ。そして私はイタリア人だ」と。

「私はジョルジャだ」は自らが自立自尊の人格であることを、「私は女性だ」は女性であることを誇ると同時にジェンダー差別への抗議を、「私は母親だ 」は愛と寛容を、「私はイタリア人だ」は愛国の精神を象徴していると僕は見た。

メローニ氏はそうやって国民の支持を得て首相の座に上り詰めた。

ところがメローニ氏は、首相になるとと同時に激しい言葉使いを避け、険しい表情をゆるめ、女性また母親の本性があらわになった柔和な物腰にさえなった。

政治的にも極端な言動は鳴りをひそめ、対立する政治勢力を敵視するのではなく、意見の違う者として会話や説得を試みる姿勢が顕著になった。

彼女のそうした佇まいは国内の批判者の声をやわらげた。僕もその批判者のひとりだ。

また同氏に懐疑的なEUのリベラルな主勢力は、警戒心を抱きながらもメローニ首相を対話の可能な右派政治家、と規定して協力関係を構築し始めた。

ジョルジャ・メローニ首相は資質によってイタリア初の女性首相になったが、イタリアのトップという肩書きが彼女を大きく成長させているのも事実なのである。

高市自民党新総裁は、あるいは日本初の女性宰相となり、その肩書きによって人間的にも政治的にも成長するかもしれないと僕は秘かに考えているが、大きな問題ある。

つまりメローニ首相と同じ右翼政治家の高市氏には、イタリアのトップに備わっている女性としての自立心や明朗な政治姿勢や誇りが感じられない。

その代わりに虎の威を借る狐の驕りや、男に遠慮する「女性オヤジ政治家」の悲哀ばかりが透けて見える。女性オヤジ政治家は旧態依然とした男性議員を真似るばかりで進取の気性がない。その典型が高市氏だ。

3つ目は天皇との関係だ。人格者の上皇、つまり平成の天皇は静かに、だが断固として安倍路線を否定した。現天皇は今のところ海のものとも山のものともつかない。顔がまだ全く見えない。

❛高市首相❜が本性をあらわにファシスト街道を突っ走るとき、天皇がどう出るか、僕はとても興味がある。

天皇は政治に口出しをしないなどと考えてはならない。口は出さなくとも「天皇制」がある限り彼は大いなる政治的存在だ。それを踏まえて天皇は「態度」で政治を行う。

彼に徳が備わっていれば、という条件付きではあるが。

日本の政治と社会と国民性は、先の大戦を徹底総括しなかった、或いはできなかったことでがんじがらめに規定されている。

右翼の街宣車が公道で蛮声を挙げまくっても罪にならず、過去を無かったことにしようとする歴史修正主義者が雲霞のように次々に湧き出てくるのも、原因は全てそこにある。

ドイツが徹底しイタリアが明確に意識している過去の「罪人」を葬り去るには、再び戦争に負けるか、民衆による革命(支配層が革命の主体だった明治維新ではなく)が起きなければならない。

しかし、そういう悲惨は決して招いてはならない。

僕はこれまで高市早苗氏を、安倍元首相の腰巾着であり、歴史修正主義義者であり、メディアを恫喝支配できると信じているらしい思い上がった思想の持ち主、とみなし批判してきた。

彼女が総務相時代の20016年、放送局が政府の気に入らない放送を繰り返したら電波停止を命じる、と示唆した発言はあまりにも重大だ。

メディアの監視と批判に耐えられない政治家は首相になるべきではない。メディアを抑圧し制御できると考える政治家は、政治家でさえない。それは単なる独裁者だ。

高市候補にはそのように暗く危険なファシズム的気質がある。それはここイタリアのジョルジャメローに首相にも通底する個性だ。

高市候補は2度に渡って総裁選に出馬し戦う動きの中では、女性であることを意識しないと強調した。彼女は選択的夫婦別姓制度にも反対だ。

だがそれではダメだ思う。彼女は女性であることを大いに意識し、彼女が日本初の女性首相になることは、日本の諸悪の根源である男尊女卑思想を一掃するための大いなる一歩、と位置づけ闘っていくべきだ。

高市氏がここまでそうしないのは、彼女の岩盤支持者である保守強硬派の男らの反発を避けるのが狙いだろう。だが女性蔑視のメンタリティーが国の未来まで貶めることが確実な日本にあっては、女性であることを前面に押し出すことは重要だ。

高市候補に限らず、男に媚びることが多い日本の「オヤジ女性政治家」が、真に「男女を意識されない」一人の政治家と見なされるためには、闘う本人が先ず女性であることに誇りを持ち、女性として自立し認められることが重要だ。

男を真似する「オヤジ女性政治家」は“フェイク”であることを、何よりもまず女性政治家自身が悟らなければならない。

ネガティブな要素も多く抱えた高市自民党新総裁は、日本初の女性首相になる機会を得た。ならばチャンスを活かして生まれ変わってほしい。

女性であることにこだわるメローニ首相はまた、トランプファシズム気質大統領と親和的な関係でもある。同時に彼とは1対1の対等な立ち位置もしっかりと保って動いている。

片や高市新総裁はどうだろうか。首相になって米大統領と対等な関係を構築できるだろうか。それは恐らくないものねだりに終わるだろう。

彼女は安倍元首相を神とも崇めひれ伏す存在だ。その安倍氏はトランプ氏を勝手に友と呼ぶだけの大統領の忠犬だった。

忠犬の忠犬である未来の高市首相に、トランプ大統領にNOと言える器量を期待するのは無理だろう。

自らをバカに見せる狡智も備えているらしいトランプ大統領は、総裁選に勝った高市氏を「知恵と強さを持った人物」とSNSで評価した。ところがその際には高市氏の名前には言及しなかった。

そのあたりに日本と日本のトップを見下しているトランプ大統領の本音が透けて見える。同時に彼の本音に何らかの形で一撃を加える女っぷりなどなさそうな高市氏の正体も。

なにしろ女の姿をしただけの❛オヤジ気質の首相❜なのだから。

高市新総裁はファシズム的な体質が似ている点を除けば、イタリアのメーローニ首相とは似ても似つかない存在だ。メローニ首相が明なら彼女は陰、と形容しても良いほど印象が違う。

もっと言えば高市氏は、自ら率先して右翼運動を担うのではなく、例えば安倍元首相に庇護されて四囲を睥睨してきたように、威光を笠に着て凄むタイプだ。

一方のメローニ氏は自ら激しく動いて道を切り開くタイプの政治家である。

それでも高市新総裁は、日本初の女性宰相になれば、その肩書きに押されて人間的にも政治的にも成長するかもしれない。

最後に、高市政権は船出と同時により右カーブではなく左カーブ、即ち中道寄りへと政策も心情もシフトしていくと僕は予想する。

日本は孤立した国だがひとりで生きているのではなく、近隣国があり世界世論の影響を大きく受けて存在している。それらに圧されて❛高市首相❜は必ず穏健路線に向かうだろう。

もしそうならなかった場合は、世界を席巻している右傾化の潮流は実は日本には届かず、天皇崇拝や靖国的神懸かりカルトが「日本右傾化」の本質ということが明らかになって、高市政権の危険度は一気に高まるだろう。



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イギリスの遅過ぎたパレスチナ国家承認

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9月22日、イギリスがパレスチナ国家を正式に承認した。

イギリスの前にはカナダとオーストラリア、またすぐ後にはポルトガルもパレスチナを国家承認した。

さらにフランスも一日遅れでそれらの国々に続いた。

イギリスは2000年以上続くユダヤ・パレスチナ問題を近代になって複雑化させた張本人だ。

同国は第一次大戦中にそれぞれが矛盾する3つの狡猾因業な秘密協定を結んだ。

そのうちの一つはアラブ人に独立国家を認め、もう一つの協定ではユダヤ人国家を認めるとした。後者はユダヤ人の金を横取りするのが主な目的だった。

第1次大戦が終わるとパレスチナはイギリスの委任統治領となった。するとユダヤ人との秘密協定に沿ってパレスチナにユダヤ人が移住し始めた。

当初ユダヤ人は先住のアラブ人と平和共存していた。だが入植者は増え、金にあかせて土地を買いまくってはアラブ人を圧迫排除する動きに出た。

ユダヤ人入植者は第2次大戦とホロコーストを経てさらに増え続け、対立はますます激しくなった。イギリスは大戦後の1948年、パレスチナの統治を諦めて国際連合に問題を丸投げした。

つまり世界中でしばしばやってきたように、散々甘い汁を吸った後、無責任に問題を放置してトンずらしたのだ。

それから77年後の先日、パレスチナ人を虫けら同然に見なすトランプ大統領を、チャールズ英国王はまるで聖人君子をもてなすようにもてなした。

相変わらずパレスチナ人民を貶めて平然としていると僕の目には映った。

英仏の2大国がアメリカの意向に逆らってパレスチナを国家承認したが、実のところそれは象徴的なアクションに過ぎず、ガザでの殺戮も終わらなければパレスチナ国家の独立も起こりえない。

アメリカがイスラエルを抑えてパレスチナの国家樹立を認めない限り、現状は決して変わることはないのだ。

ましてや飽くまでもイスラエルの蛮行を支持し、パレスチナ人を殲滅して彼らの土地をリゾートに造り変える、と本気で考えているトランプ大統領という人非人の心を持つ男が、アメリカを「独裁統治」している限り哀れなパレスチナには明日はない。

