【テレビ屋】なかそね則のイタリア通信

方程式【もしかして(日本+イタリ ア)÷2=理想郷?】の解読法を探しています。

メディア論

ハマスをテロリストと呼ばないBBCの気骨

ハマス戦闘員絵にBBCロゴをスーパーインポーズ650

イギリス公共放送のBBCが、ハマスをテロリストと呼ばないことを批判する勢力がある。同国のスナク首相を筆頭にする保守主義者が中心だ。

ハマスをテロリストと見るか否かは、政治的な立ち位置の問題に過ぎない。

BBCはそのことを正確に知っていて、「テロリストとは人々が倫理的に認めたくない集団を呼ぶ言葉」であり「政治的な色合いを伴う感情的な表現」と規定している。

僕も全く同じ考えでいる。

だが、もう少し自分の考えを付け加えればテロリストとは、政治的な目的を達成するために暴力を振るう自らと自らの支持者以外の者や組織のことだ。

従って今このときの中東危機に照らして言えば、イスラエルから見るハマスはテロリストである。逆にイスラエルはハマスに言わせれば大テロリストである。

また、イスラエルを支持する欧米から見たハマスもテロリストの組織である。

片やハマスを支持するアラブ各国またイスラム教国のイランやトルコに言わせれば、イスラエルだけがテロリストである。

もっと言えば、無差別攻撃でパレスナ人民を殺害するテロリストであるスラエルに加担する欧米各国は、パレスチナ側の窮状を見て見ぬ振りをする偽善者でありテロ支援者だ

BBCの主張に戻る。

BBCは前述の論点に加えて、「BBCは誰が誰に対して何をしているかを視聴者が自ら判断できるように客観的に報道する。また何が起きたのかを説明することで、視聴者に全貌を伝える」とも主張している。

僕はその姿勢を全面的に支持する。

BBCの立場に異を唱える者は、必ず自らの政治信条や思い込みまた感情を盾にし、拠り所にしていると知るべきである。

BBCとは違ってハマスをテロリストと呼ぶ者は、イスラエルをテロリストと呼ぶ者と全く同様に、自らの政治信条と倫理的好悪の感情に基づいてそう主張している。

僕は客観的に見て、両者ともにテロリストであり同時にテロリストではないと考えている。ただし両者ともに、テロリストではないと規定される場合でも、双方は「テロ行為を働いている」と判断する。

そしてなぜ彼らがテロ行為を行うのかの「動機」を考えた場合、イスラエル側により大きな責任があると考える。

なぜならイスラエルは、「パレスチナは神がユダヤ人に与えた土地」と主張するシオニストが、他人の土地を侵略しそこに住まう人々を追い出して作られた国家だからだ。

パレスチナが神からユダヤ人に贈られた土地であるなら、そこは神がパレスチナ人に与えた土地でもあるのが理の当然だ。

神話の世界に過ぎない旧約聖書の世迷言を根拠に、他人の土地を強奪した上に住人を殺戮し抑圧し排除しているのがイスラエルでありシオニストだ。

パレスチナ側は1948年以来イスラエルの横暴に抵抗し続けた。その過程で生まれたパレスチナ解放運動がPLOでありハマスでありヒズボラ等々の組織だ。

彼らをテロリストと呼ぶなら、イスラエルもテロリストだ。しかも後者はより巨大且つ悪辣な国家テロ組織だ。

BBCがハマスをテロリストと呼ばない頑なな姿勢は、報道者として見上げたものである。

ただ、もしもBBCが、ハマスはテロリストではないのだから「テロ行為も働いていない」と考えているならば、それはイスラエルを一方的に擁護する英スナク首相やその他のほとんどの欧米首脳らと同じく、偏頗で偽善的な態度だとも付け加えておきたい。






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大手メディアの存在価値

地球儀&Breaking news文字

インターネットが好きな人々の中にはテレビを全く見ない、あるいはそれを信用しないという者が多くいる。

人それぞれの考え方があるからそれで構わないと思う。だが同時にそうした人々は、インターネットにも同様の警戒心を抱きつつ進むほうがいい。

テレビをはじめとする大手メディアは資金や人的資源を豊富に持っている。彼らはそれを縦横無尽に使って情報を収集する。大手メディアの報道や番組は一次情報の宝庫だ。

いうまでもなく一時情報は、それがありのままに正直に提示されたものなら、客観的な事実であり真実である場合がほとんどだ。

テレビが嫌いなネット住人もそれを利用しない手はない。受信料を要求されるNHKを除けば、テレビに流れるそれらの一次情報は全てタダなのだ。

同じ無料の情報でも、大手メディアのそれとネット上のそれは違う。

SNSで情報を発信している個人には、自分以外には人材も金もないため、足と時間と労力を使って得る独自情報や見聞は少ない。せいぜい身の回りの出来事が精一杯だ。

そこで彼らは大手メディアが発信する一次情報を基に記事を書いたり報道したりすることになる。そしてそこには必ず彼らの解釈や意見や感じ方が盛り込まれる。

その結果ネット空間には偏向や偏見や思い込みに基づく表現もあふれることになる。

僕はテレビ番組を作ったり紙媒体に記事を書く以外にSNSでも発信している。その場合には今述べた現実をしっかり意識しながら動いている。

つまり、自分の足で集めた情報以外は、あらゆるメディアやツテや友人知己からの一次情報を自分なりに解釈し考察して、その結果を発信するということだ。

そこでは事実や事件の正確な報告よりも「自分の意見を吐露」することが優先される。換言すれば、他から得た情報や事実や見聞に対して自らの意見を述べるつもりで記事を書くのである。

そこでの最も重要なことは、報道者が自らの報道はバイアスのかかった偏向報道であり、独断と偏見による「物の見方や意見」であることをしっかりと認識することだ。

自らの偏向独善を意識するとはつまり、他者の持つ違う見解の存在を認めること、と同義である。他者の見解を認めてそれに耳を貸す者は、やがて独善と偏向から抜け出せるようになる。

SNSでの「発信」を目指す者は、あくまでも情報や事実や「報道」等に基づく、書き手の意見や哲学や思考を述べる努力をするべきだ。個人が情報を発信する意味はそこにあると思う。

客観的な情報やニュースは大手メディア上にあふれている。あふれているばかりではなく、それらは正確で内容も優れている場合が多い。個人の発信者の比ではないのである。



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