そうではあるが、しかし、イギリスが今この時トランプ大統領の顔を潰してまでパレスチナを承認したことは、「欧州の良心」の発露のひとつで道徳的に大きな意義がある。

トランプ大統領の顔色を窺い忖度に終始し、「現時点での承認は停戦や中東和平の実現には繋がらない」 と岩屋外務大臣の声を使って痴ほうじみた声明を出した日本政府の姿勢は無残だ。

国家承認はパレスチナ情勢の進展には資さない、という日本政府得意の姑息な建前レトリックが、トランプ大統領を怖れる卑怯者の本音隠匿術であることを世界は知らないとでも思っているのだろうか。



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日本の解放記念日まで


日本ゲシュタポ憲兵隊650

今日9月2日は、世界の大半(特にアメリカ)が規定する第2次世界大戦の終結日である。つまり日本の敗戦記念日だ。

天皇を中心に物事を考え引きずり回すことが得意な旧弊族が、未だに社会を支配しがちな日本では、昭和天皇がラジオで国民に終戦を伝えた日、すなわち8月15日にこだわる。

あまつさえ彼の声を玉音と呼んでひれ伏したりもする。だが、善悪混交する戦中と戦後の彼の評判はさておき、昭和天皇はまぎれもなく先の大戦の最大の戦犯であることは疑いようがない。

僕は日本の敗戦日をここイタリアに倣って「解放記念日」と呼んでみたい。イタリアでは民衆がムッソリーニを処刑しファシズムを撃破したので、終戦の日を「解放記念日」と呼ぶのである。

しかし日本の場合は、戦争が終わっても戦犯の昭和天皇&軍部が徹底処罰されなかった無念の歴史があるため、とても「解放記念日」とは規定できない

日本は他者、つまりかつては占領軍による断罪、今日なら例えば世界世論などの“外圧”による指弾ではなく、日本国民自身が自主的に戦争を徹底総括する過程を経なければ決して生まれ変わることはできない。

それをしない限り、日本は将来必ずまた戦争を始めるだろう。

戦前を懐古するのみならず、日本社会を再び天皇中心の狂った仕組み、あるいは全体主義に作り変えようとするカルト的勢力が、急激に台頭しているのがそのだ。

戦犯の昭和天皇はもはや存在しない。だからといって彼の極大の罪がなくなるわけではない。

それでも彼の罪は、明仁上皇つまり平成の天皇の人徳と行動とによって、ある程度は軽減されたと考えることができるかもしれない。

平成の天皇は、 戦前、戦中における日本の過ちを直視し、自らの良心と倫理観に従って事あるごとに謝罪と反省の心を示し続けた。

さらに彼は、被害国と戦場を訪問してはひたすら頭を垂れて贖罪し、平和への歩みをたゆみなく続けた。その事実によって少なくとも「天皇家の罪」は浄化されたと個人的には考えたい

それはひとえに明仁上皇の、軍国主義日本による被害国への謝罪行脚と、誠実な人柄を尊崇しての思いである。

当代の徳仁天皇は、罪人の昭和天皇といわば聖人の明仁上皇の、それぞれの「負の遺産」と「業績」を継承したが、彼は断じて彼が天皇、つまり“何者であるか”によって評価されるべきではない。

そうではなく、彼は“何を成すか”によって評価されるべき存在だ。言葉を換えれば彼は、天皇としてではなく、人としてどう動くか、によって歴史の審判を受けるのである。

僕は徳仁天皇の同時代人として、彼が先の大戦の徹底総括に向けて「何かを成すこと」を期待する。

だが、言うまでもなくそれは、天皇よりもまずわれわれ国民が先鞭をつけるべき事案であり義務である。





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日本人の被害者意識が自らの加害の歴史を透明化する

富士と宮島鳥居650

原爆投下から敗戦に至る歴史を思うとき、ことしは特に感慨深い。参政党という日本の戦前戦中また戦後の暗黒部分を全身に纏ったような異様な政党がふいに世の中を席巻したからだ

1945年8月6日から8月15日までの日々を、日本人が被害者意識丸出しで語り始めたのはいったいいつ頃からだろうか。その時を境に日本人は自らの巨大な加害の歴史を忘れ始めた。

広島、長崎を含む日本国民は、アジアの国々を蹂躙した加害者の昭和天皇と軍部また彼らを支えた全ての国家機関の被害者であると同時に、戦争犯罪者らに盲目に従ったという意味で、全員が加害者でもある。

原爆に象徴される圧倒的な被害を受けた日本国民の苦悩は記憶され続けなければならない。のみならず日本国民は将来、戦争の完全総括が行われることによって必ず救済されるべきだ。だが日本人はまた、加害者としての歴史も決して忘れてはならない。

原爆は何の脈略もなくある日ふいに空から落下してきたのではない。

イスラエルの横暴がなければハマスは生まれず、従って10月7日攻撃もなかった。またアメリカがイスラエルを支援すると同時にアラブ諸国への敵対施策に固執しなければ、ビンラディンによる同時多発テロも起きることはなかった。

同様に、日本が無謀な戦争を起こし非情な攻撃に狂奔していなければ、原爆投下もなかった。

日本は欧米を猿真似て近隣諸国を侵略し暴虐を重ね殺戮を続けた。結果、世界の憎しみを買った。アメリカは真珠湾奇襲以降ふくらみ続けていた自国民の日本への怨みもそこに重ねて正当化し、深重な決断をした。それが原爆投下だ。

原爆攻撃は言うまでもなく無差別殺戮であり戦争犯罪である。

だがその前には既に、日本軍による残虐な無差別攻撃があり戦争犯罪があったことを忘れてはならない。例えば日本軍の錦州空襲は人類史上初の、また重慶空爆はそれに続くさらに大規模な無差別攻撃だった。

日本軍によるアジアでの無差別殺戮と真珠湾攻撃、さらにそれに続く日米間の殺し合いを通して、日本兵の狂暴残忍な正体を十全に見てきたアメリカは、広島と長崎に非人間的な原爆を投下するのを躊躇しなかった。

戦時の日本人の凶暴性は今に生きている。

うむを言わさずに外国人排斥を叫ぶ参政党や保守党、また自民党の最右翼の安倍派、はたまた同党の西田昌司“蛇の道は蛇”一派などに受け継がれていると考えられるのだ。

特に参政党は戦前の政治かと見紛うような「天皇を軸に一つにまとまる日本」を標榜する一方で、ナショナリズムや反グローバリズムなどにも乗っかる。GHQを巡る怪情報を語りつつ日本が『あの勢力』に支配されているとする陰謀論にものめり込んでいる。

同時に有機食品愛好者を誘い反ワクチンまた反マスク派の人々にも彼らの運動への参入を声高に呼びかける。極右という当たり前の呼称はもはや間に合わず陰謀論党やオーガニック右翼などと規定するほうがしっくりくる奇怪な集団である。

た参政党は、太平洋戦争を「大東亜戦争」と呼び、且つそれは「侵略戦争ではなかった」とも主張する。大戦は「アジア諸国を欧米の支配から開放する」戦いだった、と極右お決まりの詭弁も弄する。

それは欧米に追随してアジア諸国を植民地化し凌辱した日本の愚劣な過去から目をそむける、彼ら十八番の魂鎮めの祭りであり、でっち上げだ

さらに日本本土防衛の為の捨て石とされた沖縄戦についても、日本軍は「沖縄を守るために戦った」と虚言をわめき散らす。

彼らは従軍慰安婦や南京大虐殺も否定する。また戦後の日本人の歴史観はGHQ占領軍に押しつけられた「自虐史観」とも決めつける。要するに歴史修正主義が彼らの金科玉条なのである。

参政党は「極右」というくくりで一見してみると、ここイタリアの政権与党「イタリアの同胞」と「同盟」、またドイツのAfd(ドイツのための選択肢)にも似た顔を持つ。

だが参政党は、欧州の右派政党とは似ても似つかない集団だ。参政党には既述のイタリアの「同盟」と「イタリアの同胞」、またAfdドイツの選択肢などが曲がりなりにも備えている知性と論理と展望がない。

ここイタリアとドイツの、ひいては欧州の右派政党が持つ知性と論理と展望とは、ヒトラーとムッソリーニを知るということである。つまり彼らの存在を明確に認識することだ。

認識しておいて彼らの悪魔性を否定すること。それでも政治極端派の主張をひるむことなく言い続けることである。

要するに欧州の極右には、悪魔的ながらもビジョンがあるのだ。参政党にはそれがない。彼らは政党と呼ぶには、余りにもナイーブ― 英語本来の意味での ―過ぎるのである。ビジョンもなく知性も知識もなく、行きあたりばったりで物事に対処する。

そのため言動が大ブレにブレて右顧左眄し、嘘に走り、ごまかしの上塗りにさらにごまかしを塗り続ける。いうまでもなく彼らには過去を直視することなどできない。できないから歴史修正主義という日本極右の得意中の得意の空疎な踊りを踊り続ける。

欧州の極右が持つ危険だが筋の通った核心、つまり歴史認識を踏まえた上でなお且つ世間が極右と呼ぶ強い右寄りのスタンスを論理と信念で支え続ける能力、要するに前述の少しの知性が欠けている。

彼らは日本極右の一大特徴である「歴史の事実認識」不足という欠陥を共有しつつ、そのことを指摘されると「われわれが正しいから攻撃される」と無知を武器に変える屁理屈で逃げを打つ。

日本に於いて、事実をなかったことにしたり、事実を曲げて解釈したりする「歴史修正主義者」が雲霞のように湧き出て止まないのは、結局日本が日本人の手で戦争を徹底総括しなかったからだ。

日本は連合国側が開いた東京裁判だけで総括を終わらせた。軍事政権も昭和天皇も裁かれなかった。いや、国民自身が裁こうとしなかった。片やドイツは連合国主宰のニュールンベルグ裁判に続いて、ドイツ国民自身が彼らの軍事政権を裁き戦犯を徹底追及した。

その国で生まれたAfdは極めて危険だが、彼らの歴史認識は確かだ。その上で極右思想を振りかざすところがさらに不気味、という見方もできる。だが、ドイツを中心にする「欧州の良心」が必ず彼らの暴走を制御するだろう。

一方、戦争の徹底総括どころか自らの加害の歴史さえ見失いがちな日本で湧き出た、精神が幼い参政党とそれに類する政治勢力は、精神が幼い分勢力が拡大すればするほど興奮し、騒ぎ、調子に乗って抑制が効かなくなる。

そして戦争の包括的な反省さえできなかった国民には、「欧州の良心」に相当する信実も民主主義を死守する決意も望めそうになく、従って参政党の勝手次第がまかり通る事態がやって来かねない。

そうなれば歴史は繰りかえす。日本は再び破滅へ向かってまっしぐらに突き進まないとも限らないのである。



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参政党はナチスではないがナチスに通底する危険も秘めている

日の丸神谷演説650

参政党の躍進に少しおどろいた。支持が伸びるであろうことは、極右勢力が台頭し続けているここ欧州の状況や、トランプ主義が吹き荒れるアメリカのありさまに鑑みて予測できた。

だが彼らが14議席も獲得するとは正直思わなかったのである。

参政党のスローガンの「日本人ファースト」は、言うまでもなくアメリカの孤立主義を表す古い言葉「アメリカ・ファースト」に由来する。

第二次世界大戦中にはアメリカの参戦に反対する圧力団体「アメリカ第一主義委員会」が提唱し、2016年の大統領選挙でトランプ大統領がパクッて大成功を収めた。

それはさらにここイタリアの極右政権の「イタリア・ファースト」になり、他の国々の極右勢力も模倣して「それぞれの国ファースト」の大合唱になっている。

参政党は日本の多くの物事がそうであるように、欧米の後塵を有り難がって吸い込みながら、これを猿真似して「日本人ファースト」と叫んでいるのである。

その意味では可愛いものだ。パクリのパクリをさらにパクった彼らに、オリジナルの強い信念があるとも思えない。

参政党は将来、万万が一連立などで政権に近づくことがあっても、必ず湧き起こる欧米主導の世界世論に叩かれて、つまり外圧に負けて、彼らの差別主義的主張を引っ込めることになるだろう。

ヒトラーはヒトラーを知らなかったが、ドイツAfdを筆頭にする欧州の極右はヒトラーを知悉している。だから彼らはヒトラーにはならないし、なれない。

彼ら自身がヒトラーになることを躊躇するだけではなく、欧米が先導する世界世論が必ずこれを阻止する。ヒトラーとはそれほどに巨大な悪だ。

だかそうは言うものの、彼ら極右は飽くまでも極右であって、聖人君子や高潔の士の集まりではむろんない。

潜在的に極めて危険な政治勢力だ。従って早めにその芽を摘んだほうがいい。

だが、今この時はトランプ主義は大繁盛しAfdを筆頭にする欧州の極右も力をつけ続けている。先行きは分からない。

世界の趨勢によっては、欧米の二番煎じ勢力である参政党や保守党が、日本を席巻しないとは誰にも言えないのである。




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プーチンの信義違反


putinイラストと国旗650

先日の記事「≪人非人プーチンのブラックユーモア≫ 」を読んだプーチン支持者の方から「西側マスメディアに毒された見解」という、まるでご本人は東側住人でもあるかのようなコメントをいただいた。

僕の勉強不足を指摘したその方の勉強不足を嘆きつつ、前記事と重複する部分も敢えて削除せずに反論の意味も込めてこの記事を公表しておくことにした。

どんなに残忍な人間、例えば殺人犯にでも友人はいる。それがこの世のことわりだ。

ましてや一国の、それも大国の統率者であるプーチン大統領には、彼の権力の恩恵を受ける者以外にも多くの追従者がいるのが当たり前である。

しかし、だからといって、ウクライナに攻め込んだプーチン大統領の不正行為を「彼にも一理がある」という言い方で庇うのは無責任だ。

現代では主権国家を力でねじ伏せることは許されない。それは欧州が、アメリカが、日本が、アラブ諸国が、要するに世界中が過去に繰り返しやってきた蛮行である。

プーチン大統領は、2022年の欧州という開明が進んだ時間の流れの中で、ウクライナを侵略するという決定的な間違いを犯した。その間違いとは次のようなことだ。

欧州は紛争を軍事力で解決するのが当たり前の、野蛮で長い血みどろの歴史を持っている。そして血で血を洗う凄惨な時間の終わりに起きた、第1次、第2次大戦という巨大な殺戮合戦を経て、ようやく「対話&外交」重視の政治体制を確立した。

それは欧州が真に民主主義と自由主義を獲得し、「欧州の良心」に目覚める過程でもあった。

僕が規定する「欧州の良心」とは、欧州の過去の傲慢や偽善や悪行を認め、凝視し、反省してより良き道へ進もうとする“まともな”人々の心のことだ。

その心は言論の自由に始まるあらゆる自由と民主主義を標榜し、人権を守り、法の下の平等を追求し、多様性や博愛を尊重する制度を生んだ。

良心に目覚めた欧州は、武器は捨てないものの“政治的妥協主義”の真髄に近づいて、武器を抑止力として利用することができるようになった。できるようになったと信じた。

「欧州の良心」に基づいて政治・社会・経済制度の改革を加速させる欧州は、ロシアも自らの一部と見なした。

例えば西側を主導するG7クラブは、ロシアと協調する作戦を取り、同国をG7の枠組みに招待してG8クラブに作り変えたりしたほどだ。

言うまでもなくそこには、ロシアを懐柔しようとする西側の打算と術数が秘匿されていた。

同時にロシアは、西側とうまく付き合うことで得られる巨大な経済的利益と、政治的なそれを常に計算し巧みに利用してきた。

西側とロシアのいわば“化かし合いの蜜月”は、おおざっぱに言えば90年代の終わりに鮮明になり、プーチン大統領の登場によってさらに深化し定着した。

なぜか。

西側がプーチン大統領の狡猾と攻撃性を警戒しながらも、彼の開明と知略を認め、あまつさえ信用さえしたからである。

言葉を替えれば西側世界は、性善説に基づいてプーチン大統領を判断し規定し続けた。

彼は西側の自由主義とは相容れない独裁者だが、西側の民主主義を理解し尊重する男だ、とも見なされた。

しかし、西側のいわば希望的観測に基づくプーチン像はしばしば裏切られた。

その大きなものの一つが、2014年のロシアによるクリミア併合である。それを機会にG8はロシアを排除して、元のG7に戻った。

それでもG7が主導する自由主義世界は、プーチン大統領への「好意的な見方」を完全には捨て切れなかった。

彼の行為を非難しながらも強い制裁や断絶を控えて、結局クリミア併合を「黙認」した。そうやって西側世界はプーチン大統領に蜜の味を味わわせてしまった。

彼がウクライナに攻め込んだ遠因の一つには、クリミアでの成功体験のこころ覚えもあったに違いないのである。

西側はクリミア以後も、プーチン大統領への強い不信感は抱いたまま、性懲りもなく彼の知性や寛容を期待し続け、何よりも彼の「常識」を信じて疑わなかった。

「常識」の最たるものは、「欧州に於いては最早ある一国が他の主権国家を侵略するような未開性はあり得ない」ということだった。

ロシアも欧州の一部であるから血で血を洗う過去の悲惨な覇権主義とは決別していて、専制主義国家ながら自由と民主主義を旗印にする欧州の基本原則を理解し、たとえ脅しや嘘や化かしは用いても、“殺し合い”は避けるはずだ、と西側は信じた。

ところがどっこい、ロシアは2022年2月24日、主権国家のウクライナへの侵略を開始した。

欧州の一部であるはずのロシアはそこに至って、プーチン大統領という民主主義の精神とはかけ離れた、独善と悪意と暴力志向が強いだけの異様な指導者に完全支配された未開国であることが明らかになった。

プーチン・ロシアは欧州などでは無く、むしろアジア的な世界観に支配された国だと僕は考える。ここでいうアジアとは、民主主義を理解しない中国、アラブ、日本右翼的な、世界の全ての政治勢力のことだ。

ところが3年前、ロシアがウクライナ侵攻に踏み切ったことを受けて日本では、ロシアにも一理がある、NATOの脅威がプーチンをウクライナ侵攻に駆り立てた、ウクライナは元々ロシアだった等々、こじつけや誤解や曲解また欺瞞に満ちた風説がまかり通った。

東大の入学式では、名のあるドキュメンタリー制作者がロシアの肩を持つ演説をしたり、ロシアを悪魔視する風潮に疑問を呈する、という論考が新聞に堂々と掲載されたりした。それらは日本の恥辱と呼んでもいいほどの低劣な、信じがたい言説だ。

そうしたトンデモ意見は、愚蒙な論者が偽善と欺瞞がてんこ盛りになった自らの考えを、“客観的”な立ち位置からの見方だと独りよがりに思い込み規定して、懸命に吠え立てただけのつまらない代物だ。

彼らはプーチン政権が主張した「ウクライナとNATOひいては西側全体がロシアの安全保障に脅威を与えたのが戦争の原因」という虚偽に踊らされて自説を展開したに過ぎない。

決して間違ってはならない。ウクライナもNATOも西側諸国の誰もロシアに侵攻などしていない。2022年にウクライナに攻め込み蹂躙し今この時も殺戮行為を続けているのは、ほかならぬプーチン・ロシアなのである。

ウクライナを侵略しているプーチン大統領のその行為は、言い訳など無用の悪だ。

彼はウクライナとNATOひいては西側の全体を脅威と見做し、警戒し、敵対している間は一理も二理も、三理さえもある男と言うことができた。

なぜならウクライナとNATOと西側の全体は、ロシアを侵略する意図はないものの、軍事的圧力を備えた大きな連合体としてウクライナの隣にどんと居すわっている。

その集団はロシアを信用していない。

ソビエトからロシア連邦へと形は変えたものの、ロシアは民主主義自由世界を敵視する潜在的に危険な存在、と見做してこれを強く警戒し監視を続けいる。

ロシアがその巨大な連合集団を脅威と感じ敵愾心を燃やすのは、プーチン大統領自身が西側の意図を誤解また恣意的に曲解している場合がほとんどとはいえ、理解できないこともない。

悪意を胸に秘めた者は、相手も自分と同じ悪意に凝り固まった存在だと思い込むのが普通だ。その悪心は自らの写し絵に過ぎないのだが、自分以外には信じる者とてない猜疑心の塊の独裁者は、中々それに気づけない。

プーチン大統領は、彼の得意な脅しや、騙しや、嘘や、情報操作など、彼が過去にも現在も実行しまくり、将来も実践し続けるであろう蛮行の限りを尽くしても、決して主権国家を侵略するべきではなかった。

プーチン大統領がウクライナ侵略を正当化しようとして何かを言い、弁解し、免罪符を求めても、もはや一切無意味になった。それらは全て枝葉末節であり言い逃れであり虚偽になったのある。

事態の核心は、彼が歴史を逆回転させて大義の全くない侵略戦争を始め、ウクライナ国民を惨殺していることに尽きる。

何があっても絶対に主権国家を侵略しない、という決意を含む「欧州の良心」を具体化しようとする欧州自身の努力の結果は、民主主義政治体制と同様にむろん未だ完璧ではない。むしろ欠点だらけだ。

だがそれは、ロシアや中国や北朝鮮やトランプ主義者、さらに日本右翼団体ほかの強権、全体主義勢力に比べた場合は、完璧以上の優れた体制だ。

ロシアの蛮行を放置し、プーチン大統領の悪意を徹底して挫(くじ)かなければ、それらの負の政治勢力が勢いを増して、世界中にいくつものウクライナが生まれないとも限らない。

ちなみに

僕は2022年前後、「欧州の良心」に基づく政治勢力は欧州全体では過半数、世界では半分をほんの少し上回る程度に存在する、と考えていた。

しかし米トランプ大統領が再登場した今はそれさえ怪しくなって、権威主義的政体を信奉する先祖返り勢力が世界の過半数を超えるまでになったと感じる。

かつて、つまりトランプ大統領が登場するはるか以前の僕は、「欧州の良心」に基づくリベラルな政治勢力が世界の圧倒的多数だと幼稚に且つユートピア的に考えていた。

だが、トランプ主義の台頭、Brexit の実現、イタリアのポピュリスト政権の登場などを見て、それは過半数をかろうじて上回る程度の弱々しい多数に過ぎない、と思い知るようになった。

それらの動きに中露北朝鮮が率いる世界の専制国家群を加えると、対抗する「欧州の良心」はますます頼りない存在になってしまう。

「欧州の良心」に賛同する者(僕もその一人だ)は、強い意志でそれを死守するべく闘わなくてはならない。

欧州の良心も、民主主義も、言論の自由も、その他あらゆる自由主義社会の良さは全て、闘って勝ち取るものだ。

それは黙っていると、すぐに専制主義とそれを支持する勢力に凌駕されてしまう儚いコンセプトであり、政治文化社会風土なのである。



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新教皇レオ14世は彼が何者かではなく「何を為すか」で歴史の審判を受ける

新教皇システィーナ礼拝堂凱旋(天井画全込み)650

アメリカ出身のローマ教皇が誕生した。

5月8日、予想よりも短い時間で教皇選出の秘密選挙・コンクラーベが終わって、予想外の男が世界14億の信徒を導く最高位司教の座に就いた。

予想外の男という印象を与えるのは、心魂を司るのが王道の宗教組織のトップが、金と欲と争いにまみれた俗世の物質文明に君臨するアメリカ出自の者であってはならない、という考えがバチカンの底流にあったからである。

アメリカ出自の教皇を阻止するいわばファイアーウォールが、ローマ教会に存在するのは公然の秘密だった。

それは、自国中心主義を掲げて世界を絶望の淵に落としている、ファシスト気質のトランプ政権が居すわる昨今は、特に重要だと見られていた。

ところがこともあろうに今この瞬間に、出自故にトランプ政権に親和的であっても不思議ではないはずの教皇が出現したのである。

それは不吉な出来事にも見える。余りにも出来過ぎた符号は、あるいはトランプ大統領がコンクラーベに裏から手を回して操作したのではないか、という荒唐無稽な憶測さえ呼んだ。

なにしろトランプ大統領はコンクラーベに際して、次期教皇に相応しい枢機卿がニューヨークにいる、などとうそぶいていた事実もあるのだ。

一方で新教皇レオ14世は、トランプ政権に対しては批判的であったことが知られている。特に政権の移民排除策に関しては、「壁ではなく橋を作れ」と異見したフランシスコ教皇に倣う立場だと見られている。

アメリカ出身のレオ14世が、自国の強権力者のトランプ大統領に歯向かうのか擦り寄るのか。それはレオ14世の正体が見える試金石になるだろう。

レオ14世とバチカン司教団は、「われわれはトランプ大統領の対抗勢力ではない」という趣旨の声明を出している。それが真実であるか外交辞令であるかは、遠くない将来に明らかになるはずだ。

言葉を替えればレオ14世は、今この時の世界不安の元凶であるトランプ大統領に、前教皇フランシスコが示したような、穏やかだが断固とした態度で立ち向かえるのかどうかを試されることになる。

個人的には僕は、レオ14世はトランプ主義に異を唱えるバチカンの良心になる、と少しのポジショントークをまじえながら考えている。

その理由は彼がコンクラーベにおいて、「予想外」の速いスピードで教皇に選出された事実である。

120~135人ほどの枢機卿が互選で教皇を選出するコンクラーベは紛糾することが多い。そこには様々な政治的駆け引きが展開される。いつのコンクラーベでも改革派と守旧派が勢力を競い合う。

そしてバチカンは、多くの宗教組織がそうであるように、守旧派が強い力を持つ。そこにはクーリアと呼ばれる官僚組織があり、彼らがコンクラーベにも隠然たる影響を及ぼす。対立は分断を呼んで選挙が複雑になり長引く傾向がある。

今回のコンクラーベは特にその傾向が強くなると考えられた。理由は次の如くだ。

フランシスコ教皇は、信者の多いアジア、アフリカを始めとする地域に多くの枢機卿を任命して、欧州偏重から多様性へとシフトする政策を続けた。

それを受けて、世界71国から投票資格を持つ枢機卿が集まったため、意見が錯綜して余計に選挙が長引くと見られていた。

レオ14世は枢機卿時代、フランシスコ教皇の改革運動を支持する進歩派の内のやや中道寄り、というスタンス見られていた。やや中道寄りと言うのは、例えば彼は同性愛者などに対して、フランシスコ教皇ほど好意的ではなかったからだ。

だが彼の保守性は、フランシスコ教皇が率いる改革派に属しながら、守旧派の賛同も得やすいという効用ももたらした。

そうした状況が、出自が多彩な、従って意見の相違も大きいフランシスコ教皇派の枢機卿団と、保守派の意見の一致を速やかに演出して、結果素早い教皇選出になった。

彼は改革派と保守派また世界の分断にも橋を架ける能力のある人物、と選挙人である双方の枢機卿団が判断し、レオ14世に票が集まった、という理屈である。

ではなぜそうなったかと考えるとき、そこには故フランシスコ教皇の強い遺志が影響してしたのではないか、と僕は考えている。

清貧と弱者への奉仕を最大の義務と定めて、信徒の熱い信望を一身に集めたフランシスコ教皇は晩年、病と闘う日々の中で自らの葬儀を簡略にするためあらゆる改革を実行した。のみならず遺言にも残した。

死して後も、信者と共に謙虚と誠心の中に生きようとした教皇は― 先に触れたように― 在任中にアジア、アフリカまた中南米など、欧州を凌駕して信者が増え続ける地域で、教皇選出権を持つ枢機卿を多く任命した。

フランシスコ教皇は、死期が近づき病と闘う時間が重なった頃、自らが見出してその思想信念を教え諭した枢機卿らに、彼の死後のコンクラーベでは誰に投票するべきか、あるいは誰に投票して欲しいかを言い残していた可能性がある。

言葉を替えれば、教会の分断を解消し対立に橋を渡して信徒を救い、同時に世界にも貢献できるローマ教会の指導者は誰であるべきかを、「示唆」し続けた可能性が高い。

それゆえにコンクラーベでは、自分を含む大方の予想を裏切って迅速な結果が出たのではないか、と僕は推察するのである。

何はともあれ新教皇レオ14世は、世界14億のカトリック教徒とその共鳴者や友人、またその逆の人々までもが注視する唯一至高の聖職首座に就いた。

彼は「何者か」になったのである。

選ばれた「何者か」は、彼が誰であるのかではなく、「彼が何を為すのか」によって歴史の審判を受ける。

彼の前任である偉大な教皇フランシスコ、またその2代前のヨハネパウロ2世を含む、過去266人の全てのローマ教皇がそうであったように。

あるいは平成の天皇である明仁上皇が、 戦前、戦中における日本の過ちを直視し、自らの良心と倫理観に従って事あるごとに謝罪と反省の心を示し、戦場を訪問してはひたすら頭を垂れ続けて世界を感服させたように。





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トランプ主義はドイツを、究極には日本をも、核武装へと追い込むかもしれない

インタビューされるメルツ650

欧州は安全保障を巡って風雲急を告げる状況になっている。

トランプ大統領が、軍事同盟であるNATOへの貢献責務を放棄する可能性をほのめかしているからだ。

特に核を持たない国々は、ロシアを見据えて不安のどん底にある。

トランプ大統領は、ウクライナのゼレンスキー大統領とテレビカメラの前で前代未聞の口論を展開するなど、相も変らぬ恫喝外交を続けている。

その一方では貿易相手国に関税をかけまくると叫び、欧州から、厳密に言えばドイツから米軍を引き上げる、NATO内での核シェアリングをやめる、などとも示唆している。

その中でも、特に核シェアリング否定発言に関して敏感に反応したのが、ドイツの次期首相と目されるフリードリヒ・メルツ氏だ。

彼はドイツと欧州が、アメリカから独立した安全保障体制を構築すると同時に、NATO内の核大国である英国またフランスと核シェアリングをするべき、という旨の発言をした。

だがその本音は、ドイツ独自の核開発であり核兵器保有だろうと思う。

ドイツでは核兵器の開発保有は、それを話題にすることさえタブーであり続けてきた。日本とよく似た状況だったのだ。

だがトランプ独断専行大統領の脅しに驚愕したメルツ氏は、やすやすとそのタブーを破った。

アメリカ第一主義をかざして、欧州との長い友好関係さえ無視するトランプ大統領に、オーマイゴッド・いざ鎌倉よと慌てた欧州首脳は、メルツ氏に限らず誰もが怒りと不安を募らせている。

彼らはトランプ&ゼンレンスキー両大統領が口論した直後、ロンドンに集まって緊急会合を開き、前者が切り捨てようと目論む後者をさらに強く抱擁、ウクライナへの支持を改めて確認し合った。

友好関係を金儲け論のみで捉えるトランプ主義は、権威主義者のロシア・プーチン大統領を賛美するばかりではなく、欧米ほかの民主主義友好国を大きく貶めている。

日本も見下される国の一つだ。

今のところは欧州やカナダまたメキシコなどの国々ほどなめられてはいないが「アメリカの同盟国」である日本を見るトランプ大統領の心情は容易に推察できる。

日本は欧州と同じく安全保障をアメリカに頼り過ぎて来た。いま日本が置かれている状況は、それぞれに「友人国同士が多い欧州内の国々」とは違う。

日本は孤立している。その意味ではむしろウクライナに近い。ウクライナにおけるロシアの代わりに、例えば中国が日本に侵攻しないとは誰にも断言できない。

日本は中国ともまたロシアとも友好的な関係を保ちつつ、アメリカに頼らない独自の安全保障も模索するべきだ。そこには核戦略が含まれても驚くべきではない。

人類の理想は核の無い世界であり戦争ゼロの世の中である。先の大戦で地獄を見ると同時に唯一の被爆国ともなった日本は、飽くまでも理想を目指すべきだ。

だが同時に国際政治にも目を配らなければならない。政治とは現実である。そこには軍備は言うまでもなく核戦略まで含まれる。

それらをタブー視しているばかりでは物事は解決しない。その善悪と、是非と、実現可能性の有無、またそれへの全面否定も含めて、日本は国民的議論を開始するべきだ。

メルツ・ドイツ次期首相の英仏との核シェアリング、ひいてはドイツ独自の核保有まで暗示した発言は、不本意ながら日本にも当て嵌まる、と見るのがつまり政治の厳しさである。




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あるいはトランプとAfDの真実

女性trump-hitler写真を掲げる

ヒトラーはヒトラーを知らなかったが、ドイツのAfDはヒトラーをよく知っている。

だから彼らは野党でいる限りは、けたたましくも醜怪なだけの集団に留まるだろう。

しかし彼らが単独で政権を握るような事態になれば、トランプ“笑えないお笑い”大統領が、「独裁者はプーチンではなくゼレンスキーだ!」とコペルニクス的大発明をわしづかみにして、世界に投げつけたような事件が起きないとも限らない。

それは例えば、彼らが「ヒトラーは独裁者でも悪魔でもない。独裁者の悪魔はユダヤ人だったイエス・キリストだ!」と神がかり的な発見をして興奮し、全ての教会とユダヤ人を殲滅しようと企てるような顛末である。

トランプ大統領の言動の多くとAfDの躍進にはそれくらいの潜在的な危険がある。

僕はドイツ国民とアメリカの半数の国民の正気を信じる。

だが、ドイツには前科があり、アメリカの半数は-徐々に明らかになったように-陰謀論やデマ踊らされやすい愚民である事実が、多少気がかりでないこともない。


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AfDの恐怖はありきたりになって、故にさらに危険が増した

Weidel大&Merz650

ドイツ総選挙の結果は驚きのないものだった。極右のAfDが躍進して、第1党の「キリスト教民主・社会同盟(CDUCSU)」に次ぐ2位につけた

だがそれは早くから予想されていた展開で、目新いものではなかった。

ならばAfDの危険はなくなったかと言えば、もとより全く逆で、2021年の前回選挙に比べて支持を倍増させた極右党の勢力が今後も続伸すれば、やがて世界をも激変させかねない事態だ。

だが第1党になったキリスト教民主・社会同盟は、「ファイアウォール(防火壁)」を盾にAfDとの連携を拒否している。従ってAfDが近い将来に政権入りする可能性は低い

ドイツの「ファイアウォール(防火壁)」はナチスへの嫌悪と反省から生まれた。極右政治がタブー視され、政党間でAfDを政権から排除する合意が形成されたものである。

だが仮にAfDが政権の一角を担うことになっても、彼らは生の主張をそのまま前面に押し出すことはないと僕は考えている。

それはここイタリアの極右「イタリアの同胞」とそれを率いるメローニ首相が、極右からより穏健な急進的右派へと舵を切って進んだ例を見れば分かる。

ここイタリアでは政治土壌の要因子である多様性がそれを成し遂げるが、ドイツにおいては国内のリベラル勢力とEUの中心勢力が、極右モメンタムを厳しく抑制すると思う

また客観的に見て、AfD自体も過去のナチ党 (国民社会主義ドイツ労働者党)とヒトラーの轍を踏むとは考えにくい。

ヒトラーはヒトラーを知らなかったが、AfDとその支持者たちは巨大な負の遺産であるヒトラーを知悉している。その現実が彼らのナチス化を厳しく制すると思うのである。

そうではあるが、しかし、トランプ主義がトランプ氏以後、ヴァンス副大統領を始めとする“トランプの金魚の糞”勢力によって席巻され続ける場合は、状況が全く違うことになるだろう。

欧州ではAfDとそれに付き従うと見られる極右政党がさらに力を付けて、社会情勢がかつての日独伊三国同盟時代のような暗黒に向かいかねない。

人々の怒りをあおり、憎しみの火に油を注ぎ、不寛容の熾き火を焚きつけるのが得意な彼ら極右過激派の悪意は、易々と世の中を席巻する。歴史がそれを証明している。

従って彼らは拡大する前に抑え込まれたほうがいい。放っておくとかつてのナチスのごとく一気に肥大して、制御不能な暴力に発展しかねない。

とはいうものの、繰り返し強調しておきたい。欧州の今この時の極右勢力はヒトラーのナチズムやムッソリーニのファシズムと同じではない。

悪魔の危険を知り、悪魔ではないように慎重に行動しようとする悪魔が、現今の欧州の極右なのである。

しかしそれでも、いやそうだからこそ、極右モメンタムは抑さえ込まれたほうがいい。激流となって制御不能になる前に、その芽が摘み取られるべきだ。

なぜなら正義を振りかざし天使を装う狡猾な悪魔も、悪魔には違いないからである。





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見えてきたトランプの野望らしきもの

憎しみの塊トランプ800

関税に固執するトランプ大統領の頭の中にあるのは経済のことであり、経済を強くすることで彼の支持者を満足させ、アメリカを偉大に、つまりMAGAを達成することである。

それがトランプ政権の使命であり彼の支持者が熱望することだ、というのは一面の真実に過ぎない。

経済力が強くなるとは、要するに軍事力が拡大することでもある。トランプ大統領のひそかな野望は、経済を強くし軍事力を高めて世界を支配することかもしれない。

それというのも彼は、政権発足と同時にかねてからの主張だったグリーンランドを占領し、パナマ運河を収奪し、カナダをアメリカに併合すると公言し、そこに向けて動いている。

そればかりではない。アメリカファースト、つまりアメリカの孤立主義を捨ててガザを軍事支配し、住民を排除してリゾート地に作り変えるとまでうそぶいている。

それらの主張は帝国主義への先祖がえり以外の何ものでもない。どうやら彼は専制政治を導入して世界を支配したいようだ。

もしそうならば、一党支配の元で覇権主義に走っている中国の習近平主席や、ソビエト再興の野望を抱いてウクライナを席巻し、さらに支配域を広げることを夢見るロシアのプーチン大統領と何も変わらない。

それどころかトランプ主義の専横は、民主主義を騙たる分だけ質ちが悪いとさえ言える。

トランプ主義の岩盤支持者らは、トランプ氏が選挙キャンペーン中に強調した「戦争をしない」、「ウクライナとガザの戦争を止める」、「誰も死なせない」などのキャンペーンにも熱狂した。

アメリカはかつて世界の警察と呼ばれ、民主主義を守るという大義名分を掲げて多くの国に介入し戦争を仕掛けてきた。

トランプ支持者の国民はそのことにウンザリしている。だから彼らは戦争をしないと明言したトランプ氏を支持した。彼らはトランプ氏が平和主義者とさえ信じた。

だが果たしてそうだろうか?トランプ大統領は、先に触れたように、グリーンランド獲得とパナマ運河収奪に軍事力を使うことも辞さないとほのめかしている。

ガザの場合には米軍を投入しそこを占領して、瓦礫を片付けリゾート地を造るとさえ明確に述べた。それらは容易に戦争を呼び込む施策だ。

トランプ大統領は民主主義を守る戦争はしないが、侵略し、収奪し、支配する戦争は辞さない、と主張しているようなものだ。

仕上げには彼は、ロシアに蹂躙されるウクライナを「加害者」と断じた。向かうところ敵なしの狂気であり凶器である。

トランプ大統領の本性は僭王であり侵略者であり独裁者のようだ。危険極まりない。





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トランプ主義の怖さの真髄

トランプ瓦礫背景に

トランプ大統領は関税を武器にカナダとメキシコを平伏させ、 返す刀でガザの住民を追い出してリゾートに造り返る、というぶっ飛んだ案を発表した。

それはまさしくヒトデナシにしか思いつけないグロテスクな考えだ。なぜならそこには、イスラエルに痛めつけられた人々への憐憫の情がひとかけらもないからだ。

まさに金のためなら何でもする“不動産開発業者“の発想でしかない。アメリカ合衆国大統領の戦略的思考とはとても言えない。

人間を人間と見なせない者は人間ではない。

それがトランプ大統領の「ガザの住民を全て排除して“中東のリビエラ”にする」という発言を聞いたときの僕の率直な思いだった。

潰滅したガザを、故郷を、追い出されるパレスチナ人は、なんと哀れで何と屈辱にまみれた存在だろうか。

ところが行き場を失くしたパレスチナ人の中には、悲しいことにトランプ大統領の提案を受け入れる者も出るだろうと見られている。

ガザの疲弊はそれほどに深く徹底したもので、回復不能とさえ考えられているからだ。

ガザを壊滅させたのは、トランプ大統領の発言をニヤニヤ笑いながら隣で聞いていたネタニヤフ首相である。

彼はまるで米大統領の発言を引き出すために、ガザの破壊と殺戮を実行したようにさえ映った。

ネタニヤフ首相と、パレスチナの消滅を熱望するイスラエル内外のウルトラ極右シオニストらの罪は深い。

住民を追い出してガザをリゾート地に作り変えようという案は、政権内の高官らが集い意見を出し合ってじっくりと練ったものではなく、トランプ大統領独自のものらしい。

いかにも“不動産開発業者”トランプ氏が思いつきそうなアイデアだが、恐らくその前に、娘婿のジャレッド・クシュナー氏の入れ知恵があったのではないか、とも言われている。

ユダヤ人のクシュナー氏は、パレスチナを地上から消すと考える同胞と同じ立場で、ガザを開発して金を儲けると同時に、そこの住民をイスラエルのために排除したいと願っているらしい。

自らの家族と金儲けのためにはひとつの民族を浄化することさえ辞さない、という考えはすさまじい。トランプ一族の面目躍如というところだ。

皮肉なことにトランプ氏のアイデアは、その非人間的な側面を敢えて脇において観察すれば、ある意味天才的とも呼べるものだ。邪悪でユニークな思いつきなのだ。

徹底的に破壊されて瓦礫の山と化し、もはや人が住めない状況にまでなっているガザ地区を、米軍を中心とするアメリカの力で整理して立て直す。

それは他国の内政には首を突っ込まない、というトランプ大統領の「アメリカ第一主義」に反する動きになるだろう。

ガザ地区をアメリカが一旦支配して元通りに整備する、というのがガザ住民のためのアクションなら、人道的見地からもすばらしい案である。

しかし残念ながら、彼が考えているのは住民を完全無視した金儲け案だ。むごたらしいまでの我欲。

繰り返しになるが、とても人間とは思えない惑乱ぶりである

トランプ主義は、行き着けば自由主義社会全体の総スカンを食らう可能性がある。

そうなった場合、欧州とアラブ・アフリカ、またトランプ追従に見切りをつける見識があれば日本も、たとえば中国と手を組む可能性があり得る。

独裁国家、権威主義政権として欧米と日本ほかの民主主義世界に忌諱されている中国だが、トランプ主義の挙句の果ては、つまるところ中露北朝鮮にも似た恐怖政体だ。

ならば“トランプ小帝王“に苛められ脅迫され続けるよりも、中国のほうが御しやすい、と自由主義社会が判断することがないとは、誰にも言えないのである。




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2期目のトランプ政権の化けの皮 

トランプ、マスクほか2人BBC650

 間もなく就任に臨むトランプ次期大統領は、ウクライナ戦争を大統領就任前に終わらせる。それでなければ就任後24時間以内に終結させる。

またイスラエルとハマスの戦争も速やかに終結させる、などと豪語してきた。

だが彼にはそれらの言葉を担保する明確な戦略やアイデアは無かったことが明らかだ。口から出まかせのまさにポピュリストそのものの言動だった。

彼は就任式を待たずに、ウクライナ戦争解決には6か月はほしいと自らの嘘を早々と認め、中東危機に関しても、第1次政権時と同じ極端にイスラエル寄りの政策を採るだけだけと見られている。

トランプ氏の真実は、自身がイスラエル大使に指名したがちがちのキリスト教福音派、ハッカビー氏の言葉と同じ「パレスチナ人など存在しない」に尽きるだろう。

トランプ次期大統領がウクライナ戦争終結に自信を見せるのは、ロシアの侵略に墨付きを与える形でウクライナの領土を割譲するよう、ゼレンスキー大統領を脅す用意があるからだろう。

だが、ロシアを利する形での終戦なら誰にでも仲介が可能だ。

欧州とウクライナがロシアへの徹底抗戦を続けているのは、プーチン大統領に代表される世界中の権威主義的な指導者に、「武力行使は認められない」という強いシグナルを送るためだ。

バイデン大統領は欧州と足並みを揃えて、その方向でウクライナを徹底支援した。トランプ氏が安易にロシアに都合の良い形での終戦を模索すれば、将来に大きな禍根を残すことになるだろう。

中東危機も同じだ。ひたすらイスラエルを擁護するだけの態度は許されない。イスラエルによるパレスチナ人虐殺は、ハマスによるイスラエル奇襲攻撃の残虐性をすっかり見えにくくしてしまった。

トランプ氏は、イスラエルは神が与えたユダヤ人の土地、と信じるキリスト教福音派の奇天烈な主張に殉じて、イスラエルを擁護しつづけるべきではない。

もしそうすればアラブ諸国のみならず世界の大半の人々がイスラエルへの怒りをさらに募らせ、ひいてはユダヤ人全体への憎しみが増幅されていくだろう。

弱者のパレスチナ人の背後にはグローバル世論が寄り添っている。ガザの住民は今は無力でも、将来は国際世論に支えられて必ずユダヤ人への意趣返しを試みるだろう。

多くの欧州の国々も歴史の憂悶に惑わされてパレスチナを突き放し続けるべきではない。イスラエル擁護一辺倒の政策は見直されるべきだ。

パレスチナを賛助する姿勢は、イスラエルを見捨てるように見えるかもしれない。

だが実はそうした施策は、ユダヤ人が将来再び被る可能性が高まっているようにさえ見えてしまう、新たなホロコーストの類の惨劇を避ける意味でも極めて重要なアクションである。




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独裁者アサドに言い寄ったジョルジャ・メローニの拙い賭け  

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2022年10月に政権の座に就いたイタリアのジョルジャ・メローニ首相は、極右と規定され政敵からはネオファシストとさえ呼ばれたりする存在である。

彼女は政権奪取につながった2022年の総選挙の戦いでは、ファシスト党の流れを汲む極右の顔を隠さず反移民とEU懐疑思想を旗印に激しい選挙戦を繰り広げた。

ところが政権を握るとほぼ同時に彼女は、選挙戦中の極端な主張を引っ込めて、より「穏健な極右」あるいは「急進的な右派」政治家へと変貌した。

イタリアの政治土壌にある多様性が彼女を必然的にそう仕向けた。

反移民を声高に主張してきた彼女は、移民の受け入れを問答無用に否定しているのではないことも徐々に明らかになった。

メローニ首相はイタリアの人口が急速に減少を続け、2050年には人口の3分の1を超える国民が65歳以上の高齢者になることを誰よりもよく知っている。

観光から製造業や建設業、さらには農業に至るあらゆる産業が、若い労働力を痛切に必要としている。

メローニ首相は、EU各国の経済にとって合法的移民の割り当てが大きく寄与することを認め、そう発言しまたそのように動いている。

うむを言わさぬ移民排斥ではなく、必要な移民を合法的に受け入れるとする彼女の政策は、政権内の連立相手である同盟に弱腰と非難されたりもするほどだ。

その一方でメローニ首相はことし7月、G7構成国は言うまでもなく欧州の主要国としても初めて、13年間に渡って国民を弾圧し国際社会から孤立しているシリアのアサド大統領に接近した。

彼女が持ち掛けたのは、キリスト教徒の保護とシリア難民の帰還をアサド政権側が受け入れる代わりに、独裁政権との外交正常化を促進するというものだった。

ところが隠密裏に話し合いが進んできた12月8日、アサド政権は突然崩壊した。メローニ首相は独自路線を貫こうとした賭けに負けたのである。

アサド独裁政権にアプローチするとは、アメリカや欧州諸国と距離を取ることであり、アサド政権の後ろ盾であるロシアにも接近することを意味していた。

メローニ首相はウクライナ戦争に関しては明確に反ロシアの立場を貫いている。ところがシリアを通してまさにそのロシアとも近づきになろうと画策したようなのである。

したたかな外交戦略とも言えるが、同時にメローニ首相は、トランプ次期大統領やフランスのルペン氏などとも気脈を通じている。

イーロン・マスク氏に至っては恋愛関係があるのではないか、とさえ疑われたほどの親しい間柄だ。移民排斥の急先鋒でEUの問題児とも呼ばれるハンガリーのオルバン首相も彼女の友人である。

それらの事実は、彼女が懸命に秘匿しようとし、ある程度は成功してもいるネオファシストとも規定される極右の顔をいやでも思い起こさせる。

メローニ首相の脱悪魔化が本物かどうか僕はずっと気をつけて見てきた。

そしてためらいながらも ― 先に触れたように ― 彼女はより「穏健な極右」あるいは「急進的な右派」政治家へと変貌を遂げたと考えるようにさえなった。

だが、やはり、特にアサド独裁政権に歩み寄ろうとした失策を見ると、彼女に対しては厳重な監視が続けられるべき、というのが今この時の思いである。




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ついにシリアの独裁者アサドに鉄槌が下った


バシャー挟んでアスマ&女王握手650
 

毎年めぐってくる12月7日はミラノ・スカラ座の開演初日と決まっている。

スカラ座の開演の翌日、つまり今日8日はジョン・レノンの命日だ。偉大なアーチストは44年前の12月8日、ニューヨークで銃弾に斃れた。

そんな特別な日に、記憶に刻むべき新たな歴史が作られた。

2024年12月8日、シリアの独裁者バッシャール・アサド大統領がついに権力の座から引きずりおろされたのだ。

2011年にチュニジアで火が点いたアラブの春は、リビア、エジプトを巻き込みシリアにも飛び火した。

だがアラブの春を呼んだ業火はバッシャール・アサドを焼き殺さなかった。

国民を毒ガスで殺すことも辞さなかった彼は生き残った。例によってロシア、イラン、中国などの閉じたナショナリズムに毒された国々が独裁者を助けた。

2011年から2024年までのアサドの圧政下では、毒ガスによるものを含め 50人以上が殺害され、600万人が国外難民となった。

2024年現在、ロシアはウクライナ戦争で疲弊し、アサド政権を支えてきたイランの代替勢力ヒズボラは、イスラエルに激しく叩かれて弱体化した。中国はロシアやイランほどの目立つ動きには出ていない。

アサド独裁政権が孤立しているのを見たイスラム武装組織HTSが主導する反政府勢は、2024年11月27日、電光石火にシリア第2の都市アレッポを制圧。

すぐに南進してダマスカスに至る都市や地域をほぼ一週間で手中に収めた。そして12月7日~8日未明、ついに、ダマスカスを攻略した。

アサド大統領は逃亡してロシアに入ったとも、イランにかくまわれたとも言われている。逃走の途中で飛行機が墜落して死亡したという情報もある。

アサド政権の終焉は朗報だが、しかし、それをアラブの春の成就とはとても呼べない。

なぜなら彼を排除したイスラム武装組織HTSは、過激派と見なされている。アメリカと多くの西側諸国、国連、トルコなどは、彼らをテロ組織に指定しているほどだ

シリアの民主化は恐らく遠い先の話だろう。それどころか同国を含むアラブ世界が、真に民主主義を導入する日はあるいは永遠に来ないのかもしれない。

アラブの春が始まった2011年以降、僕はアサド独裁政権の崩壊を祈りつつ幾つもの記事を書いた。

独裁者のアサド大統領はいうまでもなく、彼に付き添って多くの話題を振りまいた妻のアスマ氏の動静にも注目した。

「砂漠の薔薇」とも「中東のダイアナ妃」とも称えられた彼女は、シリア危機が深まるに連れて化けの皮を剥がされ「ヒジャブを被らない蒙昧なアラブ女性」に過ぎないことが明らかになった。

僕はそうなる前から、彼女にまとわりついていた「悲哀感」が気になって仕方がなかった。




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ネタニヤフよ、もうこれ以上ユダヤの民を貶めるな 

青飛び顔650

サッカーのイスラエル人サポーターが、アムステルダムで襲われて2030人がケガをした。

事件は、例によって欧州各国政府の大げさとも取れるイスラエル擁護声明と、人々の強い反イスラエル感情を巻き込んでセンセーショナルに報道された。

僕はその様子をやや斜にかまえた天邪鬼な気分で監視してきた。

ガザではイスラエルの無差別攻撃で多くの子供と女性を含む45000人近くのパレスチナ人が虐殺され、約103000人が負傷し、1万人を超える人々が行方不明になっている。

それに比べれば、贔屓チームを応援するためにアムステルダムまで飛んだイスラエル人が、襲われてケガをしたことに何ほどの意味などあるものか、とさえ思ったことを告白しなければならない。

そして残念ながら、僕の周りのほとんどと世界中の多くの人が、僕と同じ感慨を持っている。それは全てのユダヤ人にとって極めて憂慮するべき兆候だ。

イスラエルチームのサポーター、換言すれはユダヤ人を襲ったのは、反ユダヤ主義に触発された若者らである可能性が高い。

従ってその者らの暴力を黙過するとは、ヒトラーが、つまり人類がしでかした巨大犯罪、ホロコーストを容認することにもつながりかねない危険な態度である。

ホロコーストは、日常のさりげないユダヤ人差別が積み重なって肥大し、ついには制御不能になって発生した。

そしてサポーターがユダヤ人であることを理由に、男らが彼らを襲った暴力行為は、日常よりもはるかに深刻な差別であり暴虐である。

僕はユダヤ人の最大の悲劇、ホロコーストをよく知っている。惨劇は2度と起きてはならない。

僕は反ユダヤ主義に強く反対する。

同時に僕は、イスラエルが続けているジェノサイドまがいのガザでの残忍な攻撃にも反対する。

それは、神掛けてホロコーストを忘れたことを意味しない。

また決して、2023107日のハマスの残虐行為を忘れるわけでもない。

身内に湧く、ガザで進行する悪逆非道への怒りを最早抑えきれなくなっただけだ。

イスラエルよ、すべてのユダヤ人よ、そして誰よりもネタニヤフよ、ホロコーストは断じてパレスチナの子供や女性たちを殺戮する免罪符にはならない。

だから即刻残虐行為をやめるべきだ。

それでなければ、オランダ・アムステルダムで起きたユダヤ人襲撃事件の底にある反ユダヤ主義感情が、世界中で拡大し肥大化して制御不能になる可能性が高まる。

Enough is enough = ガザへの無差別攻撃はもうたくさんだ、と世界中の心ある人々が叫んでいることを知れ。






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プラハの十字架

800右カラ時計塔含む広場全体人混み

プラハの旧市街広場を中心とする歴史的市街地域には生活のにおいがほとんどない。あたりには人があふれている。ふつうに歩くのが困難なほどの混雑だ。

だがその人の群れは、ほぼ100%が観光客なのである

それは数値にも表れている。プラハの人口は130万人余り。そのうち旧市街広場を中心とする歴史的市街地にはたった8000人の市民しか住んでいない。

それがいかに不思議な数値であるかは、たとえばイタリアのベニスを例にとってみても明白だ。

ベニスの人口は25万人である。そのうち歴史的市街地の住民は5万人。人口130万人のうち

の8000人だけが中心部に住むというプラハの状況は、極めて珍しいのである。

ヨーロッパの旧市街には、どこに行っても人が群れている。群れている人のほとんどは観光客だが、そこに住まう多くの地元民も観光客に混じって行き交っている。

なぜそれはが分かるかというと、地元民は普段着を身にまとって、買い物籠やレジ袋を抱えながら歩いていたり、日常の空気感にじませた表情でゆらりと歩いていたりする。

そんな街の広場や通りのたたずまいを観察すると、地元民が買い物をする店やコンビニや雑貨店などが目に入る。特に食料品店が肝心だ。中でも肉屋の店先には生活のにおいが濃く立ちこめる。

プラハの心臓部の旧市街には、「日常」を身にまとった人々や店屋などが全くと言っていいほど存在しない。

立ち並ぶ建物の一つひとつを観察すると、一階にはレストランやカフェやバー、また土産物店やホテルなどの商業施設がびっしりと軒を並べている。

だがそれらの建物の2階以上には極端に人の気配が少なく、明らかに空き部屋らしいたたずまいもちらほら見える。

なぜ人が溢れている旧市街広場の周りの建物に住人がいないのか。敢えて例えて言えばゴーストタウンのようになったのか、というと次のようなことが考えられる。

旧市街広場一帯はプラハで最もステータスの高い一等地である。かつてそこに居を構えたのは王侯貴族であり、彼らの周囲に群がる軍人や高級官僚や大商人などのエリートだった。

プラハが首都のチェコスロバキアは1948年、共産党の一党独裁制下に入った。国名もソ連型社会主義国を示すチェコスロバキア社会主義共和国となった。

権力を得た下層庶民階級の共産主義者は、旧市街広場を中心とする高級住宅地を掌握すると、喜び勇んで特権階級の住民を追い出し家屋を差し押さえて思いのままに運用した。

だが1989年、状況は一変する。ビロード革命が起こって共産党政権が崩壊したのだ。旧市街一帯を支配していた共産主義者は一斉に姿を消した。

独裁者が去って、民主主義国になったチェコの首都は開かれた場所となった。が、共産主義者によって追放された旧市街広場周辺の住民は帰還しなかった。

そこに富裕な外国人や観光業者がどっと押し寄せた。プラハの旧市街地区は、あっという間に投資家や金満家やビジネスマンが跋扈する商業絶対主義のメッカとなっていった。

そうやって旧市街広場には観光客が溢れるようになったが、リアルな住民は寄りつかなくなった。いや、寄り付けなくなった。共産主義時代の負の遺産である。

プラハの旧市街広場一帯ににそこはかとなく漂う空虚感はそこに根ざしている。

北のローマとも形容される華の都プラハは、共産主義者に精神を破壊された。心魂を破壊されたものの、しかし、街の肉体すなわち建物群は残った。

さまざまな時代の、さまざまな様式の建物が林立するその街は、やがて“建築博物館”の様相を呈するようになり 、それが旅人を魅了する、というふうに僕の目には映った。






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NHKが“与党過半数割れの衝撃”と騒ぐ衝撃


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今回の衆議院選挙で最も気になったのは、相も変わらない投票率の低さである。

裏金問題という深刻な事案が争点の選挙でも、投票率は53.85%という寂しい数字だった。

日本の選挙の投票率が低いのは、国民が政治に関心を持たないからだ。そして国民が政治に関心を持たないのは彼らが民主主義を理解していないからだ。

自らの一票が真実、権力の行方やあり方を左右する、という厳然たる事実を多くの国民が意識すれば、投票率は必ず上がる。

結果、政権交代が起きる。

そして政権交代が起きることを政治家が肌身で感じれば、彼らは襟を正す。少なくとも国民を恐れ国民の声に耳を傾ける。

そこの部分が日本の民主主義には欠落している。つまり日本の民主主義は真の民主主義ではなく、民主主義の名を借りた「一党独裁政治主義」に過ぎないのである。

そのことを象徴的に表しているのが、選挙結果を踏まえてNHKの看板番組「クローズアップ現代」が放った、“与党過半数割れの衝撃”というタイトルだ。

与党の過半数割れは、まともな民主主義国家の選挙なら当たり前の事相だ。それを衝撃と呼ぶNHKの心状こそが衝撃である。

米英に代表される2大政党の回転ドア式政権樹立法を別にすれば、過半数を制する政党が無く、複数の勢力が連立を組んで政権を担うのが民主主義国の普通の在り方だ。

言葉を替えれば、与党過半数割れが現代政治の常態なのである。

自民党がほんのひと時を除いて政権を握り続けてきたのは、日本の政治環境が中露北朝鮮にも似た独裁主義まがいの硬直した政体だからだ。

日本はその醜悪な政治文化を早急に破壊して、政権交代が簡単に起きる政治環境を作り上げるるべきだ。

ここイタリアでも、戦後一貫して日本の自民党に当たるキリスト教民主党 が政権を担いつづけた。

だが1994年、スキャンダルに始まる政治危機の連鎖によってキリスト教民主党が崩壊、消滅しベルルスコーニ率いるフォルツァ・イタリア党が政権を握る“政治革命”が成就した。

以来イタリアは、政権交代が易々と起きる国になった。

イタリアの民主主義は、民主主義先進国の中では最も稚拙とみなされることが多い。だがそれは稚拙ではなく、多様性が差配する政治環境の殷賑が、外部からは政治の混乱と見えるに過ぎない。

混乱に見えるからイタリアの民主主義は稚拙、と知ったかぶりを言う自称ジャーナリストや専門家や知識人が、特に日本を中心に多くいる。

彼らにはイタリア政治を支配している多様性の精神がまるで見えていないのである。

それに対して一党独裁的な政治環境が継続している日本では、国民の政治参加が圧倒的に少なく、結果民主主義の核の一つである政権交代が起きない、という悪循環が続いている。

日本は敗戦後にタナボタで手に入れた民主主義を研鑽し、本質をしっかりと捉えて、子供たちに死に物狂いで教え彼らの血となり肉となるように仕向けなければならない時期に来ている。

それが成れば、必ず投票率が上がる。結果―繰り返しになるが―政権交代が起きる。そして政権交代が起きることを政治家が実感すれば、彼らは反省し態度を改め国民の声に真摯に耳を傾ける。

そうやって民主主義はさらに深化していく。

民主主義は漫然と付き合っていると、たちまち中露北朝鮮のような専制主義に取って代わられる危ういシステムだ。一人ひとりが立ち上がって闘わなければならない。

その最たるものが投票に行くという行為だ。

民主主義体制はそこにあるのが当たり前ではない。専制主義や過激主義、またトランプ論者や独裁者が跋扈する世界で、懸命に闘い努力をしてのみ得られる開放であり、自由であり、喜びなのである。










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高市早苗‘首相’の影と、影の中にあるかもしれない光

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FB友のお1人から「高市早苗」候補には絶対に首相になってほしくない、という強い怒りのメッセージが届いた。似たような趣旨のコメントはほかにも多い。

高市早苗候補だけは決して日本のトップにしてはならない、とつい最近まで僕も考えそこかしこに書いてもきた。

今もそうだが、それでも総裁候補の顔ぶれを見ているうちに、毒を持って毒を制す、のような気分になっている。高市という猛毒をもって日本の男社会という毒に楔を打ち込む、という印象である。

ちなみに僕は上川さんに期待し、老害政界に風穴を穿て、と密かに進次郎候補を応援していた。

だが残念ながら上川さんの覇気のない常識路線と、進次郎候補の明るいウツケ振りに呆れて、それらは過去形になった。

代わりに猛毒の高市候補が日本初の女性首相になる手もあると考え出した。

❛高市首相❜もありかもと考える第1の、そして最大の理由は高市候補がオヤジよりもオヤジ的な政治家でありながら、それでも女性だという点だ。

首相になれば日本の諸悪の根源である男尊女卑メンタリティーにとりあえず一撃を見舞うことになる。それは、無いよりはあったほうが確実に日本のためになるイベントだ。

心優しい良い女性、すばらしい女性を待っていては日本には永久に女性首相は生まれない。女性首相の大きな条件の一つは「タフな女」であることだ。

サッチャーもメルケルもここイタリアのメローニ首相も男などにビビらないタフさがある。高市候補は権力者のオヤジらに媚びつつも、鉄面皮で傲岸なところがタフそのものに見える。

2つ目は、アメリカでカマラ・ハリス大統領が誕生すると想定しての強い興味だ。

トランプ氏再選なら、❛高市首相❜は彼女の神様である安倍元首相に倣って、ここイタリアで言うケツナメ(lecca culo)外交に徹するだけだろうが、ハリス大統領になった場合は遠慮し諭される状況もあり得る。

それは❛高市首相❜を変える可能性がある。むろん、それにはハリス大統領のリベラルとしての、有色人種としての、そして女性としての強さと見識と人間性の有無が重要になる。

今のところハリス候補にはその兆候はない。だが、彼女も大統領になって品格を備えるようになる可能性が高い。

肩書きや地位はただでも人を創りやすい。ましてや世界最強の権力者である米国大統領という地位が、人格に影響を及ぼさないと考えるなら、むしろそちらのほうが不自然だ。

3つ目は天皇との関係だ。人格者の上皇、つまり平成の天皇は静かに、だが断固として安倍路線を否定した。現天皇は今のところ海のものとも山のものともつかない。顔がまだ全く見えない。

❛高市首相❜が本性をあらわにファシスト街道を突っ走るとき、天皇がどう出るか、僕はとても興味がある。

天皇は政治に口出しをしないなどと考えてはならない。口は出さなくとも「天皇制」がある限り彼は大いなる政治的存在だ。それを踏まえて天皇は「態度」で政治を行う。

彼に徳が備わっていれば、という条件付きではあるが。

日本の政治と社会と国民性は、先の大戦を徹底総括しなかった、或いはできなかったことでがんじがらめに規定されている。

右翼の街宣車が公道で蛮声を挙げまくっても罪にならず、過去を無かったことにしようとする歴史修正主義者が雲霞のように次々に湧き出てくるのも、原因は全てそこにある。

ドイツが徹底しイタリアが明確に意識している過去の「罪人」を葬り去るには、再び戦争に負けるか、民衆による革命(支配層が主体だった明治維新ではなく)が起きなければならない。

しかし、そういう悲惨は決して招いてはならない。

極右で狡猾で危険な高市候補が首相になっても、おそらく戦争だけはしないだろう。だからチャンスがあれば、彼女にチャンスを与えても良いのではないか、とつらつら考えてみるのである

ちなみに今このとき僕が女性首相にしてみたいのは蓮舫氏。彼女が嫌いな日本人は、高市候補が嫌いな日本人とほぼ同数程度に存在していそうだが、僕は蓮舫氏をリベラルと見做して推す。

男では山本太郎氏だ。山本氏なら戦争総括に近いこともやりそうな雰囲気がある。自民党のオヤジ政治家群は、ほとんどが過去の総括の意味さえ知らないように見える。

それは国際社会では、中露北朝鮮を筆頭とする専制主義勢力と同じフェイク、民主主義の向こう側でしか生きられないカスな存在、と見做されることを意味する。





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